カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
全日空に乗って瀋陽に戻りましたが、成田空港ではスーツケースが23Kgのところを2Kg弱超過していて、超過料金を取られました。つまり、23Kgになるまで中身を出してそれを自分で機内持ち込みにするか、さもなければ追加料金を払えと言うわけです。
沢山買い込んだ生ラーメンの5袋くらいをリュックに移せば、規定重量に収まるのを知っていましたが、チェックインカウンターの前で荷物を開いてなんて格好悪いことは出来ないという気持ちで、超過料金を払うことに同意しました。
「超過料金は3千円ですよ」と小さな紙をくれて、「この紙を持ってあそこに見えるANA発券カウンターに行って払って下さい。はい、これは搭乗券です」と言って搭乗券をくれました。
つまりチェックインは出来たのですよ。以前JALで同じように超過料金を取られたときは、搭乗券を貰う前に超過料金を払わなくてはいけなくて、その金額を払うところにJALの制服の女性が誘導してくれました。でもね、案内されたと言うよりも、引き立てられたという感じでしたっけ。超過料金を払ってから改めてチェックインカウンターに戻って、搭乗券を発行してくれたのでした。
それですから、思わず、「え、これでいいんですか?」と尋ねてしまいました。だって、その金を払わないでも済んじゃうんじゃないか、と思って。だって、払わないままでも搭乗券があるわけでしょ。
発券カウンターでその3千円を払うとレシートをくれました。そこの係に「これをどこかに見せるんですか?」と尋ねると、「いえ、これでいいのですよ」とのことでした。
もし払わなかったらどうなるんでしょうね?搭乗口ではパスポートを見せて搭乗券を渡しますから、もしも超過料金が未払いだとそこに連絡が行っていて、そこで停められるのかなと思ったのですが、実際にはどうでしょうね。
搭乗の時間が来て、先ず、「ビジネスクラスの客様、お子様連れのお客様は先ずこちらにお並び下さい。エコノミークラスの方はこちらです」と二列に並ぶように誘導されますね。
もちろんエコノミー客が圧倒的に多いのですが、その短いビジネス客の列のあとにも恐らく中国人が並んで、彼らの番になると優先搭乗が断られて、エコノミー客の列の後ろに付くように係から指示されていました。
でも、ほとんどの人はこれが気に入らないのですね。エコノミー客の列のはじめの方に次々と割り込んできます。
席が決まっているから、焦って乗ることもないでしょうにね。一方で割り込まれた人たちも、それで損することもないかと鷹揚に受けいれていましたが、これも世界中で顰蹙を買っている中国人の行動パターンの一つですね。
瀋陽に到着すると、そこは初めての第三ターミナルでした。この夏の間に使い始めたのですね。広く、大きく、明るく、国際便にここが使われるようになったら、今までの瀋陽空港に着いたときの暗くて惨めな印象が一掃されるに違いなく、瀋陽の発展のために喜びました。
でもね、瀋陽が評判を上げるには、空港の雲助タクシーを一掃しなくちゃね。
瀋陽のもう一つのニュースは、瀋陽は渾河の南が今は大きく発展していますが、そこから空港まで路面電車を敷設して、それがこの夏運行を開始したということです。
だだっ広い渾南地区に公共の交通機関が必要なのはわかりますし、結構なことですが、それが路面電車というのはこの先大丈夫かなと一寸心配です。過密な繁華街には路面電車が役立つでしょう。渾南地区は新しい開発区なのでともかく広大です。地下鉄の方がいいのではないかな、少なくとも空港まで鉄道を入れるならね。
カテゴリ:日本人教師の会
さえ:
この夏の日本の休暇での大きな目玉は、8月24-25日の瀋陽日本人教師の会のOB会に出席したことです。
OB会の二回目は2009年2月に京都で多田先生が幹事で開かれて、さえと一緒に参加しましたね。現役の人も参加出来るようにぼくたちが日本に戻っている時期に合わせて企画されたのでした。めちゃくちゃ楽しい集まりでした。
三回目は2011年で熱海で中道先生を幹事にして開かれ、もうぼくは独りぼっちでしたが、参加しました。さえとのお別れ会に瀋陽日本人教師の会から大勢の方がいらして下さったのですもの、出席しなくては申し訳が立ちません。
四回目の南本先生による山口のOB会は今年の2月でしたので、時期的には出席できたのに、今年度の瀋陽の教師会でうまくやっていけない精神的打撃から立ち直れずに参加を見送ったのでした。
今回は峰村先生ご夫妻の企画で長野で開かれました。長野まで東京から新幹線で1時間半。長野駅から歩いて7-8分のホテルというのが楽ちんで何と言っても良かったです。
ぼくは瀋陽の現状報告というのがあって、ここでは瀋陽の教師の会の、会員数から見た移り変わりを述べました。2005年度と2006年度の会員数は40名あったのに、今年度は10名一寸です。
そのころの異境の地に一人で心細く、集まってお互いが助け合おうという感じが今はなくなったのですね。むしろ人と会ったり、弁論大会などの義務があったら面倒くさい、教師の会の会費だって止めたらどうか、集まるたびに精算した方が良いなんて意見も出ています。ま、人さまざまですから、その時々の集まりでいろいろと変わって良い訳ですけれどね。
OB会に集まった人たちを在籍年度で分析してみます。2003年度までの会員、2004年度までの会員、2003年度からの会員、2004年度からの会員、2006年度の会員、という具合にそれぞれの在籍年度を書いていくと、中心は2003-2006年度となりました。それ以前あるいはそれ以降の在籍会員でも、この年度には在籍していたのです。つまりこのOB会はこの時期の人たちが集まる会ということになりますね。幸い、ぼくは今回の参加者すべてと知り合いです。
今回集まったのは21名で、食事の時の一人一人のあいさつは、一人1分間だけに制限されました。実際には全部で1時間くらい掛かったみたいですが、誰もがそれぞれ短い中で特徴を出していました。
会の運営に当たった多田先生は瀋陽にちなむクイズを用意していて、実によい問題でした。これで正解の多かった渡辺先生は、峰村先生手作りの浮世絵の表装を当てて大満悦でした。ぼくもカメラを構えていなかったらもっと集中出来たはずで、終わってから「惜しかったなあ」と悔しがりました。この峰村先生の表装は本物で、プロ級の腕前ですね。驚きの人がいるものです。
南本先生は山口県防府市のある地区で古くから伝承されている、お笑いの行事を紹介しました。鎌倉時代から始まったそうで 毎年12月1日に集落の当番の家に集まり、笑うことにより翌年の豊作を占うとのことですが、この笑いかたが奇想天外。聞くだけで自然と笑い出してしまいます。
瀋陽に帰ったら、日本土産話の一つとして、これを紹介しましょうね。みんなが笑い転げるでしょう。
教師の会で1年間一緒だった澤野先生にも会えました。今85歳で身体のあちこちの不具合を抱えながらも、フランス語の勉強に今でも通っておられてとても心強く思いました。さえを失って今でも辛い思いのぼくを優しく慰めて下さったのですよ。
ところでぼくはこの集まりのために思いついて、以前撮りためた写真をスライドにして上映しようと企画しました。2003年度の最初の一年はあまり撮ってはいませんが、その後は日本語クラブ係とホームページ係だったし、一杯写真を撮っています。
会場のホテルでプロジェクターを借りると何万円ということになるので、10年前に買ったものなので暗いのが難点でしたが、瀋陽からプロジェクターを運びました。
食事が終わってから2005年度の、「教師の会始まって以来、初の」バスによる玉の見学旅行に入る手前で時間が来て、後は次回にお預けとなりました。
カテゴリ:さえへの日記
さえ:
長野で開かれた教師の会のOB会では一人1分間の持ち時間挨拶をすることになり、その時に心に浮かんだ子供との距離について感じたことを話そうとしたのですよ。でもね、つい、さえのことが心に浮かんで来て、言葉が途切れてしまい上手く話が出来ませんでした。
これを今まとめてみましょう。夏にうちの長女と会ったときに痛感したことが契機でした。
娘は札幌に単身赴任しているため何時も忙しがっていて、滅多に会う機会がないのですけれど、この夏は東京でちょうど用事があって出てきたので、昼ご飯を一緒に食べることが出来ました。
娘と話をしていると、さえと話しているときと違ってどうしても違和感が残るのです。それが、どういうことなのかを考えてみました。
さえとぼくはお互い長い間一緒に暮らしていただけでなく、研究している対象が同じでしたから、お互い良くわかり合っていたし、お互いを必要としていましたね。
娘と話をしていると、それなりに親として気を遣っているのは分かりますけれど、どうも、娘は話そのものに身を入れていないのですね。ふん、ふん、ふん、と聞いてそれなりの返事は返ってきますが、いま総括してみると、娘は話はともかくとして、娘は話す相手のぼくに本気で興味を持っていないのですね。
さえとぼくはそうではなかった。お互いに気遣い、心を通わせて話をしていました。これは二人の間には愛があったということでしょう。
ぼくが友達と会うときだって、相手に敬意を持ち(敬意が払えるから、そういう人を選んでいるから、友達ですね)、お互いの考え、意見、気持ちを愛でる気持ちがあるから、わざわざ出会ってお喋りをするわけですね。
なるほど、そうか。親子は選んだ関係ではないですよね。そして親子という特別な、またとない関係は切るに切れないものですから、親子関係を上々なものとして維持するためには、友達関係以上に努力しなくてはならない、とぼくは母に対してずっと思っていたことを思い出しました。
親子だからこういうことを言っても当たり前、あるいはこういうことを要求しても当たり前、というように母はぼくに接していました。一方のぼくは、親子がお互い尊敬し大事に思えるためには、お互い親子だからということ以上に心の努力が必要じゃないの?とぼくは何時も思っていました。
母にしてみれば、目の中に入れても痛くないほど可愛かった子供だし、こちらが長じてもその気持ちはまったく変わっていないわけですから、自分が心から愛して大事に思っている子供なのだから、子供も私を大事に思っていて当たり前、ということだったのでしょう。
もちろんぼくは親を大事にも思っていましたし、106歳の最後まで看取ったし、親に対する気持ちに恥じるところはまったくありません。けれども、親は先に死ぬのが当たり前と思っていました。彼女と話しながら彼女の気持ちを十分に理解して、つまり一人の人間としてとして心から尊重して付き合っていたかというと、今の答はNOです。
つまり、ぼくと話している娘の姿に、昔のぼくの母と話しているぼくを見たわけです。今度は同じ状況の、しかし、逆側にいるということですね。
さえが生きているときは、子供との関係はまったく気にしたことがありませんでした。さえとぼくとの関係が基本であって、子供との距離は気にもなりませんでした。何時も気を遣ってくれるさえが傍にいるので、ほかのことは全く没問題でした。
そう、親子の関係は、親が子供を思うほど、子供は親のことなど思っていません。やむを得ないお付き合いをしなくてはならない他人みたいなものでしょう。
ぼくが一人になっても、子供の態度が変わったわけではなく、ぼくが初めて子供との距離感を実感したと理解すべきでしょう。
そして、さえを失って、喪ったもののあまりの大きさに改めて茫然としているというのが真相です。
教師の会の集まりでは、お二人で出ておられる方々に、お互いの存在は計り知れないほど大事なものだからお互い頑張って、どちらもできるだけ長生きして下さいね、と言いたくて話し始めたのですが、思うことの半分も言えないうちに持ち時間が切れて、尻切れとんぼに終わりました。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
この秋に入ってぼくは、もう瀋陽に十年暮らしたことになります。
瀋陽を訪ねるのは何時がいいの?と人に聞かれると、5月か9月と何時も返事をしています。長い冬が終わって4月の終わり頃には一斉に花が咲いて、瀋陽には文字通り美しい5月が訪れます。
もう一つは9月ですが、この時期の特徴は青空です。実際、瀋陽の抜けるような青空というと9月しか思い浮かばないのですね。ほかの時期の青空は長く続くことがないので9月の青空が特徴的です。大体が瀋陽の空は薄曇りです。
今年の1月に、急に北京の空気中の微粒子PM2.5が有名になったでしょ。
瀋陽でも11月からは暖房が入る時期で、石炭を焚くものですから空気は何時も汚れています。言ってみればシャーロック・ホームが活躍した頃の「霧のロンドン」ですね。
今年はその曇天が何時も続くし、咳が出るし、早く春休みにならないかと心待ちにしていましたが、その時に初めて、実は中国の空がPM2.5と呼ばれる微粒子で重度に汚染されていることを知りました。
そのとき、
Air Pollution in Asia: Real-time Air Quality Index Visual Map
と言うのがあって、1時間ごとのPM2.5とPM10の測定値が公開されていることも知ったのです。(資料1)
その半年前には、北京の米国大使館がPM2.5の測定値を公表して、中国政府が内政干渉だと大きな反発をしていました。米国大使館は邦人の健康のために(米国の立場で言うと自国の米国人は邦人なのですね)発表しているので譲れないと言って、激しいやりとりがありました。その時は(いまも?)黄砂の濃度も国家機密だとして公表を拒んでいた中国ですが、今や中国各地のPM2.5をこのようにネットで公表しています。
1月以来このMapを毎日見るのが習慣になり、今日の瀋陽は北京並みに汚いだとか、石家荘もひどいもんだとかいっていましたが、日本ではPM2.5濃度が許容以下という緑色(PM2.5が50以下が許容値とされている)なのに、中国は何処でも何時でも、200-300が普通に当たり前で、毎日の変化に乏しく見る気がいつの間にか失せました。
この夏日本に戻る前の8月の瀋陽の空が相変わらず汚染されていて、Mapを見てもその通りなのですが、その時は日本も中国並みの汚染度でした。実際日本に戻っても、うちから富士山が見えない日が一週間以上続きました。
それが8月の終わりに瀋陽に戻ってみると空が綺麗で、8月31日には瀋陽のPM2.5が13と言う今まで経験したこともない見事な値で、実際、見上げる空はあくまでも澄み渡り、感激的でした。
その翌日の9月1日はPM2.5が33と、これも好記録です。次の日は夕方から200を越えましたが、昨日の3日は50でした。瀋陽の空が秋には晴れるというのは恐らく気圧配置の関係で、北の空気が大気汚染を吹きとばしているのでしょうね。そのためか、日本も軒並み綺麗な緑色です。
北の空気が入ってくるためか、昼間はまだ暖かになりますが、瀋陽の最低気温は8月末からは10度を割っています。
また寒い、暗い、長い冬がやってくるのだなあと気分が暗くなりますけれど、多少寒くても空気の綺麗なのは嬉しいことです。
1日の日曜日には暁艶と五里河公園から、川沿いに下って歩き、全部で12 kmくらい歩きました。この河沿いには公園と歩くための道が美しく整備されていて、その綺麗さはパリみたい(パリが清潔と言っているわけではないですよ、街は犬の糞だらけですものね。ブローニュの森みたいと言うべきか)で、「え?、瀋陽に(中国に)こんなに綺麗なところがあったの?」という感じでした。
日本では美観・景観に無関心で、隅田川の護岸が堤防どころか塀であるところがありましたが、それと比べるとこの国は羨ましい限りです。土地が私有財産でないことのいいことの表れですね。ま、すべていいところではないから、お互い様でしょうけれど。
(資料1)
http://aqicn.info/map/
カテゴリ:生命科学
さえ:
自分で実験をやっていないと、つい感覚が鈍りますね。暁艶が気付いて教えてくれたから良かったけれど、この先、十分気をつけていないといけません。
暁艶は夏の間に久しぶりに実験をして、qPCR(Real time PCR)によってある遺伝子の発現レベルを測りました。使っている細胞でのこの遺伝子の発現は、サーマルサイクルで言うと24-28くらいで、まあ普通のレベルの発現なのですが、今回、暁艶がqPCRで測ってみると35-36サイクルと発現が低いのですね。
このqPCRは細胞が発現しているmRNAをreverse transcriptaseでcDNAにして、その中の特定の遺伝子の発現をPCRで増幅していきます。この増幅が蛍光強度の増加で追跡出来るのが味噌で、実際、この増幅の曲線(Amplification Curveと言っています)を目で見ることが出来ます。
発現が低いと言うことは、増加する曲線がずっと右寄りと言うことですが、実験条件によってその曲線がかなりばらついているのですよ。
qPCRの良いところは、増幅したcDNAの熱変性曲線が調べられてそのTm(変性温度)が表示されることです。これはDissociation Curveと呼ばれています。
調べたい遺伝子は、その遺伝子をターゲットにしたプライマーで増幅するので、その遺伝子が増幅されていれば、同じTmを示すわけですが、もしこの増幅に失敗していると(プライマーを入れ忘れた、目的の遺伝子が全く発現していなかった、など)、全くTm曲線が出ないか、あるいは試料の中の微量なDNAのゴミが増幅されて、まちまちの温度でTmを示すことになります。
ですから、qPCRの実験が正しく行われたかどうかは、Dissociation Curveを見ることで確認出来るわけですね。
暁艶は、このDissociation Curveを見ることで、実験が正しく行われていないことを知りました。原因としては、使っている細胞が目的の遺伝子を発現しなくなった、使っているプライマーが何らかの原因で分解してしまった、などが考えられるわけですね。
それでほかの学生による、別の目的の実験を遡って調べてみました。すると二ヶ月くらい前から、この遺伝子の発現が今回と同じように低下しているのですね。それで、Dissociation Curveをみてみると、tubeごとにまちまちのTmではありませんか。つまり目的の遺伝子発現を測っていなかったわけで、得られた結果は、完全にまがいもの(たまたま入ってきたゴミ)を追いかけていたわけです。
実に危ないところでした。
qPCRをぼくたちが使い始めたのは昨年の5月からでした。得られた結果を計算して、比べたい条件下での発現の比を問題にするのですが、ぼくもはじめの頃はAmpification Curveはもちろん、Dissociation Curveもしっかり目を通していたのに、この頃は学生の持ってきた計算結果だけを吟味していたのですね。
これで実験結果が大分パアになりましたが、もちろん意味のない実験だったわけです。大いに反省しながら、今、気付いたことを是として、改めて研究を進めましょう。
カテゴリ:日本の将来
さえ:
2020年に東京で夏季五輪が開催されることが9月7日のブエノスアイレスで開かれたIOCの総会で決定しました。東京では1964年に初めて開かれて以来の54年振りですね。
ぼくたちは1964年に開かれたときにはもう東京を離れて名古屋の生活を始めていましたから、具体的なオリンピックゲームのことはほとんど知りませんけれど、東京開催を気に東京がきれいになり、日本が一段と経済に代表される国力を充実させたことはひしひしと感じられました。
身近な恩恵は新幹線でしたね。それまで東京に便利に行くのには夜行列車を使うしかなかったので、これは大いにありがたかったです。最初に乗ったのが「ひかり」か「こだま」だったか、大体その名前がその頃からあったかどうか覚えていませんが、ほかに乗客がいなくてぼくたち二人だけだったので、指定の席から離れて好きなところに座っていたら、廻ってきた車掌に怒られましたね。「お客様の指定席はここです。動いてはいけません」
東京オリンピックを契機に246号の青山通りが拡幅整備されて、見違えるほど綺麗な街並みになりましたし、首都高速道路が出来たのもその時でしたね。その後ぼく自身の車(いすずベレット)に乗って東京に行ったときには、夜中に首都高速を何度も回り続けた記憶があります。その頃は超過速度取り締まりの監視カメラがなかったのでしょうね、きっと。
2020年の東京オリンピック誘致に傾注した人たちは、54年前と同じように、日本経済を復興させる良い機会と思っているのでしょうね。
でも、それだけの力が今の日本にあるのか気になります。税収は毎年40兆円しかないのに歳出規模は100兆円です。借金の棚上げに慣れた官僚と議員は平気で借金を上積みするでしょう。しかし、道路の建設や美化、それに競技場の建設にいくら金を掛けても私たちにのしかかる負債を増やすだけで、負債を返済出来る能力を高めるわけではないのですから、日本の先行きが心配です。
おまけに今の日本は福島第一原子力発電所の汚染垂れ流し問題を抱えています。これは行政能力だけではなく、古来から日本人の美徳とされていた、事が起これば率先して献身的に事に当たる風潮が喪われてしまい、誰もが保身に走るように変わっていたことを示しています。
IOCの開催地決定の総会では、安倍首相はスピーチで、福島の汚染問題については「問題はない。福島にご懸念の方は私から保証をいたします。状況は統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも及ぼすことはない」と宣言をしたそうです。これはつまり東京五輪を開催するにあたっての、日本人が世界に対するコミットメントですね。安倍首相のこの発言を、2020年までに日本人が努力して、日本人は確かに嘘をつかない民族であることを世界に示さなくてはなりません。
無から何か形のあるものを作るには、エネルギーが要りますよね。ところが日本は資源のない国です。60年前には1バレル5ドルの原油が今は100ドルを超えています。石油は枯渇してなくなると言われながらも、実際には掘削コストが上がるだけで手に入るので、この先もコストに見合って値段は上がり続ける一方でしょう。
太陽光発電と風力発電が喧伝されていますけれど、それらには大した実力はないみたいですね。それなのに、日本は原子力発電を放棄しようとしています。それなら日本に豊富にある地熱を利用する地熱発電(資料1)を考えるかと思えば、既得権となっている温泉を傷つけてはいけないという理由で遠慮しまくりです。
資源のない日本で何が資源になって日本が生き延びられるでしょうか。東京オリンピック開催に浮かれるのも、いっときは良いでしょうけれど、地道に日本が生き延びられる方法を、すべての日本人が真剣に考える良い機会とすべきでしょう。
(資料1)
日本の地熱発電技術、世界一から滑り落ちる危機
発電量が安定、コストも安いのになぜ二の足踏むのか
2013.08.30(金) 川嶋 諭 JBPress
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38575
カテゴリ:韓国のこと
さえ:
2020年の夏季オリンピックが東京で開かれることがIOC総会で決まりましたが、案の定、韓国がいちゃもんをつけています。「正しい歴史認識こそ必要」と、この頃何時も言い続けている論調のままです。
韓国とぼくが交渉してきた訳じゃないので日本政府の発表をそのまま鵜呑みにしているわけですけれど、両国の問題は日韓条約締結時にすべて片付いているはずです。それなのにその後も手を変え品を変えて、ねちねちと謝罪の継続と金を要求してくるやり口は、厭になりますね。「韓国こそ正しい歴史認識を」です。
朝鮮は大陸の一部に突き出た半島ですから、内陸の勢力に好きなように翻弄されてきたので、中華を宗主国として朝貢をすることで自らを属国として付き従ってきた国です。その彼らの中華秩序から見ると、光り輝く中華文化の外周に自分たちがいて、日本はそれよりも遙かに遠い東夷の蛮人なのだという認識なのでしょう。
ですから、科学でも文化でも、つまり国として日本が朝鮮よりも上位にいるのが許せないというのが骨子にあるみたいで、声を大にして、あること無いことを叫び続けて、出来る限り日本を貶めようとするのでしょう。
中華文明の元となった儒教は、こういう態度をどう扱っているか、勉強してみようと思っています。少なくとも、日本人であるぼくの目から見ると、朝鮮人の行動は浅ましいの一語に尽きます。
ぼくの尊敬する友人にはクリスチャンが多いですけれど、ぼくはキリスト教を信じていません。と言うか、宗教を信じる人たちの異教徒に対する狂信性が不気味で、どの宗教も敬遠しているのです。
このような無宗教のぼくの心の中の標準は、道徳感ですね。
むかし、江田島にあった海軍兵学校で生徒に毎日唱えさせた言葉「五省」が、ぼくは好きです。
一、 至誠に悖(もと)るなかりしか
一、 言行に恥(は)ずるなかりしか
一、 気力に缺(か)くるなかりしか
一、 努力に憾(うら)みなかりしか
一、 不精に亘(わた)るなかりしか
このなかの、至誠、言行、気力、努力、不精のどれをとっても定量的に表すことは出来ないし、その何処までが受け入れられるもので何処以下が駄目なのか、判然としませんが、以上の五つはひとまとめにできるのですね。
至誠に悖ることは恥ずべきことですし、気力が欠けたり、なすべき努力を放棄したり、怠惰であることは恥ずべき事なのです。これを唱えて自分の行為を顧みて、恥ずかしいことをしなかったかと自らに問うのです。つまり、一口に言って自分は恥ずべきことをしないというのが、ぼくの行動の基準なのですね。
このようなぼくの道徳観から見ると、朝鮮人の行為は人の風上にも置けないものと映ります。
ネットで見てみたら、『敗戦後来日した米国海軍のウィリアム・マック海軍中将が「五省」に感銘を受け、アナポリス海軍兵学校に持ち帰り、翻訳させて現在でも教育に利用している』ということです。
英語でどのように表現されているのか興味がありますが、英語でも内容が表現できると言うことは、朝鮮の人たちにもこの意味が理解出来るはずですね、きっと。
カテゴリ:日本の将来
さえ:
Yahooで見られる「個人ブログ」というのがあります。どういう観点から選ぶのか分かりませんけれど、個人のブログからこれはと思うものを持ってきて載せているみたいです。そうやって読んだ中に、天木直人氏の書いた「こうして予算編成権を国民の手に取り戻そう」というのがありました。(資料1)
天木直人氏はWikipediaによると、『1947年生まれで京都大学法学部から外交官試験に合格。ナイジェリア大使館、経済局、大臣官房、ジュネーブ国際機関代表部、在サウジアラビア大使館勤務を経て、駐マレーシア公使、駐オーストラリア公使、駐カナダ公使、駐カナダ公使、2001年より駐レバノン日本国特命全権大使。2003年に外務省を依願退職』した経歴の人です。
天木氏本人のブログによると、『2003年、当時の小泉首相に「米国のイラク攻撃を支持してはいけない」と進言して外務省を解雇された反骨の元外交官。以来インターネットを中心に評論活動をはじめ、反権力、平和外交、脱官僚支配、判官びいきの立場に立って、メディアが書かない真実を発信している』とのことです。
私たちの払う税金によって国は予算を立てて日本という国を運営していますが、官僚主導で予算編成がなされて時の政権党がそれを追認する形で税金の使途が決まっているわけですね。予算の編成はその時の政権を握る党が主導するかと思っていましたが、民主党政権の時に分かった通り、政治家なんて他愛もなく官僚にひねられて、思うことはほとんど何も出来なかったわけです。
自民党の場合には長い蜜月期間を経ていますから、お互いの利益になるように予算を編成しているのでしょう。このブログは『官僚に独占されている予算編成権を国民の手に取り戻さなくては、消費税増税はおろかあらゆる増税を拒否すべきだ』と言う強い言葉で始まり、官僚主導による予算の編成を国民が監視する必要があり、そのためにはどうするかを訴えています。
この国は間接政治ですから、国民の意見が政権党を支持していないときは野党の口を借りて意見が飛び出すわけですけれど、そんなものは安定多数の政権党から見たら「屁の河童」ですね。
このブログによると、『各省の概算要求が出揃った時点で、そのすべての情報公開を求め、それをインターネット上で国民に開示して、インターネット上で国民に査定させるのだ。希望する国民ひとりひとりが財務省の主計担当官になるのだ』と、とても勇ましいことです。
『予算書全部は膨大な量だ。そのすべてを査定するのは膨大な作業だ。それは財務官僚が半年かけてかかりっきりで行なう作業である。しかし、国民にはそれ以上の人力と時間と叡知がある。他人の金を動かす官僚と違って、自分の税金がどう使われるかをチェックするという切実さがある。一切の馴れ合いを排除し、財務官僚の査定などよりはるかに厳しく、正しい査定ができるのだ。それをインターネット上で有志にやらせ、その結果を皆が共有するのだ』
『要するに、予算は国民の意見など無関係に査定され、それがそのまま国会で通ってきたというのがこれまでの予算査定システムである。それをインターネット上で阻止するのである。少なくとも一石を投じるのだ』
『ネット上で予算の是非につぃて議論が巻き起こればいいのだ。そうなればメディアも書かざるを得なくなる。国会の予算委員会でも取り上げざるを得なくなる』
なるほどね。今やネットは大きな力を持つことが出来ます。事の真偽は分からなくても、人々がどう考えているか、人々の意見が何処に向かっているかがつかめます。サイレントマジョリティをネットで上手くつかんで大統領選挙に勝利したオバマの例もありますよね。
それですから、この天木氏も『私がこれまでのどの政党もできなかった事を行なうまったく新しい政党を提唱するのは、そのような国民運動を起こす政党である』と言っているので、自分もネットで支持を集めて政党を作りたいのかも知れません。
予算が官僚と政権与党の欲しいままに決まることを怒ってみても、ぼくたちは選挙以外は何も出来なかったわけですね。その立場から見ると、たいへん結構な提案ですから、「先ず、隗より始めよ」です。
天木氏は是非自ら頑張って、官僚の出してくる予算に文句の火を付けて欲しいものです。それが彼自身のための政党運動になっても、それはそれで結構なことだと思います。
(資料1)
「こうして予算編成権を国民の手に取り戻そう」
天木 直人 外交評論家
2013年8月31日
http://bylines.news.yahoo.co.jp/amakinaoto/20130831-00027725/
http://www.amakiblog.com/archives/2013/08/31/#002690
カテゴリ:友だち
さえ:
9月14日の土曜日午前の研究室セミナーはぼくが当たっていて、お茶の葉に含まれるポリフェノールの一つがオートファジーを促進するという研究を紹介しました。学生の一人である張雪城は少々太り気味で、普段はお茶を飲まないと言っていましたが、これからは飲むようになるでしょうね。
王一任はある種の甲虫の出すcantharidinという毒素の誘導体が免疫反応を高めることで、異物に対する抵抗性を増すことが出来るというPlosOneに載っていた研究を紹介しました。
その日の午後は、あまりにも青い空に誘われて校庭を歩こうと思って、運動靴に履き替えて建物の一階まで降りて歩き出しました。半分も行かないうちにグランドの一部が見えてきて、賑やかな声に誘われて眺めると、そこでソフトボールを始めているのですね。どんな具合にやっているのかよく見ようと思って垣根を切って作られている通用口を越えてグランドに入ると、キャッチボールをしていた一人の学生が「山大爺」と叫ぶのですよ。
見た顔です。すると右手からやってきた女子学生も親しげに挨拶するし、もう一人の学生は二年前の夏にはこの薬科大学のソフトボールのピッチャーでした。この夏にはもう卒業したのかと思っていたら、やっと今が4年生なのですね。
二年前に、誘われてソフトボールをして遊んだことが一回だけありました。それっきりなのですけれど、「どうですか一緒にやりません?」と聞かれて「じゃあ、一緒にやらせて」とインスタントに仲間になりました。
何処の守備をすると聞かれて、もちろん一番ボールの来ないセカンド。学生のクラス対抗の遊びの練習試合でぼくが加わってちょうど10人になりました。そのうち、女子学生が二人。
昨年は全くソフトボールをしなかったから久しぶりのソフトボールです。
空は青いし、空気は綺麗だし、日差しも暖かく、ワイシャツ一枚で1時間半もグランドにいてソフトボールを楽しみました。
ここのソフトボールは特別ルールで、ピッチャーはバッターにまっ直のボールを投げてはいけないのです。途中の軌道で少なくとも3メートルの高さを超えるべしと言う規定があるので、バッターボックスに立っているとホームプレートにほとんど上からボールが落ちてきます。慣れないと、打つのが大変です。
4回打順が回ってきて、ショート横を抜くヒット、三塁手前に当たり損ねの内野安打、四球、三振と、だんだん悪くなった打撃成績でした。
守備の方は、一度だけセカンド右手に強烈なゴロが来て、逆シングルの左手に見事キャッチしたのは良かったのですが、その後送球しようと思った身体がこわばってしまって一塁に全くボールが投げられませんでした。「いいから、いいから」とショートの、これもおなじみの学生に慰められました。
二年前の彼らはまだ動きがぎごちなく、ボールを投げるときは日本で女子が投げるみたいな腕だけ動かして上の方に球を投げる感じでしたが、今は身体全部を使って流れるような動作で速いボールを的確に投げています。参加している女子学生も、ぼくたち男子の投げ方が出来て見事です。キャッチャーからセカンドに見事に投げています。ぼくはセカンドからファーストにボールがやっと届くくらいなのに。
以前は守備もひどいもので、打てばゴロはもちろんフライも捕れないし、打てば必ずヒットになって、試合は何時も乱打戦だったのですよ。ところが、今は外野フライはきっちり捕球しますし、内野ゴロは先ず一塁送球でアウト。場合によってはセカンドに送ってからダブルプレイです。もっとも、ぼくがセカンドだったときは、フォースアウトが精一杯でしたけれど。
1時間半グランドで久しぶりに運動をして、身体がよい感じでした。夏にストレッチに失敗してぎっくり腰になって二日間寝たのにその後は元気になったし、いつも早足で歩き回っているので、うちの学生はぼくのことを密かに「老張」あるいは「大張」と呼んでいると言うことです。日本語にすると「ゴキブリ野郎」という意味です。
今のぼくは、叩いても潰しても元気なゴキブリのイメージなのですよ。
それにしても此処で、学生に一緒に遊んで貰って、ぼくは幸せな老師だと思います。
カテゴリ:生命科学
さえ:
緑茶は昔から健康によいと言われているでしょ。心臓病を防ぎ、高血圧を下げ、糖尿病を抑え、脳の発達の助けとなり、前立腺癌の悪化を抑え、記憶障害を予防し、太りすぎを防ぐ、などさまざまな効能が言われています。
それぞれの効能の一部は科学的実験によって茶の葉の成分が有効であることが示されて来ました。日本でも、中国ではあれだけ油を摂食するのに太らないのはお茶の効能だと長い間云われて来ましたが、明確な証明はなされていません。最近の研究で、少なくとも血管内皮細胞が脂肪をため込むのを防ぐ効果があることが証明されました。(資料1)
論文によると11年に亘る観察実験の結果、お茶を飲むことで心臓病が抑えられることが明らかになり、最近、そのメカニズムが研究されました。お茶の葉に含まれるポリフェノールの一つであるEGCGが血管内皮細胞でオートファジーを促進するという研究が発表されたのです。
オートファジーは細胞の中で起こる自己分解です。細胞は時々細胞の中の一部を特に何の見境もなく囲い込んでから、リソソームという各種の分解酵素を沢山詰め込んだ細胞の中の袋と融合させて、その中に入ったものをすべて分解してしまいます。分解物は細胞の中に出てきて細胞が作る構成成分の素材として使われます。
オートファジーによって細胞の中で見逃されて長生きしているタンパク質も、あるいは本来なら捨てたいものなのに間違って溜まってしまったものも、こうやって分解出来るのですね。このオートファジーは細胞にはなくてはならない機能で、これを停めると細胞は死んでしまいます。
心臓の血管内皮細胞に脂肪が溜まるのは動脈硬化の誘因の一つです。この内皮細胞でEGCGによりオートファジーの頻度が二倍になれば、もちろん脂肪もオートファジーで出来る囲いの中に含まれる機会が増えるわけで、脂肪が細胞の中に溜まるのが防げるわけですね。
生体の中の仕組みは合成の仕組みの方が魅力的なので、生化学の研究では、さまざまな生体分子の合成の仕組みが先に明らかにされました。でも、細胞の中で合成されたタンパク質があれば、それはいずれ分解されなくてはいけません。合成と分解はあくまでも互いに相関した動作です。定常状態ですと、沢山合成されれば同じようにそれに見合った数の分子が、分解されなくてはなりません。
細胞の中で働く酵素には寿命があります。たとえば、オルニチンデカルボキシラーゼという酵素の半減期(あるとき作られたこの酵素分子の数が半分なるまでの時間)は、12分ですが、一方、アルドラーゼという酵素の半減期は118時間です。数日、数ヶ月なんて云うのもあります。
このように分解しなくてはならないタンパク質は、ユビキチンというタンパク質が特別の酵素リガーゼでくっつけられて、このユビキチンが目印となってプロテアソームに運ばれて分解を受けます。
半減期が短いか長いかは、半減期の短いタンパク質には、このユビキチンをくっつけるリガーゼが沢山あり、長いタンパク質には数の少ないリガーゼしかないと言うことでしょう。タンパク質が合成されてからの時間を数えていて、ある一定の時間が来たらユビキチンを付けて分解するという仕組みではないようです。
ですからどうしても長時間生き残るタンパク質が出来てくるでしょうが、今度はこれを無選別に、無差別に、分解出来るオートファジーという仕組みを細胞は発達させているのですね。設計者がいないのに、ここまで出来るのかという、おどろきの生命の仕組みです。
血管の内皮細胞の脂肪が溜まるのをお茶が防ぐのは分かりましたが、普通太るのは脂肪細胞に脂肪が溜まるからです。この脂肪細胞もオートファジーをしているのか、そのオートファジーがEGCGで活性化されるのかは、分かりません。
お茶の効用を書きましたが、このEGCGは緑茶に多く、ウーロン茶、紅茶などの発酵茶になると半減するそうです。また、お茶の大量摂取は癌を引き起こすという論文もありますので、いくら効用があるからと言っても、ほどほどに。
(資料1)
Epigallocatechin Gallate (EGCG) Stimulates Autophagy in Vascular Endothelial Cells. A POTENTIAL ROLE FOR REDUCING LIPID ACCUMULATION.
Kim H-S, et al., J Biol Chem 288, 22693–22705, 2013.
カテゴリ:研究室風景
さえ:
ぼくたちが中国に来た十年前は、中国は日本に比べると休日の少ない国のような気がしました。十年前は5月初めの7日間の労働節と10月初めの7日間の国慶節休暇が際だっていて、ほかには休日が殆どなかったと思います。
それでも大学は2月の春節を挟んで6週間、夏も同じく6週間の休暇がありますから、細胞培養が研究材料のぼくたちの研究室は普段は休みのない方が研究に継続的に集中出来るので、ありがたかったですね。
その中国でも休日が意図的に増やされていて、昨年からは先祖の墓にお参りをする清明節が3日間の休暇になりました(旧暦4月の中旬)。旧暦6月の初めの3日間は端午節になりました。
そして今年からは中秋の名月を愛でる中秋節が同じく3日間の国家休日になりました。ぼくたちの研究室では、夏休みはともかく2月の春節休暇は家族が一堂に集まる日として文句なしにフルに休暇を認めているので、それ以外の時期の休暇は公式の休みにしていません。理由は書いたとおり、正直に休んで手を休めていては研究は全く捗りませんもの。
今年の中秋節休暇は、9月19日から始まる3日間でした。
瀋陽に家族がいる学生は普段は寮生活でも帰りたければうちに帰ってよいことにしていますが、故郷が遠い学生は3日間では故郷に帰るわけにも行かないので、うちの研究室では普段通りの研究生活を続けます。
それで、研究室に残った学生を、夜は一緒に食事に誘うのが今までの恒例でした。
今年は瀋陽出身の学生が一人いるのですが、うちに帰らないというので訳を聞いたら、親はその親を訪ねて親のうちに行ってしまったのでぼくは独りぼっち、と言っていました。それで今年は全員揃っているので、材料を買ってきて研究室で日本で言う「しゃぶしゃぶ」、此処で言うと「火鍋」をして楽しみました。
肉は牛肉と羊肉です。羊肉は、ぼくたち日本人は、あの強烈な匂いに辟易していてサッポロビール園の味の付いたジンギスカン焼き以外食べることがないですよね。
でも、羊肉が臭くて食べられないのは日本の羊肉だからです。中国では臭くなくてとても美味しいと言うことを知るまでの二年間、羊肉を食べることを忌避し続けて大分損をしたと思いますね。
スーパーに行くと、肉は凍らしたものをスラーサーで1 mmくらいに切って、そのくらい薄いと直ぐにカールするので、そのまま(嵩張ったまま)凍らせて売られています。ですから1 Kgのしゃぶしゃぶ肉を買うと、凄く嵩張るのですよ。凄く豪勢に肉の買い物をした気になります。
この日の中秋の名月当日は曇で明月が見られないという天気予報でしたが、実際に夜になると、雲が晴れて満月を眺めることが出来ました。今の瞬間、世界のあちこちでこの月を見ているのだなと、思います。
「天の原 振りさけ見れば 春日なる 三笠の月に 出でし月かも」という、壮絶な和歌がありますね。
もう何年も前のこと、「満ち足りて 比翼の鳥の 月見かな」と、まだその時は未婚だった学友(Paqueチャン 林博司さん)に書き送ったことを思い出します。直ぐに家族が一人増え、二人に増え、一緒に月見をしたっけ。
それがまた減って三人になり、二人になり、今やとうとう一人。
今年はまだ、一緒に月見をしてくれる疑似家族に囲まれていますが、またいずれ一人になるでしょう。
「生者(盛者)必滅、会者定離」っていうのは、何も平家のことを言っているのじゃないのですね、人生の真理です。だからこそ、一期一会と思って、今の瞬間を大事にして生きていきましょう。
カテゴリ:日本の将来
さえ:
予算の元になっているのは税金ですね。ぼくたちは国民の義務として税金を払っています。払った後は国任せにしてしまって、税金がどのように使われているのかあまり関心を払っていません。
でも東北大震災の復興のための予算みたいに、復興にまるで関係ないところに使われているとそれがマスコミの報じるところになり、折角の税金が国にぶら下がっている団体にばらまかれて、高級官僚が退職後もゆうゆうと暮らしていくための足場造りになったり、結構いい加減に使われているんだということが分かります。
その意味でマスコミもたまにはよい仕事もしますけれど、マスコミは日本を良くするための本気の批判勢力というよりも、特定の外国を含めて世の中に受けそうな批判に精を出しているみたいですね。
マスコミには報道の自主規制があるみたいでマスコミはあまり頼りになりませんが、ともかくも政府を批判出来る勢力があることは素晴らしいことです。批判を抑圧し、政府に対する批判がなければどんな社会になるかは世界の近代の歴史を見れば一目瞭然ですものね。
いまはインターネットのお蔭で、マスコミ以外にも市民が声を挙げる事が出来る時代です。前回このブログに天木氏のブログを引用したように、日本の予算編成を見て的確に批判出来る人たちがいるなら、是非批判の声を上げて欲しいと思います。
そして思ったのですが、税金を納めるとき使い途を指定出来るようになったら、税金が高いだの、納税者が偏っているだの、税金が無駄遣いされているなどの不満がある程度消えるのではないかと思います。
調べてみると「ふるさと納税」というのがありますね。都道府県の地方自治体のどれかを指定して寄付をすれば、寄付した額のほぼ全額が税額控除される制度です。つまり、どこかの地方自治体に使うように指定することが、国に税金を納めたことになります。
ただ黙って国に税金を納めるのと違って、自分の選んだ地域のために使われるので、少しはましな気がします。おまけに、税金ではなく寄付扱いなので、「ふるさと納税」で寄付された自治体は、『一定以上の金額を寄付した場合に特典を設けている自治体もある。特典の一例として、特産品などの贈呈(寄付者の住所が当該地域外の場合の例として奈良県、山口県萩市、同県長門市など)』があります。(資料1)
たとえば、山口県長門市では1万円以上の寄付で、水産加工品詰め合わせなどが送られてくると書かれています。(資料2)
税金を納める方にも、寄付を受ける自治体にも双方ともいいことづくめですが、Wikipediaによると、制定時には考慮されていなかった用途として、『大災害の際に義捐目的と見られる多額の寄付が当制度を利用してなされること』があって、その場合には『義捐目的での多額の寄付に関して、確定申告によって多額の控除と還付金が発生し、寄付者が居住する自治体にとっては想定外の出費(還付金)を強いられる』ことになったそうです。
(資料1)
そうなると、その寄付者の居住地は税金が入らないばかりか還付金を負担することになってしまい、泣きっ面に蜂みたいな感じですね。
この制度も成熟して良い面、悪い面が見えてきたので、税金を納める側が、もっと直截に使い途を指定出来る制度も始めて見たらどうかと思います。
例えてみれば、昭和の初めの「建艦募金」みたいなものですね。あの貧しい時代の国民が、日本を良くするためにと思ってそれぞれなけなしの金を国に寄付したわけですが、強制ではありませんでした。
太平洋戦争が始まってしまってからは、貴金属の寄付強制などがありました。ぼくの父は、恩賜のではないと思いますが卒業記念の金時計や金のカフスボタンとか、母に贈ったダイアモンドの指輪とか、正直に寄付しちゃって、誰のものになったことやら、まさに正直者の大損でしたっけ。
そんな時代が二度と来ないためにも、喜んで税金を払いたい気持ちになるように、使い途指定の税金納付制度を作って欲しいものです。
(資料1)「ふるさと納税」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B5%E3%82%8B%E3%81%95%E3%81%A8%E7%B4%8D%E7%A8%8E
(資料2)山口県長門市
http://www.city.nagato.yamaguchi.jp/admin_info/fnouzei_main.html
カテゴリ:韓国のこと
さえ:
朝ラボに着いてから、いつものようにネットで世界のニュースを見ていました。
CNNのニュースによると、『最新技術を駆使した「見えないタワー」 ソウル郊外に建設へ』というのがありました。(資料1)
『ガラス張りのタワーに取り付けたカメラとLED(発光ダイオード)ディスプレーで、「最新式のカモフラージュ」を実現する』
『カメラは6方向、3段階の高さに設置し、周囲の風景を撮影。その映像をデジタル処理して大きさや向きを調整する。別の3区画にそれぞれLEDディス プレーを500列並べ、合成した映像を映し出す。こうしてタワーの向こう側の風景が壁面に映し出され、建物は背景に溶け込んで「見えなく」なる』そうです。
予想図が出ていて、この見え方は電力量で制御され、100%稼働させると背景の溶け込んで、全く見えなくなるそうです。
『「タワー・インフィニティ」と名付けられたこの建物は、米建築事務所GDSアーキテクツが設計し、2011年に韓国土地住宅公社が実施したコンペで1位を獲得。このほど韓国政府の建築許可を得た』そうで、世界初の見えないタワーを建設したときの、韓国人の得意顔が想像出来ますね。
気になるのは、空を飛ぶ鳥がぶつかって沢山の鳥が犠牲になるのではないかということですし、同じく飛行機やヘリコプターがぶつかってしまうことがあるかも知れません。
何故、背景に溶けこむタワーが必要なのかの説明がありません。最初からこのコンペで「見えないタワー」を指定したのか、タワーをコンペに出したら米建築事務所の「見えないタワー」があって、それに飛びついて選んだのか、の説明もありません。
けれど、世界初というのが韓国人には必要なのでしょう。レイプの発生割合がアジア一と言うだけでなく(資料2)、技術で世界一であることを初めて誇れるわけですから。
(資料1)
http://www.cnn.co.jp/photo/35037360.html
最新技術を駆使した「見えないタワー」 ソウル郊外に建設へ
2013.09.22
(資料2)
http://blog.livedoor.jp/umunenori/archives/65719772.html
カテゴリ:韓国のこと
さえ:
前回、CNNニュースで読んだ記事「見えないタワー」のことを引用しながら、アジアでレイプ犯罪一位の韓国としてはこれでこの分野で世界一位が誇れることになり結構なことだと、韓国を揶揄した感じのブログを書きました。
韓国に対する日本人の感じはもちろん世代で異なるでしょうけれど、朝鮮併合という言葉の定義が何であれ、それ以来35年に亘り日本が支配した紛れもない植民地だったことを認識している私たちは、朝鮮人に対して「済まないことをした」と思っています。
ですから、日本は国を挙げて韓国民に対して謝り続け、金と技術を提供し続けてきました。
16世紀の大航海時代から長年に亘り、世界は帝国主義による膨張と植民地獲得とが一体になっていました。七つの海に日が沈むことはないと誇った大英帝国が、かつての植民地に対して「済まなかった」と思ったことがあったでしょうか。
スペイン、ポルトガル、オランダ、フランス、アメリカ、そして遅れて帝国主義膨張を計ったドイツ、イタリアも世界に植民地を持ちました。第二次世界大戦以降の世界はがらりと変わって、対戦で負けた国の植民地だけではなく、戦勝国からもこれらの植民地は独立を果たしました。これらのかつての植民地に対して、かつての支配国が、今の日本が韓国に対するように謝り続け、金を提供し続けているでしょうか。
韓国は「日本が韓国を植民地化したことを忘れるな」と世界に向けて訴え続けていますが、世界の主要国は多かれ少なかれ植民地を持って栄えた国です。韓国の訴えをどう受け止めてよいか困惑するだけでしょう。
かつての植民地主義が終わった現代でも、この意味で日本はかなり正直なまともな人間らしい国と言えるでしょう。
しかし、特に最近の韓国は日本を無視するどころか、罵倒し続けています。今の大統領は「千年経っても恨みは消えない」と声高に叫んでいます。国として散々謝罪した上に、「かつては済まないことをした」と心の中で思っている日本人としては、どうしてこのようなことになるのか、戸惑っているのが本当のところでしょう。
最近「アゴラ」で、山田高明氏の書いた『』韓国の方々がなぜ日本を“戦犯国”と呼ぶのか、考えたことはありますか?』を読みました。(資料1)
これを読んで目から鱗が落ちました。朝鮮人が日本と日本人を恨み、貶める理由が分かりました。
『正当な理由がないにも関わらず、なぜ韓国人は優越感を滲ませながら「戦犯国」などと日本を嘲弄しているのだろうか。答えは「史実をほとんど逆さまに認識しているから」だと思われる』
どうしてかというと、韓国では真実をねじ曲げて偽造した歴史を国民に教えてきたからだそうです。
日韓併合の真実、日本統治時代の真実、戦後の独立と李承晩時代の真実、朴正煕時代の「漢江の奇跡」の真実について、『韓国の歴史教科書を読んだことのある人なら分かると思うが、それを規定する国史編纂委員会はプロの贋作者集団であり、非常に手の込んだ捏造をやって』いて、だから、『韓国人の頭には公然たる嘘やトリミングされた情報が詰まっており、その虚偽を「正しい歴史」などと呼んでいる』ことになると述べています。
韓国の歴史教科書が、真実と解離した著述に終始しているとして、そのために韓国人が間違った歴史認識の下に日本を罵倒し続けているとして、何故こうなったか。どうして韓国では戦後一貫して事実をねじ曲げた歴史教育をしたのか、というのが次の疑問となります。
資料1
社会・一般 韓国の方々がなぜ日本を“戦犯国”と呼ぶのか、考えたことはありますか?山田 高明
http://agora-web.jp/archives/1558323.html
2013年09月13日
カテゴリ:韓国のこと
さえ:
前のブログでは韓国が日本を罵り続けるのは、韓国では『真実と解離した著述に終始している歴史教科書』で歴史を勉強しているからだと山田高明氏が書いている(資料1)ことを紹介しました。
何故こうなったか、どうして韓国では事実をねじ曲げた歴史教育をしたのか、というのが次の疑問ですね。
山田高明氏は、それは『初代大統領として「李承晩が独裁権力を握ったから」だと思う。それゆえ、彼自身と臨時政府を「正統」とする歴史をでっち上げねばならなくなったのだ。つまり、始まりは、ほとんど個人的な動機だったのではないか』と書いています。李承晩の権力の正当性を打ち立てるため歴史を捏造したのだろうというのが山田氏の分析です。(資料2)(資料3)
第一に、『独立戦争を通してその悪魔と戦い続けたと人々に信じさせることができれば、これ以上の正当性はなく』、それで人民のヒーローとして、晴れて大統領になれるわけですね。
第二に、『保身上、戦犯の日本と同類に見られないよう、また自身の戦争犯罪があくまで強要されたものとの訴えが説得力を持つよう、徹底して「加害者と被害者の関係」に成りすます必要性があった』
第三に、『李承晩はとんでもない悪政をやらかして国民を苦しめ、貧困のどん底へと叩き落した。どんな民族主義者が見ても、日本時代より過酷で恐怖に満ちた社会であることは明らかだった。だから、李承晩は、独裁者として就任した時だけでなく、その後も歴史をでっち上げ続ける必要に迫られたのだ』
『自国民の大量虐殺をやった独裁政治よりも悪く見せるとなると、もはや悪魔でも引っ張り出すしかない。だから韓国の歴史教育では、ほとんど悪魔として日本の姿が描写されるようになったと思われる』
この韓国による国民の大量虐殺というのはWikipediaによると、『1950年6月25日の朝鮮戦争勃発を受けて、李承晩大統領の命令によって韓国国軍や韓国警察が共産主義からの転向者やその家族を再教育するための統制組織「国民保導連盟」の加盟者や収監中の政治犯や民間人など、少なくとも20万人あまりを大量虐殺した保導連盟事件』で、『韓国では近年まで事件に触れることもタブー視されており、「虐殺は共産主義者によっておこなわれた」と』されていたとこのことです。そこで引用されている別の文献によると、殺された人の数は100万人を越えています。
実際、韓国の歴史教科書には、嘘八百が詰まっていて、『こうやって、驚くほど詳細で念の入った改ざんで「日帝の犯罪」が創られ、韓国では今でも事実として流通している。日韓関係史ではこの種の「偽の記録」が膨大に紛れ込んでいる』ために、そして『このような卑怯な手法は、大多数の日本人にとって長らく常識外のことだったため、信じてしまう人が続出』し、お人好しの日本人は『罪悪感、良心の呵責、贖罪意識から、謝罪するだけではすまず、相手側の手先となり、結果的に嘘の片棒を担ぐ人も現れた』と書かれています。
実際、ぼくたちも、此処に書かれた通りのお人好しの日本人として、韓国に済まなかったと思い続けているのです。
韓国人が日本人を憎む理由は彼らの改ざんされた歴史教育にあったことが分かりましたが、ぼく自身は韓国の歴史教科書を読んでいるわけではないので、この山田氏の説明が正しいのかどうか自分では分かりません。此処には本屋はないし、ネットもさまざまな形で遮断されているので情報が手に入りません。
でも、アゴラで、もう一つ松本徹三氏による別の論説を読みました。この松本徹三氏は、『私は若い時に2年間韓国で生活した体験』があると言うことです。したがって松本氏は『韓国と韓国人に特に親しみを持っている人間』であるにもかかわらず、山田氏の論説を支持しているので、山田氏の論文はおおむね正し論拠があるのだと思います(資料4)
『山田さんが書かれている事は概ね正しく、私も同意見の所が多いが、矢張り若干の誇張があり、全ての事実がバランスよく網羅されているとは言い難い。権力欲の権化のようだった李承晩が、反対勢力を徹底的に弾圧する為に、旧統治者であった日本を「悪の権化」に仕立て上げる必要があり、その為に「嘘で固めた韓国の歴史教科書」が出来上がったのは事実だし、歴代の政治家が同じ理由でそれを踏襲しているのも事実』であると書かれています。
というわけで、お隣の韓国では「嘘で固めた韓国の歴史教科書」で教育された人々が間違った観点から日本を攻撃し続けているのは本当のことみたいです。
日本のマスコミは日本の政治家の発言の揚げ足取りが大好きみたいですけれど、「嘘で固めた韓国の歴史教科書」を日本に紹介して、それがいかに嘘の固まりであるかを私たちに知らせて「私たちの蒙を啓く」という、建設的なこともやって欲しいですね。
(資料1)
社会・一般 韓国の方々がなぜ日本を“戦犯国”と呼ぶのか、考えたことはありますか?山田 高明
http://agora-web.jp/archives/1558323.html
2013年09月13日
(資料2)
社会・一般 なぜ韓国は歴史を書き換えたのか――その動機と背景を考える(前半)山田 高明
http://agora-web.jp/archives/1559562.html
2013年09月21日
(資料3)
なぜ韓国は歴史を書き換えたのか――その動機と背景を考える(後半)山田 高明
http://agora-web.jp/archives/1559563.html
2013年09月21日
(資料4)
日韓問題を更にもう一度考えたい 松本 徹三
http://agora-web.jp/archives/1559848.html
2013年09月23日
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
瀋陽では、夏以来ずっとポロシャツ一つで過ごせたのに、9月の終わりの先週半ばからは、ユニクロのサーモテックの上下を付けてYシャツを着て、さらに朝晩はジャケットを羽織るほどの寒さです。
それでも日曜日は好天だったので、暁艶に誘われて瀋陽市鉄西区にある森林公園に行ってきました。大学からは地下鉄でアクセス出来るので、手軽に森に行って林の中を歩こうという算段でした。
名古屋の奥にも愛知県森林公園があるでしょ。それであのようなイメージを持っていたのですけれど、この鉄西森林公園は街の中の大分大きな、1ブロック(アメリカで言うとだいたい半マイル四方ですね)に相当するくらいの面積に木が生えて森となっている公園です。
展覧館駅で乗った地下鉄2号線を青年大街で1号線に乗り換えて、重工街で降りて歩くと塀のない林が右手に見え始めて、数分歩くと入り口に着きました。
中には結婚式場にも使われるレストランがあって、舗装された路が通っています。そのため車が通るので、そこから別れた木々の中の細い路を幾つか歩いてみました。
でも、地面がゴミだらけで、森林浴という気分に浸ることが出来ませんでした。おまけにあちこちに犬の糞か人のそれかがあるので、ひたすら地面を見つめながら歩くのですよ。糞探しのために歩いている感じですね。
うんざりして「じゃ、北陵公園に行こう」とまた公園の入り口まで戻りました。次の駅を目指して塀のない森林公園沿いに歩きはじめたのですが、歩道を向こうから駆けてきた男が林の中に飛び込んで、ズボンをおろして尻を出してしゃがみ込むのですよ。歩道からまばらな木越しに丸見えなのですけれど。
中国の公共トイレは仕切りがない、仕切りがあっても扉がない、なんてのは当たり前ですから(幸い、大学の中では、そんなことはありません)、排泄のために尻を出して丸見えとなっても恥ずかしくないという文化なのかもしれません。
昔の日本の家屋では、それぞれの部屋には厚い壁やドアはないでしたが、部屋を障子で閉めれば、そこは仕切られた空間であるとする伝統文化がありましたね。
中にいる人の気配が外に伝わっても、仕切りを閉めているのだから中で何があっても聞こえないことにして互いに気にしない、他人には言わないというのが日本の障子文化でしたね。こういう暗黙の了解なしには、プライバシーは隠しようもないし、保ちようもないのが日本の昔の暮らしでした。
その障子文化のルールみたいに、この中国では人前でも尻を出してしゃがみ込めば、見て見ぬふりをする無言のルールがあるのかも知れません。あまりに堂々としているから、そうとしか思えないということです。大発見かな。
ぼくたちは凍り付いてしまったのですが、やがてそれを出来るだけ避けて車道に少しはみ出してあるきつづけました。歩道に戻るために公園の林の方を見ると、黒っぽい衣装の女性の姿らしいうずくまった姿が同じように木立越しに垣間見えるのですよ。
いや、まあ、なるほど。
ふむ、ふむ、そうなのか。
ここの森林公園は公共のトイレだったのですね。森林浴どころかすっかり気分が悪くなりましたが、しかし思いがけず、比較文化人類学に「萌えた」日曜日でした。
カテゴリ:インターネット
さえ:
No music, no lifeという表現があります。「音楽がなければ、生きている甲斐がないよ(楽しみがないよ)」と言う意味ですね。
2005年に富山県から瀋陽に日本語教師として赴任していた竹林先生が、瀋陽日本人教師の会の人たちの書いているブログの間で流行らせました。
それで、No food, no lifeとか(そんなの、当たり前でしょ)、No female, no life(これも当然のことだけれど、身につまされる人もいるでしょうから、少しはましですね)とか、これから派生した言葉を叫んで楽しんでいました。
ぼくにとっては、その頃はNo Mac, no life(Macがいのち)でしたけれど、いまはそれに加えて、No (inter)net, no lifeになってしまいました。
ぼくはスマホを持っていませんが、「スマホ中毒」あるいは「スマホ依存症」という言葉が出来ているみたいです。
R25によると「何より、本人が症状に気がついていないことがほとんどなので、友達や恋人に『スマホ触りすぎ』なんて言われたことのある人は要注意ですよ」ということで、「スマホ依存度チェックリスト」なるものが載っていました。(資料1)
□スマホを忘れてしまった日は、とても不安になる
□TPOをわきまえず、無意識にタッチパネルを触っている
□「スマホの充電ができるかどうか」「Wi-Fiがあるかどうか」などで、入るお店を決める
□財布を忘れていても、スマホだけを持っていることがある
□朝、目が覚めて寝転がったまま、ニュースやSNSをチェックする
□わからないことは、すぐにスマホで調べる
□スマホの充電器を忘れたらつい買ってしまうので、いくつも予備を持っている
□スマホ画面の見すぎにより、目の下にクマができている
□着信していないのに、スマホが振動した錯覚に陥る
□スマホを握ったまま眠ってしまう
先週の木曜日に教授室の無線ルーターが故障してネットに繋がらなくなった途端、ぼくは何も出来なくなってしまったのですよ。
ネットが使えなくても、書きかけの論文を書き続ければよいはずですし、Macの中には必要な文献も、まだ読んでいない文献も大分入っていますから、それを読めばよいはずですが、何時でもネットで調べられるという環境に慣れきってしまっているので、ネットにアクセスして調べ物が出来ない状況だと不安で何も進められないのですね。仕事は一切ストップしてしまって、ただひたすら苛々しているだけです。
それで、「ネット中毒」あるいは「ネット依存症」という言葉があるかどうか調べると、これらも立派に通用している言葉なのですね。
No music, no lifeという言葉に本心から共感しても「音楽中毒」とは思わないですよね。
でも、「No net, no life」と叫んでいるうちはご愛敬ですけれど、ネットに繋がらない途端に何も出来ない人間になってしまったら、これはもう笑い話ではありません。
『ネット中毒とは、インターネットに接続し、チャットやBBSへの書き込み、オンラインゲーム等を長時間にわたってやり続けるなど、現実世界の生活に支障をきたすまでになってきている嗜癖状態を指す』そうで、ぼくは『チャットやBBSへの書き込み、オンラインゲーム等』をしているわけではないけれど、いつもネットにアクセス出来ないと落ち着かないわけですから、立派なネット中毒ですね。
『ネット依存症から脱出するために…』(資料2)
1. ネットから意図的に離れる時間をつくる
2. 寝る1時間前にはPCを止める
3. 自宅へ直帰するのをやめる
4. 失った時間について考える
6. 他人の家にしばらく居候させてもらう
7. ネットサーフィンの目的を明確化する
出典インターネット中毒予防相談センター>I WILL センター
ぼくはうちに帰ってからネットを続けることはないし、これで時間を失うどころかネットに繋がっているときこそ仕事ですから、ここに対策の述べられているネット中毒とは違うでしょう。でも、ネットに繋がらないと仕事が出来ないなんて、大分重症です。
日曜日の夕方になってやっと、研究室の王一任くんの努力が実ってネット接続が回復し、ぼくの「いのち」も復活しました。
ぼくがネット中毒だとしても一つ良いことがありますね。
この研究という仕事を辞めても、それで生きる目的を失ってしまうなんてことはなく、ぼくはネットが繋がる限り何かを続けて楽しく生きていくんじゃないかと思います、この先インターネットがなくなるとは思えないし。
(資料1)
http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/wxr_detail/?id=20121211-00027109-r25
「スマホ依存症ってどんな症状?」R25
(資料2)
http://matome.naver.jp/odai/2136271600883244201
インターネット中毒を克服するための7つの方法
カテゴリ:生命科学
さえ:
10月2日から(つまり米国の10月1日以降)はNCBIのデータベースにアクセスすると
Due to the lapse in government funding, the information on this web site may not be up to date, transactions submitted via the web site may not be processed, and the agency may not be able to respond to inquiries until appropriations are enacted.
Updates regarding government operating status and resumption of normal operations can be found at http://www.usa.gov.
という文章が冒頭に出てきます。
米議会の対立のため暫定予算が成立せず、国立機関の一部が閉鎖された影響ですね。(資料2)
NCBIの遺伝子データベースにアクセス出来るしデータの利用が出来るので、ぼくたちの研究に支障はありません。膨大な数の生命科学の研究論文が余すところなく収録されているPubMedへのアクセスも問題ないですが、当然のこと、毎日行われている遺伝子データベースのアップデートは停まってしまうし、新しい文献のPubMedへの収録作業は停まってしまうのですね。
このことから、生命科学研究を支えている根本は米国政府なのだと言うことを、改めて痛感します。
研究にはこれらのデータベースへのアクセスが欠かせないわけで、つまり、ぼくたちの研究は、というか、世界中すべての研究は米国の政府機関の作製したデータベースにただ乗りしているわけですね、ほかにもEnsemblなどの欧州のデータベースもありますが、ぼくたちはそれをイントロンサイズを調べるために補完的に使っていて、いまではNCBIの遺伝子データなしには実験は出来ません。
昔の科学の研究は裕福な王侯貴族がパトロンとなっていました。今の時代、研究が誰のお蔭で出来るか考えてみましょう。
研究者の給料は国立の大学や国立機関では国民の税金から払われています。つまり国民の懐が支えているのですね。研究者の研究は研究費がなければ全く進みません。企業が大学に研究費を提供することもありますけれど、この研究費の出所の大半は政府機関です、つまり国民の金です。
国立大学の研究者が研究をしてそれを論文にまとめて、それを雑誌に投稿してPeer reviewがなされてその雑誌に収録されて初めて、世間に認められた研究になります。
この雑誌は、学会が運営している雑誌と商業誌に分けられますよね。たとえばJournal of Biological Chemistryは米国のASBMBという学会が出している雑誌です。出版して1年は会員しかアクセス出来ませんが1年後には誰でも見ることが出来ます。それは、研究は、殆どが国民の税金による研究費で支えられたものだから、成果は一部の会員だけで占有すべきものでなく広く一般に解放すべきだという考えです。JBCに載った論文はアメリカ国民だけでなく、全世界のすべての人が共有出来る財産となります。
生命科学の世界で特に有名なNatureはイギリスの商業出版誌です。Nature Publishing Groupはこのほかにも沢山の一流誌を出版していますが、これらに載った論文はNatureの購読者でないと読むことは出来ません。出版されてから何年経っても同じです。
ぼくは数年前からNatureの高額な購読費を払えなくなったので、Natureに載った論文を読むことが出来なくなりました。これが普通の大学ですと、大学図書館がNatureの購読契約を結ぶので、その大学の中からアクセスすれば学生も職員もNatureの論文を読むことが出来ます。でも、瀋陽薬科大学の図書館は薬学系の雑誌を幾つか購読しているだけなので、たとえばNatureにぼくたちはアクセス出来ないのですよね。だからこそ、数年前までは個人でNatureを購読していたわけですけれど。
最近は、BioMed Central (BMC)、Public Library of Science (PLoS)などのオープンアクセス・ジャーナルが出来ています。論文の著者が必要経費を負担していて、だれでも無料で論文を読むことが出来ます。普通は著者が自分の金を出すわけでなく研究費から出すでしょうから、国の研究費が正当に使われて国民に還元されたと言っていいでしょうね。
商業出版社から出ている雑誌でも、著者がそれなりの経費を払うとその論文はオープンにされます。自分の成果を世界に広めたいという考えと、「税金で支援された研究成果だから、納税者は無料でアクセスできる」と「研究成果は人類全体の財産なのでだれでも自由にアクセスできるべきである」とが一緒になっているのでしょう。
でも、このようにアクセスできる論文は全体からみるとわずかなもので、大半の論文の載る学術誌は商業ジャーナルなので論文には自由にアクセス出来ません。大学の図書館が(恐らく貧しくて)購読していないものですから、読めない論文があまりにも多すぎます。
「税金で支援された研究成果だから、納税者は無料でアクセスできる」と「研究成果は人類全体の財産なのでだれでも自由にアクセスできるべきである」という考えが主流になって欲しいと思っています。おまけに先に書いたように、研究の基盤となるデータベースはアメリカ政府の一機関が網羅して作成していて、世界中の研究者はそれをただで利用して研究しているのです。
生命科学の研究のほとんどは税金で支援されて成果を出すのだから、人類全体の財産のはずだし、誰でも読むことが出来て、当然ということになって良いのではないでしょうか。
その時の購読者が激減することによる出版社の損失は、論文の著者が掲載料を負担することでカバー出来るのではないでしょうか。現にBMCやPLoSなどのオープンアクセスジャーナルが成功しているのですものね。
(資料1)
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/
(資料2)
『米暫定予算成立せず、債務上限交渉に影 米政治の迷走続く 政府機関一部閉鎖』2013/10/2 日経新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM0102D_R01C13A0EA1000/
コメント:
Re:研究出来るのは米国政府のお蔭(10/04) みのもんだ さん
先生、ご無沙汰しております。
PubMedの有難さはよくわかりますね。色んな意味で、米国(白人)、恐るべし。
先生のブログ内容から脱線してよろしいでしょうか。
例の政治がらみの話、前の参議院選挙で自民党が大勝して、先生は大いに失望し、もう日本の政治に口出さなくなったとさえ思いました。
昨今の状況、ヤフー掲示板での一つの書き込みを引用しますね。
「消費税の引き上げで、庶民生活を破壊。
その分、企業減税。
年金引き下げ。社会保険料引き上げ。
TPPで、日本農業のぶち壊し。
集団的自衛権発動で、米軍特殊部隊の斥候。
最後は、「秘密保護法」で、国民の眼と耳を
封鎖だ。累々たる死者の腐臭列島だ。」
どうなんでしょうね。 (2013.10.07 12:39:33)
みのもんださん shanda さん
今の日本はだんだん元気がなくなって行くみたいですね。本当にどうしたものでしょうか。
ご意見に対して書く返事は長くなりすぎるので、10/09のブログに載せますね。
どうかお大事に。 (2013.10.09 08:21:34)
カテゴリ:生命科学
さえ:
今のぼくたちは、論文(あるいは文献ともいう)を自分のPCからインターネットにアクセスして、読んでいますね。
まさに今昔の感です。50年前のぼくたちが学生の頃は、論文は科学ジャーナル(だけ)に掲載されて、その雑誌は大学の図書館か化学科の図書室に一つしかありませんでしたから、ぼくたちは実験で研究室の中で忙しくしているとき以外は図書館(図書室)に行って、論文を読みました。
おまけにコピー機なんてない時代ですから、ひたすら必要な内容をノートに書き写しました。この自分で作る文献ノートが、それぞれ研究者個人の大事な財産だったわけです。
もちろんPCもなかったけれど、それに例えると、頭がPCならば、この文献ノートは外付けディスクに入れたデータというところでしょう。
やがてコピー機が出来て、最初は青写真の原理でしたが、Xeroxが普通に使えるようになったのは1960年代の半ばでしょうか。必要な文献はコピーして手元に置いて何時でも読めるようになりました。それがうずたかくなって、文献ノートの整理と、コピーした文献を整理しておくことの二つが必要になりました。これは大変なことでした。
外付けデータが膨大になったのに、PCの能力が旧式のままという感じですものね。
さらに時代が移って、1990年台に入ると文献の電子ファイルを自分のPCの中に溜めておけるようになりました。何十年もの出来事を飛ばして書いていますが、今のMacでは中身をキーワードで検索することで、必要な文献をPCの何処に置いてあっても瞬時に探し出せるのも、凄くありがたいことです。
今では世界の科学雑誌に紙の媒体だけでなく、インターネットのオンラインでもアクセス出来るようになって、これは若い人には当たり前の社会でしょうけれど、研究の世界にとっては大革命です。
だって、図書室に行って紙の雑誌を読む必要がなくなり、何時でも実験室で自分のPCからアクセスして必要な論文を探し出せるし、直ぐにダウンロードできますから、時間が実に有効に使えます。検索も簡単になって、興味のある分野のキーワードをいくつか入れることにより、論文を絞り込むことが出来るし、さらにはそのような研究が行われているかどうかも立ち所に分かるようになりました。
オンラインでアクセス出来る状況は、研究の能率を大きく向上させましたね。
文献ノートを丹念に付けて、コピーした文献を綺麗に整理する能力のなかったぼくは、几帳面さという研究に必須な資質に欠けている駄目人間でしたが、いまや文献ノートを作る必要もないし(それでももちろん、今では、ネット上のEvernoteで作っています、メモとして役立ちますけれど、必須ではないですね)、コピーした文献を持つ必要もないから整理に気を遣う必要もないし、気おくれなしに研究に取り組めます。実にありがたい大革命が起きたと喜んでいます。
ただし、前に書いたように、大学の図書館が契約していないとオンラインジャーナルの恩恵に浴せません。この大学では製薬関係以外の生命科学系のジャーナルは契約していないので、ぼくたちの読みたい文献にはアクセス出来ません。
それでも、タイトルと抄録は読めますから、これこそ読まなくちゃという文献は、以前のぼくたちの学生さんにお願いしてPDFをとって貰っています。
自分の学生のことを中国では「桃李」と言います。沢山学生を育てると「桃李満天下」と言うことになります。どうして「桃李」というのか考えてみると、中国では老師を大事にしますから、教え子が育ってそれぞれが要職に就くと、今度は競って老師に文字通りの恩返しをするのですね。教え子を育てれば、いずれ桃李みたいに美味しく食べられるようになるのだよ、ということでしょう。
文献をダウンロード出来るような大きな大学で働いている昔の教え子に、ぼくは大いに世話になっています。これも桃李の恩返しの一つでしょうか。
同じく中国で、桃李のでてくる言い回しに「投桃報李」というのがあります。桃を投げたら李が返ってくると言うことで、対等の関係を意味しています。今で言うと、Win-Winの関係ですね。
以前の教え子に世話になるだけでなく何か役に立つ存在でいたいものだと何時も思っていますが、なかなか難しいことですね。
カテゴリ:日本の将来
さえ:
10月4日に書いたブログにみのもんださんから一昨日、以下のような投稿がありました。
『昨今の状況、ヤフー掲示板での一つの書き込みを引用しますね。
「消費税の引き上げで、庶民生活を破壊。その分、企業減税。年金引き下げ。社会保険料引き上げ。TPPで、日本農業のぶち壊し。集団的自衛権発動で、米軍特殊部隊の斥候。最後は、「秘密保護法」で、国民の眼と耳を封鎖だ。累々たる死者の腐臭列島だ。」
どうなんでしょうね』
ブログの投稿に返事を書けばそのまま公開されるわけですから、最初からこのブログに載せましょう。どうしても長くなりますしね。
消費税の引き上げで普通の市民にとってはその生活の質が下がるわけですが、反対があまりありませんね。とても不思議なのですが、日本の背負っている莫大な借金の宣伝があまりにも行き届いているので、年金も、医療保険も、日本の立て直しもすべて破綻すると言うから、だれもが消費税が5%から8%、あるいは10%になっても仕方ないと思わされているのでしょうね。
ただ、時々おかしなことも言う天木氏がBlogosに『消費税増税に賛成する国民は官僚にとって格好の餌食である』というのを載せています。(資料1)
これによると、
『人口構成の大きな部分を占める団塊の世代はあと20年もすれば皆この世からいなくなる。その後は少子化の結果人口は減っていく。それでも消費税はなくならない。税率は下らない。その時官僚たちはあり余る税収入でやりたい放題だ。すなわち高齢化社会による負担は過渡的なものなのである。そして過渡的なものである以上、それは税制を変えなくてもやりくりすれば凌げる。その仕事をするのが公僕である官僚なのに官僚は悪知恵を働か』せて、消費税を上げるの成功したと書かれています。
官僚は悪知恵を働かせて、年金制度を考え出した、年金は集めても支払うまでの時間を利用して官僚は散々その金を食い物にして、いざ、支払いの時期が来ると(金がなくなっているので) 年金支払い年齢を引き延ばし、年金支払額がどんどんと削っているのが官僚なのだと喝破しています。
元官僚だった天木氏が言っているのでこれは本当のことなのでしょう。みのもんださんが引用されたヤフー掲示板の内容ですが、
『消費税の引き上げで、庶民生活を破壊。その分、企業減税。年金引き下げ。社会保険料引き上げ。TPPで、日本農業のぶち壊し。集団的自衛権発動で、米軍特殊部隊の斥候。最後は、「秘密保護法」で、国民の眼と耳を封鎖だ』
これは日本の富裕層を代表する政治家と官僚が結託して書いた筋書き通りに、日本の国が料理されているからでしょう。無力な国民は、ただ、嘆くしかない。
このような現状に対して、一般の庶民である私たちがどのように対抗して、自分たちにとって住みよい日本を作ることができるかが大問題ですが、ぼくたちには選挙でしか対抗手段がありません。
年金が破綻して若い人たちは年金積み立てが回収出来ないという危機にさらされているというのに、じゃ、今の年金支給額を大幅に下げようかと言うことになると、年金を貰っている人たちは年金引き下げに徹底的に抵抗しますよね。当然の話ですね。(国が半分出したにせよ)自分たちで積み立ててきたのですから当然の権利と思っています。
ですから、日本を根本的に改革するには、年寄りの意見を聞いていては駄目です。ネットで以前読んだ記憶があるのですが、老人の選挙権を制限するというアイデアを見たことがあります。これが一番手近に始めるのが可能じゃないかと思います。
そのためには誰かが言い出して政党を作り、その政党は、65歳以上の老人の選挙権は若い人の半分の価値にするという政策を掲げて選挙に打って出たらどうでしょう。65歳以上の老人の数が多いと言っても、選挙権を持っている老人以外の年齢層の方が多数のはずです。うまいことに、選挙権を20歳から18歳に引き下げる案も検討されています。
つまりこの国を恣に動かしてきた老人にはお引き取り願って、いま国を背負って立つことの出来る若い人々が国作りに参加する仕組みを作らないと、日本は本当に沈没しかねません。
実際、インド人の友人に以前聞いたことですけれど、インドでは60歳になると食べるのは朝ご飯だけにして、そうするとだんだん身体が衰えてくるわけですね、そしてやがて死を迎えるわけです。こうやって社会の生産性に役に立たない身となったことを自ら認めて消えていく習慣があったそうです。
日本でも、姥捨て山の話がありました。生活が豊かになったので、いまの老人は役に立たないからと言って死を無理強いされることはなくなりました。
今の日本を作るのに功あった人たちですから、死を無理強いしたりしたらいけません。でも、生産性に積極的に関わらずに、国の富を(一部は積み立てたとはいえ)食い散らかして良い道理はありません。選挙権を半分に制限しましょう。そうすると、相対的にこれから日本を背負う若い人たちの意見が通りやすくなります。
私たち人類の生活の発展は、石油資源の利用で可能になり、人口爆発を迎えました。石油の供給はまだ絶えることなく供給されるでしょうけれど、価格はどうしてもつり上がります。実際日本の高度成長が止まったのは石油が高くなったためですね。
地球上の資源は限られているので、現在の70億の人口を(2025年には81億になるそうですが)今の先進国並みの生活レベルに保つことは、実際上不可能です。
どの国も自分のことしか考えませんから、資源獲得の競争はますます熾烈に、かつ過酷なものになるでしょう。どこかで身の丈に見合った(拡大再生産に頼らない)社会を作り上げることをいち早く目指さないと、この先日本の国は生きていけないのではないかと恐れます。
そのような社会を考えるためには既得権益を守るだけの老人の発言権が強いのは邪魔になるだけです。これから長く生きるはずの(長く生きて欲しいと思います)若者が力を握れる社会にするために、先ず老人の選挙権を半分に制限するという案を出して、それが良いことならそれを実行できるように社会を変えてきましょう。
(資料1)
http://blogos.com/article/71270/
『消費税増税に賛成する国民は官僚にとって格好の餌食である』天木直人
2013年10月07日
カテゴリ:日本の将来
さえ:
インターネットで読める東洋経済という雑誌の中に「中国人留学生を優遇し、日本人を追い込む矛盾」という記事がありました。(資料1)
『日本人はどうやって日本人になるのだろうか? そんな誰もが意識したことがないことを、グローバル化という視点でとらえていくとどうなるだろうか?日本人という確固たるアイデンティティを持って、世界を舞台に活躍できる人材になることだ』
『しかし残念ながら、日本で日本人の両親から生まれ、日本の教育を受けて育つと、真の日本人にならない。一人娘をアメリカと中国の教育で育てたジャーナリストが、その経験を基に、日本人とは何かを問いかける』
という、ちょっと目には立派な、しかし訳の分からない惹き句に対して、この記事は「日本の教育は中国人留学生を優遇し、日本人学生をその後の就職でも苦境に追いやっているじゃないか」という内容です。
この著者は「一人娘をアメリカと中国で育てた」そうですが、その娘がグローバル化に育ったのか、それが成功(?)だったのかどうかも検証していませんし、その意味ではこの「東洋経済」は相当いい加減な雑誌だと言えましょう。大体、この娘はこの記事では「中国で成績の良い学生は日本なんかには行きたがらないよ」というだけです。「グローバルに」育った娘を自慢したいだけですね。
おまけにネットの最後に著者が付け加えて書いていますが、「日本における中国の留学生は殆ど国費留学生」と書いているのは、文科省によると全く間違った数字だった」そうです。本文の主要な主旨を検証しないで載せるなんて、「東洋経済」はますますいい加減な雑誌ですね。
それでも今ここに取り上げたのは、何もけちを付けるためではなく、山田氏の書いた主張の一部をぼくも声を挙げて支持したいからです。
山田氏は書いています。
『最近、生活苦で学生時代に借りた奨学金の返済に困っている若者が増えているというニュースが続いている。日弁連では、今年の初めから、奨学金の返済問題に関する電話相談を実施している』
『本来は、有望な若者の修学を支援するためにある奨学金。これが今、逆に若者を“追い込む”原因になっているというのだ』
『日本学生支援機構は、年収300万円未満の利用者に対しては返済猶予期間を与えている。しかし、2009年から2010年に6カ月以上の滞納者を調査したところ、年収300万円未満が87.5%で、その半分近くが100万円未満だったという。つまり、返したくても返せない若者が大半なのである』
山田氏によると『現在、日本には約14万人の留学生がおり、そのうち中国人は約9万人で、じつに全体の70%近くを占めて』いて、彼らがみな日本政府の奨学金を受けているように書いていますが(山田氏がネットの最後に間違いだったと書いているように)、文科省によれば『国費留学生総数は、平成24年5月現在で8,588人です。このうち中国籍の国費留学生は1,411人と国費留学生全体の16%程度であり、国費外国人留学生制度の予算の大半を中国人留学生に支給しているということはありません』(資料2)
中国からの国費留学生の数は1,411人と少なくても、彼らの貰う奨学金は貸与ではなく日本政府による全額支給です。一方、日本の学生の受け取る奨学金は貸与で、博士号を取得した奨学生同士が結婚したら、しかも返金免除の職(大学の助教など)に就かなかったら(今の世の中では、希望しても就けないことが多いのです)、5-6百万円の借金を社会人としてのスタートから背負ってしまうのです。
奨学金の返せない社会人に対して、日本学生支援機構ではない別の機構が借金取り立てを行っているとかいう話も聞きます。返したくても返せない人たちを無理矢理追い詰めるための奨学金なら、それを貰うための就学も初めから放棄しようと考えるのが道理でしょう。
石油や鉱物などの資源のない日本としては人材しか資源はありません。教育に力を注いで有能な人材を育てる教育に投資するしか、日本が生き延びていく道はないと思います。
日本の予算は結構無駄なことに使われています。それよりも、将来有望な人材には教育費の心配がないよう国費の援助を手厚くすることを考えるべきでしょう。
山田氏の、日本の学生教育への支援を手厚くしろという主張には、ぼくは全面的に賛成です。
(資料1)
http://toyokeizai.net/articles/-/16625
(東洋経済)
『中国人留学生を優遇し、日本人を追い込む矛盾 これでいいのか!日本の「グローバル教育」』山田 順 :ジャーナリスト 2013年07月31日
(資料2)
http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/ryugaku/1338568.htm
今後の留学生政策について 文部科学省
平成25年8月8日
カテゴリ:日本語について
さえ:
10月13日に『拡大する高速鉄道市場、支えるのは外資の技術...中国企業の認証進まずー中国メディア』というYahooの記事がありました。(資料1)
中国では『かつて客車の90%、貨車の60%は馬鋼のタイヤが使われていた。今、高速鉄道を動かしているタイヤはすべて輸入品だ。馬鋼の幹部はこう嘆いている』
『馬鋼は老舗のタイヤメーカーで、年間110万台の生産能力を有している。主要製品は時速120-160キロの普通列車や貨物列車のタイヤで、国内の普通列車タイヤ市場のシェアの大半を押さえている』
『馬鋼幹部は「この数年、高速鉄道タイヤの研究開発を進めているものの、鉄道部組織の認証はまだ受けていない。研究開発コストは高いが、販売額も普通のタイヤの2倍になる」と述べた』
いま日中韓仏が受注競争を繰り広げているタイの高速鉄道計画では、中国の高速鉄道が受注しそうで、日本の新幹線は駄目みたいですが(資料2)、実際は、高速鉄道のタイヤや車軸、ベアリングなど主要部品の多くは中国の技術ではつくれず、輸入に頼っているという話なのです。
ぼくが気になったのは、
高速鉄道のタイヤ
普通列車タイヤという表現です。
タイヤというと、日本では一般的には自動車などのゴムタイヤのことを指しますね。電車や列車のわっぱ(としか言いようがないのですが)は車輪つまりwhealですね。自動車もわっぱは車輪whealのはずです。ゴムが車輪の外周(リム)に付いているから、その部分をタイヤTireと呼んでいる(つまりゴムタイヤ)のだと思っていました。
調べてみると、
『automobile tires are usually made of rubber and filled with compressed air 自動車のタイヤは普通ゴムでできていて圧縮空気が入っている』(Weblio辞書)
自動車のタイヤは普通ゴムで出来ていると言うことは、つまり、タイヤはゴム製に限らないと言うことですね。鉄のタイヤがあっても良いわけです。
さらに調べると、
『タイヤ(米:Tire, 英: Tyre)は、車輪のリムを丸く囲む帯状の構造で、路面・地面あるいは軌道の上を転がる踏面(トレッド)を形成するものの総称』(Yahoo辞書、Weblio辞書)
タイヤとは車輪のリムの外側の構造なのですね。鉄道の鉄の車輪は鉄製のタイヤだし、自動車の場合はゴムなのでゴムタイヤと呼ぶことになります。
札幌の地下鉄はゴムタイヤを履いていて静かだそうです。
車輪の外周はリムですから、その外側に高速鉄道の車輪の場合は鉄のタイヤを履いているので、高速鉄道の鉄の車輪でもタイヤといっても、あながち間違いではないということになります。
日本語で使っているタイヤの指す言葉の範囲が狭いと言うことを、この記事から学びました。
でも、中国のメーカーで作れないのは「高速鉄道の『タイヤ』や車軸、ベアリング」と書いてありますが、高速用の車輪そのものもつくれないでしょうから、ここではタイヤではなく、「高速鉄道の『車輪』や車軸、ベアリング」が作れないと書いた方が良いのではないかと思いました。
(資料1)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131013-00000005-xinhua-cn
「拡大する高速鉄道市場、支えるのは外資の技術...中国企業の認証進まずー中国メディア」XINHUA.JP 10月13日
(資料2)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131013-00000009-rcdc-cn
「タイ高速鉄道計画の受注争いは中国がリード、新幹線は敗北か―中国メディア」Record China 10月13日
カテゴリ:日本の将来
さえ:
この間、このブログに山田氏の中国人留学生を優遇するなという主旨の記事を取り上げました。ネットを見ているとこのほかにも、日本には中国人の留学生が多すぎるという主張がいくつか見られます。(資料1)
『外国人留学生への国費支出を国際世論醸成に回せ——始まった中国のバブル崩壊、そして解放軍が実権を握る可能性』の中で宮崎氏は、『もっと言えば、日本はカネを出して世界中から留学生を集めていますけど、これを止めちゃえばいいんだよね。中国人留学生に対して入学金も学費もタダ、生活費支給ってやってるわけです。年間200億円ぐらい使ってるんですよ。』と主張しています。
でも、この根拠が誤りであることは前に載せた文科省の説明で明らかです。(資料2)
宮崎氏の主眼は米国の世論を動かすほど影響力のある中国の宣伝に対して、日本も負けずに米国のロビー活動などの対策に有効に金を使えという提言です。その費用を捻出するために『外国人留学生への国費支出を国際世論醸成に回』したらどうか、莫大な日本の国費をつかって外国人留学生を育てることはないだろうという主旨です。
強力な中国ロビーに対抗して日本も金を掛けてPRにつとめなさいよと言うのはぼくも支持しますが、『外国人留学生への国費支出を国際世論醸成に回せ』というのには賛成しかねます。
ぼく自身の留学経験を書くと、米国のシカゴ大学に行ったのは1969年でした。戦後24年経っていましたが、戦後長い間日本は敗戦の暗い記憶を引きずり、やっと国の経済力が上向いてきたのが、1960年代だったでしょうか。池田首相の所得倍増計画に元気づけられて東京オリンピックを1964年に開催しました。敗戦直後の混乱から見れば大分生活は良くなっていましたが、ぼくが米国に行ったときはまだ1ドル360円でした。
まだまだ日本は貧しい時代でした。
その頃の、ぼくたちの生化学の領域から外国に留学する人の選ぶ先は、石本真助教授がチェコスロバキアに、須貝貞子さんがオーストラリアに、二年下の笠井献一さんがフランスに行ったのは例外で、誰もが輝かしく興隆する分子生物学の最前線の担い手である米国に留学しました。
つまり、ぼく自身の寄与は置いておいたとしても、その後の日本の学問の発展は米国留学でもたらされたものです。これは生化学に限らず、他の学問分野でも、あるいは政治、法学などの人文科学の領域でもそうだったろうと思います。
さまざまな点で貧困だった日本が、科学でも工業でも世界の一流レベルになったのは、もともと有能で勤勉だった日本人の資質はあったにせよ、米国が日本の若い人たちを留学生として受け入れていたことがとても大きかったのではないかと思います。
米国への留学がどれだけ日本の復興に貢献したかについて、定量的な数字でもあるいは定性的にも見たことがありませんが、この留学により、米国は米国への日本人シンパを確実に増やしましたね。未だに日本は米国に忠実な国です。
国力のないころの日本は米国に留学生を送り、そしてある程度経済的にゆとりの出てきた日本は、今度は近隣諸国から日本で勉強する学生を受け入れ始めました。
Wikipediaによると『戦後、国際復帰を果たした日本は、国際親善、国際貢献の一環として、発展途上国への教育協力を目的として、1952年にインドネシア政府からの派遣留学生を受け入れ、さらに1954年には国費外国人留学生制度を発足させた。外国政府からの派遣の留学生は、その後、中国が1978年に開始、マレーシアが1984年に開始、さらにブラジル、タイ、シンガポールなどが続いた』
文科省によると『本制度で支援された外国人留学生の中には各国の大臣や国会議員、大学の学長等、活躍されている方々が多数おられます。(例:インドネシア:内閣官房長官、国会議員、ミャンマー:教育大臣、科学技術大臣、国家計画・経済開発大臣、ベトナム:国会議員、中国:大学学長)』と書かれています。(資料2)
それが本当のことだとして、日本への外国人留学生の受け入れは日本との友好関係を保つ国を増やす強力な方法でしょう。
1983年には中曽根首相が「留学生10万人計画」とぶち上げましたね。留学生数が10万人に達したのは2003年だったそうです。留学生の中では中国からの留学生が増えて、いろいろと目に付くので、何かと問題になっています。この宮崎氏の発言もその一環でしょう。
外国人留学生は犯罪の増加にも関係づけられることもありますし、問題もあるでしょうけれど、それは別個解決を図ることにして、プラスの面を忘れてはいけません。軍事大国ではない日本としては周りに日本を支持してくれる友好国の存在こそ国の生存のために必須の事柄です。人と人との結びつきこそ、平和と友好の礎ですものね。
米国から調達を図っているF-35の2016年度に導入する4機は、1機当たりの価格が約96億円(交換部品を含め約102億円)でしたが、最近のニュースですと1機当たり140億円です(資料3)。これから見ると年間200億円くらい大したことはないですね。戦闘機1機分で、外国人留学生の数を倍増できるわけでしょ。それで他の国を軍事力で脅したりせずに、友好国になってもらえる道が敷かれるわけですから。
(資料1)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38425
『外国人留学生への国費支出を国際世論醸成に回せ
始まった中国のバブル崩壊、そして解放軍が実権を握る可能性~宮崎正弘氏』
JBpress 2013.08.09
(資料2)
http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/ryugaku/1338568.htm
今後の留学生政策について 文部科学省
平成25年8月8日
(資料3)
http://bylines.news.yahoo.co.jp/obiekt/20130930-00028547/
F-35戦闘機の調達コストが減少へ
カテゴリ:生命科学
さえ:
火曜日の昼前、分子生物学・生化学科の主任をしている劉老師と一緒に、分子生物学の講義をぼくと半分分け合って受け持っている、つまり相棒の王老師が、来期の授業のことで相談があるということで訪ねてきました。
この春の前学期の薬学日語3年生の分子生物学の試験をしたら、成績が非常に悪かったので、がっかりして一緒に採点していた王老師に「もうやってられないよ、来学期はもう講義をしないからね」と叫んだのですよ。
このブログの7月9日に「試験を採点して大ショック 」として書きました。たとえば5年前の優秀な学生なら、講義を聴いて得た知識をつなぎ合わせれば答えが考えられる設問も、今では丁寧に説明をして教えています。今回は教えた上で問題に出しても、正解を書くことの出来たのは62人中2人だったのでした。
これはぼくの教え方が悪いからに違いないというのは、あながち間違っていないと思いますが、次の学期からぼくがいきなり講義を辞めたら大学の関係者は困るに違いないので、慰留されて来期も(つまり今度の秋学期の講義を)続けてやることにしました。
でも、その次の来年の春学期についてはOPENだったわけですね。
ですから、劉老師と王老師の訪問の目的は、「来学期は講義をする人が見つかったから、山形老師は講義をしなくて良いですよ」とぼくに通告するために違いないと思ったのでした。
ここでの分子生物学の講義をそれなりに何時も工夫して楽しんでいるぼくとしては、本心は講義を辞めたくないのですけれど、ああ言ってしまったのだからもう来期はなしと言われたら素直に受け止めようと腹をくくって、二人を待っていました。
ところが、二人の話では代わりの人が見つからなかったみたいです。日本に長く行っていた若い先生がこの薬科大学に採用されているけれど、また日本に行ってしまって来期は講義が出来そうにもない、だから、山形老師に来期も講義を続けて欲しいということでした。
それに、山形老師の講義はとても評価が高いし(本当かなあ)、前回の試験でもちゃんと出来た学生もいることだから、成績が悪いのはきちんと勉強しない学生が悪いのであって先生の責任ではない、私たちだって勉強しない学生には手こずっているのですよ。いまでは、学生のすべてを相手にして彼らのレベルを上げるなんて無理中の無理。出来る学生を伸ばしてくれればいいのだから、来期も是非講義をお願いします。
そういわれて、ぼくも引き受けざるを得なくなりました。
ぼくの話している分子生物学は、細かなことは教科書に任せていますが、全体としてはどうしてそうなのか、どのようにしてそれが研究されて、その仕組みが分かったのか、その仕組みがほかの仕組みとどう繋がっているかという、分子生物学の論理性と相互のつながりの理解に重点を置いています。
彼らが学ばなくては(覚えなくては)いけない知識は教科書にすべて記載されているのですから、必要なら、彼らは教科書を丸暗記すればいいのですよ。面白く思った上で暗記出来るように、あるいは心ある学生が基本科学に興味を持つように、ぼくとしてはそれらを全体的に俯瞰して、学んだものの意味を把握出来る体系的な考え方を伝えようとしているのです。
ここで直面している中国人学生の大きな特徴は、彼らのいう勉強とは、そのままそれを覚えることであって、物事がどうしてそうなのかの理由は考えたこともないし、理由があったらそのままそれも鵜呑みにして覚えてしまう、というものです。
ものを考えない、疑問を持たない、ただ覚えるだけという人間を育てる教育がここでは至高のものですけれど、科学をすることは考えることですから、ぼくは分子生物学を教えることによって考える人間を育てたいと躍起になっています。
今までも講義のたびに毎度やってきましたが、これから、その時間に話したことに基づいて何か考える問題にもっと工夫を凝らして、考えることの重要さをもっともっと実感させるようにしましょう。
カテゴリ:さえへの日記
さえ:
おさえちゃんの誕生日が来ました。ぼくは一人で涙を流しています。
さえの死を止めることは出来ない、さえのために何もして上げる事は出来ない、あの頃の焦燥を思い出します。今でも、その思いがどんどん強くなってきて、はっと、目を覚まします。
結局、人は無力な存在であることをつくづくと悟らされました。
さえの気高い心が、ぼくの記憶に宿り、ぼくを励まし続けているだけ。
カテゴリ:日本の将来
さえ:
2007年に認知症を患っている男の老人が家からさまよい出て、隣の駅の構内で列車にはねられてなくなりました。痛ましい話ですが、これには後日談があって、この男の老人の家族がJR東海に720万円の損害賠償金を払うように命じられたという話です。(資料1)認知症の老人というと他人ごとではありません。うちの母がそうだったし、ぼくもいずれそうなるでしょう。
ずっと一人暮らしの母が認知症になって、ぼくたちも覚悟を決めて家に引き取ったとき、夕方になってどうしてもうちに帰ると言って聴かず出て行こうとするので、とうとう諦めて元のうちに戻しましたね。そのあと一つ間違えれば、ぼくたちもこの損害賠償を請求された家族と同じになっていたかも知れません。
いずれぼくも呆けてしまうでしょうし、この男の老人みたいに、どこかに出掛けていこうとするでしょう。
男性が事故にあったのは2007年12月で、同年の2月に「常に介護が必要」とされる「認知症高齢者自立度4」と診断されていたそうです。
判決によると、『同居していた妻が目を離した隙に男性が外出し、事故が発生したとして「妻(新聞によると要介護1と認定されているのだそうです)には見守りを怠った過失がある」と認定』。さらに、『別居している長男は「事実上の監督者」なのに、「徘徊(はいかい)を防止する適切な措置を講じていなかった』というのです。
この残された妻は事故当時85歳で、常にこの91歳の認知症の夫を監視することは実際上不可能ですね、ですから長男の妻が一緒に暮らして面倒を見ていたのに、二人が目を離した隙に家を出て行ったみたいです。
しかし裁判では『介護ヘルパーを依頼するなどの措置をとらなかった。「男性の介護体制は、介護者が常に目を離さないことが前提となっており、過失の責任は免れない』と判決したと言うことです。
介護に関わらなかった次男、次女、三女の賠償責任は問われていません、介護に関わった人たちが問われているのですよ。
万全の措置をしても、相手は人間ですから隙を見て自分の意志で外に出て行くことはあり得るでしょう。
全部を一部の(介護にかかわった)家族の責任にして、賠償を請求するなんてありか。介護を放棄した方がいいって言うのか。じゃ、自殺のために電車に飛び込んで、遺族が賠償金を請求されることがあるのか(ないみたいですね)。ネットはさまざまな意見が飛び交っていますが、おおかたの意見は、この判決はおかしいのではないかというものです。
実際どうしたらよいかというと、「なるべくなら家族に賠償を負わせないように、新たな仕組みを考えるべきではないでしょうか」とか「認知症の老人は家の中に閉じ込めておくしかないという風潮が生まれかねません。社会構造が変質して生まれた新しい事象ですから、ここでは皆が、どう知恵を絞るかが問われているんです」と、何も言っていないと同じです。投げかける問題が大きすぎて、お手上げと言うことですね。
これが中国なら、こんな判決が出たら、普通の人たちは群れをなして裁判所に押しかけて不満を表明するのじゃないでしょうか。
「いったい俺たちにどうすりゃいいっていうのだよ。認知症の老人をベッドに縛り付けておけと言うのかね。老人を殺してしまえばいいと言うのかい。認知症の老人を国が施設を作って面倒を見ることが出来ないというなら、それでもいいけれど、こういう時の俺たちに、賠償責任があるというのは止めて欲しいね」
(資料1)
「認知症男性、線路に入り死亡 電車遅れで遺族に損賠命令」 Nikkei 2013年8月10日
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
昨年の春休み、川崎の駅近くに住んでいた卒業生のセツさんのうちに招かれて遊びに行きましたが、その時、同じく卒業生の白さんも一緒でした。駅の直ぐ傍で、昔の公団だか公社だかのらしい、しゃれた建物でした。
その時、白さんが「うちの教授は料理が得意で始終ご馳走してくれはるし、最近では炊飯器でケーキつくりを覚えなはって、よく作ってくれはるんどす。うちも真似して、時々作っているさかい」と言うのです。白さんが京都に住んでいたのは大分前なのに、しかも二年しかいなかったはずなのに、今でも京都弁(だと思うけど)を盛んに使ってしゃべる様子が実に可愛いですね。
「うちの教授」という先生は東大薬学部の著名な教授ですが、ケーキを作るだけで女子学生にこれだけもてるならぼくも負けてはいられないと思って、白さんにレシピを教えてよと頼みました。ぼくもその前年の秋には炊飯器を買って自分で料理を作っていたので、ケーキつくりに進出しようと思ったのです。
「レシピならネットで直ぐに分かりますわ」と言うことなので、ネットを見ると、レシピが山ほど出てきて、今はネットで何もかも分かる時代なのだと言うことを認識しました。
それ以来、何度もケーキを作りました。研究室の学生の誕生日にはぼくがケーキを作ってお祝いの集まりをするというのも定着しました。チョコレートケーキ、バナナケーキ、パウンドケーキ、チーズケーキなどです。
どれも、ベーキングパウダーを入れてふくらませるケーキです。ベーキングパウダーなしでも作ってみたいですね。
卵の白身からメレンゲを作るのは、以前さえや娘のケーキつくりを手伝って、何時も二の腕が痛くなった経験が忘れられなかったし、自動攪拌機でそれが簡単に出来るようになったことも知っているし、しかし、今ここにそれがないので、自分の腕で掻き混ぜるしかないので、二の足を踏んでいたのです。
それでもカステラを食べたくなって、これもネットで調べるといろいろのレシピが書いてありますが、どれもメレンゲを作るためには攪拌機は欠かせないのですね。
電動のも手動のも攪拌機なるものは持っていないので、ともかく泡立て器でやってみようと思いました。ひたすら手で泡立て器を動かしました。10分くらいやっても、メレンゲが立ち上がるどころか、上から落とすとやっとぽたぽた位にしかならず、それでも腕がもう疲れてしまったので、諦めました。それで、成績は、厚さ4.5 cmの堅く締まったカステラ一丁、できあがり。
思いついて、「メレンゲ」で調べたら、メレンゲの作り方を書いている沢山の投書が(手動または電動の)攪拌機は必須と書いてある中で、ジャムをちょっと入れるとそのペクチン質が助けになって、泡立て器を使って手でも直ぐに出来ると書いてあるではありませんか。
それで作ってみました。
オレンジマーマレードを小さじに軽く、小指の爪くらいを入れただけなのに、5分も泡立て器で掻き混ぜると立派なメレンゲが出来ました。120グラムの薄力粉から、うちの5.5合炊きの炊飯器で何と厚さ7.5 cmの美味しいカステラができたのですよ。直ぐにラップして冷蔵庫で寝かせて翌朝食べたのですが、文明堂のカステラとはいかないまでも、それに限りなく近い味わいのカステラが自製で食べられて、「どんなもんだい うふん」という高揚した気持ちになりました。
ぼくたち、結婚した頃は、お互いこんな感じで「うふんと自慢げ」なことになると、自慢で鼻が伸びたと想像して、その仮定上の伸びた鼻に、これも仮定上のリボンを巻き付けてあげるという動作をよくしましたね。
さえのいないことだけが痛恨の極みですが、こんな簡単なことでも、人って、と言うかぼくは、幸せになってしまうのですから、さえが何時も言っていたように、ぼくは脳天気な極楽トンボとして長生きしそうです。
カテゴリ:日本の将来
さえ:
このブログに『こんな判決だとここなら大暴動?』という題で、2007 年に認知症を患っている男の老人が家からさまよい出て、隣の駅の構内で列車にはねられてなくなり、今年になってJR東海の訴訟を受けて裁判所が、この老人 の家族に720万円の損害賠償金をJR東海に払うように命じたという話を書いたでしょ。
どう解決したらよいか難しい問題だなあと思っていたので、食事の時に暁艶にこの話をしたら、「これが中国での判決だったら、もう誰も、認知症になった親の面倒を見ませんよ」
さらに「先生は、一体この先どうするのです?自分の子供に賠償の責任をおわせるのですか」と、答を迫ってきます。
「だって、数年前に老人が道で倒れていて、それを見た青年がこの老人を助けようとしたら、『この青年が突き飛ばしたんだ』と老人が叫んで、この青年は逮捕されて裁判所で罰金を言い渡されたことがあったでしょ。それ以来ですよ、中国では老人が道でつまずいて倒れても、誰も手を貸して助けようとはしなくなったのです。これを例にして中国人の民度が低いと外国人から言われていますが、誰だって損をする馬鹿げた役割を引き受けるわけないでしょ」
「中国で、こんな判決が出たら、認知症の親が引き起こす損害賠償を待っているよりは、まず親を放り出しますね。つまり、これは間違った判決です。男の老人を撥ねて損害を負った列車の会社が損害賠償を請求するのは分かります。でもそれは、親の面倒を見ていた子供にだけ、全部背負わせるのは間違いですよ。ほかの子供はその親の面倒を見ていない上に、賠償責任もないのでしょ。この判決をした裁判官は、中国でなら人々が激怒して「人肉捜査」で何から何までネットで明らかにされて、その職にいたたまれなくなりますよ」
「なるほど、なるほど」
列車に対して賠償するのが必要であるなら誰が払うかと言うと、今の状況ではその遺族になってしまうのですね。
実はこういう時のために保険があるのではないか、と言うことになって、思いついてネットでこの手の保険があるかどうかを調べてみました。以前いろいろ読み散 らかした海外小説の中に(外国の)保険会社は個人のしでかした行為に対して賠償責任が生じたらそれを払うというのがあったように思ったからです。
日本の保険しか調べてみませんでしたが、その種の保険は見つかりませんでした。国内旅行障害保険の中に『買い物中誤って高額商品を落として壊した場合など、 法律上の賠償責任を負ったときに補償』と言うのがあり、少し近いですね。海外旅行保険の中には、同じように『法律上の賠償責任を負われたとき(賠償責任)』ともっと範囲を限定せずにカバーできるように書かれています。
ですから、これが旅行中という限定でなく、一生をカバーする保険があっても良い訳ですね。つまり個人が引き起こすかも知れないすべての賠償責任をカバーする保険です。しかも、泥酔中でも、呆けた後の行為の結果でも、意図的でないことが客観的に証明出来たらその行為責任に対して全く免責のない保険商品です。
それがないのは、需要がないか、あるいはその保険に入る人が少なくて恐ろしく高く付いて売れそうもないか(会社は当然もうけを上乗せして保険料をちゃんと計算していると思いますが)でしょう。
となると、個人が殆ど払っているのが税金ですから、税金を原資とする保険を考えるか、そんなことなら一層のこと、その税金で賠償する、つまり国がこの手の損害賠償を払うようにすべきではないでしょうか。
どう考えてみても、孝行息子にだけ賠償責任を負わせるこの判決はおかしいと思いますよ。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
南部せんべいって言うのがあるでしょ。ピーナツの入った白いせんべいとして良く知られていて、東京でも手に入るので結構なじんでいますよね。耳が付いていてね。この食感は、ほかのせんべいと違っていますけれど、特にどうしてなのかと考えたことはありませんでした。
もちろん中国に暮らしているので、この南部せんべいには長い間ご無沙汰していますが、最近これを思い出す機会がありました。
この薬科大学の日本語の先生である春日先生は日本の八戸の出身です。一ヶ月くらい前に、せんべい汁を食べてみませんかと言うことで袋入りのせんべい汁を春日先生から戴きました。「こくがあって美味しいスープ付き、2-3人前」というものです。
『なべに水800ccを入れて火に掛け、ささがきした牛蒡、人参、キノコと糸こんにゃくを入れます』
『沸騰したら、鶏肉、豚肉、キャベツを入れます。再び沸騰したところにスープとせんべいを四つくらいに割って入れ、7-8分コトコト煮込んで下さい。最後にネギを入れれば仕上がりです』
それで先週金曜日の晩、春日先生を招いて、ほかに日本語クラス出身の学生を交えて、食事を用意しました。メインは何時ものように豚肉カレーと、辛辣金三糸で、それに加えてこのせんべい汁を作りました。と言っても指定された野菜がないので、キャベツ、人参、インゲン、セロリなどが代わりです。豚肉も入れました。5人前にしたいので、水の量は1200ccにして、増やした分の味は調整しました。
それでも、指定の5時半に来られた春日先生がブナシメジ、鶏肉などを持ってこられたのでこれらを加えて「せんべい汁」が出来ました。
最後の、せんべいを四つに割りながら入れるところで春日先生に手伝っていただきながら、このせんべいの形と感触から「これって『南部せんべい』じゃないですか」と思わす言ってしまいました。
春日先生は「そうですよ、これが南部せんべいです」と、当たり前じゃないのという口調で明確に断定されます。「でも、南部せんべいって、あの、ピーナツの入っているせんべいでしょ?」と思わず言うと、「あれも南部せんべいです。これも南部せんべいです」と言うことで、ぼくは多少混乱しました。
その後できあがったせんべい汁を食べながら、「すいとんってあるでしょ。あのすいとんの保存食ですよ」と説明されて、それで納得しました。戦前戦後、特に戦後の混乱・かつ欠食期にはよく食べました。と言っても、すいとんですら貴重品で、すいとんでもあったら、御の字の時代を生きてきましたね。
この南部せんべいは元々は八戸藩の非常食なのですね。材料は米粉ではなく小麦粉です。
南部藩の支配した狭い地域独特のものだそうです。この非常食の形を残したものが「せんべい汁」の中身の「南部せんべい」であり、胡麻やピーナツを入れて焼いたものが南部藩以外の地域に「南部せんべい」という名前で広まったのですね。
南部藩の地域の人たちにとっては、どちらも同じものなのです。せんべいとして食べたり、汁に入れてすいとんにしたり、今で言う、インスタントラーメンみたいな存在といえます。実際、インスタントラーメンそっくりのものが駄菓子になっていますものね。
ただし、ピーナツ入りの煎餅はそのまま食べる「南部せんべい」だけで、これを汁に入れたりはしないそうです。
ネットを見ると、Wikipediaでは「南部煎餅」の歴史として『元々は八戸藩で作られた非常食である。現在は青森県と隣接する岩手県にまたがる地域、そして北海道にも存在する。旧弘前藩側の津軽地方では津軽煎餅・八戸煎餅と呼ぶ。これは青森県西側に位置した弘前藩初代藩主・津軽為信は元々主南部家の家臣であり、南部家の領土の一部を後の弘前藩として独立した為、南部家支配下時代の風習がそのまま残った事に由来する』と、かなり難解ですが、「せんべい汁」は青森県南部と岩手県北部の狭い地域の郷土料理のようです。
初めてせんべい汁を戴いて、大勢で賑やかに食事を楽しみながら味わい、心の弾む時間を過ごすことが出来ました。
カテゴリ:さえへの日記
さえ:
あなたの燃える手で あたしを抱しめて
ただふたりだけで 生きていたいの
ただ命のかぎり あたしは愛したい
命のかぎりにー あなたを愛したい
さえが好きでよく歌っていた「愛の讃歌」の最初の一節です。越路吹雪が歌っていました。この「愛の讃歌」はM.Monnot 作詞、E.Piaf作曲で、越路吹雪が歌った歌詞は岩谷時子さんの訳詞です。
岩谷時子さんが10月25日に97歳で亡くなったと報道されました。
越路吹雪が歌った『ろくでなし』、『サン・トワ・マミー』、『幸せを売る男』、『ラストダンスは私に』は、どれも岩谷時子の訳詞です。さえが何時も歌っていたから、ぼくでも歌詞が口をついて出てきます。
さえが越路吹雪が大好きなので彼女の名古屋公演のときに一度だけ一緒に聴きに行ったことがありますね。御園座だったように思います。越路吹雪は黒のロングドレスを着て、黒のストールを激しく操りながら、あの深みのある声で聴き手をぐんぐんと惹き付けて、すごい迫力に圧倒されましたっけ。
岩谷さんは越路吹雪の付き人を1951年の東宝文芸部所属時代から30年間、越路吹雪が亡くなるまでの続けたとのことです。しかも、『しかし、あくまで 「越路が好きだから支えていた」という岩谷は、マネジメント料としての報酬は1円も受け取らなかった』と書かれています。(資料1)
岩谷さんは越路が歌うシャンソンの訳詞以外にも、沢山の歌曲の作詞をしていますね。
加山雄三の歌う「旅人よ」は、今でも歌いながら一人で痺れていますし、「君といつまでも」はこの瀋陽の教師会でみんなで何か歌うときには、いつもこれでしたね。
「ぼかア、幸せだなあ」と言って鼻の下をさするのはぼくの役ではなく、加藤先生でしたけれど。
「お嫁においで」、「夜空の星」、「蒼い星くず」と言う岩谷時子の作詞の歌もぼくのお気に入りです。加山雄三の曲が素敵だからかも知れません。この二人はとても好いコンビでした。
岩谷さんの訃報に接して、『加山雄三さんは「僕の作品のほぼ全てと言っていいほど、作詞をしてくださった。僕は何も伝えていないのに、思い描いた以上の言葉を詞にしてくださった。岩谷さんにお会いしていなかったら、今の僕はない」と悼んだ』と報じられました。
60年代の初めを彩るピンキーとキラーズの歌う「恋の季節」も岩谷時子さんの作詞なのですってね。「恋の季節」を聞くと、あるいはこのタイトルを見ると、心は一瞬にあの時代に戻ります。狭いながらも楽しい我が家、さえがいて、娘がいて、、、。ぼくは、あのころ本当にぼやぼやしていました。
歌のちからは偉大です。歳をとっても、痴呆になっても、音楽を聴けばメロディを思い出し、歌詞を思い出せるのですよね。
「愛の讃歌」の続きです。
頬とほほ寄せて 燃えるくちづけを
交わすよろこび
あなたとふたりで 暮らせるものなら
なんにもいらない
なんにもいらない あなたとふたりで
いきていくのよ
あたしの願いは ただそれだけよ
あなたとふたり
かたくいだき合い 燃える指に髪を
からませながら いとしみながら
口づけを交わすの 愛こそ燃える火よ
あたしを燃やす火 心とかす恋よ愛の讃歌
この歌の記憶と、さえへの想いのどちらも、ぼくが絶えるまでぼくと一緒です。
合掌
(資料1)
http://news.livedoor.com/article/detail/8198311/
「君といつまでも・愛の讃歌…岩谷時子さん死去」
読売新聞 2013年10月28日
コメント:
Re:岩谷時子さんが亡くなりました(10/30) motemotek さん
音痴で、歌えない私に、役割を与えて下ったの思い出します。その節はありがとうございました。
瀋陽も暖房が入る直前で今が一番寒い時期ではありませんか。風邪をひかれぬよう、じゅうぶんお身体に気をつけてください。
暖房が入った入ったで,PM25だったかの心配もありますね。瀋陽がハルピンや北京のようにならないことを願っています。 (2013.10.31 00:23:20)
motemotekさま shanda さん
motemotekさま、ごめんなさい。どなたか分かりません。でも、「い座」でご一緒したのでしょうね。楽しい「い座」の5年間でした。オペラの歌詞は殆ど忘れてしまいましたが、それでも舞台に立つとスポットライトが当たって、自分は眩しく明るいのに客席が見えず、伴奏の導入部を待っていざ歌うぞという高揚感は忘れられません。
瀋陽は今日から建物全館の集中暖房が入りました。やっとこれで安心です。この暖房も空気を汚す原因の一つで、これから濃霧・煙霧の日が増えるでしょう。どうかお大事に。
(2013.11.01 13:51:12)
Re:岩谷時子さんが亡くなりました(10/30) motemotek さん
いいとこどりして動作だけしていたとこのブログで書かれている人物です。
ふざけて、motemotekなどと書きましたが・・・・。
暖房が今日入ったそうですが、暖房が入ったは入ったで、汚染が気になりますね。瀋陽にいた時期や長春にいた時期、道路に積み上げられていく雪の固まった雪板が黒の縞模様をしていたことを思い出します。お身体を大事ににしてください。
追伸:
これからの時期、アイスバーンにも気をつけてお過ごしください。骨折などなさらぬように!!
注意していたのですが、やはり何回か私は滑って痛い思いをしました、長春でも瀋陽でも。骨折には至りませんでしたけれど・・・。 (2013.11.02 00:24:23)
motemotekさま shanda さん
お久しぶり。懐かしいです。お元気でしょうね。
いいとこ取りした上に、もてもて○○なんて、私以上に脳天気な極楽とんぼだったりして。。。
このところ急激な気温変化がなく、雨も降らないので、校庭の銀杏並木が黄色く色づいたまま長く私たちを楽しませています。いい時期ですね。
そのうちメイルしましょう。
(2013.11.03 08:20:29)
カテゴリ:生命科学
さえ:
NCBIの遺伝子データベースには、ぼくたちは何時もお世話になっていますね。
ぼくたちの研究では、発現するタンパク質の増減を先ずmRNAの増減で調べるためにmRNA情報が必要ですし、mRNAに対してPrimerを作るときも、発現を抑えるためにsiRNAを作るときもこのデータベースなしには進みません。
論文を調べるためにはPubMedを使っていて、これで調べられる論文がそのままここでは読めないことが多いので、この間はこのブログにもっと自由化してよと文句を書きました。ほとんどの論文は、ぼく自身か、この大学がその論文の載っているジャーナルを購読していないと、自由に読めないわけですから。
NCBIのGene Databaseからアクセス出来るデータベースでは、HPRD (interacting proteinsが分かる)、MIM(その遺伝子の発見、性状が分かる)なども大抵はその最初の検索の時にみています。使っているのはマウスですけれど、ヒト(Homo sapiens)の遺伝子からHRPD、MIMは調べます。殆どのことはヒトとマウスと同じですものね。タンパク質について詳しく知りたいときはUniProtKBなどにアクセス出来ます。
文献を調べるときは前に書いたように、PubMedを使ってきました。必要な論文を探し当てるために、Keywordを幾つか入れて絞り込みますけれど、よく調べられている遺伝子ータンパク質では文献の数が多すぎて、なかなかうまくいかないのですね。
たとえば、PLAUの遺伝子発現を制御している因子について書いてある論文を調べたくても、PubMedで「PLAU, transcription, regulation」といれると、PLAUによる制御も含んで、論文が無数に出てきます。 「transcriptional-regulation-of-PLAU」といれても、PubMedはそれぞれを分解して検索するみたいで駄目です。
ですから、PLAU遺伝子の発現制御を述べている、必要な論文を探し当てるには膨大な数の論文を、ともかく見ないといけませんでした。
NCBIの遺伝子データベースの最後には、数年前から抗体のデータベースまで載るようになってとても重宝していますが、1年前くらいからKEGGやこの情報が切り離されて、Gene LinkOutというリンクで別のものとなりました。これは関連情報データベースがべらぼうに増えたためですね。
いま調べてみると、この中には30以上のデータベースがあって、それらに無料でアクセス出来ます。これらを作っている人たち、機関があると言うことですよね。驚きです。
ぼくなどは今では世間に疎くなっているので、これらのデータベースにアクセスしても、意味も、使い途もぴんと来ないことが多いのですが、最近この中のEVEX(EVEX text mining resource)にアクセスしてみて、感嘆したので、実はこれを書いているのです。(資料1)
たとえばPALUからリンクしているEvexに飛ぶと(別名のuPAと言う名前になっていますが)
uPA regulates 101 genes or proteins
uPA is regulated by 201 genes or proteins
uPA binds with 190 genes or proteins
などが出てきて、その中に個別論文の記述の一部を載せているのですよ。
ですから、その短い文章を読めばその論文が必要な論文かどうか立ち所に分かるし、しかもRateが付いているのです。
さらに、Confidence: Very highとか 書いてあるのです。評価のその次はHigh、Average、Low、Very low と続きます。どういう基準か分かりませんけれど、結果を信じてまともに考えて良いのはVery high、High、Average、の付いている論文でしょうか。
ともかく今までの、先ず論文を探すという最初の作業が一段と楽になりました。そのおかげでぼくでも研究が続けられます。
以前は、それに関連した研究をした先人がいて、その結果に乗っかっていた(と言うか、先人の結果は無視してはいけない)のですが、それを探すのが大変だったのが、今は膨大なデータベースを作成する人たちがいて、世界の研究を支えています。
EvexはUniversity of Turkuと書いてありますからFinlandの大学です。Finlandは教育の質で世界第一位に輝いているだけでなく、こういうところも世界の研究者に貢献しているのですね。
このように研究の基盤が世界的に作られた無料のデータベースを利用していることからみると、研究者が研究結果をClosedのジャーナルに発表して、そのジャーナルが研究結果を購読者以外に見せないというのは、やはり研究結果は人類すべてのものであるので、誰でもアクセス可能であるという風に変えないといけないですね。
(資料1)
The EVEX database
http://www.evexdb.org/
EVEX is a text mining resource built on top of PubMed abstracts and PubMed Central full texts. ... The text mining data further has been enriched with gene normalization results, allowing straightforward integration with external resources.
カテゴリ:中国の生活
さえ:
アメリカ映画などを見ていると、企業のExecutive officer(執行委員、日本だと重役ですね)の広々とした部屋が出てきますね。一面のガラス窓の背景にマンハッタンのビル群が写っていて、いかにもトップを極めた人たちの栄華と得意が伝わってきます。
広い部屋の奥に窓を背にして執務机があり、部屋に入って分厚い絨毯を踏んで
机に近づくまでの距離が部屋の主の持つ力を象徴しているのでしょう。さらに専用のバスルームが付属していて、秘書はこの部屋の外に入り口を扼す形で配置されています。
ぼくは知りませんけれど、日本のトップ企業の重役以上の個室も、こんな感じでしょうね。
当然のこと、中国もこんなものだろうと思っていましたが、最近のニュースを見ると、江蘇省沛県(これって、三国志の劉備玄徳の出身地ですね)に政府機関(23ある省政府も政府機関です)の建物が建てられて、その部長クラスとなると80平方メートルの広さの個室を持ち、それにはさらに約30平方メートルの広さの休憩室まで付属しているのです。
写真がありましたが、そこにはベッドが写っていて、しかもそれはダブルベッドですよ。いや、何に使うのでしょう。使い途はたくさんあり、でしょうか。
最近、あるホテルが宿泊客の名前を暴露したので大変な騒ぎになりました。宿泊したこと、誰と一緒だったかなんてプライバシーの最たるものです。特に政府関係者がお忍びで何らかの目的でホテルの部屋を利用したのをばらされたら、波紋が大きいですよね。
いや、会議で遅くなったんだよとか、遠くの友人が来てねえとかの言い訳に追われます。
こんな具合にオフィスに寝室が付いていれば、怖いことはないわけです。「上有政策、下有対策」という有名な言葉は中国の生き方を代表していますが、こんどは「下有捜索、上有対策」というところでしょうか。
(資料1)
http://dl.sina.com.cn/news/shenghuo/2013-10-30/073019259.html
江蘇省沛県豪華政府大楼 2013年10月30日
カテゴリ:日本の将来
さえ:
この春、FacebookのCOOであるシェリル・サンドバーグの書いた本「Lean In: Women, Work, and the Will to Lead」の翻訳が日本でも出て、大評判になりました。ところが彼女は、アメリカではおおかたの女性から全く支持されず、冷たい目で見られたという話です。
この本が売れると、その利益の全額が、女性の社会的、経済的地位の向上を目指す国際的なNPO LeanIn.orgの運営資金に充てられるそうです。それでも支持されないのは、シェリル・サンドバーグは裕福な家庭に生まれて最高の教育を受けているので、そういうセレブが「上から目線で何か言ったって、世間で差別と戦っている普通の女性の苦悩とは関係ないよ、勝手に何か言ってなよ」というのでしょうか。
この本は中国でも“硅谷最有影响力女人”と言う題名で翻訳・出版されています。
暁艶はこの本の翻訳をネット販売で買ってきて、「女子はさっさと結婚して子供を生むのが幸せよ」と言う親に読ませて、その蒙を啓きたいと思っているみたいです。本人はScienceが好きだから研究者の道を歩みたい、それが分かってくれる人が見つかれば一緒になるけれど、それは見つかるのは何時のことか分からない、と言っています。煩い外野席に黙って貰うためには、外野席を教育しないといけないみたいです。
暁艶はこの本を読んで、男社会(中国も本質的には男社会です)で女性が生きていくためには、遠慮していては駄目と言うシェリルのメッセージを受け取って、将来の生き方の目標が出来たみたいです。
この本に感銘を受けた暁艶は、研究室で、学内で、寮で、あれこれの人たちに声を掛けて読みたければ貸してあげるから読まない?と誘ったそうですが、この本に興味を示した人は誰一人いなかったそうです。
これは驚きですね。ぼくも今の日本の若い女性がこういう時どう言う反応を示すかを言い切る自信はありませんが、ぼくの知っている日本人なら、この評判の物議を醸している本を是非読んでみたいと言うと思います。若い人も自分の将来の参考のために、きっと目を通すのではないかと思い、違和感を感じました。
この中国の大半の人たちの考えは、女性はまだ若くて値の付くうちに結婚しなさいというものです。それを自然と受け入れている若い女性には、それと別の行き方をしていく人の話など無縁なものと映っているでしょうし、そんな本を読むのは時間の無駄だと思うのでしょう。
受験勉強で身をすり減らして来た学生にしてみれば、実利を追うこと以外の関係ないことに時間をつぎ込むのは、ナンセンスそのものなのでしょう。実際、彼らは本を読む習慣がないという調査でこれが裏付けられます。
中国新聞社という中国自身の調査で、1人当たりの年間読書冊数(紙媒体)が4.35冊で、フランスの20冊、日本の40冊よりはるかに少ないと言うことです。(資料1)
今年の6月の中国青年報は『中国の児童3億6700万人が所有する書籍数は1人平均1.3冊で、未成年・児童の読書物所有量は世界68位、イスラエルの50分の1、日本の40分の1、米国の30分の1』と伝えています。(資料2)
瀋陽に来て本屋が殆ど見あたらないことに衝撃を覚えましたが、読む人がいないから当然ですね。
しかし、今年のNOP Worldが世界3万人(31か国)を対象に調査した「World Culture Score Index」によると、驚くべき数字が報告されています。
『週間当たり読書に費やする平均時間はインド人が10時間42分、タイ人が9時間24分、中国人が8時間、フィリピン人が7時間36分、エジプト人が7 時間30分・・・。それに比べ日本人は4時間6分と少い』
日本のうちの駅近くにあった本屋が、とうとう今年の初め姿を消しました。日本の電車では以前は誰もが読書好きでしたが、それも急速に退潮に向かっているのでしょう。電車の中で人が本を読んでいた姿は大分昔のものとして記憶されるのでしょうね。今ではスマホに興じて、読書を忘れてしまったのみたいです。
本を読むことはものを考えることですから、日本人は精神的退化に向かっているのではないでしょうか。男は駄目でも、せめて日本の女性にはシェリル・サンドバーグを目指して欲しいものですね。実際、それしか日本の活性化はないと思います
(資料1)
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=1029&f=national_1029_020.shtml
中国人の読書、世界最低レベル「礼儀の国として不適当」
2012/10/29
(資料2)
http://blogos.com/article/65528/
日本人は本をあまり読まない国民になっているのか
Blogos 田中善一郎 2013年07月03日
カテゴリ:健康問題
さえ:
ぼくたちの仕事はいわゆる座業ですね。殆ど一日PCとにらめっこをしながら、論文を書いたり、論文を読んだりして勉強しながら過ごしています。この頃は、半分くらいの時間はネットを見て遊んでいますけれど。
でも座りっぱなしは、筋肉がおとろえ「サルコペニア肥満」という生活習慣病や寝たきりになるリスクの高い状況を作るのですね。(資料1)
それでは、立ったまま仕事をする人は健康な生活を送ることが出来るのだろうと思いますが、どういう職種があるでしょう?
分子生物学の講義をしているぼくは2時間立ったままでいますが、毎日講義があるわけではありません。小学校の時の受け持ちの加藤嘉男先生は、一日中何時も立っていたように思うけれど、今の先生はどうなのでしょうね。
農作業は昔は立ちっぱなしか、しゃがみっぱなしでした。今はトラクターの運転席に座りっぱなしでしょうか。スーパーのレジ係など6時間立ちっぱなしで消耗するという話はよく聞きます。
ほかに職業としては、手術室の医師と看護師、消防士、調理場の調理人、コンビニの店員、デパートの販売員、現場に駆けつけた警察官、聞き込み捜査の警察官、合計90分フィールドを駆け回るサッカー選手など思い浮かべます。スポーツ選手は相当体力を使う仕事ですが、立ったままの時間が長いことはないから除くと、この中では調理場の調理人が一番長く立ったままじゃないかな。
どうでしょうか、調理人は健康で長生きでしょうか。
今年の春、日経で「オフィスで立って仕事をする時代がやってくる」と言う記事を見ました。(資料2)
日経の記事から引用しますと、『ビジネスマンにとって、だらだら時間だけが過ぎていく会議ほど、ムダなものはないだろう。そんな会議を何とか短時間で効率よく終わらせるため、立って会議をする企業が増えつつあるという』
『立ち会議は座っている会議より疲れるので、おのずと早く終わらせよう、結論を出そうという「場の力」が働く。そのうえ、導入企業からは「社員の腰痛が減った」という声もよく聞かれる。そう、実は人間の体は、そもそも椅子に座るようにはできていないし、座っている時間が長い人は生活習慣病のリスクも高い。消費カロリーが少ない生活を続けていると、体の代謝もそれに合わせて落ちてきて、脂肪をため込みやすくなってしまうのだ』
元ネタはAJ Jacobs (born March 20, 1968)の本で、Drop Dead Healthy: One Man's Humble Quest for Bodily Perfection (2012)。「健康男 体にいいこと、全部試しました! 」(本間徳子翻訳)で日本語訳が出版されています 。
AJ Jacobsはこの本を書いて、立って仕事をしたほうが健康にいいと主張しています。
実際に、AJ Jacobsはトレッドミルの上で歩きながら立ったままノートPCを使えるようにして、この本を書き上げたとのことですが、その間1871キロ歩いたことになると書かれています。
『立って執筆したほうが、集中力を持続でき、アイデアも浮かびやすく、しかも夜眠くなりにくい、とメリットもあるようだ。そして何より健康にいい』
最近、暁艶が何処でアイデアを仕入れてきたのか、立ったままPCを使うと言い出して、机よりは背の高いリコーの十年選手のコピー機の上にノートPCを置いて使い出したら「とても調子がよい、先生も立ってPCを使うようになると、もっと健康的に長生き出来ますよ」とぼくを説得しようとします。
この記事の中でも『サウスカロライナ大学とペニントン・バイオメディカル研究センターが行った研究では、心臓に問題がある男性のうち、1週間に23時間以上座っている人と11時間未満の人を比較すると、致命的な心疾患にかかる確率は前者のほうが64パーセント高かった。だが、悪い話はここで終わらない。座っていた人たちは怠け者というわけではないのだ。座っていないときにスポーツジムに行くという人も多かった。それでも、机の前で座っていることのダメージを完全には覆せなかったのである』ということです。
ぼくは毎日大学で14時間くらい過ごしていますが、その殆どの時間は座りっぱなしです。毎日真面目に(?)仕事をしながら、筋肉を減らし「サルコペニア肥満」目指してまっしぐらと(資料1)いうわけですね。
日経の記事に刺激されたし、よし、立ったまま仕事をしよう。立ったまま仕事をすると言うことはPCを立った状態で使えるようにすることです。そのためにはデスクトップPCである21インチiMacを机の上に高く載せなくてはならない、AJ Jacobみたいに段ボールにノートPCを載せるというわけにはいきません。
結局、ソファーセットの机を、執務机に載せるとちょうど良いことを見つけ、「立ったまま仕事」に挑戦しました。
まだ一日だけですが、立ったままの方が能率がよいとか、良いアイデアが浮かぶと云うことはないのですが、少なくとも夜はすぐに寝付きました。日本でも、立ったままの時間の長さと健康や、寿命との関係などを詳しく調べて欲しいですね。
(資料1)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130912-00010002-jisin-soci
「40代は要注意!メタボより怖い『サルコペニア肥満』とは」
女性自身 9月12日
(資料2)http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK1002Y_Q3A410C1000000/
「オフィスで立って仕事をする時代がやってくる」
Nikkei 2013/4/14
カテゴリ:生命科学
さえ:
9月6日のブログに「危ない、危ない、偽のデータに踊るところでした」というのを書きました。
プライマーを特定の遺伝子発現を調べるために使っていますが、あるプライマーでは正常にDNAの増幅が出来ていないのに、計算をして結果が出ていました(ともかく数値が出ていれば計算は可能です)。元データを見せずに結果だけを学生はぼくに報告していたわけですね。元のデータを見れば一目でおかしいことが分かるのに、それをしなかったものですから(ぼくも、それに気付かずに)計算で出た結果で一喜一憂していた訳です。
何らかの原因で使っていたプライマーがおかしくなって結果が出なくなったことが分かった後で思ったのですが、実験をやっている学生が、得られたデータがおかしいことを気付かずに計算をしてその結果だけを見ていたのだとすると、それじゃ、この学生の将来は危ないものだと思っていましたが、やっと最近になってその原因が分かりました。
実験をするのは、ある期待をしてそれを証明するために必要十分な実験を考えて行うわけですね。
期待があると、それに反する結果は受け入れ難いという心理的抵抗感があるので、間違った結果を導き出すことが良くおこります。
ですから、この実験はこの目的のために行うけれど、虚心坦懐に実験を行ってその結果は素直に受け入れること。もし期待と違ったら、どうして違うかをよく考えよう。実験の手技に問題があることもあるけれど、多くは実験前提となった作業仮説が違っているのだよね。こっちのちっぽけな頭で考えることが自然に通用しないことはよくあることさ。そこでこそ、しっかりと考え直そう。と何時も学生に言っています。
それにもかかわらず、どうしてこうなったか。
それは、まったく思ってもいない原因でした。
ここの学生は、自分から研究に興味を持っていない場合が結構あるのですが、そういう学生はそれでも実験をして、その結果で先生を喜ばせたいのですね。でも、先生の期待と違ったことになると、学生は先生が怒るに違いない、先生に期待と反した結果を出すことが恐ろしい、そうかと言ってデータを作るわけにはいかない、じゃ、真相を隠して計算結果だけを見せようと、いってみれば間違いをぼくに報告して、何時ぼくが真相に気付くかと息を潜めている数ヶ月だったみたいです。
心根は可愛いですけれど、学生がこのように考えて行動するなんて日本の経験から見るとまったく想像を絶しています。
中国に長くいて、学生にもぼくの科学に対する考え方が浸透しているように思っていましたが、学生は二三年で入れ替わるわけです。うちの研究室には科学的に、まともに、ものを考える学生が育っているんだと自負していたのは、実は幻想だったのですね。初心に返って、うんと気をつけないといけません。
カテゴリ:健康問題
さえ:
先週思い立って、健康でいるために「立ったまま仕事しよう」とiMacを机の上に高く設置し、意気揚々と仕事を始めました。初日は午前中5時間立ったままで、午後は一度休憩しただけで立ち作業を続けました。
その晩はよく寝られたのは前に書いた通りですが、二日目は午前中3時間で休憩を取りました。午後も同じです。少なくとも3時間は続けようと決心しているのですが、三日目は2時間立ち作業をしたらもう欲も得なく休憩が必要でした。
足が棒になるとよく言いますね、棒になれば何も感じないだろうに、実際は痛いよう、疲れたよう、というシグナルを発し続けです。
『立って執筆したほうが、集中力を持続でき、アイデアも浮かびやすく、しかも夜眠くなりにくい、そして何より健康にいい』とAJ Jacobsは言っていますが、三日目の午後は、食事の後やっとの思いで立ちあがって作業を始めたものの、創造的なことは何もできないのです。
ジャーナルのサイトにアクセスして面白そうな論文を探しているのですが、字面をみているだけで、頭の中にはさっぱり響いてきません。ネットのニュース閲覧に切り替えても、記事漫然と追うだけで、しかも頭に入りません。
足に疲労がたまっているのですね。それで午後は早めに切り上げていつもの盲人マッサージにいきました。首と背中、それと脚が異常に凝っていて、特にふくらはぎを押されると思わず悲鳴が漏れました。
脚が疲れるので、靴を運動靴に換えました。それが功を奏したみたいです。
次の日の四日目は立つこと自身では疲れますが、脚は痛まなくなりました。午後からは普通の机の上にMacBook Airを置いて、立ってもMac、座ってもMac、どちらでも選べるようにしたところ,立たなくてはいけないという心理的な圧力が減って、すっかり気が楽になり,立ち作業と座業が半々くらいで続けられました。
座ったままだと脱水症状を招くという記事もありますし,今ここで立ち作業が健康によいと気づいたのはいいことだから、これを続けようと自分を励ましています。(資料1)
おまけに、立つにしても背筋を伸ばして良い姿勢でいると、嘘か本当か、お腹に脂肪も溜まりにくいと言う話です。(資料2)
だんだん立つのに慣れていけば,脚の筋力もついて一日立ったままでいられるようになるのではないかと期待して、三日坊主で終わらないようにと、自分を勉励叱咤激励をして立ち作業を一週間続けたところ、七日目にはもう立つていることに慣れてきて、足も痛まず、具合が良いみたいです。
ただし、このブログを書いたり、ニュースや論文を読んだりするのはよいのですけれど、もっと緻密な、頭を使う仕事は座った方が落ちついた気分で出来るみたいです。それで、仕事はすべて立ったままと決めつけないで、PCを使う作業は殆ど立ったままにしよう、でも必要なら座ろうと、ゆるく心に決めることにしました。
ともかくこの歳になると、健康第一ですものね。
(資料1)http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20131105-00042897-jspa-life
『えっ!オフィスで「座りっぱなし」だと脱水症状の危険が』女子SPA! 11月5日
(資料2)http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20131106-00000017-tkwalk-ent
『姿勢が悪いとお腹に脂肪がたまるって本当?』東京ウォーカー 11月7日
カテゴリ:世界の将来
さえ:
インターネットには「Air pollution in Asia」というサイトがあって,今では中国、日本を中心に各都市のPM2.5の値のほか、PM10、SO2、NO2、COの値が1時間刻みで公表されています。
2年前に北京の米国大使館がPM2.5を公表したとき,北京政府は怒り狂って米国に盛んに抗議しましたね。それが,今では各都市のPM2.5の値が公開されているのです。驚きの変化ですが,環境汚染に対する政府の取り組みが真剣なものに変わったことを示しています。
日本では四日市公害ではSO2が工場から出ることを突き止め,脱硫装置を備えることでこれを克服しました。NO2は主として軽油の燃焼で生起するので、トラックなどのディーゼル内燃機関への対策が進みました。乱暴な石原東京都知事の布告で、首都圏では古いディーゼル乗用車が使えなくなり、ぼくもあのお気に入りだったトヨタハイラックスサーフを12年乗った後、手放さざるをえなくなりましたね。
そして、いよいよPM2.5の登場です。今年の1月まで,こんなものがあるなんて全く知らなかったのですよ。この冬は濃霧の日が多いなあと思っていましたが,1月の終わりにうちの学生たちに誘われて上海に旅をしたとき、陽の射す真っ昼間なのに車窓から周囲が全く何も見えなくなったことに驚いて関心を持って調べたら,北京のPM2.5が700であるのを始め、上海などの中国の沿岸地帯が軒並み日本のPM2.5基準値(規制値、それを越えたら危ないという)の二十倍近くが観測されていることを知ったのでした。
それ以来、Air Pollution in Asiaというサイトを毎日見て、PM2.5の値に一喜一憂していました。
このPM2.5 は日本でも新しい問題ですね。室内で空気清浄機をつければ良いという問題ではなく、根本的にどうするかで知恵を絞らないといけないでしょう。中国は、PM2.5で騒ぎになっていますが、日本ではほとんど解決したSO2、NO2の増加にも対応しなけれはならず,相当大変な事態だと思います。
最近中国の国務院が発表したのですが、PM2.5は健康に影響するだけではなく,生殖能力にも関係するという報告がありました。
『中国政府系研究機関・中国社会科学院と気象局は、「気候変動」に関する報告書を発行し、微小粒子状物質PM2.5などによる大気汚染の深刻化が「生殖能力に影響を及ぼす」との見解を明らかにした』(資料1)というものです。
いったいどういうことだろうと思って、PubMedを調べてみました。
「PM2.5」で検索すると論文が 2148もヒットします。絞り込むために,fertilityを追加すると一つだけ。PM2.5の高い都市では卵巣がんで死ぬ率が高いという論文です。
spermを追加しても2010年の論文一つだけで、PM2.5の高さと精子の数と質は関係ないというものでした。
学術論文には何もないにもかかわらず、それでも、上海の精子バンクでは2/3がWHOの基準では不合格で、それはPM2.5が高い環境のためだとか(資料2)、有害濃霧が生殖能力に影響するなど(資料3)の記事がニュースに出てきます。
精子の質が悪いのは本当だとしても、それとPM2.5との関係は明確なのでしょうか。
広く調べてデータをとる研究が完成しないうちに、現実はそれを追い越して悪化してしまったということでしょうか。でも、きちんと調べずにPM2.5との因果関係を云々するのは、デマを煽るのと同じですよね。誰か、本気で調べて欲しいものです。
(資料1)
『PM2.5「生殖能力に影響」=政府系研究機関が報告―中国』
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131105-00000102-jij-cn
時事通信 2013年11月5日
(資料2)
『China's Pollution May Have Devastating Effect On Sperm Count, Fertility』
http://www.huffingtonpost.com/2013/11/07/china-pollution-sperm-count_n_4233231.html
By Antonia Blumberg 2013年11月7日
(資料3)
『有害濃霧が生殖能力に影響、空気中の環境ホルモンが体内に―中国メディア』
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131110-00000011-xinhua-cn
XINHUA.JP 2013年11月10日
カテゴリ:中国の将来
さえ:
最近開かれていた中国共産党第18期中央委員会第3回総会(三中全会)の結果、1979年から行ってきた「一人っ子政策」を見直すそうです。(資料1)
『国家衛生計画出産委員会は16日、中国共産党第18期中央委員会第3回総会(3中総会)が、人口抑制のための「一人っ子政策」を緩和し、「夫婦どちらかが一人っ子の場合、2人目を産むことができる」と決めたことについて、「合理的な労働力人口を維持し、経済の持続的、健康的発展を促進する」と意義を強調した』
出生数が減って労働人口が減って相対的に老齢人口が急速に増えていることへの危機感が、この政策変更に踏み切らせたのでしょうが、この三十四年にわたる一人っ子政策の間に、中国は世界の人口増大を抑制することに貢献しました。
『国連の推定では19世紀末の1900年におよそ16億人だった世界人口は20世紀半ばの1950年におよそ25億人となり、20世紀末の1998年にはおよそ60億人にまで急増、特に第二次世界大戦後の増加が著しい。現在の人口は過去6000年間に存在した全ての人口のおおよそ5分の1にあたる』(Wikipediaによる)
資料によると、当時の北京大学校長であった馬寅初は『1953年の国勢調査で中国の人口は既に6億人を超えている。このまま抑制せずに増加させると、50年後の2007年には中国の人口は26億人に達すると推測』した上で、『人口が多いことは生産力の向上を妨げ、工業化社会の実現にも影響する』と指摘したそうですが、当時の国家指導者毛沢東の一派に激しく批判されて失脚しました。しかし、1971年に中国は計画出産に踏み切り、1979年からは一人っ子政策を全面的に推進した結果、2010年には13億5982万人で、今では特殊出生率は1.8といわれているようです。(資料2)
馬寅初は人口が50年で4倍に増えると見積もっていました。彼の危惧がおおむね正しかったことはインドの人口増加を見れば分かります。
インドの人口は1950年には3億7,185万人で、2010年には12億1,446万人 ということですから、2005年の人口を仮に11億2,852万人とすると増加率は3.0倍となります(日本ではこの間に人口は1.5倍に増えました)。そして2011年のGDPは中国の470.26 兆円に比べて、インドは123兆円しかなく、中国の1/3です。個人当たりでも(2012年)中国は世界ランキングの90位で6,071ドルに対して、インドは144位で1,501ドルと少なく、4倍の開きとなっています。中国は人口を抑えることで経済発展でインドを凌ぐことに成功したと言えます。
人口増加による資源獲得への圧力が戦争を引き起こす原因となりますから、世界の人口増加を抑制することに貢献した中国の指導者はノーベル平和賞に値するのではないかと言うのが、ぼくの好んで口にする冗談です。オバマ大統領の平和賞よりも遙かに意味がありますよね。
でも、今回の政策変更でノーベル平和賞に遠くなりましたし、それどころか、国の存立の危機に向かって進むのではないかと案じています。
一人っ子政策をゆるめても、中国に人たちは二人目を産むことに躊躇するに違いないという説がYahooブログに出ていました。(資料3)
子供を持つと教育費用が高いためもあって、いま既に『全国の出生率は1・18で、なんと日本の1・39を下回ったことが判明した』ということです。空気は悪いし、この著者の中島恵さんが周りの人たちに尋ねると、子供よりも自分のキャリアが大事、とか都会でそれなりの生活をするだけで精一杯で子供はいらないとかの返事が返ってくるので、今回政策を転換しても、そんなにうまいこと若年人口が増えるだろうか、という論調です。
中国は男女同権を謳っていて、遅れた社会から来たぼくたち日本人から見ると目を見張るほど女性は社会に大いに進出していますが、それは実は建前で本音は男性社会です。
それは生まれてくる子供の性比を見ると分かります。自然には産まれた男子と女児の比率は1.05:1.00ですが、実際は1.3近くもあるのですね。出産の時に男児を意識的に選んでいるわけです。ですから、一人っ子で女子しかいない家庭では、直ぐに男児を求めて子供を産むでしょう。まして農村では(今でも人口の過半数は農村戸籍です。2010年で7億2千万人です)(資料4)働き手を求めて必ず子供の数を増やすでしょう。
世界の人口は誰が見ても多すぎます。石炭石油などの資源の供給が可能になったので産業革命と共に世界の人口は爆発的に増えましたが、食糧供給という点から見ると人口は大過剰です。しかし人口が増えて国が困ろうと、中国の国民は徹底的に個人主義ですから、お上が認めたなら産めよ増やせよと言うことになるでしょう。中島恵さんが書いているようにインテリ層は子供を増やすことに消極的でも、人口の半ばを占める農民層で人口が増えるでしょう。
今ですら、中国では富が偏在していて(ジニ係数から見ると)何時社会不安が爆発してもおかしくないと論じている人たちがいるのに、働けども働けども貧しいままの人たちがこのさきもさらに増える可能性があるのです。
その意味で今回の政府による一人っ子政策の変更は(ノーベル平和賞から遠ざかったという冗談はともかくとして)、Chaosへの道を選択したのではないかと心配しています。
(資料1) http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131116-00000079-jij-cn
「労働力、経済発展を重視=一人っ子政策の緩和―中国」時事通信 11月16日
(資料2)http://r-cube.ritsumei.ac.jp/bitstream/10367/842/1/%e7%ab%8b%e5%91%bd%e7%b5%8c%e6%b8%88%e5%ad%a657-5%e3%83%bb6-8.pdf
『現代中国の人口政策と課題 王 亜新』立命館経済学 57 ( 5-6 ) , pp.242 - 262 , 2009-03 , 立命館大学経済学会
(資料3)http://bylines.news.yahoo.co.jp/nakajimakei/20131116-00029840/
『中国が「一人っ子政策転換」を決定、でも、本音では、別に「2人目」は欲しくない!?』中島恵 Yahooブログ 2013年11月16日
(資料4)http://j.people.com.cn/94475/6902442.html
「中国の農村人口、30年後に5億人減少」 人民網 2010年2月25日
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
今期の薬科大学では4人の日本語の先生のうち二人が入れ替わりました。
今は中国に赴任しようとする日本語の先生を捜すのが至難の業だそうです。春先から探し続けてもなかなか見つからず、瀋陽にある日本語学校の伝手から、そこに関係ある先生一人を夏前に確保し、こんどはその先生の伝手を辿って学期前にもう一人がやっと見つかったという話を聞いています。その二人目の先生の着任を待って9月21日に超豪勢な牛肉のしゃぶしゃぶ屋で歓迎会を開きました。
それから2ヶ月経ったところで二度目の集まりが幹事役の春日先生の肝いりで、こんどはぐっと庶民的なは焼き肉屋で開かれました。
ぼくを含めて5人が集まりました。春日先生は長い間日本の高校で国語の教鞭を執ってこられたし、新しい先生のうちの一人も日本語教師の経験が長いので二人が日本語教師のプロですが、二人はまだ日本語の先生としての初心者みたいです。
それですから集まったときの話題の第一は、日本語の教え方や、日本語を巡っての談義でした。日本語は何気なく使いこなしていますし、おかしな言い回しは立ち所に分かるのに、ぼくなどは素人だからそれをどうしておかしいかを系統づけて説明出来ないわけです。気が狂いそうに難しいのですよね。ですから、きちんとした説明を聞くと日本語教育のプロはさすがだと何時も感心させられます。
日本語談義の次に話題になるのが、瀋陽における健康問題です。これだけ食品の品質や、水質が問題になっているところでどんな食べ物をどんな風に食べて健康を保っていけるか、誰でも気になるところです。
新しい先生の一人は野菜が大好きだとのことで、焼き肉屋で出された生野菜をそのままぱくぱくと食べながら、「これって大丈夫かなあ」ということでしたので、「何が大丈夫なのか?ですか?」と尋ねたところ、農薬が含まれていないかと言うことでした。
中国で野菜にどれだけ農薬が使われているか実際のところ分かりませんけれど、日本の、ニュースでは「広東の一部では日本の六倍の農薬が使われている」などの扇情的な情報(資料1)もありますが、世界の食料・農林水産業に関するFAOの オンライン統計データベース「FAOSTAT」に基づくと、ヘクタール当たり有効成分換算量農薬使用量は世界の中で中国が最大で17.8 kg/ha、韓国が二位で13.1 kg/ha、日本が三位で12.1 kg/haです。ちなみに米国では2.4 kg/haの農薬使用量です。(資料2)
農薬の一部は作物に取り込まれ、これが残留農薬と言われています。洗って除かれるのは残留農薬ではなく、作物の中に入っているものが残留農薬です。
ですから残留農薬は洗っても除きようがありませんけれど、有機化合物ですから、野菜などは切ってから水で煮沸すると、ある程度は熱水に溶けるので除くことが出来ます。ぼくはこれを行っています。トマト、果物は煮沸出来ませんが、それ以外のものは煮沸して熱湯抽出で溶け出すものを極力除いています。食品専門家はビタミンCが壊れると言うでしょうけれど、それはサプリメントで補えばいいわけですよね。
おまけに、国によっては化学肥料だけではなくまだ人糞を使うところもあると聞いていますから、生野菜は寄生虫の卵が怖いです。野菜を生で食べるなんて、ね。
環境というと、もうひとつ、大気汚染が怖いですよね。でも、これはぼくたちにはどうしようもありません。マスクがぴたりと顔面を覆うことは出来ませんから、マスクをしても完全にのぞくことは出来ないし、諦めるしかありません。
ぼくが、おどけて言ったのは、『鼻毛が伸びても身だしなみなどと言って鼻毛を切ったりしてはいけませんよ、鼻毛は微粒子から身を守る大事な砦ですから。それにちょっと風邪気味がいいんですよ。それに鼻水が少し出るくらいの方が、いいんですよ。鼻毛がぬれて微粒子をしっかりとくっつけて除いてくれますから、ね』
第三の話題は、日本と中国の関係ですよね。ここに書くにはもう紙面が残っていないので省きますが、健康問題にしろ、環境問題にしろ、大変な問題があるのに、それでも中国に来て日本語を教えている先生方は、自分を犠牲にしても二つの国のひとびとの理解の助けになるよう努めているわけです。
ぼくなんかはここでしか仕事が出来ないから中国にいるわけですけれど、本当に尊敬すべきはこのような人たちですね。
(資料1)http://www.newsclip.be/article/2013/09/27/19169.html
「中国:農薬使用量は先進国の約6倍、広東の一部地域で」
2013年9月27日
(資料2)http://www.windfarm.co.jp/blog/blog_kaze/post-13942
中村隆市ブログ「風の便り」
世界の農薬使用量、遺伝子組み換え、生物多様性の比較 2013年8月18日
資料 Faostat fao.org/
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
譚玄が訪ねてきました。2005年の卒業生ですよ。懐かしいでしょ。
以前の通りハンサムで若く、ほっそりと引き締まった身体をしていて、まったくむかしの通りです。
譚玄は2004年の春に大学構内を歩いていたぼくたちの前にいきなり現れて、卒業研究をしたいと談じ込んできたのでしたよね。驚いたけれど後でラボに来るように言って、しばらく話をした後、彼の実直な性格が気に入ったのでした。
11月からはラボに来て、胡丹と組んで実験を始めましたね。その胡丹は修士課程を終えるまでに3篇の(SCIジャーナルに載った)論文を書きましたけれど、譚玄はそのうち二つで連名になっています。卒研生で論文に名前が載ったのは、ほかには満智秋と張添翼しかいないですから、すごいことです。
譚玄は卒業して直ぐにカナダの大学院の修士課程に入って、糖質科学の分析で精密な分析技術をものにしたようです。
修士号を取ったあと確か2007年にカナダから戻ってきてその夏を広州の親元で過ごしている間に、瀋陽まで一度訪ねてきてくれましたね。
そのあとカナダに戻って製糖産業の会社に入り、次には友達と二人で何かの起業したそうですが、彼の言葉によると、ぼくたちの研究室で惹き出された科学への興味が消えるどころか、ますます燃えさかってきたのだそうです。
数ヶ月前に彼から連絡があったのですが、博士課程に改めて入って自分を鍛え直して研究をやっていきたいと決意したということでした。
そのように心に決めて、今また故郷に戻ってきて、その間瀋陽までぼくをわざわざ訪ねてきてくれたのです。嬉しいことですね。
彼が瀋陽に到着した晩に歓迎の宴を張ったあと、せっかくの機会なので後輩たちの良い刺激になるよう、皆の前で何か話してくれるよう頼んで、カナダの生活を中心に話して貰いました。
修士の時に彼がいたラボではボスがポルトガル人で、学生はハンガリー、台湾、スリランカなどから来ていて、後はイタリア系の、あるいはヨルダン系の二世などが集まっていて、カナダ人(最初の移民の種と言うことでしょうね)と呼べそうな人はたった一人しかいない、国籍、かつ異文化豊かな社会だったみたいです。
カナダは今でも移民に門戸を開いている数少ない国の一つですから、そこで文化的背景の異なる人たちと付き合って、異なるものへの寛容な精神と興味を育てたように思われます。
元々穏やかな性格で攻撃的なところの全くない好青年でしたが、話をしていると瑞々しい感性で落ちついた公正な判断の出来る人に育っていることが伝わってきました。異文化に触れることで人は磨かれて成長しますね。
実利的な風潮の高い今の学生たちに、真面目な彼の話が受け入れられたかどうか分かりませんけれど、カナダの学生生活やラボの様子、大学の選び方などでみなから質問が飛んでいました。
中国の富裕層は海外脱出熱なんて良く書かれていますけれど、学生の留学熱もとても盛んです。うちに来る卒研生の大半は大学院に海外を選んでいますし、今年度の卒研生は二人とも留学するつもりでいます。
譚玄とカナダかアメリカでの再会を約して別れました。彼にとってぴったりの大学院が見つかるよう願っています。
カテゴリ:中国の将来
さえ:
PM2.5などの大気汚染が精子形成にどう影響するかという研究があるかどうかを調べていたところ、カーボンナノ粒子を使った実験が見つかりました。
この実験に用いられた粒子はレーザープリンターのトナーなどとして使われているブラックカーボンナノ粒子です。これを、PM2.5の微粒子の代表にして実験していました。
PM2.5と聞いてぼくたちが頭に描く粒子のサイズよりもナノ粒子は小さ過ぎると思われますが、PM2.5 というのは「粒子径が概ね2.5 μm以下のもの。粒子径2.5 μmで50%の捕集効率を持つ分粒装置を透過する微粒子」ですから、粒子径2.5 μm以下の、このナノ粒子(ブラックカーボンナノ粒子は大体0.1 μm以下の大きさです)もPM2.5の大きさに含まれています。
細胞は種類によって大きさが違いますが、一般的に言うと2-10 μmの大きさです。
PM2.5が問題になっているのは、珪肺、塵肺、アスベスト症、中皮症などの職業疾患が明らかになって、肺胞まで届く極小微粒子のする悪さを私たちが学んだからですね。
空気中の異物は大きいものは鼻毛にくっついて除かれます。でも鼻毛で漉しとるのではなく、鼻毛に着いた粘液に付着するのですね。だから鼻毛は大事なんだなあ、こういう大気汚染の街に住むなら鼻毛を取り除いてはいけないんだよね。
その先の気管に入った粒子は気道の表面にくっつくと、気管の中から外へと送りだそうと蠕動的に動いている繊毛によって外に送り出されます。
中国人はところ構わず痰を吐くと云って嫌われますが、ぼくたちは誰でも気管の奥から送りだされる痰を、常に多少なりとも生産しているのですよね。
繊毛が生えているのは気管支までで、酸素交換を行う肺胞レベルまで来ると繊毛がないので、そこまで到達した微粒子は肺胞にくっつくと、もうそのままで、除かれることがありません。ですから、何か悪さをするのですね。
大分県立看護科学大学の吉田成一氏の研究では、14 nm、56 nm、95 nmのブラックカーボンナノ粒子を雄マウスの気管から肺に入れると、精子生産数が約2/3に下がりました。数だけでなく細精管の機能に障害が出るみたいで、添付されている写真を見ると形成途上の精子の形は大分変形しています。(資料1)
第二次世界大戦の時、ドイツのドレスデンなどは連合軍の爆撃を連日受けました。その爆撃を経験してそれに耐えた母親から生まれた男の子は同性愛になる率が顕著に増えていたことから、ストレスが母親の胎内の男の児の性分化に決定的に影響したことが分かりました。
つまり男になるための遺伝子を持って生を受けたヒトが男性になる間に、母親の胎内にいるときの環境からも微妙に、しかも重大な影響を受けているのです。すべてが旨く働いてくれないと、遺伝子が男でも、また外見が男であっても、男として行動出来ない身体になってしまうのですね。
それで吉田先生たちは、妊娠マウスに微粒子を与えておいて、生まれてきた雄のマウスの精子生産能を調べると、雄の子マウスの精子産生能が低くなるだけでなく、その子マウスが小さいときから成長した後まで低いままだったそうです。(資料2)
マウスで母親に与えたナノ粒子が、その母親から生まれた雄の子供の性成熟にも悪影響を与えたことは、これがヒトでも本当だとすると、大気汚染による健康被害が単に個人の問題ではなく、人類の生存をも脅かす大問題であることを示唆していますね。
吉田成一氏の2009年と2010年のこの研究に続いて、大気汚染が生殖能力に及ぼす影響が明確に確認される必要があります。でも、中国人にしてみたら、因果関係が研究で明らかになるのを待っていられない気分でしょう。当然だと思いますが、十分な証拠もないのに、大気汚染が生殖能力に影響するなどと騒ぐのはデマ、騒擾の類です。しかし、大気汚染への対策を当局に立てさせるためには有効なことかも知れませんね。
(資料1)
Int J Androl. 2009 Aug;32(4):337-42. doi: 10.1111/j.1365-2605.2007.00865.x. Epub 2008 Jan 22.
Effect of nanoparticles on the male reproductive system of mice.
Yoshida S, Hiyoshi K, Ichinose T, Takano H, Oshio S, Sugawara I, Takeda K, Shibamoto T.
(資料2)
Fertil Steril. 2010 Mar 15;93(5):1695-9. doi: 10.1016/j.fertnstert.2009.03.094. Epub 2009 May 15.
Effects of fetal exposure to carbon nanoparticles on reproductive function in male offspring.
Yoshida S, Hiyoshi K, Oshio S, Takano H, Takeda K, Ichinose T.
カテゴリ:日本の将来
さえ:
今中国で暮らしている日本語の先生たちと話してみると、日中の関係が一番気になっていることが分かります。
どうしてこんなに二国関係は揉めるのでしょう。どうして中国は日本を批判し続け、悪く言い続けるのでしょうか。日本は散々謝りつづけてきたじゃないですか。賠償請求は当時の中国が放棄したので賠償金は払っていませんけれど、それに相当する金額を援助としてつぎ込んできたではありませんか。
もういい加減にして欲しい、というのが殆どの日本人の気持ちでしょう。
でも、『足を踏んだ方は踏んだことを忘れても、足を踏まれた方は決して忘れない』というのは世界中に通用する真理です。足を踏まれた方は踏まれたことを決して忘れないけれど、それでも相手の態度に誠意を感じれば、踏まれた痛みを覚えていても、許すでしょう。怨みの循環では世の中は険悪になるばかりであることを賢人は智慧として知っていますから。
この二国の間の行き違いについてその背景の分析を沢山の日本の人たちが行っています。然るべき意見もあり、そうかも知れないけれどそれじゃ解決しないじゃないかと思う意見もあり、さまざまです。それに比べると中国側の表向きの意見は一つに集約されると思います。日本の政治家が戦争犯罪人が祭られている靖国神社を詣でるのは、日本が戦争を反省していないからである、つまり、信用出来ないというものです。
同じく第二次世界大戦に負けたドイツは、すべての戦争責任をナチスに押しつけて、残りの人たちはその戦争犯罪人の被害者なのであって戦争に負けたおかげで解放されたのだ、ナチスの暴虐を許し他国に被害を与えたけれど、戦勝国の人たちと本質的に同じだというように振る舞っています。
中国も日本に対しては、戦争を始めた責任者はあくまでも追求するけれど、一般の日本人はそれと一線を画する人たちだという見方を示しています。つまり戦争犯罪者に対しては罪を問うけれど、ほかの日本人は許そうと言う態度だと思います。
ところが戦争に負けたとき日本人は「一億総ざんげ」を唱えました。『戦争に「負けた」のはすべての私たちが悪かったのです。ごめんなさい』
今思うと、それは戦いに負けたことを国民全員が天皇に向けて謝ったのでしょうね。このような多くの国に戦禍をもたらした戦争行為の反省をしたのではなく、それもこれもすべて自分たちが悪かった、といってすべてを日本の国民全部で抱え込んでしまったのだと思います。
戦争に負けた日本の国では、六百万人といわれる人たちはその命を失い、あるいは命は助かっても家や財産を失い、戦後は奇跡的な復興を遂げたと言っても、海外に戦線を拡大したための損害・被害は莫大なものであったと思います。
さえの父上は戦前は市井の医者でした。戦争末期には四十歳を越えていましたが招集されて千葉で竹槍訓練と塹壕掘りをやらされ、その不在の間、富士見台のうちはB29の襲撃による焼夷弾で焼かれ、疎開先の甲府でも7月7日の空襲で焼かれ何もかも失いました。家族全部が無事だったのは奇跡でした。戦後は文字通りゼロから出発でしたね。でも、戦争被害の責任はすべての人々が負ってしまって、国際裁判で戦争犯罪人が弾劾されたのに、平和条約のあとはすべてを靖国神社に祭ってしまいました。
戦勝国が勝手な論理で戦いに負けた国を裁いたので受け入れられないという日本人は多いですが、日本を海外侵略戦争へと導き、多くの日本人の命と富を奪った張本人たちがいるのですから(戦争を煽った朝日新聞社も同罪です)彼らの責任を、私たち生き残った日本人は追及すべきでした。
でも、あの当時の日本人は戦争に積極的に反対しなかったので、ある意味では戦争に荷担したとも、内心では思っていたのでしょう。それで「罪なき人のみ石を投げられる」と考えると、だれも戦争犯罪人を責めることは出来ないと思ったではないでしょうか。ここが日本人の優しさであり、甘さであり、限界ですね。異民族と戦い続けた岳飛を惜しみ、彼を謀殺した秦檜の像を造ってその後900年に亘って民衆がつばを吐き続けた中国人の行為は日本人の心情からは遠いものです。(資料1)
あの戦争を経験した世代は日本人で今は一割も生き残っていないでしょうし、もうすぐ消え去るでしょう。その時に、冷静に歴史を見つめて評価を下すことをしたらどうでしょうか。
一国の宰相が祖国の戦いで散った人たちの魂を悼むのは当然のことです。その中に近隣諸国だけでなく日本をも不幸のどん底に落とした人たちを紛れ込ませることは、おかしなことだと思います。日本は第二次世界大戦で負けましたが、まだ総括をしていないのです。この点では中国はごくまともなことを言って、日本に手を差し伸べているのだと思います。
この点を是正しても、まだ問題は解決しないかも知れませんし、もう一つの面倒くさい国は必ずやまた別の争点を持ち出してくるでしょうけれどね。
(資料1)ニコニコ大百科による:http://dic.nicovideo.jp/a/%E5%B2%B3%E9%A3%9B
西湖のほとりには岳飛と共に処刑された養子の岳雲と共に祀られている「岳王廟」が建てられ、現在も多くの中国人が訪れている。
岳王廟の岳飛と岳雲の墓の前には、秦檜夫婦ら岳飛を無実の罪で殺害した者達五人が後ろでに縛られて正座させられている像が、鉄の檻に入れられた状態で設置されており、通る人が唾を吐きかけたり、ゴミを投げつけたりする等、中国の「死後も罪が許されない」宗教観がよく解る場所でもある。
カテゴリ:研究室風景
さえ:
先週、うちの博士課程の王くんが教授室に来て工具の入っている引き出しを開けてごそごそしているので何しているのかと思ったら、巻き尺を探していたのです。引き出しには一般的な研究室でも必要なドライバーやレンチなど日本で使っていた工具を持ってきてまとめておいてあるのですが、勝手に持ち出されてそのまま戻ってこないことが多いのです。巻き尺も例外ではなく、見つからないようでした。
どうして探しているのかを訊くと、この教授室の広さを測定して知らせろと大学の某所から連絡があったそうです。
この建物は2003年の竣工で、もちろん大学が作ったものなので、設計図は当然あるはずですね。大学当局が部屋の広さを把握していないはずはありません。
ぼくたちはこの建物が出来たときに日本から来て入ったので、建具の残りでゴミだらけの部屋を周囲の学生たちに手伝って貰って大掃除しました。そのあと、書棚や、机を入れるために部屋の大きさを測定しているので、部屋の大きさが、約60平方メートルであることを今でもきちんと認識しています。
ですから、『それなら計るまでもなく部屋の大きさは60平方メートルといえばいいんだよ』
でも、ここでいたずら心が顔を出しました。
大学が部屋の大きさが知りたければ、以前の書類を出して調べれば直ぐに分かるはずだし、それが見つからないときはしかるべき人を寄越して計ればよい、それなのにそれぞれの研究室の学生に頼むのは、その結果がどうであれ、それを受け入れると言うことですね。
それじゃ、50平方メートルと報告して違うと言われても、ちゃんと計ったらそうなったと主張すれば済むことだし、それは違うという根拠があるとすればもとの原図があると言うことだから計る必要もなかったことになるし、隣の教授室と比べて狭すぎるじゃないかと言うことになら、同じ広さだと知っていることになるのだからその数値を使えばいいわけだし、『この際、50平方メートルって報告してみたら』と王くんに言ったのでした。
こんないたずら心をさえに話せば、大いに喜んでくれたでしょうけれど、最終的には「でも、駄目よ、大学をからかったりしては」とぼくを諫めたでしょうね。
王くんはぼくの提案にこにこして頷いていましたが、ここの学生は権威には無条件で従うべしという制度で育っていますから、ぼくの言うことなど気にもせずに、ぼくから聞いた60平方メートルという数値を報告したに違いありません。
なんだか、退屈な毎日が続きます。
カテゴリ:友だち
さえ:
薬科大学に新しく二人の日本語の先生が増えたと書いたでしょ。連絡方法としてE-mailアドレスを知りたくて幹事役の春日先生に尋ねました。
するとそのうち一人の先生は、ここで使えるE-mailアドレスをお持ちでないということでした。
このインターネット時代に、異国でE-mailアドレスなしで暮らすなんて驚きだと思わず呟いたところ、春日先生から、「そんなに驚くのがおかしいですよ。自分だって日本に帰れば、テレビがあって、新聞があって情報を見るのにネットは使わないし、電話だってあるのだからインターネットは必要ないですよ」と言われてしまいました。
ぼくは改めて驚いてしまいました。E-mailなしで暮らしている人たちがいるのですね。ぼくの常識は世の中の非常識なのかな。。。
1984年頃からNECのPCを使い始めて、1986年頃からは外国の友人とE-mailのやりとりをしていましたね。NECがMacのPCに変えたのが1989年頃で、ODNのプロバイダーからメイルアドレスを貰ったのは何時だったかなあ、覚えていませんけれど、東工大では1994年頃にLANが張り巡らされてインターネットに自由にアクセス出来るようになりました。
ですから今では、論文を書くのも読むのも、インターネット経由ですし、従って同業者とのやりとりも、友達とのやりとりもすべてE-mail に完全に依存しています。
大学に来るとPCを付けて、一日中(もう殆ど四週間になりますね、立ったまま)それと向き合っています。今ではE-mail のない世界なんて考えられないのですけれど、日本の春日先生にはE-mailは通じないのですね。いや、参った。E-mailが通じないと、どうして良いか分かりません。中国から手紙を出すことは、ほとんどありません。
新聞は、ネットで契約して日経を読んでいます。でも、中国でアクセスが邪魔されることが甚だしいときには解約しますから、昨年秋からこの10月までは読んでいませんでした。いずれにせよ、日本や世界のニュースはすべてネット経由です。
ここでは数年前から英語で見られる番組がなくなったのでTVを見る習慣を失いましたから、TVなしの生活に慣れてしまい、日本に戻ってもまったくと言って良いほど見ることがありません。
ネットのニュースで今年の流行語大賞の候補50個を見ました。
PM2・ 5/NISA(ニーサ)/母さん助けて詐欺/弾丸登山/美文字/DJポリス/ななつ星/パズドラ/ビッグデータ/SNEP(スネップ)/ヘイトスピーチ /さとり世代/ダークツーリズム/ご当地電力/ご当地キャラ/こじらせ女子/富士山/日傘男子/バカッター/激おこぷんぷん丸/困り顔メイク/涙袋メイク /倍返し/今でしょ/ダイオウイカ/じぇじぇじぇ/あまロス/ビッグダディ/ハダカの美奈子/ふなっしー/フライングゲット/マイナンバー/NSC/アベ ノミクス/3本の矢/集団的自衛権/特定秘密/汚染水/ブラック企業/限定正社員/追い出し部屋/ナチスの手口に学んだら/ネット選挙/アホノミクス/引 いたら負け/二刀流/スポーツの底力/シライ/お・も・て・な・し/コントロールされている
このうち、知っているのは、次の10個だけです。
PM2・5
DJポリス
ヘイトスピーチ
今でしょ
アベノミクス
3本の矢
集団的自衛権
ブラック企業
追い出し部屋
お・も・て・な・し
「倍返し」そのものは知っていますけれど、今流行語となってどのように使われているかはまったく分からないですよね。知っていると書いた語句でも、日本で使われている意味と、使われる状況とを正しく知っているわけではないでしょうね。このような言葉は、怖くてうっかり口には出来ませんね。
週刊誌を人から貰っても、いまではもう読むことに大して興じることがないのは、トピックスや、時の人(あるいは芸能人)の名前を殆ど知らないからでしょう。
すでに私は世間とはかけ離れた仙人の生活をしているみたいですね。どうか、ぼくの非常識を笑って下さいな。
カテゴリ:友だち
さえ:
65期のセツさんのクラスが卒業十周年を記念して11月23日に瀋陽薬科大学に集まりました。
セツさんは四・五年前に瀋陽にぼくを訪ねてきてくれたときに、うちの学生とも一緒に食事をしながら話をして貰ったことがあって、今度もぼくに会うだけでなく、先輩として後輩に話をするという約束でした。それで到着した日に大学に来て貰って、うちの学生の前で話をして、その後全員で食事という段取りにしました。
セツさんはこの大学を出て名古屋大学の大学院に行って修士を取り、慶応大学で二年間有給の研究員をしてから日本で就職しました。ですから話しは日本での暮らしから始まりました。
2011年の3月11日の東北大地震を経験したわけですが、先ずスライドには日本の建て方から見て古いのが分かる二階建てのアパートが並んでいる写真が出てきて、「驚いたことに建物は何処もびくともしなかった。四川の大地震では建物が壊れてたいへんな被害が出たのに」という話から始まりました。「東北大震災では数千人の人命が失われたけれど、殆どは予想を超えた津波のためで、建物が壊れたための死者は数十人にもならなかったらしい。中国で地震を経験したことがなかったので日本に行くのが初めは怖かったけれど、対策がしっかりしていれば地震はさほど恐れるべきものではない」ことが分かったそうです。
大学院時代の生活は厳しく、何時も実験に追われていて、それでも何とか時間を見つけてはアルバイトに出掛け、戻ってくると実験、実験で、実に大変だったみたいです。さえとぼくは日本に戻るたびに名古屋で彼女に出会って話を聞いて激励して少しだけ援助しましたけれど、文字通り焼け石に水の生活だったでしょうね。
でもその大変な生活も終わってみると、良い経験だったと思い返しているのです。自分はこれだけのことに耐えられたのだ、これだけのことが出来たのだという強い自信を自分に持てたのですね。その後二年間慶応大学で働いて、言ってみれば人生の猶予期間として自分を眺めていて、日本で学問をして身を立てるのは大変だ、しかし経済的には日本は良いレベルなので日本で就職しようと決めたのですね。
日本の違うところは、たとえば電車の中では携帯電話を使わない、もしも掛かって来たら後で連絡するからねというだけで終わりにして、お互いに自分の周囲の他人を邪魔しないという社会ルールがある。豊かな人と貧乏な人が見分けが付かないほど、格差が激しくないし非常に高度に発達した社会で、ちゃんとした給料に恵まれたらとても暮らしやすいところだと思う。実際、安定した生活を送ることが出来て、自分がこの後数年先何をしているかの見通しが立ちやすい国だと思ったそうです。
学生の頃、自分は将来大学の先生になるのが夢で、会社人間として働くようになるなんて思いもしなかった、修士課程を終えて自分のもとの夢は放棄したけれど自分は新しい道を選び、今はこの転身を満足しているということでした。
2008年に就職したのでこれで5年になるけれど、社会人として一番大事になことは誠実であることだ、人を誤魔化したり騙したりするのは真のビジネスではなく、人に至誠の心で尽くすことだ。そして自分の可能性に何時も挑戦することだ、そうすると自分の限界はどんどん広がるし、自然にビジネスの結果もそれなりに返ってくる、「至誠天に通ず」というのはどんな人生を歩もうと共通の原理だと思うと力強く述べていました。「真実 真誠 自信 堅持 只有再堅持一点点」という言葉が最後のスライドに書かれていました。
多分、中国における企業人と彼女はかなり違う見方ではないかと思いますが、うちの学生は真剣に聞き入って、セツさんが準備してきた話を終えた後も、長らく質疑応答が続きました。
ぼくは十年前には可憐な学生だったセツさんが今はこれだけの骨太の自分の人生観を信念を持って後輩に向けて語れるようになったことを、とても嬉しく思いながら眺めていました。
カテゴリ:研究室風景
さえ:
例によって朝のYahooニュースを見ていたら、「『疲れた』は禁止、モチベーションを下げる社内ルール」というのがあって、笑ってしまいました。
この頃とみに厳しくなった “法令遵守”に縛られ、『組織内に閉塞感が蔓延。モチベーションは低下し、新しい試みを敬遠する事なかれ主義によって、企業の成長、引いては経済が停滞することを「コンプライアンス不況」と言う』そうです。
『社員のモチベーションを上げるためだろうが、「マイナス発言禁止令というルールがある。「疲れた」は禁止ワード。そんなときは「充実感あった」と言い換える』決まりのある会社があるんですって。(資料1)
「疲れた」なんて実に自然に口から出る言葉ですね。誰が、そのかわりに「充実感あった」なんて、真面目な顔して口に出せるでしょうか。
ぼくのブログに何度も書いていますが、うちの娘が学校で「ちくしょう」を覚えてきて連発するので、かわりに「ふんぎゃあ」と言いなさいと言ったら、彼女はそれを真面目に実行していましたが、そのうち馬鹿しさに気付いて、言わなくなりました。もちろん「ちくしょう」も言わなくなりましたね。
サラリーマンが、疲れて社に戻ってきて椅子にどかっと座って、「充実感あった」なんて口にするなんて、実にあほくさて笑えますね。そう言おうと思うだけで疲れてしまって、元気がなくなるでしょう。沈滞しきった空気の会社の雰囲気が想像できます。
その点、大学での生活は実に気ままなものです。まったく、縛りはなし。うちの学生も、朝8時から11時まで、午後は2時から5時まで実験室にいなさいよ、どこかに用事があるときはその旨ぼくに知らせてから出掛けなさい、というきまりだけです。それ以外はすべて自主的な生き方に任せています。のんびりしたけりゃ、それでよし。やがて時期が来て、研究の結果が出ないで困るのは学生自身ですものね。
ぼく自身に対するルールは、誰に向かっても「忙しい」とを決して口に出さないこと、という一つだけでしょうか。
これはむかしぼくが研究室で宮仕えしていた頃、研究の上の相談で上司(つまり教授や、部長)に会いに行ったとき、その上司が顔をしかめて「とっても忙しい、後にしてくれ」ということがあり、そういう上司に勇を鼓して会いに行ったのに断られて、さらに話をしに行く意欲を失ったことを覚えているのです。
その時、いずれぼくが人に責任を持つようになったら、決して「忙しい」とは口にしないと誓ったのでした。
そして、ぼくは何をしていようと、どんなに仕事の最中で中断されたくなくても、自分の研究室の誰かが会いに来たら、必ず手を休めて話を聞きました。
さらには、研究室以外の人が来ても、同じように決して「忙しい」とは言わずに会いました。これは長く生きているうちに、人は得てして「忙しい」と口にすることで自分を偉そうに見せるものと、学んだからですね。
幸い、この頃は「忙しい」ことは滅多になく、何時でも誰でも来てくれることは大歓迎です。「忙しくない」と嘘をつくこともなくなって、心の赴くまま「充実しない」人生を幸せに生きています。
(資料1)http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20131207-00527109-sspa-soci
『「疲れた」は禁止。モチベーションを下げる社内ルール』週刊SPA! 12月7日
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
またやってしまいました。
以前、ラボから近くの家楽福に暁艶と買い物に行くとき、建物を出て直ぐ彼女が友達に出会ったので、じゃ10分後に会おうねと言った後、ぼくは大学の正門の近くの庭園に行って彼女のやってくるのを待っていたのですけれど、ちっとも来ないのですね。
どうしたのかと思いながらも待っていたのですが、とうとう待ちきれずに彼女を探しに大学のプロムナードを戻ると、研究室の人たちがみなで歩いていて、手を振って「先生」というじゃないですか。
暁艶はぼくが見あたらないので、研究室に人たちにも連絡して大捜索をしていたのでした。
暁艶は言葉の通じない異境で一人暮らしをしているぼくのことをいつも案じているのです。
暁艶は ぼく一人の帰り道が心配だというので、うちに帰った後ぼくが電話をするか、彼女が電話を掛けてくるかのどちらかを、もう3年近く守っています。先週、たまたまラボに携帯電話を忘れてうちに帰ってしまったのですよ。
電話を掛けようとして、それを置き忘れたの気付いたのですが、無精を決め込みました。暁艶は電話を掛けないぼくに電話をしてラボにぼくの電話があるのを見つけて、ケータイを忘れたので電話がないのだと思ってくれるだろうと思いました。連日講義が続いて、すごく疲れていたので9時半にベッドに入りました。
寝付いたところで少し音がするので目が覚めました。遠くでドアをたたくみたいな音がしています。でも、何のことかわからないし、音を子守唄にして半分寝ていました。
でも、音が続くし、そういえば以前となりのうちの子供がエレベータホールからうちのある一画に入るためのドアの鍵を忘れて叩いていたよなあ、でも、その子供も今はいないしなあと、うとうと、うとうと。
音はやまないので、誰か悪い人が入りたがっているのかと実は恐怖を感じていたいのですが、それでも仕方なく、外に出るためにコートを着て、フラッシュライトと鍵を持ってうちのドアを開けると、すぐそこに真冬のコートに身を固めて、怒りと寒さで顔面蒼白の暁艶が立っているではありませんか。隣には卒研生の盧さんもいて。
いっぺんに目が覚めて、事態を悟りました。あ。ぼくが電話をしなかったので、心配のあまりうちに見にきてくれたんだ。
「先生の電話がラボにあったから電話が掛からない理由はわかりましたけれど、でも無事かどうかわからないでしょ。シャワーのところで滑って転んで裸で倒れているかもしれないし、心配で駆けつけたのですよ、それなのに20分も応答がなくて、窓を破って入ろうと言っていたところです」
ぼくは自分のあまりの迂闊さに、しどろもどろで謝り続けました。
電話連絡ができないことがこういう事態を引き起こすことを予測しなかった、しかも外で音がしても、うちまで心配で見に来てくれたなんて思いもしなかった、何という間抜けで、想像力が欠けていて、傲慢で、自己チューなんだ。
ひたすら謝ることしかできませんでしたが、外の音がぼくのためとは思いもしなかったということは実は老化のためかも知れません。
自分ではちっとも高齢者のつもりはありませんけれど、このごろ学生も含めて周りの人たちが優しいし、以前の卒業生も結構連絡してくれるし、これは端から見れば立派な老人が実は周囲の人たちの厚意に囲まれてこうやって生きているのかもしれません。
そろそろ引き際を考えるときかもしれません。
カテゴリ:中国の将来
さえ:
日本の老人は、自分たちの働いているときの積立金と若い世代の労働の積み重ねにより、老後は自分たちの子供に頼らなくても年金によって支えられるという歴史が始まって以来の新しく確立した制度の下で生きています。
でも、その積立金を官僚が好き放題に使って費消してしまったことを置くとしても、若い世代の人口が減ってこれが制度して続きそうもなくなりました。
この年金破綻問題に関して、少子化を防いで働く人口を増やそうとか、年金を受け取る年齢を上げていこうとか、年金額を減らそうとか、いろいろなことが言われています。
先日、このことで渡辺氏の主張を紹介しましたが、渡辺氏は「少子化になったのは当たり前だ、老後は子供に頼らなくて良いという制度を作ったのだから、子供を育てるという金の掛かることに人々がそっぽを向くのは当たり前だ」と喝破し、子供を育てた人だけ(人数に応じて)年金が貰える仕組みにしたら良いじゃないかと主張しています。(資料1)
それより前のこのブログでぼくは「ノーベル平和賞を取り損なったかも?」というタイトルで、中国の一人っ子政策の転換を書きました。
1979年から行われた一人っ子政策は中国の人口の爆発的増加を抑えたわけで、地球上の人口問題から見ると大きな貢献をしたのに、この一人っ子政策の見直しで、世界の人口増加を促進しようとしていると書きました。
中国の経済発展は労働人口の供給によることが大きかったのに、とうとうその人口ボーナスがなくなって成長が維持しにくくなり、現政権維持に影響しかねないと見られていました。ですから、この政策の転換により『国家衛生計画出産委員会は16日、「合理的な労働力人口を維持し、経済の持続的、健康的発展を促進する」と意義を強調』しているので、若年労働力が足りなくなることを恐れ経済発展の維持のためと解釈されています。(資料2)
しかし、石平氏による記事を読むと、毎年大学を出る学生は700万人いるのに、就職出来ない人たちが多数いるくらいなので、労働力不足と言うことはない。しかも中国では、現在では男性の定年は60歳で、女性は55歳の定年ですがそれを延長しようとしており、これは若い人の就職口を減らす方向なのですね。(資料3)
それで石平氏は『それでは、若者たちの就職難をさらに深刻化するような覚悟で「定年退職年齢の先延ばし策」を主張する理由は何であるかというと、それは結局、中国が現在抱えている深刻な「年金不足」の問題なのだ 』
中国の年金制度は1990年代から始まったそうです。積立金の運用がうまくいっていなくて『今、中国全体の年金の不足分は何と1兆3000億元(日本円21兆6000億円相当)になっている。このままでは、多くの人々が現政策の60歳で定年退職すると、年金の不払いの大量発生は必至』の状態なので、『まず一部の政府系研究機関を使って「定年退職年齢の先延ばし策」を「提言」させた上で、このような「提言」を受け入れるような形で 』一人っ子政策の変更を決定したと断じています。
しかしこれでは急場しのぎの効果しかなく、石平氏は『 「年金による老後保障」から「子どもによる老後保障」へのシフトを図ろうとしている。この思惑こそ、一人っ子政策転換の最大の秘密なのである』と喝破しています。
つまり、日本でも破綻しかけている年金問題に着目しその対策として、早々に、政府養老から子供による養老に舵を切ったと言うことなのでしょう。
日本はどうするのでしょうか。
(資料1)http://blogos.com/article/74106/
「年金貰えるのは子育てした人だけにすれば、少子化も年金問題も解決するんじゃないの?」 BLOGOS 渡辺龍太 2013年11月21日
(資料2) http://www.jiji.com/jc/zc?k=201311/2013111600252
「労働力、経済発展を重視=一人っ子政策の緩和―中国」
時事通信 11月16日
(資料3)http://wedge.ismedia.jp/articles/-/3376
『中国「一人っ子政策緩和」真の狙いは?』 石 平
2013年11月26日
カテゴリ:健康問題
さえ:
腸の中にたくさんの微生物が住み着いていて、これらを総称して腸内細菌叢と呼んでいますね。腸の中に住んでいるだけあって、すべてが嫌気性菌で培養が難しくどんな種類の細菌が住んでいるかは従来の方法ではわからず、べらぼうな種類と数の細菌が腸の中に住んでいるというだけで、それ以上は調べようがありませんでした。
DNAの配列を調べるDNAシークエンサーが進化して、今はそれまでのサンガーの方式とは違う次世代シークエンサーとなって多数のDNA配列がいっぺんに解析できるようになり、細菌はその特徴がわからなくても、16S RNAの配列を決めるDNAを解析することで菌種の同定が可能となり、このような方法で一挙に調べることで浮き上がってくる細菌叢をMicrobiotaとかMicrofloraと呼んでいて、これらの細菌叢が作る世界をMicrobiomeと名付けています。
この腸内細菌叢の動態が宿主が太るか痩せるか、宿主が元気かどうか、あるいは宿主の性格にまで影響するらしいことがわかってきました。
ぼくが研究室のセミナーで初めて腸内細菌叢と肥満の関係を紹介したのは2007年でした。NatureとProcNASに出ていた論文が、普段研究しているのと全く違う世界のことを述べていて面白かったのです。
無菌状態で育てたマウスに、普通の状態で高脂肪の食事を与えて肥満になったマウスの腸内細菌叢を与えると(簡単にいうと、肥満マウスの糞を食わせる)たちまち太ってしまうのです。
逆に、普通の状態で高脂肪の食事を与えて肥満になったマウスと、普通の食事を与えて非肥満マウスを育てて、非肥満マウスの糞を肥満マウスに与えると、肥満が解消するのです。高脂肪食を食べていてもです。
腸内細菌叢が、その宿主生物の食物の代謝を決定するのですよ、太るか痩せるかをですね。
高脂肪食はおそらく人では美食と同じことですから、美食をしていても、腸内細菌叢が好ましいものならば太らないことになります。
ちょうど、研究室に背が高くて美しくてナルシスみたいな陳陽くんがいた頃で、彼の糞を痩せる薬として売り出そうと巫山戯てぼくのセミナーを締めくくったものですから、聞いている学生はこの話にとても強い印象を持ったみたいでした。
その後の学問の発展では、無菌マウスの性格は比較的兇暴で、通常の状態で飼ったマウスの省内細菌叢を与えると性格がおとなしくなるそうなので、この腸内細菌叢は神経系の発達にも大きな影響を及ぼしていることがわかりました。
日本では、ラクトバチルスの仲間のビフィジス菌がしきりに宣伝されていますね。これを摂取すると胃の中の強酸性の環境でも生き残って腸に到達して腸内細菌叢を善玉菌にするので、健康に良いって。
ヨーグルトを食べるだけでなく、いっそうのことこの善玉菌と呼ばれる細菌叢を薬として摂取したら良いじゃないかと、米国ではこれが認可されていて自由にこの細菌叢を食べる(薬だから飲むかなあ?)ことができます。
すると実際に著効があるのですよ。JBCに載ったまじめな論文なのですが、マウスで実験していて、高脂肪食を与えられながらもこのビフィジス菌の多い細菌叢を摂取すると、腸内細菌叢ががらりと変わり、脂肪の蓄積を調べると通常のえさを食べているマウスと同じ程度まで激減するのです。
どうしてなのかが興味ありますね。
この新しく腸内で優勢になった腸内細菌叢は長さの短い鎖の脂肪酸(炭素四個の酪酸)を作ることで知られているのですが、腸内でこの酪酸が作られると腸の上皮細胞でGLP-1というペプチドホルモンを作るL−細胞が活性化されて、GLP-1を作ります。
このGLP-1 は1984年に発見された新しいホルモンです。飽食するとL-細胞で作られて膵臓のβ細胞に働いてインシュリンを分泌させます、つまり高血糖にならないように、そして糖尿病にならないように、身体の中で働いている仕組みですね。
自分たちの領域の研究論文を見ているだけでなく関連領域の論文にも目を通していますけれど、こういう思いっきり離れた論文を読んでも、全く新しい知識が得られて、しかも役に立つので大いに喜んでいます。
美食をしても太らないためには、腸内細菌叢を変えよう!!!ということですね。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
ぼくはもう中国の瀋陽で10年以上暮らしています。中国と日本の違いは山ほど述べられているし、気になったことのほとんども大抵のことは双方の文化の違いだからと割り切って受け入れていますが、未だになじめないことがあります。
ここで歩道を歩いているでしょ。歩道は日本と違って大概の道についていて、それが広いですよね。ぼくのアパートから大学に行く道の歩道は4-5メートルの幅があります。
ぼくが歩道の敷石の沿って真っすぐに歩いているとしますね。向こうから来る人から見れば、ぼくが歩いている方向が容易く予想がつくはずです。
先方から歩いてくる人がいたとしましょう。その人が、ぼくの右手ですれ違う方向だったのに、左手ですれ違うように歩く向きを変えたとしますね。つまり、ぼくの進む方向を右手から左手斜めに横切る訳です。
普通の人なら、ぶつかる可能性のある方向を取ったら、相手と自分の進む速さを計算に入れて、ぶつからないようにしますよね。こちらは相手がそのつもりでぼくの前を斜めに横切りつもりだと思って歩いていますが、相手が遅い場合には双方がぶつかるコースになってしまいます。
こういうときぼくの前を横切る人がぶつからないように急ぐか、コースを変えるか、どちらかの選択があるはずですが、未だかつて一度もそのような場面には出会いません。
つまりぶつからないためには、誰から見ても真っすぐに歩いてきたぼくが速度を落とすか、右に避けるかしないといけないのです。
ぼくは真っすぐに歩いているのは何処から見てもはっきりしている、進路も予想がつくはずだと思っているので相手が譲ることを期待しています。ところが相手は相手で、自分の進む方向はこうなのだ、相手が譲るべきだと思っているに違いありません。
広い歩道で擦れ違い様に人とぶつかりたくないので、大抵の場合にはぼくが(自分は正しいと思っていても)速度を緩めるか、進路を譲ります。
道でお互いがそのまま進めばぶつかるはずのときは、ぶつかればお互い不愉快に決まっているので、大抵ぼくは先に進路を譲りますが、このような場合にも不愉快であっても進路を譲りますけれど、時には不機嫌になってそのままぶつかってしまうこともあります。
ほかの国では決して見られない現象ですね。
そしてその日のぼくは気が咎めて、一日機嫌が悪いままです。
おまけに今朝の瀋陽のPM2.5は、7時で556です(何時も最悪な石家荘では999、西安で633、日本の横浜の緑区では43)。これだけでも気分が悪いですよね。
カテゴリ:研究室風景
さえ:
いつの間にかクリスマスの当日です。今年も中国にいて年末が近づいたと意識もしないうちに年末がやってきました。中国は9月開始の二学期制の学年歴ですから、前学期は1月半ばまで続くので、今日も朝8時から分子生物学の講義です。明日も、明後日も。。。
日本でクリスマスというと、いつの頃から湾岸あたりのホテルで恋人と過ごそうという意識が若い人たちの間に行き渡り、恋人がいればともかくとして、いない人たちは一夜の恋人探しに狂奔するという話をネットの記事で読みます。
そうやってクリスマス前夜を過ごさないと箔がつかないというか、人生の大事な部分が欠落しているような気分になるみたいです。若い人たちもどうかしていると思いますが、その気にさせる社会も社会です。日本では誰かが流行を作ると、直ぐそれに乗っかるのが格好良いと思う軽佻浮薄な人種に成り果てたみたいです。
ま、そういうぼくも、いま若かったら、どうせもてるとも思えませんから恋人もなく悶々としていて、そうかと言ってクリスマスイブに一人でいる恥ずかしさに耐えられず、必死で誰かいないかと探しまわっているでしょう、一人きりで「寂しく」過ごす人たちを見下したくてね。軽佻浮薄という点では、実は大して変わりはないように思えます。
瀋陽の中国の若者の間には、このような風潮はまだ行き渡っていないので、研究室で日本の若者の流行を話すと皆笑い転げます。
ガールフレンドがいて卒業したら彼女と結婚すると言っている学生も、この日は、瀋陽の繁華街である中街に出かけて、チョコレートケーキを一緒に食べてくるのが夢だと可愛く語っています。
大きな夢は給料の良い企業に就職して稼ぎを貯めてマンションを買って彼女のと結婚することです。中国もだんだん景気が悪くなって、まだ就職先が見つかっていないのですよ。
とても気の毒ですけれど、ぼくは中国の何処の企業にもコネがないので面倒を見てあげようがありません。ぼくたちの研究室に入るのを希望したときに、それは言ってあるので、言ってみれば免責ですけれど、気の毒なことには変わりありません。
就職してしまえば、おそらく彼のためには役に立たない学術的な研究論文を、早く彼の名前で出版することにこぎ着けたいと必死で思うだけです。
昨日の朝は何時ものように朝の挨拶にやってきた林音知さんが、これはクリスマスのギフトですよと言って、ぼくの右手に時計風にしつらえたバンドを巻き付けてくれました。
時計の位置にユーモラスなサンタの顔がついていて、赤いバンドをぱきぱきと折り曲げて手首につけてくれます。そして、何か願いごとを念じると叶いますよと言うのです。いくつ叶うの?三つです。
じゃ真っ先に、あなたの夢が実現するように願いましょう。
林さんは来年ここで修士課程を終えたら、米国の大学院で博士課程の修行を続けたいと言って今交渉中なのですよ。ここにきた頃はどうしようもなかった英語も今はだいぶ良くなったし、うまく見つかるよう、心から祈っています。
カテゴリ:日本の将来
さえ:
日本の安倍首相が12月26日に靖国神社を参拝して、韓国、中国から一斉に抗議の声が上がっています。米国も批判しました。
11月27日のブログ『日中間の問題の解決のためにすべきこと』にぼくの見解を書きました。
『一国の宰相が祖国の戦いで散った人たちの魂を悼むのは当然のことです』しかし、『その中に近隣諸国だけでなく日本をも不幸のどん底に落とした人たちを紛れ込ませることは、おかしなことだと思います。日本は第二次世界大戦で負けましたが、まだ総括をしていないのです』
おそらく安倍さんは「東京裁判は勝者の裁判であって一方的なものであり、認められない、東京裁判のA級戦犯は祖国の犠牲になったのだから、戦争犯罪人扱いするのがおかしい、だから彼らも祀った靖国に詣でて何が悪いか」と考えているのでしょう。
一国の宰相が祖国のための戦いに散った人たちを悼むのは当然ですし、内政問題であって外国が干渉することではないですが、「A級戦犯を悼んでいるのはかつての侵略戦争を懐かしんでいる」のだと、侵略した国から批判されるのは止められません。
米国は「10月3日午前にジョン・ケリー米国務長官とチャック・ヘーゲル国防長官が連れ添って、東京・千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪れ、献花、黙祷を捧げたこと」によって、安倍首相の歴史観を批判しています。(資料1)
米国は東京裁判の当事者だから当然のことで、東京裁判の正当性への挑戦と受け止めるという不快感です。
ぼくは、東京裁判そのものは勝者の論理に基づいて行ったものであり間違っていると思いますけれど、東条英機などの(A級戦犯となった人たち)は日本を導いて日本と日本人にかつてない損害を与えた人たちです。これ以外にも、岸信介(A級戦犯被疑者として逮捕されるが不起訴)とか漏れている人たちたちが沢山いますね。
これらの日本をミスリードした人たちを当時の、そして後の世代の日本人が追及しなかった日本人の心情の曖昧さが、世界から問われているのです。
彼らを靖国に祀ったのは私的な団体である靖国です。
日本の国が、日本のために命を捧げた人たちを悼む施設を拡充して、一国の宰相はそこに詣でて、不戦の誓いをすべきでしょう。
ぼくは安倍首相をいただいている日本が祖国であることが、悲しいです。
(資料1)「米国務長官らが千鳥ヶ淵墓苑で献花」
AFPニュース 2013年10月03
【来日中のジョン・ケリー(John Kerry)国務長官とチャック・ヘーゲル(Chuck Hagel)国防長官は3日、東京都千代田区の千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪れ、献花した】
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
中国で道を歩くときに、人とぶつからないようにするのに気を使うという話を書きました。大学の中では、僕は立派な老人ですし、大学を歩くほとんどの学生から見れば大学の老師らしいのは一目瞭然なので、ぶつかりそうな場合に進路を避けるのは大抵学生の方です。
でも学生が二人連れ、三人連れなど横に広がって歩いているときは、他人など眼中にないという感じです。広い道ならいいですけれど、正門の横にある通用門を通るときは、擦れ違いができる幅ですが、三人も並ぶといっぱいです。こっちは一人でも同じように通る権利があるはずですが、こういうときは多数は少数を無視しますね。
力をつけきた某国が公海でも、力は正義なりという押しつけをするのによく似ています。でも、日本にいても同じような場面にはよく出会いますから、仲間同士がいたら他人は目に入らず、物の数ではないのは何処の国も同じなのでしょう。
道を歩いていて、向こうから来る人がいてこちらが進路を譲って衝突するのを避けるとき、「むかっ」とするのは、一つには、この中国の生活で何時も「先生」として立てられているからということもあるのではないかと思います。
教授は研究室では絶対の、オールマイティの存在ですよね。ぼくの言うことに公式に反対する人はいない、というのが当たり前です。つまり反対されることがない。こちらが譲ることがない。こんな生活に慣れきっていて、ある種の特殊な性格が形成されなければ不思議ですよね。
小中高の先生は若いときから先生をしていたら、先生であることに慣れすぎてしまって性格にいろいろと影響があるでしょう。しかし、学級崩壊とか、反抗期の生徒を相手にするという点では大変な苦労でしょうから、それに比べると大学の先生は天国にいるみたいなものですね。
でも、「認知症は記憶を司る『海馬』が萎縮するために起こるが、最近になって感情を司る『扁桃核』の衰えも発症に大きく関わっていることがわかってきた。そのためには、不快に感じることを、考え方や行動によって快に変えていくことが、扁桃核を刺激し、認知症の予防につながるらしい」そうですから、反対するものがいない生活を送っていると、痴呆が早まりそうです。(資料1)
誰でも息子には良い嫁を取って楽しい老後を送りたいと思っていますが、実際には鬼嫁に邪魔者扱いされて、いじめられる方が呆けが遠ざかるでしょう。
実際上は惚けてしまえば、どんな環境になってもかまわないですが、それまでは苦しみたくないし、そうかと言って、楽をして早く惚けてしまうのも困るし、いたしかゆしですね。
うちの嫁は鬼嫁から正反対の、とても良い人ですから、どうしたらすぐに惚けないよう『扁桃核』を刺激し続けるかを今から真剣に考えないといけません。
(資料1) http://www.excite.co.jp/News/society_g/20131221/Bizjournal_201312_post_3667.html
公務員は、なぜ認知症になりやすい?変化を好まない、マンネリが危険因子に
ビジネスジャーナル 2013年12月21日
カテゴリ:日本の将来
さえ:
2014年の元日となりました。
12月26日に安倍首相が靖国に参拝して、中韓両国からの厳しい批判がたちまち起こったし、ほかにも米国からも「失望した」という見解が出ました。
一方、国内のアンケートでは国民の8割が首相の靖国参拝を支持しているという結果が出ました。でもネットに載った意見でみる限り、早川氏(資料1)以外は、軒並み批判の大合唱でした。
国民の8割が支持するのは、「日本の歴史認識」にこだわる中韓との関係がこじれていて、日本からは対話をしようと言っているのにそっぽを向いているその彼らの言う台詞に、日本人がうんざりしていて、これで、やっと、溜飲を下げたというのが大方の感想なのでしょう。
ですから、両国とのの関係ががますます悪化するからとか、米国が反対するから、というあまり意味のない理由だけではもう納得できないのでしょうね。
しかし安倍首相のやってのけたことは、日本人は過去とは訣別していない、かつての侵略戦争を正当化していると言われても、返す言葉がないことです。
靖国は日本の国のために殉じた人たちを祀るために作られた施設だそうです。そこに東京裁判で死罪となった人たちも祀られています。安倍首相が東京裁判を認めないなら、そしてA級戦犯を戦勝国が裁いた犯罪人として受け入れなないなら、それを言葉にして論議してほしいです。
東京裁判のA級戦犯が靖国に祀られていることを諸外国が問題にしているのに、「国に殉じた多人たちの御霊に不戦の誓いをした」というだけでは説明になっていません。意図的に論点をずらしています。
罪を憎んで人を憎まず、というのが大方の日本人の心底にあるのでしょうが、何かあってもすべてを水に流すというこの精神の曖昧さが、問われているのです。
ぼく自身は、隣の国を侵略し、米国などを相手に勝ち目のない戦いに突入し、諸国民だけでなく、自国民に多大の損害を与えることになった当時の指導者の責任を今までの日本人が問うてこなかったのが間違っていると思います。
あの戦争は米国に仕掛けられたものだというのも、正しいかも知れません。それでも、日本を破局に導かないようにふるまうのが指導者ではありませんか。米国が物理的な戦争を仕掛けてきたわけではありません。
法律的に今からではできないことなのでしょうか。法律の体系からして難しいことなのでしょうか。当時の指導者たちの責任を問う訴訟を起こしたいです。
訴訟を起こせば、国民は否応なく二分されたどちらかに組して、日本と自分の立ち位置を真剣に考えなくてはならないでしょう。
今回の安倍首相の靖国参拝を国民の8割が支持していたとしても、溜飲を下げた気持ちが収まれば安倍首相を抱く日本では諸外国の間で友好的に生きていけないことが直に分かるでしょう。
ヌエみたいな自民党のことですから、代わりをうまく見つけてきて首をすげ替えて、そして問題の本質はそのままでしょう。自民党の憲法改正案をみれば、戦前への復帰こそ彼らの願いだと分かります。自民党には戦争の破局へと導いた人たちの責任を問うなんて、これっぽちも頭にないではずです。
日本を真の意味で改革して生まれ変わらせる政治家は、日本に出ないものでしょうか。
(資料1)http://blogos.com/article/76883/?axis=b:94
誰が何を言おうと、靖国を参拝したからといって非難されるようなことではない 早川忠孝 Yahoo 2013年12月29日
カテゴリ:日本の将来
さえ:
このの瀋陽は暖冬です。
何時もの冬ですと11月の終わりには大学の校庭に土で囲いを作って、そこに水を入れて凍らせると12月半ばからはスケートリンクとなり、学生の体育の時間に使われます。
水を入れてその広さ一面に奇麗な凍りを作らせるのに、十日くらいは掛かるでしょうか。その作業を時々窓からのぞいて見るのが楽しかったなと思うのは、今年はそれが見られないからです。
土の囲いができたまま、水を張る様子もなく1月になりました。
例年ですと、今の時期の温度計はマイナス十度とマイナス二十数度の間です。今は毎晩最低がマイナス15度くらいにはなりますけれど、日中の気温が零度を上回ることが多いのです。
この予報が徹底しているのでしょう、スケートリンクに水を入れるという無謀なことはしないのですね。瀋陽に11年間住んでいて、スケートリンクが使えないのはこの冬が初めてです。
さては地球温暖化の効果かと思いたいところですが、この地球温暖化問題は今ではさんざん叩かれて、誰も振り向きもしません。
でも母なる地球が大昔繁栄させた樹木の形が変わったものが石油であり石炭です。今の人類の繁栄はこの化石燃料に負っていますから、その使用が空気中のCO2を増やすことによる効果に眼をつぶったとしても、いずれそれが枯渇するはずです。
石油の埋蔵量は「いつの時点でも後三十年と言われているじゃないか」、つまり、技術が進めば次々に埋蔵が見つかるものだ、と言われています。その通りのようですが、掘削のための費用はますます掛かるようになるので、どこかで経済的に見合う価格を超えてしまうでしょう。今でも石油価格は高止まりですから、つまり供給には必ず終わりがあります。
そのためには、ゆとりのあるうちに化石燃料に代わるエネルギー源を求める必要がありますが、その代表だった原子力発電を巡って国を二分した議論が激しく続いています。ぼくは安全神話を作り上げて無為のまま対策を怠こたった人たちが問題なので、対応は可能と思っています。
しかし、いまでは想定外(想定以上)のことが起こりうることを人たちが思い知った以上、安全対策は事実上不可能ですね。どのような厳重な対策をしても、それを上回る力が加わるかもしれないと言われては、費用面で破綻します。
このように原子力発電を問題視するなら、原子力空母や原潜の危険性は原発以上でしょう。原発は地震や、テロリストによる攻撃に対する脆弱性が指摘されていますが、原子力を動力とする軍艦の危険性は遥かに高い訳ですね。攻撃され破壊されて沈没しても海中だからいいということになっているのでしょうか。
原発に反対するなら、それ以上に原子力を動力とする軍艦の存在に抗議しなけりゃ片手落ちでしょうに。
化石燃料に代わって有望だった原発の危険性が喧伝されて、それに代わる太陽光、風力、海流、地熱発電、などの様々な代替エネルギーが提案されています。どれもそれなりのエネルギーを獲得できるので、効率を高める工夫にそれぞれ知恵を集めてほしいですね。
さらには核融合の研究も行われています。小型の太陽を地上に作り出そうというのでしょう。ちゃんとコントロールできれば良いけれど、原発が制御できなかったことは教訓になっていませんね。
でも、今まだ日本にゆとりがあるなら、人工光合成に本気で力を注ぐべきでしょう。植物は常温、常圧で、太陽の光をエネルギーにして水と炭酸ガスから有機物を作っています。これが人工でできたら、世界のエネルギー問題はほとんどすべて解決してしまいます。太陽の光の波長を使って水を還元して水素と酸素にする触媒の機構が解明されたということですから(資料1)、かなり展望は開けたと言えるでしょう。日本の研究者の能力はたいしたものです。大いに期待したいものです。
(資料1)http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20131003/254167/?rt=nocnt
人類の夢!「人工光合成」研究が加速
日経ビジネス 2013年10月7日 山田 久美
カテゴリ:日本の将来
さえ:
靖国神社には、一度だけ訪れたことがあります。中学校の頃ですから1950年代の初めですね。小学校の3年生になるまでは軍国の少年教育を受けていましたから、そのときは靖国神社は神々しく思えて、厳かな気持ちになったことを覚えています。
靖国が明治維新を成功させた薩長土肥の官軍が当時の招魂社を大きくして作ったもので、慰霊には賊軍である会津藩士などは含まれていないとか、日本が軍事国家のよりどころとする為の国家神道と合体させた戦争の為の神社であることは知りませんでした。(資料1)
多くの日本人は靖国の歴史と由来を知らないでしょう。戦争に出たら靖国で会おうと言って死んでいった若者たちを思うと涙が止まりませんが、彼らを食い物にした人たちがそこに一緒に祀られていることに、ぼくは納得がいきません。
安倍首相は、いわゆる戦犯を戦勝国が作ったものだとして認めていないのでしょうけれど、それを批判している諸外国に説明する義務があります。
黙っていることは、日本人はまるで道理のの分からない気違い人種だという見方を定着させます。つまり、日本の国と日本人をおとしめていることになると思います。
日本を諸外国の侵略から守ろうという気概を示した最初の人として安倍さんを評価しますけれど、戦いに散った御霊を祀るのはどの国も当然のことだと言うだけでは、理解してもらえません。隣の国からさんざん文句を付けられているのですから、靖国に詣でる正当性を述べなければならないはずです。
「日本は、二度と戦争を起こしてはならない。私は、過去への痛切な反省の上に立って、そう考えています。戦争犠牲者の方々の御霊を前に、今後とも不戦の誓いを堅持していく決意を、新たにしてまいりました」というだけです。(資料2)
これでは、戦犯とされた人たちを祀っている靖国に詣でることを責められているのに、その反論とはなりません。戦犯が祀られている靖国に詣でることは戦争を美化することと同じだ、と批判されていることにまともに取り合っていません。
科学者の世界ではこのように論点に触れずに、争点からずらした反論は、当人が頭が悪いか、あるいは嘘つきであるかですから、二度と相手にされません。
日本人が世界と孤立しても生きられるのならば、それでもいいですけれど、今は通じません。おまけに、どこかの国みたいに突出した軍備と経済力で、やりたい放題のできる国ではないのですものね。
(資料1)http://agora-web.jp/archives/1574845.html
『靖国参拝という非合理主義』
池田 信夫 2013年12月26日
http://blogos.com/article/76763/
『靖国神社に「政教分離」はありえない 』
池田信夫 2013年12月27日
(資料2)
靖国参拝、安倍首相談話「御英霊に哀悼の誠」「恒久平和の誓い」
産経新聞 12月26日(木)
カテゴリ:中国の生活
さえ:
2014年になって1週間が過ぎました。
朝、研究室に来るとまずPCを立ち上げてニュースなどを読みます。昨年の秋からは邪魔されなくなったので再び会員となって、日経新聞もネットで読んでいます。
瀋陽に朝日新聞や読売新聞の支局できたのは、たしか2005−2006年頃でしたよね。 ぼくたちがここにきた頃は、ニュースに中国というジャンルはなかったのに、いつの間にか、Yahooニュースにも「中国・韓国」という括りができました。
中国の日本に対する攻撃が高まってきた2010年頃からニュースの本数だけではなく、記事・評論が飛躍的に増えて、うっかりすると今では中国関係の記事を読んで、午前中ずっと重苦しい気分で過ごしています。
その中で笑ってしまったのは次の記事でした。
『米華人、教会による食料の施しを転売? 不要物はポイ』
『貧しい人たちのために教会が実施する無料の食料供給の列に並んで、しかも何度も列に並んで、チャリティーの物品を沢山手に入れ、売り物にならないものはその場で投げ捨てて、得たものを持って立ち去った。後で転売するのだ』という記事でした。
ここでその話を学生にすると、「ただで手に入るものを手に入れて、それを売って儲けて何が悪いのか」という反応です。買い手がいるのだから、ものを売って何処が悪いのか、ということです。その売り物が、教会を通じて善意で人々が貧しい人たちに用意したものだ、ということは彼らのモラルには訴えない訳です。
だって、当然そのチャリティで物品を無料で堂々ともらえる貧しい人でも、それが不要なものなら売って金にして、欲しいものに換える権利と自由があるはずだという理屈です。自分を貧しい人と思えば、列に並ぶ権利があるという考えです。貧しい人(の権利)を侵害して困らせているなんて考えはないのでしょう。
こういうところに商機を見いだすのは、世界中で中国人だけですね。
という訳でさすが中国人だなと感心していたら、その追い打ちがありました。
『中国人の転売屋 迷惑な福袋買い占め』(資料2)
家電量販店が1日から売り出した福袋が『例年、30台限定や50台限定のノートパソコン福袋は夕方近くまで少しは残るんですが、今年は一瞬で売り切れました。そのほとんどを中国人グループが買ってました』ということです。
『同じ商品の福袋は1人1袋しか買えないため、中国語のネット掲示板で留学生を集め、1人1万円ほどで並ばせるんです。中国で日本のパソコンは日本の定価より3割ほど高く売られているので、福袋で安く購入し、定価で売れば儲かるんです』
さすが中国人ですね。目の付け所が違います。これは、教会のチャリティーではないですから貧しい人たちを痛めつけている訳ではありません。堂々と福袋を買い占めてもよい訳です。
今までの日本人は、福袋に大金をはたいても、高価で思いがけない品が入っていることを夢見ているだけですね。定価より安く手に入るわけですが、それを転売して儲ける手段にしようなどと考える日本人はいませんでした。
米国での『教会による食料の施しを転売』というニュースには非難の声が挙っても、『中国人の転売屋 迷惑な福袋買い占め』では、商機に疎い間抜けな日本人と、儲けに敏い中国人との対比にこそ笑いが巻き起こるでしょう。
まさか日本で「中国人お断り」と張り出して福袋の販売をするとは思えませんから、福袋は今年限りでおしまいになるでしょうね。
(資料1)http://news.livedoor.com/article/detail/8398473/
『米華人、教会による食料の施しを転売? 不要物はポイ』
サーチナ 2014年01月02日
(資料2)http://news.livedoor.com/article/detail/8403536/
『中国人の転売屋 迷惑な福袋買い占め』
東スポWeb 2014年01月05日
カテゴリ:中国の生活
さえ:
日本でいう忘年会は中国では新年会と呼んでいます。毎年年末になると学部主宰の新年会が開かれて、大学のスタッフが集まります。ぼくなどは、そういうことがなければ行くことのない豪華なホテルの宴会場で開かれることが多いです。
この大学でひとりぼっちになって以来、ぼくはその新年会に参加するのを断ってきましたが、2013年末には開かれないという連絡がありました。不思議に思いましたが、それは中国政府による贅沢禁止令によることが分かってきました。
この新年会には会費を出すことなく、招待されていました。ぼくは生命科学部に所属していますが、あくまでも外国人扱いなので、招かれているのだろうと思っていました。招かれれば、それも当然と思っていました。実際、こういうことがないとほかのスタッフと会う機会がありません。
でも新年会の経費は大学当局が出している訳ですから、どういう会計処理をするのか分かりませんけれど、先生たちは結局は公金で飲食している訳ですね。ぼくもその一員だった訳です。
ぼくには全く関係はありませんでしたが、毎年春に二日掛けて行われる大学の運動会に、各学部の先生たちはお揃いのユニホームを新調して参加するし、年度末に泊まりがけの研修旅行がありますし、時期にはリンゴの大箱や油その他の生活用品が配られていました。
日本では共済組合費として給料の一部を支出していますから、こういう事業は公金費消とは全く無関係ですが、ここでは公金は組織のものという認識がずっと支配的だったのでしょうね。
2013年に中国の指導者が代わってから、党の将来に対する危機感から汚職の摘発と贅沢禁止令が行われています。相当本気なのでしょう。とうとう末端の大学にまでそれが行き渡ってきたのですね。
『ぜいたく禁止令で消費不振に陥った中国(共産党指導部による綱紀粛正の強化で広がる波紋)』西胤 智
http://toyokeizai.net/articles/-/13801 東洋経済
2013年04月25日
『晩餐会にフカヒレ料理はダメ 中国当局が贅沢禁止を通達』
http://www.cnn.co.jp/world/35041145.html
CNN 2013年12月10日
『豪華な葬儀は控えよ―中国国務院、死後のぜいたくも禁止』
http://jp.wsj.com/article/SB10001424052702304273404579271581946816534.html The Wall Street Journal 2013年 12月 21日
まだ日本ではニュースになっていませんが、中国政府が公務員に向けて一日に使える出張経費を450元という上限を決めたという記事がありました。研修その他の理由で出張するとき、宿泊費も含めて一日に使える金額を450元としたというのですよ。
五つ星ホテルが公式には一泊500元〜700元くらいの中国です。全国展開のビジネスホテルが一泊200元くらいです。宿泊費込みで一日450元では、出張によるうまみはゼロとなって、ほとんど禁止令と同じ効果となるでしょう。
贅沢禁止令の為に輸入の高価なワインは売れなくなるし、世界の金相場を押し上げているのは中国とインドによる需要だと言うことですが、贈り物に使う金の需要も減って金相場が下がりました。
もっとも、中国の庶民にとっての金は、インフレヘッジだけでなく幾度も政変をくぐり抜けてきた庶民の智慧で一番信頼が置けるものです。ですからロケットみたいに上昇してきた金相場が下がると知ると、大勢がまた買い出動して、今はまだ最高値の1−2割下がったところで落ち着いています。
ここにいて中国の民衆の智慧に習いたいところですが、ぼくの薄給では(給料の大半を研究費に使うので、毎月の生活に使う金は2000元だけですよ、一般の労働者並みです)金を買いに出掛けることもできません。
(資料1)
http://news.ifeng.com/mainland/detail_2014_01/04/32716107_0.shtml
『中央国家机关培訓費用将設上限:每天最高450元』新京報 2014年01月04日
カテゴリ:日本の将来
さえ:
日本では子供たちを誘拐やいたずらの被害から守るために、「知らないおじさんには付いていかない」という教育をしているそうです。それは結構なことですけれど、それが嵩じて、子供に声を掛けるだけで、不審者扱いされる世の中になったということです。
迷子を見かけても、「どうしたの?」と声をかけるだけでも多大の勇気がいる時代になってきました。不審者と思われるのが恐ろしくて警察に電話をしたけれど、「警官がそこに行くまで現場にいてくれ」という要請すらも断ったという話です。(資料1)
中国では道で倒れている老人を見かけても、今は誰も助けようとはしません。遠巻きにみているだけです。これは、倒れている老人を助けようとしただけで「お前が私を転ばせて怪我をさせたのだ」と訴えられて、賠償金を払えという判決が出たためです。
「触らぬ神にたたりなし」と、弱者を見捨てるしかない世知辛い世の中になって来ました。
2009年の発言ですが『見知らぬ人すべて「不審者」扱い これじゃ誰も子ども助けない 教育評論家の尾木直樹さんに聞く』(資料2)を見ました。埼玉で迷子を見つけて送り届けようとした人が警察に逮捕されたことを受けての評論でした。
でも、どうしたら良いのかはこの評論からは見えてきません。『昔なら美談になりこそすれ、逮捕はありえないことですね。不審者とみなされたり、逮捕されたりする現象だけ捉えれば、過剰反応であることに間違いありません。しかし背景には、親や学校から見れば、過剰反応とは言えない事件が起こっていることがあります』
ま、そのとおりですね。『度経済成長下における近代化で、地域コミュニティが崩壊し、グローバル化による競争社会で、企業からも切り捨てられる人が居場所をなくし、社会への恨みが募って、復讐のための無差別殺人まで起きるようになったのです』
どうしたら良いかという質問を受けて、『挨拶で心を通わせることが大事』と説いていますけれど、今の子供は見知らぬ大人からの挨拶は受け付けないように育てられています。
結局この評論家は評論をしているだけで、何の解決策も、対策も示してはいません。世の中にはこのような無意味な評論家が多いですね。
ぼくもここまで来てしまった不安定な世の中を変える解決策なんて思いつきませんけれど、対策なら思いつきます。善意の行動でも誤解されたらおしまいというこの世の中では、自衛をするしかありません。
昨年秋ロシアで流星が地上に落ちたとき、沢山のそのビデオ映像があったでしょ。一瞬に起きる隕石の落下がどうしてビデオに写されたかというと、車の事故が多いロシアでは事故を巡っての争いには声の大きな人が勝つので、事故発生を記録できるビデオカメラの設置が車には必須で、どの車も車載ビデオカメラを備えていたからということを知りました。
この伝ですね。この一二年流行りだしたアクションカメラ(例えばGoPro)を身につけていて、迷子を見つけたら、あるいは倒れている老人を見つけたら、ともかくスイッチをオンにしてから、助けるための行動に移すことですね。これで身の潔白の証明ができます。
これは積極的に行動に移る場合ですけれど、歩いているだけも貰い事故があるかも知れません。そのためにはアクションカメラは常時オンにした方が良いことになりますけれど、そうすると今度は「隠れて撮った」容疑になる可能性もありますね。難しいところです。
(資料1)
http://www.j-cast.com/2014/01/10193930.html
『迷子に「どうしたの」と声かけるべきか 「不審者」扱い怖く、「110番」した実例巡り議論』 J-CAST 2014年1月10日
(資料2)
http://www.j-cast.com/2009/01/02032900.html
『見知らぬ人すべて「不審者」扱い これじゃ誰も子ども助けない 教育評論家の尾木直樹さんに聞く』 J-CAST 2009年1月2日
カテゴリ:インターネット
さえ:ケータイ写真を犯罪の抑止力にするために
前のブログでは善意で行う行為が不審者と間違われないように、アクションカメラを常時持っていよう。人を助けるときは、そのスイッチを入れてすべてをビデオカメラに写しておくようにしたらいいのじゃないかと書きました。
さらに不測の事態に備えてビデオカメラを常時オンにしておけば身の潔白はいつでもたてられます。しかし、 ビデオカメラを何時も作動させていると「隠れて撮して」いると思われて、また不審者扱いを受けてしまいます。
でも、もしすべての人がウエアラブルのビデオカメラをつけて何時もオンにしておけば、人目に触れるすべてのことは記録される訳ですから、犯罪防止につながるでしょう。犯罪の抑止のためには「皆でビデオカメラをオンにして出歩こう!」というのはどうでしょう。
犯罪者は自分の行為が誰かに見られていないと思うから実行するのでしょうから(衝動的な殺人、確信的な犯罪は別として)、誰かに見られていると思えば、それを思いとどまらせるでしょう。
以前、携帯電話にカメラが付いた頃です。15年前だったか10年前だったか覚えていませんが、確かボーダーフォーンを使っていたころです。
携帯で写真が撮れることをを見て思いついたのが、ケータイでシャッターを押した途端に、その写真は予め指定したサイトに飛ぶような機能を付けたら、犯罪防止になるんじゃないか。。。
犯罪の瞬間か、その直後に犯人の写っている写真を撮ったとしますね。犯人にしてみれば、写真を撮った人にもさらに危害を加えて写真を取り戻そうと思うのはごく自然です。つまり、事件に出くわして写真を撮ると、身の危険があります。
でも、その写真はシャッターが押されて写された途端に手の届かないところに送られてしまっているとしたら、そしてこのようなケータイ写真の撮り方が普及して、このことを誰でも知っているとしたら、犯人は、あ、見つかった、逃げられない、と思うでしょうね。つまり、写真に撮られる可能性がある限り、誰も犯行には及ばないでしょう。
送り先は、警視庁でも、自分のサイトでも(簡単に侵入されない安全な場所なら)何処でも良く、ケータイには予め登録しておいた所に「今度撮った写真は直後に無線でそこに送る」という機能を選ぶボタンを付ければ良いのです。
警視庁はそのURLに溜まった写真を、必要があったときに調べればよい訳です。始終見る必要はありません。プライバシーの侵害を懸念することもありません。
これで特許が取れるぞと思って、知り合いの弁理士に相談したら、鼻で笑われてしまったので、このアイデアを書いて、ボーダーフォーンだったか、そのケータイ電話のメーカーのNEC(だっかな?)にメイルを送ったけれど、梨の礫でした。
でも、このアイデアって、いまでも犯罪の優れた抑止力になると思いませんか?
誰でもケータイを持っていて、誰もが、身を安全圏に置いたまま犯罪の目撃者(告発者)になれるのですもの。
カテゴリ:薬科大学
さえ:
77期の中薬日語4年生に分子生物学のうち、DNA複製、転写、そしてタンパク質合成を教えました。
大事なところは漏らさず話してきましたが、今回は大事なところに特に力を入れて説明をしました。今期の学生はとても学習熱心で、老師に向かって一生懸命に質問をしてくるのですよ。日本語の会話も石田先生に教わっていて、結構達者です。
二時間の講義の間の小休憩は何時も沢山の学生が群がってきて質問をするので、分かり難かたっところや、誤解しやすいところが分かるので、次の冒頭には再度詳しく「明白了マ?」と訊いて「明白了」と返事が戻ってくるまで丁寧に説明しました。そして覚えるだけでなく考えることの大事さも教えました。
例えば、真核生物のmRNAにはポリAのしっぽが付いています。これを知れば、そのしっぽにあるポリAを利用して細胞のRNA抽出液の中からわずかな量のmRNAを集めることができますね。
でもね、真核生物のmRNAにはポリAがあることを話した後、 「真核生物のmRNAをほかのRNAから分けて集めるにはどうしたら良いか」を質問しても、すぐに答えられる人はごくわずかです。ですから、質問を発してから教える訳ですね。
ポリAがあることが特徴だからそれが利用できないかと、考えよう。そして、塩基対が分子生物学の真髄だと教えたことを思い出そう。そしたらポリTを作れば、それにmRNAだけが結合するに違いないということになるよね。
教えれば、ちゃんと答を覚えています、少なくとも試験の終わるまでは。
原核生物のmRNAには(転写のところで)転写終結シグナルとしてG:Cのステム構造ができて、その後に遺伝子のAの多い配列に対応してポリUが並ぶことを教えます。
さらにタンパク合成では、Shine-Dalgano配列がmRNAの5’-末端一画にあって、これが16SrRNAの一部と塩基対を作るのでその後にくるAUGが開始コドンとなること、これは真核生物にはない大きな特徴であることも強調します。
この二つは、原核生物のmRNAの特徴ですから、つまり遺伝子にもこれに対応する特徴的配列があるということですね。
一方で、遺伝子に着目すると、転写の始まるところよりも上流にPribnow boxという真核生物ではTATA boxに相当する配列があります。その上流の−35配列と並んで、転写開始位置を決めるための重要な配列です。
原核生物のDNAの全配列が分かったとして、実験を一切しないで、何処に遺伝子があるか推測するにはどうしたら良いかを、模擬の練習問題として出しました。
もちろん、答で第一に期待するのはPribnow boxに着目してDNA配列を探せばよいというものです。もちろん、きちんと問いを発してから、答を教えました。
さて、試験の本番では、『ある新種の細菌のゲノムの全構造(DNAの配列)が明らかになった。この細菌の構造遺伝子(タンパク質の配列を決めるDNA配列)はまだ知られていない。このゲノムのどこに遺伝子があるかを推定するには、Pribnow boxと−35配列があるかどうかを調べると遺伝子の位置が推定できると思われるが、このほかにも遺伝子の位置を見つけるために考えられる方法を書きなさい。実験室で実験することは含めない』という問題です。
Shine-Dalgano配列や終結シグナルを書いた人は60人中3人だけでした。
それでも、私の持分では平均点が74点でした。講義に全く出てこない学生の点数を勘定に入れないと平均点は80点ですから、まずまずと言ってよいでしょう。
この次は「Pribnow boxと−35配列に加えてmRNAにあるShine-Dalgano配列も遺伝子を探すときの目印になるけれど、ほかにも目印はないか」という問題を出そうかしらん。