突然誕生した日田縣

突然誕生した日田縣

大正11年に出版された「面白い日本歴史のお話 : 伝説. 明治・大正の巻」を読んでいたら,日田縣が一時的に作られたという話が載っていた.17話に「金借り知事」のタイトルで書かれている.日田県の存続期間はわずかに4年余である.政治の裏話として紹介したい.

明治2年(1869)の版籍奉還の後,各藩に知藩事が置かれ,旧藩主がこれに任命された.知藩事職は世襲とされたが,明治4年の廃藩置県で廃止された.その短い間の出来事である.

「金借り知事」

鳥羽伏見の戦いから,北越奥羽の征伐となり,遂に蝦夷地の進撃となって,莫大の戦費を要するが,明治新政府は財政困難を極めて,その戦費の支出に応ずることが出来ない.

注)鳥羽伏見の戦い(慶応4年1月3日 - 6日(1868年1月27日 - 30日))は、戊辰戦争の緒戦となった戦い

そこで政府は種々方策を運(めぐ)らした結果,舊(旧)幕領中に於て尤も富豪の集まっている所を物色した,それは豊後の日田である.日田は九州に於ける幕領二十二萬石餘を支配し,其の管内には豪農巨商が多いから,正金十萬両計(ばか)りを一時政府に借上げやう(よう)といふ事になったのである.

注)正金,補助貨幣としての紙幣に対する,金銀貨幣.

そこで元年閏四月廿五日,俄に日田縣を置き,松方正義を其の知事に任命し,内達するに正金十萬両の借上げを以てした.即ち金借りの為めに知事を任命した譯で,偖(さ)てこそ金借り知事の名ある所以である.

斯くて松方知事の赴任するや,単身日田に入り,先ず弊風一洗(悪い風俗や風習を取り除き)の諭告を発し,投書函を設けて民意を徴し,勤倹を説くと共に,旬日(10日くらいの日数)ならずして十萬両を調達し,1棹八人舁(かつ)きの長持二棹に納め,中国筋より陸路京都に送ったので,朝廷では其の迅速と敏腕とに且は驚き且は喜び,之れが為めに速(すみやか)に戦局を収むることを得た.

日田盆地(海抜80メートル)では,多数の河川が合流し大きな筑後川となる.古くから舟運による交通路が開け,周辺地域で伐採された木材や物資を,下流の久留米や大川といった都市まで輸送していた.江戸時代には,物流手段として一層欠かせないものとなり,それを利用した仲介商業が発展した.豪商は,代官所の廻米用達や掛屋をつとめ,また預り金を運用して周辺諸国の大名,村々,商人への貸付けを行い,金融業者として活躍した.大名貸は貸倒れが多い中,日田は天領のため幕府の目を畏れて,期日迄に利息をそえて返済された.このような金のことを,特別に日田金(ひたがね)と呼んだ.この種の金融資本が,諸藩の改革に貢献したとする見方もある.明治政府がそこに目をつけ戦費調達のため,「にわか県」を作ったという話である.ちなみに幕末のっ正金1両は10万円程度とすると100億円を捻出したことになる.

追記 松方が暴いた福岡藩太政官札偽造事件

松方は,日田県知事時代(明治3(1870)年)に,福岡藩が太政官札を偽造してそれが日田県内に流通しているとする告発をした.明治政府の調査の結果,福岡藩首脳部も関与していた事実が判明し,旧藩時代の改易処分に相当する処分を受けた(知藩事罷免,知藩事世襲禁止,首謀者5人が東京で斬首になった.斬首は表向きで,本当は日本で最後の切腹と言われている).福岡藩 - Wikipediaを参照


参考資料

◯中村徳五郎著「面白い日本歴史のお話 : 伝説. 明治・大正の巻」(石塚松雲堂,大正11年)

◯論説 日田県管地化の実体ー佐伯藩貯所の場合(末広利人)

◯天領日田

◯日田県 - Wikipediaの記載

日田県(ひたけん)は1868年(慶応4年)に豊前国,豊後国の幕府領・旗本領を管轄するために明治政府によって設置された県.管轄地域は,当初は現在の大分県全域と福岡県東部に,のちに宮崎県全域に分布した.管轄地区

松方 正義(まつかた まさよし、天保6年2月25日(1835年3月23日) - 大正13(1924)年7月2日)は,薩摩藩士,政治家,財政指導者.明治期の日本において内閣総理大臣(第4,6代)を務めた.大蔵大臣を7代の長期にわたり務め.日本銀行を設立したり,金本位制を確立するなど,財政通として業績を残した.

15男7女の子供達がいる.三男幸次郎は実業家,松方コレクションで有名.

(2014.2.28)