郷土の自然 55号
築水池周辺のシデコブシの自生
波多野茂 市文化財保護審議会委員
1はじめに
春日井市東部の中・古生層の山麓を覆う第3紀層の丘陵は、住宅・ゴルフ場・工場などと開発され大部分が原形をとどめていない。その中でも築水池周辺は、主に県有林地として比較的まとまった半自然(2次林)が残されている。しかしこの丘陵はもともと緑の林が発達していたわけではない。産業の発展にともない薪炭材として極度の伐採が繰り返され、表土流亡によって明治の中頃までに裸地と化した禿げ山が広がっていたところといわれる。明治の終わり頃から治山事業の継続で緑の復旧がはかられ、谷の出口に大砂防堰堤を築き、大正12年これが築水池築造に変更されている。かつて崩壊を繰り返していた丘陵も大部分が森林に覆われ、今日に見る山紫水明の景となった。この間の先人の治山に対する努力は評価されなければならない。
しかし、シデコブシやその他絶滅が危惧されている貴重な植物の多くは、かつて人とのかかわりの深かった禿げ山や、その中にある地下水による崩壊湿地に集中して生育している。
表は成長別個体数(株数)株立ちはその最高囲を測定
1995年10月、1998年3・12月の計3回の調査によるものであるが、まだ完全無欠のものではない。(調査法略)
2シデコブシについて
シデコブシ(Magnoliastellata)は、日本固有の遺存種(太古よりの生き残り)である。
日当たりのよい湿地に自生する落葉小高木、幹の単生または数本の株立ちとなる。花は4月頃開葉に先立ち、白色または淡紅色の芳香ある花を開く。花弁は9から25片と多い。
自生地の分布は、愛知県(尾張丘陵・西三河・渥美半島)、岐阜県(東濃・中濃地方)、三重県(北勢地方)に限られ、その分布は伊勢湾をとりまく丘陵や山地の山裾に分布する周伊勢湾要素(東海丘陵要素)と呼ばれる植物である。近時自生地をもつ市町村では、絶滅が危惧される貴重な植物として保存会の設立もあり、自生地の保護を呼びかけている。
春日井市内の自生地の分布は、開発により狭められ、玉野町・廻間町・西尾町・明知町の一部であり、中でも廻間町の築水池周辺(奥山・馬不入)のシデコブシの群落は市内最大である。
築水池周辺に自生するシデコブシの個体数。
3自生地の地形・地質・環境の特性
築水池の周囲
池を囲む丘陵は第3紀鮮新世(500万から160万年前)の未固結の砂礫粘土層で、海抜140メートル程にはシルト・粘土層があり、この層が不透水層となって、池の入江状となった各所に湧水し、小規模な地下水型崩壊地形が池の水面に向かって形成されている。シデコブシは池の満水時の岸辺から崩壊地までの海抜140メートル以下で、崩壊による土砂の再堆積地の洞状地や、土堰堤による沼岸の堆積地に自生している。このような湿地は池の入江状となった東向斜面に集中し、中でも「図示」D-1からD-3地は、水分と富養土砂によってかシデコブシの成長もよく数本の株立ちが目立ち、イヌツゲ・マンサク・タカノツメなどを伴っている。林床にはミズゴケ群落、ヌマガヤ・ネザサが散生しているところもある。「図示」D地は沼岸周辺の湿地でサクラバハンノキ(国=危急)、イソノキなどとともにシデコブシが生育し、サワギキョウ・カキラン・ヘビノボラズ・シロバナカザグルマ(国=危急)も見られる。斜面上部はヤマザクラ・モンゴリナラの大木、過去の治山事業時のヤシャブシも残存している。
しかし、「図示」C-4からC-8に見られる西向斜面の湿地にはシデコブシの出現は少ない。この湿地の多くは拡散型の湧水湿地で、礫質粘土の裸地化した酸性貧栄養地で侵入する樹木も制限され、この地は貴重な湿生草本植物の生育地となっている。
馬不入
少年自然の家の西の谷すじで、南東から西に向かって開けた長さ350メートル程の谷底部をもち、末端には小さな溜池がある。谷の中ほどに古生層の露頭があり、その上を第3紀の砂礫粘土層が覆っている。
谷底部には沢があり、この中程に堰堤による沼がある。沼の上部の沢すじには侵蝕土砂や腐植質を含む粘土の堆積により緩傾斜地をつくり、湧水によって涵養された湿地を形成している。シデコブシの自生は海抜140メートルから120メートルの溜池までの間に出現している。ことに、思案橋「図示」G・H付近の採光のある南向斜面に集中し、イヌツゲの古木、タカノツメ・コシアブラ・ウリカエデなどの幼木を交え、ハンノキ・サクラバハンノキ(国=危急)を伴って生育している。水流のある凹地にはミズギボウシの群落、ヌマガヤの小群、斜面上部にはシダミコザサが散生している。
4シデコブシの保護
かつてシデコブシは雑木の一つとして伐採され薪としていた。このことが生きてきた要因でもある。ことに馬不入地域は林の遷移が進行して日照が保障されなくなってきている。早急に保全措置が必要である。
郷土の自然 66号
春日井市のシデコブシ分布と保全に寄せて
波多野茂 市文化財保護審議会委員
1シデコブシ( Magnolia stellata)
日本固有の遺存種で東海三県のみに分布する。 生育地は岐阜県(東濃・中濃)、愛知県(尾張丘陵・ 西三河・渥美半島)、三重県(北勢地方)に限られ、伊勢湾を取りまく丘陵山地の斜面下部の湧水湿 地周辺に生育する周伊勢湾要素と呼ばれる植物 である。
2市内における分布とその株数
市の東部は県境をなす中・古生層の山地に接して第三紀丘陵が南西に低く広がっている。この丘陵は、多年にわたり治山事業により豊かな 森林に復元した歴史をもっている。かつては、アカマツを優占種とした矮性林からなって、湧水による湿地も多く溜池も各所に点在し、その周辺にシデコブシは普通に見られた。丘陵の南部では、玉川小学校南、新田池入水部の群落。西部では、丘陵から連続し坂下小学校周辺まで分布し、坂下小学校の校歌にもシデコブシが歌われている。 これら丘陵のシデコブシは、ニュータウン、ゴルフ場などの大規模な開発の犠牲となり、残る丘陵は二次林の自然遷移と湿地の消滅などの環境変化に伴いハビタットの地を失っていった。
(表Ⅰ図)(表Ⅱ)は、春日井自然友の会(調査班)が市内の消えゆく希少種の調査でシデコブシを確認まとめたものである。
3馬不入地域の自生地の保全の試み
少年自然の家西部谷すじは、谷間という日照環境には恵まれないところである。かつて禿山時代は、谷底部の湧水湿地も明るく、シデコ ブシと共にハルリンドウの花が春を彩った。昭和57年少年の家の建設、それに伴い自然観察路や森林の整備がなされ、湿地周辺にはシデコブシの移植もなされた。時を経、自然遷移も進行し一帯は緑濃き林となった。湿地周辺はアカマツ・コナラ・ヤブツバキ・サカキなどが大きく成長して湿地の縁部にまで侵入し、サクラバハンノキ・イヌツゲ・ノリウツギ・ウリカエデなどと茂り、シデコブシは競争力の強い植物に覆われ、樹齢に比し細く伸び上がり被陰に よって樹勢は弱く折り重なり、また、枯死も多くシデコブシ群落の劣化が進んでいた。
一般に植物は競争力の強いものは適応力が弱く、競争力の弱いものは逆に適応力が強いという原則の中に生きている。しかし、シデコブシはどちらも弱い植物と思える。
市内で一番まとまって自生しているこの群落を守るため、市公園緑地課の支援によって毎年保全作業が試みられた。先ず移植された産地の知れないシデコブシは、遺伝的汚染を考慮し、自生地の独自性を失わないためにも生存樹は除去。ついで、日当たりの良さを第1条件とし、作業は湿地草本植物に影響の少ない冬季にシデコブシを覆う樹木や林床を覆うイヌツゲ・サカキなどの常緑樹の除伐と下刈りを継続し今日に至っている。
4自生地の植生の動き
平成15年3月 思案橋を中心に周辺8500平方メートル が、シデコブシ自生地として春日井市天然記念物に指定され保護された。今までの保護活動の効果 の表れか、シデコブシの花が多く見られるようになった。採光のよくなった湿潤地にはハルリンド ウが芽生え花をつけ始めた。ついで、シロバナカザグルマ(国:危急)の優雅な花が数多く開き、 秋にはサワシロギク・ミズギボウシ(東海丘陵要素)などが大きな群落を形成しはじめている。
5今後の保全
シデコブシの保全には知られないことが多い。 また、目で見えない遺伝子の多様性問題など、科学的知見を踏まえた保全が大切である。近年、環境省「絶滅が危惧される希少樹種の生息域の保全に関する基礎研究」の課題「シデコブシ集団の遺伝子流動と近交弱勢に関する研究」の一環として、独立行政法人森林総合研究所森林生態研究グループにより、春日井市では、築水池周辺を対象に種子生産の現状と要因調査、遺伝 解析などの研究がなされ、小集団化が近親交配の頻度を高める。近親交配が起きると結実量が 大きく減少する。近親交配は日照や昆虫などにも関係があり、馬不入と築水池畔との結実量の 比較では、馬不入が低く虫害も大きい。
春日井市は、結実に及ばす近親交配の影響が強く、今後、小集団化して近親交配の程度が高まれば、種子生産が減少し消失リスクが高まると予想されると結果の報告があった。
このことを踏まえ、馬不入の天然記念物指定地の保全のみでなく、集団の分断・孤立化を防 ぐ意からも谷の入口の集団まで繋がりをもたせ、 谷間全体の遷移の抑制をはかり、日照の確保につとめる。なお、保全にあたって、シデコブシのみを目指すのではなく希少種の生育する生態系の保全を目標にしたい。
郷土の自然 39号
ふる里の植物シデコブシ
冨田彪 春日井市立坂下小学校教頭
3月末から4月初めにかけて淡紅色の品のよい花を葉に先がけてつけ、この地方に春の訪れを告げてくれるシデコブシは、モクレン、ホオノキ、コブシ、タムシバなどと同じモクレン科の落葉性の小喬木~灌木です。
シデコブシのシデは細長い花弁が散開した様子を神事に使う玉串やしめ縄に垂れた幣に例えたもの。コブシは拳の意味でつぼみの形からつけられた名前だといいます。園芸愛好家などからはヒメコブシとも呼ばれ、今では愛知県の稲沢市などで盛んに生産され庭木として珍重されています。
かつてシデコブシは中国から園芸用に渡来したものと考えられていたのですが、郷土の植物研究家たちの調査研究により、東海地方を中心とした限られた範囲にのみ自生するわが国の固有種であることが分かってきました。昭和40年代のことです。
南半球の国、ニュージーランドのとある公園にもシデコブシが植栽されています。江戸末期から明治初期にかけて、ヨーロッパ諸国は日本をはじめとしてアジアの文化や芸術、そして美しい植物などを盛んに導入した時期がありました。シデコブシもそうした一連の動きのなかで持ち出されたもののひとつでした。くだんのシデコブシにはヨーロッパから渡ってきたという説明書きがなされていますが、ルーツは日本のわが郷土、東海地方に他なりません。
日本に広く分布するコブシは花弁が5から7枚で白色であるのに対して、シデコブシのそれは10から20枚、ときには25枚ほどと多いこと、色は白から淡いピンク~濃いピンクなど株によってかなりの個体差があること、花弁が細く、少し縮れたようになることなどの相違点があります。
シデコブシは丘陵地の日当たりのよい湿地で、多少水が流れていてミズゴケが繁茂しているようなところによく生育しています。春日井の東部丘陵や瀬戸、岐阜県東濃地方は古くからシデコブシの群生する湿地が高密度に点在し、春早の枯れ野のなかで群がるように開花するこの花は春の野良仕事を始める目安とされてきました。
生育地である湿地は開発などによる物理的な崩壊がなくても、水が富栄養になったり、排水路が造られたりすることによって土地が乾いてくればもはやシデコブシは存続できません。加えて、花木としての価値が高いため盗掘が絶えず、花の色の濃い株は特にその対象とされてきました。環境に左右されやすい大変デリケートな植物のこと、野から採ってきたものは活着させるのがかなり難しいのに……。乱獲、自然破壊などにより姿を消しつつある受難の植物シデコブシ。それは美しく、あまりに自生地が人里近くにあるがゆえの宿命だったのでしょうか。
かつては廻間町から連なる坂下小学校東側丘陵のいたるところに群生地があったといわれていますが、現在春日井市内では春日井市少年自然の家付近と西尾町の一部に小規模な群落を見るのみとなってしまいました。この広い地球上でも自生地は図のように極めて限られています。いま、この植物が絶滅の危機に瀕していることを考えれば、まさに注目すべき貴重な存在であるといわなければなりません。
追記
さいわい、春日井市少年自然の家近辺のシデコブシ群生地は平成15年に市の天然記念物の指定がなされました。また、地元の人たちにシデコブシが全国に広く見られるコブシと同一視されていたというようなかつての認識の不足は次第に解消され、保護保全意識もかなり高まってきているように思われます。
わがふる里原産の愛すべきシデコブシを是非これからもみんなで守っていきたいものです
胸高囲測定値
(センチメートル)
稚樹
(から10)
幼齢樹
(11から25)
壮齢樹
(26から)
計
測定値最高囲
築水池のまわり
45
54
21
120
45
馬不入
133
77
58
268
73