会 員 各 位
令和6年8月吉日
春日井自然友の会
会長 長繩 秀孝
自然観察会のお知らせ
新涼の候 皆様にはますますご清栄のこととお喜び申し上げます。
下記の如く 鯖街道・熊川宿・名水百選の瓜割の滝公園・国宝明通寺を散策参拝し若狭の初秋を体感する観察会を計画致しました。皆様お誘い合せてご参加いただきますようご案内申し上げます。
記
1) 実施日: 9月29日(日曜日)
2) 観察地: 福井県若狭町熊川宿・瓜割公園、小浜市明通寺
3) コース:
春日井市役所(7:30)==春日井IC==養老SA(休)==米原JCT==木之本IC==塩津海道あぢかまの里(休)==マキノ小荒路==メタセコイア並木(バスの中から見学)==マキノピックランド(休)==熊川宿(散策)・・熊川宿西駐車場(バス待機乗車)==若狭瓜割公園(観察・散策・昼食)==明通寺(拝観)==道の駅「若狭おばま」(休憩・買い物)==小浜IC==敦賀JCT==賤ヶ岳SA(休)==米原JCT==尾張一宮PA(休)==春日井IC==市役所(18:30頃)
4) 出 発:
春日井市役所前 7時30分
落合公園入口南方200m 7時45分
5)参加費: 5,300円(明通寺 団体拝観料 460円含む)
(参加費は封筒に氏名・金額を記入。また神社駐車利用者は+200円記載願います)
6)募集人員:45名(補助席は使用いたしません)
7) 申込期限:9月25日(水曜日)迄 (受付は先着順とさせて頂きます)
8)申込先:庶務(松原)
電話・ショートメール 090-4089-9906
留守電・FAX 0568-56-4358
LINE
9)その他:弁当持参・雨具等
10) バス乗車方法:
市役所乗車の方は運転席に向かって左側3列目から、
落合公園南乗車の方は右側4列目から順にお願いします。
【資料】
○高島市マキノ町のメタセコイア並木
農業公園マキノピックランドを縦貫する県道小荒路牧野沢線には延長約2.4㎞にわたりメタセコイアが約500本植えられ遠景となる野坂山地の山々とも調和し、マキノ高原へのアプローチ道として高原らしい景観を形成している。
この並木は昭和56年に学童農園「マキノ土に学ぶ里」整備事業の一環としてマキノ町果樹生産組合が植えたのが始まりで、組合関係者をはじめとする地域の人々の手により慈しまれ育まれ、その後さらに県道も調和して植栽され延長されたことから現在の雄大な姿となった。
○メタセコイア Metasequoia(日本名アケボノスギ)
中国四川省の揚子江支流磨刀渓(モウタオシー)の奥地で1945年(昭和20年)中国林務官王戦によって発見され世界的に有名となる。日本には1949年(昭和24年)アメリカを通じて入る。メタセコイアは中国四川省と湖北省の標高900~1300mにただ一種が分布するが、化石としては色々な種が白亜紀~第三紀の地層から見られている。(犬山市善師野付近からも化石として出土) 当時は北半球に広く分布していた。属名はアメリカインデアン酋長セクオイア(1770~1843)の名前から来ている。
○若狭熊川宿
熊川宿は若狭と京都をつなぐ「鯖街道」にある宿場町であり、谷間を流れる北川に沿って発達した集落である。馬や船が荷を運び込める荷次場として発展した。今も残る江戸期に形成した町並みは平成8年重要伝統的建造物群保存地区に選定され、平成27年に「御食国若狭と鯖街道」として日本遺産に認定されている。
熊川宿では、地域と若狭町が連携し、保存のまちづくりに取り組んで文化庁の支援による家屋の修理事業の達成率も高く、家屋の前を流れる「前川」の整備や裏配線方式による電柱撤去なども地域と行政が一体となって進められ、国からも高い評価を受けた宿である。
見どころは安楽寺・法順寺・県指定文化財木造十一面観音像・三宅上村家のタブの大木など。
○鯖街道の由来
若狭ではいつ頃から小浜を中心に「京は遠くても十八里」といわれており、与謝蕪村(1716~1783)が「夏山や通いなれたる若狭人」(安永5年の句)と詠んでいるように若狭と京都は極めて深い関係があった。
若狭をほぼ東西に走る「丹後街道」は東は越前敦賀、西は丹後の舞鶴または宮津までの幹線道路でした。「若狭街道」は大陸文化の玄関としての小浜から若狭町(旧上中町)の日笠を通り熊川を経て高島朽木(旧朽木村)を越え大原八瀬より京都への道。しかし、正確いうと小浜から日笠までは「丹後街道」、日笠から京への道を「若狭街道」というべきか。18世紀後半になって若狭湾で大量の鯖が水揚げされるようになったことや小浜の「森田宗太郎家文書」によると宝暦(1751~1763)以後若狭の海で鯖が大量に漁獲されこれを京都の人々が大衆魚として広く庶民が賞味し、また、祭礼にも欠くことができなかったためとある。
○瓜割の滝
福井県三方上中郡若狭町の若狭瓜割名水公園の湧水から生ずる滝で1985年(昭和60年)名水百選に選ばれるとともに輝きと優しさに出会えるまち若狭町として水の郷百選を代表する名水である。湧水の流量4500t/日、水温11.7℃とその冷たさで瓜が自然に割れたとの古事から(瓜割の滝)と呼ばれる。滝の周辺は「水の森」と呼ばれる修験者の修行地で、また、朝廷の雨乞いを司る祈祷所だったとされる。水中には紅藻植物の「ベニマダラ」が繁殖しており、「福井県のすぐれた自然」に選定されている。この繁茂により水中の石が赤く染まっており「赤い石」の名物となっている。
*2015年(平成27年)環境省名水百選選抜「おいしさが素晴らしい名水部」第2位。同年「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産・御食国(みけつくに)若狭と鯖街道」の構成文化財として日本遺産に認定。
〇天徳寺
宝篋山(水の森)の中腹にある。養老2年(718)泰澄大師が開基したと伝え、のち弘法大師(空海)が来て諸堂を建立、寺観を整えたといわれる。以来、士庶の尊信を集めて寺運は隆盛し、村上天皇の寺領の寄進や正治2年(1200)源頼朝の妻政子が法華堂を再建するなど寺伝に見える。
寺の境内には弘法大師が四国八十八ケ所を移安して佐渡の石工に刻ませたという88体の石仏が苔むして並んでいる。
―現在公園の中―
「弘法大師 空海 香川県生まれ 平安時代初期
高野山 真言宗の開祖 俗名 佐伯真魚(さえきまお)
20歳の時 得度
22歳の時 空海
31歳の時 桓武天皇より中国へ派遣
〇明通寺(国宝指定 本堂、三重の塔)
遠敷の里 門前の集落はかつて門前町として栄えたが今は一寒村に過ぎない。そのものさびた静かな山麓を境内として1000余年の歴史を秘めてひっそりと立っているのが文化財の宝庫といわれる明通寺である。寺の開基は古く大同元年(806)征夷大将軍坂上田村麿が北陸巡行の途中、この山中で棡の老樹の下で修業する老人に出会い、老人の命ずるままにこの地に一宇を建てた。棡にちなんで山号を棡山。樹上に光明が輝いていたので光明通寺と名付けたのが始まり。20数坊を備えて寺運隆盛したというが火災にあい鎌倉時代に頼禅法印により再興され今日まで法灯を続けている。宗派 真言宗御室派、山号棡山
「若狭の“水送り”と奈良の“お水取り”」
水送りの寺 神宮寺 東大寺
遠敷川の鵜ノ瀬(3月2日) 二月堂