(デーヴァドゥータ・スッタ)
このように私は聞いた。
ある時、世尊は舎衛城の祇樹給孤独園に滞在していた。
そのとき、世尊は比丘たちを呼ばれて言った。
「比丘たちよ。」
「はい、世尊」と比丘たちは答えた。
世尊は言われた:
――「比丘たちよ、たとえば二つの扉のある家に、目の見える者が中央に立っているとしよう。彼は、家に入ってくる者、家から出ていく者、行き交う者を見通すことができるだろう。
同様に、比丘たちよ、私は清浄な天眼をもって、超人的な力で、衆生たちの生死を見通す。彼らは低い生まれ、高い生まれ、美しい姿、醜い姿、善き天人、悪しき天人、その行い(業)に応じて異なる状態にある。
私は思う。
『これらの衆生は身体において善き行いをなし、言葉において善き行いをなし、心において善き行いをなし、聖者たちを害せず、正見をもち、正見に適した業を保っている。彼らは身体の滅後、善趣、すなわち天界に生まれる。
あるいは、同様の善き行いにより、人間界に生まれる。
一方、悪しき身体の行い、言葉の行い、心の行いをなし、聖者を害し、邪見をもち、邪見に適した業を保つ衆生は、身体の滅後、餓鬼界、あるいは畜生界、または地獄界に堕ちる。』」
比丘たちよ、地獄の番人たちは、多くの手でその者を捕らえ、ヤーマ王の前に連れて行き、こう申し上げた。
「大王よ、この者は慈悲心がなく、沙門にも婆羅門にもふさわしくなく、家の長老たちを敬いません。大王はどうかこの者を罰してください。」
比丘たちよ、ヤーマ王はその者に問いただし、厳しく質問した。第一の天人について問うて言った。
「そなたよ、第一の天人が人間の中に現れたのを見たか?」
その者は答えた。「見ておりません。」するとヤーマ王は言った。
「そなたよ、人間の中に、生まれたばかりの小さく弱い赤子が、仰向けに寝て、自分の糞や尿の中に落ちているのを見たか?」
その者は答えた。「はい、見ました。」ヤーマ王はさらに言った。
「そなたよ、意識があり、年長でありながら、『私は生に支配され、生を逃れられない。だから身・口・意で善を行おう』と思わなかったのか?」
その者は答えた。「申し訳ありません。怠惰なため、それができませんでした。」
ヤーマ王は言った。
「そなたよ、もし怠惰のために身・口・意の善を行わなかったならば、それは必ずや、そなたのその怠惰に応じて、そなたに返ってくるであろう。
これはそなたの悪業であり、母でもなく、父でもなく、兄弟でもなく、姉妹でもなく、友人でも親族でも、沙門でも婆羅門でも、天人でもない。
その悪業はまさにそなた自身が作ったものであり、そなた自身がその結果を受けなければならないのだ。」
比丘たちよ、第一の天人について問いただし、厳しく質問し終えた後、ヤーマ王は第二の天人についても問いただした。
「そなたよ、第二の天人が人間の中に現れたのを見たか?」
その者は答えた。「見ておりません。」
するとヤーマ王は言った。
「そなたよ、80歳、90歳、あるいは100歳の老婆や老人を見たか?背は曲がり、腰は曲がり、杖をつき、歩くとき震え、病気で若さは失われ、歯は抜け、白髪で、肌はしわだらけ、手足は震えている者を見たか?」
その者は答えた。「はい、見ました。」
ヤーマ王はさらに言った。
「そなたよ、意識があり年長でありながら、『私は老いに支配され、老いを逃れられない。だから身・口・意で善を行おう』と思わなかったのか?」
その者は答えた。「申し訳ありません。怠惰のため、それができませんでした。」
ヤーマ王は言った。
「そなたよ、もし怠惰のために身・口・意の善を行わなかったならば、それは必ずや、そなたのその怠惰に応じて、そなたに返ってくるであろう。
これはそなたの悪業であり、母でもなく、父でもなく、兄弟でもなく、姉妹でもなく、友人でも親族でも、沙門でも婆羅門でも、天人でもない。
その悪業はまさにそなた自身が作ったものであり、そなた自身がその結果を受けなければならないのだ。」
比丘たちよ、第二の天人について問いただし終えた後、ヤーマ王は第三の天人についても問いただした。
「そなたよ、第三の天人が人間の中に現れたのを見たか?」
その者は答えた。「見ておりません。」
するとヤーマ王は言った。
「そなたよ、病に苦しみ、重い病を患い、自分の尿や糞の中に倒れ込み、他者に抱え上げられ、他者に介助されて寝かされる老婆や老人を見たか?」
その者は答えた。「はい、見ました。」
ヤーマ王は言った。
「そなたよ、意識があり年長でありながら、『私は病に支配され、病から逃れられない。だから身・口・意で善を行おう』と思わなかったのか?」
その者は答えた。「申し訳ありません。怠惰のため、それができませんでした。」
ヤーマ王は言った。
「そなたよ、もし怠惰のために身・口・意の善を行わなかったならば、それは必ずや、そなたのその怠惰に応じて、そなたに返ってくるであろう。
これはそなたの悪業であり、母でもなく、父でもなく、兄弟でもなく、姉妹でもなく、友人でも親族でも、沙門でも婆羅門でも、天人でもない。
その悪業はまさにそなた自身が作ったものであり、そなた自身がその結果を受けなければならないのだ。」
比丘たちよ、第三の天人について問いただし終えた後、ヤーマ王は第四の天人についても問いただした。
「そなたよ、第四の天人が人間の中に現れたのを見たか?」
その者は答えた。「見ておりません。」
するとヤーマ王は言った。
「そなたよ、人間の中で、王や支配者が罪を犯した盗人を捕らえ、多種多様な刑罰を加えるのを見たか?彼らは鞭で打ち、棍棒で打ち、剣で首を切るのを見たか?」
その者は答えた。「はい、見ました。」
ヤーマ王は言った。
「そなたよ、意識があり年長でありながら、『悪業をなす者は、現世においてもこのような罰を受ける。ましてや来世ではなおさらである。だから身・口・意で善を行おう』と思わなかったのか?」
その者は答えた。「申し訳ありません。怠惰のため、それができませんでした。」
ヤーマ王は言った。
「そなたよ、もし怠惰のために身・口・意の善を行わなかったならば、それは必ずや、そなたのその怠惰に応じて、そなたに返ってくるであろう。
これはそなたの悪業であり、母でもなく、父でもなく、兄弟でもなく、姉妹でもなく、友人でも親族でも、沙門でも婆羅門でも、天人でもない。
その悪業はまさにそなた自身が作ったものであり、そなた自身がその結果を受けなければならないのだ。」
比丘たちよ、第四の天人について問いただし終えた後、ヤーマ王は第五の天人についても問いただした。
「そなたよ、第五の天人が人間の中に現れたのを見たか?」
その者は答えた。「見ておりません。」
ヤーマ王は言った。
「そなたよ、人間の中で、一日、二日、三日と死後に膨れ上がり、青灰色に変色し、腐敗していく老人や老婆を見たか?」
その者は答えた。「はい、見ました。」
ヤーマ王は言った。
「そなたよ、意識があり年長でありながら、『私は死に支配され、死を逃れられない。だから身・口・意で善を行おう』と思わなかったのか?」
その者は答えた。「申し訳ありません。怠惰のため、それができませんでした。」
ヤーマ王は言った。
「そなたよ、もし怠惰のために身・口・意の善を行わなかったならば、それは必ずや、そなたのその怠惰に応じて、そなたに返ってくるであろう。
これはそなたの悪業であり、母でもなく、父でもなく、兄弟でもなく、姉妹でもなく、友人でも親族でも、沙門でも婆羅門でも、天人でもない。
その悪業はまさにそなた自身が作ったものであり、そなた自身がその結果を受けなければならないのだ。」
比丘たちよ、第五の天人について問いただし終えた後、ヤーマ王は黙った。
比丘たちよ、地獄の守護者たちは、その者に五つの杭(パンチャヴィダバンダナム)という罰を加えた。彼らは赤熱した鉄の杭を一本目の手に打ち込み、二本目の手にも打ち込み、一本目の足に打ち込み、二本目の足にも打ち込み、胸の中央にも打ち込んだ。その者はここで痛み、苦しみ、激しい苦悶を受ける。しかし、その者の悪業が消滅するまでは、死ぬことはできない。
比丘たちよ、地獄の守護者たちはその者を寝かせ、金槌で打ち据えた。その者はここで痛み、苦しみ、激しい苦悶を受ける。しかし、その者の悪業が消滅するまでは、死ぬことはできない。
比丘たちよ、地獄の守護者たちはその者を逆さに吊るし、足が上で頭が下になるようにして、金槌で打ち据えた。その者はここで苦しみを感じるが、悪業がまだ消えていない。
比丘たちよ、地獄の守護者たちはその者を車に縛りつけ、燃え盛る赤熱した大地の上を前後に引きずった。その者はここで苦しみを感じるが、悪業はまだ消えていない。
比丘たちよ、地獄の守護者たちはその者を押し上げ、燃え盛る炭火で覆われた山腹を引きずり下ろした。その者はここで苦しみを感じるが、悪業はまだ消えていない。
比丘たちよ、地獄の守護者たちはその者を逆さに吊るし、足が上で頭が下になるようにして、真鍮の赤熱した大鍋に投げ入れた。その鍋は燃え盛り、炎をあげ、赤く熱く燃えた。その者はここで、激しく沸き立つ熱湯の泡の中で煮え、時には浮かび上がり、時には沈み、時には漂った。その者は激しい苦痛と苦悶に耐えるが、その悪業が消滅するまでは死ぬことができない。
比丘たちよ、地獄の守護者たちはその者を大地獄に投げ込んだ。
比丘たちよ、その大地獄は四つの角があり、四つの門があり、等分に区切られている。周囲は鉄の壁で囲まれ、鉄の屋根がかけられている。地獄の床は赤熱した鉄でできており、熱く溶けている。その広さは百由旬である。
比丘たちよ、その大地獄の東の壁から燃え盛る炎が吹き上げられ、西の壁に吹き渡る。西の壁の炎は東の壁に吹き渡る。北の壁の炎は南の壁に吹き渡る。南の壁の炎は北の壁に吹き渡る。下から燃え盛る炎は上に吹き上げられ、上の炎は下に吹き降ろされる。
その者はここで激しい痛みと苦悶を感じるが、その悪業が消滅するまでは死ぬことができない。
比丘たちよ、あるとき、非常に長い時間が過ぎた後に、大地獄の東の門が開かれることがある。すると、その者は非常に素早く、速やかにその中へと走り込む。彼が素早く走り込むとき、外皮が焼け、内皮が焼け、肉が焼け、腱が焼け、骨は煙で黒く染まる。その者の逃亡とはこのようなものである。
比丘たちよ、たとえその者がどれほど努力しても、門はその者に対して閉ざされたままである。そこにおいて、その者は激しい、苦痛に満ちた、恐ろしい感覚を受ける。しかし、その者の悪業が尽きるまでは、死ぬことはない。
そしてまた、比丘たちよ、あるとき、非常に長い時間が過ぎた後に、西の門が開かれることがある… 北の門が開かれることがある… 南の門が開かれることがある。その者は再び非常に速やかにその中へと走り込む。彼が速く走るとき、外皮が焼け、内皮が焼け、肉が焼け、腱が焼け、骨は煙で黒く染まる。その者の逃亡とはこのようなものである。
比丘たちよ、たとえその者がどれほど努力しても、門はその者に対して閉ざされたままである。そこにおいて、その者は激しい、苦痛に満ちた、恐ろしい感覚を受ける。しかし、その者の悪業が尽きるまでは、死ぬことはない。
そしてまた、比丘たちよ、あるとき、非常に長い時間が過ぎた後に、東の門が開かれる。その者は非常に速やかにその中へと走り込む……その者の逃亡とはこのようなものである。その者は地獄の門から出ていく。
しかし、比丘たちよ、大地獄のすぐ近くには「大糞泥地獄(グッタニラヤ)」がある。その者はその地獄に落ちるのである。
比丘たちよ、その糞泥地獄においては、そこに生きる衆生たちは、針のような口を持ち、その口でその者の外皮を切り裂く。外皮を切り裂いた後、内皮を切り裂き、さらに肉を切り裂き、腱を切り裂き、骨を切り裂き、ついには骨髄をも切り裂くのである。
そこでその者は、激しい、苦痛に満ちた、恐ろしい感覚を受ける。しかし、その悪業がまだ尽きない限り、その者は死ぬことができない。
さらに、比丘たちよ、その糞泥地獄の近くには「熱灰地獄(クックラニラヤ)」がある。その者はそこに落ちるのである。そこにおいても、その者は激しい、苦痛に満ちた、恐ろしい感覚を受ける。しかし、その者は悪業が尽きるまでは死ぬことができない。
そしてまた、比丘たちよ、その熱灰地獄の近くには「大針林(サンバリヴァナム)」がある。それは一由旬(約11〜13km)の高さを持ち、とげは十六指の長さで、燃え上がり、炎を立て、赤く灼熱している。
その者はその針林を登らされ、また降ろされるのである。そこにおいて、その者は激しい、苦痛に満ちた、恐ろしい感覚を受ける。しかし、その悪業が尽きるまでは、死ぬことができない。
しかし、比丘たちよ、「大針林(サンバリヴァナム)」のすぐ近くには「大剣葉林(アーシパッタヴァンタ)」がある。その者はその中へと入る。そこでは、木の葉が風に揺られて、その者の腕を切り裂き、足を切り裂き、手足を切り裂き、耳を切り裂き、鼻を切り裂き、耳と鼻を共に切り裂くのである。
そこにおいて、その者は激しい、苦痛に満ちた、恐ろしい感覚を受ける。しかし、その悪業が尽きるまでは、その者は命終することができない。
また、比丘たちよ、「大剣葉林」のすぐ近くには「大灰河(カーラウダカナディ)—石灰の川—」がある。その者はその川に落ちるのである。そこでは、その者は流れに従って流され、流れに逆らって流され、また流れに従い、逆らいながら流され続ける。
そこにおいて、その者は激しい、苦痛に満ちた、恐ろしい感覚を受ける。しかし、その者の悪業がまだ尽きない限り、命終することはない。
そしてまた、比丘たちよ、地獄の番人たちはその者を鉄の鉤で引き上げ、地面の上に置き、その者にこう言う:「おい、そこの者よ、お前は何を望むのか?」
その者は答える:「ご主人たちよ、私はお腹が空きました。」
そこで、比丘たちよ、地獄の番人たちは真っ赤に焼けた鉄の棒でその者の口をこじ開け、真っ赤に焼け、炎を上げ、灼熱した銅塊をその口に押し込むのである。すると唇が焼け、口内が焼け、喉が焼け、胸が焼ける。そして、大腸や小腸を巻き込みながら、それらの銅塊は下から体外へと落ちていく。
そこにおいて、その者は激しい、苦痛に満ちた、恐ろしい感覚を受ける。しかし、その悪業が尽きるまでは、命終することはできない。
そしてまた、比丘たちよ、地獄の番人たちはその者に言う:「おい、そこの者よ、お前は何を望むのか?」
その者は言う:「ご主人たちよ、私は喉が渇きました。」
そこで、比丘たちよ、地獄の番人たちは真っ赤に焼けた鉄の棒でその者の口をこじ開け、煮えたぎる銅、炎を上げて赤熱した銅の液体をその者の口に注ぎ込むのである。
すると、その者の唇が焼け、口が焼け、喉が焼け、胸が焼ける。そして、大腸や小腸を巻き込みながら、その熱い銅の液体が下から体外へと流れ出る。
その場所で、その者は激しい、苦痛に満ちた、恐ろしい感覚を味わう。しかし、その悪業が尽きるまでは、その者は命終することができない。
そしてまた、比丘たちよ、地獄の番人たちはその者を再び「大地獄」へと投げ込むのである。
比丘たちよ、はるか昔、ヤマ王(閻魔王)は次のように思ったことがある:
「この世において悪業を行った者たちは、このように様々な苦しい刑罰を受けるのだ。願わくば、私が人間に生まれ、如来・阿羅漢・正等正覚者がこの世に現れ、私はその世尊に仕え、世尊が法を説き、私はその説かれた法を理解することができますように。」
比丘たちよ、今わたしが語っていることは、他の沙門(出家修行者)やバラモンから聞いたものではない。今わたしが語っていることは、ただわたし自身が知り、ただわたし自身が見、ただわたし自身が理解したことである。
世尊はこのように説かれた。善逝(仏陀)がこのように語られたのち、導師はさらに次のように偈で述べられた:
たとえ天人が警告を与えても、
若者はなおも放逸にふける。
彼らは長く憂いに沈み、
卑しき者として生まれ変わる。
ここにおいて聖なる者は、
天人の警めに目を覚まし、
決して放逸に堕ちることなく、
聖者の妙法に勤しむ。
執着のうちに恐れを見、
生死の存在を怖れとして知る。
執着を離れて解脱すれば、
生死の輪廻は絶たれる。
彼らは安穏と安楽を得、
現世においても寂静を楽しむ。
すべての怨みと恐れを超え、
すべての苦しみと悲嘆を乗り越え、
完全なる解脱に至るのである。
元のソース:https://www.budsas.org/uni/u-kinh-trungbo/trung130.htm
ChatGPTによる日本語訳です。
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