第11話

 カスディール近郊の尾根に潜伏を始めてから二日が過ぎ、移動するレマシア軍の大隊を遠方に発見した二人はそれぞれに戦闘態勢へと入った。この二日、監視を続ける中で大隊と共有した情報は多い。上手く連携が取れることを祈りながら、彼らは意識をカスディールに集中させ深呼吸をした。
 強襲ヘリコプター「AH-38エックハルト」数機のプロペラ音が、徐々に大きくなり耳へと届く。それを聴きながら、セスは降下地点を監視した。ぐんと高度を下げ低空飛行を始めたエックハルトの機銃が火を吹き、メインストリートに陣取っていた反政府勢力のグループを掃射する。彼らはヘリの攻撃を前に散り散りになり、建物の中へと逃げていった。そしてそれを追うように、ヘリから垂らされたロープを使ってレマシア軍兵士が次々と地上へ降下する。
 無論、反政府勢力も丸腰という訳ではない。対ヘリ用の兵器——携帯型のロケットランチャーを担いだ兵士が建物の屋上に登り、それを撃たんとしているのが見えた。しかしそれは、他にも配備されているだろう別のレマシア軍スナイパーによって排除される。遠くから銃声が聴こえたと思った次の瞬間には、ロケットランチャーを構えていた兵士が倒れていた。
 アクィナス中佐によれば、今回「ブラック・ベレー」のスナイパーは全部で4チーム派遣されており、それぞれがカスディールを包囲する形で配置されているという。アスワドを封じ込めるため、そしてカスディールを奪還するためにアクィナス中佐は「最良の手を打った」と言える。
 そうして戦況を見守っていると、やがて移動してきたレマシア軍の本隊がカスディールの市街地になだれ込んだ。レマシア軍は順調に進撃を続け、すぐにも街の半分ほどまで前線を押し上げる。そして、それを狙ったかのように一発の銃声が聴こえたのはその時だった。
「!」
 瞬間、街を監視していたセスの瞳が見開かれる。「マイク、」短く呼びかけると、マイクもまた油断のならない様子で双眼鏡を覗いた。
「アスワドか?」
「だろうね」
「場所は」
「……見つけた。11時、白い薬局の建物が見える? 狭い路地の陰に居る」
「視認した」
 スコープを素早く微調整しながら、セスはマイクに答える。そして彼は一度身体を揺らして感覚を「初期化」すると、静かに狙撃態勢へ入った。
「2時の方向から風。蜃気楼が見える……気をつけて」
「了解」
 スコープの中にアスワドと思しき男の姿を収め、セスはゆっくりと呼吸する。民兵風の男は写真で見たのと同様に「シスマ狙撃銃」を用い、迫り来るレマシア軍の急所を的確に突いている。そしてその全身から放たれる「歴戦のオーラ」のようなものが、セスの喉をごくりと鳴らさせた。
 撃てるだろうか——周囲の状況の把握に努めながら、セスはエシュルン-50の引き金に人差し指を添える。長距離狙撃は撃つ瞬間こそ文字通り一瞬だが、撃つまでの時間はその何倍も長い。ありとあらゆる事象を考慮した計算を行い、絶好のチャンスを待つためだ。
 そうしてチャンスを待つ間に、アスワドは最初の位置を離れ別の場所へと移動する。そしてその先でレマシア軍を狙撃し、またポジションを変える。予想通り、彼は狙撃ポジションを転々とすることで、セスたちレマシア軍スナイパーの攻撃を撹乱しようとしていた。
「また動いた。今度は三階建ての崩れかけた民家、二階の窓に居る」
「くそ、あちこち動くんじゃねぇよ」
 冗談半分、本心半分の悪態をつきつつセスはスコープでそれを追う。これが何度目になるだろうか、アスワドの潜む影をスコープに収めながら彼は「今度こそ」と目を凝らした。
「次に奴が狙撃する時がチャンスだね。今なら風もない、イケる」
「了解。目を離すなよ」
「もちろん」
 観測手マイクの言葉に応え、セスは意識を右手の人差し指に集中させる——そしてついに、チャンスは訪れた。アスワドが、地上のレマシア兵を撃たんとして窓際に姿を現したのだ。
 それを捉えたセスは深く息を吸うとそれを止め、静かに引き金を引いた。瞬間、その静かさとは正反対の大きな発砲音が鳴り、ストックを伝って衝撃が全身に伝わる。そして彼は弾丸が着弾するまでの数秒、じっと身動き一つせずに待った。
「外した」
 着弾を確認したマイクが言う。セスの放った弾丸は僅かにその軌道がずれ、アスワドの潜む窓の縁に当たった。
「……クソッ、」
 ハンドルを引き空になった薬莢を排出しながら、セスは今度こそ本心からの悪態をついた。絶好のチャンスを逃してしまった悔しさを胸に、彼は新たな銃弾を装填する。
 焦っていたのだろうか、それとも、計算を誤ったか。数々の疑念が湧いたが、それを一瞬で跳ね除け、セスは再び狙撃態勢に入る。次は外さない、そう心に決めてスコープを覗いたまさにその時だった。
 アスワドが、「こちらを見た」。
「!」
 全身が凍りつくかのような殺意を持った眼差しが注がれ、セスは一瞬動きを止めた。そして次の瞬間、彼の身体は「何かの衝撃」を受けて後方へ倒れていた。
「セス!」
 隣に居たはずのマイクの声が遠い。6メートルほど坂を滑り落ちたのだと気付いたのは、それから数秒後のことだった。
 滑り落ちる身体を何とか固定しようと手足に力を入れると、すぐに左肩が痛んだ。見れば、左肩からは決して少なくない量の血が流れており、それを意識が認めた瞬間に痛みが何倍にも膨れ上がった。思うように力が入らず、セスはそのままずるずるとまた数メートル下へ滑り落ちる。そしてようやく、彼は理解するのだった。アスワドに、撃たれたのだと。
 そんな馬鹿なと最初は思った。市街地からは充分な距離を稼いでいたはずだった。2キロメートルを越える長距離狙撃は、並みの銃と技術では成し得ないものだ。作戦や装備に関して言えば、明らかにこちらが有利のはずだったのだ。
「セス、しっかり」
 慎重に坂を下ってきたマイクがセスを抱き起こす。彼は通信回線を開くと「セスが撃たれた」と短く報告してすぐに回線を切り、応急処置を施すために医療キットを開いた。それを見たセスは、痛みに顔をしかめながら右腕で乱雑に野戦服を脱ぐ。ふと右手を見やれば、そこには赤い血がべっとりとついていた。
「辛うじて弾は貫通してる……ボディアーマーだったら逆に危なかったかも」
 セスの傷を確認し素早く止血帯で圧迫しながら、マイクが珍しく余裕のない表情で呟く。セスはそれに呻くことで応え、急に現実味を持ち始めた痛みと戦うこととなった。傷を負った反応か、汗がどっと吹き出し呼吸が浅くなる。いつも狙撃時には出来ていたはずの呼吸のコントロールが出来ない。セスは焦りを覚え、浅い呼吸を繰り返した。
「まずいね……移動するにも、ここは山の上だ。場所も割れてる……しかも相手が相手だ。今動けば、いい的になってしまう」
「大したことねぇよ、かすっただけだ……まだ戦える」
「馬鹿。こんな時にわかりやすい嘘をつかないの」
 三角巾をセスの左腕と右脇に巻いてきつく締めながら、マイクは言う。セスの傷は、出来るだけ早く医療チームに診せるべき深さだった。止血はしたが、それはあくまで応急処置に過ぎない。どうすべきかマイクが考えあぐねていると、ふと先ほどの通信に応えて無線が入った。
「負傷チームへ。じっとしていろ……そちらへ行く」
 通信回線の向こうから聴こえてきたのは、低く沈んだ男の声だった。特徴的なその声に聴き覚えのあったマイクは、それに「よろしく」とだけ答えセスを見やる。
「セス、ルカがこっちに来る。多分、移動させてくれるんだと思う」
「ルカ……?」
 どこかぼんやりとした表情でマイクを見上げ、セスが呟く。「そう言えば会ったことなかったっけ」マイクが問うと、彼は「ああ」と答えた。恐らく、名前を聞くのさえ数ヶ月振りだったのだろう——セスは意外なサポーターの存在に驚いているようだった。
 やがて尾根に近づく人影が見え、それが味方識別信号を発していることを確認した二人はほっと息をつく。恐らくルカだ。砂漠用のギリースーツを着込んだその姿が徐々に鮮明になると、彼は軽く右手を上げて合図する。そしてそんなルカへ、マイクもまた右手を上げると位置を知らせるのだった——。


(了)