テーマ:
教育目標・評価研究の視点から過去を振り返り、
未来を見据える
開催日時:2023年6月25日(日)10:00~12:00
於:オンライン
登 壇 者:
川地亜弥子(神戸大学)、前田晶子(東海大学)
コメンテーター:久冨善之(元一橋大学)
司会:渡辺貴裕(東京学芸大学)
2023年6月25日(日)の10:00から12:00、オンラインで中間研究集会を開催しました。参加者は60名弱(最大時)でした。
学会30年の歴史を振り返る企画の第二弾です。昨年度の第一弾では、学会創設時からかかわってこられた田中耕治氏にお話し頂きました。今回は、まず、2000年前後にそれぞれ一橋大学と京都大学の大学院生として入会した前田晶子氏と川地亜弥子氏に、自身の学会経験について語って頂きました。教育目標・評価論といかに出会い、学会を通してどのような教育学研究の視点を得てきたのか、そして、今だからこそ見えてくる学会の固有性や疑問などについてです。続いて、学会創設当初から理事を務められた久冨善之氏にコメントを頂きました。
以下、当日の議論の様子をお伝えします。
1.前田晶子「本学会における共同研究・歴史研究の意義」
まず、前田会員から、一橋大学の院生として学会に入会した当時の経験をお話し頂き、学会の歴史を振り返りながら「発達」の位置づけについての論点を提示頂きました。
(1)「最初の10年」としての2000年前後
一橋大学の教育社会学共同研究室では、学会発足10周年を目前にしたこの時期、学会の会場校として多くのスタッフ・院生が学会に参加していた。共同研究室が中心となって運営する<教育と社会>研究会もまた、発足から最初の10年を迎えようという時期にあたっていた。そこでは、教育の社会過程を分析して「民主主義的協働的諸関係の回復・再建」(久冨)の道を探り、教育計画と教育改革を構想するためのディシプリンを共有しようとしていた。さらに、「産育と教育の社会史・社会学研究会」では、学会創設者の一人である中内敏夫氏の著作集を講読し、氏の教育原論三部作を日本の近代教育の自生論という射程のなかで読んだことが重要であった。当時はあまり自覚的ではなかったが、共同研究室と学会は、教育的価値の評価論という「従来空白のままに放置してきた最も重要な研究分野」(稲葉宏雄、創刊号)に踏み込もうとする点で太くつながっていた。
(2)教育目標・評価論における「教育をはみでるもの」
教育目標・評価論における「発達」の位置づけについて。学会のテーマや紀要を振り返っても、これまで発達については論じられてきたが、学会において、発達を教育目標・評価論として深めるという課題は、それほど明示的ではなかったのではないか。それは、田中昌人が2000年に行った中内敏夫に対する批判(「愛惜の書」中内敏夫著作集月報7)にも現れている。
手がかりを得るために、田中昌人と中内敏夫の歴史研究を比較してみると、興味深い相異点が見えてくる。田中は「発達」のルーツを探して、江戸後期の蘭医学における子どもの捉え方に辿りついている。他方で、中内は「教育」のルーツを心身養育の人づくり論としての養生論に求めている。医学と養生論は、いずれも個人の治療を通してその生を十全にしようとするものであるが、投薬や手術など文字通りの介入論である前者に対して、養生論は身を保つことを実践する助成的介入論である。このような比較論は、教育目標・評価を成立させる条件を明らかにすると同時に、「教育をはみでるもの」を照らし出すことにもなる。本学会における歴史研究の意義がここにあると考えられる。
2.川地亜弥子「学力保障・発達保障と教育評価:学会・大学から学んだこと」
川地会員からは、以下のような話題提供がありました。
(1)教育目標・評価論との出会い
京都大学の研究室で、学力保障論・教育評価論研究、学校との共同研究、生活綴方(以下綴方と略)研究を行うことに加え、人間発達の理論と発達保障論を学んできた。学会入会前に、稲葉宏雄の学力保障論、田中昌人の発達保障論と出会った。その後、天野正輝の教育評価史研究、田中耕治の学力評価論、とりわけ学力の基本性における情意的要素の位置について学び、綴方と教育評価について研究した。卒論で小砂丘忠義を取り上げたが、中内敏夫が私の未熟な研究に対して丁寧にご助言を下さった。学会通信No.16に、1998年5月の中間研究集会(於京都大学)の記録があり、田中耕治が綴方と自己評価等について言及している。綴方と教育評価の関係は、学会で一つの研究テーマとして認識されていたことがわかる。
学会に入会し、発表・投稿する中で、測定論ではなく教育評価論研究を中心とする学会だと実感した。綴方研究と並行して、非常勤発達相談員として健診に関わった。自治体における子どもの権利保障と、学校における学力保障の違いについて考えるようになった。
(2)学会を通してどのような教育学研究の視点を得てきたのか
①学校における学力保障と、学校に限定されない発達保障の関係、②綴方の教育評価論における定位、について視点を得た。③情意の評価、教育課程論については割愛した。
①については、淀川雅也論文(1995、本学会共同研究「教育評価行政史」グループ第1回研究会レジメ(平岡、1998.3)で言及あり)では、中内の教育評価論が、「『発達保障』をめぐって探究されてきた、社会科学の理論」の系譜に位置づけられた。理論としては理解できる一方で、実践では相当の開きがあるように感じていた。その後、田中耕治が2005年に、中内は制作説の立場から子どもたちの主体の論理の把握に、田中昌人は学齢期に絞った場合に客体の論理をそれ独自に追求することの固有の意義の解明にそれぞれ課題があると示され、納得した。なお、中内は、『生活訓練論第一歩』(2008)、「到達度評価入門」(2016)と進む中で、学力保障論を意図的な人間形成論に拡張しており、そこで発達の概念が重要な役割を果たしている。
②については、2015-16年共同研究「戦後地域生活綴方・作文教育サークルにおける作品批評論の展開」(河原尚武・前田・永田和寛・川地)で歴史的・理論的解明を進めた。
(3)学会の固有性や疑問
民間研が源流にあることの意義、教育評価と教育目標の関係の重視は今も継続されていると感じる。近代権利論とそれを超えるものの間をどうとらえるのか、会則第2条「本会は学力が子ども・成人の人間的な発達の基礎になるとの立場に立ち、教育目標・評価の研究の促進と交流をはかることを目的とする」をどう生かすかは、今後の課題として重要と考える。
3.久冨会員のコメント及び論議の概要
引き続いて、コメンテーターの久冨会員から下記の点が指摘されました。
報告者2名が、学生・院生時代に学会に入会し、前田会員は発達論と養生論の比較論について取り組み、川地会員は教育目標・評価論と生活綴方についての理解や批判を深めてきたことがわかった。学会において、人やグループ、地域、そして教育学理論や教育実践研究のコンセプトやカテゴリーと出会ってきたことが浮かび上がっていた。
本学会の重要なコンセプトとしては、学会30周年記念本『〈つながる・はたらく・おさめる〉の教育学』(2021)にも示されているが、社会学的にいえば文化(=人間の生活様式とその意味づけ)、特に子どもや若者、中年、高齢者のそれを中心において教育目標・評価について研究することではないかと考えている。
また、近年の研究では、紀要29号(2019)の浅井幸子論文「保育評価のオルタナティブ−ドキュメンテーションの思想−」が、幼児への調査(IELS)に対する批判を詳しく論じ、それに対して社会的・文化的価値や物語を通じた意味の獲得について理論的に深く押さえている。学会としても、幼児教育まで視野を広げ、理論的かつ人権論的・民主主義的な深さでもって研究が展開されることを期待したい。
4.ディスカッション・質疑応答
このあと、報告者とコメンテーターの間でやりとりが行われました。ドキュメンテーションという点に関わって、前田・川地両会員から、「調査」においてどのように意味を生み出すのか、とりわけインタビュー調査の意義は何かという問いが出されたのに対して、久冨会員からは、これまで100回以上の質問紙調査、かなりの数の保護者や教師へのインタビュー、教育実践を見る・実践記録を読むことを通した「教育実践と教育社会学理論との交流」を行ってきたこと、その中でインタビュー調査では母親、教師、地域住民など対象はさまざまであったが、そのいずれも調査という出会いの中で人間的な深さに触れることがあったことが紹介されました。また、学校の内と外で生成される文化は対等であるということは、バーンスティンやブルデューの指摘するところでもあったということが述べられました。
幼児教育については、川地会員からは、和光大学で開催された「幼児教育における目標・評価論」に際してコメンテーターを務めたが、その際に子どもが自分で記録を作るといったドキュメンテーションの取り組みが評価論として重要であったこと、他方で、幼児教育おける「遊び」の評価は、評価そのものの不可能性をも問うているのではないかという指摘がありました。
フロアからは、2人の報告者がともに「発達」を取り上げたことに関連して、その近代社会における固有性をより明らかにすることの課題や子どもの権利条約の文脈でどう考えるかという点が指摘されました。最後に、まとめとして、評価が意味を生み出す場であることや評価を通して人が育つということ、そして今年の大会で取り上げられる予定の「承認としての評価」という主題につながることが示されました。
(文責:前田晶子、川地亜弥子、渡辺貴裕)