帝国の条件

Conditions of Empire

Principles of Freedom toward the Global Order

橋本努『帝国の条件 -- 自由を育む秩序の原理』弘文堂、2007年刊


9.11以後に、

もう一つの世界は可能か?

〈善き帝国〉の世界を構想する倫理的実践の試み


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ユートピア的政策を構想し

世界秩序の夢と想像力を

次世代につなぐ【帯・背】


2001年9月11日のテロ事件、すなわちテロリストたちによるニューヨーク世界貿易センタービルの爆破が企てられたとき、私はニューヨークの自宅で朝食をとっていた。事件の約一年前から、私は客員研究員としてニューヨークに滞在していたのである。この事件を間近に経験した私は、その後約3ヶ月間つづいた炭疽菌事件の余波で、文字通り「テロられる」ことになってしまった。以来私は恐怖に怯えながらも、世界秩序の問題に関心を寄せてきた。テロ事件の直後はニューヨークから発言し、約一年後に帰国した後には、主として思想的な問題について考察をすすめてきた。本書は、その思想的な考察をまとめたものである。20世紀前半の二人の思想家に託して言えば、私はシモーヌ・ヴェイユのように現状を理論化し、エルンスト・ブロッホのように希望を語りたいと願っている。本書は、崖っぷちから紡ぎ出されている。漠たる生の危機感から、私はある種の不可能性に賭けている。(本書「はじめに」より)【帯・表Ⅳ】


2002年8月、ニューヨークから戻ってきた私は、ホームページに次のように書いた。「ニューヨーク滞在中、テロ事件に遭遇してしまった。テロリズムとグローバリズムの相克は、はたしてどのような世界闘争をもたらしているのだろうか。その現実に耐えうるだけの、新たな理論を模索してゆきたい」と。その成果がようやく、2007年4月に著作として刊行される運びとなった。

刊行あいさつ


『帝国の条件』

読者の皆様へのごあいさつ

謹啓

今年は全国的に暖かな春となりました。年々温暖化の不安とともに、こうして次第に暖かな春を向かえますと、肌身の感覚でも、グローバルな気遣いが生まれます。かつてマルクスは『経哲草稿』のなかで、サクランボの木といった「感性的確信(ヘーゲル)」の対象でさえも、「ほんの数世紀前にはじめて、交易によってわれわれの地域へ移植されたもの」であって、人間の社会的活動の産物なのだと述べたことがありますが、これを敷衍して言えば、私たちは、サクラの木にも現代のグローバルな人間活動の影響を垣間見ており、これを反省的に捉え返す意識は、ますます「親密圏」を憂慮せざるをえない、ということになりますでしょうか。

このたび、満を持しての刊行となりました。拙著『帝国の条件――自由を育む秩序の原理』(弘文堂、2007.4.刊行、3,500円+税)をご高配賜りたく、皆様に乞う次第です。

小生は、9.11事件をニューヨークで目の当たりにして以来、国際秩序の問題について理論的な考察を重ねてまいりました。本書は、9.11事件以降の世界を読み解き、またネグリ/ハートの『帝国』を超えるような理論的地平を、全力で切り拓いております。

とりわけ本書は、「ネオリベラリズム(新自由主義)」と「ネオコンサーバティズム(新保守主義)」について、抜本的な思想的検討を試みた点に新味があるでしょう。また、トービン税と世界貨幣の育成や、あるいは、自生化主義の関税構想という政策のシナリオを描くことで、本書は、「善き帝国秩序のユートピア」を具体的に提案しております。

グローバリズムに抗する「もう一つの世界」を論じるための叩き台となれば幸いです。なにとぞご一読をたまわりたく、お願い申し上げる次第です。

 最後になりましたが、皆様のご健康を、心よりお祈り申し上げます。

謹白

2007年4月16日

橋本 努


はじめに

『帝国の条件 自由を育む秩序の原理』

弘文堂(2007年4月刊行)

橋本努

はじめに

もう一つの世界は可能である。善き帝国の世界が可能である。その世界を練り上げて、具体的なユートピアを描いてみること――これが本書の企てにほかならない。

二〇〇一年九月十一日のテロ事件、すなわちテロリストたちによるニューヨーク世界貿易センタービルの爆破が企てられたとき、私はニューヨークの自宅で朝食をとっていた。事件の約一年前から、私は客員研究員としてニューヨークに滞在していたのである。この事件を間近に経験した私は、その後約三ヶ月間つづいた炭疽菌事件の余波で文字通り「テロられる」ことになってしまった。以来私は恐怖に怯えながらも、世界秩序の問題に関心を寄せてきた。テロ事件の直後はニューヨークから発言し、約一年後に帰国した後には、主として思想的な問題について考察をすすめてきた。本書は、その思想的な考察をまとめたものである。二〇世紀前半の二人の思想家に託して言えば、私はシモーヌ・ヴェイユのように現状を理論化し、エルンスト・ブロッホのように希望を語りたいと願っている。本書は、崖っぷちから紡ぎ出されている。漠たる生の危機感から、私はある種の不可能性に賭けている。

表題にある「帝国の条件」には、二つの意味がある。一つには、こんにちの世界状況が、私たちの「生」と「未来」を否応なく条件づけているという認識である。帝国は、私たちの生き方を本質的に規定する条件ではないとしても、人々を世界規模の動態に巻き込むがゆえに、抗いがたい力としてある。帝国とは、御しがたい「生」の条件であり、またそこへ「生」が流れていくような方向として認識される。しかし他方で、現行の世界秩序は、他でもありうるのであって、そのオルタナティヴの探究は、私たちにさまざまな「善き帝国の秩序(=〈帝国〉)」を開示するであろう。人間は、その生のあり方を条件づけられた存在であるとして、ではいったい、人間はいかなる帝国秩序において善き生を育むことができるのだろうか。「帝国の条件」にこめられたもう一つの意味は、「善き生となりうる自由を育むための世界秩序」である。それは規範理論と社会政策の新たな構想によって、十全なイメージをもちうるであろう。貧しき生を避け、豊かな生を育むための世界条件とは何か。本書はそのオルタナティヴとなる世界を、具体的に探りたい。

「帝国の条件」とは、つまり、現実の帝国の構造であり、また、規範理念としての善き帝国の構想である。実はアダム・スミスにおいて、この二つの側面は密接に結びついていた。スミスは「公平無私の観察者」の視点から、現状把握と社会政策の両方を導き出している。例えばスミスは、イギリスによるアメリカ統治が儲からないとの観察から、植民地としてのアメリカを放棄することが「善き世界秩序」に適なうと主張している。この主張は、当時興隆していた市場経済の把握から、国益の新たな基準を通じて、理想の社会秩序を展望するものであった。もっともスミス流の「公平無私の観察者」の観点は、今日ではあまり役に立たない。例えば、公平無私の観察者は、二〇〇三年のイラク攻撃の是非をめぐって、決定的な判断を述べることができるであろうか。テロ事件やイラク攻撃において問題となるのは、長期的かつ冷静な利害判断よりも、むしろ「人間の根源悪」(アーレント)に対する態度であるだろう。アーレントにしたがえば、人間にとって根源的な悪とは、思考停止の状態である。例えば、テロリズムに打ち克つための自信過剰の勇気、あるいは、テロリズムの恐怖から免れようとする安心への願望は、いずれも思考停止の根源悪にほかならない。ところが現在、アメリカでは「勇気(好戦主義)」と「安心(セキュリティ強化)」への願望から、ますます大きな政府依存の感情が人々のあいだに生み出されている。こうした思考停止の根源悪に根ざす政府の膨張に対して、私たちはいかなるオルタナティヴを描くことができるのだろうか。

本書はこうした問題に対して、成長論的自由主義(自生化主義)という独自の視角から応じている。これまで私は、二書をもってこの思想理念を展開してきた。『自由の論法』ではハイエクとポパーを読みこむかたちで、『社会科学の人間学』ではウェーバーを読みこむかたちで。本書ではこの思想理念をさらに展開して、マルクスとハイエクの思想的融合から、新たな世界構想を企てている。以下に本書の内容を要約したい。

第一章「9・11事件以降の四つのイデオロギー」は、事件後の世界を理解するための導入として書かれている。事件後の四つのイデオロギーとは、①あらゆるテロ行為を全批判するブッシュ政権の見解、②テロ行為の背景にある理由は全面的に正しいかもしれないとする反米左翼の見解、③アメリカの市民社会の再興をもって応じる旧民主党系の見解、および、④軍備縮小と移民の受け入れを求めるラディカルな自由主義の見解、である。ここで私は最後の見解を支持しつつ、その可能性を探っている。長期的にみれば、イスラーム移民の歓待こそ、テロリズムの抑止につながるのではないか、というのが私の立論である。

第二章以降は、現状分析から新たな帝国の構想へ向けて、およそ四つのテーマについて論じている。「現実の帝国分析」、「帝国状況の思想分析」、「理想の帝国思想」、および、「オルタナティヴとなる帝国政策案」、である。これらのテーマにおいて、私はとりわけ思想的な諸問題に取り組んでいるが、最終的な構想は、具体的な世界経済秩序の青写真となっている。

では本書の四つのテーマについて、簡単に紹介してみよう。「現実の帝国分析」において私は、ネグリ/ハートの大著『帝国』とは別の仕方で「帝国」の諸現象を分析している。ネグリ/ハートの『帝国』は、テロ事件前に書かれたものであり、事件後の帝国現象を分析するには限界がある。現在の世界秩序を論じるためには、次の二つの事柄を見定める必要があるだろう。すなわち、アメリカ主導の世界秩序形成と、テロ組織がもつ帝国的意義である。第二章では、アメリカが「テロリズムの罠」によって、世界の秩序形成を主導せざるをえないこと、またそのようなアメリカの変容は、「ヘゲモニーを掘り崩す帝国」として現れることを指摘したい。第三章では、国際的なテロ組織「アルカイダ」の活動が、裏の帝国現象となっていること、またその出現は、最悪のポスト・モダニズムを意味することを、ドゥルーズ/ガタリの『千のプラトー』を手掛かりに分析したい。つづく第四章では、ネグリ/ハートの帝国論をさらに拡張しつつ、反帝国運動というものが、実は資本の論理の加速化を担うことになる、と論じている。言いかえれば、既存の資本の論理に対する抵抗は、新たな資本の論理の動因であり、それは、形成されつつある善き帝国秩序(〈帝国〉)の可能性を切り開くものである、と私は指摘している。

およそ以上の現状分析から、オルタナティヴとなる帝国秩序の「可能性」が示される。次に論じるのは、「帝国の思想状況の分析」である。現代社会において支配的な思想は、「ネオリベラリズム」と「新保守主義(ネオコン)」によって代表されよう。この二つの思想はいずれも、一国主義を超えたグローバルな構想をもっており、現代の帝国秩序を駆動する思想と呼ぶにふさわしい。ところが日本では、この二つの思想は十分に検討されないままに、安易な批判的言説が飛び交っている。本書ではこれらの思想の深部と向き合い、批判的な検討を加えたい。第五章「ネオリベラリズム論」では、批判の多くが結果としてネオリベラリズムに包摂されてしまうことを指摘しつつ、この思想を根本から批判するためには、「神義論の不可能性」という問題に向き合う必要がある、と論じている。第六章「新保守主義(ネオコン)論」では、新保守主義の全体像を把握した上で、その背後に構える二人の思想家、すなわち、ヒンメルファーブとシュトラウスの思想を検討する。とりわけシュトラウスについては、その公儀と秘儀、社会科学批判、中世イスラーム哲学の摂取などをめぐって、その思想がもつ危険性と可能性の両面を解明している。

 以上の二つの章が、帝国状況の思想分析である。この分析を踏まえた上で、今度は私の独自の観点から、「善き帝国秩序(〈帝国〉)」にふさわしい思想理念を紡ぎ出していく。本書の第七章と第八章は、成長論的自由主義ないし自生化主義の観点から、善き帝国秩序の思想を論じた中核部分である。第七章は、現在の帝国の形態、あるいは未来の〈帝国〉の理想形態が、「支配の正当性」(ウェーバー)をもたない非正当的秩序として現れること、積極的に言えば、「超越的普遍性なき秩序」として現れることを論じる。さらにそこから、「超保守主義」という新たな理念を用いて、善き帝国の秩序像を描いている。つづく第八章では、今度は人間像の観点から、善き帝国秩序について構想している。帝国や世界秩序の「担い手」というと、読者は「世界市民」や「コスモポリタン」といった人間像をイメージされるかもしれない。しかし本書において私は、ネグリ/ハートの「マルチチュード」論を読み替えつつ、さらにマルクスの観点を取り入れて、「全能人間の創造」を企てている。またそのような人間像の制度的条件として、「自生化主義」という理念を提示している。

 「超保守主義」、「全能人間」、そして「自生化主義」。これが本書で論じられる新たな思想理念である。これらの理念はあまりにも唐突で、グロテスクであるようにみえるかもしれない。しかし私は新たな思想理念の提起を通じて、最終的には善き世界の秩序構想へ向けて、具体的かつ魅力的な政策案を導きたいと考えている。新たな思想理念がなければ、数多にある可能的世界のなかから、理想の世界像を紡ぎだすことはできないであろう。本書の最後に私は、自らの思想理念から政策論的な含意を引き出すべく、〈帝国〉の青写真を描いている。第九章では、トービン税(為替取引税)の構想をハイエクの貨幣発行自由化案と融合させて、およそ五つの段階からなる政策のシナリオによって、世界貨幣を自生化するための制度構想を提案している。世界貨幣の生成は、世界民主主義の条件である。その条件に向けて、私は自生化主義の観点から、長期的な政策のシナリオを展望している。最後に第一〇章では、グローバルな正義を実現するための青写真として、「理想の関税構想」を提案している。まず規範理論の新たな試みとして、ロールズの正義論とは正反対の条件を想定した「グローバル・インプット論」を展開する。その上で、「グローバルに位置づけられた自我」という独自の観点から、世界大の配分的正義を展望する。さらにグローバル正義の具体的な構想として、私は、人間開発指標その他を用いた関税ルールをデザインしている。この構想は、関税率に関する新たな取り決めを通じて、諸国民の潜在能力を自生的に引き出すような制度を目指している。

 以上の二つの構想、すなわち「トービン税と世界貨幣の創出」、および「理想の関税構想」は、いずれも自生化主義の理念から導かれた政策案である。いずれも「善き帝国秩序」のための部分的な提案にすぎないが、しかしここで具体的なシナリオを提示することには、相応の意義があるだろう。グローバリゼーションに賛成する人も反対する人も、オルタナティヴとなる政策を論じることで、不毛な思想対立を超えることができるように思われるからである。善き世界秩序の夢が実現するための試金石は、具体的な政策論議にある。本書において私は、ユートピア的な政策を具体的に構想することによって、世界秩序の夢と想像力を次世代につなぎたい。


目次


橋本努『帝国の条件 自由を育む秩序の原理』

(弘文堂2007.4.)

目次

はじめに

1章 9・11事件以降の四つのイデオロギー  017

0 はじめに

1 テロ事件に対する二つの過激で根本的な反応

1-1第一のイデオロギー:ブッシュ政権

1-2 第二のイデオロギー:アメリカ左翼

2 テロ事件に対する二つの妥当な反応

2-1 第三のイデオロギー:(旧)民主党系

2-2 第四のイデオロギー:ラディカルな自由主義

 2-2a 移民の受け入れ 2-2b 軍備縮小

3 不安の問題

2章 帝国の動態(1):帝国とはなにか   045

0 はじめに

1 「ヘゲモニー」と「帝国」の概念

  1-1 「ヘゲモニー」の概念 1-2 「帝国」の概念

2 テロリズムと戦争

  2-1 テロリズムの罠による世界変容 2-2 国際法の問題

3 ヘゲモニーを掘り崩す帝国

3-1 ヘゲモニーの変容 3-2 帝国としてのアメリカ

3章 帝国の動態(2):戦争機械の生成   073

0 はじめに

1 アルカイダ組織論

2 樹木を備えたリゾーム

3 戦争機械というテロリズム

4 チェスから囲碁へ

5 最悪のポスト・モダニズム

4章 帝国の動態(3):資本の新たな論理   099

0 はじめに

1 帝国主義と国民国家から帝国へ

2 帝国の両義性

3 反帝国運動

4 資本の論理を加速する

5章 帝国の思想状況(1):ネオリベラリズム論   116

0 はじめに

1 ネオリベラリズム批判の地平

1-1 歴史的地平 1-2 思考法の地平

2 ネオリベラリズムという概念

  2-1 定義をめぐる問題 2-2 現状はネオリベラリズムの体制か

2-3 ネオリベラリズム概念の形式と実在 2-4 定義の明確化

3 諸批判を包摂するネオリベラリズム

  3-1 第三の道の包摂 3-2 福祉多元主義の包摂 3-3 新重商主義の包摂

3-4 開発主義批判の包摂 3-5 教育改革批判の包摂

4 ネオリベラリズムの補完、超出、ダミー

  4-1 「世界社会フォーラム」の思想 4-2 補完を超える自生化主義

  4-3 ネオリベラリズムのダミー

5 神義論の不可能性

  5-1 幸福と不幸の神義論:二つの不可能性 5-2 国民国家の神義論を超えて

  5-3 「幸福の神義」と「帝国の構想」

6章 帝国の思想状況(2):新保守主義(ネオコン)論   209

0 はじめに

1 新保守主義の特徴

1-1 第一世代と第二世代 1-2 俗流理解を排す

1-3 新保守主義の現代的特徴

2 国内政策をめぐる問題

2-1 ポルノグラフィー

2-2 福祉

2-2a 新しいパターナリズム 2-2b その負の遺産

2-2c 思いやりのある保守主義

3 ガートルード・ヒンメルファーブ論

4 国際政治をめぐる問題

  4-1 新保守主義の外交理念 4-2 粉飾戦争

5 レオ・シュトラウス論

  5-1 シュトラウスの影響 5-2 アリストテレスからルクレティウスへ

  5-3 マキャベッリ 5-4 ビジョンなき卓越への意志

  5-5 社会科学批判 5-6 エルサレムとメッカはアテナイで出会う

6 超保守主義へ

7章 〈帝国〉の思想的基礎(1):秩序論   317

0 はじめに

1 ウェーバーの「支配の正当性」論の検討

1-1 「支配」概念の三つの特徴

1-2 「正当性」の検討

2 根源的民主主義論の拡張

2-1 支配なきヘゲモニー闘争という理想

2-2 超越的普遍性なき秩序

3 〈帝国〉の超保守主義

3-1 対抗理念としての保守主義と普遍主義

3-2 保守主義から超保守主義へ

8章 〈帝国〉の思想的基礎(2):主体論   355

0 はじめに

1 潜在能力の主体性

2 新たな主体のモデル

  2-1 シンボリック・アナリスト 2-2 ボボ

3 全能人間の創造

4 自生化主義に向けて

5 自生化主義の権力論的基礎

  5-1 政治権力の正当性

  5-2 転換的権力

9章 〈帝国〉の政策(1):トービン税と世界貨幣の育成   393

0 はじめに

1 トービン税を支持する理由

2 トービン税の具体案と徴税機関

2-1 スパーンの二重構造課税案 2-2 徴税機関と財源の再配分

3 トービン税批判への反論

3-1 タックス・ヘイブン問題

3-2バリュー・アット・リスク分析

3-3 徴税による市場の不安定化と非効率化 

3-4 金融派生商品への移行

3-5 政治的困難

4 デビッドソンの国際決済同盟案

5 世界貨幣を展望する自生化主義

5-1 トービン税構想の第四段階

5-2 世界民主主義の基礎としての世界貨幣

5-3 市場に埋めこまれた抽象的慣習

10章 〈帝国〉の政策(2):グローバルな正義:自生化主義の弁償術   433

0 はじめに

1 グローバル・インプット論

1-1 ロールズ「正義論」からの出発

1-2 新たなモデルの提案

1-3 起こりうる帰結

2 保護貿易主義と自由貿易主義

2-1 保護貿易主義の負い目

2-2 その弁償論

2-3 自由貿易主義の負い目

2-4 その弁償論

3 グローバルな配分的正義に向けて

3-1 グローバルな配分的正義の特質

3-2 自生化主義の配分構想

あとがき   477

文献

索引


橋本努「二一世紀最初の政治思想――ヒンメルファーブとシュトラウス」


「二一世紀最初の政治思想――ヒンメルファーブとシュトラウス」


『創文』2006年6月号(No.487)所収


橋本努


二〇〇三年四月、アメリカ政府は「大量破壊兵器の脅威を取り除くために」と称してイラクのフセイン政権を倒す軍事行動に出た。フセイン政権はその約一か月後に崩壊したものの、その後統治の空白状態が生じたイラクではテロ行為がいまなお相次いでいる。ウィキペディアの情報によると、二〇〇六年四月三〇日現在、イラク戦争で命を落とした人の数は、イラクの民間人:約一〇万千人、アメリカ軍兵士:二千四百一人(負傷者は一万七千六百五十七人)、アメリカ以外の国の兵士:二百十七人、イラク以外の民間人:五百六十八人、と報告されている。大量破壊兵器の存在が事前に確証されなかったことを省みれば、この戦争は最初から誤りであったことは明白であろう。ところが人間の過ちは、それを糊塗するためにさらなる過ちを導くものだ。最近になって新聞各社は、アメリカが今度はイラクの隣国イランを空爆する計画があることを伝えている(二〇〇六年二月)。独裁政権の保有する核兵器を破壊するために、アメリカは次なる軍事行動を厭わないというのである。アフガニスタンとイラクに続いて、イランもまたアメリカの軍事力によって民主化されるとすれば、これはアメリカ帝国の出現と言うべきであろう。テロ事件後のアメリカの軍事的対応をもって「第4次世界大戦」と呼ぶ人もいるが、はたしてその企てはいかなる世界秩序を帰結するのであろうか。

 この問題を考えるとき、私たちは「新保守主義(ネオコン)」のイデオロギー的検討を迫られる。アメリカが好戦的な態度でもって世界覇権を目指す背後には、新保守主義を信奉する人たちの強力な政治勢力があるからである。歴史的にみると、この思想は一九六〇年代後半のアメリカにおいて形成され、七〇年代以降、次第に影響力を増してきた。そして現在、新保守主義の思想は、共和党と民主党の両党を横断しつつ、アメリカのエリートたちに固有の信念となりつつある。アメリカにおける新保守主義は、今日では「アカデミアの集会所からペンタゴンの集会所まで、ほとんどすべてのレベルの文化に浸透」しており、「新保守主義者たちは、自分たちが考えていることを、電波を通じて大衆へ、またカクテルを通じて政府高官へ、それぞれ伝えるために必要な手段を財政的にも専門的にも蓄積してきた」(『ニューヨーク・タイムズ』)。このいわば「エリート・ゲリラ戦術」とでも呼ぶべき思想がイラク攻撃を鼓舞したとすれば、私たちはその威力を深刻に受けとめねばならないだろう。

ところが現代の思想状況を俯瞰してみるとき、どうも人々は、新保守主義の思想を軽く受けとめているようにみえて仕方ない。例えば新保守主義は、テロ事件後に台頭してきた短視眼的軍事主義ではないかとみなされている。あるいは、一部の政治家たちの陰謀にすぎないとも言われる。またこの思想は、「新自由主義=市場万能主義の思想に、軍事主義を加えたもの」とみなされることもある。だがこうした理解はいずれも誤りだ。新保守主義の思想は抗いがたい実効性をもつがゆえに、真正面から批判されず、かえって茶化されてしまうのではないだろうか。私たちがこの思想を冷笑的にしか受けとめないとすれば、それは恐れるべき無思考性を露呈しよう。新保守主義の思想は、すでに主要な先進国において支配的となりつつある。この思想は将来の日本を方向づけるイデオロギーとしても有力である[1]。私たちはこの思想に対して、いかなる態度を採りうるのだろうか。アメリカ主導の帝国形成に対する思想的批判は、新保守主義に対する根源的な検討を必要としている。

新保守主義の思想といえば、日本ではレオ・シュトラウスの邦訳書、例えば『自然権と歴史』、『古典的政治的合理主義の再生』、『ホッブズの政治哲学』などとともに知られていよう。しかしシュトラウスと新保守主義の関係を検討した研究論文は、実はまだ著されていない。また新保守主義のゴッドファーザーとよばれるI・クリストルの著作は、一冊[しか]翻訳されておらず、ブッシュ政権の福祉政策の思想的バイブルとされる『貧困と思いやり』の著者、ガートルード・ヒンメルファーブの著作群も依然として翻訳がない。このうち、I・クリストルは骨のない思想家であると無視するとしても、ヒンメルファーブとシュトラウスは、現代の新保守主義を代表する思想家である。二人はいわゆるアメリカニズムの価値観を否定して、独自の思想体系を紡ぎ出すことに成功している。ヒンメルファーブは国内政策の理念、シュトラウスは対外政策の理念をそれぞれ代表しており、新保守主義は現在、この二人の思想を中核としてさまざまな知を綜合しつつある。例えば、ベルやリプセットに影響を受けた現代の公共哲学、サンデルやエッツィオーニやテイラーなどの共同体主義、デュルケームに影響を受けた社会学諸派、新自由主義を道徳的観点から包摂する「第三の道」派、経済成長による福祉の底上げを期待する経済プラグマティズム、マルクス主義から批判的実在論を経てアリストテレス主義に向かった現代の左派、等々の潮流である。

また新保守主義の思想は、これをハンナ・アーレントの正当な継承として理解することもできる。アーレントはドイツからの亡命知識人として、二〇世紀中葉のニューヨークを舞台に活躍した左派の思想家である。その思想は現時点からみると、マルクス主義から新保守主義への思想的転換を用意した。例えば、ナチス・ドイツとソビエト共産主義をともに「全体主義」として批判したアーレントの思想は、冷戦期における反共主義と呼応して、新保守主義者たちに受け入れられている。さらに次のようなアーレントの主張は、すべて新保守主義の理念に継承されている。すなわち、アメリカ独立革命こそ近代における最も正当な平和的革命であるとする見解、「権力からの自由」よりも「正当な権力を創生すること」への関心、体系的書物の執筆よりも演劇的-政治的なパフォーマンス(活動)を評価する態度、教育における人種分離政策の支持、生命を配慮する福祉国家を非公共的なものとして批判する見解、エリートたちの高貴な精神にもとづく支配体制の確立、等々である。アーレントの思想は、共産主義とアメリカのリベラル文化の両方に対抗する拠点として、新保守主義の揺籃期を守ったと言うことができよう。

 こうして、さまざまな諸学を綜合する新保守主義は、まさに現代のアメリカ帝国を突き動かす理念的な動因となっており、二一世紀最初の政治思想と呼ぶにふさわしい。例えばシュトラウスの場合、彼は同時代の流行政治学、すなわち実証主義の政治科学にはまったく背を向けて、ひたすら哲学の地底に身を潜めてきた。シュトラウスはナチス・ドイツを逃れてアメリカに亡命したユダヤ系の政治哲学者である。彼は、三八歳(現在の筆者の年齢)でアメリカに渡り、ニュー・スクールで一〇年間、シカゴ大学で二〇年間それぞれ教えている。とくにシカゴ大学では五〇年代と六〇年代において、アメリカのエリート教養教育の確立に努めてきた。シュトラウスの講義は訓古学的なテキスト読解に徹していたが、しかし彼の下で学んだ弟子たちは、その後シュトラウス学派を形成し、アメリカの学界と政治界に大きな影響力を及ぼしていった[2]。例えば、ブッシュ政権で国防省次官を務めたウォルフォヴィッツは、学部時代はコーネル大学のアラン・ブルームの下で学び、大学院ではシカゴ大学のレオ・シュトラウスに師事している。ウォルフォヴィッツはイラク攻撃を推進した張本人である。二〇世紀半ばの静謐なシュトラウスの思想が、二一世紀になってウォルフォヴィッツのような弟子たちを通じてイラク攻撃を導いたとすれば、これは現代思想上の一大スキャンダルと言わねばならない。

なるほどシュトラウス本人は、世界民主化のための戦争を正当化するようなことを述べていない。しかしシュトラウスは次の二つの点で、イラク攻撃への支持理由を与えたと言えるのではないか。第一に、「もしシュトラウスであれば、イラク攻撃に賛成したか」と問うとき、その答えはおそらく「公式にはノーコメント、非公式にはイエス」となるであろう。第二に、「シュトラウスを読んでその思想に共鳴した人は、イラク攻撃に賛成するか」と問うとき、その答えは「イエス」となる蓋然性が高いだろう。シュトラウスは、たんに古典哲学に造詣の深い文人なのではない。もし私たちが彼をそのように尊敬するとすれば、それはシュトラウスに対して失礼であるだけでなく、彼の哲学に対する無理解を露呈するだけである。というのもシュトラウスは、自らの思想を「公儀」と「秘儀」に分けており、彼の企てる古典哲学への回帰は公儀にすぎないからである。例えば、シュトラウスの主著とされる『自然権と歴史』は、近代思想における美徳の衰退を批判して、古典古代の哲学的生に回帰することを「公民的な生き方」として理想視する。しかしこの著作全体は、シュトラウスの「入門書=公儀」にすぎない。新保守主義のコアとなる思想を理解するためには、その秘儀を別の著作から読み解かねばならない。

 ではシュトラウスの秘儀とは何か。私には一つの読みがある。しかしその読解は別の機会(『RATIO』第2号に予定)に譲るとして、以下では新保守主義のもう一人の思想家、ヒンメルファーブについて紹介したい。

ヒンメルファーブはI・クリストルの妻であり、ニューヨーク市立大学で教鞭をとってきた著名な歴史思想家である。思想家としては夫のクリストルよりも数段高く評価されてしかるべきであろう。彼女はこれまで、次のような著作を著してきた。『アクトン卿』(1952)、『ヴィクトリア時代の精神』(1968)、『自由と自由主義:J・S・ミルの場合』(1974)、『貧困の概念:初期産業時代のイギリス』(1984)、『貧困と思いやり:後期ヴィクトリア時代の道徳的想像力』(1991)、『脱道徳化の時代:ヴィクトリア時代の道徳から道徳的諸価値へ』(1995)、『一つの国家、二つの文化』(1999)、『近代へ至る複数の道』(2004)、などである。いずれも水準の高い著作であり、とりわけ『貧困の概念』はかなりの大著で、歴史研究の古典となっている。私たちは彼女の思想を検討することなしに、新保守主義の思想を乗り越えることはできないであろう。ヒンメルファーブは例えばハイエクと同様に、アクトンやミルの思想を研究しつつ、イギリス啓蒙思想の伝統に深く身を置いてきた。しかしハイエクとは異なり、彼女は福祉国家の新たな理念をイギリス思想史のなかに見出している。例えばアダム・スミスやシャフツベリーにおいて「同感」とならぶ重要な道徳感情とされる「思いやり(compassion)」を、一九世紀後半の後期ヴィクトリア期の慈善運動へと結びつけ、これを現代の福祉政策のビジョンに生かしている。クリントン政権における「新しいパターナリズム」政策(市民としての社会奉仕義務を課す福祉給付)や、ブッシュ政権における「チャリタブル・チョイス」政策(福祉プログラムの宗教団体への委託)は、このヒンメルファーブの描く「思いやり」概念を思想的基礎とするものであろう。ここで「思いやり」とは、極端に貧しい逆境生活を強いられている人々の状態に手を差し伸べる際の感情であり、共に苦しむという「共苦」の感情である。「受苦の連帯感情」といってもいい。こうした意義深い思想理念を掘り起こして、これを現実の政策に結びつけていく点にヒンメルファーブの魅力がある。

 二一世紀の政治思想は、すでにヒンメルファーブとシュトラウスによって開始されている。私たちはこの二人によって、時代の駆動因を得ているように思われる。

(はしもと・つとむ/北海道大学大学院経済学研究科助教授/経済・政治思想)

[1] 「二〇、三〇代国会議員調査にみる:日本が『ネオコン』化する」『AERA』二〇〇三年六月十六日号、を参照。

[2] シュトラウス学派は学界と政界に二百人程度いるのではないかと言われている。ワシントンで活躍するシュトラウス主義者として、例えば、ジョン・アグレスト(国家人道寄付機関の議長)、ウィリアム・アレン(合衆国市民権委員会の議長)、ジョセフ・ベセッテ(法統計機関の長官)、マーク・ブリッツ(合衆国情報機関の副長官)、デビッド・エプステイン(国防省勤務)、チャールズ・フェアバンクス(国務省の人権補佐官)、ロバート・ゴールドウィン(フォード会長の特別顧問)などがいる。


書評

書評

一ノ瀬佳也「「善き帝国」のビジョン   【書評】橋本努「帝国の条件:自由を育む秩序の原理」弘文堂、2007年4月公共研究』5(1), 195-216頁、2008年、所収


格差社会の是正とは~『帝国の条件』~

(YOMIURI ONLINE 2007年8月 3日)

評者・鈴木光司さん <作家>

すずき・こうじ=『楽園』で作家デビュー。『リング』シリーズが計800万部のベストセラーとなり、ハリウッドで映画化。欧米を中心に講演活動を行うほか、政府の諮問機関「少子化への対応を促進する国民会議」委員を務める。著作が世界20ヶ国語に訳されている。最新刊『なぜ勉強するのか』(ソフトバンククリエイティブ)

 「格差社会の是正」を旗印に掲げる政治家は多い。彼らに説明してほしいのは、「格差を是正するための具体的な政策」と「その結果として我々は何を失うのか」という2点。是正に成功した結果、我々の社会にそれ以上の不利益がもたらされるかどうか、しっかりとした分析が必要なはずなのに、これが為されていない。

 天秤のバランスを絶妙に保つのが、政治家の役割のはずである。彼らには、是正という行為のもう一方の天秤の先にあるものを提示する義務がある。

 「グローバリゼーションによって格差社会が生まれた」とはよく言われることである。短絡的に考えれば、グローバリゼーションをなくせば、格差社会もなくなるという論法になる。すべての悪は、グローバリゼーションにあり……、そう思っている方は、本著を読むことによって目からウロコが落ちるに違いない。

 よりよいグローバル社会の実現のために何が必要かを真剣に考える著者の態度には、おおいに共感するところがある。特に、「上からの、単一の理性による設計」(トップダウン)よりも、「下からの、多元的な開化による自生、つまり自己組織化」(ボトムアップ)を上位に置くべきという思想は、その通りだと思う。

新たな「善き帝国の秩序」の構想

国際秩序の問題についての理論的考察に全力を傾けてきた結果として切り拓かれた理論的地平

評者・山中優

(『図書新聞』2007年7月21日号、55頁)

世界を“善導”するための「善き帝国」を構想する挑発の書

評者・鈴木謙介

(『中央公論』2007年8月号、231頁)

思想だけがなすべき仕事に取り組む心意気

『帝国の条件』への書評

評者・松原隆一郎

(『週刊朝日』2007年7月20日号)


9.11後の新しい世界秩序と米国の変容を考える予見の書

(『週刊ポスト』2007年6月15日号)

 この本は決して平易ではない。それなのに不思議と内容にひきこまれてしまう。というのは、筆者が地味ながら若手有数の優秀な社会科学者だからという理由だけではない。9.11テロが起きた時、現場のニューヨークに居合わせて朝食をとっていたという臨場感が分析のなかから浮かび上がってくるからだ。それ以来、恐怖に怯えながら世界秩序の問題を考えた結果として、この書物が「崖っぷちから紡ぎ出されている」とも吐露する。それでいながら、「善き帝国の世界」を練り上げて、具体的なユートピアを描こうというのだから、これは野心的にして壮大な企てに違いない。

 「帝国の条件」とは、「善き生となりうる自由を育むための世界秩序」にほかならず、貧しき生を避け、豊かな生を育むための条件を指すようだ。それにしても、いかなる理解や解決をも受け付けないほど根源的な問題を提起した事件を、いかにとらえるべきなのか。そこから導き出される注目すべき点は、9.11事件以降の四つのイデオロギーである。まず第一に、あらゆるテロ行為を全批判するブッシュ政権の見方、第二にテロ行為の背景にある理由が全面的に正しいかもしれないとする反米左翼の見方、第三に米国の市民社会の再興によって事件後の世界を理解しようとする旧民主党の見方、第四に軍備縮小と移民の受け入れを求めるラディカルな自由主義の見方。橋本氏は、最後の見方を受け入れながら、長期的に見てイスラーム移民の「歓待」こそテロ抑止につながるという独特な立場を具体的に示している。

 一見すると著者の立場は、有名なネグリとハートの大著『帝国』に近いように思える。しかし、帝国の動態に始まり、その思想状況、思想的基礎、政策をそれぞれ二、三章を費やして分析する手法は、ネグリらよりはるかに緻密である。そのうえで、米国が「テロリズムの罠」によって世界の秩序形成を主導せざるをえないこと、米国のそうした変容が「ヘゲモニーを掘り崩す帝国」として現れるというのだ。しかも、国際テロ組織「アルカイダ」の活動が「裏の帝国現象」となっていると指摘し、その出現が「最悪のポスト・モダニズム」を意味すると性格づけた。未来の帝国の理想形態は、「支配の正当性」をもたない非正当的秩序として現れ、善き帝国の担い手とは「超保守主義」を信奉する「全能人間」ではないかと考える。

 かなり大胆な推論も含まれているが、自前の未来予測を含む予見の書であることはまちがいない。世界秩序の夢と想像力を次世代につなぎたいという著者の希望は達せられたかに思える。

[評者] 山内昌之(東大教授)

善いグローバル社会をもたらすには

(「朝日新聞」2007年6月3日)

 グローバリゼーションは世界を帝国化する。本書は、この大胆なテーゼを基点として、そこから最大限に公正なグローバル社会を構想しようとする試みである。その眼目は、著者独自の思想としての「自生化主義」の開陳にある。

 著者のいう「自生化」は自由主義の徹底である。自由を徹底することが、多様な個性を持つ諸個人の潜在能力を最大限に引き出す。それが個人と社会の両方に最も望ましい秩序をもたらす(逆に自由という価値は、そのような多様な諸個人の能力を引き出す方向で追求されなければならない)。つまり著者の言う「帝国」とは、自由主義が他の普遍主義的価値主張(たとえば平等)との均衡から解放された、一種のリバタリアン社会主義の世界である。

 思想史的に言えば、本書は、ハイエク的な自生的秩序論とスピノザ的な内在性の哲学との交配でもある。単一の理性による設計によってではなく、多元的な能力の開花のなかから秩序は進化し、そのような能力の多元性は、主体に内面化された既成の(「正常」と「異常」の間の線引きを行う)権威を解除することによってはじめて開花する。

 だから著者は、金融商品の開発であれ社会運動の実践であれ、情報技術の商品化であれ市場を迂回(うかい)した創作活動であれ、ひとびとの創発性の増大として評価できるものはすべて肯定する。そこでは資本や権力に対する表面的な政治的態度は問われない。むしろ資本や権力の立場とそれに抗する立場とが拮抗(きっこう)することで、たがいに創発性を高めあうことが期待されている。自由の普遍性自体を争いえない世界は、ある意味で息苦しいが、帝国そのものは善でも悪でもない。ただ、できるだけ善(よ)い帝国を目指すならば、ひとびとの創発性が活性化される度合いが本源的な尺度となるというわけである。

 本書は一種のユートピア構想への呼びかけである。それは「自生化主義に応える主体として生きよ」という命法にも響く。その背後に激越な啓蒙(けいもう)家の相貌(そうぼう)を見るのは評者のみであろうか。恐るべき問題作の登場である。

[評者] 山下範久(立命館大学准教授・歴史社会学)

9.11以後の光の帝国を新たな基準から読み解く

評者・石崎嘉彦 (『週刊読書人』2007年5月25日、3頁)