Post date: 2016/05/15 8:34:35
シナと井上エツの大阪での布教生活は、そんなに長い期間ではなかった。明治41年7月17日に、シナは、荒木音吉を婿養子に迎えて結婚した。音吉は、結婚後1か月ほどして軍隊に入隊した。それから2年間、夫婦とも別れ別れの生活であった。シナの結婚と前後して、井上エツも、かっての下駄由の番頭であった、上田正次郎と恋愛の上結婚した。根っからの商売人であった正次郎の意向から、上田夫婦は、布教を辞めてしまった。
そして、上田政治郎・エツ夫妻は、布教の苦しさから逃避するように、大阪を去り、郷里の池田に帰ってしまった。シナ夫婦は、前にも益して一層布教に専念した。
上田エツの苦労は、形の上では何も残らなかった。しかし、親のお道への苦労は、その子孫に理を残した。上田エツの子、上田新治郎は、積算電力計の発明により、その特許を持参して東京芝浦電機に入社。それまで、各家庭の電気料金は使用量が計れないため、一律の料金だったのが、使用量に則って計算でき、画期的な革命をもたらした。この功績で、上田新治郎は、重役まで上り詰めた。
親の伏せ込んだ徳を戴いたものでありましょう。そのまま、布教を続けておれば、きっと名称の理のお許しを戴いていたことでしょう。エツ姉が居なかったら、シナは大阪に出て来る事はもちろん出来なかった。上田エツ姉の残された徳は素晴らしいものであった。神様はちゃんと差引勘定をつけてくださっている。お道の上に、名は残らなかったが、社会的には立派な子孫を遺してくださった。