カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
10日間の夏休みを終えて、昨日瀋陽に戻ってきました。日本は、暑かった。。。
滞在中は、ここの研究で必要なものを探して三日間くらい出歩いたり、日本にいる留学生の胡くん、王くんを訪ねたほかは、うちでひたすら休養。
クーラーを付けずに昼も夜も窓を開け放して、それでも汗だくになって一日三回くらいシャワーを浴びていました。
ひとり暮らしの老人が熱中症になって死ぬという話しなので、ノンアルコールビールを買って盛大に飲んでいました。これって、瀋陽にはないので、ここにいる間ずっと夢見ていたのですよ。
コンビニで買うと、年齢確認のボタンを押すのです。アルコールが入っていないというのにね。ビールという名前が付いているからだそうです。こういうところが、日本っていう國の杓子定規なところですね。
本当に、日本人は生真面目なところがありますね。ぼくはそれが好きですけれど、一方では笑っちゃいます。こういう具合に、変に細かいことにこだわるということは、進歩・発展を阻害するのですよ。
教育だってそうですね。枝葉を論じ、細かなことで対立して大局を見ないから、日本の教育は知識を授けることだけに汲汲として、ものを考える人を育てられないのですね。
それはともかく、昨日瀋陽に戻るときの気分は、うちに帰る気分でした。勿論日本では息子とその家族が世話をしてくれましたし、それは嬉しくありがたいことだと思っていますが、瀋陽に戻って、暁艶をはじめ研究室の学生に迎えられ、資料室に行って劉さんと宝来に会うと、家族の元に戻った気分です。つまり、今はここがぼくの仕事場であり、生活の場であると言うことです。
さあ、がんばるぞ。。。
カテゴリ:研究室風景
さえ:
久しぶりによい報告ですよ。暁艶が論文を8月9日の夕方からインターネットで投稿し始めて、終わったのが10日の朝4時だったと書いたでしょ。
それが8月16日に、Acceptの返事が来ました。あまりに早いのでびっくり。メイルの最後に、
Many thanks for submitting your fine paper to Biochemical and Biophysical Research Communications.
と言う決まり文句が書いてありましたが、いいですねえ、こういうのを読むのは何度でも、何時でも、嬉しいものです。
以前はきちんと実験をしてちゃんと書けば、Reviewersが何か指摘することはあっても、あるいは追加の実験を要求されてもほとんどAcceptされましたが、この頃は論文が通るとこれだけホッとするのは、通りにくくなっているからです。
つまり世の中の研究のレベルが段々上がっているのに、こちらの出来ることは10年前と同じことだからですね。
世の中では当たり前になっている実験技術がここでは使えないのが情けないですが、研究機器がないとか研究費がないとかいう現状を変えることは出来ないことですから、現状のまま知恵を絞って、もうあと少し、頑張ってみましょう。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
9月から始まる新年度分の研究費の足しにと思って、今回は104万円を持ってきました。でも、調べてみると昨年から未払いの研究費が8万2千元もあるのですよ。ショックでした。今年度はすでに12万元以上払ったと思うのにね。
今のレートですと104万円は、ちょうど8万2千元になります。新年度分と思って用意した金が過去の赤字の穴埋めで消えてしまうわけですが、やむを得ませんね。
昨日の午後、中国銀行で中国元に換えようと思って出掛けました。台風15号が近づいていて、空模様は剣呑な雲行きです。
中国銀行に入っていくと、数年前に銀行を通さずに日本円を中国元に換えてくれたおじさんがいるのですよ。列で(正確に書くと、順番の番号札を持って)待っている間に尋ねてみると、公定の交換率よりも1%利率がよいので、彼と個人的な取引で中国元にしました。この中国元の紙幣は、ぼくたちの目の前で自分の口座から彼がカードを使って引き出したものです。
どうして銀行の利率に上乗せして外貨を手に入れるのか訊くと、毎日外貨の売り買いをしていて、ちゃんとさやで儲けられるのだと言うことでした。実際、ユニクロで身を固めたぼくよりは遙かに金の掛かった服装をしています。
個人的に交換して貰って、こちらは少し儲かる、先方も儲ける上に、きっと銀行も儲かるという具合になっているのだと思います。
それにしても、研究費を自分で出すのではなく、何とか研究費を得る工面しないと、もうここではやっていけない感じになりました。
カテゴリ:日本の将来
さえ:
この大学からぼくたちが貰っている研究費は5万元(日本円にして63万円くらい)で、もう10年間変わっていません。その間、研究に必要な研究費はどんどん上がっています。
研究費5万元のほかに、学生経費というのがあります。修士の学生一人あたり年間、1年生で1470元、2年生、3年生で2080元が、研究室に渡されます。
博士ですと1年生、2年生が4000元、3年生で3000元を大学が研究室に呉れます。
調べてみると、昨年9月から始まった2011学年度で博士課程の学生の経費が入っていないのですね。それで、調べて貰ったのですよ。
すると、大学は博士課程の学生には毎月250元の(彼らは給料と言っていますので、無償支給の、返還不要の)奨学金を貰っていたのが、昨秋から250元上がって500元貰うことになったそうです。結構ですね。しかしその財源が、この研究費に使っている経費なのですって。
つまり、250元 x 12ヶ月 = 3000元、を博士の学生経費から引くので、博士1年生の4000元が1000元に、博士3年生は3000元のはずだったのに零になってしまいました。うちでは博士二人分の6000元が減ってしまったわけです。大きいですね。
大学もせこいことをしますね。学生にいい顔をするのは良いけれど、研究費を削るなんて、大学のすることとは思えません。
ところでうちの研究室の修士課程を終えて日本の博士課程に進学する学生が今までに何人もいますが、日本で勉強を続けるためには奨学金を必要としています。
今まですべての留学生がこの奨学金を日本政府から得ています。しかし、日本の大学院の学生にとって奨学金とは、返還義務を負う借金なのでよね、ぼくたちの頃もそうでしたし、今もです。
留学生には(その殆どは中国からの留学生だと思います)無償の奨学金を出しているのに、日本人には返還義務のある借金を与えるなんて、考え直さないといけないことだと思います。日本の次代を担う若者を育てているのですものね、資源のない日本は、人材育成に投資することこそ意味あることだと思います。
その資源は?
民主党政府によるばらまきを止めれば可能のはずです。人気取りのばらまきとしか思えませんものね。高級官僚の天下りに使われるポストや組織も、殆ど意味のないものですから、その組織の意義を詳しく調べて、日本の将来に無駄と思えるものは廃止すればよいのです。財団法人なんて大抵無意味なものですよ。民間のものは別として、公費で支援する必要のあるものは多くないのではないでしょうか。
年金も払いすぎていると言うし。これは直接こちらに関わってきますが、法律で決めたことを施行しないで、無駄な財政支出をしてるなんて、今の政権は早く見限った方が良いみたいですね。代わりのないのが問題ですが、新しい勢力を試してみるゆとりの時間が今の日本にあると良いですね。
カテゴリ:薬科大学
さえ:
きのうの朝、目つきの鋭い二人の男性が教授室にやってきました。ちょうど白板を立てるスタンドの捻子が緩んでふらふらになっているのを直すために、実験室から王一任と雪城の男子院生二人を呼んで格闘しているところでしたので、彼らが応対してくれました。
「昨晩事件があったのでうちの防犯カメラに写った映像をチェックしたい」ということのようです。それで二人を傍に置いて、男子院生の王一任がビデオに取りかかって調べ始めました。20分くらい経ってこの二人が出て行ったので、どうだったの?とごく自然な質問をしました。
昨晩なにかが起きて、しかし時間は分からないのでずっと調べなくてはならず、結局一部をコピーして渡すことになったと言うことでした。それよりも、何が起きたの?と言うのが素直な疑問ですが、訪ねてきた男性二人はそれを明かさなかったそうです。
でも、カメラは教授室の前と、もう一つは離れた実験室二つの入り口をカバーする位置に付けているのですが、この後者の映像を調べていたと言うことなので、場所は明白になりました。ぼくたちの実験室の奥には左隣の研究室の実験室があるだけなのです。
その実験室の突き当たりには階段があると言うことなので、そちらからも出入りが出来ますし、そうなると映像が残りません。
うちのシステムはあと二つのカメラの映像が記録できるので、設置の際に近隣の研究室に参加するかと聞いたのですが、誰も乗ってきませんでした。まだ二つ空いているので、費用が先方持ちならさらに防犯カメラを設置して記録を残すことが出来ます。お隣の研究室に提案するつもりです。
防犯カメラの記録が役立つのは結構なことですが、犯行が起こらないことの方が大切です。ですから、「防犯カメラ監視中」とぼくたちのドアには書いて貼っていますが、もっと、このあたりは「防犯カメラ監視中」であることを徹底させたいですね。
カテゴリ:研究室風景
さえ:
このMacは始終おかしくなっていましたが、とうとう昨日はスタックしてしまってにっちもさっちもいかず。
この半年間、Safariは英語入力しか受付ないし、うっかり日本語を入れた瞬間にふっとびます。Firefoxは画像を表示しないし、コピーしているとフリーズします。
以前思いきってHDDをまっさらにして、OSを新しく入れました。その後、データを復元したので、そのときおかしくなっている部分も一緒に入ってしまったのだと思います。
それで、今度はすべて新しくして、つまりソフトも最初から入れ直して、以前ものを引き継がないという方針を立てました。
いま、OS10.6を入れて、それを10.6.8にversion upしたところです。ネットに最初からつないでいますから、Safariがはじめから動いていて、Firefoxもいれました。まだAtokを入れていないので、日本語入力が結構大変。
気に入らないのは、このMacの所在地を日本にしてからOSをいれたのに、Firefoxが中国語なのですよ。つまり、何をいっているかわからない表示に悩まされています。OSを入れるとき、最初は現在地を中国にしたので、そのためかと思って、実は今朝再度OSをいれなおしているのですよ。現在地を日本にして。
それでも、Safariは日本語で動いているのに、Firefoxは中国語で動いています。何かわからない神の手が後ろで動いているみたいです。
このあと、復元するのは、純粋に書類だけにしようと思います。
Macがちゃんと動かないと、全く仕事にならないのですね。完全にPC依存症です。
カテゴリ:薬科大学
さえ:
一昨日は何か事件があったらしく、保安課の人たちがうちの防犯カメラの映像を調べたと書いたでしょう?
その人たちは何が起きたのか口にしませんでしたが、一日掛けて事件の全貌が追々と伝わってきました。学生が色々と仕込んできて話してくれるのです。
うちより上の階のある研究室では、研究室の業績(出版した研究論文)が壁に貼ってあります。出版された論文を壁に貼っておく研究室って良くあるでしょ。その論文が全部剥がされて、トイレに捨ててあり、トイレは水を出して水浸しになっていたそうです。
そして6階と7階の奥にある階段と手すりに人糞がこすりつけてあって、ぼくは見に行きませんでしたが、それはひどいものだったようです。
話だけ聞いて気楽に分析してはいけないでしょうけれど、様子からすると、恨みによる行為でしょうね。論文を廊下に張り出すのは、ほかの研究室へ自分たちの業績を誇示しているわけですね。これに対抗して張り出す業績のない研究室としては腹に据えかねるかも知れません。ま、だからといって普通は何もしませんが。
論文ではその内容に一番貢献した人から順に名前が載りますよね。勿論、これはうちの場合で、研究室のボスの名前が最初に来るところも多いみたいです。いずれにしても研究に貢献していれば論文に名前が載りますが、研究には不運と、失敗がつきもので、いくら本人は努力をしても発表できる論文にまで持ってこられないまま、期間満了で大学を去るというケースはざらにあります。
これは本人も分かっていますから、自分の論文がなくて、口惜しくても、常識のある人間なら人を恨むところまでは行かないでしょう。うちの場合には、期間が終わって修士を出るときに論文にならなくても、そのあと他の人の努力で仕事が進めば、論文に名前が載る人は何人も出ています。
貢献していても論文に名前が載るかどうかは研究室によって違いますから、自分では当然と思っていても、名前を削られることがあるかも知れません。自分が当然受けられるはずの栄誉が受けられないと、人は怒り、そして関係者を恨むでしょう。人は結構自分のことをちゃんと評価していますから、それが正当に評価されれば満足すると思います。
つまり、教授というのは他人から何時もこぴっどく評価される一方で、人を評価する立場にいますから、評価に当たってFAIRNESSと言う大原則を崩したらいけません。今まで、今のぼくがこうなるまで過ごしてきたところで色々と見て学んでいますから、このFAIRNESSだけが人としての評価を守ることを知っています。この評価の基準は少しでも狂わせたらいけないのですね、例外なしに何時も同じでないと。
少なくとも、ぼくはこれには十二分に意を注いでいます。
カテゴリ:日本の将来
さえ:
南にある小さな島を巡って、日本と中国が領有権を巡って応酬しています。
日本では、昔から尖閣諸島は日本領であると言う認識を持っていて、ですから、ぼくたちもそう思っていますね。
ところが、中国の人たちは、尖閣諸島の中国名の釣魚島は中国のものなのに日本が実効支配をしていると思っていますから、尖閣諸島を種にことごとに中国に揺さぶりを掛けている、怪しからんと言うことになります。
調べてみると、『1895年以降(つまり日清戦争の決着の付く前ですね)、日本政府が自国領土として実効支配を行っているが、1971年以降、中国政府および台湾政府が領有権を主張している』と言う知識が得られるので、
『1968年(昭和43年)に尖閣諸島付近海底調査で石油や天然ガスなどの大量地下資源埋蔵の可能性が確認されて以降、中国と台湾が領有権を主張し始めた』と言う説明で、なるほどとこの問題の背景が分かります。
『1969年(昭和44年)、 国際連合アジア極東経済委員会による海洋調査で、イラクの埋蔵量に匹敵する大量の石油埋蔵量の可能性が報告され』、1971年(昭和46年)4月に台湾が、12月には中国が外務省声明で初めて領有権を主張したそうです。
それが今では、チベット、新疆並みの核心的利益として扱われているというのは、日本から見ると中国の領土的野心の表明としか思えません。
ぼくたちの知識というのは、日本で調べるとものの本にそう書いてある、人々がそう言っていることから得られるもので、実は、それが正しいかどうか、個人としては確認のしようがありません。
日本と韓国には竹島問題があります。これもぼくたちは歴史的に日本のものだった竹島が、戦後の米国による占領時代に韓国が勝手に領土に組み入れ、実効支配を続けていると思っています。当然、怪しからんと思います。
いまの中国の人たちは、日本人が竹島問題で韓国を見るように、中国のものである尖閣諸島を日本が実質的に領土に組み入れていて、怪しからんと思うので憤激しているのだと思います。
中国人が、中国のものであることをどうやって確かめる手段があるかというと、政府が言っている、皆が言っている、そう教育されているということが根拠でしょう。
お互い、自分たちが正しいと信じている同士が、主張を繰り返しても、解決できるものではないでしょう。昔なら、と言っても大昔でなく、フォークランド諸島を巡る英国とアルゼンチンの戦争は1982年ですから、30年前ですね、その時は戦争をしたのです。今でも、戦争になる危険性は大ありです。北京で日本大使の乗ったクルマの日章旗が奪われるという事件が8月27日にありましたが、100年前なら直ちに戦争の口実になります。つまり、ぼくたちは戦争という危機の瀬戸際に立たされています。
竹島を巡る争いは、日本が国際司法裁判所に提訴しても韓国が受けて立たないそうですが、日本政府は提訴するそうですね。
『国際司法裁判所における裁判は、原則として両当事国の同意による付託、あるいは原告の訴えに対して被告が同意した場合に開始される』と言うことです。竹島は韓国が問題を避けていますが、これは自国の主張に自信がないからだと日本人は思っています。
尖閣諸島についても、領有権に横やりがでたと言って日本が国際司法裁判所に提訴することは可能でしょうか。尖閣諸島のことも、中国の主張に根拠があるかどうかを第三者に判断して貰ってほしいです。
ぼくたちは中国で仕事をしていますから、何時過激なことに巻き込まれるかとおびえて暮らさないといけません。
カテゴリ:薬科大学
さえ:
昨日は三重大学から西村教授、ダイヤ製薬の守金社長、加治研究員が薬科大学に来られました。正式な活動は二日目の今日に予定されていて、昨日は空港に到着してホテルにチェックインのあとぼくたちの研究室を訪問。
三重大学は薬科大学と交流協定を結んでいますが、さらに実質的に互いの交流を深めるために学生との交流をしたいということでしたので、うちのセミナーにいつも出席している学部の学生たちを呼び、まず西村先生の研究の話を聴きました。
マウス・ラットに次ぐ実験モデル動物となっているゼブラフィッシュを7年前から使っているという紹介から話が始まりました。アメリカ・オレゴン州のZebrafish International Resource Centerを訪ねて勉強するところから、この研究が始まったそうです。
熱帯魚の餌にするブラインドシュリンプを与えると、これが好きで与えただけゼブラフィッシュは食べ続けるのだそうです。通常の5倍を毎日食べ続けると、2週間で立派な肥満フィッシュになってしまうということです。見事な脂肪肝の出来上がりです。
これに、食後のデザートとして抗酸化剤の多いトマトを与えると、肝臓の細胞から脂肪が完全に消えてしまうという結果でした。それでもブラインドシュリンプは食べ続けていて、ゼブラフィッシュの脂肪の総量は変わらないそうです。肝臓とそれ以外では脂肪の代謝形態が違うということですね、とても興味ある結果です。
お話のあとは出席した学生も含めて、全員21人が学生食堂に一部屋をとって一緒に食事をしました。ここでは滅多にないような、とても良い集まりだったと思います。
なお、西村教授の経歴は、医学部教授として異色中の異色ですね。
筑波大学第二学群農林学類生物応用化学主専攻卒(農学博士)
1987~1996 株式会社 神戸製鋼所 研究開発 研究員
1996~1998 日本ポール株式会社 研究開発 研究員
1998~1999 日本グラクソ株式会社 遺伝子研究部 研究員
2000~2002 株式会社 ジェネティックラボ 主任研究員
2002~2004 株式会社 ジェネティックラボ 代表取締役社長
2004~2006 三重大学医学部産学連携医学研究推進機構 特命教授
2007~ 三重大学医学部医学系研究科トランスレーショナル医科学教授
西村教授の信条は『基礎研究を臨床現場へ応用させようという取り組みは以前からあるのですが、それだけに留まらず産業界・ビジネス現場への実現を目指すということです』
それで研究室の活動以外にも:
三重大学 社会連携担当・学長補佐
三重県経営戦略会議に出席、つまり三重県知事の顧問
など手広く活躍しておられます。今や大学では、研究するだけの能力しかない人は生き残れなくなりました。
カテゴリ:薬科大学
さえ:
三重大学の西村教授の本大学訪問の本来の目的は、2009年に結んだ大学間交流協定を具体的なものにするためでした。
姉妹大学協定はよく結ばれますが、実際に学生同士、あるいは研究者の交流を図るには具体的な提案をして、それを実施しないといけません。官僚がこの提携をすると、協定を結んだというのが実績となって、そしてそれで終わりということがよくあるみたいです。
西村教授は、両大学の交流を進めるために、財政的な裏付けを得て実行可能なプログラムを考えて薬科大学と協議し、それを進めるための交渉が目的でした。ですから昨日は午前中ずっと国際交流処、学生処、就職処の代表と話し合いを続けて、後は細部の詰めをメイルで交換すればよいところまで話が進んだそうです。
漏れ聞くところによると、来年8月には、薬科大学の学生と三重大学の学生の数週間の交換訪問を、まず実現させるそうです。
午後は西村教授の講演が予定されていて、ぼくが司会役を務めました。講演のタイトルは「最近の医薬品産業の動向」というものでした。
こういうタイトルを掲げて医薬品業界の流れをまとめただけの話をする人が多い中で、西村教授の話は、医薬品がTailored medicineに向かいつつある現状を分析し、ターゲットから外れてしまう人たちをどうやって救うかという考えを示し、医薬品が効率よく使われてその効果を現すためには、患者や症状のビッグデータが必要で、様々な観点からとらえたビッグデータを作ってそれを統合する必要があり、現在三重県は三重大学を中心に、このデータ構築で日本のトップを走っているという話でした。
こういったことをまるで考えたことのないぼくには、びっくりするほどの新しい情報が展開していくことに、まず驚きました。付いてくのもやっとで、大風呂敷を広げているみたいといいたくなるところですが、医薬品の開発は将来このような方向に収束するしかないことが納得できました。
でもね。このように、興奮する話を聞きに来たのは、前の晩うちのオフィスで開いた集まりにきた十数人の学生だけで、大学のスタッフは誰一人聴きに来ないのですよ。実にもったいない話ですね。
教授陣が勉強する意欲を示せない大学は、将来どうなるのでしょうね。
カテゴリ:友だち
さえ:
昨日は、東工大の時にお隣の上代教授の研究室にいた坂田亮太郎さんが訪ねてきてくれましたよ。
1998年に彼が修士課程を終えて卒業してからも年賀状のやりとりが続いていましたが、今回会ったとき彼が言うには、僕たちのところにポーランドから来た美しい留学生がいて、彼女を目当てに近隣の男の子たちが始終訪ねていった中の一人だったんですよ、とのこと。アハハ、僕たちと仲良しだった訳じゃなかったんだ。。。
卒業して日経バイオテクに就職していわゆる科学記者になり、やがて日経PBに転じて今は北京支局長となって、本物のジャーナリストとして活躍しています。
昨日は昼にお互い懐かしく出会って、再会を喜び合いました。
でも、ぼくだけが今はジャーナリストである坂田さんを独占してはもったいないと思って、昼はうちの学生と、ほかにもぼくと仲良しの学生数人を招いて一緒に食事をしました。
坂田さんは北京でまず半年間、朝から晩まで中国語を勉強したそうで不自由なく言葉を話します。昼食時はぼく一人が「言葉の不自由な人」でした。おまけに坂田さんは若くて、中国の学生が大好きな日本のアニメの「ドラゴンボール」にも「スラムダンク」の話にもついて行けるので、ぼくを訪ねてきた日本人の中で一番親しみを持たれたのじゃないかな。
さらに昨夜は、瀋陽日本人教師の会に人たちにも声をかけて、一緒に会食をしました。
教師の会の7人、それに資料室の朱紅飛さん、遼寧大学の(中国)国費留学生の渡邉さんを加えて10人が、5時から8時半まで食事をしながら歓談しました。
坂田さんは日経ビジネスに、日本の企業は賃金が安いから中国に進出してきたけれど、外国企業に比べて人件費が安く抑えられていて、そのために職員が熟練してくると引き抜かれるということを繰り返している、しかも中国の人件費が上がってくるのでベトナムなどに移ろうとしているけれど、いずれその国の人件費も高騰してくる訳で、人件費が安い国で工場を稼働させればよいというモデルを考え直さない時がきていると書いています。
日本語を教える教師たちも、今や日本語学習者に日本という国と日本語、日本人の魅力が減ってきたことをひしひしと感じているそうです。
そういうことが背景となって、外国人が日本語を学ぶことを魅力的に思うには日本はどうあらねばならないか、これからの日本はどうなるのか、どうなれば良いのか、など、お互いまるで学生時代に戻ったみたいに熱く話し合い、時間のたつのを忘れました。
坂田さん、再見。
コメント:
Re:東工大の時の若者が北京支局長となって(09/06) みのもんだ さん
日本という国、日本語、日本人も魅力が減っていると感じているとのこと、実情とは言えるかと思います。
理由は双方にあって、10年、20年前に比べ、中国は良くも悪くもGDPが上がり、外国人と接する機会がはるかに多くなりました。以前より感動することも減っているのでしょうか。
逆に日本は経済はほぼ横ばいしており、人間力、いわゆる魅力の面ではむしろ減っているように感じます。私が考えた大きなの理由の一つは、組織の中で、特に民間企業が顕著と思いますが、組織の中で上に上がれるかどうかは、いわゆる生産性が重要視され、人間性というソフトの力の評価はほとんどされなくなったことが挙げられます。政治家はなお顕著。20年前までの政治家よりみんな大体小粒になったのでしょう。
リンクを貼っても先生は見れないかもしれませんが、なでしこジャパンロンドンオリンピックの準決勝でフランスを下し、試合後ピッチに座り込んだ相手の選手に、キャプテンの宮間選手が相手の肩を抱き、目の前に座りしばらく語り合ったシーンがテレビに映り、どうも少なくともアメリカでは大きな反響が出たようです。
http://sankei.jp.msn.com/sports/news/120906/scr12090608210000-n1.htm
同じこと、数年前の四川大地震で、日本の救援隊員が瓦礫から探し出した被害者の遺体に、整列して一礼したシーンも中国では大きな反響が出たことを覚えています。
こういうソフトのパワーは日本人が減っているかどうかはなんとも言えないが、トップ、顔との立場の人が人間性の面で優れないと、マイナス影響は限りなく大きいと言えます。
これが今日の隣国同士のあつれきにつながった一面があるのでしょう。
浅はか、または大げさかもしれないが、日本は組織の構築論を再検証しよう、と思います。もったいないですよ。先生のような素晴らしい日本人が沢山いるにもかかわらず。
実にもったいない、と切に思っています。 (2012.09.08 11:11:48)
みのもんだ さん shanda さん
中国にとって日本という国、日本語、日本人の魅力が減っているのは、日本自身がどんどん駄目になっている一方で、中国が経済力をつけてその国力に自信を持つようになって、相対的にバランスが変わってきたという説ですね。
それでも日本人が吐露する美しい心情は世界の人々を感動させるものがあるわけで、日本人は不必要に落ち込んだり、卑屈になることはないでしょうね。
でも、国の生き方、進む方向が全く五里霧中であるのは情けない限りです。この点は、次の指導者を(そして次の次の指導者を)育て、そして選別していく中国のシステムには感心します。とても、敵いませんね。これは共産党独裁でないとできないことでしょうか。 (2012.09.10 16:38:06)
カテゴリ:薬科大学
さえ:
中日医薬学交流会というのが、昨日大学の図書館の講義室で開かれました。お隣の池島先生が日本臨床中医薬学会の会長を努めていて、その関係で年会が中国で開かれることになったそうです。
その学会のポスターの貼られたのがその前夜でした。こういうところは中国ですね。それでも、会長講演を聴きに行くと会場は満員の盛況でした。
日本臨床中医薬学会の年会をここで開いて、それを好機としてこの大学の教授数人の業績も話してもらうという形でした。ですから、ぼくも、初めてこの大学で行われている研究の一部に触れることができました。
鄒莉波老師は、老化促進マウスSAMP8をつかって、これに生薬からとられたXnthocerasideを与えると、記憶障害が著しく改善されると言うことを様々な信頼できる実験データを示していました。研究室を挙げてもう何年もやっているそうです。このように地道な研究を続けて、しかも優れた業績を上げているのですね、心から感銘を受けました。
日本の発表では、富山大学の正山征洋教授がサフランの抗老化活性を発表しました。話し方が訥々として、面白そうに話さないものですから、内容のすばらしさを減じてしまう話し方でした。でも、全く知らなかった内容ですし、興味深く聴きました。
このように学会に出かけて発表を聴くのは、実によい勉強になりますね。中国に来て以来、経済的な問題のために(つまり研究費に私財を投じている現状なので)学会に一切出席しなくなりましたが、結局「井の中の蛙」になりつつあることを痛感します。
この大学でもさえといつも研究の話をしていたのができなくなって、ますますその傾向が強まっていると懸念しています。
環境の良いところを探して移るか、といっても、もうこの歳ですから移る先もなでしょうから、研究の場から身を引くか、という選択をしないといけないように思います。
カテゴリ:研究室風景
さえ:
昨日の研究室は、朝突然予告されて、8時20分から一日中停電でした。はじめは午前中の1時間、午後の1時間というので、マイナス80度のフリーザーも大丈夫かと思っていたのですよ。
それが1時間経っても全く通電の気配もないので、ドライアイスの会社に電話をしても「没有」という返事で全く困ったことだと思っていたら、北ウイングがすぐに回復しました。それで、フリーザーを動かして廊下を移動させ、実験室中からデーブルタップをかき集めてつないで、北ウイングの研究室から電気を分けてもらいました。
1時間半断電でマイナス71度まで温度が上がっていたのですよ。その後マイナス80度まで冷えるのに2時間かかりました。
電気がこなくてPCが使えないと、全くすることがなくて困りますね。読みたい論文は全部PCに入っていて、近頃ではプリントアウトをすることはないから手元にないし。
「細胞工学」の近着雑誌のほか数日前、坂田さんからもらった「日経ビジネス」を読んでいました。ウェブサイトから時々日経ビジネスものぞいていますが、こうやって、きちんとしたレイアウトに纏まって編集されたものを読むと迫力が全く違いますね。
改めて坂田亮太郎さんに、「いいぞお、頑張っていけよ」と言いたくなりました。
ちっとも停電が戻らないので3時からは学生に代わって貰って、宝来のところに遊びに行ったのです。研究室に戻ったのが夜7時ですが、まだ停電。
暗い中に集まっておしゃべりしていたら、修士2年の林音知が、「子供の頃、まだ電気が不足していて晩ご飯が終わると停電してしまうので、うち中が暗い中で集まっていろいろとおしゃべりをしたのですよ。私にとってはとても懐かしい思い出です」と話し出しました。
その話に引き出されて、1945年には、親元を離れて長野の山奥に集団で学童疎開したこと、栄養失調で死にそうになり親が迎えに来て、敗戦の1ヶ月前には危険な東京のうちに戻ったこと、灯火管制の行われていた東京で、親子が暗闇の中で集まって親の昔話を聞いたり歌を歌ったりしたことを思い出して、学生たちに話しました。さえも同じような思い出を持っていましたね。
よる7時55分には電気が回復して、後始末をしてから一緒にラボを後にしました。皆で一緒に仕事を共有したという高揚感と共に。
コメント:
Re:昨日は突然の一日中の停電でした(09/08) みのもんだ さん
最後笑いました。
一日の停電に翻弄され、いつも違う作業で先生も学生たちも何とかフリーザーを守ることが出来た達成感と連帯感でいっぱいだったのでしょう。暗闇の中で1時間弱のトークも楽しかったと想像できます。
日本はね、これ以上電力不足で仮に夜間電気の使用を制限することになった場合、少子化の問題は改善されるかもしれないな、と思いました。 (2012.09.08 10:32:10)
みのもんださん shanda さん
ぼくたちの研究室ではお互いの間をつなぐ言語は英語だけなので、実際はお互いの間のやりとりが不自由ですよね。それで、つい、研究以外の話はあまりすることがないのですけれど、暗闇で集まって、何となく、しみじみと思い出話に浸りました。お互い家族の話ですから、何か心に触れるものがあったように思います。
ところで、日本の夜の一般家庭の電気使用制限というのは楽しい提案ですね。夜の11時から午前1時まで停電なんてことになったら、サラリーマンは残業をやめて、あるいは夜の接待をやめて、帰宅して、急いで風呂に入って、さて、ってことになる、、、かなあ。。。 (2012.09.09 09:27:47)
瀋陽日本語資料室は2000年6月大阪のNPOと企業のご好意で小北関街のビルの一画に開かれたのが始まりです。その所蔵書籍、家具などすべては2006年4月から瀋陽日本人教師の会のものとなりました。詳しくはHPを参照。
小北関街のビルにあった日本語資料室は2006年3月に閉鎖され、第二次資料室の振興街の開元ビルに移転(2006年5月〜8月)。開元ビルの日本語資料室の寿命は短く四ヶ月で閉鎖されましたが、第三次資料室は新華広場の集智ビルに(2006年12月〜2008年3月)開かれました。いずれも、中国人のビルのオーナーのご好意によります。
このときから、日中交流のための資料室発信文化事業として、日本語文化セミナーを始めました。
2008年3月にこれが閉鎖された後は場所が見あたらず、ついに諦めて、2009年春、瀋陽市図書館に所蔵書籍約6千冊を寄贈しました。
2009年秋に、品和軒の劉凱さんの好意ある申し出を受け、2010年5月から品和軒の一室に日本語資料室を再開しました(第四次資料室)。あくまでも劉凱さんの好意なので部屋代は払っていませんが、電気、暖房、水道、飲み水、インターネット使用料として年間1200元を払う契約をしています。
資料室には日本語を学ぶ学生のための、そして会員のための図書が必要という認識の元に、あらためて約600冊の書籍を集め、新しい資料室を始めました。そのために特別会計からスチール製本棚5個、テーブル椅子セット、などを購入しました。
2012年6月、品和軒が立ち退きのため閉鎖になりました。劉凱さんはいずれ好適な場所を見つけて品和軒を再開し、そのとき資料室も一緒に入れられるようにしたいとのことですので、そのようにしていただくことをお願いしました。
劉凱さんは自宅も同じ頃引っ越しをして、そのマンションの屋上の一室に資料室の本を置くスペースがあり、暫定的に資料室は劉凱さんのお宅を使わせていただいています。
劉 凱 (品和軒茶房)
瀋陽市和平区三好街新世界花園B区朗怡居SunnyBright 4棟161室
13002453365(携帯)
sinnyou25920@yahoo.co.jp
これを書いている時点では、毎週の土曜日は午後、日曜日は一日中外出の予定だそうです。出掛けるときは事前に電話をしてください。バス停は新世界花園で、バス停から歩いて2-3分のところです。
現在、書籍は1200冊になりました。
本にはラベルを貼って見易くしています。文庫本は著者名のアイウエオ順に並べています。
緑:エンターテイメント
黄:女流作家
赤:中国関係
桃:歴史
青:科学
金:語学/日本語
銀:評論など
資料室係の活動内容:
資料室財産の管理:書籍、PC、プリンタースキャナーなどの管理。保全。
本の整理。
教師の会の保存している弁論大会資料、文化祭資料、関係資料の保存場所の提供。
日本語図書を資料室に集める活動をする。
日中交流のための資料室発信文化事業。
新しい係りの役目
1.バーコードスキャナーを手に入れましたので、書籍はすべてPCの電子情報として入力されています。今後増える本もすべて電子情報に登録するようお願いします。
2.書籍リストがこのように完備すると、貸し出しもPCの電子情報記録ということになります。そのために、会員及び資料室利用者には、バーコードナンバー入り利用証を発行しています。新人はそれぞれ2.5 x 3センチくらいの写真をご用意願えないでしょうか。利用証はラミネート加工をしています。
3.今後本を増やす工夫をしてください。瀋陽日本人会に呼びかける。
4.本の購入費用、本の送料などは、特別会計から支出することが2011年5月の定例会で決まりました。
文責:山形 達也
瀋陽日本人教師の会の今年度初めての集まりが昨日、瀋陽市図書館で開かれた。旧人が8名、新人が2名で合計10名の参加。休んだ人を入れても15人の世帯だ。
昨年度も、一昨年度もぼくは用事のために代表選出の場に居合わせなかった。この二年間、この会の代表をしている人にとても情けない思いをしてきた。
二年代表を続けた宇野さんが今年の代表をやりたいと言ったらそれを止めるつもりで出かけたが、彼は沈黙を守ったまま、撫順から参加している鈴木貞夫先生が立候補し代表となった。鈴木先生は撫順に来るまでは実業家で、中国に来て日本語教師を初めて始めたそうだが、教師の世界しか知らない人よりもこの集まりをちゃんと仕切っていけることを期待したい。
1998年から2000年まで大阪府から遼寧大学に日本語教師として派遣されたという吉川先生が、再度遼寧大学に日本語教師として赴任し、教師の会に参加した
私が2003年に瀋陽に来てこの会に入ったときの代表は遼寧大学の石井康男先生で、この石井先生から教師会のこと、資料室を教わったが、その石井先生の前任者ということだ。
いろいろと話に聞いている教師会や、資料室よりももっと古い歴史を背負った白髪の先生が現れたので、だいぶお年寄りかと思ったが、まだ十分若い先生らしい。
教師の会の定例会とそれに引き続く懇親会で私たちは今の会の運営を話していたが、この話し好きの吉川先生は、すぐ昔はこうだったのという話になる傾向がある。つまり、話が長くなる。
この吉川先生は2000年6月瀋陽に資料室が初めてできたとき、主体となった本の寄贈を手がけた大阪NPOに関係したと言う。それでいま、この教師の会に入って資料室係を志願した。私も資料室係を続けるつもりなので、仲間が誕生したことになる。昨年度の二人は有名無実だったが、今年度は期待できそうだ。
カテゴリ:日本の将来
さえ:
「みのもんだ」さんから投稿がありました。
日本語を学ぶ人たちの数が減っていることについての長い書き込みで、ここに要約すると:
1. 日本語を学ぶ人たちの数が減っているのは、日本の、日本語の、日本人の魅力が減っているからでしょう
2. それは日本の経済の停滞、政治の停滞、とくにトップの企業人、政治家の責任でしょう
3. その中で、日本人のヒューマニティが光って見える出来事が報道され、それはそれでとても素晴らしいけれど、その効果を政治家が全部駄目にしていますね
「みのもんだ」さんによって引用されているURL:
http://sankei.jp.msn.com/sports/news/120906/scr12090608210000-n1.htm
を見ました。
これは産経のサイトで、普段は繋がるのにあまりに時間がかかるので、ほとんど見たことがありません。
『「これが日本の文化だ」全米が絶賛した、なでしこの写真』というもので、
米国のNBCニュースのウェブサイトに写真が載り、そのうちの一枚の写真では『なでしこの宮間あや選手は、フランスとの準決勝を2-1で制した直後、芝生に座り込み呆然(としているフランスのカミル・アビリー選手に歩み寄り、彼女の肩を両手でそっと押さえ慰めている』
『もう一枚の写真には、2人がともに芝生に座り込み、疲労困憊したアビリー選手が宮間選手の身体に手をかけながら何か語りかけているシーンが』写っています。
『NBCニュースのナタリア・ヒメネス記者は「数分前まで死闘を演じた後、勝者は敗者をいたわり、敗者もまたそれを受け入れている。精根をかけて戦った後、このオリンピアン(宮間選手)は真のスポーツマンシップを見せてくれた」』と、全米で大きな反響を巻き起こしたことが書かれていました。
この記事は、実業家の平松庚三氏により書かれたもので、『これらの写真が世界に与えたであろう日本と日本人に対する好ましいイメージは、首相の訪問外交や何百億円のODA(政府開発援助)のバラマキでもかなわない』と結ばれていました。
なるほど、なるほど。日本人の心情の美しさを世界に示しましたね。このように優しい心情を持った日本人が日本の国を作っているのに、実際の日本は様々な国と様々な軋轢があって、ストレスの固まりです。どうしたらよいのでしょうね。
それに、この日本人の心根が優しいというだけでは、世界の中で国として生きていけないのですよ。
国が何のためにあるか、国は国民のために何をしなくてはならないか、政治家はしっかりと考えて実行してもらいたいものですし、ぼくたちも要求していきましょう。
カテゴリ:研究室風景
さえ:
9月10日は教師節でした。研究室の学生たち、そして近隣の学生たちも連名で、ぼくに贈り物がありました。
立派な入れ物に入っていて、開けると、竹簡に「三字経」が彫ってあるのですよ。この竹簡は中国語では「竹帛」というみたいです。大昔はこの竹を削った柵に字を書いたのですね。
三字経は、子供のための読み物と言うくらいの知識しかなかったのですが、調べてみると、南宋の頃できたもので、子供が舞うzじを弁児湯刷る教科書として作られたものだそうです。その頃はもちろん紙はあったわけで、この竹簡に彫り込んであるのは、現代の置物用でしょう。
書かれている字は易しいのですが、いかんせん、きちんと漢語を勉強をしていないので、ちゃんと読めません。
ネットに、これを読んでくれるサイトがあり、しばらく耳を傾けました。
人之初,性本善,性相近,習相遠。
こんなに簡単な文章なのに、日本語にすると:
『人は生まれたばかりの時,その本性と性情は誰でもがみな純粋で善良であった。
そして小さい時には誰でもが皆その本性,性情,賢愚などの資質に大きな差異はない。
しかしながら成長する過程において各人が皆異なった環境や習慣に影響されて大人になった時には各人の本性,性情,賢愚には極めて大きな差異が生じてしまった』引用(1)
と、長くなります。
苟不教,性乃遷,教之道,貴以專
『もしも子供に対する教育を重視せずに教育を施さないならば,子供たちがもともと持っていた純粋な本性や素晴らしい資質,善良な性情が歪曲し変化してしまう。
子供を正しく教育する道(方法)は真摯な態度でその真意を常に子供の心の上に注ぐことこそが最も重要なことである。』
子供は善に生まれついているけれど、きちんと教育しないと駄目だ、といっています。これは子供に向けて言っている言葉ではないですね。
人は教育を受けないといけないのはその通りですが、教育次第で人は教育された鋳型に成形されます。これは必要なことかも知れないけれど、怖いですね。
ぼくたち、戦前に小学校で(その頃は国民学校と名を変えていましたが)軍国少年の教育を受けたわけですよね。命は天皇陛下に戴いたもので身は陛下に捧げて、育ったら鬼畜英米と戦い、彼らを殺すことこそ崇高なことと信じるように育てられました。
もちろん親たちは、それが正しいと思っていなかったはずですが、「撃ちてし已まん!」と周りで檄を飛ばされれば、表だって反対すれば非国民扱いで警察に引っ張って行かれる世の中でした。
子供に向かって、「滅私奉公!」とか、「進め一億火の玉だ!」なんて口にしなかっただけで精一杯の抵抗をしていたのだと思います。
今の中国では、日本がいかに中国を簒奪し、殺しつくしたかという教育を受けて育つ若者は、すべて反日の憎しみを燃え上がらせて成人します。ぼくたちの受けた教育効果を思い返すと、それが中和されて公平な目で日本や、日本人を見るのはどんなに大変な過程を経なくてはならないか、思うと暗澹たる気分になります。
引用(1)http://www7.ocn.ne.jp/~kodai-bk/i1z.html
カテゴリ:研究室風景
さえ:
昨日は教師節でした。昼過ぎに研究室の崔さんが来て、今日の夜は暇ですかと訊くのです。暇じゃないけれど、ぼくたちの仕事なら時間は作れますよね。
すると、先生を食事に誘いたいのです。是非一緒に万象城のレストランに行きませんか。
そんなことはしなくていいのだよと言ったのですが、何時も先生にご馳走になっているので今日は私たちでお返しをしたい、是非行きましょう。
とうとう誘いを受けて、夕方は万象城という超豪華モールにある「泰国美食」というレストランに、陽暁艶、王一任、崔玉婷、林音知、張雪城の合計6人で出かけました。4階の奥のレストランの入り口では、泰国人と思われるコンボバンドが歌と楽器演奏で迎えてくれました。
瀋陽に来てから、教師の会の若い人たちと一緒に、一度だけ奉天街にある泰国レストランに行ったでしょ。スパイスがよく効いておいしい料理でしたね。
崔さんはメニューを眺めて料理を7品注文しました。次ぎ次と運ばれてきた料理はどれも上品なスパイス味で、文句なしに堪能しました。
食事の中頃では、店の入り口で客を迎えていたバンドが店の中央に楽器を運んできました。ぼくたちの席にも来て、これから一緒にダンスをしませんかと誘うのです。うちの学生は皆若いのに顔を見合わせて、いえいえ、なんて言っています。
やがて音楽が始まルと、何となく知っているメロディなのですよ。歌がこれに加わると、デーーーオ、イデデ、イデデ、、
あ、バナナボートじゃない、たちまち、さえの兄嫁の実家に行った時を思い出しました、まだぼくが大学院に入るまえの時でしたね。
あの東大教授だった福田先生がこのカリプソを大声で歌っていましたね。それが耳に残っていたのですよ。うろ覚えのメロディと歌詞ですけれど、五十数年前の記憶がよみがえって、気がつくとぼくは席を立って、踊りの人の列に加わって、「デーーーオ、イデデ、イデデ、、」と、踊りながら歌っていました。
あはは、こんな気さくで脳天気な日本人は、なかなかいないみたいです。
うちの学生は、先生の漢語の発音は浙江省出身者とそっくりだから、浙江省出身で若いとき米国に養子に貰われていって漢語が不自由な中国人で、十分通用しますよと、保証してくれました。
とても楽しい教師節でした。
カテゴリ:日本の将来
さえ:
今、尖閣諸島をめぐって日本と中国の間の関係が最悪となっています。
日本では尖閣諸島を個人の所有者から国が買い取ったと報道され、これが中国の世論に火をつけました。
中国では尖閣諸島の問題を日本が煽っていると受け止められていますが、もともと日本のものと思っている日本は、その島は中国のものだから返せ、とけんかを売られたと感じています。
日本人にしてみると、尖閣諸島は日本の領土と思っていますから、個人の所有が国の所有になっても何の不思議もないし、それだけで話が縺れることはないだろうと思っています。
しかし、Serchina9月10日によると、9日、アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議に出席した中国の胡錦涛主席は、会議期間中に日本の野田佳彦首相と会談し、『胡主席が現在の日中関係や尖閣諸島問題について中国側の立場を表明したとし、尖閣諸島問題では日本による魚釣島購入は不法かつ無効であり、中国政府としては断固反対すると指摘した』
『また、「日本は事態の深刻さを十分に認識して誤った決定を下さないようにしなければならず、中国とともに両国関係の発展という大局を守らなければならない」と野田首相に注文をつけた』そうです。(引用1)
さらに、2012年9月10日、中国の温家宝首相は、北京市の外交学院で国務院副総理や外務大臣を歴任した陳毅の銅像除幕式に参加し、『「われわれはかつて侵略を受け、屈辱を味わった。中国政府と国民はやっとのことで手にした主権と尊厳を誰よりも大事にしている。尖閣諸島は中国の固有領土であり、たとえどのような困難があろうとも、その主張に関して半歩たりとも譲ることはない」と除幕式に参加した教師や学生らの前で中国の立場を表明した』(引用2)ということです。
中国の最高指導者のNo.1とNo.3が、今までの沈黙を破って、このような強硬な意見を述べたことに、日本で注目してる人たちはいるでしょうか。
「綸言汗のごとし」という言葉が昔から中国にあります。これは皇帝が一旦口で述べたことは、取り消すことも、無視することもできないという意味で、最高責任者の言葉は守られなくてはならないのです。
中国政府の仕組みは、連綿と中国で続いた王朝の現代の形として存在しているという見方ができます。その最高権力者が口にしたのですよ。「その主張に関して半歩たりとも譲ることはない」というのは戦争をしても主張を守ると言うことと理解できます。
しかし、日本と中国が戦うことはどちらにも大きな損害をもたらしますし、アジアの二大国が争うことで利を得るのは米国なのですよね。
日本のいい加減な政治家は知らず、中国の賢明な指導者が、このような状況も無視して日本との戦いに踏み切るとは思えませんが、それでも何かの小さなことで力の対決になるかも知れません。
このような危機感を日本人は持っているでしょうか。尖閣諸島を、都知事が言い出して、国が買ったからもうこっちのものだ、くらいに日本人は思っているのではないでしょうか。
何よりも恐ろしいのは、日本人が「尖閣諸島は古来日本のもの」と思っているのと同じ強さで、中国人は「中国古来のもの」と信じているのです。どちらの言い分が正しいか、それを冷静に解きほぐしていくことはできないことなのでしょうか。
(引用1)Serchina(尖閣問題、胡錦濤主席「日本は事態の深刻さを十分認識せよ」=中国:2012年9月10日
(引用2)Record China <中華ボイス>尖閣諸島は中国の領土!半歩たりとも譲らない―温家宝首相:2012年9月11日
9月8日に新年度の教師の会を開いたら、集まったのは旧人8名で新人2名だった。欠席が2人いたので、全員で12名。まだ任地に到着してない人もいるという話なのでまだ増えるようだが、毎年漸減傾向が続く。
この理由の一つには、日本語教師として赴任しているけれど教師の会に参加しない人たちが増えていることがある。
教師の会という集まりに縛られたくない、中国の生活に他の人の助けはいらない、などのいろいろの原因が挙げられますが、彼らが参加しないことで、教師の会の活動は阻害される。
もちろん、この人たちが教師の会に参加する、参加しないは個人の自由だが、特に、弁論大会を考えると人数の減少は辛い。
この弁論大会は日本人会の主催で(つまり資金を出して、会場を確保する)、教師の会が下請け、というか全面的に、この実行を実質的に可能にしてきた。日本語を教えている各拠点に知らせを出し、論文を書くようお願い(?)して、それを(日本語の教師が)集めて教師の会に集めて、そこで一次審査をして、優秀作品に絞り込んで(ここまでは弁論係)弁論大会(これは全員参加)を開いている。
この選考の対象となる応募作品の中には、教師の会に参加していない教師のクラスからも当然入っている。
これを、教師の会の人たちが黙って同じように面倒を見るというのが今までの構図でしたが、これからは、日本人教師の会に入っていない教師のいる拠点は無視する(日本人教師がいなくても日本語をやっているところは選考の対象とする)ことにするのは過激すぎるだろうか。
いまや、教師の会はお人好し集団になり、しかも参加していない人たちのために過重な労働を課せられるわけだ。対策を考えても良い頃ではないか?
まだ参加していない日本語教師には、少なくとも、教師の会に参加するように穏やかに誘って(今までやってきている)見よう。
それでも参加してくれなかったら、参加していないと貴校の生徒は弁論大会の恩恵が受けられないと伝えたらどうなるだろうか。脅されたと受け取って、参加する人が増えるかも知れない。でも、こうまでして、やっと入ってくる人たちに、あまり魅力は感じないだろう。
カテゴリ:日本の将来
さえ:
尖閣諸島を巡る緊迫した情勢を書いたでしょ。中国政府のNo.1の胡主席、No.3の温首相の強硬な発言我を書きました。トップが言ったことが守られないと国内・国外への権威の失墜になりますから、とても危険な状態になったと思います。
さらに、No.2の呉邦国全国人民代表大会常務委員長(国会議長)も同様の発言をしました。
『11日付の中国各紙によると、中国共産党内序列2位の呉邦国全国人民代表大会常務委員長(国会議長)は訪問先のイランで10日「いかなる方式であっても日本側の釣魚島(尖閣諸島)の『購入』は違法で無効だ。中国側は断固反対する」と強調した。イラン国会議長との会談の場で表明した』
(引用1)
No.4 の李副首相も、11日に同じ趣旨で発言しています。
『中国の李克強副首相は11日に、寧夏ホイ族自治区の銀川で「釣魚島および付属島嶼は古くから中国固有の領土で、中国は争うことのできない主権を持っている。中国の国家主権と領土保全を守る決心と意志は変わらず、釣魚島への主権を断固維持する」と述べた』
『李副首相は「第2次世界大戦中、中国とパプアニューギニアは共に日本に侵略された」として「日本の釣魚島問題での立場は世界反ファシズム戦争の成果に対する否定であり、戦後の国際秩序に対する挑発である。平和を愛し、正義を持つ国と人民は認めることができない」と述べた』
(引用2)
次期の共産党首脳部を選ぶ時期が近づいているので「それを意識しての発言」だと日本のマスコミは軽く見ているみたいですが、最高指導者の発言は取り消せないし、無視できないという慣例が生きている国です。
日本だと総理大臣の発言でも実に軽い発言がまかり通っていますが、この国では責任のとれないことは言わないのです。
中国の人たちのほとんどは日本人を恨み、嫌っていると言っていいでしょう。今こそあの積年の恨みをはらすときだと思っているのです。
中国のマスコミはすべて国営ですから、報道も、出版規も、すべて政府の操作したいように規制されています。幸い、ネットでは本音がでるわけですが、これも規制と誘導があるので、ネット情報の不確定ですけれど、それでも、「日本に対して開戦して懲らしめるべきだ」という意見が60%を超えているそうです。
唯一の党が政権を独裁していても、この頃はネットの意見を無視して事が運ばなくなったと、良く耳にすることです。
日本人は、あの島は古来日本のものなのに「何と無茶なことを言って怒っている」くらいに思っていると、飛んでもないことになります。
いえ、もうなりかけているのですよ。自分が正しいからと思って、中国の反応を無視していたら、取り返しの付かないことになります。
(引用1)「『購入』は違法で無効」 中国・全人代委員長「断固反対」と強調
Yahooニュース 2012.9.11
(引用2)李克強副首相 「世界反ファシズム戦争の成果に対する否定であり、戦後の国際秩序に対する挑発である」
http://japanese.cri.cn/881/2012/09/11/144s198116.htm
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
インターネットの読売新聞によると、9月13日中国・上海の日本総領事館は以下の報告をホームページに載せたそうです。
『(1)上海の繁華街を歩いていたところ、「お前は日本人か」と声をかけられ、突然、足を蹴られて打撲傷を負うケースがあった。
(2)深夜に食事中、中国人に因縁をつけられ暴行を受けた。
(3)タクシーで移動中、バイクの運転手が追いかけてきて「乗客を降ろせ」と言われた。
(4)複数人で歩道を歩いていたところ、中国人から「ジャパニーズ」と言われ、1人が麺をかけられてケガを負い、1人が眼鏡を割られ、持ち去られた――などのケースがあったという』
(引用1)
これを心配しているのですね。三日前からうちの研究室の学生たちは、ぼくが夜の8-9時頃うちに帰るとき、「先生の安全が心配なのです」と言って、どうしても送ると言いはります。
そんなことをしなくたって良いのにといっていますが、毎晩、二人ずつ送ってくれます。有り難いことです。
ところで、ニュースですが、今日の朝現在、ネットで見ることのできるのは:
Nikkei
Asahi
Yomiuri
ヘッディングは見られるけれど、その先をクリックすると中国の百度に連れて行かれてしまうのが:
産経
Livedoor News
JBPressは見られますが、Diamondは内容にたどり着けないし、Blogosは最初から全く開けません。昨日までは大丈夫でしたが。
ぼくが、Blogosを見ようとしているのも、何処かでちゃんとモニターされているのでしょう。
今回のことで、中国で仕事をしている数十万人の日本人の生活が脅やかされているなんて、日本の政府はこれっぽっちも気に掛けていないのでしょうね。
(引用1)「麺かけられ・眼鏡割られ…上海で日本人暴行続発」2012年9月14日07時45分 読売新聞)
カテゴリ:生命科学
さえ:
9月11日、武庫川女子大学薬学部の市川厚教授の講演が図書館の講義室で開かれました。
市川厚教授は2003年に退官して、現在の職に移るまで京都大学薬学部に35年間勤務した先生で、人格・研究共に申し分なく、生化学会会長、薬学会頭をつとめているので、今まで会ったことはありませんが、名前は知っていました。
講演のタイトルは:
"Inducible integrin beta3 regulates PGE2-stimulated adhesion of mastocytoma cells to RGD-enriched fragment of fibronectin"
というもので、タイトルから推察される通り、内容は「mastocytoma細胞がECMの一つであるFibronectinに接着するのは、PGE2を与えると促進される」
「PGE2は細胞膜のRecptorを通じて働くので調べたら、このmastocytoma cellsでは四つのReceptorsのうちEP4が発現していた。EP4が刺激されるとサイクリックAMPができてシグナルが伝わる。実際、PGE2の代わりに、細胞に取り込まれるサイクリックAMPで同じように細胞の接着が促進された」
「細胞とECMの接着にはIntegrinが関わっているのは常識だから、どのintegrinが発現しているかを調べてみた。するとIntegrin beta3、alphaV、alphaIIb、が発現していた。PGE2によって、Integrin beta3の発現がmRNAとタンパク質の両方で上昇することを確認した」
「細胞接着の機構を調べるために細胞膜のコレステロールを奪っていわゆるLipd raftの形成を妨げる試薬(maltosyl-beta cyclodextrin)を使うと、接着は阻害された。細胞膜にコレステロールが含まれている状況がintegirnのintegirityを保つために必要である」
ぼくの質問は:
「PGE2でIntegrin beta3の発現が上昇すると言うことから、Integrin beta3のPromoterのところに細胞内のcAMP増加に対応する配列がある可能性が有りますが、それはすでに知られていますか、あるいは新しくそれを調べましたか」
答えは、そのようなことは知られていないけれど、まだ調べていないそうです。
「maltosyl-beta cyclodextrinで接着は阻害されたけれど、PGE2によるIntegrin beta3の増加には影響なかったことから、EP4はLipid Raftには存在しないと言えますね?」 答えは「Yes」
まるでExptl Cell Resの論文を読んでいるみたいな感じの研究発表でした。きちんとして結構な研究ですが、実を言うと聴いていて興奮しませんでした。新しい研究でしょうけれど、何処にでもあるようなレベルの研究です。
つまり、この瀋陽薬科大学と違って結構な設備と、ここに比べたら潤沢な研究費に恵まれている、更に言うと有能な研究者にも恵まれている日本の大学で研究をするなら、あっと言うようなBreakthroughとなるような研究をしてほしい、と思うからですね。市川先生ならできるだろうと思います。
実はAsking too muchな要求かも知れませんが、彼の話を聞いて全く興奮しなかった理由はそれです。世界のトップレベルの研究をして下さいな。
カテゴリ:中国の生活
さえ:
昨日の15日の土曜日は中国各地で反日デモが行われ、蘇州では日本人向けのレストランが多数打ち壊されたと言うことです。今日の16日も多くの都市で反日デモが呼びかけられていると言うことです。
中国ではあの島は本来中国のものなのに日本が日清戦争の時に奪ったという認識で教育をしていますから、日本人が日本のものと思っていると同じ程度に、中国人は自分たちのもので、それが奪われている状態なのだと、怒りに燃えるわけです。
これは、日本人が竹島を日本のものなのに韓国が李承晩1952年に占領状態の日本から強引に奪ったことを怒っていることと、状況はそっくりといえるでしょう。実際どちらが正しいかは別にして、それぞれが自分たちのものと思っていることは同じ程度なのですから。
この尖閣諸島を巡る問題では、前にも書きましたけれど、個人が所有していた島を国が買い取っても、日本としては国が所有していることには変わりないわけです。それなのにどうしていま、中国で大きな抗議が巻き起こったのでしょう。これがぼくには良く理解できませんでした。
二日前に、いくつかのインターネットのサイトがここでは遮断されたと書きましたが、一日経って、その状況は解消されました。それでBlogosを見てみました。
その中で安田峰俊氏のブログが目にとまりました。
「毛沢東の肖像画まで登場した反日デモの性質をざっくり考えてみた」というものです。(引用1)
まず、北京市内に住む中国人弁護士が微博に投稿した画像とツイートを引用掲載しています。これをそのまま素直に受け取れば、今十八大と呼ばれる中国共産党大18回全国代表大会が今年10月に開催されようとしていますが、この会議で、次期5年間の中国の指導者が決定・選出される、まさにこの時期だからこそ、この尖閣諸島問題が燃え上がっているというのです。
ここではメディアはすべて官制メディアですから、情報は政府の思うままに操作されて、民衆は政府の望むように動かされると思われています。この「微博」の引用を読んでいると、微博への興味を反日にそらせているのだと言う受け止め方が主流に感じられます。
もちろん「微博」そのものも政府で制御されているでしょうし、そのツイートの引用と掲載はこの筆者の勝手ですから、実は何が真実かは分かりませんが、『彼らが、何を目的とした誰の意志によって“動かされて”いるのか、彼らが現段階のあの場所で登場した必然性は何か、を考察することが必要になる』
1.反日デモは、「民意の爆発」などではない。
2.デモは、当局による民衆の「不満のガス抜き」などではない。
3.デモは「当局の意図に反して」起きているわけではない。
4.デモは「ネット主導」などではない。
したがって、『今回(05年と10年も)の反日デモというのは、その内実の不透明さや、パッと見た目の意図の不明さも含めて、縮小再生産型の文化大革命の現代化ヴァージョンだとみなすのがいちばん自然な気がする』というのが、このブログの中の分析です。そこまでは考えが及ばなかったので、なるほど、と思いました。
しかし、現地在住の私たちに潜在的危険があることは変わりないので、日常の生活には大いに気をつけましょう。
(引用1)
「毛沢東の肖像画まで登場した反日デモの性質をざっくり考えてみた」
安田峰俊 2012年09月15日 http://blogos.com/article/46859/
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
うちの研究室の暁艶は、仕事が一段落したら日本語の勉強をすると、以前から言っていました。
大学に学位を申請するための大学の基準は論文一報で、それはもう出版されましたし、次の論文のめども付いたので(これでうちのラボが要求する論文二報をクリア)、後は学位論文を書くだけになりました。
ちょうど尖閣諸島を日本が国有化するという話が起こって両国の関係が緊張を高めているときなのですが、「孫子の『敵を知り己を知らば百戦危うからず』ですもの、日本語を勉強しなくっちゃ」といって笑っています。
新学期から新入生と一緒に日本語を勉強するクラスに出席するつもりでいます。
毎年8月の終わりから新学年の新学期が始まるのですが、今年は遅く、9月15日土曜日に新入生がやってきて、日曜日の午前中にグラウンドで軍事訓練をしていたかと思ったら、午後からはそこで入学式をやっていました。校長はじめ、各部門のリーダーたちの勇ましい演説がえんえんと続いていました。
軍事訓練は何時もは3週間続きますから、1年生の日本語は国慶節休暇の終わる10月8日から始まります。それで昨日の日曜日、薬学日本語の二クラスを教える石田、田中先生の二人がそろったところに暁艶が挨拶に行きました。ぼくはPTAとして付いていったのですよ。通訳が要るでしょ。
束脩として何か持って行こうと思っても、あいにく何もなく、唐辛子で辛みの付いたピーナツの袋一つを手土産にして付いていきました。
袋菓子一つで出掛けたので言い訳をしたのですけれど、「束脩」という言葉が日本語教師のお二人に通じなかったのには驚きました。もう死語なのですね。
論語の時代、師匠に弟子入りするときに手に提げていったものを束脩をいったそうです。辞書によると干し肉のこと。昔、小学校に入る前に習字の手習いに母に連れられて師匠に会いに行ったとき母の持って行った手土産を束脩というと聞いて覚えたのですよ。こんな、役にも立たない言葉がぼくの頭に沢山詰まっているのでしょうね。
ちなみに、中国人である暁艶も、全然聞いたことないそうです。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
尖閣諸島問題で今中国は燃えさかっています。おりしも、18日は満州事変の日で中国では特に国辱の日として捉えられています。今日は瀋陽でもデモや集会が計画されていると言うことです。
9時に、総領事館周辺において反日活動を行う。
9時に、中山広場において反日活動を行う。
10時に太原街中興商場に集合し、中興商場~中華路聯営商場~十三緯路炊具城~領事館の経路でデモを行う。
17時に、総領事館周辺において反日活動を行う。
<日中共同世論調査>によると、『「日中両国民の相手国に対する印象」については、日本に「良い印象を持っている」「どちらかといえば良い印象を持っている」と答えた中国人は31.8%、有識者は49.5%。中国に良い印象(「どちらかといえば」を含む)を持っている日本人は15.6%、有識者は41.3%だった』(引用1)
この調査は今年4~5月に行われていますが、どちらかというと中国人の方が相手に好感を持っていますね。それまでは逆だったのですが、尖閣諸島に焦点が当たって、日本での中国の印象がどんどん悪くなっている時期だからですね。
今調査すれば、どちらの国でも、相手に悪い印象を持っている人が90パーセントを超えるのではないでしょうか。お互いに自分たちは正しい、相手が間違っていると思っているのですから。
国同士が冷静に話し合ってほしいと思いますが、話し合っても、自分たちが正しいと思っていたら解決にならないでしょう。でも、中国の指導者なら、戦争をする以外の選択肢を示せるのではないかと期待したいです。中国の指導者選びは、時間を掛けて、育てて、そしてその中から選ぶのですね。民主的とは到底言い得ませんが、日本など及びも付かない方法で、指導者として優れた人を選んでいるのです。真似をしたいとは思いませんけれど、こればかりは羨やましいと思っています。
(引用1)
<日中共同世論調査>反目しあう両国民、領土問題が最大のネックに―中国メディア Record China 9月17日(月)20時19分配信
カテゴリ:日本の将来
さえ:
16日のYahoo によると、『総務省が16日発表した高齢者推計人口によると、15日現在の65歳以上の人口は前年比3.4%(102万人)増の3074万人となった。総人口に占める割合も0.8ポイント上昇の24.1%。』になったそうです。(引用1)なんとも壮観ですね。
それに伴って年金支給がどんどん増えてしまって財政破綻をもたらすために、定年を65歳で延長することを決めましたし、消費税も上げることを国会で決めました。
定年延長は、企業の限られたパイを老人に裂く訳ですから若い人が雇えなくなるので、これは企業から若者の活気を奪う老害の最悪たるものだと叫ばれています。
公務員の方は誰も責任をとらないから、問題も起こらずに実施されるのでしょう。お役所仕事がますます非能率で、税金の無駄遣いになるのは目に見えていますね。
じゃ、どうしたらよいのか。具体策は持ち合わせていませんけれど、経済を活性化するしかありません。そのためには、迂遠でも教育を強化して有用な人材を育てるしかありません。
いいですか。67年前に日本はアメリカ軍の徹底的な破壊作戦により、沢山の市民が死傷し、焼け野原となりました。元々資源のない国の上に多くの物的資産、人的資産を失ったのです。しかしその絶望のどん底から日本は立ち直り、30年後には世界第二のGDPの国になりました。アメリカの核の下にいて軍備費に使うことがなかったからと言われていますが、戦いのための軍事費でなく、軍備費ならば、回り回って国民の経済を押し上げていたはずですから、日本が経済的に繁栄したのは「平和憲法」のためではないでしょう。
全く資源に恵まれないのに、それが可能になったのは、人々が国の復興のためにそれぞれが違った立場と方法で懸命に働いたからです。つまり人的資源が有効に使われたからですね。この人的資源は、教育程度が高いからこそ有効に生きたに違いありません。実際、日本がもてる資源は人材だけなのです。
今の若者は、大学を出てもこれという目標も持てずに、白けきっています。日本の未来がないと思っているからです。でも、戦後の未来は私たちが切り開いてきました。今は、あなたたちの番でしょ。彼らが自信を持って未来に取り組めるように、日本の教育を変えませんか。
教育は官僚の中では最下位に見下されている文部官僚の管轄下でした。今の政治家を見ていると、自分たちのことだけに目がいっていて、悲しいだけです。日本の教育はどうあるべきかを日本中の智慧を集めて考えて、この国の方向を決めることに努めてほしいですね。日本が生き延びるのは、人材を育てることです。この有為な人材が新しい有用な研究を展開して、日本を豊かな国にすることができるでしょう。
(引用1)『65歳以上の高齢者、3000万人超す 「団塊」到達で
総務省推計』2012/9/16 Yahoo
コメント:
Re:働く場があれば年齢問わず?(09/19) めぐみ さん
超高齢社会はとっくに分かっていたはずなのに、いまさら・・・、という感じですが。
そちらのデモの映像も流れていましたが、学生さんたちがそばにガードしていてくださるようですね。長男は騒がしくなる少し前、月初めの週には上海から戻っていました。これから仕事ができるのかどうか?
わたしは定年延長は反対です。その年齢で仕事ができるか否かは個人差があると思います。まして官僚は高い給与のまま定年だけを延ばすと思われるので。若者の働く場を取り上げるべきではありません。
わたしの周り(自治体も)では「リアルビジネスやコミュニテイビジネス」が盛んになっています。まあ、元気な年寄りには働いてほしいということなのですが独立して活動する人たちが増えています。目標があって活動すれば、医療保険も介護保険も使わないですみますし。
なんと、今わたしが非常勤勤務している施設の管理者は78歳です!(ただ、30歳くらいの同僚が「上がつっかえてます・・・」とこぼしてました。)
高齢者も若年者も競争する社会にならざるを得ないかもしれません。この事情は中国でも同じ、よりもっとでしょうか。 (2012.09.20 11:01:30)
めぐみさま shanda さん
来年度の予算案は、超高齢社会に備えているとは思えない内容ですね。日本では政治家がてんで駄目で、さんざん悪口の言われている官僚くらいしか役に立ちそうな(優秀な)頭脳はないのに、彼らも日本の将来ではなく省益しか見ていません。
おっしゃるとおり、定年の延長は日本によいことはもたらさないでしょうね。ギリシャ病に一歩近づくだけでしょう。
日本の将来知れたものと絶望しないで、青臭い議論でもいいから皆が真剣に考えないと、日本の将来は、本当に危ういものになります。
昨日からここではデモは禁じられましたが、提起された問題は全く片付いていません。危険を避けるために、この話題には触れないことにしました。書きたいことは山ほどありますが、どうかご理解下さい。 (2012.09.20 14:50:35)
カテゴリ:日本の将来
さえ:
日本の人口の四人に一人が65歳以上の高齢者であると言う発表を受けて、迂遠でも日本は教育に力を注ぐことで日本の将来の発展をはかろうと書きました。
「めぐみさん」から投稿がありました。
『わたしは定年延長は反対です。その年齢で仕事ができるか否かは個人差があると思います。まして官僚は高い給与のまま定年だけを延ばすと思われるので。若者の働く場を取り上げるべきではありません』
『わたしの周り(自治体も)では「リアルビジネスやコミュニテイビジネス」が盛んになっています。まあ、元気な年寄りには働いてほしいということなのですが独立して活動する人たちが増えています。目標があって活動すれば、医療保険も介護保険も使わないですみますし』
定年延長がすんなりと国会を通ってしまったのは官僚の根回しの成功でしょう。ぼくたちの払う税金に寄生している人たちをそのまま置いておくのではなく、55歳なり、60歳で、官僚も選別できるといいのですけれどね。
この定年延長で間違いなく日本の活力が減ってしまうでしょう。企業で年寄りは働く意欲もないのに給料をはみ、若い人の職を奪ってしまうのですものね。
ネットを見ていたら、大前研一氏が『若者と高齢者の起業支援で日本社会を活性化せよ』と主張していました。主張しているだけかと思ったら、
『経済産業省は8月28日、若者らの小規模な起業を促すため、来年度から1社あたり数百万円程度の小口の助成制度を創設する方針を示した。「“ちいさな企業”未来補助金」と呼ばれるこの制度で、5年で1万社支援を目指すという』
大前研一氏のBBT(ビジネス・ブレークスルー)で実施してきたファンド「スポッフ(SPOF=背中をポンと押すファンド)」を民主党政権に説いてこれが政策になったみたいです。速効があるでしょう。ぼくも、えっと思って、何が起業できるか考え始めました。
「40歳定年制」という奇策も提案されているそうです。柳川範之氏の『社会保障を根底から変える「40歳定年制」3度の人生が送れる日本社会を作る』(引用2)
正規雇用と非正規雇用しかない今の現状を変えて、日本を活性化しようという考えで、労働契約は「期限の定めのない雇用契約は20年とする」としようと言っています。
もしぼくが事業を興してそれが成功しているなら、社員が40歳で止めて他所に移ってしまうことを歓迎しませんよね。今のうちの研究室と同じです。修士課程には来てくれますが博士課程は日本、米国、イタリアに行ってしまいます。これを防ぐにはここを魅力的にしなくてはならないわけで。企業でも同じですね。社員を引き留めるためにも良い企業を目指さないといけない。これは、社会を活性化するでしょう。
このようにいろいろの考を出しあって、建設的な意見を皆で育てていく前向きの社会でいたいですね。
(引用1)大前研一の「産業突然死」時代の人生論 若者と高齢者の起業支援
若者と高齢者の起業支援で日本社会を活性化せよ NikkeiBPNet
2012年09月11日
(引用2)社会保障を根底から変える「40歳定年制」3度の人生が送れる日本社会を作る 日経ビジネス 2012年9月12日
カテゴリ:本に一言
さえ:
チャイナ・ジレンマという本を一読しました。小原雅博という現役の外交官が書いた本で、8月に成田を出るときに買った本の一つです。タイトルに刺激されて買ったのですよ。
「中国指導部10年ぶりの移行期にあたって現役外交官が自らの経験と信念から熱く論じる渾身の一冊」というのが惹句です。
でも読んでみて失望しました。中身がないのですよ。「中国への視座」では、『中国は今、自信と自制の狭間で揺れている』
その通りですね。
『胡錦涛の打ち出した「科学的発展観」、「親民政治」、「和諧社会」の努力にもかかわらず、状況は改善せず、職権乱用や腐敗の悪弊はむしろ深刻化している。先送りされてきた政治体制改革をどう進化させるのか、ポスト胡錦涛時代の大きなテーマである』
『経済成長を辞しつつ社会の公平や公正をどう確保するか、それがポスト胡錦涛政権の最大の課題となろう』
そう、その通りですね。
それぞれの章の中の分析は資料を集めて丁寧に分析していますが、言葉が華麗に踊っているだけで、だからどうなのよ、という問いには答えていません。
これが、秀才の果てである官僚の文体なのでしょうね。見事に分析しているみたいに見えますし、見事な言葉で本質を突いているように見えます。それなら、そこから何が見えてくるか、影響を受ける隣国としてはどうしたら良いか、については何も突っ込んでいないのです。
中国に関心のある人は、この巨大な人口を抱えた大きな国が、世界第二位のGDPの国にまで経済を発展させながら、しかも大きな矛盾と広がる格差に苦しみ、それをどう解決するかに苦慮しているのを知っていますよね。ここに書かれていることは、皆が知っていることです。
官僚が分析して資料を出して、それにもとづき政治家が判断する(アメリカはこの仕組みが働いているみたいです)のなら、これでもいいでしょうけれど、日本はそうなっていませんから、もう一歩突っ込んだ意見が欲しい人には無駄な出費です。
中国のことをあまり知らなくて、中国を知るための分析が欲しいなら、そしてその分析に基づいて自分で中国の将来を展望しようという人には、買いでしょう。
コメント:
Re:小原雅博のチャイナ・ジレンマを読んで(09/21) Sydney さん
仰るとおりと思います・・。これまでシドニー総領事をしていて、チャイナスクールのキャリア外交官というので、中国に関してどんなに知的かと思ったら、その程度なんですよ。この外交官は9月から上海の総領事になるようですが、暗澹たる気分にさせられます。
(2013.08.06 16:52:30)
Sydneyさまへ shanda さん
上海の総領事というと、以前総領事だった杉本信行さんが『大地の咆哮』という本を出しているのを読みました(出版:PHP研究所)。副題は『元上海総領事の見た中国』。杉本信行さんはまだ任期を残して2006年に癌でなくなりました。著書を読んだ限りではチャイナスクールでは出色の人材だと思います。
中国の総領事館の中に閉じこもっていないで、隅々まで出歩き、中国事情を日本人の目で観察し分析して私たちに日中のあるべき姿を訴えていました。うろ覚えの記憶ですけれど、靖国神社参拝で中国の要求するままに首相などの参詣を中止すれば、日本は要求すれば経済をとって大義を譲る国であると、本心から軽んじられるだけだと喝破していたように思います。 (2013.08.07 13:42:43)
カテゴリ:本に一言
さえ:
この夏さえの本棚で見つけた中堀豊・徳島大学教授の「Y染色体からみた日本人」を瀋陽に持ってきたので、読みました。
女性のミトコンドリアを母親、そしてその母親と上へ上へとたどっていくと、現代人類のすべては15万年前のアフリカの一人の女性(イブと名前がつけられましたね)にたどり着くという有名な研究がありましたね。
その向こうを張って、男性だけにあるY染色体をたどっていっても同じ結論になると言うブライアン・サンクスの「アダムの呪い」という本が出ています。「アダムの呪い」は、征服者がY染色体を広めていくということを基軸に書かれた本ですが、この「Y染色体からみた日本人」は、縄文人がどこから来たかとか、弥生人のルーツは何処かとかを論じているのではなく、「日本という場所で何が起きたか」を穏やかな筆致で書いています。
Y染色体の分析から、縄文人の先祖は、アフリカの大地溝に発してヨーロッパ北部、アジア北部を経て北から約1万数千年前に日本にたどり着いた人たちで(縄文人のY遺伝子は、現在でもバイカル湖の周辺の民族に残っているという)、弥生人は大陸から朝鮮半島経由で日本に来た第二陣(弥生人と同じ染色体を持つ男は、大陸では消滅してしまったという)と書かれています。後者は、北方騎馬民族の日本征服説と一致しますね。
弥生人と同じ形質が今のアジアで根絶していると言うことは、彼らは戦闘的な民族ではなく、東へ東へと追いやられて、幸運にも日本にたどり着いた一族以外は絶滅されてしまったということでしょう。私たちはいわば、絶滅した民族の軟弱な遺伝子を伝えているのですよ。
日本の任意に選んだ5都市で男性の精子を採取してY染色体を分析すると、縄文人の特徴を持つ人と、弥生人の特徴を持つ人が何処でもほぼ一対一で存在するそうです。広げて考えると、日本の何処でも、縄文人と弥生人が互いに融和して暮らしていることになりますね
筆者の「あとがき」から引用しますと、『日本の男性は大陸の落ちこぼれである。一度目の落ちこぼれである縄文人と、二度目の落ちこぼれである弥生人が、互いに滅ぼしてしまうことなく共存したのが現代日本の男性たちである。まさに、窓際族同士が仲良く机を並べて、極東の小島で自然の恵みを享受し、自然に従って生きてきた。互いの言葉も融合させてしまった。日本人は自分たちがほぼ単一の民族だという意識を持っているし、言葉も日本中で共通に使っている。日本にたどり着いた私たちの祖先は、とても幸運な人たちだったのである』
『大陸の男性やアメリカの男性たちは、このように甘い環境で育ってきた人たちではない。ほかの民族との抗争に明け暮れ、常に警戒を怠らない。相手に隙があればいくらでも収奪するし、征服する。ずっとこのような環境で、競争的に版図を広げてきた人たち、もしくはそれに対抗してシェアを守ってきた人たちなのだから、その根性と意志の強さは私たち日本男性の太刀打ちできるところではない』
人類遺伝学者の書いた本ですから、冷静に書かれていますが、筆者のやってきた研究からこれだけのことが引き出せるのですね。実に、感じ入りました。
なお、今日調べてみて、中堀豊・徳島大学教授は前立腺がんのために2009年4月27日に53歳の若さで亡くなっていたことを知りました。合掌
コメント:
Re:中堀豊「Y染色体からみた日本人」を読んで(09/22) みのもんだ さん
いつも思うのですが、自然科学が素晴らしいこと。遺伝学が私達人類のルーツを否応なく解明し、客観的事実を示してくれますね。そして、事実を受け入れられる、真正面から自分と向き合えることも勇気が要るし、自信の表れでもありますね。それこそ強いと言えます。真の自然科学者はまさにそうですね。
人類はここまで来て、現在のどの国、どの人種、どの民族も、融合の結果ですね。大陸(中国もヨーロッパも、当然北米も)はいずれもそうです。日本も例外ではありませんね。いくつの本を読んで、先生のように一つの本のきちんとした引用先を示せるわけではないですが、一説では、縄文人と琉球人の遺伝子は本州の日本人よりも近いとのことです。何が言えるかは分かりますね。また、飛鳥、奈良時代の日本は現代風に言えば、正真正銘のグローバル時代とも言われています。先生が紹介された本の中で、「(弥生人と同じ染色体を持つ男は、大陸では消滅してしまったという)と書かれている」が、弥生人も決して単一ではなく、違うタイミング、違うルーツの、いわゆる渡来人の総称でしょうね。消滅したって、朝鮮半島の百済のことでしょうか。そうかもしれませんし、そうじゃないかもしれません。
人種の坩堝にもかかわらず、昔のローカルの時代、また、島のため、色んな紛争、苦難、犠牲もあったでしょう。総じて人種の融合がうまくいったのは日本の歴史上の幸いですね。近現代社会になって、このように生物学的だけでなく、精神的、文化的にもうまく融合できるのはもう不可能でしょう。これは現在、世界中のどこかでの民族紛争ですね。先生はサッカーに興味がなければ、例としてあげて申し訳ありませんが、ヨーロッパのサッカーは強いです。ヨーロッパ一を決める4年に一度のサッカー大会の試合を見るといつも思うのですが、あれは戦争代わりです。人種の意地のぶつかり合いですね。その競争で切磋琢磨して結果として強くなっていくのですね。そこから中国の問題を根本的に解決の糸口が見えそうですが、ヒントは中国の春秋戦国時代と思います。もうこれ以上深入りしませんね。
歴史はずっと生きていきます。勿論日本もそうです。いわゆる同和問題は、元は人種問題、宗教の問題、つまり農耕民族よる狩猟民族への差別と言われています。日本の人種融合の宿題と言えるでしょう。でも、いじめられることも結果として、強くなる、器の大きい人間が育つこともありますね。関の原の敗者で、長年いじめられていた長州、薩摩はいわゆる明治維新で政権をとり、赤裸々の植民地時代を切り抜けたことも、理由はここにあるように思います。そして、現在のいわゆる閉塞感溢れる日本において、大阪維新の会が脚光を浴びています。その代表者は、同和の出身だそうです。
歴史はずっと、生きていきますね。 (2012.09.22 09:57:22)
みのもんだ さんへ shanda さん
自然科学は楽しいですね。研究をしていて飽きません。
この中堀教授みたいに適切なテーマを見つけて自分でそれを掘り下げていって、科学的に得られた結論を別の普通の言葉で述べてみたら、誰でも分かる、そしてなるほどと納得する内容が展開できるなんて、これは凄いことです。
私など目先のことをやって、やり続けて何十年ですが、これと言った中身は作ることができていませんもの。中堀教授は幸運だったのかも知れませんが、こういう人こそ偉大な研究者と呼べるでしょう。
ところでヨーロッパの地図と中国の地図を重ねると、ヨーロッパは中国に中にすんなりと収まってしまいます。ヨーロッパは、人種、方言の違いで国を建てているのですね。中国より小さな地方が、二十以上の国に分かれています。
先日スロベニアの大学の人の論文を読んで地図で探しましたが、昔のアルバニア、ユーゴスラビアあたりが、すっかり変わって、民族自決の結果さらに小さな国々の集まりになっています。これらの国が寄り集まってEUを作って、一時はそれなりの結果を出しましたが、今は苦労していますね。
この中国という国がどうなっていくのか、私は興味を持って付き合っています。 (2012.09.23 17:16:55)
カテゴリ:さえへの日記
さえ:
昨日、中堀豊・徳島大学教授の「Y染色体からみた日本人」について書いたところ、みのもんださんから長文の投稿がありました。
『人類はここまで来て、現在のどの国、どの人種、どの民族も、融合の結果ですね』その通りですね。遺伝子が中立に変異していく以上に、ひとびとはダイナミックに生きてきて、歴史を作ってきました。
その先に『飛鳥、奈良時代の日本は現代風に言えば、正真正銘のグローバル時代とも言われています』と書かれていたので、辻原登の「翔べ麒麟」を思い出しました。
1998年に出版された小説ですが、ぼくはこの夏の日本で、さえの本棚で見つけて読んだのですよ。
飛鳥、奈良時代は日本に王朝が成立してまだ混沌とした、しかし先進国たる彼の国を目指して人々が溌剌と輝いていた時代という認識くらいしか持っていないのです。
辻原登の「翔べ麒麟」は、遣唐使の護衛になって長安に渡った青年を主人公に据え、それ以外に阿倍仲麻呂など実在の人物を登場させて、史実と虚構を混在させた楽しい読み物に仕立てています。
この主人公の日本にいたときの友達に、翼と翔という兄弟が出てきます。現代の日本は子供の名前に何でもありという時代ですから、いろいろと楽しい名前が出てきますね。翼と翔は、どちらも今使われている子供の名前としてもぴったりな名前ですね。
翼と翔の父親は、若いときに選ばれて阿倍仲麻呂と一緒に唐に行って、現地で結婚して、彼らをもうけて、その後の帰国の機会に妻を現地に残して帰国したと書かれています。
本の後ろに書かれている解説で読んで知ったのですが、この翼と翔という兄弟の存在は、その親も含めて虚構ではなく、史実なのだそうです。それを知って、読み終えた本の扱っている奈良時代が、さらに生き生きと輝いて来ました。
歴史は権力者にしか焦点を当てていませんから、律令制で強制労働を割り当てられた一般庶民がどんなだったかは想像するほかありません。今の歴史観では、過去千数百年、日本の一般庶民は過酷な生活を強いられていたことになっていますね。
でも、今まで生きてきたぼくは、権力を持ったこともないし、陽が当たったこともないし、人並み以上の生活をしたともありません。つまり歴史が焦点を当てることのない、名もなき一般庶民ですね。けれど、生きてきたことを幸せに思える生き方をしてきたと思います。
江戸時代の農民も、貧乏この上ない貧しさだったけれど、それぞれが幸せに暮らしているのを見て、日本を訪れた外国人は驚いてこれを書き残しています(出典が何であったか覚えていませんので、いつか機会があったら探してみますね、明治のはじめの紀行文だったかも知れない)。
なんだか、話がどんどん逸れて行ってしまっているみたいです。でも、書きたかったのは、「みのもんださん」の文章の最後に書かれている『歴史はずっと、生きていきますね 』を受けて、さらに加えて「人々も生きてきましたね」ということです。
カテゴリ:中国の生活
さえ:
うちの学生がしゃべっているのを聞いた話です。笑える話ですが、人によっては、他人事ではない話ですね。
この国ではいろいろな取り締まりを担当する部署が各部局にあって、もちろんそこの高官は相当な権力を持っています。最近、交通事故の現場を視察した○○監督管理局の高官が笑っている写真がネットに投稿され、この不真面目な態度に怒った人々が、この高官の過去の写真を徹底的に調べて、今までに11本の違う高級な腕時計を嵌めていたことを突き止めたそうです。
ネットの写真の一部をただ拡大するだけでなく、高解像度で拡大するソフトウエアなんてものもあるらしいですね。そのために、この高官が嵌めている時計の値段もわかり、とても公務員の給料では買えるはずのないものだと思われました。
人々はこれらの時計をどうやって買ったのかと高官に質問状を出したのですが、もちろん自分の給料で買ったという答えだったそうです。そんなはずはない、それなら、給料を公開しろと人々は要求しているそうです。
給料がこれらの高級腕時計を日常的に買えるほど高給ならば、人々の怒りは増すでしょうし、もし買えるはずのない給料なら、じゃどうしたのだと追及の手がますます厳しくなるでしょう。この話はネットにも出ていました。(引用1)
今朝のニュースでは、この局長は解任されたそうです。ネットによる世論の力をそのまま地方政府が認めたのですね。(引用2)
このようにネット上で匿名の人を探し出したり、不正を暴いたりするやり方が、中国語の人肉搜索で、『中国のインターネット上において行われている、多数の匿名人物間でやりとりを行いながら、検索エンジンによる検索と、人手による公開情報の検索との両者を駆使し、ある人物の名前や所属を特定したり、事件の真相を解明する活動で』、社会世論の監督によって悪質な事件などを暴くことが2006年頃から始まったようです。(引用3)
取り締まりを担当する部署の高官の不正が暴かれて、人々は、そんな部局は不要だ、インターネットがあれば万能で、俺たちにもできるんだと言ったとかいう話です。インターネットの網に張られた人々の目で、こうやって不正が暴かれて社会正義が保たれるようになったのは、それは一面で結構な話ですが、一方、誰かがその気になりさえすれば、人々のプライバシーは何時でもはぎ取られる可能性があるわけですね。
生きていく上で大事なことは、悪いことをしないことと、敵を作らないことでしょうか。
(後記)ここに書いたことは9月28日に、『高まる庶民の不満、「人肉検索」で役人の腐敗を摘発 きっかけは悲惨な事故現場で談笑する姿だった 北村 豊』
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20120925/237253/?P=1
に詳しく書かれています。
(引用1)『中国の汚職官僚が恐れる、ネットユーザーたちの“人肉捜索”=庶民が持つ唯一の権力監視手段―米メディア』 Record China 2012年9月5日
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120905-00000021-rcdc-cn
(引用2)『「笑顔」と「高級時計」が命取り、「人肉捜索」で解任された官僚―陝西省』 Record China 9月24日(月)
(引用3)Wikipedia:人肉捜索
カテゴリ:研究室風景
さえ:
ぼくの不注意と怠惰で、培養室で使う電動ピペットを、危なく駄目にするところでした。
先週の水曜日、昼ご飯を食べに出掛けていた陽暁艶から電話があって、お隣の池島研究室で電動ピペットが壊れてしまって困っているので、うちのを貸して欲しいと学生が頼んでいるけれど、どうしましょうか?
こういう緊急の時助け合うのはお互い様なので、もちろん、貸してあげましょう、と返事をしました。
隣の顔見知りの学生が直ぐにやってきたのですが、うちの実験室には誰も学生がいません。全員が昼ご飯を食べに出払っているのです。それで、ぼくが培養室に入って、電動ピペットを探してコンセントから外してこの男子学生に渡しました。
数分もしないうちに、うちの電動ピペットはこの春日本から買って持ってきたきたもので、従って110vで使っている、しかしこのことを言い忘れた、しまった、と気付いて池島研究室の培養室に飛んで行ったのですが、ぼくたちの60平方メートルある教授室と同じ大きさの部屋を仕切って広々と使っている培養室の入り口で声を掛けても、全く返事が返ってきません。
それでうちの学生に電話をしました。陽暁艶は電話に出てこないので、崔玉婷に電話をしました。5分もしたら崔玉婷は研究室にやってきたので、状況を話して、池島研究室の培養室に行ってもらいました。戻ってきて、いえ、ちゃんと動いていますよという報告です。
今、動いていても、110V仕様を220Vで使うと壊れちゃうんだよ、あの電動ピペットが110V仕様か、220V仕様かを確かめないといけないのですよ、とぼくは言って、彼女はまた調べに行きました。
115Vと書いてありました、という報告です。じゃ、一刻を争う、すぐに使用停止だよということで崔玉婷はまた出掛けて行って、電動ピペットを回収してきました。そして、うちの培養室に戻って調べたところ、ちゃんと動きますという報告でした。ほっとしたのですよ。ぼくの一ヶ月分の給料に相当する日本円で買ってきたものですものね。でも、ぼくは、現場に行って確認をしませんでした。
そのあと日曜日に、この電動ピペットが騒音を発すると言う知らせがあって培養室に行ったのですが、110V仕様を220Vで20分くらい使ってしまった後遺症と思って、大学の修理担当者に見て貰ったら?、位のことしか思いつきませんでした。この電動ピペットが、110Vか220Vか、どちらの電源に繋がっているかの確認をしなかったのです。
実際には、この電動ピペットの電源は220Vから取っていた事が、その後すぐに分かりました。それで、どの時点でこうなったかを全員に集まって貰って調べたのですが、状況証拠は、この電動ピペットを取り戻してうちの培養室で使えるようにしたときに、間違えて220Vの電源につないでしまったようです。
崔玉婷は自分がつなぎ間違えたと泣き崩れていましたが、元々はぼくの責任です。
隣の研究室に貸し出すときに、この機器が110V仕様であることを思い出さなかったことが、第一。
電動ピペットが110V仕様であることが分かって、220Vで使われたら駄目になると思って回収して貰ったのに、それが110Vにきちんとつながれたかどうか自分で確認しなかったのです。ミスの第二。
その後、異音が出ると聞いて現場に行ったのに、確認を怠りました。これが三番目の間違い。
今回の件ではぼくが最大の犯罪人です。
今までに日本から持ってきた110V仕様のプリンターとか、HDDとか、懲りずに220vにつないで、自慢じゃないですが、いくつも燃しています。つまり、不注意なのですね。機会あるごとに気をつけようと思うしかありません、お互い。Nobody is perfect.
カテゴリ:研究室風景
さえ:26日
王璞が東北大学の助教授になって中国に、しかも瀋陽に戻ってきました。瀋陽にあるこの東北大学はこのあたりではソフトウエア・テクノロジーの中心として知られています。この瀋陽では一番評価の高い大学じゃないかな。
生命科学部を作ろうとしていて、それに王璞が見事ポジションを取ることができました。
王璞は2004年秋にうちの博士課程に入って、最初は間違ったテーマで8ヶ月の時間をつぶした後、次の年の5月から猛然とガングリオシドによる腫瘍の抑制機構を調べる実験をして、論文3編を書いて博士を3年で取りましたね。2008年の始めに米国に渡ってThe Johns Hopkins UniversityのKonstantinos Konstantopoulosのところでポスドクをやっている間にPLoS One、 FASEB J、J Biol Chem、Am J Physiol Cell PhysiolなどにSenior authorとして4報、共著でPLoS Oneなどに2報を出したのですよ。
2008年、彼が米国に出掛ける前に、留学を終えて必ず中国に戻っておいでよと言ったのですが、それを守ってくれたのが何と言っても嬉しいですね。
昨年からは中国でいわゆる有名大学での職を探していましたが、何時も候補になるのに、最後は駄目でした。これって、中国の名高い、コネがあるかないかの見本みたいなものです。王璞は普通の家の出身で、政府高官とのコネは全くないし、ぼくだってここでは(もちろん日本でもですが)何のコネもないし、王璞は業績だけで挑戦したけれど何処からも跳ね返され、しかし、瀋陽の東北大学には具眼の士がいたってことです。東北大学のために、実にめでたいことです。
今はまだ建物の中を改装していて、機器もこれから選んでそろえるところだし、大体、学生がまだ彼のところに来ていないそうです。
東北大学は、ここからは西に向けてバス停で二つしか離れていませんよね。こんなに近いところに、研究のことで何でも話せる人が来るなんて、こんな嬉しいことはありません。ぼくが助けられることがあれば、彼のことはいくらでも助けるつもりですし、また、彼は彼で、特に財政的にぼくを助けるつもりでいるでしょう。そのためには良い共同研究のテーマを考えて、一緒に立ち上げましょう。
昨日の朝、彼と彼の奥さん(あのPeiPeiさんですよ)が研究室に訪ねてきてくれて、しばらく興奮が醒めませんでした。
カテゴリ:日本の将来
さえ:
昨日の9月26日、自民党で総裁選挙が行われました。野党となった三年間総裁を務めた谷垣氏は、かわいそうに立候補すらできなかったのですよ。
地方党員も含めた第一回投票では、石破氏が199票、安倍氏が141票となって、続いて国会議員だけの決選投票で、安倍氏が108票、石破氏が89票となり総裁となりました。
2009年の総選挙で自民党を破った民主党は、国民の多数から新風を期待されながらも、長く続いた自民党政権を批判するだけの、政権が欲しいだけのただの素人集団だったことを暴露してしまいましたから、次の総選挙では民主党は惨敗して、この自民党の総裁が次期首相になるでしょう。
安倍氏は2007年に、首相を務めて1年足らずのうちに突然病気という説明だけで(その後この病気の内容が明らかにされたとは思いません)政権を投げ出した人です。総裁選挙では党員に説明があったのでしょうけれど、国民は何も聞いていませんね。こんな不誠実な人を担ぐ自民党員の気が知れません。こんな人よりまだ他の候補の方が、人物として増しに見えます。
いや、ただの素人の集まりだった民主党の人たちの方がまだ上等かも知れません。でも、人が良いなんてことは政治家に必要な要素じゃないのですよね。
次の衆議院議員選挙では、「維新の会」という名前の集団も立ち上がりましたが、自民党が政権を取り返すでしょう。そうなると、「憲法改正」、武装の強化が音をたてて進むに違いありません。
今の日本国憲法の前文に『日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した』とあります。
これが第九条の
『1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない』
に繋がるわけですが、『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼』しようとしているだけでは、自分の身と安全を守ることができないことを、皮肉なことに『諸国民の』言動から教えられて、日本人はやっと学んだわけですね。
戦後の焼け野原の中で、これからは戦争のない平和な社会を築くのだと本気で思っていたあの小学生の心を思い出しています。
カテゴリ:カテゴリ未分類
さえ:
昨日Yahooで『ナチス発見の仏像、隕石だった=大戦前夜、チベット探検―調査チーム』と言うニュースを見ました。
『第2次世界大戦勃発前夜の1938年、秘境だったチベットに足を踏み入れたナチス・ドイツの探検隊が発見した約1000年前の仏像は、宇宙から飛来した隕石(いんせき)を彫刻して制作された極めて異色の作品だったことが分かった』
『この探検隊は、ナチス親衛隊(SS)長官ハインリヒ・ヒムラーの支援の下で派遣されたもので、「アーリア人の優越」というナチスの人種イデオロギーの裏付けを探るためにチベットに送られた』(引用1)
これを読んでぱっと閃いたのは、インディジョーンズの「レイダース/失われた聖櫃<アーク>Raiders of the Lost Ark」です。
『舞台は1936年。プリンストン大学で教鞭を執る高名な考古学者インディアナ・ジョーンズ教授(インディ)には、世界中の宝物を探し発見するというトレジャーハンターとしての顔があった。ある日、陸軍諜報部よりインディの下にナチス・ドイツがタニスの遺跡を発見して聖櫃(アーク)の発掘に着手したという情報が舞い込む。また情報部が傍受したドイツ軍の電報によれば、聖櫃の在り処を示す重大な手がかりラーの杖飾りはインディの恩師であるアブナー・レイヴンウッド教授の手にあるという。何としてでもナチスより先に聖櫃を手に入れろとの依頼を受け、インディは聖櫃の争奪戦に臨む』(引用2)
第三作の「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」では、父親役のショーン・コネリーと一緒にナチス・ドイツ軍相手に立ち回りを演じていました。
「レイダース/失われた聖櫃<アーク>Raiders of the Lost Ark」は息子と映画館に観に行きました。この日本公開は1981年の12月と言うことですから、長男はまだ中学生だったと思います。冒頭のジョーンズが洞窟に宝を求めて入っていく場面から興奮の連続でしたね。混んでいて前の方の席で観たものですから、スクリーンを見上げる格好になって、お腹を蹴り上げられているみたいな臨場感を味わいました。
それにしてもこのインディ・ジョーンズの映画がドイツ軍の聖櫃<アーク>探しの絡む話になっていて、そこのところが理解できませんでした。
世界制覇のために聖櫃<アーク>をナチスが本気で求めていたなんて話は、第二次世界大戦でドイツを相手に戦ったアメリカの映画だから、ナチスを格好の相手として取り上げたのだろうくらいに思っていたのですが、このニュースを見ると、
『ナチスの親衛隊長官のヒムラーはアーリア人の起源はチベットにあり、その優越性の証拠が同地で見つかると信じていた』とあるので、インディ・ジョーンズに絡んでくるナチスの話は全くの絵空事ではなかったのですね。
『探検隊が持ち帰った仏像は毘沙門天の座像は高さ24センチ、重さ10.6キロ。分析したところ、約1万5000年前にシベリアとモンゴルの境界付近に落下したチンガー隕石の一部を加工研磨して作られたと断定された。ナチスのシンボルであるかぎ十字とは逆向きの「まんじ」が胸に描かれ、探検隊が興味を持ったと言われている』
写真で「鉄の男」と呼ばれているこの毘沙門天の座像を見ると、容貌が今のいわゆる西洋人顔です。親衛隊長官ヒムラーが信じていたアーリア人のチベット起源の根拠と調査結果を、もっと知りたいですね。
(引用1)『ナチス発見の仏像、隕石だった=大戦前夜、チベット探検―調査チーム 時事通信 9月27日』 仏像の写真は:
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120927-00000007-jijp-int.view-000
(引用2)Wikipedia レイダース/失われたアーク
カテゴリ:中国の生活
さえ:
この頃の日本でこの「君子豹変」は、原義から全く離れて、余りよい意味で使われていないですよね。人の言うことがコロコロと変わるときにこれを使っています。つまり「急に態度を変えて、卑怯だ」なんて非難の表現に使っていることが多くなっています。「豹変」と言う字から、急に「豹みたいな恐ろしい動物の顔を出す」という印象を持って、突然悪い方に変わると思うのでしょう。
元来は、易経にある言葉です。『大人虎変 君子豹変 小人革面』
『易経の原文をたどると、「君子豹変、小人革面」とあり、立派な人物は、自分が誤っていると分かれば、豹の皮の斑点が、黒と黄ではっきりしているように、心を入れ変え、行動の上でも変化がみられるようになる。反対に、つまらぬ人間の場合は、表面上は変えたように見えても、内容は全然変わっていない』(引用1)
別の説明では『豹の毛が季節に合わせて抜け変わり美しい斑文となることから、君子は時代の変化に合わせて自分を素早く的確に変えていけるとの意味である。そこから、君子はたとえ過ちを犯しても素早く善に立ち戻れるなどの意味も生まれた』(引用2)
豹の斑紋がはっきりしているように、君子ははっきりと心から過ちを改めるに憚ることなく改めるものだ、つまり、ここは論語の「過則勿憚改」になりますね。
しかし普通の人にしてみると、豹の斑紋がくっきりしているかどうかなんて見たこともないので実感が湧きません。原義を知らないから、人畜無害に見えるおとなしいおじさんが突然猛獣に変わって飛びかかってくるようなイメージで理解しているのが現代なのでしょう。
中国のうちの学生を含めて6人に、この「君子豹変、小人革面」を知っているかと聞いたのです。一人だけは原義を知っていましたが、半数以上が知りませんでした。大半は、立派な人の言行が突然悪くなるという意味だと思っていて、これは今の日本と大体同じです。字面だけ見るので、そのように解釈するのでしょうね。
どうしてこのことを書いているかというと、学生の一人と研究の進め方を相談していたのですよ。他の人たちと協力して研究をするよう勧めたのですが、あれこれ理由を述べて反対します。
とうとう、ぼくは匙を投げたのですが、しばらくしてやってきて、先生の意見の通りにします。あのままでは自分は小さな人間のままです。「水清くして魚棲まず」と言います。自分は度量の広い人間を目指します、と言ってきました。
それでこの「君子豹変」を思い出したのですよ。
ぼくは、「君子豹変」を立派な人は間違いに気付くと直ぐに心から行いを改めるのだと言う原義で使って欲しいと思います。つまり、過ちを認めて正せる人は立派な人なんだよ、って言えるでしょ。だって、そのようなことを一言で表現する言葉は他にないのですものね。
なお、「水清くして魚棲まず」の出典は「漢書」「宋名臣言行録」だそうです。(引用3)
(引用1)故事百選
http://www.iec.co.jp/kojijyukugo/vo01.htm
(引用2)易経 君子豹変す
web.kyoto-inet.or.jp/people/yoochida/kunsi.htm
(引用3)故事百選
http://www.iec.co.jp/kojijyukugo/vo04.htm
カテゴリ:研究室風景
さえ:
今日は中秋節で、国慶節の始まりの日です。中秋節と重なったのは偶然です。
昨日は最高温度が13度、最低温度が9度で、今朝の最低温度は3度と冷え込みました。でも朝から久しぶりの快晴で、日中は17度まで気温が上がるという予報です。
昨日は新入生の軍事訓練の打ち上げの日で、二日続きの雨でぬかるみになったグランドの上で、駆けたり、団体競技をしたり、行進をしたりで、お疲れ様でした。
朝、大学に来ると1週間の休暇にうちに帰る学生が、三々五々荷物を引いて寮から歩いていました。この中秋節の休暇に全国で7億人もの人々が旅行するそうです。(引用1)
うちの研究室は今日の日曜日だけ休みですが、後は休みではありません。実際、1ヶ月前の夏休みを休んだ院生はまだ細胞培養が軌道に乗らず実験が始まっていません。休んだ期間と同じくらい能率の上がらない時間を過ごしてしまうことを理解しないといけません。
その中秋節の前日の昨晩、瀋陽に戻ってきた王璞夫妻が、ぼくと陽暁艶を食事に招いてくれました。新洪記。四人でおいしい食事を食べながら歓談が続きました。
ぼくが一番考えているのは、王璞は別の大学のスタッフですけれど、うちの研究室の特別研究員(特任教授なんて名前はどうかなあ)として招いてうちの学生の研究指導に参加して貰う事です。名前なんか無くたってどうでもいいけれど、後で意味の出てくる名前があるといいですね。
だって、だってですよ、何が足りないって、ここには研究の話が対等にできる科学者が周りに全然いないのですよ。おさえちゃんと何時も研究の話をしていたのに、それができなくなってほぼ二年。
ぼくのアイデアを批判できる人が誰一人いない状況でやっているのです。自分の考えが正常でないかもしれないことは百も承知だから、何時も不安です。
王璞は東北大学の副教授で当然上にボスがいるわけで、そこの関係を損なってはいけませんね。
でも、研究室では上のボスから気に入られると、なかなか手放してもらえず、独立するのに時間が掛かります。ボスに楯突いてボスから気に入られないと、独立の機会が早いのは、何処の組織でも同じですよね。
このことは、王璞にも言っておきました。となりで陽暁艶が、あら、そうなの、私も独立するためには先生に楯突かなくっちゃ、このままじゃ私の独自の将来はないわね、みたいな顔をしています。アハハ。
ともかくまずは、王璞夫妻ををうちの院生たちと一緒の食事に招いて、彼の研究の話をして貰いましょう。
(引用1)『中国国慶節、旅行で7億人以上が移動 尖閣で日本観光冷え込む 』
日経新聞 2012/10/1
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
昨日の中秋節は、初めて中国人のお宅に食事に招かれました。
中秋節はまん丸の満月のように欠けることなく家族すべてが集まってお祝いをする日なのですね。劉凱さんは自分の家族の集まりは昼にして、夜をぼくたちのために空けて付き合って下さいました。
食事の後、「今日は月餅を食べる日ですよ」と言われて、あちこちから戴いた月餅をこのところ毎日食べていましたけれど、今日この日に食べるなんて知らなかったと口に出しつつ、月餅をご馳走になりました。
満腹のおなかを抱えて、満月に照らされながら辞去したのは9時を過ぎていました。
カテゴリ:研究室風景
さえ:
この9月で修士課程の二年生になった林音知が、ジャーナルクラブでCellに載った論文を取り上げたのですよ。Impact Factorが高いと言うことは内容もしっかりした良い論文の筈です。
Angelman Syndromeという遺伝子疾患では、ユビキチンリガーゼ3Aに欠陥があることが今では分かっています。
Wikipediaによると『Angleman症候群(AS)は、重度の精神遅滞・てんかん・失調歩行などを主徴をする奇形症候群. Happy puppet(笑顔の操り人形)とも称されるこの疾患の特徴は、意味のある言葉のでない重度の精神遅滞・小頭・両手をたたく動作・筋緊張低下・落ち着きがないこと・けいれん発作・笑い発作(誘因のない笑い)など.原因は、母由来15番染色体上のUBE3A遺伝子コピーの欠失または変異による機能不全とされる』
ユビキチンリガーゼ3Aの欠陥がなぜこのように重篤な神経疾患を引き起こしたかがこの論文の主題です。
この論文第1図では、ユビキチンリガーゼ3Aの転写制御因子がMEF2であることを示すのですが、第1図の先ずAでは新生児マウスの海馬細胞を使って、神経伝達物質の一つであるグルタミン酸の刺激で、NMDA受容体が活性化されてユビキチンリガーゼ3Aの生産が上昇することを見ています。
林音知はグルタミン酸の刺激でユビキチンリガーゼ3Aが増えたと言うだけで、どんな実験条件なのか、ちゃんと論文を読んでいないのですよ。実験条件が分からないでいて、結果だけを一生懸命強調しても、その意味はぼくたちには伝わりませんよね。結局18日のマウス胎児から取った海馬細胞を10日培養して、それに様々の薬物を与えてユビキチンリガーゼ3AのmRNAの増加を調べたことが分かりました。
マウスを新しい条件に置くと、ユビキチンリガーゼ3Aが増えるという話も、どんな条件なのか(きっと、Angelman Syndromeの子供では、新しい刺激に興味を示さないからでしょうね)知りたいですが、不明のまま話が進みます。
つぎは、何やらごちゃごちゃ言っているうちに、MEF2がユビキチンリガーゼ3Aのプロモーター配列に付くMEF2が話で出てきました。
詳しく追求していくと、ユビキチンリガーゼ3Aの発現を制御する転写制御因子TFが何であるかを知りたいので、ユビキチンリガーゼ3Aのプロモーター配列に付く可能性のあるTFを探したら(これはデータベースを調べることで予測可能です)MEF2が浮かび上がったと言うことでしょう。次はそれを証明することですね。
予想通り次の実験はMEF2のSiRNAを与えると、グルタミン酸によるユビキチンリガーゼ3AmRNAの増加が阻害されます。さらに、MEF2がユビキチンリガーゼ3Aの転写因子であることを言うために、次にはクロマチン免疫沈降ChIPをしたのですよ。
ところが、林音知はクロマチン免疫沈降をちゃんと理解していないのです。
細胞を可溶化して、MEF2の付いたビーズを入れるとこのDNAがくっついて沈殿するんだなんて言うのです。実験の目的と内容を自分が知らないのに、勝手に都合良く想像で実験を理解して、本文で著者が主張していることをしゃべっているのです。
ともかくふざけた話ですね。論文をいい加減に読んできて人前で話すなんて、科学をいい加減に扱っているふざけた態度です。これは、聴いていている人を馬鹿にしています。
ここまで、先ず著者の言いたい一つの内容(著者の主張)を裏付ける第一図の中に6個の図がありましたが、ぼくが黙っていると、林音知の意味不明の説明で話が進んでいくと言うことは、聴いている人も分からないまま受け入れていると言うことになりますね。
このところずっと、研究室の外から10人近くの学部学生が聴きに来ているのですが、このJournal Clubは国慶節休暇の始まる前日だったので、休暇を増やすためでしょうね、誰も来なかったからうちの学生だけでした。
ですから、遠慮なく話の筋をはっきりさせるよう、ぼくは質問をし、解説を加え、実験が実験として理解できるようにしました。第一図が全部済むまでに、2時間ですよ。林音知の面子を潰しっぱなしでしたが、こればかりはやむを得ません。
ともかく、ぼくが腹を立てずに二時間、たった一つのセクションの説明をさせるのに我慢強く付き合ったことを、褒めて欲しいものですね。まだあと図が6個残っていますが、来週に回しました。
カテゴリ:日本の将来
さえ:
中国にいて、Yahooニュースと、日経新聞をネットで見ることはできます。今まで、一度だけYahooが三日間見られないことがありましたが、そのときだけで済みました。
南の島を巡って言葉の激しい攻勢の始まった頃から、BLOGOS、日経ビジネス、JBPress、Daimond online、現代ビジネス、WEDGEなど、論説の載ったメディアはことごとくコンテンツも見ることができず、アクセス不能となりました。
今は目次を見ることはできますが、見たいトピックをクリックすると、一瞬内容が現れますが直ぐに、「百度」で覆い隠されてしまいます。
それで世の中のニュースに疎くなっていますし、日本の様子というか反応もよく分かりませんが、いつかの靖国を巡る対立では、時間が経てば平静に戻りましたよね。
以前の、2005年や2008年のデモの頃は、対等の付き合いをしたいのに日本の歴史認識がおかしいから改めろという主張に思えましたが、今は、国力が逆転して日本を見下し、声だかに中華民族の復興をさけび、百五十年の失われた誇りを取り戻そう、今までじっと隠して蓄えていた力を示すときが来たのだと言う印象を受けます。つまりほとんどの民衆は力の行使を支持し、以前の屈辱の報復をしようとしているようです。
つまり、南の島を巡って明らかとなってきたこの国の本質的態度は以前とは明確に変わったので、時間が経っても友好的になるとは思えません。
今、両国間で戦いをすることは経済的に大きな損失でしょうから、指導者は戦いに持ち込まないようにしつつも、大衆の怒りを静められないとなったら、あるいは日本の後ろ盾となっている国がこの争いには介入しないと見極めたら、日本にとって最悪の事態があり得ます。
これに対して、と言うか、そうならないように、日本はどう対応し、対処する気なのでしょう。以前の自民党も含めて、近隣諸国の気持ちを荒立てないように、ただ平穏に済むように、何もしない、何も無かったようにしてきましたが、そのやり方がすでに破綻したのははっきりしています。
世の中で言い分を通すには国力、その代表である軍事力無くしては無力であることは古今東西の歴史が教えています。1945年に戦いに敗れて世界平和を願った日本人は、その願いを信じるだけで世界が変わると信じていましたが、世界は何一つ変わらなかったのですね。
中国がおとなしく韜晦していたのは国力、軍事力を養う間だけだったと言う現実に気付いて、ただ腰を抜かして、平和にやりましょうよ、暴力はいけませんよと呟くことしかできないのが日本人だなんて、あまりにも情けないことだと思います。
それなのに、日本はリーダーとも言えない小粒な人たちが、政争に明け暮れています。
日本の優れたリーダーは、田中角栄と橋本龍太郎の二人だけだったなんて言う呆れた見解(引用1)もありますから、誰が真のリーダーシップを持っているかどうか、直ぐには分からないのかも知れませんけれど、中国の指導者育成と選別方式を見ると、敵わないなあと思ってしまいます。
それでもこの国に潰されないために、日本のリーダーに知恵を絞って欲しいと切望しています。
(引用1)『米中の頭痛のタネになった日本=リーダーがいない政界―米華字メディア』Record China 10月3日
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
10月1日の国慶節休暇は世間と大学だけで、うちの研究室は何時も通り全員が研究生活をしています。
その初日、陽暁艶と崔玉婷が小さな犬を抱いてぼくのオフィスにやって来て、びっくり。
まだ1ヶ月そこそこで目がやっと見え始めた感じの、黒・茶・白の実に犬らしい配色ので、まだ両の手のひらに乗るくらいの雌犬です。大きくなると柴犬位にはなりそうな骨格です。
ヨーグルトを指につけると、指を舐めて口に咥えてしゃぶります。まだ母親のそばにいれば乳を飲むくらいの幼さですが、中国ではまだ危ないくらい小さい子犬を親から離して飼いはじめるみたいです。日本も2ヶ月弱で親から離してしまいますね。3ヶ月くらい置いておいた方がいいと専門家は言っていますけれど。
聞くと、隣の研究室の学生が実験室で飼っている子犬で、しかし本人は国慶節休暇で遊びに出掛けてしまって、研究室に残っている人たちに預けて出掛けてしまったそうです。預けられた人たちは犬が好きでもなく、昼も夜も箱に入れたままにしていて、その鳴き声でうちの学生が気付いたと言うことのようです。
しばらくぼくのオフィスで遊んでいたので、後で実験室に行くと、シャワーを浴びて綺麗にしてもらったあと、寝てしまった子犬を学生が大事に抱きかかえていました。実験室の床も、ゴキブリ退治の薬が落ちていてはいけないと言って、全員で綺麗にしたそうです。
最初の夜は、陽暁艶が宿舎の自分の寝室に連れて帰りました。子犬の面倒を見るのは、結構大変なことですよね。翌朝7時に陽暁艶がちっとも寝られなかったと言ってやってきました。自分のベッドの上でオシッコをされてしまったそうです。
うちの研究室に連れてくると始終相手をしていないといけないので、時々ですけれど毎日、この子犬はぼくのところにもうちの学生に連れられて遊びに来ています。昨日はちょうどグロサリーから帰ってきて、挽肉を小分けにしていたところなので、肉の汁の付いたトレイを床においたらそれこそ驚喜して綺麗に舐めました。ちょっぴり挽肉をやったら、それも一呑みです。
ぼくたちに慣れてきて、短いしっぽを振り降りついて歩くだけでなく、足先につま先立ちで飛びついてきます。犬は生まれながらにして、人が好きで人に親しく従い慣れ親しむよう遺伝子に組み込まれているのですね。このように無防備に可愛い姿を見ると、このまま犬を飼いたいと言う気持ちになってしまいます。
このまま中国に居続けられるなら、万難があろうとも飼い始めたいですよね。
だって、日本でリタイアしたら盲導犬パピーの里親になるつもりでいましたが、さえはぼくを独りぼっちで残してしまったでしょう。
盲導犬協会に問い合わせたら、里親は一人暮らしでは家庭の温かさを子犬に与えられないから、駄目なんですって。
それならせめて中国で犬を飼いたいけれど、グリーンカードも通る見込みが無くなってしまったし、実に残念ですけれど、ここで犬を飼うこともできない相談になってしまいました。
カテゴリ:研究室風景
さえ:
犬を飼いたいのに、日本に戻っても念願の盲導犬パピーを育てることは駄目だと盲導犬協会に言われているし、中国のグリーンカードはあと4年経たないと申請できないことが分かったけれど、それ迄ここにいられないから絶望だし、犬も飼えないとがっかりしていたのを案じたのでしょうか、昨日の夜8時半頃、陽暁艶と崔玉婷がうちにやってきたのですよ、あの子犬を抱いて。
それで、飼い主の学生は休暇から戻ってきたけれど、夜は面倒を見ていないので、連れて行って良いというので借りてきました、今晩一緒に遊んであげて、っていうのです。
藪から棒の話でしたが、目の前では可愛い子犬がしっぽを振っています。一晩くらいならいいか、と引き受けてしまいました。
お腹が空いたときのためのミルクがあるとミルクのワンパックと、タオルが3枚。
この子犬は、飼い主に聞いたら、小黒(シアオヘイ)だそうです。
箱を見つけて入れたのですが、ぼくを見上げて出たがるので、つい抱き上げて一緒に遊んで、もじもじしたときは床においてオシッコをさせて、まだベッドの上で相手をして、気付いたら夜中の2時です。ベッドの置いてある部屋の一部にこの箱を置くと部屋が仕切られてチビクロの居場所になるので、一カ所のタオルを置いて寝ることにしました。それまでにオシッコ4回、ウンチが2回。
何時もの5時には目が覚めなくて起きたのが6時。シャワーを浴びてから大学に一緒に行きましたが、うちにいる間に、オシッコが8回、ウンチが3回。
寝不足で頭が重い一日でしたが、二年前の卒業生の方家さんが訪ねてきてくれました。北大の修士課程をこの夏に終えて、北京のMerckの研究職に就職したそうです。良かったですね。三日後の月曜日から働き始めるということでした。
元々、この国慶節の休暇のあいだうちの学生は全員が研究を続けたので、夜は羊蠍子レストランに行こうと言っていたのを昼食に変えて、全員で一緒に羊のしゃぶしゃぶを食べました。
気付いたら、方家と日本語を夢中でしゃべっていました。うちの学生は皆呆れた笑い顔です。だって、日本語を話すことが全然無いんですものね。方家はきちんとした日本語を話すし、ともかく、こうやって訪ねてきてくれて嬉しいことでした。
彼女の北大の研究室は今度一緒に北京に旅行に行こうという話になっているそうです。皆に可愛がられたのですね。これも嬉しいことです。再見
カテゴリ:さえへの日記
さえ:
昨夜も二晩続けて、小黒(シャオヘイ)をうちに連れてきました。12時まで寝顔を時々眺めながら本を読んでいたのですが、朝5時にはチビクロが動いている音で目を覚ましました。ベッドの上に持ち上げて隣に載せると、ぼくの顔を、鼻と言わず口と言わず舐め続けます。そのうち耳に噛みつかれました。手で包むようにしていると指を噛みます。甘噛みというか、歯茎が痒くて噛んでいるのか。子犬の歯は鋭いですから、結構痛みを感じます。
歯というと、子犬も人同じで今が乳歯でやがて生え替わりますね。生き物ですから歯が抜けたら生きていけません。これに比べると人は、自然の寿命以上に生を生きていますね。
『日本人の歯の損失 50歳で4本、60歳で8本、70歳で15本の報告』と言う記事がありました。(引用1)
ぼくが子供の頃、お祖母さんは総入れ歯でした。母も50歳を越してから入れ歯を作っていましたから、人は年を取れば歯を失うのは当たり前と思っていました。
歯はちゃんと磨きなさいとしつけられていたけれど、今みたいに、80歳の時点で32本の歯のうち自分の歯を20本以上残すなんてキャンペーンはなかったし、どのように歯を大事にするかについても、無知でした。
ですから、歯を磨く代わりに、歯磨き粉を口に含んでクチュクチュしてお終いにしたことも記憶に残っています。今から思うと痛恨の極みですね。
手入れの悪い上にクラリネットを吹いていたし、20歳からはパイプも吸っていましたから歯に良い訳はなく、30歳で下の4本の前歯と上の前歯も1本歯槽膿漏(今で言う歯周病)のために抜歯して、人工の歯になりました。
1970年頃でしょうか、その頃あった「暮らしの手帖」で歯を磨いて出血するのは歯槽膿漏に掛かっている、一番良い治療法は、血が出ても気にしないでともかく歯茎を歯ブラシで丁寧に磨くことだ、歯ブラシで磨くときに歯磨き粉をつけるとブラッシングが続けられないので、歯磨き粉を使うな。根気良いブラッシングでいつかは必ず治ると言う記事を読みました。
実際、何時も歯を磨くと歯茎の出血があったのです。それからは花森安治の勧めるとおり、ひたすら磨き続け、磨いても出血しなくなったのはそれから二年くらい経ってからでしょうか。
堅い歯ブラシから、今の歯周ポケットケア極細毛の歯ブラシに変わっても、未だに歯磨き粉をつけずにひたすら歯茎をブラッシングしています。手抜きをすると、歯茎から出血することもあるので、歯周病そのものは全治した訳ではないでしょうが、歯医者さんでは、何時も綺麗です、歯垢もないと言われています。
60歳を過ぎて、むかしの虫歯の歯がとうとうやられて1本を失い今までの損失は6本です。『日本人の歯の損失 50歳で4本、60歳で8本、70歳で15本の報告』と比べると、出だしは最悪でしたが今は盛り返していますね。
しかし、もし長生きしたらいずれ惚けるでしょう。つまり自分で自分のことができなくなりますね。惚けたら歯をブラッシングしなくなって、たちまち歯が悪くなるでしょう。惚けたら、元々酒が好きなのに膵臓のために禁酒していますから、酒を痛飲してたちまち膵臓をやられてしまうでしょう。
それですから、惚けるまで大丈夫という時限爆弾を仕込んだ感じです。惚けるまでは元気でいられて、惚けたらお終いという良い線を行きそうです。
(引用1)『日本人の歯の損失 50歳で4本、60歳で8本、70歳で15本の報告』NEWS ポストセブン 10月5日
カテゴリ:さえへの日記
さえ:
子犬が来た晩は4時間。次の夜は5時間しか寝られなかったのですよ。それで昨夜は子犬を断って独り寝を楽しみました。
夜の9時に寝て朝5時の目覚ましで起きられず、起きたのがやっと7時。10時間も爆睡してしまった勘定です。
うちの学生は、先生は犬が飼いたかったのだし、子犬のいる生活ができるのだから良いじゃないの、しかも責任を取らなくて良いしと言いますが、子犬のオシッコに我慢しながら、いずれしつければ仲良く暮らせる事になる訳ですよね。でも、この子犬はいくら我慢しても、ぼくの犬じゃないので見返りがないですのです。
子犬に付き合って一時期は大変な思いをするのだから、見返りが無くっちゃね。
今日も研究室には、子犬が連れてこられました。歩くと唸りながら足に飛びついてきます。いすに座ると、脚下に座ってズボンの先や靴にしきりに噛みついています。動くものを攻撃するよう遺伝子に組み込まれているのですね。
午前中はヨーグルトを三回も食べて、QQ糖も食べました。日本で言うところのグミです。ゼラチンが主成分ですから、当然喜んで食べますよね。
昼はぼくたちの食べ物の一部を分けてやりました。挽肉をよりだして与えていたのですが、うどんを子犬の皿に載せると、肉と全く区別無く食べます。
うちのジロチャンも、うどん、ラーメン、スパゲッティの類いが大好きでしたね。ワンワン物語りにも、スパゲッティを同じ皿から食べていた二匹の犬が、同じ1本を二匹で咥えていて、最後はキスになってしまいましたね。レディちゃんとノラ公だったっけ。中学生の時に学校でクラスごと連れられて映画を見に行った思い出です。
でも、調べてみたら、このディズニー映画は1955年制作、日本公開は1956年と言うことです。と言うことは、見たのは大学生の時ですね。50年も経つと記憶はこのようにいい加減なものになってしまいます。
それにしても、さえとなら「わんわん物語り」から始まって、いろいろと映画の話ができたのにね。何があっても、最後は、さえがいなくなって寂しい思いを噛みしめています。
今週の土曜日の「瀋陽日本人教師の会」の定例会の日の前に、役員から議題が送られてき他。それによると、
3 その他の議題、提案、連絡事項など
・執行部体制の導入
・会員資格から国籍の削除
・上記の提案が議決されれば会の名称の変更
と言う議題提案があって、提案内容は書いてなかったが、「会員資格から国籍の削除」という議題がある。今までの会員資格は日本人であって専家証があるか、学校からの招聘状がある人およびその家族が会員の条件だった。
国籍条項をなくすと言うことは、おそらく中国人教師も加えて会の規模を広げ、そうなれば「瀋陽日本人教師の会」から「瀋陽日本語教師の会」という名前に変えるということだろう。
会員が今は13名しかいないから、会員増のための改革としては正しい方向かも知れない。
ただし何のための会員数の増加なのか?そこから考えるべきではないか。
今まで瀋陽日本人会主催の「瀋陽日本語弁論大会」の実際の実行面を受け持っていましたが、会員が30名いた頃はともかく今みたいに20名を切ると大きな負担となる。弁論大会の実行面を受け持つには、会員数の増加が必要で、現状でそれは無理ならば、中国人教師を加えようと言うことだろう。
以前これが試みられたけれど、それが長続きしなかったと聞いている。どのようなことだったかを知りたい。
この教師の会が瀋陽日本語弁論大会の実行の下請けをすることに生き甲斐を感じているかどうかを、私は問いたい。日本人会から見下されてもなお、学生のためにやりたいなら、続ければ良い。私はこれには冷淡だ。直接学生と接触していないからだろうが、弁論大会を止めて日本語文化祭に集中したらよいと思う。
弁論大会を続けるために会員数を増やすことを目指すとして、中国人会員を増やすことは大いに意味があるでしょうけれど、私にとってはそれだけでは意味がない。広く、日本語を媒体として日中友好を目指す中国人も集まる会(つまり瀋陽日中友好協会とでもいうのかな)になるなら賛成だ。
従って、今の「瀋陽日本人教師の会」が「瀋陽日本語教師の会」に変わってしまうなら、私の居場所はない。今の組織はそのままにして、別に、新たに「瀋陽日本語教師の会」を作るという考え方もありではないだろうか。
ただし、今は両国の間は実に微妙な時期ですから、中国人がこの会に参加したがるかどうかは疑問である。
このように大きな意味のある改革を持ち出すなら、定例会の議題に載せるだけでなく、提案内容も事前に知らせて十分考える機会を皆に与えると良いのではないかと思う。もちろん、私は直ぐそのように返信した。
カテゴリ:中国の生活
さえ:
南の小島の領有権を巡って日本と中国の対立が深まっていますね。激しい打ち壊しを伴う反日デモに続き、通関の遅延、企業間の商業活動の突然のキャンセルなどのほかに、日本人作家や日本関連書籍の出版も禁止されました。
まるで時代が70年遡ったみたい、デジャビュー(既視感)ですね。いや、実際に経験しているから、デジャビューとは言えません。
あの頃、アメリカと戦争を始めた日本では、英語は敵性語とよばれるようになりました。野球の、ピッチャーの投げるストライクは「真ん中」、ボールは「外れ」と言い換えられましたね。
ファースト、セカンド、サード、ショートストップに一塁、二塁、三塁、遊撃などの名前が与えられたのもその時じゃないでしょうか。
いや、昔の日本は外国のものを取り入れては日本名を巧みにつけていましたから、ベースボールが伝来したときから、このような名前がつけられていたかも知れません。少なくとも、対米戦争の時からは、英語が日本から消えましたね。
パーマを掛けた婦人に襲いかかって、髪の毛をはさみで切るという蛮行もあったと聞いています。この間の反日デモでは、日本車に乗った男を引きずり出して鉄棒で殴って瀕死の重傷を負わせたという記事がありましたっけ。
日米戦争の頃、一方のアメリカでは日本と戦うために日本語教育を急増で盛んにしたのですよね。日本語が分からなければ戦いに不利だ、さらに戦後の日本占領政策まで見通して日本語が分かる人を急速に増やしたのです。
中国古代の孫子の言う「敵を知り己を知らば百戦危うからず」(引用1)を日米戦争の時にアメリカが実行したのですよ。英語を一掃した日本は戦いに負けてアメリカが勝ちました。これだけが原因ではないですけれど、日本の狭量さが(海軍と陸軍が伝統的に犬猿の仲だったことも)敗因の一つですね。
さて、いまやどうでしょう、中国の対日報復のこのえげつのなさ。自称大国のすることとは思えません。
でも、今ではものの言える人たちも出てきました。『<尖閣問題>中国が日本書籍の発禁令、台湾の作家が「国民の視野を狭めるだけ」と批判』(引用2)と言うのを読みました。この台湾人の意見を載せているのは、中国紙の南方週末だそうです。
『どんなに強い怒りがあろうとも、本棚から本が消えるようなことがあってはならない。本は社会にとって最も重要な心の窓口である。その窓を閉じ、人々を何の変化もない環境に閉じ込めても、嫌な相手を痛めつけることにはならない。かえって自らの心を傷つけるだけである』
本当に平和的台頭により世界秩序の安定を求めるなら、この国はもっと大人らしく振る舞うべきでしょう。
(引用1)故曰、知彼知己者、百戦不殆。不知彼而知己、一勝一負。不知彼不知己、毎戦必殆。
(引用2)『<尖閣問題>中国が日本書籍の発禁令、台湾の作家が「国民の視野を狭めるだけ」と批判』Record China 10月9日
コメント:
老人が戦争したがる?? みのもんだ さん
山形先生、産経新聞の記事を転記します。リンクだけでは見られない可能性が高いため、原文もそのままコピーします。
歴史は生きていくが、歴史も繰り返すものですね。正しくても間違っても、結果が良くても悪くても、政治家が方向性を決めて、国民が付いていくのですね。
無論、中国を擁護するものではありません。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121013/plc12101300420000-n1.htm
前原誠司国家戦略担当相は12日のテレビ朝日番組収録で、沖縄県・尖閣諸島めぐる野田佳彦首相と石原慎太郎東京都知事の8月の会談内容を紹介、購入計画を表明していた都知事が中国と戦争になってもやむを得ないとの強硬論を展開したため、事態を懸念した首相が国有化を急いだとの見方を示した。
前原氏は、首相と知事が8月19日に公邸で会談した際の同席者から話を聞いたと説明。「首相は石原氏の発言にあきれ、国として所有しないと大変なことになると(考えた)」と話した。前原氏は「都知事がこういうことを言い出さなかったら、問題は起きていない。(都は)自衛隊も持っていないのに気合だけで言ってもらっても困る」と批判。政府の国有化の意図について「中国政府の上層部まで届いていたのは間違いない」と強調した。一方、藤村修官房長官は12日の記者会見で、首相と石原氏との会談に関し「2人だけで会話しており、誰も知らないはずだ」と指摘した。
(2012.10.13 08:22:49)
みのもんださん shanda さん
ここではいろいろのニュースソース、ブログや雑誌ののソースが開けないと書きましたが、日経ビジネスだけは邪魔されずに読めることがあります。
伊東 乾氏の2012年10月11日の記事『選挙公約に一切ない「尖閣」歴史に学んで変化の風を読む』で、ここに書いておられると同じようなことを知りました。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20121008/237769/?top_fcs
石原慎太郎が仕掛けた種が広がって今の両国間の緊張状態が生み出されたことが分かりますが、今の中国側の対応を見ると、いずれ、早かれ遅かれこういう事態になったでしょう。
日本側に尖閣諸島頭を巡る紛糾に対処する覚悟がなかったのに、いきなりこういう事になって日本は戸惑っていますが、太平の眠りからいずれは覚めないといけないのですから、そして起こってしまった以上は、良いも悪いもなく対応しないといけませんね。 (2012.10.15 09:10:24)
今、両国の関係が大変厳しくなっている。
それで瀋陽日本人教師の会の10月の定例会を、何時ものように瀋陽市図書館で開催しようとしたら、図書館が今回は見送って欲しいと言って来たという。
それを受けて教師の会の役員は、以前資料室が無くて各校回り持ちで定例会を開いていた頃を思い出したようだ。薬科大学の食堂の一室を借りて定例会を開き、終わってからそこで食事をすることが結構多かった。
先ほど会の役員から今週土曜日の定例会の場所の連絡があった。
食堂にでなく瀋陽薬科大学当局に定例会の開催について申し入れを行ったそうだ。すると、大学の首脳部が認可してくれて、今週の土曜日の午後、無事に食堂の一室を借りて教師の会が開かれることになったという。世知辛い世の中の状況を考えると、薬科大学の決断はとてもありがたいことだ。
数日前に瀋陽日本人教師の会に中国人を入れる動きがあると書いた。
今までの教師の会の歴史の中で、会員資格が厳しく規定されてきたし、中国人会員はいなかったが、それには十分な理由があるはずだ。それで、以前の代表の方々に以前の経緯を伺った。
石井康男先生によると、会員資格については、以前、観光ビザで中国に来て日本語学校で日本語教師をしていた人が教師の会に入り、それを盾にして公安に居留証の請求をしたそうです。
教師の会は非合法組織であるから解散させると公安が言うので驚いて十分の説明をし、
1.会員は正式に採用されて居留許可と専家証を有している教師に限定をすること、
2.中国人教師の参加は正会員ではなく活動内容によっては特別参加をすること、
と言うことで非合法団体のまま教師の会の存在が黙認されたのだとのこと。
それで、会員は日本人で専家証を有しているものに限定され、私が知っているときにも、確か南本先生が代表のときに、資格のない日本人が入ってきて、そして退会した。
中国人からの参加希望は何度もあったが、定例会は30名を超す人たちが集まっていたし、とても他の人たちが入る余裕がないし、本質的なことは議論されたことはなかったと思うが、遡ると、日本人だけに会員を限る理由があったのだ。
この教師の会が非合法団体で、その存在は黙認されているに過ぎないと言うことを忘れてしまうと、何かの時にそれに焦点が当てられた時に大変やばいことになる。賢明な中国人は、そういうものには近づかないだろう。
会員が足りなくて活動も危ぶまれる状態となった今、中国人会員の参加を考える前に、瀋陽に在住していて参加しない日本人に参加を呼びかけるのが先ではないか。
それでも会員が足りなくてたとえば弁論大会が手伝えないとなったら、主催の日本人会に返上したらよい。会員の親睦を目的とする会の目的を忘れると、ろくでもないことになりかねない。
カテゴリ:研究室風景
ってありさえ:
BBRCに、ぼくたちはよく論文を出しているでしょう?
投稿すると1週間くらいで、Yesか、Noが返ってきます。Acceptか Rejectionしかなく、ともかく反応が早いのがいいですね。その代わり、審査員の意見を聞くことはないので、審査員の意見を聞きたいときはJBCに論文を送ります。いや、もう、その厳しいのなんの、向かっ腹を立てながら、それでも貴重な意見だと納得しつつ返事を読みます。
いままでBBRCで一度だけ断られたときに、ReviewerがいまはBBRCの程度がぐんと上がっていて、この内容では受理できないと書いて、何処に難点があるか指摘してくれました。
今朝、陽暁艶が来て言うには、BBRCに投稿して審査員から書き直しを求められている人が学内にいるのです、審査員は、英語の堪能な同じ領域の同業者に徹底的に論文を見て貰えと言って来ているそうですが、先生、見てあげてくれませんか?
ぼくが英語が堪能というわけはありませんが、長年科学論文を書いてきていますから、多少分野が違っても同じ細胞生物学や分子生物学なら、理解できて、論文の組み立てができるでしょう。
それで投稿した学生に会いました。そのとき、投稿したときの最後の修正論文と、審査員の意見を持ってくるように言ってありました。
彼女と面と向かい合って、話ながら書類を見ると、BBRCからの意見が三回出てきます。つまり、論文を送って、言われたとおりに修正して、またそれでも意見を言われて二回目を送って、そしてそれに対して三回目の意見を言われているのです。
しかも審査員ではなく、BBRCが受け取って先ず事務レベルの対応でした。三回とも、これでは審査に回せない。英語が良くない。構文が不明瞭である。たとえば、、、。今まで指摘したところだけを直してきているけれど、そうじゃないんだ、全文に亘って専門の同業者に見て書き直して貰えと書いてあります。
三回も同じことを言ってくるなんて、BBRCの忍耐力って、驚きですね。
英語は科学英語の専門家に見て貰ったかと彼女に尋ねたら、教授の知り合いのnative speakerに見て貰ったと言うことですが、普通の人だと科学論文の論理を理解しないで英語だけ直したのでしょう。
それで二回修正した論文をちらりと読むと、ぼくでも直ぐに分かる不適切な、そして間違いの表現が随所に出てきました。確かに科学論文の体をなしていません。
ちゃんとした実験結果の材料があるのに、それを科学論文にするところがうまくいかないなら、手伝ってあげましょう。今まで好きなことをやって生きてきましたが、あとは少しでも人の役に立つ人生にしましょう。
13日に開かれた日本人教師の会の10月定例会は13人が集まったりました。
新しい代表が選ばれたのが9月だから、言ってみれば新しい代表が初めて仕切る集まりとなった。議題に、執行部体制の確立というのがあった。
私たちは会社や組合にいたことがないので、執行部なんて言葉はなじみが無く何を意味するかよく分からない。しかも、どうしてこれが必要かも分からない。説明を聞いてみると、諸問題の解決に向けて迅速かつ的確な会の運営のためであり、会員の個別の対立を避け、会本来の目的である会員相互の親睦と中日友好を目的にするためだと言う。
執行部体制と聞くと何やらおどろおどろしく思いますが、代表と副代表3名の4人に加えて、資料室、広報、弁論大会、文化祭、書記会計などの係の代表を加えて、諸問題の解決に向け迅速かつ的確な対処をするとの説明だ。
趣旨は結構なことだと思雨が、ここに挙げた人たちを数えると全部で9人となる。会員が新しく遼寧大学に神奈川県から派遣の三枝先生が増えて14人となったので、14人の中から9人が特別に議論して決定をするグループを作り、あとの5人は定例会に来て決まったことを聞かされるだけになrわけだ。
もしも私がこの5人に入るなら、こんな会には参加したくはない。と言うことは、この案に現状では賛成できない。
以前、30人を超える会員の時には、各係の代表が集まって会の運営で代表を支援する体制(今ここで言う執行部になる)にしたらよいと思っていましたが、今は人数が少なすぎる。
人数が増えて、必要となったらやればよい。
しかも必要性が今ひとつ飲み込めない。
確かに暗黒時代の二年間を過ごしたあと、そのもやもやを払拭するために新しい代表がいろいろと考え改善しようとしていることは分かるし、その気持ちは尊重したい。
でも、以前の確執の大半は無能な代表のためだった。新しい代表が会員と意志の円滑な疎通を図る気でいたら、そして代表が自分は代表だから違う扱いを受けて当然という特権意識を持たりしないで、会員の間の親睦に最善を尽くす気でいたら、『会員の個別の対立』など起こらずに仲良くやっていけるのではないかと思う。
そのために、この9月新しく代表に立候補した鈴木代表を支持しているのだ。
小さな集まりで体制作りにこだわるよりも、代表のすべてに亘る公平さ、人に対する心の暖かさこそがこの集まりの大事な中心だろう。代表が中心となってこの瀋陽における小さな集まりが、いつか振り返って思うとき心の中に輝く灯火であるようなそのような日本人教師の会にして欲しいと思う。
今回の議題の一つに瀋陽日本人教師の会の会員資格に「国籍が日本人であり、専家証あるいは学校からの招聘状があること」と言う、いわゆる国籍条項があるが、これを削除したいという議案があった。
つまり中国人教師の参加に門戸を開こうという考えで、この議題はあらかじめ予告されていたから、準備をしていた。
この議題が提案されると、一人の先生が大変結構じゃないですか、そうやって会員も増えると会員の減少に悩む必要もなくなるしと言う発現があった。
実際日中友好という観点からすると中国人教師も参加する集まりがあっても良いと、ぼくも本心で思っている。
これは会則の変更になるので、それでは決を採りましょうと代表が司会の先生に提案するので、「ちょっと待って下さい、資料も用意していますが、歴史的に見て、この中国人教師の参加問題は落ち着いて考えないといけないことなのです」と私は発言した。
前にここに書いているように以前の代表から、どうしてこの国籍条項を作って会員資格を限定しているかを聞いたときのメイルを資料として配った。
『この教師の会は非合法団体で、単に黙認されているに過ぎないということです。実際に問題が起きて以前の代表が苦労したときから10年以上経っていますが、両国の関係は依然として良くなっていません。つまり、何でも起こりうると言うことです。何か起こると(公安当局の責任者が変わっただけでも)この会の解散、責任者の投獄、国外追放があり得るので、危ないことは避けたほうがよいのではないですか』
新しい代表の提案に反対することはとても心苦しいものがあった。
今の両国の関係から見て、中国人教師が積極的に日本人教師と手を組みたいと思うかどうか分からないが、日中友好あるいは中日友好をうたう別の集まりを作ったらいいのではないか。別の会を作って中国人と日本人が一緒に何かの活動をするなら、そこで何かが起きても、この瀋陽日本人教師の会は守られわけだ。
カテゴリ:生命科学
さえ:
この大学の別の研究室の学生の書いた論文を、科学論文として書き直すことを引き受けたと書いたでしょ。実験をした学生の名前が一番最初にありますが、沢山の共著者の後ろに、教授と副教授がふたりともCorresponding authorとなっているのですよ。こんなことは見たことがないですね。
実際に読んでみると、大変なことが分かりました。
低転移性の細胞と高転移性の細胞を使って細胞膜のあるイオンチャンネル(ここでは仮にICNBとしますね)の発現を見ると、高転移性にだけICNBが発現しています。
細胞の移動度を調べると、これは腫瘍細胞では常識ですが、低転移性の細胞よりも高転移性の細胞の移動度が遙かに高いです。
それじゃ、ICNBの発現と移動度の高さを関係づけよう、ICNBの発現で移動度の高さを実験的証拠を出して説明しよう、というのなら理解できます。
それを証明するのに、発現をSiRNAで抑える、さらには逆にその発現をcDNAを入れて増加させる、すると移動度がどうなるかですね。正の関係があるなら、ICNBの発現をSiRNAで抑えると、移動度が下がり、ICNBのcDNAをtransfectしてICNBの発現を増やせば移動度が上がるはずです。
ところが期待に反して、ICNBの発現をSiRNAで抑えると、移動度が上がり、cDNAをtransfectしてICNBの発現を増やすと移動度が下がりました。
まだ実験が足りませんし、P値が計算されていませんが、こういう結果になったのです。
以上のことを言うのに、結果の並べ方が論理的でないし(筋道が直ぐに理解できるように実験結果が並べられていない)、図の精度が悪いし、投稿するためにはまだ手を入れなくてはいけませんが、ぼくとしては実験結果を論理的な順に並べて、しかもきちんとした英語にしました。実際、この作業に二日掛かった感じです。
だって、何処が悪い、ここが悪い、なぜ悪いかと口で言っても、しかも英語で言わないといけないし、相手の英語はおぼつかないものですしね、旨く伝わるかどうか分からないから、書き直した方が早いですよね。
でも、一番肝心なのは、ICNBを発現している腫瘍細胞の移動度が高いのはICNBを発現しているからだという証明が全くできていないことです。
ICNBを発現させると移動度が下がるし、ICNBを抑えると移動度が上がりますから、ICNBが、移動度に関係しているらしいとは推測できても、現象を説明できない以上説得力がありません。
Discussionでどう議論するかを見たのですが、何もまともに議論されていなく、
Discussionの体をなしていないと言って良いでしょう。でも、ここまでぼくが手を入れることはないですね。
このDiscussionの書き方で、著者の真価が問われると言うと大げさですが、この領域に詳しい人が読むと、著者の実力が直ぐに分かってしまうという、恐ろしいところです。
今日、この論文を書いた学生に来て貰って、いろいろと話をするつもりです。
カテゴリ:研究室風景
さえ:
うちの研究室を小黒が訪ねてくるようになってから半月が経ちました。どのくらい成長しているかを計測している訳ではないのですが、印象としては、頭一つ分くらい大きくなったかなという感じです。
隣の研究室に一晩閉じ込められていて、朝ドアが開けられると一目散にうちの研究室に駆け込んでくるという話です。うちの学生がそこからぼくのオフィスに連れてくると、ぼくにしっぽを振りながら駆け寄って来てじゃれつきます。こういう仕草をされると、本当に、全く抵抗できませんね。
抱き上げると口も鼻もなめ回します。手を出すと、指を咥えて柔らかく噛みます。食べるものはヨーグルト、ミルクの他、バナナ大好き、月餅も大好き、月餅の中に卵の入ったものがありますが、その卵だけかと思ったら甘い餡もすべて貪るように食べます。甘いものが好きなのでしょう。リンゴも半分くらい平気で食べてしまいます。
骨付きの肉を料理に使って煮込んだあとの骨を与えると、やはりこれが一番ですね。関節の骨を何度も噛んでしゃぶっているうちに、骨の大きさは半分くらいにまでなってしまいます。これは、圧力釜で骨を炊くと、骨組織が柔らかくかくなっているということでしょうか。これは、つまり骨のカルシウムがスープに溶け出していると言うことでしょう。
うどん大好きは前に書きましたね。陽暁艶はうどん文化で育ったそうで、米よりもうどんを好むので、ついうどんを食べることが多くなります。小黒は熱いうどんは苦手ですけれど、少し冷めると端からつるつると飲み込んでいきます。
ぼくのオフィスにいるとき眠くなると、ぼくの足下に来て靴の端や、ひもを噛んで遊んでいますが、やがて足に身体をくっつけて、あるいは足の上にあごを載せて寝てしまいます。オフィスにいる半分くらいの時間はこうやって寝ていますね。小さな音がするので探して見ると、あごを小刻みに動かして歯を噛み鳴らしているのですね。幸せを噛みしめているのか、怖い夢を見ているのか。
起きると、オシッコ、ウンチ。あとは広い部屋で噛み残した骨を一人でしゃぶるか、これを足で転がしては飛びかかっています。誰か入ってくると大歓迎で、歩く足下にじゃれ掛かっています。
この間は、ひーっと啼くのですね。見に行っても縄で首が絞まっている訳でもなく(一度バッグに首を突っ込んで首が絞まって声も出なくなったとき、その前の悲鳴で探していて見つけました)、放って置くとまたしきりに啼くのです。
見に行くと、洗面台の扉に伸び上がって前面の扉をひっかいているので、もしやと思って水を汲んだら、急いで水を飲んでいました。驚きました。この部屋では全く経験がないのに、水が手に入る場所をちゃんと知っているのですよ。見ずとも水音を水と認識しているのでしょうか。賢いですね、と親馬鹿ぶりです。
カテゴリ:生命科学
さえ:
細胞の中でシグナルはある分子から別の分子へと、直接分子同士が接触して渡されていきますね。あるタンパク質分子と反応する相手を探すのに、分子生物学の技術ではYeast Two Hybridと言う方法を使います。でも糖鎖と反応する分子を調べたいときには、この方法は無力ですね。ある糖鎖分子の免疫沈降をして、この沈殿物の中にこれと反応する分子が入っていると信じて探す二次元電気泳動法しかありません。
ですから、今までうちの学生は何人も、ガングリオシドのシグナルを細胞に伝える分子を捜して二次元電気泳動法に挑戦してきました。そして、二次元電気泳動のゲルのスポットを質量分析で同定することころまで漕ぎ付いたことはありますけれど、未だかつて成果はありませんでした。累々たる討ち死にばかり。
昨年の暮れ研究仲間の東大教授と会って話していたとき、「免疫沈降物は今では二次元電気泳動で分けないで、そのままトリプシン分解をしてLC-MSで全部を分析してしまうのですよ。コントロールの免疫沈降物から見つかるタンパク質を差し引けば、それが目的の分子を含んでいることになります」
だって、それは大変な作業でしょ、と尋ねると「人がやるのは、トリプシン分解までであとは機器とコンピューターがやってくれるのですよ」ということでした。
それで今年の春、試料を用意して分析をお願いしたところ、解析結果が送られてきました。
抗体と細胞の組み合わせを変えて5種類の実験をしたのです。コントロールを入れると全部で10個の試料です。そのうちポジティブな結果があったのは7個の試料でしたが、コントロールと対になって結果が得られたのは2組だけでした。
コントロールにも検出されるタンパク質を除くと、実験からだけ見つかるタンパク質が並んでいます。その中からDNA polymeraseのように細胞核にしかないタンパク質を除きます。候補は細胞膜タンパク質か、細胞膜貫通タンパク質の反応するタンパク質でしょう。
それでもこれらのタンパク質が候補であるとするに足る別の強力な証拠がありません。結果の出た2組の実験は細胞が違うし、何よりも抗体が違います。それでもこの2組に共通のタンパク質が3個あったのですよ。
想像を逞しくすると、抗体Aで認識される分子Aがある分子Xと結合するとしましょう。この分子Xは次に分子Bと反応すると仮定すると、この分子Xは抗体Bで一緒に落ちてきますね。ガングリオシドによるシグナル伝達をある程度仮定していますから、抗体Aと抗体Bによって上のように未知の分子が見つかったのかも知れません。
以上の解釈を先方に送ったら、解析で擬陽性(上の例で行くと分子Xでないのに、夾雑物として全く関係ない分子が検出されること)の可能性が指摘されていて、残りの試料で再度分析をしてくれるそうです。それを楽しみに待つ間、今回の候補のmRNAを潰す実験もしてみましょう。
先日の土曜日の教師の会では、代表から「執行部体制の確立」をしたいという議題が出されたり、今まで注意深く教師の会を運営してきたのに「会員身分の国籍条項の撤廃」なんて言うことが提案されたりして、もちろん私は自分の考えに従って反対した。
この状況はここに書いている。
これらの議題で、この10月の定例会は9月に新しく立法補して代表になった鈴木さんが、初めて自分のカラーを打ち出している訳だ。その提案に端から反対したものだから、きっと面子を潰されたと思ったに違いない。そのあと、私は直接の理不尽な攻撃を受けた。
私は資料室係をやっているでしょ。2009年の「資料室の再興を目指して」と言うワーキンググループを作って会員が7名集まったときから関係していて、それで実際2010年5月に資料室が動き出したとき以来、資料室係の代表をしてきた。
個人が経営している品和軒の一室が資料室として提供され、その資料室を充実させるために、本棚や机・椅子、備品などを特別会計から購入する許可を貰って準備を始めました。本は先ず私の手持ちの本を搬入した。
更に本が必要になるので、会員のアンケートを採って希望図書を聞いたし、会員に本を(日本から送って)提供するよう呼びかけました。
自分の本をただで提供することにやぶさかでなくても、送料は馬鹿にならないから、特別会計で送料、更に本を買った場合にはその購入費も負担することを会員に図って決めている。
私はその続きとしてずっと資料室の整理をしてきた。言うまでもないですが、すべて手弁当である。自分の行動に対価は受けていない。
今まで沢山の本を提供してきたが、本を送る費用は自分で負担してきた。この夏、二箱分の本を日本から送って、前に書いたように定例会に計って決めた規則に従って、その送料を今回初めて会に請求している。また、本に貼るラベルを今までぼくたちが研究室で使ってきた残りを使ってきたが、今夏にIto-yaで足りない分を買ってその代金を請求した。
土曜日の会の中で代表が言うには、「ラベルは中国で買ったほうがはるかに安いのになぜ日本で買ったか。それを送る送料を請求するとは何事か」
驚いた。でも、ラベルを中国で探すなんて思いもしなかった。うちの学生に尋ねても、見たこともないと言うし、あったとしても質が悪くて直ぐ本から剥がれるだろう。
送料は、資料室に備えるための本を送ったためであり、その送料を特別会計から出すのは(以前 2010年に)決めたことだ。ラベルじゃなく資料室のための本を送ったのだ。
すると代表は、会費を使うときは事前に届けでて許可を取るべきだと言い出すのだ。
この資料室を充実させるために特別会計を使うというのは、2009年度と2010年度の教師の会の集まりで認められたことだ。しかも今年度に経費が発生したわけでなく、前年度のことなのに、今年度の代表が文句を言うのはおかしいことだ。
会費を使うときには事前の許可を取るべきだと言い出して、いったい誰の許可なのか。いちいち代表に一つ一つの支出の申請出して、代表がそれを認可するのか?それじゃ、代表の金の使い方は誰が許可するのか?
今までこの会では一度もなかったことだった。使い道を決めただけでそれでも、旨く運営されてきた。
ただし、二年前から代表の金の使いかたが危ないと思ったので、私が昨年5月に会計監査の必要性を申し出て、そして私が志願して皆から認められているのだ。
この教師の会は人は二三年で入れ変わりながら、続いている。中には私みたいに長くいる会員もいるので、会で決めたことは(たとえば、資料室を特別会計の支出で充実させようと以前の年度で決めたことを)そのまま続けることになるわけだ。
百歩譲って考えれば、それが新しい会員には違和感があるのかも知れない。
『なに?資料室の充実だって?資料室って、あるらしいけれど使いにくいという話じゃないか。どうしてその充実を図らなくてはならない?』
こんな風に思う新会員も出てくるかも知れません。
今、資料室は公的には閉鎖されていて、私的にオーナーの好意で自宅に置かせて貰ってオープンしているに過ぎない。いずれオーナーが新しい店を持つときに資料室を一緒に考えてくれるという言葉を頼みにして、細々と現状を続けているが、いや、現状では使いにくいから別のところに移そう、見直そう、資料室自体を考え直そう、と言う意見が出てきても良い訳だ。
それなら、そのような話をしようと言い出すのが、会の代表としてすることじゃないか?資料室を担当している私がまるで既得権益にしがみついて、公金を無駄遣いしているみたいな言い方をするのではなく。
いうまでもなく、既得権益なんてものじゃない、私しかやる人がいないから義務と感じてやってきたのだ。
全く、もう。。。
先週の土曜日の教師の会の定例会で、資料室担当の私は鈴木貞夫代表から「今の資料室が全然使えないのに、なぜお金を使っているのか」と責められた。
資料室を整備しているのは前期までに決められた職責を全うしているだけのことだ。
「資料室が使いにくいじゃないか」と言って、「資料室に行きたい人が何度電話しても、行くことができなかった」と例を挙げて、これはおまえの責任だろうと激しくなじられた。
『資料室は本質的には今まで通りではなく、閉鎖して本を使えない形でしまい込む代わりに、個人のうちの一室を開放して貰って、本が見られるようになっているのです。それでも個人の住宅だから、いきなり電話をしても在宅しているとは限らないし、このことは分かって下さい』と何時もの説明をした。
このことで会の後、資料室のオーナーの劉凱さんと話してみた。劉凱さんの話によればこういう事があったと言う。
----- ----- ----- ----- ----- -----
資料室のオーナーの劉凱さんの話:
実は山下先生から三回お電話いただきました。
一回目は、先月の9月末で(日付が忘れました)、夕方5時過ぎ、「会計の資料を探したいので、あと10分でお宅に着きます」。出先にいる私が30分なら帰れますが、10分なら無理です、という返事しました。そうすると、「じゃ、またご連絡します」というやり取りでした。
二回目は、その一日か二日後、中秋節の前日(9月29日)で、また電話で「行きたいので大丈夫ですか」。私が「明日は祝日なので、実家に帰らなければなりません。連休済んだらよろしいですか」という返事しました。「じゃ、また来週にします」というやり取りでした。
そして、10月3日、「今日は大丈夫ですか」とのことです。
そのときは都合が付きました。会計のノートがいっぱいになったから、そのノートはないか、探したいと言うことでした。
資料室に来て、まったく見当もつかない様子でしたが、ノートのあるなしなら、整理した人に前もって聞けばわかることでしょう。
私は「山形先生に電話で聞いて見たら?私には全然わからないから」と言いました。
しかし、どうしてか何回言ってもなかなか電話せず、ただあちこち探していました。「だから整理した人に聞いてみないとわからないでしょう」って、きつく言いました。今度は山形先生に電話して聞いた結果、そのようなものはありません。というのです。
何の大事なことかと思ったら、こんなつまらないことか。祝日なのに、この位の常識もないのか、呆れた人だ、というのが当時の正直の気持ちでした。
----- ----- ----- ----- ----- -----
実際私は、会計ノートが資料室にないかという電話を山下さんから貰い、そんなものの買い置きは聞いたことはないので、無いでしょうと答えた。会計のノートと言ったって、普通のノートに書き込んでいるだけだ。今の資料室の、会員の出入りの記録、図書貸し出し記録も、私が持って行った(つまり自腹の)ノートを使ってい流7。
山下さんは会計担当で現金を持っているのだから、ノートくらい買ったらよいでしょう、と返事したのを覚えている。
訪ねた人の態度をオーナーが不愉快に思ったので、これがそのまま反映して、訪ねた山下さんは冷たくあしらわれたという印象だったのかもしれない。
資料室担当の私に文句を言ってくれればよいのに、代表に苦情を訴えて、代表はその真偽を確かめもせず公開の席で私を責めたのだった。こちらは何の事情も知らないのにね。
呆れたやり口だ。これは、何も知らない状況に人を置いたまま、突然人をおとしめるための手法だと思う。防衛大学から自衛隊一直線だと言うから、お手のものの尋問方式を使ったのだろうか。
もうこのような人たちと、私は付き合っていくことは出来ない。私が大好きだった瀋陽日本人教師の会とその会員たちは、もう昔の幻影にしか過ぎない。これを、先ず認識しよう。
今のおかしな人たちには腹が立つが、卑劣なことを平然と行える彼らと口論し、争ってまでして、何を守るのか。守るに値するものがあるのか。
今瀋陽にいる私にとって研究以外は、余分な付け足しだ。こんな事で心を騒がせるのは賢明なことではない。
私が黙ってこの会を去ればいいのだ。後がどうなるか気にはなるが、まさか残りの人たち全てが鈴木代表とその取り巻き並みに卑劣で愚かではないだろうと思いたい。
カテゴリ:中国の生活
さえ:
また巡ってきたさえの誕生日。
なすすべもなく現実を噛みしめています。
今日の瀋陽の気温の最高は12度で、最低は0度と予報されています。短い秋が終わって冬の始まりです。
小島を巡って始まった日本とこの国の関係悪化はインターネットに及んでいます。
新聞のニュースは軒並み駄目で、Yahooだけ。Yahooでも新聞由来のニュースですとアクセスできません。頭に来るのは日経新聞をお金を払って購読しているのに、ここでみられなくなったことです。
日経ビジネス、JBPressは読めますが、BLOGOS、ダイアモンド、Wedge、現代ビジネスはアクセス禁止です。
やれやれ、です。
カテゴリ:日本の将来
さえ:
日本では過去65年くらいでしょうか、いまだに憲法九条と自衛力、あるいは集団自衛権の論争が続いています。
これに関して、長部日出雄の「天皇はどこから来たか」で見た、なかなか良い論旨を紹介しますね。
『第九条と自衛隊認容の問題については、こう考える』
『先ず、我が国が何らかの勢力に攻撃され、抵抗しないまま征服されてしまったら、その後どうなるか』
『相手は武力による国際紛争の解決を否定した平和憲法の理念を認めずに攻撃してくる訳だから、征服後は改憲して徴兵制を施行し、膨大なエネルギーを蔵する我が国の工業力と労働力とハイテクノロジーーは、そのまま恐るべき軍事力に転化されるだろう』
『極端にすぎて空想的な平和主義を我が国が貫けば、かえって現実の世界の安定に重大な脅威をもたらす、と言う背理に陥る』
『これを避けて、前文と第九条に掲げた理想に近づくためには、憲法それ自体が、専守防衛に徹して侵略を許さぬ自衛力を持たなければならない』
『決して戦争を起こさないための自衛隊、つまり護憲のための自衛隊という考え方に立ってこそ、第九条を支持しつつ、自衛隊の存在も認める、というおおかたの国民感情、および自衛隊は違憲か合憲か、といまも蟠るディレンマに論理的な整合性を見いだせ、さらに我が国の軍事的大国化にもっとも実質的で有効な歯止めもかけられる』
これは、世界の警察を自負しているアメリカ軍との共同戦線を持つこと、あるいは一緒にいるアメリカ軍が攻撃されたときは高みの見物しかできないと言う現状をどうするか、に答えを出していませんけれど、とても理性的な解釈ですね。
戦争の惨状が骨身にしみたあまり日本人は平和憲法にしがみついていますけれど、不毛の机上の空論を繰り返していると、今に日本が無くなってしまうことを恐れます。
長部日出雄の「天皇はどこから来たか」の本論はとても面白く読みました。深い学問、学識、該博な知識があって、さらに想像力があってこそ、新しい論理を提案できる事がよく分かります。
カテゴリ:さえへの日記
さえ:
このさえへのメイルを書く頻度を、これからは減らしますね。
先週は風邪を引いてダウンしていました。風邪は一応治ったのですけれども、気分はすっきりしません。教師の会を辞めることにしましたが、辞める理由を誰にもまだ話していないので、それがいけないのでしょうね。やはり、品のない代表とは、正攻法で喧嘩をしてから辞めた方が良いのかも知れません。
日中関係の暗雲がぼくの心にも暗い影をとしています。
ここで見られる日本のソースはYahooだけで、新聞社のほとんどは遮断されてしまいました。
日経新聞は毎月お金を払って見ていたのですが、それもアクセスできません。クリックすると、中国百度の画面に変わります。
日本の雑誌メディアも軒並み駄目になって、今ここで見られるのは「日経ビジネス」だけです。
つまりここにいる限り、言いたいこと、書きたいこともほとんど自制しないといけないのですよ。半分以上も心を偽って書くくらいなら、書かない方がましと思います。
これからはさえ宛てに時々、書くことにしますね。
コメント:
まずは事実を、それから考察 みのもんだ さん
先生は身体的にも、精神的にも苦しんでいらっしゃいますね。お察しします。どうか、お大事に。
同じ事実に対しても、違う価値観、違う立場、、、、違う人間なら、違う結論を導くことは当たり前ですね。ただし、異なる事実認識で、異なる結論なら意味がないですね。とりあえず、事実を探りたいと思います。
以下に毎日新聞の夕刊記事をコピーしますね。これは事実ならば、どうも、石原新太郎知事(もう辞職されることになったのですが)は、思い切って行動を起こして、この日本を救いたい、と考えているのでしょうね。
http://mainichi.jp/feature/news/20120613dde012010027000c.html
その1:
特集ワイド:なんか違う?最近の石原都知事発言「東京は薄情」「ちまちました我欲」「やせた民族」 「壊れた心」最後の叫び 毎日新聞 2012年06月13日 東京夕刊
◇「都政に関心はない」--40年来の友人、佐々淳行さん
「やせた民族」「東京は薄っぺらで薄情な街」--石原慎太郎・東京都知事(79)がいら立っている。都が招致する8年後の夏季五輪への支持低迷が直接の理由だが、自らを選んだ都民や日本人そのものに矛先を向けた今回の「放言」は、かつて年配女性や外国人らを傷つけた見境なき暴言とは少し趣が違うようだ。【藤原章生】
東京都は20年夏季五輪の1次選考を通ったものの、競争相手のマドリード、イスタンブールに比べ都民の五輪支持が47%と低い。5月25日の記者会見でそこを突かれた石原氏は言った。「一体、日本人は何を望んで、何を実現したら胸がときめくのか。ちまちました自分の我欲の充実で、非常にやせた民族になった」。東京について「薄情な街」発言があったのもこの場だ。同29日には日本外国特派員協会で、外国人記者らを前に都民をこう断じた。「ぜいたくで、何があっても当たり前。うぬぼれてるし、自分のことしか考えなくなり、他の日本人と違う人種になりましたな。(五輪が)実現したら都民は来なくていい」
思い通りにならないものには歯に衣(きぬ)着せぬのが石原流だ。イタリアのベルルスコーニ政権末期ではないが、人々には「また言ってら」という諦観が漂う。
「まじめに相手する気も起きませんね。何でも自分が導いてやっているよ、という感覚。都民に選ばれて知事になったのに、その都民の代表という意識がとにかく希薄ですから」(国立情報学研究所の高野明彦教授)
「32万を超す都民が署名した、原発稼働の是非を問う住民投票要求すらまともに読まず、ひたすら五輪ですか。浮世離れとはこのことです」(住民投票を呼びかけたジャーナリスト、今井一さん)
しかし、都民や日本人全体に対し、こうもはっきりといら立ちの言葉をぶつけるのは珍しい。ここは、身近な人にじっくり話を聞いた方が良さそうだ。
(2012.10.29 19:37:59)
まずは事実を、それから考察(その2) みのもんだ さん
40年来の友人、元警察幹部で著述家の佐々淳行さん(81)を訪ねた。07年の知事選で石原氏に3選をもたらした選対本部長。ちょうど人間ドックから出てきたばかりだ。「慎太郎の心境の変化? 僕もよくわかるんだけど、老境に達したということでしょう。安らかに余生を過ごす人じゃない。闘い続けるから、しった激励してもついてこない連中、政治、社会にイラついているんですよ」
しかし周りがついてこないのは今に始まったことではない。「年齢から来る焦燥感ですね。79歳でしょ。今年80ですよ。僕は昭和5(1930)年で慎太郎は7年。昭和ひとケタは皆いらついてるわけ。渡部昇一、竹村健一、岡崎久彦も同じで、互いによくわかる。慎太郎の日本人批評もわかる。でも普通は我慢しているじゃない。彼は言ってしまうから敵をつくる」
「一緒にしないでくれ」という昭和ひとケタも多かろうが、話を先に進める。
「去年、78歳のときから、自分でも『俺、老化してきたよ』って言いだしました。『階段を駆け上がれなくなった』って。『エレベーター乗れば』と言ったんです。『俺たちはもう、より速く、より強くじゃだめだよ、よりずるくだよ』ってね。3期目の選挙の時(07年春、74歳)には老化とは言ってなかった」
精神面も変わったようだ。「この前、僕、講演で地方に行ったの。僕がだいぶ弱ってるって聞いたんだろうね。『佐々はどうした』って事務所に電話してきて、秘書が『地方です』と答えても、信用しないの。僕の家や、あちこちかけまくって。ひょいと会いに行ったら『佐々さん、大丈夫か』と。パニックとは言わないけど、講演だと言ってるのに、そのしつっこさが……」。老境の表れ、というわけだ。
(2012.10.29 19:39:52)
まずは事実を、それから考察(その3) みのもんだ さん
「慎太郎、(妻の)典子さんに『徹底的に身体検査やれ』って言われて、脳と体を調べたんだけど、全然健康なの。それで自信もって『新党、やろうかな』と思ったらしいんだ。そしたら亀井(静香衆院議員)があんなになるし、民主党はへんてこりんだし、で、息子だよな」
日本人批判には石原新党の話が絡んでいるようだ。
「慎太郎、『電話をたたきつけてやった』と言ってましたけど、とにかく亀井に腹立てて。亀井は慎太郎を兄と慕いながらも、外であれこれ話すでしょ。石原さんと橋下(徹大阪市長)をくっつけ、平沼(赳夫衆院議員)と名古屋の河村(たかし市長)が入れば格好つくじゃない。そこで自分がナンバー2になろうとして会見開いて。それが慎太郎には不愉快で、『白紙撤回だ』と叫んだんで、『何があったの』って聞いたら、『俺たちは国家のこと考えているのに、亀井は(助成金など)新党の金の話をしやがる』。で、あの発言になるわけです」
あの発言とは「ちまちました我欲」うんぬん。新党騒動を当てこすった発言だったとは驚きだが、「日本国民に怒っているのも事実」と佐々さんは言う。
□□□
昨年7月発行の「新・堕落論」ではこんな言葉が続く。<国民の我欲が膨らんだのは、結局『平和の毒』が原因><「憲法が国民の権利ばかりで、義務をうたわないから欲望が膨らんだ>
憂国は今に始まったわけでもないが、老境が拍車をかける。「余命があるうちに国政を変えなきゃと思いながらも、今の政局では、どんどん年を取る。もう少し早く解散総選挙があれば、国政に突っ込んだと思うけど……。伸晃(長男の自民党幹事長、55歳)の総理の芽も潰したくないし。この点は典子さんも完全に息子についてて、慎太郎は伸晃の邪魔をしてはならない、という家庭の事情もある」
(2012.10.29 19:41:14)
まずは事実を、それから考察(その4) みのもんだ さん
「知事の後継者は猪瀬(直樹副知事)と決めてるみたいだし、『なんで俺が都議会で魚河岸の話を聞かなきゃならねえんだ』が口癖で都政に関心はない」。ならば隠居したら、と思うが「僕ら昭和ひとケタはそうはなれない」と佐々さん。「今の日本をつくったのは僕らですよ。そこに(学生運動などで)破壊するような活動をしてきた仙谷(由人・民主党政調会長代行)や菅(直人・前首相)がするすると官邸に入ったのが許せない」。ただでは引退できないわけだ。
「僕らは、戦後生まれみたいにイデオロギーで、ベトナム戦争反対、自由だ、平和だとはなれない。飢えと苦しみ、進駐軍が来たのを見てるからもっと感覚的なんです」。少し上の世代、実際に従軍した明治・大正生まれは、映画界で言えば小津安二郎のように、やや冷めた目で世の中を見ていたと思うが、「僕らは冷めるほど(あの戦争と)距離が取れてない。10代の時に価値観を全部否定され、ここまで来たんです。ああいう戦争は良くない。心の破壊ですよ」
それを踏まえれば、最近の石原節は「壊れた心」を抱えた世代の最後の叫びとも言えそうだ。「慎太郎は五輪と尖閣問題を生きがいに何とか生きてるんですよ。でも知事なんだから、第三者的な文明批評家になっちゃいけないよね」
(おわり) (2012.10.29 19:42:49)
Re:これからは休み休み。。。(10/29) めぐみ さん
数日書き込みがないので気になっていました。お風邪だったんですね。
おなかにためておくのは身体によくありません。言うべき事は、はっきりお伝えしたほうがよいとわたしも思います。
地域でセイフテイネットワークを何とか3年を目標にして作ろうとしています。そのために、いろいろな講習を開催して「ヒトアツメ」を始めました。
コミュニテイビジネスにはならないとは思いますが、これは自分のためにも次の世代のためにも成功させたいです。
まずは、点と点をつなげるところです。
のんびり出来るようになられたら、うちの地域の方たちにもお話を聞かせてください。 (2012.10.31 20:49:25)