第15回
"籠の鳥"たちの抗議と闘争
"籠の鳥"たちの抗議と闘争
山家悠平『遊廓のストライキ』(共和国、2015年)
概要
開催日:2022年2月
課題本:山家悠平『遊廓のストライキ』(共和国、2015年)
内容:大正時代の芸娼妓の自由廃業や労働運動について
参加者:berner、midori、PYALA、アントニン、azusachka
選書担当:azusachka
議事録作成担当:azusachka
標題作成:azusachka
選書の理由
吉原遊廓のフィールドワークを計画しており、その準備として遊廓の歴史を学ぶため
「抗議した人々」の歴史に学ぶため
当事者の歴史であるため
消費する側の視点ではない、「置かれた場所で咲きなさい」でもない
救おうとした人々の視点でもない
自ら立ち上がった、当事者の視点から記述された歴史
これまで見逃されてきた歴史の一つ
感想
書き方がすごい
史料に基づいた冷徹な文章でありながら、それでいて当事者に寄り添う内容になっている
遊廓に勤めていた人々の日常やストライキが克明に描かれており、当事者の感情や表情も伝わってくる
史料が見つけられない中で最大限描ききっている
書き残すことや報道の重要性
森光子が書き残したからこそ、他の娼妓たちの抵抗に繋がった
公娼制度ではあるが、比較的自由な報道が可能な時代だった
多様な抵抗のあり方が興味深い
「同じような困難を抱える人間同士で経験を共有することが生活を幾分か楽にしてくれる」(141頁)
「日々過酷な状況で人間性が脅かされている中では、食事に対する不満を聞こえるような形で口に出すこと、それに相槌を打つという行為すら人間性を保つための抵抗の一形態になる」(144頁)
セックスワーカーをめぐる問題は当時から現代まで続いている
やめたいのに経済的な問題でやめられない構造
「労働状況を改善してほしい」当事者と、「セックスワークを辞める方向に導きたい」援助団体の認識のズレ
「どこからどこまでが自分の意思なのか」という問題
自由意志という大義名分で人を管理する体制
例えば10代のうちにセックスワーカーになったり、経済的な事情でその仕事を選ばなくてはいけなかったりした人々の「自分の意思」とは
「経済的に選ばざるを得ない人がいる」という構造が改善されたうえで職業選択の一つになる(マイナスイメージがなくなる)のが理想だけど、今は体制が整っていない
構造の問題と個人の選択の関係に結論は出ない。複雑に絡み合う糸をどうほぐしていくか
一つ注文をつけるとしたら…
日本人の芸娼妓が主で描かれているので、植民地の事例を知りたい
ぜひ続編として植民地編を書いてほしい
オリジナルサブタイトル
※読書会のまとめとして、自分なりのサブタイトルを各自で考えて発表しています。詳しくはこちらをご覧ください。
「遊廓の無名の女性たちの日常を様々な文献を網羅して作られました」(PYALA)
「印刷媒体を通じてのシスターフッド」(berner)
「尊厳をかけて闘う娼妓の群像」(アントニン)
「一人一人の声を形に」(midori)