第20話

 セスは素早く身を起こすとサイドアームのシェオロムN65をホルスターから引き抜く。この至近距離で、正確に標的を狙っている余裕など無い。彼はとにかく攻撃を当てることだけに集中し、目の前のアスワド、次いでその横に控えるザイールめがけて引き金を引いた。
「ぐあっ……!」
 胴体にそれぞれ三発ずつ、訓練に訓練を重ねた結果、意識を超越して肉体が動く。全身の痛みなど、既にどうでも良くなっていた。立ち上がったセスは大きく肩を上下させながら呼吸を繰り返し、拳銃のグリップを握り直すと下がっていた銃口を再び上げた。
 形勢逆転——まさに、その言葉通りだった。
「アンシュッツ三等軍曹、無事か」
 反政府勢力の兵士たちを叩き伏せたギリースーツの男、ルカが静かにこちらへやって来る。しかしセスはそれを一瞥しただけで、すぐに地面へ伏した「殺害目標」へと視線を向けた。その青灰色の瞳は、あらゆる負の感情を渦巻かせアスワドを映して小さく揺れていた。
「殺してやる……お前だけは、絶対に殺してやる」
 怒りに震える銃口をアスワドへ向け、セスは呪いの言葉を吐く。もはや任務という枠を超えた殺意が、彼の全てを覆い尽くしていた。
「ほう、いい目だ……俺は、その目が見たかった」
 口の端から流れ落ちる血もそのままに、瀕死のアスワドが含み笑う。
「だが……死ぬのは俺の方だったようだな。まあいい、悔いはない……」
 バラーキシュの伝統衣装を大量の血で濡らしながら、アスワドは言う。どうやら彼は、ルカがここへとやって来た瞬間に全てを悟ったようだった。どこか宗教画にでも描かれるような聖人じみた態度さえ見せながら、アスワドはゆっくりと虚空を指差す。
「用心することだ、フォクシー・ワン……戦争は怪物をいとも簡単に生み出す……またいつでも、お前の前に立ちはだかるだろう……」
「……」
「では……その怪物を生み出すのは『誰』か? 『誰』が、戦場の怪物となるのか……よく考えることだな」
「聞く耳を持つな、アンシュッツ。奴はお前を——」
 アスワドの言わんとすることを理解したルカが、口早に警告を発しセスの肩を掴む。しかしセスはそれを力任せに払うと、大きく息を吸って吐いた。そして小さな呼気と共に拳銃の引き金を引き、アスワドの額に弾丸を撃ち込む。急に静まり返った砂漠のただ中で、風だけが何も知らずにその場を吹き過ぎて行った。
「ありがとう、ルカ。来てくれて……助かった」
 抑揚のない声でそう言いながら、セスはアスワドのすぐ隣に倒れていたザイールにもとどめを刺す。そして力なく拳銃をホルスターにしまうと、彼はのろのろと横転したヘルベンダーの方へと歩いて行くのだった。
 そんなセスの後ろ姿を見送るルカの元へ、もう一台のヘルベンダーを運転していたニノが車を後にし小走りにやって来る。ルカはそれを見やり、小さく「任務完了だ」と呟いた。
「ニノ。本隊へ連絡を取ってくれ。アスワドとザイール、二名の殺害を確認……我々はこの場で待機する。死傷者三名、衛生班を呼ぶよう伝えてくれるか」
「は、はい」
 慌てて通信回線を開き本体へ連絡を取るニノをその場に残し、ルカはセスを追って砂漠を歩いた。歩を進める度にさらさらと砂が舞い、後方へと流れていく。そうして行き着いた先は、他でもない——反政府勢力の兵士たちによって殺害された、マイク・シルヴェストリの遺体だった。
「アンシュッツ」
 遺体のそばに崩れるようにして座り込むセスの背中へ、ルカは言う。
「よくやった。任務は完了だ」
「……」
 しかしその声は、セスには届いていないようだった。彼はマイクの遺体にしがみつくと顔をそこへ埋め、震えるようにして嗚咽した。大量に流れた血の匂いが、鼻につく——ルカはその凄惨な光景に眉を顰め、思わず視線を逸らしていた。
 長く戦場で生きていれば、こういった状況には必ず出会う。言葉を、意思を交わした身近な人物が凶弾に倒れるということは。慣れていたつもりだった。そして、覚悟もしていたはずだった。だが、今回はあまりにも唐突過ぎた。そして、『彼』は——死ぬにはまだ若過ぎた。
「ニノが本隊に連絡を取っている。衛生班がじきに来るはずだ……帰ろう。お前も、傷を癒せ」
 こういった状況において、掛けるべき言葉は多くはない。ルカはひとつひとつ言葉を選び、慎重にそれを発した。するとセスがゆっくりと顔を上げ、血に濡れたそれをルカへと向けた。
「……ルカ。マイクが……動、かない……」
「ああ。わかっている」
「血が……こんなに……どう、すれば……」
「……」
「止血……しけつ、しないと」
「アンシュッツ」
 呆然と呟くセスの瞳は、もはや現実を知覚するのも困難な状態に陥っているようだった。力無く動き出した彼は自分の荷物から救急キットを取り出すと、止血帯をひとつひとつ、丁寧にマイクの身体へと巻きつけていく。恐らく、訓練の内容をそのままなぞっているのだろう。もはやそこに、彼の純粋な意思は存在しない——ルカは息をつくと、大股にセスへ近寄りその身体を掴み寄せた。
「気をしっかり持て、アンシュッツ三等軍曹!」
 珍しく声を荒げ、ルカが叫ぶ。もはやどの感情を映しているかもわからない、光の途絶えた瞳が震えながらにルカを見る。それを真正面から見据え、ルカは言った。
「シルヴェストリ一等軍曹は戦死した。……死んだんだ。まずはそれを理解しろ」
 己にもそう言い聞かせるように言葉を発し、ルカは続ける。
「相棒を失ったお前の気持ちなど、俺にはわからない。だが、今は作戦を完了し無事に帰投することだけを考えろ」
 知らず噛み締めていた奥歯がギリ、と鳴り、ルカは自分が思いの外苛立っていることに気がついた。無理もない。今目の前に居るのはレマシア軍が誇る屈強な兵士などではない。ただの、悲しみに暮れる青年が居るだけだ。
「作戦……完了……帰投、する……」
「そうだ。俺の言っていることが分かるか。帰るんだ。シルヴェストリを連れて、基地へ戻るんだ」
「っ……」
 弱々しくルカの腕を払い、セスが後ずさる。右手で両目を覆って頭を振りながら、彼は必死に何かを考え——やがて、ひとつの結論に達したらしい——何度も「くそ」と漏らしながら、再びその場に座り込んでしまうのだった。
 その様子にため息をついたルカは、せめてものケアにと傍に腰を下ろす。セスは両手で顔を覆ったまま、動かない。そしてそれは、本隊から衛生班が到着するまで続いた。
「ルカ! 衛生班が到着しました。後は彼らに任せましょう」
 遠くからニノがそう言い、ヘルベンダーへ乗るよう促す。それを受け、ルカは小さくセスの肩を叩くと立ち上がった。ぞろぞろとやって来る衛生兵たちに状況を説明し、マイクとセス、そして横転したヘルベンダーに取り残された運転手を搬送するよう指示する。
「油田の制圧が先ほど、完了したそうです。アクィナス中佐が、急ぎ戻るようにと」
 通信機片手に伝えるニノへ「そうか」と答え、ルカはヘルベンダーに乗り込みドアを閉める。
「ニノ」
「はい」
「お前は、大丈夫か」
「……はい」
 車のエンジンを掛けながら、少しの沈黙を挟んでニノが答える。新人であるニノにとって、今回の任務は初めての死者を出した作戦ということになる。表には出さないものの、恐らくかなりのショックを受けていることだろう。ルカは今後の動きについて考えを巡らせながら、ヘルベンダーから窓の外を見やる。
 戦争の怪物——『誰』が、そう成り果てるのか。不意に浮かんだ不吉な予感にルカはまたひとつため息をつくと、それきり外界からの情報をシャットアウトするために瞳を閉じる。そして発車するヘルベンダーに揺られながら、本隊へと戻るべく移動を開始するのだった。


(了)