第15話

 マイクの作ったあっさりとした風味のトマトパスタを胃袋に押し込んだ後、セスは夕食の片付けを手早く終わらせるとテレビの前に再び座った。ニュースを見ようと思った訳ではない。任務の間、ずっとプレイすることが出来ないでいた新作——今となっては、もう旧作になってしまったか——FPSゲームの続きをするためだ。
 ゲーム機の電源を入れるとすぐにも物々しいオーケストラ編成のメインテーマが流れ、ゲームのタイトルがテレビ画面に表示される。それは国内でも人気の、現代戦を扱ったミリタリー系シューティングゲームであった。左肩は相変わらず痛んでいたが、手と指は問題なく動かせる。ゲームのコントローラーを握ることくらいは、医者も許してくれるだろう。
「ああ、それ。『オブリゲイション』の新作? そういや出てたんだっけ」
 食事を終えたマイクもまたテレビ前のソファに座ると、セスの真っ直ぐな視線の先を見て呟く。「出る前、どこまでやった?」「ホワイト大尉を助けたとこまで」「俺より進んでるじゃん」「マイクはネタバレ平気?」「うん、気にしない方。どんどん進んじゃって」短いやり取りを経て、彼らは戦場とはまた違った真剣な眼差しを画面に向けた。
 実写映画かと見紛うばかりの美麗なグラフィックと、それら表現が織り成す壮大な物語。人気FPSゲーム「オブリゲイション」は、プレイヤーが一介の兵士となって数多の戦場を股にかけ宿敵のテロリストを追い詰めるといった骨太なストーリーや、リアルタイムでの戦略や駆け引きが要求されるオンライン対人戦のシステムが高く評価されている。
 何でも、開発陣はこのゲームにおいて徹底的に「戦場のリアルさ」を追求したのだと言う——果たしてそれがどこまで本当かはわかったものではないが——ゲーム自体は、息抜きの娯楽として面白いものだ。セスはコントローラーを操作するとシングルプレイヤーのゲームモードを選び、黙々と遊び始めた。
 ゲームの主人公は毎度ブリーフィングで上官から無理難題な作戦内容を突き付けられるが、ゲームシステム上それは全て最終的に成功する。途中でどんな苦境に陥ろうとも、それを「何か」が救い出す。結果として主人公は生き残り、任務を続けて行く。その先にあるのは、ゲームというシステムが持つ最もシンプルな公式、即ち目標達成と報酬だ。
 お前は気楽でいいよな、最後にはちゃんと報われるんだから——ゲームの主人公へ向けて、つい心の中で皮肉が漏れる。帰国直前の作戦で「失敗」し、左肩を負傷するに至ったセスの心境は複雑だった。いくら映えある特殊部隊のエースであったとしても、実際の兵士が壮大な物語の主人公になることは、ない。あるとすれば、それは国が美談を通じて振り撒くプロパガンダくらいだろう。
「ああ、二時の方向から敵が来てるね」
「ここ難しいんだよ。もう少しすると、敵が動いて十字砲火を浴びせられる。バラーキシュ行くまでに、どうしてもここがクリア出来なかった」
 さすが観測手とでも言うべきか、マイクはセスが気付かないような敵の動きを察知しそれをすかさず教えてくれた。そのお陰か、セスは何とか難関と呼ばれるステージをクリアして次に進むことが出来た。小さな達成感と共に、彼は「よし」と呟く。
「さすがだな。やっぱお前のナビがあると助かるわ」
「どういたしまして」
 セスはどちらかと言えば、ゲームが格別に上手い方ではない。ゲーマーとしては比較的「標準」と言える腕前である。軍人、それも特殊部隊の人間だからと言って、こうした戦争ゲームも上手いという訳ではないのだ。
 彼は現実の狙撃に関しては神懸かり的な一撃を見せるが、ゲームとなるとアサルトライフルを好んで構え、ひたすら弾をばら撒く役に回る。仕事以外で狙撃なんかしていられるか、というのが本人の談だ。
 そうこうする内に物語は佳境に差し掛かり、ゲームの主人公は戦場で一人、また一人と仲間を失いながら宿敵を追い詰めて行く。国名こそ伏せられていたが、恐らくウジスラ人だろうと思われるテロリストが訛りのあるレマシア語で主人公に語り掛ける。その内容は「何のためにお前は戦うのだ」といった、「戦争モノ」によくある王道な問い掛けであった。
「まぁ、よく出来た脚本だよね。ここのゲーム会社、ドラマの脚本家雇ってるんだっけ?」
「ああそうそう、確か有名な奴だよ……忘れたけど」
 苦笑するマイクへ、おぼろげな記憶を頼りにセスは答える。そして最後にゲームの主人公は銃ではなく、ナイフで宿敵にトドメを刺す。決定ボタンを連打しろと画面に出るので、セスはそれに従って必死にボタンを押した。やがて充分な深さまでナイフが刺さり最後の敵が絶命すると、主人公はセスの操作を離れ動き出した。ゲームエンドである。
 ふう、と息をつきセスはコントローラーを置くとソファの背もたれに身を預けた。これからはドラマチックなエンディングのムービーシーンと、大仰なスタッフロールがあるだけだ。急に力が抜けるような感覚がして、彼はもう一度、今度は深呼吸をする。
「なかなかいいスコアだったじゃない」
 その一部始終を隣で見ていたマイクが笑う。それに「そうか?」と応えセスは目をしばたかせた。
「これなら、怪我が治って復帰する時も大丈夫そうだ」
 冗談混じりにそう言いながらも、そんなマイクの表情にはやはり戦地に居た頃に見た「揺るぎない信頼の情」が浮かんでいる。それに「当たり前だろ」と強気になって言い返し、セスもまた笑う。
 そうだ。怪我などで弱気になっている暇はない。与えられた休暇が終われば、自分たちはまた少ない私物と大量の装備とを持ってバラーキシュ共和国へ発たねばならない。そして今度こそ、レマシア軍を苦しめる「アル・ファランの悪魔」を仕留めるのだ。
 また不意に痛み出した左肩の傷をさすり、セスはあの砂漠の日々に思いを馳せる。決して良い仕事環境とは言えない場所だが、今では一年の多くを本国よりもあそこで過ごしている。嫌な思い出ばかりが蘇るのに、何故か心はそこから離れようとしない。
「アスワドのこと……考えてる? 顔に出てるよ」
「出してんだよ」
 ふとブラック・ベレーの若きエースとも言われた自分をいとも簡単に戦線離脱させた凄腕のスナイパーに悔しさを覚え、セスはフンと鼻を鳴らす。今度相見えたその時こそは。その時こそは、撃ち抜いてやる——そんな静かな決意を、彼は持つのだった。


 短いとも長いとも言えない二週間の休暇を終え、セスとマイクは再び陸軍の基地を経由してバラーキシュ共和国へと発つ時が来ていた。見送りは居ない。特殊部隊の任務は基本的に極秘であり、家族にさえその詳細を伝えることはない。言えることは、ただ「いつからいつまでが任期だ」ということくらいだ。
「時間だ、乗り込もう」
 仰々しい風体の輸送機を指し、セスは気持ち良さげに風を受けていたマイクへ声を掛ける。するとマイクは「うん」と応え、装備を詰め込んだバックパックを背負い直してセスの後ろに続いた。
 どかどかと音を立てながら輸送機に乗り込み、所定の位置に場所を取る。決して居心地が良いとは言えない空間。この中で数時間を耐え、彼らは再び戦場へと舞い戻るのだ。
「肩の方は、もう大丈夫そうだな」
「ああ、いつでも行ける」
 確認するように声を上げたマイクへ、セスは頷いて見せる。左肩の傷は、思ったよりも回復が早かった。現場での応急処置と、基地へ戻ってからの医療チームの働きが良かったということだろう。まだ少しの痛みと動かしづらさは残っていたが、それはこれから現地で訓練を行う内に気にならなくなる。
 バラーキシュへ「戻った」なら、まずは戦況を確認しなければならない。セスは本国に居た間にすっかり鈍ってしまっていた思考を叩き起こし、戦場のそれへと整え始める。その瞳には、己を打ち負かした相手への復讐心が赤々と燃え滾っているのだった。


(了)