大正三年桜島噴火記事

と科学不信の碑

大正三年桜島噴火記事と科学不信の碑

大正三年,桜島が噴火し,100年が経った.

1月12日には,あちこちで100周年の行事があった.

大正噴火についての記録写真を探したが,白黒でスキャンした写真が多い中で,中間調で見ることができる写真が近代デジタルライブラリーで見つかった.

九州鉄道管理局が編纂した「大正三年桜島噴火記事」である.

噴火10分後からの記録写真57枚と各種の記事が収載されている.流れだした溶岩が大隅半島と接触する写真と場所を示す地図もあった.

表紙

噴火30分後(右)と35分後(左)

溶岩の接触位置,1月29日陸続きとなった.

大隅に接触した溶岩

第5章に被害の概況が書かれている.

「人命の損傷は幸に少なかったが,田畑,山林等に及ぼす損害は実に莫大なもので鹿児島県の前後は甚憂慮に堪へぬ」と書いている.

しかし,埋没,焼失した家屋数は1946戸,島の三分の二が減失したため,当時の谷口県知事は,田畑,山林等の復旧が困難であると判断し,住民の移住場所として,近隣町村のほか種子島,北海道,臺灣,朝鮮等を想定し,その費用捻出のため政府に支出を求めている.

被害状況(106−109頁)なお,句読点を追加した.なるべく旧漢字のまま記した.

第五章 被害 第一章 総況

(前 略)

人命の損傷は幸に少なかったが,田畑,山林等に及ほす被害は實に莫大なもので,鹿兒島縣の前途は甚憂慮に堪へぬ.

西櫻島村に於ては,赤水のニ百八十五戸,横山の四百十五戸,小池の二百十九戸,赤生原の百五十二戸は溶岩の下に埋没せられ,武の二百十一 戸,藤野の四十,西道の十七戸は撓失し,叉東櫻島村に於ては瀬戸のニ百二十七戸,脇の六十,有村の百ニ十三戸は溶岩の下に埋没せられ,黒神の百九十六戸は焼失した.夫れで東西繭櫻島村に於て埋没又は焼失したる戸敷を合計すれば,千九百四十六戸,残存家屋が千八百八十六戸で,殆全島の三分のニは減失した.又,土地は黒神の如きは積灰五尺乃至六尺,高免は一尺五六寸,白濱は一尺乃至一 尺三寸其他二俣,松楠,西道の如きも甚しき差なく,比較的被害の少なきは藤野,古里,湯之,野尻等である.それとても,尚噴烟震動等未十分終熄に至らぬから安じて帰る事が出來ぬ.夫れから焼け残つた家屋も田畑同様大抵降灰に理もれ柑橘,枇杷,桃等は大抵枯死し,比較的被害の少なきは落葉樹斗りであるが麥,大根は全滅と云っても支へない.

前陳の事情であるから,帰るに家なく耕すに土地なく,糊口(粥を口にする)に窮迫する者櫻島のみにて目下一萬八千五百五十三人,内鹿児島市に在る者四千三百三十人,鹿兒郡郡にあるもの五千ニ百七十 八人,日置郡に在る者千六百五十五人,伊佐郡に在る者八十人,姶良郡に在る者ニ千九百二十四 人,囎唹郡に在る者三百九人,肝属郡に在る者三千九百七十七人である.是等は皆難当時より有志の義捐金又は被災救助基金に依て其救助を受けるものである.是が為に曰に要する金額 は凡そ千有餘円である.其の爆発より今日に至る迄,既に一ケ月以上を經過せるを以て単に食費にても三萬有餘円を費消した.

降灰の害は独り櫻島に止まらす,対岸大隅地方に於ては尚一層甚しきを見る.即ち始良,肝属,曽於の各郡であるが,其中に於て最甚しきは牛根,百引,高隈,市成,野方,恒吉,東西志布志等である.甚しきは降灰五尺若は六尺に及び住家の軒に達するものあり.野も山も川も草も木も悉く灰に蔽れて青いものは,殆一 物も見る事は出來ない.樹木の如きは往々枯死するものもあり,川魚の如きは悉く死し殆,全滅と云ふても差支なかろう,又,当地方は縣下有名なる馬産地なれとも馬糧不足の為栄養不良に陥る馬匹も尠からざるベく又生産の上にも著しく減少を來す事ならんと考へらる.

櫻島と云ひ大隅地方と云ひ降灰の為本県の作物は皆無に帰するは素より,数年を期するも回腹は困難なるべ し.況んや降灰の深さ二尺以上の土地は到底回復の望なしと云ふ事であるが,夫以下の深さの土地でも莫大の資金を投するにあらずんば,到底回復は困難なるべし.而して其資金を如何にして供給するかが吾々當路者の苦心する所である.仍て此大災害の善後策としては,第一帰るに家無く耕すに土地なき羅災民をして一日も早く適當なる場所に移住せしむるにある.桜島并(ならびに)大隅地方に於て移住を要する戸数は凡四千四百三戸,人員ニ萬八千九十 六人である.気候風土等の関係あるに依り,可成人口稀薄にして肥状の土地を選定せしに最適当なるものを種子島とし,其他肝属,姶良及宮崎縣西諸縣郡地方等にして,橿子島に凡千二百八 十戸,肝属郡に七百二戸,姶良郡にニ十戸,西諸縣郡に七百五十五戸,合計ニ千七百五十七戸を容る餘地ありと認め,目下調査を進行して屈る.然るに,残りの千六石四十六戸は止むなく之を北海道遊,臺灣,朝鮮等に適当なる移住地を求めねばならぬ,移住民には少なくもー町歩の土地と旅費小屋掛費并数月の食料を給せねばならぬに依り其費用一戸平均二百八拾圓とすれば,其の総額百二十有餘萬園を要すべく,到底県費の堪ゆる所にあらざるに依り,国費に特別の支出を仰くの外なかるヘしと考ヘらる.以上種子島并肝属郡及宮崎圏西緒縣郡等所在官林にして耕地に適当なるものあるを以て此度の移民計画に対し無代譲輿の特別なる詮議を望 む次第である.又,前に述べたる土地の復旧の如きも,一反歩約二十八圓を要するものとすれば,其の復し得べき田畑の総反別 一萬七千九百八十四町歩に対し,五百六萬二千四百有餘圓を要する次第に付,之を無利息長期年賦償還の方法に依り,國庫より特に支出貸付せられん事を望 む.尚,収穫皆無の土地に対しては免租,又降灰深き田畑に対しては荒地成の処分ある事と信す, 以上,此の稀有の災害は獨災源地たる櫻島に止まらす一市四郡に亘り,其の地積十八萬三千三百九十七町歩,戸数七萬二千八十一戸,人口四十三萬四千五百九人に係る災害にして,実に鹿兒島縣三分ノ一に當る大被害である.今此の損害価格を計算すれば,総額三千七百十六萬餘圓となり,内桜島の分が七百五ニ十萬圓で損害総額の五分の一強に當る事となる.縣に於ては,三分の一の納税力を失なつた事となるから,県経済上将来に困難を感ずる事となるであろうと考へる.又,東西両桜島は或は牛根,石引村等は獨立も餘程困難になるであろう.

尚,其の他の町村に於ても,税源を失ふて財政上支障を來す事が少くないと思ふ,是等は何とか相当の方法を以て費用を補助する等適当の方法を講究せざるべからすと信ず(以上は一月十二日の噴火及地震に因る損害に就き谷口県知事の講話の抄録なり)。

注)大正3年,東京駅は総工費280万円2千円かけて建設された.当時の1円 = 現在の1万円 位

科学不信の碑

最近,異常気象に起因すると思われる局地的災害が多発する傾向がある.その際,首長は「避難勧告」,「避難指示」等の判断を迫られる.噴火10 周年の 1924 年に東桜島村の村長野添八百蔵氏が建立した「科学不信の碑」は示唆に富む内容である.

桜島爆発記念碑によると,「当時の東桜島村長 川上福次郎は,噴火の数日前から地震が頻発し,岳の崩壊,海岸では熱湯が湧き出し,旧噴火口からは白煙が揚がる等の桜島の容易ならざる現象について,鹿児島測候所(現:鹿児島地方気象台)に数回問い合わせたが,回答は「櫻島ニハ噴火ナシ」であった.村長はこの回答を信じ,住民に避難しないように諭達したが,間もなく桜島が大爆発を起こし,測候所の回答を信用した知識階級が逃げ遅れて遭難した」と書かれている.

以下に碑文をそのまま引用させてもらった.

大正三年一月十二日櫻島ノ爆發ハ安永八年以来ノ大惨禍ニシテ全島猛火ニ包マレ

火石落下シ降灰天地ヲ覆ヒ光景惨憺ヲ極メテ八部落ヲ全滅セシメ百四十人ノ死傷

者ヲ出セリ其爆發数日前ヨリ地震頻發シ岳上ハ多少崩壊ヲ認メラレ海岸ニハ熱湯

湧湯シ旧噴火口ヨリハ白煙ヲ揚ル等刻刻容易ナラサル現象ナリシヲ以テ村長ハ數

回測候所ニ判定ヲ求メシモ櫻島ニハ噴火ナシト答フ故ニ村長ハ残留ノ住民ニ狼狽

シテ避難スルニ及ハスト諭達セシカ間モナク大爆發シテ測候所ヲ信頼セシ知識階

級ノ人却テ災禍ニ罹り村長一行ハ難ヲ避クル地ナク各身ヲ以テ海ニ投シ漂流中

山下収入役大山書記ノ如キハ終ニ悲惨ナル殉職ノ最期ヲ遂ゲルニ至レリ

本島ノ爆發ハ古来歴史ニ照シ後日復亦免レサルハ必然ノコトナルヘシ住民ハ理論

ニ信頼セス異變ヲ認知スル時ハ未然ニ避難ノ用意尤モ肝要トシ平素勤倹産ヲ治メ

何時變災ニ値モ路途ニ迷ハサル覚悟ナカルヘカラス茲ニ碑ヲ建テ以テ記念トス

大正十三年一月 東櫻島村

大正三年一月十二日,櫻島の爆發は安永八年以来の大惨禍にして,全島猛火に包まれ,火石落下し,降灰天地を覆ひ光景惨憺を極めて八部落を全滅せしめ,百四十人の死傷者を出せり.其爆發数日前より地震頻發し,岳上は多少崩壊を認められ,海岸には熱湯湧湯し,旧噴火口よりは白煙を揚る等刻刻容易ならざる現象なりしを以て,村長は數回測候所に判定を求めしも,「櫻島には噴火なし」と答ふ.故に,村長は残留の住民に「狼狽して避難するに及ばず」と諭達(ゆたつ)せしが,間もなく大爆發して測候所を信頼せし知識階級の人却て(かえって)災禍に罹り(かかり),村長一行は難を避くる地なく,各身を以て海に投し,漂流中山下収入役,大山書記の如きは終に悲惨なる殉職の最期を遂げるに至れり.

本島の爆発は古来歴史に照らし,後日復亦(ふたたびまた)免れざるは必然のことなるべし.住民は理論に信頼せず,異変を認知する時は未然に避難の用意尤(もっとも)肝要とし,平素勤倹産を治め(勤倹貯蓄,殖産興業に励み)何時変災にあうも路途に迷はざる覚悟なかるべからず ここに碑を建て以て記念とす

「科学不信」の碑(東桜島小学校)

「住民は理論を信頼せず異変を見つけたら未然に避難の用意をすることが肝要である」と書かれている.

参考資料

「大正三年桜島噴火記事」 国会図書館近代デジタルライブラリー

桜島 - Wikipedia

桜島爆発記念碑 - Wikipedia

石碑にみる桜島大正噴火の災害伝承 | 文献情報 | J-GLOBAL 科学技術 ...

桜島大正噴火の記録映像 - YouTube

桜島大正噴火100周年OfficialWebsite

(2014.1.14)