第五部小ネタ
#235
シャリヤは「私の好きな人」という意味で"mi'd lirfer"と言っているが、これは奇妙である。なぜなら普通なら"mi'st lirfer"というはずだからであるが、ここでは古語的レトリックを用いて重い表現にし、話を真面目なものにしたいというシャリヤの修辞的意図があったものだと考えられる。
#237
"Faileis Cain de Éhazgadzaki. Mait, faileis Chaliéha de Alesé. Failais...... Inlinia de Skuélavainia."とインリニアだけ正しい名前を言い渋っているが、これはスキュリオーティエ時代の人物であろう相手に「スキュリオーティエ」という名を出すとどうなるか分からないからという恐れからだろう。
"Ci es skurlavenija.yfi'a zu es skyli'orti'e'd yfi'a."、ここではskyli'orti'eは「スキュリオーティエ叙事詩」を指しており、二回目のyfi'aは「主人公」の意味である。文脈的に「スキュリオーティエ叙事詩の主人公たるスクーラヴェニア・ユフィアよ」というのが妥当な理解だが、翠君の理解ではそれは難しかったようだ。
#239
「お嬢様たちは」~「確実だ」、『人造昆虫カブトボーグV×V』37話「真夏の夜の夢!グレイト・クレイジー・カーニバル」中の台詞などから。
"klie niv plax"と翠が言ったのに対して、"Kailais nai...... vous plais?"と返しているがヴェフィス語側では「ショボいあなたは来てしまって下さい」のような非文のような煽りのような文になってしまっている。
#240
stysienはユエスレオネ革命以降の単位系であり、この時代はletiaやラネーメ系の単位を使うことが多かった。
シャリヤは"likale molivf"で「計る物」と言いたかったのだろうが、これは現代標準リパライン語の同根語litarle(計る、計測する)に影響されている。本来、古典リパライン語でのlikaleは「予測する、計画する」という意味を持っており、先の文は「企てる物」と読まれてしまう。
また、likaleの二音節目がシャリヤの発音では伸びているのも上記の理由である。本来の古典リパライン語では伸びないため店主には間延びした発音だと思われただろう。
#241
「いつの間に」~「インリニア=サン」、忍殺語より。
#246
"Fqa fein es klorma."「ここはあえて言うなら、クローマだな」とインリニアが言っているが、クローマ自体は9世紀以降に成立した詩学院なので紀元前であるスキュリオーティエ時代には存在しないので誤った理解である。
#250
"Edixa mi letix niv elx xelil kotiel'i las fal molil yuesleone esm......"、文法的に合っているといえば合っているが、kotielに不必要に格語尾が付いている。これはヴェフィス語のkotieli(星、kotielと同義語)に影響されたものだろう。
クワイエ共和国はヴェフィス市民革命以後の潮流でピリフィアー歴1412年に成立する国家であり、ユエスレオネが出来る2000年には滅びている。第五部の舞台であるスキュリオーティエ時代は紀元前であり、インリニアは先にも後にも結局の所クワイエ共和国に戻ることが出来ないことを自虐的に感じて"mer, fqa'd liestu io nat mol niv ja."と発言している。この"nat"は「まだ」ではなく、むしろ語源の"no-at"「今も」が色濃く現れている。
#251
"Edixa co'd kotiel......"、最初のkotielは交際している男性のことを指し、xelの後のkotielessは星々を指しているという修辞的な文章。インリニアも以外にロマンチストなのかもしれない。
#252
シェナパート(スキュリオーティエ・アパート)はユフィアの衣装のようなスキュリオーティエ時代の服装のことであり、細かいことを言えばアパートではない。地域によってはシェナパートは地面につくほどの裾の長さがあるロング・アープアタークを指す場合があり、混同されることが良くある。
#253
vefise'd lkurftless"は非文法的ではないが、不自然である。つまり、
vefise 「ヴェフィス語」を表す単語
vefise lkurftless 「ヴェフィス語」を表す口語
vefise'd lkurftless 「ヴェフィス語言語」
ということで、属格を付けなくても良いため不自然になっている。
#256
新しく登場している言語はスキュリオーティエ・バート語と呼ばれるスキュリオーティエ叙事詩の時代に話されていた古いバート語の形(暫定案ページ)である。これに関してはバート担当者であるところのJekto.vatimelijuに協力を貰った。
ユエスレオネ時代の学校では政治的な理由で古典リパライン語を教えない場合が多く、おそらく翠が古典リパライン語の単語区切りを理解できているのはユエスレオネでシェレウルに会ったことや学校で古典リパライン語の話者の会話を聞いていたからなのだろう。
ドライなことを言えば、市民たちにとって藩国同士の交易は統治者を裕福にし、そのおこぼれをもらえる可能性や遠くの話を聞ける可能性があるため歓迎することが多かったようだ。
#257
「天気デッキ」はVtuberの発言などに由来する。
"dyrilerl es niv vynut"はそもそも不自然な文だが、それにしても"pyviest es niv vynut"などということはあまりリパライン語圏では話されない。天気に良し悪しは無いと考えているためであり、一方"suiten"などを使ってハッキリと言うことはあまり不自然ではない。
ところで、ユエスレオネ人はおそらく「天気の話? する人も居るだろうし、しない人もいるでしょ。されたら話に付き合うかはその時次第だし、天気の話だからって嫌な気にはならないよ」とでも言うだろう。
ユエスレオネ育ちの人間は自然の雨を見たことが無い。人工雨が計画的に降らされているものの、それも非常に機械的なものであり、ユエスレオネ本土人は自然の雨を見るとはしゃぎたくなる性格がある。
#258
「この詩の形式の場合、三音節の韻脚を4つ並べるのは暗黙の了解らしい」、暗黙の了解というより、"agcelle"はスキュリオーティエ叙事詩の韻律を指すので自ずとスキュラーレ詩形(一行12音節三行一スタンザ)に沿うから別に韻脚の数は自明として表されていないだけの話である。
#260
翠はインリニアの発言を皮肉だと認識して怒っているが、インリニアは翠は更に労働で身を立てるために一人ひとりが率先して労働しなければならないということを言うために怒っていると思っている。ヴェフィス人的な考え方に適合するためにこう感じてしまったのだろう。
#265
"Co movies..."で、"konmetiover"はもちろんシャリヤのことで、"isnyser la lex"は翠のことを表しているがここで"celdiner la lex"が使えないのを疑問に思ったかもしれない。実は"celdiner"は「家政婦、メイド」を表す単語であるため先述の形だと「そのメイド」となってしまい不適切になってしまう。もっとも、翠が執事でシャリヤがお嬢様だったらという妄想をするのは楽しそうだが。
#274
非常に高コンテクストな題名であるので、ここに注釈を書いておく。
まず、この話の内容の元ネタはエマニュエル・レヴィナスの「イリヤの夜」という概念である。レヴィナスは夜、無音で目もつむっていて周りが見えず、眠れないという体験から、存在こそが主体性を埋没させる根源的な恐怖であると説く(あってるのか?)(知らん、内田樹氏は「レヴィナスと愛の現象学」でレヴィナスは人によって読み方が変わるように意識して書いてると言っているのだしここはふぁふす解釈で良いだろ)
イリヤといえば色々あるが、「イリヤの空、UFOの夏」という作品があり、そこの「空」に繋がるイリヤではなく、レヴィナスの「夜」に繋がるイリアなんだよという意味での「空ではなく、夜」なのである。