安藤政輝リサイタル
「宮城道雄全作品連続演奏会 23」
2023/ 8/27
ご あ い さ つ
安 藤 政 輝
本日はお忙しい中、また暑い中ご来場いただきましてありがとうございます。
宮城道雄の全作品を、年代に沿って時代背景を考察しながら連続して弾いていくこのシリーズも、1990年以来これまでに259曲を弾き、今回で23回目を迎えることができました。これもひとえに皆様の温かいご支援の賜物と感謝いたしております。
チラシ作成当初、「1952年(昭和27年)から1953年(昭和28年)の作品9曲」の予定でしたが、新たに追加した曲があり、また作曲年代の見直しもあったことから、今回は1950年(昭和25年)から1953年(昭和28年)の作品10曲を演奏するということになりました。
《昭和松竹梅》
箏(同高2部)と尺八との合奏曲です。三津橋勾当が作曲した《松竹梅》の流れを汲んで数多く作曲された「松竹梅もの」のうちの一つとして《明治松竹梅》(菊塚与一作)などがありますが、そのように年号をつけて曲名とされています。昭和9年(1934年)に作曲された《さしそう光》(第13回、2009年に演奏)と姉妹曲の位置にある祝儀曲で、前歌が独吟で始まるところも共通です。《さしそう光》と同様、初めは箏の二重奏として作曲されましたが、後に尺八が手付けされましたので、今回は尺八付の形で演奏いたします。手事部分は、本手・替手それぞれの役割分担が明確で、伴奏役は《水の変態》の替手に出てくるような「ツルシャン」の繰り返しに終始します。
作詞は大野惠造で、『劇詩集 龍虎』に「-慶祝(よろこび)の日に-」という副題がついて掲載されていますが、この曲が放送初演された4月29日は昭和天皇の誕生日にあたったからでしょう。なお、「同胞は慶祝に酔ふ」のように一部語順が変わっています。
《初秋の夕》
箏独奏曲です。手書きの譜が存在しましたが、疑問点が多くこのままでは演奏することが出ないと判断し、熊沢氏に墨訳をお願いしました。
点字は、6点(2列×3段)を1ブロックとして、1〜2ブロックで「ドレミ」を表記しているのですが、点字による音楽の表記の黎明期であった宮城道雄の時代と現代とではその表記法に差があります。つまり、宮城独特の表記法があり、考察が必要になってきます。たとえば、左手奏法は現代のピアノのペダル指定記号であったりします。点が一つあるかないかで四分音符が八分音符になったりするので、寸法が合わない部分もでてきたりします。さらに、箏の調絃の範囲外の音の処理、手が3本必要な場合などの問題を解決していかなければなりません。墨訳者からできた順に1ページずつ送られてくる五線譜と元の点字譜を基に、最終的には「宮城道雄の曲風」を拠り所として楽譜を作成しました。
曲は静かな雰囲気で始まり、後半は賑やかな虫の合唱となって終わります。
《七夕まつり》
昭和27年7月7日、ラジオ東京の宮城道雄構成による「箏曲で奏でる七夕のゆうべ」で放送されたもので、独奏の箏に歌を伴ったものです。同番組中に何曲か演奏された中で、他に同名の箏2部・十七絃の合奏曲のパート譜がありましたが、こちらは断片的で演奏を断念しました。
この曲の作詞者は不明です。また1990年第2回で演奏した《七夕》とは別の曲です。
《阿寒湖のほとり》
箏・胡弓・尺八による三重奏曲です。昭和28年3月24日に札幌で行われた「NHK放送開始28周年記念大会」で初演された「ご当地曲」です。昭和26年に北海道宮城会結成記念演奏会が行われた際に足を延ばした阿寒湖で得た印象を基に作曲されたと言われています。
箏と尺八の緩やかな前奏で始まり、胡弓が抒情的な旋律を奏します。時折、鳥の声も聞こえてきます。中間部分は転調して、マリモがくるくると楽しそうに回転しているかのようです。そしてまた静かな湖畔の場面へ戻って終わります。
同じ楽器構成では、箱根の芦ノ湖を題材とした1992年第5回で演奏した《湖辺の夕》があります。
《おおぞらを》
昭和27年4月27日の「和歌山県邦楽研究鑑賞会演奏会」で初演された団体歌です。誰でも演奏に参加できるようにという配慮からか、歌・箏(高低2部)・十七絃・三絃・尺八(2部)とパートが多く、加えて歌の旋律や手も単純なものとなっています。短い曲で、指示によって2度繰り返して演奏します。
《ほのぼのと》
『宮城会会報第16号』に載せられていたもので、手ほどき用の曲です。長さは4/4で12小節、箏の手は歌にべた付けで、最後に九の強押しと五十の合せ爪が出てきます。歌詞は『新古今和歌集』巻第一 春歌上2 後鳥羽院の作です。
《梅が枝に》
《ほのぼのと》よりは一歩進んだ初心者用の曲で、それぞれ短いながらも前奏・前歌・間奏・後歌・後奏という形をとっています。一二の掻き手や合せ爪も出てきますが、押し手は斗の弱押しが最後に1回出てくるだけとなっています。
歌詞は『新古今和歌集』巻第一 春歌上 読人知らずですが、その原歌は『万葉集』第10巻1840の「梅枝尓 鳴而移徙 鴬之 翼白妙尓 沫雪曽落」によります。
《さくらさくら》
「さくら」を主題とした曲は数多くあって、一番有名なのは1992年・第4回で演奏した、1箏・2箏・十七絃による三重奏曲《さくら変奏曲》です。その他2022年・第22回で演奏した、歌を伴う箏と十七絃による《さくら》、2018年・第18回で演奏した大合奏曲の《寄桜祝(さくらによせるいわい)》、2009年・第12回で演奏した《春陽楽(しゅんようらく)第4楽章 さくら》があります。
この曲は箏とヴァイオリンとの二重奏曲で、歌は付きません。箏と尺八との二重奏曲《春の海》は、ルネ・シュメーの編曲以来箏とヴァイオリンで演奏する機会も多いのですが、初めから箏とヴァイオリンのために作曲されたのはこの1曲です。
調絃は、2015年第16回で演奏した《うぐいす》に使われているのと同じ特殊なもので、「うぐいす調子」と私は呼んでいます。
《三共株式会社テーマ音楽》
解説をお願いしている野川先生から《三共株式会社テーマ音楽》の音源をいただき、急遽プログラムに加えることにいたしました。
ラジオ番組では、生放送でしたから時間調整の意味もあって提供するスポンサーのテーマ音楽を開始時と終了時に流していたものですが、これもその一つだったのでしょう。
導入部はオリジナルのものですが、続けて《数え唄変奏曲》がそのまま使われています。宮城先生はこの《数え唄変奏曲》がお好きだったのか、文化放送の「銭形平次捕物控」でも使われていて、毎回それを楽しみに耳コピで練習したことを思い出します。しかし、弾けるようになったのは第2段まででしたが・・・。
《春の賦》
箏独奏部を含む合唱合奏曲で、編成は1箏・2箏・十七絃・三絃・尺八・フルート・打物のほか、「楽の手」部分では笙も使われています。フルートは独奏部との二重奏の部分で楽器の特徴を十分に発揮しています。また、かねがね他の大合奏曲には必ずある胡弓のパートがこの曲にはないことが不思議だったのですが、点字譜には胡弓が含まれていることが分かり、墨字化を試みました。しかし、ある時点から胡弓パートが突然無くなり、結局初めの部分だけしか使われていませんでしたが、今回はそれを含めて演奏いたします。
曲は九つのブロックに分けられ、それぞれ調絃が異なります。それらを繋ぐような役割で箏独奏部が存在し、合奏部がそれにつれて演奏される形をとっています。演奏中は、次に何の調絃になるのか判断に悩まされます。歌は基本的に2声ですが、後半の「楽の手」の部分では4声となり、十七絃も歌に加わります。
一般的には手事の部分の繰り返し部分を省略して演奏しますが、本日は原型のように繰り返しをすべて含んで演奏します。
歌詞の内容は、「人生の春には花吹雪もあれば険しい試練もあり、その丘を乗り越えれば洋々たる人の世の楽しさもあるという観念的な春を謳って若い人にささげた曲(大日本家庭音楽会発行『春の賦』楽譜解説より)」となっています。
作詞は葛原しげるです。第15回(2014年)で演奏した《古戦場の月》についても言えることですが、100曲以上のかわいらしい童曲を手掛けた雰囲気とは真逆な印象を受けるこの曲は、葛原の間口の広さを物語っていると言えるでしょう。
第20回、第21回は新型コロナ感染症拡大の影響を受けて、ホールでの開催がかなわずネット公開という形になりました。第22回は3年ぶりに対面の会となりましたが、開催にあたっては全席指定などいろいろな制約があり、また舞台上も密にならないよう最少人数での構成となりました。今回はやっと普通の形で開催することができ、大合奏曲も演奏できるようになってホッとしております。
〔予告〕にありますように、あと3回で昭和31年の最後の曲《葉げいとう》まで到達できそうですので、どうぞ最後までお付き合いくださいますようお願いいたします。
終わりになりましたが、解説と年表をいただきました野川美穂子氏、賛助出演の皆様、公益財団法人東京都歴史文化財団、その他会の開催にご援助・ご協力をいただきました皆様に心から御礼を申し上げます。
宮城道雄全作品連続演奏会―第23回に寄せて
東京藝術大学講師 野川美穂子
宮城道雄(1894~1956)は、来年が生誕130年です。日本音楽の歴史に燦然と輝く大きな功績を残した宮城道雄の作品は、現在もなお、多くの人の心を揺さぶります。生涯に作り出した曲数は400を越え、そのなかには、誰もが知る《春の海》(昭和4・1929年)のような作品もあれば、残念ながら詳細がわからなくなり、ほとんど演奏されない作品もあります。
その宮城道雄の全作品をとりあげる企画として始まった安藤政輝先生の「宮城道雄全作品連続演奏会」は、平成2年(1990)3月に第一回が催されました。第一回のプログラムの第一曲は、宮城が数え年16歳(満14歳)のとき、明治42年(1909)に作った処女作の《水の変態》でした。今回の第23回では、宮城道雄の数え年58歳から60歳の作品をとりあげます。昭和26年、昭和27年、昭和28年の作品です。チラシでご案内している演奏曲は9曲ですが、《三共株式会社テーマ音楽》も加えて、10曲をお聴きいただきます。
《ほのぼのと》《梅が枝に》《三共株式会社テーマ音楽》は昭和26年の作品、《初秋の夕》《七夕まつり》《おおぞらを》は昭和27年の作品、《昭和松竹梅》《阿寒湖のほとり》《さくらさくら》《春の賦》は昭和28年の作品です。このうち《ほのぼのと》は、後述するように、昭和25年の作曲と推測するほうが適当かもしれません。
年表については、昭和26年と昭和27年のものは前回のプログラムに掲載しておりますので、今回のプログラムには昭和28年の表を掲載させていただきます。
宮城にとっての昭和26年から28年は、国内・国外に名声が轟き、「宮城道雄」という偉大な存在の地盤がかたまって、ますますの飛躍へとつながった時期でした。大きな出来事としては、昭和26年3月に門人の全国組織である宮城会が結成され、翌年9月には上棟式を行って会の拠点となる宮城会館の建設にとりかかりました。宮城会館は昭和28年2月に落成しました。
宮城は、全国各地での演奏会のほか、NHKおよび民間のラジオ放送にも頻繁に出演しました。「放送初演」という形で世に出た作品が多くあります。また、昭和28年2月には、始まったばかりのテレビ放送にも出演しました。
昭和28年には、初めてで唯一のヨーロッパへの外遊がありました。7月1日から8月12日までの長期の海外旅行で、フランスで行われた国際民族音楽協会(IFMC)主催の会議に、舞踊家の西崎緑らとともに日本代表として出席しました。スペインのビアリッツとフランスのパンプローナで行われた「世界民族音楽舞踊祭」での演奏は、「第一位」という高評価を得ました。
以下には、本日の演奏順序にそって、各曲をご紹介いたします。
《昭和松竹梅》は、昭和28年4月29日に、ラジオ東京の「三越箏の調べ」というラジオ番組で放送初演された作品です。放送3日前の26日に曲が完成し、次の日に録音して、29日に放送されました。放送時の演奏について、『宮城会会報』19号付録には「(箏本手)宮城道雄 (箏替手)牧瀬喜代子 (唄)牧瀬数江」とあり、作曲当初の編成は箏の二重奏でした。尺八パートは昭和31年に作られたものです。
この曲を放送初演したラジオ東京は、昭和26年12月に開局した東日本初の民放ラジオ局です(現・TBSラジオ)。「三越箏の調べ」は昭和27年7月に始まった番組で、毎水曜日の午後7時20分からが放送時間でした。《昭和松竹梅》が放送された昭和28年4月29日は、この番組の最終回でした。
作詞の大野惠造(1901~1993)は、日本舞踊や邦楽曲の作詞を多く手がけた人物で、放送当時にはラジオ東京の職員でした。《昭和松竹梅》の歌詞は、放送後の昭和29年に発行された大野惠造の『劇詩集 龍虎』に掲載されました。大野惠造が宮城道雄に提供した歌詞は《昭和松竹梅》のみですが、宮城が亡くなったときに、大野は「風」と題する追悼文を作っています。
《昭和松竹梅》は、前弾→前歌→手事→後歌(〽この新たなる寿の…)という楽曲構成です。歌詞は、前歌に「松」「竹」「梅」を詠み込み、後歌では美酒に酔う慶祝を歌っています。音楽的には、《松竹梅》《新松尽し》など、古典の祝儀曲に登場する旋律を活用しています。
《初秋の夕》は、昭和27年に作られた箏の独奏曲です。《昭和松竹梅》と同様に、ラジオ東京の「三越箏の調べ」という番組で放送初演されています。《昭和松竹梅》放送の8ヶ月程前、昭和27年8月30日に録音され、9月3日に放送されました。自然の音に耳を澄まし、豊かな感性で季節の移り変わりを楽しんでいた宮城には、秋をテーマにする作品が多くあります。宮城は、四季のなかで秋が一番好きでした。《初秋の夕》放送の一ヶ月程後に綴った宮城の随筆には、「秋は人の声や、すべての物音が澄み切ったように私にはきこえる」と書かれています(『読売新聞』昭和27年10月13日)。
《七夕まつり》は、昭和27年7月7日の午後8時30分から、ラジオ東京の「箏曲で奏でる七夕のゆうべ」という番組で放送された作品です。番組構成を担当したのは宮城道雄で、《七夕》《七夕まつり》《秋の曲》《一番星二番星》《谷間の水車》《即興曲》という選曲でした。《秋の曲》は幕末に活躍した名古屋の吉沢検校(1800~1872)による古典曲で、ほかは宮城作品です。《七夕》は大正8年、《一番星二番星》は昭和5年、《谷間の水車》は大正12年の作曲で、《七夕まつり》と《即興曲》は、上記の番組で放送初演されたと推測されています。《七夕まつり》の本日の演奏は、箏の独奏です。断片的な楽譜や点字譜には、箏(第2パート)、十七絃、胡弓、尺八、フルートもあります。
《阿寒湖のほとり》は、箏・胡弓・尺八の三重奏曲で、昭和28年3月24日の演奏記録が残る作品です。札幌東宝映画劇場で行われた「NHK放送開始二十八周年記念大会」で演奏されています。日本における正式な放送の最初は、社団法人東京放送局(現・NHK)が大正14年(1925)3月22日に行ったラジオの仮放送とされています。昭和28年(1953)は放送開始から28周年にあたり、その記念行事の一つが、札幌における上記の大会でした。宮城道雄を含む大会出演者の一行は、3月22日に東京を発ち、列車と船(青函連絡船「石狩丸」)を乗り継いで、24日の札幌での大会に出演し、3月26日に東京に戻りました。
《おおぞらを》は昭和27年2月の作品で、和歌山県邦楽研究鑑賞会が同年4月27日に催した演奏会で初演されました。邦楽研究鑑賞会の会歌として作られた曲で、箏(高低2部)・十七絃・三絃・尺八(2部)による合奏曲です。作詞者の南幸夫(1896~1964)は和歌山県出身の小説家で、雑誌編集者として東京で活躍したのち、和歌山に戻って郵便局長をつとめた人物です。
《ほのぼのと》は箏の手ほどき曲で、以前には昭和27年の作曲とされていましたが、後に昭和26年作曲に訂正されました。しかし、正確には、昭和25年12月15日以前の作曲と推測できる作品です。歌詞は、『新古今和歌集』巻第一・春歌上に「太上天皇(後鳥羽院)」の歌として収録されている和歌です。
宮城は、月刊の婦人雑誌『新婦人』(新婦人社発行)から、「琴に入る道」(「琴へ入る道」)と題する、箏の初心者向けの連載を依頼されました。この連載について宮城は、「新婦人は、茶道や、華道も盛んにやっておられますが、その中へ箏を加えられたのは、私の最も喜ぶところであります」と書いています。《ほのぼのと》の楽譜は、昭和26年1月1日に発行された『新婦人』所収の第一回連載「琴に入る道」のなかに紹介されています。雑誌『新婦人』は、「発行」の前の月の15日に「印刷納本」するというスケジュールで編集されています。宮城は第一回連載の原稿を「印刷納本」より前に入稿していたと解釈できますので、《ほのぼのと》の作曲年も「印刷納本」より前、すなわち昭和25年12月15日以前と推測できます。
《梅が枝に》も、《ほのぼのと》と同様に、雑誌『新婦人』の連載記事「琴に入る道」に楽譜が掲載されている手ほどき曲です。昭和26年3月号『新婦人』所収の第二回の連載記事に紹介されています。《梅が枝に》の歌詞は、『万葉集』巻十・春の雑歌に収録され、『新古今和歌集』巻第一・春歌上にも収録されている和歌です。作者は伝えられていません。
宮城は、《梅が枝に》を紹介する第二回連載の冒頭に、「今度も、万葉集の歌へ曲をつけてみました」と書いています。「今度も」と書いているのは、《梅が枝に》の和歌と同様に、《ほのぼのと》の和歌も『万葉集』に収録されていると勘違いしたためと思われます。『万葉集』巻十・春の雑歌には、《ほのぼのと》の和歌に影響を与え、類似した表現のある「ひさかたの 天の香具山 この夕 霞たなびく 春立つらしも」という歌があります。
《さくらさくら》は、昭和28年2月15日以前の作品と推測される箏とヴァイオリンの二重奏曲です。〽さくらさくら 弥生の空は…」と歌う有名な《さくら》の旋律を活用しています。宮城には《さくら》を活用する作品が複数あります。
《三共株式会社テーマ音楽》は、昭和26年8月26日に録音した記録があり(『宮城会会報』3号)、SPレコードの音源が残っている作品です。「三共株式会社」は、昭和26年2月に日本初の総合感冒薬「ルル」を売り出したことで知られる製薬会社です(現・第一三共株式会社の前身の一つ)。《三共株式会社テーマ音楽》は、宮城が昭和15年に作曲した箏独奏の《数え唄変奏曲》に基づいています。
《数え唄変奏曲》は、〽一つとや」で始まる有名な古謡《数え唄》の編曲で、宮城が頻繁に演奏したお気に入りの作品でした。宮城にとって唯一の外遊となった昭和28年7月の「世界民族音楽舞踊祭」でも演奏しています。そのときの演奏の一部がネットで公開されています。
本日最後の《春の賦》は、大編成の合奏合唱曲です。当初の曲名の表記は「春の譜」でした。昭和28年2月22日に日比谷公会堂で催された東京新聞社主催「第十七回三曲名流大会」で初演されています。独奏パートは、言うまでもなく、宮城道雄でした。
曲が完成したのは2月18日で、19日と21日に合奏練習を行い、22日の本番の日を迎えました。練習は2月7日に落成したばかりの宮城会館の大広間で行われました。19日の練習について『宮城会会報』19号には、「午後1時『春の譜』の練習。四十六名の合奏。つくづく会館の有難さを感じる」という記述があります。
《春の賦》の歌詞は、童曲をはじめ、宮城に最も多くの歌詞を提供した葛原しげる(1886~1961)によるものです。宮城は、この曲について、「葛原しげるさんの作ですが、今迄しまってあったものです。もっとも戦災で書いたものも全部焼失しましたが奇蹟的に点字の歌が残ってゐたので、それを今度作曲したのです。曲としては全体に朗らかに春をたゝえた人生の春、即ち青春を謳歌しようとする曲です。人生には希望の多い青春がありますが、そこには花吹雪もあれば人生の険しい試練の苦難も沢山あります。然しそれらを乗越えれば洋々たる人生の楽しさが随所にあるといふ、そういう観念的な春を謳って若い人にさゝげようとした曲で、あらゆる邦楽器を使って大合奏曲と致しました」と説明しています(『日本音楽』第59号)。
《春の賦》は、昭和28年8月23日から27日の日程で、新築の宮城会館で行われた宮城会の第三回講習会でも教えられました。また、昭和29年6月22日には、東京藝術大学邦楽科の第二回邦楽演奏会でも演奏されました。昭和30年秋に一部の改作が行われ(藤田斗南『名曲解題 箏曲と新邦楽』、1956年)、昭和30年11月13日に開催された宮城会初の全国規模の演奏会「宮城会全国演奏大会」でも演奏されています。
なお、《春の賦》作曲の8ヶ月後の昭和28年10月には、《春の賦》と並ぶ大編成の合奏合唱曲《日蓮》が誕生しました。
《昭和松竹梅》
《七夕まつり》
《さくらさくら》