安藤政輝リサイタル
「宮城道雄全作品連続演奏会 22」
2022/ 4/17
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*花束・プレゼント・差し入れのお渡しはお控えください。
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宮城道雄全作品連続演奏会―第22回に寄せて
東京藝術大学講師 野川美穂子
「宮城道雄全作品連続演奏会」は、コロナ禍のために、第20回も第21回もネット配信となりました。今回の第22回は、3年ぶりのリアル公演です。コロナの心配は依然続いておりますが、万全の体制を整えての開催となりました。会場にお越しくださいましたお客様とともに、安藤政輝先生はじめ、ご出演の皆様の素晴らしい演奏を生で拝聴できますこと、本当に嬉しく存じます。
本日の演奏曲は11曲です。《牛と馬》は昭和22年の作品、《雲雀の学校の校長さん》は昭和25年の作品で、あとは今回の年表の昭和26年と昭和27年の作品です。《ほたる》《さくら》《飛鳥の夢》《伊丹風流(「丹水会館祝歌」)》《通りゃんせ》《平和数え唄》の6作品が昭和26年に作られ、《源氏物語》《編曲八千代獅子》《さらし風手事》の3作品が昭和27年に作られています。なお、《源氏物語》については、歌舞伎《源氏物語》のために作られた昭和26年の舞台音楽版と、連続ラジオ放送「箏と朗読 源氏物語」のために作られた昭和27年のラジオ音楽版があり、本日は、昭和27年のラジオ版《源氏物語》の一部をお聴きいただきます。
今回の作品の中心年代である昭和26年と昭和27年は、戦後復興の実感が人々に広がっていった時代です。正月3日にはNHK紅白歌合戦の第1回があり(ラジオ放送)、同じ日の銀座・木挽町では、歌舞伎座の復興開場式が行われました。現在の歌舞伎座は第5期(平成25年4月開場)の劇場ですが、このときに復興した劇場は一つ前の第4期で、空襲による大きな被害をうけた第3期のデザインを踏襲し、大幅に改修した劇場でした。まさに「戦後復興のシンボル」として意識されました。昭和27年4月にはサンフランシスコ講和条約が発効し、GHQ(連合国最高司令官総司令部)が廃止となって、日本は正式に独立国家として歩み始めました。
昭和26年と昭和27年は、宮城道雄(1894~1956)にとっても大きな発展の年でした。昭和26年1月に始まる宮城会結成の気運が熟して、同年3月20日に宮城会発足となり、6月には『宮城会々報』の第1号が発行され、7月には宮城会の第一回講習会と第一回全国大会が催されました。宮城自身の演奏活動はますます活発になり、全国を飛び回る毎日となります。すでにNHKのラジオ放送で活躍していた宮城は、昭和26年9月の民間ラジオ放送の開局をうけて、民間局のための録音にも多忙を極めました。
以下には、本日の演奏順に、各曲をご紹介いたします。
《飛鳥の夢》は、大阪の朝日会館を会場に、昭和26年4月12日に始まった「聖徳太子芸術祭」で初演されました。この芸術祭は、聖徳太子没後1330年を記念する「薨後一三三〇年 聖徳太子祭記念行事」の一つでした。記念行事の最初は4月11日の式典で、聖徳太子が眠る磯長御廟(大阪府南河内郡太子町の叡福寺内)を前に、《ひじりの宮の御前にありて》と題する「聖徳太子一三三〇年記念祝讃歌」のカンタータ(洋楽器による合唱合奏曲。3楽章構成。各楽章を清水脩・團伊玖磨・芥川也寸志の3人が分担作曲)が献奏され、高松宮宣仁親王(1905~1987)による祝詞の奏上もありました。同日夕刻の「記念芸術祭典」では、カンタータに加え、ピアノ独奏、宮城による《春の海》と《数え唄》、舞楽《蘇莫者》などが演奏されました。宮城は、そのカンタータについて、随筆「雨だれ」に「新しい中に雅楽の精神も織り込まれているようで、私は若い作曲家達の感覚は面白いと思った」と書いています(『宮城道雄著作全集』第2巻260ページ)。《ひじりの宮の御前にありて》の歌詞については、記念行事のプログラムに「高松宮御撰」とありますが、実際の作詞は歴史哲学者の仲小路彰(1901~84)であったと伝えられています(春日井邦夫『情報と謀略』下巻。宮城道雄記念館資料室室長・千葉優子氏のご教示による)。
宮城の《飛鳥の夢》は、カンタータ《ひじりの宮の御前にありて》の第3楽章の歌詞に基づく邦楽曲です。初演となった前述の「聖徳太子芸術祭」は4月12日から17日までの催しで、そのうち12日から14日が「邦楽邦舞」、15日から17日が「洋楽洋舞」の番組でした。宮城が作曲した「聖徳太子祝讃歌」(《飛鳥の夢》)は、12日から14日までの3日間、昼夜の計6公演で演奏されました。藤間万三哉(1915~57)の振り付け・演出による初代吾妻徳穂(1909~98)の踊りとともに披露されました。
《牛と馬》は、従来は昭和25年の作品とされていましたが、点字譜に書かれていた情報から昭和22年10月の作曲と推測できる童曲です(千葉優子氏のご教示による。前回の年表に記載)。「ニコピン先生」の愛称で知られる作詞の葛原しげる(1886~1961)と宮城は、大正6年の童曲《春の雨》以来、信念を同じくする名コンビとなり、数々の童曲を誕生させました。
《雲雀の学校の校長さん》も二人による童曲で、昭和26年4月27日に広島県の尾道東高校で初演されました。曲名の「雲雀の学校の校長さん」とは、作詞者の葛原しげるのことです。葛原しげるは、戦時中に故郷の広島に疎開し、戦後の昭和21年4月からは、広島県芦名郡新市町に新設された至誠高等女学校の校長となりました。昭和23年5月上旬、久し振りに福山(広島県)で葛原と再会した宮城は、春の明るい光のなか、雲雀の囀りがあちこちに響く女学校の運動場で葛原と写真を撮りました。そのときの印象から、宮城は葛原を「ひばりの学校の校長さん」と比喩しました。童謡の《雀の学校の先生》になぞらえた表現です(対談集『琴と尺八』、随筆『あすの別れ』参照)。《雲雀の学校の校長さん》の歌詞は、その比喩にこたえて、葛原が作ったものです。
《ほたる》と《さくら》も昭和26年の作品で、どちらも、有名な古謡に基づく編曲です。目の不自由な宮城は、「蛍来い蛍来い」という子供たちの声を聞きながら、「間接にあかりを感じることがある」と随筆に書いています(随筆『古巣乃梅』参照)。古謡《さくらさくら》については、「さくらさくらの節は日本の気候や景色によく合っているように私は感じている」と随筆に書いています(『古巣乃梅』参照)。宮城には古謡《さくらさくら》に基づく作品がいくつもあります。
本日の《源氏物語》は、すでにご紹介したように、昭和27年のラジオ音楽版です。昭和27年3月31日に始まった日本文化放送のラジオ「箏と朗読 源氏物語」は全13回の連続番組(毎月曜に放送)で、同年7月5日からの「宮城道雄作品集」と題する連続番組(これも全13回)をはさんで、同年10月4日に始まる第2期の「源氏物語」の放送に続きました(全13回。毎土曜に放送)。宮城の箏の音楽とともに、紫式部の『源氏物語』の朗読を合計26回にわたって楽しむことができる番組でした。
古典文学の名作『源氏物語』は、天皇への不敬の表現があることから、戦時中に軍部の弾圧をうけましたが、戦後の自由のなかで、歌舞伎《源氏物語》の上演が可能となりました。冒頭にご紹介した歌舞伎座復興の翌々月、昭和26年3月の公演でした。配役はもちろん、脚本、演出、音楽、振り付け、衣裳、舞台設営などを念入りに企画し、「松竹株式会社の社運をかけた大冒険」とも言われた歌舞伎公演の大成功は、光源氏を演じた九代目市川海老蔵(のちの十一代目市川團十郎)の「海老さま」ブームにつながりました。この歌舞伎《源氏物語》において、開幕の音楽をはじめ、劇全体を支配する音楽担当者として白羽の矢を立てられたのが宮城でした。昭和27年のラジオ「源氏物語」の放送は、歌舞伎《源氏物語》における宮城の功績に連なる番組であったと言えます。宮城の音楽を用いる歌舞伎《源氏物語》は、脚本や演出の改訂増補を経て、宮城の存命中はもちろん、没後の昭和32年5・6月にも再演されました。
昭和26年作曲の《伊丹風流》は、「丹水会館祝歌」として作曲されたものです。「丹水会館」とは、箏製作者で和楽器の名器の収集家でもあった水野佐平(1891~1972)が伊丹市の猪名野神社(伊丹市宮ノ前)の東に建てた会館です。「丹水」は、伊丹の「丹」と水野の「水」を組み合わせた名前です。水野佐平は徳島県勝浦郡の出身で、大阪府西区にあった「水野琴商」での奉公ののち、婿養子となって店を継ぎます。昭和6年、店の場所は大阪から伊丹市宮之前に移転しました。邦楽文化の普及と推進をめざす水野は、昭和25年9月に、研究と演奏、楽器展示のための「丹水会館」を建設します。このことを邦楽研究家の藤田斗南(1891~1952)が知り、藤田が仲介者となって、昭和26年4月8日と9日に宮城は招聘されて丹水会館で演奏しました。この演奏会が、丹水会館のこけら落としとなりました。その演奏会のおりに、水野は会館設立を祝う作品の作曲を宮城に依頼し、作詞を元伊丹市長で国文学者の岡田利兵衛(1892~1982)に依頼しました。この結果生まれたのが《丹水会館祝歌》です。『宮城会々報』3号によれば、昭和26年8月24日に作曲されました。また、翌月の19日に関する会報の記事には、「藤田斗南氏の還暦を祝うことばと「丹水会館祝歌」をテープレコーダーに入れ、それから録音盤にとる」とあります。宮城は昭和27年の12月14日に丹水会館に再び招聘され、《伊丹風流》を初演しました。
丹水会館は阪神大震災で被災して廃館となりましたが、《伊丹風流》の歌詞の一部を刻む石の記念碑が岡田利兵衛の俳号を冠する柿衞文庫の敷地に残ります。水野が収集した楽器は、武蔵野音大、大阪音大ほか、海外にも寄贈されて、貴重なコレクションとなっています。
《さらし風手事》は、昭和27年8月8日に録音され、ラジオ東京の連続番組「三越 箏曲の調べ」(毎水曜日)の8月13日の放送で初公開された作品です。地歌箏曲の古典曲の一つに、18世紀前半の深草検校による手事物《さらし》があります。この曲は、17世紀後半の北沢勾当による長歌物《さらし》の改作と推測されていますが、水に浸した布を日光にあてて漂白する「さらし(晒)」の作業を「チンツンテンツン」や「チンツンテンツンテントチチーン」などの旋律を生かして表現します。宮城は「砧、晒、囃子、りんぜつなどを巧く纏めれば洋楽の舞曲―たとえばモーツアルトなどのような味を出すことが出来ましょう。…(中略)…伝統を飽くまで生かすとともに新しい時代の流れに沿うところに東西芸術の融合、新文化の創造が生れると思います」と随筆に書いています(『古巣乃梅』)。《さらし風手事》は、まさにその発想につながる名作です。
《通りゃんせ》は、わらべうたに基づく箏の二部合奏で、昭和26年の作品です。
《平和数え唄》も昭和26年の作品で、〽一つとや」で始まる有名な古謡《数え唄》の編曲です。古謡《数え唄》には替歌がさまざまにありますが、なかでも、〽一つとや 一夜明くれば 賑やかで 賑やかで お飾り立てたる 松飾り 松飾り」と歌う《正月の数え唄》の歌詞が知られています。《平和数え唄》の歌詞は、読売新聞社の学芸員として活躍したのち、ビクター専属の小唄の作詞者となった小野金次郎(1892~1981)によるものです。昭和27年1月にビクターから販売された《平和数え唄》のSP盤は、服部正(1908~2008)の編曲によるもので、歌はビクター専属の童謡歌手であった関根敏子、箏は宮城喜代子師と数江師、児童合唱とビクターオーケストラの伴奏付きの演奏となっています。古謡《数え唄》を活用する宮城の作品としては昭和15年作曲の箏独奏曲《数え唄変奏曲》があります。また、民間放送のタイトル音楽として昭和26年8月26日に吹き込みが行われた《三共株式会社テーマ音楽》も、《数え唄》および《数え唄変奏曲》の編曲です。宮城の当時の演奏記録には「数え唄」の文字が頻出し、お気に入りの曲でした。
《編曲八千代獅子》は、その名の通り、古典曲《八千代獅子》の編曲です。《八千代獅子》は尺八曲が原曲で、18世紀半ばの政島検校(?~1780)が胡弓曲にうつし、さらに初世藤永検校が三弦曲に移した曲と伝えられています。《編曲八千代獅子》の作曲時期については、『宮城会々報』13号に、昭和27年8月21日の午後6時から、ビクターの吹き込み所で録音した旨の記事がありますので、それ以前の作曲です。《園の秋》も一緒に録音されています。この2曲について、会報13号の記事には「古曲の尺八というとベダヅケになっており、これを効果的に試みたもの。「八千代獅子」は箏二面、三絃、尺八、十七絃、胡弓、横笛、鼓。何れもこんど新しく編曲したもの」とあります。昭和26年9月1日に開局した新日本放送(現在の毎日放送)の1周年を記念する放送のための録音で、録音の1週間後の昭和27年8月28日の新日本放送の番組で公開されました。
ご あ い さ つ
安 藤 政 輝
本日はお忙しい中をご来訪いただきましてありがとうございます。
宮城道雄の全作品を、年代に沿って時代背景を考察しながら連続して弾いていくこのシリーズも、1990年以来これまでに259曲を弾き、今回で22回目を迎えることができました。これもひとえに皆様の温かいご支援の賜物と感謝いたしております。今回は、1947年
(昭和22年)から1952年(昭和27年)の作品11曲を演奏いたします。ちなみに、昭和27年は私が入門した年でした。
《飛鳥の夢》
箏高低2部、十七絃、尺八からなる合奏曲ですが、前奏―前歌―手事―後歌という「手事物形式」に地歌風の歌が付くなど、古典的な雰囲気を持っています。手事部分は軽快で掛け
合いを含み、翌年に作曲された《さらし風手事》にもこの中の音型が用いられています。
聖徳太子一三三〇年忌の記念讃歌として、思想家・歴史哲学者であった仲小路(なかしょうじ)彰(あきら)
(1901-1984)が作詞をしました。仲小路本人が3部に分けて作曲した単旋律を基に3人の作曲家がオーケストレーションをして「洋楽版」として発表されました。これとは別に作曲を委嘱された宮城は、その第3楽章部分を歌詞とし、仲小路とは異なる独自
の旋律をつけて邦楽版《ひじりの宮の御前にありて》として発表しました。
その後昭和35年8月の第9回宮城会講習会で《飛鳥の夢》としてとり上げられ、以来
その曲名が使われています。
ところで、歌詞の出典とされる『情報と謀略』では「飛鳥の夢の明日をしのばゆ」の部分が抜けているのですが、「仲小路の旋律譜」では現在の《飛鳥の夢》の歌詞の通りとなっています。
《牛と馬》
葛原しげる作詞の童曲です。同じ「う」という語で始まる身近な(であった)牛と馬を楽しく比較しています。牛はノッソリ歩むのに対し、馬は駆けるのかと思ったらそうでもなく、
きっと重い荷を背負っているのでしょう。
《雲雀の学校の校長さん》
葛原しげる作詞の童曲です。歌は3番まであり、2番の後に間奏として前奏部分が入るのは《牛と馬》と同じです。なお、この曲と《牛と馬》は、前回予定していたのですが、新型
コロナ感染症蔓延のため収録の時間が折り合わず、今回になりました。
《ほたる》
わらべ歌《ほたるこい》の箏・尺八伴奏版です。《ほたるこい》は地方によって色々な伝承がありますが、原型である「ほ ほ 蛍来い あっちの水はからいぞ こっちの水はあまいぞ ほ ほ 蛍来い」に清水かつらが補作をしています。「宮城道雄大全集」(SJL-2157-MA 昭和49年 ビクター音楽産業)から採譜しました。
《さくら》
短い前奏の後、歌は3回繰り返され、1回目は主旋律がそのまま箏と十七絃のユニゾンで
奏されます。短い間奏の後、2回目は両楽器とも変奏を奏で、次に1コーラス分の間奏が入り
ます。その間奏以降は3拍子となり、3回目の歌にはメロディにも変化が加えられています。
「さくら」をテーマとした曲は、小編成の合奏曲では、1箏・2箏・十七絃の《さくら変奏曲》(大正12年作曲、第4回で演奏)と、箏・ヴァイオリンの《さくらさくら》(昭和28年作曲)、
それに今回の箏と十七絃に歌が付いた《さくら》の3曲があって、よく混同されます。また、
童曲では《さあくら咲いた》(昭和6年作曲、第11回で演奏)、大合奏曲では《春陽楽》
(昭和8年作曲、第12回で演奏)の第4楽章《さくら》、《寄桜祝(さくらによするいわい)》(昭和15年作曲、
第18回で演奏)があります。
《源氏物語》
紫式部が平安時代中期に著したとされる『源氏物語』を題材として、昭和26年に歌舞伎座および大阪新歌舞伎座で上演された「源氏物語」のための劇場音楽がありましたが、今回は翌27年3月から28年1月にかけて日本文化放送(現・文化放送)の開局記念番組として山本安英の朗読に併せた30分番組として計26回放送されたものを基としています。
週に1回の生放送が13週続くのですから、大変なことであったと想像されます。
その一部分は「宮城道雄大全集」に収められておりましたが、放送部分全体が文化放送開局50周年記念「箏曲と朗読 源氏物語」として平成14年にCD化されましたので、それらを基に、①桐壺、②須磨、③初音の3部に構成いたしました。
放送の時は、谷崎潤一郎訳の『新訳源氏物語』(昭和16年、中央公論社刊)を基にしています。「谷崎源氏」は格調高い美しい文章なのですが、今回は原本として平成8年から10年にかけて講談社から発売された瀬戸内寂聴訳の「瀬戸内源氏」を採用し、これまでに何回か共演させていただいた飯島晶子さんに朗読をお願いしました。
【前奏】毎回奏された番組全体のテーマ曲で、箏の独奏で格調高いものとなっています。
次第にテンポを増して自由な展開部分になり、次に続く部分のテーマに移っていきます。
【桐壺】(第1帖)全54帖の冒頭、原文が「いづれの御時にか、女御、更衣あまた候ひ給いける中に…」と始まる部分で、箏独奏で桐壺帝の更衣に対する寵愛ぶりを描いています。
【間奏】主な登場人物にはそれぞれのテーマが充てられています。次に続く「須磨」に
登場する紫の上に因んで「紫のテーマ」から採って箏独奏としました。
【須磨】(第12帖)光源氏26歳の3月。政権が移り後ろ盾を失ったうえに、時の朱雀帝最愛の朧月夜の尚侍との不倫が露見し、源氏は官位をはく奪されてしまいます。それに続く流罪を回避するため自ら須磨へ落ちて行きます。前半は、その出発前、別れの場で紫の上と交わす歌(【歌詞】参照)は悲しみに満ちています。箏に加わった十七絃の
低音が悲しみの深さを強調しています。
後半は舟路の場面です。小舟に揺られながら我が身を嘆き都の空を思い浮かべる源氏の歌2首が詠まれています。ここでは尺八が加わって陽旋法となり雰囲気を変えています。
【初音】(第23帖)源氏36歳の新春。須磨・明石での蟄居もとけ、以前にもまして権勢を得た源氏が、新築された六条院で、初めに紫の上が待つ春の殿を訪れる場面です。箏2、十七絃、尺八に胡弓が加わり、祝賀気分があふれる合奏となっています。
【後奏】『源氏物語』のテーマである「紫のゆかり」に因って再び「紫のテーマ」に戻り、終わりにしました。
《伊丹風流(いたみぶり)》(丹水会館祝歌)
伊丹経済交友会から2007年発行された『いたみティ』73号に紹介されている「水野佐平物語」によれば、箏の製作者であり和楽器収集家でもあった水野佐平(1891-1972)が伊丹市に建設した邦楽演奏場・丹水会館のこけら落としに宮城が招かれて演奏したのは昭和26年4月のことでした。その際依頼されて、俳文学者で元伊丹市長であった岡田利兵衛の詩に、「丹水会館祝歌」として「大勢で合奏できるようオーケストラ風に」作曲したものが《伊丹風流》で、翌27年12月に披露されました。岡田の詩は「伊丹賛歌」として色紙が残っており、その一部を刻んで水野が建てた石碑も残っています。
楽譜は、1箏・2箏・十七絃・尺八のパート譜が存在しましたが、十七絃の譜は断片的で寸法が合わず、パズルのように箏・尺八と組み合わせてみたのですが、結局32小節分が欠落していることがわかりました。今回はその部分はお休みとして演奏いたします。歌詞は色紙を参考に修正を行いました。
《伊丹風流(いたみぶり)》(丹水会館祝歌)追加
4月11日、伊丹市の菊井松音氏から昭和26年9月19日の録音と思われる音源をいただきました。宮城道雄・喜代子・数江他演奏のSPレコードからのコピーで、不鮮明な音ではありますがそこから十七絃の音をとることができました。また、箏・尺八にも多少の修正を加えました。感謝申し上げます。
《さらし風手事》
箏の高低二重奏曲ですが、派手な手は演奏上の一つの目標とされていました。ですから「次はさらし」と先生から伺った時の嬉しさは格別のものでした。東京新聞社主催の三曲コンクール児童部で1位になったときに私は低音を担当していました。小さな体で低音の押し手を繰り返す様は「五条の橋の上の牛若丸のようだ」と審査をされていた吉川英史先生が評を述べられたのを思い出します。
《通りゃんせ》
わらべ歌「通りゃんせ」を箏高低2部の合奏に編曲したものです。最後の「通りゃんせ」の「せ」の音が上がって終わるのが一般的ですが、楽譜上では下がって終わっています。そこで歌を繰り返す1回目は一般的な終わり方とし、問答を歌い分けとしてみました。ちなみに、以前、歩道の信号機が青になった時に流れていたものは最後が下がって終わっています。なお、同じテーマからなる《天神様の細道》は楽器構成・歌詞・メロディも異なる別の曲です。
《平和数え唄》
「ひとつとや-」の数え歌をテーマとしたものは、昭和15年に作曲された箏独奏曲《数え唄変奏曲》(第17回で演奏)が有名ですが、昭和18年の《春遊び数え唄》(第19回で演奏)もあります。これは子どもたちのために作られた箏2部の合奏曲です。歌詞は、戦後の平和をかみしめた内容で、ビクター専属の小唄作家であった小野金次郎(1892-1981)の作です。
《編曲八千代獅子》
藤永検校作曲のよく知られた古典《八千代獅子》を宮城道雄が編曲したものです。
第1箏、第2箏、十七絃、胡弓、三絃、尺八、横笛、小鼓による大合奏曲として編曲されたもので、古典の現代化を試みた一連の編曲活動の第1作であり、かつ代表作の一つとされています。第2箏と三絃は手事三段の後半を除いてほとんど原曲の通りですが、原曲にはなかった長い前奏、第1箏の華麗で複雑な奏法、手事部分の和声的な作曲法などの点が、
古典の三曲合奏の場合の複音的作曲法と異なっています。
今回は、東京藝術大学を同期に退職された三浦正義先生に鼓をお願いしました。
前回(第21回)、前々回(第20回)は新型コロナ感染症拡大の影響を受けて、ホールでの開催がかなわずネット公開という形になりました(表紙裏をご参照ください)。今回は3年ぶりに対面の会となりますが、開催にあたってはいろいろな制約があり、最前列は空席、全席指定となりました。また舞台上も密にならないよう少人数で構成しました。皆様にもご不便やご面倒をおかけすることになってしまい申し訳ありません。
あと4〜5回で昭和31年の最後の曲《葉げいとう》まで到達できそうですので、どうぞ最後までお付き合いくださいますようお願いいたします。
終わりになりましたが、解説と年表をいただきました野川美穂子氏、資料を提供していただいた、(公財)柿衛文庫の岡田 麗氏、山口隆之氏、賛助出演の皆様、その他会の開催にご援助・ご協力をいただきました皆様に心から御礼を申し上げます。