それでは、私たちがどういう目的で今日のアクションを企画したか、説明します。博士課程の支援プログラムであるJST SPRINGに、日本国籍のみに限るという国籍要件が課されようとしています。私たちはこれに抗議します。
SPRINGについては、3月に国会で有村治子議員より「受給者の3割が中国人留学生であること」が問題にされました。それを受けて6月末に文科省のワーキンググループが、SPRINGを日本国籍者に限る方針を出してきたのです。この方針が、7月30日に確定されようとしています。抗議します。
SPRINGは自動的に受け取れるものではなく、書類審査があり、面接にて自分の研究のプレゼンを行い、他の人と競って勝ち抜いて、初めてもらえるものです。博士課程は身分が学生なので、社会人と違って呑気にモラトリアムしてると思っている人もいると思います。でも実際はそうではありません。常に激しい競争に晒されています。SPRINGのような支援を受けるのも競争です。競争に勝ち残るためには業績が必要ですが、業績を得るのも競争や、厳しい審査があります。この競争につぐ競争という世界の中で常に追い立てられているのは、誰だろうと一緒です。国籍は関係ありません。
今日もその思いを共有してくれているメンバーたちとこのアクションを企画しました。
また今回は、朝鮮学校への無償化適用を求める金曜行動さんが連帯してくれています。本当にありがとうございます!!!
その金曜行動さんから、朴金優綺さんがゲストでスピーチをしてくれることになりました!では早速、よろしくお願いします。
0.挨拶
みなさま、アンニョンハシムニカ? こんにちは。朴金優綺(ぱくきむ・うぎ)と申します。普段は在日朝鮮人の人権に関わる活動をしています。このような大切なアクションのご開催と、発言の機会をくださったことに感謝申し上げます。
1.金曜行動のご紹介
つい先ほどまで、私はここ文科省前での「金曜行動」に参加していました。
「金曜行動」とは、日本政府が、2010年より始めたいわゆる「高校無償化」制度から、各種学校認可を受けた外国人学校のうち朝鮮高校の生徒だけを、日本と朝鮮民主主義人民共和国との間の政治的・外交的な問題を理由に、今日まで15年以上にわたって除外し続けている問題に抗議して始まったアクションです。2013年5月に朝鮮大学校の学生たちが始め、現在は有志の日本人や在日朝鮮人の大人たちが自発的に参加しており、各地の朝鮮学校の生徒や先生、保護者や支援者、海外の支援者が参加するときもあります。
文科省は「高校無償化」制度開始後も、2019年からの幼保無償化制度から外国人学校の幼稚園生を除外し、2020年にはコロナ禍での大学生への給付金制度から朝鮮大学校の学生を除外しました。こうした日本政府による朝鮮学校除外は、差別の禁止と平等、民族的マイノリティの子どもの教育権の保障に関する、日本も批准する様々な国際人権規準に違反しており、実際にこれまで、国連の人種差別撤廃委員会・子どもの権利委員会をはじめとする複数の条約機関から、朝鮮学校の生徒にも「高校無償化」制度をただちに適用することを求める勧告が立て続けに出されています。しかし、文科省はこれに対して「差別ではない」と強弁するのみで、朝鮮学校の子どもたちの制度適用を求める15年以上にわたる声にも何も応答せず、数年前からは、それまで開け放っていたこの重いドアまで固く閉ざしてしまい、私たちの声を一切受け入れない姿勢をあらわにしています。
2.文科省による朝鮮学校差別の歴史は80年間続いている
そして、文科省による朝鮮学校差別の歴史は、遡ると約80年前から続いています。日本政府は植民地支配期から朝鮮人の民族教育を禁止し弾圧しましたが、日本の敗戦後も、植民地から解放されたはずの朝鮮人の民族教育を一貫して迫害し続けました。朝鮮民族から奪った言語や文化を返すために朝鮮人の民族教育を支援するどころか、一世の在日朝鮮人たちがなけなしのお金と、力と、知恵を出し合って自力で建てた朝鮮学校を強制的に閉鎖し、子どもたちを日本の学校に就学させ、抵抗する在日朝鮮人は官憲の強制力でもって弾圧し、殺したのです。
未だに日本政府は朝鮮学校を正規の学校とすら認めておらず、そのために朝鮮学校は国からの公的な補助がほとんどなく、地方自治体からの補助金に頼らなければ運営できない状況です。しかし、その地方自治体からの補助金も、日本政府による「高校無償化」除外が背中を押す形で、都道府県レベルだけでも半数以上の自治体が補助金を停止し続けています。その影響で朝鮮学校や生徒の数は実際にこの15年間で激減しており、まさに在日朝鮮人の民族教育の存続が危機にさらされている状況です。
3.SPRING国籍要件問題の本質
こうした歴史から考えるならば、今回のSPRING制度に関する文科省による排外的な動きは、突如として降って湧いた問題ではなく、日本政府による在日朝鮮人に対する継続的な植民地主義に基づく差別と迫害が、この80年ものあいだ一切克服されず、温存され続けているために、その差別の対象が外国人・外国ルーツをもつ人々全体へと拡がってしまっていることの一つの表れといえるのではないでしょうか。その意味で、日本政府による朝鮮学校差別問題とSPRING国籍要件問題はその根っこが繋がっている問題であり、反対の声を同時に上げていくべき問題だと考えています。
そして、金曜行動には「朝鮮学校差別は日本社会、日本人の問題だ」として自発的に参加される日本人の方がたくさんいらっしゃるのですが、SPRING国籍要件問題に関しても、外国人・外国ルーツをもつ人々だけでなく、マジョリティとしての立場から声を上げておられる方も多いと思われ、本当に心強く感じております。
最後になりますが、「高校無償化」制度はその支援をより一層拡充する案が国会内で議論されており、その対象に朝鮮高校の生徒たちも何があっても含めるよう、私を含め朝鮮学校差別に反対する人たちは今後より一層声を上げていく所存です。ぜひみなさまも、ともに声を上げていただければ幸いです。私もみなさまとともに声を上げたいと思います。私は、SPRING国籍要件に強く反対します。ご清聴ありがとうございました。
一橋大学大学院社会学研究科博士課程の梶原渉と申します。
専門は国際関係史、冷戦史です。
戦後日本の労働組合運動による国際活動を歴史的に検証しております。
平和研究にも片足をつっこんでいます。
JST-SPRINGの国籍要件のことに入る前に、政府・文部科学省に言いたいことがあります。
あなた方がこの四半世紀にわたって進めてきた大学改革、とりわけ学長のリーダーシップと呼ばれる政策のせいで、大学はもはや大学ではありません。
私はいま、一橋大学院生自治会の理事長をしています。
コロナ禍のせいで停滞を余儀なくされた活動を再起動するのが目下の課題です。
いま院生自治会が頭を悩ませているのは、2015年以降絶たれている大学執行部との交渉回路をどう回復させるかです。
交渉回路がなくなった背景にあるのは、政府・文科省による学校教育法改正のためであるのは明白です。
本来は密接不可分なはずの教育・研究と経営を分離し、経営協議会を財界を中心とする学外者で過半数を占めさせ、教授会の自治をなくし、大学運営の決定権を学長を中心とする理事会に集中させたのは間違いです。
一橋大学ではこれによって、2015年当時、その時の学生担当副学長は一方的に学生・院生との話を拒否するようになりました。
授業料値上げ、寮費値上げ、必要な研究室などろくに準備がないままに新たな学部・研究科の設置など、学長によるトップダウンで大事なことが次々と決められました。
教員は学長を中心とする経営陣に従う会社員、学生・院生は高い学費を払ってキャリア形成に必要な学位を買う消費者にさせられました。
院生みんなにかかわる問題にみんなで民主的に取り組むための組織である院生自治会は、交渉回路を絶たれたためにその重要な役割をむりやり奪われました。
今の学長は、前学長のあまりにもひどいトップダウンに少なくとも批判的な立場から立候補して就任しました。
しかし、一度外から壊されたコミュニティを立て直すのは簡単ではありません。
一度消費者にさせられた個々の院生からすれば、コミュニティみんなに関係する問題があるとそもそも認識できません。
また、自分が問題を抱えてもそれを集団的に解決できるとは思えません。
結果、院生同士の分断、異なる学問領域や境遇への無関心が蔓延しています。
残念ながら、ミソジニーやマイノリティへの誹謗中傷を公然と行う院生もいます。
その温床をつくったのは、政府・文科省によるこの間の新自由主義的大学改革にほかなりません。
私は、今回のJST-SPRINGに対する国籍要件付与について、関連する政府文書を夜なべして読み直しました。
これまでの大学改革が持っていた問題に加え、政治による学術・研究への無理解や介入があると言わなければなりません。
第一に、そもそも、当事者である博士課程院生の声をまったく聞いていないではありませんか。
日本人も、留学生も、社会人もです。
文科省ウェブサイトにあがっているヒアリングは、大学執行部や研究機関、企業関係者のみです。
来年度からSPRINGに応募しようと考えて日本への留学を計画している方はどうなるのですか?
日本にいる外国籍の院生はどうなるのですか?
第二に、これまで政府・文科省自身が推し進めてきた学術研究のグローバル化はいったいどうなったのでしょうか?
日本経団連や経済同友会がこの間出してきた学術・科学技術政策提言にもざっと目を通しましたが、留学生への支援につき今回のような差別的な措置をとるよう求めたものは皆無でした。
第三に、最近の研究室やゼミが大学院生なくして回らないことへの認識、そうした留学生が経済的な困難を強いられていることへの認識が足りないのではありませんか。
私のいる大学院では、院全体の3割近くが留学生です。
研究科によってはゼミ生のほとんどが留学生というところもあります。
いま院生自治会で研究・生活実態アンケートを行っていますが、母数はそれほど多くはないものの、留学生におけるSPRING採択率はおそらく1割をちょっと超えるくらいです。
日本への留学生は圧倒的に私費が多いです。
つまり、経済的支援のニーズは相当あるということです。こうした実態を、文科省はつかんでいますか?
文科省での審議をたどっていくと、留学生への生活費を支給しないという方針は、6月26日の第4回ワーキンググループで具体化されたと思われます。
6月5日の第3回WGとの間にあったのは、6月13日の「経済財政諮問会議・新しい資本主義実現会議合同会議」での閣議決定です。
文科省に影響を与えられる組織はここしかありません。
日本の国際競争力を復活させるための人材育成に大学・学術を動員し、AIなど振興産業・技術で中国などとの競争に打ち勝つという政策意図が明白です。
ご存じの通り、今年3、4月に自民党や維新の会の国会議員が中国からの留学生増加を悪魔化する国会質問を行いました。
今回のJST-SPRING改悪は、新自由主義的大学改革とパワーポリティクスとレイシズム、これらへの屈服にほかなりません。
そのうえで、政府・文科省、そして政治家や一部メディアにも言いたいことがあります。
まず、特定の国、今回の場合は中国を悪魔化してはなりません。
私の専門である冷戦史の見地からしてもそうです。
ソ連を悪魔化してもその脅威は消えませんでした。ソ連を悪魔化して起こったのは、レッド・パージや赤狩りなどによる国内における人権侵害や、ソ連の脅威を過大に評価したために起こった際限ない軍拡競争でした。
ソ連の立場から見たら自国を悪魔化するアメリカが脅威にうつったからです。
こうした連鎖を再び繰り返してはなりません。留学生を出身国のエージェントと一方的にみなしてはなりません。
さらに、政府の対中政策・対中認識を前提にしても今回の措置はおかしいです。
私自身は、中国を主たる仮想敵国とした現在の防衛・安全保障政策には根本的な疑義を持っています。
しかし、たとえ中国が脅威だったとしても、留学生はむしろ迎え入れた方がいいのではありませんか。
言論や表現や学問の自由が保障されていない中でできない研究をしに、中国の留学生は日本に来ています。
日本で、自由や民主主義を体験してもらった方が望ましいのではありませんか。
アメリカのトランプ政権下が留学受入を制限する中で、日本も留学生にやさしくない国とみなされることの国際的ダメージは明白ではありませんか。
一橋大学では、来る8月3日17時からJST-SPRING国籍要件反対討論集会を行います。
院生・学生であれば他大の方も歓迎します。
こうした草の根からのうごきが全国の大学に広まることを期待して、スピーチを終わります。
ご清聴ありがとうございました。
みなさん、初めまして。
碧詞と言います。過去の日本の政策によってアジアとそのほかに日本から移民した国のルーツを持って生まれ、日本人として育てられながらも、何か違和感をずっと抱いて日本に生まれ日本で育ちました。
そして私は博士課程には進みませんでしたが、修士課程中に長く博士進学を真剣に検討し、今も研究の道を諦めたわけではない修士課程修了者です。
大学院では多くの諸外国から来た留学生や旧植民地をルーツにもつ学友たちと学び合い、互いの研究や困難を支え合ってきました。
言語や文化の壁を超え、経済的に不安定な中でこの国や周辺諸外国、国際的にも知的貢献をしようとする仲間たちの努力を、私は肌でひしひしと感じてきました。
Spring制度に導入された国籍条項は、こうした仲間たちを、そして日本で生まれ育ちながらも外国籍である旧植民地出身者・永住者──在日コリアンや中国籍の人々──を確実に対象にしており、静かに、しかし確実に排除します。
「税金だから日本国籍に限る」という説明は一見もっともらしく聞こえますが、実際には、制度が法的国籍に基づいて差別を固定化していることに多くの人が気づいていません。
さらに、そもそもですが、そのような人々も十分税金を納め、この社会の一員として生きているので、たとえ参政権が認められていなくても、納税者として税金の使われ方について、十分意見することができるはずです。
さらに言えば、旧日本帝国の戦争責任を内省するならば、このようなことは、我々当事者の問題ではなく、日本社会による排除なのです。
国際的には、このような国籍条項は「差別」とみなされます。
国連人種差別撤廃委員会(CERD)は、「差別は、”目的として行われたもの”だけでなく、結果として”差別を引き起こしたもの”についても判断される」と強調しています。
つまり「意図していなかった」としても、結果として特定の集団を排除しているのであれば、それは差別なのです。
一方、カナダやEUでは、永住権保持者を含むすべての長期滞在者に応募資格が開かれいる制度がしっかりとあります。
EUの「Marie Skłodowska-Curie Actions(MSCA)」は国籍ではなく移動性と研究内容に焦点を当て、欧州内外からの多様な研究者に門戸を開いています。
どちらの制度も、研究という国際的行為において、出自、ルーツによる排除が研究の質を損なうことを理解しています。
日本では、こうした国際的基準と逆行する制度が、当事者の声すら聞かれないまま導入されました。
とりわけ私が問題視するのは、この法案導入を主導したのが、かつてマイノリティ支援に関わっていた若手自民党議員であることです。
第二に、決定過程では、昨年の永住許可取消し法案可決の構造と同様に、政治の場に当事者を代表する議員もなく、当事者への適切なヒアリングもなく、反対の声すら上がらなかったこの政治の構造とその倫理観念・自浄作用の無さに、私は深く落胆と怒りを感じます。
誰も生まれ落ちる場所や、あらゆる属性、時代を選べない中で、自分でもコントロールしきれない流れの中で、日本に辿り着き、研究を志し、日本国籍がないだけで、自分の代表者すら選べる権利を与えられず、自分のいないところで自分の生活やキャリアについて決められてしまうという政治的な排除が罷り通っているのです。
日本学術会議の法人化による独立性の喪失、教育現場への政治介入の加速、そして軍拡予算の拡大──これらはバラバラの事象ではなく、知と社会の自律性、そして平和を自ら脅す一本の線です。
文部科学省は、政府の方針を遂行するだけの機関ではありません。
戦争責任を教育として次世代に伝える役割と責任、さらには多様な意見を持つ次世代を育成する役割を担っているはずです。
今、この制度によって排除されるのは、私の隣にいた友人や同僚であり、次世代、これからの日本をすでに支えている人々です。
排除によって守られる「国益」などは本当は存在しえ無いのです。
むしろこうした国籍、出自による排除こそが、日本や国際社会の知的基盤を形成する豊かな多様性や平和といったお金では醸成できない倫理をさらに弱体化させるのです。
私は、Spring制度の国籍条項に、そして当事者不在のまま意思決定される政治の構造に、当事者として、研究者を志す一人として、強く強く反対します。
みんなの・SPRING×2
SPRING for everyone×2
みんなの・教育×2
Education for everyone×2
文科省・差別するな×2
国籍要件・撤回!×2
文科省・差別するな×2
朝鮮学校・無償化適用!×2
支援を・みんなに×2
理由は・いらない×2
教育を・受ける権利×2
みんなに・保障しろ!×2
国籍民族・関係ない×2
すでにともに・生きている×2
みんなの・SPRING×2
SPRING for everyone×2
みんなの・教育×2
Education for everyone×2
みなさま、今日はお忙しいところ、私たちのアクションに集まってくれてありがとうございました。
また連帯してくださった金曜行動のみなさまにも改めて感謝申し上げます。
差別をやめろと言ったら、あ、そうだね、やめよう、となる社会。それを目指していくために、私たちも諦めません。次回、8月の日程は確定していませんが、涼しい時間帯で、またこのSPRING for Everyone Protestを続けていきたいと思います!
公式SNSをつフォローしてお待ちください、ありがとうございました!
以下は、本プロテストに際し、学生などから寄せられたメッセージを代読したものです。
私は日本で生まれ育ち、「留学生ではない外国人学生」として東京大学に入学しました。ちょうど20歳が成人であった最後の世代にあたり、20歳のとき、家族で1人だけ日本国籍を取得し、それまでの国籍を放棄しました。
「留学生ではない外国人学生」として、これまで多くの困難を経験してきましたし、同じような立場にある仲間たちの苦労もたくさん見聞きしてきました。すでに民間の奨学金の中には「日本在住・日本国籍限定」のものが少なくありません。一方で、「日本在住・外国籍限定」の奨学金は当然存在しないですし、日本で育ったことにより「国籍を持つ国」の奨学金もまず受けられません。「留学生ではない外国籍の学生」は、すでにさまざまな民間の奨学金の枠組みから排除されており、経済的に非常に不利な立場に置かれています。
公共の経済的支援として、JST-SPRINGはそのような排除に加担すべきではありません。納税義務を担う世帯の一員として日本で育ってきたことは同じなので、「留学生ではない学生」を国籍で区別することは、明らかに国籍による差別です。
また、「留学生ではない外国人学生」ならば、日本国籍を取得するという選択肢はありますが、それは誰にでも可能なものではありません。まず、未成年は親権者と一緒でなければ日本国籍を取得できず、成人してはじめて単独での取得が可能になります。つまり、大学に入学する前に日本国籍を取得するには親も国籍を変更しないといけない場合がほとんどなのです。大学生であれば自ら手続きができるようになりますが、それでも多くのハードルがあります。
日本国籍取得の手続きは非常に複雑で、専門家の協力なしに進めるのは難しいです。それに加えて大学生にとって最も大きな壁となるのが、経済的要件です。実家が裕福であれば大きな問題はありませんが、生活費のためにアルバイトをせざるを得ない学生や、奨学金を借りて大学に通っている学生にとっては、条件を満たすのは非常に困難です。経済的に支援が必要な人ほど、日本国籍を取得しにくいのです。
そもそも、国籍は人格権に深く関わるものです。日本が二重国籍を認めていないことを考えれば、その意味はさらに重いものになります。私の両親は30年以上日本で暮らしていて、2人の「帰る場所」は日本ですが、それでも生まれ持った国籍を自らの人格の一部として大切にし、今も保持し続けています。私の周囲にも、日本で生まれ育った「二世」の友人が少なくありませんが、成人後に日本国籍を取得したのは、私だけでした。
国籍に基づく差別的な政策が今後さらに広がれば、自分のアイデンティティを犠牲にして日本国籍を取得せざるを得ない「二世」が増える未来が来てしまうかもしれません。経済的支援を得るために国籍を変更せざるを得なくなることは、人格権の侵害に他なりません。納税義務を負っている世帯で育っている以上、経済的支援を受ける権利は等しくあるはずです。
最後に、今回は「留学生ではない学生」の立場から話をしましたが、留学生を排除するような政策についても、外交政策としても経済政策としても一切の利益がなく、日本の国力を損なうものであると強く批判します。
私は就職する理系の大学4年の日本人です
私みたいなのが院進しないから大学院は外国人を呼ぶことになっています。大学院で研究を進めるのに大学院生は不可欠な人々なのです。
大学院の外国人、その中でも多くを占める中国人の皆さんは私みたいな就職組の代わりに院に来て、研究室を回して日本の大学の功績を増やしてくれるくれるありがたい存在だから、恩を返しに来ました。
そんな中国人留学生についてですが、有村治子(ありむらはるこ)議員は4月11日の国会答弁で、中国人だからその国籍を理由に大学院から足切りして排斥しろとおっしゃいました。その生まれ、国籍を理由に多くの大学院で入学を拒否しろという、カースト制のごとき恐ろしい身分差別です。
有村治子議員、あなたが大学院に身分制度を作って、生まれつき優遇されるべきだから日本人の私を招待してあげると言われても私や多くの大学4年生は行きません。
なぜなら大学院を出てからの進路が大卒より優れているとは限らないから、大卒で就職した方がいいからです。
大学院にカースト制のような身分制度を作るのは無意味だしみじめな政策です。
※誰もが、誰でも大学院、博士課程に進学しやすいように設計するのが政治の仕事では?金銭的理由で進学を諦める人が後をたたない
現在ドイツに修士留学している者です。ドイツは大学・大学院学費全て無料、もちろん国籍で差別することは違法なので、外国人も無料です。ドイツやフランス、EU圏内のあらゆる国では国籍に関わらず、博物館無料など学生の恩恵が受けられる環境で伸び伸びと勉強することができます。奨学金制度もそうです。国籍で差別している制度は見たことがありません。なぜならそれはレイシズムだからです。私はヨーロッパ中心主義的な理想を押し付けたいわけではありませんが、最低限国家の制度は人種差別にもっと敏感になるべきです。はっきり言ってそのようなレイシズムは国際的に見て時代遅れです。日本のアカデミアがもっと誰にでも開かれた場所になりますように!
※在留資格の有無によって、国籍によって受験資格を定める高等教育機関がある。イラン人の入学を許可しなかった東工大の決定は違憲・違法判決。
SPRINGの選考に関わっている大学教員です。
守秘義務から匿名でメッセージお届けさせていただきます。
凋落の一途を辿る日本の研究力低下。それを止めるのに国際化は必須です。
科研費の指標にも国際化入るようになったじゃないですか。
外国から日本に研究しにきてくれる学生さんは、国際化の要です。
彼らが日本で育って、諸外国の研究との架け橋になってくれるんです。
その方々への予算を切るなんて、日本の研究力を低下させたいようにしか見えません。
外国からの研究者呼ぶのにお金かけるのもいいけど、こうしてわざわざ日本に来てくれた若手育てる方がずっとコスパいいですよ。
私たちが選んだSPRINGの候補者は、国籍に関わらず、日本の研究の原動力となる将来性に溢れた研究者、仲間です。
国籍で差別しないでください。
※大学教員からも留学生等の排除に反対・疑問の声。一体誰がこの改悪を喜んでいるのでしょうか?
「"日本人"(とやら)にSPRINGの受給者を限定する」は、その実明らかに特定地域/国家の出身者を名指しにした、紛れも無い差別的な政策です。
私は、このような排他主義を非難します。
今回の方針に対しては、特定の地域/出自に縛られない学問の国際性や多国籍的な学びの豊かさを唱え、対抗しようとする向きがあります。
大変重要な指摘だと思います。
しかし私は、今回の方針が国家が煽動する排他主義である事を、真正面から指摘すべきと思わずにいられません。
同時に、日本に人種的マジョリティとして生まれた私は、自身が出自それだけで国籍による排除を受けない/学ぶ権利を制限されない特権を持っていることを思い起こすべきとも思っています。
今回の排除を含め、生きる権利や学ぶ権利を奪われている人がいる目前で、誰が"豊かな学び"とやらに貢献してやろうと思うでしょうか。
何が学問を司る省庁だ、思い上がるのもいい加減にしろクソ野郎。
東京芸術大学大学院博士課程の近藤銀河です。
今、美術、芸術系の大学にはたくさんの留学生がいます。
中には出身国での差別や不自由から逃れるようにやってきた人も少なくありません。
そうした人々に、また新しい差別を課してしまう。
ただでさえ、今外国籍の人々への差別が吹き荒れています。
これ以上、新しい差別を作る必要があるのでしょうか? 留学というのはとても難しく苦しいことです。
物価や通貨の差、言葉の壁、生活習慣の違い、偏見、差別、暮らしの困難。
日本から出ていく学生もたくさんの困難に遭遇しています。
だからこそ、そうしたことをよく知っているからこそ、学生も教員も留学生とともにあるために様々な工夫や努力を凝らして差別のない大学を運営しようとしています。
そしてそれは政府も同じだったはずです。積極的に留学への支援を行ってきました。
今回のSPRINGS改悪はそれに真っ向から矛盾するものです。
ときに教員が留学生に心無いことをすることがある。
それに対して多くの人が抵抗をしてきているのも、私は知っています。
とてもつらい現実があります。
なのにその上に、新しい分断を作り、またより一層の努力を求める。
おかしいことです。
差別や分断で学生は喜びません。
むしろ苦しむのです。
もちろん、そこで一番苦しくなるのは留学生の方たちです。
だからこそ、こうして集まったり努力をして押し付けられた差別をなんとか埋めようとしています。
もし大学院にいる人のために政治がなにかするのであれば、それは排外主義に立ち向かうことのはずです。
こんなふうに、差別を押し付けて排外主義を煽り排外主義に乗っかることではない。
留学生の困難、と言いました。
日本から米国に留学することを断念せざるを得なかった学生たちを知っています。
それは米国での外国籍の人、あるいは白人ではない人間に対する嫌悪が高まり、政治がそれに応え煽った結果、米国での留学が困難になったからです。
その流れに乗ることになんの意味があるんでしょうか。
日本も同じような国にするのでしょうか。
留学生を受け入れ、送り出す。
それによって世界が少しだけ近くなっていく。そのことをずっと実践してきたはずです。 なのに、その現場を排外主義を主張するための道具にする。
本来それは豊かな国際交流による学問の創出の場です。
本当におかしいのは留学生の存在ではありません。
学費値上げ、学術会議の解体といった大学環境の改悪です。
それは国籍によって学生を区切ることで解決されることでは断じてないのです。
たしかに私は怒っています。
でもそれは留学生にでは決してありません。
大学を差別的な場にし続けることにこそ、怒っています。
博士課程は、もはや「勉強の延長」ではありません。本来は、専門性の高い研究労働を担うステージであり、それに見合う対価を受けるべき段階です。
ヨーロッパでは博士課程は給与付きの「職」として制度化されており、中国でも国家・大学・研究室レベルでの研究補助金が支給されるのが一般的(国籍は限定しない)です。どちらも博士課程の学生を労働の担い手と捉え、その研究活動に報酬を与える形になっています。これは、博士課程がもはや「純粋な学習段階ではない」ことを前提にした制度設計です。
私自身は学内進学で博士課程に進み、修士課程で修得した単位が認定されたため、博士で必要な授業はわずか1科目です。
残りの時間はすべて研究に費やしています。
修士課程在籍中には、第一著者として国際会議でBest Paper Awardを受賞し、その成果は「日本の大学の研究」として世界に評価されました。
国際学会では、日本の大学に所属する留学生が表彰される場面も少なくなく、それは「日本の研究力」として認識され、称賛されます。
しかし、そうした実績や貢献があったとしても、「外国人だから」という理由だけで支援の対象外とされるのは、明らかに不当です。
世界を見渡しても、博士課程の研究者に対してここまで一律に「無償で働け」と求める制度改悪は、前例がありません。
欧米諸国も中国も、博士学生の研究を正当に評価し、それに見合う経済的支えを制度的に整えています。
日本だけがこの流れに逆行することは、研究環境の悪化と国際的信頼の低下を招く恐れがあります。
国籍にかかわらず、真剣に研究に取り組むすべての博士課程学生が、安定した生活の中で安心して研究に集中できる環境を整えることこそが、日本の学術の未来を支える土台になるはずです。
どうか、その歩みを止めないでください。
博士課程の研究を、わずか3年間という限られた期間で完成させるには、非常に高い集中力と十分な時間的余裕が求められます。
しかし、SPRINGのような規模の奨学金や支援制度が他に存在しないため、この制度が利用できなければ、生活費や学習に必要な費用のすべてを自分で賄わなければならなくなり、その負担は非常に大きなものになります。
現在日本に留学している後輩たちの中には、こうした状況のなかで、博士後期課程への進学を真剣に悩まざるを得ない人もいます。
これまで日本で築いてきた生活への適応や人とのつながり、そして日本語で蓄積してきた専門知識までもが、このまま無駄になってしまうのではないかという不安を、かれらは抱えています。
非日本国籍の学生を排除することは、日本国籍の学生のためにもなりません。
多様なバックグラウンドを持つ人々が集まり、知見を持ち寄り、交流することでこそ、真のイノベーションが生まれるのです。
どうか、この事実に目を向けてください!
SPRINGはすべての次世代研究者のもの。
単一民族で長い時間と叡智を用いて国家繁栄を成してきた日本は、今後も世界との結び付きを強めながら生まれ変わっていく時を迎えようとしています。
その過程で専門性をもつ優秀な外国人もいずれ国益につながる重要な存在であり、適正な待遇を受けるべきであると考えます。
文科省はケチな事を言っていないで
地球を人類をよくする為に学ぶ姿勢のある者に対してきちんとサポートしてほしい。
こんなことしてたら、また日本は外国から馬鹿にされて嫌われてしまいますよ。
外国人の優秀な頭脳は我が国にも利益をもたらすものです。
残念ながら、1部の勢力があたかも外国人が全ての外国人留学生がお金を受け取っているというように宣伝しています。
しかし、異国の地で学問をするのにあたり、たった3パーセントしか、そして排外主義者の宣伝によりもはや3パーセントの人さえ支援も受けられなくなるのは好ましくありません。
補足:文科省によると、昨年度の博士後期課程の在籍者約7万8千人のうち、受給者は1万564人だった。うち日本人は6割、留学生が4割、留学生の最多は中国人で3151人。日本学生支援機構によると、昨年度の語学学校を含む中国人留学生は約12万3千人。SPRING受給者3151人が占める割合は2.6%となる。
Exclusio non est aequitas(エクスクルシオー・ノーン・エスト・アエクィタース)
Geminiによると、ラテン語で、「排除は公平ではない」あるいは「排除は正義ではない」と訳されます。
博士課程学生はただ教室で知識を学ぶだけじゃなく、大学の教授と同様に、知識の生産者です。
言い換えれば、労働者です。
だから、すべての博士課程学生に給料が必要です。SPRINGを日本人学生だけ支給しても、博士離れは止まらない、同世代の会社員と比べて、収入が低すぎるです。
すべての博士課程学生には、最低でも、正社員の年収の中央値の50%の生活保障が必要です。
この値は、ヨーロッパでは60~80%, アメリカでは40-60%