「毎日にっき」2024

1年開いてるじゃん、ウケる

新しい開発環境を学ぶことの難しさ

2024/02/25

今現在GodotEngineでゲームを作っているわけだが、Unityや、あるいはもっと前のHotSoupProcessorに比べ開発のモチベーションが低いことに気がついた。

これは決してGodotが悪いということではなく、自分が昔の環境を頻繁に思い出し、そして比較してしまうという話なのだ。

自分はあまりゲーム作りの見た目にこだわってこなかった。

その結果本当に最低限のドット絵をアニメーションなどを使わずプログラム的に動かす、ということが多かった。

例えば10年くらい前の作品では緑色の矩形がこれまた矩形でできたフィールドを飛び回っていた。

見た目こそ一切の飾り気がないがよくできたゲームだった。

物理演算といっていいのかわからないが重力や当たり判定などはすべて自前で書いていたし、戦略性もあって友達とタイムアタックで競い合うくらいには奥深かった。

それに比べて今はどうだ。

そういった物理演算的な挙動を書くだけで数日かけて、ああこれでバグる直さなきゃと思ってそのまま放置。

画像が必要だ、ああ面倒だといってAsepriteではなくツイッターを開く。

シェーダわからんといって編集画面を出したまま晩ごはんのことを考えている。

あの緑色のゲームの制作期間よりも圧倒的に長い時間をかけて、遊ぶまで至らないデモアプリが一つ。

自分は退化しているのではないか、と考えた。

しかし冷静になってみればあの緑色のゲームは座標がすべてintであった。

めり込みの計算は有限回行えば済む。

テクスチャも一切使っていなかった。

死亡時のアニメーションもドット単位で調整していたのであそこだけでかなり時間をかけた。

何より、あの開発環境で成熟した最後の成果物であったので、基本的な操作がすべて頭に浮かぶくらいにはなっていた。


そう、開発環境を変えると常に「前は直感的にできていたことができない」という道具の使いづらさに悩まされることになるのだ。

しかしこれはただ自分の成熟によるもので、「前は直感的にできていたこと」というのはただ反復練習によって手が覚えただけなのだ。

だから新しいツールを使うときはこの成熟を手に入れなければならない。

その上で比較せねばならない。

ただ……上も見ずに成長していくだけのあの頃に比べ、今はどこまで登るべきかというノルマが課されている。

すでに登った山でならば存分に振るえるはずの力とその快楽を我慢して登らねばならない。

それがいかに禁欲的で苦しいものか。