山形達也は妻の貞子と共に中国の遼寧省瀋陽市にある瀋陽薬科大学に招聘され、2003年9月から研究室をもって研究と学生の教育に当たりました。
貞子は赴任前に発見された癌を抱えながらも最後まで学生の教育に熱心に取り組みましたが、2011年1月に世を去ってしまいました。
残された達也は2014年7月まで勤務してから退職して日本に帰国しました。
エッセイ:最初の半年は新しいことづくめの興奮のうちに過ぎましたが、中国という異国に暮らす日本人として何か発信しようかと、2014年春からODNのmy pageが提供していたブログにエッセイを書き始めました。「瀋陽だより」のタイトルで書き始め、ODNが閉鎖された後も、Yahoo、Goo、Cocologなどに場所を移して「瀋陽通信」、「瀋陽でイエーイ」、「瀋陽にトキメキ」などのタイトルで書き続けました。このようなエッセイを書き続けるというのは生涯初めての経験で、言ってみれば容姿を整えて外出し、心構えも良く整えて人と談義している感じです。もちろん本音を語っていますが、少し気取っています。
教師会日記:瀋陽には日本語で教育をするコースを持つ高校や大学が多数あるほか日本語学校もあって、日本語を教える10〜30名くらいの日本人が瀋陽で暮らし「瀋陽日本人教師の会」が作られていました。達也と貞子は2003年6月に特別にこの会に入れていただき、達也は日本語教育から一番遠いと思われるホームページ(教師会のWebsite)を担当しました。最初はLOGの形でHPに短い書き込みを入れていました。やがて教師会の魅力に惹きつけられ、2005年度くらいからは単なるLOGからは独立してYahooやCocologなどに「教師会日記」の形で書き始め、教師会の日常を記録するとともに教師会に対する気持ちの本心を書いてきています。2013年には堕落した代表のいる教師会を見限って出席を止めるまで書き続けました。
楽天ブログ:2005年秋からこの瀋陽日本人教師の会のホームページ係になった岡沢 成俊先生(現在広州にて日本語教師、FACEBOOK)が、ブログを書いてみようじゃないかと教師仲間に勧めたのです。それで楽天ブログに自分のサイトを作って初めて自分の日常を試行錯誤で書き始めました。驚いたことに、ブログを書いて互いに読んでガヤガヤ言おうという必要性が数ヶ月で消えた後も私はこのブログに書き続け、なんと「山形達也8◯歳の心理学」というTitleで今も書き続けています。その間、妻貞子の病が重くなった2010年夏からは全く書けなくなってしまいました。2011年1月に妻貞子が逝ったあと傷心を癒すために、「さえ」宛の手紙という形で書き始めて、この形式のまま2014年6月末に瀋陽を去るまでほぼ毎日書き続けました。
山形研究室日記:瀋陽薬科大学に研究室を構えて妻・貞子と共に学生の教育に関わり、院生の教育と研究の指導をしました。その研究室運営の気持ちの一部を「山形研究室日記」という形で、これもYahooやCocologなどに2014年6月まで書き続けました。
瀋陽日本人教師の会は毎年2〜3回「日本語クラブ」という雑誌を出していて、これに時々寄稿したので、これも収録しました。
この瀋陽に暮らした時期の経験を時系列でまとめてみました。出所を区別するために、タイトルが色分けになっています。
エッセイは青色のタイトル
教師会の日記は緑色のタイトル
個人の楽天ブログは茶色のタイトル
山形研究室日記は黒字のタイトル
日本語クラブは別のページにまとめています
このsiteの中の写真は2023年11月現在、まだ不十分にしか載せていませんが、今後載せていく計画です
これとは別に、2003年から継続している「瀋陽日本人教師の会」のwebsiteを、「瀋陽日本人教師同窓会」のwebsiteに吸収したので、当時の瀋陽日本人教師の会のほぼ全ての活動が記録されています。クリックしてご覧ください
瀋陽日本人教師の会に所属した会員の当時の状況は、一覧表に載せています。クリックしてご覧ください
連絡先:
tcyamagataATgmail.com