最終話

 連合軍のイナブ油田制圧から四日が経過した。一時は首都ハジャル・アル・カディールの目前まで押し込まれていたバラーキシュ政府軍をはじめとする連合軍であったが、イナブ油田の安全を確保し、さらに反政府勢力の悪名高きスナイパー・アスワドと反政府組織「ムルシド・ダウィイ」のリーダー・ザイールの殺害に成功した彼らは戦線を一気に南下させ、反政府勢力の要所であるアル・ファランまで迫った。
 状況を重く見たもうひとつの反政府組織「カビール・タグイェル」のリーダーであるヤシュムは、バラーキシュ政府軍との停戦を呼び掛けるに至った。一時的ではあるが、戦争が政府側に有利な形で「止まった」のだ。
 今後はバラーキシュ政府軍による残党狩りや反政府勢力との調停などが行われ、軍の主な任務は要所奪還から治安維持へと移行するだろう。軍事介入していたレマシア軍も、主要な部隊を残して徐々に撤退を始めることとなる。そしてその中には、反政府勢力の要人殺害やその他様々な任務のために駆り出された特殊部隊「ブラック・ベレー」も含まれていた。
「そろそろ出発ですか」
 ジャバル・ジャヌーブ南部に位置する軍事空港へ向かわんとする輸送車、その中へセスが乗り込もうとした時。見送りに来ていたチャプレンのベネットが、それを呼び止めた。その腕にはマイクが基地で飼い始めた子猫「セス」が抱かれており、不思議そうにブラック・ベレーたちを見ている。
「はい。先生、お世話になりました」
 深々と頭を下げ、セスはベネットへ礼を言う。するとベネットは「いいえ」と穏やかな笑みを浮かべて首を横に振った。
「お気をつけて。本国でまた、お会いしましょう」
「ぜひ」
 ベネットにつられるようにして笑みを浮かべ、セスは頷く。今回の任務は、これで終了だ。目的は果たされた。あとは本国へ戻り、所定の手続きをもって各種事後処理をするだけだ——もちろん、それには戦死したマイクの正式な葬儀も含まれる——セスは装備や私物を詰め込んだバックパックを背負い直し、ベネットに別れを告げると輸送車に乗り込んだ。
 ガタガタと音を立てながら車内に位置を取り、無骨な席に腰を下ろす。すると、隣に座るセオドアが珍しく神妙な顔つきで話し掛けてきた。
「セス、今回は本当にお疲れ様っす」
「お前もな、テオ」
「うんにゃ、『俺たち』の仕事はむしろこれからが本番っすよ」
「というと?」
「例の、ウチの装備品の横流しとか……諜報部が要所要所でミスってる件とか。戻ったら、その辺詰めるってアクィナス中佐が」
「そうか」
 スカウトスナイパーとして主に偵察任務を行うセオドアは、上官のラザロと共にアクィナス中佐より命令を受けて各種調査を行なっていた。装備品の横流しや情報の漏洩などについては、現地よりも本国が怪しいと踏んだのだろう。
「セスも、気をつけた方がいいっすよ。なんか、きな臭い」
「……」
 己の直感、その率直な感情を重要視するセオドアが言う「きな臭い」という言葉。確かに、言われてみれば今回対峙した反政府勢力の戦闘員たちは装備も充実しており、またこちらの作戦を読んでいるかのような動きを見せていた。
 セスはセオドアに「なるほどね」と応えると、それきり会話を終えて車内の窓から外を見やった。この殺風景なバラーキシュの景色とも、お別れなのだ——様々な記憶が浮かび、セスは思わず鼻をすする。本来なら、ここに一緒に居るはずだった相棒・マイク。唯一無二とも言えるパートナーを失っての帰国は、彼の心に暗い影を落とすのだった。


「行ってしまわれましたね」
 空港へ向けて出発した輸送車を見送り、ベネットは腕に抱いた「セス」へ呟いた。彼は、大丈夫だろうか——一抹の不安が、ベネットの心にぽつりと落ちる。戦争という極限状態の中にあって、ともすれば自分の命よりも大切だったパートナーの喪失。その悲しみは、測りきれない。
 それだけではない。パートナーを失ったことによる、軍そのものへの不信感さえ彼は持ち始めているように思えた。彼は、疑うことをやめない男だ。そして何より、「決断する」男でもある。それが悪い方向に働くのではないかと、ベネットは危惧していた。
 しかし、一介のチャプレンである自分に出来ることは少ない。それはこの基地で任務に当たり、強く感じていることだ。サポートには限界があり、また、その限界を感じて己の無力を嘆く日々。今回も、恐らくそうなって行くのだろう。ベネットは人知れず、小さく息を吐いた。
「戻りましょう。そろそろ、お昼ご飯ですね」
 腕の中で喉を鳴らすセスの頭を撫で、ベネットは自分のテントへと戻って行く。基地は相変わらず騒がしく、様々な兵士たちが訓練や伝令などに忙しなく従事ている。この基地が完全に引き払われるその時、バラーキシュは、そしてレマシアは。どうなっているのだろうか。
 不透明な未来が、辺り一面に広がっている。そしてそれは、独り歩くには険しい道のように思えた。ベネットは夢想する。どうか、彼が孤独に苛まれることがないようにと。
 それはチャプレンとしての宗教的な祈りではなく、純粋な、人間としての「願い」そのものであった。


(完)