経済倫理=あなたは、なに主義?

Economic Ethics

= What is your Ideology?


Economic Ethics

経済倫理 =

あなたは、

なに主義?

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リベラズム、ネオリベラリズム、ネオコン、共同体主義、マルクス主義・・・・・・


思想のエッセンスを実感しよう!

【帯・表】


いま私たちは、かつてないほど発達した市場経済の中に生きている。

そして私たちは、あるときには市場の「効率性」を評価し、

またあるときには市場の「失敗」をきびしく批判したりする。

そのような問いに対して、現代のイデオロギー ――リベラリズム、

ネオリベラリズム、ネオコン、リバタリアニズム、平等主義、

共同体主義、マルクス主義 ――は、いかに答えうるのか。

そしてあなた自身はなに主義なのか?

時事問題や、あなた自身の日常的で素朴な倫理感覚からスタートして、

さまざまな思想のエッセンスを、実感的かつ体系的に理解できる、

驚きの一冊。【帯・裏】

目次

橋本努『経済倫理 = あなたはなに主義?』

講談社メチエ


2008年8月刊行

目次

はじめに


第一章  一貫した経済倫理の立場を形成してみよう

 1.はじめに

 2.四つの経済倫理問題

 2-A.「利益」対「道徳」

 2-B.「公正」対「安定・成長」

 2-C.「自由な関係性」対「人為的なリベラル制」

 2-D.「包摂主義」対「非包摂主義」

 3.争点一覧/八つの倫理的立場


 

第二章  イデオロギーの立場を分類してみよう

 1.はじめに

 2.八つのイデオロギー類型について

 3.補説:社会民主主義の分裂

 4.八類型以外の立場について

 5.イデオロギーに引き裂かれた自己

 6.おわりに


第三章  最近の経済倫理問題について考えよう

 1.はじめに

 2.「包摂主義」と「非包摂主義」――新たな分類

 3.派遣社員を減らすべきか

 4.マクドナルドを廃止すべきか

 5.たばこを規制すべきか

 6.グレーゾーン金利を撤廃すべきか

 7.ホワイトカラー・エグゼンプションを導入すべきか

 8.会社は誰のものか

 9.まとめと調査結果


 

第四章  「市場の倫理」と「統治の倫理」

 1.市場の倫理/統治の倫理

 2.「市場の倫理」を類別する

 3.「統治の倫理」を類別する

 4.新たな分類のまとめ

 5.第三の倫理

第五章  政治経済の羅針盤――あなたは「右」?それとも「左」?

 1.あなたは「右」?それとも「左」?

 2.政治経済の羅針盤による診断

 3.「政治経済の羅針盤」にもとづくイデオロギー分析

 4.自分のイデオロギーを検討するために

 5.おわりに


第六章  価値観マップを作ってみよう

 1.はじめに:心理学的アプローチの必要性

 2.PVQアンケート

 3.PVQアンケートのスコア平均を計算する

 4.分類の説明

 5.文化的価値構造とイデオロギーの関係

 6.文化的価値構造と下部構造

 7.イングルハートのアンケート[拡張版]

 8.イングルハートの価値マップ

 9.まとめ


おわりに 自分の鋳型を疑ってみよう

ブックガイド(イデオロギーを鍛えるための基礎文献)

文献

あとがき


刊行あいさつ

『経済倫理 = あなたは、なに主義?』刊行あいさつ


橋本努

謹啓

 毎日蒸せるような、本格的な、猛暑の季節となりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。暑中お見舞い、申し上げます。また平素は、格別のご高配を賜り、心より厚くお礼申し上げます。

 さて、北京オリンピックの開催というこの忙しいときに、拙著『経済倫理 = あなたは、なに主義?』(講談社メチエ、2008年8月10日刊)を刊行する運びとなりました。どうかお手隙のときにでも、御笑覧くださいますよう、お願い申し上げます。と同時に、皆様のご高配を乞う次第であります。

 本書は、あまり類書のないものかもしれません。執筆するに至った経緯(いきさつ)について、少し述べさせてください。

もともと小生の関心として、「経済現象を哲学する」というモチーフがありました。自分としては、いまでもオリジナルな哲学を志すということに力んでいて、なかなか十分な成果が出せない状況が続いているわけですが、そんな折、哲学を専門とする研究者たちが共同で訳した、「経済倫理」に関する翻訳本が手元に送られてきました。

なんでもいまや、哲学を研究している方々は、純粋な哲学探求に従事しているだけでは大学のポストを維持することができず、例えば医療倫理や技術者の倫理、あるいは経済倫理やビジネス倫理といった、社会のためになる応用倫理の分野へ進出しなければ生き残ることができない、というのです。いわば哲学者たちの生存という関心から、応用倫理が隆盛しているようです。

 先の経済倫理の翻訳本には、ミルトン・フリードマンの論文も収録されていました。この翻訳本に接して、私は大いに自身の研究を反省するところがあり、本来探求すべきテーマに呼び戻されたような気がします。

 ビジネスの領域においても、最近、経済倫理に関心が集まっています。ところが経済倫理を専門とする人は、まだわずかで、周辺分野の研究者たちがようやく身を乗り出しているような状況です。この分野には、探求すべき豊饒なフロンティアがあるようにみえます。そこで小生も自分なりの仕方で、理論の枠組みを構築した次第です。(とくに第一章と第三章の分類枠組みです。)

歴史を振り返ってみますと、戦後日本の思想状況は、圧倒的にマルクス主義の影響下におかれていました。イデオロギーの問題は、経済の下部構造と密接不可分でした。ところが最近の思想状況は、経済学から切り離されたところで回っているようにみえます。なぜでしょうか。これにはいろんな事情があるのでしょう。語り出すときりがありませんが、そうこうしているうちに現代人は、これまでのイデオロギー図式では捉えられない意識をもちはじめています。経済格差や貧困も、ますます問題になっている。また、実際の経済政策や政治政策をめぐって、理性的な討議が活性化しないまま、感情的ないし実務的な要請のみで法案が可決されていく、ということが起きています。こうしたいわば、民主主義制度の劣化に対応すべく、いま、改めて経済思想の論議が求められているのではないかと思います。

 そこで本書を、というわけなのですが、本書の基本的なアイディアは、とても単純にできています。四つの二者択一問題があって、これに答えてみると、組み合わせは全部で一六通りあって、それらはすべてイデオロギーの類型となる。読者は、どの類型に分類されるでしょう? 簡単なアンケートに答えるだけで、イデオロギーの問題に巻き込まれていきます。しかも、読者は自分の立場を擁護するために、いろいろな議論に頭を絞ることになるでしょう。さらに、他の章のいろいろなアンケートに答えていくと、はたして自分の立場が一貫しているのかどうかが見えてきます。自分のイデオロギー傾向を、実感できるようになっています。

 もともと本書は、新書を意図して書き始めたものでした。当初予定されていたタイトルは、「あなたはなに主義?」。ただこのタイトルはさすがに恥ずかしいと思い、「経済倫理」を頭に持ってきた次第です。むろん実際には、経済問題に関心のない方にも、いやそのような読者にこそ、「あなたはなに主義?」と尋ねてみたいのですが。

あなたの無意識の思想を診断したい、という私の欲望は、もしかすると、思想科のお医者さん、ということでしょうか。いやそうではなくて、小生の狙いは云々、ということを本書で書いております。本書は、現代思想のメタ理論です。現代のイデオロギー状況、あるいは本当の思想地図(?)を知るために、本書が叩き台となれば幸いです。契丹のないご批判を、お待ち申し上げる次第です。

 最後になりましたが、皆様のご健康を、心よりお祈り申し上げます。

謹白

2008年8月

橋本努

エッセイ「思想テロとしての秋葉原事件」

「思想テロとしての秋葉原事件」

講談社PR誌『本』2008年9月号所収(一部加筆)

橋本努

 「起こるべくして起こったのではないか。」

去る六月八日、秋葉原で一七人の死傷者を出した無差別殺傷事件が起きたとき、批評家たちはまるで口を揃えたかのように発言していた。格差が深刻化する現代社会において、負け組はいずれ勝ち組に反逆するのではないか。事件は、もっとはやく起きていたとしても不思議ではない。派遣社員たちの不満や憤りはそれほどまでに積もっている、というのが事件後の論調であった。

「勝ち組なんかみんな死んでしまえ」と携帯サイトに書きこんだのは、二五歳の派遣社員。彼は人生の「絶望」を抱えて「欲望」の象徴たる秋葉原へと向かい、周到な計画の下に無差別テロを遂行した。格差社会の軋(きしみ)のなかで、負け組が勝ち組を粛清するというその凄惨な企てに、人は誰しも震撼したのである。

絶望に打ちひしがれた者が、欲望に肥えた者たちを制裁する。そんな身勝手な行為を許せるはずがない。けれども容疑者の行為に対して、「共感できる」とネットに書きこんだ人たちも少なからずいた。人々の同情を誘うほど、秋葉原の事件は、負け組の憤懣なるものを代弁していたのだった。

いったい派遣労働とは、どれほど自尊心を傷つけるのか。「作業場行ったらツナギ(作業着)がなかった 辞めろってか」と、容疑者は携帯サイトに書きこんでいる。彼は六月末までで雇用を打ち切られたというが、その理由はしかし、決して個人の資質の問題ではなかったようだ。おそらく景気の見通しが立たなくなったのであろう。そうなれば最初に減員されるのは派遣社員から、というのも想像に難くない。しかも企業側が提供する寮で生活している派遣社員が寮を追い出されてしまっては、最悪の場合ホームレスになりかねない。こうした不安定な処遇は、やはり制度上の問題といえるのではないか。

むろん、セーフティネットが整備されるべきなのであるが、それでも不安定な労働者たちの苛酷な状況は変わらないかもしれない。雑誌『世界』(2008年8月号)の座談会で小林美希氏が述べるように、派遣社員は、たとえ正社員になれたとしても、長時間労働を押しつけられ、派遣とは違うかたちで使い捨てられる可能性がある。彼らにとって勝ち組とは、もはや憧れの対象ではなく、恨み・辛み・妬みの対象になる、というのも頷けよう。

だが本当に勝ち組を制裁したいのなら、秋葉原ではなく、例えば新興富裕層の象徴たる六本木ヒルズをターゲットにすべきではなかったのか。秋葉原に集まるオタク文化の担い手たちは、決して勝ち組の代表とはいえない。秋葉原とはサブカルチャーの発信地であって、リアルな社会において自己実現できない人々が、幻想的な文化を作り上げる拠点とみなされている。オタク文化の本質とは、アニメ少女で代償機制を働かせる現実逃避型の欲望であって、現実の社会を謳歌する勝ち組の文化とは、異質なものではないか。

 ところが衝撃的なことに、容疑者にとって勝ち組の象徴とは、秋葉原のサブカルチャーなのであった。目の眩むようなオタク・グッズに溢れ、萌え系ファッションの少女たちが楽しそうに歩く街。現実と仮想が入り混じり、人々の欲望をファンタジーへと無限に肥大化させていく街。そんな秋葉原の空間こそ、容疑者にとっては「カネのある人たち」にしか享受することのできない、オアシスなのであった。

 事件が問いかけているのは、「オタク文化の旨み」を妬む、派遣労働者の貧困という問題である。私たちの社会には、サブカルチャーに興じるフワフワした生活がある一方で、対照的に、そのフワフワ感を享受することすらできない生活がある。この二つの生活は、現代人の欲望の格差をいかにも象徴している。

 イデオロギー的に捉えれば、対立は「ひ弱なリベラリスト」と「プレカリアート」の間にあると言えるだろう。「ひ弱なリベラリスト」とは、とくにリベラリズム(自由主義)を支持するわけではなく、思想信条的には軟弱であるのだが、誰からも干渉されずに、自分だけの仮想空間に興じたいと思っているような人々である。ある程度の生活水準を維持できるのなら、現代の社会を基本的に肯定した上で、趣味に没頭する人生こそ理想とみなす人もいるだろう。

 対して「プレカリアート」とは、不安定で低収入の下層労働者であり、格差社会に不満を抱く人々だ。彼らは自身が、「新自由主義」と呼ばれる弱肉強食イデオロギーの犠牲者だと認識し、ただ使い捨てられていく労働に絶望を感じている。職場ではいつになっても「半人前」とみなされ、名前すら呼んでもらえない。派遣社員同士で団結すればよいと言われるかもしれないが、自己の存在そのものを否定されたような労働では、深い孤独を強いられてしまう。

 孤独なプレカリアートにとっては、もっぱら携帯電話がコミュニケーションの道具となっている。秋葉原事件の容疑者は、朝起きてすぐに携帯サイトに書きこみ、電車やバスに乗る道程でも、乗ってからも、工場を出てからも、コンビニで買い物をするときも、書き込みをしていたという。通話はほとんどゼロ。仕事と寝る以外は、携帯通信の生活であった。

 こうしたプレカリアートが「ひ弱なリベラリスト」たちの生活を妬むとき、その憤懣はもはや、制度変革への希望には結びつかず、「思想テロ」の様相を帯びてくるのではないか。これまで多くの人々が、格差社会を克服しようと知恵を絞ってきたにもかかわらず、格差を縮小するための改革は、遅々として進まない。格差社会はやはり、逃れがたい現実なのではないか。そんな絶望感が蔓延するなかで、プレカリアートたちの反逆は、フワフワした生活者たちを混乱に落とし入れるという、アナキズム(反秩序主義)へと向かう可能性がある。

 ではアナキズムの本質とはなにか。それは「思想テロ」あるいは「啓蒙テロ」といえるだろう。例えば2001年9月11日、ニューヨークとワシントンで起きた同時多発テロは、IT産業で世界の頂点に立ったと浮かれるアメリカ人の生活を、自省させるという啓蒙の効果をもっていた。思想的にみて、9・11事件と秋葉原事件に共通しているのは、ポストモダン社会を謳歌する人々に、テロリストが覚醒的な自省を促すという効果である。豊かでフワフワした生活者たちに、「浮かれていていいのか」と突きつける。その反省(=啓蒙)の効果は、すでに不可能となった近代的啓蒙の企てを代行しているとみることができよう。

 ここ三〇年のあいだに、思想界は、モダン(近代)思想からポストモダン(脱近代)思想へと旋回してきた。モダンの思想とは、低次の欲求を克服して、すぐれた理性と市民的教養を身につけることを理想としている。ところが現代のポストモダン思想は、そうした近代的啓蒙を忌み嫌い、知の快楽と欲望のサブカル化を謳歌している。現代のポストモダン人は、成熟した大人になるための啓蒙を拒絶して、幼稚な知性をそのまま肯定する。「フワフワとした生活でいいじゃん。なんでこの生活が否定されなければならないの?」と素朴に問う。実にポストモダン思想は、フワフワとした生活を楽しむ人々に対して、心地よい自己肯定の感情を与えてきたのだった。

こうしたポストモダン人をその驕りから目を醒まさせるものは、いまや近代の啓蒙理性ではなく、象徴的なテロリズムによって与えられるのではないか。秋葉原事件とは、そのような啓蒙テロであったといえるだろう。テロリズムが啓蒙理性の役割を代行するという事態に、私たちは時代の病を診るのである。

 だが、時代の病を克服する道はある。啓蒙の企てを、もう一度「イデオロギー批判」というマルクスの伝統に立ちかえって、試みることだ。ポストモダン派は経済思想を軽視した結果、現代のイデオロギー状況を捉え損ねている。拙著『経済倫理=あなたは、なに主義?』(講談社メチエ)で試みたのは、現代のイデオロギー地図を、経済社会の問題に即して描くことであった。読者は自分がどんなイデオロギー意識を抱いているのか。改めて考えるキッカケとなれば、幸いである。

(はしもと・つとむ 北海道大学准教授、経済社会学・社会哲学)

書評

橋本努『経済倫理=あなたはなに主義?』への書評


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二択の配列から探る立ち位置

評者・間宮陽介

『日本経済新聞』2008年9月28日


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Book Reviews 目利きのお気に入り

経済思想を自己分析するという逆転の発想で売れ行き好調

評者・平井直子 = ブックファースト渋谷文化村通り店リーダー

『週刊ダイヤモンド』2008年9月27日 103頁

 血液型別の『自分の説明書』が売れに売れ、書店経営には干天の慈雨になっていますが、人というのは自己分析が大好きなのだなとあらためて認識させられます。それは、『経済倫理=あなたは、なに主義?』の、選書としては例外的な売れ行きからも感じます。

 珍しいタイプの本です。そしておもしろい。著者は経済思想が専門で、読者がどのような経済思想(主義)を持っているのかを自覚できる話題を次々に取り上げます。枠組みとして提示されている主義は、新保守主義(ネオコン)や新自由主義(ネオリベ)、自由尊重主義(リバタリアニズム)、マルクス主義など八つ。そのうえでそれぞれの主義の理論、歴史的な位置づけなどが解説されています。

 この分野では思想を解説しただけの本が多いのですが、本書は自分の考え方の基点を解明するという仕掛けが施されていて、経済思想の自己分析本となっています。マスコミ報道に振り回され、右顧左眄しているのではなく、主張の枠組みとしての主義をビシッと自覚できる一冊です。巻末には「イデオロギーを鍛えるための基礎文献」という主義別基礎文献リストもある親切さ。

 そして結果、自分は新自由主義にいちばん近いとわかったので興味を持ったのが次の二冊。『ハイエク 知識社会の自由主義』。ハイエクは新自由主義の理論的な支柱ですが、昨年から全集が刊行されるなどブームが起きています。これだけ知識が分散した社会では、権力による計画主義的な統制では社会活力を生み出せず、個々の人間が自立的に活動していくことが最適に向かうとの主張は明快です。

 経済の計画性を否定したハイエクに対して、新自由主義でも計量経済学をベースにした制度設計の可能性を追求し、昨年亡くなったのがミルトン・フリードマンです。その生涯を描いた評伝が『最強の経済学者 ミルトン・フリードマン』。徹底した「小さな政府」の志向者ですが、源泉徴収制度をつくった人とは知りませんでした。 ちなみにケインズ関連の書籍も文庫を中心に売れるようになっています。政治的混乱が続くなか、自らの足場を見つめ直そうとする人たちが増えているのかなと喜びつつ。(談)


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本書がリブロ池袋店2008年秋の「人文書フェア」の一冊に選ばれました。

2008年11月

その際のコメントと、拙著の隣に置いていただく本の選定およびコメントです。


自著『経済倫理=あなたは、なに主義?』へのコメント

思想は社会変革のためにこそある。批判ばかりしてないで、この現代日本をどうすべきなのか。ストレートに語ろうじゃないか。思想が織りなす豊饒な価値言語の世界へようこそ!


「座右の一冊」プラトン著『国家』(上・下)岩波文庫へのコメント

ありったけのたくましい空想を働かせて、本当に住みたい社会のビジョンを描いた金字塔。不可能だけれども、考えるだけで「生」が踊り出す。この空想力こそ、小生の思考の源泉。

合評会(龍谷大学)/北海道大学でのアンケートの結果2008

『経済倫理=あなたは、なに主義?』

アンケート結果・龍谷大学/北海道大学2008

1.

龍谷大学経済学部にて、小峯敦先生の講義を履修している学部生たちを対象に行ったアンケートの結果です。(2008年9月27日)

新保守主義 4人

新自由主義 9人

リベラリズム(福祉国家型) 30人

地域コミュニタリアニズム 1人

リバタリアニズム 2人

マルクス主義 該当者なし

平等主義 6人

支配者嫌悪主義/耽美的破壊主義 6人

近代卓越主義 12人

共和主義 13人

YXYX(市民的コミュニタリアニズム) 1人

自分の立場がわからないと答えた人 1人

以上 計85人

 この度は、講演会に出席され、アンケートにお答えいただいた学生の皆様、講演会の全体を企画し司会を務めていただいた小峯敦先生、そしてパネリストの皆様、研究会に出席された皆様、裏方で設営をしていただいた皆様に、厚くお礼申し上げます。ありがとうございました。

 アンケートの結果は、85人中30人がリベラリズムを選んだということで、予想以上にリベラリズムが支配的となりました。その次に多いのは、共和主義、近代卓越主義、と続きます。新自由主義を選んだ方もそれなりの割合でいますが、コミュニタリアニズムやマルクス主義を選んだ人はほとんどいないということに、私は驚きました。立場を選ぶというのは、大変難しいことです。皆さんどうぞ、このアンケートの結果にとらわれずに、自分の考え方を少しずつ形作っていってください。

 アンケートの際に書き込んでいただいたコメントに次のようなものがありました。

先生方の話の中で例として「自分はお金がない(働いているのにetc…)なぜた!? 」と考えた時、ある人は革命家になる、ある人は犯罪者になる、ある人はウツになるなど、人によって違い、では自分は何になるか?と考える時とてもいい!!と聞き「なるほど」と思いました。/雑誌などでも心理テスト風に「あなたは○○タイプ」とかはありますが、このように経済的なタイプ(主義)というのを知ることができるのはとても面白いと思いました。

 ありがとうございます。最近の学生は、お金がないのに「新自由主義」を支持しているという場合があって、それってなぜだろう、と思うことがあります。新自由主義というのは、支配階級のイデオロギーなのかというと、そうでもないようです。リベラリズムも同様に、下部構造とはあまり関係のないところで、多数派の見解になっている可能性がありますね。

 もう一つのコメント(質問)を紹介します。

橋本先生が「50年前にはマルクス主義がもっといてもおかしくなかった」とおっしゃられた事について、このマッピングによる主義の違いの差、50年前から現代にむかうまでの若者の主義の変化は、何が原因なのでしょうか?

 そうですね、私が書いた『自由に生きるとはどういうことか』という本のなかで、戦後日本の若者たちが現代に至るまで、どのように考え方を変化させていったのか、ということを論じています。「経済倫理」というよりも、「社会意識」の変化についてですが、とくに、いまから40年前の1968年頃の若者たちが、なぜマルクス主義にのめりこんだのかについては、興味深い理由があります。マンガ「あしたのジョー」のような生き方を理想として、マルクス主義に向かっているのです。第3章「真っ白な灰に燃え尽きろ」を御笑覧いただけると幸いです。

■ご案内

2008年度

大学院経済学研究科:主催 

講演会『経済倫理:あなたは、なに主義?』

日時:9月27日(土曜)15:00-16:30

場所:龍谷大学深草学舎:3号館1階101教室

論題:『経済倫理:あなたは、なに主義?』(講談社メチエ)合評会

著者:橋本努(北海道大学大学院経済学研究科)

討論者:村澤真保呂(龍谷大学社会学部)、篠原雅武(日本学術振興会

    特別研究員)、水溪悠樹(経済学部4回生)

司会:小峯敦(龍谷大学経済学部)

主催:龍谷大学大学院経済学研究科

後援:龍谷大学経済学会

対象:学部生・院生、および研究者を含む一般聴衆

備考:入場無料、予約不要

★会場で生協購買部による本販売の予定(15%引で予価1428円税込)

★なお講演の模様はデジタル撮影され、後ほどストリーミング配信される予定

★また講演の模様は後日、『経済学論集』(経済学会発行)に収録される予定

(本紹介)講談社のホームページよりhttp://shop.kodansha.jp/bc/books/metier/

 いま私たちは、かつてないほど発達した市場経済の中に生きている。そして私たちは、あるときには市場の「効率性」を評価し、またあるときには市場の「失敗」をきびしく批判したりする。

 では、市場社会はどのように倫理的な評価/批判をされるべきだろうか。そのような問いに対して、現代のイデオロギー——リベラリズム、ネオリベラリズム、ネオコン、リバタリアニズム、平等主義、共同体主義、マルクス主義——は、いかに答えうるのか。

 そしてあなた自身は、なに主義なのか?

 時事問題や、あなた自身の日常的で素朴な倫理感覚からスタートして、さまざまな思想のエッセンスを、実感的かつ体系的に理解できる、驚きの1冊。

(趣旨)

 講談社メチエから今年の8月に出版された学部生向けの入門書(経済倫理、経済思想)を、著者と専門家・学生を招き、合評会形式で発表・講演を行う。学部生・院生が主な聴講主体。「たばこの規制」「ホワイトカラーエグゼンプション」「派遣社員」「グレーゾーン金利」「会社は誰のものか」「従業員の道徳と罰則」など、素朴で興味深い論点から説きおこし、様々な主義へ分類化・類型化するという手法が新しい。

 利益か道徳か、原理的な正しさか秩序ある安定か、慣習を重視する連帯か自律的な個人か、などの経済状況に関する様々な自問を行うことによって、「自分がどのような前提/イデオロギーを持っているか」「それを前提にしてどのように他人を説得するか」という問題意識に溢れた一冊。

 

 著者本人がまず易しく解説する。次に、社会思想・政治思想・経済思想を専門とする討論者・司会たちが、本書で分類された立場を明らかにしながら、批評を加える。また学部生の立場から本書の感想を述べてもらう機会も用意した。

(著者) 橋本努(北海道大学准教授)

1967生。経済思想、社会哲学専攻。『自由の論法』、『社会科学の人間学』、『帝国の条件』など著作多数。ハイエク論やマックス・ウェバー論も著名。どのようなリベラリズムをいかに擁護するかを徹底的に追究する、思想界の若手から中堅の中心的存在。

(討論者1) 村澤真保呂(龍谷大学准教授)

1968年生。社会思想史専攻。翻訳にタルド『模倣の法則』、ヤング『排除型社会』、論文に「食の倫理」「差異、反復、権力--模倣説」など多数。

(討論者2) 篠原雅武(日本学術振興会特別研究員、博士(京都大学))

1975年生。都市論、政治理論専攻。著書に『公共空間の政治理論』、翻訳にムフ『政治的なものについて』など。

(討論者3) 水溪悠樹(龍谷大学経済学部 4回生)

1985年生。来年度から大学院進学予定。大前ゼミ。

(司会)小峯敦(龍谷大学教授)

1965年生。経済学史、経済思想専攻。単著に『ベヴァリッジの経済思想』、編著に『福祉国家の経済思想』、『福祉の経済思想家たち』など。

2.

北海道大学における社会経済研究会でのアンケート結果です。(2008年11月6日)

リベラリズム(福祉国家型) 5人

地域コミュニタリアニズム 3人

リバタリアニズム 1人

共和主義 1人

新保守主義(ネオコン) 1人

以上、計11名

 この度は、アンケートにご協力いただいた大学院生ならびに教員の方々に、深く感謝申し上げます。

 議論のなかで、マルクス主義は規範理論的にはいろいろなタイプになりうる、ということが問題になりました。そうだと思います。これに対する私の考えは、第一に、マルクス主義は、どのタイプであれ、この思想を規範理論(あるいは政策理念)として擁護するためには、他の規範理論に接続されねばならないということ。第二に、マルクス主義者が実際にどういう倫理観を抱いたかということと、文献上、マルクス主義の経済倫理はどう語られたか、という問題は乖離しているので、この場合、なるべく文献的に考える必要があること。

 もう一つ、考えさせられたのは、地域通貨にコミットメントしている人は、地域コミュニタリアンなのかというと、そうでもないということ。なるほど、国家や市場に対抗するよりも、むしろこれらを補完するものとして地域共同体を考える場合には、倫理的に異なる発想になるわけで、考えさせられました。


首都大学東京でのアンケート結果2008


『経済倫理=あなたは、なに主義?』

アンケート結果2009

■若森みどり先生の講義での結果です。

首都大学東京における2008年度後期の講義「産業社会思想Ⅱ」(30人規模、2月3日時点)で、若森みどり先生が行ったアンケートの結果です。2008年10月7日、初回のガイダンスのおわりに、『経済倫理 あなたは何主義?』のアンケートを実施していただきました。( )の中身は、「現代とはどういう時代ですか?どんな社会問題に直面していると思いますか。いくつあげても可」、という質問に対する解答です。(出席者23人、22人記入。)最後に、私のコメントを付します。(20090212)

リベラリズム 9名

その内訳として、リベラリズム(1) XYYX 5名

(金融不安、長期不況から脱出できるか、慣習からの自由が進む一方で、新たな規則が必要になってきている時代、モンスターペアレント、ニート、談合、環境問題、利益追求、企業の社会的責任、非正規雇用、貧困率、格差、国家の財務問題、少子高齢化、戦争における日本の立ち位置、金融問題)

および、リベラリズム(2) XYYY 4名

(格差社会、宗教対立、サブプライム問題、北朝鮮・イラクなどの核問題、環境問題・食の安全・サブプライムといった影響がグローバルな問題、消費税増税、介護問題、ストレスなどの精神疾患、秋葉原の無差別殺人事件、(これと関連して)肥大化する自意識過剰な人間をどうやってガス抜きさせ、抑えるか)

近代卓越主義 YYYY 4名

(急激な近代化とその影、物質的な豊かさの時代における人間性の貧困と多様な人間性の可能性、公共の場における他者への無関心、政治の「現実」からの乖離)

市民コミュニタリアニズム YXYX 3名

(世界の主導権の移動の時代、グローバル化、不確実性)

国家型コミュニタリアニズム YYXX 2名

(環境問題、格差社会、信用破綻の時代:金融に対する投資家、食に対する消費者、企業に対する従業員、政治に対する有権者、先生に対する生徒や保護者、親と子など、元来信用してしかるべきものが信用できない時代)

平等主義/啓蒙主義(2) XXYY 2名

(環境問題、格差社会、石油や食糧の価格高騰、サブプライム問題)

新保守主義 YYXY 1名

(科学技術の発展によって人間自身への破壊の可能性が高まる)

新自由主義 XYXY 1名

(価値観の細分化、感情が無視された社会)

マルクス主義/啓蒙主義(1) XXYX 1名

(拝金主義、勝ち組・負け組、偽装、品格、過労死、鬱、ワークライフバランス、無差別殺傷、ニート、ワーキングプア)

無記入1名

以下、橋本のコメントです:

 若森みどり先生、アンケートの結果をご報告いただき、ありがとうございました。

まず、拙著『経済倫理=あなたは、なに主義?』における私のアンケートの分類について、補足します。

リベラリズムは、XYYXと、XYYYのいずれでもあるので、このタイプに分類される人は、おのずと多くなるでしょう。リベラリズムにおけるこの「幅」の問題ですが、これについては拙著第三章で、別の観点から、「主体化」型と「ヒューマニズム」型の二つに分類して、リベラリズムの内容をさらに検討しています。リベラリズムは現代の多数派なので、その内部の対立について、もっと細かくみる必要があります。そのためには、拙著第一章のアンケートは不十分なので、第三章が役立つというわけです。

次に、拙著では類型化していませんが、YXYXは、「市民コミュニタリアニズム」と呼ぶことができるでしょう。組織内部で生じた問題について、組織内部での自浄努力や自律的な解決を期待せず、市民的な法の観点から、法によって制裁することが望ましいという立場です。実はこの立場は、コミュニタリアニズムとしては矛盾しているようにみえるのですが、それでも、コミュニタリアンを支持する人たちの中には、市民的な人もある程度いるようです。

第三に、新保守主義の立場は、YYXXとYYXYのいずれでもあります。ただし私の分類では、YYXXを「国家型コミュニタリアニズム」と名づけています。新保守主義と国家型コミュニタリアニズムは、発想がとても近いのです。YYXXは、分類上はいずれでもあるわけですが、この二つの思想がどのように異なるのかについては、拙著第二章の説明をご参考にご判断ください。新保守主義については、67-71頁, 国家型コミュニタリアニズムについては、76-80頁です。

以上が分類の補足です。

ただ、拙著第一章のアンケートをしてみて、その結果から、どうしてこのような分類になるのかについては、私もうまく説明できないところがあります。むしろアンケートの被験者には、拙著第二章の分類のなかで、自分の立場に該当する思想の説明を読んでいただいて、それで納得するかどうか、と聞いてみるのが一番でしょう。納得しない場合には、そこから経済思想の深い議論に入っていく。そういう方法がよいのではないか、と思っています。

では結果についてコメントしますね。

今回のアンケート結果は、「リベラリズム」が多数派ということで、これは私が行った他のアンケート結果と類似しています。興味深いのは、「近代卓越主義」と「コミュニタリアニズム」が、リベラリズムに続く有力な対抗思想として、一定の支持を得ているという点です。以前、北海道大学の学生にアンケートを行ったときには、リベラリズムが多数派で、それに続く有力な思想は、「新保守主義」と「新自由主義」でした。この違いはしかし、東京と北海道の地域差というよりも、時代の変容によるところが大きいでしょう。

2008年9月の世界的な金融危機以降、そしてまた、アメリカにおけるブッシュ政権の末期とオバマの台頭以降、私たちのイデオロギーは、急速に、新自由主義と新保守主義から離れているのではないか、と考えられます。とすれば、この二つに代替する思想は何か。それが近代卓越主義とコミュニタリアニズムではないか、と考えられます。おそらくアメリカでは、この二つの思想がオバマ政権のイデオロギーになるのではないか。とすれば、とても興味深いです。

また、若森先生が行っていただいたアンケートでは、括弧内の記述が、それぞれのイデオロギー的立場と連動しているようで、これは大きな発見です。リベラリズムは、経済の制御と貧困の克服、そして人権・人命の問題といった関心に結びついていますね。国家型コミュニタリアニズムは、生活の「安心」ということに関心が特化している。近代卓越主義を選んだ方は、とても高度で卓越した関心を抱いているように見えます。マルクス主義は、格差問題の深刻な部分に光を当てています。こうして、社会問題に対する人々の関心の違いが、人々のイデオロギーの違いにも反映されていることが分かります。とても啓発的です。私も、こうしたアンケートの仕方を今度試みてみようと思います。

 以上です。若森先生、この度は本当にありがとうございました。

国立民族学博物館でのアンケート結果2009

『経済倫理=あなたは、なに主義?』

アンケート結果200903

■ 国立民族学博物館(大阪)の研究者の方々のアンケート結果です。(2009年3月16日)

リベラリズム(福祉国家型) 6人

耽美的破壊主義/支配者嫌悪主義 2人

近代卓越主義 1人

地域コミュニタリアニズム 1人

共和主義 1人

新保守主義(ネオコン) 1人

市民的コミュニタリアニズム(YXYX) 1人

リバタリアニズム 1人

マルクス主義 1人

開発主義 1人

以上、計16名

この度は、アンケートにご協力いただいた研究員の皆様に、深く感謝申し上げます。皆様は民族学を研究されていますので、当初の私の推測では、とてもユニークな考え方をして日々の生活を送っていらっしゃるのではないか、現代日本に暮らしながらも、別世界に心を奪われ、異質な文化や伝統に深くコミットメントしていらっしゃるのではないか、そのように思い、アンケートではユニークな結果になるのではないかと期待しました。

結果をみると、リベラリズム(福祉国家型)が多数派であることが分かります。これはある意味で意外です。というのも、これまでの結果とほとんど相違がないからです。しかしそれ以外のイデオロギーは実に多様で、ほとんど一人ずつ別のイデオロギーを選択されました。これはとても興味深い結果です。

 一つの研究組織体において、しかも民族学という同じ学問を研究する同僚のあいだで、どうしてこれほどイデオロギーが分散するのでしょうか。おそらく、研究対象となるフィールドの数だけイデオロギーも多様であり、研究者はその多様なフィールドにそれぞれ影響を受けるということでしょうか。

 これだけ多様なイデオロギーをもった人材を、一つの組織で採用することができているというのは、それ事態がすばらしいことであります。人事において、イデオロギー傾向が偏らず、また先輩から後輩へとイデオロギーが継承されていないというのは、かなりフェアな人選ではないでしょうか。もしかすると人選において、できるだけ多様性を保つように、との配慮があるのかもしれません。そのような多様性の空間を築くことは、実はとても難しいことであり、この点で、国立民族学博物館は、人材の博物的な収集に成功しているとも言えます。小長谷有紀先生の寛大で包摂的な力が、人選に表れているようにも感じました。多様なイデオロギーをもった人々が集い、濃密な議論ができることを、私はとてもうらやましいことであると思います。

 もちろん、研究者としてすぐれた力を発揮するためには、自身のイデオロギー的傾向を抑制して、ザッへに徹して研究対象に取り組まなければなりません。対象に思い入れがありすぎると、かえって冷静な理解を妨げるからです。そういう事情から、研究者の方はしばしば、自分のイデオロギー的傾向が「中立的」であると装ったり、あるいはイデオロギーの問題については深く考えないようにしたりする傾向にあります。

 しかし経済倫理においては、こうした中立性や思想的無頓着性が、じつは大問題なのです。経済倫理は、認識の学というよりも、判断の学です。実証的な研究にいそしんでいるあいだに、判断の学はしだいに無視されていく。そうなると、研究者は十分に倫理的ではない、ということになってしまうのです。倫理というのは、「いい人」になることではありません。いい人でも、心のやさしい人でも、倫理の言語でもって自分の立場を一貫させようとしていない人は、非倫理的である。そういう判断が下されるのです。これはある意味で恐ろしいことです。

 いずれにせよ、ここでイデオロギーと呼ばれているものは、日々の生活における人々の意識であり、思考習慣です。それを私たちは、ふだんは無自覚に抱いて生きている。けれども人々の意識や思考習慣を、例えばフィールドワークの聞き取り調査で明らかにする場合には、拙著のこうした類型化は役に立つかもしれません。例えば、時代を通じて、マルクス主義の意識を抱いた人々は、どのような意識へと変化していったのか。あるいは、地勢学的な観点から、政治的中心に近い人と遠い人では、どんなイデオロギー的差異が生まれるのか。そうした問いを、私もいつか研究してみたい、と考えています。

 この度は、研究会にお招き頂き、またアンケートに答えていただき、ありがとうございました。小長谷有紀先生、ならびに参加していただいた皆様に、心よりお礼申し上げます。

首都大学東京でのアンケート結果200910

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『経済倫理=あなたは、なに主義?』

アンケート結果20091023

■若森みどり先生の講義での結果です。

首都大学東京における2009年度後期の講義「社会経済思想(=産業社会思想Ⅱ)」にて、若森みどり先生が行ったアンケートの結果です。2009年10月6日、初回のガイダンスにおいて、『経済倫理 あなたは何主義?』のアンケートを実施していただきました。( )の中身は、「現代とはどういう時代ですか?どんな社会問題に直面していると思いますか。いくつあげても可」、という質問に対する解答です。(回答者43名)最後に、私のコメントを付します。(200910)

リベラリズム 合計 15名

内訳:

リベラリズム XYYY 12名

(格差社会、少子高齢化、日本の外交の見直し、金融不安、雇用問題、ゆとり教育の見直し、医療・年金問題、国家介入のバランス、政治・経済の大荒れ、消費税増税)

リベラリズム XYYX 3名

(格差、企業の倫理、自由と介入の新しい線引き)

マルクス主義/啓蒙主義(1) XXYX 5名

(少子高齢化、日本において「出る杭は打たれる」傾向、国際関係における日本の位置、国家間の戦争と侵略、地域紛争、食糧不足による貧困)

新保守主義(ネオコン) YYXY 3名

(社会と隔絶した孤独、格差、健康保険制度、情報過多と過熱報道による犯罪助長)

新自由主義(ネオリベ) XYXY 2名

(格差社会と最低限度の生活保障、民主党政権による経済秩序の混乱、自民党に政権が戻っても秩序は回復しない)

地域型コミュニタリアニズム YXXX 1名

(情報過多、不確実性、自己中心主義)

国家型コミュニタリアニズム YYXX 2名

(経済成長と環境問題、不況、雇用、失われた10年、新自由主義)

平等主義/啓蒙主義(2) XXYY 1名

(人口過多、自殺、戦争)

共和主義 YYYX 8名

(貧富の差、労働組合の無力化、経営者の貪欲、地方の疲弊と都市部への一極集中、グローバル化、教育格差、企業間格差、秩序と道徳の不安定化、金融不安、アメリカの民主党政権、日本の民主党政権)

近代卓越主義 YYYY 5名

(環境問題、世界的経済不況、グローバル化のなかでの国内産業の再建、自殺率、富裕な時代なのに幸福度が低い、持続可能な社会)

耽美的破壊主義/支配者嫌悪主義 YXYX 1名

(現在は過去になる。現代の問題を相対化して捉える視点が欠如している。)

以下、橋本のコメントです:

 若森みどり先生、昨年度に引き続き、今年度もアンケートの結果をご報告いただき、ありがとうございました。

前回と同様に、拙著『経済倫理=あなたは、なに主義?』における私のアンケートの分類について、簡単に補足しますね。

リベラリズムは、XYYXと、XYYYのいずれでもあるので、このタイプに分類される人は、おのずと多くなるでしょう。リベラリズムにおけるこの「幅」の問題ですが、これについては拙著第三章で、別の観点から、「主体化」型と「ヒューマニズム」型の二つに分類して、リベラリズムの内容をさらに検討しています。リベラリズムは現代の多数派なので、その内部の対立について、もっと細かくみる必要があります。そのためには、拙著第一章のアンケートは不十分なので、第三章が役立つと思います。

新保守主義の立場は、YYXXとYYXYのいずれでもあります。ただし私の分類では、YYXXを「国家型コミュニタリアニズム」と名づけています。新保守主義と国家型コミュニタリアニズムは、発想がとても近いのです。YYXXは、分類上はいずれでもあるわけですが、この二つの思想がどのように異なるのかについては、拙著第二章の説明をご参考にご判断ください。新保守主義については、67-71頁, 国家型コミュニタリアニズムについては、76-80頁です。

 さて、今回のアンケート結果では、また前回と違う傾向がでましたね。とくに「マルクス主義」に分類された人が多いこと。そして前回は誰も選ばなかった、「共和主義」も人気がありました。この結果にはおそらく、昨年来のマルクス・ブームと、民主党政権の誕生が深く関係しているのかもしれません。マルクスに対する理解が深まり、このイデオロギーを選択することが、それほど違和感なく受け入れられるようになったのかもしれません。それから民主党政権によって、リベラルに介入する政府の正当性を、人々は認めるようになってきたのかもしれません。

 興味深いのは、「共和主義」に分類された人が、格差問題と金融恐慌と民主党政権誕生という、時事問題の最もメジャーなテーマに反応していることです。これに対して「近代卓越主義」に分類された人は、環境問題や持続可能性に関心を示しています。また、「マルクス主義」に分類された人は、国際的な問題に関心を示しています。マルクスは思想として、グローバルに物事を考えるための契機を与えている、ということですね。前回のアンケートでは、格差問題に関心を示した人はマルクス主義に分類されましたが、今回は「共和主義」に分類されました。これも興味深い結果です。マルクスが読まれるようになって、マルクスに理解を示す人たちは、国内問題に限定されない視野を手に入れたのかもしれません。そして問題の本質がグローバルなものであることを理解するようになったのかもしれません。これに対して、民主党政権の誕生は、人々のイデオロギー意識に大きな影響を与え、格差問題の解決を民主党に期待する人が増えているのかもしれません。

立場の分類と関心事項のこうした対応関係は、とても意義深いと思います。どんなイデオロギーが、どんな社会的関心とともに育まれる傾向にあるのか、ということを示しています。ということは、もし私たちが社会問題に対する関心を変化させて、自分がふだん関心を持たないような新聞記事を読む習慣をつけていくと、それだけでも自分のイデオロギー傾向は変わるかもしれませんね。

 今回のアンケート結果で、「共和主義」の問題を重視しなければならないことを、私は改めて感じました。若森みどり先生、そしてアンケートに応じてくださった皆様、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。


旭川東高校でのアンケート結果201007

『経済倫理=あなたは、なに主義?』

アンケート結果2010

■ 北海道旭川東高等学校における「北大セミナーin旭川」でのアンケート結果です。(2010年7月19日)

対象は、旭川近郊の高校生・保護者および高校教員です。(そのほとんどは高校一年生と二年生でした。)

近代卓越主義 41人

リベラリズム(福祉国家型) 27人

共和主義 14人

新自由主義(ネオリベ) 10人

耽美的破壊主義/支配者嫌悪主義 9人

平等主義/啓蒙主義(2) 9人

新保守主義(ネオコン) 8人

国家型コミュニタリアニズム 5人

地域コミュニタリアニズム・アナキズム 4人

市民的コミュニタリアニズム 3人

リバタリアニズム 3人

国家型ディープ・エコロジー 3人

以上、計136名

 去る七月に、旭川東高校の体育館を借りて、「あなたはなに主義?」と題する公開講座を開きました。この度は、講座に参加された皆様に、あらためて感謝申し上げます。またアンケートにご協力いただき、ありがとうございました。

これまでのアンケートでは、「リベラリズム」が多数派でしたが、今回のアンケートでは、「近代卓越主義」が多数派になりました。これまで私は、若い人たちのあいだに「近代卓越主義」の傾向が高まっていることをいろいろな機会に述べてきましたが、今回、その傾向が実証されたと思います。また同時に、高校生のあいだで、「共和主義」の意識が高まっていることが分かります。

 これは21世紀の新しい意識の誕生と言えるでしょう。これに対して20世紀を代表する思想である「マルクス主義」を選んだ人は、今回、だれもいませんでした。もうマルクスの影響はほとんどないのですね! 驚きです。

 現在の高校生が、あと20年後、30年後に、日本の社会を担うときがきます。すると社会のイデオロギー地図は、がらりと変わっているかもしれません。はたして「近代卓越主義」の立場は、どんな社会をデザインしていくでしょうか。予想される最大のイデオロギー闘争は、もはやマルクス主義とリベラリズムのあいだにあるのではなく、近代卓越主義とリベラリズムのあいだにあるでしょう。思想の問題を新たに定位していかねばなりません。

 アンケート用紙に、参加者の皆様から、いくつかの感想をいただきました。少し紹介します。

「すごく分かりやすい説明で、ABCDの文章を読むだけでは分からなかったことを、例を使いながら説明してくれたので良かったです。」

「難しい話も多かったんですが、楽しかったです。行きたい分野とは少し違ったのですが、自分はもう少し新聞とかを読んで自分なりの考えを明確に持ちたいなと思いました。」

「人それぞれ、まったく考え方が違うということに驚いた。理想や公平な社会だけを求めても、実はうまくいかないということを痛感した。」

「耽美的破壊主義/支配者嫌悪主義→私、美術部です。」

「友達2人は平等主義と近代卓越主義で、みごとに3人とも意見がバラバラでした。2人の立場は平和的、近代的で、福祉国家型からするとすごく格好良く感じられました。3人しかいないから、考え方が3通りでも、「その考え方良いね」なんて軽く言えますが、これが一つの国のなかでのこととなると、意見のズレも多くなり、社会が安定しなくなってしまうので、お互いの立場を上手に取り入れ、組み合わせていくことが大切だと思いました。」

 アンケートにご協力いただいた皆様、ありがとうございました。

2010年8月11日

橋本努


首都大学東京でのアンケート結果とフィードバック201010


『経済倫理=あなたは、なに主義?』

アンケート結果2010-2


■ 首都大学東京、若森みどり先生の講義「社会経済思想」でのアンケート結果です。(2010年10月5日実施)

昨年と同様、頭に思い浮かぶ社会問題のキーワードを書いてもらいました。できるかぎり学生の書いた表現を保っています。(若森)



A、B、C、Dに該当する選択肢


1)【近代卓越主義】Y、Y-1、Y、Y 5名

(経済のグローバル化:市場の国際化・対外競争の激化・雇用形態の変化・就職難、国家的財政難(国債増と人口減少)への対応、世代間の不公平感の解消:年金や税制など新しい国民的制度の構築、安全保障に対する不安、違法薬物汚染、検察への不信、)


2)【共和主義】Y、Y−1、Y、X 4名

(経済不況、失業、大学生の内定率低下、ニート、ゆとり、教育、ねじれ国会、増税、高齢者、年金未払い、孤独死、地域社会、家族のつながりの希薄化、日中関係、領土問題、核の恐怖、テロ、資源の希少性、グローバリズム、地球温暖化)


3)【市民的コミュニタリアニズム】Y、X-1、Y、X 4名

(賃金問題:年収200万以下の世帯22%・サービス残業・過労死・同一労働同一賃金の原則・男女の賃金格差、新卒至上主義による既卒者の就職難、育児休暇の取りにくさ、年金問題、政治の腐敗、中国との外交・領土問題)


4)【新自由主義(ネオリベラリズム)】X、Y−1、X、Y 2名

(少子高齢化による人口減への対応、避けられない社会保障費の増大を負担する公平な仕組みの設計、国と地方の巨額の借金に対応した、優先順位を決めての行政、勢いを増す中国とどのように日本は望ましい関係を構築できるか。鬱病患者の増加とその低年齢化、モンスター・ペアレントのような理不尽に自己主張する人の増加、育児放棄・虐待、経済的格差)


5)【国家型コミュニタリアニズム】Y、Y−1、X、X 2名

(円高、就職率、人口)


6)【平等主義】X、X−2、Y、Y 1名

(引きこもり・ニート、日本固有の雇用形態が引き起こしている若年層の就職問題、災害時など商品が品薄なときの便乗値上げ、日米両国にみられる経済的格差の拡大傾向、環境問題)



 若森みどり先生の講義にご出席された皆様、この度はアンケートにご協力いただき、ありがとうございました。今回の集計結果では、「近代卓越主義」が第一位となりました。近年のイデオロギー傾向をよく表していると思います。このイデオロギーと並んで、「共和主義」と「市民的コミュニタリアニズム」の思想が互角に支持されています。続いて、「新自由主義」と「国家型コミュニタリアニズム」が支持され、最後に「平等主義」となりました。

 それぞれのイデオロギーが、どんな社会問題への関心と結びついているのか。見てみましょう。

 まず「近代卓越主義」は、基本的に「プライド」を重視する立場です。この立場を選んだ人は、プライドが傷つけられる事象に関心を寄せていることが分かります。例えば「就職難」。これは人生において最も理不尽なかたちでプライドを傷つける事柄ですね。それから「対外競争の激化」。近い将来、例えば日本人の一人当たりGDPが韓国人のそれよりも低くなるとすると、日本人はかなりプライドを傷つけられるでしょうね。そういう問題に敏感に反応するのが、「近代卓越主義」の特徴と言えるかもしれません。また、「検察への不信」は、(豪腕といった力量を含めて)卓越したパフォーマンスをみせる政治家に対して、人格としては卓越していない検察が、「正義」の名の下に引き摺り下ろそうとする、そういう権力のあり方に対して、不信を表しているのでしょう。正義よりも、卓越したプライドを大切にする。そういう心性の現われであるかもしれません。

 「共和主義」は、経済倫理・社会倫理を大切にする一方で、政治においては美徳(卓越)を大切にする立場です。経済倫理としては、例えば、「年金未払い」、「孤独死」、「地域社会」、「家族のつながりの希薄化」といった関心は、社会が一定の文脈に埋め込まれているべきこと、あるいは安心できる秩序であることへの希求と言えるでしょう。「核の恐怖」や「テロ」への関心も、これと同様であると考えられます。「資源の希少性」もまた、経済社会が安定した秩序を保つべきである、との関心といえます。これに対して、政治面では、この立場の方は、あまり特徴あるキーワードを挙げていないようにみえます。

 「市民的コミュニタリアニズム」は、コミュニタリアニズムの一類型であり、経済面には、労働組合運動による労働者の団結などを通じて、支配階級である資本家あるいはブルジョワジーの利権を批判する立場です。この立場の方は、「賃金問題:年収200万以下の世帯22%」、「サービス残業」、「過労死・同一労働同一賃金の原則」、「男女の賃金格差」、「新卒至上主義による既卒者の就職難」、「育児休暇の取りにくさ」を挙げています。これらはすべて、労働者が一人の政治的な市民として、主体的に生きることのできる社会を求めるという関心を示している点で、このイデオロギーの特徴をよく表しているように思います。

 「新自由主義(ネオリベラリズム)」は、自由な市場経済を基本としながらも、文明の発展のために、国家の役割を積極的に認める立場です。この立場の方は、「少子高齢化による人口減への対応」、「避けられない社会保障費の増大を負担する公平な仕組みの設計」、「国と地方の巨額の借金に対応した、優先順位を決めての行政」、「勢いを増す中国とどのように日本は望ましい関係を構築できるか」といった関心を挙げていますが、これらはすべて、国家に財政的な負担をかけないようにしながら、しかし、国民国家が勢力を維持し、あるいは増すための、戦略的な政策を求めるものでしょう。また、「モンスター・ペアレントのような理不尽に自己主張する人の増加」や、「育児放棄・虐待」への関心は、家族という中間集団の強化こそが、文明社会の道徳的基礎であるという、このイデオロギーの関心をよく示しているでしょう。この他、「鬱病患者の増加とその低年齢化」や、「経済的格差」への関心は、新自由主義が「政策の帰結」を大切にしていることを示しています。つまりこの立場は、何でも市場競争で解決、と発想するのではなく、もしその帰結が全体として望ましくない場合には、もっと帰結をよくするように、何らかの政策を望むのです。新自由主義は、決して市場万能主義のイデオロギーではないことが分かります。

 「国家型コミュニタリアニズム」へのキーワードは判断材料として少ないように思いますので、最後に「平等主義」について考えてみましょう。この立場はもちろん、経済的平等に関心を寄せています。「日本固有の雇用形態が引き起こしている若年層の就職問題」や「日米両国にみられる経済的格差の拡大傾向」への関心は、この立場の特徴を示しているでしょう。また「災害時など商品が品薄なときの便乗値上げ」は、理不尽な市場の作用に対して、政府介入したほうが「平等」「公正」を実現できるのではないか、という関心を示しています。この他、「引きこもり・ニート」への関心は、はたして働かない人にも基本的な所得を与えて経済的な平等を実現すべきか、というこの立場がかかえる問題点を示しているように思われます。

 新自由主義者は、もし帰結が悪ければ、市場競争の作用を否定する態度をもっています。では平等主義者は、働かない人にも、経済的な平等を実現すべきであると考えるでしょうか。伝統的な平等主義者は、人は働けるだけ働いて、必要なものを受け取るべき、と考えます。だからまず、働ける人は働くべきだと考えます。では新しい平等主義者はどうでしょうか。それが問われているのだと思います。

 以上です。

 若森みどり先生、アンケートを実施していただき、ありがとうございました。とても興味深い結果です。分析してみるとそのイデオロギーがもつ社会的意義がみえてきます。それにしても、市民的コミュニタリアニズムが多いのは、首都大学東京の学生の傾向なのでしょうか。さらなる分析が必要です。


2010年12月13日

橋本努

■若森先生の講義におけるフィードバック

以下は、授業の終わりに、「匿名で書いてください。回答したくなければ提出しなくてもいいです、市民的コミュニタリアニズムを選択していない人も、選んだ立場を忘れた人も差し支えないところを書いてください、アンケートそのものについてなにか書いてもいいです。」と話して回収したメモです。学生の反応、「声」をお伝えします(若森)。


・自分が市民型コミュニタリアニズムを選んだかどうかは忘れましたが、それに近い思想は持っています。田舎で育ちました。家庭水準は普通。アルバイトを始めたのは最近(アンケート前)。格差の改善を目指す活動に、勉強しながら参加しています。労働者デモに参加したこともあります。


・市民的コミュニタリアニズムを選択。母子家庭で弟が一人います。バイトの経験あり。私は公正と道徳を重んじます。企業の不正を内部告発したものが企業によって強制退職させられるといった事例に憤りを感じます。アンケートのときにみんなが出した「頭に浮かぶ社会問題のキーワード」のほとんどに関心を持っています。


・市民的コミュニタリアニズムを選択。育った場所は田舎。家庭は貧しいほうだと思う。父は国公立大卒で母は高卒主婦。アルバイトは続けている。サンデルの影響はないです。自分は貧しいという意識が強いことと、とはいえブルジョアになる才覚というかそういうものを備えていないという自意識とが、市民的コミュニタリアニズムを選んだ理由かな、と思います。


・多数派の意見が変わっていく理由(以前はリベラリズム)にはどのようなものがあるのか、知りたいと思った。たとえば経済状況、マスコミ、親世代の思考のあり方など。


・橋本先生の分析はあたっていて感心させられた。


・「~主義」「~派」などの考え方にはそれぞれ長所と短所があって、ひとつの枠組みを支持することはできません。


・共和主義を選択。自分が特別とは思わないが、就職活動の厳しさを経験。


・平等主義でした。経済的な平等に関する問題に対する関心もありますが、個人的には機会の均等といった問題にも関心があります。親の教育水準か子供に対する教育の投資額がそれぞれの子供のキャリアのスタート地点を左右しているのではないかと思っています。生まれた時代が違うだけで、就職に際して必要とされる努力も能力もハードルが上がったり下がったりというような、就職の機会に関してもそうです。真の機会の均等が現代問題解決の一助とならないか、と思います。


・近代卓越主義の背景には、近年の日本のさまざまな低迷(政治的・経済的・国際的地位など)があり、その反動として「プライド」を重視することにつながっているのでしょうか。


・自分が「近代卓越主義」という立場を選んだ、という結果に納得しました。たしかに、プライドを傷つけられたくないというところはかなり当てはまっているなと思います。しかし検察と政治家の問題に関しては「正義」を大切にしたいと思っています。


以上です。

北海道大学橋本ゼミ公開講座におけるアンケート結果201012


『経済倫理=あなたは、なに主義?』

アンケート結果2010-3


■ 北海道大学経済学部橋本ゼミにおける「公開ゼミ」でのアンケート結果です。(2010年12月3日)

対象は、高校生(西校)5名、高校教員1名、およびゼミ生(大学3-4年生)です。

近代卓越主義 5人

リベラリズム(福祉国家型) 2人

共和主義 1人

新自由主義(ネオリベ) 4人

耽美的破壊主義/支配者嫌悪主義 1人

平等主義/啓蒙主義(2) 4人

新保守主義(ネオコン) 1人

地域コミュニタリアニズム・アナキズム 4人

市民的コミュニタリアニズム 1人

以上、計23名

 去る12月3日に、北海道大学経済学部では、高校生のための公開ゼミを行いました。今年は橋本ゼミの公開ということで、この場を借りて「あなたはなに主義?」の講義と討議、そしてアンケートを行ないました。公開ゼミに参加された皆様に、感謝申し上げます。またアンケートにご協力いただきまして、ありがとうございました。

今回のアンケートでは、「近代卓越主義」が多数派になりました。前回の旭川高校における結果と同様です。近代卓越主義は、にわかに大きな支持を集めてきたようです。また今回は、この立場と互角の立場が三つありました。「地域コミュニタリアン・アナキズム」、「平等主義・啓蒙主義(2)」、そして「新自由主義(ネオリベラリズム)」です。

これに対して「リベラリズム(福祉国家型)」は、意外と少なかったように思います。これは最初の問いで、経済の倫理的埋め込み化を重んじる人々が多くなった結果と言えるでしょう。背景として、就職に対する意識が高まり、倫理的に振舞うことができないと就職に不利、という不安が広まっているのではないか。そのような仮説を立てることができます。大学生にとって、大企業へ就職できる確率は約0.5(つまり一人当たり約0.5社の供給がある)、これに対して中小企業への就職確率は約2(つまり一人当たり約2社の供給がある)です。大企業への就職が難しくなっているという現実が、就職希望者の倫理的資質を高め、経済倫理を重んじる傾向を生み出しているのではないか、と考えられます。

いずれにせよ、今回は、四つの立場がほぼ互角に競い合うという、イデオロギーの闘争関係が生まれました。

これまでの日本社会では、一つの支配的なイデオロギーの下に、みんなが考え方を共有して、信頼関係を築いてきたように思います。そしてその信頼関係が、経済社会のコミュニケーションを円滑にし、経済成長を可能にしてきました。ところが現在、これだけ複雑化し多元化した社会になると、もはや一つの支配的なイデオロギーでもって社会を運営することが、困難になります。

 さまざまな人が、さまざまな考え方をする。そうした社会において、私たちはお互いに、どんな信頼関係を築くことができるのでしょうか。それは、同じ考え方をもっている人たちが仲良くすることによってではなく、私たちが自分と違う考え方をもった人たちと、うまくやっていく方法を身につける場合ではないでしょうか。では、自分と違う考え方をもった人を、どうやって信頼することができるのでしょう。それはおそらく、人が自分の考え方を一貫させている場合でしょう。「あの人は、自分と考え方は違うけれど、しっかり自分のポリシーを持って行動している。だから信頼できる。」そのように考えることができます。自分が他人に信頼されるためにも、しっかりした考え方をもつ必要があります。相手に合わせて態度を変更するのではなく、一貫した態度を示したほうが、結果として信頼関係を育むことになる。そういう社会が次第に生まれているのではないかと思います。

 アンケート用紙に、参加者の皆様から、いくつかの感想をいただきました。いくつかご紹介します。

「今日はすごく貴重な体験をすることができました。大学生のみなさんとお話できたことも楽しかったです。考え方、主義もこまかくこんなにたくさん分かれていることにびっくりした。そしてこんなにたくさんの考え方で世界が動いているのだなぁ、、と感じました。1つのことでも、いろんな角度からみると考え方があるなと思った。自分の考え方をしっかりもちたいなと思いました。」

「近代卓越主義になりました。プライドを大切にする、プライドのある生き方をすべき、というところで当たっていると思いました。

 ここでリベラリズムとの違いは、AでYを選んでいるという点ですが、私は割と安定志向なので、破壊や進化といったXは選びませんでした。経済・社会は、ある程度慣習通りに運営されるのがよいと考えています。リスクを負って変なことにチャレンジして進化を目指すより、欲は出さずに現状維持、というタイプです。それは、起きた事をありのままに受けとめる性格だからかなと予想しました。受け入れて、今そこにあるもので幸せを感じられるから、その幸せを危険にさらしてまで新しいことをしたくはない。ある意味でヘタレというかビビリというか、、、。

 でも全Yという近代卓越主義が最近多いのは、そういった考え方の若者が増えているからなのではないかと思います。

 背景として、ある程度不自由のない家庭で育ち、挫折経験がない、もしくは少ない若者に多いのかな、というのが私の考えです。

 『何かをあきらめてはいるけど、誇りを持って生きている』というのがキーワードだと思いました。」

「個人研究でもフィンランドの社会保障をやっているように、北欧の経済や政治にすごくあこがれを持っているので、まさにこの通りです。自律して自由に生活したいけれど、そのために保障は欠かせないと考えています。

 当たってびっくりしました。面白かったです。」

「[近代卓越主義を選んだ理由] 各人が極力、倫理を重んじ、他人に感謝しあう関係を理想と考えたため。また理想と現実がズレるのはある意味では仕方ないことであろうが、近視眼的に現実に流される生き方では存在の意味を見失ってしまう可能性が高いと思う。それ故、最も間近の現実(自分の力ではどうしても理想に近づけることはできない)に関してはあきらめながらも、長期的には理想に1ミリでも近づけるような生き方が理想的だと考えた。」

 この他、高校でオーケストラ部に所属している方が、破壊的耽美主義に分類されて、美的志向とこのイデオロギーとの相関関係が認められました。「……この主義の説明にある、『政治も経済もいずれも汚れている』というのは、私自身とても思うところです。総理大臣もコロコロ変わって無責任な人が多いと思います。最初は少し違和感を感じていましたが、この主義は私にピッタリだと思いました。とても深い話でしたが、とても分かりやすく楽しかったです。」

 皆様、ありがとうございました!!

2010年12月12日

橋本努


北海道大学経済学部講義におけるアンケート結果201104

『経済倫理=あなたは、なに主義?』

アンケート結果2011

■ 北海道大学大学院経済学研究科、講義「経済思想」でのアンケート結果です。(2011年4月11日実施)

新保守主義 22名

新自由主義 16名

リベラリズム 34名

リバタリアニズム 10名

マルクス主義 3名

平等主義 7名

近代卓越主義 22名

共和主義 12名

耽美的破壊主義 3名

開発主義 1名

市民的コミュニタリアニズム 3名

地域コミュニタリアン・アナキズム 1名

 今回のアンケートで一番支持された立場は、「リベラリズム」でした。また興味深いことに、二番目に支持された立場は「新保守主義」と「近代卓越主義」の二つでした。続いて四番目は「新自由主義」、五番目は「共和主義」でした。

 昨年のアンケートでは、「近代卓越主義の台頭」という現象を読み取りました。ところが今回のアンケートでは、再び「リベラリズム」が優勢です。しかも、「新保守主義」もまた、多くの支持を集めています。この傾向は、どのように分析できるでしょうか。

 3.11大震災を受けて、道徳や家族に対するニーズが高まった、と言えるでしょうか。継続的な分析が必要です。

2011年6月4日

橋本努


函館ラサール高校でのアンケート結果201108

『経済倫理=あなたは、なに主義?』

アンケート結果201108


■ 函館ラ・サール高校における「北大セミナーin函館」でのアンケート結果です。(2011年8月28日実施)

耽美的破壊主義 6名

近代卓越主義 6名

平等主義 5名

新保守主義 4名

新自由主義 3名

リベラリズム 1名

リバタリアニズム 1名

地域コミュニタリアニズム 1名

共和主義 1名

国家コミュニタリアニズム 1名

 函館の高校生の皆様、このたびは、模擬授業にご参加いただき、ありがとうございました。それにしても当日は、暑い日でしたね。

 今回のアンケート結果では、「耽美的破壊主義」と「近代卓越主義」の二つのイデオロギーが、最も支持されました。これに対して「リベラリズム」は、なんと支持者が1名しかいませんでした。これまでの傾向を大きく破る結果です。昨年の旭川でのアンケート結果とは大きく異なります。

 耽美的破壊主義(支配者嫌悪主義)というのは、現実の諸々のイデオロギー的立場とは異質で、いわば現実の裏返しのような思想です。高校生の純粋な心は、どんな現実的イデオロギーにも汚されていないような、そんな美しさをもっています。そんなピュアな心は、現実とは真逆の意識によって支えられているのかもしれませんね。あるいは今回、講義参加者の多くが、男子校や女子高に通っているということが、何か関係しているのかもしれません。

 いずれにせよ、今回も「近代卓越主義」は支持されました。これは近年の傾向です。函館は現在、人口減少率が高く、地域経済の活性化が問題になっています。そのような局面で、リバタリアニズムはあまり支持されず、平等主義が支持されるというのも、一つの傾向かもしれません。さらなる検討が必要です。

2011年9月2日

橋本努



川崎信用金庫でのアンケート結果201201

『経済倫理=あなたは、なに主義?』

アンケート結果2012



■川崎信用金庫「かわしん創発塾」(第13期「『主義』のある経営)でのアンケート結果です。(2012年1月19日実施)

新保守主義 5名

新自由主義 4名

リベラリズム 2名

近代卓越主義 3名

共和主義 1名

耽美的破壊主義 1名

地域コミュニタリアン・アナキズム 1名

国家型コミュニタリアニズム 1名

平等主義 2名

 中小企業の経営者の方々へのアンケート結果です。経営者の皆様、このたびは、アンケートにご協力いただき、ありがとうございました。

 今回、一番支持された立場は「新保守主義」でした。しかし全体としてみると、立場はかなり分散したように思います。経営者という共通の「下部構造」をもちながらも、イデオロギー的には多様な結果となりました。とても興味深いです。

 当日、皆様と議論した際には、「リバタリアニズム」を選択された方もいらっしゃいました。その方は後に、立場を変更されたのでしょう。中小企業の経営者といえば、「リバタリアニズム」こそが、その最も適合的なイデオロギーであるようにみえるかもしれません。国家に頼らず、独自の手腕で、自由な人生を切り開いてく、というイメージですね。けれども今回のアンケート結果では、新保守主義が最も多く選ばれました。それはなぜでしょう。それは最近の企業文化というものが、「道徳」を必要とする方向に向かっていることを示しているのかもしれません。

 他方で今回は、「リベラリズム」よりも「近代卓越主義」のほうが、多く選ばれています。「近代卓越主義」という新しいイデオロギーは、経営者のあいだでも着実に浸透しているように感じられました。

 なお今回、「平等主義」を選ばれたお二人は、実は経営者ではなく、今回の講演会を企画していただいた「財団法人 地域開発研究所」のスタッフの方々です。研究所でお仕事されている方は、準公務員的な地位にあり、社会学や公共哲学、あるいは市民社会論などに関心を寄せる知識層であると言えるかもしれません。そのような方々に「平等主義」が選ばれているというのも、興味深い結果です。

 質疑応答のなかでは、「私たちは日々の時事問題に対して、そのすべてにいちいち明確な立場をとるだけの検討時間はないのではないか」という意見がありました。その通りだと思います。すべての問題に対して、熟慮の上で立場をとる時間はありません。ですので、私たちはまず、「一定の型」としてのイデオロギーをもち、その立場から問題を考えることで、政治的見解を作ることができるのではないでしょうか。ある意味でイデオロギーとは、すべての政治問題に対して、人間は熟慮することができない、という制約から必要とされているのかもしれません。ある視角を持って時事問題をみてみると、自分に関係のない問題に対しても、一定の見解を形成することができます。

 もう一つ、議論では、「日本人は自分の立場を明確にしないで、その場の空気を読んでから立場を決める傾向にある」というようなご指摘もありましたが、そのような政治文化を、私たちはどのように変革することができるでしょうか。

 今回、「あなたはなに主義」のアンケートを行ってみると、皆さん、かなりバラエティなイデオロギー的立場を選択されました。それぞれの立場に立って、私たちはもっと互いに議論することができるはずです。「空気」を読んで立場を決める必要はありません。みなさん、まず一定のイデオロギーでもって、自分を「キャラ化(キャラクター化)」してみてはいかがでしょう。

 例えば、自分は「リバタリアン」である、という一定のキャラクターを作って演じてみます。そしてそのキャラクターの視点から、他者と議論します。すると議論では、相互に批判的な見解が交わされ、思考が活性化するのではないでしょうか。日本人にとっていま必要なのは、合意のために政治の空気を読むことよりも、キャラ化されたイデオロギーをもつことであり、そのようなイデオロギーを互いに認め合うことではないでしょうか。

 議論が盛り上がれば、そこで形成された意見を、現実の政治のなかで、有効に吸い上げてもらいたいものです。意見形成のプロセスは、これまでマスメディアによって効果的に与えられてきましたが、インターネット上ではさらに、どれだけ議論を熟成させるための民主主義を行うことができるでしょうか。熟議を熟成させるためのツールがあれば、「あなたはなに主義」の議論も、もっと実践的に、政治を変えるための導入になるはずです。

2012年1月25日

橋本努


北海道大学経済学部講義におけるアンケート結果201306


『経済倫理=あなたは、なに主義?』

アンケート結果2013


■ 北海道大学大学院経済学研究科、講義「経済思想」でのアンケート結果です。(2013年5月実施)

新保守主義 40名

新自由主義 34名

国家型コミュニタリアニズム 29名

リベラリズム 39名

リバタリアニズム 7名

マルクス主義 6名

平等主義 12名

近代卓越主義 22名

共和主義 17名

耽美的破壊主義 6名

開発主義 0名

市民的コミュニタリアニズム 4名

地域型コミュニタリアニズム 6名

地域コミュニタリアン・アナキズム 3名

 今回のアンケートで一番支持された立場は、「新保守主義」でした。ほぼ同数で、二番目に支持された立場は「リベラリズム」でした。これに対して「近代卓越主義」は、今回はあまり支持されず、代わって「新自由主義」や「国家型コミュニタリアニズム」に対する支持が増えています。

 ところで2013年夏以降、自民党の安倍政権の政治的圧勝によって、日本では二大政党制の構図を作ることが難しいかもしれない、と言われるようになりました。ただ、イデオロギー意識の点では、「新保守主義」と「リベラリズム」が、大きく対立する構図になっています。この点では、二大政党制の可能性があります。むろん、「新保守主義」が「新自由主義」と結びつくとは限らず、「国家型コミュニタリアニズム」と結びつく可能性もあります。また「リベラリズム」の場合も、それが「国家型コミュニタリアニズム」と結びつくとは限らず、「新自由主義」と結びつく可能性があります。つまり、「新保守主義」と「リベラリズム」に加えて、「新自由主義」と「国家型コミュニタリアニズム」という四つの思想連関を、どのように対立させるか、あるいは融合するのか、によって、政党政治のあり方が規定されるのでしょう。

2013年10月16日

橋本努


華中師範大学と武漢大学におけるアンケート結果201406

『経済倫理=あなたは、なに主義?』

アンケート結果(2014618-19日)中国武漢編

201407


 中国の華中師範大学と武漢大学にて、招待講演を行ってきました。そのときのアンケート結果です。

■華中師範大学マルクス研究学院(大学院生、主として修士課程)

近代卓越主義 6

共和主義 4

支配者嫌悪主義 4

マルクス主義 2

地域共同体主義 2

リベラリズム(福祉国家型) 2

国家共同体主義

市民型共同体主義

新自由主義

国家型ディープエコロジー

24

■武漢大学経済経営学部(大学院、主として博士課程)

リベラリズム 4

近代卓越主義 3

マルクス主義 3

新自由主義 2

開発主義 2

共和主義 2

平等主義

地域共同体アナキズム

支配者嫌悪主義

国家型ディープエコロジー

新保守主義

国家型共同体主義

22

 華中師範大学における「マルクス研究学院」は、経済学部や政治学部とは独立した組織で、思想教育の目的で創られました。中国の拠点大学には、このような学院が設置されているようです。学部生よりも大学院生のほうが多く、大学院生たちは卒業後、主として、公務員や学校教員になります。もっとも中国でも少子化の影響で、学校教員になることは難しいようです。ですが公務員や教員になるためには、中華人民共和国の思想基盤たる「マルクス主義」について学ぶ必要があり、このような学院で学ぶと就職も有利になるということでしょう。マルクス研究学院には、とくに左派の学生が集っているというわけではなく、教師を目指す学生たちが多く学んでいます。教員を目指す学生には、女性が多いようです。

 マルクス研究学院の建物は古く、1950年代のものでした。大学は、建物自体を歴史的保存物として保存することを決めたようです。中央の入り口を入ると、右手に司馬遷、左手にマルクスのそれぞれ大きな顔像があって圧倒されます。歴史を司馬遷に学び、理論・思想をマルクスに学べ!、ということなのでしょう。二人の権威に支えられた研究院です。

 銅像のあいだを抜けて二階へ上がると、同研究学院の事務室があり、そこに入ると共産主義思想の貢献者たちの絵が飾られていました。マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリン、毛沢東、と並んでいます。中国語のマルクス全集も、机の上に無造作に積み上げられていました。

 私にとってこのマルクス研究学院にて講義することは、感慨深いものがあります。まだ東欧諸国が共産主義の国として存在した1980年代、私はマルクスやマルクス研究の書物から大きな影響を受けていたからです。

 講義は英語で行ないました。そして通訳を引き受けていただいた大学院生に、ときどき中国語で補っていただきました。講義の最中も、私は学生に質問したり、あるいは学生の質問を受けたりして、一時間くらい使って、現代経済倫理の導入的な話をしました。それから「あなたはなに主義」のアンケートに答えていただきました。その後の質疑応答を含めて、全体で二時間を使いました。時間を十分に使って、このイデオロギー分析の意義を理解してもらうことができたように思います。すぐれた通訳のおかげです。また質疑応答では、本学院の教員の方からも鋭い質問も出され、有意義な議論を交わすことができました。

 アンケートの結果を集計してみると、最も支持された考え方は、近代卓越主義(6名)でした。これは、北海道大学の学生にも共通して見られる傾向であり、中国でも同じ傾向がみられることに、新鮮な驚きを感じました。二番目に支持された思想は、共和主義(4名)と支配者嫌悪主義(4名)でした。People’s Republic of China(中華人民共和国)ですから、思想の基本は「共和主義」にあるということでしょうか。また、支配者嫌悪主義が多く選ばれた背景には、この国の政治的支配に対するカウンターとして、人々のあいだに美的な自尊心が形成されているのかもしれません。この立場は、美意識の高い中国人に支持されているように思われました。

***

 武漢大学での講義は、翌日行われました。武漢大学は中国で一番広く、一番美しいといわれるキャンパスです。(ただし厦門(あもい)大学のほうが美しい、という人もいます。)武漢大学は、120年以上の歴史があり、またこの場所は、大学創立以前も学問の府として機能していたようです。北海道大学よりも広く、キャンパスの中央は森になっていて、戦争中は防空壕が作られたりもしました。その通路を、現在は歩くことができます。

キャンパスにはいたるところに歴史的建造物が立ち並び、それらは現在も利用されつつ、保存されています。図書館も巨大であり、私がこれまで見たどの大学の図書館よりも大きかったです。北海道大学の中央図書館の六倍くらいでしょうか。あるいはもっと大きいかもしれません。大学は全体として、豊かな緑に囲まれた理想郷をなしていました。

 今回の講演は、経済・経営学部で行われました。洗練された伝統的な建築様式の大きな建物で、三年前に新しく改築・増築されたようです。正面玄関の電光掲示板で今回の講演に関する歓迎の表示があり、中国式で厚い歓迎を受けました。講演では、武漢大学の同学部の主任教授、ウェン先生に紹介されて、少し緊張して始まりました。英語で行ない、最初は中国語の通訳をはさみながらすすめたのですが、学生たちの質問は流暢な英語で本格的な内容のものでしたので、途中で通訳は要らないということになり、英語のみですすめることになりました。参加者は、武漢大学の博士課程の学生が中心です。多くの学生たちが、英語で講義を聞いて、英語で堂々と質問することができます。その水準の高さに驚きました。むろん学生たちは、ふだんは英語の講義を受けているわけではなく、マクロ経済学やゲーム理論のような講義でも、中国語で受けているようです。

 ちなみに中国では、博士課程に進学することはとても難しく、全国統一の試験に合格しなければなりません。試験のための参考書を使って、英語と社会科学に関する基礎知識を身につけることが最重要課題となります。その際、博士課程に進学するためには、研究テーマを自分で立てる必要がありません。学生たちは、博士課程に入学してから、指導教官にテーマを与えられることが多いようです。武漢大学では、一学年に200人の学部生に対して、一学年に100人の博士課程の学生が入学しています。他大学からの進学もあります。大学の先生になるためのニーズがあります。博士課程の講義と研究を中心に、この大学は機能しているようにみえます。むろん最近では、大学に職を得ることが難しくなり、しかも大学の教員を採用する際に、海外でPh.Dを取得した人が優先されます。武漢大学で博士号を取得しても、なかなかよい職を得られないという状況が生まれており、海外に留学するだけの資本ないし機会に恵まれないと不利のようです。

 講演では、博士課程の学生たちの水準が高いので、私の説明もできるだけ高度にしました。最後に、アンケートに答えていただいたところ、最も支持された思想は、「リベラリズム」(4名)でした。その次に支持されたのは、近代卓越主義(3名)とマルクス主義(3名)です。ただ全般的にみると、学生たちの見解はかなり分散したように思います。博士課程の学生たちが、このように多様な考え方をもっていることは歓迎すべきです。今回のアンケート結果で、学生たちの立場が多様になったことは、中国における思想的寛容を示しているのではないかとも思います。

 ある学生の質問に、経済倫理やイデオロギーというのは個人的(パーソナル)な問題だから、個人的なものとして扱うべきではないか、というものがありました。しかしまさに、イデオロギーは公共的な政治闘争になりうるのであり、支配的なイデオロギーは、社会を変革するための指針となるでしょう。

 博士課程の大学院生のあいだで、とりわけリベラリズムが支持される背景には、中国における「コネ社会」に対する批判的な視点があるかもしれません。大企業に就職する機会の90%は、コネのようです。コネクションがなければ、実力があっても、なかなかよい企業に就職できない。あるいは就職しても、なかなかよい地位に昇進できない、という現実があると伺いました。大学を卒業して、大企業に就職したものの、コネ社会の不条理な現実に直面して、大学院に戻ってきたという人もいます。大学組織では、コネはあまり重視されません。実力主義と合理主義で組織が動きます。そのほうが納得できる、という人が大学に集まるのでしょう。(それでも、例えば博士課程に入学する際に、それぞれの教員は毎年一人の学生を受け入れると決まっているのですが、コネを使うことができれば、追加で受け入れてもらえることもあるようです。また有名な権威ある先生のもとで指導を受けている学生は、就職も有利なようです。)

コネ社会は、「集団内の決定に法を持ち込まない」という意味で「自由な社会」です。しかしリベラリズムは、この考え方を否定します。集団内においても、法の力を借りて、公平な取り扱いを求めます。リベラリズムは、中国においては、共産主義に対するアンチというよりも、コネ社会に対するアンチとして、支持されているように思われました。

 ちなみにアンケートでは、マルクス主義の立場をとった人が3名いましたが、私が知り合った学生で、コーエンやローマーやエルスターなどの現代の左派思想を研究している人は、「国家型ディープエコロジー」に分類されていました。

 中国でマルクスやマルクス主義を研究する人がそれなりの割合でいることは、次のように説明できるでしょう。博士課程に進学するときに、学生はテーマを決めないで入学します。そして入学後は、指導教官との相談で研究テーマを決めます。博士論文は、金銭上のインセンティヴも働き、ぜひとも三年間で仕上げなければなりません。一年目は講義の単位が課されているので、実質的には二年間で書き上げなければなりません。書き上げないと、お金に困ります。博士課程の学生の場合、学費は無料で、全寮制の下で、一定の月給をもらいます。その月給を生活費に当てながら研究します。ところが三年を過ぎると、この月給がなくなり、生活に大変苦労します。そのような金銭上のインセンティヴが働くため、学生たちは、自分でテーマを探して納得のいく論文を書くよりも、指導教官にしたがって書いたほうが有利なようです。先に紹介した現代のマルクス派を研究している人も、修士課程ではマイノリティの経済学という、まったく別の研究をしていましたが、指導教官に進められて、現代左派思想の研究をはじめたようです。

 武漢大学にかぎらず、中国の大学の経済学部では、現在、経済学史やマルクス経済学のポストを減らす傾向にあり、近代経済学の研究を重視する傾向があります。日本と類似の事態が進行しています。中国におけるマルクス経済学の研究は、経済学部ではなく、マルクス研究学院に集約されていくかもしれません。といっても、マルクス研究学院でマルクスを研究している人たちは10%程度と伺いました。

 いずれにせよ、博士号を取得した人は、その後「研究員」という身分になり、一定の給料を得ながら、二年間(あるいは三年間への延長も可能)の研究生活に入ります。その二年のあいだに、大学教員になるための就職活動をするわけですが、最も重要なことは査読つきの論文を書くことです。この点、日本人と変わりません。

***

 最後に、日中関係の改善のために、一つ書き記しておきます。

 20129月、尖閣諸島問題が激化しました。その影響で、北京大学での私の講演はキャンセルされ、一刻も早く帰国するように求められました。少なくとも北京においては、日本人は観光できないという異例な状態となりました。この問題の影響は、中国の学界にも及んでいます。

 尖閣諸島問題がおさまっても、中国では、日本に関係するさまざまな行事が中止となり、大学では日本に関係する研究論文の掲載を、当分のあいだ見送るという事態が起きました。見送りは二年間も続いたようです。こうした対応によって、中国における日本研究者たちは傷ついたにに違いありません。博士号を期限内に取得できなかった人もいるかもしれません。中国の大学組織は、中国における親日派の人たちにサンクションを与えました。日本について研究することは政治的なリスクがあるというシグナルを与えています。中国における親日派が減り、日本に対する理解がさらに悪化するのではないか、と懸念されました。

 それでも私は中国で、温かいもてなしを受けました。華中師範大学ならびに武漢大学の教員・学生の皆様に、心からお礼申し上げます。今回の訪問で育んだ絆を大切にしたいと思います。


台湾の朝陽科技大学におけるアンケート結果201505


『経済倫理=あなたは、なに主義?』

アンケート結果(201555日)台湾台中編

橋本努20150617

 台湾の朝陽科技大学にて、招待講演を行ってきました。そのときのアンケート結果です。

朝陽科技大学(主として学部生)

リベラリズム(福祉国家型) 38

近代卓越主義 18

新自由主義(ネオリベ) 16

平等主義/啓蒙主義(2) 11

リバタリアニズム(自由尊重主義) 8

耽美的破壊主義/支配者嫌悪主義 6

共和主義 5

地域型コミュニタリアニズム 2

国家型ディープ・エコロジー 2

マルクス主義/啓蒙主義(1) 1

地域型コミュニタリアニズム 1

地域コミュニタリアン・アナキズム 1

111名(有効回答のみ)

 朝陽科技大学の管理学院(経営学科)におけるアンケート結果です。ご覧のように、リベラリズムの立場が圧倒的に支持されました。二番目に支持された立場は「近代卓越主義」です。三番目は「新自由主義」。

台湾の政治的文脈では、与党の国民党のイデオロギーは、「新自由主義」ないし「新保守主義」に分類されるでしょう。これに対して民進党のイデオロギーは、「リベラリズム(福祉国家型)」に分類されるでしょう。国民党の立場は、学生たちの間では三番目に支持されています。これに対して民進党の立場、すなわちリベラリズムが圧倒的な支持を獲得しているのは興味深いです。

他方で「近代卓越主義」という、第三の立場(まだ明確な思想的表現をもっていない立場)が、国民党を抑えて、民進党を追い上げているような図式です。

 学生たちのあいだでは、リベラリズムの考え方が浸透していると言えます。他方で、どちらの政党にも属さない第三の立場(近代卓越主義)が支持されるというのは、さらなる分析を必要としているでしょう。

 また、四番目以降の立場をみると、「平等主義」と「リバタリアニズム」という、対極にある立場が、それぞれ相応に支持されています。これはつまり、従来型のイデオロギー対立の構図が、明確に存在していることを示しているでしょう。

他方で、「共和主義」や「コミュニタリアニズム」や「ディープ・エコロジー」などの新たな思想的立場が、それなりに支持を集めています。

「支配者嫌悪主義」もまたそれなりに支持されていますが、これがいったい何を意味するのかについては、さらなる分析が必要です。実際に今回の講演会では、ある学生に「なに主義になりましたか」と質問して、この「支配者嫌悪主義」に分類された方がいました。その方は音楽系のサークル活動をしていた、とのことでしたが、芸術を愛する人がこの立場に分類されるのは興味深いです。

「リバタリアニズム」と「支配者嫌悪主義」に共通するのは、「政治」それ自体に対する批判的な態度です。こうした二つの立場が、同じくらいの割合で支持されていることも、興味深いです。

 学生の皆様、アンケートにご協力いただき、ありがとうございました。


経済教育学会大会におけるアンケート結果201509

『経済倫理=あなたは、なに主義?』

アンケート結果(2015926日)経済教育学会(会場は日本体育大学)

橋本努20151015

 経済教育学会の会員の方々のアンケート結果です。

耽美的破壊主義/支配者嫌悪主義 8

市民的コミュニタリアニズム 4

リベラリズム(福祉国家型) 4

国家型コミュニタリアニズム 3

マルクス主義/啓蒙主義(1) 2

平等主義/啓蒙主義(2) 2

共和主義 2

新自由主義(ネオリベ) 1

近代卓越主義 1

リバタリアニズム(自由尊重主義) 1

28名(有効回答のみ)

 経済教育学会全国大会(2015年度、第31回)におけるアンケート結果です。

 これまでさまざまな機会にアンケートを行ってきましたが、今回はきわめて異例の結果となりました。「耽美的破壊主義/支配者嫌悪主義」の立場が、最も支持されたのです。

 「耽美的破壊主義/支配者嫌悪主義」は、八つの主要なイデオロギー類型に当てはまらないばかりか、この立場を思想的に代表する論客がいません。少数派の立場であり、思想論議においては、見えにくい立場であるとも言えます。

 その思想的内実を探ると、政治に対して「ノー」を突きつける一方で、政治そのものを嫌悪する立場であると推測されます。そのため、政治の対案を提起する方向に向かわないように見えるのですが、もしかするとこの分析は、私の誤りであるかもしれません。この立場について、さらなる分析が必要です。

 これまでのアンケート調査では、この立場を支持する人は、若い頃に芸術に関心を示した方々が多いようでした。例えば、高校時代に美術部に所属していたとか、バンドをやっていたという方々です。美術や音楽など、美的なものを重視する人は、自身の美的感性に自尊心をもつことがあります。他人よりも美的センスがあることに、優越感を感じることがあります。そのような美の自尊心(プライド)を基盤として、この立場の人は、政治的なもの全般に嫌悪を示すということがあるようです。政治家ほど美的センスのない生き方はない、政治家の言っていることは野党を含めてすべてダメだ、と感じるのでしょう。

 あるいはまた同様の理由から、「耽美的破壊主義/支配者嫌悪主義」者は、経済的な利益を追求するビジネスマンの生き方に対して、嫌悪を示すかもしれません。経済的利益を追求することを人生の目的の中心に据えるような生き方に対して、批判的であるかもしれません。むしろ経済をよりよいものにしたいという公共精神をもったビジネスマンに支持される立場、と言えるかもしれません。

 それにしても、どうしてこの立場が、経済教育者たちに支持されるのでしょうか。この傾向は、教育者全体に当てはまる傾向なのか、それとも経済教育者に特有な傾向なのか。調べてみたいです。

 (以下は耳学問であり、実証データは手元にありませんが、アメリカでは、経済学者全体と、経済教育学会のメンバーとで、どちらが新古典派経済学的な発想をする傾向が強いか、というようなアンケート調査があるようです。それによると、経済学者全体の傾向よりも、経済教育者全体の傾向の方が、新古典派寄りだそうです。これは教育の現場において、新古典派経済学の内容が、支配的な教科書を通じて流布しているためでしょうか。)

 政治権力と経済的利益の追求は、いずれもいわば「精神の売春」であって、望ましい生き方ではないという考え方があります。自分が自分であるためには、あるいは自分の精神を取り戻すためには、「芸術」と「教育(ないし学問)」が糧になる、あるいは宗教が糧になる、と考えられます。こうした考え方は、ある程度まで、芸術家や教育者、あるいは学者や宗教家に共有されていると思いますが、しかしそのような意識をもった人たちが、どの程度まで「耽美的破壊主義/支配者嫌悪主義」の支持者であるのかについては、さらなる調査が必要です。

 この「耽美的破壊主義/支配者嫌悪主義」の立場を、もっと積極的に解釈することもできるでしょう。教育の方法として、この価値観点を採用することの意義は大きいかもしれません。この立場の教育方法論は、政治権力や経済利益を追求する人間に対して、弁証法的な「否定」を突きつけるでしょう。「権力を得たい」とか、「利益を得たい」という人間の勢力的関心に対して、「ちょっと待て、それでいいのか」と反省を促します。生徒たちは、そのような「否定」の論理に導かれて、自らの倫理的判断力を鍛えていくでしょう。もちろん教師は、生徒たちの勢力欲をすべて否定したいのではありません。そのような欲求を、精神的な欲求へと高めていくように期待するでしょう。経済倫理教育には、こうした人格形成上の弁証法を促すという作用があると考えられます。

このようにみると、この立場はもはや「耽美的破壊主義」や「支配者嫌悪主義」ではなく、新たに「弁証法的人格形成主義」とか「否定媒介的教育主義」と呼んだほうがよいかもしれません。

 今回のアンケートで二番目に支持された立場は、「リベラリズム」と「市民的コミュニタリアニズム」でした。「リベラリズム」は、これまでのアンケートでも多数派でした。これに対して「市民的コミュニタリアニズム」は、これまでのアンケートでは少数派の立場でした。この立場は、例えば生活協同組合など、自由なアソシエーションにもとづく組織活動を重視します。自由な連帯を重んじる立場であり、自律的な個人を前提とした上で、国家と個人のあいだにあって、民主的に参加可能な中間集団こそが、「善き生」を可能にする、と発想します。ただしその場合の中間集団は、何らかのかたちで国家組織と結びついていることも多いです。この立場が二番目に支持されたというのも、興味深いです。

 教育の現場では、「学級(クラス)」が一つの連帯の単位となっています。その組織を教師のリーダーシップによって、市民的かつ共同体主義的に運営することは、学校教育の一つの理想であると言えるでしょう。こうした考え方に基づいて、経済教育者たちのあいだでも、「市民的コミュニタリアニズム」が支持されたのかもしれません。これについてもさらなる分析が必要です。

 最後に、アンケートでは、「近代卓越主義」を支持した方から、次のようなコメントをいただきました。「自分ではリベラルだと思っていました。現実にもそういう行動をとっています。しかし結果は現代の若者に近くて、おどろいています。本音のところはこうなんだなと初めて思い返しています。6x才です。」

 「近代卓越主義」は、これまでの政治経済思想においては論じられてこなかった新しい立場です。この立場は最近、大学生たちのあいだで、リベラリズムと並んで支持されるようになっています。「21世紀の新しい思想」であるともいえます。今回の結果では、この立場を支持した方は一人でしたが、それが60代の方に支持されたというのも興味深いです。

 以上です。会場の皆様、アンケートにご協力いただき、ありがとうございました。

北海道大学経済学部講義におけるアンケート結果201506

『経済倫理=あなたは、なに主義?

アンケート結果2015-2

橋本努Hashimoto Tsutomu

北海道大学大学院経済学研究科、講義「経済思想」でのアンケート結果です。(20156月実施)

リベラリズム 53

近代卓越主義 32

新自由主義 31

新保守主義 26

平等主義 24

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共和主義 18

国家型コミュニタリアニズム 16

耽美的破壊主義 10

開発主義 5

リバタリアニズム 4

地域型コミュニタリアニズム 4

市民的コミュニタリアニズム 2

マルクス主義 1

地域コミュニタリアン・アナキズム 1

合計227

 今回のアンケートで一番支持された立場は、「リベラリズム(福祉国家型)」でした。二番目と三番目に支持された立場はほぼ同数で、「近代卓越主義」と「新自由主義」でした。第四、第五に支持された立場もほぼ同数で、「新保守主義」と「平等主義」でした。

 2013年の講義におけるアンケート結果では、「新保守主義」と「リベラリズム」がほぼ同数で最も支持されました。そのときの分析で私は、この二つのイデオロギーの対立に基づく二大政党制が可能なのではないか、と書きました。

しかし今回のアンケート結果では、「リベラリズム」への支持が、他の思想への支持よりも一つ抜きんでています。「リベラリズム」を追う対抗イデオロギーは、「近代卓越主義」「新自由主義」「新保守主義」「平等主義」の混戦状態となっています。二年前と比べて大きく変化しました。

 現在の自民党のイデオロギーが「新保守主義」であるとすれば、多くの人は、自民党とは別の(あるいはやや異なる)考え方をしているのではないでしょうか。リベラリズムは、政党としては民主党のイデオロギーです。あるいは社会運動体のSealds(シールズ)に代表されるような、安保法制反対の立場です。しかし自民党は、綜合的な政策集団であることによって、新自由主義や平等主義などの理念を一部取り入れ、安定多数派を構成している、とみることができるのかもしれません。

 興味深いのは、在特会のようないわゆる「ネット右翼」の活動が、今回の安倍政権による経済成長への企てとともに、弱体化しているのではないか、という点です。ただしネット右翼の思想傾向は、広義においては「新保守主義」と多くの点で重なる、というのが私の見解です。この点については、いずれ明確に論じたいと思っています。ネット右翼とは、狭義におけるネット上の過激な動画および言論(ヘイト・スピーチを含む)と、広義における新保守主義の思想運動の組み合わせから成り立っている。すると狭義におけるその活動が衰退しても、広義においては新保守主義の興隆を支える運動になりうるかもしれません。日本における新保守主義が、今後どのような道をたどるのか。注視していきたいと思います。

20151221

橋本努

北海道大学オープンキャンパスにおけるアンケート結果20190805


『経済倫理=あなたは、なに主義?

アンケート結果2019-1


橋本努

■北海道大学オープン・キャンパス体験ゼミ(201985日実施)高校生22名のアンケート結果です。

近代卓越主義 6

リベラリズム 4

新保守主義 3

平等主義 2

リバタリアニズム 2

耽美的破壊主義 2

新自由主義

国家型コミュニタリアニズム

共和主義

全国の高校12年生の参加による体験ゼミでのアンケート結果です。若い世代で、「近代卓越主義」の立場が支持されています。二番目に多いのがリベラリズムです。耽美的破壊主義も支持されました。サンプル数は少ないですが、やはり「近代卓越主義」と「リベラリズム」が多く支持されることが分かります。

高校生の皆様、この度は暑い中、オープン・キャンパスにおけるこの体験ゼミにご参加いただき、ありがとうございました。

201988