第5話

 夜の森の中を、いくつもの影が横切って行く。「どこへ逃げた」「殺してやる」それらは慌ただしく足音を立て、時折怒りに満ちた声を発していた。
「お前たちはあっちを探せ。俺たちはこっちに行く」
 銃を構えて足早に森を抜けるのは、バラーキシュ共和国政府に反旗を翻した武装勢力のひとつ「カビール・タグイェル」の一員である。彼らは自分たちのテリトリーに忍び込み、重要な情報を盗んでいった「ある存在」を追っていた。
 ザヒル県とフルシュ県、その境からほど近い位置にあるハーファと呼ばれる村に「ブラック・ベレー」のラザロとセオドアが潜入したのは一昨日のことだった。彼らはアクィナス中佐の命を受け、「カビール・タグイェル」がレマシア軍の装備品を略奪、あるいは鹵獲している——だが、それにしては量が多過ぎる。ともすれば、誰かが装備品を横流ししている可能性があるのではないか——という情報の真相を突き止めようとしていた。
「おーおー……殺気立ってる、殺気立ってる。どうします、曹長」
 一団が通り過ぎ、音が消え、そしてその姿が見えなくなった頃。道のすぐ脇に群生する草むらの中で「何か」がもぞりと動いた。それは周囲と完全に同化し、一見しただけでは人と分からぬ存在であった。
「これはこっちも動いた方が、得策っすかね? このままだと帰るまでずっと追ってきますよアレ……やだねー、しつこい男ってのは」
 問い掛ける部下のセオドアに、ギリースーツを着込んで道端に潜伏していたラザロが顔を上げ「ふむ、」と応える。彼は冷静に状況を分析し、如何にしてこの危機を脱するかを考えた。
 ひとまず、命令を受けて行った偵察任務自体は完了した。必要な情報を取得し、あとは現場からの脱出を試みるだけである。予定では、明日の明け方に回収地点へ迎えのヘリが到着するはずだ。そこまで安全にたどり着ければ、何も言うことはない。
 だが、村から離れようとしたその時に問題が発生した。鼻のいい「カビール・タグイェル」の軍用犬が、巧妙に偽装した彼らの存在を僅かなにおいの変化から察知したのだ。状況は一変し、ラザロとセオドアは村の外れにある森へと逃げ込んだ。そしてそれを「カビール・タグイェル」たちが徒党を組んで追ってきた、という次第である。
「一人ずつ片付けよう。お前は左、俺は右からだ。消音器は装備しているな。音はなるべく出すな」
「了解っす。ご武運を」
 指示を受けて快くそれを引き受けたセオドアが姿を消す。そしてラザロもまたゆっくり姿勢を持ち上げると、静かに移動を開始した。
 まさか狩る側が狩られる側に回るとは、奴らも思ってはいまい。ラザロは先ほど通り過ぎた一団の片割れに近づくと囮用に足元の小石を拾い、それを民兵たちの前方めがけて投げた。そして小石が落ち、ガサ、と草の揺れる音が鳴る——瞬間、ラザロは隊列の一番後ろで少し離れた位置を歩いていた民兵の背後に忍び寄り、その喉元をナイフで切り裂いた。それと同時に、彼はその逞しい腕で民兵の身体を引き込み、一気に草むらへと押し倒す。そして彼は次なるターゲットを求めてすぐにその場を離れた。
「おい、どうした」
 消えたメンバーに気づいて探す民兵たちの死角を取ってしっかりと狙いを定め、消音器付きのハンドガンでその頭を撃ち抜く。抑制された小さな発砲音に、人間の身体が崩れる大きな音。それがいくつか続いた後、夜の森はようやく本来持っている静寂を取り戻したのだった。
「テオ、四人片付けた。そっちはどうだ」
「オッケーっす。こっちも四人、それに犬一匹。これで全部かと」
「上出来だ」
 通信回線の向こうへそう言い、ラザロはようやく低く構えていた姿勢を直立の状態へと戻した。
「迎えのヘリが来るのは明日の明け方だ。場所を変えよう、ここじゃ目立ち過ぎる」


「それで、どうだった」
 無事に任務を終えてジャバル・ジャヌーブにあるレマシア軍のキャンプへと戻って来たラザロとセオドアは、荷物も抱えたままにその足で直属の上官であるアクィナス中佐の執務室を訪れていた。報告書こそ書く時間はなかったが、彼らは自分の目や耳が捉えた情報を迅速に伝える。
「中佐が仰ったとおり、村では装備品の横流しが行われていました」
 姿勢を正したラザロは続ける。
「一番厄介なのは、エキュメニカル・インダストリー製の84mm対戦車砲です。それから、同社製造の武器やアーマーも。複数を確認しました。確かに、鹵獲されたにしては多過ぎる量です」
「調査対象が使用していたトラックの車種と特徴、積んでいたモノのリストや写真など、詳細は後ほど報告書にてお伝えします」
 ラザロに続き、セオドアがメモをめくりながら言う。
「わかった。急ぎ来てくれて感謝する。お前たちの掴んだ証拠を元に、『こちら』も動く。では、ひとまずこれにて解散としよう。報告書が出来次第、提出してくれ」
「了解」
 二人はそろって敬礼をすると、アクィナス中佐の執務室を後にする。すると、二人が出てくるのを待っていたのかテントの外に控えていたセスが声を掛けて来た。
「お帰りなさい曹長、テオ」
「ようセス」
「ただいま。どうした?」
 ラザロが問うと、セスはそこに求めていたものがないことを知って息をついた。彼はしばらく何事か考えて俯いていたが、やがて顔を上げて答える。
「マイクを探してるんです。てっきり、偵察任務に一緒についてったのかなと思ったんですが……」
 セスは困惑した表情で二人を見やった。それはどこか親とはぐれた子供のような、孤独を湛えた表情だった。
「マイクが? お前がそうして探しているということは、もう一日は姿を見てないということだな」
 ラザロが言うと、セスは「はい、その通りです」と答える。
「ったく、どこに行ったんだか……これからの仕事の話だって、しなきゃいけないのに」
「何も言わずに消えたのか?」
「ええ」
「無許可離隊? まさかねぇ。もしくはサボって女漁りにでも行ったんじゃないの」
「テオ」
 冗談を言うセオドアをたしなめ、ラザロは腕を組む。常に二人一組で行動するスナイパーとスポッターが、一緒に居ないと言うのも不思議な話だ。それも休暇ではない日に、一日以上も。
「わかった。見掛けたらお前のところに行くよう話そう」
「ありがとうございます……よろしくお願いします」
 セスはそう礼を言うと、とぼとぼと向こうへ歩いて行ってしまった。その背中は小さく、どこか頼りない。まるでこの世の不幸を全てそこに背負っているかのような、そんな背中だった。
「……なんでしょうね、アレ」
「ん?」
「まるで恋人に逃げられた後みたいだ」
「そう言ってやるな」
 率直な感想を口にするセオドアの肩を叩き、ラザロはため息をつく。仕方のないことだ。スナイパーにとってスポッターとは、狙撃の際にサポートをするばかりでなく、命を預ける相手に他ならない。そんな相手が何も言わずに消えたとあっては、心配しないほうがおかしいというものである。セスの気持ちは解らんでもない——二人は互いを見合って頷くと、報告書をしたためるべくキャンプの情報管理室を目指した。
 五分ほど歩き、目的の場所に到着する。入り口のセキュリティにIDカードを示し、用途を伝えてテントの中に入る許可を得た二人は割り当てられたパソコンの前へと移動した。
「さて、じゃあ何から始めますかね」
 報告書作成用のパソコンに陣取り、セオドアが大きく伸びをする。ラザロもまたパソコンの前に椅子を移動させると、そこに座ってセオドアの作業を見守った。
 セオドアがキーを叩き、報告書用のテンプレートを呼び出す。そこからファイルを新規作成し、彼は己のメモを見ながら「うーん」と唸った。
 そうしてしばらく報告書作成に勤しんでいると、情報管理室に新たな入室があった。ラザロがふと誰だろうと思って入り口を見ると、驚いたことにそこに立っていたのは先ほどセスが探していた人物——マイクだった。
「マイク」
 思わず名前を呼ぶ。するとマイクは一瞬驚いた顔をして振り返り、次いで静かに笑みを浮かべた。
「曹長。それにテオも。奇遇ですね」
「奇遇ですね、じゃねぇっすよ。セスが必死こいて探してましたよ」
「セスが?」
 パソコンに向かうセオドアが視線もそのままに言うと、マイクはやはり驚いた様子で応えた。そして彼は次いで「しまった」とひとりごちる。
「なんかあったんすか?」
「いや……大した連絡もしないまま『急用』で出てしまって……セス、怒ってた?」
「怒りはしてなかったが、かなり不安そうではあったぞ」
 ラザロが言うと、マイクは思い当たる節があるのか苦笑いを浮かべた。
「ああ……じゃあこれから怒る段階って訳ですね。参ったなぁ」
「仕事が片付いてからでいいが、早めに会いに行ってやれ」
「はい。そうします」
 二人に頷き、セキュリティから割り当てられたパソコンを探してテント内をうろつくマイクをラザロは見送る。そして彼は目の前で徐々に出来上がっていく報告書を細かく精査しながら、自分もまた仕事を片付けるべくセオドアに推敲の指示を出すのだった。


(了)