テーマ:「はたらくこと」をめぐる教育目標と評価
開催日時:2018年6月9日(土)14:00~16:30
於:京都府立大学 稲盛記念会館
報告者:
斎藤 里美(東洋大学文学部教育学科 教授)はたらくことの意味 ―若者にどう伝えるか―
井沼 淳一郎(大阪府立堺東高校 教諭)
高校生アルバイトは、どのような《社会的存在》になりえるのか―雇用契約書をもらう授業を通じて―
西岡 加名恵(京都大学大学院教育学研究科 教授)
職業教育におけるパフォーマンス評価
―看護教育を中心に―
司会:鋒山 泰弘(代表理事/追手門学院大学心理学部 教授)・田中 容子(京都大学大学院教育学研究科 特任教授)
コーディネータ:斎藤 里美(東洋大学文学部教育学科 教授)・西岡 加名恵(京都大学大学院教育学研究科 教授)
2018年6月9日(土)14時から京都府立大学 稲盛記念会館において、約50名の参加者を得て中間研究集会が開催されました。当日の概要をご報告します。
1.開会挨拶(代表理事:木村元氏)
テクノロジーの発展、グローバル化の進展、あるいは少子高齢化の進行といった人類史的な社会変動の中に、今、私たちはいる。これらは教育の根幹とも深く関連している。学校教育で何を教えるのか、何を目標とするのかが改めて問われている。この中間集会のテーマである「はたらくこと」は、このような社会変動の中での教育の問題を考えるうえで欠かすことのできない議論のひとつである。そして、このテーマは、本学会の三十周年史の柱立ての一つとなっている。本学会は、来年2019年に三十周年を迎え、記念誌の刊行を予定している。その一環としても、活発な議論が展開されることを期待している。
2.報告1「はたらくことの意味―若者にどう伝えるか―」(報告者:斎藤里美氏)
斎藤氏は、「はたらく」というテーマにかかわって、教育と職業世界との関係についての原理的な報告をおこなった。
まず、「はたらく」ことの3つの側面(Labor:労働、Work:仕事、Action:活動)についてハンナ・アレントの定義を引用して説明があった。本発表では、とくに「労働」と「仕事」について取り上げおり、これらの違いは有意味性にあるという。そして、単なる「労働」に見えることでも、そこにいかに社会的意味を見いだし「仕事」に変換していくかが重要であるが、斎藤氏は、人工知能の汎用化やAIの普及による職業世界の変容により、「はたらくこと」のなかに有意味性を見出すのが困難になってきていることを指摘した。
学校教育のなかでも、近年、教育と職業世界との接続が重要な問題として認識されている。斎藤氏は、まず文科省が推進している「キャリア教育」を提示し、その各教育段階での目標や活動例の紹介をおこなった。次に、小・中学校や高校普通科だけでなく、多くの大学でも行われている事例の一つとして、高等教育段階におけるPROGテストの活用が紹介された。(このPROGテストは、RIASECの松村直樹氏が開発したもので、経産省の社会人基礎力や文科省の学士力と対照させて、大学教育で育成する資質・能力を定義している。)
このキャリア教育について、斎藤氏は教育社会学者の本田由紀氏の次のような主張を引用し、紹介している。本田氏は、多様な意識調査を参考にしたうえで、キャリア教育は、「むしろ若者の不安や混乱を増大させてきた可能性が高い」、「進路に関する責任を若者自身に投げ出すことに終わっている」と批判している。したがって、本田氏は教育における職業的意義を回復していくためには、「職業的世界への『適応』のための教育」と「職業的世界への『抵抗』のための教育」の両者が必要であると提案している。
この本田氏の主張に対して、斎藤氏は「『適応』と『抵抗』だけでは還元されえない問題が新たに生じてきているのではないか」として、「労働」に意味を付与し「仕事」とするための教育のあり方について新たな提案を行った。斎藤氏は、「はたらくこと」と「あそぶこと」の併行や往還することが重要であるという。このことをとおして、自分自身の「はたらく」という行為を客観化したり相対化したりできるようになる。そのため、学校を「あそぶ」場として復権していくという考え方が必要ではないかと提起する。そして、「学校から職業への移行」ではなく、「教育と就労の往還」という捉え方に変える必要性があるともいう。ここでDegree Apprenticeshipというイギリスの見習い学位の事例を挙げ、教育の側から新たに労働市場を組み換えていく可能性について言及した。
3.報告2「高校生アルバイトは、どのような《社会的存在》になりえるのか―雇用契約書をもらう授業を通じて―」(報告者:井沼淳一郎氏)
高校社会科教員の井沼氏は、自身が前任校で行った「労働」にかかわる授業実践を紹介された。それは、井沼氏が2007~2009年の3年間にわたって、高校3年生の2単位の現代社会の授業で行ったものである。生徒の進路としては、3~4割が就職、2~3割は何も決まらずに卒業していくという。授業をするのにも一苦労するような、いわゆる教育困難校である。井沼氏は、このような生徒たちに対して、①生きていくために必要な知識を教えること、②使える知識として教えること、③協同的な学習集団づくりをすること、に重点を置いて実践をおこなってきたという。
まず井沼氏は、高校生のアルバイト経験に着目している。前任校では、3年生の8割にアルバイト経験があったという。そこには、アルバイト先で都合よく働かされている高校生の姿があった。他方で、労働に楽しさや喜びを見出している生徒がいた。井沼氏は、単に社会に抵抗する知識を教えるのではなく、「彼らの労働が生み出す価値と文化を正当に評価する(言語化する)指導をおこない、高校生がまっとうな労働者として労働の世界に参加していけるようにすること」が大切だと気づいたと語っていた。
つぎに、井沼氏は3つの授業実践を生徒のレポートにもとづいて、説明された。
一つ目は、アルバイト先から雇用契約書をもらってくるというもので、このことを通じて高校生をまっとうな非正規労働者として捉えることを目標としている。生徒が働かされる存在から働く存在へと大きな変化があったことが語られた。また、単に契約書をもらうだけではなく、契約書を理解するためのスキルを身につけることや、グループ学習等を通じたネットワークの形成のための活動も意識的に取り入れていた。
二つ目は、労働基準監督署に赴くことや労働組合について学ぶことを通して、労働基本権をはじめとする憲法に保障された集団的権利の主体に高校生を育てるという実践である。
三つ目は、アルバイトで一緒に働いている人へのインタビューを行ったという実践である。ここでは、市民的協同とつながって、社会に批判的に参加し行動する高校生を育てていくことを目指したという。生徒のレポートで、高校生が店長や他の社員と対等な立場で労働条件について話し合ったり、労働をどう改善するかの提案まで考えられるようになったりする姿がみられ、成長があったことがよく分かった。
最後に、現在井沼氏が勤務している高校での取り組みの紹介があった。そのなかで、高校生が抱えるアルバイトや奨学金の問題の背景には、子どもの貧困、そして貧困の連鎖があることを明らかにした。
4.報告3「職業教育におけるパフォーマンス評価―看護教育を中心に―」(報告者:西岡加名恵氏)
本発表で西岡氏は、職業教育に焦点を合わせ、主に看護の専門学校での教育実践についての報告をおこなった。まず、実践をみていくための視点として、パフォーマンス評価を軸にしており、「パフォーマンス課題」、「逆向き設計」論、「本質的な問い」などが重要であると説明があった。
西岡氏が今回、事例として紹介された「あじさい看護福祉専門学校」では、もともと「逆向き設計」だと捉えられるような実践が行われていたという。その実践の中で、主に①1年次のオリエンテーション、②講義・演習、③現場実習での課題やそれに対する学生のリフレクション等が報告された。
たとえば、①1年次のオリエンテーションでは、看護という仕事に求められる力量を理解させることに主眼が置かれているという。実際の授業では、ナイチンゲール伝を読んだり、「プロフェッショナル」のビデオ鑑賞を行う。また、初めての臨地実習で看護師として自らが最善を尽くしてできることを資料にするという課題が出されている。この課題を通して、ある学生は、より具体的に看護職をイメージできるようになったことがレポートに示されていた。
②講義・演習については、単に必要な知識・技能を機械的に身につけるのではなく、具体的な場面で活用できるような課題が提示されていた。とくに「清拭」(患者の身体を清潔に保つために行う看護の重要なケアの一つ)については、実際に近い状況設定をして、そのなかで適切な判断・行動をしてできるかどうかのロールプレイが行われている。
③現場実習では、「臨床の現場で刻々と状況が変わるなかで、患者さんの安全・安楽・安寧・健康に少しでも役立つために、臨機応変に対応する」ことが、1~3年の様々な実習の場面で繰り返し目指されているという。現場実習の具体的事例として、3年生の周手術期看護実習に関する準備や検討会の様子が紹介された。さらに、現場での実習後、実習中の自らのふるまいについて振り返って残った課題を探究する「看護の創造」という機会も設けているという。
最後に、上記実践の理論づけとして、次の3点がまとめられた。一点目は、職業教育の場合は、学校のミッション、個人のビジョンを明確にすることが重要であるということ。二点目は、職場で必要となる力量を身につけさせることを見通したカリキュラムのあり方として、「本質的な問い」の入れ子構造をふまえた、真正性の高いパフォーマンス課題を全体と関連付けて考え、あるいはポートフォリオで見通しを持って目標・評価を設定していくことが妥当であること。三点目は、「清拭」の本来的な役割を忘れず実践できることや「看護の創造」による実習の客観化は、「[既存の]職業世界への『抵抗』のための教育」として評価できること。
5.議論
参加者からは、井沼氏に対して「高校生のやりがいの搾取に対して雇用契約書をもらってくるだけでは不十分ではないか」、斎藤氏に対して「観光客的あり方をどう理解すればよいのか」、また各発表者に向けて「労働に対して正当な賃金が支払われているとはいえない現状をどう考えるか」などの質問が出された。
さらに、全体を通じた論点として、参加者から「就職ではなく、就社という日本での労働の特殊性から『はたらくこと』の概念を考える必要があること」、「学校が個人を育てて送り出すだけではなく、人と人との繋がりの中での労働や福祉、生活の場としての多様な側面をもって、人間性や市民性を養う教育を行っていくことの可能性を検討すること」、「学校教育のなかだけでなく、広い視野でこの『はたらくこと』に関わる問題を捉え、教育のなかで位置づけていく必要性があること」などの意見が表明された。
ここでの議論を通して、発表者それぞれが最後にコメントをしている。西岡氏は、「やりがいを持っても搾取されやすいというジレンマがあったり、やりたい仕事や健全な労働環境のなかで働けるとも限らないという厳しい現実がある。そのなかで、目標・評価をどう考えていけるのか、引き続き検討していきたい。」と述べた。井沼氏は、現職で働く教員という立場から「社会的弱者になることが目に見えている生徒に対して何かしてやらなければ、という目先のところで目標を考えてしまっている。けれども、学校や学習指導要領の枠に縛られずに、教師自身が社会をどう変えたいかという目標づくりにこそ意味があったと考えている。若い教師にこれをどう伝えていけるのか悩ましい。」と感想を述べた。斎藤氏は、「長い人生にとって『学校から職業への移行』という考え方だけでは、学校で学ぶ意味が薄れていくのではないか。むしろ、学習と労働を往還しながら生きていくことが標準になっていくと考えている。教育の側からの労働社会の組み換え、新しい労働社会をつくるという発想で教育学を再構築していくことが必要ではないか。」と述べ、これからさらに議論を深めていくことを期待した。