第21話

 ふとテントの外から軍用車の止まる音が聞こえ、従軍チャプレン・ベネットははっとして顔を上げた。その表情は悲痛に彩られており、車の到着がかねてより報告のあった「死傷者の搬送」であることを悟った彼は足早にテントを抜け出して行く。カスディールの西60キロメートルに位置するイナブ油田を制圧し、数時間を掛けてここジャバル・ジャヌーブへと戻ってきた「ブラック・ベレー」たち。
 ベネットは停車する大型の輸送車へ歩み寄り、焦る気持ちを抱えてそれを見上げた。すると中から降りて来たセスが、驚いたような顔をしてベネットを見るなりその名前を呼んだ。
「ベネット先生……」
 その身体に大量の血を染み込ませていたセスであるが、どうやらそれは彼自身の血ではなさそうだった。見るに、負傷は中程度といったところか。自力で動くことが出来る——まずはそれに、ベネットは安堵した。そして同時に、「死亡したのは誰なのか」という不安にも似た疑問が心に浮かぶ。
 するとその様子にセスも勘付いたか、彼はベネットと同じく悲痛に表情を歪ませると輸送車の後部へ無言で顎をしゃくった。数人の衛生兵たちが運び出す、ひとつのボディバッグ。そしてセスと共に降りてくることのなかった、あの柔和な笑顔を見る機会が失われた事実に気付いたベネットは思わず、口を右手で覆った。
「まさか……そんな」
 職業柄、人の死に密接に関わり合うチャプレンのベネットであったが、今回の報せにはショックを隠せなかった。セスはその名前こそ言わなかったものの、彼の態度が全てを物語っていたからだ。死んだのだ。彼の相棒、マイク・シルヴェストリ一等軍曹が。
 まだ30歳にも届かない年齢だったはずだ、とベネットは己の記憶を辿りその若過ぎる死を悼む。自然と両手が祈りの形に組まれ、彼は深く頭を下げていた。閉じた瞳の奥で何度も祈りの言葉を捧げ、ベネットは静かに目を開ける。
「先生……ありがとう」
「セス……」
「あいつも、先生に『お別れ』してもらえるなら……本望だと思う。お願いしても?」
「ええ、それが私の役目ですから。今夜、彼にお別れをしましょう。セス、あなたは……少し落ち着いてから私の所へいらっしゃい」
 セスの問いに、ベネットは強い意志を持って頷く。恐らく今後、マイクの遺体は速やかに本国へ送り届けられ正式な葬儀が行われることだろう。時間は限られている。ベネットは踵を返すと「教会」と名札の下がったテントへと戻った。
 本国から持ち出せた用具はそれほど多くはない。しかし、最大の礼節を持って彼を葬るべきだ。ベネットはテントの奥にあるトランクからいくつかの葬具を取り出すと、それをひとつずつ所定の位置へとそっと置いていく。葬送のための衣服——略式ではあるが——に着替え、ベネットはマイクのための準備を進めた。
 やがて夜の帳が落ち、周囲は暗闇と静寂に包まれる。僅かな明かりだけを灯したベネットのテントにセスがやって来たのは、時刻が20時を回る頃だった。
 セスはゆっくりとテントの中を見渡し、並べられたベンチの間を進む。そして彼は小さな祭壇の前に一人腰掛けると、手を祈りの形に組んで俯いた。
「さっき、本国に向けて出発したって。家族にも、そろそろ通達が行く頃だと思う」
 低く呟くセスの声は、悲しみに沈んでいた。それを受け取り、ベネットは小さく頷くと静かに聖典を開く。死者のための言葉が刻まれた聖句を繰り返し唱え、別れを告げる。
 そうしてしばらく略式の「葬儀」を執り仕切っていると、俯いたセスの口からは徐々に嗚咽が漏れ始めた。すすり泣く彼の肩は震え、その身体に強い悔恨の念が重くのしかかっている。どのような状況でマイクが戦死したのか、それを決して聞くことはないベネットだったが——セスの様子に、それがどれだけ凄惨なものだったのかを想像するのは容易だった。
「セス、彼にお別れを」
 ゆっくりと祭壇から離れ、ベネットはそっとセスの肩へ手を添える。するとセスは涙に濡れた顔を上げ、悲痛に歪んだ表情でベネットを見上げた。そして今また泣き出しそうになるのを堪え、彼は瞳を閉じると小さく別れの言葉を口にした。
 死者を葬る——それは紛れもなく、生者のための儀式だ。死者は何も語らない。語るのは、いつでも生き残った者たちだけなのだ。もう何度目かもわからぬ、己の任務が持つ小さな矛盾へ諦めにも似た感情を向けたベネットはセスの言葉が終わるのを待ち、それを見届けた。
「儀式を終了します……セス、よく生きて帰って来ましたね」
 静かに宣言し、聖典を閉じたベネットはセスの隣に座った。視線をまっすぐに合わせ、「大丈夫だ」と彼は頷いて見せる。
「あなたが生き残ったこと自体は、何も悪いことではない。それを、忘れないで。彼はあなたのせいで死んだ訳ではない。あなたは、何も悪くない」
「先、せ……」
 力強くそう告げると、セスは言葉を詰まらせ、ついで再び俯いて嗚咽を漏らした。もはや、どう感情を処理すれば良いかわからないのだろう。ベネットはセスの肩を抱き寄せると何度も何度も、祈りの言葉を呟いた。この男に降り掛かった、呪詛にも近い「モノ」を払うために。
 ああ、どうかこの悲愴の青年に神のご加護を——そう、祈らずにはいられない。セスの悲しみは深く、そして怒りが心に根を下ろしている。そしてそれは、今後何年も——ともすれば、一生——彼に付いて回ることになるだろう。戦場で死を目の当たりにするとは、そういうことだ。
 ブラック・ベレーを率いるアクィナス中佐も、決死の覚悟で今回の作戦に挑んだことだろう。その中で最善を尽くし、采配を振るい、彼は見事イナブ油田の制圧に貢献した。しかし、その代償は大きかった。彼とも、話す必要がある——ベネットはセスを抱きながら、明日以降の活動について考えを巡らせた。
「先生……ありがとう。色々、してくれて」
 やがて落ち着きを取り戻したセスが、ゆっくりと身体を離し立ち上がる。ふらつく身体をそれでもしっかりと支え、彼は両目の涙を右手で拭った。
「今日は眠れないと思うけど……一旦、テントに戻って休むことにするよ」
「ぜひそうして。ああ、そうだ……セス、ちょっと待って」
「……?」
 その場を後にしようとするセスを呼び止め、ベネットは胸ポケットから手帳を取り出すと素早く彼に伝えるべきことを書き記した。そしてそれを切り離し、セスへと手渡す。
「本国で所属している私の教区です。任期が満了したら、地図に書いたこの施設に戻る予定です……あなたも国に帰って……何かあれば、気軽にいらっしゃい。『我々』が、あなたの助けになります」
「ベネット先生……本当に、ありがとう」
 受け取った紙切れを食い入るように見つめ、セスは言う。レマシア国内は、戦場で心身ともに傷ついた兵士を癒す手段に乏しい。そしてそれは現在、大きな社会問題にも発展している。それを少しでも軽減させるための様々なサポートを、ベネットをはじめとする従軍チャプレンたちは任期を解かれた後も微力ながら行っている。
 セスにもまた、そのサポートが必要であるとベネットは感じていた。何年もの間、命を預け続けたパートナーを失ったのだ。通常の任務や生活に戻るにも、長い時間が掛かると思われる。
 足を引きずるようにして重い身体を運んでいくセスを見送り、ベネットは息をつく。そして彼は戦死したマイクを偲び、長く瞳を閉じるのだった。


(了)