論文和訳 

Smith, J., Willis, E., Hopkins‐Walsh, J., Dillard‐Wright, J., & Brown, B. (2024). 

Vitruvian nurse and burnout: 

New materialist approaches to impossible ideals.

Nursing Inquiry, 31, e12538. https://doi.org/10.1111/nin.12538

「ウィトルウィアン・ナースと燃え尽き症候群:

 無理な理想像に新唯物論で迫る

下記は、Smith, J., Willis, E., Hopkins‐Walsh, J.,Dillard‐Wright, J., & Brown, B. (2024). The Vitruvian nurse and burnout: New materialist approaches to impossible ideals. Nursing Inquiry, 31, e12538. https://doi.org/10.1111/nin.12538の日本語訳です(訳者:川端望海)。元の記事はクリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 国際 ライセンスの下に提供されています。:"This is an open access article under the terms of the Creative Commons Attribution‐NonCommercial License, which permits use, distribution and reproduction in any medium, provided the original work is properly cited and is not used for commercial purposes. © 2022 The Authors. Nursing Inquiry published by John Wiley & Sons Ltd"

原著論文はこちら:

https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/nin.12538


概要

ウィトルウィウス的人間(Vitruvian Man)はフェミニスト・ポストヒューマン哲学者のロージ・ブライドッティ(2013)がヨーロッパ中心主義的なヒューマニズムを代理表象する「理想の人間(ideal man)」の隠喩として用いだしたものです。本稿の前半では、このブライドッティの概念をさらに展開し、理想の看護師像(ideal nurse)の隠喩としてのウィトルウィアン・ナースを考えてみます。そしてこの理想の看護師像が、いかに看護における人種差別(レイシズム)、抑圧(oppression)、燃え尽き症候群に寄与してしまっているか、また看護の専門職性を制約している可能性について検討します。ウィトルウィアン・ナースは自己犠牲的な言葉を自らまとう理想化・完全無欠化されたナースの形態であり、自己犠牲への期待を(再)生産しています。本稿の後半では、英国看護助産師協議会(NMC)の行動規範(code of conduct)を例にあげ、どのようなやり方で、集団的想像力をその手段として、規制の枠組みが実施可能な条件を制度化してしまうのか(institutionalize)を見ていきます。ウィトルウィアン・ナースの隠喩が醸し出すある種の傲慢な期待感は、規制の枠組みによって体系化され、倦怠と燃え尽きを生じさせます。看護師たちがアファーマティブな倫理観をもって看護を実践し、自己犠牲と消耗感を減らせるよう、規制の枠組みを回折させる(diffract)方策を示して本稿を締めくくります。

 

キーワード:行動規範(code of conduct)、コンポスト・コラボレイティヴ(compost collaborative)、批判的ポストヒューマニズム、隠喩、新唯物論(new materialism)、ウィトルウィアン・ナース(Vitruvian nurse)

 (訳注:compost collaborativeは著者らのグループ名でもある。サイトあり。)

 

1 はじめに

本稿は、看護師として働き暮らす我々の世界を構造づけている暗黙のそして明白な隠喩について、読者に熟考を促そうとするものです。筆者らは隠喩を、人々が自分達の住むこの世界を理解するために用いるツール、かつ抽象的な概念を把握するのに役に立つ詩的な装置だと理解しています。ある隠喩を取り出してくることによって、言語が意味の器として機能している様子がわかり、また隠喩的な想像を通じて新しい意味を生み出すことができるものです(Lakoff & Johnson, 2003)。このように、想像されたものではあっても具体性を持った現実となっている事柄を検討しつつ、ブライドッティ(2013)の言うウィトルウィウス的人間(Vitruvian Man)の概念を拡張し、新唯物論および批判的ポストヒューマンの双方の視座から、看護師であるとはいったい何を意味するか考えてみます。レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたウィトルウィウス的人体図は、この星の隅々まで輸出され画一化している、ある種限定された人間のイメージです。具体的に言えばこのイメージは「普遍的な(universal)」白人でシスジェンダーかつ異性愛者で健常者の男性を指し、「精神的・言説的・スピリチュアル的な価値観」を一連の規範として植え付けるものです(Braidotti, 2013, p.13)。この隠喩を医療の世界に移植してみると、ウィトルウィアン・ナースというものを考案できます。今現在現実にあるところの看護について考えるとき、このウィトルウィアン・ナースはあらゆる面で理想化された看護師、かつ統制の仕組み(mechanism of control)、規律の技巧(technique of discipline)の隠喩となっていると言えます。本稿ではBraidotti (2013)が探求したこの隠喩への問いに取り組みつつ、McIntyre、Burton、 Holmesらによって用いられた看護へのドゥルーズ的アプローチ(McIntyre et al., 2020)によりウィトルウィアン・ナースの意味する所の実際の使われ方を精査します。ウィトルウィアン・ナースの隠喩と、社会におけるその執拗な増殖は、種々の外在的・内在的要因により看護が負わされているところの、有害で還元主義的で暴力的でジェンダー化されてまるで殉教を強いるような期待感を説明し表象するものです。

本稿ではウィトルウィアン・ナースという命題の負わせる制約が、看護師が向き合う日々の現実をどのように造り上げ、そしてそこで可能なはずの想像性をいかに拘束してしまっているかを理論化していきます。また、ウィトルウィアン・ナースの隠喩を当てにしているこの専門職の規制の枠組みの中で、意識されていようがいまいが、看護師の主体性がいかに制限されているのかについても考察します。本稿はポストヒューマン・ケアの文献を用いてケアを批判的に再考(reimagine)するものです。ウィトルウィアン・ナースの隠喩の検討に続いては、看護ケアについての想像[不]可能性がどのように構築されてしまっているかを示すため、規制の枠組みの一例である英国の看護行動規範を取り上げます。本稿の筆者らは、欧州連合(EU)、英国、米国で働き生活する白人入植者(settlers)/植民者(colonizers)である私たちが、労せず得た権力と特権のアイデンティティーの中にその立場性(positionality)があるということを認めます。看護師-活動家の学者として私たちは、アンチ・レイシストたちや反植民地主義の学問が、看護師がかかわる多様なコミュニティによって/のために/とともに/と協力して(alongside)、今よりもっと公正な想像物(imaginings)に向け、白人性とシスジェンダーヘテロセクシュアルな家父長制の脱中心化を求めていることに共感しています(understand)。私たちは看護師の業務を再考するツールとして、批判的ポストヒューマニスト、フェミニズム・ニューマテリアリスト、黒人および先住民クィア・フェミニストのアプローチを採ることを提案します。本稿ではまず、看護がどのように理解されうるべきかを考える入口として、パンデミックという一大活劇(spectacle)が看護を超可視化する上でどう働いたかを検討し、次に看護の諸現実を具現化する複数の隠喩を解き明かしていきます。

まずはコロナウイルス感染症2019(COVID-19)パンデミックの文脈を紐解くことから議論を始め、看護師たちをぶっ倒れそうになるくらい働かせてきた、そして現在もそうさせている累積的な圧力を検証します。その次に、パンデミックによって看護師が英雄とか自己犠牲的な慈悲の天使にいかに仕立てられたか、即ちウィトルウィアン・ナースの隠喩に押し込められたか、その文脈を説明します。この議論を、看護の専門職団体がパンデミックに際して看護師が直面する重圧を和らげようとする努力の中、資本主義に絡め取られるウィトルウィアン・ナースという図式を永続させてしまうその様々な仕方についての分析へとつなげていきます。これにより、看護師たちが深刻な過負荷をかけられる空間/時間の中で、真剣にかえりみられることのない不条理な雰囲気がさらに助長されてしまう、そのような看護上の諸問題があることを議論したいと思います。

 

2 「看護」大活劇としてのパンデミック

 COVID-19パンデミックは、看護師および他の医療従事者が果たすその本質的かつ中心的な役割ゆえに、看護を社会のあらゆる部分で一層際立つように映し出しました。ウィトルウィアン・ナースの隠喩を再生産することは潜在的に有害であり、看護職員へのプレッシャーを助長し、燃え尽き症候群や看護師定着率の低下につながりえます。今日の看護師のストレスには複合的な要因がありますが、ここではそのうち3つについて考えてみます。一つ目はCOVID-19パンデミックに特有のプレッシャーです。パンデミックが始まった当時、医療スタッフの個人防護具(PPE)の入手権利(access)は一貫性がなく、最善であったり貧弱であったり、最悪の場合はその欠如でした。パンデミックの勃発時に米国や英国などの看護師は適切なPPEの代わりにゴミ袋を支給され、十分なPPEなしにCOVID-19感染者のケアを行うことを期待されました(Booth & Adam, 2020)。適切なPPEを調達しようとする努力は、労働者を守ることに失敗したまさにその施設から咎められ打ち切られました(Allen, 2020)。不安全かつ不公平な感染制御の実践に対しあえて声を上げた看護師は、解雇や取り締まりに直面し、雇用主から口封じされました(Booth & Adam, 2020; Bowden et al, 2020; Scheiber & Rosenthal, 2020)。米国で2万人以上の看護師を対象に行われた調査によると、臨床に従事する看護師の87%が、N95マスクやフェイスシールドなどの本来単回使用型のPPEのうち一種以上を再使用したと答えていますが、これは看護師やスタッフ、ケアを受ける人々を感染させうる物騒な(dangerous=[訳注]危険な状況を伴った)実践です(National Nurses United, 2021)。そのうえ医療従事者は他職種に比べCOVID-19に感染した可能性が7倍高かったとみられ(Mutambudzi et al., 2021) 、世界保健機関の報告(WHO, 2021)によると世界中で80,000人から180,000人の医療従事者がCOVID-19により死亡しています。米国では看護師やサポートスタッフの死亡者数が医師をはるかに上回っていました。これら数字の不公平さは浮き彫りにされましたが、それらを解き明かし専門家や一般大衆に還元することは探求好きな報道記者の手に委ねられることがほとんどでした(The Guardian & Kaiser Health News, 2021)。彼らがケアした患者ら同様、黒人の看護師、アジア系・太平洋諸島系の看護師、ヒスパニック系看護師、先住民族に出自をもつ看護師および白人以外の看護師(other Nurses of Color)が、白人看護師よりも多く死亡した、とメディアは伝えています(The Guardian & Kaiser Health News, 2021)。

 今日の看護における二つ目のストレス要因は増大する労働力需要に見合うだけの看護師がいないという世界的な看護労働力の危機です(WHO,2020)。看護師の不足は、看護師労働力は抽出可能(extractable)かつ輸入可能な商品だとの仮定のもと、最高入札者のケア・ニードを満たすためのトラベル・ナーシング(Hansen & Tuttas, 2022)や看護師の移住(J. B. Smith, Herinek, et al., 2022; J. B. Smith, Willis, et al., 2022)の増加をもたらしています。Migration Policy Instituteによると、米国で働く看護師の約15%は米国外で生まれ、一方でCOVID-19で死亡した看護師の約3分の1は米国外生まれの看護師でした(Batalova, 2020; Spencer et al, 2021)。WHOは2030年までにさらに900万人の看護師と助産師が必要になると予測しています(WHO, 2022)。迫りつつある(そして現在の)看護師不足には、教育を受けて新たに労働力に加わる看護師が少ないこと、定年を控えた看護師が高齢化していること、多数の看護師が離職していることなど、いくつかの広範にわたる要因があります(WHO, 2020)。

 三つ目のストレス要因として、看護師たちが仕事量、パンデミック、制度的人種差別、世界的な人手不足のプレッシャーを感じていることがあります(Farmer, 2021; Iheduru-Anderson, 2020; Oliveira Souza, 2020; Sriharan et al, 2021)。COVID-19パンデミック前の英国では、医療従事者の自殺リスクは女性の全国平均より24%高く、これは主に女性看護師の自殺リスクが高いからであると説明されています(Office National Statistics, 2017)。「燃え尽き症候群」、「ストレス」、「倦怠感(boredom)」は看護師が離職する主要な理由であり、COVIDの時代にはその傾向が顕著になりました(Dall'Ora et al., 2020; Loft & Jensen, 2020; Manzano García & Ayala Calvo, 2021)パンデミック中に働いていた看護師たちの不眠、不安、抑うつを含めた気分障害・睡眠障害の報告は22%から39%の範囲を行き来していました(Pappa et al. 2020)。メンタルヘルスとウェルネスに関する調査では約1万人の看護師のうち3分の2が、過去14日間にストレス、苛立ち、消耗感(exhausted)、対処不能感(overwhelmed)を感じたと報告しています(American Nurses Foundation [ANA], 2021)。ニューヨーク州看護協会は、患者30人に対して看護師が1人というケースもあるなど不安全なケア比率が続いているとして、全州で看護師たちが抗議していることを報告しています(Gartland, 2021)。これらは決して個別の問題ではなく世界規模の問題です。(WHO,2020)。

看護師が今の時代の現実を生き抜こうとすると、看護師に対する制度的な(institutional)認識が、しばしば女性的でジェンダー化されたヒロインという枠組みを通じて、さまざまな形で表れるというふうに見て取ることができます。ジェンダー化された看護師像に関する批判的な言説はCOVID-19パンデミックという状況の中でさらに組み上げられます。(Dillard‐Wright et al., 2020; Mohammed et al., 2021; Stokes‐Parish et al., 2020; Thorne, 2021b).システミックに奉られた、ジェンダー化されたケアへの期待感は、看護を伝統的かつ女性的なお約束事(feminine tropes)と結び付けているようです。看護の職能諸団体は、看護師が女らしい慈悲の天使だとか、無私で勇敢な献身的ケアテイカーとして描かれるようなキャンペーンに余念がありません。COVID-19パンデミックのさなか国際看護師協会は、全ての看護師が共有しているとされている所の神話的英雄的キャラクター特性(character traits)を引き合いに出しつつ、無私の奉仕や犠牲といった現在進行中の天使たちの物語に関する賞賛の中に置かれたソーシャルメディア・キャンペーンにおいて、常套句化され性別化されたステレオタイプをさらに蔓延させています(ANANursingWorld, 2021; K. M. Smith & Foth, 2021)。WHOのキャンペーンから発信されるソーシャルメディア上のメッセージは、養育、犠牲、献身を期待する看護ケアのナラティブを作り出します:

 

看護師と助産師は(中略)母と子のケア、命を救う予防接種と健康へのアドバイス、高齢者の世話、そして日々必要不可欠な健康ニーズへの対応全般にその人生を捧げる。助産師は多くの場合、地域社会における最初で唯一のケアポイントである。(WHO, 2022, p. 1)。

 

この物語は再生産労働としての看護というジェンダー化されたプロジェクトを強制しますが、これは日常生活の中心的機能でありながらも資本主義の下ではそのようには認識されえない労働の形態です。ここまで私たちが探ってきたCOVID時代の現実を踏まえて、次はブライドッティ(2013)のウィトルウィウス的人間という考え方と、この概念が看護においてどのように物質的に運用されているかに議論を移します。

 

3 ウィトルウィウス的人間

 議論の入り口となるのは看護における隠喩の使用とこれが閉ざしてしまう夢です。筆者らはブライドッティ(2013)の批判的ポストヒューマニズムのアプローチを用いこれらを検討していきますが、このアプローチは記録された歴史を通じ、人間((hu)Man)というコンセプトが生み出されていく模様について年代を追って説明していくものです。ブライドッティ(2013)によれば現代の社会的、政治的、物質的実践は、特定種類の人間、即ちウィトルウィウス的な人間を理想化するよう構成されています。ウィトルウィウス的人間の、ある意味純粋なままの普遍の人間のイメージは、ジェンダー、人種、能力(ability)、身体といったカテゴリーへの知覚を目立たなくしてしまうものです。普遍性としての人間(Man)という考え方は植民地主義とともに輸出され、西欧人であるウィトルウィウス的人間がスタンダードな人、すなわちヨーロッパ系白人の男性でシスジェンダーで若く、健常者、かつキリスト教徒の人間像として描き出されたのです。人間(human)なる存在があるという理念が、個人(person)へのかようなバージョンに美化され、それが今も続いているのです。白人で、西欧人で、男性で......この想像上の完璧な人(human)という理想原理にそぐわないものは他者であり、劣ったものであり、好ましくないものなのです。

一見するとウィトルウィウス的人間の比喩は看護の物質的現実から遠く離れているように見えるかもしれませんが、その隔たりを筆者らは埋めていきます。ここでは、看護が歴史的に、そして現在どのように生み出されているかを検証するためにウィトルウィウス的人間を紐解いていきます。筆者らは、今日の看護がいかようにおのれ自身を想像しているか、という相互依存的な構図を提示しつつ、同時にウィトルウィアン・ナースという隠喩がどのように構築されているのか、ということを明らかにします。ウィトルウィアン・ナースを探求することで看護がどのように想像されているか、批判的に検討することの妥当性が示されえます。というのも、このような観念が政策、業務上の諸実践そして医療の成果を形作るからです。看護を導き出す政策が西洋の科学と哲学から生まれ、人間(human)であるとは何であるかを作り出し(Haraway, 2016)、誰がそして何が人間であると許されるのか…という狭い定義を再生産するとき(Da Silva, 2007; Hopkins‐Walsh et al., 2022; Jackson, 2020; Yusoff, 2018)、看護師として生き働くという賭けは高くつくことになります。

ウィトルウィアン・ナースという命題は、看護師が直面する日々の現実を構造化し本来想像しうる潜在的な可能性を制約してしまうものです。ウィトルウィウス的人間という価値観は、啓蒙以降の西欧そして西欧外において、植民地主義や領土化のプロセスを通じて、社会的、文化的、政治的生産の基礎を形作るようになりました。この人文主義的(humanist)イデオロギーは、何世紀にもわたる奴隷制度(chattel slavery)、植民地化、人間((hu)man)は自然よりも上位にあるとする哲学をその基盤としつつ、20世紀にはヨーロッパとグローバルノースに取り込まれ、自分たちは地球上で比類なき存在であり、その資源を好きなように利用する権利があるとみなす文化のモデルになっていきました(ブライドッティ、2013; Yusoff, 2018)。それゆえ、ウィトルウィウス的人間という(到達不可能な)隠喩と夢は、私たちがどのようにこの世界を作っていくのか認識させてくれる寓意となりえるのです。次はこのウィトルウィウス的人間という隠喩を、看護においてはどう展開できるか考えていきます。

 

4 ウィトルウィアン・ナース

    4匹のミミズを犠牲にし

4つの命を川から引き離し

世界をいくらか養い

そして僕自身の赤道をわずかに伸ばす

(Ralph Salisbury in Wendt, 2020, p. 149)

 ウィトルウィウス的人間は移植可能なお約束の図式(trope)であって、看護においてはウィトルウィアン・ナースとしてたやすく再現できるものです。ウィトルウィウス的人間(man)が架空の人間(human)像に向けた概念であるように、ウィトルウィアン・ナースは、架空の/理想化された看護師像を製造しケアを統制するための公理的なメカニズムとして構築されます。看護の役割は、この学問領域が19世紀初頭から20世紀を通じ学問として大学の一部となり次第に専門化されてきました。看護は、それが発展してきた社会から隔絶されているわけではないため、こうしたプロセスはもともと女性差別的なお決まり事を(再び)生み出し、制約的な力関係を再生産する看護のモデルを共創してきました(Ashley, 1976; Hopkins-Walsh et al.)ウィトルウィウス的人間は看護師を規制する構造の中で、再創造/創造され(再度)刻み込まれます。ウィトルウィアン・ナースという隠喩へのジェンダー変換は、歴史的に前提化された、ウィトルウィウス的医師という暗黙の男性と手を携えて働く際の看護師の従属性を象徴するだけでなく、施設で看護師がケアを実践する際の人々との関係においても同様です。このような前提から本稿でウィトルウィアン・ナースを参照する時は「she/her」と呼ぶこととし、再生産労働(reproductive labor)としての看護の明確なジェンダー化および男性的な医療ヒエラルキーにおけるその位置づけを意識していきたいと思います。ウィトルウィアン・ナースの比喩は、無条件かつ従属的な方法で全ての人のニードに応えるためわざわざ出向く制服姿の女性であり、彼女の自己価値は彼女自身に害をなしても他者に奉仕する能力と相関します。ウィトルウィアン・ナースは彼女が主観的な存在として存在しなくなったときに実現化され、それゆえ存在し続けることが不可能になるのです。この否定のプロセスにおいて、歴史性における権力のメカニズムが現れるのです。次のセクションでは、ウィトルウィアン・ナースがこの否定のプロセスによってどのように生み出されるのか、幾つかの例をもとに議論します。

 

4.1 ウィトルウィアン・ランプの貴婦人

 ウィトルウィアン・ナースの隠喩は、聖なる看護の母、英国の看護師フローレンス・ナイチンゲール、ランプの貴婦人という看護の具象化と絡み合っています。英国では、看護は19世紀半ばに個別的で正式に認められた(formalized)職業として具体化し、帝国の期待、ジェンダー化された道徳観、ヨーロッパ中心的な衛生観念を携えた植民地支配のための勢力(colonial force)として、世界中に輸出されました(Brown et al, 2008; Currie, 2013)。専門職としての看護の登場は大英帝国の膨張と同時でした(Hawkins & Sweet, 2014)。看護の学問領域がその初期において、清潔さ、キリスト教主義、白人至上主義的なイデオロギーの根底を支えることになるという確信などの独特の混同によって、看護自体が大量虐殺的な植民地支配の目的を幇助していたのです(Braithwaite, 2018; Stakes-Doucet, 2020)。これには、ヴィクトリア朝時代に美化された性別役割分業の名残である、看護に染み付いた疑いようなくジェンダー化された期待感も加わります(Smith-Rosenberg & Rosenberg, 2012)。前述のとおり、この看護の軌跡はウィトルウィアン・ナースの系譜の中心点であるフローレンス・ナイチンゲールにより始められました。

 ナイチンゲールは看護の専門化と看護師養成教育の公式化の両面で中心的な役割を果たした人物でしたが、看護のジェンダー化された美徳を示唆しつつ「良い看護師になるためには、良い女性でなければならない。これには我々みなが賛同することでしょう...」と書いています(Nightingale, 1881, p. 1)。これらの感傷は、白人の、ヴィクトリア朝時代エリートの私的領域における女性の役割という家父長的な理想像と看護を結びつけると同時に、看護をジェンダー化されたケアの行為および利他主義を要とする仕事と定義づけてしまうのです。そしてこれらの考え方は、とうの昔に捨て去られたものではありません。事実上いまだに看護という学問領域を方向付けている感傷でもあるのです。Maggs (1980)はこれを看護の、想像上の「ナイチンゲール倫理」と表現し、Theodosius (2008)は彼女の英国の看護師達との研究の中で看護の学問領域を形成し続け長居している存在感(presence)であると指摘しています。

ナイチンゲールの倫理とは、母性の政治学(maternal politics)とヴィクトリア朝のジェンダー規範の合流点に根ざすもので、看護師は女性として病院生活共同体(the hospital family)において他の誰にも割り当てられていない労働を引き受けるという考え方です(Ashley, 1976)。看護師は、合意の上か否かに関わらず、母親、召使、メイドそしてケアラーの役目を揃って体現します。フローレンス・ナイチンゲールの強力な想像力を動員しこれらの理想像を維持する既存のシステムは、植民地的で家父長制的であり、厄介な(troubling)知識生産システムを再生産しています(Wytenbroek & Vandenberg, 2017)。啓蒙時代的な白人・シスジェンダー・ヨーロッパ人の男性至上主義は、白人・ヨーロッパ人、シスジェンダーで女性の看護師像へと奇怪に変貌し、その際女性性に付帯する精神的・母性的な期待が重ね合わせされ、理想化された、不可能なくらい完璧な、キリスト教的な看護師-母親-天使の融合体であるウィトルウィアン・ナース-を作り上げるのです。

これら隠喩と空想の数々は、時代を横断しつつ医療システムの至る所で看護を形作り、規律や統治性のメカニズムを作り出しています(Anderson, 1991; フーコー, 2005)。看護の集団的な(collective)想像力の中に組み込まれた自己犠牲は、持続的な権力の不平等、燃え尽き症候群(burnout)、倦怠感をもたらします(ドゥルーズ, 1992; ドゥルーズ & ガタリ, 1988)。このような期待感が、仕事への満足度の低さや看護師の定着率の低下につながり、それゆえ看護の仕事のポテンシャルを制限し抑圧しているのです(Dall'Ora et al, 2020; Loft & Jensen, 2020; Manzano García & Ayala Calvo, 2021)。

 

4.2 計画化されたケアの不可能性

 看護における専門化された概念においは、ケアは計画された上で患者ら(people)に対して行われる、一方通行の経済行動(transaction)と理解されます。これらのケアに対する狭い期待感は、看護師であることが何を意味するかという疑わしい想像の諸産物によって強化され、看護師達を彼らがケアに携わる人間や人間以上のものから遠ざけています(alienating)。また、看護師(または医療に従事する人々)はケアに関する責任感(ownership)を主張しますが、ケアはすべての物質性(materiality)にとって存在のどこにでもある部分であり、事前に計画することはできません(Puig de la Bellacasa, 2017)。専門職化されたウィトルウィアン・ナースに組み込まれた分断(divisions)は、看護における狭い想像力を強化し、これによって看護師の仕事を実践規範(codes of practices)と個人に焦点を当てた「パーソン・センタード」ケアに限定します(J. B. Smith, Herinek, et al. 2022)パーソン・センタード・ケアのようなアプローチは、患者さんが白人で植民地主義的でシスジェンダー・ヘテロセクシュアルかつ健常者の消費者であるという見方を助長してしまいます。このモデルは、教養ある個人を理想的なものとしており、十分な情報に基づく意思決定を行う能力を想定していますが、これには「個人が持つ資質、自立が可能とし同時に自立を前提ともしているが、多様性の諸次元を欠くと想像されるもの」が染みついています。(J. B. Smith, Herinek, et al., 2022, p. 4; J. B. Smith, Willis, et al., 2022)。このようなケアのパラダイムは、理想化された、共感的で聞き分けのよい患者像を作り出すと同様に、完璧で、無垢(innocent)で「ウィトルウィアン」な看護師を、制御の様態(modes of regulation)として隠喩を用い構築してしまうのです(Smith & Willis, 2020)。

 これが最も顕著にあらわれているのはアメリカ看護師協会(ANA)の最近のソーシャルメディアでの発言です。ANAのような専門職団体は、看護師と彼らが直面する問題を、控えめかつ個別的なものとして位置づけています。これにより、ANAや同様の活動を行う団体は、自分自身の体制を含む、その構築物に対する責任を放棄することができます。ANAは「看護師のための感謝の実践」キャンペーンを拡大しつつ「感謝はバーンアウト、特に医療従事者が燃え尽きる根本原因に対し解毒剤となり得る」とツイートしました。(ANANursing- World, 2021)。このツイートにはかなりの批判が寄せられましたが、その一因は、ブランド物のマッサージ型シャワーヘッドを宣伝し、かつ「あなたにはセルフケアが必要ですか?長時間勤務の後は、リラックスできるシャワーでくつろぎましょう。」と書かれたディスカウント・クーポンへのリンクまで付いた、その資本主義的なニュアンスにありました(@ANANursingWorld, 2021)。ANAは(営利を目的とした医療システムによって劣悪な状態となっている)労働条件の改善や、より安全な人員配置の確保、適切な給与の支払い、PPEの増量などを提唱するのではなく、看護師に対して報恩の念とセルフケアの実践を求めました。これは、既存の看護団体どうしのなれ合い、およびそれらと資本主義とのもつれ合いの深さ・広さをよくあらわしています。シャワーマッサージャーのごときシンプルな個人主義的介入で改善できるとする自己犠牲要求で強化された英雄的な言説の持続的使用、ANAのような強力な看護団体とメディア、病院が相まって、看護師の無力化、沈黙、罹患、死亡などを含め、意図しない/意図した結果としてその専門家気質(professionalism)をむしばみ、ジェンダー化され犠牲を強いる女性化された労働力という図式を強化しています。(Mohammed et al., 2021; Stokes‐Parish et al., 2020; Thorne, 2021a)。

 この種の看護師へのイマジネーションは、他者の利益のため幾つかの特質(traits

)を受け身的に省くことを含意します。ここでは、看護師がユーモア、誤りを免れられない性質(fallibility)、そして不確実性を持って働くことを利用していくことに着目します。記録に残らないものに関心を払えば、イマジネーションの入り組んだ産物をよりよく理解することができるでしょう。我々はまず、看護師の行動規範(codes of conduct)がやってはいけない態度や行為を公然と指摘する場面、言い換えれば積極的な職権(commission)のプロセス(Scott, 2018)を分析することから始めます。あまり注目されませんが、看護における規制の枠組みを分析する上で非常に重要なのは、何が言及されず何がないのかということです。不在と沈黙による受動的な抜け落ちは、現実の能動的な生産です。無は常に有であるからです。「職権(commission)によって遂行されたにせよ、抜け落ち(ommission)により達成されたにせよ、何もないことは創造的かつ生産的であり、新たな社会的対象を生み出し、関係を形成します。(中略)したがって、社会的達成としての‘何もないこと’には意味があり(中略)、逆説的ですが‘何かしら’研究に値するものにしているのです」(Scott, 2018, p. 15)。次のセクションでは、ウィトルウィアン・ナースのイメージを、看護の学問領域を形づくる英国看護助産師協議会(NMC)の行動規範を引きながら、具体的でわかりやすいものにしていきます。

 

5 英国NMCの行動規範: ウィトルウィアン・ナースの展開

 このセクションでは、私たちの考えをより知覚しやすくするために、隠喩がどのように看護の構造に埋め込まれているのか、またそれとは逆に、構造がどのように想像力を可能に、あるいは制約するかを分析していきます。倫理規定、行動規範、業務法令(practice acts)、射程(scope)・実践基準に関する文書を通じて明らかにされる規制の枠組みは、看護師自身や一般市民がどのような看護師像をイメージするか、またどのような未来を想像しうるかを構築していきます。これらの概念は、個々の看護師だけでなく、管理者、学者、研究者、ジャーナリスト、政治家を擁する制度(institutions)にも関係します。私たちはここで、英国NMCの行動規範(以下「規範」)の一部が、いかに不可能かつ理想化されたケアを生み出しているかを明らかにしていきます。英国では看護実践の支援・指導のため、看護師の専門職としての実践および行動の規範を定めています(NMC, 2015)。NMCはこの規範を「看護師、助産師、准看護師(Nursing Associate)が英国で登録し働く際に守るべき専門的基準」(NMC, 2020)と説明しています。NMCはこれを規制順守(regulatory compliance)の枠組みとして明確に構築しているわけではありません。しかし、規範は事実上、規制のための装置として機能してしまっています。Snelling (2017)はこの規範を批評し、部分的に制約が多過ぎて精読に耐えないものがあり、加えて各論点に関してより多くの説明および詳細なガイダンスを提供すべきと提案しています。ここでは3点を例として取り上げますが、他にもまだまだあります。まず規範の引用から始めて、そこから生じうる潜在的な課題について検討します。結論として、何が欠けていると考えているのかを示します。分析を始めるにあたり、読者の皆様にはこの規範の以下のセクションでウィトルウィアン・ナースがどのように立ち現れてくるか、熟思しながら読み進めて頂きたいと思います。

 

5.1 自己犠牲の実践者(practitioner)

 まずこの規範は、隠喩として自己犠牲の実践者たる看護師像を作り出していることを指摘したいと思います。規範のセクション25.1では、看護師は「優先順位を明らかにし(中略)ケアやサービスを受ける人のニーズを第一に考える」(NMC, 2015, p.22)とあります。これは基本的に看護師およびケアの受け手を別個の独立した個人として位置づけるものです。看護師と患者は分離された存在という仮定と並んで、この概念については後で詳しく触れることにしますが、この規範では、施設と看護師の絡み合い(entanglement)が省かれていることにも注目しましょう。看護師と患者という凝り固められた(entrenched)二項対立は、医療という囲い込み(enclosure)の中で、埋め込まれているはずの組織の(institutional)責任を回避させケアの可能性を制約します。

規範が看護師にケアの優先順位を明らかにするよう求めるのであれば、それは他の事柄の優先順位を下げることが必須である一方、他者のニードを優先しなければならないことを意味します。規範の文章は常に他者が優先されるべきことを暗示しており、犠牲や殉教を連想させますし、自分自身よりも他者を優先することは看護師に極度のプレッシャーを与えます。これは服従および自己犠牲という言説の基盤であり、特に看護職が直面する差し迫った課題という文脈において、看護師の定着という問題の一因となっています。この中にはCOVID-19のパンデミック中に死亡した看護師を含む多くの第一線の医療スタッフが含まれます。COVID-19危機における罹患率と死亡率という重荷は、すでに脆弱だった労働条件を悪化させ、ベッドサイドからの看護師たちの離脱を加速しています。さらにセクション25.1であらましが述べられている期待感は、看護ケアの提供に対する新自由主義的かつ個人主義的なアプローチを強化するものです。すなわち看護は制度的な目的に奉仕する一方だけの商品として動員され、ケアの受け手と看護ケア提供者の間に存在するであろう互恵性(reciprocities)はまったく置き去りにされるのです。

 常に他者を優先するという自己犠牲的な考え方は、看護師の自律性をも制限します。自律的な実践は、規範の根幹部分であるにもかかわらず、看護師たちはそのケアを受ける人々のために、自らの主体性を従属させてしまいます。他者へのケアを無批判に優先することは、看護師がケアを提供する上で自給自足的であることを意味します。なぜなら、看護師は患者の希望やニーズを何よりも引き上げて(elevates)、彼らの希望にかかわらず世話できるからです。この概念は、ケアの物質的な現実およびケアが生み出される状況からすると抽象的と言えます。看護師と患者はともに様々にダイナミックな方法でケアに参加権を与えられ(enfranchised)、優先順位は時間とともに変化します。ケアはそれぞれの他者(複数の看護師、患者、病院、医師)の間の多重依存の上に成り立つ不確かなものであって、自律的な実践はケアのニードの優先順位を上げ下げする看護師たちの自己決定を信頼するものです。これには、看護師たちのケアの只中にいる人たちの健康とともに、自己犠牲にならない方法で看護師自身の健康と幸福を優先させることも含まれます。

行為主体性(agency)の抜け落ちとセルフケアのニードにより生じる倫理的なアンビバレンスは、世界中で同じ様な規制の枠組み下で実践をしている看護師達が認識しています。Whiteら(2015)は、南アフリカで働く看護師に倫理行動規範に関するインタビューを行い、回答者の60%が「看護師の権利を犠牲にして患者の権利を重視しすぎていると思う」(p.5)という記述に同意を示しており、本稿の筆者らが主張する看護の諸規範において看護師と患者の相互関係に向けた意識が過小評価されている点を指摘しています。看護師は自分たちの倫理的にふるまう能力が、施設から提供されるリソースと結びついていることを認識しています。ある回答者は、「看護師の倫理的実践は、人手不足のために標準に達していない」と述べ、別の回答者は、「スタッフは看護専門職の(自身の)士気を失っている。十分な数のスタッフ、装備が必須であり、看護師は政府から財政的にも心理的にも十分な支援を受けてしかるべき」と断言しています(White et al., 2015, p.6)。倫理的な看護行動を支えるためのこうしたリソースが不十分であることがあまりにも多いのです。

まとめると、規範の中で多重の宣言(multiple declarations)がなされれば、看護実践の一部についてシステムや管理者の責任が軽減されることで、看護師個人に大きな負担がかかるということです。看護師による倫理的な意思決定は、筆者らが臨床看護師および看護学者として把握するかぎりでは、ケアの実際的な現実に対処するその諸実践において構造的に促進され可能となります(Campbell et al., 2020; Drennan et al., 2018; Scott et al., 2019)。この規範では、ある環境においてどのような決断を下すことができるかという可能性の領域(terrain)を創り出す上で、制度的な影響力の重要性を考慮することを避けているのです。規範はまた、看護師の人間としての可能性を低く見積もっています。他者をケアするということは、権力および他者の肌に触れるような接近(intimate access)を伴うものであり、その接近の間に他者を傷つけたり傷つけられたりする可能性を伴うものです。こうした力学が生み出す脆弱性から、私たちは看護師個人としても、看護という学問問領域としても、そして施設の一員としても、権力の不均衡を倫理的にどう管理すべきかを考えなくてはなりません。これは、相互依存関係(intradependencies)や権力関係の複雑さを無視するのではなく、パワー・ダイナミクスを堂々と生き抜こうとし(openly navigating)かつ交渉していくことを意味します。

規範のセクション24.1は看護師に対し「誰かの苦情がその人に提供されるケアに決して影響してしまわないよう」指示しています(NMC, 2015, p.25)。巧妙な手品のように多重な仮定を埋め込んだ濃厚な文章ですが、この規範からの引用は、この後に続く2つのより広範な議論の基礎をなします。ここで筆者らは、苦情の不確定性と苦情に絡む複数の視点や経験に焦点を当て、批評していきます(Ahmed, 2021)。ひとつは、看護師が暴力、人種差別、性差別、年齢差別、危害、その他さまざまな偏見を耐え忍び、良いケアを提供するため自らを犠牲にすべきことを暗示するこの規範が、どのような犠牲を払ってでも寛容であることを期待する、そのようなやり方です。筆者らは、看護師が看護ケアを提供する過程で、患者や地域社会に危害を及ぼし、また及ぼす可能性があることを十分に認識していますし、このことは筆者らだけが述べてきた考え方でもありません。(Dillard-Wright et al., 2020; Foth, 2013a; Hopkins-Walsh et al., 2022)。苦情がもっともな場合もあれば、看護師が危害を及ぼす場合もあります。しかしながら規範のセクション24.1では、考えられうる多様な観点から苦情を検討することなく、すべての苦情が有効であると想定しています。ふたつめは、苦情の中で抜け落ちていることを指摘することでいったい何が取り組まれないままにされているかを見ていきます。

 

5.2 苦情の妥当性/無効性

 この分野に関するAhmed (2021)の研究で示されているように、苦情の影響を幾分かでも受けないということはあり得ません。にもかかわらず、看護師は不満に対して動じないことが期待されており、ケアにおける感情的な相互作用の影響をいわば消毒し、それによって良いケア、より良いケアが可能になると想定されているのです。現行の規範のセクション24.1では、看護師はその人らしさ(personhood)、経験、歴史から切り離したものとして扱われています。看護師は、自身の身体性における安全や尊厳を無視して奉仕する、自己犠牲的な存在として構築されています。苦情というものは複雑で、ケア提供者に投影された人種的、ジェンダー的、その他の社会的偏見が組み込まれていることが多いものです(Iheduru-Anderson et al, 2021)。そのため、その看護師のアイデンティティーが歴史上も今現在も抑圧を受けるコミュニティと同一であったりこれらと重なっていたりする場合、苦情およびそれに続く規制機関への照会がより頻繁に発生します(Travers et al, 2020)。差別、偏見、人種差別、暴力、抑圧、危害の全体像を見落とすことは、こうした現実を制度として根付かせることにつながりえます。たとえその苦情が本質的なものであり苦情申立人の立場からすれば有効なものであったとしても、規範は実践の指標となる規制の枠組みであり、看護実践におけるすべての状況や権力のダイナミクスを記述することはできません。しかしながら規範が生み出す考え方は、それが作られた際の文脈の範囲を超えてイメージされていくものです。それゆえに看護師自身の視点(perspectives)や経験から切り離された完璧なナースになれという不可能性が創り出されてしまいます。さらに、抑圧は看護師になされる苦情の中にも存在しえます。黒人の看護師、先住民出身の看護師、ラテン系の看護師、他の有色人種出身の看護師、クィアの看護師、トランスジェンダーやノンバイナリージェンダーの看護師は、職場での抑圧をより高い水準で経験しており、看護師になされる苦情に対する教育法や苦情のプロセス自体にさらなる不平等が含まれていることを示唆しています(Iheduru-Anderson, 2021; Iheduru-Anderson & Wahi, 2018; Iheduru-Anderson et al, 2021)。

Ahmed (2021)の苦情についての研究から、どんな苦情であれ、何かそこに含められなかったものが、そこで対処されたことに明らかに絡んでいるということが導けます。ケアの文脈ではケアを受ける側から苦情が生じます。絡み合ったプロセスの中で省略されるものは、対処されるものでもあります。徹底的な評価では、常に語られていないことにも目を向けます。その一方で、潜在的な苦情申立人の主体性や信頼性が不十分なために、苦情が出されない患者や扶養家族のケースがあります。他方、苦情の解決が組織や制度の構造的な変化を通じてのみ可能な場合もあることを、この規範は説明していません。これら2つの大まかな議論から、筆者らは、苦情は教育、プロセス、および潜在的な暴力の問題であるというふうに理解しています(Ahmed, 2021)。ここでは、看護において抑圧と暴力が患者や医療者に向かう苦情と絡み合っていることに着目し、苦情は看護師がするケアに影響を与えないとする規範の前提を再考していきます。

 苦情は多くの当事者と可能性をはらんだ込み入ったプロセスです。苦情には多様な形態および段階があり、それゆえ看護師として苦情に対して/苦情とともに行動する際は異なる射程(a diverse range of acting)が必要となります。行動規範は看護師と患者双方の自己決定を支援するような文脈で作成されるべきです。規制の枠組みは、看護師たちに対し、まず苦情について合理的な評価を行うためのツール、そして患者のニーズを反映し活かす(navigates)ようなやり方で認識の違いを互いに理解し合う(communicate)ためのツールを与えるべきです。第三に、看護師が発言する力を与え、それを可能にすること、そして最後に、ケアワークの過程で(患者も医療実践者も)人種差別や偏見を経験しないで済むようにすることです。このことを、実践の例を通してさらに検討していきます。

 さてここまで、規範の3か所を例に、いかに規範が看護師であることについての狭隘な定義を作り出し、実践に際して緊張関係を生み出すかを探ってきました。そして、患者ら(people)、同僚、そして私たち自身をケアする際、常時かつ最優先で私たちがケアする人々を促し優先させていくことがどれだけ不可能であるかを議論しました。ここで筆者らは、行為主体性を持ちケアを必要とする主体として看護師が認識されるよう擁護をしたいと思います。2つ目の例では、規範は、看護ケアと看護師を、影響を受けずまた影響されえないサービス提供の一形態たるべきよう助長しています。筆者らは看護師たちの立場性(situatedness)、歴史、抑圧のシステムを重視すべきであり、人々の多様性、歴史、脆弱性を認めつつ、ケアを生み出すためにこれらの様々な歴史を表現する色々な方法を後押し(encourage)すべきだと主張します。これは、看護師であるというその意味の多様さを受け入れることによって実現されうるものであり、規範が記述するような、従順な看護師という単一的なものではありません。3つ目の例では、規範は、看護師が苦情を処理することで、そのパフォーマンスが最適化されるよう欲していることが顕わになっています。筆者らは、すべての看護師が、潜在的な苦情を特定し、苦情に対する合理的な評価を行い、ふつうなら退けられてしまうような苦情のための余地を確保できる手腕(ability)を授けられるべきだと考えます。認識の相違に関しては、患者と看護師のニーズが丁寧に応じられることによって、そしてその間、看護師達が「彼らの声の中に入ってくる(come into their voice)」(De Sousa & Varcoe, 2022, p. 5, 原文強調)ことを許され、それにより看護師と患者の間でコレクティブかつアファーマティブな意味づくり(meaning‐making)が可能になることによって、互いから理解が得られる(be communicated)必要があります。

規制の枠組みとしてのこの規範は、ある看護師がどのようなイメージを持たれるのか、看護師がどのように想像をするのかを枠づけることができますし、実際そうなっています。筆者らは、ウィトルウィアン・ナースの隠喩の現れとして、変化し続けるケアのニードに対処する看護師の日々の実際の複雑性が欠落していると考えています。患者、看護師、そして彼らが使う施設は、その相互依存関係の中でイメージされるべきです。本稿では、看護をそれが遭遇する諸課題に適したものとしていくために、ポストヒューマニズムを推し進め、「つながり合い、相互作用し、反応し合う菌糸体のリゾーム(根茎)的なネットワークのように共に網の目に組み込まれ、相互に関係しあう中で知るという様式(patterns)」(Brown et al., 2022, p. 15)を考えていきます。今まで述べた規範の各セクションは行為主体を考慮しておらず、そのことから、はたして規範が行為主体を実現させうるのか、という疑問が生じます。

 

5.3 規範なしに看護?

 筆者らは、看護に関する規制的な枠組みがない世界について議論するつもりはありません。ドゥルーズとガタリ(1988)によれば、仮想-現実(virtual‐actual)とは、諸現実が生み出される方法であって、仮想とは世界がどのように作られるかを構成する一要素(a component)なのです。もし私たちが、看護師は天使であり、それゆえ危害を加えることがないのだから、規制のプロセスは必要ないと想像するならば、これは女性は他者を世話するためだけに存在するといった看護における女性差別(misogyny)を強化することとなりえます。この根拠のない仮定は、看護師が傷つけ破壊する可能性を持った人間であるということを了解していないものです。歴史的に見ても(そして今も)、看護師が危害を加えることは可能なことです。なぜなら、看護師の仕事は、常に危害を加えるリスクを伴った脆弱な状況にある人々に接することになるからです。言い換えれば、他者に危害を加える可能性がないという前提を再生産すれば、それは看護師が、つまりは女性が何の権力も持たず人間以下であると暗示してしまうことになります。そうなれば今度は、看護における振る舞いを犯罪としてイメージできなくなり、説明責任を果たせなくなる危険性も生じえます。一例として、ナチス・ドイツにおける看護師と助産師に関する著書の中で、BenedictとShields (2014, p. 2)は、調査中何度か、ホロコーストの残虐行為に参加するなど第二次世界大戦中に犯罪行為をなした看護師に関して「看護師はそんなことはしない」と言われたと述べています。看護という学問領域にあっては、収監や拘束のシステムにおいて弱い立場にある人々を傷つけていることに看護師が加担してきていることについて、私たちがどれだけ一貫して社会的、人種的、経済的正義を話し合うことに失敗してきたか、あるいは看護に値する人間として特定の人々を認識することにどれだけ失敗してきたかが論じられてきました。(De Sousa & Varcoe, 2022; Dillard‐Wright & Shields‐ Haas, 2021; Dillard‐Wright et al., 2020; Foth, 2009, 2013a, 2013b)。筆者らは行動規範や実践規範がアファーマティブな理由から発展してきたことを理解しています。しかしながら内的・外的な力(forces)が広範囲に及んでいるため、ほぼ批判や反省なしに看護の諸規範が存続しているよう見受けられます。本稿ではウィトルウィアン・ナースとして想像されうる看護師のアイデンティティを探求し、彼女がどのように領土化され資本主義に絡め取られるようになったのか、そして、これらの過程を認知できるようにする議論を通じて、ケアと看護におけるこれらの隠喩を回折させたり操作したりすることが可能であることを示します。

 

6 考察

 バクテリアと真菌は我々に隠喩を与えてくれている。だが隠喩のことはさておいて(幸運を祈りつつ!)、我々には哺乳類としての仕事があるのだ...( Haraway, 2015,p161)

 

 筆者らは、優先順位を下げる際のコミュニケーションおよび常に変容し続ける環境にケアの質を合わせることを含んだ倫理規範を提案します。その中で、看護師が患者の擁護をできるような職場環境において、より大きな行為主体性と行動の余地(scope)を持つことが可能になるはずです。これは、限られた能力(capacities)や責任について互いに理解し合うこと(communicating)、そして患者の医療的・個人的なニードと並行して看護師自身や同僚のセルフケアを擁護する(championing)ことを意味しています。読者のみなさん、もし看護師というものが、価値ある存在ともケアされる必要のある存在とも彼女ら自身が見なされない状態が促されるのであれば、いったいこの看護という専門職は、どれだけ持続可能なものになると思いますか?同様に重要になるのは、ストレス要因を軽減するための負担はセルフケアや自己決定以上のものであって、構造的な対処が必須であると認識するため、制度や規制の枠組みはその旨の声明を包含すべきだと筆者らは考えます。本稿は、批判的ポストヒューマニズムを用いて、専門化された看護におけるウィトルウィアン・ナースという自明化された原理を描き直し、あるいは回折させようとするものです。ウィトルウィアン・ナースを再考するのは、実践的な看護師として、また看護教育者として、私たちがこの隠喩とともに生きているからです。この概念を全部投棄するのではなく、これら隠喩に働きかけ、これらをいかに有益に使うことができるか、再考していくことを筆者らは選びたいと思います。

英国におけるこの行動規範のような規制の枠組みは、価値判断を生み出し、何が許され何が許されないかといった下部構造的な(infrastructural)規定(governance)となりえます。辞書において、単語や定義は権力の象徴となり、掲載されないものは価値が低くなります。看護の行動規範や実践規範はこれによく似ています。辞書に掲載されていない言葉は、掲載されている言葉と同じように意味を伝えるにもかかわらず、下等な言語と見なされています。実践規範もまったく同様で、実践規範に含まれないものは価値が低くなり、その上規範はしばしば白人家父長制に沿って構成されてきたのです(A. White, 1993)。ウィトルウィアン・ナースの隠喩は、看護師のある種の仕事をいわば営業販売権化(franchise)し、その際に看護師がどのように見えるか、どのように振舞うかについてのビジョンを特権化し、他者を除外し排除します。このような看護ケア業務のコレクティブな想像力に含まれえない仕事は、営業認可を奪われ(disenfranchised)、それゆえ地位が低いと見なされ、これを支援したり分析したりする枠組みがなく構造的に抜け落ちてしまうのです(Hopkins Walsh & Dillard-Wright, 2020)。看護という学問が、もっとオルタナティブなやり方で看護師を想像できるようになってほしいと筆者らは願っています。「ウィトルウィアン・ナース」のイメージを回折させていく際、重視すべき特性は以下のようになるでしょう。彼女(その看護師)には、権力(power)、知性、創造性、物質性(materiality)、身体性(embodiment)、行為主体性(agency)、怒り、憤激(rage)、ユーモア、誤謬性(fallibility)、積極性(feistiness)、謙虚さ(humility)があり、これらの資質(qualities)のすべて、あるいはいくつかを持っていることもあれば、まったく持っていないこともありえます(Kaplan et al.、2021)。

ソンタグ(1964)はクィア・コミュニティが権力の枠組みを覆すことに成功したやり方について述べていますが、筆者らは、看護を美化するこれら隠喩に働きかける方策の一つとして、これを提示したいと思います。ユーモアと創造的実践を通じた既存の権力構造との関わりは、この≪キャンプ≫(campness)という形で偉大な成功を収めました。これは、ユニークで、しばしばドラマチックで、グラマラスな存在の美学ですが、その過程でクィア・コミュニティが極限の痛みと苦しみに耐え続けるという文脈の中に位置づけられるものでもあります。ユーモアは看護師にとって極めて重要なものです。というのも、ウィトルウィアン・ナースの特質でありユーモアの対応相手(counterpart)でもある「真面目さ(seriousness)」は、看護師専門職化の一環として謳われているものの、人種、階級、ジェンダー、権力などの構造を強化する経路(way)だからです(White, 1993)。専門職としての真面目さには、それなりの意味があります。しかしながら真面目さと対をなすユーモアを教えずに真面目さだけを教えることで、ユーモアを省いてしまえば、それは看護師をコントロールする方法になりえます。筆者らは、看護師が≪キャンプ≫という概念を持って立ちあがることで、ユーモアを取り入れながらより率直に関わっていくことを提案します。≪キャンプ≫では、楽しく過ごしながら、からかいながら、家父長制を批判しますが、だからこそ権力をより物質的で知覚可能なものにするのです。同じ様に、看護におけるユーモアは、患者、家族、同僚、看護師の全てにとって均しい形で新たなあり方や行動を切り開く、きわめて大事な癒しの力(critical healing power)であると主張します。ユーモアにリスクがないわけではありません。ユーモアはマイクロ・アグレッションや偏見を強化したり悪化させたりすることがあるからです。そうではあっても、既に疎外されている(marginalized)グループを支配力のある人々がさらに除け者にするためユーモアを使う場合ほどには、その危険性は高くありません。ともあれ、権力を知覚可能にするこれらのツールは真面目さの名の下に放棄されるべきではないと考えます。どのようなプロセスにも偏見が生じる可能性があるからです。権力の進行を中断させ、権力を可視化させるために、私たちがどのくらい真面目さとユーモアを用いるかによって、状況に即した(situated)アファーマティブな倫理が生み出されるのです。

本稿ではウィトルウィアン・ナースの概念を再形成し再考する可能性を有する、オルタナティブな特性(characteristics)について提案しました。このようなオルタナティブな特性は、完璧ではありませんが、おそらくより望ましいものであり、再考されたケアの基礎を成すものになりえます。代理人として、ウィトルウィアン・ナースは権力の動態を知覚する上で重要となります。なぜなら、本稿で提示した理想の看護師像、幻(a vision)は自己犠牲的であるだけでなく、自己決定的でもあるからです。看護師は、行動規範が、自分達のケアにおいて患者に参加権を与えるようなアファーマティブな実践のためのガイダンスとして存在することを理解するため、行動規範と協働することができます。しかしながら行動規範は絶対的なものではありません。ケアは、ケアの瞬間に、特定の現場で、そのための免許と資格を持った人々によって具体的に説明されうるものです。実践規範は看護師に、患者ら(people)が脆弱な状況にある中では大きな権力と特権を承認するために存在します。実践規範は、ケアの状況において看護師が周囲の人々と世界制作をする(make worlds)ために存在する権力関係にハイライトを当てるのに使用されうるものかもしれません。看護師と患者ら(people)(そして医師、病院管理者、友人、家族など、多数の他者)は、このような状況作りに取り込まれており、皆それぞれが行為主体性を持ち自己決定しています。この行動規範は、看護師達を自己犠牲的な職員(agents)として極小化する(minimize)ためではなく、むしろ行動規範を超えたところにいる人々に寄り添うため利用可能かもしれません。突き詰めていくと、行動規範は行為主体性やケアの多重度(multiplicities)・複雑性を捉えることはできないのです(Smith & Willis, 2020)。

さらに重要なのは、このようなアプローチが、労働力の最適化と抽出というこれまでのその方針(objective)を通り越させて、看護師の間で広く報告されている燃え尽き症候群に対処できる可能性があるということです。ここで指摘しておきたいのは、看護ケアとは何かという最適化に注目するのではなく、むしろ、与えられたあらゆる状況下で看護ケアはどうありうるかという最適化である限り、看護師はどういう存在かといった理想化の中に欠陥があるのではないということです。看護ケアとは、複雑で微妙な医療状況の中で権力関係を認識し、状況を最大限に活用することであって、かつその間に患者ら(people)に彼らが今いる状況の文脈の中で参加権を与える(franchises)方法(a way)なのかもしれません。これは、喜びやユーモアのような権力の星座(constellations)にハイライトを当てたり覆したりするような仕組みを通じて、看護師が就労する際にこのような権力関係を認識できるようにすれば達成しえます。

Lloyd(1994)はスピノザの著作を探求して、このように深く埋め込まれニュアンスが異なっている状況(scenarios)において、アファーマティブな倫理をどう想像するかを説明しています。Lloydはスピノザ的なアファーマティブな倫理への理解を進め、ある状況において自分が束縛されている状況の真価を認めること(appreciating)が、アファーマティブかつ倫理的にふるまえるようになる方法であると述べています。怒り、ユーモア、誤りを犯しやすいこと、不確実性を持ちながら勤務することなどの看護の特性については、現実を生み出している権力および感情の関係性をこれらが知覚可能なものにするゆえに、隠し立てせずに取り組むべきです.

Puig de la Bellacasa(2017)が新唯物論の枠組みで説明しているように、ケアの制作(production)とは計画されえないものです。経済上の利益に向けてケアを最大化するという悪夢をやめられるような行為主体性、権力、多様性およびケアを物質的に受け入れることによって持続可能な看護に移行する(move toward)際の最適化のための成文化を、ここで述べてきたウィトルウィアン・ナースは排除してしまうという状況下にあって、ウィトルウィアン・ナースとはいったいどのようなものなのかという議論に、ほかにも多くの方が加わってくれることを筆者らは望んでいます。「しかしながら、私たちを武装解除しバラバラにするという戦略的使命に専心する企業の経営哲学に対し、この論理を投げつける(pitch)様々なやり方を見つけなければなりません」(Thorne, 2021a, p. 1)。本稿を締めくくるにあたり、筆者らはウィトルウィアン・ナースの隠喩は、看護師とは何か、看護師はどうあるべきかを整理する一つの手段になると主張します。看護における隠喩により、一連の価値観を捉えられ、それによって権力の位置づけを確定(あるいは少なくとも補強)できます。そして本稿で述べてきたように、再想像が可能になります。行動規範、コレクティブな想像性および期待感は、関係性、説明責任性、そして統制の仕組みを(再)創造する際の参照点となりえます。

 

謝辞

本稿の旧版は、「批判的ポストヒューマンの諸哲学は看護のために何をなせるか?」(What Can Critical Posthuman Philosophies do for Nursing?)と題された2022年8月開催のカンファレンスにおけるパネルの一部として発表されました。聴衆の皆様がこのような考え方に関心を寄せてくださったことに感謝いたします。筆者らは、共に夢を描き、書き、考えるというコラボレイティブでコレクティブなプロセスを尊重します。他の皆さまにも、私たちとともに批判的な言説に参加していただき、この現在進行中のコラボレイティブかつ必然的な議論にご協力いただければ幸いです。ジェス・ディラード=ライトは、看護哲学センターによるフェローシップの支援と資金援助に謝意を表します。ジェス・ディラード=ライトは、看護哲学センター(Center for Nursing Philosophy)によるフェローシップの支援と資金援助に謝意を表します。論文のオープンアクセス化への資金はProjekt DEALにより組織され提供されました。


利益相反

筆者らに利益相反はありません。

 

データ利用可能性ステートメント

本研究で使用したデータは、公的に入手可能なステートメントから得られたものです。


ORCID

Jess Dillard‐Wright http://orcid.org/0000-0003-4646-5199

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この記事の引用の仕方(原著の表記):Smith, J., Willis, E., Hopkins‐Walsh, J.,Dillard‐Wright, J., & Brown, B. (2024). The Vitruvian nurse andburnout: New materialist approaches to impossible ideals. Nursing Inquiry, 31, e12538. https://doi.org/10.1111/nin.12538

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