(漢部全巻14、15、16、17および第18巻冒頭部分)
善男子よ!菩薩摩訶薩はどのようにして梵行を修するのか?菩薩摩訶薩は大乗大涅槃に住し、七つの善法を具足するとき、梵行を完全に修するのである。
七つの善法とは、
一つは法を知ること、
二つは義を知ること、
三つは時を知ること、
四つは足ることを知ること、
五つは自己を知ること、
六つは衆を知ること、
七つは尊卑(身分の上下)を知ることである。
菩薩摩訶薩が法を知るとはどのようなことか。善男子よ!この菩薩は十二部経、すなわち「須多羅経(スダラ経)」、「祇夜経(ギヤ経)」、「受記経(ジュキ経)」、「多陀経(ダダ経)」、「優陀那経(ウダナ経)」、「尼陀那経(ニダナ経)」、「阿波陀那経(アパダナ経)」、「優帝目陀那経(ユテムダナ経)」、「舎陀多経(シャダダ経)」、「毘佛略経(ビブツリャク経)」、「阿補陀達摩経(アフダダルマ経)」、「優婆提舍経(ウバデシャ経)」を知るのである。
これが須多羅経である。
「如是我聞…歓喜奉行に至るまで」のすべてを須多羅経という。
これが祇夜経である。
仏はかつて比丘たちに告げられた。「昔、我は汝らと共に愚かで智慧のなかった者であり、四つの正しい諦を真実として見ることができず、常に生死の苦海を流転していた」と。四つの正しい諦とは、苦諦・集諦・滅諦・道諦である。
かつて仏は比丘たちのために経を説いた後、ある衆生は根性・智慧が明らかであり、法を聞こうとして仏のもとに来て、仏に尋ねた。「さきほど如来は何を説かれたのか?」
そのとき仏は、その衆生のために説いた経を偈頌にまとめて示された:
我かつて汝らと共に、
四諦を見ず、
故に流転せり、
生死の苦海において、
もし四諦を得れば、
生死を断ずる。
生死すでに尽き、
もはや受身なし。
上の偈頌を祇夜経(重頌)という。
大般涅槃経に戻る。
大乗経典に戻る。
トップページに戻る。