第24回大会(2013年11月30日~12月1日)
於:滋賀大学教育学部 石山キャンパス
学会第24回大会を終えて
大会実行委員長 岸本 実(滋賀大学)
2013年1月30日(土)12月1日(日)の二日間にわたり,10月桜(10月から2月頃まで咲く桜)が咲く晩秋の滋賀大学教育学部(石山キャンパス)において,教育目標・評価学会第24回大会が開催されました。天候にも恵まれ,スタッフを含め,93名の参加者が,課題研究,自由研究,公開シンポジウムのそれぞれの研究課題を深めることができました。参加の皆様に心より御礼申し上げます。
詳しい内容は別に記録で紹介されますが,私が伺うことのできた参加者からの声も含めまして,簡単に大会を振り返っておきたいと思います。課題研究,自由研究,公開シンポジウムの3つのプログラムともに充実した内容となりました。登壇いただいた会員,司会やコーディネーターなどをしていただいた会員を始め,質問や意見で議論を深めていただいた参加者の皆様に重ねて御礼申し上げます。ありがとうございました。
1日目の午後の二つの課題研究は共に,学会の共同研究を基礎にした企画でした。学会を代表する会員に登壇いただいたことに加え,一定期間にわたる共同研究の蓄積に基づくことで,登壇者同士の議論もかみ合い,深まりのある内容となりました。課題研究Ⅰは,「新しい能力」に関する現代的な研究動向の最先端を扱い,課題研究Ⅱは,今日的な「階級・階層的不平等」という視点から,ポスト高度経済成長期の民間教育実践を振り返るという内容で,学会が取り組む課題の幅広さも感じました。
2日目の午前の自由研究は,共同研究も含め,13件の発表が寄せられ,分科会も4つといたしました。参加者が分散してしまうという傾向もございましたが,少人数でじっくり報告内容を検討し,議論しあうという当学会の伝統は生かされたと感じています。
2日目の午後の公開シンポジウムは,教科外教育や生活指導の分野での教育目標・評価論のあり方を,小・中学校の教育実践や戦後の研究の振り返りから学ぶという企画でした。今回のシンポジウムでは,海外の研究の最先端に触れることや,高等教育の議論とともに,実践的な内容で現場の教員とともに議論を広げ,深めることができることが重要と考え,滋賀や京都の近隣で実践を積み上げてこられた,川嶋稔彦氏(社会科の初志をつらぬく会)と藤木祥史氏(全国生活指導連絡協議会)の二人の実践者を会員外からのゲストとしてお招きし,教育実践から学ぶという企画としました。お二人の実践報告は聞くものに感動を与える報告でした。さらに,お二人の実践報告を受け,会員としてこの分野での教育目標・評価研究を長年積み上げてこられた河原尚武会員から報告いただき,司会の川地亜弥子会員から指定討論的な質問をいただきました。お二人の会員のまとめによりまして,教科外教育や生活指導の分野における教育目標・評価研究の意義と必要性を十分感じることができました。感動的な教育実践を学校全体に広げ,長く学校の文化として根付かせていくためにも,この分野での教育目標と評価の研究が必要だと感じました。今後,教科外教育や生活指導の分野での共同研究グループが立ち上がることも期待されます。
運営面では,プログラムに司会者のお名前を誤って掲載するという言い訳のできないミスがございました。実行委員長の責任として別途お詫びと訂正を報告させていただきます。実行委員会としましては,滋賀大学の川口広美事務局長と滋賀県立大学の木村裕会員の3人の運営体制を取ることができたことが成功にとって重要でした。前日や当日は大学院生や学生もスタッフとして動いてくれました。また,学会の幹事会からも,直接・間接に大会運営への支援を賜りました。この場を借りまして,再度関係の皆様に,御礼申し上げます。
以上,第24回大会のご報告と御礼を申し上げます。ありがとうございました。
【課題研究Ⅰ】
〈新しい能力〉の形成と評価―大学から社会へ―
報告者:
大学における学習成果としての能力とその評価―標準化への対抗軸―
松下 佳代(京都大学)
大学教育の社会的レリバンス―「社会人基礎力」のロジックの検討―
杉原 真晃(山形大学)
リテラシーをとらえる新たな枠組み―OECDのPIAAC―
樋口 とみ子(京都教育大学)
指定討論者: 山田 哲也(一橋大学)
司会:石井 英真(京都大学) コーディネーター:松下 佳代
OECDのPISAリテラシーやDeSeCoキー・コンピテンシー,経済産業省の「社会人基礎力」,文部科学省の「学士力」にみられるように,今日,ポスト近代社会を生きていくために必要な能力としてさまざまな〈新しい能力〉が提案され,その形成・評価のための政策や実践が展開されています。本課題研究は,義務教育段階から社会人一般にまで広がりをみせている〈新しい能力〉の形成と評価について紹介・分析し,批判的再構成の可能性を議論することを目的として設定されました。とりわけ,高等教育段階が対象とされました。
まず,コーディネーターの松下佳代会員から,これまでの共同研究の経緯と今回の趣旨が説明されました。その上で,松下会員,杉原真晃会員,樋口とみ子会員の3名から,それぞれの視点に基づく報告がおこなわれました。
松下会員からは,標準化を視点として,大学における学習成果としての能力とその評価の方法について報告がおこなわれました。これまで,標準テストへの対抗軸としてパフォーマンス評価などのオルタナティブ・アスメントが提案されてきました。そこでは,標準テストvsオルタナティブ・アセスメントという図式で整理されてきました。しかし,アカウンタビリティの要請の高まりとともに,標準化が強まり,その影響は,標準テストへのオルタナティブとして生まれたパフォーマンス評価などにも及んでいると松下会員は指摘しました。したがって,今日おこなわれているパフォーマンス評価には,「標準化を志向」するタイプと「標準化を否定」するタイプがあると再整理されました。前者の事例として,OECD-AHELOにおいてジェネリック・スキル(分析的推論・問題解決)の評価に採用されたCLAが紹介されました。この評価法は,パフォーマンス課題とルーブリック型の採点基準を使用し,同一の評価基準でおこなわれるものであると述べられました。後者の事例としては,AAC&U(アメリカ大学・カレッジ協会)によるVALUEプロジェクトが紹介されました。このプロジェクトで開発されたVALUEルーブリックは,各大学が文脈に合わせて,修正して使用するメタルーブリックであり,共通性と多様性の調停を図るものであると述べられました。しかし,各大学・学科・科目による修正が大きくなるほど,共通性が失われ,比較可能性が担保されなくなるという課題も指摘されました。このような動向・状況を踏まえて,そもそも多様性を許容しながら,比較可能性を担保することは可能か,そもそも,比較可能性を追求することに意味はあるのか,という問いがフロアに投げかけられました。
杉原会員からは,社会的レリバンス(社会との関連性)を視点として,大学教育で「社会人基礎力」を育成する意義(メリット),問題点(デメリット)とそれへの対応について報告がおこなわれました。まず,現在展開している社会的レリバンスとキャリア教育に関する議論を紹介し,そこで問われている「社会」や「キャリア」が「職業」(賃金労働)へ無自覚に読み替えられ,矮小化されていることが説明されました。杉原会員は,こうした読み替えは「社会人基礎力」の育成においても起こりうると指摘しました。その理由として,「社会人基礎力」の性格に関する以下の3点が説明されました。①知識内容を問わない「(活用)能力」であるため,どの知識内容(学問領域)にも浸透可能に見える。②「仕事」をどのように捉えるのかによって,「社会的」の対象領域をいかようにも伸縮できる概念である。③「基礎」をどのように捉えるのかによって,育成の対象領域をいかようにも伸縮できる概念である。杉原会員は,「社会人基礎力」の意義を生かすためには,その性格が内包する問題点を理解し,対策を打たなければならないと述べました。具体的な対策として,リベラルアーツ科目における実践性の回復,多様な学問領域を学ぶ教養科目の充実が欠かせないとしました。その上で,「社会人基礎力」育成を契機とした教養教育の再構築,FDの実施が提案されました。
樋口会員からは,リテラシーをとらえる新たな枠組みとして,OECDが成人を対象として実施したPIACCについて報告がありました。PIACCは,成人力の国際比較を目的としておこなわれた調査です。成人力とは,①読解力(literacy)/読解力の基礎的要素(reading components)②数学的思考力(numeracy)③ITを活用した問題解決能力(problem-solving in technology-rich environments)の3要素から構成されています。樋口会員は,PIACCのリテラシー概念の特徴を,PISAリテラシーとの違い,他の成人対象調査(ALL,IALS)との関係から説明しました。PISAリテラシーとの違いについては,デジタル・テキストを多用していること。自分自身の見解を述べるよりも,テキストの外部から知識やアイディア,価値を引き出すことが重視されていること。コミュニティ・社会に関する内容よりも私的状況を問う質問が多いことが指摘されました。その上で,扱われているリテラシーの範囲について,教科横断的にとらえるPISAに対して,PIACCは読み書き領域に限定してリテラシーをとらえていると説明しました。これらを踏まえて樋口会員は,PIACCリテラシーの特徴について,以下のように指摘しました。まず,読み書きに取り組む能動的な「態度」や「意欲」が重視されていることです。そして,情報化への対応として,デジタル環境のなかでリテラシーの意味を拡大させていることです。こうしたPIACCのリテラシー概念の背景として,知識基盤社会への対応が関係していることが説明されました。
以上の報告に対して,教育社会学の立場から学力研究を進めてこられた山田哲也会員が,指定討論者として意見・質問を述べました。松下会員へは,①VALUプロジェクトは,オルタナティブの例として挙げていたが,ここでは,共通性も模索していたので,これももう一つの標準化ではないか。むしろ,標準化の有無より目的(教育か選抜か)を問うことが重要ではないか。②オーセンティックな評価では,実際に出来るかどうかのパフォーマンスが重視されている。オーセンティックとは,企業での実績評価と変わらないのではないかと質問しました。杉原会員へは,社会的レリバンスをめぐる今日の議論は,あえて職業的に限定しているのではないか。職業的レリバンスが必要だという議論にどう答えるのか。労働を切り口に,学びと生活をつなげることの重要性に関する議論に対してどう考えるのかと質問しました。樋口会員へは,成人の能力を具体的にとらえるとは,どういうことなのか。成人の能力は,所属している集団とそこでの人間関係に依存している。彼らの能力は,関係論的にとらえるべきではないか。その中で,あえて個人を対象として調査していることの意味は何なのかと質問しました。
以上の指定討論がおこなわれた後,フロアからの質疑がおこなわれました。松下会員へは,比較可能性を追求することに関して意見を聞きたいという要望が出されました。また,松下会員と樋口会員に共通して,報告で使用された「真正(オーセンティック)」という用語の内実に関する質問がされました。杉原会員へは,「社会人基礎力」という言葉を出した人たちが,何を根拠とし,何を考えているのか教えて欲しいと質問がなされました。樋口会員へは,PIACCの信頼性に関する指摘,批判的リテラシーの本質的な意味合いをもう少し聞きたいという質問,さらには,今後の方向性を示して欲しいという要望が出されました。この他,活発な質疑がおこなわれました。
山田会員およびフロアからの質問・意見に対して,各報告者は以下のように答えました。松下会員は,標準化に関して,問題があるのは国際的,全国的なレベルの標準化であり,ある科目でルーブリックを使って,評価することを批判しているのではないと答えました。ただし,ルーブリックを作成した教員以外が共同で使用し評価する時に,ルーブリックからはみ出た部分を拾い上げていく必要があるとして,松下会員が,大学で実践している評価法が紹介されました。「真正(オーセンティック)」という用語に関しては,AAC&Uの場合,日常の学習場面で自然な形でおこなわれる評価として使用していると説明されました。比較可能性を追求することの意味に関しては,アメリカの大学教育では日本と異なり強くアカウンタビリティが求められていることに言及しました。そのため,標準化に対抗するためには,これと違った形で付加価値を示したり,比較可能性を示したりすることがさけて通れないとAAC&Uの人は考えていると説明しました。その上で,松下会員は,ここまで日本の大学でやるべきか,まだ悩んでいると述べました。杉原会員は,今日の社会的レリバンスをめぐる議論に関して,あえて職業的レリバンスに限定していることは同感であると述べました。その上で,“あえて性”を分からずに,そうなのだと思い込んでいる人が多い現状を指摘しました。「社会人基礎力」の大学教育への浸透に関しては,企業が人材育成にお金をかけられないので,大学にやって欲しいという要求と大学の機能の変化(社会貢献)がマッチしたことが背景にあると指摘しました。樋口会員は, PIACCの信頼性に関して,この調査には問題があると思っていると述べました。その上で,理念の面白さを強調しました。しかし,実際の問題を見てみると,知識経済を担う人的資本をとらえるものになっていないとし,理念と実際の相違を指摘しました。リテラシー概念の中身に関しては,機能的リテラシーという発想と批判的リテラシーという発想の良い部分を融合・統合していく形を想定していると述べました。特に,批判的リテラシー論が提起したことを基盤にしつつも,読み書きをすることで生活が豊かになっていくといったリテラシーの機能に目を向けたいと答えました。成人力を評価することに関しては,個人を点数で評価して国際的な指標で並べることには,疑問を持っていると述べました。しかし,その点を吟味するためにもOECDが何を考えているか調べていきたいと答えました。
最後に指定討論者の山田会員から,新しい能力の中に互恵的な関係をどう作るかなどが問われるべきこと。また,OECDは市民性の育成を重視しているが,市民性の中身の問題が問われていると述べられ,課題研究が締めくくられました。
文責:渡邉 巧(広島大学大学院・院生)
【課題研究Ⅱ】
ポスト高度成長期の民間教育実践における「目標・評価」の検討
―階級・階層的不平等への取り組みに焦点を当てて―
報告者:
1970,80年代における民間数学教育研究・実践の展開―学校知識論的視角から―
本田 伊克(宮城教育大学)
全国生活指導研究協議会の集団づくり実践論の転回と階級・階層論
長谷川 裕(琉球大学)
「閉じられた競争」の成立と進路指導問題の変容―全国進路指導研究会の展開に焦点を当てて―
松田 洋介(金沢大学)
司会・コーディネーター: 久冨 善之(一橋大学名誉教授),小澤 浩明(東洋大学)
はじめに,久冨善之会員から,本課題研究の立場として次のことが確認されました。それは,教育研究の世界に流布されている「日本の民間教育実践が,階級・階層的不平等に無関心だった」という言説に対し,民間教育実践が,階層的に不利な子どもたちの状況やその学習的達成に心を砕いてきたこと,そもそも教育実践は不利で学校教育になじめない子どもを学校に惹きつけるという課題を必然的に抱えていたこと,という立場です。そして,今回の追求点として,「ポスト高度成長期」に絞り,数学教育協議会(数教協),全国生活指導研究協議会(全生研),全国進路指導研究会(全進研)の実践団体について,その時代における主要な実践や実践論をめぐる議論を検討することで,民間教育実践のこの時期における「階級・階層的不平等」問題に対する把握,進展,試行錯誤などについて検討し,その成果・限界を考察することが設定されました。
本田伊克会員の報告では,1970,80年代における民間数学教育研究・実践の展開として,仲本正夫実践の意義と性格が,仲本が生徒に課した「卒業論文」等を手掛かりに,学校知識論的視角から検討されました。仲本が1967年から2000年まで実践した山村女子高等学校の生徒は,学歴序列において底辺の位置づけに置かれ,子どもたちは入学時点から学校知識を否定的に体験し,そのアイデンティティに学力による競争と選別による傷を刻印されていました。同校に赴任した当初の仲本は教育運動に奔走したため,「チョーク1本の授業」をしていました。しかし,ある生徒の「せめて30点はとりたかったよ」という言葉を画期に,1970年代半ばより仲本は「授業づくり」を開始します。1976年度より,微分の「威力」を生徒に実感させる教材「おりがみで作る容積最大の箱」が考案され,形成的評価としての1回1問の小テストも開始されました。1977,78年には,学習内容の定着のため厳しい勉強を課し,生徒の意識の変革を図る取り組みが行われました。しかし,1980年代になると,生徒から「カボチャを買うのに微分がいるか」という日常生活とは関係ない微分・積分をじっくりと学ぶことへの疑問の声が挙がり,授業が崩壊する状況となりました。そこで,仲本は,近代数学の歴史的意義を学ぶ課題を取り入れます。これは,1985年に「分析的な学習から学習の総合化へ」と進み,1980年代後半には,受験勉強のためではなく学ぶことの意味を追求して3年間の授業づくりが追求されました。しかし,こうした取り組みに対し,進学希望の普通科の生徒には,受験勉強との兼ね合いから反発する傾向も見られました。以上の検討から,仲本の実践記録の価値は,こうした「失敗」を正面から取り上げたものであり,仲本が1980年代の実践のつまずきとその葛藤と克服の過程それ自体を著作にしたことや,「失敗」を受け止め,そこから授業実践を新たに構築していくという姿勢はその実践に貫かれていることが見出されました。
長谷川裕会員は,全生研集団づくり論における階級・階層の視点の導入を理論的に主導した竹内常一に着目し,1980年代における竹内の理論の転回と,その中での階級・階層論的視点の導入の位置づけについて報告されました。1970年代の竹内は,当時の子ども・若者の状況を「発達疎外」という概念によって把握し,これを捉えるために「発達論・教育論的視点」(子ども・若者の「別の発達の可能性を掘り出していく」ことをねらいながら教育的指導がなされるべきであるとする視点)を提示しました。しかし,1980年代になると,竹内は近代に誕生した「青年期」の歴史的意義(既存の社会規範の問い直しを理想とする自己のあり方の模索)を認め,当時の子ども・若者の問題行動を学校への過剰適応から脱却する際のもがきとみなし,これを「自分くずし自分つくり」としました。こうした転回は,1970年代の発達論から1980年代には社会学理論(社会理論)へと整理されました。これを踏まえ,竹内の理論には社会学的な視点(人々の日常の編成を現代社会の支配・権力が作動するメカニズムの重要な一環であると捉える視点)が採用されたこと,また,そのように人々の生活を支配・権力のメカニズムと関連づけながら綿密につかもうとする関心に伴って,階級・階層論的視点がその理論の中に本格的に導入されるようになったことが指摘されました。その上で,近年の子ども・若者をめぐる状況は,価値観の「コンサマトリー」化の一方で,能力主義がその正統的なイデオロギーとしての力を未だに強く保っているとし,竹内の理論に対して,どのような方向に向けてさらなるヴァージョンアップを図るべきかどうかが課題として提示されました。
松田洋介会員の報告では,全進研に焦点をあて,高度成長期に形成された進路指導の枠組みが「閉じられた競争」が成立していく1970年代の時代状況の中でいかに変容したのかについて検討されました。高度成長期の全進研の進路指導理論は,①進路指導は教育課程全体を通じてなされなければならないと主張したこと,②子どもの望む進路の「選択」ではなく,「正しい進路」を教育外部の運動と連携しながら集合的に作ること,③社会的条件等に翻弄されずに,教師たち自身の力による「進路指導」実践の深化を可能にすること,に整理されます。しかし,学力偏差値に基づくヒエラルキカルな構造を持つ高校全入体制や,「進路指導」の位置づけの変化(教育課程を通しての進路指導),産業構造の転換による「下からの能力主義」のため,1970年代に入ると全進研の対抗的な進路指導のあり方に再考が迫られました。これについて,内申書に対する
全進研の議論の検討を通して以下の考察が導出されました。高等教育機会が拡大した1970年代は教育システムに選抜システムが内在化し始めた時代でした。全進研は,選抜システムと結びついた教育システムをより民主的なものへと漸進的に変えていくことを志向しました。それゆえ,教育システムを選抜システムから切り離すことは,結果的に,教師の手の離れたところで,選抜システムの自律化を展開させ,子どもの家庭的背景が如実に反映した選抜結果となってしまう,と全進研は考えました。しかしながら,全進研は実現可能な具体的な方途を持たず,次の2つの課題が指摘されました。①子どもが生きる生活世界に即して既存の学校知識がもつ社会性を問い直す視点に欠けており,既存の学校知識を正当化し補完する実践になっていたこと。②進路指導の集団間の違いを問い直す視点が弱いこと。
以上の報告の後,質疑応答では,それぞれの会員の報告について次のような議論がなされました。
本田会員の報告については,仲本実践と階級・階層の問題とのつながりが分かりにくい,という質問がありました。これに対し,本田会員は,大学進学が必ずしもメインではない学校において階級・階層的な視点が学校において何を意味するかが問題である。仲本実践は,学校序列の時代の中で,自分たちの文化・数学・アイデンティティ形成を取り戻せるかという試みと考えられる,と応答しました。ただし,階級・階層的視点とそれが直結しているかについては課題とされました。これに関して,久冨会員は,数学をめぐる達成の格差がもたらした成績の序列化は大きく,それが子どもたちの現在を規定し,その後の社会的地位を再生産している。仲本実践は,学校数学の中身とそれに対する生徒たちの向き合い方についてのユニークな模索であったと言える,と述べました。また,仲本の商業科と普通科の生徒の捉え方の違いに着目し,仲本の実践から両者の可能性にとって意味あるものが出てきたと考えれば階層克服と読めるのではないか,という指摘がありました。以上を受けて,今後の課題として,伝達―獲得される,獲得の側面を仲本がどのように教えようとしたのかではなく,生徒自身が学校序列の中で数学を学びながら傷ついてきたことを含めて,仲本実践がその問題をどのように変えたのか(変えられなかったのか),すなわち,獲得される側の生徒にとっての仲本実践の意味を学校知識論的視角から問うことが挙げられました。
長谷川会員の報告については,報告で提示された竹内の理論のさらなるヴァージョンアップという課題について,竹内のヴァージョンアップは,1970,80年代に全生研が直面していた教育実践上の課題と結びついたものなのか,竹内の理論的枠組みと現実との距離に即して生まれたものなのか。また,前者については,現在の全生研の議論とどのような点で結びついているのか,という質問がありました。これについて,長谷川会員は,全生研は子どもを捉えきれていない印象があるとし,現代の能力主義がどのように子どもに刻み込まれているかを課題としました。また,竹内の発達から社会理論へという理論転回を平等論としてどう読めるかについて質問がありました。長谷川会員は,竹内の提示した「自分くずし自分つくり」によれば,個々の子どもによって直面している課題は異なり,教育者は共存的な他者として関わっていく「平等」をとる。それは学力の平等のような達成水準ではなく,アイデンティティ課題を抱えた子どもに応えていくという「平等」ではないか,と応答しました。
松田会員の報告については,①内申書をめぐる議論と高等学校教育機会の拡大や近代学校批判との関連と,②1970年代の社会における構造移動と全進研の進路指導の集合的な進路指導のオルタナティブの模索とのつながりについて,質問がありました。①について,松田会員は,近代学校批判や社会の成熟化に対して民間教育運動は対応できなかったのではないか,と応答しました。②については,1970年代の民間教育運動は,当時のフェミニズム運動等とのつながりを持ち,ミクロポリティクスを理解する可能性があったが,成し得なかった。結局,1970年代以降の民間教育運動は新中間層との結びつきはあったものの,“市民”と結びついたが“庶民”と結びつかなかったという見解を述べました。また,松田会員の全進研の評価の根拠となる実践のイメージについて質問があり,松田会員は,既存の学校知識を正当化するにとどまっていた実践のイメージがあると応答しました。その上で,この問題を問い直す視点として全生研の吉田和子や『10人のスーパー・ティーンたち』(太朗次郎社,1995年)を著した高橋清行の実践に言及し,彼らの実践に見られる,他者性を尊重しながらコミュニケートするような実践は少ないと述べました。
最後の総括では,久冨会員より,1970,80年代半ばの状況が未だ判然としないという課題が述べられました。小澤会員は,これを踏まえ,今後の課題として次の点を挙げました。ポスト高度成長期の民間研に階層的視点があったことは確認されるものの,どのように実践を作っていくかに焦点化したものは無かった。中内敏夫のいう「教材の社会的かたより」のような,子どもが一生懸命勉強するほど自分ではなくなってしまう状況が1960年代から1970年代にあったのではないか。
文責:永田 和寛(京都大学大学院・院生)
【公開シンポジウム】
個と集団を育てる教育実践
―どのような目標を設定し,どのように評価するか―
シンポジスト:
小学校における個を育てる教育実践と個の評価
川嶋 稔彦(湖南市三雲小学校教諭)
中学校における集団づくりの教育実践
藤木 祥史(京都府府民生活部青少年課)
教科外活動を中心とした教育目標・評価論の展開
河原 尚武(近畿大学)
司会:岸本 実(滋賀大学),川地 亜弥子(神戸大学)
学校現場での人間関係上のトラブルにおける子どもたちの「問題」行動に対して,どのような目標設定と支援の評価によってその充実を図っていけばよいのか。本シンポジウムは,上記の問いについて検討することを趣旨として開催されました。
シンポジウムに先立ち,司会の岸本実会員から趣旨説明と報告者の紹介がなされ,その後,川嶋稔彦氏,藤木祥史氏,河原尚武会員の3名が登壇し報告が行われました。
川嶋稔彦氏からは,暴言・暴力に支配された学級の中心を担っていた小学生の子どもたちに対して,どのような実践を行い,評価し,手だてを講じてきたかについての報告が行われました。まず,授業が成立しない暴言・暴力に支配された学級の様子,それに対する教師の疲弊感の様子という実践の背景が説明されました。そして,その状況を改善するために,大きく2つの試みが紹介されました。1つは,授業中や家庭訪問の様子などから詳細な一人ひとりの成長を書き込む「カルテ」の作成により,子どもたちとの信頼関係を築くというものでした。2つ目は,学級が抱える問題を克服するため,問題の中心となっていた2人を抽出児とし,彼らの「個の目標」を達成することで,学級の課題を克服していこうという試みでした。その後,2つ目の試みについての詳細な報告がありました。それは,抽出児に対してどのような「個の目標」を立て,それを達成するためにどのような実践を行い,それをどのように評価したかというものでした。まず,詳細な情報を交えながら抽出児の紹介がなされました。次に,この子どもたちの課題から「暴言」や「コミュニケーション下手」を彼らの「個の目標」として設定したことが説明されました。そして,この「個の目標」を達成すべく行われた実践が紹介されました。その中で,抽出児たちが他者との話し合い活動による問題解決を通してどのように変容したか,また,学級がどのように変容したかについて,授業の話し合いの逐語記録から説明がなされました。そして,この実践を行った結果,抽出児たちは暴力でない解決の仕方に気づくことができ,学級としても和やかな雰囲気の学級へと徐々に変容していったという成果が報告されました。
藤木祥史氏からは,中学生の子どもたちの「問題」行動に対して,どのような実践を行い,評価し,手だてを講じてきたかについての報告がなされました。まず,藤木氏は,学校が加害・被害の関係で処理し被害側の親から文句が出ないようにしたいという管理職の指導目標を否定する実践をどのように展開すべきかを考えることが現場の指導目標であるべきという提起がなされました。そして,「問題」行動が起こった際に,集団に対してどのような評価をし,手だてを講じていくべきかについて「ガラス破損事件」,「イス落下事件」という事例を交えながら説明がなされました。具体的には,まず,荒れていく際の集団の中に属する子どもたちの類型として①課題の先頭に立っている子,②それに追随する子,煽る子,③中間に位置づく子,④反対に良心的なリーダーとして期待する子,⑤リーダーに協力的な良心層の5つが示されました。次に,この類型をもとに,被害者の子どもは①と②の近くにおり,①・②からいやがらせを受け自尊心を傷つけられた結果,「問題」行動に発展したという説明がなされました。それに対する手だてとして,アンケートによって,被害者の子どもの心境を推し量らせ,①だけの責任だけではないことを考えさせ,④や⑤の子どもの認識を変えることを試みたことが報告されました。その結果,④・⑤に加えて,①・②の子どもも生活改善をしっかり考えるようになり,落ち着いてきたとのことでした。同時に,③という層の非協力,無関心が最も問題であることが浮かび上がってきたことが説明されました。最後に,教師が一つの出来事を通して関係性の指導をすることによって,③に批判がくるように集団を指導することが重要であり,そのような指導ができないことが現在の学校現場の一番大きな課題であるということが指摘されました。
河原尚武会員からは,各教科・科目以外の学習領域及び教育指導の分野に関する教育目標と評価論についての報告がされました。まず,報告の前提として,従来,特活,総合,道徳,外国語活動,生徒指導を形式上教科外教育・教科外活動と一括することは不斉の感があるということを指摘し,この教科外の存在理由や成立根拠を改めて再検討することの必要性が指摘されました。次に,①生活綴方による生活指導についての検討,②現代的課題の検討,③教科外活動における教育目標・評価論の探求についての先行動向の整理結果が報告されました。最後に,これらの論考の整理を通して,「教科外教育の目標-評価システム」という形で一つの構想が提起されました。その特徴は以下の4点から説明されました。1つ目は,教科外活動における基本的な能力を大きく「観点」として整理し,それぞれの観点の成長・深化のありようを評価するための基準として「指標」という用語を充てたというものでした。2つ目は,ここでの「観点」は,集団にかかわる力,活動内容を構想する力,交流を支える力の3つであるというものでした。3つ目は,「指標」である「集団に関わる力」の基準と「活動内容を構想する力」の基準の構造的な関係でした。まず,集団に関わる力の基準は集団への「参加のしかた」を置き,その下位指標として,「リーダーとして」「自治組織の係として」「集団の中の他者への関心」などを設定するというものでした。また,活動内容を構想する力の基準であれば,計画作成の主体(下位指標としては,生徒の発意か,教師の原案か)などを設定するというものでした。4つ目は,この「システム」は,具体的な活動内容の系統は含まず,観点や指標は学習者と集団の力を理解するためのてがかりであり,活動内容や到達目標はそれぞれの実践の場における課題や実践の条件に応じて構想されるものというものでした。
以上の報告の後,司会者の1人である川地亜弥子会員から指定討論として3名の報告者に質問が投げかけられました。
まず,川嶋氏に対して,①お互いの意見を出し合えたり聞き合えたりするための具体的な指導はどのようなものか,②子どもの実態をどう捉え,どのような願いや目標を立て,中学年には難解なイラク問題を題材として選んだのか,③教師集団,保護者,管理職も含めて実践の課題や目標が共有されたのか,④生活の問題と学力が結びついていないという指摘についてどう考えているか,⑤長期の教科外活動の中で子どもたちがどのように変わってきたのか,また,それを捉えてどのように実践を組み立て子どもたちや実践を評価し目標を立て直したのか,という5点の質問が出されました。これらに対して,川嶋氏からは以下のような回答がなされました。①の質問に対しては,いつでも話し合いができる環境を整え,話し方については細かいルールは設定せず小さなつぶやきも拾うというスタンスを示し,聞き方についてはそれを話し合い子どもたちの中で確立したという説明がなされました。②の質問に対しては,暴力・暴言が蔓延している状況を自分たちの問題として捉える,やられている子が声を挙げることのできる集団にするという2つの目標を「平和」を考えることで達成するためにイラク問題を取り上げたという回答がなされました。③の質問に対しては,隣のクラスの担任と協力して学年で行う活動を増やし,保護者に対しては,家庭訪問を増やし,学級通信,忙しければ電話で共有を図ったとのことでした。④の質問に対しては,問題解決学習を採用しいじめられている子がどのようなことを考えているかについて話し合うことなどを行ったという説明がなされました。⑤の質問に対しては,全ての子どもたちに対して,自身の手で行事を作り,子どもたちから子どもたちへ発信させる機会を保障したとのことでした。
藤木氏に対しては,①個々のケアの関係の詳細はどのようなものか,②中間層の子どもたちへのアプローチの方法はどのようなものか,③中間層の課題が教育目標として立ち上がるための実践のポイントや工夫はどのようなものか,④アンケート以外の中間層の把握に関する名人芸的方法はどのようなものか,という4点の質問が出されました。これらの質問に対して,藤木氏からは特に①と②についての回答がなされました。①の質問に対しては,課題のある子どもへは,彼らのやっていることを認めて対話をすることから始め,応答の関係を作り,さらに,批判に耐えうる関係を作ったとの説明がなされました。②の質問に対しては,中間層の自己責任の論理を崩すため,ワーキングプア,多重人格,ストリートチルドレン,養護学校の実践のビデオを次々に見せ,「これらは自己責任か」ということを問い,変容させることを試みたとのことでした。
河原会員に対しては,集団に関わる力や交流に関わる力というものが他の2人の報告からどう捉えられるのかという質問がなされました。それに対して,河原会員からは,まず,交流を支える力というのは,いろいろな問題に直面した時に基本になるものであると説明がなされました。その上で,川嶋氏の実践では問題解決学習の中で子どもたちが言葉の力を身につけるという見通しがあり,藤木氏の実践では事態をどう把握するかという際も言葉でつかむ必要がある,と2人の報告を踏まえて回答がなされました。そして,実践の最も基礎である交流を支える力とその中核にある言葉を育てる方略の重要性,子どもたちが生活現実を分析する力を獲得する際の方法に焦点を置く必要性が提起されました。
その後,フロアからの質問と応答がなされました。
川嶋氏に対しては,学校として共通の価値観へ進むために,構造的(子ども集団・教師集団・保護者集団の三重構造)に集団づくりを進めていくという点をもう少し教えて欲しいという質問が出されました。それに対して,川嶋氏からは以下の返答がありました。まず,教師集団に関しては,ミドルリーダー世代がいろいろな面で若手教員とともに学び合う場を設定し,子どもについて語り合える教師集団を作ることの重要性を指摘されました。次に,保護者集団に関しては,教師が保護者のもとに多く足を運んで関係を作ることで,保護者会に参加してもらえ,そこで教師を介して保護者集団が形成されるとのことでした。
川嶋氏と藤木氏対しては,若手教員に知や技を伝え,学校としてサポートしていくための示唆や提言や子どもの必要を捉える枠組みや見通しがあれば教えて欲しいという質問が出されました。それに対して,川嶋氏からは,学級経営や保護者対応,授業の話し合いの仕方などの勉強会や市教委が立ち上げた勉強会で市内の小中学校の若い先生に対して講師的立場で伝えていくということを行っているとの説明がなされました。藤木氏からは,学校外と学校内の2つの側面から回答がなされました。まず,学校外に関しては,退職された先生方に非行問題を抱えた少年の支援をしてもらい,それに関わる教育講演会などをやりながら若手教員の学ぶ場を提供しているとのことでした。学校内に関しては,毎年気になる子どもの指導の度にアセスメントを積み重ね,そのアセスメントをもとに話し合いをし,共有をしているとのことでした。この話し合いでアセスメントについての質問を受け,修正するということをしており,若手教員にとって勉強の良い機会にもなるということも重ねて説明されました。
河原会員に対しては,川嶋氏と藤木氏の実践を今までの研究の到達点を踏まえてどう分析されたのかという質問が出されました。それに対して,河原会員は,報告にあったアセスメントは細かい目標の内訳に即した評価ではないかもしれないが,きちんと自分たちが実践や取り組みの中で使ったものを評価し,次に生かすということがなされており,そのことが重要だと返答されました。
最後に,司会の岸本会員から①優れた教育実践を継承していくときにも目標評価があるからこそできる,②目標が指導の中で立ち上がりながら指導の方針を変えていくという時にも目標評価ということが鍵になっている,という本シンポジウムのまとめがありました。
文責:岡田 了祐(広島大学大学院・院生)