(チューラ・カンマヴィバンガ・スッタ)
このように私は聞きました。
ある時、世尊はサーヴァッティー(舎衛城)のジェータ林、すなわちアナータピンディカ(給孤独)の精舎におられました。
そのとき、若者スバ・トーデイヤの子が世尊のもとに赴きました。到着すると、世尊に敬意を表して挨拶を交わし、友情の挨拶を終えると、一方に座りました。そして、そこに座ってスバ青年は世尊にこう申し上げました:
―― ゴータマ尊者よ、どういう因、どういう縁によって、人間という種の中でも、ある人は劣り、ある人は優れているのでしょうか?
尊者よ、私たちは短命な人もいれば、長寿の人も見ます。病弱な人もいれば、健康な人もいます。容姿が醜い人もいれば、美しい人もいます。影響力が小さい人もいれば、大きな権力を持つ人もいます。貧しい人もいれば、財産のある人もいます。身分の低い家に生まれた人もいれば、高貴な家に生まれた人もいます。知恵の乏しい人もいれば、知恵のある人もいます。
尊者ゴータマよ、どういう因、どういう縁によって、人間という存在の中で、ある人は劣り、ある人は優れているのでしょうか?
―― 若者よ、すべての有情(生きとし生けるもの)は業(カルマ)の所有者であり、業の相続者である。業を胎とし、業を縁とし、業を支えとし、業により分類されるのである――すなわち、劣った者と優れた者とに。
―― 尊者ゴータマよ、あなたが簡潔に述べられたことの意味を私は十分に理解しておりません。もしよろしければ、どうかその簡潔に語られた意味を、私がより広く理解できるように、詳しく説いてください。
―― では、若者よ、よく聞き、よく考えなさい。今から語ろう。
―― はい、尊者。
若者スバ・トーデイヤの子は、世尊の言葉を承諾して「はい、尊者」と答えました。すると世尊はこう説かれました:
―― 若者よ、ここにある女あるいは男がいて、生き物を殺し、残酷で、手が血に染まり、殺傷を好み、他の有情に対して慈悲の心を持たない者がいる。そのような行為、かくのごとき業によって、その者は死後、悪趣、悪道、堕落したところ、地獄に生まれる。もし死後に地獄などの悪趣に生まれなかったとしても、人間界に生まれるなら、その人は短命となるであろう。
このように、短命へと導く道は、若者よ、生き物を殺し、残酷で、手が血に染まり、殺傷を好み、有情に対して慈悲の心を持たないことである。
しかしながら、若者よ、ここにある女あるいは男がいて、生き物を殺すことを断ち、殺すことから離れ、棍棒や剣を捨て、羞恥心と良心を持ち、慈しみの心で生きとし生けるものの幸福を願い、哀れみをもって生活する者がいる。そのような業によって、その者は死後、善趣、天界、あるいは良い生に生まれる。たとえ死後に天界などに生まれなかったとしても、人間界に生まれるなら、その人は長寿を得るであろう。
このように、長寿へと導く道は、若者よ、生き物を殺さず、棍棒と剣を捨て、羞恥心と良心を持ち、慈しみの心で有情に対して哀れみをもって生きることなのである。
若者よ、ここにある女あるいは男がいて、手や土の塊、棒、刀などで生きとし生けるものを傷つける傾向がある者がいる。そのような業によって、その者は死後、悪趣、悪道、堕落したところ、地獄に生まれる。もし地獄などに生まれなかったとしても、人間界に生まれるなら、その人は病気がちとなるであろう。
このように、病弱へと導く道は、若者よ、手や土の塊、棒、刀で他の有情を傷つける習慣にあることなのである。
しかしここに、若者よ、ある女または男がいて、有情を手や土塊、棒、刀などで傷つけることがなく、そうした害意の心を持たない者がいる。そのような業によって、その者は善趣、天界、あるいは良い生に生まれる。もし人間界に生まれるなら、その者は病気が少ないであろう。
このように、病弱でないことに至る道は、若者よ、手や土塊、棒、刀などで有情を害さない性質を持つことである。
ここに、若者よ、ある女または男がいて、怒りっぽく、少し言われただけで立腹し、怒りを露わにし、反発し、不満を示す者がいる。そのような業によって、その者は死後、悪趣に生まれ、また人間界に生まれるなら、醜い容姿を持つであろう。
このように、醜い容姿に至る道は、若者よ、怒り、不満、反発を抱き、それをあらわにすることである。
しかしここに、若者よ、ある女または男がいて、怒らず、心が穏やかで、多くのことを言われても立腹せず、怒らず、反発せず、不満を示さない者がいる。そのような業によって、その者は善趣、天界に生まれ、また人間界に生まれるなら、美しい容姿を持つであろう。
このように、美しい容姿に至る道は、若者よ、怒らず、不満を示さず、穏やかな心を持つことである。
ここに、若者よ、ある女または男がいて、他人が利益を得たり、尊敬されたり、敬われたり、崇められたり、礼拝されたり、布施を受けたりすると、それに嫉妬し、ねたみの心を起こし、それを抱き続ける者がいる。そのような業によって、その者は悪趣に生まれ、また人間界に生まれるなら、地位や権力が小さいであろう。
このように、権力の小さいことに至る道は、若者よ、嫉妬し、その心を抱き続けることである。
しかしここに、若者よ、ある女または男がいて、他人が利益を得たり、尊敬されたり、礼拝されたり、布施を受けたりしても、嫉妬せず、ねたみの心を起こさず、それを抱き続けることのない者がいる。そのような業によって、その者は善趣、天界に生まれ、また人間界に生まれるなら、地位や権力が大きいであろう。
このように、権力の大きいことに至る道は、若者よ、嫉妬せず、ねたみの心を持たないことである。
ここに、若者よ、ある女または男がいて、沙門やバラモンに、食べ物や飲み物、衣類、乗り物、花輪、香料、香膏、寝具、住居、灯明などを布施しない者がいる。そのような業によって、その者は堕落したところに生まれ、また人間界に生まれるなら、財産が少ないであろう。
このように、財産の少ないことに至る道は、若者よ、沙門やバラモンに食物や飲み物、寝具、住居、灯明などを施さないことである。
しかしここに、若者よ、ある女または男がいて、沙門やバラモンに、食べ物や飲み物、衣類、乗り物、花輪、香料、香膏、寝具、住居、灯明などを喜んで施す者がいる。そのような業によって、その者は善趣、天界に生まれ、また人間界に生まれるなら、多くの財産を得るであろう。
このように、財産が多いことに至る道は、若者よ、沙門やバラモンに、食物や飲み物、寝具、住居、灯明などを布施することである。
ここに、若者よ、ある女または男がいて、傲慢で高ぶり、礼拝すべき人に礼をせず、立つべき人に対して立ち上がらず、座るべき人を招かず、道を譲るべき人に道を譲らず、敬うべき人を敬わず、尊敬すべき人を尊敬せず、供養すべき人に供養しない者がいる。そのような業によって、その者は堕落したところに生まれ、また人間界に生まれるなら、低い家系・卑しい家に生まれるであろう。
このように、卑しい家系に生まれる道は、若者よ、供養すべき人に供養せず、礼を尽くすべき人に敬意を表さないことにある。
しかしここに、若者よ、ある女または男がいて、傲慢でなく、尊敬すべき人には礼拝を行い、立つべき人には立ち上がり、座るべき人を招き、道を譲るべき人には道を譲り、敬意を示すべき人を敬い、供養すべき人に供養する者がいる。そのような業によって、その者は善趣に生まれ、また人間界に生まれるなら、高貴な家系に生まれるであろう。
このように、高貴な家系に生まれる道は、若者よ、供養すべき人に供養し、敬意を表すべき人に礼を尽くすことにある。
ここに、若者よ、ある女または男がいて、沙門やバラモンのもとを訪れても、「尊者よ、何が善であり、何が不善ですか? 何が罪であり、何が罪ではありませんか? 何を実践すべきであり、何を実践すべきでないですか? 私が長期にわたる利益や苦しみを得る原因は何ですか?」とたずねることをしない者がいる。そのような業によって、その者は堕落したところに生まれ、また人間界に生まれるなら、知恵の乏しい者となるであろう。
このように、知恵が乏しいことに至る道は、若者よ、「何が長期の利益と安楽をもたらすか」といったことを沙門やバラモンに尋ねず、真理を求めようとしないことである。
しかしここに、若者よ、ある女または男がいて、沙門やバラモンのもとを訪れ、「尊者よ、何が善であり、何が不善ですか? 何が罪であり、何が罪ではありませんか? 何を実践すべきであり、何を実践すべきでないですか? 私が長期にわたる利益や安楽を得るためには、何をすべきでしょうか?」とたずねる者がいる。そのような業によって、その者は善趣に生まれ、また人間界に生まれるなら、智慧に満ちた者となるであろう。
このように、智慧に満ちることに至る道は、若者よ、沙門やバラモンに真理を問い、「何が長期の利益と安楽をもたらすか」を求めることにある。
ここに、若者よ、短命に至る道、短命をもたらす道、長寿に至る道、長寿をもたらす道、病多きに至る道、病多きをもたらす道、病少なきに至る道、病少なきをもたらす道、醜い容姿に至る道、醜さをもたらす道、美しい容姿に至る道、美しさをもたらす道、小さな権力に至る道、小さな権力をもたらす道、大きな権力に至る道、大きな権力をもたらす道、貧しさに至る道、貧しさをもたらす道、富に至る道、富をもたらす道、卑しい家系に至る道、卑しさをもたらす道、高貴な家系に至る道、高貴さをもたらす道、知恵の乏しさに至る道、知恵の乏しさをもたらす道、知恵の充実に至る道、知恵の充実をもたらす道があるのである。
若者よ、有情はすべて業(カルマ)の主人であり、業の相続者である。業を胎とし、業を親族とし、業を依り所とし、業によって有情は分類される――すなわち、劣った者と優れた者に。
このように説かれると、若者スバ・トーデイヤの子は世尊に申し上げた:
―― 実に素晴らしいことです、尊者ゴータマよ! 実に素晴らしいことです、尊者ゴータマよ! まるで、倒れていたものを立ち上がらせ、覆われていたものを明らかにし、迷った者に道を示し、暗闇の中に灯火をともして、目ある者が形を見るように、尊者ゴータマは多様な方法で法を説き明かされました。
今より私は、尊者ゴータマに帰依し、法に帰依し、比丘僧団に帰依します。どうか、尊者ゴータマよ、私を在家の弟子としてお受け取りください。今より命の終わりまで、私は帰依し、信じ従う者となります。
元のソース:https://www.budsas.org/uni/u-kinh-trungbo/trung135.htm
ChatGPTによる日本語訳です。
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