第12話

 カスディール奪還作戦が始まり本隊からの攻撃許可が出た後、反政府勢力の戦力を削ぐために市街地近郊から狙撃を行なっていたルカの元に緊迫した無線が届いたのは、彼が六人目の民兵を仕留めた直後のことだった。
「セスが撃たれた」
 無線を飛ばしてきたマイク・シルヴェストリ一等軍曹の声が、驚きと焦りに支配されているのが分かる。ルカは長く息を吐くと、潜伏場所から移動するべくゆっくりと腰を上げた。
 誰に撃たれたのかは、既に察しがついていた。アクィナス中佐は「アル・ファランの悪魔」アスワドを封じ込めるために、長距離狙撃を得意とするセス・アンシュッツ三等軍曹とスポッターであるマイク・シルヴェストリ一等軍曹に白羽の矢を立てた。
 その人選は間違っていないとルカは考えていたが、そこには多少の懸念もあった——そう、彼らは「若い」のだ。アスワドがどのような人物で、どれだけ危険な男なのかを彼らは知らない。知っていたとしても、肌で感じたことがない。
 事実、アスワドは2キロ先に潜伏していたセスに僅かな時間で狙いを定め、弾丸を命中させた。本来なら充分な時間を掛けて慎重に狙うべきところを、あの男は一人ですぐにやってのけた。セスとマイクの二人にとっては、この攻撃がアスワドを知るための手痛い洗礼となったことだろう。
「負傷チームへ。じっとしていろ……そちらへ行く」
 荷物を担ぎ、ルカは二人をサポートするべく動き始めた。撃たれたセスの容態は分からないが、彼らは現在山と山の間——切り立った尾根に潜伏している。移動して本隊に合流するには山を降りなくてはならず、負傷したセスを伴っての移動ともなれば、敵軍のいい的だ。ルカは静かにポジションを離れ、二人が居るであろう尾根を目指した。
 姿勢を低くし、ギリースーツと枯れ草とを完全に同化させながらルカは砂漠を行く。やがて砂が土と砂利に変わり、なだらかだった斜面は急に角度を増した。市街地方面から影になる斜面を進んでいくと、その先に小さな人影を二つ見つけた。ルカが右手を上げて合図すると、向こうも気付いたのか、マイクと思しき人物が遠くで右手を上げた。
「生きているか」
 ルカは静かに問うた。すると初対面のセスが呻きながらに答えた。
「あんたが、ルカ……? ずっと幽霊か何かだと思ってた」
「アンシュッツ三等軍曹だな。噂は聞いている。やられたのは左肩か……利き腕でなくて幸運だったな」
「幸運? このクソッタレな状況が?」
「そうだ。奴はわざと外した。お前たちを試したんだろう」
「……そいつはまた、舐められたもんだな」
 若さゆえの特権とでも言えるかのような野心的な表情を浮かべ、セスが笑う。しかしそれは、すぐに彼自身の痛みによって中断された。「う、」と呻いたセスが、左肩をかばうようにして痛みに耐える。
「本隊がすぐそこまで来ている。山を下りよう……援護する」
「ありがとう、ルカ」
 セスに肩を貸して立ち上がらせるマイクが礼を述べる。それに頷き返し、ルカは愛銃であるFMPを構えて二人を先導するべく山を下り始めた。
「アスワドについて、詳しいようだけど……何か、知っているんですか」
「多少はな」
 背後から投げかけられたマイクの問いに背中で答え、ルカは静かに道なき道を行く。
「アスワド……本名、カイナン・ラ・イール。元フェナーク共和国の軍人で、現在はフリーの傭兵として活動している。バラーキシュへはウジスラ連邦経由で入った可能性が高い。この戦争には、ウジスラも一枚噛んでいるようだ」
「ウジスラが? なんでまた」
 ぽかんと口を開けたセスが問う。ルカはそれに「俺は政治に関しては明るくないが」と前置きし、言った。
「ウジスラは以前からバラーキシュに兵器を輸出している。それに、周辺地域におけるレマシアの影響力が拡大するのを彼らは良しとはしていないようだ。表面上は静観を貫いているが……実際のところ、バラーキシュ反政府勢力とウジスラの対レマシアに関する利害関係は一致している。レマシア軍がこの戦争でウジスラの関係者に犠牲を出したことも、少なからず影響を与えている」
「アスワドがフェナーク人だというのは初めて聞いた。どこからそれを?」
「……俺は、以前フェナークで奴と同じ部隊に居たことがある。もう二十年近く前の話だ。奴は腕のいいスナイパーで、作戦成功のために不可欠の存在だった」
 そう、ルカ——本名をジャン=リュック・サンソンという——は元々フェナーク共和国軍に属する人間だった。現在はその籍をレマシア合衆国に移しているが、彼の心は未だ二十年前のフェナークにある。ルカは当時を思い出しながら、若きスナイパーたちに語った。
「奴が数年前からここに居ると聞いて、俺は『ブラック・ベレー』からのオファーにサインした。奴は優秀なスナイパーだが、その性格は残忍だ。誰かが、止めなくてはならない」
 レマシア軍本隊の影が、行く先に見えつつあるのを確認しながらルカは言う。そして本隊の兵士がこちらへ近づくのを確認すると、彼は状況を説明して二人を本隊に引き渡した。
 負傷した肩を医療チームに診せるべくトラックの中へ消えていく二人を見送り、ルカは再び戦線へ戻るべく移動を開始する。対アスワドの一番手であったセスが倒れたならば、その代わりを努めねばならない。街の北西へ向かい、彼はそこに潜伏した。
 恐らく、既に場所は割れていることだろう。いくら巧妙に外見を偽装したところで、人の心までもを欺くことはできない。スナイパーとしての行動は、相手も熟知している。ルカはこの戦いが騙し合いというよりは純粋なパワーゲームになりつつあることを理解していた。
 FMPのスコープを覗き、アスワドの痕跡を追う。あの男ならば、次はここに陣取るに違いない——そう予測して視界を旋回させると、やはり予想通りそこにはアスワドが居た。
 幸運なことに、アスワドはセスを排除したことでいくらか油断しているようだった。まだこちらに気づく様子はない。最初の一発だけなら、相手の隙を突けるかもしれない。ルカは慎重に狙いを定め、アスワドに照準を合わせた。
 距離はおよそ1キロメートル。ルカの愛銃FMPの射程外ではあるが、当てられないということはない。目的はアスワドを「無力化」することであり、殺すことではない。彼は作戦を殺害から封じ込めに切り替え、充分な距離を保って狙撃を行うことにした。
 なるべく的に当たるよう、ルカはアスワドの中心を狙う。そして、静かに引き金を引いて一発目を放った。ルカの弾丸がアスワドの右胸に当たり、その身体が大きく揺らぐ。ルカは隙のない所作でボルトハンドルを引き薬莢を排出、すぐに二発目を装填し再び狙いを定めた。
 しばらく監視を続けていると、アスワドの倒れた場所に次々と民兵たちが集まってきた。そしてそれを再び狙い、ルカは確実に排除していく。数人を片付けるとやがて反政府勢力もスナイパーに釘付けにされているのを悟ったか、負傷したアスワドを連れてその場を後にした。
 恐らく、アスワドは絶命していないだろう。だが、これでレマシア軍はカスディールを比較的安全に攻略することができる。それほどまでに、アスワドの影響力は強いのだ。セスを排除したことによるアスワドの油断と、先手を打つことが出来たという幸運がルカに味方した。
 ふう、と息をつきルカは上体を起こす。負傷者こそ出たが、これで任務はひとまず完了したことになる。アクィナス中佐はアスワドを「始末」出来なかったことを悔やむだろうが、それでも現在の状況を考えれば御の字だ。
「アスワドを無力化した。繰り返す、アスワドを無力化した」
 無線で他のチームや大隊に報告をし、ルカは素早く撤退を開始する。ふと負傷したセスの状態が気に掛かり、彼は大隊の医療チームが居る方角を見やった。
 他人のことを心配するなど、もう何年もしていないことだった。しかし、セスという一人の兵士について、彼は密かに注目していた。「ブラック・ベレー」のエーススナイパーとも言える彼は、今頃どんな気持ちで戦況を見守っているのだろう。
 容体が安定したら、一度アスワドについてじっくり話をした方が良さそうだ。ルカはそう考えると愛銃を抱え、帰投するべく移動を開始するのだった。


(了)