第6話

 灰皿に一本、また一本と吸い殻が増えていく。テントの中には煙が充満し、煙草の甘く、そしてくすぶるような香りが漂っていた。
 セスはマイクがテントに帰って来るのを、自分のベッドの上に座りじっと待っていた。姿を消して丸一日経つ相棒のマイクについて、話をしたラズロとセオドアが先ほどセスの元を訪れて彼の帰還を教えてくれたからだ。
 しかし待てども待てども、マイクがここへ戻ってくる気配はなかった。話によれば彼は情報管理室でラズロたちと同じく書類仕事をしていたらしい。恐らく、それが済んでからこちらへ戻るつもりなのだろう。セスは落ち着かない様子でタバコのパッケージを手に取ると、その中から紙巻を一本取り出して火をつけた。
 マイクが突然姿を消したのは、何も今回が初めてのことではない。過去にも何度か、彼はこうしてセスを一人置いてどこかへと行ってしまったことがあった。そしてその時、いずれも明確な理由を伝えられた記憶はなくセスは毎回、こうして一人で彼の帰りを待つだけの時間を過ごす羽目になる。それは退屈で、同時にパートナーへの大きな疑念を抱かせる時間だった。
 人を待つという行為には職務上慣れているはずなのだが、それがマイク相手となると途端に忍耐力が途切れることにセスは気付く。そろそろ、我慢も限界に達する頃だ。
「……くそっ」
 苛立ちもあらわに息を吐き、乱雑に頭を掻く。時間だけが過ぎていく、その中に取り残される、という感覚は決してよいものではない。どこか胸の苦しくなるような緊張感と、ぐるぐると渦巻く疑念。それだけが肥大し、やがてセスの中を支配していく。
 そしてもう何本目かもわからぬ紙巻を灰皿に押し付けた、その時だった。
「た、ただいま……」
 テントの入り口から、遠慮がちな声が響いた。はっとして顔を上げれば、そこには昨日から姿を消していたマイクが立っていた。
「よう」
 紫煙を吐き、セスはマイクを睨みつける。その声は低く、決してマイクの帰還を喜んでいるような様子ではない。彼はベッドから立ち上がると足音も大きくマイクへ歩み寄る。そしておもむろに、相棒の胸ぐらを掴んで言うのだった。
「どこ行ってた」
 今日こそ問い質してやる——セスは力任せにマイクの身を引き寄せ、これでもかとその鋭い眼光で睨みつける。
「ごめん、何も言わずに」
「どこに行ってたって聞いてる」
「……」
 セスの行動をある程度予測はしていたのだろう。マイクは驚きこそしなかったものの、どこか気まずそうな顔をして答えた。
「……シャッラール。仕事だよ」
「仕事? 俺抜きでか?」
「うん……カビール・タグイェルの潜伏場所……そこを潰してきた」
「どうして俺を連れて行かなかった? いや、それはいい……どうして、何も連絡をくれなかった」
「それは……急な話だったし、言う暇がなくて」
「それ、嘘だろ」
 マイクの言い訳に、セスは胸ぐらを掴んでいた手に一層の力を込めた。するとマイクは「離して」と静かに言い、セスとの距離を取ろうとした。仕方なしに手を離し、セスはマイクを見やる。マイクは、目を合わせようとはしなかった。
「なあ、お前いつもそうだよな」
「セス、俺は……」
「何だよ。不満があるなら言えよ。俺はお役御免か? いつも相棒に『何でもない』って言われる身にもなれよ。それで、何日も待たされる。お前にも個人的な用事があるってのはわかる。わかるけど……もうちょっとこう、なんかあるだろ」
 一息に言い切り、セスは肩を大きく上下させて呼吸した。この二十数時間、一人で溜め込んでいた感情を一気に吐き出した気分だった。
「……ごめん。そういう意味で、一人で仕事に行った訳じゃない。お前に不満はないよ」
「じゃあ話してくれよ。俺たち、パートナーじゃないのかよ」
 確認を取るように言い寄るも、マイクは「……うん」と煮え切らない返事をするだけだった。そしてその瞬間、ついにセスの苛立ちは頂点に達した。
「ああ、わかったよ。じゃあそうやってずっと黙ってろ。俺もしばらく黙っとく」
 そして彼は大股でマイクの横を抜けるとテントを出ようとした。思わず肩がぶつかったが、お構いなしだ。
「セス、どこに……」
「知らねぇよ。言う必要もないだろ」
 背中へ掛けられた声に振り抜き、そう吐き捨てる。そうしてそのまま、セスは行き先も決めずに「家」を飛び出すのだった。


 なり振り構わずテントを飛び出したセスが最終的に行き着いたのは、キャンプの外れにある小さな仮設の教会だった。行き場のない感情を抱えてキャンプを歩き回るのにも疲れてきた頃だった。セスはその小さな教会の中へと入っていった。
「こんにちは。おや、セス……お久し振り」
 テントのフラップをめくって中へ入ると、そこには一人のチャプレンが居た。どこか戦争とは無縁にも思える、ひどく優しい笑みを浮かべて彼はやって来たセスを歓迎する。
「何か困りごとでも? 顔に出ていますよ」
「出してんですよ、ベネット先生」
 設えられた簡素な信者席にどっかりと腰を下ろし、セスは大きく息をつく。するとチャプレン——ベネットはセスの隣に座り、やはり優しい笑みを浮かべて言うのだった。
「仕事は順調ですか」
「まあ、ぼちぼち……いや、違うな。行き詰まってる。主に人間関係で」
「それは、前に話してくれた『お友だち』のこと?」
「そう」
 ベネットはセスにとって、日々の良き相談相手だ。戦争という事象から切り離されたこの空間では、不思議と口が軽くなる。普段言えないことも、ベネットが相手ならするりと言葉にすることができるのだ。
「先生……嘘をついてまで守りたい秘密って、何なんだろうな」
 長い溜息の後、セスはベネットにマイクとの経緯を話した。突然姿を消したこと、それが初めてではないこと、そしてそれについて、マイクが話そうとしないこと——身振り手振り、己の不満を添えて彼は簡素な空間へ感情を吐き出す。
「秘密は誰もが持ち得るものです。ちょっとしたものから、打ち明けるのが困難なものまで。お友だちの様子はどうでしたか? やはりあなたと同じく、困っていたのではないでしょうか」
「あいつが? 困って?」
 ベネットに諭され、鸚鵡返しにセスは問う。そして彼は思い出すのだった。問い詰めるセスを前に、煮え切らない態度で何かを言いかけていたマイクのことを。結局それは言葉にならず、激昂したセスはそのまま話を打ち切ってここへ来てしまった訳だが。マイクは、何を言わんとしていたのだろう。ふと、彼はベネットの言葉に冷静さを取り戻した。
 思い返せば、マイクは何かを話そうとしていた。しかし、それには抵抗があったようにも思えた。
「私が見るに、今のあなたは『怒っている』……その怒りを、まずは鎮めて。ゆっくりと、深呼吸するんです。それから、自分に問いかけてみましょう。その怒りの正体は何なのか、と」
 セスへ促すように深く呼吸して見せ、ベネットは言う。それを受けて、セスもまた彼を真似て深呼吸を試みた。深く深く、狙撃をする時のような、心の中に巣食う邪念を全て吐き出す呼吸。すると、僅かながらではあるが「何か」が掴めるような気がした。
 相棒が姿を消し、自分はそんな相棒が帰ってくるのを一人でずっと、待っていた。いつも隣にある感覚が、無いという事実。ぽっかりと空いてしまった、心の穴。それらを認識し、セスはゆるく頭を振る。もう少しで、何かが「見える」——そんな気がした。
「先生……俺、もしかして『寂しかった』、のかな」
 ある答えに行き着いたセスの言葉に、ベネットはにっこり笑った。
「寂しさ……それも、誰もが持ち得る感情ですね。特に、『こういった場所』ではふとしたことから孤独感が強くなる。そしてそれを何とかするために、『私たち』が居ます」
「……」
「お友だちに、話してみましょう。その寂しさを。怒りではなく、純粋な想いをぶつけてみるんです。そして、お友だちが何か言いたいのであれば、それをよく聞いて」
 ベネットの優しい言葉に、思わず目頭が熱くなる。セスは手で目をこすると、小さく頷いた。怒りに任せて出てきてしまったが、たどり着いたのがこの教会で良かった——彼はそう実感し、ベネットへ言う。
「ありがとう、先生。お陰で少し、気分が晴れた」
「そう。それならよかった」
「あいつと、話してみる。あいつも、話してくれるかな?」
「ええ、きっと。それでまた困ったことがあれば、いつでもいらっしゃい」
 立ち上がったセスを見上げ、ベネットは笑みを浮かべる。それは誰も拒むのことのない、純粋な善意であった——。


(了)