"Xol fasel" 「革命序説」は第一次社会主義時代のphil.2004にターフ・ヴィール・イェスカによって書かれた思想書。リパラオネ教の教典であるスキュリオーティエ叙事詩を元にした教法学的革命論を元に革命権を元にした政治体系を構築した。ユエスレオネ主義の下となったのがこの書。
Binááʼádaałtsʼózí Dineʼé Bikéyah
「苦しんで覚える――」は『苦しんで覚えるC言語』が由来である。
눕다に関してはjekto.vatimelijuに協力してもらった。
"Edit"に関してはOnline Etymology dictionaryを参照した。
WORD FORMATION IN TAMIL (2001). Department of linguistics, Tamil University. Dr S,Rajendran. p.82, 75, も参照した。
タミル語の逆成案件を探すのに発狂しながら、最強タミル学者に訊いたりしたメモが残っている(こちら)
ドイツ語に関しては「独検4級合格講座」(三修社)を参照した。
フェリーサの"fqa'd snenik"は彼女の母語であるアイル語の"lebi laitai"(この日)に釣られて出てきた誤った語法である。正しくは"sysnul"などを使う。
ペーグヴィーレ語、タカンヴィーレ語、ペータース語、ヴェフィゼ語はそれぞれパイグ語、タカン語、バート語、ヴェフィス語のこと。リパライン語を音写でリネパーイネ語という翠君なのだからリパライン語の資料を見てパイグ語というはずがないのである。
レシェールが<fqa'd snenik>と訊けている理由は、彼がアイル語などを理解出来て、フェリーサの面倒をみているためにラネーメ語族話者に分かる言い方が感覚的に理解できているためである。 cf. #72_2, #話外_2
合掌はファイクレオネ(特にここではリパラオネ教)では、祈りのポーズとして認識されない。食事前に「いただきます」をすることも慣習としてはないので、この二点でシャリヤたちには異様に見える。
cilは古理語cilioから派生した単語で「合掌する」という意味。古理語cilio huhegの省略である。
合掌の動詞cilはciluの口語化と同語形となって融合しているために「解体する」などの意味も含む、このため翠のジェスチャーを「これから穀物を潰しますよ。」というものであると解釈した可能性があるとfalira.lyjotafisが提唱している。
"ja pa,......"は「そうだけど(それがどうかしたか)」ではなくpaが相位詞と解釈されて、「そのはずだけど(何故か少女は自分のことを知っているらしい)」という意味になる。一応自然な会話になっているが翠とシャリヤとでの受け取り方が違う面白い例。
ある程度の年齢のネートニアーは、地上からユエスレオネに来ているため、低酸素状態に慣れていない。イェスカについてきた青服は運動不足で息が切れていたのではなく、低酸素状態で走ったために慣れずに直ぐに息を挙げてしまった。
favは古語の用法、「完璧な、完全な」の意味だが、後世で有nasteに由来するnasteやnasteon(=naston)などに置き換えられている。
"co es xale harmie"は不自然な語法、普通なら"hame"を使う。これでは「あなたが(ものに例えて)何のようであるか」みたいな感じになってしまう。
タミル語の数詞に関しては、"A Comparative Grammar of the Dravidian Languages(2003) Mikhail S. Andronov", "THE DRAVIDIAN LANGUAGES(2003) Bhadriraju Krishnamurti"を参照した。
題名はデスマの「シガ国語スキル」から。アニメは一話で言語習得してたね。翠君が発狂する日も近い。
S fenxe baneartは「S家の人間が死ぬ」という意味。「バネアートを食卓に運ぶ」という文を言うためには動作主が主格を避け、呼格になり、baneartはla baneartまたはmels baneartとして単純な対格として取るのを避ける。エレーナの言い方を見ると分かりやすい。逆にletixerlstなどの動詞ではわざわざlaを付けていたりしない。
「生活力の無さを……」は元は月ノ美兎の「わたくしで隠さなきゃ!」が元ネタ。
Spätaussiedlerに関しては以下を参照した。
四釜綾子(2009). 現代移民の多様性:ドイツ系帰国者 Aussiedler受け入れ政策と統合問題 ―移民と血統主義のはざまで―
国立民族学博物館調査報告 83, 159-168.
題名は101が入門や基礎を表すところから。
「今日のインド先輩の言語アドバイス!」→DDLCのモニカの執筆アドバイスより。
当然だが、エルゼ "Else"は『異世界はスマートフォンと共に』に登場するエルゼ・シルエスカとは全く関係ない。リパラオネのボードゲーム「アツェフェーテ」にて成駒をこのように呼ぶ。語源は"elsec" 「成る、昇格する」であり、またこれの語源は"alese'c en" 「アレスに入る」である。元々はアレス王朝期の皇帝領に就くという意味だった。それでは、いせスマのエルゼは何か気になる。英語版ウィキでは綴りは"Elze"になっている。これはどうやら北欧の女性名であり、"Else"の別形態らしい。また、この名前は"Elisabet"のデンマーク語、低地ドイツ語での省略型で、これをさらに遡ると同じ綴りのラテン語名はギリシア語名Ελισαβετの転写で、このギリシア語名はאֱלִישֶׁבַע (Elisheba)というヘブライ語名から来ているらしい。この名のeliは「我が神」(聖書読んでる人ならわかりそうだけど、「エリエリレマサバクタニ」の「エリ」なんかな)で、shebaは誓い、支え、維持を意味する。つまり、意味は「我が神は支え」ということになる。一体どこの転生者が聖書を持ち込んだのだろうか、誰も知るまい。
ところで、elishebaからelisabetの間でtが生えたのは何なんでしょうね、と思ったがヘブライ語名の語尾עは[ʕ]らしいので、これがtで取られたって解釈でいいんだろうか?
「なんて思いやり」~「モルヒネを打たれるのは御免だね」の元ネタはNDTVの報道の日本語訳より。
「第二次大戦」~「したように」の元ネタは『ヒトラー 〜最期の12日間〜』より。総統閣下シリーズで笑うだけじゃなくて、原作もちゃんと見なきゃと思ってドイツ語と日本語吹き替えで三周くらいした覚えがある。
「名状しがたい…~…なったドライバー」は最初は『這いよれ!ニャル子さん』、次は『なれる!SE』から。
「探すといい……探させよう。」はタミル映画valaikkaranの最後、主人公がラジオで労働者たちに従うなら光を掲げよと呼びかけを行うシーンで言った「探すがいい、この明るみの中で暗がりを探させてやる。」と使役者たちに向けて話す言葉から。
ちなみに"Mal, mi es en'iar'i mal……"はダブルミーニングで、en'iarは「仕事」と「失敗を成すこと」という二つの意味がある。だから、「仕事をしたのに裏切られた」とも「ヘマをやらかして裏切られた」とも読める面白い文。