基礎研究と応用研究

(シクロデキストリン)

基礎研究と応用研究(シクロデキストリン)

(不飽和キサンテート,猛臭,βーシクロデキストリン包摂体,分子カプセル.マスキング,応用,発想の転換)

はじめに

以前,「拾い物の反応」というコラムを紹介した.

アリルアルコールから簡単に合成できるallyl xanthate (I) は,OddoとRossoによって1909年に合成されている.ところが,蒸留によりallyl methyl dithiolcarbonate (II)へ変化したことに気付いていなかった.分光機器のない時代の話,仕方のないことである.転位体IIはニンニク中の硫黄成分であるアリシンの基本部位(アリルメルカプタン,赤部分)を有していることから,allyl alcoholから簡単に合成法する手法になることが分かった.Iの合成は高校の化学に出てくるセルロースからビスコース人絹を作る際の合成法と同じである.アルコール,苛性ソーダ,二硫化炭素を攪拌すると,黄色のキサントゲン酸塩水溶液が生成する.これにアルキル化剤を加えて攪拌すれば黄色油状物質のキサンテートが得られる.

転位成績体は蒸留で精製するが,強烈な臭いのため,反応容器や蒸留フラスコ、真空ポンプなどについた僅かな量でも学部中臭いが充満する代物であった。当時,九大薬学部では赤外線吸収スペクトルの測定は、分光素子に食塩プリズムを使用していたため、除湿された部屋で専任オペレーターが測定を行っていた。ところが,私のサンプルはあまりの臭さに,機器管理責任者の百瀬教授(分析学)から測定拒否を申し渡される始末であった.核磁気共鳴装置が存在しない時代,転位反応の進行に伴って現れる大きなカルボニルの吸収バンドは,物性データとして必須であったため,理解してもらうのに大変苦労した.おかげで私は真空ポンプの分解掃除のベテランになった.

ナトリウムサンドを使用しない合成法

従来,キサントゲン酸塩(ROC(=S)SNa)は,アルコール(ROH)に金属ナトリウムサンドを作用させてアルコラート(RONa)を作り,これに二硫化炭素を作用させてを合成していた.ナトリウムサンドは,溶融したナトリウムを激しく振り動かす方法で用時調整していた.すなわち,無水キシレンと必要量のナトリウムを入れたフラスコを油浴中140℃程度に加熱するとナトリウムは溶融し水銀状に変化する.直ぐにフラスコを油浴から取出し,摺栓をして新聞紙あるいはボロ布等で包み,シェーカーを振るようにフラスコを上下に激しく振ると砂状のナトリウムサンドが得られる.慣れると怖くはないが,誤ってフラスコを取り落とすことを考えると恐ろしくてやれない操作である.現在,この種の実験を学生にやらせたら,保護者から危険実験強要罪?で訴えられるだろう.

そこで,ナトリウムを使用しない方法をいろいろ模索した.その結果,溶媒にDMSOと苛性カリ(KOH)を用いるキサントゲン酸塩の簡易合成法(ROH + CS2 + KOH → ROC(=S)SK) を見い出した.その方法により桂皮アルコールの誘導体(III) を結晶として単離することができた.

IIIの精製結晶は,Iの様なニンニク臭はしないため,熊大薬学部3年次学生の反応速度測定実習の基質として大いに役に立った.さらに,IIIはβーシクロデキストリンに抱接されることが分かり,後に不斉誘起の研究に発展した.

不採用になった研究課題

この種の反応をシクロデキストリン空洞内で行うという試みは,田口胤三教授が退官し,後任の教授として名古屋大学工学部から赴任してきた兼松 顯教授の「研究室内公募」を受けて,提案したテーマである(1978).注)当時,九大薬学部の田伏研究室ではキャップドCyDの研究が行われていた.

反応機構は,福井謙一博士のフロンティア軌道論やWoodward-Hoffmann則て体系化されたペリ(周辺)環状反応のひとつである[3,3]-シグマトロピー反応の範疇に属することを確信した上で提案したが,フロンティア軌道制御の実証のため「シクロペンタジエノンのペリ環状反応」に重点を置きたいという教授の意向を受けて諦めざるをえなかった.その時,兼松教授は「貴方が独立した時のテーマとして温存しておいてください」と言った.体よく断られたわけであるが,1981年には福井博士のフロンティア軌道論が,数多くの実験的証明(主に国外研究者による)によってノーベル化学賞を授賞したので,実証研究(国内では少ない)に協力できたのは正解であったと思っている.


不斉反応

そのような経緯もあり,桂皮アルコールキサンテートのCyD空洞内転位反応の研究は,熊本大学薬学部に異動 (1982) した後に実施した.当時,製剤学研究室(上釜教授)では,各種シクロデキストリンを用いた徐放性製剤や機能性化合物の応用研究が活発に行われていた.当然,製剤学研究室の先生方に教えを乞うたが,「シクロデキストリンは対称構造のため,不斉の場としては適しておらず,成功例はほとんどない」という意見を頂戴した.文献を調べると確かにその通りであり,「ダメもと」で行ったところ,抱接化合物の単離,包摂結晶の加熱による不斉誘起に成功した (1986).速報 (Tetrahedron Letters)として投稿できたのは1991年であった.下図は並列処理計算機サーバーの進歩で実現した分子軌道法による構造最適化により求めた包接構造である(2000 詳報).新反応の発見は偶然性が高いものが多いが,本件に関しては机上プランが巧く行った数少ない反応例のひとつである.

発想転換の必要性

当時,家内が父の薬局の薬剤師をしていたので,新規に発売される医薬品や化学雑貨については,その本体が何であるか興味があり,常日頃調べて講義に生かしていた.その中で,シクロデキストリンを脱臭剤に利用した噴霧剤(1999,ファブリーズ様?)が市販された際は少々びっくりした.はっきりは覚えていないが,商品紹介書に女性化学者グループの発案による製品と書かれていた.我々の場合,ニンニク臭やメルカプタン臭等をマスキングできたのだから,当然同じような発想があってもよかったわけである.

しかし,その頃は,大学でやるべきは純粋な学問であり,俗念?などはもってのほかと思っていた上に,学部内の反対を押し切って光LANの敷設や情報処理教育の実現に専念していたこともあり,そのようなことを発想する余裕や才能は持ち合わせていなかった. 大学紛争の時代,企業との共同研究は糾弾の的となった.それからしばらくはその余韻が残っていたため,多くの教員が積極的な応用研究に踏み出し難かった.現在は企業との共同研究,外部からの研究資金導入は当たり前になり,研究活動を評価する際の尺度のひとつになった.

応用面までを視野に入れた研究テーマの選択の大切さを思い知らされた出来事のひとつであった.


追記

兼松研究室における研究テーマの研究室内公募は1回きりで続かなかった.続ける必要がなかったといった方が正確である.助手3人全員,新教授に協力したからである.

今から振り返ると,田口教授退官後残留していた職員(助教授,助手3名)に対するリトマス試験紙だったわけである.提案した研究課題名は「Cyclodextrin空洞内に於けるallylic転位反応と不斉誘起の試み」,「研究概要」,「見通し」,「必要経費」などを記した用紙はいまも保存している. 


資料など

・B. Oddo and G. del Rosso, Gaz. Chim. Ital., 39, 21 (1909).

・Xanthateはギリシャ語の黄色 (ξανθός [ksantʰós]) に由来する.正式名は O-allyl S-methyl dithiocarbonateである.

・現在,赤外線分光光度計の分光素子は回折格子を用いる.そのため普通の実験室に設置できる.

・DMSO-KOH法は,1級アルコールにおいては金属ナトリウム法より好収率である.

・IIIはニンニク臭は少ないが,粗生成物では少量の副産物や転位成績体 (IV) のため,ニンニク類似臭がある.

・ Cope転位,Claisen転位を学生実習で経験させることは非常に難しいが,IIIを用いると多角的実習が可能である.反応速度論,紫外可視吸収スペ クトル,フロンティア軌道論,BASIC言語による最小二乗プログラム自作と速度データ処理を薬品製造工学の実習として行った. ・IIIのβ-CyD空洞内不斉反応は,清永秀雄君の修士論文,博士論文の一部である.別稿で詳述予定.

・シクロデキストリンにはα,β,γの三種類が存在する.それぞれグルコースが6,7,8個環状に繋がっている環状オリゴ糖である.空孔の内径はα体で 4.7–5.3Å,β体で 6.0–6.5 nm、γ体で 7.5–8.3 nm 程度とされている.深さはほぼ7.9 nm,空洞体積は174,262,427A3である.β体は丁度ベンゼンが入る大きさの空洞を有している.上記の桂皮アルコールのキサンデートはβ体に抱接されるが,包摂部位はベンゼン核であり,反応部位は外に出ていることが分子軌道計算でわかった.