反政府勢力がカスディールを放棄してイナブ油田の方角へ撤退し始めたのは、全面的な戦闘が始まってから三日目のことだった。レマシア軍は二回目の進攻にして、ようやくカスディールを制圧・奪回することができたのだ。
その間、アスワドに撃たれ負傷したセスはアズィーム・フルシュの南にあるレマシア軍のキャンプに輸送され、そこで治療を受けていた。負傷兵は他にも多く運ばれて来ており、そのほとんどは海兵隊だった。そんな中、唯一の「仲間」であるマイクを見上げ、ベッドに横たわるセスは「悪ぃな」と声を掛けた。
「こりゃしばらくお役御免か。俺の代わりが居ればいいんだが」
「そうだね……」
イエスともノーとも言えない表情で、マイクが応える。そして「でも、」と彼は続ける。
「そろそろ任期も終わる頃だし。今回の作戦が最後になるんじゃないかな。しばらくゆっくり出来るよ」
「その最後の任務でヘマしちまった訳だが。いい気分じゃあない」
「そういう時もある。二発目を撃たせてもらえなかったのはまずかったね。まさか、すぐにも撃ち返して来るなんて」
「……」
「どうやら、アスワドは思っていたよりかなり腕が立つみたいだ」
「アスワドはどうなった?」
「ルカが無力化した。もっとも、射殺には至らなかったようだけど」
ポケットから小さなノートを取り出して確認しながらマイクは答える。そう、ルカはセスたちの尻拭いをしてくれたのだ。マイクによれば、ルカはセスを医療チームへ引き渡した後、単独でアスワドの狙撃に向かったという。そして早急な「処置」が必要であると判断した彼は射程圏外から、何とか命中させたと。
ルカの愛銃はレマシア軍で標準とされている7.62x51mm弾を使用するものだ。恐らく、遠距離からの狙撃によって弾丸の勢いは減衰したことだろう。結果、アスワドを戦線から離脱させることに成功はしたが、それもあくまで一時的なものだ。
「やってらんねぇな」
テントの天井を見上げ、セスはぼやく。撃たれた左肩は既に医療チームによる適切な治療が済んでいたが、完治するまでには時間が掛かりそうだった。その上、任期終了のために彼らは近々本国であるレマシアへ戻らなくてはならない。決して小さくはない不満を抱え、セスはため息をついた。するとそんなセスの心情を汲み取ったか、マイクもまた小さく息をつき、言った。
「ちょうどいいよ。ゆっくり傷を治して。休暇が終わる頃に、また元気な姿を見せてくれればそれでいい」
「……」
「俺は、いくらでも待つから」
そこには、傷ついた相棒を前にそれでも信頼を揺らがせない、一人の男の姿があった。
二週間後、セスとマイクは揃ってレマシア合衆国への帰国の途についていた。ウィクリフ州リンストンの国際空港に降り立った二人は、それぞれに荷物を抱え、兵士たちを出迎えるために集まった人々で賑わうロビーへ向かう。すると、すぐにもセスの両親がそれを見つけ駆け寄ってきた。
「セス!」
「……ただいま」
「怪我をしたと聞いて心配していたんだ、大丈夫なのか」
「ああ……まあ、大したことはないよ」
帰国前に二人へ電話していたことを思い出し、セスはぎこちなく笑う。肩に厚く巻かれた包帯が服の下に隠れていることに感謝しながら、彼は自由に動かせる右腕を使って父と母をそれぞれ抱いた。
「じゃあ俺、あっちだから」
そしてそんなセスへ、マイクが指さしながら言う。見れば、その先には一人の若い女性——恐らく、マイクの恋人だろう——が居た。女性は今にも泣き出しそうな表情で、マイクを遠巻きに見つめていた。
「じゃあなマイク、また今度」
「またね」
互いに手を振り合い、別れを告げる。そしてゆっくりとした歩調で恋人の元へと歩いていくマイクを見送りながら、セスは小さく息をついた。
「腹は減ってないか。どこかで食ってから帰ろう」
「そうしよう。久々に美味いメシが食いたい」
父親の提案へ、セスは笑顔で答える。戦場では、まともな食事を食べた記憶はない。効率的に栄養を補給することのみに焦点を絞った軍の戦闘糧食(レーション)は、戦地で生命を維持するために申し分のないものだったが、決して美味とは言えないものばかりだった。
粉っぽい上に味のないクラッカー、ぐちゃぐちゃのハッシュドポテト。ケミカルな味のするチョコレートバーに粉末ジュース。中には「当たり」とも言えるメニューもあったが、それはごく少数でほとんどは「ハズレ」だった。
セスは両親の車に乗り、実家へ戻る途中で見つけたハンバーガーのチェーン店に入ることにした。「こんなところでいいのか?」父親はその選択に驚いたようだったが、セスにとっては母国のファストフードこそが今はご馳走だった。
「家に帰ってから、ゆっくり美味しい料理を食べてもらえばいいのよ。セス、腕によりをかけて作るからね」
「うん、楽しみにしてる」
優しさに満ちた母親の声に、セスは笑顔で頷く。そして彼らはハンバーガー店に入るとあれこれと話をしながら食事を楽しんだ。
セスにとって、こうして「一般人」と話をするのはまさに半年ぶりのことだった。バラーキシュでも戦地で非戦闘員に出会うことはあったが、彼らのほとんどはまず言葉が通じない。仕事をする中で覚えたバラーキシュ語はいくつかあったものの、それでも自然な会話は難しかった。通訳を介して、ようやく意思の疎通が出来ると言った具合だ。そしてそれが、戦場では普通だった。
何の苦労もすることなく己の意思を慣れた母国語で伝えることが出来るという状況に内心驚きながら、セスはそれとなく戦地での生活を両親に話す。あまりセンセーショナルな内容は伝えなかった。意味がないと考えていたからだ。話すことといえば、基地の近くにあるバーが毎日盛況であることや、相棒のマイクが現地で猫を飼い始めたことなどだった(マイクが飼っていた猫は、帰国に際して従軍チャプレンのベネットに預けられることとなった。彼なら、マイクとそう変わらない優しさで猫に接してくれることだろう。)
輸送機に詰め込まれ、たったの数時間で戦場から「平和な世界」へと移動することとなる「帰国」という行為は、セスにいつも違和感を覚えさせた。まだ心身が戦場から離れた感覚もないのに、突然、何もない世界へと放り出されるのだ。戦地で戦うために訓練された身体や心をそのような「世界」へ慣らすには、時間が掛かる。平和を味わうにも、訓練は必要なのである。
その訓練を、セスは両親の住む実家でいつも行うようにしている。平和な世界、平和な人々。まずは一週間、それに慣らしてから自宅であるアパートメントへ戻る。それを両親も分かっているのか、彼らはセスの行動については何も言わず、ただただ優しく支えてくれている。それをありがたく思いながら、セスはハンバーガーを平らげた。
食事を終えて再び車に乗り込み、それから一時間ほど掛けてセスは両親の住む郊外の実家へと戻ってきた。変わることのない小さな庭、変わるのことない家の外壁。子供の頃から慣れ親しんだ家が、すぐそこにある。
変わっていることと言えば、家中がセスの帰国を祝って飾り付けされていることだろうか。これは母親が手作りで行なっているもので、毎回趣向を凝らした装飾がセスの帰りを迎えてくれる。これを見て、彼はようやく「帰って来たのだ」と実感するのだった。
「荷物重いだろう、運ぶよ」
肩を怪我したセスに代わり、父親が車の荷台からセスの荷物を下ろして担いで行く。それを追って、セスは家の中へと足を踏み入れた。家の中は、出る前に焼いていたのだろう、クッキーの甘い香りがした。それを存分に吸い込み、セスは深く呼吸する。「ただいま」小さく呟くと、それに「おかえり」と答えて母親が後ろからキッチンへとすれ違っていった。
これからは、この平和な世界で新しい生活が始まる。休暇は一ヶ月与えられていたが、その大半は肩の治療のためにじっとしていることになりそうだ。セスは左肩をかばって出来るようなトレーニングを頭の中に思い浮かべながら、リビングのソファにどっかりと腰を下ろす。ああ、こんな柔らかいソファに座れるのはいつ振りだろう——深く沈んだ身体に驚きながら、セスは新鮮な気持ちで「我が家」を見渡すのだった。
(了)