論文和訳 

Smith, J. B., Willis, E.‐M., & Hopkins‐Walsh, J. (2022). 

What does person‐centred care mean, if you weren't considered a person anyway:

An engagement with person‐centred care and Black, queer, feminist, and posthuman approaches.

Nursing Philosophy, 23, e12401.https://doi.org/10.1111/nup.12401

Jul 2022 

人とは見なされない人がいる中でのパーソン・センタード・ケアとは?:

黒人・クィア・フェミニズム・ポストヒューマン的なアプローチ法とパーソン・センタード・ケアの交点

下記は、Smith, J. B., Willis, E.‐M., & Hopkins‐Walsh, J. (2022). What does person‐centred care mean, if you weren't considered a person anyway: An engagement with person‐centred care and Black, queer, feminist, and posthuman approaches. Nursing Philosophy, 23, e12401. https://doi.org/10.1111/nup.12401 の日本語訳です(訳者:川端望海)。元の記事はクリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 国際 ライセンスの下に提供されています。:"This is an open access article under the terms of the Creative Commons Attribution‐NonCommercial License, which permits use, distribution and reproduction in any medium, provided the original work is properly cited and is not used for commercial purposes. © 2022 The Authors. Nursing Philosophy published by John Wiley & Sons Ltd."

原著論文はこちら:

https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/nup.12401


概要

パーソン・センタード・ケア(PCC)は、看護ケアにおいて重要性が指摘されているにもかかわらず、その前提や意味について必ずしも一般的な合意が得られているわけではありません。筆者らは、PCCを個々人のその人らしさ(personhood)ではなく、関係的で(relational)、状況に埋め込まれ(embedded)、一時的な(temporal)自分らしさ(selfhood)へと捉え直そうとする他の研究者らの活動に共感を覚えます。本稿では、支配的な価値観を回折させるため批判的ポストヒューマニズムの視点を用い、PCCにおける人間中心主義(humanist)的な前提に対する批判に取り組みます。そして、医療保健において生じうる問題含みの現実を浮き彫りにしますが、そこでは他の者らよりも医療についての権利を奪われやすい(disenfranchised)人々がいることを明らかにします。筆者らは、PCCの発展に影響を与えてきたヒューマニズム的伝統が、植民地主義的、同性愛嫌悪的、トランスフォビア的、人種差別的、健常者中心主義(ableism)的、年齢主義的な帰結をもたらしていることを指摘します。また、PCCが再生産している所の、構造的に不平等を支え看護実践をむしばむ根深い状況についても言及します。筆者らは患者の自己決定を支持しますし、患者の選択を可能にしていくPCCの基本的なメカニズムを尊重します。けれども批判的な内省がなければ、これらは人間(humans)の中の一部に限定されてしまうのです。最後に、筆者らは自らの白人(white)*-シスヘテロ家父長制(cisheteropatriarchy)**という立場性に立脚した視点の制約を提示します。筆者らは、PCCのようなモデルの再考(reimagining)は、多様性の諸次元(diversity dimensions)***と生きられた経験を持つ人々および多様な視点から存続しているところの専門技能(expertise)に耳を傾け、彼らを模範とし(following)、彼らに権力を譲渡しながら(ceding power)、慎重に行っていくべきであると主張します。本稿では、全ての人々・コミュニティの公正性向上に向けて、ヒューマニズムおよびPCCへの筆者らの批評の論点について、その状況を説明する(contextualize)ため、黒人フェミニズム、クィア・フェミニズム、批判的障害学(critical disabilities studies)に着目します。理論と哲学は、医療提供における制約要因を把握する際、そして多様性の諸次元を持つ人々の集団への抑圧を永続させないようケアの質を向上していくためのシステマティックな戦略を提供する際に役立ちます。*筆者らは、白人性を脱中心化するため、また反レイシズムの意図的な行為として、本稿(訳注:本稿の英文)ではBlackのBを大文字とし、whiteのwを小文字にしています(Tori W. Douglas によるWhite Homework a podcast seriesを参照のこと)。**本稿で記したシスヘテロ家父長制とは、支配的な(dominant)社会集団のアイデンティティがインターセクショナリズムとして交差している人々のことで、シスジェンダーは生まれたときに割り当てられた性別に一致する性自認、ヘテロは異性愛者を、そして家父長制は、女性がしばしば排除され、より小さな権力しか持たない、男性性に基づく権力の構造的システムを指します。***本稿に記す多様性の諸次元(diversity dimensions)とは、白人-シスヘテロ家父長制という「支配的なマイノリティ」の外に存在する人々の主体的な(subjective)生きられた経験(lived experience)や物質的現実のことで、社会の中で歴史上も現在も大きな(more)権力を持ち、これを通じて他の人々が生きる上での規範や可能性に構造的な影響を及ぼす人々の集団を意味します。

 

キーワード:

批判的看護理論、批判的ポストヒューマニズム、看護哲学、パーソン・センタード・ケア

 

 

1 パーソン・センタード・ケアとは何か

 歴史的に、パーソン・センタード・ケア(PCC)のモデルは、患者の生物医学的モデル(Balint, 1969)に対応するものとして発展してきました。生物医学的モデルでは患者を「医療保健システムの受動的な対象」としてしまうとの批判がなされたのです。(Håkansson Eklund et al. 2019, p. 6)パーソン・センタード(person centeredness)という概念は、心理学者Rogers(1959)の思想に影響を受けています。1970年代に登場したPCCにより、医療の対象としての患者というモデルから、ケアにおける患者の望み(wishes)や情報提供(input)を重要視するモデルへと移行が図られてきました(Smith & Willis, 2020)。PCCは、医療を利用する人々をアクティブなパートナーかつ意思決定者として包含することを目指しています(Håkansson Eklund et al, 2019, p.6; McCormack & McCance, 2010)。PCCとは、患者の周囲の状況、ライフスタイルおよび価値観に基づいて、共有された意思決定を行うことだと説明されています(Sepucha et al, 2008)。したがってPCCは、ケアへのアプローチについての厳密な定義というよりも、その下で運営される諸原則の集合体として理解することができます。PCCは、人々が自分の状態について理解を深めながら、自身の健康について十分な情報を得た上で意思決定できるよう支援し、患者が尊厳・敬意をもって治療されるよう、専門分野の垣根を越えたケアへ患者らを取り込むことを意図しています(McCormack & McCance, 2010)。今日、PCCは看護実践、高等教育、医療政策、行動理念、規制の枠組みにおいて定着しており、グローバル・ノースにおけるケアの支配的なパラダイムであり、医療提供に際して患者を位置づけるための最も普及した様式の一つとなっています(Buchan et al, 2022; International Council of Nurses, 2021; McCormack & McCance, 2010)。

 

1.1 PCCへの批判的エントリーポイント

 筆者らはArnoldら(2020)と同じく、医療保健における非人格化(depersonalization)および医療化(medicalization)への対応として、患者を自身のケアに参画させる(franchise)取り組みにおけるPCCの発展は不可欠であると考えます。PCCは、意思決定がコラボレイティブで関係性に基づいて(relationship-based)いて、意味(meanings)が共同で作り出される場合、最もうまく機能すると報告されています(Vassbø et al, 2019)。Riderら(2014)は人間中心主義的医療(humanistic healthcare)の定義のされ方とPCCの特徴について考察しています。彼らは、PCCが患者の生活を向上させつつ、患者や同僚に教育を行い、実践についての継続的な内省を促し、患者とその家族の価値観や自主性、文化的背景を尊重した慈愛あふれるケアに取り組んでいることを強調しています。Lambertら(1997)は、PCCは還元主義的(reductive)であると批判を行い、よりホリスティックなケアを行うPCCのモデルを導き出しました。Tieuら(2022)は、PCCがいかに患者と看護師たちの間に還元主義的な関係を生み出してしまうか、そして「ケア提供者がケア関係に能動的に参加せず、それゆえケアに関する決定責任が主にケアを受ける側にかかってしまうような反父親主義的な関係性」(Tieu et al., 2022, p.4)を作り出してしまうのかについて述べています。PCCの批評を行う他の論者は、医療における問題含みの新自由主義的な人間制作(productions of the human)についても論じています(Greco, 2009; Millenson, 2017; Tieu et al, 2022)。筆者らは、PCCは新自由主義の上に直接構築されたものではないとしても、福祉国家との関係において個人を中心に置こうとする新自由主義的なシフトが、個々人の責任化を促し、PCCを新自由主義と合致させ助長させてしまう豊かな土壌を作り出したことを認めるべきだと考えます。Greco(2009)は、現代社会がいかに選択、エンパワーメント、セルフケアを強調することで、新自由主義的な健康モデルを生み出すよう変化してきたかを詳述しています。新自由主義的な健康モデルは、自己にかかる選択とリスクを「市場と極めて有害な(malignant)個人主義」へと巧妙に推移(shifts)させます(Arnold et al., 2020, p. 41)。Millenson(2017)は、テクノロジー、データ、アルゴリズム、デジタル化がヘルスケアを提供する際の足場やウェブとなってくるにつれて、多様なソースからのデータの層を通して媒介されるようになったPCCの姿はその伝統的な理解から大きく外れつつあり、したがって、コラボレイティブ・ケアとしてのテクノ・ソリューション主義と表現した方がよいかもしれないと論じています。Millenson(2017)は、コラボレイティブ・ケアのテクノサイエンス的生産に移行することでどのようにヒューマニズムを生み出しうるかについて具体的に述べていますが、この観点には新自由主義的な合理的主体としての人(the person)が残存しています。Greco(2009)が取り上げた個人の健康行動の選択における緊張は、Covid-19の大流行においても前面に押し出されています。

 これらの批判の論点は、もっぱらヒューマニズムがPCCのモデルに重ねられていることを示すものであり、これらケアのモデルにおいてどのように人間(the human)が生み出されるかという批判は欠けています。本稿では批判的ポストヒューマニズムを用いてPCCに迫ります。ケアにおけるヒューマニズムの概念はまた、人間を脱中心化する複数の理論的視点から取り上げられてきています(Bellacasa, 2017; Gilligan, 1993; Plumwood, 2002; Rose, 2012)。この視点は、患者を自身のケアに含めると同時に、何がケアで可能になるかには他の多くのもの(many other things)も寄与してくることを認めるものです。幾つか意味でこのケア理解はPCCの記述に沿ったものかもしれません(McCormack & McCance, 2010)。特にその人らしさ(personhood)という概念が問いただされる場合にはそうでしょう(Tieu et al., 2022)。しかしながら、批判的ポストヒューマンを用いてケアにアプローチする場合、その人とケア提供者を、人間および人間以上の存在という物質性の中に位置づけるため、さらなる文脈化を要します。Bellacasa(2017)を受けて、筆者らはケアを事前に計画することが難しい状況的実践と考えています。看護師たち、患者たち、環境、そして可能性の間で意味を共有・伝達していくこと(making shared meanings)で、ケアは生み出される(is produced)のです。筆者らは、看護師はケアの中心に一人の個人を置くことなく、多くの人々、患者、可能性の視点(perspectives)がケアを作り出すダイナミックな状況の中で働いているため、これはすでに実践されていると主張します(Smith & Willis, 2020)。批判的ポストヒューマンは、一人の患者のニーズを特権化することなく、患者のニーズに加え、いかにしてその人らしさが患者の置かれた現実の可能性として生み出されるかを認識していきます(Adam et al., 2021; Smith & Willis, 2020)。

 

2 理論的エントリーポイント

 批判的ポストヒューマニズムは、ヒューマニズムとそこから生み出される権力関係を探求する方法であることから(ブライドッティ、2013)、まずはヒューマニズムの歴史を振り返り、ポストヒューマニズムがどのようにヒューマニズムに挑んでいるか確認しておきます。本稿では、PCCでどのようにその人らしさ(personhood)が理解されているかを考察し、その人らしさを定義するためのオルタナティブな方法を提案することで、これを例証していきます。自己充足(self-sufficiency)(PCCに支えられるもので問題含みと筆者らは考える)と自己決定(self-determination)(PCCの中の確固たる概念と筆者らが考える原理)を区別することで、この議論を掘り下げます。まずは、生政治的権力の概念を取り上げることから始めますが、筆者らはこの権力が多様性の諸次元の生成に一体的に根ざしていると考えており、それゆえPCCに見てとれる種々の課題が導かれるはずです。

 

2.1 生政治権力

 ポスト構造主義的な意味での生政治的権力とは、生命を支配し、組織化し、欲する秩序に組み入れる権力のことです(フーコー、1990)。生政治的権力の分布(distribution)は、規律や統制を目的として、多様性の諸次元がいかに社会によって認識され生み出されるかに非常に大きな影響を与えます(フーコー, 2007, 2008)。諸集団間に不平等に割り当てられる権力は、人種差別、性差別、年齢差別、健常者中心主義(ableism)、階級差別、同性愛嫌悪、トランスフォビアなど、個人の偏見やシステム化された排除として現れる、生成的で制約的な抑圧体験にとりわけ由来します(むろん、これらに限定されませんが)。事態をさらに複雑化するような予期しない結果として、社会で支配的なグループから外れた特性を備えた人々が構造的に取り残され、政策や意思決定の権力からシステム的に排除されているのです(Hopkins-Walsh & Dillard-Wright, 2020)。不平等に割り当てられた権力は、ある集団が社会全般への参加権を奪われる(disenfranchise)ことにつながり(Bhabha, 2013)、人々の医療へのアクセスを(意図的かどうかは別として)制約する可能性があります。権力の不平等は、それゆえ、PCCを含む現代医療の分析・生成の形態において、多様性の諸次元を持つ人々を参加対象から排除する可能性を高めます(Hopkins Walsh & Dillard-Wright, 2020)。

 多くの組織や医療機関が高品位のPCCを推進するため、患者個人の特性(attributes)に焦点を当てています(Fotaki, 2015)。このことは、ケアをサービス産業として成り立たせ、そこでは個人が顧客となり、彼らに自身のヘルスケアをどう購入するのか、その選択を植え付けるためでもあります(Tieu et al, 2022)。患者や看護師にとって、このような個人的な選択をする能力があることは、その選択に対する全ての責任を、選択する人に向かわせる(orientates)ことになります。このような統治性の様態が、患者と看護師双方の神経症的な市民権(citizenship)を助長し、社会における生政治的な変化の別の兆候となっているのです(Isin, 2004)。この種の生権力が前提とするのは、人が意思決定を行う際、入手可能な情報を合理的に評価し、またそのデータに効果的に応答するということです。

 歴史的な変遷を見れば、生政治権力は決して静的なものではなく、時代とともに変化してきたことがわかります(Fleming, 2014)。啓蒙主義の直前までは、健康や病気は神々が作り出すものであり、宗教的道徳を信奉することで健康と幸福を維持できると考えられていました。それゆえ、 生政治性をつかさどる権力は、宗教組織や君主制にあったのです。啓蒙主義以降、生政治の権威は施設(institutions)と医師、つまり医療関係者(medical men)に移りました。18世紀の産業革命では、工場で働く人間の労働力が国家の資源となり、諸制度(institutions)と結びついたことで、この権力は国家に移りました。市場が規制緩和され、新自由主義が資本主義の支配的な形態となるにつれて、自分の健康に対する責任が自分の選択に条件づけられる(contingent)ようになったため、生産様式はより個人化されました(Greco, 2004; Latimer & Bellacasa, 2013; Latimer & López Gómez, 2019)。啓蒙主義の価値観は経験論(empiricism)の哲学的基礎を作り、誰が知ることを許されるのか、何を知ることができるのかなど、客観性にまつわる前提を強いました(Prescod-Weinstein, 2020)。ヒューマニズムが台頭してきたのは、科学的方法、宇宙に関する認識や理解、経験主義、民主主義といった概念が、宗教から国家機構へと軸足を移した時代です(ブライドッティ, 2013, 2020; Chakrabarty, 2021)。科学的な方法とこうした概念の優位性は、現代生活の多くをまとめる理念(ethos)として機能しています。生権力は、常にそうであるようにこの場合もやはり流動的であり(Cheney-Lippold, 2011; Greco, 2004)、現在はモノのインターネットないし第4次産業革命とも呼ばれるアルゴリズムの生政治的権力へとシフトしています(Amoore, 2013)。

 

2.2 人間、その人らしさ、中心性の概念に関するポストヒューマン的探求

 ここでまずPCCにおける人間(humans)についての諸前提のうち、筆者らが問題含み(troublesome)だと考えるものについて問いただしたい(interrogate)と思います。議論の前提となるものに「問題(trouble)」(Haraway, 2016)という表現を用いるのは、PCCに見受けられる問題点に筆者らが率直に関わるという倫理的原則を示したいからです。というのは、筆者らは批判的な評価とクリエイティブな再考には、筆者らが働きかける/割り込む(we work with/in)概念に対し単に反対するのではなく、筆者らも共に作る(we make with)ことが不可欠と考えるからです。次に、PCCの中心にいると想像される患者を脱構築し、三つめの段階として、その人らしさ(personhood)の概念に疑いを投げかけます。最後に、ポストヒューマン的収束(convergence)という概念を用い、システム的な不平等を批判的に映し出すような、ケアを理解するためのさまざまなモデルのための空間を開くことにしたいと思います。

 

2.2.1 PCCにおける人間の含意がもたらす問題

 1960年代にフーコーの概念(2005)が発表されたことで、西欧の学者たちは西欧中心主義的な空間に異議を唱え始め、いったい「人間」(the human)とは何を意味するのか考えるようになりました。人間に特権を与えること(privileging the human)が指し示すのは「個人主義は『人間性』(human nature)の本質的な部分ではなく(中略)むしろ歴史上・文化上言説的に構成されてきた」(Foucault, 2005, p.24)ということでしょう。個人主義は、植民地化と合理性(rationality)が人間の本質の発現ではなく、むしろ感情的・文化的な産物であることを示すために読み直されてきました。

 グローバル・ノースでは、人間(man)は歴史的な存在であり、「万物の尺度」であり、人間(特に白人男性)に特権を与えることで、20世紀の啓蒙以降のヨーロッパでは「精神的、言説的、霊的価値観」(ブライドッティ, 2013, p13)が植え付けられました。この「本質的に道徳的な」人間は、完璧な合理性および理性についての自明の理として機能します。このような思考様式では、人間(man)は彼の完璧さに向かって無制限に拡大する能力があることになります。あたかもこの惑星における最上の力(an unequalled force)であり、星の諸資源を利用し、道中で遭遇するあらゆる物や他者の所有権を主張する権限を与えられているかのようです。こうしたイデオロギーがヨーロッパの植民地主義を支えているのです(Braidotti, 2013; McGibbon et al, 2014; Mignolo, 2021; Wynter, 1989)。このヒューマニズムのイデオロギーは、「...ヨーロッパ中心主義を、単なる偶発的な心構えの問題を超えたものにしている。それは我々の文化的実践の構造的要素であり、理論にも制度的実践や教育的実践にも埋め込まれている...」(Braidotti, 2013, p.15)のです。

 それゆえ、他者性は従属と同義になります。全人口(entire populations)が、西欧の意思を投影することのできる、人間ではない身体(nonhuman bodies)へと還元されるのです。このような理由から、ブライドッティは「ヒューマニズムの観念が何を人間としてカウントするかを制限していることが、そもそも我々がどうしてポストヒューマン的転回に至ったのかを理解する鍵のひとつである」と述べています(Braidotti, 2013, p.16)。

 ヒューマニズムは、二項対立(男性/女性、文化/自然、健康/病気、狂気/正気、正常/逸脱、医師/看護師)が強固な、白人性を規範・既知とする西欧中心主義から生まれました(Braidotti, 2019)。ファノン(1952)や、後にWynter(2001)らによって語られているように、植民地を作っていく西洋のユダヤ・キリスト教的価値観の覇権的権力の中で捻じ曲げられながら、人間であることの意味を体験することの世俗化(訳注:宗教からの分離)が、ヒューマニズムから生じているのです。Wynter (1984, p.39)は、ヒューマニズムに基づく支配的な認識論的秩序がいかに規範化されるかについて、「その秩序が自らに与える表象と、彼らの生きられた経験の構造が同型(isomorphic)であるため」と説明しています。筆者らは「人間」を、彼らのダイナミックな状況を同時代的に制作する主体として理解しています。人間の生は、その人が置かれている物質性と権力関係の可能性によって偶発的なものになります。

 

2.2.2 PCCにおけるその人らしさの問題点

 PCCが暗黙のうちに生み出すその人らしさ(personhood)は、白人的、植民地的、シスヘテロセクシュアル的、健常者的な消費者になるのではないかと筆者らは考えます。このモデルは、医療専門職と一緒に十分な情報に基づいて意思決定できる能力をもつ教養人を理想像として描いています。つまり、そこで個人が備えている資質は、自立を可能にし、同時に自立を前提としていますが、多様性の諸次元を全く欠いているのです。自立した個人というニュアンスが、その人らしさには含まれます。この概念だと患者は、合理的な選択肢を提示され(支配的な言語で)すべての情報を取り入れ、そして(実践の場でよく聞く表現ですが)"自分にとって最良の選択肢"を決定します。合理的な行為主体は、知識を理解し吸収し、そして意思決定することができます。これには、同じ知識と文化的生産システムを信じて意思決定が行われ、どの患者も同じだけの認知能力や経済的保障を持つとの想定がなされています。Kitwood and Bredin (1992)に従えば、その人らしさは成人では凍結されている(frozen)と想定されます。流動的な状態(states of fluidity)は、主に子供、および(恐る恐る)認知症などの高齢者に割り当てられます。すなわち「組織構造、トレーニングの種類、ケアワーカーの役割の記載などは全て、患者・利用者(people)が大部分は「凍りついた」(frozen' state)状態で動作する(operate)よう要求する傾向があります」(Kitwood & Bredin, 1992, p.286)。PCCが凍りついた状態というニュアンスをも含む一方で、筆者らは、医療者と患者の流動性を活用するケアの倫理的話し合い(ethical negotiation)を奨励したいと思います。ケアのプロセスにおける患者の位置づけのモデルをPCCモデルに制約してしてしまうと、本稿で検討していく中、その人らしさをいかに発展させうるかという可能性を制限する危険性が生じえます。

 Arnoldら(2020)に倣って、本稿ではその人らしさ(personhood)に代わり、その患者らしさ(patienthood)という概念を使ってみたいと思います。PCCはその患者らしさよりもその人らしさを強調しますが、その人らしさとは、脆弱性にもかかわらず揺るぎない合理性を持った新自由主義的な主体のことであって、一方その患者らしさとは、おそらく不安定さ無力さ、あるいは脆弱性の中でケアを受けながら生きる状況にその身を置く存在のことです(Arnold et al., 2020)。PCCにおけるその人らしさの意味論的な差異は、ケアの場における関係性を誤って記述・判定する(mischaracterize)可能性があり、また、その人にとってすべての選択が可能であるとは限らない状況において、臨床現場には適用できない自由市場の価値観を過度に強調する可能性があります。しかし、その人らしさを超えたところで考えるならば、筆者らは、人々中心のケア(その人々らしさ)(people-centred care (peoplehood ))という、権力の不公平な配分を認識する複雑な権力関係の中にその人を位置づけるものを提示することが可能だと考えます。とはいえ、患者を中心としたケアも、人々を中心としたケアも、人間中心主義的(humanistic)なケアへのアプローチの枠組みに根ざすものです。

 筆者らは批評によって、患者の生きられた現実が関係性と物質性の中に埋め込まれていることを指摘したいと思います。その人らしさとは、個人としてではなく、「本質的に社会的なもの、つまり他者らとの関係性における人間の生(the human being)を指すもの」(Kitwood & Bredin, 1992, p.275)と捉えるべきです。筆者らは認知症ケアにおけるその人らしさを取り上げ、その人らしさが理解されるやり方における従来の概念に挑戦してみたいと思います。これは批判的ポストヒューマニズムと調和する批判になると考えます。その人らしさとは社会的なものであるため、「その人らしさとは、そもそも個々人の特性(property)ではなく、むしろ他者が存在することによって提供されたり、保証されたりするものなのです」(Kitwood & Bredin, 1992, p.275)。その人らしさが個々人の特性でないならば、コレクティブなその人らしさが示唆されます。さらに踏み込んでKitwoodらは、「関係性がまず初めにあって、それに伴って間主観性(intersubjectivity)が生まれるのであって、個人の主観性はあとから集められる蒸留液のようなものだ」(Kitwood & Bredin, 1992, p.275)と述べています。筆者らは、人々が自身で選択できることをはっきり支持したいと思いますが、これらの選択肢がいかに自身の生に統合され、そして他者らの現実にも統合される可能性があるかに束縛されると考えます。看護師はたいていの場合、一度に複数の患者のケアをして回るので一人の患者を中心とするケアは不可能ですし非現実的です。このようなケアのアッセンブラージュ(assemblages)では、ある人へのケアがどこで始まり、どこで終わるのかを見分けることは容易ではありません。本稿のポストヒューマン的ケアへのアプローチでは、その人らしさに対する筆者らの洞察に制約があることを受け入れつつ、人々が現行のPCCモデルで対処されているのとは異なるその人らしさの身体化(embodiments)をするかもしれないことを認めたいと思います。それゆえ、ケアを受けている人とその医療を提供する者を分離することは、倫理的な問題を引き起こします。本稿ではこの視点を転回させ、私たちは、その人らしさ、私たちと共にある患者ら、そして患者らと共にある私たちを、共に制作していく(coproduce)のだと考えます。

 

2.2.3 PCCにおける中心性の問題点

 PCCにおける諸前提については倫理的な批判がなされてきており、例えばHughesら(2008)は、中心性という概念を核とするケアのモデルでは、異なるモデル間で特に違いはないことを明らかにしています。中心性の問題点は、(筆者らが全面的に支持している)意思決定能力のエンパワーメントが、あたかも患者がいかに生きたいのかというビジョンを中心に意思決定が行われるかのごとく、本人の独立性と一体化してしまうことです。率直に言って、これは個々人が自身を要約する(the individual sums up the person)ことを前提としています。つまり、その人らしさとしての個人の抽出に焦点を当てるということです。また、人々、場所、構造、そして個人の意思決定の可能性(不可能性)がもたらす感情的、関係的な帰結についても、さらなる理解が望まれます。一つのオルタナティブな考え方として、筆者らは、患者の望みは、人間や人間以外のものとの関係性および諸資源に依存すると主張したいと思います。いかに決断が下されるのかは、こうした関係性にアクセスできる、ないし関係性が広がる可能性にかかっています。

 

2.2.4 自己決定に自己充足の含意を持たせることの問題点

 PCCは、その人らしさ、選択(choice)、そして意思決定概念の定義に条件付けられて(contingent on)いますが、これらは要検討です。PCCが個人主義を歓迎するのは、新自由主義と絡み合った一過性の概念であるところの選択と同じくらい、個人主義がこのケアモデルに不可欠なメカニズムだからです。個人主義は社会システムの産物であって、生命(life)に絶対に必要なもの(indispensable)ではありません。Wynter(1984)が述べているように、個人主義は命やケアに不可欠なものではなく、その一方で自己決定や主体性はコレクティブな世界制作のプロセスです。全ての人が、例えば、交渉力、証拠や権威を疑う力、自分の行為体性(agency)を擁護する力といった能力が養われ尊重される環境で育つわけではありません。そもそも私たちのうちでいったいどれだけの者が自分自身を、苦情を言うことができ、苦情が聞き入れられる可能性があり、苦情が聞き入れられなかった場合でも前に進んで成就させるだけのリソースのある人間だと思えるのでしょうか?(Ahmed, 2021)。PCCへのアクセスは、その人間がどれほど強固に人間とみなされるか次第となっていて、誰にとっても同じにはなっていません。

黒人批判的フェミニズムの思想を通してウィンターは、連携(cooperation)とコレクティビティの共有実践(a shared practice)を提唱しながら、人間の再概念化を行っています(Wynter, 1984, 1989, 2001, 2003; Wynter & McKittrick, 2015)。このように想像されるハイブリッドなその人らしさのモデルは、啓蒙主義以降の二項対立の外にある人間の概念化における個性的な人間(individual man)とは異なる特徴を持ちます。この人間と人間性(humanity)の関係的ハイブリッドモデル(McKittrick, 2015におけるWynter)は、"私に"対"彼らに"(me versus them)といった植民地主義と共にグローバル化した個人性の二元的理解から遠ざかろうとするものです(Mignolo, 2015)。筆者らは、人間性というものを一元化された概念(a unified concept)として想定するのではなくて、それよりはむしろ、人間であるとはどういうことかという生きられた経験(lived experiences)により近いものとして、人間とは複雑な関係の網目の中に存在するものであるというふうに理解したく思います。しかもそのような関係性の中で、初めから人間とはみなされない人々もいるのです(McKittrick, 2015; Wynter, 1989, 2003)。筆者らは、人々やコミュニティのニードが何であるかは、常に他者および人々らがその中で生きていく(navigate)システムとの相互関係性(interconnectedness)を通してのみ探求されると考えます。またWynter(in McKittrick,2015)と同様、筆者らは、自己決定は自己充足とイコールではないと考えます。

 

2.2.5 ポストヒューマン的収束(Posthuman convergence)

 ポストヒューマン的収束は、ポストヒューマニズム(誰が・何が人間(human)だと理解されるのかが常に問われる)およびポスト人間中心主義(postanthropocentrism)(人間が中心ないし種のヒエラルキーの頂点とされることを疑問視する)の合流によって引き起こされるものです(ブライドッティ, 2013; フーコー, 2005)。ポストヒューマン的収束は、この二項対立構造の条件(terms)を超えて、私たちの世界を制作する中での権力関係の連鎖(constellations)を質的に記述していきます。BraidottiとBignall(2019)は、「人間」というカテゴリーは、人間(the human)の消滅に関する不安、つまり人類が共有する存在性によって枠付けられた実存的脅威(an existential threat framed by humanity's shared existence)をその背景として仮定されているのだと論じています。この考え方は「私たち(we)」を人間(humans)として概念化することを導きます。筆者らは専門職化された看護と批判的ポストヒューマニズムが交差するところ(intersection)でケアというものにアプローチしたく思います。さらには、批判的ポストヒューマンに含まれる、プラネタリー、類縁関係(kinship)、コレクティビティ、相互関係性(interrelationality)、人間以上のものとのつながりといった諸概念が、先住民の知識に根ざした考え方や価値観の上に構築されていることをクリティカルに受け入れます。批判的ポストヒューマニズムの考え方と共に/を通して、筆者らは認識論的アプロプリエーション(epistemological appropriation)を受け入れることは不可欠であるが不十分でもあることを認識し、白人入植者としての特権的な立場性(positionalities)から、このような認識を「入植者の無邪気なふるまい」(Tuck & Yang, 2012)と受け止めつつ取り組みたいと思います。筆者らは、この不安定さ(unease)に向き合いながら、奴隷制度廃止(abolition)、社会正義、反レイシズムのプロジェクトを継続していきます。

 

3 PCCにおけるパーソンとは誰か

 Greenhalghら(2015)は、PCCは、これを成り立たせる様々な諸要因の絡み合いというよりも、むしろシェアされた意思決定のようなものであろうと述べています。この節では、臨床のガイドラインや実践が患者の多様性に対処する際必ずしも中立的でないことから、エビデンスに基づく医療が生み出す課題について見ていきます。医療保健における臨床のガイドライン、実践、そしてパスウェイは、それらが用いられる対象集団の多様性を表していないデータセットを用いて作成されます。臨床試験の厳密な参加基準に適合しない可能性のある研究参加者は、のちにPCCを導くため用いられるデータセットから除外されたり省かれたりします。(例として Hall et al., 2021)そのため、PCCにおける研究参加者とはいったい誰なのかという疑問が生じます。

 

3.1 エビデンスに基づく医療の制作

 医療従事者がエビデンスに基づく医療を信頼することは、PCCを構築する中で患者と共にどのように意味を創り出すかにおいて非常に重要です。エビデンスに基づく研究の定義としては「個々の患者のケアに関する意思決定において、現在の最良のエビデンスを誠実に、明瞭かつ慎重に用いること」(Sackett et al., 1996, p.71; cf., Greenhalgh et al., 2014)が挙げられます。筆者らは、エビデンスに基づく研究が生み出しうる所の治療の選択肢の拡大という全体としての目標は尊重しつつも、エビデンスに基づく医学を基礎づけている前提の幾つかは批評によって恩恵を受けられるだろうと考えています。ある種の知識は、エビデンスの階層(hierarchies)、および何がエビデンスに基づく医療において有用あるいは重要であるとみなされるのかという階層を形成する上で、他よりも重視されます(Holmes et al. 2006)。このような階層は、エビデンスの頑健性やその推定上の客観性についてなされた想定に即したものです。これらの想定が実際にはどのように生み出されるか、探ってみましょう。次節では、医療史の暗黒面を幾つか踏まえた上で、いかに個別性に合わせた(personalized)ケアが必須であるかを繰り返し論じたいと思います。本稿では、エビデンスに基づく医療における平等性と客観性の想定がどれだけ的外れであるか、またそれゆえいかに、人間(human)が意味する所の、特定のバージョンを助長してしまっているか、重点的に探究していきます。

 

3.2 実践における偏見と差別の歴史

 歴史的に見てケアを受ける人々の人間性が抹殺されてきたこと(dehumanization)は、PCC発展の原動力のひとつになっています。医師と看護師はケアをする中で人々に対して非道な犯罪を繰り返してきました。こうした歴史(過去と現在)を振り返ってみて、従順で謙虚で公正という看護師についてのイメージが、看護師が人々に振るう権力や、医療従事者の潜在的な悪影響について、そんなものは無いかのように信じさせてしまう可能性を本稿では考えてみたいのです。看護は伝統的に、献身的愛情(devotion)という女性らしさの表象(tropes)やヒロイズム、高潔(holiness)の隠喩と結びつけられてきました (Gamarnikow, 2013; Mohammed et al., 2021; Stokes-Parish et al., 2020)。筆者らは、看護専門職の理想像を「ウィトルウィアン・ナース」という隠喩で論じた記事において、看護における性差別的な意味合いについて検討しました。

 女性らしさ、神性、ヒロイズム、無私無欲という帰属の仕方は、隠喩を通して看護師の潜在的可能性が軽んじられるときに危険なものとなりえます。例えば、ナチス政権下のドイツで看護師がホロコーストに積極的に関与した(Foth, 2013; Foth et al, 2017)など、第二次世界大戦で戦争犯罪に加わっていたことを指して、「看護師はそんなことはしない」と結論づけられてしまった例があります(Benedict & Shields, 2014, p.2)。もし可能性として否定しないのであれば、残虐行為を犯してきた医療従事者や医療システムの危険性は甚だしく過小評価されてしまいます。過去に行われた残虐行為として、ウィローブルック研究に参加した看護師たちは、肝炎を研究するため知的障害児を意図的にこの疾患にさらしています(Krugman, 1986)。あるいは、タスキーギ梅毒研究では黒人男性が梅毒の臨床試験にリクルートされ、その際に効果的な治療が提供されませんでしたが、このような弱い立場にある集団への危害に参画した看護師たちの例はどうでしょうか(Reverby, 2012)。ここで他の多様性の諸次元、すなわち障害、人種差別、階級差別、同性愛嫌悪・トランスフォビアに焦点を当て、一般には認識されていないものの、非常に危険な不公正を検証することは有意義なことであると考えます。

 多様性は、人間の暮らしと看護ケアの根幹をなすものです。多様性は、どのようなケアモデルにとっても非常に重要な要素です。人間(human)を脱中心化し、また人間存在の多重なあり方(multiway of being human)を考える理論的視点から看護の仕事やケアにアプローチすることは、生命とケアの多様性を支え、意思決定プロセスにおける人々の行為主体性(agency)をさらに高めることにつながります。

 

3.3 看護における人種差別、性差別、階級差別、同性愛嫌悪・トランスフォビアの歴史

 PCCは文脈に即したアプローチであり、その産出事情、つまり私たちが先に生政治的権力(biopolitical power)として把握したシステムのもとで営まれるものと理解されるべきです。この節では、どのような人が、その人らしさを持った人および選択をする人としては除外されているのかを問い、それによって諸集団における権力の不均等な分配、ひいては多様性の諸次元における不公正さが生み出されることを指摘します。以下では、比較説明の便宜のため項を分けてしまっていますが、Crenshaw (2017)、Collins & Bilge (2020)ら黒人フェミニズム研究者達はインターセクショナリティ(交差性)として、これら多様性の諸次元が抑圧のマトリックスの中で関係しあい、そして相互に影響し合い、いっそう抑圧を強めるケースについて幅広く述べています。ここで例として取り上げる多様性の諸次元は、人種差別主義(racism)、健常者中心主義(ableism)、階級差別(classism)、同性愛嫌悪・トランスフォビア、エイジズム(年齢差別)です。

 

3.3.1 人種差別主義(racism) 

 看護の職能化の一端としての人種差別主義は、白人至上主義を永続させ、経済的不平等やシステムとしての健康格差といった他の抑圧的構造と交差する(intersects)、複雑な植民地主義的過去・現在を持っています(McGibbon et al., 2014; Power et al., 2020; Smith, 2020)。専門職化された看護は、19世紀半ばにイギリスで個別化・定式化された職業として具体化され、大英帝国の植民地主義拡大とともに世界の他の地域に輸出されました(Hawkins & Sweet, 2014)。これには、ジェンダー化された道徳規範のような人間であること(being human)についての帝国的思考・期待感を伴う植民地的な勢力(force)が組み込まれていました(Braidotti, 2019; Brown et al., 2008; Currie, 2013)。看護師たちと看護学そのものが、健康と西欧中心主義的衛生観念および本学問領域に今もなお充満している白人至上主義的イデオロギーを強固にするために使用されてきた根深いキリスト教的帝国主義・道徳的確信などを人種差別的に融合しつつ、ジェノサイド的植民地主義を支援・幇助したのです(Bell, 2021; Braithwaite, 2018; Smith, 2020; Stake-Doucet, 2020)。

 臨床上の意思決定に影響を与える一カテゴリーとして人種を含めることについては、現在も議論が続いています。一方には、遺伝的特徴の持つ物質性が健康と疾病のプロセスを理解する上で不可欠だと主張する遺伝学者らがおり、もう一方には、人種はある種の社会的構築物であって、仮にそうではないと位置づければ、白人でない人に対する構造的暴力を増殖させることになってしまうと異議を唱える臨床家・社会科学者らがいます(Davis & Limdi, 2021; Mills, 2014; Wilson et al, 2021; Zuberi & Bonilla-Silva, 2008)。Thorne (2020)は、Covid-19パンデミック時の人種差別と看護師の対応について述べています。Vyasら(2020)は、人種に基づいて調整するアルゴリズムの多くが、歴史的に十分な治療を受けられてこなかった人種・エスニック集団のメンバーよりも、白人患者により多くの注意・関心や資源を向けるようなやり方で決定を導いてしまう可能性を論じています。彼らは、臨床医学におけるエビデンスに基づいたガイドラインが、ケアをガイドするにあたって様々に人種的な調整(adjustment)を用いている例をリストアップしています。推算糸球体濾過量(eGFR)を用いた腎機能の推定で最も広く使用されているのは、患者が黒人の場合の要因分析です。しかしながら最新の研究では、黒人の研究参加者割合をより大きくしつつ腎機能測定のための多様な方程式を用いることにより、先行研究は人種差別的な仮定に基づいていることが示されました。腎機能を過度に誇張してしまうアルゴリズムのせいで、黒人患者の場合、三次腎臓内科への紹介が遅れることが指摘されています(Eneanya et al. 2019)

 人種的偏見は、医療における社会的慣行を通じても生み出されています(Jones, 2021)。Lyonsら(2019)は、スポーツ関連頭部外傷の診断に民族差や人種差があることを見出しました。研究チームは、米国で救急外来を受診した頭部外傷(n=11,529,994)のレトロスペクティブな横断的分析を実施し、その結果、黒人の子どもはスポーツによる頭部外傷で救急外来を受診する確率が低いこと、また仮に受診したとしても、白人に比べ黒人の子どもは3人に1人が頭部外傷と診断されないことを見出しています。これとは逆向きに、医療保健部門における非白人臨床家もネガティブな影響を被っています。De Sousa & Varcoe (2021)は、医療現場における人種差別や人種間不公正を指摘しており、人種関連の多様性の次元が複数ある看護師たちの職場環境において、よりネガティブかつストレスの多い経験が発生している旨を述べています。Iheduru-Andersonら(2021)は、黒人、先住民、有色人種コミュニティのメンバーが占める看護の指導的地位がいかに少ないかを浮き彫りにしています(Iheduru-Anderson, 2020)。

 

3.3.2 健常者中心主義(Ableism)

 個人主義的パラダイムと新自由主義的医療の下で、自立(independence)はイマイチ冴えない(impoverished)コンセプトです。健常者(医療を提供する側)と障害者(患者)という二元論的な概念化は、医療提供者が正常/健康である一方、後者の方は欠陥を抱えていることを想定しています。KitwoodとBredin(1992)は様々な二元論を再検討し、「極端な個人主義イデオロギーの下で暮らす"普通の"人々の多くは自分たちの依存のニードを強く否定している」と指摘しています(Kitwood & Bredin, 1992, p.274)。筆者らは「自己決定とは自己充足ではない」(Wynter, 1984)という信条のもとで理論化するとき、健常者中心主義が、全ての障害者に生きる上での恥や罪悪感、そして認識論的観点からすると障害と共に生きるという経験を真に理解するのが無理な人々に満ちた世界の中でつかの間の健常者たるべく努力せよとの期待感を押しつけていると考えます。Borgstrom&WalterおよびLloydにならって言えば「依存は"自立を規範とみなす文化の文脈で見たときにのみ問題となる」のです(Borgstrom&Walter, 2015, p.103におけるLloyd, 2012, p.37)。筆者らは、健常者(able-bodied people)が持つ依存性を指摘すること、および医療システムにおける障害者排除と彼らに加えられた危害を指摘することを通じて、障害者が様々に排除されていることの認知を提唱したいと思います。その際に、リゾーム的思考(rhizomatic thinking)は、障害とともに生きる人々の経験をより知覚しやすくするための方法の1つになります(Epstein et al., 2021)。

 学習障害とともに生きる人々は、心血管疾患、糖尿病、精神疾患などの長期的な疾患にかかる割合が高く、また緊急入院の確率も高いことが知られています(Emerson et al., 2011)。しかしながら、学習障害者になされる医療的介入や処置の多くには根拠となるエビデンスが不足しています(Mulhall et al.)。これまでの研究で、ランダム化比較試験の90%以上が学習障害者を排除するようにデザインされていることがわかっています(Feldman et al.)。英国国立衛生研究所(NIHR)のポートフォリオにある研究レビューによれば、研究の60%が学習障害グループを除外しており、肺炎や敗血症を調査した研究ではこれらが若死の主要因であるにもかかわらず学習障害グループが含まれているものはなく、学習障害に具体的に関わった研究は全体のわずか1.4%でした(Spaul et al.) 。同様の排除は認知機能障害(cognitive impairment)の人々についてもなされており、例えば老年医学(Taylor et al.、2012)、腰部骨折後のリハビリテーション介入(Sheehan et al.、2019)、外傷(Jensen et al.、2019)、神経学研究(Trivedi & Humphreys、2015)などが挙げられます。認知症などにおける研究へのリクルート不足は、これら疾患や障害への理解を進めて、疾患や障害とともに生きる人々のケアと治療を改善していく際の重要な課題の1つです(Bartlett et al.)。 

 批判的障害学(Critical disability studies: CDS)は、「規範的な身体モデルへの批判と、新しい創造的な身体化モデルへの擁護を組み合わせる」(ブライドッティ, 2013, p.146)手助けとなりえます。「障害は人間というもの(the human)を否認する。障害は切望し、障害を拒絶する。このようなダイナミックな、必然的に相矛盾する、人間というものとの駆け引き(play)において。(中略)ポストヒューマン障害学は、私たちのアクティビズムと思考の現在と未来を捉えている」のです(Goodley et al., 2014, p.358)。本稿では、人間、人間ならざるもの、および人間以上のものが相互接続するオルタナティブなモデルを中心に据えることで、PCCの制約を指摘しつつ、身体-自己-他者-テクノロジー-機械のパワフルで政治的なアッセンブラージュ(Goodley et al., 2021; Liddiard et al., 2019)として/の中で、差異の出現を進んで活用する人々(Deleuze & Guattari, 1987)による医療保健をより上手く記述できるようなモデルを示したいと思います。

 

3.3.3 階級主義(classism)

 PCCは、今日の新自由主義的な医療の生産様式を取り入れ、これと一致した形で運営され、あるいは少なくともこれとともに発展してきたものです。多様性の次元(a dimension of diversity)としての階級主義は、私たちが新自由主義の中で稼働させている最も普及した経済モデルを指し示しています。PCCと新自由主義、そして不平等との関連を徹底的に分析するのは本稿の紙幅ではかないませんが、例としてPistorとLachmann(2022)は、法律が資本を生み出す結果として、いかに不平等を引き起こすかを示してくれています。看護師が暗黙のうちにしている階級差別的な思い込みは、医療保健介入へのアクセス性を低下させたり、平均余命を低下させたり、ケアの格差を再生産する可能性があります(Diniz et al, 2020)。Dinizら(2020)は、社会経済的地位(SES)の異なる患者を看護師がどのような概念で捉えているかを調べ、SESが中程度の患者は肯定的(自律的、コミュニケーション的)に描写されることが多い一方、低SESの患者には「痛みに対して受身的で、将来の見通しが乏しく、心理教育が必要」といった人間性を奪うようなイメージを持っていることを見出しています(Diniz et al., 2020, p.152)。Brandãoら(2019)は、患者のSESが異なると、痛みを患者が口にした際の看護師の受け止め方に違いがあることを報告しています。「低SES患者の痛みは、SESがより高い患者の痛みよりも強度が低く、より心理的要因に起因しているとされ、(苦痛の手がかりがある場合は)信頼性が低めにアセスメントされる」(Brandão et al., 2019, p.2094)。複数の多様性の次元(Diversity dimensions)がインターセクショナリティにおいて相互に影響し合うものです。そして世界的に見て、慢性疼痛は障害の主要な要因の1つです(Vos et al., 2017)。

 

3.3.4 同性愛嫌悪とトランスフォビア

 レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスセクシュアル/トランスジェンダー、クィア、インターセクシュアル、アセクシュアル、その他の人々(LGBTQIA+)は、非LGBTQI+の人々よりも高い確率で健康格差を経験します(Morris et al., 2019)。LGBTQIA+の人々は、彼らの健康に関する意思決定を行うデータセットの構築からシステム的に排除されてきました。Cahillら(2016)は、医療保健や臨床試験においてどれだけ性的指向や性自認に関するデータの収集が不十分で、これが行動パターンや健康上のニードに関し実世界に影響を及ぼすか論じています。Morrisら(2019)は、医療従事者の中にあるLGBTへの偏見についてレビューを行い、LGBTQIA+の患者は肛門がん、喘息、心血管疾患、肥満、薬物依存症、喫煙、自殺の割合が高いことを指摘しています。Raoら(2020)は、肛門がんを対象とした臨床試験を実施し、特定の治療経路の有益性を検討しました。しかし、彼らは性的指向について無作為化していないため、異なるグループに対する治療効果の層別化(stratifications)があるかどうかは不明です。行動、ライフスタイル、そして様々な生き方はエビデンス群を構築する段階では考慮されません。しかしながらこれらは、パーソン・センタードかつエビデンス・ベースで意思決定がなされる際に、その元となるデータです。このような臨床試験で得られた知見が有用でないと言いたいのではなくて、その人らしさ(personhood)の特定バージョンの周囲に存在するデータがあると考えたいのです。

 

3.3.5エイジズム(年齢差別)

治療法の多くは、比較的若く虚弱でない人に基づく研究やケアの基準をベースにしています。近年、がん研究者は今まで高齢や虚弱ゆえに特定のがん治療から除外されてきた高齢者集団に関心を向けるようになってきました。Battistiら(2020)は、高齢者を対象としたがん臨床試験のデータが不足しているため、高齢者に対しては、治療が提供されなかったり、若い患者を対象に行われた評価項目に基づいて治療が終えられてしまったりする可能性があると述べています。がん研究者は今日、高齢および虚弱な患者を対象とした臨床試験をデザインし実施するようになっています。Hallら(2021)は、年齢を理由に従来は全用量での併用化学療法が提供されなかったがん患者をリクルートし、(ある特定のがんでは)強度を減らした化学療法が、非劣性試験での病勢のコントロールおよび疾病経験の改善をもたらすことを見出しました。緩和的状況では、標準的な投与量よりも少ない量でがんをコントロールしQOLを改善できる同様の効果が認められています。

 

4 本稿のヒューマニズム批判は特権下にあるという限界

 これまで筆者らが課題として考えるPCCの問題点を挙げました。これらはPCCに対する最近の批評(Tieu et al., 2022)とほぼ軌を一にしています。ただし同論文の分析はヒューマニズムに基づいています。筆者らはポストヒューマンのレンズを使ってPCCを批評し、ポストヒューマン・ケアがどのようなものかを思弁する(speculate)ことで、多くの可能性が開けると考えます。その一方で、思弁していく空間は筆者らに埋め込まれた特権と共に生まれるものであることも認識しておきたいと思います。可能性は摩擦を生むかもしれません。しかしその摩擦とは、筆者らが避けたいと思うものではなく、むしろ一緒に留まりたく思うものなのです。これはまさにHaraway(2016)の言う、早急な解決策に向かって行動することで問題含みの権力のヒエラルキーをただ複製するだけにならないようにすべきところの、問題と共にいること(sitting with the trouble)です。筆者らは、ポストヒューマニズム(そして新唯物論全般)の哲学のような、他の人間たち(other humans)、場所(places)、物たち(objects)との関係性のアッセンブラージュとしてのその人らしさ(personhood)を認める、より多様でインクルーシブなケアの形態を擁護したいと思います。これまで数多くの集団そして人々が、人間としてカウントされ扱われることを拒まれてきました。だからこそ本稿ではポストヒューマニズムの問題含みの特質(nature)をも明らかにするのです。歴史的に社会から周縁化されてきた集団がこの社会で認められるために闘わなければならなかった/ならないとき、筆者らの立場性(positionality)からポストヒューマニズムをオルタナティブなアプローチとして提案することは、もしかすると恩着せがましく、人を見下すような態度と映ってしまうかもしれません。 筆者らのアプローチの弱点は、筆者らをはじめポストヒューマンの視点で論じている白人・シスジェンダー・健常者の学者達が、自らが恩恵を受けているシステム自体を批判していることです。白人の学者がヒューマニズムを批判できるのは得難い特権と権力があるからで、その一方「ヒューマニズム社会」における筆者らへの承認と代表性がおびやかされることはありません。人間であると主張することは、人間とは何かという遍在する普遍的な理解(a ubiquitous universal understanding)を前提とするがゆえにもったいぶった主張となるのです。批判的ポストヒューマニズムとともに、またこれを通して考えるとき、筆者らはヒューマニズムへの批判を発する我々自身の立場性がそもそも現在の白人至上主義のシステムのもとでは人間として認められていることに留意しなければなりません。ファノン(1952)、セゼール(2015)、Hartman(1997)、Wilderson(2020)らをはじめ、人間であることのプロセスについて多くの作家が本稿に近い批評を行ってきたことを認識しつつ、筆者らは自らの批評を謙虚に位置づけたく思います。筆者らの立場性から人間の中心性を拭い去ることは、これまで周縁やそのさらにその外へ追いやられてきた人々・コミュニティを疎外する可能性を伴うものです。ポストヒューマンであるためには、そもそもその者は人間(human)であると見なされていなければならないのです(Wynter, 1989)。筆者らは、ポストヒューマンの哲学が、自らの声を無視され、あるいは沈黙を強いられてきたコミュニティにとって、どれだけ些末なものに響くかを自覚したく思います。それゆえ本稿では、PCCにおける人間中心主義な(humanistic)前提を批判しつつ、歴史的に、そして現在も周縁化されている集団における個々人の/集団としての知識および生きられた経験をその中心に置けるような、そんな看護の哲学的アプローチを提唱したいと思います。私たちは、ポストヒューマン・ケアや新唯物論的哲学の発展に際しては、多様性の諸次元に帰属される学者・人々への搾取を伴わせてはならないと考えます。彼らはすでに白人至上主義のシステムの下で過度な負担を強いられているのです。それに加えて、筆者らが体現している人間中心主義的な特権と歴史がどれだけ排除や不作為の見落とし(omissions)を生み出しているかは、我々が関与し、批評し、反省し、現状を無効にするため積極的に取り組まない限り、その全体を認識することはできません。黒人、障害者、クィア、フェミニズム、およびポストヒューマンの批評は、人間というカテゴリーに日の目を当て脱構築するための切り口を生み出します。これらの視点は、不公正な権力、人種差別、継続的な抑圧のシステム内に存在する多様性と多様なコミュニティの数多くの特質(characteristics)による、活力に満ちた産出品(a dynamic production)としての人間(humans)というカテゴリーを強く示唆するものです。つまり、今の看護において主流をなす人間観やその人らしさ性(views of humanness and personhood)は、時を同じくして再考され(be reimagined)、育まれ(nurtured)、批評され、解体される必要があるということです。

 

5 結論

 PCCの重要性とPCCの発展がもたらしたポジティブな変化に鑑みてなお、その哲学的・人間中心主義的な(humanistic)基礎は、医療保健システム内の権力不均衡や全ての人々のもつ多様な主観的経験ないし知識実践に対処しえていないがゆえに批判されるべきです。筆者らは、ケアをしケアを受ける人々(those who give and receive care)のためのケアと優しさ(care and caring)について熟考できる新たな空間が幾つも開拓されることを願っていますし、そのために絶対的なものから離れ、意図的な問いかけの実践を進んで活用したく思います。筆者らが批判的ポストヒューマン・ケアを用いて考えるその理由は、全ての人の声がなければ、そして看護の知識実践(the knowledge practices)の中では語られぬことの多い数々の抑圧を認めなければ、ケアの多様な可能性を想像しそれらを生み出すことはできないからです。筆者らは、自らが言説に持ち込む特権自体を批判しつつ、PCCでも想定されうるこれらの特権を再考すること(rethinking)に虚心坦懐でありたいと願っています。

 その人らしさ(personhood)とは社会的かつ流動的なものです。私たちは相互に(内的に(intra))依存し合い、困惑状態で存在しており(existing in states of confusion)、そして私たちは皆、ある程度、欠陥があり傷ついているのです。倫理的、理論的な空白部分に対処できるような思弁的ケア(speculative care)の空間に足を踏み入れていくには、筆者ら、つまり健常でシスジェンダー、白人の看護師としては、他の同様の看護師たちと共に、自らが作り出し、参加しそこから恩恵を受けている数々の抑圧を認知する義務があると考えています。批判的ポストヒューマニズムは、そのようなケアへのアプローチを目指すため今の時点で筆者らが模索している戦略のひとつです。本稿では、ヒューマニズムのような哲学的概念そのものを問わないまま単にケアの中心にいる人をシフトさせること(医学に関し意思決定をする人から、患者へ/個性をもった人へ)は、いわばヒエラルキーの台本をひっくり返すようなものであって、それがいかに限定的であるかを概観しました。PCCとは、暗黙のうちに不正義を無視し、沈黙させ、それゆえに不正義を再生産しうるものです。人間(human)であることの意味を考え直し、中心性(centrality)や個人主義のイデオロギーから離れようとすることは、PCCがもたらしてくれる行為主体性を低めるものではありません。人間であることの意味の一部は、他の人間および人間以上のものとの関係性に深く埋め込まれており、意思決定プロセスにおいて彼ら/これらと関与しないでいると、不平等を容認し、結果として不平等を再生産することになってしまいます。最大の危険のひとつは、権力関係がどのようにその人らしさ(personhood)を生み出していくのかという問題に対処しないことで、ケアの生成変化を制約してしまうことです。これには、不均等な権力の分布を無視すること、抑圧を永続させること、社会のあらゆる集団の主体性を制限することなどが含まれますが、これらに限定されるものではありません。私たち看護師はケアをしケアを受ける者(who give and receive care)として、ケアギバーが患者に対して持つ権力や、そうした権力がどのように生み出されるのかといった問題への対処を尻込みしてはなりません。これにとどまらず筆者らは、PCCの哲学的前提を創造的(generative)に批評していくことで、実践者が提供するケアについて、それが今日的な意味を帯び(relevant)かつ斬新である(novel)側面を見極めることで実践者を支援したいですし、すべての人々にとって互恵的で(reciprocal)かつ関係性的な(relational)ケアを創造する方法を探求したいと考えています。批判的ポストヒューマニズムにおいては、人々(people)とその人らしさ(personhood)、反人種主義、反植民地主義の学問を理解することが、看護師が関わる多様なコミュニティによって/と共に/と協力して創造される今よりもっと公正なケア実践の実現に向けた、白人性およびシスヘテロ家父長制のさらなる脱中心化を促進するのです。

 

謝辞

本論文のオープンアクセスに関するファンディングはProjekt DEALによって行われています。

 

利益相反

筆者らは利益相反がないことを宣言します。

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参考文献

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この記事の引用の仕方(原著の表記):

Smith, J. B., Willis, E.‐M., & Hopkins‐Walsh, J. (2022). What does person‐centred care mean, if you weren't considered a person anyway: An engagement

with person‐centred care and Black, queer, feminist, and posthuman approaches. Nursing Philosophy, 23, e12401. https://doi.org/10.1111/nup.12401

以上の日本語翻訳:川端望海

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