i FINALOFFAN YAN I MA'MAILA

OUR PAST AND OUR FUTURE - 私たちの過去と私たちの未来)

TAKING A STAND FOR JUSTICE - 正義のために一役買う

1946年、私たちは初めて戦後の2院制議会(第8回)を選出し、House of Council と House of Assembly がありました。これらは自治基本法が通過するまで、海軍に対するアドバイザリー団体として残っていました。昔から女性のリーダーシップを認める母系の伝統の中で、私たちは戦後のグアム議会における初の女性としてMerizoのRosa Aguigui Reyes を選出しました。

日本から私たちを解放してくれたアメリカ軍に対する深い感謝の気持ちはあるものの、海軍政府による恣意的な支配に対する懸念は増していました。

第9回グアム議会のHouse of Assemblyは、1949年3月に議会を休会させて立ち去りました。彼らの勇敢な行為により初めて正式な抗議を行ったのです。軍による土地の収用や市民権の保障および海軍長官を超えた上訴手続きの欠如に反対を表明しました。アメリカが私たちの基本的権利と保護を保証するまで、彼らは再招集しないと誓いました。

キャプション:

ワシントンDCで2度市民権を陳情したFrancisco Baza Leon Guerrero (右) — 最初は 1936 年にBaltazar Jerome Bordallo (左) に、次は 1949年に Antonio Borja Won Patに。

OUR POLITICAL LEADERS - 私たちの政治的リーダー

グアムの自治基本法は、1950年8月1日、私たちの島の三権分立 — 行政、立法、および司法を設立しました。

1950年から1970年の間にアメリカ大統領により指名された7人の民間人知事のうち、3人はチャモロ人でした。1968年の自治基本法により、ついに私たちが自らの知事と副知事を選出することが認められました。

CULTURAL SOVEREIGNTY AND INDIGENEITY - 文化的主権と先住性

人々の精神は古代の昔の知恵と伝統に根ざしています。知恵は衰えることはありません。太平洋の先住民として、私たちは島と世界との相違に橋を架けようと挑んできました。私たちは若者たちに21世紀の現実社会の中で生き残り反映するように教育せねばならないとともに、私たちの先祖からの知恵の遺産とも実行可能な結びつきを維持していかねばなりません。これが新の文化的主権であり、私たちの先住性の現代的な表現なのです。

2016年にグアムが主催した第12回太平洋芸術祭では、先住民としての私たちの本物のアイデンティティを表現しようとする私たちの奮闘を具体的に示しました。私たちは芸術や文化を一同に集めた祭りで太平洋の兄弟姉妹と再びつながることができました。私たちの古の昔について、またより大きな太平洋の歴史という中における自らの位置について、多くを学びました。この文脈の中でこそ、私たちが国家への強い願望に最も近づいたと言えるのです。

CHAMORU SELF DETERMINATION- チャモロの自決権

植民地解体および政治的自決権のタイムライン

私たちは否定されてはなりません。私たちは自分たちの土地で常に最下層になることはありません。

チャモロの自決権に関する行動のタイムライン

1898 パリ条約で「先住民」を定義

1901-1936 チャモロが議会に自治を嘆願

1949 グアム議会を欠席

1950 自治基本法がアメリカ市民権を認める

1960 国連による植民地独立付与宣言

1969-1970 初のグアム立憲制定会議 (PL 9-244)

1969 有権者により北マリアナとの再統一が否決

1973 グアム政治的地位委員会の設立 (PL 12-17)

1975 政治的地位に関する特別委員会の設立 (PL 13-24)

1976 アメリカ議会がグアムに対し独自憲法の作成を許可 (PL 94-584)

1977 第二回憲法制定会議 (PL 13-202)

1977 Peoples Alliance for Responsive Alternatives (PARA) が結成

1979 Peoples Alliance for Dignified Alternatives (PADA) が結成

1979 有権者により、新しく草稿されたグアム憲法が否決

1980 自己決定権に関する初の委員会が設立 (PL 15-128)

1981 Organization of People for Indigenous Rights (OPI-R) が結成

1982 グアム初の国民投票が実施

1982 OPI-R が国連で NGO として証言を開始

1984 自己決定権に関する2つ目の委員会が設立 (PL 17-42)

1987 有権者がグアムコモンウェルス法を可決

1987 書籍、「Chamorro Self-Determination: The Right of a People, I Derechon I Taotao 出版

1989- 1997 アメリカ議会がグアムコモンウェルス法について 2 度ヒアリングを実施

1989-2002 グアムの投票権を持たない代表団が継続的に議会にコモンウェルス法を紹介

1991 United Chamoru Chelus for Independence が結成

1996 CHamoru Registryの設立 (PL 23-130)

1997 脱植民地化委員会の設立 (PL 23-147

2000 Decolonization Registryの創設 (PL 25-106)

2010 Decolonization Registry に Chamorro Land Trust の志願者追加(PL30-102)

2011 連邦地方裁判所に Decolonization Regisry に異議を申し立てる訴訟を起こす

2016 知事が2018年の国民投票をスケジュール

2017 連邦地方裁判所が、チャモロ人のみの投票を違憲と判決

2017 第34回グアム議会が知事に対し判決に控訴するよう促す決議案を可決


CHAMORU RENNAISSANCE - チャモロのルネッサンス

チャモロのリーダーたちは、老いも若きも、世界中で運動への希望と熱情によって支えられてきました。市民権運動や有色人種パワーの行動主義、独立および核からの自由を求める太平洋運動、増え続ける環境への懸念、そして女性運動が講演を活気づけました。

1970年代、経済の隆盛とスーパー台風のような力により拍車がかかり、政治的独立の風がミクロネシアの島々を駆け抜けました。ここは「CHamoru Generation」(チュモロ世代) が生まれた所です。Maga’lahi as Hurao および Leon Guererro、Bordallo そして Won Pat の足跡を追って、これらの活動家が現出する懸念への声を上げました。彼らは民族意識や先祖の土地の権利、自己決定権、先住民のアイデンティティ、そして私たちの言語の重要性について語り、記し、また教えたのです。

PROTECT OUR CULTURAL KNOWLEDGE AND TRADITIONS - 私たちの文化的知識と伝統を保護する

わたしたちの先祖の伝統や芸術的表現の形までもが、すでに失われたか消滅の危機に瀕しています。織物、鍛冶、網やロープ作り、彫刻、船乗り業、またカヌー製造は、すでに私たちの民族の日常生活の一部ではありません。自然治癒の施術は近代的な薬に置き換えられました。Kantan CHamorita や私たちの豊かなストーリーテリングの伝統もテレビやラジオ、そしてポップミュージックに道を明け渡しました。

文化的なルネサンスと共に、伝統的なアートやクラフトに対する新たな興味も持たれるようになりました。これは観光業のブームにより、文化的背景を持ったエンターテインメントのニーズに拍車がかかったからです。太平洋の島々で昔からのアートを祝い、文化や言語的なプログラムを発展させるトレンドもまた、この分野での再興に火を付けました。

The Guam Insular Arts Council (グアム議会のアートおよびヒューマニティに関する当局の先駆け)が1975年に設立されました。熟練者が識別され、チャモロの伝統アートを認識して受け渡す公式な方法として、徒弟プログラムが設立されました。

考古学研究もアーティストが古代チャモロの生活のテーマにインスピレーションを受けるのに一役買っています。

PROTECT OUR LANGUAGE - 私たちの言語を保護しよう

私たちの言語は初期の海軍政権の英語以外の使用を禁止するポリシーを通じて抑制されました。第二次世界大戦後、再び英語以外の使用を禁止するポリシーが学校や職場で強化されました。英語が上手いほど成功すると信じて、多くの親が子供たちに有利になるようにと家庭でもチャモロ語を話すのを止めました。

私たちの先住民としてのアイデンティティと言語の重要性との繋がりが強く意識されるようになると、私たちは母語の保全と存続を確実にするためのステップを踏み出しました。

PROTECT OUR NATURAL RESOURCES - 天然資源を保護しよう

私たちの先祖の時代から、私たちは自然と一体であると教わってきました。 私たちの環境は発展や人口過密、汚染、軍事増強、またかつて私たちが持っていた自然および歴史的資源との神聖な関連性を無視することにより、脅威に晒されています。気候変化や持続可能な慣行にもっと注意を向けることにより、私たちの土地や海、空気、そして新鮮な水を守る努力やコミュニティに対してバランスの取れた生活を教育することに繋がってきました。

OCEANIA MAP - オセアニアの地図

引用: 我々は島が小さいことによって定義されるべきではなく、我々の海の偉大さによって定義されるべきである。我々は海であり、大洋である。オセアニアは私たちだ。 –Epeli Hau’ofa,「私たちの島の海」、A New Oceania: Rediscovering our Sea of Islands, 1993 より

THE JOURNEY CONTINUES… 旅は続きます…