猫の鳴き声で目が覚めた。ふと目を開けば腹の上に子猫のセスが乗っていて、こちらへ何かを訴えかけているのが見える。マイクはゆっくり腕を伸ばすとその頭を優しく撫で「おはよう」と言った。
時計を見ると、ちょうど朝の五時であった。どうやら子猫には仕事も非番も関係はないらしい。毎朝この時間にマイクを起こしにくるセスはいつもミャアミャアと鳴いて何かを欲しがる。マイクはひとしきりセスを撫でた後、起き上がって腹の上に乗っていたセスを抱きかかえた。
「餌か? それとも遊んで欲しい? どっちかな」
まるで恋人同士のようにじゃれ合いながら、マイクはセスに尋ねる。そして彼は何か閃いたのか、セスの脇を抱えると高く掲げ、そのまま隣のベッドへと静かに移動した。
「ほーら、じゃあ高いところから着地する練習しよう。いいか、行くぞ」
その下にあるのは、まだぐっすりと寝込んでいる人間のセス背中だ。その真上に猫のセスをぶら下げ、マイクはその手をそっと離す。すると子猫はそのままセスの背中へと落下し、ドス、と音を立てて着地した。
「うお!? なんだ」
突然の衝撃に驚いたのか、セスが飛び起きる。猫のセスはといえば、そんな人間のセスの動きを軽やかに避け、ベッドの端へ行くとそこに小さく丸まった。
「おはよう、セス」
「ったく……なんなん……あ? まだ五時じゃねえか……何やってんだマイク」
「セスが起こしに来たから一緒に遊んでた。で、お前も起こしてやろうと思ったわけ」
「そりゃ非番の朝に親切にどうも……はぁ、すっかり目が覚めちまった」
「折角だし、朝のランニングでも行く?」
「そうするか……なんだよ、結局『いつも通り』じゃねえか」
「ははは」
悪態をつくセスへ笑い、マイクは早速ランニングの準備を始める。緩んでいたブーツの紐を締め直し、僅かな私物だけをポケットに入れテントを出る。セスもその後に続き、清々しい太陽の下へと出てきた。唯一猫のセスだけが状況を飲み込めずにきょとんとしていたが、「マイクがどこかへ出掛けるのだ」ということを察したのか、彼は自由にテントの中を歩き回って一人遊びを始めた。
「さて、じゃあ行きますか」
軽く身体にストレッチを施しながら、マイクはそう言うと静かに走り出した。
その後、マイクは有意義な休日を過ごした。ランニング後にキャンプの食堂でゆっくりと朝食を摂り、その後は猫のセスを基地に併設されている動物病院へ連れて行く。そして帰って来た後は、人間のセスとひたすらテレビゲームだ。
最近人気の現代戦をモチーフにしたFPSゲーム、そのオンラインマッチを一台のゲーム機で入れ替わりプレイする。やれ「あいつが強いやり返せ」だの、「もっと前へ出ろ」だの、実戦とはまた違う娯楽としての「対戦」を二人は存分に楽しんだ。
やがて日も傾いてくると、二人は揃って街へと出掛けた。キャンプの近くにある、お気に入りの酒場へ行くためだ。そこはブラック・ベレーがここジャバル・ジャヌーブに配属されてからすっかり馴染みとなった店で、マイクたちの他にも様々な軍人が訪れている。
店の扉を開くとやはりと言うべきか案の定と言うべきか、店内は軍人たちで賑わっていた。決して広いとはいえない店内に、鍛えられた肉体を持つ軍人がひしめいている。彼らはそれぞれ酒を手に談笑したり、ダーツに興じたり、一角ではどこか真面目な話をしていたりする。毎度お馴染みの光景だ。
「相変わらず盛況だな」
そんな店内を見渡し、セスが言う。それに頷きながらマイクはいつもの定位置——立ち飲みのカウンターへと向かった。するとそこには二人の先客が居た。ブラック・ベレーの同僚、オリガとリュドミラだ。
「あ、やっぱり来た」
どこか嬉しそうな表情を浮かべたオリガが、やってきた二人を見つけて手を振る。
「ご一緒しても?」
「もちろん」
マイクが尋ねると、無言で酒をあおっていたリュドミラがさらりと言った。
「非番がかぶってるって聞いたから、もしかしたら今日来るかなって」
「なんだ、お見通しかよ。あ、マスター。俺ビールで」
場所を空けてくれたオリガの横へ、セスが笑いながら身を落ち着ける。マイクもまた「失礼します」と一言断ると、同様に隙間を空けてくれたリュドミラの隣に滑り込んだ。
「あなたは何を飲むの?」
「そうですねぇ。じゃあ、それと同じものを」
「わかった。マスター、こっちにはウィスキーふたつ」
「はいよ」
気前のいいマスターが快く注文を受け、カウンターにアルコールが並べられる。四人はそれぞれにグラスを持つと、小さく自分たちの無事を祝して乾杯した。
ふと隣を見れば、セスとオリガは早くも雑談に花を咲かせている。その様子を見ながら、マイクは思わず苦笑して呟いた。
「ハタから見れば、お似合いのカップルだ」
「そうね、そんな風に見えるかも」
そしてそんなマイクの呟きに、リュドミラがつまらなさそうに応える。
くるくると表情を変えながら何事か言い合っているセスとオリガの様子は微笑ましい限りだ。それを眺めながら、マイクは注がれたウィスキーを一口飲む。セスもオリガも、戦場を離れれば年相応の青年だ。そんな二人の表情ははつらつとしていて、見ているこっちも気分がいい。
「でもね、マイク」
「はい?」
ふと呼ばれて視線を横にずらせば、そこには妖艶な笑みを浮かべるリュドミラがいた。彼女はやはりぐい、と酒をあおり、言う。
「オーリャは私のよ? あんなバカにはくれてやらないんだから」
「はは、そうでしたね」
挑戦的なリュドミラの言葉に、マイクは思わず苦笑する。どうやら彼女は早くも酒が回っているようだ。スナイパーとスポッター、そんな二人を取り巻く環境は閉鎖的で、密着している。ともすれば家族や恋人などよりも深く、そして強く結びついた関係だ。
そういう意味では、リュドミラの感覚は正常であると言える。何故なら、狙撃における相棒とは命を預けることのできる存在だからだ。その感覚に、マイクは同意する。自分もまた、命を預けることとなるセスを誰かに渡すような真似はしたくない——そんな淡い気持ちが、ふと湧いた。
「そういえばこないだ、ルカが居たわよ」
空になったグラスをテーブルに起き、リュドミラが切り出した。そしてその声が示した名前に、マイクの眉がピンと上がる。ルカ。その名前を聞くのは、数週間ぶりのことだった。
「あのルカが?」
「中佐から何か聞いてる?」
「いえ、特には……」
驚くべきことだった。あの「ルカ」が、他の隊員の目に触れた。ルカは常に単独で行動し、誰の目にも触れることはない。それが、リュドミラとの邂逅を経て存在を示したというのだ。そして彼は思い出す。名前こそ言われることはなかったが、彼ら直属の上官であるアクィナス中佐が言っていた「ある作戦」のことを。
「近々『誰かと組んで掃討作戦に参加して欲しい』とは言われましたが……まさか」
「もしかして、それ、ルカ」
思い当たったリュドミラが、マイクを指差しながら指摘する。しかしそれにマイクはやはり「そんな」と己の予測を否定しつつ応えた。
「彼が誰かと一緒だなんて。それに今回、俺は観測手じゃないですよ」
何気なく、言ったつもりだった。だが、その言葉の裏を読んだのかリュドミラはそれまで浮かべていた表情を引っ込め、急に厳しい顔をしてマイクを見た。
「……また志願したのね」
リュドミラが何を言わんとしているのか、マイクにはわかっていた。彼は時折、観測手としてではなく狙撃手として作戦に参加する。その多くは適性により選ばれたものだが、内容はといえば、いわゆる「汚れ仕事」というものである。
「降りかかる火の粉は、早めに振り払っておきたいですから」
一口、また一口をウィスキーを飲みながら、マイクは自分の感情を吐露する。
「セスのため?」
「さあ、どうでしょう」
グラスに残った最後の一口を喉へ流し込み、マイクは苦笑する。当の本人、セスはそんな隣で語らう二人の思惑など全く気づいていないようで、オリガとの話に夢中になっている。
「ねえ、中尉」
「なに?」
「俺がいない間、彼をよろしく頼みますね」
酒が入り、自分も少し口が軽くなってしまったのかもしれない。だが、それはそれで好都合だったのかもしれない——そんなことを考えながら、マイクは追加の酒を頼むべくメニューを開くのだった。
(了)