バラーキシュ共和国の首都ハジャル・アル・カディールから南へ八〇キロ、「アズィーム・フルシュ」と呼ばれる、廃墟と化した政府軍と反政府組織の激戦区がある。そこでは日々銃声が絶えることなく響き、その度に誰かが断末魔の声を上げる。まるで地獄のような空間。
しかし数日前、それが突然ぴたりと止んだ。バラーキシュ政府軍が苦難の末に反政府勢力「カビール・タグイェル」を打ち返し、街を制圧したのだ。
首都の目と鼻の先ということもあり、政府軍は躍起になってこの街を守ろうとしている。そして反政府勢力は、首都へ侵攻するための足掛かりとして何としてでもこの街を落としたい。そんな思惑が、束の間の静寂に漂っていた。
「今日も動き無しか」
「油断はできませんよ、中尉」
「そんなこと言って。かれこれもう三日よ? いい加減背中が痛くなって来たわ」
崩れかけた建物の屋上、その陰に身を潜めるリュドミラとオリガが用心深く眼下のメインストリートを見据える。少しでも異常があれば、無線でバラーキシュ軍に報告をするところなのだが——この街は数日前に軍が制圧したきり、しんと静まり返っていた。
住民も居ない訳ではないのだが、彼らはそろって戦火を恐れ家の奥や地下に隠れてしまっている。ある意味それは戦闘を行う上で「ありがたい」状況なのだが、同時に「カビール・タグイェル」が抱える民兵がどこに潜んでいるかわからない、という状況をも生んでいた。
そんな人っ子ひとり通らないメインストリートを、パトロール隊が緊張した様子で進んでいる。彼女たちの任務はバラーキシュ軍がこの街の占領を完了し、安全を確保するのを補佐することだ。リュドミラは愛用のスナイパーライフル「シスマ狙撃銃」のスコープ越しにそれを眺め、次いで息をついた。
「ねぇオーリャ。今、何時?」
「1647(ヒトロクヨンナナ)です、リューダ」
「そろそろ何か『来る』かしら」
時刻を確認するオリガへ、彼女は静かに言った。するとそれを聞いたオリガは双眼鏡を片手にリュドミラの隣へ腹這いになり、じっと通りの先を見つめる。観測手としての鋭い観察眼が、メインストリートを射抜いた。
「夕暮れ時、影が出来やすい時間……それにこれ見よがしなパトロール。狙うなら今ですよね。私ならそうします」
「私もそうする」
ゆっくりと移動するパトロール隊をスコープに収め、リュドミラは呟く。
「何か見える?」
「いいえ何も。しばらく監視します」
「頼んだわよ」
そしてリュドミラがオリガへ言った、まさにその時だった。どこからともなく、鋭い銃声が聴こえた。
「スナイパー!!」
「一人やられた! 散れ! 散れ!!」
地上からバラーキシュ軍兵士の怒号が上がる。「……!」瞬間、リュドミラとオリガは全身の毛を逆立たせるようにしてそれぞれ手に持った獲物を構えた。その間にも銃撃は幾度も続き、逃げ遅れた兵士たちが次々と撃たれては倒れていく。
「銃声は単発。外してからの間隔は長い——ボルトアクションか……オーリャ!」
「ダメです、ここからじゃ見えない」
「ちょっと、ハンサムさん? 下はどうなってるの?」
いつの間にか曲がっていたインカムを左手で引き寄せ、リュドミラは眼下で逃げ惑う政府軍のリーダーに連絡を取った。
「スナイパーだ。10時方向から撃たれて釘付けにされてる。何とかしてくれ」
「馬鹿言うんじゃないわよ、私たちは魔法の弾丸を撃ってるんじゃない。ここからそのスナイパーは視認できない。見えないものは撃てない」
「場所を変えろ。それなら撃てるだろう」
「この状況で? 無謀にもほどがある」
決して賢いとは言えない政府軍の提案に、リュドミラは舌打ちした。今動けば、敵スナイパーのいい的だ。きっと、相手はこちらもスナイパーを配備していることは知っているだろう。その証拠に、敵は建物間を横断できないよう威嚇射撃を行なっている。つまり、動いたら殺すぞという意思表示だ。
このままでは相手を「見る」ことができない。しかし、移動することは相手の射程に自ら入っていくことも意味する。どうすべきか——リュドミラは判断しかねていた。
「行きましょう、中尉」
小さく、しかし確かな声でオリガが言った。彼女は双眼鏡をしまうと傍に立て掛けていたオッカムN62アサルトライフルを手に取り、静かに腰を浮かせた。
「仕方ない」
現状、こうする他はない。二人は意を決すると移動を開始した。頭を建物の壁から出さないよう低い姿勢を取り、屋上から地上へと降りる。そして恐らく敵スナイパーの射程内であろうメインストリートを、彼女たちは全速力で突っ切った。
直後、やはり敵の狙撃が二人を襲った。それは運良く足元をかすめるものだったが、危険なことに変わりはない。彼女らは向かいの建物にたどり着くとぴたりとその背をつけ、物陰に隠れた。
「私たちの位置がバレてる……諜報部のやつら、ミスったわね」
「あまり信じたくない事実ですね」
「とにかく、仕切り直しよ。パトロール隊をなんとかしなきゃ」
すぐそばにある建物の中を駆け上がり、二階へと足早に入り込む。すると、それを予測していたのか狙撃が再び二人を襲った。寸でのところでそれをかわし——あるいは、運が良かっただけなのかもしれない——リュドミラは窓際にその身を寄せる。そしてすばやく銃を構えると彼女は一発、弾丸を放った。
しかしそれは、敵の潜伏する建物の壁に当たった。「外した」短い報告をし、リュドミラは周囲を警戒するオリガへ言う。
「そのまま場所を守ってちょうだい。私はあいつを片付ける」
「了解」
そしてその間、敵のスナイパーが撃ってきた弾が何発も壁に当たる。向こうもこちらを「見て」いるのだ。リュドミラは身を潜めながらじっとタイミングを待つ——すると、どこからともなく別の銃声が聞こえた。
「まだ他に居るの?」
「この音、旧式ですね」
思わぬ伏兵の出現に、リュドミラは舌を巻いた。だが、それも直後に思い違いであったことがわかる。先ほどの銃声は、こちらではなく敵のスナイパーを狙っていたことがわかったのだ。
これはチャンスだ。誰かは知らないが、援護は助かる。リュドミラは今一度窓から外を伺い、相手の動きを探った。先ほどの銃声が仲間のものかはわからないが、ひとまずこちらに有利な状況を作り出していることは理解できる。
やがて敵の意識が向こうへ向いたのを確認し、リュドミラはスコープを覗いた。照準、その中心にスナイパーが現れるのを待ち、彼女は引き金を引く。
「っ!」
直後、向かいの建物から男の声が上がった——命中。リュドミラは確かな手応えを感じ、顔を上げた。
「やりましたか」
「頭に一発。ばっちりよ」
確認を取るオリガへ、リュドミラは言う。すると、不意に無線が通信のノイズを吐いた。バラーキシュ軍だろうか。リュドミラは応答した。
「無事で何よりだ。見事だった」
しかし無線通信が届けてきたのは、先ほどまで交信していたパトロール隊のリーダーではなかった。低く、沈んだ無感情な男の声。
「……誰?」
思わず、リュドミラは呟いていた。そしてその直後、はたと思い立った彼女は記憶の淵からある情報を引き出す。この声に、聞き覚えがあったのだ。
「いや、待って。その声……」
「……」
「もしかして……『ルカ』? さっき助けてくれたのはあなた?」
男は答えない。しかしその沈黙は、肯定を意味しているようだった。
「ここで何してるの」
リュドミラは問う。何故、彼がここに。
「あなたの名前は、命令書には載ってなかった」
「……俺は別系統で動いている。アクィナス中佐に聞け……まあ、喋るとは思えんがな」
そしてそれきり、通信は途切れた。
「『ルカ』……『本当に居た』んですね。噂では聞いていましたが……」
「実在しないと思ってた? うん……私もてっきりどこかで死んだのかと思ってた」
驚いて呟くオリガへ、リュドミラは答える。『ルカ』は、ブラック・ベレー狙撃チームの中でも特異な存在だ。常に単独で行動し、誰も寄せ付けず、そして人知れず任務を遂行している謎の男——若い隊員が噂する『ルカ』とは、一言で言えばそんな男だ。
まさかそんな彼が、自分たちを助けてくれたとは。リュドミラはスナイパーライフルを担ぐと——一時的ではあるが——安全が確保された街を見下ろす。
ルカが、この作戦に従事している。それは、今回の件が非常に重要かつ機密にあふれたものであることを意味している。ルカ自身がそう言ったように、このことは直属の上官であるアクィナス中佐に確認せねばなるまい。
再び動き出したパトロール隊を見送り、彼女は大きく息をつくのだった。
(了)