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学生生活のヒント | 大学院進学のススメ

Student Life 学生生活のヒント

読書のすすめ(大学生入門編)

読書のすすめ [大学生のための入門編]

橋本努

202106version

■青春について考える


奥井理(おくい・みがく)著『19歳の叫び』北海道新聞社[1998]\1,600-

 19歳で他界した札幌出身の青年、奥井みがく氏の絵画と詩と日記です。

 青春のすばらしさとは、こういうことではないでしょうか。魂を洗われるような思いがします

 「絶対つまらない感情に負けることなく/自分がもつ本来の潜在能力を信じて/へばりつけ!/ぼくは人を信じたり尊敬したくない。/自分の潜在能力と自然をつねに信じ/自然の中に根をおろす大木のように/一度決めたら/その場所に死ぬまで張り付き しがみ付き/誰に何をされようとも/生き残ることだけを考え/目先の欲や感情に流されず/ただひたすら生き残ることだけを考えて/現実社会という大地にへばりつきたい。」

 絵も詩もいいです。ひたすら真摯な生き方が伝わってきます

中井三好著『知里幸恵 十九歳の遺言』彩流社[1991]\1,700-

 心臓病を患って、わずか十九歳で他界した知里幸恵さん(1903-1922)。彼女日本語に訳した『アイヌ神謡集』(岩波文庫)は、アイヌモシリの崇高な精神を伝える珠玉の作品です。「銀の滴降る降るまはりに、金の滴降る降るまはりに。」・・・

 いったい、こんな偉業が、18歳の少女によっていかに成し遂げられたのでしょう。本書は、知里幸恵さんの伝記です。日記やノート紹介されています。アイヌが生んだ美しい魂の軌跡をたどってみませんか。

神舘和典著『上原ひろみ サマーレインの彼方』幻冬舎[2005]\1,429-

 100年に一度の才能と言われるジャズ・ピアニスト、上原ひろみさんの音楽活動を伝えるルポルタージュです。すでに高校生にしてチック・コリアと競演しています。しかもバークレー音楽院在籍時に、若干24歳にして出したファーストアルバムは、20万枚のメガヒットを記録しました。

 上原ひろみさんの音楽魂は、疾風怒濤のリズムになって現れます。彼女の信条は、「努力、根性、気合」。まるで高校球児の人生論のようですが、そこから独創的な音楽が紡ぎ出されるのです。自分の才能をみがくための意気込みを、彼女に見習いたいです。

谷川俊太郎著『十八歳』集英社文庫

 谷川俊太郎さん(1931-)が18歳を向かえたのは、1949年でした。本書は、その頃に書かれた詩作のノートで

 「いろいろな外国の書物や/古い壁画などから/透明な感動を着て出てくることは/ひとつの冷たい努力である」「音がある/まったくの沈黙のうちにも/わたくしのあたまに音がある/かつての音とまじり合う/ささやきのような音がある」。

 人生への畏れ、自信、喜び、悲しみ、そしてみずみずしい感性の発露があります。自分でも、詩を作ってみようかか、という気にさせられます。どこかアッケラカンとした谷川俊太郎さんの感性は、現代の若い人たちにも、多くの共感を得るかもしれません。

岡本太郎著『自分の中に毒を持て』青春文庫[1988]

 20世紀日本を代表する前衛芸術家、岡本太郎(1911-1996)による、青春入門です。一つ一つの言葉に、爆弾がつまっています。「常識人間」をやめて、自分の生き方を変えるための起爆剤です。

 インテリ夫婦のもとに生まれた岡本さんは、小学生のころは、いじめられっ子だったといいます。

 大学へは進学せず、画家を目指して一人パリに渡り、ピカソやバタイユなどと交流しました。

 「危険な道を運命として選ぶ決意」をしたのは、25歳のときでした。

 「夢に賭けても成功しないかもしれない。」「パーセンテージの問題で言えば、99%以上が成功しないだろう。しかし、挑戦した上での不成功者と、挑戦を避けたままの不成功者とではまったく天地のへだたりがある。」

 人生、ダメでもともとであります。しかしそう思うと、逆に力がわいてきます。人生指南として、本書を多くの若い方々に読んでほしいです。

佐高信著『青春読書ノート 大学時代に何を学んだか』講談社文庫

 佐高信さんは、慶応大学法学部を卒業後、いったん郷里の高校教師となり、その経済誌の編集者を経て、現在、評論家として活躍しています

 本書は、佐高さんが大学時代の四年間に綴た「読書ノート」です。青春の息吹と苦悩、エネルギーと情熱が、ストレートに伝わってきます

 佐高さんが四年間で読破した本は、なんと470冊です。本書は、大学時代を「自我確立以前/ほんものの思想を求めて/問題の発見/モラトリアムの終わりを前に」の四つの時期に区切って構成されていますが、佐高さんがあらゆる種類の人文書を読み倒した経緯が、生々しく記されています

 「四月二〇日~五月一六日/長期にわたって読みつづけた、ある時は電車のなかで、また、ある時は、喫茶店で、そして五月十六日に寮の一室で静かに読み終えた。……」

 本書を読んで、私は圧倒されました

高野悦子著『二十歳の原点』新潮文庫

 立命館大学の女学生、高野悦子さんの日記です。高野さんが高校生のときに書かれた日記も出版されていますが、本書は、彼女が大学生になり、しかしそこから自殺するに至るまでの思索の軌跡が記されています。私は本書を読んで、胸が詰まりました。

 本書は、「青春をいかに生きるべきか」を考えるための、一つの思考の手本となるでしょう

 二十歳という年齢は、いったい人生のなかで、どういう意味をもつのか。この時期にしか分からない、実存の問題というものがあります。それを、二十歳前後のときに、味わっておきたいものです。



So Nice, Kei Kobayashi(CD)

 本ではなくCDですが、日本を代表するジャズ・ボーカル、小林桂(Kei Kobayashi)さんのファーストアルバムをご紹介します

 これは小林敬さんが19歳のときの録音ですが、すでに大人のジャズの世界を知り尽くしたような、そんな貫禄があります。およそ人生をひと通り歩み終えてしまわないと、こういった渋みのある声は出ないように思われるのですが、どうでしょう。私が19歳のときと比べると、はるかに先を走っています

 小林桂さんは、外見は、どこにでもいそうな若者のようにみえますが、才能はもちろん、人生の経験量が違うように感じます。ただ、矢継ぎ早に出された彼のセカンドアルバムは、少し作りが劣るので注意です。

■ 高校生レベルの教材

 高校レベルの参考書は、大学に入っても必要です。例えば、小論文政治・経済倫理現代文などの上級参考書は、「大学生のための教養書」と言えるでしょう。

 大学生になってから高校レベルの勉強をするというのは、ちょっと気恥ずかしいかもしれません。しかし私の場合も、恥ずかしながら、大学生になってから、高校レベルの勉強に独学でとりくみました。効果は、かなりあったように思います

 高校生向けの参考書は、教材としても情報量としても、特別に充実しています。繰り返し勉強する価値があります。逆に言うと、大学1年生のための教養書としてすぐれた本は、この社会にはほとんどありません。大学1年生は、この驚くべき事実に、遅かれ早かれ気づくでしょう。

 おそらく多くの人は、大学に入ってからはじめて、高校レベルの参考書の真価に気づくのかもしれません。人は、他人に教えることができたときに、それを「理解した」と感じるもので。大学生であれば、高校生に対して何か自信をもって教えることのできる知識を持つことが、一つの目標となるでしょう。大学生にとって、身近な目標となる教養人は、高校や予備校の先生たちで。以下に、参考書をいくつか挙げます

□ 小論文

『代々木ゼミナール 新小論文ノート』

 毎年出版されています。この分野のバイブルで、私も大学に入ってからこれを使って勉強しました。入試問題とその解説です。解答例と解説を参考にしながら、毎週一問ずつ、自分で小論文を書いてみるというのはどうでしょう。

□ 政治経済と倫理

『チャート式 政治経済』

『チャート式 倫理』

『倫理資料集』山川出版

『倫理思想用語辞典』山川出版

『日本の論点』文芸春秋(毎年刊行)

 こういう参考書を紹介するのは、やはり気がひけます。けれどもこれらの本は、さまざまな知識を得たのちに再読してみると、改めて得るところが多いです。私は、「倫理」という科目を高校時代に学びませんでしたが、大学一年生に必要な教養は、だいたいこの「倫理」の内容に沿っていることが分かります。

 私が大学生のときは、「名著」と呼ばれる本を読んでも、まだ自分の読書力が足りませんでした。しかし反対に、さまざまな分野の入門書や話題の書を読んでも、あとになってみると、心に残らない本ばかりです。

 大学生のときは、いろいろなジャンルの本を濫読してみないと、良書には出会わないのかもしれません。とにかくまず、手当たりしだいに読んでみる。そして基礎的な事柄や概念について、たんに知識を詰めるだけでなく、思索を重ねていく必要があるでしょう。思索する力が伸びると、名著と呼ばれるさまざまな本の真価が分かってくるでしょう。そしてようやく、自分の人生にとって、掛替えのない本との出会えるでしょう。

 一つの方法は、辞典・事典類を座右に置いて、自由な思索に時間を割くことです。『政治学事典』や『現代倫理学事典』(いずれも弘文堂)などがおススメです。


□ その他

『世界地図帳』

『国語便覧』

 ニュースや書物には、世界各国の都市名が出てきますでもその都市の位置や気候、風土や社会について一応の知識がないと、ニュースを聞いても「へぇー」という感想しか言えないのがさみしいです。その土地の人々について想像力が働かないと、興味もわいてきません。結果として、国際ニュースや小説の面白さは半減してしまうでしょう。

 私は学部生の頃に、世界各国を旅することで、思わぬ方向に知的関心が広がりました。しかしまだ訪れたことのない地域については、地図帳を眺めて大いに想像力を逞しくしたいものです。本を面白く読むためには、地図帳が欠かせません

 国語便覧もまた、眺めているうちに、いろいろな関心を掻き立てられます。高校生の参考書ではありますが、大学生にとっても豊かな情報量で。国語便覧のように、「後になってからそのよさが分かる」ような本があります。そんな本を、手元に多く置きたいものです。


■ 読書術


立花隆『ぼくが読んだ面白い本・ダメな本そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術』文芸春秋[2001]

 頼りになる一冊で。この本の中で紹介されている様々な本を、手当たり次第に読んでみたい気にさせられます。収録されているエッセイ「序 宇宙・人類・書物」と「『「捨てる!」技術』を一刀両断する」、一読する価値があります

 「私は書物というのは、万人の大学だと思っている。どの大学に入ろうと、人が大学で学べることは量的にも質的にもごく少ない。大学でも、大学を出てからでも、何事かを学ぼうと思ったら、人は結局、本を読むしかないのである。大学を出ようと出まいと、生涯書物という大学に通いつづけなければ、何事も学べない。」

■ 「読書のすすめ」の難しさについて

 私大学一年生の頃、村上春樹やヘッセなどを読んで、大いに共感するところがありました。でもいまから振りかえってみると、これらの書物は、はたして現在の自分の血となり肉となったのかといえば、怪しいです。面白い本、あるいは、そのときの自分の感受性に合った本は、奨められなくても各自で読めばいいでしょう。私も、もし「村上春樹を読め」と誰かに勧められたら、かえって読まなかったかもしれません。ある本を奨められると、別の本を読みたくなることがあります。他人に本を奨めるというのは、とても難しいですね。

 もし本気で読書をすすめるのであれば、「いかにして現在の自分に合った本を、真剣に探すか」という、本を探す技術を伝えるべきかもしれません。私は大学一年生向けの演習で、「古本屋めぐり」のレポートを課すことがあります。大学生には、古本の価値について、鑑定団のような眼を持ってほしいと思うからで

 大学生になったら、入門/中級/上級という順番に本を読むのではなく、難易度をいろいろ混ぜて読んでみたいものです。入門書を少しかじったら、先のレベルにすすんでみる。そしてまた、入門書に戻ってくる。読書はこのように、波のようにすすめる。これが先人たちの知恵です


読書案内(おすすめ図書リスト)

読書案内:おすすめ図書リスト

「学問の技法」受講者のために、とりあえず暫定的にリストを作ってみました。全学教育向けです。

橋本努

2004.6.version

■ 講義「学問の技法」の追加課題

1.古本屋めぐり(5店以上)をして、文庫10冊を購入してください。(文庫といってもいろいろあるので、さし当たって、岩波文庫・新潮文庫・ちくま学芸文庫・講談社学術文庫に限定します。)そして古本屋めぐりについて、レポート(2,000字)を提出してください。また買った10冊の本を持参して、授業でみなさんに紹介してください。

2.これから読みたいと思う本の「タイトル・著者名・出版社名」を50冊分リストアップしてください。その際、例えば「全二巻」というように連続している場合は、一冊として数えてください。

3.来年度の新しい入学生に、何か本を薦めてください。三冊くらい薦めてください。エッセイ(1,000-1,200字)

■ 最初のメニュー:読書生活編(以下、特にお勧めの本は青色で表記します。)

佐高信『青春読書ノート:大学時代に何を読んだか』 講談社文庫

立花隆『ぼくが読んだ面白い本・ダメな本 そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術』 文春文庫

立花隆『二十歳のころ〈1〉1937‐1958:立花ゼミ『調べて書く』共同製作』新潮文庫

立花隆『ぼくはこんな本を読んできた:立花式読書論、読書術、書斎論』文芸春秋

■ 生きるためのヒント

北海道大学生活協同組合学生組織委員会編『北大生の生活』

吉野源三郎『君たちはどう生きるか』岩波文庫

大平健『純愛時代』岩波新書

大平健『やさしさの精神病理』岩波新書

なだいなだ『いじめを考える』岩波ジュニア新書

金子郁容『ボランティア』岩波新書

秦辰也『ボランティアの考え方』岩波ジュニア新書

レイチェル・カーソン『沈黙の春』新潮文庫

森住明弘『環境とつきあう50話』岩波ジュニア新書

熊沢誠『女性労働と企業社会』岩波新書

山田昌弘『パラサイト・シングルの時代』ちくま新書

暉峻淑子『豊かさとは何か』岩波新書

暉峻淑子『豊かさの条件』岩波新書

■ 新潮文庫のロングセラー

「あー、あれね。」と話題にのぼる本です。少しくらい読んでいないと恥ずかしくなってしまうような、「教養なるもの」のイメージを形作っている本です。教養書といっても破天荒なものが多いのですが、いったいなぜでしょう。

谷崎潤一郎『痴人の愛』

太宰治『人間失格』

夏目漱石『こころ』

夏目漱石『三四郎』

芥川龍之介『羅生門・鼻』

芥川龍之介『蜘蛛の糸・杜子春』

井伏鱒二『黒い雨』

三島由紀夫『仮面の告白』

三島由紀夫『金閣寺』

武者小路実篤『友情』

宮沢賢治『新編 銀河鉄道の夜』

宮沢賢治『注文の多い料理店』

安部公房『砂の女』

安部公房『箱男』

遠藤周作『沈黙』

村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上・下』

平野啓一郎『日蝕』

坂口安吾『白痴』

ヘッセ『車輪の下』

スティーヴンソン『ジーキル博士とハイド氏』

ドストエフスキー『罪と罰 上・下』

ゲーテ『若きウェルテルの悩み』

シェイクスピア『ハムレット』

ヴェルヌ『十五少年漂流記』

サリンジャー『ナイン・ストーリーズ』

カフカ『変身』

エミリー・ブロンテ『嵐が丘』

コナン・ドイル『シャーロック・ホームズの事件簿』

カミュ『異邦人』

リチャード・バック『かもめのジョナサン』

ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』

■ 岩波文庫

「あれはいったい何だったのだろう。」がむしゃらに読みはじめたのに、途中で放り投げてしまう。けれども忘れた頃になって、また読み始めている。

『ヴァジニア覚え書』T.ジェファソン

『君主論』 マキアヴェッリ

『権利のための闘争』 イェーリング

『ザ・フェデラリスト』 A.ハミルトン,J.ジェイ,J.マディソン

『市民政府論』 ロック

『人権宣言集』 高木 八尺,末延 三次,宮沢 俊義 編

『哲学者と法学徒との対話』 ホッブズ

『フランス革命についての省察』〔全2冊〕 エドマンド・バーク

『法の精神』 全三冊  モンテスキュー

『リヴァイアサン』 全四冊  ホッブズ

『共産党宣言』 マルクス,エンゲルス

『空想より科学へ』 エンゲルス

『経済学・哲学草稿』 マルクス

『経済発展の理論』 全二冊 シュムペーター

『国富論』〔全4冊〕 アダム・スミス

『古代ユダヤ教』 〔全3冊〕 マックス・ウェーバー

『産業者の教理問答 他1篇』 サン=シモン

『資本論』 全九冊 マルクス

『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』マックス・ヴェーバー(同じ内容で別の翻訳があります→マックス・ヴェーバー『社会科学の方法』講談社学術文庫:読みやすいので、こちらを薦めます)

『自由論』 J.S.ミル

『女性の解放』 J.S.ミル

『社会学の根本概念』 マックス・ヴェーバー(同じ内容で別の翻訳があります→マックス・ヴェーバー『社会学の基礎概念』恒星社厚生閣:訳がとてもよいので、こちらを薦めます)

『職業としての学問』 マックス・ウェーバー

『職業としての政治』 マックス・ヴェーバー

『戦争論』 全三冊  クラウゼヴィッツ

『賃銀・価格および利潤』 マルクス

『賃労働と資本』 マルクス

『帝国主義』 レーニン

『帝国主義論』 全2冊  ホブスン

『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』 マルクス,エンゲルス

『道徳感情論』 上下 アダム・スミス

『麺麭の略取』 クロポトキン

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 マックス・ヴェーバー

『未開社会の思惟』 全2冊  レヴィ・ブリュル

『ミル自伝』 J.S.ミル

『有閑階級の理論』 ヴェブレン

『ユダヤ人問題によせて ヘーゲル法哲学批判序説』 カール・マルクス

『理解社会学のカテゴリー』 マックス・ウェーバー(同じ内容で別の翻訳があります→マックス・ヴェーバー『理解社会学のカテゴリー』未来社:訳がとてもよいので、こちらを薦めます。)

『ロシヤにおける革命思想の発達について』 ゲルツェン

『わが生涯』 〔全2冊〕 トロツキー

『愛の断想・日々の断想』 ジンメル

『詩学』アリストテレス

『ある巡礼者の物語』 ロヨラ

『永遠平和のために』 カント

『エチカ (倫理学)』 全二冊 スピノザ

『エックハルト説教集』

『エミール』 全三冊  ルソー

パスカル 『科学論文集』

『神を観ることについて 他2篇』 クザーヌス

『カルヴァン小論集』

『ギリシア哲学者列伝』 全三冊  ディオゲネス・ラエルティオス

『新訳 キリスト者の自由・ 聖書への序言』 マルティン・ルター

アリストテレス 『形而上学』 全二冊

『啓蒙とは何か 他四篇』 カント

『言語 ことばの研究序説』 エドワード・サピア

『現代の批判 他一篇』 キルケゴール

『コーラン』 全三冊

『ヒルティ 幸福論』 全三冊

『アラン 幸福論』

聖アウグスティヌス 『告白』 全二冊

プラトン 『国家』 全二冊

スピノザ 『国家論』

『孤独な散歩者の夢想』 ルソー

『この人を見よ』 ニーチェ

『ゴルギアス』 プラトン

時間と自由』 ベルクソン

『思想と動くもの』 ベルクソン

『四季をめぐる51のプロポ』 アラン

『自殺について 他四篇』 ショウペンハウエル

『自省録』 マルクス・アウレーリウス

『死に至る病』 キェルケゴール

カント 『実践理性批判』

『社会学の根本問題』 ジンメル

→(同じ内容で別の翻訳があります→ジンメル『社会学の根本問題』世界思想社:訳がとてもよいので、こちらを薦めます。)

『社会契約論』 ルソー

『旧約 聖書 出エジプト記』

『旧約 聖書 創世記』

『純粋理性批判』 全三冊  カント

『将来の哲学の根本命題』 他二篇 フォイエルバッハ

スピノザ 『神学・政治論』 全2冊

『人生の短さについて』 他二篇 セネカ

『人知原理論』 ジョージ・バークリ

『シンボル形式の哲学』 全四冊  カッシーラー

『聖なるもの』 オットー

『西洋哲学史』 全二冊  シュヴェーグラー

『善悪の彼岸』 ニーチェ

『ソクラテス以前以後』 F.M.コーンフォード

『ソクラテスの弁明』 クリトン プラトン

『存在と時間』 全三冊  ハイデガー

『体験と創作』 全2冊  ディルタイ

『知性について』 他四篇 ショーペンハウエル

『ツァラトゥストラは こう言った』 全二冊  ニーチェ

『テアイテトス』 プラトン

アラン 『定義集』

『デカルト的省察』 フッサール

デカルトの哲学原理』 スピノザ

『哲学原理』 デカルト

『哲学の改造』 ジョン・デューウィ

『道徳の系譜』 ニーチェ

アリストテレス 『動物誌』 〔全2冊〕 

『読書について』 他二篇 ショウペンハウエル

シュライエルマッハー 『独白』

アリストテレス 『ニコマコス倫理学』 全二冊

『日本の弓術』 オイゲン・ヘリゲル

『ニュー・アトランティス』 ベーコン

『人間認識起源論』 全二冊  コンディヤック

『人間不平等起原論』 ルソー

『眠られぬ夜のために』 全二冊  ヒルティ

『パイドロス』 プラトン

『パイドン』 プラトン

『ハリネズミと狐』 バーリン

『判断力批判』 全二冊  カント

『悲劇の誕生』 ニーチェ

『人さまざま』 テオプラストス

『新約 聖書 福音書』

『プラグマティズム』 W.ジェイムズ

『フランス革命期の公教育論』 コンドルセ

『プロタゴラス』 プラトン

アリストテレス 『弁論術』

『方法序説』 デカルト

『民主主義と教育』 全二冊  デューイ

『メノン』 プラトン

友情について』 キケロ

老年について』 キケロ

『旧約 聖書 ヨブ記』

『霊操』 イグナチオ・デ・ロヨラ

ヘーゲル 『歴史哲学講義』 全二冊

『連続性の哲学』 パース

『論理哲学論考』 ウィトゲンシュタイン

『笑い』 ベルクソン

『我と汝・対話』 マルティン・ブーバー

ブッダ 『悪魔との対話』

『一遍聖絵』

ブッダ 『神々との対話』

教行信証『親鸞』

『正法眼蔵』 全四冊

『正法眼蔵随聞記』 懐奘 編

『親鸞和讃集』

『禅海一瀾』

『選択本願念仏集』 法然

『沢菴和尚書簡集』

『歎異抄』

『新編 東洋的な見方』 鈴木 大拙

『尼僧の告白』

『日蓮文集』

『日本的霊性』 鈴木 大拙

『般若心経・金剛般若経』

『ブッダ最後の旅』

『ブッダのことば』

『ブッダの真理のことば 感興のことば』

『仏弟子の告白』

『法然上人絵伝』 〔全2冊〕 

『摩訶止観』 全二冊  天台大師

無門関

『臨済録』

『蓮如文集』 蓮如

『アリランの歌』 ニム・ ウェールズ,キム・ サン

『ある出稼石工の回想』 マルタン・ナド

『ある歴史家の生い立ち』 顧 頡剛

『アレクサンドロス大王東征記』 〔全2冊〕 アッリアノス

『一外交官の見た明治維新』 全二冊  アーネスト・サトウ

『インディアスの破壊についての簡潔な報告』 ラス・カサス

『大森貝塚』 E.S.モース

『オデュッセウスの世界』 フィンリー

ガリア戦記』 カエサル

『新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・ 宋書倭国伝・隋書倭国伝』

『新訂 旧唐書倭国日本伝・ 宋史日本伝・元史日本伝』

タキトゥス 『ゲルマーニア

『元朝秘史』 〔全2冊〕

『古代への情熱』シュリーマン

『古琉球』 伊波 普猷

『考史遊記』 桑原 隲蔵

『西遊草』 

『紫禁城の黄昏』 R.F.ジョンストン

『那珂 通世支那通史』 全3冊

『植物巡礼』 F.キングドン-ウォード

『職工事情』 〔全3冊〕 

『人文地理学原理』 全二冊  ブラーシュ

『政治問答』 他1篇 ランケ

『西洋事物起原』 〔全4冊〕 ヨハン・ベックマン

『大君の都』 全三冊  オールコック

『大地と人類の進化』 全2冊  フェーヴル

『朝鮮民芸論集』

『朝鮮・琉球航海記』 ベイジル・ホール

『東京に暮す』 キャサリン・サンソム

『洞窟絵画から連載漫画へ』 ホグベン

『ツアンポー峡谷の謎』 F.キングドン‐ウォード

『トゥバ紀行』 メンヒェン=ヘルフェン

『日本アルプスの登山と探検』 ウェストン

『ペルリ 提督 日本遠征記』 全4冊

『ハリス 日本滞在記』 全3冊  

『増補 幕末百話』 篠田 鉱造

『福沢諭吉の哲学』 他6篇 丸山 眞男

『文化史上より見たる日本の数学』 三上 義夫

『ベルツの日記』 全二冊  トク・ベルツ

『北槎聞略』 桂川 甫周

『ムガル帝国誌』 〔全2冊〕 ベルニエ

『娘巡礼記』 高群 逸枝

『明治百話』 〔全2冊〕

『モンゴルの歴史と文化』 ハイシッヒ

『ヨーロッパ文化と日本文化』 ルイス・フロイス

『雍州府志』 〔全2冊〕 黒川 道祐

『ランケ自伝』

ヘロドトス 『歴史』 全三冊  

『歴史序説』 〔全4冊〕 イブン=ハルドゥーン

『インド思想史』 J.ゴンダ

『易経』 全二冊  

『韓非子』 全四冊  

『史記列伝』 全五冊  

『春秋左氏伝』 全三冊  

『真の独立への道』 M.K.ガーンディー

『声曲類纂』

『荘子』 全四冊  

『仁学』 譚 嗣 同

『新訂 孫子』

『大学・中庸』

『孟子』 全二冊

『ユトク伝』

『論語』

『「いき」の構造』 他二篇 九鬼 周造

『意識と本質』 井筒 俊彦

『石橋湛山評論集』

『維新旧幕比較論』 木下 真弘

『イスラーム文化』 井筒 俊彦

『イタリア古寺巡礼』 和辻 哲郎

『一年有半・続一年有半』 中江 兆民

『英国の近代文学』 吉田 健一

『大杉栄評論集』

『懐旧九十年』 石黒 忠悳

『新訂 海舟座談』

『海上の道』 柳田 国男

『家郷の訓』 宮本 常一

『学問のすゝめ』 福沢 諭吉

『新版 河童駒引考』 石田 英一郎

『寒村自伝』 全二冊

『新版 きけ わだつみのこえ』 日本戦没学生記念会 編

『鳩翁道話』 石川 謙 校訂

『渡辺一夫評論選 狂気について』 他二十二篇

『清沢洌評論集』

『極光のかげに』 高杉 一郎

『基督抹殺論』 幸徳 秋水

『黒船前後・志士と経済』 他十六篇 服部 之総

『歌集 形相』 南原 繁

『元禄快挙録』 全三冊  

『工藝文化』 柳 宗悦

『孔子』 和辻 哲郎

『後世への最大遺物 デンマルク国の話』 内村 鑑三

『国史上の社会問題』 三浦 周行

『古寺巡礼』 和辻 哲郎

『五輪書』 宮本 武蔵

『西郷南洲遺訓』 西郷 隆盛

『鎖国』 全二冊  和辻 哲郎

『世阿弥』 申楽談儀

中江兆民 『三酔人経綸問答』

『史記を語る』 宮崎 市定

『思索と体験』 西田 幾多郎

河上肇 『自叙伝』 〔全5冊〕 

『自叙伝・日本脱出記』 大杉 栄

『習慣論』 ラヴェッソン

『自由党史』 全3冊  板垣 退助 

『十二支考』 全二冊  南方 熊楠

『女工哀史』 細井 和喜蔵

自歴譜』 加太 邦憲

『塵劫記』 吉田 光由

『人国記・新人国記』 浅野 建二

『政談』 荻生 徂来

『仙境異聞・勝五郎再生記聞』 平田 篤胤

『善の研究』 西田 幾多郎

『漱石詩注』 吉川 幸次郎

『西欧紀行 祖国を顧みて』 河上 肇

『新版 第二集 きけ わだつみのこえ』 日本戦没学生記念会 編

『代表的日本人』 内村 鑑三

『茶の本』 岡倉 覚三

『帝国主義』 幸徳 秋水

『手仕事の日本』 柳 宗悦

『統道真伝』 全2冊  安藤 昌益

『中江兆民評論集』

『南無阿弥陀仏』 付心偈 柳 宗悦

『新島襄書簡集』 新島 襄,同志社 編

『西田幾多郎随筆集』

『二宮翁夜話』

『日本精神史研究』 和辻 哲郎

『日本の下層社会』 横山 源之助

『葉隠』 全三冊  

『幕末政治家』

『新訂 日暮硯』 

『被差別部落一千年史』

『風姿花伝 (花伝書)』 世阿弥

『風土』 和辻 哲郎

『新訂 福翁自伝』 福沢 諭吉

『福沢諭吉家族論集』 中村 敏子 編

『福沢諭吉の手紙』 慶應義塾 編

『武家の女性』 山川 菊栄

『武士道』 新渡戸 稲造

『文明論之概略』 福沢 諭吉

『特命全 権大使 米欧回覧実記』 全五冊  

『兵法家伝書』 柳生 宗矩

『平民新聞論説集』 林 茂

『三浦梅園自然哲学論集』 尾形 純男

『民藝四十年』 柳 宗悦

『明治日本労働通信』 高野 房太郎/大島 清

『名将言行録』 全8冊  

『明六雑誌』 〔全3冊〕 山室 信一

『新編 木馬と石牛』 金関 丈夫

『木綿以前の事』 柳田 国男

柳宗悦 『妙好人論集』

『山川菊栄評論集』

『山びこ学校』

『養生訓・和俗童子訓』 貝原 益軒

『吉田松陰書簡集』

『余は如何にして 基督信徒となりし乎』 内村 鑑三

『蘭学事始』 杉田 玄白

『忘れられた日本人』 宮本 常一

『妾の半生涯』 福田 英子

『アイヌ神謡集』 知里幸恵

『青い花』 ノヴァーリス

『イタリア紀行』 全三冊  ゲーテ

『ヴァレンシュタイン』 シラー

『ウィーン世紀末文学選』 池内 紀 編訳

『ウィーンの辻音楽師』 他一篇 グリルパルツァー

『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』 全3冊 ゲーテ

『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』 全3冊 ゲーテ

『ヴェニスに死す』 トオマス・マン

『影をなくした男』 シャミッソー

『カフカ寓話集』 池内 紀 編訳

『カフカ短篇集』 池内 紀 編訳

『ガリレイの生涯』 ベルトルト・ブレヒト

『肝っ玉おっ母とその子どもたち』 ブレヒト

『完訳 グリム童話集』 全五冊

『黒い蜘蛛』 ゴットヘルフ

『群盗』 シラー

『ゲーテとの対話』 全三冊  エッカーマン

『ゲオルゲ詩集』

『ゴッケル物語』 ブレンターノ

『こわれがめ』 クライスト

『ザッフォオ』 グリルパルツェル

『三文オペラ』 ベルトルト・ブレヒト

『詩と真実』 〔全4冊〕 ゲーテ

『短篇集 死神とのインタヴュー』 ノサック

『車輪の下』 ヘルマン・ヘッセ

『ジョゼフ・フーシェ』 シュテファン・ツワイク

『審判』 カフカ

『水晶 他三篇』 シュティフター

『雀横丁年代記』 ラーベ

『青春はうるわし』 他三篇 ヘッセ

『青春彷徨』 ヘルマン・ヘッセ

『蝶の生活』 シュナック

『デミアン』 ヘルマン・ヘッセ

『ドイツ名詩選』 生野 幸吉,檜山 哲彦 編

『ドイツ炉辺ばなし集』 ヘーベル

『メルヒェン集 盗賊の森の一夜』 ハウフ

『トオマス・マン短篇集』

『トニオ・クレエゲル』 トオマス・マン

『ファウスト 全二冊  ゲーテ

『ヘルダーリン詩集』

『ボードレール』 他五篇 ベンヤミン

『暴力批判論』 他十篇 ベンヤミン

『魔の山』 全二冊  トーマス・マン

『マリー・アントワネット』 全二冊  シュテファン・ツワイク

『みずうみ 他四篇』 シュトルム

『村のロメオとユリア』 ケラー

『メッシーナの花嫁』 シラー

『森の小道・二人の姉妹』 シュティフター

『陽気なヴッツ先生 他一篇』 ジャン・ パウル

『ラインケ狐』

『ラオコオン』 レッシング

『講演集 リヒァルト・ヴァーグナーの苦悩と偉大』 他一篇 トーマス・マン

『ワイマルのロッテ』 全二冊  トーマス・マン

『若きウェルテルの悩み』 ゲーテ

赤と黒 全二冊』  スタンダール

ボオドレール 『悪の華』

アルプスのタルタラン』 ドーデー

『家なき娘』 全2冊  エクトル・マロ

『生きている過去』 レニエ

『インカ帝国の滅亡』 マルモンテル

『ヴェルレエヌ詩集』 ヴェルレエヌ

『嘘つき男・舞台は夢』 コルネイユ

『エトルリヤの壺』 他五篇 メリメ

『恐るべき子供たち』 コクトー

『彼女と彼』 ジョルジュ・サンド

『カルメン』 メリメ

『感情教育』 全二冊  フローベール

『危険な関係』 全二冊  ラクロ

『グラン・モーヌ』 アラン=フルニエ

『クレーヴの奥方』 他二篇 ラファイエット夫人

『結婚十五の歓び』

『短篇集 恋の罪』 サド

ゴリオ爺さん』 〔全2冊〕 バルザック

『三銃士』 全二冊  デュマ

『死刑囚最後の日』 ユーゴー

『地獄の季節』 ランボオ

『脂肪のかたまり』 モーパッサン

『ジャン・クリストフ』 全四冊  ロマン・ローラン

『ジュスチーヌまたは美徳の不幸』 サド

シュルレアリスム宣言・溶ける魚』 アンドレ・ブルトン

『シラノ・ド・ベルジュラック』 ロスタン

『知られざる傑作』 他五篇 バルザック

『シルヴェストル・ボナールの罪』 アナトール・フランス

『死霊の恋・ポンペイ夜話』 他三篇 ゴーチエ

『制作』 〔全2冊〕 エミール・ゾラ

『狭き門』 アンドレ・ジイド

『谷間のゆり』 バルザック

『戯れに恋はすまじ』 ミュッセ

『知性の愁い』 ニコラ・セギュール

『地底旅行』 ジュール・ヴェルヌ

『椿姫』 デュマ・フィス

『トリスタン・イズー物語』 ベディエ 編

『ドン・ジュアン』 モリエール

『ナジャ』 アンドレ・ブルトン

『にんじん』 ルナアル

『八十日間世界一周』 ジュール・ヴェルヌ

『パルムの僧院』 全二冊  スタンダール

『美味礼讃』 全二冊  ブリア‐サヴァラン

『氷島の漁夫』 ピエール・ロチ

『風車小屋だより』 ドーデー

『フェードル アンドロマック』 ラシーヌ

『ベートーヴェンの生涯』 ロマン・ロラン

『ベラミ』 全2冊  モーパッサン

『完訳 ペロー童話集』

『ボヴァリー夫人』 全二冊  フローベール

『マノン・レスコー』 アベ・プレヴオ

『ムッシュー・テスト』 ポール・ヴァレリー

『牝猫 (めすねこ)』 コレット

『モーパッサン短篇選』

『紋切型辞典』 フローベール

『モンテ・クリスト伯』 全七冊  アレクサンドル・デュマ

『散文詩 夜の歌』 フランシス・ジャム

『ラ・ロシュフコー箴言集』

『レ・ミゼラブル』 全四冊  ユーゴー

『悪魔物語・運命の卵』 ブルガーコフ

『悪霊』 全二冊  ドストエフスキー

『アンナ・カレーニナ』 全三冊  トルストイ

『イワン・イリッチの死』 トルストイ

『民話集 イワンのばか』 他八篇 トルストイ

『オネーギン』 プーシキン

『オブローモフ主義とは何か?』 他1篇 ドブロリューボフ

『外套・鼻』 ゴーゴリ

『カラマーゾフの兄弟』 全四冊  ドストエフスキー

『狂人日記 他二篇』 ゴーゴリ

『処女地』 ツルゲーネフ

『スペードの女王・ ベールキン物語』 プーシキン

『罪と罰』 全三冊 〔全3冊〕 ドストエフスキー

『どん底』 ゴーリキイ

『二重人格』 ドストエフスキー

『民話集 人はなんで生きるか』 他四篇 トルストイ

『プラトーノフ』作品集

『ロシア文学の理想と現実』 全二冊  P.クロポトキン

『ロシヤは誰に住みよいか』 ネクラーソフ

『ワーニャおじさん』 チェーホフ

(以下、斉藤孝氏のリストにこれから少しずつ追加していく予定です。)

■ 感動もの

『生きることの意味』高史明(ちくま文庫)

『苦海浄土』石牟礼道子(講談社文庫)

『ドキュメント人間』鎌田慧(ちくま文庫)

『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人編著(中公新書)

『開かれた小さな扉』アクスライン(日本エディタースクール出版部)

『わがいのち月明に燃ゆ』林ただ夫(ちくま文庫)

『ことばが劈かれるとき』竹内敏晴(ちくま書房)

『夜と霧』フランクル(みすず書房)

『看護婦の現場から』向井承子(講談社現代新書)

『葬式ごっこ 八年後の証言』豊田充(風雅書房)

『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』井村和清(祥伝社NONブックス)→祥伝社黄金文庫

奥井理(おくい・みがく)『19歳の叫び』北海道新聞社[1998]

■ 社会史

『文明化の過程』エリアス(法政大学出版局)

『刑罰の社会史』阿部謹也(中公新書)刑吏の社会史―中世ヨーロッパの庶民生活

『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』バフチーン(せりか書房)

『楽園・味覚・理性』シュベルブシュ(法政大学出版局)

■ 身体論関係

『整体法の基礎』野口晴哉(はるちか)(全生社他)

『精神としての身体』(講談社学術文庫 1019)

『身の構造』市川浩(講談社学術文庫)

『身体と感情の現象学』 シュミッツ(産業図書)

『胎児の世界』三木成夫(中公新書)

『身体の宇宙誌』鎌田東二(講談社学術文庫)

『五感』ミッシェル・セール著、米山親能訳(法政大学出版局)

『精神のコスモロジーへ』E・ミンコフスキー著、中村雄二郎訳、松本小四郎訳(人文書院)

『時間と自己』木村敏(中公新書)

『引き裂かれた自己』R・D・レイング著、天野衛訳

『指圧療法』増永静人(創元医学新書)

『フォーカシング』ジェンドリン(福村出版)

『弓と禅』ヘリゲル(福村出版)

『からだに貞(き)く』野口三千三(柏樹社)

『武道とは何か』南郷継正(三一書房)

『知覚の現象学』メルロ=ポンティ

『眼と精神』メルロ=ポンティ

『世界の散文』メルロ=ポンティ(みすず書房)

■ 社会認識関係

『ユダヤ人問題によせて』マルクス(岩波文庫)

『フォイエルバッハに関するテーゼ』マルクス(岩波文庫)

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』ウェーバー(岩波文庫)

『日本の思想』丸山真男 (岩波新書)

『「文明論の概略」を読む』丸山真男 (岩波新書)

『現代政治の思想と行動』丸山真男(未来社)

『日本政治思想史研究』丸山真男(東大出版会)

『歴史とは何か』カー(岩波新書)

『戸坂潤全集第二巻』戸坂潤(勁草書房)

『史的システムとしての資本主義』ウォーラーステイン(岩波現代選書)

『レギュラシオン理論』山田鋭夫(講談社現代新書)

『伏(まつろ)わぬ人々アイヌ』 堀内光一(新泉社)

『バナナと日本人』鶴見良行(岩波新書)

『現代日本の思想 五つの渦』久野収・鶴見俊輔(岩波新書)

『人間の条件』アーレント(ちくま文庫)

『全体主義の起原』 アーレント(みすず)

『自己のテクノロジー』フーコー

『同性愛と生存の美学』フーコー

『監獄の誕生 監視と処罰』フーコー

『性の歴史』フーコー

『狂気の歴史』フーコー

『言葉と物』 フーコー

『ピエール・ブルデュー超領域の人間学』 ブルデュー

『シャドウ・ワーク』イリイチ(岩波) 小田実(岩波新書のどれか)

『共同幻想論』吉本隆明(角川文庫)

『人生のドラマトゥルギー』栗原彬(岩波)

『都市という廃墟』松山巌(ちくま文庫)

『砦に拠る』松下竜一(ちくま文庫)

『新東京漂流』藤原新也(新潮文庫)

『印度放浪』 藤原新也(朝日文庫他)

『豊かなアジア貧しい日本』中村尚司(学陽書房)

『明治大正史世相篇』柳田國男(講談社学術文庫)

『忘れられた日本人』宮本常一(岩波文庫)

『家郷の訓』宮本常一(岩波文庫)

『天皇制と被差別部落』上杉聰(三一新書)


■ 人間学

『この人を見よ』ニーチェ(講談社文庫他)

『呪われた部分』バタイユ(二見書房)

『沈黙の世界』ピカート(みすず)

『余暇と祝祭』ピーパー(講談社学術文庫)

『十牛図 自己の現象学』上田閑照・柳田聖山(ちくま学術文庫)

『ホモ・ルーデンス』ホイジンガ(中公文庫)

『かたちと力』ルネ・ユイグ(潮出版社)

『瞑想』ラジニーシ(めるくまーる社)

『我と汝/対話』ブーバー(みすず書房)

『マゾッホとサド』ドゥルーズ(晶文社)

『イエスという男』田川建三(三一書房)

『ソシュールの思想』丸山圭三郎(岩波)

『水と夢』バシュラール(国文社)

『空と夢』バシュラール(法政大学出版局)

『攻撃』ローレンツ(みすず)

『メビウス身体気流法』坪井繁幸(平河出版社)

『私の人生観』小林秀雄(角川文庫)

『道元の読み方』栗田勇(祥伝社ノンブック)

『「いき」の構造』九鬼周造(岩波文庫)

『中井正一評論集』中井正一(岩波文庫)

『心より心へ伝ふる花』観世寿夫(白水社)


■ 映画関係

『友よ映画よ わがヌーヴェルヴァーグ誌』山田宏一(ちくま文庫)

『映画に目が眩んで』蓮實重彦(中央公論社)


■ 教育関係

『教育の窓をあけませんか』室田明美(国土社)

『ミュンヘンの中学生』子安美知子(中公新書)

『教育芸術1,2』シュタイナー(創林書房)

『いかにして超感覚的世界の認識を得るか』シュタイナー(イザラ書房

『伝達か対話か』フレイレ(亜紀書房)

『理解のおくれの本質』村瀬学(大和書房)

『<子供>の誕生』エリアス(みすず)

『異文化としての子ども』本田和子(ちくま学術文庫)

『新エミール』 毛利子来(たねき)(ちくま文庫)

『饗宴』プラトン(岩波文庫)

『パイドーン』 プラトン(岩波文庫)

『シリーズ授業10 障害児教育』稲垣他(岩波)

『太陽の子』灰谷健次郎(新潮文庫)


■ 心理学関係

『精神分析入門』フロイト(中公文庫)

『エロスとタナトス』ブラウン(竹内書店新社)

『精神病』ラカン(岩波)

『幼児期と社会』エリクソン(みすず他)

『素足の心理療法』霜山徳爾(みすず書房)

『精神科診断面接のコツ』神田橋條治(岩崎学術出版社)

『自由からの逃走』フロム(東京創元社)

『ものぐさ精神分析』岸田秀(中公文庫)

『青年期』笠原嘉(中公新書)

『失われた私』シュライバー(ハヤカワ文庫)


■ 小説

『知られざる傑作』バルザック(岩波文庫)

『ドン・キホーテ』セルバンテス(岩波文庫)

『デミアン』ヘッセ(新潮文庫)

『ジャン・クリストフ』ロマン・ロラン

『存在の耐えられない軽さ』クンデラ

『微笑を誘う愛の物語』 クンデラ(集英社など)

『スタンド・バイ・ミー』スティーブン・キング(新潮文庫)

『山の音』川端康成

『千羽鶴』川端康成

『掌の小説』の中の「火に行く彼女」 川端康成(新潮文庫他)

『新しい人よ眼ざめよ』大江健三郎(講談社文庫)

『枯木灘』中上健次

『十九歳の地図』中上健次

『千年の愉楽』 中上健次(河出文庫)

『白痴』

『カラマーゾフの兄弟』他 ドストエフスキー(新潮文庫)

『長距離走者の孤独』シリトー(新潮文庫)

『フラニーとゾーイー』サリンジャー(新潮文庫)

『かもめ』他 チェーホフ(新潮文庫)

『デカメロン』ボッカチオ(教養文庫他)

『パンタグリュエル物語』ラブレー(岩波文庫)

『江戸川乱歩集』江戸川乱歩(創元推理文庫)

『紫苑物語』石川淳(新潮文庫)

『O.ヘンリー短編集』O.ヘンリー(新潮文庫)

『百年の孤独』マルケス(集英社)

『族長の秋』マルケス(集英社文庫)

『悪童日記』クリストフ(集英社?)

『ル・グウィン ゲド戦記シリーズ』  ル・グウィン

『プラトーノフ作品集』プラトーノフ(岩波文庫)

『宮沢賢治詩集』

『春と修羅』宮沢賢治

『タクシー狂躁曲』梁石日(ちくま文庫)

『タクシードライバー日誌』梁石日(ちくま文庫)


■ 漫画関係

『カムイ伝』白土三平(小学館)

『龍(ロン)』村上もとか(小学館)

『BE FREE』江川達也

『風呂上がりの夜空に』小林じん子

『河よりも長くゆるやかに』吉田秋生

『イグアナの娘』萩尾望都

『サンクチュアリ』史村翔・池上遼一

『遥かなる甲子園』山本おさむ

『まんだら屋の良太』畑中純

『行け!稲中卓球部』古谷実

『マスターキートン』浦沢直樹

『ギャンブル・レーサー』 中崎タツヤ

・喜国雅弘・原律子・ひさうちみちお・つげ義春・高野文子・山岸涼子・田中誠


■ 全体主義について

『一九八四年』オーウェル(ハヤカワ文庫)

『「近代」の意味』桜井哲夫

『ある憲兵の記録』朝日新聞社山形支局(朝日文庫)

『白バラは散らず』ショル(未来社)

『全体主義の時代経験』藤田省三(みすず)


■ 随筆他

『内田百けんの随筆』内田百けん(福武文庫、旺文社文庫)

『人間的時間の研究』プーレ(筑摩)

『物語/破局論』井口時男(評論社)

『グルダの真実』グルダ(洋泉社)

『セザンヌ』ペリュショ(みすず書房)

『侯孝賢』朝日ワンテーママガジン(朝日新聞社)

『俺様の宝石さ』浮谷東次郎(ちくま文庫)

『若き数学者のアメリカ』藤原正彦(新潮文庫)

『堕落論』坂口安吾(角川文庫)


大学3-4年生が大学1-2年生にすすめる本

12年生にお勧めの本

講義「経済思想」小レポート 2012


1・2年生にお勧めの本         梅田綾香  515

 私が大学12年生にお勧めしたい本は2冊ある。どちらも、自分の「生き方」について多くのヒントを与えてくれる素晴らしい本だ。

 まず1冊目が、マーク・マチニック著者の「後悔しない生き方」という本である。なぜ、この本を勧めるのかというと、私自身がこの本に非常に感銘を受けたからだ。当たり前のことだが、人生は、誰にとってもたった一度しかない貴重なものであり、何度も人生をやり直すことはできない。そのため、その人生をどのように過ごすべきか、どうすれば後悔しない人生を過ごせるかを各自が考えることは大切なことだろう。特に、社会人になる前のある程度自由な時間のある大学生のうちに、少しでもそれについて考えるべきではないだろうか。そして、この本は、そのきっかけとして読むのに最適だろう。私が考えるこの本の魅力は、とにかく読み易いという点である。この本は、全部で30個のトピックで構成されているのだが、それらは短いのですぐに読むことができ、かつ著者の経験に基づいて書かれているので非常に分かり易く、面白いものばかりだ。また、各項目の最後に問いが書かれていて、読者が自分自身について、問いかけることができるようになっている。たとえば、その中で、私が特に印象に残ったのは、「心の中の恐怖と向き合う」という項目である。ここでは、「慣れ親しんだ環境で今までと同じことを続けていても人間的成長がなく、後悔の原因になるだけだから、安全地帯から抜け出して、自分の新しい一面を見よう」という内容が書かれている。そして、最後の自分自身に問いかけることは、「安全地帯から抜け出さなければならない状況とは何か?」、「その状況でどんな恐怖と向き合うことになるか?」というものである。私がこれを読んだとき、まさに自分がここでいう安全地帯を好むリスク回避型の人間の典型例だと気づいた。特に、これまで就職について、自分が興味のある仕事は東京にあるが、慣れ親しんだ土地であり、友人も家族もいる北海道から離れたくないと考えていた。しかし、安全地帯(つまり私にとっては北海道)にとどまり、自分の夢を捨てることは後悔につながるのかもしれないと考えるようになった。このように、この本は、ただ著者の考えや経験を受け入れるだけでなく、それを通して自分を見つめなおし、考えるきっかけを与えてくれるので、12年生に是非お勧めしたい。

 次にお勧めしたい本は、石井希尚氏編訳の「超訳聖書 古代ユダヤ賢人の言葉」という本である。私は、特定の宗教観を持たない典型的な日本人だが、私がこの本を勧める理由は、この本が、様々な状況において、自分にアドバイスをくれるものであるからだ。この本の中には、人生の指針となるような深い言葉がたくさんある。私もその中の多くの言葉に勇気づけられた。たとえば、「耐えられない試練はない」ということである。具体的には、「直面している試練がたとえ、とてつもなく大きなもののようでも、それを乗り越えた人たちはいて、耐えることができるように、試練の中にも、必ず脱出の道がある」ということである。私は、この言葉から、試練が訪れた時に、ただ失望するのではなく、それをどのように解決すべきか、と前向きに考えることの大切さを学ぶことができる。このように現代においても昔の人から学べることはたくさんあるだろう。私もそうしているのだが、是非12年生には、この本を、一度読んで終わりというものではなく、何度も読み返し、人生のバイブルにしてほしい。

 以上に紹介した2冊は、どちらも生き方に関する本である。子供でもなく、社会人にもなりきれていないというような大学生の時だからこそ、読むべき本としてこれらをお勧めしたいと考える。

 最後に、諫山創氏の「進撃の巨人」という漫画をお勧めする。この漫画の内容は、人間が巨人に日々怯えながら暮らして、巨人と戦うものである。なぜ、これを勧めたいかというと、今の世の中を見ていると、しばしば人間の自己中心的な行動に疑問を感じてしまうからだ。たとえば、人間の利益だけを考えた結果の自然破壊、元は誰のものでもなく自然のものである土地をめぐっての争い、いじめ、虐待など自分より弱い人間を傷つける行動などである。私は決して、人間を完全に否定しているわけではない。しかし、この漫画は改めて、人間がいかにちっぽけな存在でしかないかということを考えさせてくれることのきっかけとなるだろう。また、人間以外の動物にとって、人間はこの漫画でいう巨人のような存在なのかもしれないと考えると、不思議な気持ちにもなった。このように、「進撃の巨人」は、人間より上の生物が存在するという斬新な内容であり、それ通じて現実世界の問題点も見えてくるという漫画である。この大ヒット漫画を、まだ読んだことのない12年生には、強くお勧めしたい。

経済思想 小レポート 514

経済学部経営学科3年 小田遼

 このレポートでは自分が大学12年生に薦める本について紹介する。推薦する著作を1冊ずつあげ、それについて記述していく。

・仲正昌樹『知識だけあるバカになるな! 何も信じられない世界で生き抜く方法』大和書房

 自分で考えられる人になるための方法論について書かれた一冊である。ともすればわかったつもりやレッテル貼りで思考停止に陥ってしまうが、そうならないための疑い方や学問へのつなげ方、学問の仕方について得られる所が多い。また、曖昧な「教養」について具体的なイメージを持つことができるだろう。学ぶということはどういうことか、学問するとはどういうことかをこの本から読みとって、学生生活のスタートダッシュをうまく切るために是非読んでほしい。

・倉田百三『愛と認識との出発』岩波文庫

 著者の青年期の考察をまとめた一冊で、内容は多岐にわたる。愛から信仰、認識論など、著者の言う愛生者としての哲学者のみならず、自らに対して真摯に生きようとするもの誰しもが考えなければならない対象についての考察のプロセスがこの本には納められている。特に推薦したいのが愛について述べられた数章、一体愛とは何か、愛の形態や本当の愛とはどのようなものかについての数篇である。人間の駆動因であるといってもよい愛についてここまで真正面から向き合い、苦しみながら考察した本を自分はこれ以外には知らない。

 また、同時に著者が20代にしてこのような論考を執筆したことに驚きを隠しえないだろう。その驚きを、自分を卑下するためにではなく、自分を奮い立たせるために生かしてほしい。そして、容易に解決できない問題にじっくりと向き合って、ストイックに考え抜くことの大切さを学んでほしい。

・ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』岩波文庫

 人格形成を描いた教養小説であり、クリストフの生涯の歩みが描かれている。数えきれないほどの困難に面しても、自分の目指すところに情熱を燃やして立ち向かっていくクリストフの姿は驚くほど力強い。彼にとって社会とは、あってもなくても同じようなものだろう。なぜなら彼は自らの信念に実に忠実に生きるだけだからである。周囲に自己をからめとられそうになっても、自己に忠実に、自我を貫き通すことの大切さ、それをこの作品から学ぶことができるだろう。余談だが、芸術家として岡本太郎に通じるところをクリストフは持っているように感じる。

・ジョージ・オーウェル『動物農場』岩波文庫

 かわいらしい動物の寓話ではなく、全体主義への批判が込められた一冊である。崇高な理念を追求するための革命が結果としては権力の肯定に代わってしまうという皮肉が描かれている。この小説を通して、よりよい政治体制とは何か、革命は是か非か、現実の政治だけではなく理想的な政治について考察するためのあしがかりとしてほしい。

・武者小路実篤『友情』新潮文庫

 人生だれしも誰かに恋をして何かしらを学んで、様々な経験をして成長していくものだと思う。この『友情』では、恋に自らを捧げる主人公のまさに青春の一時が描かれている。この本で描かれているような恋に自分を重ね合わせたり、何らかの感銘を受けたりするのは人生において感受性の豊かな時期に限られると思う。ポジティブではない経験でさえ昇華させてしまう強さ、そういったものを学びとれると思う。

・内田義彦『読書と社会科学』岩波新書

 一般的な読書方法とは違った読書論について書かれている。速読や精読といった技術ではなく、自らの眼も変えてしまうような読書の方法論について述べられている。単なる「読書」を超えた、認識の仕方や物事の捉え方にまで影響を及ぼすような一冊である。一体自分はどのように本を読むべきか、本の読み方、読書そのものを考えるきっかけとしてほしい。

経済思想レポート~12年生にお勧めの本

           経済学部経営学科3年 鳥本晃希 17100034  513

私がお勧めする本はスティーブ・シーボルトの『一流の人に学ぶ自分の磨き方』(かんき出版)だ。最近でたばかりの本なのだが、読んでいて実に考えさせられる本である。この本は、普通の知能と才能の持ち主でも一流のレベルに達することは出来るということをテーマとしている。そして筆者が長年かけて研究した一流の人についての内容や、一流の人の話から得た共通点などが135の細かいトピックに分かれて書かれている。

 この本の特徴は大まかに3つある。1つ目は常に一流の人と二流の人を対比して書いている点。2つ目は、一流の人の思考・哲学・習慣の3つの面から実用的に書かれているという点。3つ目はトピックごとに一流に近づくための提案がなされている点だ。シンプルにまとまっており、非常に読みやすく、時間があまりとれない人でもすぐに読めてしまう一冊である。

 この本を紹介する理由を6つ挙げよう。

 第1に、この本を読むことで今までの自分が一流と二流のどちらに近い行動をしているか考えてほしいからだ。決して一流が偉いとか二流が劣っているということではない。しかし自分の考え方・行動・ライフスタイルがどちらに近いのか知るということは大変重要に感じる。

 第2に、この本を読むことで早い段階から将来の展望を熟考して欲しいからだ。この本では将来のビジョンを想像し、それに向けて日々努力することが重要だと強調されている。「まだ時間があるから大丈夫」「分からない」「なんとかなる」という考えはこの本を読むことで変わるだろう。決めなくてはいけないのではなく、早くから考え悩むことに意味があるということに気が付くことが出来るだろう。

 第3にこの本を読むことで‘幸せ’の意味を考え直すことが出来ると考えるからだ。この本では「二流の人がお金を求めるのに対し、一流の人は充実感を求める。」と書かれている。そして、「一流の人はお金のために働かず、仕事が好きだから働く。彼らにとってお金はおまけなのだ。」とも書かれている。この本を読むことで無駄な迷いや不安を拭い去ることが出来るだろう。

 第4に北大の学生には世の中をリードしていって欲しいからだ。北大の学生には高い意識の社会人になって欲しい。一流の人は自分が世界を変えていくという強い意識を持っているようだが、ぜひとも北大生にもこういった高い意識を抱いてもらいたい。まさに、クラーク博士の「少年よ大志を抱け」という格言を胸に刻んで欲しい。

 第5に生涯学習の大切さを理解して欲しいからだ。一流の人は大学を出てから本当の学習が始まるという意識を持っており、二流の人は高校・大学を卒業した時点で学習を終えたと考えるとこの本に書かれている。人は学習することで自己形成していくのであり、生涯学習は人にとって不可欠なはずだ。大学においても、単位を取れればそれで良いと考える人が大半だと思うが、そういうことではなく大学の授業も学習であり、自己開発・能力開発の一部と言えるという事がこの本を通じて多少なりとも理解出来るのではないだろうか。

 最後に、自分の価値観を固めすぎて欲しくないからだ。人それぞれ価値観を持っていると思うが、この本にも筆者の価値観が凝縮されている。中には同感出来ないものや、拒絶してしまう考えも当然にあると思うが、少なくとも1つくらいはこの本の価値観に同感できるのではないだろうか。この本には全135のトピックがあるので、この本を読むことで自分の価値観を細かく変化させることが出来るはずだ。ぜひともこの本で今の自分の価値観を成長させていってもらいたい。

 この本を紹介したのにはこうした理由があるのだが、なんといっても自分の意識を高めさせてくれるという点でとても貴重な本であると言えよう。また、自分のあり方・考え方を考え直させてくれる本でもある。この本が各人の自己開発への取り組みのきっかけ作りになるのではないかという期待を込めてこの本を紹介する。

経済学部 経営学科 松本凌(17100044) 2012/05/17提出

大学12年に薦めたい本について

 私が薦めたい本は、サッカー日本代表の長谷部誠選手が書いた「心を整える。」である。題名からもわかるように、この本は長谷部選手の自己啓発本である。サッカーへの関心の有無にかかわらず、多くの人が活用できるメンタル術が書かれていてとても参考になると思う。大学1,2年生はどちらかといえば時間に余裕があり、日頃の自分を見つめ直すことに適した時期だと思うので、ぜひこの本を読んでほしい。

 サブタイトルに「勝利をたぐり寄せるための56の習慣」とあるように、56項目のテーマについて長谷部選手が独自の想いをつづっている。まずは、3項目目の「整理整頓は心の掃除に通じる」について触れたい。ドイツには「整理整頓は、人生の半分である」ということわざがあるそうで、長谷部選手はこれに賛同し、ほぼ毎日心の整理もかねて整理整頓しているらしい。私も、大学生になり1人暮らしをするようになってからは整理整頓するようにしている。いろんなものが部屋中に散乱していると、どこか落ち着かないのだ。掃除をした後は、部屋がきれいになり、その後勉強などをするにも集中することが出来る。整理整頓することで、身が引き締まるという表現がまさにぴったりだと思う。

 次に、22項目目の「仲間の価値観に飛び込んでみる」について触れたい。長谷部選手は「失敗してもいいから、まずは近づいてみることが大切だと思う。相手だって、こちらが興味を持つと嬉しいものだ。」と言っている。大学には様々な考え方を持った人がたくさんいる。同じ部活やサークル、学部の中でもそれぞれ好きなものや価値観が違う人だらけだ。私自身、大学に入ってから服に詳しい友達や後輩に出会い、おしゃれに気を配るようになった。また、友達からあるバンドのCDを貸してもらったのがきっかけで、今ではその友達以上にそのバンドについて詳しくなった。大学生は、学部やサークル、アルバイトなど様々な形でコミュニティーに属することが出来る。社会人になったら、このように複数のコミュニティーに属することはなかなかできないように思う。つまり、たくさんの自分とは違った趣味や価値観を持つ人たちと関わることが出来るのは大学生の特権ではないだろうか。大学12年生はもちろん学業優先ではあるが、自分からサークルなどに参加して多くの人たちと交流していろんな価値観に触れ、いい意味で自分というものを形成していってほしい。

 最後に40項目目の「ネットバカではいけない」について触れる。長谷部選手は基本的にゲームやインターネットに時間を費やすくらいなら、映画鑑賞や読書、語学勉強などをした方がよいと考えているそうだ。私もゲームはほとんどやらないが、どうしてもネットサーフィンにはまってしまうと止まらなくなるタイプだ。レポート作成の休憩の合間にやっていたつもりが、気が付いたらネットサーフィンがメインになってしまったことも何度もある。私の友達にも似たような経験をしている人がたくさんいる。「息抜きも、度が過ぎたら時間の浪費だ」と長谷部選手は言う。その言葉が身にしみてくる感じだ。週末は家でゲームとパソコンをやって1日が終わるという大学生は正直多いと思う。これでは、せっかくの大学生活がもったいない。先に書いたように、大学12年生は自分自身を見つめ直す時間がたっぷりある。ゲームやパソコンに費やす時間を、読書や旅行に充てるだけで随分と変わってくる。長谷部選手の「ネットバカではいけない」という言葉は、私たち大学生を含めた若者に向けられたものであるように感じた。

 他にも、長谷部選手の習慣を見ていると、真似したいなと感じるものがたくさんあった。活字体が苦手で読書から遠ざかっていた人も、この本は読みやすく為になると感じると思う。プロサッカー選手の習慣ではあるが、私たちの日常にうまく組み込むことが出来るものばかりである。日頃の大学生活を見つめ直すきっかけにもなるので、ぜひ大学12年生の人たちには読んでほしい。

清閑な漢字の海に潜る~1,2年生に薦めたい本~      514

経済学部経営学科3 17100045 三浦正大

 私は、自分は読書家だと思っている。そのことについて高慢することも謙遜することもない。今回、お気に入りの本を紹介するというレポートを書くに当たって、『思考の整理学』や『チーズはどこへ消えた』、『マネジメント』『スティーブジョブズ関連の本』など所謂有名な本も思い浮かんだが、とりわけ一冊に絞るということで、最も自分の人生の見方を変えた本を紹介したいと感じた。

 さて、私が今回紹介する本は『福武漢和辞典』(ベネッセ・コーポレーション発行)である。タイトルの通り辞書である。三浦しをん著作の『舟を編む』に感化されたわけではないが、幼いころから読んできた本で、人生の考え方を変えた本である。なぜこの本が、私の人生の考え方を変えたのか説明するために、そもそも漢字とは何かという話をする。

 漢字は日本の文字言語の中でとりわけ頻繁に利用される文字で、中国から輸入したものである。表意文字という分野に分類され、韓国語のような文字自体が音のみを表す表音文字と異なり、文字一つ一つに意味を持つ。 この辞典の編者の言葉の文頭に「高度に発達した表意文字である漢字の字形の美しさと、表情や味わいに富んだ意味の豊かさとは、長い歴史の中で熟成されたものである。漢字は単にことばを表す記号的な役割を果たすだけではなく、(中略)、文字としては類例のない美術的効果を含む総合的な機能を持つに至っている。」とある。この辞書を手に取った19998歳の私は、この文を読んで難しいながらも、漢字はただの文字としての「漢字」だけではないのだと感じた。

 たとえば、「昜(you)」という文字は、「太陽が木を照らして、地平線にできた枝の影」を絵で表したもので、太陽が高くなれば影も伸びることから「上がる・伸びる・伸ばす」という意味を持っている。「陽」は「阝(陸)から上がる(もの)」、「湯」は「水(の温度)があがる」、「揚」は「手をのばす」という意味を表していることが読み取れる。英語も派生語など意味をつなげていくと理解しやすいというがその語幹のルーツはアルファベットを並べたものでしかないのに対し、漢字のルーツは情景を絵で表したものに由来している。つまり、それだけ他の文字よりも文字のもつ意味合いが強い文字であるということが理解できる。

 結局この本の何が素晴らしいのかといえば、文字ができる背景は必ず意味づけがあるということ、また意味づけのない文字はないということ。つまり、自分の行動や表現、言動には必ず動機づけや意味づけをする必要があり、現に自分がやっていることには必ず意味があるということである。「自分は何をやったらいいのだろう」や「自分には本当にこれをやっている意味があるのだろうか」と考えがちになる大学生の皆さんには、喧騒に塗れた世界から逃れ、是非漢和辞典を開いて文字と向き合い、静寂な漢字のアーティスティックな世界に飛び込み、一度心を落ち着けて整理してみる機会を設けてみるべきである。辞書を読むことが直接何かに繋がる訳ではないかもしれないが、今直面していることと関連付けて考えてみる際に、「漢和辞典」という本-選択肢-を参考にしていただきたい。

経済思想小レポート2

氏名 元木 浩介

学籍番号 17100047

日付 5月18日

はじめに

  このレポートは「大学1、2年生に薦める本」というテーマについて書いたものである。私は大学に入学したからには、深く教養を学ぶべきだと考えている。そのため、読書というものは大学生活において、かなり重要な部分を占めることになるのである。とにかくたくさんの本を読むべきであると思うが、今回のレポートでは私が読んだ本の中で、特におすすめであるものを挙げ、その理由を書いていく。

1冊目 新訂「孫子」(岩波文庫)金谷 治

  まず私が薦めたい本は「孫子」である。この本は中国最古の兵法書である孫子兵法を原文と読み下し文と現代語訳に平易な注を加えたものである。私がこの本を薦める理由のひとつめは、この本はすぐれた兵法書でありながら、その知識(戦略)を日常の生活にも活かすことができるからである。このことは孫子兵法に関してたくさんの書籍が、いわゆるビジネス本として発行されていることからも明らかである。しかし、そのようなビジネス本を読むのもいいのであるが、そのような本にはたいてい筆者の解釈が書いてあることが多く、それが間違っている場合も少なくないのである。そのため、まずは原文を読み、自分なりの解釈をしてみることが大切であると私は考える。その解釈がたとえ間違っていたとしても、他人の間違った解釈を迎合するよりもはるかによいことであると考えるからである。理由のふたつめは、この本は現代語訳が書いてあるため非常に読みやすくなっているからである。私もそうであったが、大学生になるまでほとんど活字の本を読んでこなかったものも少なくないであろう。そのような人にいきなり分厚く、難しいことが書かれている哲学書等を薦めても、読む気にもならないし、たとえ読んだとしてもほとんど身につくものはないであろう。その点この本は平易な現代語訳が書かれており、分量も他の新書と比べても半分程度というものであるため、大学生になったばかりの人にでも、ほとんど苦労なく読むことができるであろう。

2冊目 「これも経済学だ!」ちくま新書 中島隆信

  次に私が勧めたい本は「これも経済学だ!」である。この本は世の中の多様な事象を経済学的に考え、問題点や改善点を提示していく、という内容の本である。私がこの本を薦める理由は、この世の中について何か問題点を提示し、思考するためには必ず「経済学的思考」が必要になってくるからである。大学というものは社会にリーダーを提供する場であると私は考える。sy会で通用するリーダーというものはあらゆる事象を思考し、問題点、改善点を指摘できなければならないのである。そのため、大学にはいろいろな学部、学科があるが理系文系問わず、すべての大学1、2年生は経済学的思考を身につける必要があるのである。そしてこの本は経済学的思考を用いて、世の中の事象を検証していくという見本を読者に提示してくれているのである。そのためこの本を読むことによって少なくとも経済学的思考がどのようなものであるか、ということはわかるであろう。さらにこの本は先ほど同じで、かなり平易な文章で書かれており、読みやすいため、途中でやめてしまう人もそう多くはないであろう。

おわりに

ここまで2冊の本を紹介してきたが、二つに共通する点は、平易な文章で書かれており読みやすいこと、社会に出て役に立つことである。大学に入ったからといって急に難しい専門書などはよむことはできないであろう。さらに本を読むうえで最も大切なことは、最後まで読み切ることであろう。平易な文章で書かれていればそのことを容易にすることができる。さらに本を読むからには自分の将来、社会に出たとき、その後も生涯ためになるようなことを吸収するべきである。そのためここで挙げた二つの共通点を意識して薦める本を私は選んだのである。

経済思想 第二回目小レポート

『生物から見た世界』ユクスキュル/クリサート著 岩波文庫

                  鈴木智哉 17100077 2012/06/01 

みなさんはこんな疑問を感じたことはないだろうか。

「今自分の飼っているこの犬はどんな世界が見えているのだろうか」

「虫から見た世界とは一体どのようなものなのだろうか」

こうした問いを考えるときにヒントを与えてくれるのが、今回私のおすすめする本『生物から見た世界』である。

 この本はまず、それぞれの主体が環境の中のさまざまなものに対し意味を与えて構築する世界として、「環世界」という定義をすることから始まる。この環世界は動物がそれぞれ持っている独自の世界といえばわかりやすいだろうか。犬には犬の環世界があり、ハエにはハエの環世界がある。そして、それぞれの動物がどのような環世界を持っているのかということを明らかにしていくのがこの本の主題のひとつである。

 私が特に面白いと感じたのはこの本の中盤あたりに出てくるミミズの例である。ミミズは木の葉や松葉などその形に応じた扱いをするため、かつてはミミズの環世界には形に対する知覚標識があると考えられてきた。しかし、その説はある実験によって覆されてしまう。葉っぱの先端の粉末を葉の付け根に、付け根の粉末を先端にまぶすと、ミミズはその葉をまるで本物の先端と付け根であるかのように扱ったそという結果が得られた。ミミズの環世界においては、葉っぱは形によって認識するものではなく味によって認識するものなのである。

 この本で特に興味深いところは、自然科学という分野を扱っていることにもかかわらず、「客観」よりも「主観」を重視している点にある。普通、科学というと客観的に観測できるものに焦点を当てていますが、この本で考えている環世界とはそれぞれの生物の主観的な世界に着目したものである。環境そのものを見ようとすることももちろん大切だが、生物の行動を考える場合には、その中から生物が何を選びとっているかを考える環境世界について分析する方より重要であるといえるだろう。

 では、なぜこの本を皆さんにお勧めしようと思ったのか。それは今メディアを中心に飛び交っている「環境」という言葉について、もう一度考え直すきっかけを与えてくれるからである。環境という言葉が本来どのようなものを指しているかを考えるとき、この本は新鮮な視点を私たちに与えてくれる。

 皆さんは「環境」という言葉を聞くと、おそらく自分の見る世界、聞く世界、肌で感じる世界が頭に浮かんでくるだろうと思われる。しかし、この本の言葉を使って言えば皆さんが環境だと思っているものは、あくまでも皆さん自身のもつ「環世界」でしかない。本当の環境問題を論じようとする場合には、自分の環世界を想像力によって押し広げて、他の生物たちの環世界をも思いやる必要がある。

 これからは環境問題について一人一人が責任を持って扱わなければならない時代が来ると思われる。その中で環境に対するイメージを明確にするのが非常に大切な作業であることは間違いない。この本はその作業を手助けしてくれるものの一つとなるだろう。

経済思想

経済思想小レポート

「大学1・2年生に勧めたい本」

2012/5/17

経済学部経営学科3

17100093 牧野杏美

 私が大学12年生に勧める本は、野内良三著『日本語作文技術 伝わる文章を書くために』と千田琢哉著『死ぬまで仕事に困らないために20代で出逢っておきたい100の言葉』である。

 一冊目の『日本語作文術』は、説得力のある、わかりやすい文章をどう書くかを教えてくれる指南書である。本書では、レポートや論文、ビジネス文書といった特定の文書の書き方を話題にするのではなく、多様な場所に対応できる汎用性の高い文章を問題にしている。目標とするのは、「達意」の文章だ。達意の文章とは、筆者の考えていることが正確に相手に届く文章のことであり、①読みやすいこと、②分かりやすいこと、③説得力があること、の三つの要件を満たしていなかればならない。そのような文章を書くために、文の長さ、読点の打ち方、語順、「は」と「が」の使い分け、段落の立て方、定型表現の扱い方などを丁寧に説明してくれている。

 私たちは普段、何気なく文章を考え書いている。大学生に至るまで、数々の文章を書いてきた。それにもかかわらず、日本語で文章を書くことについて技術的・実用的なことを教えられた記憶は数少ない。日本の国語教育ではほうっておいても日本語が身に着くという発想があるのではないかと思われるほどである。しかし大学生活では、文字数は少なくとも、短い感想文・レポートを書く機会が多々あり、説得力が求められる。何気なく文章を書いてきた身にとって、説得力が必要とされる文章をわかりやすく書くことは困難である。そもそも「わかりやすさ」を考えて書かれた文章がどれほどあるだろうか。

 ここで助けになってくれるのが、この『日本語作文技術』である。本書では、学校では教えてくれなかったこと、あるいは教えてくれてたけれどもきちんと教えてくれなかったことを重点的に取り上げられている。単文を意識すること、語順や読点に敏感になること、段落の構成や論証の仕方に気を配ること、など当たり前なように思えて出来ていなかったことが次々と現れてくるだろう。理系・文系関わらず、大学生としてわかりやすい文章を書くにあたって、大学1・2年の時点で読んでおきたい一冊である。

 次に紹介する本は、『死ぬまで仕事に困らないために20代で出逢っておきたい100の言葉』という千田琢哉のビジネス書である。昨年あたりから書店の目立つところに置かれていたものだ。この本は彼がコンサルタントとして下した結論を100の言葉でまとめている。「そう、人間は、自分が発している言葉どおりの人生を歩んでいるのだ[1]」と文中で彼は述べ、そのために20代のうちに多くの言葉のシャワーを浴びることが必要とする。その方法は二つあり、人と会うこと・読書だと紹介している。本書では、この本を読むことで100の言葉に出会うようになっている。人生、仕事、時間、組織、勉強、情報、交渉、友情、恋愛、決断という10この項目それぞれ10の言葉が紹介されている。彼のこれらの100の言葉は時に辛辣であり、おそらく誰しもに様々な気づきを与えてくれるだろう。大学生は、自分で物事を選択し、行動することが多くなる世代だ。自分で何かを行った分だけ、自分の学生生活は充実したものになる。しかし、自分で選択していく中で、悩むことも多くなるかもしれない。その時に、このような価値観もあるのだと、彼の言葉を参考にしてもよいのではないかと思う。

 私にとって、自分に一番響いた言葉を紹介する。「忙しい人は、夢が実現しない。」というものだ。やりたいことがたくさんある。どんなに忙しくなってもやりたいことを諦めたくない。そのように感じていた時に見た言葉である。しかし、この言葉を見た時に、様々なものに手をだして知らず知らずのうちに全部中途半端になりそうであることを自覚した。太く短く、ということを実感した言葉である。

 人によって感じることは異なるだろう。しかし、このように、新たな気づきをもたらすこの本を大学12年生に勧める2冊目の本としたい。

参考文献

1. 千田琢哉『死ぬまで仕事に困らないために20代で出逢っておきたい100の言葉』かんき出版、2011年。

2. 野内良三『日本語作文技術』中公新書、2010年。

経済思想 第2回小レポート(2012517)

経済学部経営学科3年  17100102  渡辺俊太

 本レポートは、「大学1,2年生に勧めたい本」について論じるが、私は『歴史とは何か』(E.H.カー著、清水幾多郎訳)を大学1,2年生に勧めたい。

 この本は、1961年にイギリスの歴史家であるE.H.カーがケンブリッジ大学で行った講義を書籍化したものである。この本の中で彼は歴史とは何かという問いについて自ら「歴史とは、現在と過去との対話である[2]」と答え、何度も繰り返しこの言葉を使いながら、事実や社会、個人、科学、そして道徳などと歴史を関連付けて論じている。そして最終的に「対話」によって歴史から教訓を得ることで、自国の停滞に対して警鐘を鳴らすことで結論としている。

 私がこの本を勧めたいと思った理由はいくつかある。それでは以下に一つずつ述べていくことにする。

一つ目は、単純にこのような難しい本に触れることで内容を論理的にとらえるトレーニングになるということが挙げられる。進級するにつれて専門的な分野に入り込んでいくと、それぞれの分野でそれぞれの難解な文を読み解く能力は不可欠なものになる。それに、大学を卒業した後もこの能力は使い続けるだろうから、早い段階から慣れておくことは重要である。また、これに関連して、筆者の主張に対し批判的な目を向ける能力を養うことも重要だと言える。これは、筆者の考えが完全に正しいという訳ではないからである。重要なのはやはり、「考える」ということである。

二つ目は、1,2年生という早い段階、言いかえると、将来の豊かな選択肢を有している段階でこのような本に触れることで、この本では「歴史」というように、専門分野に興味を持つ学生が現れるかもしれないことだ。今までの教育では受験のためにただ暗記するだけの学習になっているという学生が多いのではないかと思われるが、大学は違う。自分次第でどのような道へも進めるのである。そこで、多くの選択肢から自分の興味を見つけだすことは非常に重要である。

しかし、これらの理由だけでは他の学術的な本でも良いということになってしまう。それでは私がこの本を勧める意味がなくなってしまう。

そこで三つ目の理由を挙げたい。それは、大学という場で高等教育を受けるにあたって、カーの問いである「歴史とは何か」という根源的な問いについて考えることが重要だということである。これは、中学・高校などの大学以前の教育で取り扱うには学生たちの発達の段階などを考えるとなかなか難しいものであるし、反対に、大学を過ぎて社会人になってしまうとこのような問いを考える時間はないのではないかと思われる。したがって、大学生のうちに読んでおくのが良いと思われる。また、どの専門分野にも、その分野が確立するに至るまでの歴史を持っているし、各分野における偉人などについても同じことが言える。また、究極を言えば、我々一人一人にも今日まで生きてきた歴史がある。このように歴史という全ての物事に関連のあるものの根源に思考を巡らすのは有益なことなのではないかと考える。

最後に上述の理由とは違った観点から4つ目の理由を挙げたい。それは、歴史を、人生を豊かにするものの一つとしてとらえるきっかけを作る可能性があるということである。これは二つ目の理由と少し関連している。具体的に言うと、歴史に興味を持つことで、例えば旅行に行った時など、そこで見ることができる歴史的建造物や自然遺産に関して、歴史的な知識やその遺産に関係する偉人の歴史などの知識を持っていたら、それだけでその旅行に付加価値をつけることになる、ということである。小、中、高校や社会人の比にならない長期休暇をもつ大学生にしか長めの海外旅行などはできないと考えられる。そこで得られる以上のような体験は今後の人生に大きな影響を与えるかもしれない。特に、現在の、グローバル化が進んだ世界において、世界に目を向けることは重要である。この本はそのきっかけを作りうるのではないか。

以上の4つの理由から、私は『歴史とは何か』を大学1,2年生に勧めたい。

<参考文献>

E.H.カー『歴史とは何か』岩波新書、1962年。

201276

大学12年生に薦めたい本

経済学部経営学科 17100110 丑屋亜子

 私が大学12年生に薦めたい本はエーリッヒ・フロムの『The Art of Loving』である。題名の『Art』は技術を意味し、直訳すると「愛する技術」である。しかし日本語訳では『愛するということ』という題名で出版されており、『Art』の意味は反映されていない。

 これは愛するとはどういうことかについて述べられた本である。著者のフロムは「愛は技術である」と主張している。愛の技術を習得するためには、理論に精通すること、習練に励むこと、技術を習得することが自分にとっての究極の関心事になることの3つが必要であるとしている。しかし人々は愛とは自分の中に自然に湧き上がってくる感情であると信じ、愛について学ぶべきものは何もないと思い込んでいるのが現状である。その前提として3つの誤解がある。第一に愛の問題を愛するという問題ではなく、愛されるという問題として捉えている。第二に愛の問題とは対象の問題であって能力の問題ではないとしている。第三に恋に「落ちる」という最初の体験と、愛しているという持続的な状態とを混同している。この本ではその誤解を解いたうえで、主に愛の理論と愛の習練について述べられている。

 私がこの本を読んで最も印象に残ったのが以下の2つの文章である。『愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。そのなかに「落ちる」ものではなく、「みずから踏み込む」ものである。』(p.42-43 )『自分の生命を与えることによって、人は他人を豊かにし、自分自身の生命感を高めることによって、他人の生命感を高める。もらうために与えるのではない。与えること自体がこのうえない喜びなのだ。だが、与えることによって、かならず他人の中に何かが生まれ、その生まれたものは自分にはね返ってくる。(中略)とくに愛に限っていえば、こういうことになる―愛とは愛を生む力であり、愛せないということは愛を生むことができないということである。』(p.46)私は今まで能動的な意味でも受動的な意味でも愛は感情を意味する言葉だと思っていたので、この言葉は非常に印象的であった。しかし、自分の生命を与え、喜びを感じるということは私たちの普段の生活の中でもよく見られる。例えば、電車の中で高齢者に席を譲るということを考えてみる。まず席を譲るということは、物理的にいえば他人に席を与えることであるが、それだけでなく高齢者(他人)を気遣うなどといった気持ちや理解を与えることでもあるだろう。それは譲られた人だけではなく、その周りにいた人にも伝わっている。彼らの中には今度は自分が席を譲ったり、困った人がいたら助けてあげたりしようと考え、それを実行する人が少なからずいるはずである。また席を譲った人は、困った人を助けることができたという喜び等を感じるだろう。逆に何か困ったことがあったときには、他人に助けられるということがあるかもしれない。

 私は今まで「彼氏にずっと愛されるための方法」といったような自己啓発本に何となく違和感を抱いていた。というのは愛されようとする努力はしても愛しようとする努力はしないのかが疑問だったからである。もちろん愛さないということはないだろうが、特に女性向けの本には愛することよりも愛されることを重視したものが多いように思える。それゆえにこの本を読んで、その違和感がいくらか解消された。

 フロムは「愛する」ということについて今までの概念を覆すような独自の理論を展開しているので、愛について考え直す良いきっかけになると思う。この本を読んで私は深い感銘を受けたと同時に改めて愛について考え直された。何度も読み返したくなる本である。愛についてだけでなく人生についても見つめ直すきっかけになると思うので、ぜひこの本を強く勧めたい。

参考文献

エーリッヒ・フロム著鈴木晶訳『愛するということ(新訳版)』紀伊国屋書店 1991

2012/7/18提出

経済思想小レポート②

経済学部経営学科3年 本間浩大 17100143

今回のレポートのテーマは「12年生に薦めたい本」ということであるが、私が勧めたいのは、吉野源三郎著の「君たちはどう生きるか」という本である。

 私がこの本を読んだのは、ゼミの課題図書として感想文の提出をしなければならなかったから、というやや消極的な理由からだったのだが、今ではこの本を読んでおいて本当に良かったと思っている。なので、ぜひ12年生にもこの本を読んでもらいたいと思う。

 ここからは肝心のこの本の内容について簡単に説明したいと思う。この作品はコペル君という少年の周りで起こった様々な出来事と、それに関する彼の叔父の見解をまとめた「おじさんのノート」の2つが中心となって物語を形成している。コペル君が自分の周りの出来事を叔父に話し、それについて叔父さんも一緒に考え、自分の考えを二人がそれぞれ出し合って、考えることでコペル君が人間的に成長していく様を描くというのがこの本の中心であるように思う。この二人が話し合った主な内容は、ものの見方について・真実の経験について・人間の結びつきについて・人間であるからには・偉大な人間とはどんな人か、と実に多岐にわたることがわかる。そしてその一つ一つの議論が私たち読者に、「私たち人間がどう生きるべきか」をよく考えるよう提言しているように私は感じた。現に私がこの本を読んだ時にはコペル君の視点に立って読み進めていたのだが、そのたびに叔父さんの話や「おじさんのノート」の内容に感銘を受けることが多かったように思う。

 日ごろ、人間がどう生きるべきか、自分たちは物事をどう考え、どう行動すべきなのか、などとゆっくり考える時間を持つ人は少ないと私は思う。自分もそうであったが、そのような人にぜひこの「君たちはどう生きるか」を薦めたいと思う。ありきたりな表現かもしれないが、この本を読んで自らも考えることで、柔軟な考えができるようになったり、物事に対する視野が広がったりするのではないかと思う。自分もこの本を読む前と比べて、よりよい人間像について考えてみるなど、少なからず良い影響を受けた作品であることは間違いない。今では、ゼミの先生がなぜこの本の感想文を提出するという課題を出したのかがよくわかる。この本はもともと初めに書かれたのは1930年代のことなのだが、その時代に提言されたことが、現代を生きる自分にとって感銘を与えるものだったという点でも興味深いと思うし、ぜひほかの学生にも読んでほしいと考えた。

経済思想 小レポート②

「大学12年生におすすめの本」

17100150

山下樹里

517日提出

大学12年生におすすめしたい本として私が選ぶのは、西原理恵子氏著の『この世でいちばん大事な「カネ」の話』(理論社・2008年)という本である。まずはこの本の内容を紹介する。この本は著者の漫画家西原氏の人生がそのままつづられた自伝エッセイである。なぜ彼女は貧乏というどん底に落ちてしまったのか、そのどん底からどう這い上がってきたのか、彼女にとっての幸せとはなんだったのか、そして彼女にとって「カネ」とは一体何なのか、この本には彼女が様々な境遇から学んだ彼女なりの答えが書かれている。

1章は彼女の子供時代のエピソードである。小さいときから貧乏な家庭で育ち、酒乱な父、自殺した父に母とともに翻弄され、不良の道に進むも自らの居場所を見つけられずにもがいていた姿が書かれている。

2章は高校を退学になり、上京して美術大学に進学し、イラストレーターを目指した様子が書かれている。ある出版社の編集者に才能を買われたが、月収は目標の30万円を大きく下回る5万円だった。しかし彼女は粘り強く働き大学3年生のときにその目標を達成した。働くことが生きがいになってきていたのだ。

3章は一変して、「カネ」を失っていく様子が描かれている。無心に働くことで裕福な暮らしができるようになった彼女は、カネの落とし穴に落ちたのだ。ギャンブルにはまり、借金まみれになっていく。そのせいで友達も失う。カネを失うことで見えてくるものがあると書かれている。

4章と第5章には彼女のカネに対する思いなどがつづられている。また、戦場カメラマンであり、彼女と境遇が似ていた彼女の旦那について書かれている。その旦那はアル中になり、末期がんになり亡くなった。旦那の境遇と彼に対する感謝が述べられた内容となっている。

生きていくという全ての行動に付きまとってくる「カネ」という存在のすばらしさも恐ろしさも体験した西原氏だからこそたどり着いた答えが書かれている。彼女は一言こう言う。「貧乏は札束ほどにリアルだった。」と。

なぜ私がこの本を大学12年生にすすめるかというと、普段難しい内容の本を読んでいる人も、全く本を読まない人も気軽に手に取れる本だからである。文体も会話調になっていて、イラストも入っているので読みやすく、早い人なら1時間で読めてしまうと思う。小学生でも理解できる内容となっている。だからこそ息抜き程度でかまわないから読んでほしいのだ。この本の表紙は1万円札の福沢諭吉が大きく載っているので目を引くものとなっている。私自身この表紙に興味を持ち読んでみたのだ。カネが無いことの大変さ、そこから這い上がっていくことの力強さ、大金に目がくらみカネを失っていく愚かさ、そして旦那を失った今、子供たちのために生きていかなければならない責任、誰もが体験するかもしれないことを西原氏は自らの体験を教訓に教えてくれているのだ。あとがきで彼女は、「どんなときでも働き続けることが希望になる。」「働くことが生きることなんだよ。」と述べている。この言葉が、働く意味を見出せていない多くの大学生に良い投げかけをしてくれている気がするし、私も少し影響を受けた。だからこの本をすすめるのだ。

西原氏の半生を描いたこの本は山田優主演で2010年、『崖っぷちのエリー~この世でいちばん大事な「カネ」の話』というタイトルでドラマ化されている。また、この本の内容とは直接関係はないが、西原氏の結婚生活が描かれた『毎日かあさん』という映画も小泉今日子主演で2011年に公開されている。どちらの作品も、どんな境遇であっても笑って明るく生きていこうとする西原氏の生き方がそのまま描かれた作品となっているので、この本とあわせて、ドラマ、映画もぜひ触れてほしい作品である。      

1,543字)

~出典~

西原理恵子(2008) 『この世でいちばん大事な「カネ」の話』 理論社

『崖っぷちのエリー~この世でいちばん大事な「カネ」の話』(2010

『毎日かあさん』(2011

経済思想レポート

平成24年 517

経済学科 17100152 吉田直樹

 私が推薦したい本は「あの戦争はなんだったのか~大人のための歴史教科者~」(新潮新書 保阪正康著)と「戦争の日本近現代史~東大式レッスン!征韓論から太平洋戦争まで~」(講談社現代新書 加藤陽子著)と「戦後を語る」(岩波新書 岩波新書編集部編)である。第二次世界大戦は今の日本について日本人として語るならば目を背けてはならない事実であり、是非とも考えなければならない話題であると考える。第二次世界大戦を知るうえで上記に三冊は明治維新から述べられており、背景をつかむことができる。また、教科書のような歴史的事実の羅列ではなく、どのような場面・論点において政治家や国民が、「だから戦争に訴えるしかないのだ」という共通認識を持つに至ったかが述べられている。そして「戦後を語る」によって戦争から何を活かして、その後の日本が動いてきたのかを知ることができる。以上より私はこの三冊を推薦したい。

 まず、「あの戦争はなんだったのか」についてであるが、保阪氏は極めて左翼派であり、つまり当時の軍部対して批判的に戦争をとらえ、あのような目的も曖昧な戦争を三年八か月も続けたのかの説明責任がはたされていない事、戦争指導にあたって政治、軍事指導者には同時代からは権力が賦与されただろうが、祖先、児孫を含めてこの国の歴史上において権限はあたえられてなかったことの二点について太平洋戦争批判している。「あの戦争はなんだったのか」では戦争の内容、表舞台に出ていないことなどが詳細に述べられている。高校までで学んだ日本史が本当に戦争の表面しか扱っていないかがよくわかる。日本においては終戦した日付は815日であることが常識とされているが、世界的に第二次世界大戦の終了した日は92日であるという。このようなインパクトの強い、知らなかった事実を知ることができる。

 「戦争の日本近現代史」は「あの戦争ではなんだったのか」で説明不足であった戦争がおこった背景について述べられている。なぜ日本は朝鮮半島が必要であったのか、なぜ満州事変がおきたのか、なぜ日中・太平洋戦争へと拡大したのか等、国民が「だから戦争はやむを得ない」と思わせる当時の日本の情勢について知ることができる。時代背景が事こまやかに記されているので戦争を経験していない世代でも国民が一致団結できるまで戦争をしなければならない心境に陥った理由がわかる。

 「戦後を語る」は、戦後どのような人がどのような思いをしたのかが述べられている。著者群にはマンガ家水木しげる氏やアイヌの知里むつみ氏や政治学者の姜尚中、医者、旧満州の戦争孤児など様々な人物が様々な視点から戦争を見つめなおしている。どうしても日本的な視点からしか戦争を見ることができない僕らにとってどのような人物が戦争でどのような立場にいてどのようなことを考えていたかということは新鮮である。戦争とは何かと戦争経験者に尋ねても「南方の戦線に動員され、銃撃戦や飢えを潜り抜け命からがら生還した」と答えるかもしれないし、またあるものは「一日中、塹壕の穴を掘っていた」、「死ぬつもりで敵に突っ込んでいった」などと答えるかもしれないし、「日本兵に捕虜にされていた」、「日本兵に虐待を受けた」などと答えるかもしれない。教科書に記述があったり、学校教育の一環で戦争経験者の話を直接聞いたりするかもしれない。しかし、このことは日本人の話であって、決して第二次世界大戦のすべてではない。私達は従軍慰安婦のことは聞いたことあっても、直接話を聞く機会は学校では作ってくれない。

 私がこの三冊を読んでいただきたい理由はこの三冊が各本の弱点を上手に補っており、三冊を読むことができれば、明治維新から戦後現代まで日本の戦争に対する理解がより深まるからである。特にこの三冊は「戦争の話は高校の日本史で学んだから興味ない」と思っている人や「戦争の話は思想などが絡まってきて手に取りにくい」と思っている人に読んでもらいたい。様々な思想の著者が書く事実に、時には驚き、時には憤り、自分の戦争への認識の甘さを痛感するだろう。私はこの本たちを読んでみて、日本人として戦争を見て見ぬふりするのは恥ずかしいと感じた。

僕が君たちにすすめたい本:『二十歳の原点 高野悦子』

経済学部経営学科17100169 木内勝也

「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である」

 近年、「自分探し」なる言葉が流行して久しい。本当に、世界のどこかには「本当の自分」がいるのだろうか。いや、そんなもの見つかるはずがない。なぜならば、幸せも希望も勇気も愛も反抗も、すべて自己の中にあるのだから。

 大学12年生といえば、20歳前後だろう。思うに、若さというものは、賞賛され美化される一方、危険で残酷なものだ。君たちは感じ取ることができるだろうか。全共闘、東大抗争、機動隊、シュプレヒコール、そして挫折…と、高野悦子の「20歳」は、学園紛争の嵐の中にあったことを。彼女は動乱の中で何を思っていたのだろうか。

 今の若者はエネルギーがない草食系だとか、言われたことだけしかやらないとか、そんなくだらないことを言うつもりはない。ただ、今も昔も若いときは、複雑怪奇な自己に向き合うすべを知らないのだ。あっちへ行ったりこっちへ行ったり、人間は誰しも多重人格なのかもしれない。いつもはそれと気付かぬまま生活している。自分が知らない「自分」は、自己の内部にうようよ生息している。

 『二十歳の原点』では、青年期の挫折と葛藤が叙情的な詩とともに綴られている。高野悦子の綴る文章は、純粋ゆえに痛々しい。若さゆえの自信過剰さと矜持を持ちハツラツとしていたかと思えば、いつのまにか孤独感・焦燥感に苛まれコンプレックスに悩まされ、揺れ動く思いが感情のおもむくまま吐露されている。例えば、感情の起伏が激しいときは、日記の日付に曜日や天気は書かれていない。これはきっと、具体的に曜日や天気を省くことで、心理的に「自己に敗北する自分」をどこかへ追いやりたいという気持ちがあったからだろう。

 私自身も「気分屋」であったから、高野悦子の揺れ動く心にシンパシーを感じた。やるせなさや虚しさ。いつの時代も若者は、自己を懐疑し、否定して自己を乗り越えていかなければならない。では、自己を止揚するためにはどうすればいいのか。大人は言う、「大学にいってからそこで考えればいい」と。

ここで、私の印象に残った部分を引用したい。

――青春を失うと人間は死ぬ。だらだらと惰性で生きていることはない。今の、何の激しさも情熱ももっていない状態で生きたとてそれが何なのか。とにかく動くことが必要なのだろうが、けれどもどのように動けばよいのか。独りであることが逃れることのできない宿命ならば、己という個体の完成に向かって、ただ歩まねばならぬ。

 自分を疑い、否定しながらもなお生き続けることを強いられる生活には矛盾が生じた。理想の自己像と現実の自分の姿に整合性がつけられない。自分が何者であるか、誰も教えてはくれない。教えてくれるのは自分自身しかいない。 

 私自身の見方として、高野悦子は学生運動に心底傾倒していたわけでなかったのだと思う。当時、行動しないことは「敗北」であった。彼女をはじめ、多くの学生は寂寞とした寂しさや屈辱感に耐えかねて「闘争」に身をゆだねざるを得なかった。彼女が学生運動に参加したのは、「すべての絶望」への反逆の第一歩であり、自身の不信と嫌悪に対して「闘い」を挑むきっかけにすぎなかった。

 しかし、哀れにも彼女は自身の「本当の自分」に打ちのめされた。それは破壊的で悪魔的でさえあった。そして、惰性で生きることはない、と彼女は自分で日記に認めた通りに、自ら死を選んだ。

 もし、「とにかく生きることが尊いのだ。生きてさえいれば」と諭されていたら、自死を思いとどまったのだろうか。高野悦子なら、ばそう教えられたとしても、しかし、「それはどんなにかっこつけていてもゴマカシなのである」と笑うだろう。本当に知りたいのは「なぜ生きなければならないのか」ということであり、大人ぶって人生を達観した人間のふりをする生き方ではなかったのだ。

 20歳という大人と子供の中間地点を迎える君たちにはぜひ、自身の二十歳の原点を見つけてほしい。ただし、高野悦子に「そんなの、ゴマカシじゃない!」と笑い飛ばされないようなものを。

 そして、この本は10年後、20年後にも読み返してほしいと思う。自分の原点を巡る旅は決して終らない。

 

 なお、高野悦子のさらなる「原点」に触れてみたいならば、本作の続編として出された、中学2年から高校3年までの日々を記した『二十歳の原点ノート』、高校3年から大学2年までの日々を記した『二十歳の原点序章』をすすめたい。

経済思想2回目レポート 

『自由論』のススメ

516日 17100174 佐々木康太

1,はじめに

 本稿は、著名な古典派経済学者で、政治、哲学者でもあるJ.Sミルの『自由論』(1859)についての推薦文である。また同時に、古典的思想書を読むことの面白さについても述べていくこととする。世間一般に思想書の持っているイメージが、固い文体で、アカデミックかつ難しいといったものであることは間違いないことだと思う。しかし、実際はそうではなく、思想書が、感動的な映画、あるいは心躍らせる冒険譚、もっと言えば、可愛らしい女の子が登場するアニメーションよりも、はるかに、ドラマチックで、寝るのを忘れて読みふけるようなものであることを紹介したいのである。したがって、私は、思想書を読むということが高尚であるから読むべきだと言うつもりはない。無論、思想書を読んでいるというだけで、賞賛されることはあるだろうし、実際賞賛されて悪い気はしないだろう。しかし本稿で私が述べたいのはそういうことではなく、単純に読み物としての思想書の面白さについてであり、ミルの『自由論』のエンターテイメント性についてである。

 本稿における『自由論』は山岡洋一訳の、日経BP社で発行されているものである。日経BP社は他にもマルクスの『資本論』、マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズの倫理と資本主義の精神』などの名著を平易かつ明快な翻訳で出版しているのでそちらもあわせて推薦したい。

2,ミルの人物像

 まずは簡単にJ.S.ミルの紹介をしたい。ミルは1806年イギリスで、高名な功利主義者ジェームズ・ミルの長男として生まれた。ジェームズは功利主義的な教育原理に基づいて、ミルに自ら早期教育を行った。それはいわゆる英才教育であり、13歳を迎えるまでにミルはラテン語、ギリシャ語、政治学、歴史学、論理学、経済学などを修めていった。その一方で、ジェームズはミルが同年代の子と遊ぶことを禁止した。決して詰め込むだけの教育ではなかったにせよ、一般的な情操教育を受けることのできなかったことは、ミルに、自身を「作られた人間」だと感じさせるのに充分なものであった。

 ミルが21歳のとき、彼は後にその自伝で述べる「精神の危機」に陥ったという。その原因は定かではない。しかし、ジェームズの異常ともいえる英才教育が少なからず、青年ミルの心理に悪影響を及ぼしていたのは想像しやすいのではないだろうか。ミルは自身の存在の答えを知るため、ロマン主義や、サン・シモン主義について学び始めることとなった。

しかし、そんな憂鬱のなかにいたミルに転機が訪れる。一人の女性と出会い、恋をすることになる。彼女の名はハリエット・テイラーで、ミルと出会った当時は人妻であったという。当時の倫理観念からすれば到底受け入れられない恋(現在もそうであるが)は、ミルを危機から救い出すこととなった。1858年、ミルはハリエットを失うことになるが、彼女と交わした議論はミルの思考に多大な影響を与えた。『自由論』のまえがきでは、当時すでに亡くなっていたハリエットへの想いが書かれている。ミルの特徴である、女性の権利の主張も、ハリエットの影響は強いだろう。

 以上が簡単なミルの人物像である。私が考えるに、思想書を読む前にまず、書いた人物の人となりについて調べることは、思想書をより面白く読むための必要条件である。なぜならば、著者の姿を思い描きながら読めるからだ。想像の中の著者は、無味乾燥に感じがちな思想書に鮮やかな色を加え、私たちの心に直接語りかけてくるだろう。

著者についての調べ方であるが、ミルの場合は自伝を著しているのでそちらを参照しても良いだろうし、煩わしければ、思想関係の教科書を参照するのも良いだろう。私は本稿におけるミルのプロフィールを書くにあたって名古屋大学出版会の『経済思想史―社会認識の諸類型』のミルの欄を参照している。

3,『自由論』の面白さ

 『自由論』のテーマは、端的に言えば、社会がどれだけ個人の自由に介入できるか、である。また、ここにおける個人の自由とは、他者の自由を損なわないということでもある。

では、個人の個性は、どこまで自由に含めて良いのか。個性の重要性はどこにあるのか、それらについて述べたのが『自由論』第三章 幸福の要素としての個性である。そこでミルは以下のように述べている。

自分の生活の計画を自分で選ぶのではなく、世間や、身近な人たちに選んでもらっている人は、猿のような物真似の能力以外に、何の能力も必要としない。自分の計画を自分で選ぶ人は、能力のすべてを使う。(中略)人間は機械と違って、ある設計図にしたがって作られているわけではなく、決められた仕事を正確に行うように作られているわけではない。樹木に似ており、生命のあるものに特有の内部の力にしたがって、あらゆる方向に成長し発展していくべきものなのである。(J.S.ミル『自由論』第三章 幸福の要素としての個性 p130 )

 この節を読んだとき私は、衝撃を受けた。含蓄ある言葉である以上にミルの生い立ちがにじみ出た、いい意味で人間臭い言葉だと感じたのだ。小説でも上のような独白はある。しかし、それ以上にこの文は物語性があり、感動的だ。ミルの人生観が集約されたと言っても私は過言ではないと考える。小説の登場人物というのはどうしても2つの段階を経なければいけない。それはまず、作者の想像で誕生し、そして初めて言葉を発する。ところが思想書の登場人物は作者と同一で、想像というフィルターを用いない(ミルの場合、彼の「作者」である父親を振り切ったという想像の余地があるが)。これがエンターテイメントである小説以上に思想書がエンターテイメント性に優れている要因だと私は考えている。

 ところで、私は上のように解釈し、感動を覚えたが、解釈の仕方は一様ではない。ゆえに、読む人それぞれで解釈が異なるのは当然であり、様々な議論を起こすという意味で解釈の違いは有益である。解釈の違いを参照・議論し楽しむというのも思想書との付き合い方の一つではないだろうか。

また、思想書の場合、他の人物の思想との関係性・関連性を探すことも関心を掻き立てるものであろう。例えばミルは民主主義における「多数派の専制」の危険性について述べているが、これは後にノーベル経済学賞を受賞したF.A.ハイエクにも受け継がれている。しかし、ミルが、自由主義と社会主義の過渡期の学者であり、両者の折衷的な考え方を持っている一方で、ハイエクは社会主義、あるいは、社会民主主義が全体主義国家に繋がるとして批判し、本来の自由主義への回帰を訴えている。すなわち、必ずしも、ミルとハイエクは同一の主張を持っていたわけではない。しかし綿々と受け継がれている思想を発見することは、非常に興味深く、更なる読書へと連鎖してゆくだろう。また、作中で度々引用される書があれば、それを読んでみようという気持ちにもなるかも知れない。つまり、思想書を読むことは他の思想書を読もうとするインセンティブになるのだ。

4,最後に

 『自由論』の面白さ、また思想書の面白さについては上で述べた通りである。しかし、上で挙げたものはそれらの一部分に過ぎない。思想書は一度読んだだけでは、理解できたとは言えないし、何度読んでも新しい発見がある。一読目は読了まで時間がかかるかもしれないが、二読目以降は大分時間が短縮されるので読みやすくなるだろう。また、好きな部分を繰り返し読むのも良い。古典的名作に触れることはもちろん教養にもなるし、現代では当たり前となった思考の源泉、あるいは現代では失われてしまった思考の所在を明らかにするだろう。大学1,2年の時間のあるうちに思想書にチャレンジするのも良いのではないだろうか。

2012517

大学12年生に薦めたい本 『「常識」としての保守主義』 桜田淳著、新潮新書

経営学科3年 17100177 杉本和也

 私が大学12年生に薦めたい本は、桜田淳氏が著した『「常識」としての保守主義』(新潮新書)という本である。これは2012120日発行と、比較的新しいものであるが、経済思想の講義に関連があるかと思い、読んでみたものである。内容は、私の主観でいえばかなり難しいものであったと思うが、ある程度の政治経済の知識があれば比較的読みやすく、納得できる部分が多いのだろうと思う。構成としては、保守主義とは何かということを第一章で述べ、第二章ではその保守主義が成立する条件を述べている。そして第三章では代表的な保守主義政治家を数人例に挙げ、具体的な施策などを見ていき、第四章で全体をまとめ、保守主義の可能性を見ていくというものである。

 なぜこの本を薦めたいかというと、もちろん自分が手に取った動機でもある「大学の講義に生きてくるだろう」とか、「基礎知識として知らなければまずいだろう」といったこともあるが、それに加えて、保守主義というものをきちんと認識できることで人間としての生き方も変わってくるだろうと思ったからである。もちろん、この本に書いてあることすべてが正しい、もしくは正確であるかは判断することができない。その中で、私が気になった個所が3点あった。

 まずは、この本で保守主義の中核と謳われている「中庸」の精神である。社会の変革を急激かつ劇的に推し進めようとする革新主義に対して、保守主義は変革には概ね慎重な姿勢を示し、それを推し進める際も漸進的であることを望む。革新派によって往々に生み出される議論は、「…しさえすればよい」というものであり、18世紀の革命などでも「王制下の身分制度を打破しさえすれば…」や、「無産階級が権力を握りさえすれば…」などといった安直な考えが広がっていった。この結果が間違いであったとは言えないが、保守主義が求めるものは「中庸」の美徳である。世の中には千差万別あらゆる人がいるために、政治に完全などというものはない。そんな中保守主義の政治において要請されるのは、完全はないという諦念を抱きつつも、社会矛盾の克服に向けて地道に努力を続けるという姿勢であると述べている。これは政治に限らず、日々の生活の中でも応用できる考え方であると思う。

 二つ目は、保守主義に必要な「柔軟性」や「ダイナミズム」の項で注目されている老舗企業の姿勢に言及された部分である。老舗企業が何十年も経営を維持している要因に、この「柔軟性」と「ダイナミズム」を挙げている。どんな老舗企業も、評判の良かった時代の業績にあぐらをかいていたり、時代に合わない振る舞いをしていては、努力の継承は途絶えてしまう。時代に適応する「柔軟性」と、変えるところは思い切って変える「ダイナミズム」を兼ね備えているからこそ、老舗企業が老舗企業たりえるのである。この部分は経営学科に所属する身としては改めて思い知らされ、非常に興味深いところであった。

 最後は国による保守主義思潮の基盤についてである。日本において保守主義思潮の基盤は、千数百年にわたって皇室を中心として独自の文化を気づいてきた軌跡に求めることができる。それから、第一次大戦後は「一等国」に列し、第二次大戦後は敗戦に沈み、しかしそこから驚異の復興を見せ、「世界第二位の経済大国」とまで呼ばれるようになった。いまとなっては「世界に好ましい影響を与えている国」の筆頭に挙げられるまでになっている。日本の保守主義が拠り所とすべきなのはこのような「甘み」と「苦み」に満ちた歴史であり、自らの「成功」に自信を持っても驕らず、「失敗」を肝に銘じても卑屈にならず、といった歴史への接し方を支えるのも、先ほど述べた「中庸」の美徳が求める姿勢なのである。これは二点目の内容と少し似ているが、良い歴史も悪い歴史もしっかり飲み込むことで、新鮮で良い歴史を紡ぐことができるということである。

 以上が個人的に感銘を受けた点である。私はこの本に書いてある政治・経済的な内容のすべてを理解できたわけではなかったが、難しそうな内容も違う視点で捉えることで日々の生活に対する自己啓発にもつながったと思う。一見難しそうな本も、読んでみると思いもよらぬ発見があると思うので、偏った視点にとらわれずに読んでみてほしいと思う。

学生番号17100192

経済学部3年  藤崎 祐貴

5月17日

経済思想レポート

選択した本「思考の整理学」著者:外山滋比古  ちくま文庫

 私は本書を大学1年生の時に読み、様々な知識や事柄を吸収していく機会に触れていくうえで非常に参考となることが多々書かれているので、本書を推薦したい。

 本書はまず学校教育の現状の考察から始まり、そこから湧き出てくる問題である「自ら考え行動する人間を生み出せていない」という問題点の原因を「パラグライダー」という比喩で表現している。今までの人間は、与えられた事柄をただ覚えるだけでよかったが、コンピューターの出現によりそれでは不十分となってしまったのである。これからもとめられている人間は、「生み出す」ことをしなければならないのである。

 本書が勧める学習というものは受け身の学習ではなく、自ら進んで行い、ひらめきやイマジネーションを生み出すというものである。そのようなものを生み出すためには多様な情報に触れるということが大切であるが、現在世の中は情報にあふれており、自分にとって必要な本質的情報とは何かを考え、情報を取捨選択していくことが欠かせなくなっているのである。

 情報を蓄積していくための手段は様々であるが、いずれにしろその機会を逃さないようにすることが重要なのである。面白いと思ったことはなにかに書き留めておいたり人に話したりすることで、その他の事柄と関連付けることができるのである。

 情報の蓄積が「生み出す」ことの源泉となるわけであるが、取捨選択したとはいえその情報量はあまりに膨大なものである。そのような情報を整理するためには、すぐに使うということに固執せず、まずはその情報を寝かせるべきである。情報を寝かし、取捨選択を行っていくことで、不要な情報を忘れることができるのである。忘れるということは人間の長所であり、また一種の学習なのである。

 私がもっともインスパイヤされたのは、「忘れる・すてる」ということの重要性についてである。筆者は「人間の頭はこれからも、一部は倉庫の役割を果たし続けなくてはならないだろうが、それだけではいけない。新しいことを考えだす工場でなくてはならない」と述べている。つまり、ただひたすら情報や知識を倉庫にため込むだけではなく、工場としての作業能率を上げていくべきであるということである。倉庫にある無駄な情報や知識というものはその作業能率を高めるうえでの障害となるものであるから、そのような不要なものを忘却し、整理していくことが重要なのである。そうしてどんどん忘れることを通じて、整理していくことで本当に必要なものだけが残り、工場としての作業能率が高まるのである。人間の頭をそのような状態にしていくことによって、ひらめきやセレンディピティというものが生まれやすくなるのである。

 現在求められているのはこのひらめきやセレンディピティを生み出す力であり、そのための思考の整理の重要性や、そのやり方などが比喩を交えて書かれており、古い本であるが、その考えは今でも通じるものである。これから多くの情報に触れる機会をもつ人間に、是非勧めたい一冊である。

2012517日 17100301 細越 大毅

『大学12年生におすすめの本』

 私のおすすめの本は谷崎潤一郎著『春琴抄』である。この本のあらましは、盲目の三味線師匠である春琴のことを生涯通じて愛し、精力的な献身で仕えていた佐助が、後年、何者かに顔を傷つけられた春琴を思い、自らも盲目となって愛を示し貫くというものである。なぜこのような常識的に考えて割に合わないような行動を取る、よもや少女趣味的発想でしか理解できないような主人公の小説をおすすめするかというと、この小説には大学生をやる上で重要だと思うことが色濃く反映されていると考えるからである。それをこれから説明していこう。

 単刀直入に述べると、その重要さとは自分の常識を疑うという点である。経済学を学んでいると、人間とは理性的で合理的な行動を取るものだという前提のようなものができてしまい、またそのような人間像を理想的な姿だと思い、人間のあるべき姿なはずの多面性や、内在する感情の矛盾を蔑にしてしまいそうになる。少し想像してほしい。佐助のような傍からみれば自分を犠牲にして主に仕えている人間が幸せであろうか。おそらく多くの人はそれだけで否と答えるはずである。いくら愛する人間と24時間一緒にいられると言っても、一人になれる時間も自由もなく、まして娯楽に耽るなどの息抜きは不可能、おしゃれも出来なければ友達とも会えない、がみがみと四六時中叱られるだけで感謝もされない毎日は苦痛であり、ともすれば鬱になってしまいかねないのではないか?しかし、佐助はそんな環境に身を置きながらも、なぜなのか春琴を愛し続けるわけである。そして、この小説(佐助)が更に常軌を逸しているのは、愛する春琴が何者かから顔に火傷を負わされ美しい自慢の顔が台無しにされたと知るや、彼女の顔を確認せずして佐助は自らの両目を針で刺し失明することである。なるほど、愛する人の顔が醜くなるのを見たい人間はいないであろう。変わり果てた彼女の顔を見るのも、それを見た後の己の感情の変化に直面するのも怖いことだろう。積み重ねてきた過去の記憶でさえ揺さぶられるかもしれず、現実逃避をしたくなるのもわかる。しかし、いくら春琴が佐助に顔を見られたくないとはいえ、その言葉への応えが目を潰すことに繋がるとは甚だエキセントリックではないか?恋は盲目とよく言われるが、愛が盲目とは誰もいわない。その理由はこれほどまでに生臭いものであるからだというのか?佐助にとっては、後の人生で視力を失う不都合よりも、春琴の気持ちを酌み、盲目となることで春琴と“同じ”になることが至上の幸福であったのだ。

いくら小説、フィクションのこととはいえ、作者や登場人物との対話であることに変わりはない。(自分の考える)常識や価値観と“あわない”相手と対話するためには、自分の常識や価値観を疑うことを避けては通れない。それは徹底的に“ガチ”でぶつかり合うに越したことはないだろうが、その結果、価値観を変えようなどと言っているわけではない。自分とは異なる価値観を理解できる寛容さを生みだすためであり、より強固な自分を創るためである。自分と意見が違うからと言って切り捨てていては、懐の小さい頭でっかちで偏狭な人間ができるだけ。違いが何であるか確認することで複眼的な視点を手に入れることができるのだ。大学とは常識を疑う力を養う場と捉えれば、おのずから自らの常識を疑い、異なる常識をもつ人間を許容し理解しようとする試み、訓練は不可欠であると考える。その格好のテキストが『春琴抄』なのだ。


[1] 千田琢哉『死ぬまで仕事に困らないために20代で出逢っておきたい100の言葉』かんき出版、2011年、4p。

[2] E.H.カー『歴史とは何か』岩波新書、1962年、p.ⅲ。


理想の学生生活


理想の学生生活

橋本努 2005-

 講義「学問の技法」では、「理想の学生生活」について考えるために、以下のテーマについてエッセイを書くことが課題となります。(いくつかの課題を選択することになります。)

1.学部生の自分に1,000万円を投資するとしたら、その資金をどのように用いるか。

2.文化的・精神的にすぐれていると思うもの(あるいは見なされているもの)と、低俗ないし通俗であると思うもの(あるいはみなされているもの)について、それぞれ100個の事柄を列挙してみる。

3.「大学改革論」ないし「ゆとり教育論」や「大学生改造計画案」というテーマについて、論じてみる。

4.松下村塾は、どのようにして、凡庸な若者をすぐれた人材へと教育することに成功したのかについて、調べて書く。

5.和田秀樹著『新・受験技法――東大合格の極意』、柴田孝之『東京大学機械的合格法』などを読んで、受験生活の意義と難点、およびこうした究極の受験生活に代替しうる理想的な学生生活について、論じてみる。

6.「読みたい本を50冊リストアップする」、そして「大学新入生に奨めたい本3冊の紹介」について書く。

7.伝記や評伝を一冊読んで、自分がすばらしいと思える青春時代の生き方について、論じてみる。

8.古本屋めぐり、あるいは、美術館めぐりやコンサート・ホールめぐりなどをして、レポートを書いてみる。

9.自分なりの「学問の技法」「身体の技法」「生活の知恵」について書いてみる。

10.「理想の学生生活」の「ある平日」「ある休日」について、以下を参照しながら、自分なりの日程表を書いてみる。

■「理想の学生生活」の「ある平日」「ある休日」

 理想の学生生活というのは、本当はもっと、ロマン的で、物語的なものでしょう。しかし学生生活を見直すために、ある種の時間割を練ってみるのも悪くありません。どんなものでもかまいませんので、自分が夢中になって過ごすことのできる学生生活の一日というものを、描いてみてください。以下に、空想ですが、「ある平日」と「ある休日」という二つの日程表を示してみました。ついでに、ある大学生の日誌を挙げておきました。どちらも、あまり参考にならないと思いますが、御笑覧下さい。

 また、一日の日程だけでなく、大学生活全体の予定についても立ててみたいですね。ちなみに私の場合、1週間に五日間のアルバイトをして、貯めたお金をほとんど海外旅行に費やしてしまいました。私の海外旅行先は、以下の通りです。二年次の夏、イギリスへ一ヶ月間の語学研修。二年次の春、三週間の中国旅行。三年次の夏、ヨーロッパへ一ヶ月半の旅行(そのうち2週間はフランスで語学研修)。三年次の春、一ヶ月半のインド旅行(その他、タイとネパールにも足を運ぶ)。卒業旅行として、中米(メキシコ・グァテマラ・ホンジュラス)へ一ヶ月半の旅行。この他、ジャズ研に所属していた私は、音楽に夢中になっていました。

■「ある平日」

6:30-8:00 NHK-FMの語学の番組をMDに録音する。(昨晩、タイマー録音のセットをしておいた。)

7:30 起床。(パソコンを立ち上げて、アメリカ発のインターネット・ラジオNPRのニュースを一通りストリーミングする。)

7:45-8:00 朝食。(ラジオで英語のニュースを流しながら、そして新聞を読みながら、簡単な朝食を取る。)

8:00-8:05 歯磨き/髭剃り。(歯を磨きながら、洗面台の側面に張っておいた中国語の単語を暗記する。)

8:05-8:10 出かける準備。

8:10-8:45 通学。(MDウォークマンで、早朝に録音した語学の番組を聴きながら、大学に向かう。歩きながら、小声で発音の練習をしてみる。)

8:45-10:15 第一限目の講義に出席。(とても面白い講義なので、集中して受講する。講義後に、教員に質問する。質問したい問題があるというよりも、教員と直接話すことによって、身体を触発されたいと思う。)

10:30-12:00 第二限目の講義に出席。(あまり面白くない講義なので、講義を聞きながら、『入門マクロ経済学』という教科書をみっちりと勉強する。なぜマクロ経済学を勉強するのかというと、「経済学検定試験」を受けて、就職に備えたいから。)

12:00-13:00 昼食。(昨日、同じ講義を受講している中国人留学生に「いっしょに昼食をして会話しないか」と誘っておいたので、その人と食事をする。最近少し勉強した中国語をしゃべってみる。しかし会話の大半は、その留学生の出身地の生活について聞くことだった。昼食は学食で。なるべく昼食代や酒タバコ代を節約して、夏休みの長期海外旅行に資金を備える。)

13:00-13:30 中央図書館で過ごす。(大型図書のコーナーで、奈良時代の仏教芸術にかんする写真集全5巻を、短時間で眺めていく。目標として私は、図書館にある画集や建築写真集や絵本などにおけるすべての画像を、一年間で網羅的に眺めていくことを課題としている。)

13:30-14:30 中央図書館で、ゼミの予習をする。(ゼミのテキストを読んで、議論したい点について、質問を考えてみる。テキストには赤線を引いて、熟読する。知らない用語について、いくつかの専門的な用語辞典を使って調べてみる。時間が余ったので、白書のコーナーに行って、さまざまな白書を手に取りながら、興味深いデータを入手してみる。)

14:45-17:00 ゼミに出席する。(テキストは政治学の古典。内容は難しいけれど、とにかくテキストの文章に基づいて、議論をする。そして質問をして、恥をたくさんかいて、自分の未熟さを知る。議事進行の仕方についても学ぶ。)

17:00-17:45 ゼミが終わった後も、ゼミの先生や生徒たちと、今日議論した内容について、さらに議論を続ける。(議論する力をつけるためには、とにかく長い時間、しゃべることが大切なので。)

17:45-18:30 帰路。(ふたたびMDウォークマンで語学の番組を聴きながら、帰宅する。途中、駅周辺の大型書店に足を運んで、どんな新刊本が出ているのか、どんな雑誌が出ているのか、チェックしてみる。)

18:30-19:30 夕食。(夕食の支度をするときは、友人から借りたジャズの定番といわれるマイルス・デイビスのCDを聴く。最近、マイルスのCDを10枚聴き込んでいる。そして夕食中は、昨晩録画しておいたNHKスペシャルの「漂流するフリーターたち」を見る。現代の若者の生き方について、いろいろと考えさせられる。)

19:30-20:00 家庭教師のアルバイト先に向かう。(体力作りのために、自転車で向かう。)

20:00-22:00 家庭教師のアルバイト。(家庭教師では、高校三年生や浪人生に、英語と現代国語と小論文を教えている。英語力を維持するためには、英語を教えることが一番である。また現代国語や小論文を教えると、格段に思考力が身につく。だから家庭教師は箔給でもやる価値があると考えている。)

22:00-22:30 無償であるが、家庭教師のアルバイトをつづける。(どうも私は、他人に教えることによって、自ら学習するタイプの人間のようなので、いつも時間を延長して教えている。その代わりに、途中に休憩時間をつくって、生徒と親密なコミュニケーションをしている。)

22:30-23:00 帰路。(自転車をこぎながら、今日一日の反省と、人生や哲学的な事柄についての省察に耽る。)

23:00-23:30 シャワーを浴びて、柔軟体操をする。(柔軟体操をしているときは、ふたたびマイルスを聴く。)

23:30-24:00 コンピューターを立ち上げて、自分が開設したホームページの「ブログ」のコーナーに、今日ゼミで議論したことなどについて、考えたことを書き記しておく。最近ではインターネットの自分のホームページに、簡単な日記(省察したことなど)を書き込むことが流行っているので、ある友人のホームページを見本にして、自分もネット上に日記を公開している。そして親しい友人たちと、ときどき意見交換をしている。)

24:00 就寝。明日のラジオとテレビの番組のいくつかを、タイマー予約で録音・録画しておいた。

■「ある休日」

9:00 起床。寝坊する。パソコンを立ち上げて、中国発の英語のインターネット・ラジオをストリーミングする。

9:45-10:00 ラジオで英語のニュースを流しながら、そして新聞を読みながら、簡単な朝食を取る。

10:00-11:30 近くの公園で、家庭教師先の高校生やゼミの仲間たちと、サッカーをする。思いきり汗を流して、そしてたくさん笑う。

11:30-12:00 帰宅してシャワーを浴びる。

12:00-13:00 都心に出かける。最近はMDウォークマンで、コルトレーンの音楽を聴き込んでいる。

13:00-13:30 定食屋で昼食を済ませる。昼食を食べながら、古い小説を読む。

13:30-14:00 街を歩きながら、路上観察、人間観察をする。ときどきデジタル・カメラで写真を撮る。

14:00-15:00 友人と会う。美術館で会話をしながら過ごす。すてきな絵はがきを買う。

15:00-16:30 古本屋で過ごす。古書の情報とその価値について、友人と会話に興じる。

16:30-17:00 街頭で、平和活動をしている人たちの話を聴く。

17:00-18:30 楽器屋、衣装屋、陶芸専門店などに立ち寄る。まだお金はないが、審美眼を養いたいと思う。

18:30-19:00 定食屋で夕食を済ませる。

19:00-21:00 小さなコンサート・ホールで、若手の音楽家たちの定期演奏会があったので、それを聴く。自分と同年代の音楽家たちの情熱的な演奏に、魂を揺り動かされる。

21:00-22:00 友人と喫茶店でコーヒーを飲みながら議論をする。友人と別れる。

22:00-24:00 深夜の映画館で、1960年代の日本映画をみる。日本の近現代史について、考えさせられる。

24:00-25:00 夢想しながら帰宅する。考えたことや思いついたことをメモに書きとめて、床につく。

山崎晃嗣(27歳。復員後、昭和21年に東大法学部に復学)氏のある日の日記。

岩間夏樹著「戦後若者文化の光芒」日本経済新聞社1995年、18-19ページより。


大学生時代の自分に1,000万円を投資するとすれば

橋本努講義「人文科学の基礎」2006年度前期

小レポートNo.2.

テーマ

「大学時代に追加で1000万円を自分に投資することができれば、

どのようにその資金を利用するか」

「大学時代に追加で1000万円を自分に投資することができれば、どのようにその資金を利用するか」

文学部

大野美紀

2006年7月25日改定

 1000万円は大きな額だ。使おうと思えばおそらくすぐに使うこともできてしまう額だろうが、自分を磨くために効果的に使うのは、難しいことだ。私は大学生のうちに、英語力を身につけ、翻訳の道へ進めるようになりたいと思う。そして、国際交流を通じて、いろいろな文化を感じたい。また、自分自身の人間性を深めるためにも、自分の趣味についても労力を惜しまないようにしたいと思う。そうすることで、1000万円は有意義に使うことができるだろう。

私は英語に興味があり、英語について学ぶために大学に進学した。できれば将来は翻訳を生業としたいと考えているので、そのために必要なものを大学生のうちに身につけられるものは身につけたいと思う。英語の技術はもちろんであるが、それ以外にも必要となるものがある。英語の訳を豊かにするためには日本語の語彙力も必要であるし、英語圏の文化や当然日本の文化も知っておかなければならない。英語から日本語への変換だけでなく、日本語から英語への変換も当然翻訳の仕事であるので、多方面にわたる知識が要求される。語学力だけではなく、人間性なども翻訳の上では重要なので、大学生のうちになるべく多くのさまざまな経験をしたい。翻訳は受験英語で行った英文和訳とは違って、シチュエイションに応じた訳を付けなくてはならないので、訳者の裁量にかかってくるのだ。それらの基本的な知識や、技術などは、翻訳のレッスンに通うことでこつこつと覚えていきたい。まずはそのレッスンに費用を当てたいと思う。1ヵ月1万円の月謝を4年間支払うと、48万円になる。

そして、私は語学力や海外の文化、また人々について知るために、留学や海外旅行に1000万円の一部を充てたいと思う。留学先としては、カナダ・オーストラリア・ニュージーランド・イギリスなどを考えている。ニュージーランドには高校時代のALTがいて、今もメールのやり取りをしているので是非行きたいと思う。彼女の住んでいる国を自分でもみて、体感したいからだ。また、知り合いがいればその文化に実際にいる、よき説明者がいるということなので、文化を知るうえではとてもいいことだと思う。英語圏の国へ行き、実際に英語を使えるならば国は基本的にはどこでもいいのだが、そういったことから、まずはニュージーランドに行きたいと思う。英語圏以外でも、色々な文化を知るということではヨーロッパの各地へ行きたい。私はお菓子を作ることや調べることにも興味があるので、地方菓子のようなものを食べたりする経験もしてみたい。その中で人とのつながりや、日本では到底体験できない何かを経験できたらと思う。

 また、もちろん日本のことについても今以上に深く知りたいと思う。大学に入ってから、小さな国のように思える日本にも色々な文化を持った地域がたくさんあるということを感じて驚きもあった。日本の歴史や文化について知っていないと、日本の文章を英語に訳すときに上手く伝わらない部分がでてきてしまう恐れがあるように思う。やはり、せっかくの母国のことなのだから知っておいて損することはないと思う。だから、私は国内でもいろいろなところへ実際に行き、そこの風景や暮らしに触れたいと思う。

 国内・国外を問わず、知らない人と出会い、一期一会の繰り返しを大切にするということ。旅の中でそんな数多くの一期一会に出会いたいと思う。いろいろなタイプの人間と、いろいろな関わり方をしていくのは大変なことかもしれないが、そこから学べるものは大きいと思う。これまでの自分はあまりそういった経験がないので、まだまだ浅い経験と薄い人間性しかもっていないように思えるのだ。

 そのほかに大学生のうちにしておきたいことは、打ち込める趣味を充実させることである。それは私の場合はお菓子作り、レース編みやピアノ等であり、これらを充実させることで他人とのコミュニケーションがとりやすくなり、自分の個性などが出てくると思う。自分にとって大切なものをしっかりと持っている人で、ある程度それを突き詰めている人は、そういうものが一切ない人間よりも良い点が多いように思える。なぜ趣味が大切かというと、趣味はその人間のある意味本質的な部分の凝縮を示していると思うからだ。あることが『好き』だという気持ちと、それに余暇を費やすという行為は、人によって全く別々の内容があるからこそその人をよく示すものになりうる。だから私は趣味を軽視したくはないのだ。

 そこで、せっかくなので私はお菓子の学校にも通いたいと思う。専門学校までとはいかなくて、主婦向けのものでもかまわない。夜間のコースもあるので、そういったものを活用できればと思う。大学と専門学校とで一時期進学を悩んだが、1000万円を自分に投資できるのならば是非チャレンジしたい。そういった専門的な場で趣味を突き詰めていくことで、趣味を通じて自分の行動範囲を広げられるのは良いことだと思う。ピアノなどの音楽も素晴らしいと思う。音楽は言語を超えたコミュニケーションの手段である。私はお菓子も、レース編みもそれに類するものだと思っている。また、概して趣味というものはそうである。しかし、音楽はそのもっとも秀でたもののひとつではあると思う。そしてそういったものは、大学を出てしまうと忙しさにかまけて手をつけなくなりがちだと思うので、大学生はその意味ではチャンスが多くあると思う。

 以上みてきたように、大学時代に追加で1000万円を自分に投資することができれば、私は留学・国内外への旅行・趣味の充実への投資をしたいと思う。そして、そうすることで自らの人間性を磨き、他者とのコミュニケーションの中から様々な文化を知り、将来に生かすことを望む。

レポート課題1:『大学時代に追加で1,000万円を自分に投資することができれば、どのようにその資金を利用するか』

沼尾倫子

2006/05/10

●アイディア1

資金の利用について1,000万円の使い道を大学生活に関連させて考えるのならば、まずは1,000万円を学費に当てることが妥当であろうと思う。『入学虎の巻 2006年版』によれば自宅外生が入学時に必要な金額は1,606,170円であるらしいので、端数を切り捨てて、160万円とする。年間の授業料は、四年間変わらないと仮定すると54万円×四年で216万円である。ここまでで残った金額は624万円であるので、次は四年間の生活費を考えたいと思う。4月分の生活費を参考にすれば私の場合、一ヶ月分の金額は家賃等を含め7万円弱である。これが12カ月、四年間続くとするのなら合計で336万円となる。これで残りは288万円となった。考えたくもないが、一年留年したとしてもまだ余裕がある。今度は大学生なのだから勉学関係を考える。一・二年次には二十冊の岩波文庫を読むべきだそうなので、ここは見栄を張って四十冊、購入することにする。図書館で借りても読むことはできるが、より深く理解するのに何度でも読み返したり線を引いたりするためには、やはり自分で買ったほうがよいと思う。一冊の値段にはばらつきがあるが、500円から700円というのが主なので単純に一冊700円とするならば、四十冊では28,000円である。3万円としても285万円残った。さあどうしようか。

●アイディア2

もうひとつの考えがある。現代社会ではコンピュータを扱える事が重要なスキルのひとつであることはほぼ事実であるので、教養としてパソコン技術を学ぶ、というものだ。ワードやエクセルといった基本的なものばかりではなく、プログラミングなどの知識と確かな技術を得るために、コンピュータの専門学校へと通うことが望ましいと思う。もちろん中心としているのは大学の勉強のほうであるので、自然にそれは夜間クラスになるだろう。専門職に就くことが目的ではないので、二年間コースなどの比較的短いもので十分である。授業料もろもろで多く見積もって年間300万円ほどかかるため、二年間で600万円となる。学費だけを考えるなら、先ほど述べた大学四年間の学費とで大体使い切ることになる。パソコンにこだわるのは私がうまく扱えないことに対するコンプレックスではあるが、それなりにいい案だとは思っている。コンピュータを使えないよりは使えるほうが良いに決まっている。

●アイディア3

1,000万円には到底届かないが、わたしのほしいものを買っていく。フレンチホルンはヤマハで40万円。テレビを買うならどうせならプラズマがいい。相場がわからないのだが100万円として、大きい画面のものを買う。こんな風に少しづつ使っていけばいつかは使い切るのではないだろうか。

●アイディア4

これまで具体的に1,000万円の使い道を考えてみたが、実際のところ、途方もない金額であり想像がつかない。おそらくは『大学生に相応しい教養水準』を考えるのであれば、高校時代にとらなかった科目の勉強でも自力ですればいいのかもしれないが、興味のなかったものを一人でやるのは難しいので、うまく学習はできないように思う。また、世界を知って見識を広げるという目的で海外に旅行に行くのは非常に効果のあることだとは思うが、しかし、それができるのは行動力のある一部の人間だけだとも思う。小心者(私)はせいぜい、本を読んで終わりとなってしまうだろう。そのためか、1,000万円は本を買って読むために使うと大学生らしい印象がある。教養としての読書はときにひどくつまらないものであるが。仮に1,000万円すべてを使って文庫本を買うのなら約14万冊、新書なら5,000冊ほど買うことができる。ただし実際にはそれほど大量の本は狭い家の中で所持できないし、大学生であるうちに読みきることも不可能であろう。(ちなみに上で残った285万円でならば、文庫ならさらに4,000冊購入できるがこれでも多すぎる)

●まとめ

大学卒の人間は統計的に見ると、高校卒の人間よりも一生涯に得る所得が多いということであるが、それはあくまでも統計であるので、正直1,000万円を貯金しておいて、いざというときのためにとっておきたいぐらいだ。しかしそれでは資金を投資する意味がないので、私としてはかなり真剣に考えたつもりだ。とにかく、せっかく投資できるというなら、無駄には使いたくないのだ。ただ、何が有用な使い道で何が不要なのかといわれても実は即答できない。むしろ浪費と思われることにも後々に意味が現れるのではないのか、とすら思ってしまう。負け惜しみのような言い訳をするなら「結局何でも自分のためになるのだ」というところだろうか。結論としては、1,000万円分にはあるいは足りなくても、やはり本を買って読むというのが一番であると思う。手当たり次第に古典から新刊まで、果ては新聞や雑誌まで何についてでもとにかく吸収することだ。外に出て行動するのが苦手な人間としてはそうやって自分の知識や意見を深めていくのが、なんとか出来る範囲での教養のつけ方であると思うからだ。約1,000万円分の知性と教養が、社会に出たときに役立ってくれるはずだ。

「大学時代に追加で1,000万円を自分に投資することができれば、どのようにその資金を利用するか」

文学部 越谷 彩加 2006/05/07 提出

 私が大学時代に最もやりたいことは留学であるので、まず留学の費用として使うであろう。最初に留学する場所としては、イギリスが第一候補である。

イギリスに3ヶ月留学する場合、ひとつの例として、大学の入学申込金がだいたい420,000円かかり、英語コースの授業料が650,000円、滞在費(ホームステイ・個室)、食費(朝食・夕食)で500,000円、よって合計1,570,000円かかると予想することができる。よってこの時点で1,000万円の残りは8,430,000円となり、他にも飛行機代に約200,000円かかり、イギリスで生活する際に必要になってくるものの購入において100,000円ほどかかるとみて、残りは8,130,000円ほどになるであろう。

また、イギリスに留学した後、私は中国へ留学するであろう。

中国留学に必要な費用を詳細に調べると、ひとつの例として次のように考えることが出来るであろう。

まず、学校へ支払う費用として、学費・寮費・寮敷金・報名費・注册費・教材費・管理費・活動費・保険費等その他を含めた合計として394,925円ほど必要となる。 

次に渡航の際に必要な費用として、航空券・海外留学生保険・健康診断・中国査証取得料・空港出迎え・居留申請量に合計225,730円ほどかかる。

その他に現地でかかる生活費が327,200円だとすると、すべて合計すると947,885円となる。よって残りの金額は7,182,115円となる。

中国に留学した後は、インドに留学するであろう。

インドへの留学費は他の留学先よりも安価なので一年間の留学を考えるとして、授業料・教材費・(昼・夕)食、アパート滞在費・現地サポート料金・現地通学料金の合計で約1,800,000円程度である。

また、これらに含まれない費用が少なくても500,000円はかかるであろう。よって残金は4,882,115円ほどになるであろう。

そして私は今のところ将来作家になりたいので、そのためになると思われるような本を購入するのに残金を使い、さらにそれで自分が書いた本を大学時代に自費出版するであろう。1,000部を自費出版するのに1,007,500円ほどかかるので残りは3,870,000円ほどである。

これだけたくさんのことを試してもまだ3,870,000万円も余分に残っているので、この場合であれば大学を一年ほど休学して、たくさんの知識を身につけることを目標として、残金で行けるだけの国へ旅行にでかけるであろう。

また、これとは全く別の第二のプランとして、1,000万円を使ってさまざまなボランティア活動をするのもいいであろう。イギリスでのボランティア活動に、アフリカ、インドでのボランティア活動費用、実地で必要になる生活費、準備にかかる費用をあわせると500万円はかかるはずである。

そして、これらのボランティア活動を通して体験したさまざまなことを、一冊の本にまとめて自費出版するであろう。それでもまだ残金がある場合は、ヴァイオリン、もしくはフルートを購入し、大学時代に練習を重ね、それらを各地の老人ホームなどで聞かせることができるようになればどんなにいいだろうと思う次第である。

第三のプランとしては、海の生態系についていろいろ知ってみたいという思いもあるので、そのために1,000万円を投資し続けるというものである。

大学生活の1,2年を通して海の生態系について読書を通して知れる限りを知り尽くし、3,4年になったところでスキューバダイヴィングに必要な道具を全て揃え、大学の長期休業を利用してダイヴィングに必要な訓練を受け、沖縄の海をくまなく見てまわることによって沖縄の海の生態系を自分の目で観察し、さまざまなことを新たに学び、海洋汚染と海の生態系との関わりなどについて調べ、さらに生態系について深く研究している専門家と直接話しをすることによってより専門的な知識を身に付ける。そして、その知識をフルに活用することによって海の生態に関しての本を自費出版することが出来ればとても面白いだろうし、自分のためにもなるのではないかと思われる。よって1,000万円が許す限り、海を知る活動へ投資していくであろう。

第四のプランは、1,000万円で出来る限りの天体観測をすることである。

なるべく人工の明かりの少ない近場に小さな観測所を建設し、そこに高価ではあるが優れた機能を持つ天体望遠鏡を設置し、気がすむまで星を観察し、出来るだけ一般の人々にも開放していくことが出来れば、このプランもまた面白そうである。

実際に自分が1,000万円を手にした場合は確実に貯金しようとするであろうが、絶対に自分に投資しなければならないのであれば、これらのようなことに使いたいと考えるであろう。

長谷川 桂子

2006/05/10

 わたしは1,000万円をジャイアントパンダの保護に役立てたいと思う。

 1,000万円をどう自分に投資するかという問いはなかなか難しい。自分の欲望のためだけに使うには多すぎるし、人のため社会のために使うには少なすぎるからだ。しかしせっかく1,000万もの大金を自由に使えるのなら、刹那的、享楽的に使うのではなく、充実感があり中身の濃いものにしたい。1,000万円による物質的充足は他者に譲り、精神的充足の方を得たいと思う。精神的充足とは他者に物を与えていることから得られる優越感のことではなく、世の中の役割の一端を自分が担っているという充実感のことである。世の中に1,000万円投資するということは結果として自分に投資するのと同じなのである。次になぜジャイアントパンダかという問題だが、WWF(世界自然保護基金)のシンボルマークとして使われているようにジャイアントパンダは絶滅危惧種の象徴的存在である。4,50年前から話題になっているものの依然としてジャイアントパンダの未来は明るくはない。2005年現在において野生のジャイアントパンダは約1,590頭と観測されている。500頭以下になると遺伝子の多様性が急速に失われ、絶滅の危機が一気に高まるといわれている。またジャイアントパンダは約800万年前から地球上に生息していたことが確認されており、自然界に現在でも生存する数少ない早期生物である。そのため、自然界及び生物の進化の過程を研究することにおいて高い科学研究価値もあるのだ。個人的にジャイアントパンダが好きということも含めて以上のことから1,000万円をジャイアントパンダの保護に投資したいと思う。

 さて、1,000万円をどのようにジャイアントパンダに投資するかである。なにかひとつプロジェクトを起こすとなると(「パンダとその生息地保護プログラム」のような)何億円という資金が必要になる。そこでそのようなプロジェクトの微力ながらも手助けになればと資金提供を考えたところ成都パンダ繁育研究基金会というものがある。パンダ保護研究に資金を提供する非営利の独立法人団体である。基金会はパンダ遷地繁殖、科学研究、国内外の協力と友好交流などの方面で大いに活用されており、現在の成都パンダ博物館も基金会の援助で建てられた。しかし、そのような団体にお金を募金すればジャイアントパンダの保護にはつながるがお金を募金した時点でわたしの役目は終わってしまう。つまり結局わたしのしたことは募金箱にお金を投入したことだけになってしまうのである。ほかの活用法を探すにあたって興味深いものを見つけた。中国最大規模を誇るジャイアントパンダ保護センターに臥龍(ウーロン)パンダ自然保護区というものある。野生パンダの主な生息地である四川省西部に位置している。そこでパンダの“里親制度”というのが行われている。ある特定のパンダの里親になるとそのパンダの命名権が与えられるかわりにそのパンダの養育費の一部を担うというものである。里親から集められた養育費は以下のものに使われる。①ジャイアントパンダの飼育費、管理費、医療費等の不足の補助 ②ジャイアントパンダの科学研究費用の出費支援 ③ジャイアントパンダの資料や広報の費用 。1頭あたり1年間なら約6万2千円、終身であれば約465万円である。自分が里親になったジャイアントパンダに年に何回か会うことができるということから、寄付したお金がしっかり活用されていることが実感でき、募金のようにお金だけ渡してあとは人任せという断絶感は少なくなると思う。ただ、里親になったジャイアントパンダは施設で飼育されているうえ直接飼育、研究に携わらないため、里親にとってジャイアントパンダが大きなペットのような存在になってしまう懸念がある。そこで里親になったひとのためにジャイアントパンダの現状や生態に関する講習を開いたり、場所が不便なので年に数回程度ボランティアとして飼育、清掃を任せたりすれば野生動物の保護のために飼育しているのだという自覚につながると思う。お金が余れば、ジャイアントパンダの主食である竹の植林をすすめたい。植林する地域にない、または少ない種類の竹を増やす必要がある。なぜならば70年代半ばに竹の一斉開花がおこり大量のジャイアントパンダが飢え死にした経緯があるからだ。竹は開花するとその後10年は再生しないため、年中竹しか食べないジャイアントパンダにとって竹の開花は致命的なのである。そのため異種の竹を植えて開花をずらす必要がある。

 以上のことからわたしは1,000万円をどのように自分に投資するかという問いに対して、ジャイアントパンダの保護として里親になる資金を中心に1,000万円を投資したいと思う。1,000万円じたいは2頭の終身里親程度でなくなってしまうが、1年間なり、自然に帰るまでなり最後まで面倒をみることができるということは1,000万円以上の価値があることは間違いないと思う。

「大学時代に追加で1,000万円を自分に投資することができれば、どのようにその資金を利用するか」

2006/07/24

文学部 生田 憲

1.使途の分類

お金の使いみちは千差万別であるが、ここでは便宜上3つに分類する。

(1)消費 

(2)投資

(3)自分自身への投資

(4)留保

(3)は本来(2)に含まれるが、(2)が資産の転換であるのに対して、(3)は留学をはじめとしたスキルアップを指し、別の資産との交換が不可能であるという点を考慮して別扱いとした。

2.幸福か利殖か

我々はお金を即座にモノ・サービスに転換することもできるし、お金を元手にお金を増やすことも可能だ。ここでは、1であげた分類にしたがって、投資の使途と幸福度・生産性について考察する。

まず(1)だが、短期的な幸福度は高い。4年間で使うとして日割りを計算すると、1日6715円使えることになる。1日6000円余を散在する大学生はかなりリッチなキャンパスライフを送ることができよう。

しかし、消費してしまったものは残らない。ここでいう消費は定義より自分を高めるような要素をことごとく捨象しているのだから、何も残らない。

次に(2)だが、株や不動産に資産をおきかえる、あるいは投資ファンドに投資するといったケースである。

このアプローチの短期的な幸福度は低いといえよう。稀にパチスロ感覚で株価の上下を楽しむひとがいるが、それは奇特な事例である。実際には、リスクを踏まえて管理しなければいけない苦労が増えるだけ、というのが多数派である。少なくとも私はそこに幸福感を見出せない。

しかし、うまく運用できれば生産性は高い。株の売買で億を目指してもよいし、投資信託でも3年で300~400万ぐらいの利益はでる。

つづいて(3)である。

図 1

図 2

まず、生涯賃金について厚生労働省の行う「賃金構造基本統計調査からの賃金データ」[1]

をみると図1に示すように学歴別の平均賃金が「高卒で2億2224万円、高専・短大卒で2億3335万円、大卒で2億9172万円」である。高卒と大卒の賃金格差は69,280,000円である。

これに対し、企業規模による差は図2に示すように、「大卒男子の場合、従業員1000人以上の企業が3億2755万円であるのに対して、同100~999人規模の企業が2億8160万円、同10~99人規模の企業では2億3029万円」とある。従業員1000人超の会社の賃金と100人未満の企業の賃金との差は97,260,000円である。

このことから、学歴よりも企業規模の差が生涯賃金を左右している要因があることがわかる。

学歴の効果が薄いとなれば、学生のうちにできるだけ多くのskillを身につけて大企業、端的には東証一部上場企業に入らなければいけない。その点で(3)を使途とするのは有効であろう。「英語の出来不出来で男性二割、女性四割の格差がつくと」[2]いう時代だ。能力をつけておいて損はない。また、専門職大学院への進学という手段もある。

幸福度は短期的には低いだろう。論語よろしく、時に学びてこれを習う楽しみも確かにわかるが、消費や投資よりも多くの苦労を必要とすることは明白だ。

最後に(4)だ。未来の自分のためにとっておくこともできる。1000万円はペイオフの保護を受けられる。しかし、金融をめぐる動きは新たな局面を迎えている。つい先日も、ゼロ金利が解除された。今後、もしインフレが起きたならば資産が目減りしてしまう可能性がある。

3.自己投資

 以上の考察をふまえて私がどのような選択をするか。

(1)はとらない。若いうちに遊びすぎ、あまりにもわが世の春を謳歌すると老いが早くなる気がするからだ。

たとえば、15歳でアイドルとしての絶頂を迎えた芸能人が、だんだんと落ち目になり20歳で過去の自分を回顧しているという状況を仮定すれば、彼女は20代にして精神的に老いているといえないだろうか。

(2)は投資に興味がないのでしない。リスクも高い。

基本は(3)である。しかし(4)の「留保」も選ぶ。

 かつて、就職氷河期といわれた時代、企業は従来のような社員教育を施す余裕がなくなり、新卒採用では総合力から即戦力へと焦点が移動するのだといわれていた。こうした状況がいまも変化していないのならば(3)への投資を惜しむわけにはいかない。

人気企業の採用担当者のインタビュー[3]によると、「何かひとつのことに夢中になった経験」(松下電器産業)「どんな変化に対しても柔軟に対応でき、常に自分を高めようと努力できる人(トヨタ自動車)」と意外にも素朴な答えが多い。

「TOEIC 800over」だとか、あからさまなことは言っていない。このような誰もが狙う人気企業では外国語やITのスキルを持つことは当たり前であって、その上で自分オリジナルの経験や、柔軟性や向上心など「お金では買えないスキル」が求められているのではないか。

 すこし、話が横道にそれたが、私の言いたいことはスキルアップに金を惜しまないことは重要であるが、そこに1000万円もの大金をかける必要はないということだ。

むしろ、インターンシップへの参加、NPOを立ち上げての公益活動など実際に社会にでてみることが重要ではないか。同質的な学生ばかりのキャンパスを離れて視野を広げ、壁の前で挫折し、成功体験もして、自らのビジョンを形成することが必要だと思う。

そうやって「自分ブランド」をつくっていけたらいい。

個人的なことの記述を許してもらえれば、今、私は読売新聞で記事を書いている。これからどんな経験をするのか楽しみなのだが、就職活動では有利な材料として使えると確信している。また、普通に学生をやっていたら絶対に会わないであろう人に取材できることもよい。多くの人の人生観や体験を拝聴するのはキャリア・デザインに有用だと思う。しかも、この活動にお金はかからない。むしろ原稿料をもらっている。

(3)への投資額は200万円程度に限られるだろう。年間50万円もあれば十分本は買える。サマースクールも1度はいけるだろうし、映画、音楽といった教養も充実する。

4.これからの個人と企業

さて、(3)を控えるとして、残りをどうして(4)に使うのか。ここではこれからの「個人と企業の関係」を考えたい。

終身雇用制度の崩壊を前述したが、両者の関係は時代とともに変化している。企業も変化し、また個人も変化している。

企業側の変化は、バブル経済以後、激しい市場競争にさらされているということだ。旧来の横並び体質からの脱却し、終身雇用や年功序列を廃しコストを抑制している。

個人は、地位や報酬の「物質的充足」よりもキャリア形成ややりがいといった「精神的な充足」を重視するようになっている。

これらの変化は、企業を運命共同体的な一蓮托生の組織から、お互いに選びあう関係へと脱皮させているのである。つまり、簡単にリストラされる危険もあり、簡単に転職する自由も与えられるようになってきているということだ。

だから、むしろ個人のスキルアップに対する投資(もちろん、それは実務的なことについてである)は社会人になってからこそ必要ではないだろうか。

たしかに、将来のために留保していくのは解雇された場合の虎の子という側面もある。しかし、それだけでなくて、例えば社会人としてキャリアアップしていくなかでちょっと進路を変更したくなった、あるいは、自分の方向性が100%見定まったというときに大学院で勉強しなおしたり留学したりできるようにするための資金として有用ではないか。たとえば大前研一氏の「ビジネス・ブレークスルー大学院大学」で通信制のMBAコースを、働きながら最長5年かけてじっくり学ぶと授業料が600万円だ。留学となると800万では厳しいが、働きながら日本の大学院に通うなら十分な金額である。

5.総括

1000万円は自分自身に投資する。しかし、実際に投資するのはそのうちの200万円で残りの800万円は銀行預金で留保する。現在の自分に投資するよりも、社会人として何年か活躍し自分の方向性や可能性、そして限界を知ったあとで投資する方が、効果が高いからである。

(本文 2962字)

<引用文献>

「All about Japan 転職のノウハウ 賃金データから考える転職」

http://allabout.co.jp/career/careerknowhow/closeup/CU20041019A/

「毎日就職ナビ 人気企業人事インタビュー 採用のホンネ」

 http://job.mycom.co.jp/07/pc/visitor/2007conts/honne/

<参考文献>「MBA&プロフェッショナルスクール」

http://mba.nikkei.co.jp/

アメリカへの留学

2006年5月10日 渡邉千織

 このレポートでは、自分の大学生活を充実させる為に、1千万円をどのように使うのかということについて議論する。私の場合、1千万円をアメリカの4年制大学へ留学することに使うが、その理由はアメリカに関心があり、音楽を学術的に学んでみたいという願望があったからである。そこで、留学するにはどのような手続きが必要なのか、費用はどれくらいかかるのか、などを調査するため、図書館へ行って複数の留学に関する資料にあたってみた。その結果、私の場合は自動車代、医療費などの臨時出費を除いて約9百46万7700円という計算になった。これだけの出費をしてアメリカへ留学するわけだが、アメリカの大学は膨大な量のレポートが出され、さらに英語が得意でないというハンデを背負っての勉強であるので、卒業するのはかなりの努力を要するとおもわれる。しかし、人生にとって大きな飛躍があることを期待して、希望を胸に抱いて頑張りたい。

 ここからは、私が大学生活に1千万円を投資するならば、アメリカのuniversity of California at Berkeley という4年制大学へ留学し、そこで音楽について本格的に学ぶという夢の実現を、滞在費用や入学試験、授業料などを具体的に示しながら展開する。私は以前からアメリカと音楽に興味があったので、留学は私にとって切実な夢であった。この大学を選んだ理由は、①才能に溢れた学者や芸術家が数多く集まっている。②穏やかな気候に恵まれ、雨量も少ない地域に属している。③15人ものノーベル賞を輩出した名門校である。④映画の舞台にもなっている。ということである。留学についての調査は主に図書館で行い、大学についての詳細はインターネットでホームページにアクセスした。

 実際図書館には留学に関する資料がいくつかあり、私が行きたい大学にかかる年間の授業料やアパート代、手続きの方法や保険、TOEFLのことなどのことが詳しく判明したが、まずは準備の手順について説明しておく。準備の手順については日本準備型とアメリカ準備型があるが、私の場合は日本で手続きを踏むことになりそうなので、前者だけ以下に触れる。

            日本準備型ケーススタディ

step1 留学に関する情報収集開始

step2 休学について教授と相談

step3 願書を請求する

step4 願書が届かない場合、催促の手紙を出す

step5 TOEFLを受験する

step6 願書を提出する

step7 合格通知が届く

step8 パスポート取得、学生ビザ申請

step9 渡航準備開始

step10日本出発

step11留学生活スタート

このような流れになるのだが、注意したいのはstep3の際は、直接大学に手紙を書いて請求することも可能だが、日本教育委員会の大学インフォメーション部の入学願書請求用紙を利用する方が少し容易になる。そして、願書が届いたら必要書類と一緒にまとめて送付しなければならない。必要書類は、①高校の成績証明書 ②卒業証明書 ③健康診断書 ④財政能力証明書 ⑤推薦状 ⑥エッセー・履歴書 ⑦補足書類 ⑧申請料 ⑨入寮申込書請求書である。もちろんこれらすべて英語でなければならない。③は小さな診療所では不可能な場合があるので注意しなければならない。④は各大学に所定の用紙がある場合が多いが、無い場合は留学費用の負担者が、本人との続柄、自分の職業、勤務先、年収と負担額を記入し、銀行や郵便局の預金残高証明書と一緒に提出しなければならない。この財政能力証明書は学生ビザ申請の際にも必要である。⑤は教師などが書いたもので、志願者の能力、意欲、性格などを公正かつ具体的に表現しているものがのぞましい。⑥は一種の自己紹介文のようなもので、志望動機、生い立ち、希望専攻、将来の夢などを書く。⑦は学校が要求する書類の他に、自分をPRするために提出するもので、趣味の作品や賞状などの写真を入れる。⑨は外国為替業務を行っている銀行で送金小切手を作ってもらう。金額は20~50ドルである。この願書の提出は、遅くとも6ヶ月以内に終えていなければならない。合格通知が届くまで2、3ヶ月はかかるからである。

願書を提出し、無事合格通知が届いたら、宿泊先を手配しなければならない。私はできればアパートに住みたいが、その手続きは現地に行かなければできないので、まず寮に住み、アメリカ暮らしに慣れてきた頃の2,3ヶ月後あたりに適当な物件を探すつもりである。入寮希望手続きは、願書提出の際に申し込んだ書類に必要事項を記入する。この寮生活は、個人の自由はある程度制約されるが、友人ができる、勉強の相談ができる、安全であるという点で望ましい。

 次はパスポートの申請である。パスポートは以前に比べて手続きが簡素化され、容易になった。パスポートを手に入れるには、自分の住民票がある都道府県庁の旅券課、旅券事務所で発行するが、次の提出書類が必要である。1、一般旅券発給申請書(旅券事務所にある)2、戸籍謄本(発行後6ヶ月以内)3、住民票(発行後6ヶ月以内、本籍が入ったもの)4、写真(6ヶ月以内、4,5cm×3,5cm、上半身、モノクロ・カラー両方可)5、身元確認書類(コピーは不可)6、官製はがき(申請者の氏名、住民票の住所、郵便番号を宛名書きしたもの)

 パスポートの申請が終わったら、次は学生ビザの手続きをしなければならない。ビザとは渡航先の在日公館が発行する入国許可のための証明印である。学生ビザの有効期限は5年で、この期間内の出入国ならば回数に制限をつけられないのがふつうである。ビザの申請は、入学を指定された日の3ヶ月前から受け付ける。申請には、アメリカの大学が発行した正式な入学許可証が必要である。その他次の書類が必要である。1、ビザ申請書(アメリカ大使館、領事館で入手できる)2、パスポート3、写真(3,7cm×3,7cm、裏に英文で署名する)4、財政能力証明書5、英語能力試験の結果(TOEFLなどのスコア)

 ここまで手続きを終えたら、次は外貨購入・トラベラーズチェックを行う。外国為替公認銀行、旅行会社、空港などで留学費用を両替することになるのだが、現金にかえるのは現地で銀行口座を開くまでに必要な最低額にとどめるのが安全で、大半は旅行小切手、つまりトラベラーズチェックにしておくほうがよい。経費はとりあえず現金で500ドル、トラベラーズチェックで2000ドル程度持って行けば足りるであろう。

 そして、クレジットカードも作っておいた方がよい。というのも、アメリカでは支払いのほとんどをクレジットカードで済ますのが普通で、クレジットカード以外ではサービスを受けられない場合があるからである。しかし、収入の無い学生は作ることができない。したがって、親が支払いを保証する家族カードを使うことになるが、連帯保証人がいる場合に、学生本人が作れるカードもある。海外で利用価値の高いクレジットカードとしては、VISA、マスターカード、アメックスなどがある。

 一通り手続きを終えたら、渡航準備開始である。現地に着いたら、オリエンテーションが始まるまでの間の2,3週間に、保険加入や運転免許証の取得などをしなければならない。特に保険は、アメリカのように医療費や賠償が非常に高額な国では必ず加入すべきである。自動車についても、アメリカには日本のようにコンビニのようなお店が歩ける距離には無いので必要である。まず、保険の加入法だが、現地の大学の留学生課に行って申し込み書類をもらい、必要事項を記入して料金を支払えば完了である。金額はおよそ100ドル~150ドルである。ただし、この保険は大きな手術の場合には適用されない。自動車免許の取り方は、①日本で取得した免許を所持している場合と、②アメリカで初めて免許を取得する場合に分けられるが、①はペーパーテストを受ければアメリカの免許証を入手することができる。私の場合、すでに日本で免許を取得しているはずなので、①のケースにあたる。これらの準備を終えたら、その他教科書や日用品など、細々とした物品を揃える。

 オリエンテーション開始。いよいよ留学生生活のスタート。私の勉強の目的は、音楽が自然、人間にとってどのような位置づけとされているのか、音楽は人々にとってどのような力をもたらすのか、などといったことを研究し、自分なりの答えをここで見つけることであり、今年からこれとまさに一致した科目が始まるので、私はこの大学を選んだのだ。卒業するのはかなり大変だが、英語はもちろん沢山のことを吸収して頑張っていこうと思う。さて、ここで留学費用について計算したものを下に示す。

         留学にかかる費用(4年制大学に4年間滞在)

  授業料           49400ドル(1年につき12350ドル)

  寮(食事代込み)      1677ドル(1年につき6710ドル、3ヶ月間滞在)

  アパート代         15750ドル(1ヶ月につき350ドル)

  交通費(寮の場合)     150ドル (1年で600ドル、3ヶ月間)

  交通費(アパートの場合)  4500ドル(1年で1200ドル)

  教科書代          4000ドル(1年で1000ドル)

  小遣い・雑費        19200ドル(1ヶ月で400ドル)

       合計       94677ドル(日本円に換算すると約9467700円)

計算するとおおよそこのような金額になる。これらには医療費などの臨時の出費は含まれていない。よって、1千万円から9百46万7700円を差し引いた金額をこれにあてる。自動車は現地で質の良い中古車を自分のお金で買うつもりである。

 私の1千万円の使い道はこの通りである。しかし、この大学に合格するのはかなり難しい部類に入る。TOEFLでは550点程度をとればよいのだが、英語の苦手な私にとって、このリスニングはかなり厄介なものである。今私は6月に実施されるTOEFL対策をしているのだが、このリスニングを克服する為に、ニュース英語を聞いている。これはネイティブなどとは比較にならないほど速い。そして、ただ漠然と聞くのではなく、聞いた英語を紙にできるだけ書き取り、その後シャドウィングを行っている。この成果は6月にはっきりするので、それまで頑張って500点以上は取りたい。

 一般にアメリカの大学は卒業するのが難しいといわれる。確かにその通りで、毎週膨大な量のレポートや読書が要求されるようだ。しかも英語というハンディキャップを負った日本人である私にとって、卒業はかなりの努力と根気が必要になるのは確かである。しかし、自分を成長させるため、アメリカの人々と交わるため、音楽を学ぶため、視野を広くするため、英語を学ぶため、大学生活を充実させるために、私は希望を胸に抱いて頑張らなければならない。

 以上が私の主張であるのだが、ここからは今回のレポートに関する反省を述べていきたい。さきほど読み直してみたが、文章がわかりにくく、言い回しがくどくなっていることがわかった。私は文学部に属しているのだが、実はあまり文章を書くことが得意ではない。他人に読んでもらうということを常に考えて、分かりやすい文章がかけるよう、本を読み、日記を書くなどの訓練を日頃から行なっていきたいと思う。そして、留学の手続き方法にかなりの文字数を費やしたわけだが、これが原因で結局何を主張したいのかが伝わりにくくなっているのではないかと思われる。まるで留学案内書のようになってしまったのは深く反省している。さらに、留学にかかる諸費用を計算したわけだが、この値段は1冊の本から得た情報であり、調査の際にはもっと広く資料にあたるべきだったと後悔している。そして、留学生活ではアパートを借りるつもりであるが、少し贅沢に資金を使いすぎているのかもしれない。上記で寮生活の利点をいくつか述べたのに、結局はアパートで1人暮らしを望むのは論理に矛盾が生じている。レポートを書くのはこれが初めてなので、今回の反省点を生かしてもっと頑張っていきたい。

参考文献:1、日本大百科全書(小学館)2、TOEFLなしのアメリカ留学 九鬼博(三修社)3、アメリカ留学成功の秘訣 西山和夫(三修社)4、あなたもアメリカの大学で学んでみたら 生田哲(産能大学出版)5、TOEFLの留学 小川富二 (荒竹出版)6、不安なアメリカ留学 松井道男、松原裕子(第三書館)

人文科学入門

「大学時代に追加で1000万円を自分に投資することができれば、どのように資金を利用するか」

山田今日子 2006年5月5日

突然ではあるが、私は何の目的も無しに文学部に入った。というよりは、何の目的も理由も無く北大に入学してしまった。入学してからというもの、これから始まる4年間をいったいどのように過ごすべきか、ひたすら考えた。私は勉強するために大学進学を決意した。今から私が北大でやるべきことは、自分にとって「一生続く勉強」を探すことである。いつそれが見つかるかは見当もつかないし、もしかしたら在学中にはそれに巡り会えず、社会の荒波に揉まれて初めて見つかるかも知れない。いつになったら答えが出るか分からない。しかし、頭で考え、手をこまねいているだけでは、時間は矢のごとく虚しく過ぎ行くばかりである。

今回のレポートの課題は「大学時代に追加で1000万円を自分に投資することができればどのように資金を利用するか」である。しかし1000万円と聞いても正直なところ、それだけの額でいったい何ができるのか見当がつかなかった。なので、今の私がしたいことを考えてみた。「大学に入ってやりたいこと」それは大きく分けて二つある。

まず一つ目は、さまざまな分野の本を汚しながら読むこと。

自分の興味のある哲学、倫理学などはもちろん、心理学や経済学、法学や教育学といった今までの高校の授業で触れ得なかった分野も勉強したい。もともと理系の分野も好きで文理選択に迷っていたので、正直、できることなら高校の理系科目も勉強して医学的な分野へも足を踏み入れてみたい。ここでいう「汚しながら」というのは、借り物ではなく自分の本として好きなように読むことである。(この作業が1000万という金額に見合うか否かは分からないが。)さまざまな分野の本を汚しながら読み、その中から自分がやりたいこと(あるいは、それに繋がること)を、断片的にでもかまわないから、見つけたい。

そして二つ目は海外への留学である。「ネイティブに囲まれた生活を送ることで、外国語の紙の上だけでは掴めない独特のニュアンスや使い方、また個々のフレーズに関してこめられた感情を肌で実感し、現地で得られた経験を通して異文化理解につなげる」というのが主な目的である。しかし、これには一つ大きな前提条件がある。日本で得られる知識を吸収してから日本を出る、ということである。

日本で得られる知識というのは、外国語の文献や専門書を熱心に読み、自分の中に蓄えられたものだけではない。自分の母国である日本の文化に対する十分な理解などもそれに含まれる。日本で育ったからといって、我々の自国の文化に対する知識や理解は意外にも乏しく、貧弱である。そのような状態で、果たして異国とのさまざまな意味での差異を見出し、比較し、客観視することが可能であろうか。日本が占める世界での位置づけや国内の社会情勢はもちろん、文献や絵画などの古典的なものに隠された、現代にも通じる日本人特有の人生観など、日本でしか得られないことは沢山あるだろう。少し広範囲すぎる感じもするが、何も日本のことを理解しないまま海外に発つのでは、それに費やす資金と時間の無駄である。

私が思いつく限りでは、1000万円を投資して上の二つを達成することである。さて、ここまででこのレポートの趣旨は完結したが、1000万という金額とは別の次元で大きな問題が一つある。それは時間の問題である。少し本題から逸れる気もするが、これからの学生生活における大まかな指針となるテーマなので、しっかり考えてみようと思う。

仮に1000万円で上記のことが可能だとしよう。しかし、どう考えても希望している全てのことに手を出そうとすると、かなりタイトなスケジュールが必要な気がする。理系科目への挑戦を抜きにしても、やはりこれほどまでに多岐にわたる分野を網羅するのは至難の業といえよう。また、留学のほうも同時進行で考えると、こちらは大学4年間を知識の下地作りに費やす必要がありそうだ。いざ留学!という時期は、早くても大学院生になってからが良いと思うし、実際に留学の機会が自分に訪れたら、準備には手を抜きたくない。やはり、それなりに多忙な日々を送ることになりそうだ。

さて、これから本格的に大学生活が始まる。いや、もうすでに始まっている。ここまで書いてみて初めて、自分の進むべき道を模索できる時間(少なくとも大学生として与えられた猶予期間)は、短いと実感した。同じ4年間を過ごすのであれば、やはり内面的に充実した時間を過ごしたい。さまざまな分野に触れ、自分とは違う生き方の人々に出会い、視野の広い人間になりたい。4年後に後悔せずに北大を卒業できるよう、今というこの時を大切にしたいと思う。1000万円は今手元に無いけれど、将来の指針を見つけるために、今できることをしよう。

桜井 香澄

提出日 7月26日

大学時代に追加で1000万円自分に投資できるとしたら、私は作曲家、特に映画やテレビ番組の挿入曲を作る作曲家になる夢を実現するために使いたい。作曲家といえば、岩代太郎や城之内ミサのように音大を卒業した人がほとんどだ。しかし私のように音大に行っていない人でも時間とお金のかけ方、そして努力次第では作曲家になることが可能ではないだろうか。

 私は小さい頃からピアノを習っていたが、地元帯広の音楽教室で習っていたため東京はもちろん海外でレッスンを受けることなど想像もつかなかった。むろんそのようなことができる境遇でもなかったのだが。しかし、ある女の子の公開レッスンを見に行った時に、海外でレッスンを受けられる人がいるということを知ったのだ。その子はたったの8歳にして海外レッスンを受けたりミニコンサートを開いたりしていたである。また帯広には有名なピアニストが来る機会もめったにない。札幌や東京などの都会では簡単に有名演奏家のコンサートに行くことができるが、田舎に住んでいると都会に行くだけでお金がかかってしまうのが現実である。実際、私は今年札幌に引っ越してきてみて、キタラホールに簡単に行き帯広では聴くことのできなかったPMFのコンサートを聴きに行くことができ、そのことを改めて実感した。しかし、仮に自分が1000万円持っていれば東京でレッスンを受け、数多くのコンサートに行き、沢山の音楽を聴いたり色々な映像を見たり、海外にも行って勉強をする、といった生活が可能になるはずだ。

作曲家になるために、まず手始めとして、ピアノがもっと上手になる必要がある。そして作曲の先生に曲作りを指導してもらいたい。そのためのレッスン料を計算してみた。ピアノレッスン、作曲指導共に月2万円はかかるので4年間習うと約200万円かかることになる。さらに月1回は東京の有名な作曲家の先生にレッスンを受けに行きたい。そのためのレッスン料や交通・宿泊費等で1回7万円、4年間で約300万円かかる。

 レッスンを受ける以外にも、映画やテレビ番組を見て挿入曲の研究をし、CDやコンサートで音楽を聴き、自然の美しい場所へ行ったり美術館へ足を運んだりして自分の感性を磨きたい。

CDは1枚3000円。1ヶ月1枚買うとして4年間で約50枚。3000×50=15万円。

DVDは1枚4000円。同じく1ヶ月1枚買うとして4年間で4000×50=20万円。

映画は1本1300円。同じく1ヶ月1本見るとして4年間で1300×50=6万5千円。

音楽のコンサート1回7000円として4年間で10回。7000×10=7万円。

美術館1回1000円として同じく4年間で10回。1000×10=1万円。

レッスン料以外に約50万かける。

 残りの450万円を使って音楽留学をしたい。場所は「音楽の都」ウィーンだ。ウィーンは数多くの有名な作曲家が活躍した場所だ。その作曲家達とは、古典派ではハイドン、モーツァルト、ロマン派ではベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、マーラー等である。またウィーンには大きな劇場やコンサートホールが街の至る所にあり、各劇場それぞれがトップレベルの楽団を有している。世界各国から一流のソリストがやってきて客演し、レベルの高い演目が繰り広げられるのが毎日なのだ。さらに「ウィーンの森」にはベートーヴェンゆかりの地ハイリゲンシュタットがある。そんな魅力的な街なので、音楽を勉強するには是非ウィーンに留学したいのだ。

具体的には約350万円を使って、半年オーストリアのウィーンで語学を学びながら音楽の勉強をする。

音楽学校      100万円

語学学校      50万円

ホームステイ費用  80万円

航空券代(往復)  20万円

生活費       80万円

予備費       20万円 

 残りの100万円でイタリアやドイツ等周辺の国を1ヶ月位かけて行って、本場の芸術に触れたい。イタリアでは特にヴェネツィアを訪れたい。ヴェネツィアは世界屈指の芸術の町だ。市内の95の教会と20の美術館には素晴らしい絵画や彫刻が溢れていて、町そのものが芸術作品であるそうだ。そんな素晴らしい町なら自分の目で是非一度見てみたいものだ。またオペラはヴェネツィア・ローマを中心に栄え、「椿姫」は特に良く知られている。「四季」で有名なヴィヴァルディもヴェネツィアの出身だ。

 ドイツにも多くの美術館や博物館、教会があり、色々と行ってみたい所がある。「ブレーメンの音楽隊」で有名なブレーメン。バッハがオルガンを聴きに通いつめたという教会のあるリューベック。ゲーテやモーツァルトも感嘆したと伝えられているレーゲンスブルク。そのような音楽に縁のある土地を訪れて作曲家についての理解を深め、美しい自然に触れ合うことで曲作りに欠かせない想像力が養われれば良いと思う。

 1000万円を自分に投資して、もしこのようなことが実現したら、映画やテレビ番組の曲を作ってプロの作曲家として活躍できるかもしれない。しかし、例えプロの作曲家になっても映画の売れ行きやテレビ番組の視聴率によって曲の売れ方が変わってくる。また、映画やテレビ番組の人気が爆発的であったとしても、その挿入曲が売れるとは限らない。つまり、その映画や番組自体を気に入っても曲を気に入らない視聴者もいるだろうし、例え曲を気に入っても実際にCDを買うほど好きになるかどうかはわからないからだ。作曲家という職業は、仕事にするには厳しい世界だが、才能と努力とチャンス次第では偉大な作曲家になることが可能である。1000万円あればチャンスは広がるので、作曲家として活躍できる可能性も広がる。したがって、作曲家という職業は、収入が全く無いこともあるだろうが、曲が売れれば1000万円を投資した甲斐があったと言えるだろう。

大学時代に追加で1,000万円を自分に投資することができれば、

どのようにその資金を利用するか

教育学部  武田美帆

日付:2006/05/10

 大学時代に追加で1000万円を自分に投資することができたら、私の考える使い道は全部で五通りある。

まず一つ目の使い道は、国内を旅行することである。私は北海道で生まれ、北海道で育ち、そして今も北海道で生活している。この北海道を出た機会といえば学校行事である修学旅行のときだけである。中学校時代は6月に青森の弘前城や秋田の十和田湖などを見てまわり、高校時代は10月に奈良の大仏殿や京都の清水寺などの寺院や、大阪の道頓堀などを散策した。あの頃の自分にとってはすごいものを見てきたという感動があり、今では楽しかった思い出として、自分の中にしまってある。しかし、そのときは単に学校によって制限された枠の中で、クラス単位や班単位で決められたコースをまわってきただけであった。まだまだ見てまわりたいところはたくさんあり、その上見てきたものはその土地のほんの一部の姿でしかない。それに加えて思うことは、せっかく旅行に行くなら、青森には、ねぶた祭りの季節に、京都には桜か紅葉の季節、あるいは祇園祭などのお祭りの時期にいってみたかったということだ。このように心残りのある場所にもう一度行って、自分の見たいものを好きなように見てきたい。もちろん一度行った場所だけでなく、現在住んでいる北海道において行ったことのない土地や、九州、四国、沖縄、関東など、様々な所に行ってみたいと思う。私は日本に住んでいながら、日本について知らないことが山ほどある。日本という枠の中であっても、土地によって伝統や風習が大きく異なり、また、言葉も違ったりする。特に言葉といえば、訛りやしゃべる言葉のイントネーションの違いから、方言のような違いまで、本当に面白いものがある。そのような異なる伝統や風習、言葉などについて知らなかったことをじかに触れて、日本という国について少しでも多くのことを学びたいと思う。できるならその土地に住んで、その土地のことを深く知っていくのが一番よい。しかしそういうわけにもいかないので、できるだけ多くの場所を、できれば何かイベントの行われている時期に見てまわり、その土地の郷土料理を食べたり、伝統に触れたりして、自分の住んでいる日本という国についての発見をし、理解を深めたいと思う。

二つ目の使い道は、海外留学もしくは海外旅行をすることである。私には短期の留学、あるいは旅行を通して、日本の外の国を見て、その文化に触れてみたいという思いがずっとあった。特に行ってみたい国は、イギリスやフランスなどのヨーロッパ諸国、中国、アメリカ、オーストラリアなどである。あと、トルコでは日本人が歓迎されるという話を聞いたことがあるので、ぜひ行ってみたいと思う。日本国外の様子については、自分の目で直接見たことが何一つない。海外の様子について知っている知識はすべて、新聞や本、テレビ番組というようなメディアや他人から聞いた噂話というようなものからしか、得たものが無い。そのため、頭の中で勝手に作り上げていたことや思い込んでいたことがたくさんある。また、日本では考えられないような習慣や、本当なのか疑うような面白い行事、あるいは日本での「当たり前のこと」が通用しないなどといったこともあると、見聞きしたことがある。それらの中には真実であることも、また、真実から少しずれていることや誇張されすぎていることもあると思うので、他国の本当の姿を実際に自分の目で見て、確かめてみたい。それと同時に、他国の人が、日本または日本人のことをどう思い、どう考えているのかということについても興味があるので、触れてきて見たいと思う。

三つ目の使い道は、株をやることである。最近よく株の話が話題になっているけれども、その仕組みや取引の仕方などについて、私はほとんど理解できていない。知っていることといえば、受験時に公民で勉強した高校の参考書に載っている程度のことである。しかし、やってみたいという興味はずっとあったので、このような機会があるのなら、株についての勉強をして、一度でもいいので挑戦してみたい。そうすることで、経済についてや、世の中のお金の流れについての勉強になると思う。素人がやっても簡単にうまくいくとは思はないけれども、失敗したとしても実際に体験すること自体がまた勉強になると思うし、自分にとっての良い経験にもなると思う。もしも成功することがあれば、それをまた海外へ旅行に行く時の資金にしたい。

四つ目の使い道は、一人暮らしをしてみることだ。私は現在、自宅から大学へ通っているが、一人暮らしをしたいという願望はずっとあった。自宅生でない人たちにとって、一人暮らしは当たり前のことかもしれないが、私は家庭の経済的事情からそれができずにいる。そういうわけで、私にとって一人暮らしは憧れの対象である。自宅で生活していると、ほとんどのことを親に頼りがちであり、毎日の掃除、洗濯、食事等の日常生活のことについての心配する必要はほとんど無い。確かに今の親との同居生活の方が楽だというのははっきりとわかっている。しかし、このまま自宅にいて親に頼りきっているというのも良くないと思うし、自分自身の成長も望めないと思う。また、実際に一人暮らしをしてみることで見えてくることも多くあるという点で、最低でも一年間の一人暮らしを経験してみたいと思う。

最後に考える使い道は、多くの受けてみたかった資格試験を受けるための費用にするというものである。英検をはじめ、数検、漢検、TOEFL、ピアノ検定などの試験を受けるための勉強や、受検の費用に用いたいと思うし、また、私は幼児教育の方に非常に興味があるので、夜間の専門学校に通うか、あるいは通信教育の講座を受講することによって、幼稚園教諭や保育士等の資格取得に挑戦してみたいと思う。

この五つの使い道において考える予算の配分は次の通りである。

国内旅行   …180万円

海外留学/旅行 …340万円

株      …80万円

一人暮らし  …200万円

資格試験費用 …200万円

 以上の五通りが、私の考える、もしも大学時代に自分に1000万円を投資できるとしたときの使い道である。この五通りの使い道について、1000万円という額で、ここに描いた通りそのままの使い方ができるかどうかはわからない。しかし、大学生となってから、もしも追加で1000万円を自分に投資することができたらどんなことに使いたいか、また、自分は何に対して興味を持っていて何をやってみたいのか、ということを考えたとき、私が大学生として有意義な生活を送り、自分自身を成長させるための考えた使い道は、以上の通りである。

人文科学入門レポート

小野みなみ

7月26日再提出

課題:『大学時代に追加で1000万円を自分に投資することが出来れば、どのようにその資金を利用するか』

 第一に私の念頭に浮かんだのは、その資金をロースクール進学のための予備校費にあてることであった。近年、大学生が大学の授業よりも予備校に熱心に通うことが問題視されているが、現実問題として大学院進学、資格試験のためには受験のプロである予備校の影響力は否めないと思われる。また、北海道大学は全学教育という制度をとっているため専門科目が一年次は非常に少ない。全学教育の利点は学部に関わらない広い教養を身に付けられることであり、私自身、このような制度がなければ自主的には取らなかったと思われる科目の授業について興味をもったりもしているが、やはりもう少し専門科目を学習したいと思うし、大学入学時に最も学びたいと思っていた知的財産法の授業が四年次の後期までとれないことは実に残念である。そのようなことからも、あくまで受験に対応した内容ではあるがより専門的なことを学べる司法予備校に投資をすることは将来のためにも役に立つと思われる。先生が提案されていた、予備校講師など外部の人に授業を委託するという構想が実現すればこのような出費は免れるのかもしれないが、現実問題として国立大学においてはそのような可能性は非常に低いと思われる。某資格試験予備校において基礎講座を取るとだいたい70万から80万円くらいかかるのが一般的のようだ。さらに「大学時代に」という条件からは少し疎外されるが、この1000万円の一部を是非ともロースクールの学費にしたいとも思う。ちなみに東京の某私立大学の法学既修者の学費は二年間で373万円である。

 次に私がしてみたいと思うことは、日本国内を旅行してまわることである。現在国際化が進み、留学や外国語の習得が注目されているが、私はまず、日本人として自分の国のことについてよく知るべきであると思う。また自国の文化、語学についても同様であると思う。現在正しい日本語を使える日本人が減ってきているというのは外国語教育に力を入れ、自国語の学習を軽視した結果であると私は思っているし、本来自国の文化であるはずの茶道や、弓道などの武道、さらには着物などの民族衣装が希有なものとして見受けられるようになってしまったのも嘆かわしいことである。さらに外国に留学することによって自分を変えることができた、という人がよくいるが、私はその考え方にも疑問を覚える。環境が変わったからといって人は急に変わるわけではないし、自分を変えるのは自分自身であり、そのために海外に行くことは必ずしも必要であるとは思わない。もちろん海外に行けば今までとは違う生活になり、目新しい文化や様々な人と出会うことが出来るかもしれない。しかしそれは日本国内を回ることでも体験できるし、むしろ自国のなかで(日常的な生活のなかで)自分の存在を確かめることが出来たほうが、より自分を成長させるという意味で効果的なのではないかと思う。

 さらに大学生になった当初、たいへん苦労をしたパソコンの扱いは、現在でも私を悩ませている。今なお自分に必要であると思われるものは自分専用のパソコン(ノート型のWindows)とそれを使いこなすことの出来る技術であることには変わりない。さらに自宅のパソコンがMacであることも多大なる障害をきたしている。現在パソコンは10万円程度でも購入することが出来るが、自宅にパソコンがあるにもかかわらず新しいものを購入するのはいかがなものかと、実際には購入には至っていない。ただしレポート作成において指定された文字数、行数を指定できないことはたいへん心苦しい。最後の最後になってしまいましたが、この場でそのことをお詫びします。

 1000万という大きな金額と、『投資』という言葉から連想するに最もふさわしいと思われる構想として『校内にカフェ(あるいはジュースバー)を作る』ことを挙げたい。現在、学生(あるいは教員も含め)はペットボトルを持ち歩く傾向が強い。これは経済的であるとは言い難い。もちろん自宅からペットボトルにお茶を詰めてくるなどしている人はより経済的であると言えなくはないが、そうではなく、自分専用のタンブラーをもって歩き、校内のカフェで自分が欲しいと思った時に欲しい分だけ購入するというシステムをとってはどうだろうか。もちろんこのカフェには飲み物用の容器は置かない。さらにセルフサービスにすればコストも抑えられる。もちろん適宜清掃や飲み物の補充をする必要があるので、それは学生のアルバイトを雇う。現実問題としてアルバイトをしている学生は多いと思うが、それが学業に支障をきたしているケースも少なくはないと思われる。学校の校内で、それぞれの空きコマを利用して働けば身体的にも負担は少ないと思われるし、自分たちが利用する場所で働くことは、その仕事を、お金を稼ぎたいからという観点からだけではなく、その場所を利用する立場からも、働く立場からもよりよいものにしていこうという観点からみつめるようになり、その結果学生自身の自主性と責任感によって『校内カフェ』はすばらしい場所になると思う。さらに職業訓練の場としてもさまざまなことを提供してくれるのではないだろうかと思われる。

 1000万円というお金がもしあったとしたら、私は現在の学生生活をより充実したものにすることができるかもしれない。しかし『投資』が必ずしも『金銭を投資すること』である必要はないように思う。私が現在大学で所属している法律相談室という学部公認のサークルでは毎年夏ごろに札幌市周辺の土地に行き、無料で市民の相談にのるという活動をしている。(もちろんこの活動には旅費という実費25000円が自己負担として課せられるが。)合宿のような形で行われるらしいこの行事を、私はとても楽しみにしている。もちろん相談をするという活動内容にも興味を持っているが、なによりも北海道内を同じような志をもった部員とともに旅行をするということがなによりも有意義であるのではないかと思っているからである。高校時代と違って大学では、同じような目標や興味を持って集まってきた仲間と出会うことが出来る。もちろん様々な興味や考え方を持った他学部の友人もかけがえのないものであると思うが、互いの利害得失を考えずにともに時間を過ごせる友人が出来たことを私は今、何よりも大きな成果であると思っているし、『お金では買えない時間』を投資することが日常の中の最も有益な無償の投資であるように思う。この三ヶ月、勉強、プライベートなど様々なことに関して、そのことを大いに実感した。

大学時代に1000万円を自分に投資するならば何に使うか

法学部 古沢健泰

わたしが将来目指している人間像はスペシャリストではなく、さまざまな分野において活躍できるマルチな人間を目指しています。なぜならば、スペシャリストはひとつの道だけを極めていく過程において極端に偏った考え方や価値観を形成していくと考えるからである。

わたしは今18歳でまだまだ人生のスタートラインに立っただけに過ぎないのであり、人生はこれから50年、60年もしくはそれ以上に続いていくことだろう。やはり、長い人生の中で偏った考え方は自分の世界を狭くしてしまい、周りに転がっているおもしろいことに気づかないうちに人生を終えてしまうことになりかねない。

だから、そうならないように世の中にいるさまざまな価値観をもつ人々を広く受け入れる努力をして、その価値観をもとにして柔軟な発想を形成し、さまざまな経験を積んでいこうと考えている。

今まで、スペシャリストの生き方を否定してきたが、わたしは決して存在自体を否定しているわけではない。もし仮にこの世にスペシャリストが存在していなかったら、今の世の中は存在していないと考えるからだ。マルチな人間ばかりの世界は、人間的に豊かな人々は多くなるかもしれないが、文明としては現在の高度な情報社会レベルまでには発展してはいないだろう。

たとえば、パソコンを例にあげてみる。今日の情報社会にはパソコンは必要不可欠であり、高度情報化社会の象徴ともいえる。しかし、これを作り出すことができたのはマルチな人間であっただろうか。いや、そうではない。専門知識とプログラミングという専門技術があって初めて開発できたものであろう。すなわち、スペシャリストが存在していることが、今日のパソコンの必要十分条件だといっても過言ではないのである。

そのほかにも数え切れないほどの例があり、その中には、社会を支えているものが数多く存在する。それゆえに、スペシャリストは現在の社会の成因といえるのだ。

そのうえ、当人は自分の好きなことをやっているので、十分な満足感を得ているだろう。つまり、社会的にも個人的にも充実の値は大きいのだ。

このように、スペシャリストの生き方にも、かなりのアドバンテージがある。ここで再認識しておきたいのは、スペシャリストの生き方も立派なひとつの生き方であり、客観的には、決して否定できないものだということである。

ここまで、スペシャリストとの比較をしてきたが、次からは目標のために大学時代に何をするかについて述べようと思う。

端的にいってしまえば、方法は留学である。やはり、異文化交流をして自分と違う考えの人と出会うことができるからだ。文化が違えば、そこから生まれてくる思想にも違いがある。留学の大きなアドバンテージはそこにあると思っている。

さらに、留学のアドバンテージといって考えられることがもうひとつある。それは、語学である。今日のユニバーサルな世界において、国内語だけではなく、少なくとももうひとつの言語(世界的に主要な言語)が必要だと考えている。それを学ぶために、国内で語学の勉強をするよりは、生の言葉に触れたほうがよっぽど効率的なのだ。

そして、もし行き先を決めるとしたら、わたしは迷わず中国を選ぶだろう。社会主義である背景、これからの時代に必要になってくる中国語などの留学のアドバンテージもそろっている上に、著しい経済成長もとても魅力的であるからだ。さらに、わたしにとって重要な理由がもうひとつある。

それは、料理である。わたしは、食べることが大好きで、三度の飯は何よりもたいせつなことなのだ。中国には、北京料理、上海料理、広東料理、四川料理、総じて中国料理の四大系統と称されるものがある。それらは、系統ごとに違った料理であり、さまざまな特色を持っている。北京料理は、油を使った濃厚なものが多く、上海料理は、海産物使ったものが多い。広東料理は、薬味や調味料を他よりも多用し、四川料理は香辛料を多用する。これらのさまざまな味を楽しめることはとても魅力的なことなのだ。

以上の理由から、わたしにとって、中国は魅力的であり、選択することは必然なのだ。

 それでは、具体的にどれくらいの費用がかかるのだろうか。

 現在、1元が約13円であり、食品や文房具はとても安い、例を挙げると、スイカ①玉5元、いちご1kg3元、ボールペン1元ととても安い。また、肉類も日本の10分の1である。これをもとに計算した結果、食費その他の雑費は、月4000円ぐらいになった。内分けは、食費一日100円、雑費は月500円の計算、残りのお金は、レストランなどのお店で使う分である。これだけなら、1000万円で中国に一生住むことができそうだが、そんな甘くはなかった。住居費が最低で月30万かかる。これは、外国人は、専用の住居エリアに住まなければならないからである。また、飛行気の国内便も日本の2倍ほどかかり、いろいろなところに行こうと考えている私にとっては大きな打撃である。

 上記の結果を月換算でまとめてみる。

食費:3500円(水が飲めないので、ミネラルウォーターの分も含んでいる。

雑費:500円(、

住居費:30万円

交通費:2万円(月1回は旅行に行くとする。)

娯楽費:一万円(旅行先での雑費。)

合計:約334000円

 この計算で行くと1000万円では、約30ヶ月、つまり2年半滞在することができる。大学4年間は無理である。はっきり言って、日本に住むのより高くついてしまった。

物価が安い=滞在費も安いというのは、はなはだ勘違いであった。

 しかし、2年半も滞在できれば、得るものもたくさんあるので、私の決意は変わらない。

「大学時代に自分に投資するならば、何をするか」という問題は、中国に留学するという結論に至った。この結論に至るまでに、いろいろ考えたおかげで、今の自分の考えがよりいっそう明白になった。これからも目標に向かって精進していこうと考えている。

2006年 5月7日

改訂 2006年 7月20日

http://www.e-huuhu.com/bukka/koutu.htm


[1] All about Japan[賃金データから考える転職]

[2] 脚注1に同じ

[3] 毎日就職ナビ 「採用担当者のホンネ」


大学生の本棚(写真)

濱田くんの本棚[2010.4.]  とにかく読書。この本棚をご覧ください。

読書エッセイ(大学1-2年生に薦めたい本)

読書エッセイ

(大学1-2年生に薦めたい本)

北大公共政策大学院修士二年 濱田治寿

2012/06/02

(1) The Catcher in the Rye J.D.サリンジャー

(2) 宮沢賢治全集 (ちくま文庫) 宮澤賢治

(3) 銀河鉄道の夜 宮澤賢治

(4) かえるくん、東京を救う 村上春樹

(5) 草の花 福永武彦

(6) トーマの心臓 萩尾望都


The Catcher in the Rye

J.D.サリンジャー 村上春樹訳


主人公のホールデン少年は頭が良すぎるために、大人の「インチキくささ」が気になってしょうがない。かなりの社会不適合者である。ホールデンは学校を退学になる。勉強ができなかったからじゃない。「インチキな連中がうようよしている」ことに耐えられなかったからだ。このアメリカ版人間失格 というべき本は、ホールデン君が放校処分になって、家に帰るのが嫌で、ニューヨークをぶらぶらするというあらすじである。三日間で20人以上の大人と出会うのだが、みんな「インチキくささ」があるから、彼の理解者はいない。唯一の理解者は妹のフィービーだけ。その妹に「けっきょく、世の中のすべてが気に入らないのよ」と言われて、「ライ麦畑の守護者になりたい」と答えるホールデン君。彼にとって「守護者」になってくれる可能性のあったアントリーニ先生は、学問についてかなりいいことを言っているのだが、結果としてホールデンを裏切ることになる。いや、裏切ったと思わせてしまうのだ。この点、野崎訳と村上訳を読み比べてほしい。村上訳だと、自然な愛情表現のようで結構私は好きだ。アントリーニ先生は寝ているホールデンの頭の上に手を置いている。村上訳だとアントリーニ先生の行為は広い愛情に支えられたものとして書かれているが、野崎訳だと裏切り行為のように書かれている。

語れない(ディスコミュニケーション)ということを語ることによって伝えるということについて

ライ麦畑でつかまえて は主人公の饒舌体が特徴としてあげられる。この小説は不思議なことに これだけホールデン君が語っているのに彼の内面性が見えない。彼は事物との関係性は語るが、自他の内面には触れない。自分の心を隠しているし(彼のウソの多さ!)他者の心理描写は弱い。

「君」という自分を絶対わかってくれる他者を想定しながらしゃべるという構造を読者が読むという手の込んだ作りになっている。とするならば、「僕」と「君」という閉じた回路の中でのおしゃべりを、読者は傍観しているということになる。読者はホールデン君に感情移入すればするほど、構造的にホールデン君と読者の乖離は増すというパラドックスに陥る。なぜならば、ホールデン君は、コミュニケーションを諦めきっているからだし、その上でウソを言う。僕はウソつきだという宣言は、読者との断絶の宣言にも読める。しかし、あえてそれを言うのはなぜだろうか。それは自分は伝えられないことがある ということを伝えるという行為ではないだろうか。私は構造的に読者と主人公が乖離していくのは何の意味があるのか考える。それは、自分のことはだれも分かってくれないということを伝える手段だったのだ。

自分の気持ち(傷・孤独)は自分に固有なもので、相手に安易に理解されることを拒む。しかし、この理解されたくないという気持ちを理解してもらいたいとは願う。それが他者に伝わった時に、語れないことが語られたのだと思う。

ホールデン君はさんざん語るのだけど、最終的には語れない(読者には伝わらない)ってことを伝えたかったのだ。

こう長く書きましたが、伝わらないと思う。僕が伝えたいのは、伝わらないってこと。それが伝わったら十分。禅の話みたいですね。

フィービーが言う

「けっきょく、世の中のすべてが気に入らないのよ」

「なんでもかんでもが気にいらないのよ」

「気に入っているものをひとつでもあげてみなさいよ」

ホールデンはフィービーに「将来何になりたいか」と聞かれて、こう答える。

「でもとにかくさ、だだっぴろいライ麦畑みたいなところで、

小さな子どもたちがいっぱい集まって何かのゲームをしているところを、

僕はいつも思い浮かべちまうんだ。

何千人もの子どもたちがいるんだけど、ほかには誰もいない。

つまりちゃんとした大人みたいなのは一人もいないんだよ。

僕のほかにはね。

それで僕はそのへんのクレージーな崖っけぷちに立っているわけさ。

で、僕がそこで何をするかっていうとさ、

誰かその崖から落ちそうになる子どもがいると、かたっぱしからつかまえるんだよ。

つまりさ、よく前をみないで崖の方へ走っていく子どもなんかがいたら、

どっからともなく現れて、その子をさっとキャッチするんだ。

そういうのを朝から晩までずっとやっている。

ライ麦畑のキャッチャー、僕はただそういうものになりたいんだ。」


宮沢賢治全集 (ちくま文庫) 宮澤賢治

1933911日 柳原昌悦あて 封書

(表)稗貫郡亀ケ森小学校内 柳原昌悦様 平安

(裏)九月十一日 花巻町 宮沢賢治(封印)〆


『八月廿九日附お手紙ありがたく拝誦いたしました。あなたはいよいよご元気なやうで実に何よりです。私もお蔭で大分癒っては居りますが、どうも今度は前とちがってラッセル音容易に除こらず、咳がはじまると仕事も何も手につかずまる二時間も続いたり、或は夜中胸がぴうぴう鳴って眠られなかったり、仲々もう全い健康は得られさうもありません。けれども咳のないときはとにかく人並に机に座って切れ切れながら七八時間は何かしてゐられるやうなりました。あなたがいろいろ想ひ出して書かれたやうなことは最早二度と出来さうもありませんがそれに代ることはきっとやる積りで毎日やっきとなって居ります。しかも心持ばかり焦ってつまづいてばかりゐるやうな訳です。私のかういふ惨めな失敗はたゞもう今日の時代一般の巨きな病、「慢」といふものの一支流に過って身を加へたことに原因します。僅かばかりの才能とか、器量とか、身分とか財産とかいふものが何かじぶんのからだについたものででもあるかと思ひ、じぶんの仕事を卑しみ、同輩を嘲り、いまにどこからかじぶんを所謂社会の高みへ引き上げに来るものがあるやうに思ひ、空想をのみ生活して却って完全な現在の生活をば味ふこともせず、幾年かゞ空しく過ぎて漸く自分の築いてゐた蜃気楼の消えるのを見ては、たゞもう人を怒り世間を憤り従って師友を失ひ憂悶病を得るといったやうな順序です。あなたは賢いしかういふ過りはなさらないでせうが、しかし何といっても時代が時代ですから充分にご戒心下さい。風のなかを自由にあるけるとか、はっきりした声で何時間でも話ができるとか、自分の兄弟のために何円かを手伝へるとかいふやうなことはできないものから見れば神の業にも均しいものです。そんなことはもう人間の当然の権利だなどといふやうな考では、本気に観察した世界の実際と余り遠いものです。どうか今のご生活を大切にお護り下さい。上のそらでなしに、しっかり落ちついて、一時の感激や興奮を避け、楽しめるものは楽しみ、苦しまなければならないもの

は苦しんで生きて行きませう。いろいろ生意気なことを書きました。病苦に免じて赦して下さい。それでも今年は心配したやうでなしに作もよくて実にお互心強いではありませんか。また書きます。』

悲痛を突き抜けた地平線上に賢治は存在している。賢治は小さな我を捨て、他者の為に生きたかった。しかし、最終的には自分と言う存在が自分の願いとのとの祖語を大きくした。その乖離が彼には耐えがたいものであった。アリストテレスは、石を天に投げても地に落ちるのは、石が天ではなく地に属しているからだと説いた。これと同様に、人間存在は本質が悪なのだから人間は完全な善行をおこなえない。不完全な人間でありながら完全な人間であることを狂おしいほど希求し、最後にそれとの断絶をクリアに見てしまった。そこに悲劇がある。彼は「雨ニモマケズ」のメモの前後に文章を書いている。「快楽もほしからず。名もほしからず。 いまはただ 下賎の廃躯を 法華経に 捧げ奉りて」

「南無妙法蓮華経 南無釈迦牟尼仏 南無浄行菩薩」法華経、そして題目が延々と書かれているのをみると奇異な感じがするかもしれない。彼は宗教にすがったのではない。むしろ宗教的な意思から出発している。人々の為に生きることを覚悟した賢治は、自己という問題に苦悩する。最後まで苦悩する。他者、人類全体の幸福を願いながらも、どうしても自我の問題からはなれられなかった。ここでもう一つ彼の自我の動きをみる作品を紹介したい。

『眼にて伝ふ 

だめでせう

とまりませんな

がぶがぶ湧いてゐるですからな

ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから

そこらは青くしんしんとして

どうも間もなく死にさうです

けれどもなんといゝ風でせう

もう清明が近いので

あんなに青ぞらがもりあがって湧くやうに

きれいな風が来るですな

もみぢの嫩芽と毛のやうな花に

秋草のやうな波をたて

焼痕のある藺草のむしろも青いです

あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが

黒いフロックコートを召して

こんなに本気でいろいろ手あてもしていたゞけば

これで死んでもまづは文句もありません

血がでてゐるにかゝはらず

こんなにのんきで苦しくないのは

魂魄なかばからだをはなれたのですかな

たゞどうも血のために

それを云へないがひどいです

あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが

わたくしから見えるのは

やっぱりきれいな青ぞらと

すきとほった風ばかりです。』

冒頭、自分の命が危機にさらされているのに、他人ごとのように書いていることに衝撃を受ける。自分の命が静かに終わりを迎えようとしているそんな静けさ。

中盤も、自分の辛さを訴えるのではなく、ただ医師への気遣いを示している。ただただ静けさがあります。

吐血を繰り返す自分を客観的に描写し、冷徹に「もうだめだ」と判断している。

その後視点は自分に戻り、気持ちの良い風を感じている。中盤は医師に対する心遣いまでしている。

ここまで読むと、単に自分の命が離れていく際の様子を淡々と書いたものとして読まざるを得ない。

詩を目前にして、穏やかな心であると読める。

しかし、ラストの4行で圧倒的な盛り上がりを見せる。最後の最期まで、賢治はきれいな青空とすきとほった風を見ていたのだ。

みじめに死んでいこうとする中で、かれは美しいセカイを見ていたのである。私はその、賢治の観念性の高さに心打たれる。

人間は観念的な存在である。そして私は、それはそれで素晴らしいことなのだと信じている。何かの価値を思い込み、それを追い求める姿勢、俗世とは別の高邁なものを希求する精神。これは本当に必要なものであると思う。観念は、現実には存在しない。

それゆえ、対象との距離があればあるほど、その思いは狂おしくなる。観念があるからこそ、観念にたどり着かないで挫折したり、執着したり、みっともないことをしたりする。賢治は、本当に、すきとほった空に達することができたのか。私は逆に、透明な空とそれに一体化しようとしても拒絶される苦しみしかなかったのではないかと思う。確かに、観念や理想を持たなければ、苦しむこともすくないだろう。ありのままの自分。現在の自分を大切にしようという考えだ。

しかし、それでも観念を求めてしまう。なぜならば、生きることではなく、善く生きることが最も大事なことだからである。

理想を求め真摯に苦しんでいる賢治をみて、人生は苦しみや翳りがあるからこそ素晴らしい。

北極星を目指すからこそ、北極星にはたどり着かないが北には行くことができる。観念とは北極星なのだ。決してたどり着けないがゆえに尊い。北極星を目指しながら、人は泥水の中をあるいたり、つまずいたりする。人間の有限性に気付く。そして観念の無限性に感嘆する。

賢治の詩は、有限なる存在が無限なるものとの合一を果たしたようにみえるため、迫力があるのである。しかし、不穏さもある。

詩に出てくる、死を予告するような不吉な黒いコートの存在である賢治はたぶん、無限なるものから裏切られるのだろう。有限の身には無限は重すぎる。

その時の賢治の絶望の深さを考える。それでもなお、苦しみながらもまた観念を求めて生きていく賢治の姿に私は心を打たれるのである。

観念の世界ばかりに生きてもだめだし、世俗的な生活だけもだめ。観念を狂おしいほど追い求め、裏切られ、それでも希求してしまう

その姿にこそ私は感動する。


銀河鉄道の夜 宮澤賢治


ケンタウルス祭の夜 

少年ジョバンニは銀河鉄道に乗り、親友カムパネルラと旅にでる。

ほんとうの幸福とはなにかを求めて

旅の途中でジョバンニ達は様々な人と出会う。そしてみんなの幸を願うことが本当の幸なのだ・・・と気付く。

他者への献身こそが本当の幸い。

「ほんとうのしあわせは何だろう」ジョバンニは問う

「ぼく わからない」カムパネルラは答える

「またぼくたち二人きりになったねえ どこまでも どこまでも 一緒に行こう」

無言

そしてカムパネルラの消失。

ジョバンニは子供たちからも大人体からも疎外されている。そして自分自身からも。

ケンタウルス祭にもいけない。そんな孤独の中を生きている。

ジョバンニは本当のさいわいを求めてカムパネルラと旅をする。

鳥捕りとの出会い。鳥捕りに対して当初は馬鹿にした態度であったが、最後には自分の持っているものをすべてあげたい。献身したいという気持ちが芽生える。

「僕はあの人が邪魔なような気がしたんだ。だから僕は大変つらい」明確な心の変化。他者への気遣いへの目覚め。ジョバン二はまだ自分の心が分からず「へんてこな気持ち」の中にある。

青年との出会い。船が氷山にぶつかり、おぼれ死んだ青年と子供たちとの出会い。

青年は「子供たちを助けたい」「他人が死ぬのもつらい」「子供たちに神にそむく行動をとらせられない」「自分も神にそむく行動をとることができない」という中で、子供たちを助けることを放棄した。ジョバンニは幸の取捨選択を行わなければならない事に気付く。しかし、取捨選択してしまったらほんとうの幸ではありえない。誰かの犠牲の上にたつ幸は本当の幸ではない。ジョバンニは苦悩する。

「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。」

蠍の話

ジョバンニは少女から話を聴く。

いたちに食べられそうな蠍が井戸におちる。蠍は後悔する。自分は無駄な命であった。いたちに食べられていたら、いたちの生命を一日ながらえさせたのに。と激しく後悔する。

そして蝎は、みんなの幸のために犠牲になりたいと望む。

ジョバンニは蠍の話を聴いて、ほんとうの幸いにために行動しようと決意する。

しかしカムパネルラへの抑えきれない独占欲や嫉妬心に苦悩するジョバンニ。

みんなのさいわいを求めつつも、自分の理解者と二人きりでいたいとのぞんでしまう矛盾。純粋すぎる感情ゆえの苦悩。人類全体の幸福を願いながらも、具体的な個人との関係を願ってしまう。理想を追求しながらも人間らしい感情を捨てられない弱さ。

崇高なものに恋い焦がれながら、そのはるか手前でもがき苦しむジョバンニ。彼はカムパネルラのことが本当に好きだったのだ。しかし彼と対比することで見えてくる自身の卑小さ。俗物さ。相手に惹かれるがゆえに自身との疎外が生じる。相手と一体になりたい気持ちと自分から離れたいという気持ちが同時に存在する。そのこと自体、彼には苦悩だったはずだ。ジョバンニはいう。「ぼくはもっとこころもちを大きくしないといけない」

ジョバンニは葛藤しながらも、葛藤する自分をまるごと受け入れてくれることをカムパネルラに望んでいた。熱に浮かされるように他者への献身を語るジョバンニ。僕と一緒にと呼び掛けた先にはカムパネルラの姿は消えている。この瞬間のすれ違い。分かりあえたと思ったのに本当は分かりあえていなかったことを知る辛さ。ジョバンニはカムパネルラと透明な関係性を結ぼうとしたのだ。外観のコミュニケーションだけではなく、本当の心と心のコミュニケーションを望んだのだ。しかしそれは拒否される。

ジョバン二は結局、自分がうけいれられることだけを考え、カムパネルラのことを理解しようとする努力がたりなかった。自分の孤独を相手によって満たすことはエゴである。自分自身を捨てようとしたジョバンニにとっては矛盾である。

物語の冒頭 ジョバンニは先生に問題を当てられて答えられなく悔しい思いをする。

次にカムパネルラが当てられたが、彼はあえて答えなかった。ジョバンニを察して、黙っている。それを察して、先生は自分で説明を始める。相手を察することの素晴らしさ。ほんとうのさいわいのためには、相手への配慮が必要である。

カムパネルラは ジョバンニのことを思ったからこそ 自分を放棄して彼と一体化しようとしていたジョバンニをつきはなしたのであろう どんなに汚れていても自分を受け入れて、生きていかなければならない。そうしないと君のしあわせにたどりつけないのだよと。

カムパネルラはさびしそうな笑顔で答えていたのではないか。

最後にはジョバンニは、最初の孤独に比べより大きい孤独を感じ、一人で"ほんとうの幸"を求めていく事 の絶望的な遠さに気付いてしまう。ほんとうのさいわいは単なる自己犠牲ではない。カムパネルラはザネリを救うために河に飛び込んで死ぬ。ジョバンニの願う自己犠牲をおこなっている。しかし、カムパネルラは苦悩する。母は自己犠牲で死んだ自分を悲しむのではないかと。誰かを悲しませる形で幸福を実現してはいけない。

死と孤独、疎外、避けがたい別れ。

静謐なイメージと、祭りのイメージの対比。

ほんとうの神様、ほんとうの宗教、ほんとうのさいわい。銀河鉄道では様々な人があらわれ、途中下車していく。ほんとうのさいわいへの近づき方は大別して二つある。一つは、妥協である。これがほんとうのさいわいなのだと信じ込んで思考停止になることである。ジョバンニはこれを「にせもの」と呼ぶ。もう一つは、ほんとうのさいわいなどないとしてシニシズムに陥る道である。ジョバンニはこのどちらもとらず、苦悩を負い続けるという道を選択する。だからこそ、彼は銀河鉄道で一番遠くまで行けたのである。そしてこれを可能にしたのがカムパネルラ(共に行くものという意味を持つ親友)の存在である。結果的には二人は同じものを見ていても異なった考えを持つが、友がいたからこそ、自分自身を引き受けることが可能になったのではないか。ジョバンニの孤独の質はあきらかに変化している。それは愛につながる孤独である。

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない

『農民芸術概論』」より


かえるくん、東京を救う 村上春樹

(「神の子どもたちはみな踊る」収録)


銀行員の片桐が家に帰ると、大きなカエルがいた。

かえるくんは片桐に、東京での大地震を防ぐ手伝いをしてくれと頼む。

大地震を起こす「みみずくん」と戦わなければならないので友達として応援してほしいと頼む。

はっきりいえば、片桐は冴えない男である

「私はとても平凡な人間です。いや平凡以下です。頭も禿げかかっているし、

おなかもでてるし、へん平足で、健康診断では糖尿病の傾向もあると言われました。

借金の取り立てに関しては部内で少しは認められていますが、だからといってだれにも

尊敬はされない。職場でも私生活でも私のことを好いてくれる人間は一人もいません。口下手だし人見知りするので友達をつくることもできません。ひどい人生です。

ただ寝て起きて、飯を食って糞をしているだけです。何のために生きているのかその理由も分からない。そんな人間がどうして東京を救わないといけないのでしょう。」

「片桐さん」かえるくんは神妙な声で言った。「あなたのような人にしか東京は救えないのです。そしてあなたのような人のために僕は東京を救おうとしているのです」

「片桐さん」「ぼくはつねづねあなたという人間に敬服してきました。(中略)あなたは

筋道の通った、勇気のある方です。東京広しといえども、ともに闘う相手として

あなたくらい信頼のできる人はいません。」

「ぼくにはあなたの裕貴と正義が必要なんです。あなたが「かえるくん、がんばれ

、大丈夫だ、君は勝てる 君は正しい」と声をかけてくれるのが必要なんです」

この場面には感動して鳥肌が立つ。

「かえるくん」は、片桐を承認し理解してくれている。これこそ片桐がずっと探し続けていたものであるしもう手に入らないと諦念していたものでもある。

承認を「かえるくん」は与えてくれた。「みみずくん」は非寛容や悪意のメタファーである。非寛容や悪意は、無関心と同じベクトルである。他者に対する無関心、無理解、は悪意そのものである。

存在が存在するためには何が必要だろう。それは、存在を価値あるものと認めてくれる他者が必要である。

区別する必要があるからこそ、価値をみいだせるからこそ、名付けをして存在たらしめる。

片桐は東京の中の人として、一括して扱われてきた。僕たちは、石ころに全て名前を付けて区別をすることなどしない。

石は石として、一括して扱う。そいう視線を他者にも向けてしまっている。個人個人に関心を向けていないで暮らしていることが

多い。(災害で、何千人が死にました。との報道があるが、個別具体的な存在を数字にしたとたんに冷たい感じがすることとも少し関係がある。何千人分もの人生、悲しみ、喜びがあっただろうに、数字にしたとたん、人間はのっぺらぼうになる。)

片桐はかえるくんに認められて、本当に救われたのだ。たった一人の片桐を認めたのだ。

人は自力では自分を認められない。自分が認める他者が認める自分を内面化することで自分との合一を果たすことができる。

かえるくんは ロシア文学を愛し、自由に引用できる。そんなかえるくんに片桐は惹かれる。最後に、混濁した意識の中で 片桐はかえるくんの名前を呼ぶ。看護婦はそれを聞

きながら

「片桐さんはかえるくんのことが本当に好きなんですね」とつぶやく

片桐は、ロシア文学を読もうと決意する。かえるくんが片桐を理解してくれたように

片桐もかえるくんのことを理解したいという願いが生まれている。

かえるくんとみみずくんの戦いは想像力の中で行われているとの暗示がある。

つまり、かえるくんとみみずくんと闘いは、「想像力の欠如」対「他者への配慮」の戦争だったのだ。自分の分からないこと、分からないものは抹消・殲滅したいという欲望と、それでも、相手を理解しようとする気持ちの闘いであったのだ。しかし、あいにくかえるくんとミミズ君は引き分けになってしまった。

想像力の欠如は暴力だし、それは無関心である。無関心の反対は、相手の存在を認めることである。しかし、ただ認めるだけでは、価値観のすみ分けでしかない。「自分はこう思うけれども、あなたはそう考えていても良い。だからお互い不干渉でいこう」というのがすみ分けである。そうではなく、表面上はバラバラだけれども、根源的には一つになれるという認識を持つことが必要なのである。逆を言えば、一つの根源があって、その表出として我々があるのだ。だから、自分を深く突き詰めていけば他者の存在と出会える。なぜならば、自分の世界を形作っているのは他者の寄与が大きいからである。こうして、自分自身を尊重できるように、他者を尊重できるようになる。

私たちが残酷になるのは、相手の顔をみないからだ。

無関心が人を殺す。そして世界は「私」に対して他者として現出する。

よそよそしいものとして現われる。

「私」にどんなに辛いことがあっても「世界」は平然と動き続ける。

自分が死んだとしても世界は相変わらず、何事もなかったかのように動いていく。

「私」に対して「世界」が無関心なのが非常に辛い。

しかし、物事に価値があると見出すのは自分である。価値があると思うから、名付ける。意味を見出す。

そのようにして意味あるものを組みあわせて、自分自身に意味ある世界をつくり出す。世界があって自分があるのではない。自分が世界を認識する限りにおいて世界は存在する。自分の死は一つの世界の消滅に他ならない。片桐の世界は消えかかっていた。彼は何にも異議を見いだせないし、自分自身に対しても意義を見いだせなかった。

そして世界の構築のためには他者の存在が不可欠である。他者によって、自己のまどろみから抜けだすことができる。他者は地獄であると共に、他者により自由になれるのである。

片桐はかえるくんの価値観に触れることにより、ロシア文学に興味を持つ。このことによって片桐の世界は豊饒になっていく。そして、お互いを「片桐さん」「かえるくん」と呼びあうことは、お互いがお互いの世界の中で確固たる位置を占めていることを表している。片桐がつい、「かえるさん」と呼んでしまうと、かえるくんはすかさず「かえるくん」と呼ぶように訂正を求める。片桐はかえるくんを「くん」付けしているのに、かえるくんは終始「片桐さん」と「さん」付けをしている。これは二人の関係性の非対称性を表している。関係の非対称性は「差異」を表していると考えられる。全く自分と同じ人を好きになることができるであろうか。答えはノーである。好きになれたとしたらそれは単なる自己愛の拡張である。では自分とまったく異なる人を好きになれるであろうか。答えはノーである。まるで理解できない人を好きにはなれない。自分と違うけれども、それでも相手を分かれるかもしれないという錯覚を持つ時に人を好きになれる。そこには「差異」がある。「差異」があるからこそ好きになれるのである。

関心=愛 の重要さを感じる。

関心とはなにか

共感するとはどういうことか

それはまずは自分のものさし(価値観)で判断を返さないことである。

『あなたには大切にしている世界がある』ということを認めながら一緒にいるということである。

この二つである。残念ながらこれは非常にエネルギーをつかう。

全ての人に関心を示すには、私たちはリソースが少なすぎる。

しかし、だからこそ、やる価値がある。諦念に走らないで、「それでも」という姿勢が必要である。

「かえるくん」は言う、「世界とは大きな外套のようなもので、そこには様々なかたちのポケットが必要とされている。友だちになろうとまでは思わなくても彼のような存在も世界にとってあってかまわないと思う。」まずは排除せずに「一緒にいる」ことから始めてもいいのではないか。

僕たちの当たり前の日常生活のとなりに、あるいは私たちが立っている地面の下に、想像もつかないような闇がある。

そこでだれも知らない間に激しい闘争がおこなわれている。

誰かがどこかで必死に戦っている。

そのおかげで今の暮らしが奇跡的に維持されている。

そのことを思い出すと優しい気持ちになる。

人々はみな困難な戦いに立ち無かっているのだ。

困難な戦いに人知れず、誰からも賞賛されることなしに戦っているのだ。

かえるくんからの一言で片桐は自分の人生を価値あるものとして認めることができたのだ。

幸せになりたい。認められたいという要求はすべての人にある。私たちは「かえるくん」ではないので、相手のことを深く理解はできない。しかし、謙虚に相手を知ろうとする努力はできるはずである。

謙虚に相手の話を聞くことから始めてみよう。相互理解とは相互誤解のことである。と「かえるくん」なら言いそうであるけれども、そして一歩でも相手と歩み寄りができたらと思う。

「かえるくんは」片桐をすくったのだ。それは片桐にとっての東京を救うことだったのだ。


福永武彦『草の花』 新潮文庫


研ぎ澄まされた理知ゆえにひたすら観念的な愛を追い求める主人公・汐見茂思。後輩の美少年、藤木忍へ「魂の共鳴」「本当の友情」と語る汐見。それにより仲間とはますます孤独を深めてゆく。藤木も一方的に「無垢」や「魂の美しさ」を求められることに困惑し、彼から離れようとする。やがて汐見は藤木の妹と恋愛関係に陥るのですが、彼の孤独は癒されることはない。彼はその儚く崩れやすい青春の墓標を、二冊の手記に記したまま、自殺行為にも似た手術を受けて、帰らぬ人となる。

 孤独な魂の疾走。汐見の孤独を藤木は分かち合えなかった。藤木は「あなたの孤独に私の孤独を重ねても零に零を足すようなもの。」と汐見を拒否する。孤独とは、結局は彼自身のものであり、終わりも始まりもない。また繰り返しもない。僕たちは真に心を許しあえる対象を見出すまで、傷跡を自ら癒しながら、この生を続ける他はない。孤独はまぎれもない人間の現実であり、愛は成功する・しないに関わらず孤独を強くする。孤独を否定的な意味で使用していない。孤独は弱いもの、不毛なものではない。弱い孤独によって愛した者はその愛も弱い。孤独と孤独がぶつかり合う共通の場が愛であり、孤独はエゴであり、愛も闘い、相手の孤独を所有しようとする試みである。愛はこの意味において、繰り返すもの として現われる。愛は先験的に挫折を内包している。挫折してもなお、追い求めるものとしての愛、それにより愛の自覚は深まっていく。人間の持つ根源的な孤独の状態。しかしこの孤独は消極的な、内に閉ざされた孤独ではない。相手を求めるものである。自分の孤独を通じて相手の孤独に繋がろうとする試み。これこそが愛である。それは、井戸を連想させる。井戸を掘り進めれば、地下水の層にぶつかる。そして他者と、別の個人とその広い層でつながる。誰からも離れた細い井戸を、掘り続けた挙句に、つまり孤独を極めた果てに、広い「人とのつながり」にたどり着ける。僕が言いたいのは、こういう繋がり方もアリだということです。個別具体的な孤独。それを通じて、通じ合えるという希望―それは挫折を内蔵しているーに繋がるのではないか。挫折は孤独を強くする。この孤独は愛を求める精神の活動である。愛によって自己の傷をいやされようとする愛ではない。孤独を充実させる方向で生を充実させることができるのではないか。

「への孤独」 「からの孤独」 と私は定義しています。

まず への孤独は相手を求める行為です。からの孤独とは相手からの拒絶です。

相手に無関心だとゼロベクトルですが、相手を思うと → ベクトルになる。このベクトルが大きいほど、挫折したら逆のべクトルになる。

愛が大きければ大きいほど挫折すると孤独は深まる。孤独が大きければ大きいほど強く愛せる。この循環が大事なのです。

絶対矛盾的自己同一にも繋がっていく思想だと思います。つまり、愛とは試みなのです。

孤独を重ねるのは不可能だけど、重ね合わせようとする

試み プロセスが愛なのだと思います。

孤独や悲しみは個別具体的なものだから、共有は決してできない。

その意味において愛は挫折する。しかし、お互いが孤独な存在であるということから繋がる回路もあるのではないか。孤独を深めることで繋がれる。孤独を深めるのは愛である。

愛とは常に試みである。そう考えます。

我我は孤独で弱い。だから繋がれるのだ。人間は利他的にはなれない。自己愛が先行してしまう。しかし人はこの「自己愛」のゆえにこそ、他者を愛し思いやることができるのだ。 「人が人間愛を感じるのは、わたしたちが弱いからだ。だから人といっしょになりたいと思うのだ。」ルソーはこう述べている。  

人間愛を育むためには、次の三つのことを知っておく必要がある。とルソーは言う。

人間の心は自分よりも幸福な人の地位に自分をおいて考えることはできない。

人はただ自分もまぬがれられないと考えている他人の不幸だけをあわれむ。

他人の不幸に対して感じる同情は、その不幸の大小ではなく、その不幸に悩んでいる人が感じていると思われる感情に左右される。

人はどうすれば互いに愛し合えるのか。どうすれば互いに思いやりあうことができるのか。

他人を愛せとか、思いやりをもてとなど規範を持ちだしても仕方ない。ただ、自己愛によってのみ、他者を愛せるのである。

「僕は何を考えていたのだろうか、――恐らくは忘却というようなことを。」

「僕が生きているのは、この愛のためなんだ、観念的でもいい、夢を見ているんでもいい、ただ咎めないで欲しい。」

「人は全て死ぬだろうし、僕もまた死ぬだろう。

そんなことは初めから分かっている。

ただ、人はそれがいつであるのか予め知ることが出来ないから、

案じて日々の生活の中に、それが生きていることだと悟ることもなしに、

空しく月日を送って行くのだ。」

汐見にとって、藤木との友情の中に生きることが、本当の生であった。彼との透明な関係性のなかにこそ生きているという実感があった。藤木のいない日々はもはや生命はあっても「いのち」はなかった。彼は冷たくなった思い出にすがることによって生きながらえていた。しかしだんだん忘却が押し寄せてくる。だんだん味も分からなくなってくる。思い出の残りかすだけではもう生きていけなくなった。だからこそ、彼は自殺にも似た手術をうけたのであろう。死ぬ際に一人ぼっちはやはりさびしかっただろう。


トーマの心臓 萩尾望都


「これが僕の愛、これが僕の心臓の音」


雪の降る静寂の中、少年トーマは投身自殺をする。

誰からも好かれ、美しい容姿の彼の死に様々な憶測が飛び交った。

数日後、ユリスモールにトーマからの遺書が届く。その意味に

困惑し苦悩するも、トーマの存在を忘れるようにしたユーリ。

そんな中、トーマに生き写しの少年 エーリクが現れる。


エーリクにトーマの姿を重ねてしまう日々

ユーリはエーリクを拒絶しつつも惹かれていく。

その矛盾に彼は苦悩し、殺意すら抱いてしまう

しかし、エーリクの純粋な想いやオスカーの支えによって

少しずつ彼は心をひらいていくのであった。


ユーリに一体何が起きたのか。

なぜトーマは死ぬ必要があったのか。

それは、ユーリの心を救うためであった。そのためにトーマは命を投げ出した。

自身の死をもってユーリに愛と許しを与えるために。


トーマの愛は、特定への人物の愛だけではなく、普遍的な愛へと開かれている。

それは自分と他者との関係の問題であり、自分が信じるものとどう対峙していくかという問題でもある。


ユーリをすくったものとはなにか。救済とはなにか。


ユーリは過去のある事件により、信仰を棄てさせられた。そんな罪深い自分に悩み、自己否定に陥る。学校の友人達をはじめ、人間関係の一切を断ってしまう。神に愛される資格がない自分は、人を愛する資格もなければ愛される資格もない。そうユーリは結論づける。自らのうちに閉じこもってしまう。神との関係性、他者との関係性を断つことは絶望であり、罪であった。彼は自分の経験を受け入れることができず、内面的には壊れていた。ユーリの絶望は深い。彼は信仰を棄てさせられたことよりも、信仰を捨てた自分自身に絶望している。崇高な価値を求める心の中に、悪に惹かれ、誘惑に負け、堕落を求める部分があることを彼は深く自覚することになった。弱い自分自身それをユーリは受け入れることができなかった。それを治癒するためにトーマは自殺したのだ。 自分を犠牲にしてまで、ユーリは愛を受けるべき存在であるとトーマは証明した。そしてそれは無償の愛であった。ユーリは愛を受けたら愛を返さなければならない。愛すことのできない自分は愛される資格がないと考えていた。そこに、トーマからの愛を受けた。彼は、ただただ、自分は愛されていることに気付くだけでよかったのだ。ユーリはトーマからの自己犠牲的行為を負担に感じることもあるだろう。それと同時にそれほど自分の生は価値あるものだと知る。そして、その愛は返済されるものではなく、次の誰かへと受け継がれていくものである。それが他者との関係性の回復につながっていく。

自分は天使ではないと、「僕には翼がない」と云うユーリに、エーリクはただ一言「僕の羽をあげる」と伝える。この瞬間にエーリクはユーリの世界を回復することに成功する。トーマの犠牲によって赦され、エーリクの言葉によりユーリの世界は再び動き出す。



生きることに前向きになろうとしても、ユーリには無理だった。自己を愛せないものは、他者を愛せない。

コップから水があふれるように、他者への愛は生まれる。彼のコップは空だった

トーマからの遺書を受け取ったユーリは苦しむことになった。

ユーリには、理解できなかった。なぜトーマが死を選んだのか?

トーマが死を選ぶことが、なぜ「愛の証し」だというのか?


しかし、ラストの一枚の紙片によりすべては反転する。

本の間に挟まれた、一枚の紙切には以下のように書かれていた。

「ぼくは、ほぼ半年の間ずっと考え続けていた

 ぼくの生と死と それから一人の友人について

 ぼくは、成熟しただけの子供だということはじゅうぶん分かっているし

 だから この少年の時としての愛が

 この性もなく正体も分からないなにか透明なものに向かって

 投げだされるのだということも知っている

 これは単純なカケなぞじゃない

 それから ぼくが彼を愛したことが問題なのじゃない

 彼がぼくを愛さねばならないのだ

 どうしても

 今 彼は死んでいるも同然だ

 そして彼を生かすために

 ぼくはぼくの体が打ちくずれるのなんか なんとも思わない

 人は二度死ぬという まず自己の死 

 そしてのち 友人に忘れ去られることの死

 それなら永遠に

 ぼくには二度目の死はないのだ(彼は死んでも僕を忘れまい)

 そうして

 ぼくはずっと生きている

 彼の目の上に」



確かになくなった人はここには存在しない。

だが、脳裏には心の中には確実に存在している。透明な存在として存在している。

ここで初めて、生きている間では不可能だった「透明な関係」が生じる。死者の存在は透き通っている分、まなざしは深いところまでとどく。自分から死者に対する視線。死者から自分に対する目線。この二つは同じものだ。

死者からの目線は鏡なのだ。死者を通して初めて自己との透明な会話が可能になる。

自己を語りなおし、凝視する作業は苦しい。しかしトーマはそれを求める。トーマは自分を用いることで、ユーリの自己との和解の媒介になろうとしていた。

たった一人でもいい。自分を受け入れて理解してくれる人がいてくれればいい。しかしそんな他者はいない。

自分を受け入れてくれる人は自分以外にいないのだ。自己を受け入れること。それは他者の存在。とりわけ死者の存在が必要である。

大切な人の消滅は、新たな出会いである。

死は断絶ではない。虚無ではない。新たな出会いである。

死者とともに生きる。そうやっていきていけるのだ。

自己への拒絶感や純粋さゆえに生まれる死への憧憬。

少年ゆえに、透明で脆い心情が書かれた作品。


壊れやすい美しさからこそ、死で凍結させてしまったのだろう。

少年と死(タナトス)を結合させた傑作

大学1-2年生に読んでもらいたい新書50冊

大学1-2年生に読んでもらいたい新書50

濱田治寿(公共政策大学院・修士二年生)201206


自由主義の再検討 藤原保信

社会認識の歩み 内田義彦

マックス・ヴェーバー入門 山之内靖

西洋哲学史 熊野純彦

社会科学の方法 大塚久雄

歴史とは何か EH・カー

市民の政治学 藤原一

日本人の法意識 川島 武宜

社会認識の歩み 内田義彦

近代の政治思想 福田歓一

社会学入門 見田宗介

現代社会の理論 見田宗介

新哲学入門 廣松渉

哲学入門一歩手前 廣松渉

いまこそマルクスを読み返す 廣松渉

デモクラシーの論じ方 杉田敦

自由はどこまで可能か 森村進

ハイデガー=存在神秘の哲学

こどものための哲学 永井均

憲法とは何か 長谷部恭男

社会学講義 富永健一

法と社会 碧海純一

昭和天皇 古川隆久

生きる場の哲学 花崎 皋平

カント入門 石川文康

日本の統治構造 飯尾潤

戦略的思考の技術 梶井厚志

よく生きる 岩田靖夫

ギリシア哲学入門 岩田靖夫

いま哲学とは何か 岩田靖夫

ヨーロッパ思想入門 岩田靖夫

哲学思考トレーニング 伊勢田 哲治

現代思想のパフォーマンス 難波江 和英

哲学の謎 野矢 茂樹

批評理論入門 廣野 由美子

科挙 宮崎 市定

文系のための数学教室 小島寛之

刑法入門 山口厚

資本論の世界 内田 義彦  

昭和史 遠山 茂樹、藤原 彰、今井 清一

羊の歌 加藤 周一

続・羊の歌 加藤 周一

砂糖の世界史 川北

数学入門 上・下 遠山

無限と連続 遠山

日本人の英語 マーク ピーターセン

続日本人の英語 マーク ピーターセン

はじめての構造主義 橋爪 大三郎

哲学の歴史  新田 義弘

人間の未来  竹田 青嗣

不可能性の時代 大澤 真幸

人間は進歩してきたのか 佐伯啓思

安心社会から信頼社会へ 山岸俊男

イスラーム哲学の原像 井筒 俊彦

自由に生きるとはどういうことか 橋本努


◼ 古本屋の歩き方 (大学生の教養の一つは、古本屋をめぐること。)

◼ フランスのバカロレア (哲学の教養について知ろう。)

「バカロレア」とは、フランスで「大学入学資格」を証明するための試験。高校で勉強する内容である。1808年以来から導入され、1968年以降は、A (文学・哲学) ,B (社会学・経済学) ,C (数学・物理学) ,D (数学・博物) ,D' (農学・技術) ,E (数学・技術) ,F (工業技術者) ,G (社会・医学技術者) の8学科とされている。そのなかの「哲学」の問題は、次のようなもの。大学生になったら、このレベルの問題に挑戦したい。 2019 | 2018 | 2017 | 2016 |

◼ 学生生活実態調査 (北海道大学のホームページの同調査のリスト)

◼ 議員インターンシップ (学生と政治家を結ぶNPO法人「ドットジェイピー」

Graduate Course ? 大学院進学のススメ

瀬田宏治郎の東大大学院合格記

瀬田宏治郎

東大大学院 人文社会系研究科修士課程 合格体験記


1999.3.17


1.はじめに

 私は1999年1~2月に行なわれた入学試験に合格し、東大人文社会系研究科および阪大人間科学研究科の修士課程への入学許可を得た。まだ研究者への道の出発点に立ったにすぎないが、同じように大学院を受験しようとする後輩の一助になればと思い、以下の文章を記すことにする。これはあくまで一つのケースであって、同じようにやれば合格できるとは限らない。とはいえ、行間には良い点悪い点が見え隠れするだろうから、それを読み取れば何かの参考にはなるであろう。

 なお、これは「合格体験記」であるから、試験の内容について詳しく述べることを主眼としていない。だから、大学院受験のための具体的な情報は、個別に私に問い合わせて欲しい。また、一部で情感たっぷりに書かれすぎて辟易する個所もあるかもしれないが、そういうところは飛ばして読んで欲しい。これは私がこの三年を振り返って再構成した「自己物語」なのだから。

2.三年生の頃

 私が大学院受験を明確に意識しはじめたのは3年生になってからだった。それまでもおぼろげには考えていたのだけれども、具体的な対策は何もしていなかった。しかし、年齢のこともあったので、三年生に上がる時点で就職か進学かを決めなければならないと思っていた。そして、否が応でも決断を迫られる事態が訪れた。

2.1.ドイツ語購読

 それは3年生の4月のことだった。不本意ながら経済学部に進学した私は、経済学部の授業の中に、社会学的な要素を持つものがないか捜していた。すると外国語購読の欄に目がとまった。この授業では、どうやら後期はジンメル『貨幣の哲学』をドイツ語で読むようである。前期に取り上げる本の著者は知らないが、『資本主義の倫理』という題名なので、思想的な内容のようである。ただ、この授業の担当者として上部に記してあった「橋本(努)」という先生は知らない。どんな人なのだろう。非常勤なのだろうか。授業の便覧をよく見ると、参考文献に記してある『社会学がわかる』という本に文章を書いているようである。さっそく生協へ行って確認することにした。すると、まだ28歳か29歳なのに著書も訳書もある!!! 早くも講師となって北大に赴任してくるらしい。これはむちゃくちゃ頭が良くて気合いが入った人ではないのか?

 この授業を取るか否かは大きな転機だった。この選択が進学するという選択とそのまま直結していると当時考えていたし、今でもその考えは間違っていなかったと思っている。社会学的・思想的なことを勉強したいと思って大学に入学し直したけれども、やはり教養時代は遊んでしまい、もっとも不本意な経済学部に進学することになってしまった。初志貫徹を目指すならば、よほど気合いを入れて勉強し大学院で専攻を変えるしかない。だが、なまけぐせの染みついた自分が一人で勉強できるはずがない。それを一挙に逆転するための最後の手段として、この授業は機能しそうに思えた。だが、それは劇薬すぎるようにも思えた。なぜなら、(1) マルクス主義全盛の時代ならいざ知らず、いまどきドイツ語購読の授業をとる人なんていそうもないし、(2) もっと経済学的?な内容ならまだしも、『資本主義の倫理』や『貨幣の哲学』なんて思想的な内容に興味を示す人など、経済学部にはいそうもない。少なくとも、自分の見聞した限りではそうだ。(3) そして極めつけは、先生の引越しの関係で、受講手続き締め切り後に第一回目の授業が行なわれることである。つまり、下見ができないのだ。新任の先生だから、授業だけでなく先生の下見もできないのである。裏にも他の授業があることだし、よほどこの授業内容に関心がある人でなければ受講はしないであろう。

 おそらく、受講者は自分一人であろう。それも相手は恐ろしく気合いが入っていると予想される先生である。そうなると、どのような授業が展開するかは自ずと想像がつく。それまでぬるま湯に浸りきっていた自分に耐えられるだろうか。ドイツ語が達者ならばまだやりやすいかもしれないが、あいにく教養時代サボりまくったために、ドイツ語の単位は全部「可」で、基礎文法も身についていない。2年生の最後になって、やっとドイツ語が面白くなり勉強を続けたくなったが、すでに後の祭りであった。そういった意味でも無理がある選択である。

 こうしてさんざん迷ったが、自分の心根を鍛え直すにはこれしかないと思い、清水の舞台から飛び降りる思いで、受講することにした。そして、これが今に至る最大の分岐点であった。

 実際、授業を受講したのは自分一人だった。どんな先生が来るのか不安になったが、登場した相手は話しやすい人で安心した。私が自分の状況を話すと、大学院への勉強のやり方をいろいろと教えてくれた。ここから大学院へ向けた基礎トレーニングが始まった。

 この時点での、私の学力および知識量を示しておこう。社会学の知識は橋爪大三郎先生の啓蒙書を見て少し得ていた程度で、専門書を読んだことはなかった。例えばウェーバーの名前は知っていても、彼が何をやった人か、どんな著作があるのかはよくわからなかった。思想に関しても、竹田青嗣さんが書いた入門書をちらちら見た程度で、人物の名前ぐらいは知っていても、その思想内容はよくわからなかった。だからゴシップ程度の話はできても、専門的な議論は全くできなかった。その意味で、人文・社会科学の専門的な勉強はこの時点から始まったといえる。

 また、英語に関してもたいした実力はなかった。昔から他の科目は得意だったのだが、英語だけは苦手科目であった。北大に入るときのセンター試験でも126点だから、平均的な北大生よりも低いだろう。偏差値にしても50代半ばぐらい。文章読解はそこそこできたのだが、他が苦手だったので苦労した。実際、一年生のときには英語の単位を落としている。ただ、1,2年生のときに家庭教師で英語を教えたおかげで、自分の中で英文法の再構成ができて、多少は理解が進んだ。

 では、ドイツ語購読の様子について続けよう。受講者は私に加えて、大学院生の方三人が加わることになった。だがあくまで授業の主役は私なのだから、欠席・遅刻は許されない。授業は1コマ目に行なわれたので朝に弱い私は非常につらかったのだが、休むわけにはいかないから何とか出席を続けた。ドイツ語の実力は低かったから読解には苦労したが、力わざででも文法構造を把握しようとした。これを一年続けてみて、文法力や単語力に関してはあまり向上しなかったと思うが、難解な文章の構造をつかむカンのようなものは多少はついたように思う。

2.2. RCST(Reading Circle for Social Theory)

 社会学を始めるにあたって、『【縮刷版】社会学事典』(弘文堂)を買うことにした。今でこそ専門書を何万円も買うようになったけれども、当時は4800円もする本を買うのにはかなりの勇気が必要だった。おおげさに言えば、これを買うことを研究者への道を目指す通過儀礼にするぐらいの気持ちで決意した。自分の中では、ドイツ語購読と並んでこの出来事が、今に至る過程の大きな出発点である。

 さて、大学院へ向けた勉強として読書会を始めることになった(後に、RCSTと命名)。『社会学がわかる』の中で橋爪先生が読書会の大切さについていたので、必要性については感じていたが、どのようにやって良いかわからなかったし、主催者になる自信もなかった。だが、橋本先生が主催者として名前をだしてくださることになり、少しはやる気が出てきた。自分は読書会を主催するような人間だとは思っていなかったので、ビラに名前を出すのはとても恥ずかしかったのだが、何とか勇気を出して貼り出すことにした。ビラを貼るからには読書会で読む本をある程度決めておかなければならない。人文科学・社会科学の古典を読むことにしていたのだが、そもそもどのような本が古典なのかを知らない。社会学に関する知識を得るためには、『社会学がわかる』がとても役に立った。この本を読むことで社会学業界の動向を知ったと言ってもよい。次に役立ったのが、『社会学の基礎』(有斐閣)という本である。これは図書館で偶然見つけた。もちろん内容面でも役に立ったのだが、本の選定で使ったのは巻末の人名索引だった。「基礎」という本に載っているような人なのだから、重要人物に違いない。さしあたりその人たちの本を読むことにした。そこで役に立ったのが、図書館にあった新刊図書目録である。できるだけ参加しやすい読書会にしたかったから、安くて薄めの本を選びたい。そこで、値段とページ数が載っているこの目録は役に立つ。今ではインターネットで検索できるが、当時は使い方がわからなかったので、本で探した。とはいえ本で探すのにも利点がある。例えば、Max Weber の本は、ウェーバーの名で出版されている場合と、ヴェーバーの名で出版されている場合がある。こういうことは、一覧性のある本でなければわからない。インターネットの検索では、検索した言葉でしか出てこないのだから。

 このようにして、読みたい本のリストを作成した。作業をする中で、重要な学者の著作がどの程度翻訳されているかが把握できた。だが参加者が集まらなければ読書会は始められない。実際この種の読書会に参加しようとする人は少ないようで、私のところに電話をかけてきたのは一人(Yくん)だけだった。とりあえず橋本先生を含めた三人で読書会をスタートさせることにした。最初の本は、Yくんと相談した結果、T.クーンの『本質的緊張』にすることになった。元科学少年だった私にとって、科学史の本は理解しやすいと思ったからである。読書会用のレジュメの作り方などわからなかったが、橋本先生にやり方を教わり、何とか頑張ってみた。わずか30ページほどの論文なのに、何度も何度も読みかえし、要点を書き出そうとした。記念すべき第一回の読書会レジュメである。結局Yくんは参加を辞退することになったので、この回の読書会は中止になったのだけれども、先生がレジュメを誉めてくださったので、少しは自信になった。

 二回目は、S.ウォリンの『政治学批判』を読んだ。この時には哲学専攻博士課程の柏葉さんが参加してくれた。何とかレジュメは作成したが、内容の理解度は30%ぐらいだっただろう。議論の内容にもついていけず。

 三回目は、マキアヴェリの『君主論』を読んだ。この時には、政治学専攻博士課程の高杉さんなどが出席してくれた。この本の文章は平易なので、レジュメの作成もそれなりにできたつもりだったし、内容把握もできたつもりだった。今回は議論について行けるだろうと思った。だが、議論が始まると、橋本先生が出した「ヴィルトゥ」という言葉をめぐって議論が始まり、またも理解不能な領域に話は進んでいった。そんな言葉は本の中に出てきただろうか。よくわからないが、議論は出席者の間で進んでいった。

 四回目のP.ウィンチ『社会科学の理念』、五回目のM.ウォルツァー『解釈としての社会批判』はよくわからないままに参加していた。六回目のE.デュルケーム『宗教生活の原初形態』になるとなんとなくわかりかけてきたような気がした。八回目(七回目は欠席)のF.エンゲルス『家族・私有財産・国家の起源』では少し緊張感が抜けてきて三十分も遅刻したので、参加者の皆さんに迷惑をかけた。この時もいろいろと意見を述べたが上滑り。まだまだ実力不足であった。そして九回目のA.ライアン『所有』、十回目のS.フロイト『自我論集』、十一回目のN.ルーマン『自己言及性について』を経て、十二回目のF.ニーチェ『悲劇の誕生』(11/12開催)まで来て、やっと内容についていっているような気がしてきた。読書会に関してある程度の自信が出てきたのはこれ以降のことである。

2.3.経済思想史

 さて、この年の10月から、橋本先生の講義およびゼミが始まった。講義はとても刺激的だった。何よりも週に二回ある授業で一冊ずつ本を取り上げるので、毎回読んでいくことをノルマとして自分に課した。完遂はできなかったが、それなりの勉強にはなったであろう。また、これらの本をすべて古本で手に入れようとしたので、札幌市内の古本屋を隈なく歩くことになり、その結果古本屋まわりが趣味となった。

 古本屋まわりをすることにより、いろいろな意味でお金が節約されるだけでなく、本のタイトルにも目が慣れる。何軒もまわれば、各分野の本のイメージができてくる。一方でブックガイドなどを使って重要な本を頭に入れながら、他方で古本屋まわりをすることで、価格のイメージが出てくる。お買い得な本があっても、本に関する知識がなければ見逃してしまう。その悔しさをばねにすることで、重要な本を見極めるための知識を集める意欲も出てくるし、ゲーム感覚でも楽しめる。

 こうして、専門書に関する知識が蓄積されていった。

2.4.ゼミなど

 次は、橋本先生のゼミについてである。このゼミの出席者は私を除いてみな二年生なので、上級生としての能力が問われることになった。これは厳しかったが、やりやすい面もあった。自分より上級生がいるとあまり生意気なことも言えないので、発言をセーブする時もある。だが、私一人だけ上級生だったので、言いたいことが言えた。もちろん、自分が一番的確な発言をしなければならない、というプレッシャーはあったが、それは緊張感につながり、プラスに作用したと思う。ゼミではかなりの読書量が要求されたので、ともすれば怠けがちになりそうだったところを、そのプレッシャーが押しとどめてくれた。よいペースメーカーとして働いた。

 私が正式に所属していたのは、岡部先生のゼミである。こちらでは、毎回十数ページ単位の少ない分量で読書が進められた。荒い読み方になりがちな私はここで、細かい読みの重要さを学んだ。

 そして、三年生の冬頃になって、教育学部の大学院生・研究生と共に、R.N.ベラーの『心の習慣』を読む会を始めた。RCSTでは自分よりずっと上の人たちと、橋本ゼミでは下の学年の人たちと議論していたので、同年代の人を相手に議論できる場は貴重だった。この読書会はその年度末まで続いた。

 ここまではある程度順調だったといえよう。最初の頃と違って本の読み方もわかってきたし、専門的な知識もついてきた。読書会を運営する自信もある程度ついてきた。だが大きな問題があった。それは研究内容である。おおざっぱな関心領域は最初からあったのだが、基礎的な勉強を進めていけばいくほど関心は拡がっていき、具体的な研究テーマを絞り込めなくなった。さらにレポートを書くのが苦手だという問題点もあった。そのために、後々まで苦労は続くことになる。

 順調に進んできたかにみえた途上で最初に壁を感じたのは、橋本先生が開講していた「経済思想史」の期末レポートが出せなかった時である。これまでずっと橋本先生の指導をいただいていた手前、中途半端なものは出せない。一番良いものを出さなければならないと思った。だがその高いプライドの反面、能力が追いつかなかった。それまでにある程度のレポートを書いた経験があったならば執筆ペースもわかっただろうが、締め切りぎりぎりにならなければ始めない癖もあいまって、結局形にならなかった。この一件で私は自信を無くした。4年生から橋本ゼミに移ろうと思っていたのだが、橋本先生の正式な弟子となる自信を無くしたので、何もしなかった(これには、ゼミ替えが可能であるか否かが、事務手続きとして明示されていなかったという事情も加わる)。

2.5. 言語研究会

 ここまでさまざまな勉強会に出席してきたが、まだ北大内にとどまっていた。私が最初に出席した外部の勉強会は、東大を中心にした若手研究者の集まりである言語研究会である。この研究会の存在は橋爪先生の著作を通じて知っていたのだけれども、私などが近寄れるような場だとは思っていなかった。だが橋本先生に紹介して頂いたことで少しは勇気が出て、東京で行なわれた春合宿に参加することにした。当日出席していた人の数が少なかったということもあり、思ったよりは緊張しなかったが、それでも著作でしか知らなかった橋爪先生が目の前で話すのを見てどきどきした。さすがに熱のこもった議論が続けられ、終了したのは午前二時ごろだった。その後は簡単な飲み会がおこなわれ、みなさんと話すことができた。そのおかげで、対話する勇気が少し出てきたように思う。出席しているのはすごい人たちなのだろうが、それでも同じ人間であって、必要以上に萎縮しなくてもよいことがわかった。雲の上の存在でもないのである。ちょうど鹿児島大学の桜井先生が出席していて知り合いになれたので、先生の主催するメーリングリストに参加することになった。これ以降は電子メールを頻繁に使用するようになり、遠くの人とも積極的に対話するようになった。

 特によく対話した相手は、当時山梨大学工学部博士過程に在籍していた名取くんである。彼とは現在に至るまで、アカデミックベースではない哲学的対話を続けており、その中で有益なアイディアも生まれてきている。

3.四年生の頃

 堅実に授業に出ている人なら三年生までのうちに卒業単位を取っていると思うが、私はほとんど出席しなかったので、この時点で38単位残っていた。つまり、2年生後半から卒業までに必要とされる単位のうち、半分を残していた。そのため、大学院の準備に専念できなかった。といっても、結局4年生になっても授業にはほとんど出席しなかったのだけども、暗黙のプレシャーを精神面に及ぼしていた。それでも単位が取れたのは、多少なりとも試験勉強をするようになったからだろう。

 また、所属していた登山サークルでは部長になっていたから、時間の兼ね合いも考えなければならなかった。入会した時にはあまり一生懸命にやるつもりはなかったのだが、けっきょく同期の中でエースになってしまったので、かなりの時間を費やしていた。それでも今振り返ってみれば、3年生以降は適切に時間配分ができたと思う。

3.1. 翻訳勉強会

 3月末から、橋本先生の下で他の4年生二人と共に、週一回程度のペースで英語翻訳の勉強を行なうことになった。つい先日出版された『時間と無知の経済学』の下訳を私たちが作り、先生がその欠点を指摘する、というやり方である。大学受験用の文章ぐらいなら内容理解ができるつもりだったのだが、今回は本物の専門書であり、経済学の知識に乏しい点もあいまって、訳出にはとても苦労した。その悪文を目の前にしても、先生は文法的な間違いや内容解釈の間違いを適切に指摘して下さり、根気よく付き合って下さった。

 専門的な文章を訳す場合、素朴に移し替えるだけでは駄目である。原義を損なわず日本語にするテクニック、学術書特有の訳し方をこの場で学んだ。この時の勉強が、大学院の外国語試験対策に大きく役立ったと思う。なぜなら、採点する側の研究者好みの訳出方法を身につけることができたからである。ここで学んだ表現を端々に示すことで、採点者に専門性をアピールできたであろう。一緒に参加していた4年生が途中から離脱していったのだが、5月末まで勉強会は続いた。

 また、この時期は大学院「経済学方法論」の演習に参加させてもらった。私がこの授業に取り組む気持ちが不十分だったので、参加状況は中途半端なものになってしまったのだけれども、専門的な英文に慣れるためには役立った。

3.2. ルーマン研究会、本遊

 4月から5月にかけて、法学部政治学専攻博士課程の田中さんなど、法学部の院生三人と、経済学部経営学専攻博士課程の山田さんと共に、N.ルーマンの読書会を行なうことになった。分量は一回一冊で、4冊読んだ。ルーマンの文章は極度に難解であり、ルーマンを専門的に読んだ人が参加者の中にいないという事情もあいまって、この時の理解度は30%ぐらいにとどまった(少なくとも、私はそうであった)。前年に『自己言及性について』を読んだ時よりはだいぶましだが、まだ不明瞭だった。でもルーマン理解のための第一歩にはなったであろう。闇雲に思えたこの時の格闘が基礎訓練になり、今の理解につながっている。そして、法学部の院生と知り合いになれたこともプラスであった。

 さらに、4月からは、書評紙『本遊』の編集作業が本格的になった。これは橋本先生の提案によるもので、計画は前年の秋口からあったのだが、出版したのは5月になった。実際の編集や配布作業を行なったのは、前述の山田さんと私である。結局、新しく編集に加わる者が見つからなかったので第三号で終ってしまったのだが、ある程度の経験知は得られたと思う。

3.3. テーラー研究会

 6月,7月頃も研究テーマを絞り込むために苦悩していた。この頃は権力論関係の本や論文を読み比べていた。そこで後述の盛山先生の論文を読むことにもなったし、桜井先生へ質問メールを書くことにもなった。結局うまくいかなかったのだけれども、一つの関心領域を持てたという意味ではずいぶん役に立ったと思う。また、この時期以降、とても読み切れないほど雑誌論文をコピーしまくったので、必要な文献を見つけるための感覚はついたようである。

 さて、次に北大以外の人と接するきっかけになったのが、8月に札幌市内で行なわれたC.テーラー研究会だった。この研究会は橋本先生が主催しているもので、東大相関社会科学の院生たちが主な構成員だった。いつもは東京で行なわれているのだが、この時は夏合宿ということで、札幌に移動していたのである。

 研究会は二日間にわたって開催された。この当時は、政治哲学に疎く、理解度は30%ぐらいだったと思うのだけれども、自分の知らなかった新しい世界の目を開かれる思いで(まさに啓蒙された思いで)、議論を聞いていた。この場に参加することにより、東京の研究会の雰囲気を味わうことができて、とても有意義だった。また同時に、議論のレベルは高いのだけれども、自分にとって全く手が届かないものでもないことがわかり、やる気を起こさせてくれるものとなった。

3.4. 盛山先生との出会い

 前述の桜井先生が主催するメーリングリストに4月から加入したおかげで、社会学を中心にしたさまざまな人の議論を電子メールで目の当たりにすることができた。これにより、学者業界の雰囲気を多少は味わうことができた。そして、東京の様子も知ることができた。 

 さて、東大文学部の盛山先生の研究内容を知ったのは、前述のように権力論の論文を読む過程でであった。その時期にちょうどタイミング良く、北大文学部社会学教室助手の杉野さんから、盛山先生が札幌に来るという情報を得た。9月の初めに北星学園大学で集中講義をするとのことだった。杉野さんと面識を持てたのも、橋本先生のおかげである。二人が飲む機会に私も同席させていただいたので、いろいろと話が聞けた。杉野さんが盛山ゼミ出身だということも幸いし、進路の相談にものって頂けた。

 以前の私なら、一度も行ったことがない大学の講義にもぐり、面識のない先生に会いに行くなどということは到底できなかっただろう。でも、先生の論文を読んでいたこと、杉野さんから先生の人柄について聞いていたこと、モグリに行くことを杉野さん経由で先生の方に伝えていただいていたこと、そして北星学園大学出身の大学院生に内部の様子を聞いていたことによって、多少は図太くなり足を伸ばす気になった。

 講義は2,3年生向きのもので「社会計画論」と題されたものだった。内容の8割は知っていることだったが、少しでも自分を印象づけようと皆勤した。北大で皆勤した講義は橋本先生のものだけだったにも関わらずである。初日の休み時間に教壇に行き、自分の身分やメールアドレスや興味関心を記した紙を渡しながら、簡単な自己紹介をした。そして、先生のメールアドレスを教えて頂いた。ただ、それ以降はうまい口実が見当たらないので、会話をしに行けなかった。これは、自分の研究計画がまとまっていなかったという弱みからくるものでもあった。

 ところが、講義3日目のことである。この日は北大教育学部院生の片桐さんももぐることになった。さて、昼休みになり食堂へいくと、北星学園大学の先生二人と共に盛山先生が食事をしているのが見えた。それでも口実が見当たらない私は躊躇していたのだが、ちょうど片桐さんが北星学園大学の先生と知り合いだったので、テーブルに押しかけて一緒に食事をすることができた。結局たいした話はできなかったのだが、片桐さんが引っ張っていってくれたおかげでさらに面識を深めることができた。これが現在の身分につながるのである。

3.5. 大学院受験準備

 なんとか前期は26単位を拾えた。これで残り12単位である。でも後期であるからプレッシャーはさらにきつくなる。結局、どの授業にも一度も出席しなかったのだが、言いようのない精神的負担はのしかかった。さらに卒業前に論文をまとめなければならなかったのだが、全く手がついていなかった。同時に受験準備もしなければならない。すでに春には東大院生の小林さんに効率的な受験マニュアルを頂いていたのであるが、直前にならないと何も始めない性格なので、全く実行していなかった。それでも前期は言語文化部のドイツ語購読をとることで感覚だけは維持していたが、文法書の勉強も単語の記憶も全くしなかった。その時の訳も正確な文法知識に基づいて行なったのではなく、内容理解から類推した力わざ的なものであった。だから、辞書があれば何とか内容把握はできるのだけれども、素手で試験に臨めば勝ち目はない。それがわかっていながら、なかなか勉強を始められなかった。

 だいたい社会学大学院の試験時期は、秋と冬に分かれている。主要なところでは、早稲田大、一橋大、都立大、東工大は秋で、旧帝大系は冬である(ただし最近は、北大、東北大、阪大は秋冬二回行なっている。名大と九大についてはネット上に載っていないのでわからない)。普通は秋受験でどこかに合格しておいて冬受験に臨むのだろうが、研究計画がまとまらなかったので秋受験からは逃げてしまった。だが、冬に開催する大学の多くは受験にあたって卒業論文ないし卒業論文相当のものを要求する。ちょっと見回したところ、論文なしで受けられるのは、東大文学部の社会学ぐらいしか見当たらなかった(相関社会科学の方は論文必修である)。また本来ならいくつか併願してリスク分散を図るべきなのだが、単位、卒論、そして受験勉強の圧迫がのしかかり、最小限のことしかできなかった。だから、東大文学部の大学院一本に絞ることにした。

 この時期に東大文学部の受験情報を仕入れる上でお世話になったのが、東大院生の川口さんである。最初はあまり考えないで盛山先生へ問い合わせのメールを送ったら、立場上答えられないとのことで(よく考えれば当たり前のことである)、ゼミ生の川口さんを紹介していただけた。そのおかげで、細かい情報を知ることができた。

 さて、東大文学部社会学は論文こそ要求しないが、研究計画書の提出は義務づけられている。また東大は願書提出の時期が早いから、11月中旬までにはまとめなければならない。それでもまったく不十分なものしかできなかったのだが、これ以上逃げることはもうできないから、覚悟を決めて出してみた。さすがに願書を提出してしまうと、受験直前という実感がわいてくる。実際、ちょうど二ヶ月前となっていた。それまで煮えきらずにうだうだしていたのだけれども、やっと踏ん切りがついて勉強を始めることにした。

 大学院受験の第一関門は外国語だそうである。特に東大文学部は二カ国語を要求するから、専門ができる人でも、ここで引っかかり落ちるという。実際の問題はかなり簡単な方なのだが、どちらかの言語の足切りにひっかかる人がかなりいるという。専門試験にも不安は大有りだったけれど、まずは足固めとして外国語の勉強に重点をおくことにした。一日の時間配分は、英語に2-3時間ぐらい、ドイツ語に4時間ぐらい、残りを専門の時間とした。

 英語は、高橋善昭の『英文読解講座』および『英文和訳講座』(共に研究社出版)、それから、後述する社会理論研究会で発表するために、分析哲学の英文60ページほどのレジュメを作成した。そして手が空くと英単語のビデオテープを見た。

 ドイツ語は、大岩信太郎の『よくわかるドイツ文法』(朝日出版)で文法を勉強し、同時にこの本のテープを聞くことで、ドイツ語の感覚をつけるようにした。また、単語は『ドイツ語単語トレーニングペーパー』(教育社)を繰り返しやることで覚えるようにした(ただし、今読みかえすとかなり難点がある本なので、あまりおすすめしない)。そこに出ていないものは、石川光庸『ドイツ重要単語2200』(白水社。語源的情報が豊富である)でフォローした。読解に関しては途中までしかできなかったが、『トレーニングペーパードイツ語教養課程読解編』(これも教育社。同様に、あまりおすすめできない)をやった。

 専門の勉強は、社会学原論対策として、長田攻一『公務員試験合格対策シリーズ 社会学の要点整理』(実務教育出版)、社会学史対策として、『社会学のあゆみ』(有斐閣新書)のパートIとII、社会調査法対策として、盛山和夫他『社会調査法』(放送大学教育振興会)を使った。もちろんただ読むだけでは頭に入らないから、各章ごとに要約レジュメを作っていった。

 一日の生活リズムはだいたい、10時ごろ起床、朝食をとりドイツ語の勉強を行なう。15時ごろに学校の図書館に行く。移動中はドイツ語のテープを聞く。学校に着いたら、英語をやり、専門のうち一科目をやる。19時前にクラーク会館の食堂に行き食事をとる。家で料理すると時間がかかるので、極力ここで野菜を取るようにする。食事を取ってすぐは頭が回らなくなるので、休憩を兼ねて経済学部の情報処理室に行き友人からのメールを確認。その後、食事前に読んだ専門科目のレジュメをそこのワープロで作成。その後、図書館へ行けるかどうかは、その日のレジュメの分量による。図書館も情報処理室も22時前には閉まるので、帰宅の途につく。部屋についたら夕食を取り、シャワーを浴びる。その後は英語をやり、2時過ぎに就寝。頭の活動をよくするために、毎日7-8時間は

寝るようにした。

 試験まではずっとこの繰り返し。それぞれの科目で一日のノルマを決めてこなしていった。多少乱れた日を計算に入れても、勉強時間は平均10時間強といったところか。このリズムを保つために、他の活動への参加は極力避けた。だから、月曜日15―18時に行なわれる岡部ゼミ(これは所属ゼミだから仕方がない)、金曜日18時以降に行なわれる社会理論研究会(後述)以外は、自分の勉強に集中した。もちろん(?)講義には出席していない。週に2日はリズムが狂うわけだが、ゼミに出席している間を専門試験の勉強時間と考え、英語とドイツ語のノルマは確実にこなすようにした。11月まで怠けていたわけだから、勉強体制に入った最初の数日は不安定だったが、一週間も経つと心も体も慣れて、たいした苦痛も感じなくなった。これは、このリズムに入って以来、大好きなお酒を断っていたためでもあるのだろう。テレビもほとんど見ないようにした。

3.6. 社会理論研究会

 RCSTも二年目に入ると、初期の主要メンバー(柏葉さんや高杉さんや田中さんなど)が忙しくなって、なかなか出席しないようになり、開催してもほとんど人が集まらないようになった。そのため、最初は月二回行なわれていたのを一回にしたり、宣伝活動を活発にした。扱う本によってはたくさん集まる時もあったのだが、10月を過ぎて私も大学院の準備をしなければならなくなったのを機会に、休止することになった。

 その後、橋本ゼミの一環として、社会理論研究会が始まった。これは毎週金曜日のゼミ終了後に開催され、大学院志望のゼミ生と、大学院生の山田さんや島さんなどが出席した。私にとっては、試験勉強では捉えきれない総体的な知識を得る場として役立った。

3.7. 試験直前

 試験前の二ヶ月間、これまでなかったほど集中して勉強したおかげで、試験用の基礎力はだいぶついた。だがそれに終始せざるをえない状況のために、本格的な試験対策としての解答練習はできなかった。いくら知識があっても時間内にそれを表現できなければ意味がないわけだから、解答練習は必須である。これは小林さんに頂いた受験マニュアルの中で強調されていたことなのだが、その段階に入るだけの知識も怪しかったので、詰め込みに終始した。だから、過去問の解答はほとんどやっていない。

 また、4000字程度が目安という論文試験で書かなければならない研究計画をまとめる作業へも、全く時間を割かなかった。外国語試験や専門試験の勉強に手いっぱいだったために、こちらは少し気を抜いていた。これらが、この年の試験に落ちた主要因といえるだろう。

3.8. 試験本番

 試験が行なわれたのは、1月24日と26日である。24日に外国語二科目と専門三科目があり、26日に論文試験があった。私は24日の対策で手いっぱいだったから、26日の文案は、24日の晩と25日に考えようと思っていた。それが浅はかだったのである。

 24日の午前中は2時間の外国語試験である。双方ともに短い文章の訳なので、たいていの人は時間を余すそうなのだが、私は自信を持てる訳が作れなかったので、時間いっぱい考えた。

 午後は2時間30分の専門科目である。社会学史はそれなりに書けたと思うのだが、社会学原論に関しては少し物足りなかったと思う。そしてもっとも苦手意識を持っていた社会調査法は、不適切な答えを書いてしまったようである。終ってみた手応えとしては、あまり良いものではなかったが、とりあえず試験の90%は終えたと考え、脱力状態になっていた。

 その日の晩は、山梨の実家まで帰った。26日の試験のことを考えるのならば、八王子の兄の部屋にとどまって対策を行なうべきだった。だが、一年以上帰省していなかったという事情もあり、山梨へ行ってしまった。その車中でも考えればよいのだが、気が抜けたままだった。24日の晩はそのまま寝て、25日の朝が来た。この日はさすがに文章を書き始めたが、確固たるアイディアがあるわけではないから、ひどくできの悪いものになった。それから私は橋本先生の自宅へファックスを送り、検討してもらうことにした。今、考えるとひどいわがままだったと思うのだが、それでも先生は丁寧に答えて下さった。

 そして26日になった。ここでも私は解答練習不足を思い知らされることになるのである。文案の流れを覚えて、見ながら書き移す練習はしたが、空で書くことまではしなかった。ところが、実際の試験になると、自分の記憶のあやふやさがよくわかったし、筆の遅さも実感させられた。そのため、2500字ぐらいしか書けず、内容は尻切れとんぼのままで終った。これが最大の敗因であろう。

3.9. それから

 その日の飛行機で札幌に帰った。入試は終ったが、まだ気は抜けない。卒業単位が残っているし、論文も手付かずのままだからである。後期試験まで10日ほどしかない。それまでのようなリズムで勉強すれば余裕があっただろうが、一度崩れるとうまくいかない。入試の結果が気になって中途半端な気分になっていたこともあり、過去問を集めながらも、だらだらとしていた。

 結果発表は誕生日の2月5日であった。予想に違わず落ちていた。こうなると、その後の身の振り方を考えなければならない。まだ大学院をあきらめるつもりはなかったから、そこにつながる身分を探すことにした。その晩は橋本先生がとても親身に相談にのって下され、勇気づけられた。一番良いのはまだ間に合う大学院に入ることだが、調べてみた限りでは見つからなかった。そうすると、

(1) このまま卒業して身分なしになり、受験準備をする。

(2) 留年して北大にとどまり、身分を確保しながら受験準備をする。

(3) どこかの大学の研究生になり、さしあたりの身分を確保しながら受験準備をする。

の三つが考えられる。(1)には札幌に残るパターンと東京に出るパターンがある。どちらにしても授業料はかからないが、図書館は使えないし履歴上も不利になる。(2)はそれまでの研究環境を維持できるという長所はあるが、新しい刺激にはならない。また、授業料もかかる。(3)の場合、その大学の研究生になれるかどうかという問題はあるが、留年するよりは授業料が安いし、新しい環境を得られるかもしれない。

 それから、インターネットを使っていろいろと調べることにした。まだ卒業単位も取れていないのだから、選択の余地なく北大に残る羽目になるかもしれなかったが、とにかく模索してみた。北大経済学部には学部研究生の制度がない。文学部へ行って杉野さんや樽本先生に相談してみたが、受け入れは難しいという。他の大学の研究生は募集期間が終っている。東大の相関社会科学も1月末で終っていた。盛山先生にもメールで問い合わせてみたが、東大外部から研究生はとらない、との返答があった。

 この時点では、(2)の選択肢に傾いていた。試験期間と時期が重なっていたこともあり、留年するか否か(試験を受けるか否か)の判断が迫られていたという理由がある。中途半端な気分で、試験勉強には身が入らなかった。受けずに逃げたかった。だが、田中さんに相談したら、どんな身分でもよいから東京に出た方が良い、と強硬に主張された。リスクは高いが、とにかく環境を変えて刺激を受けた方が良い、とのことである。

 それでも考えあぐねながらも調べを進めていくと、東工大で研究生になれるかもしれないことがわかった。ただ、なるためには向こうの教授の承認がいる。橋爪先生に連絡をとったら、会っていただけることになった。そこでは何か自分をアピールしなければならない。論文を書いていれば見せることができる。TOEFLやTOEICのスコアでも持っていれば能力を証明できる。だが、私には何もなかった。それでもこれまでの努力の跡だけでも示せたらと思い、3-4年生の間に作成したレジュメを全部コピーして、6000字ぐらいで自己紹介と経歴を書いた紙を添付し、郵送した。

 ところが幸運なことに、その翌日に盛山先生から緊急のメールが届いた。電話で問い合わせてみると、2年前から制度が変わって、外部の学生でもその年に大学院を受験した者ならば研究生になれるようになっていたことがわかったそうである。志望していた大学で研究生になれるならば、それが一番である。やはり、大学院を受験する時にはつきたい先生に事前に連絡を取っておいた方がよい。面識を持っていたからといって選考過程で有利になるわけではないが、その後が違ってくる。面識がなくて、研究生の問い合わせのメールも送っていなければ、この時も連絡は来なかったであろう。こちらの連絡先もわからないし、研究生になりたいという希望も伝わらないからである。その後、橋爪先生には電話で事情を話し謝ったが、それでも会ってはいただけることになった。

 東京へ行ったのは、試験が終ってすぐだった。試験の結果には多少の不安もあったのだが、そのことは忘れて、会いに行った。盛山先生は入試の成績やその後のことについていろいろと話して下さった。どうやら、外国語は両方とも足切りラインを超えていたらしい。だが、専門や論文の解答を見ると、あと少しの修行が必要だそうだ。総合的にはどの程度の成績か聞いたら、合否ライン上にはいたがあと一歩及ばず、と言われた。この場合は、試験を受けていたおかげで私の能力を先生に示せていたわけである。それで、研究生として受け入れていただけることになった。翌日は橋爪先生にいろいろと助言をいただけて、とても有意義に過ごせた。東京滞在期間中に試験結果の発表があったのでびくびくしていたのだが、友人から単位が取れたとの知らせを受けて、なんとか胸をなで下ろした。卒業単位ぎりぎりであった。

 何とか落ち着いて札幌に帰った。だがまだ残っているものがある。論文である。卒業論文はないとはいえ、制度的にもゼミ論文は書かなければならない。これまで言い尽くせないほどお世話になった橋本先生に対しての信義としても、これまでの成果をまとめなければならない。だが、その後いろいろとやってみても、どうしても書けない。三月にもなれば部屋を引き払うためにいろいろと準備をしなければならないし、東京の部屋も探さなければならない。卒業するものはみな札幌との別れを惜しんで、最後の時間を満喫している。でも私にはやり残したことがあるから、とてもそんな気分にはなれない。精神状態はどんどん悪循環に陥りながらも、やはり書けない。そうこうしているうちに、札幌を立ち去らなければならなくなる。卒業式の25日になっても書けなかったので、とてもではないが出席できず、最悪の気分になりながら家でワープロに向かっていた。だが、どんなことがあってもこれ以上は遅らせられないから、引用をいいかげんにつぎはぎしただけの、最低限に満たない分量の駄文を提出することにして区切りをつけたのが27日の昼である。ゼミ論文として岡部先生の家に郵送した。そして大学に行き、卒業証書を受け取った。

 その日の夜には、2年の間にさまざまな研究会の場で出会った方たちが、私のために送別会をして下さることになっていた。もちろん橋本先生も出席する。そこには論文を持っていく約束になっていたのだが、日本語の文章としてだけ見てもつじつまの合っていないようなものを、とても渡す気にはならなかった。しかし先生には問いただされたので、後日メールとして送ることになった。おそらく先生はそれを見て、絶句されたに違いない。でも、その晩、みなさんはとても暖かく見送ってくれた。

 名残惜しい思いを胸に、最後の夜を迎えに自分の部屋に帰った。引越し屋が荷物を取りに来るのは翌日の14時である。引越し代を最小限に抑えるために、運び出ししかお願いしていないから、荷物の整理は全部自分でやらなければならない。ほとんど徹夜の状態で、次の日を迎えた。引越し屋が来た時点で整理できていないものは東京に送らず(送れず)、札幌の知り合いにあげることにした。大家さんには16時に引き払うといっていたのに、結局19時になってしまった。その日は18時から、サークルのOBが送別会を行なってくれることになっていたのだが、2時間以上遅刻してしまった。それでも飲み、そしてJRのホームに行った。そこには送別会に来られなかったサークルの人が40人以上集まってくれていた。そしてビールかけは始まり、胴上げされ、握手を交わした。23時30分発の「ミッドナイト号」はホームを離れ、札幌は見えなくなった。

 何も終っていないと思った。卒業式に出られなかったから卒業したという実感は全くわかないし、論文は書けなかったから2年間の区切りもつけられなかった。それでも、心の区切りはつけられないままに、舞台は東京へと移った。

4. 研究生になってから

 東京に着いたのは29日の午後である。20度をこえる陽気になり、Tシャツ一枚で歩く人もいるその場所には、まだ冬用のコートを着ていた私は場違いに思えた。

 鍵は持っていたから、部屋に入るのは簡単だった。何もないその空間で、荷物が届く翌日まで過ごさなければならない。ビールまみれの体を洗いたかったが、ガス屋が来るのも翌日である。かといって銭湯もない。何となくその晩は過ごした。それからは、部屋の掃除と整理に終始した。思ったよりも手間がかかるもので、4,5日はかかっただろうか。

4.1.授業開始

 4月に入るとすぐに学校は始まる。大学院ゼミにも出たかったのだけれども、盛山先生はまず学部ゼミに出るようにおっしゃったので、水曜日にある先生のゼミに出ることにした。それから、G.H.ミードの勉強もしたかったので、大学院の演習に出席させてもらえるように船津先生のところに頼みに行ったら、快く承諾して下さった。他にも社会学・哲学・倫理学の講義やドイツ語の授業に出席しはじめたが、だんだん足は遠のいていき、結局ちゃんと完遂したのはその二つの演習だけだった。また、各種の研究会にも積極的に出席するつもりだったのだが、4月中にいくつか顔を出した後、アルバイトと時間が重なることもあり、次第に足は遠のいた。

 生活のためにアルバイトを探さなければならなかったが、一週間の予定が決まらなければ、どの日に入れてよいのかわからない。そのため、授業予定が決まるまで待っていたら時機を逸し、探しはじめた頃には条件のいいところはほとんど無くなっていた。それでも家庭教師センターに登録したら、時給の高い相手を紹介してもらえた。浪人生で週三回である。こちらは金が必要だったから、喜んで引き受けた。ただ問題は、世界史を教えなければならないことである。私は理系で地理は得意だったが、世界史は全くといってよいほどやっていない。家庭教師センターでは勉強のやり方だけ教えればよいといわれたので、私もそのつもりだったのだが、実際に会ってみると生徒は当然教えてもらえると思っているようである。どうも避けられない雰囲気である。時給3000円の相手を逃がしたくな

かったので、やってみることにした。

 社会科学を勉強するのに世界史の知識は必須である。いつかはやらねばならないと思っていた。これがちょうどよい機会である。生徒に教えるのと平行して自分でも勉強することにした。30章に分かれた問題集を一章ずつ生徒に解かせ、間違えた部分の解説を私がする、という授業を週一回することにした。私の知識はゼロに近いから、受験コーナーで一番厚い参考書(山川出版の『詳説世界史研究』全568ページ)を買って、問題集と合わせて予習をしてから授業に挑む。授業中にぼろがでないようにするために、いいかげんにはできないから、毎回、最低三時間はかかった。その日限りで忘れてしまった部分もかなりあるけれども、少なくともだいたいの世界史の流れはつかめたであろう。

 他の科目に関しては、英語は気楽なものだったが古文漢文は忘れていたから、やはり予習して臨んだ。時給をもらっているとはいえ、やはり時間を割いているわけだから、自分にとって有効なものにしたい。自分の能力を高めるのにできるだけ役立つように、家庭教師のやり方を考えた。おかげで、英・国・世すべて、自分のためになった。できるなら、次は日本史を教えたいものである。

4.2. 秋まで

 家庭教師に慣れるまでには時間がかかった。そして、それ以外のことはうまくいかなかった。低調な気分を引きずっていることもあり、消極的になっていく。こちらの友人はみな働いているしすぐ近くにはいないから、平日に気分が滅入っても突然押しかけるわけにはいかない。どうも悪循環になっていく。ゼミでも友人は作れない。これまで人付き合いよく生きてきたのに、消極的になっていく。スランプのまま日々は過ぎていった。二ヶ月に一回行なわれたテーラー研究会の前の一週間ほどはやる気が出て勉強も進むのだが、それが終るとまた元に戻る。

 夏前になって、やっと東大生の話し相手ができた。盛山ゼミに出席していた相関社会科学の4年生である。でも、ゼミ後に食事する程度の仲だから、夏休みに入るとまた一人だった。

 図書館にも最初はなじめなかった。北大図書館とはよい関係が持ててうまいリズムを保てていたのだが、どうも東大図書館とは相性が悪く、閲覧室で勉強するようになったのは夏以降になってからだった。それでだいぶ持ち直したのだが、北大での状態と比べたら低調なまま夏休みも終った。今度こそ秋受験して大学院の持ち駒を得ておきたかったし、そうすべきだったのだが、研究計画はまとまらないし気分も低調なままだったので、また見送ることになった。

4.3. 秋から

 10月の後半には盛山ゼミで発表をしなければならなかった。研究生の間に卒論相当のものを書くことが求められていたので、そのプロトタイプの発表である。この時には相変わらず曖昧でひどく不十分なものであるけれども、とりあえず形のあるものが提出できた。そのため、少しは精神状態がよくなった。

 また、この頃から大学院に向けた勉強会をゼミの日の午後に4年生と行なうことになった。ちくま書房の『命題コレクション社会学』を各自が読んできてその内容について議論する、という形式である。途中で抜けていった人もいる中、最後まで残った5人とはかなり親しくなれた。受験勉強的な意味合いで良かったのはもちろんだけれども、それよりも東大内部に対等な話のできる友人ができたということが大きく、かなり気持ちは楽になった。

4.4. 受験準備再び

 勉強会を始めたことで、受験対策の情報や、各先生の性格や、ゴシップめいたものまで、いろいろと内部情報が入ってきた。みんな卒論に手いっぱいで、勉強会でやること以外はあまりやっていないようだった。私も同様だったのだが、外国語だけは促成栽培できない。ドイツ語は4月に授業で少しやって以来、まったく手をつけていなくて不安もあったから、12月に入ってから毎日少しづつやった。前年やったものに加えて、北大教養時代の授業でテキストとなっていた、まだ新品同様の中級レベルの教科書をやることにした。それから、知らない単語が出てきたら『ドイツ語語源小事典』(同学社)を参照することで、語源的に覚えるようにした。

 その時期には併願する大学も決めなければならなかった。さすがに翌年も身分なしにはなりたくなかったからである。行くからにはレベルの高いところにしたかったが、それに比例して合格可能性は低くなることになる。それでも自分が関心を持っている分野を研究している厚東先生のいる阪大を受けることにした。教授陣を見ても、他に候補にしていた京大や東北大よりも揃っているように思えた。それに、別冊宝島『学問の鉄人 大学教授ランキング 文科編』の中の「研究評価の高い大学一覧」ではトップになっている。さらに阪大では、卒論を持たない大学出身者は代わりに4000字程度の研究計画書を出せばよいことになっていたので、受験しやすかった。滑り止めにはならないと思ったが、

行きたい大学を受けたかったので、阪大に決めることにした。

 だが、阪大では過去問を公開していない。それでは対策に困るので、研究室の助手の方にメールで問い合わせてみたところ、ありがたいことに非公式ながら過去問の聞き取り資料(文書としては保存していない)を送っていただけた。やはり、受験前には積極的にアクセスすべきである。

4.5. 受験直前

 12月中に『命題コレクション』は終ったので、年が明けてから二回の勉強会は、各自が社会学史の予想問題とその解答例を作ってきて、お互いに批評しあうことにした。こうすれば、一度に多くの問題を意識できると同時に、解答例まで頭に入るから、時間を効率的に使える。

 だが、大きな問題があった。論文が完成していないことである。それまで中途半端だった考えが12月末になって大きく進展したのだけれども、文章を書くのが追いつかない。どういうわけか悪循環に陥って、机には向かっているのだが進みが悪い。でも投げ出すわけにはいかないから、受験勉強に時間を割けない。ドイツ語はやっていたのだが、他の科目には触れていなかった。20日の時点でも規定の半分ほどだったので、盛山先生と相談した結果、怠けているのではなくアイディアはできていることが伝わったので、春休み開けまで提出を延期させてもらえることになった。

 さて、本番の23日まで3晩しかないから、効率的に勉強を進めなければならない。執筆中の論文の中で、学説史的に社会学の主要な業績を見渡したので、知識は蓄積されていたのだけれども、試験対策そのものはやっていなかった。英語は家庭教師の過程で意識して頭に入れるようにしていて感覚は忘れていなかったので、特別な勉強はしなかった。専門に関しては、まず、前年の勉強で要点をまとめたレジュメを読み返して、全体的な流れをもう一度復習した。また、『公務員Vテキスト 社会学』(TAC出版)を読み、その中の問題演習をすることで、別の角度から全体の流れを押さえた。社会調査法に関しては、見田宗介「社会意識分析の方法」『現代社会の社会意識』(弘文堂)が一番役立った。また、有名な社会調査事例である『ポーランド農民』や『アウトサイダーズ』の簡単な内容紹介が、宝月誠ほか『社会調査』(有斐閣)に載っていたので、実例を知る上での参考にした。

 また、今回は、勉強会の時に集まったレジュメを参考にしながら、解答練習を行なった。時間がなかったので、他の人が作った解答をほとんど丸写しして覚えたといっても過言ではない。もちろんその内容の妥当性を確かめるために、各種の事典(『社会学文献辞典』(弘文堂)、『社会学辞典』(同左)、『新版 社会学小辞典』(有斐閣)、『岩波 哲学・思想事典』(岩波書店))を頻繁に参照したのは言うまでもない。

4.6. 東大一次試験

 23日の午前中は外国語試験だった。不安もあったが、ドイツ語は昨年よりもかなり感触はよかった。ただ、英語は終った後に勘違いに気づいたので不安になったが、家に帰ってから厳密に採点してみたら、大丈夫なように感じた。

 午後は専門試験である。勉強会での対策の効果がもっともあらわれたのが社会学史の問題だった。これは、専門用語八つのうち五つを選んで学説史的に説明せよ、という形式である。当日臨んでみると、何と幸運なことに解答練習した用語が五つも見つかった。つまり、練習した言葉で間に合うのである。これにはさすがにニンマリした。社会学原論や社会調査法に関しても、勉強した範囲を応用すれば対応できたから、前年と比べたらかなり納得いくものが書けた。

 その日は帰ってすぐ寝た。翌日の論文試験の文案は、24日に作成した。今回は研究計画のアイディアはできていたので、前年ほどは苦労しなかった。ただ、その時の失敗で自分の記憶力の頼りなさを実感していたので、文章を漠然と丸ごと覚えるのはやめた。まず、全体を十数章に分ける。各章の題名は内容を連想させるぐらい詳しいものにする。そして、一度全体を書き移してみる。当日25日は地下鉄の中で、各章のタイトルと順番を書き出せるように練習した。

 試験では多少解答形式が変わっていた。でも慌てず、まず草稿用紙に目次を書き出してみる。そして、あとは応用を利かせながら、文章を書いていった。今年も筆の遅さは変わらなかったけれども、考え込む時間は少なくて済んだから、分量もそれなりに書けたし、話のつじつまを合わせることもできた。

4.7. 阪大受験

 阪大の試験は2月の3,5日にあった。4日は東大の一次発表だから、不安を抱えたままでの大阪行きである。過去問を見ると、社会学の古典の内容説明を求めているものもあったので、『社会学文献辞典』(弘文堂)の「基本文献」の部分を全部読むことにした。また、社会科学全体の流れを復習する意味で、富永健一『現代の社会科学者』(講談社学術文庫)を読んだ(ただし、昔読んだ印象と違って、それほど内容豊富でもないし、かなり著者の嗜好が表れているように思った)。本当はもっと対策を行なうつもりだったのだが、東大の試験が終ったので少し気が抜けていて、このぐらいだった。

 3日は外国語と専門の試験である。まずは1時間30分の外国語試験。英語のみで辞書も持ち込み可の下線部訳のみ。でも気を抜いていたら時間ぎりぎりになり、後半はほとんど辞書を見ずに解答する羽目になった。一応、堅実な解答はできたようだが、終った後の周りの会話を聞いていると、他の人は時間に余裕があったようである。少し不安になった。

 次は1時間40分の専門試験1である。論述問題1問と選択問題(社会調査・英・独・仏のうち1問)があった。社会調査にするか英語にするか迷ったが、点数評価のやり方が予想しやすい英語を選択することにした。これも、堅実な解答ができた。

 最後に1時間40分の専門試験2である。これは過去問では学説史的知識を問うものだったのだが、今回は、用語二つが挙げられそれを相互に関連づけて論ぜよ、という問題だった。でもうまい対応が即座には思い付かなかったので、それぞれの用語を解説して知識の豊富さをアピールするような解答にした。私は「理論社会学・社会学説史専攻」を受験したので、学説史的知識を示すようなやり方にしたのである。

 4日に東大の合格が知らされて少し気が楽になった。阪大はすぐに採点を行ない、5日の朝には一次合格者を発表した。行って見ると自分の番号がない。予想よりも合格者が少なくて4人しかいない(倍率は約8倍だった)。周りもみんな出来ていそうに見えたし仕方がないか、と思ったが、帰る前にもう一度受験票を確認したら勘違いに気づいた。

 そのまま、合格者の面接が行なわれた。私はトップバッターである。聞かれたのは一般的なこと(経歴・試験の感想・研究計画・経済状況)である。面接を受けるのは10年ぶりだから予想通り緊張して何もわからないままに終ったが、少しは感覚がつかめた。

4.8. 東大二次試験

 ここ数年は面接で落ちた人はいないと聞いていたので少し気が緩んでいた。聞かれたのは志望動機が加わったぐらいで、阪大とだいたい同じである。今回は面接で緊張せず受け答えが出来たが、解答に詰まった部分もあった。今年はここで一人落ちていたから、実は危なかったのかもしれない。

5. 終わりに

 以上で、合格体験記は終わりである。ここまで読んでもらえればわかるように、私がここまで来ることができたのも、橋本先生のおかげである。ここに至るまでにさまざまな意味でお世話になった人たちと知り合えたきっかけのすべては、橋本先生が与えてくれた。これは感謝してもしきれないだろう。そして同様に、名を挙げきれないほど数多くの人にもお世話になってきた。ここでみなさまにお礼を言っておきたい。

 同じ道を目指す人に対して、及ばずながら私が言えることは次のようなことだ。

 まず、きっかけや人の縁を有効に活用すること。ここまで読んでいただければ、人の縁を大切にすることの重要さがわかったであろう。

 それから、自信を持つこと。後輩からは、私は自信たっぷりに見えたかもしれないけれども、これまで書いてきたように、自分の実力のなさをずっと感じてきた。読書会をやれるような人間だとは思っていなかったし、研究会に出席することなど思いもつかなかった。でも、図々しいぐらいのつもりになってやってみることによって、ここまで来ることが出来た。それは、何か特別な才能のおかげではない。

 私はいろいろな意味でまだ未熟だから、上で述べたことは自分にも言い聞かせ続けなければならない。そのことが、ここまで書いてきたことで再確認できた。この「合格体験記」が、ここまで読んでくれた方の参考にもなったとしたら、うれしい限りである。


大学院進学のすすめ


大学院進学のすすめ

橋本努

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以下の内容は、大学生との会話の中から生まれたものです。

ご批判・ご意見・ご感想・アドバイスなどをお寄せいただければ幸いです。

皆様の意見を取入れて、よりよいものにしていきたいと思っています。

・大学院進学のすすめ

「彼は門を通る人ではなかった。また門を通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ちすくんで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。」(夏目漱石『門』岩波文庫)

・【大学院進学という甘いすすめ】

現在、文科省の方針によって、大学院生の人数は毎年一万人以上も増加している。大学院生数は日本全体で約20万人。これは研究者の総数と同じくらいの人数だ。博士課程に在籍する学生は、1970年において1万3000人、1996年において4万8000人である。

 これほど大学院生を増やしても、研究者になれる人数は以前と変わらないのだから、多くの大学院生は、途中で進路変更を迫られることになるだろう。進路を誤って失敗したと後悔する大学院生も、これからますます増えるにちがいない。しかしそれでも、多くの教員は学生たちに、大学院に進学することを勧めてくれる。大学側は、大学院教育を充実させることによって、文科省から多くの予算をもらおうと考えているからである。大学院進学への勧めは、いわば大学の「生き残り策」なのであって、あなたの人生にとって必ずしもよいアドバイスというわけではない。大学の先生は、あなたが研究職に就くことを保証してくれない。大学のポストに就くことができるのは、大学院生のおそらく20%以下である。理系の場合は修士課程を卒業してから一流企業に就職できるので、安心して大学院に進学してよいかもしれない。しかし文科系の場合はそうはいかない。

 キャリア・アップとして「修士」課程に進学するとしても、「博士」課程に進学するかどうかは、前もって考えておいた方がよいだろう。博士課程へ進学しないのであれば、あなたは修士課程一年目の後半から、就職活動を始めなければならない。もしこの時点で進学を迷っていると、「とりあえず博士課程に進学してから考えよう」ということになるが、これが一番危険である。

学者になるための見通しがあれば問題はない。しかしその感触が得られなければ、あなたは博士課程に入ってから、研究を続けていく意義を見失い、人生に対する見通しが立たなくなるかもしない。実際、ある年に私の大学院の授業を履修していた四人のうち、三人は途中でやめていってしまった。大学院生活を送っているうちに、不安になって別の道を探しはじめたのである。しかし修士課程ならいざしらず、博士課程を途中でやめるとなると、なかなかよい就職先は見つからないものだ。「大学院博士課程」への進学は、しばしば「入学」ならぬ「入院」と揶揄されることもある。大学院に入院すると、退院後の社会復帰が難しくなる。修士課程や博士課程を卒業しても、かえって「学歴過剰」と見なされることがあるからだ。むしろ大学院に進学しなければ、よい職業に就けたかもしれない。まずこの現実を直視しよう。「それでもいい」という人には、大学院進学を安心して勧めることができる。しかし「それではよくない」という人は、以下の内容を読んでからじっくり進路を決めてほしい。

・【大学院はこれから進化する】

 最初に悲観的な話しから入ってしまったが、少し見方を変えれば、大学院進学を楽観的に考えることもできるだろう。日本の大学は現在、過渡期にある。今後は、とりわけ大学院を充実化する方向に向かうであろう。すでに文科省はいくつかの大学を「大学院大学」として認定し、大学院教育の重点化をおしすすめている。1990年代以降の日本社会は「高度知識社会」というあらたな段階を迎えており、社会のニーズに合わせて、大学院レベルの教育がますます必要となっている。

なるほど一昔前であれば、大学院に進学することはおろか、大学で勉強することすら、立身出世のためにはあまり意味がないと見なされていた。例えば、早稲田大学教授の大槻義彦氏は、著書『大学院のすすめ』(東洋経済新報社2004年)のなかで、ある大手商社の重役(早稲田卒)の次のような発言を紹介している。

「私は、大学の講義はサボってばかりで、運動部をやっていました。いまになって考えると、大学の学問など実社会に出てからは、何の役にも立たなかったのですよ。」

この重役は、自分が大学で勉強しなかったことを自慢しているわけだが、現在の学生であれば、もはや通用しない自慢話であろう。大槻氏はこの重役に向かって、「そうですか、あなたの会社は学問など不必要なほど、低レベルの会社なんですか」と言い返しているが、頷ける批判だ。大学時代に勉強しなかった学生を採用する会社は、もはや将来性が危ぶまれるのである。

高度に発達した知識社会においては、学部レベルの知識のみならず、大学院レベルの知識を習得することがますます求められている。すでにアメリカやイギリスでは、企業のトップや政治家や官僚になるために、修士号や博士号を取得することが通常のキャリア形成となっている。例えば、アメリカのブッシュ大統領(Jr.)はハーバード大学経営学修士号取得、ビル・クリントン前大統領はイェール大学大学院修了、イギリスのマーガレット・サッチャー元大統領はオックスフォード大学大学院修了である。これに対して日本では、田中角栄が首相になって以来(1972-74)、学歴や知性の低い政治家が多く輩出されており、このことが度重なる政治発言問題を引き起こす要因にもなってきた。国民の政治家に対する不信は、年々増大している。こうした事態に対して大槻義彦氏は、日本においても真の文科系エリートを育てることが、大学院教育において必要であると主張している(『「文科系」が国を滅ぼす』KKベストセラーズ、参照)。

欧米に比べると、日本では、高学歴な人たちの数が相対的に少ない。現在、アメリカの大学院生数は、人口1,000人に対して、7.69人、これに対してイギリスでは、3.61人、フランスでは、3.65人、日本では、1.22人である。つまり日本における高学歴者の割合は、英仏の三分の一、アメリカの七分の一にすぎないのである。日本社会は今後、欧州並みに大学院生の数を三倍にまで増やして、社会で活躍する優秀な人材を育てていかなければならないだろう。すでに理科系の大学院においては、修士号の取得はキャリア形成にとって大きな意味をもっている。文科系の場合もまた、近い将来、同様の制度へと移行していくかもしれない。文科系の大学院教育は現在、移行期にある。現在の修士号の価値が低くても、将来はその価値が高くなることを予想して、キャリア形成を考えみてはどうだろうか。

・【学問以外にも取柄のある人へ】

もしあなたが、学問以外にも、例えば指導力、体力、人間関係対処力、会話力など、他の能力においてすぐれているならば、学者になるべきかどうかを迷うであろう。学者として生きるよりも、別の職業についたほうが、自分の中にあるさまざまな能力を充分に発揮できるかもしれない。

私のアドバイスは、すぐれた研究者や教育者になる見込みと野心がなければ、別の道を考えたほうがよいということだ。若い頃は誰しも、学問に対して純粋に興味をいだくものである。しかし三〇代、四〇代になると、多くの人は純粋な知的好奇心を失い、学内のさまざまな雑務に追われて、そのうちに研究に対する喜びを感じなくなるようである。五〇歳にもなれば、一般に「学者として枯れる」と言われる。平均的な人間であれば、年齢とともに知的関心と能力を失う可能性が高い。また、あなたの書いた論文を読んで評価してくれる人は、日本語で書いても英語で書いても、平均すればおそらく、10人から100人くらいであり、このことにある種の「虚しさ」を感じるだろう。

 これに対して、もしあなたが企業や官庁・役所などに就職していれば、四〇代くらいから社会的に意義ある仕事を担う可能性があり、仕事に対してプライドを持つことができる。さらに、自分の仕事に対して、その社会的な意味を実感できるようになるだろう。四〇歳にもなれば、多くの人は、自分にとって興味のあることよりも、社会にとって貢献できることに関心をもつようである。そうだとすれば、大学の教員は、社会的に貢献する場面が少なく、歳とともにつまらない職業になるといえるだろう。一部の学者は社会的に意味のある仕事を成し遂げるかもしれないが、それ以外の学者は、それほどでもない。この現実を直視してほしい。だから、あなたに別の才能があるならば、その才能を使って社会的に意義のあることを成し遂げてほしい。学者というのは、論文を書くことに能力を特化させるわけだから、この能力を開花させないと意義深い人生とはならない。大学院生たちは、最初は、自己満足でもいいから納得のいく論文を書きたいと思っているようだが、その先の自分の人生について、あらかじめ想像力を働かせておこう。

・【大学院進学を迷っている人のために】

誰だって、はじめから課題発見力や情熱を持っているわけではない。おそらく多くの大学院希望者は、次のように迷っている。

 タイプ①:自分にとって勉強はそれほど辛いことではなく、それなりに勉強して大学に入った。大学でも勉強を続けてきたけれど、本当にこれでいいのかという疑問が残る。これで社会に出て、自分は満足な人生を送ることができるのだろうか。何かもっと真剣に打ち込むべきことはないだろうか。私はまだ自分の能力を出し切っていない。大きな試練のまえに立たされたことがない。こんな人生でいいのだろうか。

 タイプ②:考えたり本を読んだりすることは好きだけれど、受験勉強は苦手で、結局あまり希望していない大学に入ってしまった。後悔している。もっと知的なことを求めているのだけれども、周りには知的刺激がない。とにかくよい大学の大学院に入って、本当の学問というものに触れて、もまれてみたい。

 タイプ③:自分は人間関係がどうも下手で、会社で仕事をしても、たぶん組織のなかに馴染まないのではないかと思う。お金のために仕事をすると割りきれればよいのだが、そのような人生は魅力的ではない。大学の先生というのは、とにかく拘束されない時間があって自由だ。自分もそのような自由を手に入れて、安定した生活を送りたい。

 タイプ④:モラトリアム生活を延長したい。自分はまだ将来のことを決めかねている。あせって就職しようとは思わない。将来、自分が何になるかについては保留して、とりあえずもう少しモラトリアム生活を続けてみたい。

 タイプ⑤:とにかく学ぶことが好きで、純粋に学部時代の勉強生活を継続したいと考えている。自分は普通の人よりも、社会に出ることをのんびり考えているので、自分の人生の節目を感じるまでは、条件の許すかぎり学生生活を続けたい。

 以上のように、学生たちはいろいろな悩みを抱えながら、大学院への進学を考えている。私のアドバイスは、「とにかく勉強して大学院の修士課程に入ろう」というものである。修士課程に進学してから悩んでも、それほど遅くはない。修士課程で研究生活をはじめてみると、いろいろなことが分かってくるだろう。学問を継続するかどうかは、その後で判断しても間に合う。博士課程に進学する希望がなければ、大した論文を書かなくても修士課程を卒業することができるので、そこで勉強をやめればよい。

 ただ、博士課程への進学を希望するならば、次の二点が重要である。

 □学問を職業とすることに情熱をもてるか。

 □教育を職業とすることに情熱をもてるか。

たんなる知的好奇心というのは、年齢とともに減少する傾向があるので、学問や教育に対する情熱というものがないと、挫折する可能性が高いようだ。もちろん例外もあるだろうが、私の考えでは、博士課程に進学するかどうかは、能力の問題というよりはむしろ、学問に対するエートス(内面的で持続的な情熱)の問題であるように思う。学問の「力」と「無力さ」の両面を知り、それでも学問に人生の大半を捧げる覚悟があるのかどうか。そのようなコミットメントが問われているのかもしれない。

・【能力がなくても大学院に進学したい人のために】

学部時代を遊んで過ごしたために、思考力・暗記力・読解力・語学においてほとんど進歩がみられなかったが、しかしとりあえず大学院に進んで知的能力を鍛え直したい、と思っている学生がいる。なるほど、学部時代に遊んでいても、大学院に進学して研究者になるという道は開けている。実際、私の場合も、大学四年次から本格的に勉強したのであって、それまではジャズ研や海外旅行などに熱中していた。

 思考力・暗記力・読解力・語学。これらについて、もしあなたの現在の能力が、一流と呼ばれる大学の学部入試に合格しない水準であれば、そこからどのようにして大学院進学のために必要な基礎的能力を身につけていくべきだろうか。私のアドバイスは、大学院入試といっても、基本的には、一流大学の学部入試問題、とりわけ英語や小論文や現代文の試験問題を解くことができればよいのであって、それ以上ではないということだ。大学院入試では、基礎的な能力と専門的な能力が問われている。基礎的な能力に関して言えば、一年間を費やして、学部入試をもう一度受験するつもりで勉強すればよい。

 しかし問題は、あなたの周りの友達がもはや勉強していないという状況の中で、あなただけが強制されずに過酷な勉強をしなければならない、ということだ。そうした孤独な戦いは、とても挫折しやすいものだ。例えばもし、勉強を集団で強制される場合には、それは一人で勉強することよりも、はるかに楽である。みんなで行進すれば苦痛が減じられるように、みんなで勉強すれば、それほど苦痛を感じない。ところがひとりで自由に勉強する場合には、同じ勉強量といってもかなりの苦痛だ。2倍も3倍も大変である。だからできれば、いっしょに勉強してくれる人がいると助かる。切磋琢磨してくれる友人がいると助かる。あるいはゼミの教官に、勉強のプログラムを設定してもらうとよいかもしれない。

・【修士号の取得に意味はあるか】

多くの分野では、大学院の修士号を取得しても、それだけではあなたの社会的ステイタスを上げたことにはならない。その理由は二つ考えられるだろう。

 第一に、自分が今通っている大学の大学院に進学して修士号を取得しても、必ずしもよい就職先が見つかるわけではない。とくに文科系の場合は不確実である。将来のことを考えるならば、今の大学のランクよりもレベルの高い大学院修士課程に進学するか、あるいは大学院に進学しないで、就職浪人をしたほうがよいかもしれない。

 第二に、最近では修士課程への進学者が増大したために、修士号のレベルも下がっている。修士論文を書かなくても修士号を取得できる大学院もある。また、その大学における卒業論文よりも質の悪い修士論文を書いても、博士課程に進学できたりする。大学側は、大学院生の数を増やさなければならないので、とにかくレベルを下げているのだ。したがって修士号を取得して博士課程に進学しても、それだけではその人の学問的能力を保証することにはならない。事実、博士課程に進学してから自分の学問的実力のなさに気づき、悶々とした日々を送るような大学院生が続出している。大学側は、職を提供する当てもなく大学院生を増やしているので、大学院は現在、モラトリアム人間たちの溜まり場と化しているというところもある。事態はこのようであるから、修士号を取得してもあまり意味がない。

 修士課程への進学に意味があるとすれば、それは、とにかくもっと勉強したいという「止むに止まれぬ知的欲求」を満たすということであろう。自分の知的欲求を満足させなければ、大学院に進学しても、なかなか充足感を得ることはない。ある先生によれば、現在の大学院は「高学歴廃棄物処理施設」であるという。つまり、学歴ばかり高くて社会的には使い物にならない人たちの溜まり場だというのである。あなたも人生を捨てたくなければ、進路を真剣に考えよう。

 しかし特定の分野の大学院については、修士号取得に大きな価値がある。日本ではまだ少ないが、一部の「ビジネス・スクール・コース」や「ロー・スクール・コース」や「国際関係」分野の大学院である。とりわけ国際機関に就職を希望している人は、修士号を取得していると有利である。また日本で修士号を取得し、海外で博士号を所得するならば、大きなキャリア形成となる。こうした事情について、大学院に進学する前に的確な情報を集めておきたい。

・【勘違いをして進学しよう】

大学院に進学してすぐれた研究論文を発表しても、よい大学に職を得ることができるかどうかは「運」に左右される。あなたの論文を正当に評価してくれる教員がその大学にいないことも多いだろう。また、あなたの研究にふさわしいポストは、すでに誰か別の人によって埋められているかもしれない。だから研究者として相応しい能力があっても、クレヴァーな人(目敏い人)はこのリスクを引き受けたくは思わないだろう。本当に大学の先生になれるかどうかなどとマジメに考えていたら、大学院に進学することなどできない。大学院に進学する際には、自分の能力をまず過信し、そしてなんとか研究者になれるという「勘違い」をしなければならない。実際、こういう勘違いをしている人が大学院にはとても多いのだが、勘違いによって自分の研究がうまくはかどれば、あなたは能力以上の研究業績を出すことができる。

事実、大学院とは、自分の知的能力の限界に挑戦するところである。あなたはまだ自分がどの程度の知的能力を持っているのか、十分に理解してはいない。自分の知性の程度について知るためには、その限界まで挑戦してみなければならない。暗記力、語学、議論能力、文章力、批判的吟味能力、独創的能力など、自分がどの程度の知性を発揮できるのか、そしてそれによってアカデミズムや社会に貢献できるのか。こうした問題について、いちど自分の能力の限界に挑戦してから、答えを出すほかない。

しかし途中で自分の能力の限界に気づきはじめたら、そこから人生の問題がはじまる。いつまでも自分の能力を過信してはいられない。学者の道をあきらめるか、あるいは、生活の不安に耐えながら研究を続けるか、いずれかの選択を迫られるだろう。多くの場合、少しずつ自分の勘違いを縮小していくことになるだろう。しかしそれでも、最初に勘違いをして自分の能力に自信を持たなければ、大きな研究を成し遂げることはできない。最初から縮こまった研究をする人は、その専門分野においてすら、すぐれた成果を上げることができないであろう。

・【地道な学問に耐えられるか】

研究活動というものは、必ずしも自分の知的好奇心に従って行動するのではない。むしろ、知的好奇心が尽きたところから始まる、と考えておいた方がよいだろう。大学制度の下では、あなたは何よりもまず、自分にとって興味のあることではなく、学界に貢献できるような研究をするように求められている。もちろん、自分の興味と学界への貢献の二つがうまく重なれば、それが最高である。しかしどんな研究でも、ある程度まですすめると、人は次第にそのテーマについて興味を失い、別のテーマに関心を移していくものだ。実はここからが研究者としての勝負である。あなたは興味関心を失った研究テーマについて、地道な研究をつづけることができるだろうか。

 例えばあなたは、社会学者ルーマンのシステム理論を読んで大いに興味を持ったとする。そしてルーマンについて調べ、「ルーマン論」を書いたとする。しかし、たんにルーマンを読んでまとめただけでは、学界に貢献したことにはならない。貢献するためには、ルーマンを超える社会理論を提出するか、あるいはルーマンの本をしっかり翻訳して、日本の研究者たちにルーマンを「伝道」したり、海外のルーマン研究動向を「紹介」したりする、という「情報提供」を長きにわたってしなければならない。翻訳や紹介をするためには、まずドイツ語をしっかり勉強して、さらにテキストを詳細に検討しなければならない。しかしそのような作業をしているうちに、人はルーマンのシステム理論に対する初発の好奇心を失い、翻訳や紹介という研究を、途方もなく面倒くさい作業だと思うようになるだろう。このようにして多くの人は、地道な学問に挫折することになる。

 では、ルーマンと対等に勝負して、新たな社会理論を構築するという研究はどうか。この研究にはとても特殊な能力、すなわち「理論を創造する力」が必要となる。もしあなたが学部時代に何らかの特異な才能を示すのでなければ、ルーマンと同じレベルで勝負することに成功する確率は低い。学部時代に、独創的な理論を思いついたとか、ドイツ語をスラスラ読めるようになったとか、あるいは別の芸術的分野で創造的な才能を示したとか、他人には真似できないような体験をしたとか、なにか特殊なことがなければ、新しい理論を構築する可能性は低いだろう。自分の独創性に自信がなければ、ルーマンを地道に紹介するほかない。しかしそのような研究は、あなたの興味関心が移り変わっても、一〇年くらいかけて関わるという覚悟がなければならない。だからまず必要なのは、自分を縛って地道に研究するという覚悟なのである。

・【大学院を目指す人は、学部時代に優秀な成績を取るべきか】

大学院の修士課程で日本育英会の奨学金を得たい人は、学部の成績においてできるかぎり「優」をそろえ、大学院の入試試験でもすぐれた得点を示さなければならない。奨学金をもらえるかどうかは、成績で決まる場合が多い(ただし部署によっては「親の収入」を優先する場合もあるので、確認しておこう)。これに対して奨学金をもらう必要のない人は、学部時代によい成績を取る必要はない。また大学院入試も、合格する程度に勉強すれば、それでよい。

 では実際のところ、学部時代によい成績を修めなかった学生は、大学院で通用するのであろうか。それはかなり不確実である。大学院に進学するためには、学部時代に、その準備となる勉強や学問を、成績とは関係なく自主的にこなしておきたい。学部における期末試験は、多くの場合、模倣と暗記力を試すものであり、そこで必要な能力は、大学院における研究とあまり関係がないかもしれない。だから学部時代には、試験勉強よりも、実質的な自主勉強を優先しなければならない。ただし、試験勉強は、克己・勤勉・節制・規則正しさ・周到さ・忠実さなどの「美徳」を養うことができる。これは研究者としても役立つ美徳なので、こうした能力を身につけておくために、やはり試験勉強は重要だということになる。

 これに対して、試験ではなくレポートを課す講義は、しっかり受講しておきたい。大学院において必要な能力の大部分は、レポート作成能力である。レポートは卒論の予行演習にもなる。また、卒論をしっかり書いておかないと、今度は修士論文を書けないということにもなる。

 では、試験もレポートも手を抜いて、自分が重要だと思っている研究だけを自由に独自にすすめる、というやり方はどうか。この方針は、英雄的な個人主義であり、誰もが真似できるわけではない。しかしこの仕方ですぐれた論文を書くことができれば、「すべてよし」である。あなたは学界において高い評価を得るだろう。ただしこの方針にはリスクが伴う。よい論文を書くことができなければ、最悪の結果となる。これに対して学部時代によい成績を修めた学生は、すぐれた修士論文を書くことができなくても、それなりの論文を書いて、地道に研究を続けるようである。勤勉な点取り虫型の研究スタイルには、結果として一定の効用がある。しかしその効用が何であるかは、最初は分からないものだ。それゆえ最初は、学部時代によい成績を修めないで「英雄的個人主義」の道を歩むか、それともよい成績を修めて「勤勉な点取り虫」の道を歩むか、という選択が問題となる。研究者として魅力的な人間になるためには、英雄的な個人主義の道を選ばなければならない。そして一つの問題に苦悩して、徹底的に考え抜く、あるいは徹底的に調べ上げる、という愚直な情念を持たなければならない。

・【基本をマスターしよう】

大学院でどの分野を専攻しようかと迷っている人も多いだろう。いろいろな分野に関心があって、一つに絞ることができないという学生も多いと思う。しかし、ある程度まで興味関心を広げたら、今度は自分の興味関心に時間的な優先順位をつけて、まず学部から修士課程にかけて何をやるべきかについて絞り込もう。何はともあれ、若いうちに取り組むべき科目は、語学、数理、統計、哲学のうちのどれか、あるいはすべてである。これらの科目は、講義その他の機会を利用して、いやでも勉強しておきたい。何でもいい。若いうちにしか身につけることができないような、基礎的な学力を身につけよう。基礎学力が身につくと、その後の研究が開けてくる。

 例えば、経済学であれば、ミクロ経済学とマクロ経済学を習得する。あるいは、マルクス『資本論』の第一巻を習得する。政治思想であれば、プラトン『国家』、ホッブス『リヴァイアサン』、ロック『市民政府二論』、ルソー『社会契約論』、ミル『自由論』などを読んでレジュメを作ってみる。法学であれば、民法と刑法の教科書を習得する。社会学であれば、一冊の古典と、社会調査法について勉強する。これ以外にも例えば、第二外国語や統計学を勉強していく。このように、何か基礎となる勉強をしっかり身につけると、自分の研究能力に自信が沸いてくる。反対にこうした基盤が何もないと、あなたの研究は持続せず、空中分解してしまうだろう。基礎学力のない人が書く論文は、手抜き工事で建てられた家に似ている。外見はかっこよくても、ちょっと揺さぶられれば壊れるような危うい研究になってしまう。基礎学力の習得に関しては、手を抜いてはならない。

・【魅力的な先生に出会う】

理想論からいえば、自分で面白いと思った学問を専攻するのが最もよい。しかし私の場合、面白い学問はいろいろあったが、結局、魅力的な先生がいる分野の学問を専攻することにした。つまり、他に比べて思想系の先生は魅力的な生き方をしているようにみえるという理由から、思想系の学問をめざす決心がついたのであった。いまでも、内田芳明先生と斉藤純一先生との出会いを鮮明に思い出す。あるいは間宮陽介先生や嶋津格先生との会話を思い出す。それほど貴重な出会いであった。私はもともと、思想とか哲学に興味を持っていたが、しかしそのような研究をする能力など私にはない、と思い込んでいた。だから大学院に行ってまで思想を専攻しようと思わなかった。ところが思想系の先生たちとの出会いは、自分の情熱を方向づけてくれるキッカケとなった。それまでに、いろいろな先生の研究室を訪れてお話を伺ったり、議論したり、ゼミに参加させてもらったりしたのだが、最終的に思想系の学問を選択したのは、そこに魅力的な先生たちがいたからである。すぐれた先生との出会いは「運」である。だから少しでも多く、先生たちに出会う機会を増やしてみたい。

・【指導教官と大学院生の関係】

大学院でのあなたの研究生活のスタイルは、指導教員との関係において大きく左右されるであろう。それは例えば、次のようなものだ。

「自由放任コース」:あなたが修士論文を書き上げるまで、指導教官は、授業もせず、個人指導もせず、ほとんど何もしないというコース。忙しい先生は、構っているヒマがないので、学生たちを自由放任にしておくわけである。これを「解放」と感じるか、それとも「疎外」と感じるかは、あなた自身の問題である。

「仲よしコース」:学部時代の楽しいゼミナールの延長で、先生といっしょに食事したり、会話したり、息抜きの時間を共有する。基本的に勉強は自分でやって、先生と会うときは息抜きをする。例えばいっしょに映画を見に行ったり、夏休みに登山に行ったりするような付き合い方である。この場合、学生は自分で勉強しなければ、大学院生活はほとんどお遊びとなる。

「仏門コース」:ミクロ経済学などの基礎的な科目を毎週みっちりとトレーニングしていくコース。宿題に追われ、そのノルマがこなせなければ、脱落していく。大学受験勉強のような生活である。自分の趣味や恋愛やくつろぎなど、いっさいの事柄を断念して、仏門に入った僧侶のように、修行に励む生活である。

「心中コース」:先生と共同研究をするために、「先生についていきます」と傾倒するコース。徹底した師弟関係を結んで、資料を集めたり、雑務を引き受けたり、授業を手伝ったり、研究を補助しながら、その合間に研究の仕方を教えてもらう。「研究者になりたければ私と共同研究しよう」というお誘いを、「束縛」と感じるか、それとも「善意」と感じるかは、あなた自身の問題だ。そのような共同研究をしたからといって、研究者になれる保証はないのだが、さまざまな雑務を経験することで、研究生活の全体を共有することになる。

「マラソン・コース」:毎週、先生は学生に対して何を勉強するべきかについて一定のメニューを与える。そして学生はそのメニューに従って勉強していくというコース。学生はマラソン・ランナーであり、先生はそのコーチの役を引き受ける。先生は、厳しい課題を要求するスパルタ系のコーチであるかもしれない。あるいは自らは課題を課さず、学生の自主的なメニュー設定を承認するだけの、やさしいコーチであるかもしれない。

「迷える子羊コース」:以上の五つのコースをすべて中途半端に組み合わせるならば、あなたは「迷える子羊」だといえるだろう。まだ何をどう勉強したいのかについて明確でなければ、このコースを歩むことになる。迷いながらがむしゃらに研究するか、それとも迷いつづけて研究に手がつかなくなるかは、あなた自身の問題である。しかし先生との関係と研究活動の両方を模索している人は、とりあえずこの「迷える子羊」コースということになり、いろいろな経験してみる他ない。

 以上のコースについて、あなたは自分が望ましいと思うコースを指導教員に伝える必要があるだろう。そして指導教員とのあいだに、教育上の関係について合意を得ておきたい。私の場合、ある種のマラソン・コースであった。しかしそれは大学院の修士課程のみで、博士課程に進学してからは、自由放任コースとなった。このように、コースについてはいつでも変更可能である。最初はなるべく厳しいコースから経験しておくと、後で後悔することはない。逆に博士課程に入ってから厳しいコースを選択するというのは、意外とやりにくいものだ。

・【就職の世話をしてくれる先生を探そう】

もしあなたが自分の学問能力に自信がないのであれば、大学院では、就職の世話をしてくれる先生を探して指導教官に選ぼう。指導教官としてふさわしい人は、学問的にすぐれている人というよりはむしろ、世話好きの先生であり、学会によく出席する顔の広い先生であり、就職の面倒を見てくれる先生である。大学院では、まず就職の世話をしてくれるかどうか、この点について先生に聞いておこう。もっとも、全体の一割くらいしか、就職の世話をしてくれる先生はいないだろうが。

・【天下り大学院に進学しよう】

東大の教員たちは、六〇歳で定年退職すると、他の大学に天下りをして、七〇歳くらいまで大学教授を続けるようである。天下りの先生たちは、学界における有名人であり、若い大学院生たちの就職の世話をしてくれる可能性も高い。彼らは学界において広い人脈を持っており、その人脈を利用して就職の斡旋をしてくれる。例えば○○大学のある大学院生は、博士課程二年目にして地方の短大に就職が決まった。コネである。

 具体的にどの大学が天下りの拠点であるかについては、各専門分野によって異なる。したがってそうした情報をなんとかして手に入れよう。また、大学院における指導教官を選ぶ場合に、元東大の先生で天下りをした先生を選ぶことをお勧めしたい。天下りの先生たちは概して、教育においても就職のあっせんにおいても、とても親切である。彼らは現在活躍しているというよりも、少し前の時代(二〇年くらい前)に活躍していた人たちであることが多いので、そのような情報を図書館の書籍を通じて手に入れよう。現在活躍している先生たちは、とても忙しくてあなたの面倒を見てくれない。これに対して天下りの先生たちは、あなたをその分野の後継者として育てたい、という情熱をもっている。

 ただし、天下りの大学院に進学することの難点は、大学院生同士の付き合いが少ないということだ。一流大学の大学院生たちは、先生たちに頼らずとも、互いに刺激しあってすぐれた研究成果を出していく。これに対して二流大学の天下り先生に師事すると、こうした切磋琢磨の機会をあまり持つことがない。

・【大学教授になるためのマニュアル】

鷲田小彌太著『大学教授になる方法』PHP文庫[1991→1995]は、偏差値五〇で大学教授になれることを、さまざまな実例を引きながら示している。資金も能力もないがなんとかして大学の先生になりたいという人は、ぜひ本書を手にとってみよう。そこには例えば、次のようなアドバイスや分析がある。

①語学の教員や教育学部の教員は、修士課程を終えただけの人が意外と多い。

②あまり有名でない大学院、付属短大のある大学院を卒業して、その大学または短大の先生になることができる。(拓殖短期大学経営科・貿易課の教員一二人のうち、拓殖大学出身者は七人である。)

③偏差値の低いアメリカの大学院を卒業することが得策である。

④教員採用を、自校出身者で固める大学、高学歴・高偏差値で固める大学、旧帝国大学の植民地のような大学など、大学によってさまざまである。これは簡単に調べられる。

⑤コネや友人を頼りに大学教員として就職するケースについて。

 他にも、業績の作り方や評価の仕方について書かれている。私がこの本を読んだのは、大学院修士課程一年生の時であった。大学というのはこんなにイイカゲンなのか、と驚愕してしまった。そして「自分もなんとか大学の先生になれるだろう」という希望がわいてきた。自分が大学に就職することで、少しは大学がよくなるのではないかとも思ったりもした。鷲田氏は次のように述べている。「自由競争のもとで、多くの人がこの職業を目指すことが、とりもなおさず、大学教員の『質』を向上させる結果を生むであろう。」その通りである。大学教員の質を上げるためには、多くの人に「大学教授になる方法」を知ってもらわなければならない。その意味で、本書はすべての大学生にとって必読である。

・【研究テーマの悪い選び方】

一番よくないのは、学部のゼミでたまたま読んだ本に興味を持ち、それだけの理由で(別の選択肢をあまり考えずに)大学院でも同じ研究を続けてしまうことだろう。そのような大学院生は、多くの場合、面白くない人間である。ゼミにおいて一流の研究者と一流の文献を読んだならマシであるが、あなたは学部時代に、二流の先生と二流の文献を読んでしまった可能性が高い。残念ながら私のゼミもその部類だ。ゼミで学問の初発の関心を身につけてしまうと、誤った方向に導かれてしまうことにもなる。大学院での研究テーマは、なるべく多くの選択肢の中から、いろいろと試行錯誤するなかで、それこそ二、三年くらいかけて、修正・変更していくことが望ましいであろう。納得のいくテーマに出会うことは、かけがえのない経験だ。それを探すためにも、いろいろな人と会話したり、いろいろな分野の本を手にしてみたい。

・【問題一〇〇個、文献一〇〇本をリスト・アップする】

大学院を受けようと思ったら、研究テーマを決める必要がある。誰でも最初は、「コレコレの分野に何となく興味がある」とか、「コレコレの本が面白そう」というくらいの関心で大学院受験を考えはじめるが、この段階から出発して、自分の「興味関心」を「研究すべき問題」へと練り上げていきたい。そのためにはまず、自分の研究に参考となる専門の文献をリスト・アップして、「読書計画」を立ててみよう。

 また大学院入試では、面接や筆記試験を通じて、受験者は自身の研究テーマを説明することが求められる。その際、どのような「問題」をどのような「文献」を使って研究するのかについて、しっかりプレゼンテーションできるようにしておきたい。研究者になるために必要な能力は、頭のよさというよりも、むしろ、自分で問題を立て、自分で研究プログラムを立て、自分で表現する能力だ。そうした能力を磨くために、私はまず「問題一〇〇個、文献一〇〇本」をリスト・アップすることを勧めている。

 「問題一〇〇個、文献一〇〇本」を挙げろ、というのはとても大変な作業である。最初はとにかく支離滅裂でもよいから、自分の散漫な問題関心と読みたい文献を、手当たりしだい列挙していくことになるだろう。「問題」といっても、「ナショナリズムについて」とか「自由について」という大きなテーマから、「J・S・ミルにおける自由と寛容の関係」という研究課題レベル、あるいは「エコノミーの語源は?」といった辞書で調べられる小さな問題まで、いろいろなレベルで列挙することができる。ポイントは、大・中・小の諸問題を階層的に組み合わせていくことだ。文献リストについては、まず図書館に通いつめて、一、〇〇〇冊ぐらいの著作や論文の著者名とタイトルを、情報として知ることが必要となるであろう。図書館に慣れていない人は、毎日二~三時間、二~三か月の期間を使ってリスト・アップするくらいの根気が必要となろう。

 このようにして問題と文献をリスト・アップしてみたら、この段階で何人かの先生にアドバイスを受けてみたい。一人の先生のアドバイスだと、偏っていて危険である。少なくとも二~三人の先生からアドバイスを受けておきたい。先生たちは、現在の学界にとって意義のある問題の立て方とか、他に読むべき文献を教えてくれるだろう。そのようなアドバイスを受けたら、そこからさらに自分の問題関心を鋭いものに練っていく。

 では、なぜこれほど多くの問題と文献をリスト・アップしなければならないのか。理由はいくつかあるだろう。

 ①多くの事柄に問題関心をもっている人は、知的な意味で魅力的である。これに対して問題関心の少ない人、狭い人、ぼんやりしている人は、知的に魅力がない。

 ②いろいろな問題関心をもち、それらの問題を体系的に捉えていれば、研究を持続することができる。これに対して問題関心がバラバラな人、問題関心がコロコロと変わる人は、研究者として承認されない。

 ③学生がいろいろな問題関心をリスト・アップしておいてくれると、先生はアドバイスをしやすい。どの問題を最初に研究し、そしてどの問題を後回しにすることが妥当な選択であるか。このような研究順序の問題について、先生といっしょに考えることができる。一番やりたい研究を後回しにした方が賢い、という場合もある。やりたい研究は就職してからでもできるし、その方が認められるということもある。二〇代という一番重要な時期にやっておいたほうがよい研究とは何か。それを探り当てよう。

 ④面白そうな文献のないところに、すぐれた研究は生まれない。文献にも、質の良いものと悪いものがある。だからまず文献を漁って、いくつかの面白い文献と、先行研究を知る必要がある。先行研究がなければ、専門性の高い研究論文を書くことは難しい。とにかく研究には時間がかかる。だから最初は、二年間で修士論文を書くのに相応しいテーマと文献を見つけなければならない。

 ⑤よい修士論文を書いても、その後、研究が続かないという人は意外と多い。次にやるべき研究が見えてこないからである。こうしたスランプに陥らないためは、長期的な研究テーマを徐々に練り上げて、そこにさまざまな小課題を位置づけていくことが必要となる。できれば早い時期にライフ・ワークとなるようなテーマを掴みたい。

 ⑥文献を多くリスト・アップするといっても、それらの本をすべて読む必要はない。なぜ一〇〇本の文献をリスト・アップするのかというと、ある研究テーマについて、どれくらいの文献があり、そのうちどれが必読の文献で、どれが重要でない文献(読むに値しない文献)であるかについて判断することができれば、専門の研究者としての能力を身につけたことになるからだ。いろいろな文献に対する的確な評価は、あなたがアカデミズムを担う際に、ぜひとも必要な鑑定能力となる。すぐれた文献を知らないというのは、専門家として恥ずかしいことのようである。

・【どんな学問を専攻するか】

大学院ではどんな学問を専攻すべきか。あなたは、自分が思う存分に研究してみたいテーマにチャレンジすべきだろうか。それとも将来のことを考えて、自分でも研究者になれそうな、ニーズの高い分野を選んで研究をすすめるべきであろうか。

 一般に、ニーズがあっても面白味のない研究分野では、すぐれた研究者が集まらず、結果として大学院生は大学に職を得やすい。これに対して、内容的には面白いが社会的ニーズの少ない学問分野では、就職の激戦区となり、大学院生たちはなかなか大学の職にありつけない。そこで小心者は、面白くないが職のみつかる学問研究を専攻しようとするだろう。これに対して大胆で野心的な人は、リスクを引き受けて、面白い学問研究の激戦区に飛び込むだろう。面白い研究分野には、本当に面白い人たちが多く集まるので、学問はいっそう面白くなる。もちろん、面白い分野の研究は就職難に見舞われる可能性が高いから、問題はリスクと責任だということになる。

 面白い研究かそうでないか、という問題だけでなく、相関的な研究かタコツボ的な研究か、という問題もある。また、実学を志向するか、哲学や理論や思想や歴史などのあまり役立たない研究を志向するか、という問題もある。大学院生の人数の増大とそれに伴う就職難によって、研究分野の選択問題は、いっそう深刻になっている。どうしても大学に職を得たいのであれば、就職のニーズの高い研究分野というものを知っておこう。大学院で専攻すべき分野は、それを大学で教えたいとか、それを研究することで社会貢献がしたいという動機を大切にして、決めていこう。

・【その専攻分野で本当によいのか】

 ある学生の話である。学部三年生の夏に、彼は留学から帰ってきた先輩の大学院生と飲む機会があった。そのときに彼は、自分がこれから大学院に進学して中国経済を専門に研究したいという決意を述べたのであるが、その大学院生はこう返してきた。「君は一生中国のような国と付き合っていくのかい。僕は絶対やだね。」こうした投げ捨ての批判を受けて、彼は一度、大学院進学を断念しかける。結果として、大学院受験のための勉強が遅れ、浪人する原因となってしまった。しかしあとから振り返ると、大学院生からのあのときの批判は、よい経験になったようだ。彼は次のように述べている。「私が言いたいのは、院進学にあたって、家族・友人・先輩・教授などから、一度脅かされて、悩んだほうがいいということだ。脅かしを克服し、苦悶を乗り越え、学問のプロとして成功するための勝算を考える。こうした過程から生まれる決意、プロになる覚悟が、研究者になるためには必要なのだと思う。」

 大学院に進学するにあたって、できれば多くの批判を受けて、悩んでおいたほうがよい。悩まないよりも悩んだほうが圧倒的によい。しかし現状は、大学院に進学してから専門分野の選択に迷う人が多く、そうなると膨大な時間を無駄に費やしてしまうことになる。最初に悩んでおけば、「決意」が硬く「意志」の強い研究生活を送ることができる。しかし後から悩むとそうはならない。この不可逆性について知っておこう。

・【学部時代とは別の分野の大学院に進もう】

あなたの大学では教えられていない専門科目でも、日本全国でみた場合には、とても重要で意義のある研究分野がたくさんある。また、ある分野の学問にはそもそも大学院生が集まりにくい、ということもある。あるいは、大学院になってから専攻した方がよい分野、というのもある。例えば私が携わる「経済思想」という分野は、これを学部生のときから専攻しても大学院では伸び悩むということがある。やはり学部生の段階では、経済理論の勉強を優先したほうがよいだろう。

 多くの専門分野では、大学院の修士課程から勉強をはじめても十分に間に合うように出来ている。また、学部時代の専攻分野とは別の分野に進むことによって、将来、自分の研究の幅が広がり、独創的な研究をする可能性も高まるであろう。私は学部時代に国際金融論を専攻し、大学院では社会哲学を専攻した。このように専門分野を変えることは、自分の研究の意義を根底から考える機会を与えてくれる。あなたは二〇代という一番大切なときにどんな研究をすべきか。一度、選択肢を広げて自由に考えてみよう。

・【一度社会に出てから大学院を受験しよう】

大学院で研究すべき研究課題には、二つの種類がある。大学においてのみ問題関心をもつことができるような学問と、社会に出てからはじめて問題関心を強烈にもつことができるような学問である。

 前者の学問は、例えば数学、物理学、理論経済学、分析哲学などである。これらの学問は、社会に出て働いている多くの人にとっては、どうでもいい問題である。そのような学問を研究するためには、大学の内部において、とくに先生たちとの交流のなかで、問題関心を育まなければならない。

 これに対して後者の学問は、例えば社会調査、国際関係、経営学などである。これらの学問を営むためには、一度社会に出て、社会的な問題関心を強烈に受けとめるという経験が重要となるであろう。一度就職をして、仕事上の問題や悩みを抱え、それによって精神的葛藤に陥る。この葛藤を処理するために、葛藤を引き起こす原因となる社会構造について研究しようと思い立つ。そしてその研究を通じて、社会を少しでもよくしようと制度改革を提案していく。このプロセスが重要となる。

 あるいはこういうことも言える。人間、必要に迫られて焦らなければ勉強しないものである。一度社会に出て、二〇代後半から大学院に入学すれば、自分には時間がないと思い、そこから焦って勉強することができる。社会人入学した大学院生たちは、若い大学院生たちの社会性のなさやモラトリアムというものに反感を持ち、彼らを軽蔑している。そして「私は彼らとは違う」というプライドをもって、勉強しているようだ。社会人経験者たちは、とにかくいま勉強することに将来の生活がかかっているのだから、必死に勉強する他ないという実感を持っている。これに対して学部からストレートに大学院に進学すると、まだ人生の時間がたくさんあるような気がして、研究に対して悶々と悩みがちである。

・【地方大学の大学院は不利か】

大学院を選ぶ場合、地方の大学と都心の大学とでは、どのような差があるだろうか。まず地方大学の大学院には、次のようなメリットとデメリットがある。

 まずデメリットから。①すぐれた大学院生が少なく、また議論好きの大学院生も少ないので、大学院生同志で知的に刺激し合うことを期待できない。これに対して都心の大学院に進学すると、学生同志のいろいろな私的研究会に出席することができるので、知的刺激が多い。②地方では時間がゆっくり流れているので、一日の勉強量が自然と減ってしまう。あくせく勉強する気にはならない。③すぐれた先生に会う機会が少なく、本気で研究するということがどういうことなのかについて、体験できない場合が多い。④何を研究すべきかについて、考えるための材料が少ないので、つまらない研究テーマに関心を持ってしまうことがある。⑤先生や学生たちとの間で人脈を作ることが難しく、自分の研究のキャリア形成には不利である。⑥文献情報や、学界にかんするさまざまな情報について、アクセスする機会が少ない。

 これに対して、地方大学で学ぶメリットは次のような点である。①すぐれた先生に出会うことができれば、その先生から多くを学ぶことができる。例えば古典の読解などの特殊な技術を、先生から深く学ぶことができる。地方の大学の優秀な先生は、やる気のある学生に多くの時間を割いてくれる可能性が高い。これはもっとも大きなメリットである。②よい研究テーマが見つかり、しかもそのテーマに没頭するだけの能力があれば、地方の大学院では、他の誘惑がなくて研究がはかどる。これに対して都心の大学院では、自分の研究テーマを他者から批判されることが多く、なかなか自信を持って研究を続けることができない。また都心では、他の分野の研究が楽しいものに見えてくるので、自分の研究に没頭できない人が多い。③就職に関しては、地方大学の大学院はそれほど不利ではないかもしれない。というのも、都心の大学院には学生の数が多いので、必ずしも偏差値の高い大学院に進学すれば大学に就職できるとは言えないからである。

・【一人の天才と一〇〇人の職人制】

アカデミズムの社会は、市場社会や政治社会と同様に、そこに一人のすぐれた個人さえいれば、飛躍的に発展する。あとは、その周りにすぐれた研究者の仕事を支える人たち(実証研究とか学説史研究とか論理的に細かいことをできる能力のある人たち)が集まって、すぐれた研究者のアイディアを継承し、体系化し、応用していけばよい。例えば「哲学」という学問分野は、基本的に、大哲学者が書いたものを注釈する、という研究で成り立っている。だから細かいことに器用で粘り強い人であれば、学者としての哲学者になる見込みが大いにある。アカデミズムの世界は一人の天才と100人の職人によって成り立っている。もしあなたが職人的な研究(解釈、注釈、紹介、翻訳、応用、比較、編纂、復刻など)に器用な人でなければ、天才的な研究を目指さすほかない。

・【哲学科の大学院を希望する人のために】

「私」とは? 真理とは? 善とは? 時間とは?……あなたは、こうした根本的な問題にとりつかれて、もがき苦しんだことがあるだろうか。苦しんでいる人、その人は「哲学病」である。哲学病の人は、中島義道『哲学の教科書』講談社の第五章「哲学者とはどのような種族か」をぜひ読まれたい。一生病気でなければ、哲学を専門とすることはできないようだ。病気から回復したければ、文学・思想・芸術などへ転向した方がいい。

 哲学というのは、最も知的で学識の必要な学問かといえば、そんなことはない。固有の意味における哲学とは、存在や自我や時間といった問題に「決定的につまずくこと」からはじまる。哲学的な問題をちょっとかじりたい、というのであれば「思想」研究をすすめたい。思想というのは、哲学者の言ったことの「文化的・社会的意義」を理解していこうとする営みである。これに対して哲学は、その文化的意義など、ある意味でどうでもよく、哲学的営為を真正面から継続していくことに意義があると考える。

・【あなたの人材価値を判定してもらおう】

大学四年目の春になると、学生たちは就職活動の時期を迎える。会社情報を調べたり、時事問題について考えるようになり、そしていくつかの企業を訪ねることになる。人気のある企業に就職することは難しい。面接試験に落ちて、自分の人材価値(人的資本)はどれほどのものなのか、と悩む人も多いだろう。「自分はいったい、大学時代に何をやってきたのだろう」。このように反省する人も少なくないはずだ。

 これに対して大学院を受けようと思っている人たちには、就職活動をするのではないかぎり、自己反省を迫られることがない。だから自分が研究者としてどれだけの人材価値をもっているのかについて、先生や大学院生にストレートな評価を聞いておこう。とりあえず、諸先生方が過ごした大学生活と比較してもらって、いろいろな意見を聞いておこう。また、諸先生方がこれまでみてきた学生たちと、あなたの生活経験を比較してもらって、一定の評価を得ておきたい。すべてこうした評価は、就職面接をしないで大学院に進学することの危険を認識するために、役立つであろう。


大学院受験のために


大学院受験のために

橋本努

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以下の内容は、大学生との会話の中から生まれたものです。

ご批判・ご意見・ご感想・アドバイスなどをお寄せいただければ幸いです。

皆様の意見を取入れて、よりよいものにしていきたいと思っています。

・【先生に面会しよう】

これだけ情報があふれているにもかかわらず、大学院受験に関する情報は、まだまだ不足している。情報が得られないために、まったく勘違いをした受験勉強をしている人も多い。大学院受験の情報を得るために、大手の予備校に通う人もいるようだ。しかしなによりも重要となるのは、自分が受けようと思っている大学院の先生方に直接話を聞くことだ。そして実際に、その大学院に通う大学院生を紹介してもらって、大学院生から情報を得ることだ。このアクションを最初に起こすかどうかによって、その後の人生にかなりの違いが出てくるだろう。

私は大学院を受ける際に、指導教官の鬼塚雄丞先生の紹介で、山脇直司先生にお会いした。いろいろとお話を伺うことができた。目指す大学院の先生にお会いすることで、大学院に対するイメージが具体的になった。当時一介の学部生にすぎなかった私に時間を割いてくださった山脇先生に、改めて感謝したい。いまでもあのときの会話を強烈に思い出す。

・【大学院に入るまでに何をすべきか】

最近の大学院は、定員の増加にともなって、簡単な試験にパスするだけで入学できるようになっている。しかし一流の研究者を目指すのであれば、「英語」と「基礎科目(例えばミクロ経済学)」と「専門科目(例えば国際金融論)」の三つを、できるだけ高い水準で習得しておきたい。二流の研究者を目指すのであれば、このうちの二つを、あるいは三流の研究者を目指すのであれば、どれか一つをマスターしたい。ただし、三流の研究者というのは最初から目指すものではないので、大学院入試ではそうした勉強の仕方を避けなければならない。

ここで「できるだけ高い水準で」というのは、例えば英語で言えば、英検準一級のレベル、基礎科目でいえば、すぐれた教科書を三回勉強して120%理解する、というようなものだ。そのためには、勉強会や検定試験などを合わせて利用したい。

・【大学院受験は情報戦である】

大学入試と違って、大学院入試の場合、試験勉強についての情報がなかなか外部の人に届かない。また試験問題も、出題する先生の主観的な好みによって出題されることが多い。ちなみに私の場合、大学院入試の問題を作ってくれと頼まれてから、だいたい三〇分以内で問題を作り、それが実際に出題されることになる。というわけで、どのような問題が出るかについて予想するためには、出題する先生たちの研究と講義内容を把握しておく必要がある。試しに、その先生の研究業績、講義内容、ゼミ内容の三つを把握しておこう。あるいはまた、前年度にその大学院に合格した人たちの勉強の仕方を知ることができれば、大変助かる。しかしそのような情報は、なかなか得られないのが実情だ。大学院受験は情報戦である。情報が入れば、問題は意外と簡単であるが、情報が入らなければ、問題は難しく感じるものである。

 東大の大学院のある学科では、ある三冊の本を読めばほぼ合格する、というところがある。実際、ある外部の学生(地方の二流大学に所属)は、東大の大学院生からその情報を何とか得て、その大学院に合格した。情報を得たものの勝ちである。しかしこうした情報が広まると、試験問題の傾向は変わっていくにちがいない。情報戦を乗り切るためには、少なくとも受験の半年前までに、大学の先生や大学院生にアクセスすることを勧めたい。受験の直前になってから情報を与えてくれる先生や大学院生はいない。何事もはやく準備することが大切だ。

・【大学院を受けようと思ったら、最初にすること】

 大学院を受けてみようかどうかと迷ったら、とりあえず次のような作業をすすめながら、自分の進路を考えていきたい。

①受ける大学院の過去問を入手しよう。最近、大学側は、大学院生の数を増やすために、過去の大学院試験問題を公開し、また、受験の際してどの本を読めばよいかを指定するところもでてきている。こうした情報をなるべく早く得ておきたい。

過去問を入手できない場合は、とりあえず事務局に強く要求してみよう。いまどき過去問を入手できないというのは、大学運営として問題があるのではないか、と事務局に訴えてみることが望ましい。批判が多くなればなるほど、大学側は真剣に対応するようになると期待できるからである。

②大学受験で覚えた(あるいは覚えるべきであった)英単語の復習をはじめよう。さらに、英文読解の勉強をはじめよう。例えば、毎日、英字新聞の社説を読んで、単語を調べながら重要な文章に線引き、さらに200-400字程度の要約を作ってみよう。

③自分に合った指導教官を探しはじめよう。教官の業績プロフィール(各大学で作っている)を入手したり、また、どの大学にどのような先生がいてどのような研究をしているのかについて、情報を集めてみよう。そしてそれらの先生が大学院時代にどのような業績を作って大学に職を得たのかについて、調べてみよう。

④自分の研究テーマを考えてみよう。できれば関連する諸テーマを含めて、五~六コの研究テーマを挙げてみよう。いくつかのテーマを念頭において、いろいろな情報を調べてみてから、テーマを絞り込んでいくことが相応しい。

⑤研究で読むべき学術論文や学術書をリスト・アップしてみよう。ためしにまず、一〇〇冊程度の文献とその著者名を暗記していこう。この暗記は、入試の面接で大いに役立つ。

⑥現在の指導教官や別の教官に、大学院受験についてアドバイスを受けてみよう。

⑦大学院進学を志望する理由を書いてみよう。

⑧その研究分野に関する専門の「辞典」「事典」類を買って、好きなところからつまみ読みをはじめよう。その際、専門用語については、日本語と英語の両方で覚えていきたい。

⑨自分の研究のキーワードを三つ挙げてみよう。そしてそのキーワードを、各種の専門的な辞典で調べ、一通り暗記してみよう。この作業もまた、入試の面接で役立つだろう。

・【さっそく大学院の授業を見学して受講する】

大学院の受験を思い立ったら、とにかくまず、受験する大学院の授業を見学してみよう。他大学の大学院の授業にも出席してみたい。見学はいつでも可能なので、あとは行動力あるのみである。また、多くの大学では、学部生であっても大学院の授業に出席することができるので、学部生のうちに大学院の授業を受講してみたいものだ。大学院の授業は、必ずしも高度な内容とは限らない。最近は留学生も増えているので、内容のレベルは低く設定されていることが多い。また大学院の授業に学部生が出席すると、今度は大学院生も緊張して勉強するので、お互いに刺激しあうようである。

とにかく大学院の授業を一つでも受講して、先生や院生たちから大学院に関する情報を多く集めてみよう。積極的に行動すれば、大学院受験に失敗する可能性は少なくなる。逆に言えば、大学院受験に失敗する多くの学生は、早い段階で行動力を発揮しなかったということだ。その大学院で何を求められているのかについて把握するためには、見学することが一番である。大学院受験は情報戦である。情報は足で集めるほかない。

・【大学院生たちの私的な研究会に参加しよう】

大学院生たちは、自主的に小規模な研究会を組織して、情報交換をし、またディスカッションの力を磨いている。研究会を通じた交流のネットワークは、授業、学会、E-mailなどによる交流よりも、はるかに有意義であり、自分の研究を活性化するための絶好の機会である。院生主導の研究会は、関心や意欲のある部外者を大歓迎している。研究会についての情報は、ホーム・ページから情報を得て任意の大学院生にE-mailを送るか、または実際に院生室に足を運んで獲得しよう。一度研究会に出席すれば、以後はメールで案内を送ってくれることもある。何ごとも最初は、「めんどうな情報収集」と「連絡をとる勇気」が大切である。

あるいは大学院受験者たちのあいだで私的な勉強会を開くことも効果的である。東大のある大学院では、私的勉強会に参加した人たちのほとんどが合格して、他の受験生が合格しなかった、という事例もある。受験に際して重要なのは、ライバルをみつけて切磋琢磨することだ。大学院進学を希望する人の中には、同世代との対人関係が下手で、切磋琢磨の関係を築けないという人がいる。そういった学生は伸び悩むことになるかもしれない。

・【大学院進学のために、卒論の研究テーマを設定する】

大学院入試の面接や筆記試験においては、自分の研究テーマについて説明することになる。これから卒論に向けてどのように準備するのか、また、大学院ではどのような研究をしたいのか。この二つの点について、語ることになるだろう。そこで入試の前に、あらかじめ次の点を押さえておきたい。

□大学院であなたが研究したいテーマについて、自分の指導教官に承認を得るだけでなく、他の教官にも承認してもらう必要がある。そうでないと、指導教官とあなただけの閉鎖的な関係になり、研究のリスクが大きくなってしまう。とくに学界であまり評価されていない先生に指導されると、自分の研究が学界でどの程度の評価を受けるのか、見失ってしまうことにもなる。だから大学院受験をする半年前には、他の先生の研究室を訪れて、いろいろなアドバイスを得ておこう。

□同様に、あなたの研究したいテーマについて、他大学の著名な研究者が評価してくれるかどうか、という点も気になる。自分の指導教官以外に、あなたの研究テーマを誰が最も評価してくれるのか。その人に自分の卒論を送ることを想定して、研究を進めよう。あなたの研究テーマを評価してくれる先生が他にいなければ、そのテーマは需要がないということになるので、気をつけたい。

□あなたの研究テーマには、英語(ないし他の外国語)の重要な文献が含まれているだろうか。自分の研究のために英語文献を読むように計画しておくと、同時に英文読解の勉強にもなる。そして、大学院入試のための英語勉強にも役立つ。いまの時期から少しずつ英語の文献を読んでいけば、あなたの研究は将来大きな花を咲かせるだろう。だから卒論では、読むに値する英語論文を含めて計画してみたい。どの文献がよいのかについては、指導教官と相談してみよう。

□あなたが卒論で研究するテーマは、大学院進学後にどのような発展可能性があるだろうか。その展望を語ってみよう。研究の発展可能性がなければ、どんなに面白いテーマで卒論を書いても、大学院では研究を続けることができない。逆に、研究の発展可能性が広がりすぎても、今度は手に負えなくなってしまう。自分の研究をコントロールするためには、大学院に入ってからどのような「基本文献」を読むことになるのか、あらかじめリスト・アップをしておきたい。

□自分の研究の基礎トレーニングについて、明確にしておこう。あなたの学問の基礎は、近代経済学の基礎理論か、統計技術か、数学か、フィールドワークか、哲学か、第二外国語か……。まずこのような選択肢の中から、自分の研究テーマの基礎となるトレーニングを一つか二つ決めておきたい。学部時代に基礎トレーニングを怠ると、あなたの研究は途中で行き詰まってしまうことになる。

□あなたが目指す学問の「講義科目名」は何か。よくあることだが、自分で面白いと思った研究の分野が、大学の講義科目としては設置されていない場合がある。例えば、進化経済学に興味をもったとして、しかしそのような講義科目はまだほとんど設置されていない。こうしたケースでは、あなたは自分でえらんだ研究テーマを探究しても、適切な職を得られないかもしれない。したがってまず、あなたが大学の先生になったら教えるであろう一般的な講義科目名を一つ想定して、その科目名の基礎文献をリスト・アップし、またその分野で活躍している著名な学者たちについて調べておきたい。

□あなたの研究テーマは、どのような問題関心から設定されたのか。またその研究テーマはどのような問題群を扱うのか。大学院入試の面接では、これらの点について質問されることが多い。あらかじめ答えられるようにしておこう。その際、たまたまゼミで読んだテキストに興味を持った、という程度の問題関心では、研究者になる資質を疑われてしまうので、注意しよう。研究テーマは、自分でいろいろな社会経験をしたり、あるいは自分で読書をすすめる中で、つかみ取らなければならない。

・【大学院を目指す人のために「研究生」制度を充実させよう】

現在、多くの大学は大学院教育を充実させるために、大学院生の数を増やそうとしている。大学院入試の試験も簡単になっており、以前より合格しやすいようだ。しかしそれでも合格できない場合がある。とくに外部の大学生にとって、大学院の試験は難しい。どのような試験勉強をすればよいのかについて、情報量や指導の面でハンディがあるからである。そこで、大学側は大学院を志望する外部の大学生や卒業生を、まず「研究生」として受け入れてはどうだろうか。研究生とは、講義やゼミに自由に出席でき、さらに図書館を使うことができる身分をいう。取得すべき単位はない。学費は、正規の学生の半額である。

 大学院を志望する者は、その大学において指導を受けたい先生にまず連絡を取って会いに行く。そしてその先生が認めれば、だれでも研究生の身分を得ることができるようにする。このようにすれば、大学院に合格する人は増えるだろうし、一度大学院受験に失敗しても、再度挑戦して合格する可能性が大きくなるだろう。これまで研究生というのは、留学生や博士課程希望者に限られてきた。これからは、修士課程希望者にも広く研究生の身分を与えていくべきだ。まず、大学院修士課程の試験に失敗した人たち全員に、研究生という制度の案内を送る、ということからはじめてみてはどうか。大学院の活性化のために、研究生制度を充実させてみてはどうだろうか。

・【大学院受験に失敗したら】

大学院受験に失敗したら、とりあえず指導教官のところに相談に行こう。考えるべきことは、なぜ失敗したのか、そして今後の進路をどうするかである。あなたの進路選択は、来年度に大学院を再受験するか、大学院受験と就職活動の両方をするか、それとも大学院をあきらめるか、のいずれかである。

 大学院を再受験する場合、留年するか、卒業して無職となるか、あるいは「研究生」という身分を手に入れるか、決めなければならない。自分がいま在籍している大学の大学院を受ける場合には、留年することが望ましい。しかし別の大学の大学院しか志望していない場合は、志望大学の研究生になることが望ましい。研究生は、その大学の講義に出席することができ、図書館を使うことができ、担当の先生に若干の指導をしてもらえる。年間31万円くらいの学費がかかる(授業料の三分の二:2000年度現在)。研究生としてやらなければならない義務(定期試験や雑用など)はない。ただし、大学によっては、学部を卒業しただけでは研究生になれなかったり、研究生の募集締め切りが早いところもある。あるいは修了時に、研究成果として論文の提出を求められるところもある。だから大学院を受ける前に、研究生の採用について、大学の事務局に問い合わせてみよう。

 実際に研究生になるためには、これから大学院で指導してもらいたい先生のところに、電話かE・メールで「研究生になりたい」という意志を自分で伝えなければならない。そしてその先生に直接お会いして、自分が研究生としてふさわしいことをアピールしなければならない。その先生があなたを研究生として採用したいと個人的に決めれば、それで多くの場合、研究生になることができる。研究生になれば、その大学の大学院を受験するための、最もよい環境を得たことになろう。しかしこれで大学院に受かると保証されたわけではないので、別の大学院を受験することも考えておきたい。

・【大学院入試までに】

 おそらく大学院受験が難しいのは、たんに受験勉強をするだけでなく、自分の研究について語ることが求められるからだろう。大学院受験における面接の際には、以下の点について述べられるようにしておこう。

□専門分野、□指導教官、□基礎科目(理論・思想・統計・数学など)、□基礎トレーニング用の教科書(数冊)、□専門分野の第一人者たち(数名)、□あなたの研究にとって最も重要な日本語文献(一冊)、□あなたの研究にとって最も重要な英語文献(一冊)、□所属すべき日本の学会、□読むべき専門雑誌(英語)、□すぐれた模範となる専門論文、□これなら自分にも書けるだろうと思わせる学術論文(自分の専門分野の三流論文)、□研究テーマに関する問題百個、□研究テーマに関する文献百本、□これまで書いたレポートの中で、最もすぐれたもの、□その専門分野の海外における拠点大学、□卒論のテーマ、□これまでに面会した教員、□専門分野の古典的著作のリスト、□その専門分野において定評のある辞書・辞典類、□すぐれた卒論のサンプル、□すぐれた修士論文のサンプル。

・【英語の勉強について】

多くの大学院志望者は、「なんとなく意味はわかる」という程度に専門分野の英語を読めるけれども、読むのが遅く、いざ訳そうとしても日本語としてぎこちない、という段階にある。英語の能力を満たしていないために、大学院へ進学できないという人も多い。英語力で苦しんでいる学生は、これまで英語を優先的に勉強しなかったことに、ひどく反省させられることになる。英語の勉強は、後回しにすればするほど嫌になるものだ。嫌になると、勉強の能率もますます落ちていく。英語の力に自信がない人は、どんなことがあっても英語の勉強を優先しなければならない。とにかく英語だけでいい。英検でいえば「準一級」のレベルを目指して、がむしゃらに勉強してみよう。

・【外国語を勉強しなければならない理由】

研究者を目指すのであれば、とにがく語学の勉強を勧めたい。会話ではなくて、読解の方である。なぜか。その理由はいくつかある。

 ①あなたがもし独創的な研究者になる自信を持っていれば、語学の勉強は必要ない。日本語で読める範囲で論文や本を読み、独創的な研究成果を発表すればいい。(ただし、これまでの経験からいえば、語学に劣る独創的な研究者は現れていない。)逆にもし、あなたが独創的な研究をする自信をもっていなければ、とりあえず、海外の研究動向を日本の学者たちに知らせることで、日本の学界に貢献することを考えよう。研究者として最低限必要な能力は、海外の研究動向を紹介する論文(レビュー)を書くことである。まずは、信頼できる紹介論文を書くための英語力を目標としたい。

 ②また、外国語の文献を読んで論文を書いた方が、あなたは研究者として高く評価される。同じレベルの論文でも、日本語の参考文献ばかり読んで論文を書いた大学院生は、評価が低い。同じ内容の論文を、日本語の参考文献ばかりを読んで書いた場合と、英語の参考文献を多く読んで書いた場合とでは、論文の価値はおそらく三倍くらい異なる。これが韓国語やフランス語の論文を読んで書いたとなれば、日本語の参考文献を読んだ場合と比べて、一〇倍くらい論文の価値が上がるだろう。(ただしこの倍率は私の主観的評価である。)

 なぜそれほど論文の価値が異なるのかといえば、あなたの論文は、日本のアカデミズムにどれだけ貢献できたかによって判断されるからである。日本語の文献を読んで、あまり独創的な研究をしなければ、日本のアカデミズムには貢献できない。これに対して海外の動向を紹介する論文を書くならば、日本のアカデミズムの幅を広げることに貢献できる。あなたは独創的な研究者になれるかもしれないし、なれないかもしれない。だからまずは危険を回避するためにも、語学を勉強し、最近の海外研究動向を紹介できるようになることを勧めたい。多くの独創的な研究者も、まずはこの方法でアプローチしている。このレベルをクリアすれば、その後で自分のやりたい研究に挑戦すればいい。

 ③英語で論文を書いたり、学会報告のレポート文を書いたりすると、就職に有利である。英語で論文を書ける人は、ある大学の英語科に就職できたりする場合もある。英語の論文を書くことには時間がかかるが、努力すれば誰にでもできる。論文の内容は大したものでなくてもいい。英語の論文を書くというだけで高く評価されるのだから、積極的にチャレンジしてみたい。

 ④入試の英語の点がギリギリで大学院に進学した場合、その人は、研究能力の低い人だとみなされてしまう。例えば、「○○さんは、英語の点数が50点でギリギリだったんだよね」、といううわさが学内に広がったりもする。こうなると、あなたは研究者になるための素質を疑われているわけだ。そのような場合には、修士課程一年目の研究時間をすべて英語に捧げよう。そして留学することを念頭に、英語の検定試験に挑戦しよう。

・【英語力の目標】

□多くの大学院入試では、すぐれた訳文=翻訳を速く正確に作ることが最大の目標となっている。そうした英語力を習得するためには、毎日少しずつ、正確な訳文を作るというトレーニングが必要となる。英文和訳の基礎力があれば、とりあえず海外の研究を日本に紹介するという仕事をすることができる。あなたがもし独創的な研究をするのでなければ、翻訳能力を身につけたい。翻訳によって、海外の研究動向を日本の学界に伝えるという「伝達者」の役割を引き受けてみたい。翻訳の仕事は、努力すれば基本的に誰でもできるはずだ。だから英語を訳すテクニックを、時間をかけて誰かに教えてもらおう。

□京都大学の学部入試における長文読解のレベルを目標にしてみよう。大学院の入試では、基本的に長文読解力が重視されるので、すくなくとも長文読解だけは、一流大学の学部入試レベルをクリアしておきたい。そのための問題集として、私は「Z会」の「京大英語」(EKコース、9月から)を勧めたい。下線部和訳と英作文を重視しているからである。このレベルの英語力で、大学院入試の水準をパスすることができる。(この通信添削は最低3か月より。以降は、一か月単位で自由に脱会できる。新規入会金2,000円、会費月額5,000円。)また、駿台予備校講師・伊藤和夫『英文解釈教室』は受験参考書の古典であるが、時代によって適切な参考書は変化するので、いろいろと情報を集めなければならない。なお、河合塾などの予備校から出版されている「京都大学受験のための模試問題集」といったものも有用であろう。

□英単語を覚える。私の場合、A6サイズのノートを単語帳にして書き出し、重要な単語については「単語カード」を作成した。これを電車の中とか、歩いているときに覚えていく。また単語については、いろいろな専門書の「著者名・事項索引」に英語と日本語の対照が載っているので、大いに利用しよう。専門分野の辞書類も、英単語力をつけるために買う必要がある。

□大学院入試の過去問を解いてみよう。

□英語の本の序文・第一章を訳していく。英語の入試では、それほど専門的な内容の問題が出るわけではない。多くの場合、雑誌のコラム記事や、有名な著作の序章や第一章といった導入的部分から出題される。したがって入試対策のためには、英字新聞を読むことと、有名な本の序章や第一章を訳していくということが正攻法であろう。

・【英語勉強の極意】

いったい英語をどの程度勉強しなければならないのか。勉強の仕方について不安に思ったら、例えば和田秀樹著『新・受験の技法――東大合格の極意』新評論における「東大用の読解力の分析」106-124頁、が参考になるだろう。この本には英語の長文読解について、いろいろな受験技法が紹介されている。例えば「1分間で100-150語の読解スピードが目標」「長文の大量“読み込み”がもたらす二つの効用」「読み込み期の初期に設定する精読期」「『速読英単語』で、読みながらの単語補強を!」「単語は順番でなく“虫食い的”に調べろ!」「『英語長文問題精講』を入口にする精読術」「“電話帳”[全国主要大学の入試問題集のこと]で、一日6長文読み込め!」などなど。どれも有効なアドバイスである。まずはこうした技法が存在することを知っておきたい。そして英語勉強のイメージ・トレーニングをしてみたい。

・【英語力を維持する】

多くの受験生は、大学院入試の際に英語の点数が満たなくて、足切りをされてしまう。英語力が満たない理由は、大学時代に英語に触れる機会が少なかったからであろう。大学院入試に必要な英語力は、京都大学の二次試験の英語力(長文和訳と要約力)をすこし難しくしたレベルだ。この程度の英語力をつけるためには、例えば、大学受験生の家庭教師をするというのはどうであろう。とりあえず、大学受験生に英語を教えるというレベルにまで、自分の英語力を引き上げたい。私は大学生の学部時代に、高校三年生の家庭教師を毎年引き受けることで、なんとか英語力を維持した。自分の英語力のためだと思えば、時給を安くしてでも家庭教師をやる価値があるだろう。

 家庭教師の他に塾講師という方法もある。あるいは、例えば英語の語学学校に通って、TOEFLなどの試験を目指すことも勧めたい。さらに、通学時間を利用して、English JournalやNHKラジオ英会話などのカセット教材を、毎日一時間くらい聴いてみるのも効果的だ。そのほか、できれば一か月くらいの短期語学留学をして、英語の必要性を肌で感じとっておきたい。

・【英語を読むスピードについて】

英語を読むスピードをどの程度まで速くすべきであろうか。最初の目標は、英文一頁を、辞書を引きながら一時間で読む、というレベルであろう。ここからさらに、一頁を約二〇分程度で読み、内容を的確に把握することが目標となる。大学院入試の準備を始めてから3か月もすれば、長文読解のスピードは三倍くらいにする上昇するだろう。読むスピードを意識しながら、英語の勉強に取り組みたい。

大学院の英語試験問題は、内容としては大学入試のレベルとそれほど変わらない。しかし大学院の入試では、若干の専門用語が加わり、また読む際のスピードが要求されている。入試では英文和訳問題が中心であるから、読解と和訳を速くこなす力を鍛えておきたい。おそらく辞書を片手に時間をかければ、誰でも全体の八割は訳せる違いない。しかし身につけるべきは、辞書に頼らないで速く訳す力だ。速さは英文読解への「慣れ」から生まれる。慣れるまで英文読解に親しむほかない。


社会科学者のための古典研究会

案内ポスター ゲスト:橋爪大三郎、上野千鶴子、大澤真幸

私が大学院生だったころ、東大社会学の地下実験室にて、桜井芳生さんや小林盾さんらと、熱い勉強会をしていました。懐かしい思い出です。

橋本努「初期ハイエクの社会科学方法論

東京大学大学院総合文化研究科、修士課程の入学試験に課された論文審査。そのために作成した論文です。

英単語の勉強のために

中澤幸夫著『テーマ別英単語ACADEMIC上級 01 人文・社会科学編』Z会の参考書です。


同じく、中澤幸夫著『経済×English (ビジネスパーソンの教養)』は、経済学の大学院進学希望者におすすめです。

大学院講義「経済思想史」文献案内

◼ 経済哲学/経済社会学/経済思想史のための文献リスト・案内

◼ 追加課題用文献リスト 哲学・思想/経済思想/日本の経済思想/経済社会学

経済思想の分野で大学院進学をご検討されている方へ(2022.9.)

橋本ゼミの大学院メーリングリストというものがあります。大学院生と大学院(博士コース)進学希望者からなるコミュニティです。メールでお問い合わせください。