安藤政輝リサイタル
「宮城道雄全作品連続演奏会 2」
1990/ 8/30
ごあいさつ
安藤政輝
本日はお忙しい中をご来場いただきましてありがとうございます。
宮城道雄全曲演奏会-2を開催できますのも、皆様のあたたかいご支援の賜物と感謝しております。
今回は、宮城道雄が満24歳で東京に出てきたところから始まり、第1回作品発表会を経て、 1919年(大正8年)までの15作品を演奏いたします。
今回の特色は、1917年(大正6年)の<春の雨>に始まる「童曲」にあると申せましょう。一般的には、1918年(大正7年)に始まる“「赤い鳥」運動”による「童謡」の方が有名ですが、それより前に箏による子供達のための音楽が起こっていたのです。 ところで、「童曲」には子供が箏を弾きながら歌う手の易しいものと、大人が箏で伴奏をし子供が歌を歌うものがあります。また大人が弾いて子供に聞かせる歌を伴わない曲もあります。
今回のゲストには、音楽教育における唱歌の研究をなさっていらっしゃる東京学芸大学助教授・澤崎眞彦氏をお招きしました。 宮城童曲の歴史的位置などについても伺いたいと思っています。
童曲の他にも、初めての箏四重奏曲<吹雪の花>、全曲が3拍子でできた初めての曲<若水>、 初めてカノン形式が取り入れられた<秋の調>、古典曲への箏手付<尾上の松>など、 一作ごとに新しい境地を開拓していった軌跡をたどってみたいと思います。
終わりになりましたが、作品年表(その2)を作成いただきました吉川英史先生、快くご出演をお引き受けくださいました横山勝也氏・青山恵子氏・柴田旺山氏をはじめ、会の開催にあたりご援助・ご協力をいただきました皆様に、心から御礼申し上げます。
童曲作曲の意義―――第2回演奏会に寄せて
宮城記念館館長 吉川英史
宮城道雄の生誕百年に因んで企画された安藤政輝君の「宮城道雄全作品連続演奏会」は、今回その第2回を迎えることになりました。 この第2回目に演奏される曲の範囲は、宮城が京城を引き上げて東京に移った大正6年(1917)から、第1回作品発表会を開いた大正8年(1919)までの作品であります。 具体的には、<春の雨>から<尾上の松>までということになります。
尤も、<尾上の松>は純然たる宮城曲ではありません。九州で行われていた作曲者不詳の三絃伴奏の曲であります。 その三絃の原曲に合奏できるように箏のパートを新たに宮城が作曲したのです。このような場合を、その道では”箏の手付け”と申します。
続く