テーマ:
教育目標・評価研究の視点から過去を振り返り、
未来を見据える
開催日時:2022年6月18日(土)10:00~12:00
於:オンライン
登 壇 者:田中耕治会員(元学会代表理事、
佛教大学客員教授、京都大学名誉教授)
コーディネーター・司会:
本田伊克(宮城教育大学)・二宮衆一(和歌山大学)
2022年6月18日の10:00から12:00、オンライン開催で行われた中間研究集会には、80名弱の参加者があり、これはここ数年で最も多い参加者数でした。
今年度の中間研究集会は、教育目標・評価学会(以下、本学会)のこれまでの歩みについて確かめ、今後の展望を探るという趣旨で、本学会創設からの経緯に関わってこられた田中耕治会員に講演を頂くことにいたしました。田中会員は、1990年の本学会創設時に幹事(事務局員)、その後理事を経て、2002年に代表理事を務め、2009年に開催された第20回大会を主催するなど、本学会に多大なる貢献をしてこられました。
中間研究集会は二宮衆一会員の司会で進行しました。「教育目標・評価の視点から過去を振り返り、未来を見据える――教育目標・評価学会創設の頃とその後――」と題された田中会員の講演は、前半部と後半部の二部構成でした。
前半では、本学会創設と第1回大会の事実経過について、史料と写真を用いながら語って頂きました。後半は、創設時に本学会で議論になったことと、第20回大会までの本学会の歩みについて、ご自身の研究歴も含めつつお話がありました。さいごに、本学会の今後への期待についても語って頂きました。以下に、田中会員の講演の要旨をご紹介します。
1.教育目標・評価学会の設立とその性格
本学会は1990年の設立時、会員95名で発足しました。設立趣意書には、学力ということばは使われていません。本学会は、学力研究に収斂することなく、学校教育自体を歴史的・社会的な視点から研究していこうとする意図があったということです。
設立発起人24名のうち、16名が到達度評価研究会の関係者であることからもわかるように、本学会は到達度評価研究会を母胎として発足しました。しかし、学会の名称を到達度評価学会とはしませんでした。到達度評価論者の会ではなく、到達度評価に関心を持つ研究者や実践家が結集する人々の会にしたいということ、また、民間の運動体(到達度評価運動)とは異なり、学会であることを明確にする意図もあったそうです。
本学会設立から間もない頃は、京都大学と一橋大学との往復で運営を行っていました。こうしたなかで、教育方法学研究(比較教育的アプローチ)と教育の社会・政策研究(教育史的アプローチ)の交流・共同も育っていきました。この時期には、教育に関わる既存の学会の在り方を問い直す動きが起こり、新しい学会が多く設立されました。本学会は、教科を軸にせず、評価を軸にすることで、異なるアプローチの研究者、実践者の共同研究も生まれやすい特徴を持つに至りました。
2.田中耕治氏の教育評価論の歩みと教育目標・評価学会
田中会員は、教育目標・評価研究を教育評価論から探究していくアプローチを開拓していきました。実践と制度を含む評価研究から目標論を問い直す方略によって、教育目標・評価研究を切り拓いてきたのです。その成果は、『教育評価』(岩波書店、2008年)、『教育評価研究の回顧と展望』(日本標準、2017年)として公刊されています。
田中氏の研究は、中内敏夫氏の到達目標論にも触発されて展開しました。
中内氏は1983年に行った講演で、到達度評価は生活綴方の正統な嫡子であるという説を打ち出しました。中内氏は、青森県下北半島の住民運動に学び、「還元」を教育目標として見出しました。教師が教育目標を地域住民とともにいかに作り変えるか。中内氏の教育目標・評価論は、この点を追究するものでした。
田中氏によれば、中内氏の教育目標・評価論は、タイラーの教育目標論から、教育および教育評価におけるリアリズムへの転換を示すものでした。中内氏によって、タイラーが提起した「教育目標」概念から「到達目標」概念が転生したこと、また、「学力」と「教育目標」が構造上同じ概念であることに気づかされたということです。
そして、第20回大会への中内氏のメッセージ「教育の目標研究と評価の研究は不離一体」、「学会は目標・評価を研究するとしているのですから、この目標研究に力を注がなくてはなりません。目標研究の中心は、なにを子どもたちに教えねばならないのかということだと思います」が披露されました。
3.教育目標・評価学会の課題と期待するもの
田中氏は、本学会20周年を記念する『「評価の時代」を読み解く―教育目標・評価研究の課題と展望(上)(下)』(2010年12月、日本標準)の「序章 教育目標・評価研究の20年」で、次の点について論を展開しました。1.教育目標論の探究と深化。2.「学び」論から「学力」論への転換とその吟味。3.拡大・強化される「学力調査」の分析。4.新たな教育評価論の模索。以上の4点です。
2007年に改正された学校教育法では学力の法律規定がなされました。田中氏は、本学会としてこの動きに対して態度表明できなかったことを反省点として挙げられました。
最後に田中会員からは、本学会への期待が述べられました。まず総論として、
学会員の目標・評価研究を洗練(リファイン)するために、成果をレビューする努力をしてほしい。
大会の持ち方、紀要や査読の在り方など、学会の在り方自体をオープンに議論してほしい。
教育現場の喫緊課題から逃げずに、目標・評価論のアプローチの強みや固有性を発揮/洗練してほしい。
会員外の目標・評価論に関心を持つ研究者や実践家を糾合する努力をしてほしい。
次に、目標・評価論の課題として、
スタンダードは必要か。必要であれば、いかなるスタンダード(common)が必要で、その根拠は何か。
教科とは何か。教科の存在根拠や意義は何か。どう編成されるべきか。
就学前、初等、中等、高等の学校階梯に応じて教育目標の発達の節をどう編成するか。
いわゆる情意領域の目標と評価はどうするのか。
芸術分野や教科外教育における目標・評価の在り方の探究。
最後に、教育評価の課題として、
質的評価論をどうみるのか。
自己評価論の探究。
授業に生きる評価のあり方。
評価の制度はどうするか。
教育評価論の原理的探究(諸外国の研究成果を吸収)。
以上多岐に渡って、本学会への期待が述べられました。
4.質疑応答から
質疑応答の時間では、会員から田中報告の内容について、さらに聞きたいこととして様々な質問が寄せられ、田中会員から応答がありました。以下、質問と田中会員の応答を簡略に紹介します。
・1990年の学会の設立趣意書には、「学力」ということばを入れていないということについて、学力に対する考察を抜きにした教育目標・評価研究はあり得るのか。
――当時、近代学校を相対化することも必要であるという認識があり、こうした観点から教育目標・評価研究にアプローチする研究者などにも会員になってほしいということがあったのではないか。
・1990年の第1回大会で、学会からの実践者離れの問題が指摘されていたという話だったが、現在の学会においても課題となっているこの点についてどう考えるか。
――学会からの実践者離れということでも、当時とは時代状況も異なるところはあるだろう。いまは、教育現場の日常に入り込んでいる政策とどう向き合っていくか、教育目標・評価について上から押しつけられたものをただこなすのではなく、学問的な視点から現状を問い返し、作り変えていこうとする機運をいかに生み出していくか。こうしたことが、本学会を含め、教育に関わる学会が抱えている課題ではないか。
・教育現場が日常的に抱えている課題に学会はどう応答できるか。小学校、中学校など、それぞれの学校段階ごとに目標・評価に関する課題提起や方法論の提案をさらに行っていく必要があるのではないか。
――ポートフォリオ評価法などもかなり教育現場に浸透しているが、それぞれの学校段階でどのようなかたちで取り入れていくかをさらに検討していくことで、目標・評価に関わる教育現場の課題に応答していくことになるのではないか。
・選抜システムについて現時点でどのように考えているか。教育目標・評価論としてどのようにアプローチしていけばよいか。
――相対評価もまだ残ってはいるが、指導要録の総合評定欄も含めて目標に準拠した評価に移行した現在、突破しなければいけない課題は、基準性の確保をどのように行っていくかである。テレビ番組で発言する機会もあり、内申書についても述べている。目標に準拠した評価に移行してから、主観的な評価に基づく内申書になってしまっており、相対評価のときの方がよかったのではないかという声も聞かれる。だが、ルーブリックやポートフォリオ法などの適切な開発と活用など、基準性の確保を行っていくことができるのではないか。
また、大学入試の在り方、大学入試改革をめぐる議論に学んでいる。文部科学省による大学入試改革の失敗をどのように考えたらよいのか。マーク式のテストに単に回帰すればよいということにはならないはずで、文部科学省が記述式の問題を全国的な試験(大学入学共通テスト)に導入しようとしたことを、教育目標・評価論としてどう考えるかということが課題であろう。
競争的な教育を生み出している選抜システムと、評価の対象となる教育の中身を同時に変えていかなければならない。この点について議論できるのは、教育目標・評価学会のみではないか。
・「学習評価」と「カリキュラム評価」とは相似形であると考えてよいか。ブルーム・アイスナー問題が指摘されているが、ブルームとアイスナーそれぞれにおいて、評価の階層性はどのように捉えられているか。あるいは、タイラー・アイスナー問題と捉えるべきか。
――ブルームは授業論、アイスナーはカリキュラム論に軸足があると言われる。しかし、ブルームは自然科学的な分類学の発想、アイスナーは考古学的な類型学の発想に基づいて教育目標・評価を考えている点に違いがある。ブルームの師であるタイラーも数学の教師であったし、メジャメントについてもよく理解した上で、教育測定から教育評価への転換を図っていた。このあたりの問題は、研究を切り拓いていってもらいたい。
また、学習評価については、中内敏夫氏は否定的な考えであった。学習者に責任を被せてしまうものであり、求められるものは、教育を行う者の責任を問うために行われる教育評価であるという立場であった。
文部科学省も、学習評価にとどまらず、カリキュラム評価になっていかないとだめだという発想であり、学習者の責任に帰することなく、教育を行う側の授業、カリキュラム改善をどのように行っていくかという観点から考えなければいけない。
(文責:本田 伊克)