第31回大会
(2020年12月12日(土)〜12月13日(日))
於:オンライン(開催校:宮城教育大学)
学会第31回大会を終えて
大会実行委員長 本田 伊克(宮城教育大学)
2020年12月12日(土)・13日(日)の2日間にわたり、教育目標・評価学会第31回が開催されました。宮城教育大学が開催校ということで、青葉山の緑に包まれたキャンパスに参加者の皆様をお招きし、仙台の町と味をお楽しみ頂くことも考えておりました。その後、新型コロナウイルスの感染拡大やその予防策を大学や学校も求められるなか、会場での大会実施は困難と判断し、オンライン開催に切り替えました。
オンラインでの学会開催は初めてのことで、学会幹事・事務局の皆様にはなかなか作業が進まずご心配もおかけしたことと思います。大会専用ウェブサイトはICTスキルのある院生の力を借りてどうにか開設しましたが冷や汗の出る思いでした。大会実行委員長とは名ばかりでしたが、まずは大会を無事終えることができましたこと、感謝申し上げます。
今回はシンポジウムを含め、参加者を会員に限定しましたが、一日目は104名、二日目のシンポジウムには60名のご参加を頂きました。
1日目は、課題研究と意見交換会が行われました。
課題研究は「生活綴方・作文教育における教育目標・評価諭の展開―作品批評をめぐる議論と実践の諸相-」をテーマに行われました。綴方教育を目標・評価論の視点から、広く、深く考えることができる企画でした。
意見交換会では、「コロナ禍における教育目標・評価のあり方」をテーマに、根本的な変化を迎えている教育のあり方を、教育の成り立ちにも触れながら考え合う場になりました。グループに分かれての意見交換、知見の共有が、赤沢会員の見事なICTスキルと気配りによって実現し、感嘆しました。
2日目の自由研究発表は、4つの分科会で合わせて13件について、発表資料の掲載をもって発表成立としたうえで、Zoomミーティングでの発表と質疑応答の場も設け、活発な議論も展開されました。その後、大会校の企画として「『教員養成学』をいかに構想するか」をテーマにシンポジウムを行いました。
なお、総会については、大会ウエブサイトに資料を掲載し、Googleフォームで意見を募る形式で実施いたしました。
大会当日の運営が支障なく進みましたのも、学会幹事・事務局の皆様、スタッフルームを担って下さった赤沢先生、サポートに入って下さった院生の皆様のお陰です。重ねて御礼申し上げます。
本学会は、大学における教育研究の基盤、学問に裏打ちされた教員養成の基盤が掘り崩されつつあるなかで、貴重な研究と実践の交流の場であり、教育研究者として自らの仕事を振り返り明日に向かっていく力を頂ける場でもあります。
本学会の発展と会員の皆様のますますのご活躍を心よりお祈り申し上げます。
【課題研究1】
生活綴方・作文教育における教育目標・評価論の展開
――作品批評をめぐる議論と実践の諸相――
報告者:
東井義雄における作品批評の展開――生活綴方の目標論における共同性をめぐって
前田 晶子(鹿児島大学)
1970年代における大阪綴方の会の作品批評――綴方教師の鑑識眼に着目して
永田 和寛(愛知県立高校)
生活綴方・作文教育における作品批評と生活・表現・集団
川地 亜弥子(神戸大学)
指定討論者:後藤 篤(奈良教育大学)
司会:河原尚武(元 鹿児島大学)・平岡 さつき(共愛学園前橋国際大学)
コーディネーター:川地 亜弥子(神戸大学)
(1)課題研究の趣旨
コーディネーターの川地会員より、日本作文の会1962年度活動方針に距離をとったサークル・実践家の作品批評論と実践に注目して、その特徴や変化を明らかにし、多様な目標・評価論を浮かび上がらせたいとの趣旨説明があった。3名の報告者が各20分程度の報告を行い、指定討論者から各報告のキー概念の整理および4つの論点が提示された。
(2)第1報告の概要
前田会員の報告は、兵庫県但馬における東井義雄の「土生が丘」(1954-1960、『村を育てる学力』を生み出す学校通信)を対象に、①地域サークルや実践家の教育目標の組織論、②作品批評論に着目して、批評空間を通してどのような「教育なるもの/教育ならざるもの」を生み出してきたかを明らかにするものであった。概要は以下の通りである。
東井は、子ども、親、校長、教員の間をつなぐものとして、何が教育的かを前近代から続く村の行事を論点として考えあう空間を誌上に形成した。それは、生活に埋め込まれた村の対立的な関係を浮かび上がらせることに力点を置くものであった。学校と地域の確執の解消が意図され、「文章以前の綴方」として批評空間を構成したものと位置づけることができる。地域に内在しているさまざまな論理がぶつかり合うことを求めた。
これまで、『村を育てる学力』や『子どもを伸ばす生活綴方』における「教科の論理と生活の論理」や「文章以前の綴方」という概念については、ヴィゴツキーの「生活概念と科学的概念」に対応するものと理解されてきた。しかし、東井の用語法は必ずしも概念の二つの系の問題として論じているわけではなく、論理性がぶつかり合う批評空間のあり方が提示されているのではないかと考える。東井は「たたかい」は問題を解決するかという民間教育運動の組織論から出発して、論理性をもつ綴方が成熟してくれば、そこから教科の論理、学習指導要領の論理、さらに村の論理、教員文化の論理などが内在的に理解されるとした。東井は習熟とはいわず「生き方」と述べたが、諸種の論理への理解が対立を含む共同性を目標論において追求しようとしたと考えることができるのではないか。このことは、作品批評において対話的プロセスを積み重ね、参加を促す批評空間を創造することであったと総括することができる。到達目標・評価論にいう「教育の代行論」の前提にあると考えられる「教育=必要悪」の思想と繋がるかもしれない。東井は「論理の対立」を浮かび上がらせるような批評空間の試みを行うことで、教育と対峙し続けたと考えられる。
(3)第2報告の概要
永田会員の報告の目的は、①学校化社会の昂進を背景として1960年以降の生活綴方運動の展開を教育目標・評価論上の課題として論ずる視座を提示すること、②1970年代における大阪綴方の会の作品批評の作品批評が、同時代にアイスナー(Eisner,W.)が提唱した「教育的鑑識眼」や「教育批評」概念に相当する性格を備えていたことを指摘し、その形成していた批評空間のありようを明らかにすることにあった。概要は以下の通りである。
日作62年度方針への批判が顕在化したと考えられる70年代の「野名・田宮論争」。日作常任委員の田宮輝夫が教科教育として目標-評価の枠組みを重視していたのに対して、大阪綴方の会の野名龍二は、1962年度方針以後の文章表現指導の系統化の動向に批判的であった。野名は、「書く力とは生活の意欲性」であるとして、「その[綴方における]生活は(中略)つねに系統や計画からはみだしてしまう」と述べていた。
大阪綴方の会では「書き直し」等の教師の推敲指導に対して否定的な発言がされ、作品の巧拙に捉われない批評が行われていた。書く過程そのものに子どもの「成長」を期待するもので、同会を牽引した清原久元を中心に名人芸風の作品批評が行われていた。書く過程における他者(事物・人)との交渉過程・他者の発見を通じた認識の変容を成長と捉えていた。
野名は清原による批評の実践に影響を受けながら、綴方の評価法の開発(鑑識眼の理論化)を試みた。「文体」に着目し、事物から遠ざかってしまう「くわしくかく」ことを批判し、「強調と省略」をはらむその時々の生活場面を綴る表現に現れた子どもの美的な経験と成長を見出そうとした。野名が教室の子どもたちに求めた批評は、互いの経験を重ね合わせることによって個々の子どもにとって特殊な体験を捉え、それに共感する技法の獲得をめざすもの(読み合うことを通じた他者理解)であった。
冒頭の目的①について。日作1962年度方針および文章表現指導系統案が、生活綴方の教科教育化(学校化社会の中への定位)を示すものだったのに対して、70年代に展開された「野名・田宮論争」は、生活綴方版「目標に準拠した評価」vs.「目標に捉われない評価」として図式化される。②について。大阪綴方の会の作品批評の作品批評は、目標-評価図式から「はみだしてしまう」ものを捉える鑑識眼と批評の研究へいざなうものであった。その鑑識眼は、学校化社会の中で、「きょときょと」する「幼い人たち」を発見し、「きょときょと」すること=近代学校から「はみだす」過程における「成長」を捉えようとしたのである。
(4)第3報告の概要
川地会員は、1970年代に展開された京都綴方の会を対象にその取り組みの特徴について発表した。概要は以下の通りである。
同会は、教師の異なった実践方法の多様性を尊重し、「生活・表現・集団」(松永)を重視した。日作62年度方針に対しては、「生活の重荷を下ろす」も「国語科の一領域」に限定することも否定し、系統性は否定しないが、子どもの表現意欲喚起の方法などを模索(小宮山)するものであった。一枚文集を継続的に発行・活用して厳しい実生活と表現を学校内に閉じることなく、「共感と連帯の意識形成」を目指し、学級から家庭への広がりを形成するものであった。「作品研究」は、子どもの表現を尊重し、実態からではなく、子どもの表現から生活や生き方を読むという作品批評の手法をとるものであった。
生活綴方と到達度評価の関係については、「到達度」を前面に押し出す作文指導への厳しいまなざしを持ち、個別的指導と意図的・計画的指導の二元的把握を否定して、「ダイナミックな生活指導」による「縄目的」一元論(藤原義隆)を模索するものであった。
これまでの一連の報告を「作品批評をめぐる理論と実践の諸相」として総括し、サークルでの作品批評は鑑識眼と批評を鍛える多様な参加者による「読み」の真剣勝負の舞台であり、子どもの表現・生活・集団を読み解き、交流し、子どもに還元する(教育評価)ものであった。そこでは学校から「はみだす」「本当のこと」を内容とする通信・文集を通じて批評空間が広がっており、教育評論の世界がゆたかに形成される、いわば教育運動、目標論における共同性の模索がなされていた。
(5)指定討論者からの論点
指定討論者の後藤氏は、まず東井義雄の作品批評(1959s)を論じた前田報告を受けて、現代において「論理の対立」を鮮明化させる批評空間を追求することはリアリティをもたない「過去の遺物」なのか?という【論点1】を提示した。続いて、大阪綴方の作品批評(1960-70s)を論じた永田報告を受けて、学校化社会における生活綴方が提出した「はみだしてしまう」ものと、それ以前の生活綴方(ex.やまびこ学校における貧困や労働など)が捉えてきたものとの関係をどう捉えるかという【論点2】を提示した。
また、京都綴方の作品批評(1970s)を論じた川地報告を受けて、同時代の全生研など民間教育運動における生活綴方批判との関りも視野に、学校教育全体において生活綴方の位置づけをどう考えていたのか、という【論点3】を提示した。3報告におけるキー概念、すなわち、「論理の対立」を浮かび上がらせる批評空間の広がり、教育目標の組織化(前田報告)、「他者」の発見を通じた認識の変容、「文体」への着目(鑑識眼の理論化)、読み合うことを通じた他者理解、「共感の技法」の獲得(永田報告)、目標としての「共感と連帯の意識形成」、「縄目的」一元論(川地報告)という諸観点を教育目標・評価研究はどう引き受けるのか、という課題を提示した。そのうえで、子どもの貧困などアクチュアルな課題にとって、「教育ならざるもの」/「はみだしてしまうもの」とは何かという【論点4】を提示した。
(6)質疑応答および議論の論点
まず、「はみだすもの」の歴史的展開を論じてくれると良い、という意見が出された(小林)。これに対して各報告者からは、(前田)現代のケア空間とは異なり、学校化社会以前の東井やその地域では教師自身が学校をはみだす、学校からはみ出してしまう親や学校に子どもの視点を入れていくという形態で空間を共有することができた。(永田)自己表現の特有な世界は学校で共有されるものではなく、はみ出てしまうものであり、学校にいかに子どもを包摂していくかという視点。70年代は誰もが学校に行く中で、いかに子どもを活きいきさせるか、生存させるという視点であった。(川地)京都に限らず全国的に地域に根差すといわれてきた時代であったが、京都では子どもの思いや願いに根差すことが大事とされていた。家庭や貧困、障害のある家族の問題が語られる子どもの表現を丁寧に読んで、子どもがどう生活を捉えているかを見ていくと自然にはみだしていくというものだった、との発言がなされた。
次に、62年度方針をめぐる歴史的な整理がされる中で綴方系統案は廃れたのか克服されたのかをめぐり質疑応答がなされた。系統案は日作62年度方針前からあるもので、現代でもどの子にも書けるようにする手立てとして大事にするサークルがある。系統案に批判はあったが、日作は地域サークルの連合体であることが幸いして地域やサークルによって多様であったとの発言がなされた(久冨/永田、川地、河原)。
こうした発言をきっかけに、到達度評価が生活綴方の正系の嫡子である(中内論)という点について意見交換がなされた。多様なものが尊重されるとしたら、到達度評価も「はみだすもの」を大事にして、あまり固い枠をつくらない方がよいのではないか(久冨)。到達度評価をガチガチとしたものと見ないでほしい、パフォーマンス評価は生活綴方を教科指導に用いているものともみられ、伝統的に日本の教員社会にあったとはいえないかという意見(小林)がだされた。それに対して、パフォーマンス評価の出自は職業教育や芸術教育から派生してきたもので、必ずしも書くものだけではない。貧困や分断が深刻化する中で学力保障論によって子どもが阻害されると、学校は人間形成を主眼にすべきで、目標を明確にした学力保障を掲げるべきではないといった批判が投げかけられている。生活綴方の遺産を踏まえるとどのような目標設定をしていけばよいか(西岡)。永田会員報告にあった「感覚の技法」がいっけん到達度評価に入ってこなかったように見えるが、「はみだすもの」を大事にしようと習熟論などが出てきた。この点が詰められてないのではないか(小林)。パフォーマンス評価の源流はオーセンティック・アセスメント運動であり、美的なものも含む草の根の文化改造運動の一種で、生活文脈から学校文化を捉えなおしていくものであった。数教協の人たちは到達度評価によって授業が柔らかくなったと捉えるものがみられた。情意論を位置づけようとしたことは、現場の教員の実感に根づきがあったのではないか。科学と教育の結合論の中で「はみだすもの」や授業のダイナミズムが丁寧に検証されてこなかったのではないか(石井)という課題提示がなされた。
その後、後藤氏の示した論点に沿って議論が進められた。
論点1について。現代において学力保障ではなくケアという論法が跋扈している。子どもを追い詰めないようでいて実は感覚的なものに満足させる世界にとざす。自分の言葉で自分なりの論法で書くことを過去の遺物にしないために何が必要か。話しことばを書きことばへ、経験を自分のことばで語り、書きたいだけ書く、それに対して他の人が返してくる、論理や遣り取りが広がる、そのことがとても難しい。それこそが学力の芯にあたるものではないのか(川地)。
論点2について。鑑識眼という場合、何をどう読みとるのか、要素や中核になるものは何か(久冨)。70年代は学校にいかないと生きていけない時代になるが、学校から「はみ出してしまうもの」、子どもと他者との関りや認識の変化、ものとのかかわりの中で紋切り型でない世界に乗り越えていくことであった(永田)。
論点3について。国語科の一領域にはおさまらない、きわめて個人的なものをみんなで考えるという経験を通して、共感と連帯を育む。個人の変容と学級の変容を切り離して考えない(川地)。子どもの自己表現から出発する文章表現による生活の表現。京都、大阪綴方の会の目標としての共感と連帯、生活の認識は、居場所づくりと無関係ではない。野名先生との付き合いの中で沢山エピソードがある(八木)。
論点4について。学力保障の土台、例えば、貧困、ネグレクトの家庭などの問題はコロナ禍でどう浮き上がってくるのか。共感と連帯の意識形成はコロナ禍でどうなっているのか(後藤)。生活綴方批判をした竹内常一・大西忠治は、しなやかな心と身体の回復といっていた。生活綴方の本質的な部分をみなおそうとしていたのではないか。このような論争も丁寧に見直した方が良いのではないか(小林)
以上のように、生活綴方の遺産を教育目標・評価論としていかに引き継ぐか、コロナ禍で貧困や分断が深刻さを増す現代にあって、課題の提示や豊かな議論が交わされた。
文責:平岡さつき(共愛学園前橋国際大学)
【課題研究2】
コロナ禍における教育目標・評価のあり方
報告者:
コロナ禍における教育目標・評価の課題
木村 元(一橋大学)
コロナ禍における教育目標・評価の課題
石井 英真(京都大学)
司会:斎藤 里美(東洋大学)
コーディネーター:石井 英真(京都大学)
(1)意見交換会の企画趣旨
新型コロナ感染症拡大によって、日本国内では3か月にも及ぶ休校や分散登校、直後のテストやそれによる診断的評価、成績付けが行われ、学校での日常は大きく揺さぶられた。また密を避けるためオンライン指導を試行した学校も各地でみられた。これらのことを通して、学びの成果で履修を考えていこうという修得主義の考え方への転換も叫ばれるようになってきている。そこでこの意見交換会では、コロナ禍において教育目標・評価に関して生じている実践的、理論的課題を整理し、話題提供を行った上で、それぞれの現場の困り感や取り組みについて自由に交流したり、意見交換したりする機会とする。とくに、ICT活用と相まってあらたなキーワードとして浮上している「個別最適化された学び」について、その可能性と危険性の両面から議論を深める。
(2)木村元会員による話題提供(概要)
まず、木村元会員から次のような話題提供があった。当日は前半と後半に分けて話されたが、ここでは全体をまとめて示すこととする。
コロナ禍は、固有な時空間をもち、確固たる場であった学校の境界線が、じつは移動可能・拡大可能であることを人びとに実感させている。それは、学校だけでなくオンラインなどいろいろなかたちで学ぶ選択肢を示したことなどにみることができる。コロナ禍の経験は、学級を中心とした日本の学校教育、履修主義システムを基盤とする進級制度など、さまざまな前提をあらためて顧みることにつながる。
また、学校化社会の動揺と連動するように、21世紀前後の度重なる「大災害」という状況のなかでは、「常に災害が来る」という視点から学校をとらえ直す「災間という視点」が重要である。この「災間の視点」の一つの実現形態は、非常時のセーフティネットとしての「平時のつながりづくり」である。
しかし一方で、近年のテクノロジーの発展は、「個に即した教育」というある種の理想を実現に導く「個別最適化」を可能にしている。これまでの人類の文化伝達を歴史的に振り返ると、近代以前の徒弟方式(1対1)から近代の学校方式(1対多)になり、さらに近年の「AI先生」方式に変わろうとしている。AIの活用によって子どもの「つまずき」を統計的に把握し、適切な課題を調整しながら課すことが可能になった。しかし、ここでの問題は「何を教えるか」という価値が問われないことである。AIでは、いったん目的として設定したら、その価値以上のものは射程に入らない。そのことによって、結局は水平的画一化や垂直的序列化にのみこまれてしまうことになりうる。
これに対して、教育目標・評価論の課題として、一斉授業で経験できるとされてきた一人ではたどることができない多様な思考過程を経ることで、集団全員が多面的・多層的に問いと答えを理解する、人のやり方を見ながら学ぶ、「豊かに」間違える、という学習過程をどのようにみていくかなどが挙げられよう。
(3)石井英真会員による話題提供(概要)
次に、石井英真会員から次のような話題提供があった。当日は前半と後半に分けて話されたが、ここでは全体をまとめて示すこととする。
まず「学ぶ権利を保障するとはどういうことか」という点について考えてみよう。授業を進められていないのが「遅れ」であって国の年間指導計画を遂行して「回復」したとみなすのは「形骸化した履修主義」と言わざるをえない。今後は学習成果に注目してそれを保障していく修得主義寄りで考えていくことは必要である。ただし、修得主義が検定試験のようにテストの問題が解ければよいと考えるのは問題で、進められる子はどんどん進めたらよいという点のみが強調されると学力格差や学びの分断につながり、また問題が解けたかどうかだけを診断的に評価するのでは子どもたちの隠れたニーズを見落としかねない。真に手厚くフォローされるべきは、意味や学び方のつまずきである。
現行の観点別評価は、評価を子ども理解一般と混同することで評価対象を無限定に広げ、教師が常に評価のためのデータ取りや学習状況の点検に追われる事態を招いている。評価に関わる負担を軽減する意味でも、総括的評価と形成的評価を区別することで、日々丁寧に子どもの学びを評価しても記録に残すタイミングは絞ることが必要である。また、観点別評価を「舞台づくり」として捉え、節目の「見せ場」を通じて学びを成長につなげることが重要であろう。
一方で近年のテクノロジーがもたらす成果や課題も明らかになってきている。オンライン学習は、授業と自習の間に新しい学びのかたちを生み出しうる。たとえば、学校においてはフレキシブルな学び合いの時間が生まれるし、自習や家庭学習のあり方も変わる、オンラインでつながり自主ゼミのようなものが生まれうる。一方、一人1台PCになった時にはタイピングと書字の関係が根源から問われる。認識活動にとっての書字の意味を明らかにしなくてはならない。
また、AIがもたらす技術革新によって専門職を経由しない教育、つまり専門職がデータアナリストに従属する「データ覇権主義」が生まれる可能性もある。個別化によって学年・学級制や学級教授の前提がなくなる可能性もあり、学級づくりをしながら授業をつくるという日本の教師の仕事、生活集団のうえに学びがあり、学びが成長につながるという日本の学校文化、そういうものをどう再評価していくかが問われている。
より早く学習を進める「個別化」とより広く深く学習を進める「個性化」との違いは大きい。一人ひとりの子どものよさは共同性の中で発見されることを考えれば、日本の学校の「まるごと性」じたいを放棄してはいけない。学びは根源的には「まねび」であり、AIでは身体を介した模倣と感化が起こりにくい。「まるごと性」の意味を再評価し、学び・つながり・ケア、のベストミックスを探っていくことが課題である。
(4)各グループからの意見・質問およびそれに対するコメント(概要)
上記の報告の後、ブレイクアウトルームによって6グループに分かれた意見交換が行われた。また、その内容が参加者によって投稿され、木村会員・石井会員のほか複数の参加者からそれぞれコメントがあった。
①意見「オンラインになり、評価については履修主義に引き戻された感が強い」について
<木村>
このことは日本の学校の基礎に、岩盤のような堅い学校文化があることを示しているように思う。また、高校レベルにおいてすら学校の機能として学力ではなく「居場所」機能が強く求められたこともこのことと関連があるのではないか。今後は、問題設定をこの岩盤のレベルまで掘り下げながら議論していきたい。
<石井>
高校における履修主義については、義務教育段階と高校教育段階を分けて考える必要があると思う。高校においては修得主義および機能分化が進むのではないかと思う。たとえば、高校多様化政策と連動して、それぞれの学校が学習機能、社会化機能、保護機能のいずれかを重視する方向が考えられる。そこでは、共通教養や普通教育をどう考えるかが論点になる。一方で初等中等教育において個別最適化が進むことが考えられるが、これは学校教育が商品化してきた結果ともいえる。かつて「学力」概念には認識の能力の意味が含まれていたが、今は商品化され、教科学習が矮小化されている。これに対して「学習権保障」を軸にすえながらリテラシーとは何かを議論することが重要である。
②意見「学校の境界線を緩めると今まで学習の場で救われなかった子どもが救われるのか疑問」について
<木村>
これはまさに夜間中学校が抱えてきた問題でもある。夜間中学校は境界線にある学校だが、ここで子どもの学習権保障を担った先生たちがなるべく多くの子どもを包摂しようとすると、従来の「学校」の境界線が緩むことになる。こうした状況を、夜間中学校の先生たちは「なくてはならないがあってはならない学校」として反省的にとらえていたという事実がある。
③質問「オンラインを活用するにしても、個々の子どもに「最適な学び」かどうかの判断をAIがせずに教師がするということが学校の存在価値として必要だと思うが、AI以上の判断をするには教師には何が必要なのか」について
<石井>
つまずきの原因やその意味を解釈するのはAIでは難しい。本当にしんどい子については、ともに生活する大人としてなぜそのように答えたのか、その意味を生活の文脈のなかでとらえることが何よりも重要である。またそれは教師しかできない。
<木村>
個別化が強く意識されたのは大正自由教育の頃からだが、そのときの夢である「かけがいのない子ども」一人ひとりに合う教育が可能になったことが問題を複雑にしている。生活教育や綴り方、たとえば、共同の生活の文脈の中で生み出されるコミュニケーションや創造物は個別化とは異なる位相をつくっているが、そうした教師と子どもの関係じたいが重要である。
④質問「学校では学び・つながり・ケアのベストミックスが重要との提案だが、ベストミックスされた学校のデザインとは具体的にはどのようなものか」について
<石井>
結論からいえば、このかんスリム化されたのは主に知育であり、徳育はむしろ肥大化してきた。逆につながりの上に学びを保障していく日本の伝統を大事にすべきではないか。ただし、その際、集団の同調圧力を避けるためにも異年齢集団など、所属する集団(ホーム)を複数化していく必要がある。複数のホームができることで共感やケアの集団の風通しを良くすることができる。また一方で学校化された社会をどのように組み替えていくのか、社会活動への参画を仕組んでいく工夫も必要である。
⑤質問「むしろ子どもたちは、同じ内容を同じ方法で学び、集団準拠で相対的に評価されることを望んでいるのではないか。子どもたちのなかに履修主義に対する根源的欲求があるのではないか」について
<複数の参加者より>
・大学の附属中学では普通の公立中学校以上に進学欲求が強く、相対評価に適応している。また公立中学校でも塾に行っている子どもは集団準拠への欲求が強いが、一方で塾に行けない子どもは異なる。今後の課題は、目標準拠評価と個人内評価を融合させた新しい評価に教師や子どもの意識を変えていくことではないか。
また、高校入試も大学入試も選抜重視になっており、キャリア教育に向けた豊かな接続を考える必要があるのではないか。
・データを詳細にみると、大学入試の選抜性はかつてに比べて低下している。難関大学を目指さない一般的
な高校生は、かつてほど大学入試を意識して勉強していないが、この事実はまだよく知られていない。実際、難関大学以外であれば、大学で自分の学びたいことを学べることが可能になっており、進路指導を変えていくことも重要なのではないか。
(5)まとめに代えて
これまでの議論を振り返り、話題提供者からまとめに代えた発言があった。要旨は以下のとおりである。
<木村>
AIとの関係でいうならば、一例をあげれば、一人ではたどれない多様な思考や多面性をもった問いと答えの関係に重きを置いた東井義雄の実践のなかにうかがわれるのではないか。教師と子どもでつくる練り上げ授業にもう一度着目することは意味があると考える。その価値についての具体的な検討は、教育方法研究に携わる方がたのなかでもより深めるべき課題として残っているのではないか。
<石井>
だれにとって最適か、最適かどうかをだれが判断するのかという問いがあったが、AIの場合、視野の外部が見えないことが一番問題である。ある種の同調圧力や学習観の分断があるなかでは、視野の外部を見せていくことが公共性であり、公教育や専門職である教師の役割である。授業論でいえば、発問とは指さしであり、指さしとは子どもが認識している外部を指さすことである。この指さしによってゆさぶることが練り上げ型授業のエッセンスである。外部を指さすという意味でも、練り上げ型授業の価値は大きいのではないか。
記録・構成:斎藤里美(東洋大学)
【公開シンポジウム】
「教員養成学」をいかに構想するか
シンポジスト:
弘前大学教育学部における『教員養成学』の取組みの展開と現在
福島 裕敏(弘前大学)
宮城教育大学における『教授学』の伝統を『教科内容学』構築に生かす
吉村 敏之(宮城教育大学)
授業における『事実』からスタートする教育実践
三井 雅視(宮城教育大学附属小学校)
司会・コーディネーター: 本田 伊克(宮城教育大学)
(1)企画趣旨
本シンポジウムは、大学において、教育の科学的知見に裏打ちされた「教員養成学」をいかに構想していくかをテーマにしたものである。
全国の教員養成系大学・学部が置かれている厳しい状況のもとで、大学の研究領域としても、学部・大学院・現職教育向けの教育内容としても、教員養成の学を構想し展開していくことが求められている。大学において、学問に裏打ちされた教員養成を堅持していくために、どのような制度的・理論的・実践的な展望を見出すことができるか。3つの報告とフロアでの議論を通じて確かめることをねらいとして、シンポジウムを企画した。
(2)第1報告の概要
福島裕敏氏(弘前大学)の報告は、現代の教師教育政策とそれと連動した国立教員養成大学・学部改革をめぐる動向を踏まえて、《教員養成学》の今後の方向性について考察するものであった。
今日の教師教育改革は、単なる教師教育の問題にとどまらず、これまでの学校・教員のあり方からの大きな転換を謳う改革動向の中に位置づくものである。
2015年12月に「これからの学校教育を担う教員の資質能力の向上について~学び合い、高め合う教員育成コミュニティの構築に向けて~(答申)」が出され、さらに、「チームとしての学校の在り方と今後の改善方策について(答申)」「新しい時代の教育や地方創生の実現に向けた学校と地域の連携・協働の在り方と今後の推進方策について(答申)」という二つの答申が出された。これに続いて、2016年12月の「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について(答申)」が出される。
こうした一連の答申は、「効果指向主義」(久冨善之編『教師の専門性とアイデンティティ』勁草書房、2008年)において教師の専門性を位置付けようとする動きをさらに進めるものである。効果指向主義とは、行政等が策定する指標と官制の研修ネットワークのもとに「学ばせ続けられる教員像」を実現すべく、学校教員の専門性・専門職性のあり方、特にその養成・研修のあり方を改革しようとするものである。
また、戦後日本の教員養成の原則とされてきた「大学における教員養成」の意義、特に目的・計画養成を担う機関として位置づけられてきた国立教員養成大学・学部の意義や役割が、教員の専門性の基盤の再編を伴いつつ、再定義されている。
2012年6月の「大学改革実行プラン」、2013年11月の「国立大学改革プラン」などの高等教育改革の流れにおいて、2017年8月に「教員需要減少期における教員養成・研修機能の強化に向けて-国立教員養成大学・学部、大学院、附属学校の改革に関する有識者会議報告書」が出された。
有識者会議の報告書は、国立教員養成大学・学部の「専門職大学」化を狙うものである。また、大学教育において保障される教員養成の知識基盤を、英国の教育社会学者バーンスティンのいう「個別学モード」から「領域学モード」へ、さらには「一般スキル・モード」へと転換させることを意図するものである。つまり、個別の学問分野を学んで専門性を高めるのではなく、教育実践における必要性に即した教員養成の文脈に学問を組み換えようとする方向への転換である。だが、こうした動きは教育の複雑さの理解と批判における研究基盤を弱体化させかねないものである。
弘前大学教育学部は、《教員養成学》を「教員養成学部における教育と研究の総体を不断に検証することを通して、教員養成活動の質的改善に資することを目的とした学問である」(遠藤孝夫「『教員養成学』の『学』としての独自性と可能性」『《教員養成学》の誕生』東信堂、42頁、2007年)とする。それは、1970年代の宮城教育大学における教員養成改革の指導理念というべき「大学が教員養成に『責任』を負うという自覚を継承する学問」(同上45頁)として構想されたものである。
弘前大学教育学部の《教員養成学》は、教員養成カリキュラムと組織体制について、「臨床の知」と「協働的アプローチ」をもとに研究をおこない、教員養成学部の「統合の軸」として、教員養成の実践とその学問研究との有機的連関をもたらし、教員養成と如何に向き合い如何なる教育を実践していくのかの「決断と選択」をおこなっていくこと(59頁)を目指すものである。現在も、教員養成カリキュラム・組織のあり方を、データの蓄積とそれに基づくモノグラフの積み上げを通じた効果検証によって見直し続けている。
(3)第2報告の概要
吉村敏之氏(宮城教育大学)の報告は、宮城教育大学の「教授学」の展開と深化について紹介するものであった。
宮城教育大学の教授学は、林竹二学長のもと、1974年に設置された授業分析センターを拠点として展開していく。「授業分析センターの設置経過とその仕事について」(「宮城教育大学広報」24号、1974年7月5日)では、「教授学の位置と役割」が5つ示されている。なかでも、「教育内容と教育方法を分離しないで統一して扱おうとする」ものとし、従来の教育方法学と区別する点に特徴がある。さらに、教師の授業実践における知見が重視されている。「教師という授業の実践者は授業実践をつみかさねるなかで、経験的に授業についての知見をつくりだしている。それは個人レヴェルでも蓄積され、日本の授業実践史としても蓄積されている。その知見は教授学以前と呼んでもよいし、まさに現段階の教授学の核であると云ってもよいのである。実はそういう知見のエラボレイトと体系化こそが教授学なのである。教授学が臨床の学に比せられるのはそういう意味なのである。教授学の展開は、授業の創造過程のなかで、実践者自身と研究者との共同による知見をどれだけたくさんつくりだすか、そしてそれを整理し系統づけていくかにかかっているのである。」という。
「教授学」研究を先導したのは、高橋金三郎であった。高橋は、教授学を「子どもにとって最高のものを、どうかして身につけさせたいと願う教師の生んだ工夫の数々をまとめた技術学」として、8つの原則を示した。(「おせわになったひとたちに」1980年)
1.教授学の対象とする授業は学校教育の一部であり、土台である。
2.授業の事実で実証されたときだけ「教授学」が成立する。
3.教授学は高い内容・すぐれた教材の勉強方法である。
4.教科に即して教授学が生まれ、教科を超えて、教授学が成立する。
5.「これだけは」と願う、教師の地味な工夫の集積が教授学をつくり出す。
6.「教師」を離れた教授学は存在しない。
7.間断のない自己否定の過程が教授学である。
8.子どもがどう変容したか、どう進歩したかどうかだけで授業の効果が判断される。
「すぐれた教材解釈のない『教育方法』は子どもと教師をだめにする」という高橋は、「高いレベルの教材」と「高いレベルの教材解釈」を追求した。
高橋を中心に展開した「教授学」は、本間明信によって深化した。授業分析センター草創期から「教授学」研究を進めてきた本間は、子どもの学習の事実をふまえた「高いレベル」の教材開発と教材解釈による授業プランを多数提案してきた。
例えば、「3.14」という数値を覚えて済ませがちな円周率の学習を、「円周率とは何か」という概念の獲得を目標とする。「この世にあるまるいものから円を抽象する。円周という概念を形成する。『直線』と『曲線』との矛盾、これが実際の計測の過程にあらわれ、子どもたちが経験することになる。具体的な『まるいもの』から円と円周を抽象できるようにする。」という。発案のきっかけは、ある小学校での授業で、子どもたちが円周の長さの測定に非常に困っている姿を見て、「円の学習の本質的な意味があるに違いない」と思ったからである。「丸い長さを直線へと考えていかなければならない、もしくは直線でしか考えられなかった長さを丸いものにまで、拡張しなければならない。この拡張は、ルベーグの積分論に行きつく」。ルベーグを調べると、直線と曲線の問題は数学の世界でも未だ完全な解決をみていないことがわかる。子どもたちの苦労は「まったく正当なこと」と認め、具体的な課題を解決する作業を考えた。(「教材開発の原則―『円周率』の学習プラン」『宮城教育大学紀要』第44巻、2010年)
高橋・本間の研究と実践は「極地方式研究会」で蓄積され、宮城教育大学は今後、「教科内容学」を軸にした教員養成の学を構築していく際に活きる財産である。
(4)第3報告の概要
三井雅視氏(宮城教育大学附属小学校)からは、子どもたちの「問い」をどのように生み出すか、また、その「問い」から生まれる様々な表現をどのように関連付け、明確に捉えさせていくかをテーマにした日々の授業づくりについて報告があった。
三井氏の授業からは、子ども、教師、教材の生き生きとした関係が実現している「事実」を感じ取ることができる。三井氏は教育内容・教材の系統や授業展開の筋を深く豊かに押さえつつ、授業のどのような場面で、どのような子どもの発言やつぶやきを拾い上げ、つなげていくのかを常に意識している。
小学校第3学年の算数科で「ジュースが0.5L、そのうち0.2Lを飲みました。ジュースは何L残っていますか」を考え合う場面が紹介された。子どもたちはマスの図、数直線、位の部屋の図などを使って答えを出していく。
子どものなかに、先に5-2=3と計算し、その後に0と「.」をつけた。これまでなら、ただ0と「.」をつけるだけではだめだという考えをもとに、0.1のいくつ分を意識させていた。だが、三井氏はこの子どもの計算の仕方でさらに話を進め、1-0.1を考えさせる。0.1の0と「.」をとって「1」とし、1-1=0だから、1-0.1=0.0などと言うと、子どもたちが「1が10になる」という発言が出てくる。そこから、1は0.1の10個分だということにクラスの皆が気づいていく。この展開を選ぶ判断は、クラスの少なくない子どもが1が0.1の10個分であることをしっかりとは理解しておらず、機械的に計算をして結果が合っていればよしとしてしまうと、さらに小数の桁が増えたときに困難に突き当たるという見通しがあった。
教師の予定通りに授業が展開することはほとんどない。子どもの思わぬ反応に戸惑ってしまったり、予期せぬところで子どもたちが活発に動き出して授業が盛り上がったりすることがしばしばである。授業のそのような場に立ち会うたびに、自らの教材研究や子どもたちの見取りの甘さを実感する。しかしそれと同時に、授業という営みの面白さや深さも感じている。このことを、三井氏は、授業の中心が、子どもに教え、ともに考えるなかでわかってくると表現する。
(5)質疑応答および主な論点
質疑応答では、教員養成学と教育学の関係について質問があった。教員養成系大学・学部が置かれた危機的状況のなかで、大学の存亡をかけて教員養成の学を新たに打ち出すことによって、教育学が細分化し、教育を研究する学問的基盤をさらに弱らせてしまうのではないかという懸念も含まれていたように思われる。福島氏からは、教員養成を大学において担うだけでなく、教育学をはじめとする様々な学問領域の教員が研究・教育組織においても、カリキュラムにおいても連携することで、学問に裏打ちされた教員養成という使命を大学が担っていくべきだという考えが示された。
宮城教育大学の教授学と教科教育との違い、教授学が解明しようとした知見とPCK(Pedagogical Content Knowledge)との違いについても質問が出された。吉村氏からは、教授学は直接教科の教材研究を担うものではなく、特定の教科の教材あるいは授業場面を事例として、授業における教材を媒介にした子どもと教師の関係性や、授業展開のなかで教師が直面する問題とそれに対する判断、その根拠を典型的なかたちで明らかにするものだという応答があった。
三井氏が報告した授業実践は算数教育の見方を深めるものとしても検討される価値があるものだが、宮城教育学が教授学の伝統を引き継いで今日的に探究していくべき授業の「事実」を示すものであるようにも思われた。
(文責:本田伊克)