2025年2月13日に開催しました、「苦しむ学生の声を聴く!2・13院内集会」における学生の発言です。
※当日、時間の都合や体調不良により登壇が実現しなかった学生の原稿も掲載しております。
※所属等は当時のものです。
実際のスピーチのようすや、院内集会全体の内容については以下の動画をご覧ください。
東大の学生らは、2025 年度学部生に適用される、東京大学の学生 1 人当たり年約 11 万円の値上げに対して、6月14日院内集会や 3 万人の反対署名(5月8日時点33,432名)など反対活動を広く展開し、輿論を動かしました。「学費値上げ反対緊急アクション」は、5月15日東大学費値上げ検討の報道を受け、4日後の五月祭ですぐさま行動を起こしました。6月14日 に行った東大の学費値上げに反対する院内集会では、当日は、超党派7党から、党首級3名ほか26名以上の議員が参加し、文科省と「①運営費交付金増額」「②授業料減免拡充」「③物価高などに伴う負担増に対する予算措置」の要望書を手交しました。同日、私は「駒場プロジェクト」の有志としても記者会見を行い、「物価高に苦しむ家計をさらに追い込むことになる」「家計と大学は、どちらも苦しむ当事者同士であり、負担を押し付け合うのは悲劇」と発言しました。また、院内集会と記者会見について22媒体以上のメディアが報道するなど、世間の注目度も凄まじいものがありました。この流れを断ち切らないよう、より輿論を喚起していくために、オンライン署名を立ち上げ、署名開始6日目にして2万人(7日目には3万人)を大きく超えて賛同を得ました。総勢100名近くの全国の大学教員から賛同メッセージが集まりました。そして、2万人の賛同が集まったと同時の7月3日、値上げ公表一時見送りというニュースが報じられました。
しかしながら、東大は学生不在の夏季休暇中に9月10日に学費値上げ案を発表しました。教養学部自治会の全2回のアンケートでは回答者の8-9割が反対し、9月17日には、2万7千名以上(9月17日時点)の反対署名の提出を受けながらも、東大は、学生不在の夏季休暇中に9月10日に学費値上げ案を示し、2週間後の9月24日に正式決定するという学生らの声を完全に無視する対応を行いました。そして、東京大学での値上げだけにとどまらず、各国公立、私立大学でも値上げは行われており、今後もさらに波及していくことが予想されています。国が教育予算で補填することができれば、各大学は値上げする必要がなくなります。物価高騰と相次ぐ学費値上げによって困窮した学生たちから悲痛な声が噴出していますが、多くが埋もれて来てしまっていました。経済的理由・制度の欠陥、自分ではどうしようもできないルーツやマイノリティ性等によって、未来を奪われてきた学生たちの声なき声が存在します。それらの声を可視化し、国政に訴えていく必要性を強く感じ、通常国会の会期中、少数与党で予算審議が進められる中で、自主的に集った全国の学生によって院内集会を開催することになりました。
まずは、この要請書を作成した経緯についてです。きっかけは、学費値上げに反対する中大生の会からの提案でした。それは、国への要請や院内集会を東京大学学費値上げ反対緊急アクションと一緒にやらないか、というものでした。話はすぐにまとまり、行動しようとなりました。東大と中大だけでは影響力が小さいと考え、今年度学費値上げ反対運動を行っていた広島大学、熊本大学、武蔵野美術大学、大阪大学の学生に協力を呼びかけました。この6大学の学生たちで、学生の連名の輪を広げていき、それぞれの大学に足場を置く学生個人、団体で連名し、要請書を国へ提出するということを決めました。
ここから私は、要請書の文案の執筆に取り組みました。DiscordというSNSを通じて多くの学生と検討を重ねました。私のメモには、11回にわたって要請書を改稿したことが記されています。これは、当事者である私たちが、私たちの手で、血の滲む思いをしながら、現実の問題に即して書いた要請書です。こうしてできた要請書には、多くの連名を希望する学生が集まってきてくれました。95の大学、20の大学院、1の高等専門学校、合計116の高等教育機関の学生、具体的には約400の学生個人、16の学生団体が連名しています(2025年5月8日現在では、合計134の高等教育機関となっている)。この要請書が目指すのは、2019年頃から相次いでいる学費値上げを止めること、大学等の学費をまず10万円値下げすること、給付型奨学金を拡充すること、これらの3点を可能にするために、国が予算をつけることです。少なくとも約3350億円あれば、学費値上げを止め、学費を10万円引き下げることは可能になると私たちは考えています。それに、世帯年収650万円まで受け取れる給付型奨学金を整備するだけの予算を足したものを、来年度予算に組み込むことを、私たちは強く要請します。
これから18人の学生に、学費をめぐってどのような問題に直面させられているかを報告してもらいます。ただここで報告してもらう事例は、あくまで氷山の一角です。学費問題は、広範に社会に根を張り、学生や家族の人生を振り回し、時には命を奪いかねない深刻な問題となっていると認識していただきたいです。
私たちは、わがままを言っているつもりはないです。ただ私たちにある権利を保障してほしいという、当たり前のことを、当たり前にしてほしい、そう訴えているだけです。この私たちの訴えは、要請書別紙表面にあるように、主要政党の掲げる公約と一致しているはずです。ぜひ実現していただきたく思っております。どうぞよろしくお願いいたします。
一橋では2020年度より学部生と一部の院生に対して授業料の値上げが行なわれました。理由は「世界最高水準の教育研究拠点の構築」のための経費確保でした。しかし学生からは良い変化は見えませんし、そもそも十分な説明もなかったのです。学部生からは「学費を上げて何をやろうとしたのか。変化は小さい」とか「そもそも安価な環境を用意してこそ国立大では?」、「家庭状況が苦しく毎日のバイトで体を崩し、授業料納付の時期が来るたび不安だ」という声もあります。値上げ後になされた23年の生活実態調査でも、経済的不安から誰かに相談したという方の割合は20%も増えています。(「経済的な面での相談を誰にしたか」という設問の回答で(「悩んだことはない」と回答した人が前回21年と比べで20%も減少している)。生の声からも数字からも値上げが学生の苦悩や疑問に繋がったのは明らかです。
奨学金制度などを上手く使えという意見もあるでしょう。しかし制度を上手く使って当たり前という考えは「生存バイアス」そのものです。これでは、構造に由来する学生・院生の苦しみも、「努力が足りないから」と問題が矮小化されてしまいます。このバイアスは院生間にも広がり、金がなくては研究できず将来もない、という切迫感に追われています。教員ですらそうでしょう。私は大学が経済的にも精神的にも常に強者でないといられないような場所であってほしくありません。各人が一人の人間として余裕をもって生きられるよう、値上げ阻止、無償化に向けた高等教育の予算拡充を、強く訴えます。
東京大学は、zoomウェビナーで周知したのみで学生とまともな対話をすることなく拙速な学費値上げを発表しました。 さらにここで、 学費値上げの理由として「グローバルな競争」 を挙げていますが、 その競争によって、 本来であればアクセスできたはずの教育を受られなくなることは、 誰もが教育を受ける権利を有することに反します。 ダイバーシティ&インクルージョンを掲げているのに、 特定の学生を排除する可能性があるのは本末転倒です。 さらに、 値上げ分の使途も 明瞭かつ学生のためにどれほど効果があるかわからないものが提示されました。 学問の府としてふさわしくない態度だと考えます。
さらに大学の学費値上げは 、学生やその家族にとって深刻な負担となります。私自身、大学院進学を諦めた理由の一つが学費の高さでした。私の家庭は、妹も大学に行っており経済的に余裕がありませんでした。
そのため、大学進学時には奨学金を借りるしかありませんでした。大学院進学を考えた際、さらなる奨学金の借り入れが必要となり、将来の返済負担を考えると大学院への進学を断念せざるを得ませんでした。本当は大学院へ行こうという気持ちもありましたが、これ以上借金を増やすのは流石に憚られたのです。
学費値上げは、自分のような経済的に困難な家庭にとって、教育の機会をさらに狭めるものです。 さらに、うつ病などの精神疾患にかかった学生や発達障害を持っている学生、家庭が学費を出さない、いわゆる経済DVなどによって留年や退学を余儀なくされたりそもそも大学への入学を諦める学生にとって、学費の負担は深刻です。
私の家庭では、大学進学時の学費の捻出が大きな課題でした。奨学金を借りて何とか大学に通うことができましたが、卒業後は多額の借金を抱えて社会に出ることになります。これは、将来のキャリア選択や生活設計に大きな影響を与えると考えています。
特に自分の好きな職に就こうと思っても手取りが安い、借金を返せないという思考が頭をよぎります。結果としてキャリア設計や人生設計に影響を及ぼしてしまうのです。
学費無償化は、経済格差を是正し、誰もが平等に教育を受けられる社会を実現するための重要な施策です。
特に、低所得世帯やひとり親家庭の学生に対して、学費の全額免除や生活費の支援を拡充することを強く求めます。
さらに言えば、現在の奨学金制度は、多くの学生にとって「借金」という形で将来の負担となっています。私身、奨学金を借りて大学に通いましたが、卒業後は返済に追われる日々が続くと思います。
これは、経済的に厳しい家庭の学生にとって大きな心理的・経済的負担です。奨学金に依存せずに安心して学べる環境を整えるためには、給付型奨学金の拡充や、返済不要の支援策を充実させる必要があります。また、経済的に困難な状況にある学生に対して、学費の減免や生活支援をさらに拡大することを要請します。
広島大学で学費値上げ検討が明らかになった翌日から広島大学学費値上げ阻止緊急アクション代表として学費値上げ反対を訴え続けています。
私の通う広島大学では、東京大学の約1週間後に授業料値上げの検討が明らかになりました。それまで首都圏の大学に集中していた授業料の値上げが地方国立大学にまで波及してきたことに強い危機感を抱いたのを覚えています。広島大学で学費値上げの事例ができれば全国の国立大学が追随する流れを作ってしまうことになりかねません。これは絶対に阻止しなければならない。
そんな強い決意の下、すぐさまアクションを立ち上げ抗議活動を開始、6月4日からは署名活動を始めました。1か月余りで17612筆を集めて越智広島大学長に提出しました。その後の会見で事実上検討は撤回されましたが、情勢を鑑みると学費値上げの可能性は残ったままです。大学の動きを注視し、学費値上げ反対の声を上げ続ける必要があります。
活動を続ける中で学費値上げが本当に許しがたいものだと確信するようになりました。「大学に進学できたのは学費が安い国公立大学だったから」「生活費のことを考えると広島県内の大学しか進学できなかった」「これ以上学費が上がったらもう進学の選択はできない」。活動を続ける中で度々広大生から聞かれた言葉です。日々学費や生活費のためにアルバイトをして疲れ切っている学生や学費が高いからと進学を諦めた学生が大勢います。地方国立大学は経済的な事情を抱える人の受け皿となり、地域に根差した大学としてより多様な人の学ぶ権利を守るうえで重要な役割を果たしています。様々な背景を持ったすべての学生が学びを諦めないために、そして安心して学問に取り組めるように、学費値上げではなく値下げを、そして高等教育無償化の実現のために改めてお力添え願います。
中央大学では2024年9月中旬、学生向けポータルサイト上において突如、2025年度からの学費値上げの計画が告知されました。
私たちは、こうした重大な問題が、学生に広く周知されず、決定への参画も保障されないまま進められていることに危機感を持ち、値上げ計画があることを学生に広く知らせるとともに、計画に対する中大生の意見を集めて大学に届けようと、10月初旬にアンケートを立ち上げました。そのアンケート結果で、学費値上げを「知らなかった」、「値上げ計画があることは知っていたが内容は知らなかった」と回答した9割以上の学生が学費値上げについての正確な情報を把握していなかったことが分かります。
「学費・生活実態アンケート」の「現在、あなたは経済的に困っていますか」という質問に対し、約2割が「困っている」と回答し、また半数近くの学生が「困っている実感はないが、不安」と回答しました。
さらに、「経済的理由から病院に行くのを我慢あるいは躊躇することがある・あった」という回答が1割以上ありました。
今の学生はここまで追い詰められているのです。
今の情勢、物価高騰で大学側の経営がひっ迫しているのは分かります。しかし、それは学生も同じです。学生に物価高騰のしわ寄せを学費値上げという形をとるのはおかしくありませんか?もう生活がギリギリという学生は多くいます。これ以上、学生を苦しめないでください。
そして、現在日本の全大学生のうち約8割が私立の大学に通っており、私立大学は日本の高等教育において不可欠といえる存在になっていると思います。1975年に私立学校振興助成法が成立した際に、私立大学が果たしている社会的役割をふまえ、私大等の経常費に対する補助の割合を「できるだけ速やかに二分の一とするよう努めること」との付帯決議が採択されています。
また私立大学と国立大学との学費との差を問題にし、その差を縮めるために国立大の学費を上げようという議論もありますが、そうではなく、学生の学ぶ権利を保障するうえでは私立も国立もどちらも値下げしていくことこそ必要だと強く訴えたいです。私は大学に通うということが特権である社会ではなく、だれもが豊かに学ぶことができる社会になるために、まずはその一歩として来年度の学費値上げを止めることを強く望みます。
本学は誰もが等しく尊重される大学を、という平和と人権のための美しい祈りから生まれました。対話を重んじる少人数教育が特色の小さな大学です。
しかしその維持にはコストが嵩むため、本学は3度の土地売却を経てなお慢性的な経営難です。既に高額な学費は段階的な値上げの途中で、3年後には年間160万円近くなります。
そんな中で、ある学生が私費留学やボランティアをのびのびと楽しむ一方、ある学生はアルバイトや奨学金に振り回され、またある学生は経済苦から失意の内に大学を去っていきます。本学の掲げる理念は、このような経営の足掻きと学生間の圧倒的な不平等のもとでかろうじて体裁を保ってきました。
大学を単なる営利企業でなく魂ある教育機関たらしめ、理想の実践を守るのは行政の力です。積極的な財政出動をお願いします。
大前提として、現在多くの国立大学で徴収されている年間53万円の授業料は、決して安くありません。特に地方学生にとっては大きな負担です。私からは、学費値上げの阻止と学費の値下げがなぜ必要なのかを、主に地方学生の視点からお話しします。
まず、学費問題の深刻さを理解していただくため、ある友人のエピソードを紹介します。
彼女は熊本大学を卒業後、大学院に進みましたが、家計が厳しく、学部時代からアルバイトに追われていました。勉強時間を満足に確保できず、給付型支援金の成績基準を満たせない。その結果、支援金を受けられず、さらにアルバイトの時間を増やさざるを得ない。そんな悪循環に陥っていました。とても勉強熱心な彼女でしたが、思ったような成績を得られず、希望する科目を受けられなかったこともあります。大学院生になった今でも、アルバイトで忙しくしています。
令和4年度の日本学生支援機構の調査によれば、熊本大学の学生の約3割が奨学金を借りています。授業料減免措置を受けている人や、友人のように本来支援を受けるべきなのに受けられない人も含めれば、経済的に恵まれない熊大生は約半数近くにのぼると思われます。
地方学生の多くが、すでにこうした苦しい状況に陥っているのではないでしょうか。
経済的な事情や住む場所にかかわらず、等しく大学で学べる環境を整えることは、地方国立大学と国の重要な責務です。今苦しんでいる学生が放ったらかしにされ、学費が全国規模でさらに上がれば、大学進学そのものを諦める人も増えるでしょう。これでは地方国立大学の存在意義は弱まるばかりで、学ぶ権利も保障されません。
またこうした事態は、日本全体の人材育成にも悪影響を及ぼします。学費値上げは、決して国益にかなうことでもないはずです。
国会議員ならびに省庁職員の皆様。
学費の値上げを阻止し、むしろ引き下げるため、教育にもっと予算をかけてください。これ以上学生や大学に負担を押し付けないでください。すべての人が、どこにいても、どんな経済状況でも、等しく高等教育を受けられるような政策を強く求めます。
私は今年度静岡大学に入学し、修学支援新制度の第Ⅰ区分対象者として給付型奨学金と授業料免除を受けながら大学に通っています。この制度がなければ大学進学は実現できませんでした。しかし制度を利用する中で、手続きの煩雑さや免除決定の遅さなど、多くの課題を感じています。
現在の制度では、自宅通学の学生に支給される奨学金は、自宅外通学の学生の約44%にとどまっていますが、自宅通学と一口に言っても学生が置かれた状況はさまざまです。静岡大学の場合、市内から自転車で通学できる学生もいれば、県の東西、さらに隣県から電車・新幹線を利用して通学する学生もいます。さらに、静岡大学のキャンパスは駅から離れているため、電車に加えてバスの定期代もかかります。遠距離通学をする学生は経済的負担が大きいにも関わらず、アルバイトの時間を十分に確保することも難しい状況にあります。実情に寄り添った支援策を検討すべきではないでしょうか。
また、静岡大学は浜松医科大学との再編の遅れにより競争型資金の獲得が困難になったことで資金難が深刻化しており、教員充足の遅れや学術雑誌の購読廃止等、教育の質が低下しています。一部の教員からは「授業料を3万円値上げし、財政基盤を強化すべき」との意見も出ています。現時点では、大学執行部が正式に授業料改定を検討しているという情報は出ていませんが、決して他人事ではないと痛感しています。前学長下のトップダウン的意思決定が歪みを生み、その影響を受けるのは、意思決定から排除された我々学生です。大学の基礎財源を強化するため、運営費交付金の増額を強く求めます。
修学支援新制度についての意見を述べます。修学支援新制度には、主に二つの改善点があると考えます。それは、授業料減免の基準と、支援区分通知の期日です。
私は、2022 年度に東京大学に入学してから、2024年度の前期まで、JASSO から給付型と貸与型の奨学金をいただいていました。現行の制度での授業料減免の扱いは、「給付型奨学金の対象者は、授業料と入学金の減免を受けることができる」というものです。私はこの制度の恩恵を受け、2024 年度前期まで、授業料を全額免除されていました。これにより、私は無理に働くこともなく、勉強にしっかりと時間を割くことができ、優秀な成績を取ることもできました。学問への関心も強まり、研究者になる夢を持つようにもなりました。しかし、一時は研究者の夢を諦めかけることになりました。
2024 年 9 月、支援区分が第 4 区分、対象外に引き下げられたという通知を受け取りました。給付型奨学金を受け取れなくなる、ということです。10 月にJASSO から送られてきた文書によると、「家計基準該当」を理由に奨学金が停止されたようです。おそらく、私の姉が前年度に就職し、両親の扶養から外れたことが原因でしょう。
この通知を受け取った時、私は尋常ではないパニックに陥りました。なぜなら、修学支援新制度では、授業料の減免と給付型奨学金の対象が、完全に一致しています。私は、給付型奨学金だけでなく、授業料の免除も受けられなくなったのです。入ってくるお金は減るのに、出ていくお金は増えるわけです。11 月の振り込み日までに約 26 万円を用意しなければいけない状況に追い込まれました。私は、東京大学独自の授業料免除制度に申請できたため、支払いは申請結果の出る1 月まで猶予されることになりました。それでも、免除申請が通らなかった場合に備えて 1 月までに授業料を用意しなければいけません。
私には私立の大学に通う弟がいます。彼の状態も確認してみたところ、こちらもやはり支援対象外になっていました。加えて、彼の学校には独自の支援制度がないので、私よりも逼迫した状況におかれました。11月までに、私よりも高い授業料を用意しなければいけません。しかし、私の両親に、二人分の授業料を支払う能力はありません。前年度に大学を卒業した姉も奨学金を頼っていたので、彼女が大学を卒業したからといって、両親が私たちの授業料を払えるようになるわけではありません。私たち兄弟は、自分で授業料を用意しなければなりませんでした。
ただ、「成人なら自分の授業料ぐらい稼ぎなさい」という意見を持つ方もいらっしゃるでしょう。この意見を完全に否定することはできませんが、ここで問題になるのが、支援区分通知の時期です。私は、9 月に「授業料を払いなさい」と通知を受け、1 月までに授業料を稼がなければいけませんでした。東京大学のような支援制度がない大学の学生は、11 月までの、たった二ヶ月間で 26 万円以上を稼がなければなりません。私は、もともと塾で週 3回アルバイトをしていましたが、それに加えて、受け取れなくなった給付型奨学金の分と、授業料を稼ぐ必要が出てきました。そこで、スーパーマーケットでも週3回働き始め、塾と合わせて週に6回働くようになりました。スーパーに採用されるまでの間は日雇いのバイトを転々としていたので、体への負担が大きく、授業を休みがちになってしまいました。家で勉強する時間もないので成績は下がり、今学期では、10単位も落としてしまいました。支援区分の通知がもっと早ければ、週6回のアルバイトなんて無茶はせず授業料を用意できたはずですが、あまりにも猶予がなかったために、金銭面だけでなく、身体や精神の面でも追い詰められてしまいました。
今まで、修学支援新制度の恩恵を受け、有意義な大学生活を送らせていただきました。しかし、その支援の網からこぼれ落ちてしまった瞬間、勉強時間よりも出勤時間のほうが長い、もはや大学生活と呼べるかわからない生活を送ることになってしまいました。この制度には、いまだ改善すべき点が多く残っていると感じます。私が直接体験した問題は、「授業料減免と給付型奨学金の対象が同一なので、奨学金をもらえなくなると授業料の支払いも迫られること」と「支援区分の通知と授業料支払いの期日が近すぎるため、短期間で授業料を用意しなければならなくなってしまうこと」との 2 つでした。私の周りにも、同様の状況におかれた友人が複数名おり、彼らは私の気づいていない問題によって苦しめられているかもしれません。修学支援新制度についての、具体的な現状を調査するとともに、支援から漏れてしまっている学生にも支援が届くような制度改正を、切実に、お願いしたいです。
私が学んでいる人文学は、その必要性が疑問視されることが増えてきました。お金がない時代ですから、その疑問は当然だろうと思います。それでも、私は、人文学は存在し続けなければならないと考えています。哲学、国文学、考古学、さまざまな学問がありますが、これらの学問の究極的な目標の一つに、「世界から暴力を減らすこと」、あるいは、「暴力を否定する言説を放ち続けること」があると考えています。世界がどんな状況にあろうと、暴力を否定する学問を存続させ続けること、この意義は決して覆らないものだと考えています。 私はもっと多くのことを学び、自らも学術の世界で発言をして、人文学、そしてこの世界に生きるすべての人に貢献したいと強い希望を持っています。私たちに学びの機会を与えてください。日本の学生は、研究者になろうと思っても、金銭的な理由を口にして諦めてばかりです。政治・制度のレベルで、さらなる教育支援をしていただけることを願っています。
授業料、そして修学支援新制度の問題は、確実に若者の未来を左右してしまう問題です。
今日、この場に残念ながら来られない宇都宮大学を休学中の友人の話をします。
卒業も間近に控えた去年3月、彼女の身に「再判定により3年後期から学費を免除しすぎていたことが判明した。」と大学から通告、「3週間以内に44万円を払わなければ除籍処分」と迫られる、という事件が起こりました。
彼女は、貧困下にありながらも、数多くの資格や言語を習得するような、とても優秀で努力家な方でした。彼女は、フィリピンから8歳で来日し、授業料免除と奨学金給付を受け、そして大学の後援会からの貸付金もあって、なんとか大学に通えていました。
一昨年の秋、彼女は大学から、後期の授業料について「両親の所得区分が変わったので免除額を縮小する」と通告され、疑問を感じて再判定を申し出ました。これによって、なぜか、学生が判定を求めていない年度にまで遡及して判定が覆り、免除しすぎた授業料の請求を受け、また、支払いすぎた奨学金の返還を求められました。遡及して判定が変更された不可解な対応の理由も、日本学生支援機構は開示できないという対応でした。
「3週間以内に44万円」に加えて、さらに、日本学生支援機構へ返金26万円、大学の後援会からの貸付金20万円、当初分割払いを強硬に拒否していた大学との交渉を引き受けてくださった弁護士の費用などで、計100万円以上も1-2ヶ月で用意しなければなりませんでした。金融機関からの借入なども、彼女の「定住者」の在留資格を理由に全て断られていました。
なんとか善意の寄付によって除籍という最悪の事態は免れましたが、それまでの経済的圧力やルーツによる様々な差別的対応もあって、「社会のために起業したい」という夢を盛っていた友人は、心身を壊してしまいました。
このような学生の声は、今まで埋もれて来てしまっています。経済的理由・制度の欠陥、自分ではどうしようもできないルーツやマイノリティ性によって、未来を奪われてきた声なき声に耳を傾けてください。
武蔵野美術大学では、今回連名で活動をしている他大学とは比較にならないほどの学費の値上げと、対応の問題があることをお伝えしたいと思います。
1つ目は、他大学と同様に、学費の値上げの問題についてです。学科によって変動額は異なるものの、2020年度には授業料が25,000円増額し、2024年度には30,000円増額しています。
しかし、大学側は学費増額の理由やその使途について十分な説明をしておらず、透明性の欠如が問題としてあげられます。
私は、ギャラリーストーカー対策委員会という活動を学内で立ち上げ、美術業界で発生するハラスメント問題を対策するために活動しています。本来このような安全管理は大学が率先して行う義務があるのにも関わらず、学生の活動に依存しており、金銭的にも実質的にも援助していません。学生を守るために学費が使われていないのです。
ただでさえ、美術大学は一般私立大学と比較しても学費が高額です。これ以上値上げが続くと、美術やデザイン、工芸などを専門に学ぶ人材が、学費を理由に修学を諦める大きな要因となってしまいます。
2つ目の問題は、留学生のみに対して、「修学環境整備費」の名目のもと、年間363,000円、4年間で145万2000円の増額をしたことです。これは、他大学とは比較にならないほどの大幅な増額であり、この値上げにより、年間の学費は230万円近いものとなります。さらに、この値上げは、事前に留学生からのヒアリングや意見交換を行わずに進められ、突然ウェブサイト上に公示されました。
その後、デモ活動や約6,000筆の反対署名が提出されるなど、学内外から多くの反対の声が上がったのにも関わらず、大学側は整備案を見直すことはありませんでした。
ウェブサイトの公示から5ヶ月経った、12月末に開かれた説明会は、学生証の提示が必須かつ撮影・録音禁止のクローズドなものでした。さらに、説明会では、「修学環境整備費」の具体的な内訳が提示することはできないなど、整備費の活用用途に関する計画が非常に不明瞭なものでした。説明では、留学生の就職支援や留学生センターの創設が挙げられましたが、これらは留学生自身のニーズや意見を全くと言っていいほど反映していません。
さらに、説明会中には、留学生の日本語能力をその場で試したり、日本文化理解の不足を前提とした不適切な発言も見受けられるなど、根本的に多様性への配慮が欠けた独善的なものでした。留学生はお金を持っているが能力が欠如しているなどの偏見の下、必要性のないサービスまでも大学が代行してあげなければならない旨を発表したが、実際には留学生に呆れた態度での対応が取られており、説明会で提示されたサポートシステムは留学生の実情を考慮しない一方的なものでした。
また、大学上層部の教員からは、「奨学金が本当に必要な、適切な人に渡っているのか分からない」という発言があるなど、学生の経済的困難さへの理解や共感が不足していました。学生の間でも整備費の発表に際して、留学生に対する偏見に基づいた排除的な発言があったなど、学生間の分断が起きています。
以上の状況を踏まえ、以下の2点を政府や関係機関に強く求めます。
1つ目は学費値上げの抑制と国からの支援拡充です。大学および学生への経済的支援を強化し、学費の急激な値上げが行われないような仕組みを構築してください。
2つ目は、国籍による学費差別の禁止です。
国籍や在留資格によって学費に差を設けることのないよう、明確なガイドラインや規制の制定をしてください。
誰もが国籍による差別をされずに、また金銭的な事情で諦めることなく、芸術を学び、自由な表現ができる国になることを強く求めます。
先ほど、武蔵野美術大学で留学生の学費が大幅に値上げされたという話がありました。大阪大学でも、次期総長を選ぶ総長選考において留学生の学費値上げを公約とした候補者が現れ、反対運動へと繋がりました。
候補者は留学生の学費を5万円値上げし、値上げ分を留学生の支援拡充に充てると言いました。もちろん、留学生への支援が行われることは大切です。しかし、値上げをしてまでの支援は留学生たちが本当に望んでいることなのか、彼ら自身の声は何ら聴かれていません。
世界の国々から日本へ来てくれている留学生らは、私のように日本国籍のある人間に比べるととても弱い立場に置かれています。彼らは反対運動をするときも、「これが原因で日本にいられなくなるかもしれない」という不安を常に抱えています。
候補者はまた、「国費留学生などを除けば、値上げの影響を受けるのはせいぜい800人程度でしかない」とも述べていました。決して人数の問題ではありません。その800人にはそれぞれの生活があります。直接影響を受けない人も、「次は自分かもしれない」と怯えながら過ごさなければなりません。
投票により、値上げを公約に掲げた候補者は落選しました。とはいえ、投票の権利は教授や一部の上席職員にしかなく、学生は働きかけることしか出来ませんでした。
いまの大学では、様々な施策が当事者の声を聴かないままに決定されています。まずは目の前にいる、学生の声を聴いて下さい。
さて、学費値上げ問題でよく言われがちな話として、「でも奨学支援があるじゃないか」というものがあろうと思います。しかし現行の奨学支援制度はとても救済にはなっていないのです。
支援制度は「困窮学生を救う」という理念のもと設けられているものですが、現在の制度では多大な手続きコストが学生に課されることになります。制度1つを利用するためだけに、数千字にわたる要項と、記入例の注釈一つ一つを熟読し、書類数枚を書き、投函しなければいけません。「申請書の下書き」にのみ書かれている注意事項を守らなかっただけで、不備・不注意として謂れのない叱責を受けたことは忘れられません。
考えてみれば、困窮学生ほど、生計のためのアルバイトや、例えばヤングケアラーであったら介護などに追われ認知リソースが限られた状況に追い込まれるものです。ただでさえ認知リソースが限られた困窮学生に、さらに多大な手続きコストを払わせる現行の支援制度は到底「困窮学生を救う」という理念に叶うものではありません。
更に、資産の多い少ないで余計な手続きコストが要求されるというのであればこれは明らかに公平ではありません。よって、支援制度は学費値上げを可能にしません。
最後にもう一つ言いたいことがあります。大阪大学含め、それぞれの街でそれぞれの形で運動が行われています。「国民の代表」である代議員、もしくは「知る権利」の前衛であるジャーナリストのみなさん。この院内集会のような「注目される場」以外の場所もチェックして足を運んでください。
学生の運動に対する締め付けは日々厳しくなっています。「野次馬」が多いほど、当局・公権力は弾圧をしづらくなります。みなさんどうか「野次馬」になってください。学費値上げに反対する大阪の学生・市民を代表してスピーチしました。
私は東京学芸大に通う2年生で、ソーシャルワークを専攻しています。私からは、自身のルーツや障害との関連で問題意識を話しますので、匿名とさせていただきます。
まず、学芸大の現状についてです。学芸大は値上げを決めてはいませんが、教職員の会議では「値上げした方が良いのでは」との意見も出たと聞いており、危機感を覚えます。
私は、奨学金と仕送りで生活しています。ただ、体調を考慮してアルバイトをしていないため、親には想定より多くの負担を強いています。
私は、発達の特性上、典型的な人よりも新しい場面が苦手です。北海道から上京したときには、大学、一人暮らし、気候と、慣れないことが重なり、鬱病で休学せざるを得ませんでした。
最も不安だったのが、金銭面です。休学中は奨学金を貰えません。幸い、私は生活保護を使えましたが、休学中の利用はかなり難しいそうです。その上、学芸大は長期履修制度がないため、現状でも経済的負担が重すぎ、安心して療養することもままなりません。
それでも私は、家計と体調の制約の中でどう卒業するか、大学の支援者と話せています。しかし、日々の生活に精一杯で先を見通せないまま家計が限界を迎え、中退を迫られる学生も多いそうです。
私のルーツの一つであるアイヌも、道外の学生は、経済的な理由での中退が顕著です。和人によって困窮を強いられてきたアイヌは、大学進学率も25%を下回っており、和人の半分以下の水準です。
私も、親に負担を掛けたくないものの、障害のために学校に行けない日があります。その際、もう休学できないというプレッシャーや、アイヌの中では恵まれているのに期待に応えられない無力さから、却って体調が悪化し、あるいは体調不良を言い出せないことがあります。ルーツと障害が交差し、悪循環に陥りがちです。
しかし、アイヌ学生への支援も貸付中心で、2020年度からは、高校以下を含む修学支援予算全体が減らされ続けています。
経験からも痛感しましたが、安心して学業に臨むには、すべての学生の学費無償化と、給付制奨学金の拡充が欠かせません。社会に還元される学費は当然無償であるべきだと訴え、発言とします。
ともに、声を上げましょう。
私は、学部を標準修業年限を超えて5年かけて卒業しました。その理由は、20歳のときに難病を発症し、留年を余儀なくされたからです。
疾患を抱える学生にとって、コントロールすることができない体調と大学生活を両立させるのはとても大変です。私は、一学期に受ける授業の数を他の人より減らしたり、リモート授業を活用したりして、なんとか大学生活を続けられていました。それでもやはり、突然の体調不良で授業を休まざるを得なくなり、単位が取得できなかったこともあります。
留年したくなくても、せざるを得ない状況になってしまうのです。
留年すればそれだけ学費もかかります。また、留年した学生には奨学金は厳しいものです。先ほど言ったように授業を休んでしまうこともあるのですから、よくある「成績が優秀である」という条件も奨学金の申請を妨げています。
そもそも、多くの奨学金が「健康な方」という条件を設定しており、私のような疾患を持つ学生は排除されてしまいます。
4年間病気も怪我も一切しない「健康で優秀な方」だけが求められているのです。
ではアルバイトで稼げば良いと思われるかもしれませんが、大学生活ですらなんとか維持しようとしているレベルなのですから、アルバイトまで手が回らないことは容易に想像できるかと思います。
さて、これは病気になった私が悪いのでしょうか?病気のある学生が大学に行ってはいけないのでしょうか?もちろん、そんなことはありません。ただ病気があるという理由で教育の機会が奪われるのは、どう考えても不公平です。
現在、私が通う東京大学を始め、多くの大学が多様性、公平性、包摂性を重視し、学内環境を改善しようと努力しています。しかし、学費の値上げは、この努力に逆行するものです。学費を値上げすることは、疾患を抱える学生を排除する結果となります。
私たちすべての学生が等しく学べる環境を維持するためには、学費値上げに反対し、すべての学生が平等に学べる機会を守るべきです。
わたしは、2019年から2023年までは早稲田大学修士課程に在籍し、そこでは学費値上げで切迫した状況にいる中国からの留学生の署名運動に賛同しました。私大・国立大学にまたがって在籍した経験のある学生は、この会にも多くいらっしゃるかと思いますが、その時からわたしが感じているのが、関心や当事者意識を持てないようにさせられている構造的な問題です。また、留学生であったり、持病を持っていたりと、さまざまな要素が複合的に学生を追い込んでいますが、そのなかでも、経済的な負担が全ての根底にあるのは間違いないでしょう。 現在、修士・博士課程に在籍する人の多くが、切迫した状況にあると言えます。わたし自身貸与型の奨学金を借りており、博士課程の進学も研究資金の獲得の見通しがなければかないませんでした。そして、そのような研究資金への応募も、家族の助力などで経済的負担を軽減できた人のみが注力することができ、研究者としての資質や能力の差ではなく、環境的な差が本当に大きいと感じます。 わたしは、博士課程を希望していた同期や先輩、後輩の方々が学費捻出がままならないため就職の道を選んでいるのを目の当たりにしてきました。また、研究職は専任になるまでは多くが非常勤講師として働くことになり、経済的余裕のなさや見通しのつかなさが、研究への注力を阻む精神的負荷にもつながっており、メンタルヘルスに与える影響も大きいことがわかっています。研究者にならないひとでも高等教育を自身の動機から選べる社会になって欲しいですし、そもそも大学の授業料無償化は「手の届かない理想論」ではありません。 2022年にはすでに国家予算の防衛費の5兆円の倍増のうち、先ほど3兆円というお話がありましたが.1.8兆円を高等教育の無償化に用いれば良いという指摘はなされてきました。2023年2月23日に、わたしが実際に予算委員会を見学した際にもその旨指摘がなされていましたが、政府の答弁において実のある回答がなされることはありませんでした。 以上を踏まえて、わたしは、大学という「学問の自由」を担保するパワーを持った場所が、単なる「モラトリアム」を過ごす場ではなく、学生ひとりひとりが生涯を共にする自身のまなざしを培えるような高等教育の場となることを求めています。そして学問の自由を軽視する国家の姿勢に反対することは、我々の権利であり、研究職を志すものとして、我々が心身を酷使し疲弊し倒されることなく、健全に研究活動を行える自由を求めます。
お茶大は、まだ学費値上げが決定したわけではありませんが、2024年7月の時点では「検討中」という回答があり、切迫した危機感を覚えています。ですが、100を超える大学の皆さんが、このように連帯して値上げ・学費の無償化についてアクションを起こすことができていることに心から頼もしさを感じています。この動きが継続していくよう、学生の皆さんのひとりひとりの声が、社会に届くことを強く望みます。
私からは、昨年国際卓越研究大学に選ばれた東北大学の状況について話させていただきます。 昨今の大学政策の方針の一つに「稼げる大学」がありますが、本来教育研究機関である大学が経済的利益を要求されたり、国からの財政支援に条件が課されたとき、大学は国に忖度せざるを得なくなります。 東北大は「稼げる大学」の最たる例として卓越大に選ばれましたが、高すぎる数値目標に現場が混乱したり、蓋を開けてみたら援助額が想定より少ないために結局博士学生への支援が縮小されたりと、見切り発車的な改革に多くの懸念が伴っています。東北大の博士学生の多くは大学やJSTから修学支援を受けていて、私の知り合いにもそれがなければ通えない人がいますが、そのような当事者の声に耳を貸さずに改革が進められてきてしまいました。
これは全国に共通しますが、「稼げる大学」政策下で疲弊した大学では、運営の「コスト」となる学寮など福利厚生施設が縮小されたり、大学自治が弾圧されるという形で学生にしわ寄せがきています。これは学費値上げとも無関係ではありません。改めて確認しておきたいのは、これらが本来は競争原理の外側で守られるべきものであるということです。そして、そのことを最も当事者性を持って語れるのが学生です。その切実な声が政策に反映されることを望みます。
早稲田大学では、今年度の学部1年生、私の代から学費が年間8万〜14万円値上げされました。さらに、来年度は修士課程の学費が年間5万〜12万円値上げされる予定です。しかし、これらの学費値上げについて、大学から学生や受験生に対する説明が全く無いため、多くの学生・受験生は学費が値上げされていることを知らない状態です。私自身も入学してから初めて知りました。
さて、現在実施されている大学に対する財政支援制度の中には、大学の自治を脅かす恐れのあるものがあります。例えば、早稲田大学も認定を目指している「国際卓越研究大学制度」は、大学に対してガバナンス強化を求めるとともに、政府から大学への介入を強めるという点で、大学の対内的・対外的な自治を圧迫するものです。また、「安全保障技術研究推進制度」など、政府によって大学が軍事研究に誘導される危険のある制度もあります。
個人の学問の自由、そして大学における学問の自由を保障するため、教育の無償化を要求したいと思います。
私は2020年に京都大学に入学し、現在大学院の修士課程1回生です。
私自身、学部時代、そして今に至るまで、大学寄宿舎、いわゆる学生寮で生活を送ってきました。自分自身、学費を自分で負担し、また仕送りも無い中で、衣食住のうち「住」が低価格で保障されている、これは本当にありがたいことでして、そのおかげで学部を卒業し、いまも研究に取り組めています。
いまの国立大学を見ると、安価な学生寮や学内の診療所の廃止が相次いでおり、少なくない若手研究者が「任期付き有期雇用」という不安定な待遇を要求されています。これは、多くの民間企業が、特に近年、企業価値を高めるべく、社宅や各種福利厚生の充実、賃上げに取り組んでいるのとは対照的です。
政府は大学の価値を高めることを目指しておられることでしょう。そうであるならば、その構成員の福利厚生、待遇改善を実行していただきたいと、強く感じております。
そうした中、現在政府が主導となって、大学予算の民間資金への依存、そして「国際卓越研究大学」「指定国立大学法人」制度の構築といった、競争原理の導入と「選択と集中」を進めています。
しかし、こと学術に関しては、過度な競争は不利益をもたらします。さきに当たりの宝くじを買えないのと同様に、どのような研究が優れた成果を出すのかは、誰にもわからないからです。例えば現在隆盛を極めている行動経済学は、私自身行動経済学の研究室にいますが、平成中ごろまで、異端児・はぐれ者扱いされてきました。そして、宝くじとは違い、研究に外れはありません。結果が出なかった場合も、結果が出ないということが、立派な学術的成果となります。
また、実際に資源が「集中」されている東京大学や京都大学でも、地方の大学との共同研究が、多くの研究室で行われています。もう既に、地方の大学は予算配分がかなり減り、疲弊しきっていますので、この状態が続くことは、結局、集中させた東大や京大も、共倒れすることにつながります。
高い峰を作るには、広い裾野が必要です。地方大学にも予算を増やすことはまた、優秀な学生を地方で育成すること、まさに今国が力を挙げて進めている「地方創生」の前提条件にもなると、私は考えます。
最後に、石破首相が所信表明演説で名前を出しておられた石橋湛山は、かつてこのように述べました。「資本を豊富にするの道は、ただ平和主義により、国民の全力を学問技術の研究と産業の進歩とに注ぐにある。」
まさにこの原点に立ち帰り、高等教育機関への予算を大幅に増やす方向で、政策を検討していただければと思います。以上となります。