テーマ:<つながる・はたらく・おさめる>の教育学
――社会変動と教育目標――
開催日時:2019年6月16日(日)14:00~17:00
於:オンライン
【報告1】 長谷川 裕(琉球大学)
生活世界における『つながる』ことと人間形成
――その教育目標論的考察
【報告2】 斎藤 里美(東洋大学)
教育目標論からみた『はたらく』ことの再定義
――職業的移行から社会的統合へ
【報告3】 鋒山 泰弘(追手門学院大学)
社会を『おさめる』主体になることの教育目標論的考察
コメンター :
松下 佳代(京都大学)・石井 英真(京都大学)
コーディネーター・司会:
木村 元(一橋大学)
2019年6月16日(日)14時から一橋大学 佐野書院において、28名の参加者を得て中間研究集会が開催されました。当日の概要をご報告します。
まず木村が今回の中間集会の発題をおこない、報告に入った。
長谷川報告では「つながる」ことと人間形成の(1)事実把握、(2)今後の展望からなる第1部の内容が示された。(1)については、生活基盤の変化に並行してすすむ加速する個人化から生じる自己の存在への不安、相対的剥奪感に対して、存在レベルの安心を得られるようなケア・承認をサポートする教育の役割が増していく点が示された。(2)については<教育>とケア・承認の関係性という点から、指導過程として教育のプロセスがケア・承認を含み、教育目標としてケア・承認ができる人間をつくる、という2つの軸の重要性が指摘された。斎藤報告では、「はたらくこと」への現時点での問題把握がしめされた。教育学が「はたらく」を再定義する背景として、(1)テクノロジーの進展でエンハンスメントが容易になり、努力による学習、能力獲得の意味が揺らいでいること、(2)国境をこえた人の流動性が高まり、固有の家族・地域・企業・国家への依拠と参加を前提とした教育が揺らいでいること、が示された。2000年代以降、「はたらくこと」すなわち自立・承認・参加が自明のものではなくなり、さらに、「はたらく」人びとを社会的に包摂していくためには、個人の発達を促すという教育目標論の観点からの再定義が重要であると指摘した。鋒山報告では、第3部を現実社会の複雑化、一般民衆の公民的判断の困難化、民主主義的意識、概念根付かせる教育の必要性を軸とし、戦後日本の政治主体形成と系譜の検討、新自由主義イデオロギーに対抗する政治主体形成において自己責任領域の拡大に対しどのような教育実践が必要なのかの検討、社会的論争を題材とした他者との葛藤・議論を経て多様な立場の幸せを実現する自分なりの「判断の基準」つくる場に注目した検討、国家による主権者教育推進の批判的検討が内容として示された。
つづいてコメントとして、松下会員から、現在作成を進めている記念誌と教育政策の側には、(1)社会変動の捉え方(時間軸)、(2)社会変動の捉え方(領域)、(3)教育目標の描き方、(4)教育目標主張の根拠、における違いがあると整理された。記念誌における「教育目標」の描き方の特徴として、歴史を踏まえた将来予測・展望を行う、「学力」と「資質・能力」の違いを踏まえて両者をすりあわせる、「教科」にとらわれない3領域を設定する、子どものリアルな姿をとらえ教員の専門家としての質的判断に基づく根拠に依る、とするまとめが示された。つづいて、石井会員からは、人類史的な社会変動を踏まえて教育のあり方あるいは教育目標・評価のあり方がどうあればいいのかという問いに対して、今回出てきている結論が過去を再確認するのみで、現代社会の固有性(フラ
ット化の両義性など)をふまえた展望を示す点が弱いのでないか、教育目標の中身やカリキュラム構造のレベルでの統一的な提案をなしえているか(条件付きの承認・包摂かどうかなど、各部の間で社会観のずれはないか)、そして、 “社会の側から教育をとらえていく”という側面(社会的規定)が強いが、主体形成(目的的規定)との関係をどう捉えるか、という3点の指摘があった。
長谷川会員からは、リベラリズム的主体が立ち上がる前提をも考えて主体とは一体何なのかという議論を第1部で行いたいとし、<事実>の趨勢のなかで浮上している<価値>を押し出していく、とした。斎藤会員からは、指摘されたような“条件付きの包摂”、“条件付きの承認”をどうやって超えていくのかを、今後「はたらく」の課題として引き受けたいとし、いずれベーシックインカムをきちんと議論の俎上に載せねばならないと付け加えた。鋒山会員は、再政治化の文脈での認識の教育はどうあるべきかという所を深めなければいけないとの認識が示された。それらを受け、松下会員からは、本田由紀(2010)は、能力の社会的公正のあり方を打ち出そうとしているとしたのに対して、斎藤会員は、「はたらく」ことを目的に「能力」「教育」の目標をたてる本田の論は、「ろう文化の担い手としてろう者を育てる」例から言ってやや狭いのではないかと提起した。
フロアーも交えた活発な討論があったが、紙幅の関係で重要な論点として一点だけ記す。情報処理やデジタル化の問題について、フロアーから、「承認」といったときSNSでの承認の位置づけはどうなるのかの指摘があった。それに対して斎藤会員が、デジタルデータによる「承認」システムが地球規模で拡大し信用格付けとなり、しかも操作化・ゲーム化しており、「承認」によって自分をつくり変えているという状況が付け加えられた。長谷川会員からは、自分の欠点を指摘されたとしても存在していること自体は認められていると感じられ、その欠点はじっくりと直していこうと思えるような承認のされ方と、絶えず褒めてもらっていないと安心できないという承認のされ方は違うと思う、SNSでの承認には後者が多く含まれているのではないかとの返答がなされた。
(文責 木村 元)