下関 伊藤家

本陣伊藤家と亀屋伊藤家

日本実業出版社のホームページに掲載されているブログ「森岡浩の人名・地名 おもしろ雑学」の古書紹介を読んでいたら,「下関の伊藤家」のことが書かれていた.読んでいくうちに吃驚した.

在職中,私の研究室で卒論および修士課程の研究を実施し,病院薬局就職後は研究生として研究を続け,平成19年に博士号(薬学)を取得した伊藤文一君の先祖に関することが書かれていた.そのことを本人にメールしたところ,早速その本を届けてくれた.

目次

図版・・・・3

伊藤家文書について・・・・39

利岡俊昭

赤間関と伊藤家・・・・44

町田一仁

明治維新と伊藤家・・・・49

清永只夫

資料解説・・・・53


伊藤家文書の概要

1)系図,伝書

2)藩政以前のもの

3)長府毛利藩政に関するもの

4)西日本の諸大名からのもの

5)オランダ商館長一行の逗留に関するもの

6)金地院崇伝,坂本龍馬ら著名人のもの


喜吉3年(1443)〜明治4年(1871)の約430年に及ぶ約700点の調査

下関市立長府博物館が編集した「赤間関本陣伊藤家 海峡人物往来」という冊子体(B5,70頁,平成3年)である.編集後記から,1991年に同館で開催された企画展の図録(資料数92点)であることがわかる.

赤間関(下関)の伊藤家は,鎌倉時代の初期、承久の変後の嘉禎年間(1235-37)に,長門国の目代(鎌倉時代は国守の代理人)として京都から当地に下向した伊藤左衛門尉盛成が祖という.盛成は、藤原氏の一族で、子孫は長門国の在庁官人(地方官僚)として,一時長府・前田に居住,のちに赤間に住み着き、やがてこの地の領主となっている.注1)

室町時代には,後世に薬店を経営した「亀屋伊藤家」と、大年寄・本陣をつとめた「本陣伊藤家」にわかれ、ともに下関を代表する豪商でありながら,大内家や毛利家といった大名家の家臣としての地位も保持していた.注2)

幕末,伊藤家は坂本龍馬の活躍の舞台となる.土佐藩を脱藩した龍馬は,伊藤家と白石家を定宿として下関を拠点に,長州藩の改革派と結んで活動した.京を逃れた妻のお龍も預けており,お龍が龍馬暗殺の報を聞いたのも伊藤家に滞在中であった.

冊子の図録には,豊臣秀吉の朱印状(1593)や,絵画,オランダ器物、また九州の諸大名からの書状も多い.伊藤家に休泊した大名としては,対馬藩主主宗氏,柳川藩主立花氏,平戸藩主松浦氏,中津藩主奥平氏,熊本藩主細川氏,岡藩主中川氏等があげられる.

冊子は,本陣伊藤家(東京在住)の「里帰り資料」の図録とその解説が中心をなすが,系図等は亀屋伊藤家にしか存在しない資料によって補強され,間接的に亀屋伊藤家を知ることができる.注3)

資料11の解説

伊藤家系図 写 1点

紙本墨書 縦25.0cm 横438.3cm

伊藤家の系図原本については,江戸時代に紛失しており,これは伊藤助太夫盛苞の時に作成されたもの.室町初期,二家に分れた伊藤家は,その同族的結合の中から次第に自立し,社会的分業の進展と相俟って,一方は阿弥陀寺町で本陣・大年寄役としての家柄を維持,他方は貞享四年(1687)に西端町に移り,到新膏で有名な亀屋薬店(亀屋伊藤家)を経営,藩からは大年寄格として把握されていた.

解説の最後には,伊藤家について以下の記述がある.

伊藤家は,中世以来の下関屈指の旧家であるが,赤間関という先進的な港湾都市における指導者であったため,進取の気性に富み,常に時代を先取りして,当地に開明的な文化をもたらした.また,有名無名の多くの人々が伊藤家に滞在し,その足跡を赤間関に遺していった.伊藤家の歴史は,赤間関の中・近世史を語る上で欠くことのできないものであり,とりわけ交通史・対外交流史においては伊藤家の歴史が,そのまま赤間関の歴史であるといえる.

伊藤 君の実家の亀屋は,古くから薬の商いをしていたことは知っていたが,室町時代に遡るとは思わなかった.亀屋伊藤家は貞享4年(1687)に西端町に移り薬店を経営,藩からは大年寄格として把握されたとの記載がある(冊子45頁).

時代は下って,伊藤 君の祖父(克亮,23代当主)は,昭和2年熊本薬専出身(薬専15回,熊大薬学部同窓会名簿)である.さらに,大正11年3月卒業(薬専10回,九州薬専)の欄には,伊藤房次郎(22代当主)の名がある.企画展冊子の引用によると「郷土物語 関の町誌」などの書を著している.注4)

亀屋は,明治時代の資料では到新膏本舗となっている.家伝薬である到新膏は万能皮膚病薬として知られていたが,現在は製薬過程での臭いのため製造していないと聞いている.注5)

現在公開されている薬局機能情報によると,亀屋製薬合資会社 亀屋薬局は唐戸町にあり,細江町では調剤薬局を営んでいる.平成19年7月に学位取得した研究課題は,薬局の実務関連の研究ではなく,修士論文の延長線上に位置する「Indoline系回転異性体の構造論的研究」である.注6)薬学教育が6年制へ移行し,長期実務実習を引き受ける立場の病院薬局の指導者(薬局長)は「研究マインド」を持つべきと思い,学位取得を勧めてきたが,彼は私の考えを受け入れてくれたひとりである.処方箋通りに薬を準備し,服薬指導を行うのが日課となっている業務の中で,理論的考察を大切にする指導的薬剤師として地域医療に貢献することを期待している.

資料

1)伊藤房次郎著「郷土物語 関の町誌」,「亀屋伊藤家系図」他.

2)本陣とは,幕府が認めた公用旅行者,諸大名,外国使節(朝鮮通信使,オランダ商館)等が宿泊や休息するための施設である.

3)亀屋伊藤家に大内氏や大内氏奉行衆が発給者となっている文書が数通あり,室町・戦国時代伊藤一族は大内氏に被官していた可能性がある.

4)22代房次郎氏は特攻隊員としてフィリピン沖で戦士,そのため23代は4男の克亮氏が継いだ(私信).

5)致新膏でウエブ検索すると以下の記事がヒットする.

ちしんこう 致新膏を探したメモ(リンク切れ 2022.12.16)

致新膏本補 明治37年亀屋の伝票などの写真 下関市西之端町薬舗致新膏本舗 商号 亀屋喜三郎と書かれている.

ち志んこう広告 致新膏の広告(代理店による),効能など

6)回転異性体の研究紹介と博士論文

(2014.9.26)

追記

朝日新聞に掲載された記事(2010/12/18)

亀屋製薬合資会社 亀屋薬局

下関市唐戸町1−19

電話番号 083-222-3063

FAX番号 083-233-1483


亀屋製薬合資会社 亀屋薬局細江店

下関市細江町2−1−9

電話番号 083-233-0526

FAX番号 083-233-0527

通りへ行こう 下関市・赤間本通り商店街 ~後編 - 山口朝日放送(2021.12.25)

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