済々黌(細川家の支援)
済々黌(細川家の支援)
済々黌の運営が軌道に乗るまでには紆余曲折があり,外部からの援助があったことはウィキペディアにも紹介されている.
明治45年の熊本県立中学済々黌創立三十周年記念多士には,その他にも多額の援助があったことが記されている.
同進學舎設立に参画した諸氏は,三名を除き二十前後の若者(四十餘名)で資産があるわけではなく,周辺郡長(菊池合志,飽田託麻,阿蘇)などの支援を得て,240円程度の資金と400坪の土地で茅屋を建て,教育を開始した.単純に現在の貨幣価値に換算することはできないが,当時の1円は現在の1万円,約一万倍と見なすことができる.ちなみに,明治23年,熊本県尋常師範学校の教諭だった井芹経平氏は月給45円である,十年後(明治33年),済々黌黌長になると年俸は1000円になっている(内閣官報局職員録に記載あり).
明治33年 済々黌基本財団は解散し,黌一切が県に譲渡されるまでの20年間に,細川家からの寄付金は10万円(10億円)に達している.なお,明治16年 宮内省からの恩賜金500円は使用されずに,現在も肥後銀行に預金され元利合計が1万円を超えていると言われている.
明治30年,縣費10万円をかけて4ケ年継続事業により黒髪村に校舎が新築されたが,明治36年理化学教室より出火しそのほとんどを焼失した.幸い東京火災外ニ保険会社の火災保険を掛けていたため,その保険金(10万円)で再建された.
経済的支援
明治12年 発起人 百弐拾餘圓,郡長等 弐百参四拾圓,土地四百餘坪
明治13年 郡長 小屋一棟
汽船会社より千圓
明治15年 済々黌開校,授業料 月参拾銭徴収(眼鏡,襟巻,手袋,日傘禁止)
細川家 金三百圓
有吉平吉 金百円
代議士諸氏6名 各20-50圓
明治16年 宮内省から金五百圓(現在も肥後銀行に預金されている)
細川家 金三千圓
本県出身諸氏7名 各200ー500圓
明治18年 本県出身大小官吏50餘名 基金1萬数千圓に達す
明治20年 細川家 金4萬圓(第五高等学校 一萬圓,済々黌 三萬圓)
明治26年 細川家 金2萬圓
明治29年 細川家 金1萬5千圓
明治30年 縣費10萬圓 黒髪村に新築工事,4ケ年継続事業
細川家寄付と合わせ基金合計金10萬圓に達す
明治33年 済々黌一切を県に寄付,済々黌基本財団は解散
明治36年 理化学教室より出火,火災保険(10萬円)で再建
引用資料