安藤政輝リサイタル
「宮城道雄全作品連続演奏会 4」
1992/ 2/27
宮城道雄全作品の演奏会(4)にあたって
安藤政輝
本日はお忙しい中をご来場いただきましてありがとうございます。
約300曲と言われる宮城道雄の全作品の連続演奏会もおかげさまで第4回目を迎えることができました。 今回は、1921年(大正10年)と1923年(同12年)の作品を10曲取り上げます。
1923年(数え年30歳)は、吉川先生の解説にもあるとおり、本日演奏する曲に<母の唄><大鳥(現在不明)>を加えた11曲を作曲した、 宮城道雄にとって最も充実した年と言われています。
<むら竹>(1921年)は箏と笙の伴奏による歌曲です。 宮城道雄はこの頃、宮内庁楽部の薗兼明氏について笙と篳篥を2年間習っており、その成果がこの曲と<薤露調>、 後になって1948年(昭和23年)の箏・笙伴奏の歌曲<観音様>および、<道潅><日連>などの大合奏曲における「楽の手」などとなってあらわれるわけです。また、<薤露調>では、笙の他に前回ご紹介した大胡弓、および箏・十七絃・尺八・打楽器が使われ、(現存する中では)初の管絃合奏曲となっています。本日は、先ごろ芸術院会員になられた、笙演奏家・多忠麿氏をお招きしました。箏と笙のハーモニーを十分にお楽しみいただけると思います。
ところで、十七絃が1921年(大正10年)の<落葉の踊>で発表されたことは前回お話ししましたが、その時使われたのは、 長さ8尺(約240cm)の十七絃でした。その後長さ7尺(約210cm)の「小十七絃」が作られ、本日演奏する三重奏曲<さくら変奏曲>と、代表的な二重奏曲<瀬音>に使用されました。小十七絃の調絃法は、チェロの音域である「大十七絃」のものより全体に5度高く、ちょうどビオラの音域にあたります。しかも高音域を7音階ではなく5音階にとり、箏との音域の重複が大きくなっている上に、糸も細めになっているために音色の差も縮まり、その結果、大十七絃の目的である「低音による伴奏」*に加えて、箏と対等にメロディを演奏するという新しい十七絃のスタイルが確立されました。
また、<舞踏曲>はワルツを模した非常に明るい曲です。現在は箏3面と十七絃1面の編成で演奏されますが、 作曲者の意図が「西洋の弦楽四重奏(ヴァイオリンⅠ・Ⅱ、ビオラ、チェロ)を日本の楽器で」にあったとすれば、本日のような箏2面と大小十七絃という編成が本来の姿ではないかと思われます。しかし、当時まだ貴重な存在であった十七絃を大小2面も使うとあっては、せっかくの曲も演奏されにくいという配慮から、現在の形のようになったのではないかと考えられます。小十七絃の代わりに低音部を受け持つ第3箏には、箏の音域ギリギリの低さの上に、他の曲には絶対出てこない第3絃の強押し(1音押し上げる)や第2絃の弱押し(半音押し上げる)があるなど、演奏には相当無理があります。
<比良>は、昔からの三曲合奏形式にのっとり、しかもその中に新しい雰囲気が表されています。 尺八は、三味線と同じ旋律ではなく、箏・三味線と対等に旋律を奏していきます。演奏時間こそ短いのですが、第2回に演奏した<尾上の松>に似たスケールの大きさが感じられる曲です。本日は、第1回の<春の夜>と共に「この曲が大好き」と言われる山本邦山氏に再びご登場願うことになりました。ご期待ください。
さて、毎回苦労することは、演奏する曲の楽譜が整っていないということです。 作曲年表に載っていても曲名だけで詳細不明と言う曲がすでに何曲もあるのが本当に残念です。 先日も、宮城道雄記念館の資料室で<かけひの音>の楽譜を偶然発見しました。 他の曲の楽譜の間に挟んであった"手書きの心覚えの譜"で、そのままではすぐ演奏するわけにはいきませんが、 たった1枚の古い紙を手にして文字どおり感激で手が震えました。"解読"してお聞かせできるのを楽しみにしております。 そのような中で、前回<紙風船>を中井猛氏提供の楽譜によって、歌のメロディをユニゾンで演奏いたしましたが、 本年1月、新谷美年子氏門下の福山圭子氏が伴奏譜を提供してくださいました。ありがとうございました。次回に、伴奏付きで再演したいと思います。
終わりになりましたが、今回も、吉川英史先生に色々とお話しをいただけることになりました。 また、堅田宏氏をはじめ、会の開催にあたりご援助・ご協力をいただきました皆様に、厚く御礼を申し上げます。