日本語資料室の閉鎖が2008年3月。その後資料室の物件を探しつづけたがそれが叶わず、ついに諦めて本を瀋陽市図書館に寄付したのが2009年3月。
私達は図書の情報をPCに入れていなかったが、市の図書館は図書情報の電子情報が欲しいと言った。これは彼らが書籍を電子情報として管理したいのに、日本語入力システムを持っていなかったためである。
それで、12月から今年2010年5月に掛けて、会員が図書館に出かけてPCを使って書籍情報を入力した。
このとき初めて「私本管理ソフト」が役立つと言うことを知った。今の本なら必ず付いているISBN番号をこのソフトで入れると、アマゾンに連絡が行ってアマゾンの持っている書籍情報が瞬時に取り込める。これを Excelに移してからこの中で必要なものを残せばよい。
ところで、私達は日本語資料室を2008年に失ったが、2009年末に瀋陽在住の中国人の劉凱さんが自分の店の一部を日本語資料室として使ったらと提案があったことは、以前からここに書いている。
その後、劉さんと私達は交流を深め、5月からは一部屋を資料室として使わせていただくという契約を結んだ。
さて、資料室となると、ここに集まってくる人たちに役立つ本を揃えたい。と言うわけで本を用意して、今度は最初から書籍情報をPCに入れようと思った。
それでバーコードリーダーは日本でネット経由で一つ買った。
さいわい、MacのNotebookがこの夏瀋陽を離任する会員の一人である巽先生から教師の会に寄付があった。今後これが利用できる。
9月3日の金曜日の午後、研究室の朱Tongに頼んで研究室に積み上げた書籍情報を「私本管理ソフト」とアマゾンの情報を利用して、Windowsで入力 した。幸い、古い本があまりないので、殆どはアマゾンから情報が入手できる。これをExcelに移してから、Macで開いた。
これは資料室の所有する書籍リスト原本というわけだ。
これを今後貸し出しにも利用したい。ここは瀋陽市図書館ではないから、ピピッとスマートに進むシステムは使えない。どうしたものか。
たまたま手元にあった大学図書館の貸し出しカードを見ると、バーコードが付いている。会員番号である。ためしにExcelを立ち上げて、これをこのリーダーでピッとやると番号が取り込めるじゃないか。
これだ。教師の会の会員にバーコードの番号を渡せばよい。今後の利用者にも、バーコード入りの会員証を作ればよい。
バーコードをどうやって手に入れるか?
ネットで調べると、いろいろの有償ソフトがあったが、お呼びではない。そしてみつけたのが 「バーコードの作成」である。これで、バーコードが自作でき る。
それを見るといとも簡単に、2010001 などの番号が作れた。これをMSワードに打ち出して、印刷してバーコードリーダーでなぞるとピッと取り込むではないか。
感激してこのソフトの管理人にお礼の投書をした。ただしBiglobeの会員登録をしなくてはならず、その通りやってみたが、うまく伝わったかどうか分からない。優れもののサイトである。感謝、感謝。
これで、先ほどの書籍リスト原本に貸出表の欄を付けてリストを作り、これを使うと貸し出し情報がスムースに入力出来ることになる。
と言うわけで原理的に資料室の新しい図書システムは完成した。
今ここで用意した本は約350冊。今、日本のうちからここに送っている本が約160冊。
瀋陽市図書館に寄付した本が約6千冊あった。それに比べると微々たるものだが、ともかく最初の一石だ。今後これを核にしてこれが膨らむことを期待しよう。
2010年度の新学期が始まった。瀋陽日本人教師の会も新しい顔ぶれで始まる。
9月最初の定例会の顔合わせの時に、会員の中から新しい代表を選び、その代表が補佐役の幹事数名を指名する。これが規約による建前だが、実際には前期の代表が前期のうちに次期の代表に「次期は代表をやってくださいね」と頼み込んで内諾を得ている。
規約からするとこれは間違っているが、6月末あるいは7月初めにそれまでの代表屋が離任すると、次期の教師会にものごとが伝わらないので、仕方ないだろう。
勿論9月最初の定例会では、前期の幹事(たいてい誰か残っている)が集まりのお膳立てをして、集まった会員の中から代表選びまでを司会する。前期の代表が離任しないでいても、手続きは同じである。最初の会で代表を選ぶ。
毎年、何時もはこれでうまくやってきた。
ところが今年の夏は異変が起こった。2009年度の代表を務めた多田さんは、もっと中国にいたいのに勤務先との契約は3年が限度で、ほかに探しても見つからない。それで帰国せざるを得なくなった。そして彼が次の代表候補を心に決めて交渉をした。
しかし、私の聞いたところでは、その候補に非常に強く固辞されて引き受けて貰えなかった、ということだった。やがて時間切れとなって、前代表の多田さんは (だれにも後事を託すことなく)帰国した。
さて、私は前期の幹事の一人である。代表を含めて5人いた幹事のうち今期も残っているのは、ほかには今度で瀋陽4年目になる瀋陽師範大学の土屋さんが残っているだけだ。
9月の定例会の準備はこの二人でやるほかない。それでまだ日本にいた8月半ばに、土屋さんにメイルを書いた。9月の定例会の準備のためだ。そして勿論、代表をやって貰えませんかと書いた。
ところが、土屋さんからは返事が来ない。このメイルをCCで送った前期の幹事全員からも返事がなかった。
そうこうするうちに、多田さんからメイルで、送別会までして貰って帰国したのに、また瀋陽の東邦大学で日本語教師をすることになりました、と言ってきた。そうか、そういうことを皆は知っていたから、私のメイルにだれから何も音沙汰がなかったのだな、と納得した。
そう言うことなら、多田さんに新学期の定例会を任せればいいんだ。
ところが、多田さんは9月の新学期から東北大学に赴任するつもりなのに、VISAがでない。瀋陽にまだ戻れない、という。となると、私と土屋さんが準備をするしかない。
私は9月2日、瀋陽に戻って以来毎日二回そして三日間も続けて、土屋さんの携帯に電話をし続けた。しかし応答がない。一度は電源が切ってありますと言うことだったので、電話をしていることは伝わっているはずだ。
三日後にはやむなくメイルを書いた。すると夜になって土屋さんから電話があった。そして言うには、自分は今期の教師会には出ませんよ。このことは今まで教師会の主な人には言っているんだけれどね」ということだった。
私はびっくり仰天である。私は幹事の一人だったけれど全く知らなかった。多田さんもこれを知らない証拠に、9月初めには土屋さんと私宛に引き継ぎ事項をメイルで書いてきている。
仲間だと思っていたのに、ふざけた話だ、といったんは頭に来た。しかしそう言って彼を責めてみても仕方ない。辞めたい人は辞めると決意した人だ。でも、いったいどうしてくれるんだ、頼りにしていたのに。こっちにしてみると、たよりにしていたのに、突然つっかえ棒を外された気分だ。
一つに体調が悪い、一つに大学から集まる場所が遠すぎる。一つに疲れた。と言うのが彼の言い分だ。口にはしていないが、彼が責任を負った昨年末から半年に及ぶ市立図書館での書籍情報の入力作業が大変な負担だったに違いない。
いや、作業そのものでなく、それを手伝う会員の動員の手配をしたり、その場の案配をしたり、いろいろと気を遣うことが多く、そのたびにさまざまの葛藤があって、それに疲れ果てたに違いない。
「何時何時、図書館で入力作業をしますから、ご都合の付く方はおいで下さい」と皆にメイル出したって、来る人は来ても、来ない人は知らんぷりだ。だれも来なかったときもあっただろう。ストレスが溜まり続けたにちがいない。
「もう、こんなことをやっていられるか」と思ったことが何度もあったろう。ともかくそれでも、最後まで彼は責任を全うしたのだ。
お疲れさまでした。
瀋陽日本人教師の会から瀋陽市図書館への書籍贈呈式が、在瀋陽日本国総領事館の仲介でこの秋開かれることになっている。
瀋陽日本人教師の会は、今新しく資料室を持とうとしている。
2008年の春、それまで集智ビルにあった資料室が閉鎖されて私達は行き場を失った。それから1年半「家なき子」を続けた私達に瀋陽在住の劉凱さんが全くの好意から手をさしのべてくれた。
9月5日の日記には資料室の新開設に当たって、350冊の本を用意したことを書いた。資料室に人が集まるためには、場所があるだけでなく、本が少しでも多くあった方がよい。
それで瀋陽のうちのアパートに溜まった本をさらに提供することにした。恥ずかしくない本は既に先ほどの350冊の中に入っているので、あとはろくでもない本ばかりだが、それでも、瀋陽で無聊をかこち、活字に飢えた人たちにはきっと喜ばれるだろう。
それで、結局合計515冊の本の書籍情報を、この土曜日までにPCの電子ファイルに入れることができた。さらに、これらの本には「瀋陽日本語資料室」の印鑑を押した。
これらの本は、運べる重さの段ボール箱11個になった。9月11日土曜日の午後、これを劉凱さんのお店「千品軒」に運ぶことにした。うちの研究室は女性学生ばかりである。うちの女性学生だけでは駄目なので、男子学生も動員した。
5年生になったばかりの徐帥くん、そして彼の友だちである。カートに積んでこれらの荷物を二回に分けて建物の1階の外に運び出し、さらに大学の正門の外まで二度に分けてこれらを運んだ。この大学では中にタクシーが入ることを認めてくれないのである。置いた荷物の監視にはうちの二人の女性学生が役立った。
全部の箱はタクシーのトランクに入りきらなかったが、それを私達の膝に乗せることにして、幸い私を入れて4人は一台のタクシーで「千品軒」に向かうことが出来た。
到着すると、劉凱さん、お店にいる彼女の甥の許さんも一緒に荷物を運んでくれてあっという間に資料室に入れることが出来た。
さて、もう一つの大事なことは、この夏に日本に帰任した巽さんから資料室に寄贈されたノートPCが、この図書情報の管理に使えるようにすることだった。さいわい、学生の徐帥くんは筋肉ムキムキだけでなくPCにとても強いと。
Macで作った図書の貸し出し簿がこのPCでさくさくとお動くことを調べて、次にはインターネットで書籍情報が取り込めるかどうかをチェックしてくれた。
劉凱さんは自分のPCをインターネットに直接つないでいる。それをこのPCに切り替えて、ネットから「私本管理ソフト」をダウンロードした。そして、既に資料室に届いている(30冊の本の情報入力を試みて、成功した。
インターネットを今のように、直接PCにつなぐのではなく、端末機を置いてそこからケーブル、あるいは無線でPCにつながる仕組みのターミナル機器を買えば、資料室で劉凱さんの仕事を邪魔しないで私達のPCも使えるわけだ。
それで劉凱さんと相談して、そのような装置を買うことにした。教師会で負担するのがよいだろう。今度の土曜日の午前中に、徐帥くんが機器を用意。2時より早く私が出かけていって、PCの動くことを確認しよう。2時から9月の教師の会の定例会がここで開かれる。
このあと、劉凱さんと許さんを誘ったが都合が付かないので、学生3人を連れて十一緯路にある「大清花」という満族のレストランに行き、美味な料理をたらふく食べた。そして、大いに満足した。
9月14日の午後、研究室の外の廊下で全館放送の声が聞こえた。終わると直ぐに実験室から学生がやってきて、明日は午前8時から午後5時までこの実験棟一体が断水だそうです、という。
私 達のアパートもこの建物と近くて、同じ一画にあると言って良く、停電とか断水は何時も一緒である。断水で困るのはトイレが使えなくなることだ。どうしよ う、大学にもうちにもいられない。そして懐かしく思い出したのは、以前はこのような非常時には、日本人教師の会の資料室に行って一日中本を読んでいたことだった。
今は資料室がないけれど、資料室の場所はもう既に千品軒の一画に借り受けている。この部屋が出来てから、今まであちこちに分散していた会の財産が運び込まれて物置になっているけれど、そこの整備をしようか。
9月18日の定例会で集まってから資料室係りを決めて係りが相談すれば良いと思っていたが、私は前期の係りである。私がある程度やっても問題あるまい。幸い時間が出来たから、明日は、本箱や机を買いに行こうか。
それで劉凱さんに電話をした。もし明日ご都合が付くようなら、本箱やテーブル椅子セットの買い物に付き合って頂けませんか。一寸ためらっているようだったが良いですよと言って貰えた。あとで聞いたら、この日に日本語を教えることになっていた学生には断りを入れたという。
そして、9月15日。朝9時前には千品軒に行った。出掛ける直前出会った修士の学生の暁艶を誘うと、彼女も良いですよと言って一緒に来てくれた。品和軒でまず部屋の大きさを細部にわたって測った。矩形の部屋の狭い壁面の一つには、スチールの本箱が3個入る。ひとまず本箱は3個あればいい。木製にこだわらずスチールのオフィス用品にしよう。
この部屋の大きさでは、教師の会の全員は収容しきれない。椅子のテーブルのセットは、この部屋には一組あればよい。劉凱さんのほかの部屋には、籐家具を模した作りのセットがあって感じがよい。資料室もこれに合わせよう。
このような腹づもりをして、劉凱さんとまず相談をしてそれを分かって貰って、劉凱さんと彼女の甥の于さん、そして私達4人はタクシーで鉄西区にある家具の専門店に向かった。
東北家具城市は東北地方随一の大き差を誇るマーケットで、50メートルと200米くらいの大きさの3階建て。建物を支えている柱の間には仕切りはなく、間口ごとに違う個人商店の入っているマーケットだ。一階はソファ、二階には椅子、テーブルなど、見渡す限 りの家具のオンパレードである。隣の建物はワンフロアがベッド。ここでは、歩き回ることで目当てのものを見つけ、そこで交渉をする。
一カ所では当たりを付けただけ、次々と歩いて劉凱さんは疲れる様子もなく値段の交渉をしている。三つ目からは、劉凱さんに交渉を任せて私と暁艶は直ぐに売り物の椅子に座り込んでいた。
そして結局、スチールの本箱(二つは棚板のある本湖、一つは下に引き出し付き)3個を1000元。以前研究室のために買ったときは一つが700元した記憶がある。中国人が交渉するとこんなに安く買えるのだ。
籐家具風のテーブル椅子セットは、劉凱さんは700元以下にしたかったようだが、これはどこでも希望の値段が折り合わず、とうとう店主が勝って750元。
あと、本棚の棚板の後ろに噛ませて棚板を二重に使うようにしようと考えた。この目的のためにに発泡スチロールの厚さ6センチの大きな板を二枚。55元。
これらを品和軒に運ぶのはこれの店には全く無関係で、建物の外にたむろしている運送業者と個別に交渉をする。何をするのでも、交渉。交渉。交渉。中国人はタフでないと生きていけない。家具を買うのもこんなに大変なんだ。元気でないと中国では生きていけない。家具を運ぶトラックの運転手に60元。
そして午後は、部屋にこれらを運び込んで、本棚を使えるようにした。発泡スチールをカッターナイフで切ったあと、そのまま棚に並べるのではなく、このふたつをきれいな紙で包んで棚に載せる方が良いと、劉凱さんは提案して実行してくれた。その通り、全く見てくれが違う。
そして、ラボとうちから持ってきた本を並べた。棚を二段に使っているから、12段分を用意したことになるが、約550冊で10段分がほぼいっぱいになった。片付いて空いたスペースに梱包をほどいたテーブルと椅子を並べ、ほっと一息ついて、そこに座ったのが午後6時。
劉凱さんん、于さんのお陰で資料室の骨格が先ず出来た。私は覚悟をしていたが、劉凱さん、于さん、そして暁艶にはまるまる一日作業に付き合わせてしまった。非常感謝。
今期最初の定例会は9月18日土曜日、千品軒で開かれた。
参加者は、14名
今までの会員:松下、小池、風間、渡辺、石田、杉島、貴志、山形
新入会員:石井しのぶ(東北育才学校)、中谷友美(遼寧大学外国語学院)、粟野藍(朝鮮族二中)、神山譲(遼寧大学)、石橋さやか(遼寧省実験中学)
会員外参加者:神山譲夫人
何時もと違うことが沢山ある。毎年最初の会は、前年度の幹事で瀋陽に残った人たちが最初の会のお膳立てをしていた。何時もは複数の人たちが残ったが、今回は、私、山形だけだった。つまり、集まりのお膳立ては私一人の責任になった。
さらに、例年、前期の幹事が次年度の代表候補を推薦していた。つまり最初に集まったときに、今期の代表として○○さんが推薦されていますが如何でしょうか、と○○さんの信任を問えば良かった。今回は次期代表の心づもりが全くされていない。
前期の会員でこの最初の定例会に出られなかった人が5人もいる。実際、出席したのは7人しかいなかった(貴志さんは9-10月のみ滞在なので会友扱い)。
と言うわけで会議の進行は、今回は以下のようにした。私が司会と、進行を一人で務めたわけだ。瀋陽日本人教師の会の歴史、規約などの紹介をしたあとは、新入会員自己紹介に換えて、全員の自己紹介にしたし、例年だとあり得ない、「3.教師の会の運営についての相談」なんてのを入れて、どうしようかと相談をした。
前年度の代表を務めた多田さんは瀋陽を任期満了で去った。しかし今期また瀋陽に戻って、東北大の日本語教師になると聞いている。ただし、未到着だ。一番簡単で、かつ実際的なのは多田さんに代表になって貰うことだが、この場に不在なのに(おまけに教師会を続けることだって、土屋さんのケースを考えると、実はわからないことだ)、ここで決めるわけにはいかない。
どうしましょう。ベストの答は、今回は代表選びは保留して、白紙のまま次回に持ち越すというものだった。
OK。それでよい。しかし次回までこの教師の会が動くには責任者を決めておかないといけない、と言うわけで、私が、事務代行責任者になりましょうと自発的に引き受けた。なんと、まあ、この上ないお人好し。
この教師の会の特徴は、会員だれもが必ず何かの役を引き受けることだ。この係の説明は、以下のように行った。
研修・リクリェーション係(渡辺)
書記・会計係(石田)
ホームページ係(山形)
資料室係(山形)
日本語クラブ編集係(小池)
イベント係(小池)
最後に、ホームページ係と日本語クラブ編集係を暫定的に一緒にして今期は「広報係り」としてやってみませんか、と私が提案して了承された。そして、係の希望を募って、次のようになった。
研修・リクリェーション係:粟野、風間、杉島 松下、渡辺
書記・会計係:石井、石田
資料室係:石井、石田、山形
広報係:石橋、神山、中谷、小池、
イベント係:小池(イベント総括者として実際の係りを後に指名する)
資料室の係りとして私が最初に志願したが、初めはほかにはだれも志望しなかった。しかしそれでは資料室は運営できない。この会の一番大事なことなのに、と思うけれど、実際に資料室があってそれを知っていた人がもう殆ど今はいないのだ。改めてどなたか係りになって頂くようお願いしたところ、兼任で石井、石田先生が係りになって下さった。非常感謝。
原味齋で5時から開かれた懇親会には、
粟野、石井、石田、石橋、神山夫妻、貴志、中谷、松下、山形、渡辺。
会員外参加者:劉凱、徐帥(薬大5年生)の、合計13名。徐帥くんには、千品軒でインターネットに無線用ルータを取り付けることと、日本のうちから8月さらに送った160冊の本の書籍情報取り込み(電子情報作成)をやって貰ったのだった。
会費は一人35元。徐帥くんの分は山形持ち。
資料室は本棚が三つ入ったし、本は今600冊を超えて集まっている。今度の資料室は、最初から書籍情報をPCに入れようと思っているので、第一回定例会のあった翌日の9月19日の日曜日も、一週間後の26日日曜日も午後は品和軒に出掛けた。研究室の陽暁艶さんが何時も快く同行して、手伝ってくれた。
最近の本は裏表紙にバーコードでISBN番号が付いている。これを、バーコードスキャナーでピッと読み取って、アマゾンにアクセスすると、アマゾンが持っている書籍情報が利用できる(私本ソフトを利用する)。
問題は、古い本で
1.ISBN番号は書いてあるけれど、バーコードが付いていないもの。
2.ISBN番号がまだない時代の本。あるいは、私本でISBN番号を持っていないもの。
3.中国で出版された本などで、ISBN番号は付いているけれどアマゾンの情報が利用できないもの。
1.については、バーコード自作というネットを利用して、自分でバーコードを作って本に貼り付けた。
2.については、全く新しい番号のバーコードを勝手に作って本に貼った。この番号を本のリストに取り込んで本の情報をPCに自分で入力した。勝手に番号を付けても、この資料室でバーコードに基づいて本を追跡できればいいのだから。
3.については、本についているISBNをそのまま利用して本のリストに登録し、情報を打ち込んだ。
このようにしてすべての本は固有のバーコードをもつことになった。この番号でPCにすべての本を登録した。 これからは、在庫の確認、本の貸し出し、返却は、PCを使って本のリストとバーコードリーダーで簡単にできるようになる。 ただし本のリストはExcelに入っている。このExcelの問題は(と言うわけではなくどのソフトでもそうだが)、アクセスしたときに内部情報が保護されていないことである。入力を間違えたら、情報が書き換えられてしまう。本の登録されていることすら、抹殺することが簡単に出来てしまう。
どうしたらよいのだろう。誰かPCに強い人はいないだろうか。