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| Knight in Tsutomu no Sekai VII-01 | 大学生のときに自作自演した曲です。


音楽の記 (1) 2003年ごろまでに聴いたCDを紹介します。


◆◆◆◆音楽の記(一)◆◆◆◆

Music Essay no.1. (200306, 200403revised)

音楽批評・橋本努


このページは、私の趣味で音楽作品を紹介していくというコーナーです。お気に入りの音楽をランダムに批評していきます。皆様からいろいろなコメントをお寄せいただけると嬉しいです。

[0]

Son Collage(ソン・コラージュ)

八本のカセットテープ

未発売

(茂木欣一(現在、東京スカ・パラダイス・オーケストラのドラマー)と橋本努の二人のバンド、「ソン・コラージュ」のオリジナル曲集。僕たちが中学生のときから大学生になるまで、約四年間の演奏を録音したカセットテープ(全八本)である。先日(2003.05.)、茂木くんがスカパラのライブの後に僕の家に泊まりにきて、もう20年前になる二人の演奏を久々に聴いた。いろいろな思い出が蘇ってきて、二人で笑い転げて、そして涙が出てきた。15歳のときに二人でバンドを始めて、あの頃はとにかくのめり込んだ。どんどん作曲して、どんどん演奏して、そしてどんどん録音していたのだった。今度いつか、ソン・コラージュの音楽についてもっと詳しく書きとめておきたい。いずれ二人でまた演奏する日が来るだろう。)


[1]

Gidon Kremer

Tracing Astor: Gidon Kremer plays Astor Piazzolla

Nonesuch 2001

ヴァイオリニスト、クレメールの最高傑作ではないだろうか。アストール・ピアツォラの音楽はアコーディオンの音色を原音とするが、クレメールはこれを弦楽三重奏で表現する。その内容は、ピアツォラのイメージからはどこまでも遠く、しかし存在の運命的表現として、どこまでも深い。まるで現世を拒否した修道僧が、徹底して現世的な情熱の世界に、黒いオルギアを注ぎ込むかのような表現だ。あるいは暗い裏道の、ほのかな電燈によって地面に映し出された人の影。その影の中に人生のすべてを表現しようとすれば、それはいかにして可能だろうか。そういった問いが生まれてくるような音楽である。研ぎ澄まされた精神、強度の緊張感、飛び散る線の絡み合い、深い闇に細く鋭くきらめくような空間。私のお気に入りの一枚で、そのリズムはすでに身体に染みついてしまった。


[2]

武満徹

風の馬 武満徹作品集

ビクター 1997

武満徹の合唱曲がすばらしい。無垢な情緒に心が洗われるような心地よさを感じる。ときどき私は「小さな空」という曲を、無意識のうちに口ずさんでいることがある。「青空みたら/綿のような雲が/悲しみをのせて/飛んでいった/いたずらが過ぎて/叱られて泣いた/こどもの頃を憶いだした」(武満徹の作詞)。嗚呼! この音楽の中に、どっぷりと溶けてしまいたくなる。自ずと身体が漲ってきて、なんだか、ここから「帰りたくない」という強情な姿勢になってしまうのである。


[3]

Nguyen Le

Tales from Vietnam

World Jazz 1996

ベトナム文化における一つの記念碑的作品ではないだろうか。民俗音楽やジャズといった領域を超えて、音楽そのものの最高の到達点でさえあるだろう。ベトナムの民俗音楽と昔話を素材に、ジャズ・ギターリストNguyen Leが美しい世界を創造する。民族のナチオを歌うヴォーカル、疾走するギター、ベトナム独特の音階。とにかく演奏者たちの思い入れと意気込みがあって、しかもドライブに満ちた音楽の喜びがある。感激するとはこのことであろう。手放しで絶賛したい一枚だ。


[4]

The Lark Quartet

Aaron Jay Kernis, String Quartet 1-2

Arabesque Recordings 1999

私が最も気に入っている室内楽の一つ。大量の桜の花が怒涛のごとく飛び散るように、弦楽器の複雑な絡み合いが空間を埋め尽くす。旋律は、とくに印象深いというわけではないが、植物たちの春の喜びが、一つの美的世界へと結実している。その表現は圧倒的に耽美的で、植物たちの乱舞する空間の中に溶解してしまいそう。ラーク・カルテットの演奏は、このアルバムに限らずどれも素晴らしいので、いずれまた紹介したい。

Jasper String Quartet version


[5]

山下洋輔(Yosuke Yamashita)

SA KU RA

Polydor, Verve 1990

「さくら」「雨降り」「笹の葉」など、日本の民謡を素材にしつつ、現代のジャズを刷新した記念すべき作品である。私は大学生のときにこれを聴いて、そのあまりの衝撃に眠れなくなったことを思い出す。音楽表現の新しさ、演奏の緊張感としなやかさ、アヴァンギャルドの精神、郷愁あふれる旋律、テクニックとコラボレーションの絶妙さなど、あらゆる点で冒険的であり、しかも完成度の高い作品だ。日本文化なるもののイメージを新ためて表現し、現代の感性をどこまでも先へ連れて行こうとする。


[6]

Victor Wooten

A Show of Hands

Compass Records 1996

ウッテンの最高傑作。ここにはベーシストがなし得るかぎりの音楽表現が追求されているだけでなく、音楽家としての人生を賭けた、「これが音楽だ」「これが人生だ」と言える何かがある。チョッパー・ベースの超絶技巧はもとより、そのグルーヴィーなリズムの中にゆたかな叙情性が光る。都会の夕日が育む感性というべきか、情動が込み上げてくるような旋律が多く、自然とからだに染み込んでくる。都会にたゆたう光と、現存在の存在論が一体化したようなサウンドだ。なおウッテンは、この他のアルバムではロックの音楽を仕事としてこなしているように感じられるのだが、この作品は純粋に芸術的な、珠玉のアルバムだ。生きることの素晴らしさが伝わってくる。

[7]

Nadja Salerno-Sonnenberg (v), Sergio and Odair Assad (g)

Nadja Salerno-Sonnenberg Sergio and Odair Assad

Nonesuch 1999

ソネンバークの女性的でしかも厳しく力強いヴァイオリンに、アサド兄弟の超絶なクラシック・ギターが加わって、まるで不可能な美的世界が現実となったようだ。ギターの繊細なコンビネーションだけでも最高の水準にあるのだが、これに加えて、ソネンバークの大胆かつ繊細なヴァイオリンがしっくりと噛み合う。曲の選択や編曲もオリジナリティに満ちており、圧倒的な印象を与える。なおゾネンバークもアサド兄弟もそれぞれ、これ以前に出したアルバムはちょっと物足りなく聞こえてしまう。それほどにこのアルバムには、演奏者たちの思いが込められている。都市の空気が人間の精神を気高いものにする。晩秋の緊張感を表現してみせたこのアルバムは、ニューヨークという都市が可能にした豊饒な収穫だ。


[8]

John McLaughlin Trio

Que Alegria

Polydor France 1992

私にとって最も感性に響く一枚であるかもしれない。あまりにも個人的かつストレートに響いてくるので、これを表現するための適切な言葉というものを失ってしまう。ジャズとインド音楽の緊張関係の中で腕を磨いてきたジョン・マクラフリン(g)は、このアルバムではクラシック・ギターを用いながら、そこにmidi音源を加えて幻想的な音色を奏でている。フラットレス・ベースや多様なドラム音、例えばタブラなどが効果的に用いられ、知的に複雑なサウンドが、四方八方に炸裂するようだ。フュージョン系、ジャズ系、インド系の音楽が融合されながら、しかし徹底してパーソナルな感性に触れる珠玉の一枚。


[9]

Steve Coleman and Five Elements

Rhythm People (The Reconstruction of Creative Black Civilization)

BMG novus 1990

サブタイトルにもあるように、これは黒人文明の創造性を「格段に」高めた記念すべきアルバムだ。ジャズ音楽史上、驚異の達成ではないだろうか。私が最初にこれを聴いたときは、何が展開しているのだかよく分からないという事態に、スリルと興奮と、そして大いなる予感を感じた。あまりにも高度な緊張感があって、しかも次々と新しいテーマが繰り広げられるので、私はこの演奏に追いつくために、何度も聴いて、それでいまだに相当な時間を費やしている。ドラムやベースを含めて、すべて変拍子。しかもどの楽器も基礎となるリズムを反復するということがなく、つねに新たなコンビネーションへと向かって、互いに自己主張を繰り広げていく。いったいどうしてこんな演奏が可能になったのか!


[10]

Bobby McFerrin

Spontaneous Inventions

Blue Note 1986

ヴォーカル表現の可能性を斬新に切り開いた天才、ボビー・マクファリンの最高傑作である。さまざまな楽器音をヴォーカルで表現しつつ、超低音から超高音までの広域の音声を自由に操るボビー。ワイルドで神聖な、しかも遊び心にあふれる独創的な芸術の達成だ。ボビー一人の舞台のほか、例えば、ウェーン・ショーターのソプラノ・サックスとのデュオでは、ボビーはヴォーカルでベース音を表現するだけでなく、ソプラノ・サックスの音域でもショーターと掛け合っている。音楽がなしうる最高のコミュニケーションではないか。なお、ボビーの他のアルバムは、商業的なニーズに応じたポップス的なものも多く、ときに幻滅させられることもある。しかしこのアルバムでは、彼自身の音楽が徹底的に追求されている。音楽の喜びとは、まさにこの一枚だ。


[11]

Alban Berg Quartet

Bartok, String Quartets Nos.1-6 (disc 1-3)

Toshiba EMI 1988

おそらく私が最も聴きこんできたアルバムではないだろうか。当時の雑誌「FM fan」の新年号に、昨年の音楽を振り返るというかたちで簡単な紹介が載っていたので、さっそくこのCDを買って聴き始めた。四重奏の練り上げられた上質の演奏。これによってバルトークの世界は、いっそう神秘的なものになってしまったようだ。この深刻な音楽に、私はなんども向き合うことを余儀なくされてきた。アルバン・ベルクの演奏を聴くことは、私にとって好みの問題ではなく、否応なく自身を試されるような、ある種の強迫観念、義務感、あるいは、悲観的な運命に落ちていく中でパッシオ(受苦の精神性)を試されるような時である。研ぎ澄まされた演奏に集中して耳を傾けるに値する演奏(全三枚)だ。


[12]

Photek

Form & Function

Science/Virgin 1998

テクノ系、ダンス系のなかでも、異彩を放つ高貴なサウンド。超低音のドラムンベースというジャンルのなかでも、孤高のカリスマといわれるフォーテック、そのインディーズ時代のレアトラックを集めた作品である。いやこれは、驚きのサウンド、これ以上はありえないという完成度を示している。一曲目の「七人の侍」からして、すべての曲が疾走感あふれる珠玉の作品として仕上げられており、効果音の挟み方、シンバル系の高音の使い方、アンビエントな音楽にダンス系テクノ音楽を混ぜるという発想、複雑で予期を裏切る展開、などなど、ため息をつくほど感嘆してしまう。このアルバムには、自らのサウンドの完成度を高めることへの執念深さを感じる。絶賛すべき達成だ。


[13]

Miles Davis

The Complete Live at the Plugged Nickel (4 set)

Sony/Columbia 1995

「マイルス・デイヴィスのアルバムの中でどれが一番好きか」と言われれば、私はやはり、プラグドニッケルでのライブを挙げたい。この演奏は1965年に収録されたものだが、1995年になってはじめて発売されている。ということは、これまでほとんど聴かれてこなかったのであろう。しかしこれが最高であるのは、マイルスがいわゆる商業ベースでのニーズとは関係なく、自らの音楽を徹底的に追求するという姿勢でライブに臨んでいるからだ。驚くほどの緊張感、徹底した演奏、重厚なサウンド。あらゆる点で完璧である。音源の再生処理もすぐれている。まるで当時の緊迫した空気が伝わってくるようだ。このアルバムは大量のCDセットなので圧倒されてしまうが、ハイライト版も発売されている。「これを聴かずして死ねるか!」とか「これだけ聴けばよい!」という言葉がよく似合うような、ジャズ・ファン必聴のサウンドである。


[14]

山下和仁

Kazuhito Yamashita Plays J.S. Bach (5 set)

Nippon Crown 1992

記念すべき現代の金字塔であろう。山下仁のギター独奏による、バッハ・セット全五巻である。「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ全曲」「無伴奏チェロ組曲全曲」「リュート組曲」を収録する。これだけの演奏を完成させるためには、いったいどれほどの情熱と執念が必要であったのだろう。山下和仁の人生、そのギターにかける情熱は、人を感動させずにはおかない。バッハの音楽に深くコミットメントして、人生すべてをこれにコミットメントし尽くすという熱気が伝わってくる。技巧的に圧倒されるだけでなく、音楽の賛嘆、厳しい演奏から生まれる美的オルギアがここにある。「これが人生のすべてなのだ」と言える地点に到達した、恐るべき演奏だ。私が尊敬してやまないギタリスト、山下和仁の最高傑作である。


[15]

Bondage Fruit

MABOROSHI NO SEKAI 1994

現代日本のプログレッシヴ音楽集団、ボンテージ・フルーツのファースト・アルバム。これを最初に試聴したときは、あまりの凄さに切れてしまった。アフリカの始原的なリズムに、ボンテージ系の強力で倒錯した知性と肉体が突っ走っていくような興奮だ。おそらくこのバンドの技量は、作曲、編曲、演奏技術ともに、プロの中のプロと呼びうる最高水準にあるだろう。これ以上に強力なエネルギーをもつオルギアの空間を、私は知らない。原始の舞踏、空を飛行する少年、あらゆる音楽を知り尽くした人だけがもちうる笑い、身体の強度がもつ美の表現、痙攣する肉体に注ぎ込まれる知性――。このような表現をすれば、これは大変な音楽だということが分かっていただけるだろう。とにかく大音量で聴くべし。強力な青春を送りたい学生の必聴アイテムだ。


[16]

Blue Asia

Hotel Rechampur

King Record 2002

1960年代のインドネシアでは、スハルト大統領の下で西洋音楽の輸入が禁止されていた。そのおかげもあってこの国では、かなりユニークなポップス文化が発展したようである。インドネシアの各地方に伝わる伝統音楽をポップスとして発展させることが奨励されており、しかもそこに東南アジアのポップス文化とイスラム文化とが融合されて、独特の音楽が生まれている。このアルバムではそうした音源を混ぜ合わせながら、また音源を自由自在に変形して、ハイパー近代的なインドネシアン・サウンドを生み出している。近未来アジア系の、グルーヴィーなパーティ・サウンドだ。なおミキサーたちは日本人であり、これは現代ミキサー文化の一大成果ではないかと思う。音源をミックスしていくことから生まれた珠玉の芸術作品。いやはや、日本のミキサーたちの「耳」の進化には脱帽である。リミックスとは音楽上の考古学なのである。


[17]

Meredith Monk and Vocal Ensemble

Do You Be

ECM 1987

学生の時分にこのアルバムを聴いて、言葉と生活感覚の両方を失ってしまった。生活の中断。それほどの衝撃だった。メレディス・モンクのヴォーカル芸術、その最高傑作である。ペルーの暗いキリスト教中世文化の聖歌と、サティのように反復するピアノ、ジャングルの野生動物たちの叫び、そして「恐れ」と「嘆き」。まるで地球そのものが、遠い故郷となってしまった生物たちの、その記憶を歌いあげるかのような世界である。彼女のヴォーカルはときに神聖で、無邪気で、また野生の高貴さをもち、世俗の規範的世界を超越したところに自由な歩みをすすめる。野生の迫力が神聖なものとして立ち現れると、もうこれは祈るほかない。


[18]

Claude Helffer

Pierre Boulez, Trois Sonates pour Piano

Astrée-Auvidis 1986

現代音楽を代表するブーレーズのピアノ・ソナタ。緊張と弛緩、集中と散逸、複雑と単一、速度と平面、などなど、ピアノ音による抽象的表現の可能性を深く追求する。とくに重要なテーマとなっているのは「強度」そのものだ。演奏の美的強度によって、音が流れるすべての空間と時間を支配してしまうような凄みがある。炸裂する音、爆発する音、酔う音。不協和音のあらゆる複雑さの中で、一定の構成と秩序を生み出していく。ブーレーズの創造性は、狂気のメタ・レベルに秩序を発生させることにあるのだろう。安定した基盤がまったく存在しないというのに、音の不安定な連なりの中で、天上の空間­が顔をのぞかせる。天井が立ちのぼる、あるいは映し出される、といった感じである。なぜそれほどまでに美を投射しうるのか。恐ろしい音楽である。

なお参考までに、ブーレーズの大学講義、『標柱:音楽の道しるべ』青土社、も挙げておきたい。


[19]

Teiji Furuhashi

Dumb Type 1985-1994

Foil Records 1996

日本の演劇シーンに確かな足跡を残してきた「ダム・タイプ」。そのリーダーであった古橋氏がエイズで亡くなるまでに作られた、主としてパフォーマンスのためのエレクトリック・サウンドである。これは侮れない。ダム・タイプの都会的で叙情的な感性は、私たちの平凡な日常生活イメージを一新するだけの魅力をもっているだろう。機械音や電子音に囲まれた私たちの生活から、それら一つ一つの音がその機能的な意味を離れて、宙に舞っていく。無機的で無意味な都会の空間は、実はこれほどまでに魅力的な感性を宿していたのであった。五曲目の「エンプティ・クエスト」は、そうした意味での空虚さが、実は探求に値する興奮を生み出すことを示している。思わず口ずさんでしまいたくなるリズムのベース・メロディも印象深い。また最後の曲、エイズに感染してから作られた作品「ラヴァーズ」は、死を予感させるリリシズムに満ちている。


[20]

Shlomo Mintz, Yefim Bronfman

Serge Prokofiev, Violin Sonatas

Deutsche Grammophon 1988

ミンツの超絶なヴァイオリンと、ブロンフマンの切れまくるピアノ。超絶と狂気にみちた演奏だ。これは競演というよりも、これはひとつの闘争ではないだろうか。聴く側の身体がもつ感受性をすべて動員してしまうような、恐ろしく高揚した時間が、ここに流れている。高揚に継ぐ高揚、そして耽美的な情感がほとばしる。これこそ、偉大なプロコフィエフの芸術作品なのかもしれない。このヴァイオリン・ソナタは、私が学生の頃から聴いている愛聴盤の一つ。20世紀音楽芸術のひとつの到達点ではないか、とひそかに思っている。


音楽の記 (2)

◆◆◆◆音楽の記(二)◆◆◆◆

Music Essay no.2. (200511)

音楽批評・橋本努

このページは、私の趣味で音楽作品を紹介していくというコーナーです。お気に入りの音楽をランダムに批評していきます。皆様からいろいろなコメントをお寄せいただけると嬉しいです。


[21]

Paco de Lucia

La Fabulosa Guitarra de Paco de Lucia

Philips 1967

スペインが生んだ至宝のギタリスト、パコ・デ・ルシア。その彼が若干二十歳で録音した初ソロ・アルバムである。フラメンコ音楽の伝統を正当に継承しつつ、驚くべき技術と気迫をもって、一つの完成された世界を創り出す。その威風堂々たる演奏は、はたちの青年とは思えない到達点を示していよう。スペインの精神をこれだけ見事に表現したものを、私は知らない。貧しい家庭に生まれたパコ・デ・ルシアは、父親からフラメンコ音楽を徹底して教え込まれたというが、その音楽は、上流文化のもつ存在の祝福とは無縁の、厳しくも美的で、高貴な存在感を放っている。〈不朽の名盤〉という名に相応しい一枚だ。


[22]

Pat Martino

Footprints

32Jazz 1997 (originally released in 1975 on Muse Records)

道化師的な卓越性を示すパット・マルティーノのギターは、このアルバムではしっとりとして深みがある。「あなたはこれから、残りの人生をどうするのか」という問いにふっと直面する瞬間。その瞬間に、これまでの人生の道程がまるで異次元の空間に「足跡」を残してきたかのような幻影にまどろむ。暗い闇の中に足跡を移して、われわれの魂をどこまでも遠くに運んでいく。そんな魅力を持ったアルバムだ。70年代の録音であるが、時代を超える普遍性をもった「都市の感受性」を表現する。それは都会の霧に包まれた静寂に走る旋律であり、儚く切ない耽美的叙情性を描いた傑作である。マルティーノとともに、夜の思索に耽りたい。


[23]

Glenn Gould(グレン・グールド)

J. S. Bach: Goldberg Variations, etc.(バッハ:ゴールドベルク変奏曲)

Sony Records 1992 [originally recorded in 1955, 1957]

バッハのゴールドベルク変奏曲に斬新な感性を注ぎ込んだ名演、霊感に満ちた若きグールドの、記念すべき処女作である。他の解釈に囚われることなく、自由な精神をもってバッハの音楽と向き合うその姿勢に、私は大きな感動を覚える。演奏は、細心の注意深さと即興の飛翔とを同時に備えており、これこそが古典を現代に蘇えらせた傑作なのだと実感する。古典と現代、情熱と演奏術、耽美と規律の美、悲哀と青春、伝統と斬新さ、速度と滞留、光と影、等々、ここにはそうした芸術表現のすべてが凝縮されて、一つの完成された世界をなしている。「完成」とは、そこに一個の生命すべてが賭けられた時間の流れに他ならない。グールドが放つ音は、厚い伝統の中から飛び出た魂の、一つの結晶である。


[24]

Glenn Gould(グレン・グールド)

J. S. Bach: Goldberg Variations, etc.(バッハ:ゴールドベルク変奏曲)

Sony Records 1982 [recorded in 1981]

1955年に処女作「ゴールドベルク変奏曲」でデビューしたグールドは、1982年に50歳で亡くなるその直前に、もう一度この「ゴールドベルク変奏曲」の録音に挑戦している。55年の録音が若き飛翔であるとすれば、81年のこの録音は、グールドがこれまで歩んできた人生の到達点を示していよう。音のテンポの緩急は深い考察に支えられ、技巧的な部分は旧盤よりもさらに練られており、ゆったりとした部分は音の響きが多方向的で開放的である。しかしこのアルバムの最大の魅力は、人生を深く考察してきたグールドの、一つの終極性を表している点にあるだろう。「私が歩んだ人生は、結局、こういう音楽に集約することができるのだ」という完成の理想だ。人生はかく在りうるということに、感慨深い思いがする。


[25]

Zoltan Kocsis (p)

Bela Bartok: Works for Piano Solo 1-4

Philips [recorded in 1991]

ハンガリーの鬼才ゾルタン・コチシュが、同国の作曲家バルトークのピアノ・ソロ曲を全四枚に吹き込んだ。それはまさに神業とでも言うべき作品群だ。神業といっても、ポピュリスト的な崇拝の意味ではない。演奏は高度に鋭敏な洞察に満ちており、一つ一つの音が深い考察に支えられて、まったく新しい次元を開示する。バルトークのピアノ曲はどれも1-2分程度の小品であるが、それらはコチシュによる徹底した解釈を待たなければ、おそらくこれほど高度な作品として生まれることはなかったのではないか。音色の驚きとその美しさ、そのすべてが心の襞を直撃する。ピアノソロのアルバムとして、私が最も評価するのはこのコチシュ。バルトークの世界を深く掘り下げた瞠目すべき達成である。


[26]

King Crimson

Discipline

EG Records 1981

キング・クリムゾンのアルバムの中で、最高傑作にしてデビュー作「クリムゾンキングの宮殿」の次にどれがよいかと問われれば、私は迷わずこの「ディシプリン」を挙げたい。中学生の時分からこのアルバムを聴きこんできた私にとっては、必然である。聴けば聴くほど、その奥深さと音楽性に魅せられていくアルバムだ。その圧倒的なメロディと音作りの独自性には、古典と呼ぶに相応しい大いなる肯定の勢いがある。なるほどこの作品は、処女作「宮殿」に見られる狂気とファンタジーの融合というテーマを欠いているが、別の基準からみて、ロック史上最高のサウンドであると言うことができる。それはある平面に厚みをもって複雑に構成された、野性的な抽象絵画のタペストリーであり、あるいは、怒涛の「うねり」をもった「差異と反復」(ドゥルーズ)の知性であるだろう。


[27]

Billy Cobham

Spectrum

Atlantic 1973

ロック史上に残る孤高の名盤、高踏不良美学の誕生である。ビリー・コブハムの超絶なドラミングが疾風怒濤のごとく炸裂し、ヤン・ハマーのエレキピアノとシンセサイザーが挑戦的な閃光をとどろかす。演奏全体が前のめりになって抉るように進み、終まいには肉体の臨界点にまで到達する。繰り広げられる非日常の世界に、音楽固有の陶酔がある。技巧的に魅せるシンセサイザーの美学と、耽美的なまでに渋くて深いベースとドラムのコンビネーション。70年代的なリズム・サウンドのこの構成は、不良少年がダンディーな大人へと成長していく途上に歩む一つの道に他ならない。強度ある生活を掘り下げるための、「決まり」のアイテムである。


[28]

John Cage

Ryoanji(龍安寺)

Hat Hut Records 1996

六世紀後半の日本仏教が切り開いた枯山水の美学、そして十五世紀に完成した竜安寺石庭の美学は、20世紀の音楽家ジョン・ケージによって、新たな美の眼差しを得ることになった。「石庭」はそれ自体がニマリストの芸術であり、音楽におけるミニマリストのルーツとして位置づけることもできるだろう。ケージはこの作品において、音を徹底して簡素にしつつ、そこに木や石や砂といった自然のもつ精神的なアレンジメントを表現する。十五の石の配置を一つの打音が追い、様式化された幽玄な水の流れを、フルートやオーボエが辿る。線を滑らかにたどる音が、不規則に、しかも、いつ始まるとも終わるとも分からない時間の流れを創り出す。それぞれの音のあいだに残る「無」の空間は、精神の「虚空」なるものの表現である。1962年に竜安寺の石庭を訪れたジョン・ケージは、1982年にこの曲を完成させている。


[29]

林光合唱作品集

木のうた・鳥のうた(Choral Works by Hikaru Hayashi)

Fontec 1999

疲れた心にぐっと染みこんでくる音楽、まるで魂が溶け出て、世界に広がっていくようだ。林光の80年代の作品、これはもう、私が手放しで絶賛したい一枚である。混声合唱とピアノのメロディが相互に独立した豊穣性をもっており、それでいながら全体が結晶のような輝きを放っている。コロスと生命の息吹を表現した最高の作品だ。「地(つち)のなかから 吸いとられたものは もういちどまた 地にもどっていく そのとき木は かならずふるえる」。この温もりは、どれほど私の心を癒してくれことだろう。後半の「鳥のうた」も、簡素でありながら深い抒情性をもった作品だ。笛のパートが、ピーチク、パーチクと、小鳥の合唱のように加わり、演劇的な空間を演出する。風邪を引いてしまったら、私はいつもこのアルバムに頼っている。


[30]

Larry Coryell

L’Oiseau de Feu, Petrouchka(火の鳥、ペトルーシュカ)

Philips

学部生の頃にたまたま大学祭の出店で見つけたこのアルバム(当時はLP)を聴いて、当時の私は立ち直れないほどの衝撃を受けてしまった。多感な青年時代に、遭遇すべくして遭遇した稲妻のような電撃である。フュージョン界で定評のあるギタリストのラリー・コリエルが、このアルバムではギター一本でストラヴァンスキーの大曲に挑戦する。そしてその演奏は、他人を寄せ付けない、鬼のような凄みを持っているではないか。なんという激しくも孤高のパッションであろう。多面的な音楽性をもつコリエルの作品の中で、これほど人生の賭けに出たアルバムを私は知らない。もはやフュージョンを聴いていられなくなってしまった。このアルバム一枚が私の人生よりも重みがあるということを、当時の私は直感したのであった。


[31]

Erik Truffaz

Mantis

Blue Note 2001

近未来的なイスラム・ジャズの誕生である。イスラム型ポスト近代の若者たちがかかえるであろう内面的思索の美学などというものは、いまだ予感でしかないのだが、それをすでに音楽が先取りしてしまったようである。アシッドなスネア・ドラムが鋭くも平面的なリズムを刻む中、抑圧と狂気のあいだでギターが踊りだす。ウッド・ベースの表現力も効果的で、音のあいだの静的な空間に一瞬のスキットを侵入させてくる。音楽はやがてトランペットの奏でる壮大な精神空間へと私たちを連れ出し、リリシズムに満ちたその音色が辺り全体に反響する。ジャズのルーツをアフリカに辿れば、そこにはすでにアラブ音楽の影響がある。そのアラブのルーツを近未来的な空間に復活させたのがこのアルバムだ。耽美的なイスラム近未来青年のために、この一枚を記念したい。


[32]

Branford Marsalis Trio

The Dark Keys

Columbia 1996

恐ろしいほどまでに透徹した至高の芸術、群を抜いたジャズ・トリオである。ジャズの音楽から媚を売る要素を排し、安寧な心地よさを排し、テクニックの見せつけや斬新なアイディアによる驚かしの要素までも排す。しかもそこから、音楽が人の内面に響かせる要素を排して、ジャズ特有の会話的駆け引きといったものまでも排しているのだが、いったい、そこに残る音楽だけを取り出してみると、これは一つの驚異である。残された要素こそ、真の芸術にふさわしいのだ。抽象芸術を生み出すことそれ自体をテーマとして、ジャズの可能性を徹底的に追求した一枚、音楽史上に残る最高の到達点であるだろう。タイトルにある「ダーク・キーズ」とは、一つのスタイルを徹底して追求した音楽家が、深く沈潜した探求の末に発見したコードのように思われる。


[33]

Hargen Quartett

Mozart: Die 》Haydn《 Quartette (The 6 “Haydn” Quartets) 3vols.

Deutsche Grammophon 2001

ルトークやコダーイなどの現代曲を自在にこなしてきたハーゲン・クァルテットが、結成から約20年を経てもう一度向き合ったモーツァルトの作品群は、現代の演奏技術を駆使して生まれた知のエスプリである。閉めるべきところで浮かし、情感を込めるべきところで加速する。モーツァルトの既成観念は換骨奪胎され、四重奏の色彩が可能なかぎり追究されている。その解釈は、主知主義の危険な革命ですらあるだろう。かすれた弱々しさと狂気が繰り広げる音の美学が、モーツァルトの楽譜から可能になる。一つ一つのバイオリンに耳を澄ませると、かなり考え抜かれているようで、そのすべてが有機的な流れを構成する事実に、あっと驚かされる。革新的ではあるが、演奏者たちの演奏はすっかり身体に馴染み、受肉化した自然さがある。現代の古典と呼ぶにふさわしい。


[34]

Steve Coleman Group

Motherland Pulse

JMT 1985 → Winter & Winter 2001

このあまりにも手を抜いたジャケットの絵から想像することはできないが、80年代のジャズを代表する傑作、いやむしろ、時代を代表しない稀有の傑作といったほうがいいだろう。独創的なメロディ=ソロの展開、細心の技巧、緻密で完璧な構成、大胆かつ母性のように安定したサックスの音色、……。これだけ斬新な演奏であるにもかかわらず、演奏家たちは、時代の先を読むという「気負い」を見せていない。すでに、母なる大地に達しているのである。またその境地の幽玄な神秘性は、聴く者を不思議な無時間空間へと連れていく。ポストモダンの軽薄な時代から抜け出て、いつまでも古くならない古典となった一枚だ。ジュリ・アレン(ピアノ)とカサンドラ・ウィルソン(ヴォーカル)の若き感性にも、すでに王者の貫禄がある。このCDを80年代の同時代に聴かなかった私は、とても後悔している。もし同時代に聴いていれば、当時の私の時代認識を根底から変えたようにも思うのである。


[35]

Henri Texier/ Azur Quintet

Strings’ Spirit

Label Bleu (France) 2003 LBLC6648/49

そうだ、これだ。これが歩むべき道だ。はじめてこのアルバムを聴いたとき、私は人生後半の旅路に広がる漠たる不安に対して、一つの指針を得たような気がした。何かに縋(すが)りながらも、心の奥底に大いなる肯定の感情が沸いてくる。「これでいいのだ、これでいこう。」ウッド・ベースとスネア・ブラシの慎重なリズムに支えられながら、クラリネットやストリングスが奏でるメロディに、静かに「肯」と頷づくことができる。そして手を握りしめ、リズムとともにゆっくり歩み始める。アヴァンギャルド青年が迷いに迷ったのちに進むべき道とは何か。その答えがここにある。破壊的でありながら上質で麗しく、哀愁のなかにありながら、力強く瑞々しい。演奏家たちがこれまで奏でてきたすべての不協和音が、人生の叙情的主題化へと向けて耽美的に通じているようだ。とくにDisc 1 三曲目のSerious Sebは、人生の道しるべとしたい。


[36]

上原ひろみ

Another Mind

エマーソン・レイク&パーマーの代表作「タルカス」を凌ぐベース・ラインである。しかもこれは、真剣勝負の演奏だ。気迫とグルーヴにあふれる第一曲目を聴いたとき、忘れかけていたプログレなる音楽の本質が、鮮やかな感動とともに蘇えってきた。およそ日本人ほど世界的にプログレッシヴ・ロックの音楽に通じたリスナーはいないが、そのリスナーたちを唸らせる本物の才能が現れたことを喜びたい。上原ひろみのピアノは、知の逞しき精神を探究しながらも、しかしその精神をすべて沸騰させてしまうだけの熱い野性をあわせもつ。これはジミー・ヘンドリックスやフランク・ザッパなどに共通する音楽の野性魂を、現代ジャズにもちこんだ快作であろう。上原の第二作目「Brain」も第一作目を凌ぐ勢いだ。演奏の一つ一つが、真新しい感性によって実存全体を投企するような、強度の緊張感に支えられている。


[37]

Bulgarian State Radio and Television Female Vocal Choir

Le Mystère des Voix Bulgares Vols.1-2.

Elektra Nonesuch (Explorer Series) 1987/88

生の苦悩を天上の響きによって昇華するブルガリアン・ボイス。すぐれた女性ボーカルの発掘・抜擢・訓練によって徹底的に磨き上げられたその調べは、たんにブルガリアの民族の誇りとなる文化的結晶であることを超えて、これまで世界の人々を、深い精神的世界へといざなった。さまざまな名盤があるだろうが、そのなかでもこのCDは、1957年から1985年までの録音の中から、上質の音楽を妥協なく伝えるレーベル、エレクトラ・ノンサッチが選んだベスト版(2枚)。内なる声のミクロ・コスモスに、高校生の頃の私もまた心を奪われた。生の受苦とは、民族として与えられるがゆえに宇宙論的な広がりと奥行きをもつのだろうか。受苦が癒される聖なる共同体へと吸い寄せられながら、その世界は、自らが精神の内部に没入する際に現れることに気づく。


[38]

Nusrat Fateh Ali Khan

En Concert a Paris 1-4

Ocora Radio France 1997

大学生の時分にヌスラート・カーンの音楽を聴いて、この脂ぎったおじさんの神秘的な熱唱に、度肝を抜かれてしまった。この音楽の魅力は、すべてを厳格に受けとめようとするイスラム教の精神世界に、ヒンズー教の優美で魅惑的な「陶酔」の感覚を融合させたところにあるだろう。イスラム教は音楽そのものを禁止するが、ヒンズー教は艶美な陶酔音楽の文化そのものである。この二つが融合して、見事なほど完成度の高い音楽が生まれているのだから驚きだ。現世内的生活において、生活のすべてを音楽の規律と陶酔の中に巻き込んでしまう点に、カーンの至芸があると言うべきか。カーンの声には「狂おしき精神の強度」がある。その音楽は、宗教的行為のための舞台的効果を狙ったものではなく、音楽を通じて精神の高き境地へと登っていく。


[39]

Guem & Zaka

Percussion

Le Chant du Monde 1978→1985

フランスから発信されたアフリカン・ドラムの最高傑作ではないか。無限に多様な打ち方と音色をもつアフリカの打楽器を、これほどまでに使いこなした作品を私は知らない。一つ一つの太鼓の音色が洗練されているだけでなく、その意外な組み合わせから生まれる色彩、多数のタムの音色が生み出すメロディアスな音階構成、グルーヴィーな流れに沿うような音の抜け方、等々、どの技術をとっても、ひたすら感心してしまう。複雑な打楽器の音を組み合わる過程が面白い。しかもため息が出てしまうほど、完成度が高い作品だ。ドラムの組み合わせからなる音楽は一般に、リズムを繰り返す過程で精神を狂乱状態(祝祭的なエクスタシス)へと誘うが、しかしこのアルバムで反復されるリズムは、その狂乱をつねに遅延化して、リズムの規律と新たな展開を与えていく。狂乱状態一歩手前の緊張が全編にわたる作品だ。


[40]

Black American Freedon Songs 1960-1966

Voices of the Civil Rights Movement vols.1-2.

Smithonian Folkways 1997

アメリカのスミソニアン協会から発売された資料的価値の高い作品。一九六〇年代のアメリカにおける公民権運動の過程で、黒人たちが解放を求めて歌った曲を編纂したアルバム(全2巻)である。教会や野外で歌われた当時の音源であるから、歌い手と聴衆が一体化した臨場感があり、その肉声は気迫と希望に満ちている。アメリカにおいて「自由」とは、最初から保障されていた権利ではなく、市民運動の中で積極的に勝ち取られていったものだということ、しかもその過程で、爆発的な文化的変動を伴っていたことに気づかされる。とくに、黒人たちの解放ソングがもつ政治的表現力と自尊心のエンパワメントは、感動的だ。Freedom, Give us freedom! No segregation over me! 自由という理念がこれほどまでに希求された時期に、自由主義者たちはヒューマニスティックな感動の原点をもつ。


音楽の記 (3)  2006年ごろまでに聴いたCDを紹介します。

◆◆◆◆音楽の記(三)◆◆◆◆

Music Essay no.3. (200610)

音楽批評・橋本努


このページは、私の趣味で音楽作品を紹介していくというコーナーです。お気に入りの音楽をランダムに批評していきます。


[41]

Joseph Kobom

Xylophone Music from Ghana

White Cliffs Media (Arizona)

傑出したリズム感覚を誇る音楽大国といえば、アフリカのガーナ。そのガーナで、インドネシア生まれの木管楽器サイロフォーンを駆使した演奏が繰り広げられる。左右別々のリズムで管を叩くという技術から、複雑怪奇なリズムが生み出される。それがなんともいえない神秘的な空間構成となる。奏者は演奏中に、キース・ジャレットのように陶酔した声を上げるが、その声は自己の世界を築き上げた者のみが到達することのできるエクスタシーの証左であろう。サイロフォーンには、原始的な空間において自己を陶酔状態に持っていくような「陶酔的覚醒」の魅力がある。バリ島のガムラン演奏団とは違って、ガーナの奏者はひとり孤独に意識を離れて演奏に没頭していく。聴き手は身体の力を抜いて、どっぷりと浸るしかない。


[42]

Frank Zappa

Jazz From Hell

RYKO 1986

1980年代の前半、日本ではYMOが一世風靡していた時代に、フランク・ザッパは驚異の電子音楽的世界を生み出していた。電子音のプログラミング可能性がいっきに広がりをみせた時代の、音楽技術の可能性を限界まで探究した結晶的作品である。それまで人間臭いロックを売り物にしてきたザッパは、ここでは冷血非情の悪魔となる。全編にわたって続く緊張感、散りばめられた奇怪音、フレーズの断片化とその異他的な節合、人間の演奏技術を超える高度なプログラム演奏、闇に広がる音の余韻……。既成の音楽を超えて、狂気がほとばしるような実験が繰り広げられる。しかもその実験には、究極の完成度が備わっている。7曲目ST.ETINNEのギター・ソロは、デーモンの英知だ。ザッパの音楽に不可能性はないのか。限りなき悪霊たちを呼び集めた、魔性の美学である。


[43]

Herbert Remix

Secondhand Sounds (2CDs)

Peacefrog Records 2002

ニューヨークのCDショップ「ヴァージン」でこれを視聴して、リミックス音楽にもこれだけ耽美的な作品があるのかと驚いた。しかしその時の私はとりあえず買わずに帰宅して、一週間後に再び買い求めに行ったのであるが、すでに時遅しである。店のフロアからこのCDは消えていた。さらに悪いことに、私は本CDのタイトルと演奏者を忘れてしまい、ジャケットのイメージだけがぼんやりと頭に残るだけとなってしまった。あとになってから、かなり悔やんだことを思い出す。

それからずいぶんと時間が経って、日本に帰国した私は、駄目押しではあるが、タワーレコードにメールで問い合わせてみた。CDのジャケットの印象を、なんとか言葉で説明したのである。すると一週間後になって、「あなたのお探しのCDはこれこれです」という解答が返ってきた。日本のタワーレコードの情報捜査力、恐るべしである。

ハーバートの音楽は、微細な襞にこだわるノイズ音に、憂鬱な女性ヴォーカルの美声を加えてくる。耽美的である。


[44]

Mino Cinelu

Mino Cinelu

Bluethumb Records 1999

ミノ・シネルの名は、ウェザーリポートに参加していたパーカッショニストとして有名であるかもしれない。だが彼の才能は、あらゆる既成の音楽を超えて、世界の大地に凛と立つ。虫の音や古典楽器の繊細な感受性を取り入れながらも、大胆かつメロディアスな構成でもって、正面からストレートな波動を投げかける。これはすでに、現代の古典と呼ぶにふさわしい記念碑的作品ではないか。演奏といいヴォーカルといい、これだけの才能に恵まれて、なおかつ自分の世界をワールドワイドに拡張することに成功した人を私は知らない。文化のグローバルな融合がもたらした、新たな芸術運動の到達点であろう。ミノ・シネルの芸術には、すべてを肯定しうるような抗いがたい魅力がある。


[45]

Kurt Rosenwinkel

The Enemies of Energy

Verve 1999

現代ジャズの洗練された美学の一形態であろう。サックス、ギター、ピアノ、それぞれが一つ一つの音にこだわりをもちながら、それでいて全体の複雑で構成的な調和へと向かっていく。これほどの完成度を生み出すためには、作曲段階で各パートにかなり細やかな指示を与えるか、あるいは演奏家たちの関係を高めていく努力が相当に必要であったのではないか。クート・ローゼンヴィンケルの美学は、知性と詩情に訴える。壊れそうでいながら、しかし構成力の力強さがある。細部のこだわりを練り上げるその周到さ、感受性の繊細さ。それらが気になって、何度もていねいに聴き返してしまう1枚だ。


[46]

Ry Cooder / Manuel Galbán

Mambo Sinuendo

Nonesuch/ Perro Verde 2003

晩年のライ・クーダーがすごいことをやってくれた。1950年代のキューバ音楽を再現する音作りで、まるでタイムスリップしたかのように、私たちを甘く怪しげな南国の哀愁に誘いこむ。演奏は2002年、キューバのハバナでの録音であるが、制作者・演奏家たちのこだわりは並大抵のものではない。いわば古楽の楽器や演奏技術を再現するかのように、キューバのレトロな楽器、音源、録音技術、等々を現代によみがえらせる。少し割れ気味のストラトキャスターの音、フラットなひずみを持った低音、4人がかりで叩くパーカッションの奥行き、シンバルやスネアドラムの抜け方、どれをとっても味わい深い。「マンボ・シヌエンド」という曲がとくに傑作だ。良き古きキューバ社会には、本当に音楽の魅力があふれているのだなと思う。


[47]

Larry Coryell

Timeless

Savoy 2003

80年代のラリー・コリエル(g)は、ウェス・モンゴメリのギター奏法に回帰して、スタンダードなトリオ作品をたくさん演奏していた。当時はしかし、こうした演奏は商業的には受けなかったのであろう。ようやく21世紀になってから、そのライブ演奏がCD化されることになった。これがなかなか味わい深い。80年代の私は、実はラリー・コリエルに大いに影響されてきたとはいえ、こうした演奏を知らないですごしてきたのだから恥ずかしい。80年代というのは、自分が経験していたよりも、もっと豊かな文化だったことを改めて発見する。それをいまさら思い出として取り戻すかのように、私はこのアルバムを大切に聴いている。


[48]

Joyce

Music Inside

Verve Forecast 1990→2005

60年代後半から70年代にかけてのジョイスは、ブラジルでニューミュージック系のボサノヴァを歌うチャーミングな女性シンガーであった。ところが80年代に円熟した才能をみせた彼女は、その成果を携えてアメリカの音楽シーンに登場する。1990年、強力な共演者たちに恵まれて、ニューヨークで録音したのがこのアルバム。メロディアスな曲に、爽やかなヴォーカルとギターの涼風で、例えばそれは、北海道の夏のおだやかな、夕暮れの風景などによく似合う。Homeland of mine, Mother of my destiny, That’s my music to me…音楽に生き、音楽に運命をゆだねる。そんなジョイスの歌声を、私はよく口ずさむことがある。ビートルズの「ヘルプ」を編曲した作品も、静謐で悲しい奥行きがある。


[49]

Patricia Barber

Companion

Blue Note/ Premonition 1999

シカゴのインテリ・アンダーグラウンド・ライブハウスに鳴り響く、気だるいディレッタントなリズムに酔いしれる音楽。現代詩をブルースの囁きに乗せてみると、かくもハイセンスな音楽が生まれるのだから不思議である。シンガーのバーバーは、乾いた声で「狂おしき詩情」というものを粋に描いてみせる。それが抜群の感性なのだ。An altered scale to slap and tickle, a dilettante’s muse, a passing chord to woo the flatted five, “Blue ’n green” to inspire a tired guitarist who dares to reharmonize…音を削いで削いで、粋な光を放つものだけを、静かに壊さないように集めていくという過程がまずあって、そして今度は、それを地下でグルーヴするように演奏する。するとそこに無限の広がりが生まれて、地下にこそ「深き本質」があるというような気にさせてくれる。


[50]

John Beasley

A Change of Heart

Windom Hill Jazz 1993

これは掘り出し物かもしれない。ロニー・ジョーダンのスタイルに近いメロディアスな曲の数々が、洗練された構成と高度な演奏によってずらりと並んだ逸品だ。リーダーのビアズリー(p)はかなりの才人である。しかし彼のその後の音楽活動は不発であったようで、いまでは埋もれてしまっている。90年代前半といえば、フュージョン音楽が成熟してメロディが一段と複雑になっていく一方、アッシド・ジャズのような音楽がクラブ系に流れるという、これまたクラブサウンドの成熟があった。そんな時代のなかで、群を抜いてすぐれたサウンドを生み出している。時代とともに忘れられているが、友人と会話を楽しみながら聴きたくなる一枚だ。ベースはジョン・パティトゥッチ。


[51]

Wayne Krantz

Greenwich Mean

www.waynekrantz.com 1999

およそエレキギターに惚れる人であれば、誰もがこのウェーン・クランツのニューヨーク・ライブに痺れてしまうのではないか。私はもう、痺れた、唸った、卒倒した。

エレキギターが楽器として具える可能性として、その最もストレートな特徴を挙げてみると、それは「鳴き」「刻み」「怒涛」の三つであるだろう。そしてこの三つを最大限に引き出そうと試みたのが、このアルバムなのだ。チョーキングやスライドやワウワウによる「鳴き」、ベースとドラムのあいだをランダムに走る「刻み」、そしてパワフルな超絶ソロによる「怒濤」のノリ。ウェーンの演奏は、どれもため息が出るほどすばらしい。エレキギターの特性そのものが与えてくれる表現の可能性を、憑かれてしまったかのように次々と探究する。そのあまりにも耽美的にほとばしる彼の肉体が、極限状態から一歩も後退しないで突き進んでいく。エレキの魅力のすべてを凝縮した、強力なサウンドだ。


[52]

坂本龍一

千のナイフThousand Knives

Betterdays

幽玄な現代音楽の世界を、当時最新のエレクトロニクスを駆使して描いてみせた「革新」の記念碑。音作りの実験性といい、メロディの斬新さといい、どこまでも時代の最先端を探究しながら、そこに完成された音楽を紡ぎ出していく。その探究心と可能性に私はとても惹かれ、心の奥でこのアルバムを密かに飾った。

「千のナイフ」を私がはじめて聴いたのは、おそらく、中学一年生の頃であったように思う。YMOの影響であった。「千のナイフ」の東洋的なメロディとリズムに乗せられて、当時の私は、どこまでも先に行けそうな気がしたのだが、いま聴きなおしてみると、「幻想的な竹林」の美しさを表現した点がやはり光る。私の「理由なき思い入れ」の1枚。


[53]

John Coltrane

My Favorite Things

1961

名盤中の名盤といわれるジャズ。私は大学生の頃にこれを聴きこんで、コルトレーンの世界にどっぷり耽った。その頃はかなり愛聴したので、当時の思い出がいっぱい詰まっている。例えば、秋にこそ芽生えるような、ため息とともに開く感受性というものがあるだろう。コルトレーンは、そうした甘い感受性を掴み取りながら、夜の街の風景へと溶け込んでいくようだ。殺伐としたコンクリートの道と壁にも、スポットライトの下を乾いた風が通り抜け、そんな風に吹かれて街を歩く人々の心には、豊かな美意識が温かく宿っている。その美意識こそ、表現すべき唯一のものであり、美の絶対的な場面であるのではないか。このアルバムはまた、ブラックからポロックにいたるまでの抽象絵画のスタイルが、詩情溢れる音楽に生まれ変わったような趣きもある。ごちゃごちゃした思考がそのまますべて音に対象化され、美的に昇華されていく一時だ。


[54]

Leo Kottke

One Guitar, No Vocals

Windham Hills 1999

この人は歌わないほうが売れる、ということでこのタイトルになったのではないか。ブルースやアメリカン・カントリーを故郷としながらも、そこから転じてウィンダムヒル系のクリアな音楽へと脱皮したレオ・コッケは、ここに超絶かつ幻想的な珠玉のギター・サウンドを残している。レオ・コッケのライブアルバムは、もっと躍動感があって、観客との一体感がある。歌も野性的で力強く、魅力的である。けれどもギター一本で表現の可能性を追求したこのアルバムは、部屋で篭ってギターを奏でる人のためのトリビュート作品だ。抑制の効いた表現のなかに、フォークギターの弦の特性がもつ「味わい」が、ストレートに伝わってくる。弦を押さえるとか、離すとか、あるいはスライドするといった、基本的な奏法に現れるギター特有の波長やノイズにこそ、ギターの面白さの原点があるのだろう。


[55]

Michael Hedge

Beyond Boundaries

Windham Hills 2001

ウィンダムヒルというレコード会社は、1980年代初頭にジョージ・ウィンストンというピアニストの作品をたくさん出して有名になってから、以来、ナルシスティックでメロディアスなピアノやギターの作品を世に送りだしてきた。最初はこちらが恥ずかしくなるようなナルシシズムを売り物にしていたけれども、あれから二〇年が経って、その豊饒な部分だけを取り出して聞いてみると、これがまた抗いがたく美しい。マイケル・ヘッジのギター、そのベスト版を聴いてみると、雄大な丘の風景を駆け抜けるようなテーマが一貫して流れている。風景に託された悲しみや感性は、例えば、春の息吹であったり、夕暮れの野にそよぐ風であったりするのだが、それをメロディにもう一度写し取ってみせるのがヘッジだ。ヘッジは死の悲しさをも風景に託そうとする。その不可能性がかえって心を打つ。


[56]

Sarah Chang (v) / Simon Rattle (c) / Berliner Philharmoniker

Shostakovich, Violin Concerto, No.1. / Prokofiev, Violin Concerto No.1.

EMI classics 2006

すでに現代を代表する決定的な演奏であろう。神かがるというべきか、恐るべき悪魔に取り憑かれているというべきか、サラ・チャンとサイモン・ラトルという、最高の演奏家と指揮者を得たベルリンフィルによる、ショスタコーヴィチのバイオリン・コンチェルト。とにかくお試しあれ!ショスタコーヴィチの作品はどれも、演奏家が自己の極限へ向けて挑戦することを要求するような、それほどまでに苛酷な芸術である。ところがサラ・チャンは、ショスタコーヴィチの要求する演奏水準を、さらに超えた到達地点にすでに立ってしまっている。そしてその地点から、まるで手玉に取るかのようにショスタコーヴィチを奏でているのだから、すごい。かなりの超絶技巧まで、余裕の演奏で我がものとしている。これは怪物の演奏ではないだろうか。ショスタコーヴィチよりもサラ・チャンのほうが恐ろしくみえてくる。


[57]

渡辺香津美

おやつ② 遠足

domo, Polydor 1995

日本を代表するギタリスト渡辺香津美の演奏のなかで、一見すると手抜きのタイトルをもつこのアルバムこそ最高傑作ではないか。70年代と80年代を駆け抜けるように活躍した香津美は、90年代に日本の民謡とアジアの伝統音楽へと向かった。バングラディッシュ、インドネシア、中国、韓国、そして日本の民謡演奏家たちを、それぞれの地へと訪れ、デュオ・セッションを試みたのがこの「遠足」である。セッションはいずれも緊張感があって、生ギターの新たな可能性を切り開いた最高の芸術作品。伝統的な曲に加えて、香津美のオリジナルな作品も多い。例えばサムルノリのリーダー、キム・ドクスとのセッションでは、まるで韓国の伝統音楽を現代によみがえらせるようなオリジナル・ギター曲があり、その才能に脱帽してしまう。「こきりこ節」のギター・アレンジもかっこよすぎだ!


[58]

Joe Chindamo Trio

The Joy of Standards Vol.2

澤野工房 2002

隠されたジャズの名盤を発掘することで名高い澤野工房。その澤野工房が送り出すCDのなかで、オーストラリアのメルボルンで活躍するジョー・チンダモ・トリオは群を抜いて素晴らしい。これだけ生き生きと、しかも演奏の技術に恵まれたトリオであれば、世界の頂点に立ってもおかしくないだろう。ところがジャズの世界では情報が分断され、メルボルンで流行るものが世界的に流行らない。澤野工房が注目しなければ、このトリオは日本に届かなかったであろう。チンダモ・トリオは、スタンダード作品を極める演奏技術をもちながら、若い頃にただ一度しか訪れないような、「生命の瑞々しい躍動感」というものをここに実現してしまっている。これこそジャズの完成ではないだろうか。


[59]

Tatjana Vassilieva

Solo: Kodaly, Ysaye, Tcherepnine, Cassado

www.tatjanavassilieva.com 2005

西シベリアの首都、ノボシビルスクに生まれたタジャナは、モスクワでダニール・シャフランに学び、18歳でドイツに渡ってからは、クレメールやバシュメットなどと一緒に演奏する機会に恵まれた。その後はベルリン・フィルのカメラータに迎えられ、数々の賞に輝いてきた。彼女のチェロ独奏は、驚くほど力強く、生の厳しさをつきつけるような爆弾だ。その表現力は肝を抜かれるほど圧倒的である。とくにコダーイのチェロ・ソロのためのソナタは、スタンダードとされるシュタルケルの演奏を遥かに凌いでいる。渾身かつ迫真の絶対的な芸術であろう。荒野に荒れ狂う魂の、狂おしき狂気の乱舞。これだけの厳しさを極限にまで突き詰めて生きてしまった人が、ここにいる。この人を見てほしい!


[60]

Joe Sample

Old Places, Old Faces

Warner Bros 1996

このアルバムはジョー・サンプルの作品のなかでも別格、いや、フュージョンというジャンルのなかでも別格の一枚だ。ニューヨークのブルックリンの街角で、黒人たちの日常生活に流れる豊かな感受性を表現したような作品。そこには、冬の乾いた空気が弱い光のなかを静かにそよぎ、一歩一歩踏みしめるような足取りで街角を通り過ぎていくような楽しさがある。どれも粋なメロディの曲ばかりで、私はいつも口ずさんでしまうのだが、黒人とブルックリンと私の感性が、妙に共鳴してしまう。何か特別な縁でもあるのだろう。個人的に私は、こういう曲を作曲したいと思う。創造の追体験が訪れて、それだけで密かに嬉しい気持ちになる。


音楽の記 (4)


◆◆◆◆音楽の記(四)◆◆◆◆

Music Essay no.4. (200611)

音楽批評・橋本努


このページは、私の趣味で音楽作品を紹介していくというコーナーです。お気に入りの音楽をランダムに批評していきます。皆様からいろいろなコメントをお寄せいただけると嬉しいです。


[61]

The Rustavi Choir

Georgian Voices

Elektra Nonesuch 1989

旧ロシアのグルジア共和国は、英語で発音すると「ジョージア」共和国。「ジョージアン・ボイス」とはつまり、ジョージア人の民族音楽のことだ。このアルバムはおそらく、男性合唱としては世界最高の水準であろう。崇高かつ血潮に満ちた男性合唱サウンドに、民族のプライドのすべてが賭けられている思いがする。日本でも親しまれている「ブルガリアン・ヴォイス」は女性合唱を本領とするが、こちらはすべて男声の合唱で、その表現力の豊さと厚みは、ブルガリアの女性に優るとも劣らない訓練と美学を備えている。総じて東欧諸国の民族音楽は、19世紀の国民国家期を経て、世界的に通用する音楽芸術の水準に高められてきた。さまざまな土地の、さまざまな生活をもった人々の声を編成していくという点に、編曲の面白さが光る。


[62]

Bill Bruford

The Sound of Surprise (Bill Bruford’s Earth Works)

Discipline Global Mobile 2001

クリムゾンのドラマー、ビル・ブラフォードは、90年代頃から、独自のジャズ-ロック・サウンドを切り開いてきた。アース・ワークスと呼ばれる彼のプロジェクトがそれで、この2001年のアルバムでは、求めてきたサウンドが一気に爆発したと言えるだろう。メガ都市近郊のハイウェイを染める夕焼けをバックに踊る抽象的人体の彫像という、この感性溢れるジャケットは、中身の芸術性を裏切らない。この絵に感性をくすぐられたら、ジャケット買いをお奨めしたい。ドラミングの斬新なリズムと音色のすばらしさは言うまでもないが、ブラフォードは複雑なリズムに合わせて、独創的なベースラインと美しいメロディを織り込んでいく。ピアノ・ソロもすべて、一曲一曲のために独自の弾き方を開発したような出来映えだ。おそらくライブ演奏を通じて、かなり仕込みに時間をかけてきたのだろう。傑作推薦盤。他のアース・ワークスは見劣りするので要注意だ。


[63]

Best of Bellydance: from Morocco, Egypt, Lebanon, and Turkey

Arc Music (Austria) 1995

お腹や腰をひねって踊る妖艶な「ベリー-ダンス」は、西アジアからアフリカ北岸にわたって共有された文化の一つ。しかしこの踊りを甘く見ることなかれ。たんなる軽薄なポップ-ダンスだと思ったら、大間違いだ。むしろ王侯貴族たちの、悲劇的で崇高な運命を表現する芸術である。その品格は、スペインのフラメンコ-ダンスがもつ威厳と似ているが、フラメンコがアンダルシア地方の文化に根ざし、ギター一本で伴奏するのに対して、ベリー-ダンス音楽は、宮廷音楽家たちの楽隊を従えている。このベスト・アルバムでは、シンセサイザーまで用いられ、現代のベリー-ダンス音楽の到達点を伝えていよう。現代のイスラム圏の雄大な空間に広がる、激しくも荘厳な世界を一望できる一枚だ。


[64]

György Ligeti

György Ligeti Edition 1: Strings Quartets and Duets

Arditti String Quartet

Sony 1996

「メタモルフォシス・ノクターン」。1953-54年にブダペストで書かれたこの四重奏は、共産主義独裁国家ハンガリーでは公に演奏されることを意図されていなかったという。当時は西側の書籍や音楽の情報がまったく入らず、しかも東欧諸国は互いに孤立し、東欧諸国の芸術家たちは共産主義の理想のために大衆をプロパガンダする作品を作るように求められていた。そのような抑圧的状況のもとで、リゲティは地下に沈潜し、真に革命的な現代音楽を生み出していった。当時のハンガリーでは、バルトークが国民的な作曲家として評価されていたものの、バルトークの多くの作品も演奏禁止。リゲティはそこで、演奏されたことのないバルトークの楽譜からインスピレーションを受け、この曲を完成させたというのだから驚きだ。現代音楽の「狂気」とはなにか。それはユートピアを実現しようとする大衆的社会運動の背後を襲う、人間の根源的な衝動なのかもしれない。


[65]

Junko Ueda (satsuma-biwa)

Japon: L’épopée des Heike

Archives internationals de musique populaire (Geneve) 1990

祇園精舎の鐘の音、盛者必衰の理をあらわす……。平家物語を語り継ぐ琵琶法師。鎌倉時代に大成した平曲は、江戸時代を経てさまざまな分派に分かれ、現在は前田流のみとなったが、他方で薩摩の琵琶は、明治時代以降に東京に進出して、三つの流派を築いていった。現代の平家物語を、薩摩琵琶法師のJunko Uedaさんのみずみずしい声で聴いてみると、これが実にストレートな歴史体験となる。同世代に語り掛ける迫真の声で、歴史を伝える生き証人がいまここに現れているようだ。激しくも様式化された日本語表現の美しさは、一つの完成した形態を生み出している。琵琶をバシバシと、しかもカキン、カシャン!と弾きまくるところがまたいい。


[66]

XUXU(しゅしゅ)

the B

Black 2005

日本人女性4人のアカペラによるビートルズの作品集であるが、まるで東洋発の現代音楽のようだ。発音が英語とは程遠く、声による伴奏の発声は、さまざまな実験的効果を試みる現代音楽的要素に満ちている。しかも空間を幽玄に演出するような囁きと、ゆったりとしたリズムがつづく。アレンジの異様さによって、ビートルズ的な日常世界から遥かかなたの、地球の裏の、心の裏の、内向的な精神の世界へと入りこんでしまったようだ。「カム・トゥギャザー」のアレンジは分かりやすい。しかし「ノルウェーの森」や「ヘイ・ジュード」はどうだ。まったく原型を留めない自由なアレンジによって、別世界を築いてしまっている。すべて一発録りであるが、細部を聞き分けると驚きに満ちている。5曲目の「イン・マイ・ライフ」などは、仏典の読経の世界だ。これは傑作。


[67]

Abed Azrié

Venessia

L’empreinte digitale 2000

怪しすぎるのに完成度も高い。ボヘミアン音楽のように流浪の人生を感じさせるのだけれども、サウンドは至って本格的で、リード・ヴォーカルの女性(Abed Azrié)はかなりの歌い手だ。流浪にして荘厳な、汚を聖によって浄化するような、すべてを許す決定的な場面に出くわすような、そんな歌い手だ。またリードを支えるバックの男性コーラスは、チベットの僧侶のように低い厚みのある声をいっせいに上げる。これがたまらない。僧侶のノリで、中近東のボヘミアンのような表現を試みるのだから、これはサスライ修行僧の御一行、ということだろうか。各種の太鼓の音色やバイブホンの使い方もまた幻想的で、悠々とした闇の世界を表現する。悲しくも美しい、裁かれた後の人生に対して、道しるべを与えよう、ということなのかもしれない。


[68]

Oki featuring Ando

Hankapuy

Chikar Studio 1999

アイヌ音楽の最高の到達点がここにある。これまでさまざまな民族音楽やロック・ダブ・ジャズなどの音楽とコラボレーションを重ねてきたオキは、アイヌの弦楽器トンコリの奏者であり、またアイヌ語の言霊を力強く表現することのできる類稀な声の持ち主だ。一方の安東ウメコは、アイヌ最高の歌い手であり、「イフンケ」というアルバムではアイヌの歌の魅力を余すところなく伝えている。そしてこの「ハンカプィ」では、現代アイヌ音楽を代表するこの二人が、さらにサックス・梅津和時氏やパーカッション・鈴木キヨシ氏を迎えて、コラボレーションを遂げている。これはもう、すべてをこの一枚に賭けているのである。この感動は、アイヌ人の歴史と文化の背景を考えるとき、涙なしでは語れない。もちろん純粋に音楽として聴いた場合にも、トンコリの独特な音色とその音階に、心を奪われるであろう。音の細やかな響きに至るまで、編集の才能も光る。北海道発の音楽として、私はこのアルバムを誇りに思う。


[69]

Viktoria Mullova

J.S. Bach, Bartok, Paganini: Works for Solo Violin

Philips 1988

ソ連出身のヴィクトリア・ムローヴァ(1959-)の無伴奏ヴァイオリン作品集。やはり名盤であろう。完成された技巧表現でありながら、心に強く響く音楽の本質がここにある。卓越した技術を抑制の効いた表現に包みこみ、一度すべてを完成させた後に可能になるような、ある限界の高みへとさらに登るような意志があり、その高みに向かって、全身ですすんでいくムローヴァの姿に心を打たれる。基本を完成させるという、原点読解型のマスターを目指す芸術家たちの理想であるだろう。バッハからバルトークを経て、パガニーニに至るという基本ラインは、アリストテレス/プラトンからニーチェを経て、マキャベッリに至るような読解の魅力があり、基本から狂気へ至るための正攻法がここにある。本当の狂気とは、こうした演奏のラインにおいてこそ、現れるものなのだろう。


[70]

古我地

しみが原(Shimigabaru)

Monsoon Record 2004

タワーレコードの売込みでは、辻仁成と中山美穂が推奨しているというので(CDケースの広告にも二人の推薦文が書いてある)視聴してみた。これは本物だ!私ははじめて、心の底から感動するような沖縄の音楽に出会えたような気がする。古我地さんのデビューアルバムということだが、すでに40代を迎えた彼の声には、魂を揺さぶるような魅力があり、身体がはっと覚醒する。これまでにかなり歌いこんできたのであろう、存在の重低音を響かせるその声は、人生の喜びと悲しみがすべてつまっている。沖縄の子守唄には人生の本質が歌いこまれ、また戦争の悲哀を歌った唄には、近代日本の悲しさが結晶化されている。単純な楽器構成もまた心を捉える。古我地さんの補作詞による伝統民謡。いまのところこのアルバムが沖縄音楽の最高傑作ではないか。しみじみと、いい。


[71]

Rosario Giuliani

Mr. Dodo

Francis Dreyfus 2002

ロザリオ・ジュリアーニ(アルト・サックス)は、イタリア発のジャズのなかでも肉体派のパワーの持ち主で、脂ぎった野性を前面に出しながらも、その野性にすべての知性が追いついてくるという、驚くべき頭脳の持ち主でもある。硬い頭皮に覆われた鋭い目つき。圧倒的なパワーと表現欲がまずあって、そのうねりのなかで抜群のソロが展開する。ベースとのユニゾンで作られた複雑なメロディもすばらしい。ベースラインも手伝って、このアルバムは人生の足取りを、重低音によって包み込んでいくような挙動がある。小さなライブハウスで映えそうな演奏で、限られた観客しか寄せつけないような哀愁を感じさせもするが、しかし「ナニクソ、もっと行けるところまで突っ走れ!」という勇気を与えられもする。偶然与えられた小さな「場」こそ、人生を賭けるに値すると教えられる。


[72]

Andrew Hill

Black Fire

Blue Note 1963→2004 (24bit digital remastering)

エリック・ドルフィーの才能に感動したら、アンドリュー・ヒルのこの最高傑作にも唸るにちがいない。異色の鬼才ピアニストたるヒルは、結局、生涯をアンダーグラウンドなジャズを舞台に活躍しつづけたけれども、このアルバムはマチスの絵のように明快で斬新。ジョー・ヘンダーソンやロイ・ヘインズといったサイド・メンバーにも恵まれて、1963年にしては、いまだに色あせないオリジナリティを表現していることに驚かされる。ヒルは、セロニアス・モンクがそうであったように、変拍子のオリジナル曲を、大胆かつ綿密な構成でもって表現する。他の演奏家を寄せつけない独自の世界を築き上げようとするために、当時の主流からは敬遠されていた。彼はあまりにも早く生まれすぎたようだ。だが現代の感性は、ヒルのこのアルバムを金字塔として発掘するにちがいない。


[73]

David Friesen, Denny Zeitlin

Live at the Jazz Bakery

Intuition 1999

1996年のロス・アンジェルス録音ということで、アメリカにもこれほどまでに反アメリカ的な芸術的至高性を目指す文化風土があったのかと驚かされる。ウッドベースのフリーゼンと、ピアノのツァイトリンのデュオ・ライブ。あまりにも繊細で、病的なまでに細部の美しさにこだわった演奏だ。しかもこれにライブの白熱感と憑依感が加わって、二人の魂の鮮やかな緊張に、心が共振していく。二人のオリジナル曲の構成やメロディも、考え抜かれた魅力がある。とりわけツァイトリンのTriptychという曲は、最高の世界ではないだろうか。ツァイトリンは精神科の医者でもあったような気がするが、その知性とマッドネスが、透明なピアノの音色によって、ゆったりと、しかしシャープに昇華されていく。すでに安らぎを感じさせる前衛であり、奇を衒ったところがまるでないほど自然な表現だ。


[74]

Take 6

We wish you a Merry Christmas

Reprise 1999

クリスマス・シーズンと言えば、やはりこの一枚。アメリカのゴスペル音楽から生まれた最高の男性ヴォーカル・グループ、テイク・シックスのクリスマス・アルバムだ。一般にゴスペルのグループというと、メジャーで売りこむために無理をして、楽曲のバックの編成をかなり品のないポップな仕上げにしてしまうものが多い。テイク・シックスの他のアルバムもやはり幻滅してしまうのであるが、しかしこのアルバムはクリアな演奏で、聖なるアカペラの至上の音楽を届ける。アメリカの70年代に成功したアフリカ系中産階級の、ソウルフルなポップ音楽のルーツを背景に、現代のホワイトクリスマスを彩る音と声の、決定版といえる達成がここにある。アメリカ的生活なるものに胸がキュンとするとすれば、それはこうしたクリスマス的世界の詩情にこそあるのではないか。


[75]

Levent Yildirim

Levent

Le Chant du Monde (harmonia mundi) 2005

1968年、トルコの首都アンカラ生まれのレヴェント・イルディリムは、稀にみる超絶なパーカッショニスト。高校を卒業して少しアンカラの音楽学校に通った後に、フランス、エジプト、ドイツなどに移り住んでジャズ演奏家たちとさまざまコネクションを築いてきた。そしてすぐれた演奏家を集めて、卓越した魂を結集して録音したのがこのアルバムだ。静謐な囁きの織り成す繊細さと、疾風怒濤の速度が混在する。これは絶対の芸術であろう。無限の可能性を秘めたこの孤高の人は、音作りの徹底さにおいて抜きんでているだけでなく、同じく孤高の魅力をもつ音楽家たちの能力を引き出すことにも長けている。例えば男性ヴォーカルのAyaz Kapliの歌声は、中近東音楽の拳の効いた表現を巧みに練り上げる。エレキ・ベースのNurhast Sensesliはジャコ・パストリアスを超える奏者だ。スパニッシュ・ギターとインドのタブラという、いずも超絶技巧の遺産を、アフリカ系イスラムを通じてトルコにおいて融合した幽玄な世界が広がる。


[76]

Cassandra Wilson

Traveling Miles

Blue Note 1999

マイルス・デイビスの曲にカサンドラ・ウィルソンが詩をつけて歌う冒頭のRun The VooDoo Downからして、抜群のセンス。一流のミュージシャンを招きながらも、できるだけバックの音を殺ぎ落として厳選し、そこに自然体で囁くように歌うカサンドラの、「粋」な美学が心をとらえる。その意表を突いた独特な編曲手法に、彼女の洗練された探求心と内面性を窺い知ることができよう。カサンドラの別のアルバムはもっと商業的で、歌が上手いが何か欠けている。このアルバムはしかし、一線を超えた芸術作品だ。女性ヴォーカル・アルバムという安易なイメージは当てはまらない。むしろヴォーカルが一つの楽器となって他の楽器と複雑に掛け合いながら、マイルスの魂を自己流に解釈することに成功している。記念碑的な作品だ。カサンドラが囁くところはすべて、自分でも囁きたくなる。


[77]

Trio Rob Madona

I got it bad and that ain’t good

SAWANO 1976→?

長いあいだ中古レコード市場では「まぼろしの名盤」とされてきたピアノ・トリオが、澤野工房のおかげでCDで聴けるようになった。この「まぼろしの」という思い入れを外して聴いた場合、この演奏はある意味で、まっとうすぎるスタンダードな手法であるが、とくに70年代というジャズが解体していく時期には、流行に乗り遅れて埋もれてしまったのであろう。有名な演奏家たちがフュージョンやフリー・ジャズのような方向に向かっていった時期に、ロブ・マドナは正当な道を内面深く探求していった。なんといってもすばらしいのは、彼のピアノの音色だ。一つ一つの音に、美の鮮度をラップで包んで、それを人間の体温でサラッと転がしたような、そんな独特な魅力がある。音を手触りで楽しめるような演奏で、ゆったりと聴くことができる。


[78]

Joe Pass

Virtuoso

Pablo 1973→2001

ジャズ・ギターの金字塔。私は高校生のときにはじめてこれを聴いて、求めるべきすべての境地がここにあるのではないかと感じたことがある。両手を頭の後ろに持ち上げて、背中の筋肉が抜け落ちて、それでひっくり返ってしまうような気分だった。アルバムの冒頭、コール・ポーターの曲をフルアコ・ジャズ・ギター一本で表現する「ナイト・アンド・デイ」の美しさは、いまでも鮮烈に、感性の襞を瑞々しく呼び起こす。ジャズ・ギターのコード進行とソロ展開を理論的に極限にまで追求しながらも、かつてオスカー・ピーターソンのピアノがそうであったように、演奏の躍動感とハーモニーのほうが際立つという「大成」の貫禄がある。繊細なハーモニーの複雑なパタンがこれでもかと連発されるうちに、心は耽美的な世界へと連れ去られてしまう。


[79]

Keith Jarrett

Standards Vol.1

ECM 1985

キース・ジャレットの名盤「ケルン・コンサート」は、魂が登っていくような霊感を感じさせるようなところがある。しかしこの宗教的な感覚は、なんども聴いているうちに霧消してしまい、かえって演奏の荒さだけが印象に残ってしまうことになるだろう。この霊感溢れるコンサートと比べるなら、「スタンダーズ」はもっと知的で静謐、芸術的な洗練さにおいて結晶化された作品だ。聴くたびに新たな発見があり、いつも心を洗われるような思いをする。長く聴かれるべき名盤であろう。抑制の効いたメロディ表現と、憑かれたようにグイグイとすすむソロ演奏が、一つの統一的な、透明感のある詩情を生み出している。とくにゲイリー・ピーコックのベースには、繊細なタッチが光る。


[80]

中村善郎

レンブランサ、エスペランサ(思い出、そして希望)

Sony

日本のジルベルトと呼ばれる中村善郎の、ギター弾き語りによるボサノヴァ・ソロ・アルバム。これはもう、中年のオジサンの理想であろう。どうせ人生の坂を下るのなら、こんなボサノヴァの語り口にこだわって生きていくのも「粋」ではないか。ブラジルでも評価の高い中村の歌い口は、ブラジルの感性そのものを体現したマエストロだ。ポルトガル語の歌詞を、独特の篭もったイントネーションで表現する点が味わい深い。中村はこれまでにソニーから4枚のアルバムを出しているが、このアルバムではその達成と思い出を、ソロ表現によって自己対話的な世界へと作り変えている。そのパーソナルな語りの世界を、思わず口ずさんでみたくなるような温かさがある。

Yoshiro Nakamura and Ichiko Hashimoto Horizonte



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My Favorite Music こんなCDを聴いてきました。

こんなCDを聴いてきました。作成中。

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Actio 音楽批評 (1)-(21)

Actio 音楽批評 (1)「ロックに目覚めたあの頃」2009年7月号

「第一回 ロックに目覚めたあの頃」

『Actio』2009年5月号、23頁、所収

橋本努(1,500字)


音楽を欠かせない生活をしている。朝起きてから夜寝るまで、食事中も歯を磨くときも、移動するときも机に向かうときも、だいたい音楽をかけている。唯一静かな時間は、本気で集中する時だけ。それ以外は割とガヤガヤした生活を送っている。

ときどき僕は、ムキになって音楽を聴いているのではないか、と思うこともある。確かに僕は、音楽をガツガツと聴く。これは思想家の酒井隆史さんがどこかで書いていたのだが、彼は、ジャズの王様マイルス・デイビスが、70年代にドラッギー(麻薬中毒)で演奏していたアルバムを「聴き倒す」ように聴くのだという。聴くことも、一種の格闘なのである。悶々とした生活を送りながら、自分よりもいっそう悶えている音楽家の演奏に入りこむ。そういう経験がはたして何の役に立つのか、それは分からない。けれども自分を揺さぶる異質な音楽に、耳を傾けていたいという気持ちが僕にもある。ナルシシズムの世界に閉じこもらず、日常生活をばっさりと切断していく。そんな遠心力に、僕は駆られてしまうのである。

それが度を越してしまったのは、ニューヨーク滞在中に、リンカーン・センターの脇にある演劇芸術図書館を訪れたときだった。CDの宝庫たるこの図書館に、僕は毎日のように通って、一日に100枚くらいのCDを聴いた。わくわくした日々だった。音楽を受容する心の襞が、異様な方向に進化していった。

マイルスならぬ、K・マルクスは、煙草を吸いながら執筆活動に勤しんだというが、僕の場合はそれに代わるのが音楽で、音楽がないと生活がはじまらない。音楽はまるで、阿片のようである。頭が覚醒され、それが欠乏すると苦しくなる。「宗教は、民衆の阿片である」と言ったのは、マルクスだった。現代人にとってその阿片とは、音楽ではあるまいか。音楽にも神様がいて、ときどき僕たちの心に降りてくる。血液のなかに、豊かな精気を吹きこんでくれる。それが人生のかけがえのない情感を生み出しているようにも思われる。

実に生命は、音楽から生まれてくる。音楽にどっぷりと浸かって、音の世界に埋没すると、その経験が無意識の世界を解き放ち、自分のなかに眠っていたものが創造の源泉となって現われる。だがもちろん、クリエイティヴな発想は、背後に広大な領野を必要としている。それは自分では作れない、音楽の神様が司っている不思議な次元なのである。

掲載写真にあるように、僕はヘヴィメタル・バンドを組んでいた。他にも、友人の茂木欣一(現在、東京スカパラダイス・オーケストラのドラム担当)といっしょに「ソン・コラージュ」というロック・バンドを組んだりもした。茂木欣一とは、中学時代からの親友で、頻繁に会って演奏を楽しんだ。他人の曲を演奏する能力があまりなかったので、オリジナルの曲を作って演奏した。「あざみ野駅の、プラットホーム、云々」みたいな曲だ。茂木はドラムの代わりに机を叩いて歌う。僕はギターとベースを担当。無邪気にも曲を作って演奏しては、それをカセットテープに多重録音する日々が続いた。

大学時代までに貯めたそれらのテープは、膨大になった。いつかリタイアしたら、また二人で演奏してみたい。そんな夢をひそかに抱いている。あのころの青春時代を取り戻したいというのもあるが、小生にとって作曲の経験は、思考の原型であり、いまもそのノリで自分の思想を紡いでいる。僕はこれまで、どんな本よりも音楽から創造と破壊の精神を学んできた。いま聴いている音楽も、創作の神様を引き寄せるものとしてある。そんなCD作品を、次回から紹介していきたい。


Actio 音楽批評 (2)「音楽のなかに故郷を見つける」2009年8月号

音楽エッセイ 第2回「音楽の中に故郷を見つける」

橋本努

雑誌Actio 2009年8月号、23頁


海外を旅していると、妙になつかしい場所に遭遇することがある。ひょっとして僕は、ここで生まれたのではないか。足を一歩踏み入れただけで、心が周囲に溶けていく。そういう精神の故郷は、僕にとってこれまで、ネパールとグァテマラであった。ネパール人もグァテマラ人も、自分と似た顔をしているように見えてきてしまうのだ。

音楽の世界にも、自分の故郷といえる場所がいろいろある。そんな世界を発見すべく、僕はCDをかき集める。なかでもニュイェン・リーの「ベトナム物語拾」(Nguyen Le, Tales from Vietnam, World Jazz 1996)は、感激の1枚だった。リーは、ジャズやフュージョンで知られる鬼才のギターリスト。フランスを中心に活躍中だが、その彼が故郷のベトナムで打ち立てた入魂の一枚がこれ。民俗音楽やジャズといった領域を超えて、音楽そのものの最高の到達点でさえあるだろう。ベトナムの昔話を素材に、ナチオを歌うヴォーカル、疾走するギター、ベトナム独特の音階などが、甘美な世界を創造する。演奏者たちの意気込みもあって、ドライブに満ちた音楽の喜びがある。手放しで絶賛したいベトナム文化の矜持だ。

日本ではピアニストの山下洋輔が、1990年に打ち立てたジャズの金字塔がある(SAKURA, Polydor, Verve 1990)。「さくら」「雨降り」「笹の葉」など、日本の民謡を素材に、ジャズ音楽の可能性を刷新した記念すべき作品である。僕は大学生のときにこれを聴いて、あまりの衝撃に眠れなくなってしまった。音楽表現の新しさ、演奏の緊張感としなやかさ、アヴァンギャルドの精神、郷愁あふれる旋律、テクニックとコラボレーションの絶妙さなど、あらゆる点で冒険的であり、しかも完成度の高い作品なのだ。日本文化なるもののイメージを新ためて表現し、現代の感性をどこまでも先へ連れていく。

これはクラシックだが、ぞくぞくするような鬼才の1枚がある。ヴァイオリニスト、ギドン・クレメールがアストール・ピアソラに捧げた作品である(Tracing Astor: Gidon Kremer plays Astor Piazzolla, Nonesuch 2001)。ピアソラの音楽はアコーディオンを原音とするが、クレメールはこれを弦楽三重奏で表現する。その内容は、ピアソラのイメージからはどこまでも遠く、しかし存在の運命的表現として、どこまでも深い。まるで現世を拒否した修道僧が、徹底して現世的な情熱の世界に、黒いオルギアを注ぎ込むかのような表現だ。あるいは暗い裏道の、ほのかな電燈によって地面に映し出された人の影。その影のなかに、人生のすべてを表現しようとすれば、それはいかにして可能なのか。そういった問いが生まれてくるような音楽だ。研ぎ澄まされた精神、強度の緊張感、飛び散る線の絡み合い、深い闇に細く鋭くきらめくような空間。何度も聴いているうちに、演奏の抑揚が身体に染みついてしまった。

日本の現代音楽を代表する武満徹に、「風の馬」(ビクター 1997)という合唱作品集があって、これがいい。僕は若い頃、合唱ほど、きらいな音楽はなかったが、それは学校の規律と結びついていたからだろう。けれども先入観を排せば、作品のもつ無垢な情緒に心が洗われる。ときどき僕は、武満の「小さな空」という曲を、無意識のうちに口ずさんでしまう。「青空みたら/綿のような雲が/悲しみをのせて/飛んでいった/いたずらが過ぎて/叱られて泣いた/こどもの頃を憶いだした」(武満徹の作詞)。嗚呼! この音楽の中にどっぷりと溶けてしまいたい。なんだか、ここから「帰りたくない」という強情な姿勢になってしまうのである。


Actio 音楽批評 (3)「マルチチュードは心して聴くべし」2009年9月号

音楽エッセイ 第3回「マルチチュードは心して聴くべし」

橋本努

雑誌Actio 2009年9月号、23頁


小生の北海道暮らしも10年を超え、地方のゆっくりした時間にも慣れてきた。歳のせいかもしれないが、最近はクラシックをよく聴くようになった。それでも新しい刺激を求めて、小生はあいかわらず渋谷を訪れている。渋谷のタワーレコードに足しげく通っては、最新の音楽シーンをチェックすべく、2時間くらいかけて、さまざまなCDを視聴しているのである。

レコード店でCDが視聴可能になったのは、およそ15年くらい前であろう。それ以前はCDを聴かずに買って、損をすることが少なくなかった。半分くらいは「なんだかなぁ」という気分にさせられたものである。ところが視聴できるとなると、マイナーな音楽にも断然、興味が湧いてくる。ネットでも視聴できるようになり、よい音楽に出会いたいという小生の関心は、泥沼に嵌まるがごとく膨大な時間を費やしはじめた。

だが世界中を探しても、タワーレコードの東京渋谷店ほど、最新の音楽シーンを集めたショップはないかもしれない。ニューヨークにもいろいろなCDショップがあったが、世界中からよい音楽を集めるというコレクターの才にかけては、日本人ほど長けている者はいない。その恩恵を得るべく、小生はいまも渋谷で音楽クルーズしている。

視聴に失敗することもある。数年前に菊地成孔のアルバムを視聴して大いに感動したのだが、自宅で聴いてみるとこれがひどいのだ。一流の詐欺師にしてやられたと感じて、そのCDを捨ててしまった。もう二度と騙されないぞ、と心に誓ったのだけれども、菊地成孔はその後、どんどん進化していくではないか。『南米のエリザベス・テイラー』もいいし、『ダブ・セスクテット』もいい。そして昨年、『記憶喪失学』というアルバムが出たとき、これは絶品だと思い、小生は思い切って買ってしまった。なによりもジャケットの油絵が南米のゴーギャンのような作品で美しく、演奏水準もきわめて高く意気込みがある。南米の優雅で気だるい、だがどこか近未来的なことが始まっているという、前衛芸術の逸品なのであった。

このリズム・セクションとメロディの絶妙なバランスは、近代の高速な時間経験において失われた故郷の時間を、取り戻すようで私たちを異次元に連れていく。故郷はすでに喪失したのであり、近代へのアンチとは、あらゆる逸脱の力学が躍動する空間となる。そんな菊地の芸術にすっかり魅了された小生は、タワーレコードのパンフで彼が推薦していたCDにも触手を伸ばしてみた。その一つに、マイルス・デイビス作品の黒幕プロデューサー、テオ・マセロの作品選『テオ・フォー・トゥー』Vol. 1-2.がある。

マセロを最初に視聴したときは、あまりにも凄すぎて買うことに躊躇を覚えたほどだが、というのも全2枚でマセロの音楽人生をハイライトすると、これが圧巻で、私たちの存在を脅すほどの美的魔力に充ちているのだ。マルチチュード必携、心して聴くべきアングラ怪物芸術の世界であろう。

とりわけ第一巻の一曲目と三曲目は、「ザ・ニュー・ミレニアム」と題するシリーズの3集『ダーク・スター』からの選曲で、痛烈無比のサウンド構成。異様な迫力に圧倒されること間違いなしである。1925年生まれのテオが、70代になっても革命的な人生を送ったというのは、人類の創造力に希望を与える事件ではないだろうか。


Actio 音楽批評 (4)「内なる声の探求が他者との共振にいたる」2009年10月号

音楽エッセイ 第4回「内なる声の探求が他者との共振にいたる」

橋本努

雑誌Actio 2009年10月号、23頁


小さきものへの愛が、一つ一つ温められていくと、それらはやがて心のなかで飛翔し、奥行きのある壮大な世界を描き出す。そんなロマン主義時代を代表するピアノ作品の逸品に出会った。ロベルト・シューマン(1810-1856)のピアノ曲集、ル・サージュ(1964-)の演奏である(現在、Alpha社から「シューマン:ピアノ曲・室内音楽作品集」として刊行中)。とにかく目が醒める思いがする。徹底した解釈によって、一つ一つのフレーズに気魂がこめられる。あふれだす耽美的な情感に包まれつつも、決して理性を失わず、むしろその情感において内面世界を確実なものにする。強い意志の感じられる演奏だ。

とりわけ第四巻の2枚組(Alpha 124)は圧巻。シューマンが24歳から29歳にかけて創作した作品集で、なかでも「フモレスケ」という小品が光る。当時28歳のシューマンには、クララという婚約者がいた。クララはすでにパリで『ロマンス集』を刊行して一躍有名になっていた。そのクララに対してシューマンは、ウィーンから宛てた手紙のなかで次のように書いている。「すばらしい。いつト短調の作品を書いたのかい? 3月に、ぼくも同じ霊感を受けたんだが、その霊感は、『フモレスケ』に見出されるはずだ。ぼくらの親和力は本当に奇妙だね。」

ドイツ語のフモレスケ(ユーモア)とは、「心の平穏な」という意味と「機知に富んだ」という意味の二つが結びついた言葉だ。シューマンはこの言葉の意味が、フランス人には理解できないだろう、とある手紙のなかで書いている。実はフモレスケは、思想史的にみても重要な意義をもつ。フモレスケによって各人は、自分の「内なる声」を読み、平静を保ちながら自己の内面を探っていく。するとそこにはさまざまな声があって、その声に耳を傾けていくと、次第に自分の内面世界が豊かに構築されていく。他人に影響されず、自己が自足して、精神的に自律的であることができる。そのような「内なる声」の探究は、ドイツのロマン主義において顕著に現れたのだった。それまで政治的な自由が認められず、画一的な都市建築の空間で暮らしていたドイツ人が、小説と音楽と哲学の世界に「内面の自由」を求めていく。ヘルダーの言語起源論やゲーテの小説、シラーの戯曲などが代表的であり、音楽においてはシューベルトやシューマンが探究したものである。

当時のロマン主義者たちは、各人が自己の内なる声を聞いて独自の世界を作り、それによって自律できると考えた。興味深いのは、シューマンも述べているように、内なる声に耳を傾けていくと、他者と精神的に合体するような交わり(すなわちコミュニオン)が可能になる点だ。小説や哲学や音楽の享受を通じて、内面的に自律した人たちは、互いに親和力をもって共振する。その美しき営みが、このCDにも込められている。

シューマンは当時、音楽評論家としても名を馳せていた。彼が書いた『音楽と音楽家』(岩波文庫)は長く読みつがれている名著であり、私も彼の美しき魂に魅せられた。シューマンは、二つのペンネームをもっていた。激しやすい革命家としての「フロレスタン」と、やさしい夢想家としての「オイゼビウス」。この二つの顔は、ロマン主義者の二つの気質でもあり、シューマンに特有の人格を与えたと言えるだろう。芸術において革命を夢想する。その企ては現代においても、決して色あせていない。


Actio 音楽批評 (5)「ポストモダンの時代に背を向けた重厚な世界」2009年11月号

音楽エッセイ 第5回「ポストモダンの時代に背を向けた重厚な世界」

橋本努

雑誌Actio 2009年11月号、23頁


日本が軽やかな消費文化を謳歌していた1980年代に、ニューヨークのブルックリンでは、ジャズの新たな革命期を迎えていた。アメリカ社会の衰退という危機感を背景に、若き知の怪物たちがストラータ音楽院に結集。のちにM-BASEと呼ばれる独創的な演奏法を次々と展開していった。その記念すべきアルバムが1989年に発売されたCipher Syntax(ドイツのWinter & Winterから2002年に再発売)である。

このアルバムはあらゆる点で完成度の高い作品だが、驚くべきはさらにその四年前に発売された、スティーヴ・コールマン・グループの「マザーランド・パルス(Motherland Pulse)」。このあまりにも手を抜いたジャケットに失望することなかれ。80年代の前衛ジャズを代表する傑作、いや、時代を代表しない稀有の傑作であろう。独創的なメロディ=ソロの展開、細心の技巧、緻密で完璧な構成、大胆かつ母性のように安定したサックスの音色。これだけ斬新な演奏であるにもかかわらず、演奏家たちには、時代の先を読むという気負いがない。すでに母なる大地に達しているのだ。その幽玄な神秘性は、聴く者を不思議な無時間空間へと連れていく。ポストモダンの軽さとは無縁の、重厚な世界である。このアルバムに参加している二人の女性、ジュリ・アレン(ピアノ)やカサンドラ・ウィルソン(ヴォーカル)の若き感性にも、すでに王者の貫禄がある。このCDを80年代の同時代に聴かなかった私は、あとで後悔することになった。もし同時代に聴いていれば、当時の私を根底から変えたようにも思うからだ。

スティーヴ・コールマンによれば、M-BASEとは、構造化された脱テンポ化の基本的な配列のことで、演奏の即興と音階の構造を組み合わせながら、そのいずれも変化させて、音楽の今日的な言語系を生み出そうとする。それはつまり、音楽を創造するための方法であって、概念的にも技術的にも自生的に発展していく。最高の成果はおそらく、Steve Coleman and Five ElementsによるRhythm People (The Reconstruction of Creative Black Civilization) [BMG 1990]であろう。これはサブタイトルにもあるように、黒人文明の創造性を格段に高めた記念すべき作品だ。ジャズ史上、驚異の達成といってもいい。

最初にこれを聴いたときは、何が展開しているのだかよく分からず、ただスリルと興奮と、そして大いなる予感を感じた。あまりにも高密度な緊張があって、次々と新しいテーマが繰り広げられる。ドラムやベースを含めて、すべて変拍子。しかもどの楽器も基礎となるリズムを反復するということがなく、つねに新たなコンビネーションへと向かって、互いに自己主張を繰り広げていく。この演奏に追いつくために、私は何度も聴いて、いまだに相当な時間を費やしている。

孤高の鬼才スティーヴ・コールマンは、その後フランスに向かった。そしてその演奏は、ある種の宗教的な境地に達した。最近の傑作は、2005年の2枚組「象徴としてのジャズ」であろう。大部分はブラジルで、パーカッション・グループの「コントラ」とのコラボで録音されたという。とくに2枚目は、多文化主義の混沌が生んだ新しい言語の誕生だ。相互に織り成される音の響きに、私たちは自身の内面を、深く見つめる機会を得るだろう。


Actio 音楽批評 (6)「芸術を盾に国家に挑戦する者たち」2009年12月号

音楽エッセイ 第6回「芸術を盾に国家に挑戦する者たち」

橋本努

雑誌Actio 2009年12月号、23頁


20世紀を代表する前衛音楽家のジョン・ケージは、1962年に京都の竜安寺を訪れ、1982年に「竜安寺(Ryoanji)」Hat Hut Records 1996という作品を完成させている。6世紀の後半に日本の仏教が切り開いた枯山水の美学と、15世紀に完成した竜安寺「石庭」の美学を音楽で表現すると、これが何ともすばらしい。

ケージはこの作品で、音を徹底的に簡素化して、木や石や砂といった自然のもつ精神的なアレンジメントを探求した。例えば15の石の配置を、一つの打音が追う。様式化された幽玄な水の流れを、フルートやオーボエがたどる。滑らかで不規則な音に、時間の幽玄な流れが生まれる。「竜安寺」は20世紀前衛芸術の、一つの到達点とも言えるだろう。

若きケージは、芸術家としての岐路に立っていた。はたして音楽をあきらめるべきか。前衛芸術は、既成の音楽観念を破壊するがゆえに、その探求は人間性をあきらめることを意味した。例えばケージは、磁気テープを用いて、音の切り貼り=コラージュを探求した。音楽家はそれまで、生演奏によって一定の楽曲を奏でることが、もっとも崇高な芸術表現と考えていた。これに対して磁気テープの可能性を探ったのがケージである。ケージは、音楽よりも音響を求めた。すると自然の世界に通じていた。「この世界では、人間性と自然とは、切り離されることなく一つなのだということ、すべてのことが崩壊しても、失われるものは何もないのだ」ということが、理解されたのだという。

ケージにとって、音楽を書く目的は、逆説的にも「無目的な活動をすること」にあった。音響の偶然な配列を求めることで、音楽は無目的なものになる。するとその音響の美しさは、生を無条件に肯定する。ケージはそれを「たんに私たちが生きている当の生活に目覚めるための、一つの方法」だと言った。私たちが生きている偶然の生の肯定。それをなすに任せるなら、すばらしいことではないか。ケージは生の偶然性と無目的性を謳歌するために、いつも新しい実験を求めた。例えばケージは、演奏家が複数の指揮者に従ってもよいし、従わなくてもよい、というような作品を書いている。そのような作品を作ることで、ケージはまず自分を変容させ、演奏家の考え方を変化させ、そして最後に聴衆の考え方を変化させようとした。ケージにとって自由とは、音楽活動によって精神が変化していくという経験なのであった。

それはアナキズムの思想でもあるだろう。ケージは「作曲を回顧して」という詩作品のなかで、次のように書いている。「私たちは不可能事をなしとげねばならない/世界から国家をなくす/知的アナーキーの遊戯を/世界の環境のなかに/もちこむ/うまくいけばだれもが自分の求めるとおりに生きられる」と(小沼純一編『ジョン・ケージ著作選』ちくま学芸文庫)。ケージが求めたのは、アナーキーな全能感としての自由である。

21世紀の現在、音の編集可能性は、コンピュータによって無限に広がった。その可能性を自宅のパソコンでランダムに楽しむ活動は、アナキストにとって、国家を否定するための精神的拠点と言えるかもしれない。現代アナキズムの本領は、アングラ芸術活動にある。芸術を盾に国家に挑戦する者は皆、ケージの継承者ではないだろうか。


Actio 音楽批評 (7)「人類の最良の人々は不幸な人々と共にいる(ロマン・ロラン)」2010年1月号

音楽エッセイ 第7回「人類の最良の人々は不幸な人々と共にいる(ロマン・ロラン)」

橋本努

雑誌Actio 2010年1月号、23頁


歯茎にできた嚢胞が、頭部の骨を溶かしている。そんなショッキングなことに気づかされたのは、去る九月のことだった。以来、膨張する化膿の痛みに悩まされ、ようやく手術のために3泊4日の入院を経て復帰したものの、一部の神経を切断したので感覚は麻痺。熱いとか冷たいとか、そういう感覚が一部感じられなくなってしまった。もう元には戻らない。慣れれば問題はないと主治医は言うのだが、この2か月のあまり、小生は余命に怯えてしまった。心電図をとれば、500人に1人のアノマリーと診断されもした。いったい、自分には後どれだけの時間が残されているのか。

そんなことが気になりはじめたときに救いとなった音楽は、ベートーヴェンの弦楽四重奏だった。30代前半にして難聴に襲われ、それ以降も困窮した生活からさまざまな病気が併発し、わずか57歳にして生涯を閉じた偉大な音楽家。その生涯を短い小説にまとめたロマン・ロランは、次のように書いている。「不幸な人々よ、あまり嘆くな。人類の最良の人々は不幸な人々と共にいるのだから。その人々の勇気によってわれわれ自身を養おうではないか」と。

不幸なベートーヴェンは、晩年になって大曲のアイディアをいくつか温めていたが、金を稼がねばならないという要請から、もっぱら弦楽四重奏曲を書いて暮らしていた。交響曲第九を作曲する前後から、ベートーヴェンは死の直前までに、五つの室内楽作品を残している。その最後の作品で彼は、なぜこのような作品でなければならないのか、と自問する。金銭上の理由から、苦心して手にした決心である。「そうでなければならぬのか?」、「そうでなければならぬ」と楽章へメモを書きつける。私たちはこの苦渋の心境に、心を打たれるのである。

そんなベートーヴェンの弦楽四重奏作品の全集録音が、2008年からミケランジェロ弦楽四重奏団によって企てられている(Michelangelo String Quartet, Ludwig van Beethoven, String Quartets Op.18 No.1&2)。いまのところ二つのCDが出ているが、最初の作品は弦楽四重奏の第1番と第2番。ベートーヴェンが最初の階段を登りつめて名声を得た30歳のころの作品である。これらの作品はまた、ちょうどベートーヴェンが難聴に襲われはじめた時期の作品でもあって、彼は次第に社交界から身を遠ざけていった。20代の後半、医学の修業に来ていたヴェーゲラーとともにプラトンを読む読書会に参加していたベートーヴェンは、当時、音楽で哲学的な思考を展開するという人間精神の新たな創造へと向かっていく。その成果たる作品は、批評家に「思考過剰」と批判されもしたが、現時点からみれば、これは時代を先取りした、あまりに優美な先駆的精神というべきであろう。

ミケランジェロ四重奏団は、国際的に名声を博したソリストたちの集まりで、とくにヴィオラは、今世紀の最もすぐれた奏者の一人と言われる今井信子氏が務める。演奏のすばらしさは録音技術の革新によってさらに圧倒的な艶美をみせ、爆発的な力をもった作品は、演奏家たちによって完全に操られている。まさに演奏の芸術性が思考過剰を克服して、美しい世界を生み出すのだ。思考以上の世界に届くための、絶品であろう。


Actio 音楽批評 (8)「民族の心を揺さぶった音の魔術師」2010年2月号

音楽エッセイ 第8回「民族の心を揺さぶった音の魔術師」

橋本努

雑誌Actio 2010年2月号、23頁


どうもゲーテは、ベートーヴェンの芸術に脅威を感じていたようだ。受け取った手紙にはいつも礼儀正しく返答していたゲーテなのに、ベートーヴェンにはなにも書いていない。黙殺こそが唯一の防波堤というわけだ。『新編ベートーヴェンの手紙(上・下)』(岩波文庫)を読むと、二人のドラマが垣間見られて面白い。例えばゲーテの友人で、中世美術の研究家ボアスレは、ゲーテとの会話を次のように克明に記している。

ゲーテは言う。「あれ[ベートーヴェン]は、すべてを抱擁しようと思っている。しかし、最も根元的なものを見失っている。それでいて一つ一つがとても美しいのだ。悪魔のしわざだと思いませんか。……奴は、死ぬか気狂いになるか、どっちかしかない。憐れむことなんかちっともないよ。……われわれを取りまいている世界が朽ち果ててしまわなければならぬものか、そして原初に戻ってしまうものなら、それがいつか、それから新しいものが生まれるものなのか、神のみぞ知るです!!」

ゲーテは音楽に関しては保守的で、当時評判のツェルターの作品に親しんでいた。ところがそこに、ベッティーナ・ブレンターノという女性(ゲーテの恋人マクシミリアーネが嫁いだ夫とのあいだにもうけた娘)が現れて、彼女はベートーヴェンの偉大さを執拗に説いている。「わたくしは神聖な魔力というものがあって、それが精神の世界の基本をなしていると信じています。ベートーヴェンは彼の芸術にこの魔力を駆使しているのです。純粋な魔法、これがあの方があなた[ゲーテ]にお教えできるすべてです。」

ベートーヴェンは貧しかった。生活必需品を買うためのお金にも困り、衣服は破れ、外見はルンペンのようだったという。小柄で醜(ぶ)男で、けれども風貌は見事で誇り高い。そんな孤高の芸術家が最も親しくなった人々は、地元ウィーンの市民ではなく、むしろチェコスロヴァキアやハンガリー出身の貴族や女性、あるいはスラブ系の貴族たちであった。西洋音楽の中心地たるウィーンに暮らしながら、ベートーヴェンは周辺的な地域で評価された。マージナルな境遇でもって、創造活動へと駆りたてられていた。

他方でベートーヴェンは、フランス革命に抵抗する勢力と共にあった。当時のオーストリアは対仏戦争に破れ、国家の危機に立たされるが、すると支配層は、革命の担い手たるブルジョアジーの台頭を阻止し、古き善き民族意識を復興しようと企てた。その運動の一端を担いだのがベートーヴェンである。彼はウィーンに暮らす数百万人の人々と悲惨な生活を分かち合うべく、有名な交響曲第九番の合唱の語句に、フリートリッヒ・シラーの詩『歓喜によす』から「抱き合え、百万人の人々よ!この接吻を全世界に!」を据えている。このメッセージはたんなる友愛ではなく、民族復興という保守思想に根ざしていた。ベートーヴェンの芸術は、市民的でありながら、民族の復古をもくろむ。それが真にラディカルな創造となるのだ。いま小生の手元には、若きヴァイオリンの女神、ジャニン・ジャンセンによるヴァイオリン協奏曲がある(Janine Jansen, Beethoven Britten Violin Concertos, Decca, 2009)。これはipod時代の新しい演奏とも言われるが、こぼれる感情の襞を抑え、単純な形式のなかに自身の悪魔的な才能を閉じ込めたような好演だ。天に登る高域の音も、分厚くて鋭い。


Actio 音楽批評 (9)「ウィーンのストリートが生み出したフュージョンの巨匠」2010年3月号

音楽エッセイ 第9回「ウィーンのストリートが生み出したフュージョンの巨匠」

橋本努

雑誌Actio 2010年3月号、23頁


1970年代に一世を風靡したアメリカのフュージョン・バンド、「ウェザー・リポート」のキーボード奏者として知られるジョー・ザヴィヌル。誰もが口ずさみたくなるあのウェザーの数々のフレーズは、彼の作曲によるものだ。このバンドは結局、15年間の活動をもって1985年に解散したが、ウェザー・リポートへの神話的な関心は、ますます高まるばかりである。メンバーたちはその後どうなったのか。驚異的なベーシスト、ジャコ・パストリアスは早くに亡くなった。サックスのウェーン・ショーターの活躍は、その後もよく伝えられる。けれども、その後も鬼才ぶりを発揮しつづけたのは、ジョー・ザヴィヌルではないだろうか。

70歳代という老境を迎えたにもかかわらず、ザヴィヌルは音楽のさらなる創造へと駆りたてられた。生まれ故郷のウィーンに戻り、ザヴィヌル・シンジケートというビッグ・バンドを結成すると、そこで才能に恵まれたミュージシャンたちを多数抜擢し、まったく未来的な汎民族的音楽を生み出している。ジャズやフュージョンといえば、私たちはとかくニューヨーク発の情報を主流とみなしがちだが、音楽の都ウィーンで、これほど熱いジャズが繰り広げられているというのは驚きだ。例えば、ザヴィヌルは、猥雑で多文化的なジャングルの世界を生み出すのだが、その雰囲気のなかでヴォコーダーによって創り出された小人の宇宙人の声が踊り出す。このモチーフに私は心底感動してしまった。

ザヴィヌルはウェザー・リポート時代の自身の作品を自在に盛り込みながら、晩年になって音楽の至上の高みに達したのではないか。シンジケートが2004年に録音したライブ・アルバムに参加するアフリカ系の女性ヴォーカルの圧倒的な声量と民族の魂にも、圧倒的な魅力がある。胸の奥からじわじわと泣けてくるような感動だ。(Joe Zawinul & The Zawinul Syndicate, Vienna Nights: Live at Joe Zawinul’s Birdland, Birdjam BHM 4001-2)。

曲はどれも細部に至るまでよく練られた構成になっていて、演奏者たちの意気込みも並々ではない。こんなライブがどうして可能なのか、と目を丸くするくらいの覇気があって高揚する。2005年に録音された第二のライブ・アルバム「ブラウン・ストリート(Brown Street)」は、ザヴィヌルの最後の作品となってしまったが、こちらの作品で特筆すべきは、ますます台頭するヒスパニック系の音楽魂を大胆に取り入れ、これを至高のジャズに高めている点だ。そもそもジャズは、新たに勃興する民衆文化の前衛的な立ち位置を占めてきた。その新たなうねりは、ヒスパニックの拳と悲哀に宿るという、時代を見越した見事な芸術作品だ。死の直前まで自身の音楽を越える探究をつづけたザヴィヌルに、深い敬意を払いたい。

1932年生まれのザヴィヌルは、ナチス支配下のウィーンで、路面電車の運転手をする父親の家庭で育てられた。幼くして音楽的才能を発揮し、ウィーン音楽院ではナチスのいう「ユーバーメンシュ(超人)」の一人に選ばれて英才教育をうけたりもしたが、クラシックでは独創性を発揮しなかった。開花したのは、根っからのストリートの人間としてなのだった。ストリートに繰り出す人間は、自己の内面を深く掘り下げる。その煌きに学びたい。


Actio 音楽批評 (10)「韓国で見つけたハイパージャズの逸品」2010年4月号

音楽エッセイ 第10回「韓国で見つけたハイパージャズの逸品」

橋本努

雑誌Actio 2010年4月号、23頁


すこし前の話になるが、韓国のソウルで、ずいぶんと洒落たジャズCDの店を見つけたことがある。繁華街の外れにあるその店には、ひたすら通好みのマイナーなCDが所せましと揃えられ、オーナーの鍛え抜かれた美意識が完璧なまでに表現されていた。店に入った瞬間から、もう、わくわくする感覚でいっぱいになってしまった。

数万枚のCDがあったであろうか。これほど徹底したセンスでもって品揃えをしたCDショップは、少なくともニューヨークには存在しない。どうしてニューヨーク発のジャズCDがソウルで揃うのかといえば、おそらくジャズの本質が、社会の近代化とともにあるからであろう。ジャズは、近代化を遂げようとしている新興諸国の推進力となっている。ジャズのマニアがここソウルで育つというのは、この国が近代化のエネルギーを宿していることの、一つの傍証とも言えるだろう。

ジャズは、小説や絵画などと比べて、最も遅れて来たモダニズム芸術の運動であったと言われる。それを象徴するのは、なんといっても1950年代の「バップ」だ。チャーリー・パーカーとバド・パウエルが革命的に成し遂げたそのスタイルは、従来のクラシックや大衆音楽などのあらゆる音楽の旋律を、まず節ごとに分解して「和声」として捉え、さらにその和声に即興のアドリブを加えて新しい可能性を拓いていった。その輝かしい担い手となったのは、ディジー・ガレスピーやアート・ブレイキーなどの若手たちである。

バップはある意味で、近代的な個人主義の誕生を企てた音楽ともいえる。実際、担い手たちの多くは、アメリカで兵役を拒否し、ひたすら自己の芸を磨いていくような反体制分子たちであった。かれらは、全体主義国家に抗う不良少年で、自身の音楽においても、作品の全体に一体化したり、あるいは他の演奏者に合わせて順応することを拒んだのだ。作曲者や指揮者の意志を表現するのではなく、もっぱら各プレーヤーが主役となって、技を競いあう。そのためにバップ音楽は、和声の転換をどんどん速くして、各人がソロを取るときのゲームのルールを複雑にしていった。既存の音楽を換骨奪胎して、そこにいかなる個性を注ぎ込むのか。それが最大の関心になっていく。

そんな音楽をハイパーな仕方で追求したのは、コルトレーンの『ジャイアント・ステップス』だろう。和声(コード)の順番を大きくすっ飛ばして先に進む。この展開が音楽として成り立つためには、よほど高度な演奏技術を発明しなければならない。コルトレーンは近代の運動を極限にまで高速化し、ハイパー近代の前衛になった。

だがそうしたスタイルは、アメリカではしだいに成熟を迎え、前衛を気負わなくなっていった。豊かで静かな即興トリオの一品を、韓国で見つけた。リー・コニッツとチャーリー・ヘイデンという大御所の二人に、若きピアニスト、ブラッド・メルドーが挑んだライブ、Alone Together (Blue Note 1997)。三人の独立した個性が、それぞれ内面を掘り下げながらぶつかり合う。真剣勝負そのものだ。合わせながら切断していくという、こんなコミュニケーションにこそ、私は人生の本質があるのではないかと思っている。


Actio 音楽批評 (11)「ハンガリーという「物語」を創った音楽 バルトーク(1)」2010年5月号

音楽エッセイ 第11回「ハンガリーという「物語」を創った音楽 バルトーク(1)」」

橋本努

雑誌Actio 2010年5月号、23頁


20世紀を代表するハンガリーの作曲家、ベラ・バルトーク(1881-1945)の音楽に魅了されたのは、小生が大学生のころだった。その当時、アルバン・ベルク四重奏団によるバルトークの四重奏(Alban Berg Quartet, Bartok, String Quartets Nos.1-6 (disc 1-3), Toshiba EMI 1988)が3枚組みのCDで発売され、雑誌『FM fan』の新年号に紹介が載ったので、さっそく買って聴き始めた。するとこれが練り上げられた演奏ではないか。以来、小生は何度もこれを聴き返して心のなかに刻み込んだ。深刻な音楽に向き合うと、否応なく自分自身を試されてしまう。ある種の強迫観念で、悲劇的な運命とともにパッシオ(受苦の精神性)を試されるような、そんな時間を過ごすことになった。研ぎ澄まされた感性に、集中して耳を傾けるに値するアルバムだと思う。

バルトークの魅力は、ハンガリー民族がもつ土着の「声の文化」を、抽象的な次元に高めた点にあるだろう。彼がハンガリーの村々を歩いて録音・収集した民衆の音楽は、一万数千曲にのぼるという。その収集と分類によって、バルトークはハンガリー民族の文化的独自性を基礎づけた。その成果は、彼のピアノ・ソナタにも深い影響を与えているといわれる。なかでも、ゾルタン・コチシュという鬼才ピアニストが手がけたピアノ・ソナタ集(全4枚)がある(Zoltan Kocsis (p), Bela Bartok, Works for Piano Solo 1-4, Philips [recorded in 1991])。神業というべき演奏で、同国の精神的な高みを、遺憾なく発揮する。一つ一つの音が、民族の声であり生活であるという理解のもとに、その本質を、まるで画家が抉り出すような仕方で描いていく。コチシュの鋭いバルトーク解釈によって、民族の魂はまったく新しい次元を開示したのではないか。バルトークのピアノ曲はどれも1-2分程度の小品だが、それらはコチシュによる徹底した解釈を待たなければ、おそらくこれほど高度な作品として生まれることはなかったようにも思う。音色の驚きとその美しさ、そのすべてが心の襞を直撃する。ピアノ・ソロのアルバムとして、私が最も敬愛するのはこのコチシュ。バルトークの世界を深く掘り下げた瞠目すべき達成だ。静寂な空間にこれほど魂を注ぎ込むことができるとは、検討に検討を重ねた試行錯誤のなせる業であろう。この粘り強い解釈力に学びたい。

むろんいまから振り返ると、バルトークが20世紀の前半に企てたハンガリー民族音楽の研究は、国民国家を形成するために、ある種のフィクションをでっち上げる効果をもっていたようだ。音楽の都ウィーンを中心とするハプスブルク帝国にとって、ハンガリーは辺境の地であって、独自性をもたない。だがその地域が一つの国家を形成するために、民族音楽の独自の体系化が目指された。しかし20世紀後半になると、ヴォルガ河流域の諸民族は、伝統的には、バルトークやコダーイが想定したハンガリー音楽の独自性をもっていなかったことが判明する。ハンガリーといっても多様だ。その多様性を抑圧しない文化と精神はいかにして可能なのか。それがいま問われている。


Actio 音楽批評 (12)「国境を越え多様化し融合する民謡 バルトーク(2)」2010年6月号

音楽エッセイ 第12回「国境を越え多様化し融合する民謡 バルトーク(2)」

橋本努

雑誌Actio 2010年6月号、23頁


20世紀の前半、バルトークが企てたハンガリー民族音楽の体系化は、後続の研究者たちによってさらに発展した。けれども三万曲以上の民謡を、いかにして分類すべきなのか。最終的な決着がついたわけではない。

それもそのはず、ハンガリーは国家として独立する前に、自前の音楽を内生的に発展させてきたわけではないからだ。実はバルトークも、このことに気づいていた節がある。アルジェリアへ音楽収集の旅行に出かけたとき、バルトークはそこで耳にした民謡が、ルーマニア人の謡う東洋的な色彩を帯びた旋律によく似ていることに気づいた。似たような旋律は、ウクライナ、イラク、ペルシア、旧ルーマニアにもみられる。そうしたグローバルな影響関係のなかに、ハンガリーという国も位置するということは、容易に想像できたであろう。

民謡のスタイルは、人々の交易圏の変化とともに、しだいに変化していく。民謡は国境をもたない。20世紀の後半になると、ハンガリー国内の民謡も、ますます多様化していった。地理的には交差的な場所にあるこの国は、すでに、ほとんどすべての音楽をチャンポンしてしまったのではないか、と疑いたくなる。だがそんな国の音楽に、オリジナリティがないかと言えば、そうではない。むしろ多様な民謡がたくましく攻めぎあい、新たな融合をみせている。その輝かしい成果は、極上の女性ヴォーカル作品『くちづてに』であろう(szájról szájra, BNSCD8850, 2007, アオラ・コーポレーションより輸入)。

この作品は、ボグナール・シルヴィア、ヘルツク・アーグネシェ、サローキ・アーギという三人の実力派歌姫が一同に結集して、ハンガリーのさまざまな民謡を一つの曲の中に織り込みながら、そこにバルカン風、インド風など、多様な楽器編成によって、民族の精神を表現している。繊細にして大胆な編曲が比類なき印象を与え、そこにハンガリー民謡の精神が溶け込んでいくのだから、不思議だ。解説によると、歌姫のシルヴィアは、オーストリア国境に近いソンバトヘイに生まれ、大学では民俗学を専攻した。アーグネシェは大学で現代舞踊を専攻した後に、民族舞踊団で民謡歌手となる。アーギは伝統的な民謡歌手。この三人の持ち味が、ニコラ・パロフの編曲によって充分に発揮され、ハンガリーの民謡音楽はここに、現代的な結晶化を遂げたようだ。

バルトークがもし21世紀に生きていたとしたら、こんな民謡ポップスを生み出したかもしれない。彼は自分の人生を、祖国ハンガリーのために尽くすと決意していた。その精神を継承するのは三人の歌姫たちではないか。むろんバルトークは、ルーマニア音楽よりもハンガリー音楽のほうが優越しているという偏見をもっていた。だがいまの私たちに必要な民族の精神とは、交流する多様な文化をすべて飲み込みつつ、自身を多元化していくことではないか。多元化してもなお自己主張できるような、そんな独自の精神を築いていく。伝統的で現代的な、懐かしくて斬新な、そんな精神を生み出したハンガリーの歌姫たちに、こころから、祝福、乾杯したい。


Actio 音楽批評 (13)「スピリチュアルなコーラスとジャズの比類なき融合」2010年7月号

音楽エッセイ 第13回「スピリチュアルなコーラスとジャズの比類なき融合」

橋本努

雑誌Actio 2010年7月号、23頁


90年代の初頭に発行されていたフリーの音楽情報誌に、『Suburbia Suite(サバービア・スウィート)』(橋本徹編集)がある。現在、書籍化されて読めるが、そこで紹介された1,600枚のアルバムのなかから、これまでたくさんのコンピレーション・アルバムが生まれてきた。例えば「アプレ・ミディ」のCDシリーズは、どれもおしゃれなテーマでまとめた好企画。サバービアとは、郊外の生活をちょっと軽蔑的に表した言葉で、例えばショッピング・モールにあるおしゃれなカフェの、昼下がりの淀んだ感じが似合う音楽である。

だが、そんなコンセプトとはちょっと異質な企画に、ユニバーサル・ミュージックが2006年にリリースした30タイトルのアルバムがある。こだわりのある逸品ばかりで、最近私は、そのなかからメアリー・ルー・ウィリアムス(ピアノ)の『アンデスの黒いキリスト(Black Christ of the andes)』(UCCU3065)を聴いた。これが傑作なのだ。ミュージシャンたちは、自らの魂を「永遠の真実」へと結びつけることに成功したのではないか。いまから約50年前の、1962年から63年にかけて録音されたアルバムだが、録音状態もよく、旋律は単純ながら深遠で、洗練された趣味をうかがわせる。作品としての完成度が高く、時を越えて結晶化されている。

1910年にアトランタ州で生まれたメアリーは、若い頃からピアノと作曲・編曲の才能を示し、ニューヨークのハーレムに移ってからは、ビバップと呼ばれるジャズの新しいシーンの一端を担った。47歳にしてローマ・カトリックの洗礼を受けると、その後は宗教音楽にも貢献している。このアルバムでは、スピリチュアルなコーラスとジャズを融合させて、独自の世界観を打ち立てるが、50代にして到達した新境地であろう。

タイトルにある「アンデスの黒いキリスト」とは、1579年にペルーのリマで生まれた聖マルチノ・デ・ポレスのこと。母親はリマ出身のアフリカ系女性、父親はスペイン西部出身の軍人で、父は幼少の頃に程なくして逃亡したため、マルチノは貧しい生活を余儀なくされた。だが彼は、洗礼を受け、貧しい人たちに奉仕して、ペストなどの病人や身寄りのない子どもたち、あるいはアフリカから連れてこられた奴隷たちの世話をした。すると多くの寄付が集まり、貧しい子どもたちのために学校を建てることもできたという。その当時、霊的同伴者として慕われた聖者である。

そんなマルチノに捧げられた一曲目は、荘厳な静けさのなかでコーラスとジャズ・ピアノが融合する絶妙な作品。時代はちょうど、キング牧師が「私には夢がある」という有名な演説をした頃で、黒人たちはキリスト教を通じて自らの精神をかぎりなく高めていた。熱気に満ちた宗教運動が背景としてあり、一曲目は比較を絶するほど崇高な次元に達している。このほか、巨匠ガーシュインが、黒人キャストのミュージカルのために提供した「イット・エイント・ネセサリリー・ソー」は、時代を超えるワルツ・ジャズの絶品で、深く心に刻まれる旋律だ。

このアルバムは当時、とくにフランスで高く評価され、「ジャズ・ディスク賞」「ジャズ・ディスク・アカデミー賞」のグランプリに輝いてもいる。自由解放の表現とは、まさにかくあるべし。魂の橋頭堡なのである。


Actio 音楽批評 (14)「革命的なリビドーを解き放つ音楽」2010年8月号

音楽エッセイ 第14回「革命的なリビドーを解き放つ音楽」

橋本努

雑誌Actio 2010年8月号、22頁


革命を夢みて、音楽をきく。いやいや、革命ビジョンを理論化するために、音楽に没入する。そんな野望ならぬ陰謀をもって音楽に触れていると、夜の時間は、ミューズの女神とともに更けていく。

いったい、音楽と革命とは、どんな関係にあるのだろう。音楽は、失敗した革命の代償物なのか、それとも迫真の政治革命を鼓舞しているのか。詩人たちを、共和国から追放すべきだと言ったのはプラトンであったが、そのプラトンは、詩人よりも音楽家を下位の存在とみなしていた。アリストテレスもまた『詩学』のなかで、音楽芸術を、最下位に位置づけている。古代ギリシアの哲学者たちにとって、どうやら音楽は「美徳(=卓越)」にかなうところが少なかったようだ。古代ギリシア哲学に反旗を翻すとすれば、私たちはまずもって、音楽に導かれるべきであろう。

むろん現代の社会では、ある種の音楽は文化的な権威となっている。けれども音楽のなかにも、制度化されていないものがあって、それらはときどき革命的なリビドーを携えて、世界に到来する。ジャズ界にそんな革命をもたらしたのは、なんといってもオーネット・コールマンであった。伝説の名盤となったストックホルムでのライブ二枚組(the ornette coleman trio, at the “golden circle” Stockholm vol.1-2.)は、いったいどんな構造で成り立っているのか、喧々諤々の論争を巻き起こしたほどだ。この偉大な独創的作品は、いまや前衛的なジャズマンたちのバイブルとなり、オーネットに敬意を表すカバー演奏も、次々と生まれている。最近では、David Liebmanの作品Turnaround: The Music of Ornette Coleman がすばらしい。革命の気魂が現代によみがえるようだ。(ただしこのCDはたった二ヶ月あまりで限定販売終了という。あまりにもひどい限定の仕方ではないか!)

音楽がもつそんな革命の精神を、ポール・ギルロイは『ブラック・アトランティック』(月曜社)のなかで、うまく言い当てた。黒人ミュージシャンたちは、文化社会を制度化する人(立法者)や、その制度に寄生しながら取り巻く人間(解釈者)とは別の、異なる役割を引き受けてきた。ドラムのリズムは、抗争的で対抗的な感性を刺激し、精神を鼓舞する。社会的な抑圧からのがれて、自由になりたいという、そんな欲求を政治的に喚起してくれるのは、他ならぬ黒人ミュージシャンであった、という。

私たちの社会は、合理的な体系として確立すればするほど、不活性になってしまう。正統な社会は、人びとの行為を動機づけない。正統であれば、なにも抵抗する必要はないからである。そんな不活性の感覚から覚醒してくれるのは、既存の正義に揺さぶりをかけるような、解放の感受性であろう。オーネットのジャズ革命はまさに、そんな力をもっていた。解放といっても、心地よいものではない。むしろ苦悩に満ちた創造を追体験するようなものだ。

いま求められているのは、そんな創造の苦悩ではないか。創造的で解放的なモチベーションを、政治の実践へと導く。ジャズ音楽は、そのための哲学的なリソースをたくさん与えてくれる。


Actio 音楽批評 (15)「土着の深みからひらける叙情的世界の境地」2010年9月号

音楽エッセイ 第15回「土着の深みからひらける叙情的世界の境地」

橋本努

雑誌Actio 2010年9月号、22頁


夏になると、私はいつも沖縄や奄美の島唄に思いを馳せる。例えば1943年5月、500人の船客を乗せた嘉義丸は、奄美大島沖で、アメリカの潜水艦によって撃沈された。そのときの光景を、悲しく歌った曲がある。「親は子を呼び、子は親を/船内くまなく騒ぎ出す/救命胴衣を着る間なく/浸水深く沈みゆく/天の助けか神助け/ふたたび波間に浮き上がり/助けの木材手にふれて/親子しっかり抱きしめる……これが最期の見納めか/親子最期の見納めか」。

そのとき、ある母親は助かった。だがその娘は行方不明になった。母は悲嘆にくれ、とうとう下半身を麻痺させてしまう。島で鍼灸師をしていた朝崎辰恕は、彼女の治療にあたった。そのいきさつを聞いて、詞を書いた。「嘉義丸のうた」という。戦争の悲惨な記録を伝えるその歌を、今度は朝崎の娘が、受け継いで唄った。それが60年の時を越えて、初めてCDに吹き込まれた。朝崎郁恵「おぼくり」(東芝EMI, TOCT-25659)である。

朝崎郁恵は、日本の島唄を代表する、天才的な唄者として知られる。いまや初老にして、味わい深いその声は、何ものにも替えがたい、格別の魅力をもっている。これほど癒される歌声を、私は知らない。数ある朝崎郁恵のアルバムのなかで、この作品が抜きん出ているのは、シンプルな構成のなかに、現代的な編曲や、フィーチャーのセンスが光るからであろう。漁師魂の貫禄をもった太い声の中孝介が、朝崎郁恵のバックでお囃子と三味線を務める曲が、いくつかある。まさに絶品である。島の神々が踊りだすようだ。

それから二年後の2007年のこと、今度は、沖縄島唄の叙情的なハイセンスのアルバムに出会った。Yasukatsu Oshima with Geoffrey Keezer (Victor, VICL-61953)である。69年石垣島生まれの大島保克は、伝統的な島唄を受け継ぐ本流の渋い声をもちながら、繊細で内面的な世界を生み出すという、類まれな才能だ。一方のピアニスト、ジェフリー・キーザー(1970-)も、内向的な静寂さを追求する、孤高の精神。キーザーは、バークリーに学び、18歳でアート・ブレイキー・ジャズ・メッセンジャーズに参加している。これまであらゆるジャンルの音楽に携わり、作曲、編曲、音楽監督などに、その才能を遺憾なく発揮してきた。

この二人の出会いは、沖縄の音楽に、また一つ、新たな芸の世界を加えたと言えるだろう。三味線を引きながらソロで唄う大島に、ジェフリーのすみきった散文的なピアノが、最小限の彩りを添えている。ジェフリーの伴奏は、沖縄の音楽に深く染み入りながらも、その土着の文脈を離れて、叙情的な内面性の、普遍的な境地を開いているようだ。

例えば、古くから伝わる八重島民謡に、「月ぬ美しゃ(つくいぬかいしゃ)」がある。月が美しくなるのは、十三夜あたりから。乙女は十七あたりから。東から上がる、大きな月は、いつも沖縄の八重山を照らしてくれる……。風景の美しさを、素朴に、ありのままに描写したこの唄は、愛郷の情とともに、人々の私秘的な内面性を育てていく。二人の演奏は、その詩情を永遠のかなたへと結晶化する。まさに八重山にこそ、日本の永劫回帰の世界があるのではないか。そんな世界に、どっぷりと浸たるこの頃である。


Actio 音楽批評 (16)「自分の分身のような音楽に出会った」2010年10月号

音楽エッセイ 第16回「自分の分身のような音楽に出会った」

橋本努

雑誌Actio 2010年10月号、24頁


こだわりをもって、この人を紹介したい。フランスを拠点に活躍しているベトナム人のギターリスト、ヌエン・リー(Nguyên Le)である。どうも僕は、この人に特別の関心を寄せてしまう。もし生まれ変われるなら、この人のような人生を送りたいとも思う。まるで自分の分身のように感じてしまう彼の音楽だが、初めて接したのは、いまから13年前のこと。渋谷のタワーレコードで、Three Trios (9245-2 ACT) というCDを視聴すると、これが逸品で、ジャズの抽象表現を突き詰めた一つの鋭利な幻想作品のように思われた。

ただそのときは購入せず、それから三年後のニューヨーク滞在中に、マンハッタンのダウンタウンにあるCD屋の地下で、破格のセールで売られているのを見つけて買った。(五ドルくらいだったと思う。)そのとき、なんとこの店では、視聴版として関係者たちに配られる非売品のCDが、安く売られていたのだった。

当時の僕は、渡辺香津美やジョン・スコフィールドのようなギターリストに心酔していた。この種の表現の可能性をもっと突き詰めてみたい。そんな関心の延長に、ヌエン・リーのギターがあった。ニューヨークで聴くと、彷徨者としての彼の感性が、心に沁みてきた。アルバムThree Trios は、三種類のトリオ演奏を組み合わせている。一つは、ピーター・アースキン(ds)とマーク・ジョンソン(b)との共演で、ドイツのミュンヘンで録音。もう一つは、ダニー・ゴットリープ(ds)とディーター・イルク(b)との共演で、フランスのアミアンで録音。最後は、ルノー・ガルシア-フォン(b)とミノ・シネル(ds)との共演で、パリで録音されている。いまあらためて聴くと、どの演奏も、アフリカにルーツを持つジャズでありながら、アジア的な叙情性と躍動をもつことに驚かされる。アジア的なメロディの仕込みが随所に効いて、さながら旅のボヘミアンだ。

彼の演奏を、一度テレビでみたこともある。でもそれは、カナダの女性ドラマーのツアーに参加するという依頼仕事のような演奏で、パッとしなかった。これほど独創的なギターリストといえども、食べていくためにはマルチに仕事をこなさなければならないのだと痛感した。その後、彼はどんな音楽へと向かったのかといえば、ちょうど渡辺香津美が『おやつ 2』というアルバムでアジアの伝統音楽へと回帰したように、彼もまたベトナムの伝統的な音楽を発見する旅へと向かった。

2007年に発売された『壊れやすい美(Fragile Beauty)』(9451-2 ACT)は、ため息が出るほど美しいベトナム伝統音楽のジャズ的作品。ベトナムの歌姫、フン・タン(Huong Thanh)の声には、心底癒される。このたゆたう声の魅力は、計り知れない。伝統音楽の基礎をみっちりと身につけ、いまは現代ジャズの最前線にいるフン・タン。ユーチューブで検索すると、フン・タンの艶美な声にあわせて、ベトナムの田園風景が現れてきた。山あいの水田を、そよ風がぬけていく。精神の故郷を映し出しているようだ。ヌエン・リーとフン・タンは、近代化するベトナムの世界に、新たな望郷の情感を生み出した。この風景と音楽のなかに、どっぷりと浸かるこの頃である。


Actio 音楽批評 (17)「「生の真実」と向き合う勇気がないと聴けない」2010年11月号

音楽エッセイ 第17回 「「生の真実」と向き合う勇気がないと聴けない」

橋本努

雑誌Actio 2010年11月号、22頁


20世紀前半を代表する作曲家、アーノルド・シェーンベルク。その絶望的なまでに迫力にみちたオラトリオ(宗教的音楽劇)に衝撃を受けたのは、小生が二十歳のころだった。1987年のこと、CBSソニーから、ピエール・ブーレーズ指揮、BBC交響楽団による『シェーンベルク作品集』(3CDs)が発売されると、翌年のFMファンなどで紹介され話題を呼び、私もなけなしの金をはたいて買った。さっそく聴いてみると、一枚目の「ヤコブの梯子」からして、まったくの暗黒の世界が広がっているではないか。この暗雲ただよう精神の抑圧状態はいったい何なのか。あまりの真剣勝負の芸術に、耳が釘付けになってしまった。

こんなに深刻な音楽を気軽に聴けるはずがない。聴いたら最後、夢でうなされる。つい先日も夢のなかで、私は深刻な生の真実に直面してしまった。かくして本当に「生の真実」と向き合う勇気があるときにだけしか、この作品に耳を向けることができないでいる。

最近になってソニーは、この80年代の名盤をさらに廉価な増補コレクション(5CDs)として発売した(Boulez conducts Schoenberg I, Sony Music, 2009, HMVの特別価格で約2千円!)。70年代から80年代にかけて活躍していた、作曲家で指揮者でもあるブーレーズによる、前衛音楽の最先端。それがいま、こうして歴史的な録音として廉価に売られているのだから、文化の厚みと流行の速度はいよいよ増すわけである。私もまた、青春時代のあの覚醒された感覚を奮い立たせるべく、新たに買い足してしまった。あまり聴かなくても、手元にCDがあるだけで、エネルギーが湧いてくる。これはある種の信仰のようなものだ。

「ヤコブの梯子」は、シェーンベルクが当時、オーストリアの陸軍兵士として、二度の兵役の課されたあいだに作曲されている。ソリスト、混声合唱、オーケストラのための作品で、死に直面したシェーンベルクが、その狂気を宗教的に昇華した傑作といえる。むろん作品は未完成で、彼は1922年に、画家のカンディンスキーに宛てた手紙のなかで、「いっさいの思考やエネルギーや理念を無力にする新しい困難」について語っている。シェーンベルクは、この作品を創作するにあたって、まず台本を執筆し、その台本を私的な演奏協会で朗読した。ところが作曲のほうは、なかなかはかどらない。1944年の秋になって、ふたたびこの作品と向き合い、オーケストラの部分を書き進めたものの、最終的には未完成のまま、1951年に77歳の生涯を閉じた。その後は弟子のツィリッヒが、残された楽譜を元に捕作した。作品全体が初演されたのは、ようやく1961年のことであった。

「耐えられない、この圧迫……! 重くのしかかる、この圧迫! 何という、ひどい痛み! 身を焦がす憶れ……! 熱い感激……! 偽りの成就……! 暗滲たる寂しさ……! 形式への強制! 意志の否定……! 幸福を得るための嘘! 殺人、盗み、血、傷……! 所有、美しさ、享業……! 虚栄の喜び、自己の感情……!」

「ヤコブの梯子」では、こんな調子の詩が三つの合唱団によって同時に歌い上げられるのだから、迫力満点だ。のちにナチスによって迫害された芸術家の、真実がここにある。


Actio 音楽批評 (18)「80年代という、幸せな時代からの贈り物」2010年12月号

音楽エッセイ 第18回「80年代という、幸せな時代からの贈り物」

橋本努

雑誌Actio 2010年12月号、24頁


前回はあまりにも絶望的なことを書いてしまったが、今回は一転、フュージョン・バンドの軽快な一枚をご紹介したい。80年代の日本のテレビやラジオのシーンを朝から晩まで彩ったオランダのバンド、「フルーツケーキ」である。

英語では「うすらとんかち」という意味の俗語になるが、サウンドはいたって明るく爽やか。そのおしゃれなメロディーラインは、だれもが口ずさめるような親しみやすさがある。最近になって、そのフルーツケーキのアルバムが3枚ほど再CD化されるというので、私は迷わず先行予約で申し込んだ(Fruitcake 1-3, NCS-746-748)。10月になって届いたCDを聴いてみると、それはもう、あの頃の淡い感覚でいっぱいになってしまったのであった。復刻の企画と販売を手がけたタワーレコードさん、そして製造のビクターさん、本当にありがとうございました!

実は何を隠そう、私はこれらのアルバムの再CD化を、心から待ちわびていた。なんとかして思い出を取り戻したいと考え、いろいろと問い合わせたこともある。神戸を拠点にグルーヴィーなCDを次々とリイシューしているこだわりの会社、「プロダクション・デシネ」にまでメールでお願いしたが、そつない返事にうなだれた。それがようやく、ファースト・アルバムから27年ぶりの復刻となる。喜んでいるのはおそらく、私のような40代のオジサンたちであろう。フルーツケーキという名前を知らなくても、聴けば思い出す曲ばかり。あの時代を映し出すバンドで、例えばNHK-FMのクロスオーバー・イレブンなどを聴いていた人にはおすすめのBGMソングだ。80年代という、幸せな時代からの贈り物である。

その当時、まだ中学生だった私は、レンタル・レコード店でレコードを借りてはカセットテープに録音するという、録音マニアの日々を送っていた。YMOが全盛期の頃でもあったが、自作自演の音楽を作りたいという関心から、フルーツケーキには特別の関心があった。この他、カシオペアやナベサダ(渡辺貞夫)などもよく聴いた。グルーヴィーな音楽は、私には郊外の景観とともにあった。底抜けに明るい、例えばクラップ(電子音の手拍子)で刻むビートの感覚は、ポストモダン消費社会における虚構にみちた生活を、心地よく演出してくれるだろう。

タワーレコードによると、フルーツケーキの復刻には、予約注文が殺到したという。また、HMVのサイトでフュージョン部門の週間チャートをみてみると、興味深いことに、上位のほとんどが80年代の復刻版であった。フュージョン音楽は、80年代に大きく開花した。だから古典となるのは、いつも80年代。しかもCDを買う世代は、30代以上が牽引していて、10代、20代の若者たちは、ネット配信の音楽で自足しているようなところがある。それで現在のフュージョンのCDの売り上げは、80年代の復刻が中心となってしまうのだろう。こうなると80年代は、CD業界にとって、宝の山となる。例えば最近復刻されたPhilip CatherineのEnd of Augustなどは、美的な知性の傑作で、私にとって新たな発見だった。


Actio 音楽批評 (19)「冷戦時代を駆けぬけた恋多き天才ヴァイオリニスト」2011年1月号

音楽エッセイ 第19回「冷戦時代を駆けぬけた恋多き天才ヴァイオリニスト」

橋本努

雑誌Actio  2011年1月号、24頁


ソ連ラトヴィア生まれの天才ヴァイオリニスト、ギドン・クレーメルの演奏には、魔性と神とが宿っている。この批評でもすでに一度紹介したのであるが、彼の自伝『クレーメル青春譜』(臼井伸二訳、アルファベータ、2007年)を読むと、その知性にさらに驚かされてしまう。

例えば、1984年のアルバムで、マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)との共演『ベートーヴェン、ヴァイオリン・ソナタ』(Gidon Kremer / Martha Argerich, Beethoven Violinsonaten Nos.1-3, Deutsche Grammophon)がある。作品の持ち味を自由に操った、名演中の名演である。クレーメルは同書のなかで、アルゲリッチを含めた共演者たちとの関係について、こう記している。

「レナード・バーンスタインやマルタ・アルゲリッチのような大家のことを思うと、……彼らの姿全体、物腰、情動性が、魅力的だった。ディオニソスらしさ、臆するところのなさ、感情の赴くままにできる能力には、いつも魅了された。マルタのように「腹から演奏」することや、バーンスタインの忘我状態のステージがそれである。私の場合は、自分が音楽を演奏することでのみ表現できる内的な悩みを、いわば感情的に許容し、自制し、思索する傾向が多分にある。だが実生活では別だ――私は、自分を抑えるのに苦労することが多く、気のおけない人たちに惹き付けられるからだ。」

内的な悩みを表現するというクレーメル本人は、実生活では「気のおけない」女性共演者たちに、いつも囲まれていたようだ。1960年代から80年代までを綴った自伝は、ソ連から西側に移るまでの逃走劇を、女性たちとの関係とともに綴っていて興味深い。

ナターシャという最初の女性にはフラれてしまったが、ヴァイオリン奏者として実力をつけてきたタチアナとは結婚、だが自身のアヴァンチュールのために離婚してしまう。むろん、タチアナとはその後も共演を続け、例えばシュニトケは、この二人のために作品を書いたりもしている。二人はまた、ルカーチやソルジェニーツィンなどの反体制思想を貪欲に吸収していた。それでクレーメルは、共産党の中央委員会に監視されている。

「あなたは最近、ハンガリーを訪問されましたね?」「その地で何人かの人たちに会って、反ソ連的な会話を交わしました。」「しかも、ソルジェニーツィンの本を渡され、もちろん持ち帰りましたね。」

こんな忠告を党から受けたクレーメルは、周囲の人々すべてに懐疑を抱いてしまう。なんとしてでも脱出したい。クレーメルは考えた。愛人のクセーニャを妊娠させて、西側で子供を生ませるのはどうか。ところが子供が生まれる頃になって、今度は別の女性マグダレーナに心酔してしまう。安定した家庭生活を願うクセーニャに耐えられなかった、というわけなのだ。逃走劇の最後は結局、エレナという別の女性とパリで生活を始めることになるのだが、そのエレナとも離婚。こんな波乱万丈の経験が赤裸々に語られている。

それにしても、クレーメルはこの自伝の初稿を、六週間弱で書き上げたという。まだまだ活躍を期待できそうだ。


Actio 音楽批評 (20)「『チベットの死者の書』とモーツァルト」2011年2月号

音楽エッセイ 第20回「『チベットの死者の書』とモーツァルト」

橋本努

雑誌Actio  2011年2月号、22頁


もう生まれる前からジャズを聴いて育った息子が、最近は自分の好きなCDを聴きたいというので、食事の時間は、自由にステレオをいじらせることにしている。すると、だいたい「おかあさんといっしょ」の音楽集「コロンパ」か、100円ショップのダイソーで買った(というか譲ってもらった)「オックスフォード少年合唱団のクリスマスソング集」、といったあたりになってしまう。そんな音楽が、耳に付いて離れない今日この頃である。

落ち着いた音楽が聴きたいと思う。ここに紹介したいのは、90年代の中頃に、中沢新一が絶賛して話題となったピアニスト、ヴァレリー・アファナシエフの『モーツァルト:幻想曲/ソナタハ短調』である(2008年に再発売[COCO-70983])。中沢の著作『チベットのモーツァルト』は、モーツァルトの音楽が、チベット的な宇宙論に通じているという「読み」をする。それを裏づける表現が、このアファナシエフの演奏である。

中沢によれば、「アファナシエフは『チベットの死者の書』によって、モーツァルトの比類ない知性がとらえていた、この宇宙的な「なにものか」の本質を、理解しようとしている……。なんという正しい直観ではないか。チベット人の叡智は、この書のなかで、人間の内面深くに内蔵されている宇宙的なるものを、光の律動として、明確に取り出そうとした」という(同CDパンフより)。

アファナシエフは、異常に遅いテンポで演奏することによって、モーツァルトの曲に、一つ一つの微細な、新たな発見と解釈を加えていった。遅い演奏によって、鍵盤をまるで打楽器でもたたくかのように、独立したものとして扱う。するとそれぞれの音は打音のリズムとなって、精神の律動を、深部から呼び起こしていく。

私たちは通常、理性こそが体系的な思考を成し遂げるのであって、身体の躍動や、精神の鼓動といった動因は、アモルフなエネルギーのようなものだと考えてしまうだろう。だが鼓動は、深層にある人間の宇宙観を呼び覚ます。近代的な世界観に抗して、太古の宇宙(コスモス)をうち立てていく。

1947年にロシアで生まれたアファナシエフは、いわば団塊の世代で、かれはそんな鼓動のうねりを、1968年に生じた世界的な学生運動のなかに感じとったのかもしれない。『チベットの死者の書』は、当時のアメリカのヒッピーたちが、自分たちの親世代文化(WASP文化)に対抗するために、バイブルとした書でもあった。当時の若者たちは、これを読んでチベットやインドを放浪することにあこがれた。カウンター・カルチャーの象徴として、本書はあったのである。

アファナシエフは本書から次のように引用している。「闇魔王は、汝の首のまわりに縄を巻きつけ汝を引きずりまわすであろう。汝の頭を切り裂き、心臓を引き抜き、内臓を引き出し、骨をかじるだろう。だが、汝は死ぬことができないのだ。…身体は、意識ある身体なので、首を切られても四つ裂きにされても死ぬことができない。」

この恐ろしい状況は、人間が死と再生の中間で経験する幻影にすぎないというが、その幻影こそが、人間を再生する。新たに生まれ変わりたい人のための、静謐な一枚ではないだろうか。


Actio 音楽批評 (21) [最終回]「「無のものたち」! マルチチュードの夜明けを讃えよ」2011年3月号

音楽エッセイ 第21回[最終回]

橋本努

「「無のものたち」! マルチチュードの夜明けを讃えよ」

雑誌Actio  2011年3月号、22頁


北の世界では、雪とともに無音状態が訪れる。路地を車が通るとして、そんなノイズさえも、雪壁のなかに吸収されてしまう。はたしていま、そこに人が歩いているのだろうか。車が走っているのだろうか。日常生活の感覚が麻痺してしまう。音が生まれては、瞬時に瓦解していく。あちこちにできた防音壁の雪ダマリに吸いこまれていく。音たちは、二度と出て来ない。すると「無のもの」たちが、ひそかに動き出す。そんな路地裏のリリシズムから、人知れない無数の世界が生み出される。深い内面の領域が育まれていく。

この静謐な感覚。はたして、どこまで伝わるだろうか。実は、この北の感覚を芸術的に表現した、きわめて作品性の高いCDがある。Ametsub(雨粒?)のセカンド・アルバム、The Nothings of the North(Progressive Form XECD-1110)である。タイトルを訳すと、「北の無のものたち」となるだろう。坂本龍一が2009年のベストに選んで、「僕、ファンになりました」というコメントを残したことでも、話題となった。エレクトリックな音の組み合わせによって構成されたテクノ作品であるが、これまでのテクノの歴史を塗り替えるほどの芸術性をそなえている。

お世辞ではない。一曲目の「ソリチュード(孤独)」を聴いて、私はそこに、マルチチュードの大いなる夜明けを感じた。可能性にみなぎる疾走感がある。けれども音たちは、どこか不安気で、憂鬱で、あたかも、か細い吐息だけが、美的なリズムを刻んでいる。だがそれでもって、はじめて前へと歩きだすことができる。そんな危なげな歩みに、あらゆる潜在能力の予兆を認めるのは、やはり若い感受性の特権というべきであろうか。

むろん、本作品の原点は、従来のテクノ音楽を継承するもので、エレクトロニクスを駆使して音を構成していく喜びにあふれている。だがそれが他の凡庸な作品と隔絶しているのは、都会の中にあって、殺伐とした孤鈍感にさいなまれるアーティストたちの意識を、まるで知り尽くしているような感性にこそあるだろう。それはどこまでも透明に昇華されている。自己の孤独感を直視することから、新しい芸術が生まれている。

9曲目のFaint Dazziling(かすかな眩暈)を聴くと、内面の深さは、ある種の「あきらめ」とともにあることが分かる。これに対して11曲目の「66」では、大勢の鳥たちが、いっせいに、ざわめきはじめる。この騒がしい事態に、私は鳥たちとともに、あてどない混沌とした運動のなかへ入り込んでいくべきなのか。むしろじっとしているべきなのか。そこには、取り残されるのではないかとの焦燥感が表現される。

おそらく、新しい芸術を打ち立てる創造作業は、気の滅入るほどのジレンマを抱えているのであろう。周囲と群れて、新しいトレンドを追って、もがいてジタバタする自分がいる。ざわめきのなかの部分にすぎない自分に気づかされる。そんな自画像から、本作品は悲しいリリシズムを生み出したのではないか。その果実に、私は思い切りの涙を捧げたい。むろん、マルチチュードは、それでも先に進んでいく勇気をもっているだろう。あらゆる潜在能力を、開花させずに踏破する。そんな企てを後押しする音楽だ。