カテゴリ:日本の将来
さえ:
日本経済新聞(2012/1/13)』の記事に、秋山咲恵氏の経営者ブログというのがあって、『ダブルインカム・ツーキッズの時代へ (秋山咲恵氏の経営者ブログ)というものでした。
『年が改まり、若者が支える日本の将来に想いを馳せるときでもあります。私がとても共感を覚える「ダブルインカム・ツーキッズ」という新たな概念を紹介させていただきたい』というのですよ。
『私の親の世代は古き良き「シングルインカム・ツーキッズ」が基本単位でした。これに対し、私の世代は男女雇用機会均等法の影響もあり、「ダブルインカム・ ノーキッズ(DINKS)」世帯とシングル世帯が増えました。人口減少が国の課題と言われるようになり、少々申し訳なく感じてしまう世代であると同時に、女性の労働力が見直される実績を積み上げた世代でもあります。』
ふむふむ。そう言えば、ぼくたちの頃は二人とも働くことは「共稼ぎ」と言っていましたね。世間一般では、結婚したら夫が妻と家族を養うというのが普通だったかも知れませんが、ぼくたちの世界では、女性研究者は結婚しても研究を続けるのがもう普通になっていました。
ですから、さえと共稼ぎをしているという自覚よりは、さえは家庭を持ちながら研究をしているのだ、ぼくはそれを支えているのだという喜びの方が強かったように思います。今、思い返してみると、支えるなんてことは殆どしていなかったように思いますけれど、それでも、一緒にやっているんだと思っていました。そして、たまたま、ツーキッズでしたね。
『時代の流れの中で20~30代の若い人たちの間で共稼ぎへの抵抗感は薄れつつあります。もし彼らが結婚して2人の子供を持つ家庭を営むことができれば、日本には新中間層ともいうべき厚みのある消費者層が再び形成され、消費の活性化につながるはずです。』
『新しいビジネスのアイデアがいろいろなところから出てきそうです。出産や育児についての負担軽減や就労機会の確保が重要である点について、より具体的な政策のイメージにもつながりそうです。』
その通りだと思いますけれど、ぼくたちの頃は、もちろん新生児保育なんて世間になかったですよね。幼児保育所もありませんでした。生まれ育った東京から離れて名古屋に行って、親戚も、友だちもいないところで、どうしたか。
同じように乳児を抱えた人たちと誘い合って、大学の一画に乳児保育所を作りましたね。作ってもらったというのが、正確かも知れませんけれど。資金集めにバザーもしましたね。そのあとの幼児保育所作りに、あちこち駆け回りました。区役所にも市役所にも行きました。そして市に保育所を作らせたのですよね。あのときのひたむきなさえと仲間たちの熱意。もう、共に語る相手がいないけれどぼくは決して忘れません。
『第1子を生んだ女性の6割が仕事を辞め、その3割が仕事を続けたくても保育所が見つからず、致し方なく仕事を辞めているというデータもあります。幸い当社では出産した女性社員の復帰率は今のところ100%ですが、保育所不足の問題にはいつもハラハラしているのが実情です。』
保育所が必要なことは言うまでもないことで、これを嘆くだけでなく、行動して手に入れると言うバイタリティのなさが、今の世の中の閉塞感に繋がっているような気がしますね。
カテゴリ:生命科学
さえ:
読売新聞に、「カラスは単なる「烏合の衆」ではなかった」と言う記事が載りました。一読して、何だか腑に落ちません。ま、読んでみて。
『烏合の衆じゃなかったカラス…声と姿で仲間知る 読売新聞 (1月13日)』
『ハシブトガラスというカラスは、仲間の鳴き声と姿を結びつけて相手を認識していることを、慶応大学の研究チームが実験で明らかにした。』
『人間の場合、知人が風邪などでいつもと違う声だと、簡単にそのことに気づく。しかし、カラスが仲間を認識する仕組みは正確には分かっていなかった。』
『渡辺茂教授と伊沢栄一特任准教授らは、2羽のカラスをカゴに入れ、網ごしに相手の姿が見えるようにした。次に相手が見えないようカーテンを閉めた上で、片方のカラスをカゴから出し、残ったカラスに録音しておいた複数のカラスの鳴き声を聞かせた。』
『この結果、網ごしに姿を見たカラスの鳴き声が聞こえても、ほとんど反応しなかった。これに対し、見たことのないカラスの声が聞こえると、即座にカーテンのすき間をのぞき、それが数十秒間続く場合もあった。この結果から、カラスが相手の姿を見てどんな鳴き声が聞こえるかを予測していると、チームは結論づけた。』
少なくともここに書いてあることからは、こういう結論にはなりませんね。
初めの二羽のカラスは相手が見えていたとき、声を聞いたかどうか書いてありませんが、かごから出されたカラスをAとして、そのAの声を聞いていたとしましょう。
つぎに、そこにいなかったカラスの声を聞いて探したと言うことは、Aじゃないと即座に分かったと言うことで、そのカラスの姿と声を結びつけていることになります。結論は『カラスは相手の姿と声を結びつけて記憶している』となります。
最初に二羽いた時、カラスAの声を聞かなかったとしましょう。カラスAの声が聞こえても驚かなかったこと、そして「見知らぬ」カラスの声に反応したことは、ここに書いてあるように「カラスが相手の姿を見てどんな鳴き声が聞こえるかを予測している」と言えます。
でも、それだったら、人間の能力を遙かに超えていますよね。私たちは人を見ても、その人がどのような声でしゃべるのかを全く予測できません。
『人間の場合、知人が風邪などでいつもと違う声だと、簡単にそのことに気づく。』と言う前置きは、ヒトは知人の声を知っていて声で特定の人を認識できると言うことです。カラスは、声を聞いていなくても、声の持ち主を同定できるという、つまり人から見ると、超能力だと言うことを書いているのですよ。
この結論だったら、もっと大きく取り上げて騒いでも良いのではないですか。
カテゴリ:さえへの日記
さえ おさえ おさえちゃん:
ぼくはもう、ぼろぼろ、ずたずた。気力がない。
14日にうちに帰ってきました。
うちにひとり。
二階のリビングのさえの写真に、やあ、さえ、どう?と言って、さえとの対話が始まり、気付いてみると、ぼくひとり。さえは幻影に過ぎないじゃない。
それでも、15日の朝までは、ちゃんと仕事をしました。論文の残っていた部分を書いてラボに送りました。
でもその後がいけない。
14日にうちに戻ったとき、石川から電話が沢山入っていたので、電話を掛けました。4年前に奥さんのすみさんに死なれて、それでも気丈にやってきた彼は、うつが嵩じて、昨年9月からアルコール依存症となって閉鎖病棟暮らし4ヶ月をして戻ってきたそうです。
気丈ににやってきたのは、すみさんが亡くなったときお嬢さんの一人が離婚して子供を抱えて自立つする彼女を一緒になって助けたのだそうです。でも子供も春からは学校に行くようになって、それまでと生活が変わって、近くの、そして遠いところの娘さんたちが来てくれるにしても一人になって、澄さんの死と面と向きあったのです。そしてうつになって、アルコールに溺れて。。。
娘さんが強制入院させたそうです。
話を聴いたときは、生きる目標をなくした石川に、どう声を掛けて良いか分からない一段上のぼくがいたはずなのに、その後、ぼくは石川と同じになりました。
突っ張った気持ちをを取っ払ってしまったら、もう、何も大事にするものもない、必要もない、生きていることもない。さえ、ぼくは何をして良いか分からない。何もしたくない。
ぼくも、その日から飲んだくれています。時間がどのように過ぎるのか夢うつつ。
これじゃいけないと、ぼく自身がささやいているのですけれど。だから、それが救いになるかも知れない。ぼくは強いはずです。ね、さえ、助けて。
カテゴリ:さえへの日記
さえ:
約束通り今日は10月に亡くなった友だちの田中誠二のうちを訪ねました。
その時から三ヶ月を経て、突然の夫の死に未だに戸惑い、悲しみに浸っている夫人を慰めに伺ったのに、ほぼ一年を経過したさえの死にまだどっぷりっと浸かっているぼくは、一緒に涙を流しながらお話をしました。
友だちを失った悲しみと、夫人の悲哀、そしてぼく自身がまだ直面しているさえを失った哀しみが、すべて一緒になりました
さえのことを初めて話題にできました。ちょっぴりだけれど。
ぼくが東工大に移ったとき、さえは名古屋の愛知県がんセンター研究所での職を辞めてぼくのところに来て、それ以来文字通り朝から晩まで一緒でした。研究が一緒でしたね。
その後、徐々にぼくが食事を作るようになりました。だって、さえを名古屋に子供たちと一緒においてきて、すべてをさえに押しつけていたことの罪滅ぼしだったのですものね。
また、さえが上手く、料理が美味しいと褒めるものだから、つい乗ってしまって。。。
あの頃のぼくたちのお気に入りの冗談:
定年離婚が流行っているので、何時離婚されても良いように、そのとき自立できるようにぼくが料理を作り始めたら、どんどん腕が上がって、とうとうさえが、どうか離婚しないでと、ぼくに取りすがって頼んだ、なんて。
こんなことを初めて口にしました。
さえのことを口にして、少し心が和んだような気がします。人前で泣くな、さえのことで泣くな、と思って一切人にはさえのことを話題にしてこなかったけれど、それがいけないのかも知れない。
思い切って自分をさらけ出して、泣いてしまうことで、やり場のない心の重荷がおろせるかも知れない。
でもこんな、大の大人、じゃない、おじいさんに泣かれたりしたら、ほんと、迷惑でしょうねえ。
カテゴリ:日本の将来
さえ:
今日は高校の時に同級だった板橋に会ってきました。このところ同窓会費を払っていなかったので、会費を払いに出掛けることにして、それで会員証を手に入れたら4階のレストラン・シーボニアで出会って、同窓会員だから割引になると言う手を使いました。
前に会ったときは、日本のエネルギー問題をお互い真剣に論じたけれど、今度は、今の日本各地の放射能を巡る問題から始まりました。日本の事情に疎くなっていましたが、放射能を数値で(測定値で)発表するようになって、少しは日本の人たちも気持ちが落ち着いてきたかと思います。
だいたいなじみのないことなのに、根拠となる数値を示さずに、大丈夫だとか、危ないとか、ある意味でいい加減なことを言い続けてきたみたいですね、政府も、新聞も、いわゆる有識者も。
どこまで安全か、どこからは危険なのか、線を引くのも難しいところですが、その線を引く根拠も一緒に示さなくてはいけないのに、今までそれをしてこなかったみたいです。
政治的判断による安全値なんて一番ナンセンスでしょうね。
その後はシーボニアのバイキングを食べながら、もう引退してだいぶになるけれど、板橋は日本を代表する製鉄産業にいたので、彼の携わった仕事の話を聴きました。
鋼矢板(シートパイル)の組合わせのところをどうやって圧延で作るか苦労した話とか、そこから始まって、均一の厚さの鋼板をどうやって圧延で作るかとか。
昔の汽車はレールの継ぎ目毎にゴトンゴトンしていましたが、今はロングレールですね。鉄は寒いときには縮み、暑いときは伸びるからレールの間が空いていたわけでしょ。それが、今はどうしてロングレールにしてしまって大丈夫なのかとか。
話には驚きがいっぱい詰まっていました。こういうことって、中学でも高校でも触れる機会がないですよね。
こどもたちに、科学に対しての好奇心をはぐくむために、まだ頭脳が柔軟なうちに、いろんなことに不思議がらせて、それをいままでの人々がどうやって解決しているかを知る機会を与えると良いですね。
ぼくはまるで知らなかったけれど、板橋だって全く知らなかったそうですもの。ぼくたちのやっている生命科学だって命の不思議に惹かれて、それを少しでも化学の言葉で理解しようと、そこに飛び込んで、今までやってきているわけですよね。
鉄の圧延を知っていたら、そっちに行ったかも知れない。
大学に入るまでに、できるだけ沢山の世の中の仕事を知る機会があったらよいのではないか、自分の経験からもそう思います。
勿論今はテレビがあるから大丈夫だという意見もあるでしょう。でも、テレビって、うちにいたまま何でも見ることが出来て、自分で経験した気になってしまうと言うとても危険な情報の媒体ですよね。
カテゴリ:さえへの日記
さえ:
さえの死から1年目の1月26日に近づくにつれて、ぼくの心はどんどん重く沈み込んでしまいました。うちに一人でいて、触れるもの、思い出すことすべてさえのことばかり。
その日は一人でうちにいました。
長い間、さえへの日記が書けませんでした。さぼっていて、ごめんね。
でも、毎日が悲しくてとても書けなかったのですよ。
さえと一緒になるまでのあの輝かしい、楽しく弾む気分。あのときには、さえと死に別れてこんなに悲しい時間があるなんて思っても見なかった。
さえの命日が過ぎて、やっと、さえと一緒にいたからこそ楽しかった時間があったのだと考えるようになりました。
今はそうじゃないから、悲しい。
でも、さえのお陰で、楽しい時間がいっぱいあったじゃないか。そう、楽しい時間をいっぱい呉れたさえに感謝しています。
ありがとう、さえ。
今日の夕方はKasiaに会いました。さえの見舞いに病院に来てくれたのが12月だったから、一年以上会っていませんでした。
ぼくはキリスト教の信者ではないから、いずれ再会できるなんて信じてはいません。
そう思えればきっと気分は楽になるでしょうけれど。
カテゴリ:さえへの日記
さえ:
75歳の誕生日を過ぎて、運転免許の更新の際に、認知症検査が加わりました。A3位の紙に四つの絵が書いてあります。たとえば、とんぼ、太鼓、万年筆、やかん。係員がその名前を読み上げます。そして、昆虫のトンボですね。たいこは楽器ですね、万年筆は筆記具ですね、やかんは台所用具です、と大きな声で説明します。、しっかり覚えて下さい。これが四枚。つまり4 x 4 で16個の絵を見せられました。
その後、かきくけこと読み上げて、逆さから書かせたりしてから、「さ、さっきの絵を思い出して名前を書いて下さい」
きっと、さえならたちどころに全部できたでしょう。ぼくはやっと13個思い出しただけ。
こりゃいけない、ぼけの始まりかと思っていたら、次の問題は、左側に、昆虫、楽器、筆記具、などが書いてあって、その右に先ほど見せられた絵の名前を書くのです。つまりヒントを出して、それで思い出せるかどうかですね。ヒントがあれば直ぐに全部答えられました。
結局、認知症検査は満点で通過。
あとビデオを見ながらブレーキを踏むテストなどありました。これは平均点でした。
その後驚いたのは、視力検査です。動体視力というのがあって、動いているものの認識ですね。
これは眼鏡を掛けて両眼でするのですが、ぼくは1.0でした。係官が、まるで抽選の特等がでたみたいに、あれ、1.0がでましたよお、なんて他の人を呼んでいるのですよ。あとで分かったのは70歳代で0.3なのだそうです。1.0は若者並みですって。これは驚き。
毎日コンピュータのモニターを見ているのが仕事みたいなものですもの、目は極度に悪くなっていると思ったのですよ。これは神経の問題ではなく、水晶体の筋肉による屈曲なのかなあ。ぼくは脳につながっている目の神経がよいからと思いたいですねえ。
カテゴリ:さえへの日記
さえ:
今日は慶応大学に行ってきました。
王毅楠に会って、彼の研究の進展を聞かせて貰いました。前に書いた論文は二つに分けて、一つは糖鎖プライマーの合成と細胞への応用。もう一つは細胞に与えたときの生成物の詳細な解析と糖鎖プライマーの意義。この分割は賛成です。きっとうまく行くでしょう。
それで博士号の取得が一寸遅くなりましたが、そのあとの就職はある企業でのインターンがすでに決まっているそうです。ぼくが昔いた民間企業と関連があるところなので、ことによるとまだ知っている人がいるかも知れません。
そして佐藤先生に会って久しぶりに研究のことで色々とお喋り。
終わったあと、小楊こと楊志宏に会いました。彼女は、一年前のさえを偲ぶ会で久しぶりに会いましたが、今は某水産会社の研究所でとても良い研究をしています。
研究がまとまったら、是非瀋陽薬科大学に来て、うちの研究室や学部学生に、こんな良い研究をしたんだよと話をしてねと頼んでおきました。それが楽しみです。
カテゴリ:日本で生活
さえ:
ずっとぼくの健康を看て頂いていた熊谷先生が二年前に引退されて、それに引き続きさえの病が篤くなって、それどころじゃなく、ぼく自身の健康に気を配ることもなしに3年近く経ってしまいました。
今度一年ぶりに日本に帰ってきて、ホームドクターもなくなったし何処かで人間ドックで調べて貰おうと思いました。ホームドクターを持つのが良いに決まっていますが、見つけるのが大変でしょ。
インターネットで見ても決める基準がなく、比べられるのは値段だけ。予約を見るとどこも結構埋まっていて、見ているうちに段々慌ててきたのは、ぼくが今日本にいるうちに見て貰えるところがあるだろうか、ということになってしまいました。
それで、ともかく滞在中の時間に見て貰えるところ、ネットで見て感じが良さそうなところを、えいやっと選びました。
割と近くで、ネットで申し込むと直ぐに電話が掛かってきました。そして今日、二日分の検便試料と、採尿を持って昼過ぎにクリニックを訪れました。
ともかく驚いたのは、まるでホテルみたいな施設ですね。
病院に行くと普通は誰だって患者扱いで、つまり検査は向こう側の都合次第で待たされるわけですが、この人間ドックでは丁重に次の検査に送り出され、そこに行くともう受け入れの人が待っていて、直ぐに次の検査がはじまるという手回しの良さでした。
ここは健康検査診断に徹底していて、たとえばPETのできる検査室が6カ所ありました。
受け入れ人数は放射能デオキシグルコースを注射してから、一時間休む安静室が4カ所ありました。各安静室には6-8人は入れるるし、PET検査は30分くらいですから、もしもやる気なら午後の4時間くらいで30人以上をこなせるのですね。
施設にも金が掛かっていますが、それ以上を回収する気満々。それにしてもアテンダントが実に丁重で、中国から行ったぼくなど、これでよいのか知らんと半分落ち着きませんでした。
終わって、食事が出て、それが終わるとPETの結果について院長から説明を受けました。検査結果は二週間後に送られてくるそうです。何事もないように祈っています。
カテゴリ:さえへの日記
さえ:
今日はさえの兄弟姉妹の会がありました。元々は毎年一回のさえの家族の集まりでしたね。そのうち、お父様が欠けて、お母様が欠けて、そしてとうとうさえが欠けてしまった。
ぼくたちが揃って出たのは2010年の2月、渋谷の「彩」でしたっけ。そして昨年は開かれたかどうか知りません。
さえの一周忌に当たる今年、ぼくの家族は特に何の催しもする気がないので、三枝家の方の集まりがあるなら、是非、片割れしか残っていないけれどぼくを入れて欲しいし、うちの子供たちの都合がつくならどうか入れて欲しいとお願いしました。
ところが、娘の家族は都合がつかないという返事があって、息子とその家族と一緒に参加しました。妹の弘ちゃん以外は1年ぶりの再会です。
殆どが後期高齢者なので、話がどうしても老人の関心のある話になりがちでした。それでも、さえの姉上は毎年二回、歌の会の集まりでステージに立ってシャンソンを歌っています。彼女はさえよりも野太い声ですが、うまい歌い手ですね。今回は29日に演奏会があるそうですけれど、固定のファンがついているんですって。それで、チケットは皆さばけてしまっているそうです。
ぼくがあと二年半して戻って来たら、是非入れて欲しいとお願いしておきました。男が少ないから、それだけでも歓迎されるわよ、とのことでした。
ぼくが日本に戻るまでは2月しか都合がつかないので、もしこの兄弟姉妹会をするなら来年もやはり2月だわね、とこれは兄嫁のことばです。つまり、まだ寒い時期なので出歩くのが大変になってきているということでしょう。でもね、2月以外は長い休みが取れません。
帰りは息子夫妻がうちに来てくれました。そして、McGregorの紫色のsweaterを贈り物でくれました。嬉しいです。おまけに今日本のうちには古いだぶだぶのSweaterが二つあるきりですもの。
彼らに今回持ってきたお土産は、唐辛子で味付けしたピーナッツでした。元はというと中国の南の方のお土産で食べたのが気に入って。これならいける、息子もきっと好きに違いない、と210グラム入りの袋を十ばかり買って来たのですが、とっても気に入ったそうです。これも嬉しいこと。何時も中国からの土産には困っていましたものね。
カテゴリ:さえへの日記
さえ:
今日はいつものようにね、秋葉原に出掛けて胡丹とその家族に会ってきました。2010年4月には、さえと一緒に胡丹のアパートに行って生まれたばかりの豆豆に会いましたね。片道に時間近くでしたから、さえにとってはつらい遠出だったかもしれません。
胡丹が今回は、是非豆豆を会わせたいので、連れて行くというのですよ。うちまで来て貰うと遠いし、結局今まで良く出会ったみたいに秋葉原にしました。
豆豆はあと一ヶ月ちょっとで2歳になるところですが、元気に育った男の子です。乳母車で来るのかと思っていたら、ちゃんと手を引かれて歩いて来ているのですよ。最近ジャンプを覚えたそうで、ぴょんぴょん跳びはねていました。
秋葉原のビルの寿司屋に行きました。パパ、ママが言えるようになったし、ハオチーも言えるし、日本語でおいしいとも言えます。胡丹がぼくのことを指して「イエイエ(おじいさん)」と教えたら、すぐに覚えて、しきりにぼくにイエイエと呼びかけていました。
ぼくと胡丹は研究の話に夢中になっているものですから、豆豆は椅子に座って食べているうちに飽きてしまって、あちこちに歩きに出掛けました。もちろん秦さんが食べるものも食べずに付ききりです。
豆豆はぴょんぴょんと跳ねているうちに、頬をテーブルにかなりひどく打ち付けましたが、泣かないのですよ。胡丹によると、うちにいれば泣き出すけれど、外にいるとじっと堪えて泣かないそうです。
これは驚きですね。二歳にならないのに、気を張るというか、見栄を張るというか、状況を考えて振る舞えるなんて、胡丹の子供とも思えません。
そう言ってからかったら、「いや、ほんとに、この子が大きくなるのが楽しみなんですよ。しっかりしているから、もう、すぐにも頼れるんじゃないでしょうか」なんて胡丹は言って笑っていました。
胡丹は今の職場に移ってから、レクチンの糖特異性を改変するという素晴らしい研究をしたのですよ。幸い、今の職場での研究費が続いて、この春からの仕事も保証されたそうです。
カテゴリ:さえへの日記
さえ:
日本に戻ってきてからもう1ヶ月経ちます。早いものですね。戻ったときは、どうやって休みを過ごそうかと考え込んだものですが、それこそ、あっという間に過ぎました。
大半の時間は、特にさえの命日を挟んでの前後一週間ずつくらいは、時には涙にくれながらさえの思い出にふけっていました。この間、これといってこれはと言うようなものは何も出来なかったけれど、これこそがぼくにとって必要な時間だったと思います。
さえの死から立ち直ることは出来ません。でも、さえの不在という現実を見つめて、それと付き合っていくことが出来るようになりました。
伴侶を見付けて幸せに時を紡いでいく沢山の人たち。ぼくもそのひとりでした。
けれども、ひとりになった途端に、こんな悲しみが襲ってくるなんて、あの頃は考えも及びませんでした。
一人残されてしまったら、その途端にうちそのものが意味を喪いました。今このうちに一人で住む理由は全くありません。うちも要らなければ、何もいらない。
そう、カップルが伴侶の死別まで一緒なら、遺された方はその別れのつらさにもだえながらも、耐えていくのですね。
耐えきれないことだってあるでしょう。ぼくも狂気に身をゆだねるかと思ったときもありました。でも、さえと一緒に進めてきた研究がぼくをしっかりと現実に戻します。そう。約束は守らなくちゃ。
カテゴリ:日本で生活
さえ:
税金の昨年度の確定申告書を書きました。
二年前の2月、それまでぼくの分までも何時も書いていてくれたさえが、「今年は自分でも書いて覚えないといけないわ、もう来年は書いてあげられないから」ときっぱり言うので、とうとうさえに聞いて教わりながら、書きましたよ’ね。
そして、昨年の2月、さえを喪った悲嘆に暮れる中で、瀋陽に帰る前の日に深夜まで掛かって、前年度分の確定申告を書きましたっけ。大変だったけれど、さえの教えが生きたのです。
そして今年は瀋陽に戻る前日ではなく二日前に作業を始めました。旨いぐあいに半日の作業で終わりました。
作業のやり方は覚えていましたが、内容が変わっていました。昨年は共有だったものがぼくひとりのものとなったためですね。それで計算によると、払う税金が前年度より9万円増えました。
申告書作成の手引きをちらちら見ると、株の配当所得の税金は安いのですね。株式投資をしていると、銀行利子より儲かる仕組みです。
金を借りてマンションを買って人に貸すと、借りた金は損金扱いになるので、総計して資産は増えるみたいです。儲けられるからといっても、もともと資産のないぼくたちには金を借りるなんて言う冒険は出来ませんよね。
つまり、お金持ちは優遇されている世の中みたいです。
これは金持ちが日本を仕切っているからでしょう。国民の義務だから税金を払うのは当然だと思います。でも不公平があってはいけないでしょう。もっと貧乏人の眼で社会と政治を見て欲しいものですね。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
長い長い休暇を終えて、瀋陽に戻ってきました。マイナス8度の瀋陽空港には、雪城と暁艶が迎えに来てくれました。
大学がクルマを出してくれないのでタクシーを探すと言っていましたが、うろうろと客を捜していた女性に捕まって白タクの客となりました。50元ですから、タクシーよりも安いです。乗っている間は、研究のことでお喋り。
ラボにちょっと寄って運んできた試薬などをスーツケースから出して、早めにアパートに行きました。8階に行って、エレベーターホールからのドアを開けてうちの前まで来て、鍵を差し込もうとしたのに、何と鍵が鍵穴に入らないのです。
二つの錠前のどちらも利かないのです。あれ、これ本当にうちだろうか、違うところに来ていないかな、と改めて確認して、やはり、ドアが開けられない。これでは大学に戻って寝るしかないな、と。
幸い、トランクとバックパックの両方があったので、暁艶がうちまで送ってきてくれたのです。大学の施設に電話をして貰ったけれど、不在中にうちの中には入らないし、鍵も換えていないと言う返事です。
つぎに暁艶は電話をしてなにやら頼んでいました。ともかく隣の建物に住む彼女の友達のところに行きましょうと連れて行かれたのは、大学の校医として働いていた先生でした。暁艶は何しろこの大学に長くいるものだから、いつの間にかもう親友なのだそうです。元気で、見るからに親切な人でした。
その彼女が鍵やさんに電話をしてくれて、修理やさんが来てくれたのが7時すぎ。一つの鍵は結局取り替えるしかないと、外から鍵穴の周りを叩き続けてシリンダー錠を抜き出しました。一つは潤滑剤(5-56みたいなものですね)を注入しては洗うのを繰り返して、とうとう動くようにしました。新しい鍵を付け終わったのが9時過ぎ。ざっと2時間のきつい労働と新しい鍵で、220元でした。
錠前の一つは潤滑剤で洗い続けて動くようになったのですが、一つは中の機構が壊れているとのことでした。外から鍵を開けようして壊した可能性があると言うことです。
うちに入ってみると特に風呂場がとても汚れていて、誰かが濡れたところを泥靴で歩き回ったみたいでした。よくよく見ると、洗面台の水に繋がるパイプが中途で切断されていて、水が流れてくる側のパイプにはコックが付いて水が止まっているのです。
状況は不在中に水漏れがあって、その手前でパイプを切断して水止めのコックを付けたことを示しています。
水漏れを止めるのは最低必要でしょうけれど、切ってしまってパイプを繋いでないから洗面台では水が使えないですね。
と言うわけで、瀋陽に戻って、これは波瀾万丈の幕開けなのかな。
カテゴリ:インターネット
さえ:
今ネットの世界はクラウドの時代になりました。クラウドと言っても雲の上にいるさえにはピンと来るか来ないか分かりませんが、Googleでいとも簡単にホームページが作れますね。これは簡単に言うと、ソフトウエアはこちら持たずにサーバー側にあるし、出来たデータも向こうにあるけれど、PCさえあってネットに繋がれば、何時でも何処にいても見ることが出来るし、いくらでも更新出来るようになったということです。
今ではそれがもっと大々的になってきているのですね。ソフトウエアもデータもすべて自分のPCに持っているのが今までの時代で、これからはネットにアクセスできる環境ならば、何時でも、どのPCからでも、ネットを呼び出して自分のデータにアクセスして仕事が出来るようになっていたわけですね。
というわけで使い始めたのが、一つは、Evernoteです。これは、Evernoteと言うフォルダーの中にいくらでも、ファイルを作ることが出来て、どのPCからでもアクセスできるのですね。これはうちにいても1階と2階のPCを使っているときはもちろん、仕事場でのPCでも同じ書類にアクセスしたい場合に、とても便利です。予定表、書きかけの論文、勉強している最中の記録メモなど。
もう一つはDropboxです。これはDropboxという倉庫の中に、ファイルを入れておけるというもので、こちらのPCでそのファイルを呼び出すと、それがこちらのPCに移ってきて(その分身がネット上には残らずに)その場で作業が出来るというものです。違うPCから同時に呼び出してつかっても、同時に作業できないというのは、逆にデータ修正加筆が重複しないという利点だあります。
Evernoteは1月に中国にいるときに使い出したのですが、瀋陽に戻ってきた今日、アクセス不能であることを見付けました。まだ、一日のことですから、実は使えるのかも知れませんが、2ヶ月使ってきたデータがパアです。日記もここで書いていましたが、日本に戻るまでは見ることが出来ないと言うわけですね。
Dropboxは、これを日本にいる間に作ったとき、ファイル共有にとても便利で、たとえば修正中の論文などを置くのに最適ですね。それでも中国で使えないかも知れないので、中国にいる暁艶に使えるかどうかを聞いたらアクセスできないと言ってきたのですよ。
ですから日本では便利に使ってきましたが、戻ってくるとき中身はすべてHDDに移して持ってきたのが、正解でした。
それにしても、ネットの時代の便利さをすべて阻害するようなこの國の態度は、一体どういうことなのでしょうか。これで世界の大国になれるのでしょうか。
カテゴリ:研究室風景
さえ:
昨日、今年初めての論文を投稿しました。ネットがはかばかしく動かないものだから、投稿に要した時間は約2時間。
でも、論文を書き始めたのが2009年秋ですから、2年半も掛かったと言うことですね。2009年秋に書き始めたというのには、さえも知っての通り、もっともっと長い歴史があるのです。
2003年にぼくたちがここに来たときに博士課程に入りたいと言ってきた関さんを、ぼくたちは歓迎したのですが、修士号を持っていると言うのに、実験は出来ない。でも、もうここのTeacherだというので研究室の新しい修士1年生の前では威張っていて、実験を謙虚に進めようとしない。
薬理学で修士を取ったそうで、そのためかシグナル経路の阻害剤を使ってその経路が効いているかどうかを調べる実験をやると、ともかく効果が出るまで濃度を高めてしまいます。
薬物が何処にどう効いたか分からないけれど、気息奄奄の細胞を使ってこの薬物が効いたからこの経路を通っているんだと主張します。先ずは、細胞の成長に与える薬物の毒性を調べる実験をしなさいと言ってもまるで聞きません。
細胞を使っているのでどの実験も少なくても三回行って同じ傾向が出なければ信用してはいけないといくら言っても、不承不承に二回実験をすると、もう三度目をやろうとしません。
そんなこんなで博士課程の3年を使ってもこれという結果は出ず、さらに2年過ごして5年経っても信用できる研究は出ませんでした。博士は5年間で退学なので、自然退学かと思っていたら、大学が特例を作りました。
博士は然るべきジャーナルに論文を出版しないといけないのですが、それがなくても、発表を行ってそれから2年以内に出版されれば博士になれるという特例です。これは、教授なのに論文が出ていなくて博士になれない人のために作った特例で、ちょうどそう人がいたから、セットとなって博士論文発表をしたのです。
内容は、信用がおけないからと私が認めていない実験の結果を一方的に解釈して、2008年初夏には、全体に強引に筋を通した論文にして発表したのです。
それで関さんとは縁が切れたはずですが、その後一年経ってから、ここでやった実験のうち信用のおけるものを土台にして、うちの修士の学生に跡を継がせて研究を進めました。もちろん関さんとはそのことで十分話しをしてあります。研究室を引っかき回されたくないので、うちの学生が続けたのです。
それから2年半、修士の学生二人と、博士の学生ひとりがこれに関わり、関さんの書いた筋書きと全く違う展開の論文となりました。彼女の発表したことは間違っていて、全く新しいシグナル経路が二つ見つかったのです。
論文はぼくが書いて、もちろん図は学生が作るわけですが、この休み中に何度も直して、17日にここで顔合わせをして最後の直しをして、そして投稿という運びになったのです。
さて、投稿まで漕ぎ着けてこの先はまだ分かりませんが、現時点で、この研究を仕上げるのに関さん以上に貢献した学生にも、そしてぼくにも、関さんから、ありがとうの一言もありませんでした。
3年で博士が取れなかったことで、ぼくを恨んでいるのでしょう。ヤレヤレです。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
ここで仕事を始めて見ると、すっかり頭も、身体も鈍っています。
16日に瀋陽に戻ってきて、17日は関さんの論文の最終チェックと投稿をしたでしょ。その夜は、暁艶の論文に必要な図のチェックを二人で行いました。
18日はそれを受けて、暁艶の論文に終日全力投球。
たった二日のことなのに、昨夜は8時間寝ても疲れが取れず、ラボに何時ものように出てきても、今日は日曜日じゃないかと呟いています。
1ヶ月の休暇の間、いかに怠けて過ごしていたかが分かると言うものですね。
昔、学部学生の頃、当時の親友だった岡 徹夫さん(その後協和発酵に入って偉くなった)が、人は休むと元に戻るのに休んだだけの時間が掛かるんだといったのを、そのまま忘れずに覚えていますが、休みをとる度にそれが正しいことをを痛感します。
でも、元に戻るのに一ヶ月も掛けてはいられませんね。
今日は、幸い日曜日なので、マッサージにいき、グロサリーに行って気分をかえ、さらに歩くことで身体を鍛えて新学期に備えようと思います。
というわけで、出掛けてきました。
昨日まで最低気温はマイナス18度だったのに、今日の最低気温はマイナス8度だそうで、おまけに昼間の温度は3度にまでなっているのですよ。
厚い下着を着込んでいるので、足はもこもこするし、歩くと汗は出るし、それでも4 Km ちょっと歩きました。最後は重い米や小麦粉、砂糖などの入った袋を持ってですから、良い運動です。
いや、なに、ここでケーキを作ろうと思ったのです。日本にいたとき炊飯器で作ったなんて話しをしたものだから、ここでも作る羽目になったというわけ。でも、ベーキングパウダーを大きなスーパーで探したのに、見つからないのです。
実験室の重炭酸ソーダを使っても良いけれど、これは研究用試薬だから遙かに高価ですよね。ま、見つからなかったから、今日は作らない言い訳が出来ました。
カテゴリ:本に一言
さえ:
成田の搭乗口にある本屋さんで買ってきた、石田衣良の「シューカツ!」を二晩かけて読みました。
大学3年生の就職活動を題材としていて、大学3年生の友人7人が作った「シューカツチーム」の涙と笑いの奮戦を描いています。
文藝春秋のサイトを見ると、「担当編集者から一言」というのがあったので、そこに書いてある惹き句を引用しますね。
『元気で真面目な水越千晴は、鷲田大学3年生。このたび、学内の仲間たちと「シューカツ・プロジェクトチーム」を結成した。夢のマスコミ就職に向けて、目標は全員合格。クールなリーダー・富塚圭、準ミスの佐々木恵理子、女性誌志望の犬山伸子、理論派のメガネ男子・倉本比呂氏、体育会柔道部の小柳真一郎、そしてナンパなテニスサークル副部長・菊田良弘。読めば誰もがもう1度就職活動をしたくなる(?)、ど真ん中の青春小説です。(KH)』
いや、もう、面白いの何のって、思わず惹き込まれて、この主人公の千春になりきって読みました。これはこの石田衣良の筆力がすごいってことですね。
ぼくたちは、シューカツの経験が全くないですよね。
大学院を終えたら名古屋大学から誘われてそこに就職できたし、民間に移ったときも誘われたので社長面接を受けただけですし、その後再び大学に行ったときも、選考委員会で話しをしただけです。
学部学生が3年生の一年間を掛けて、こんな厳しい就職戦線を切り抜けるなんて全く知りませんでした。
実際を経験したことがないし、今のシューカツのことも知らないのですが、就職に挑戦し振り回される彼女と彼たちの様子が、実に生き生きと描かれています。石田さんの筆力のお陰で、これが本当のことなんだと信じてしまっています。
大学受験に比べたら、受験は記憶力と多少の頭の良ささえあればよいけれど、シューカツはその学生の人間性が丸ごと試されるという厳しいもので、その後の人生がほぼすべてそれで決まってしまうのだと書かれています。
採否の判定は数次に亘って行われるテストと面接できまりますから、全人格がまな板に載るわけですね。この勝負で一生が決まってしまうのだから、恐ろしいことです。
決める側だって仇やおろそかな気持ちで面接に臨んで欲しくないですね。
2012.02.21 王Puが訪ねてきました
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
昨日は驚きの月曜日でした。王Puが訪ねてきたのですよ。
1月に、3年半振りに中国に里帰りをするから会えるでしょうかと言うメイルがありました。でも、ぼくが日本に戻るあとのことなので、今回は会えなくて残念と返事を書いたのです。
ぼくが2月16日に瀋陽に帰って来たときには、王Puはもうとっくに米国に戻ったと思っていました。
それが昨日、奥さんと一緒に尋ねてきてくれて、とても嬉しいことでした。
彼は中国での職を探していますが、米国でも良い研究をしてもう4報も論文を出しているのに、なかなか見つかりません。今の中国の様子は以前よりもずっと厳しくなっているのですね。
この大学は彼にはふさわしくないと思いますが、それでもここに来てぼくたちの研究室を引き継いでくれたらこんなに嬉しいことはないと思います。でも、この大学でも職の状況はきついのですって。
おまけに、これは他の人から聞いた話ですが、この大学に職を求める人には、インパクトファクターが6以上のジャーナルに出していないとお呼びじゃないと言って蹴っているのだそうです。つまり、良い研究をした人をスタッフとして取りたいのではなく、実は優秀なひとは取りたくないというのがこの大学の姿勢なのでしょうか。
ともかく、ちょうどうちの研究室に何時人たちにも来て貰って、彼のやっている研究や、アメリカの研究室の様子を色々と聞かせて貰いました。
皆、大先輩の話に嬉々として聞き入っていました。
彼は米国に行くときぼくが、「きっと中国に戻っていらっしゃいよ」といった言葉を覚えていてそれを守る気でいます。中国の何処かに、この大学ならもちろん最高ですけれど、職が見つかることを祈っています。
カテゴリ:薬科大学
さえ:
ぼくたちがここに来て以来、何度も薬科大学の移転の話しがあったでしょ。とうとう昨年夏には、その北部地区で鍬入れ式をしたという写真が大学新聞に載っていました。
今度瀋陽に戻ってくると、いやあれはキャンセルされて、薬科大学の一部が出来ている本渓地区に全部移るんだという噂です。一般の新聞に載っているそうです。
それが本当なら、実はまだ移転が最終的には決まっていないか、あるいはまだ決定もひっくり返るチャンスがあるのではないかと思い、移転を思いとどまるよう大学の首脳部に意見をしようと思い立ちました。少なくともここに戻ってこられるように、半分でも残しておくようにと。
だって、日本のことを見てご覧なさい、バブルの頃東京の中心から(あるいは大阪。名古屋)沢山の私立大学、そして都立大学が郊外に出て行きましたね。
郊外に大学が移転した頃は、それは世間から大いに歓迎されました。
欧米の大学町は郊外型キャンパスが多く、そのイメージもあいまって「空気が綺麗」「キャンパスが広い」「自然が多い」と受験生に評判がよく、文化講座等によってその地域へ大学の知を還元することが出来るとマスメディアでも大変に評判が高いでした。
鉄道会社にとっても都心への通勤ラッシュとは逆の郊外への朝の大量通学輸送が期待できるメリットがありました。
その当時、郊外に移転した大学には、青山学院大学、中央大学、東洋大学、理科大学、都立大学(現・首都大学)など多くの大学があります。ここに挙げたのは東京の場合ですが、他に大阪でも名古屋でも、大学の郊外移転がありました。
しかし、やがてバブル経済が崩壊して都心の地価が下がってきました。さらに日本は人口の増加が減ってきて(少子化です)、熾烈な受験競争が緩和されたので、受験生の選別意識が高まり郊外キャンパスが敬遠されるようになったのです。名門大学に入ったのに、どうしてこんな田舎で暮らさなくてはならないのだ?と学生が思い始めたのですね。
実際、郊外型キャンパスは都心に比べて交通アクセス面で不都合があります。郊外に移転した大学は受験生の激減という、財政的な面でも大問題に直面してしまいました。これは大学の評価にも及びます。
都心にあることは教授陣にも魅力です。不便なところにある大学は研究面での交流が低調になり、優れた教授には魅力がなくなってしまいます。
それで各大学としての解決策は都心回帰しかなかったのです。
東洋大学は創立125周年を迎えた私立大学ですが、有名大学ではありません。しかし、都心から郊外へ移転した日本の大学としては日本で初めての全面的な都心回帰を実行し、今では受験生の人気は、日本大学を上回っているそうです。
東洋大学は1961年以降、郊外移転をしました。しかし移転が失敗だったことに気付いて都心の白山に土地を購入し、このキャンパスへの集中化を行っています。
東洋大学の都心回帰にあたっての最大の特徴は、大学4年間を一つのキャンパスの中で一貫就学させることです。もともと4年間の一貫就学は国立大学が教養課程と専門課程に分断されていることに対する私立大学の最大の長所です。東洋大学はこれを都心回帰を機として、本来の姿に戻したと言えます。
東洋大学の成功を見た各大学の動きはとても敏感でした。
カテゴリ:薬科大学
さえ:
薬科大学首脳陣宛に書いた意見書の続きです。
都心回帰を真っ先に果たした東洋大学を見て、郊外移転をしていた他の大学が続きます。
法政大学、共立大学などがこれに続き、さらに青山学院大学が、とうとう2012年に全学部を渋谷の青山キャンパスに集約することを決定しています(震災のために工事が遅れています)。
青山のこの決定は大学の人気勢力図に大きな影響を与えることになりました。また実践女子大学は日野市のキャンパスから現在中学と高校しかいない渋谷キャンパスの一角を高層化して2015年に主要の学部を4年間渋谷キャンパスで就学とすることを決定しました。
しかし私学の一方の雄である中央大学は、1977年に駿河台キャンパスを売り払い、多摩地区に広大な校舎を建築して移転しました。
そのあとこの大学も、少子化問題による受験生の激減と大学の評価の低下に直面したのですが、後楽園キャンパスはすでに満杯となっています。都心の駿河台キャンパスという一等地の地所を売り払ってしまったため、戻る場所がありません。したがって中央大学が都心回帰することはもうあり得ず、中央大学の地位は今後は低下し続ける一方でしょう。
実際の例を書いてみました。中国はまだまだ発展の圧力がありますが、いずれ人口増加も落ち着いてくるでしょう。
その時、瀋陽薬科大学は、長く輝かしい歴史はあるかも知れませんが、瀋陽の都心ではなく、遠くの田舎に大学に校舎があるわけです。そうであるなら、受験生にとっても教授陣にとっても魅力が薄れる可能性が高いでしょう。
日本で起こったことは、いずれ中国でも起こるに違いありません。まして、二つあった薬科大学の一つである南京薬科大学がいまでは中国薬科大学という名前を持ち、南京の都心部に校舎も持っていることと比べると、この大学は圧倒的に不利な状況に立たされるでしょう。
郊外への移転の決定の再考がまだ間に合うならば、是非、この大学の将来を日本の大学の実際の姿を参考にして、もう一度考え直して欲しいと思います。
この大学の発展のために校外に土地を求めて広げることは必要なことでしょうけれど、この今の地所も(半分でも)確保しておけば、いずれ建物を高層にして多くの大学施設を収容することが出来ますので、名実共に瀋陽の都心部にその威容を誇りつつ発展を続けることが可能でしょう。
インターネットで上に書いたようなことを調べ、それを文書にしました。学生に頼んで中国語に翻訳して貰って、それを校長と四人の副校長にメイルで送りました。
もう遅いかも知れませんね。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
22日は午後から雪が降り出しました。うちに帰った8時頃はみぞれになっていたのに、夜に入って気温が下がって雪と変わったので、23日の朝は久しぶりに雪景色でした。
夜のうちに雪は踏み固められて氷になっていましたが、その上にさらさらの雪が積もっていて、滑らずに歩けます。
瀋陽では、放っておくと雪が氷にまで踏み固められて危険なので、歩道の雪かきは脇に建ち並ぶ商店それぞれに義務づけられています。でも、必ずしも守られていないので、歩くには細心の注意が必要です。
それでこの冬、早めに対策をと思って、脱着出来るスパイクが付いたゴム底をネットで探して貰い、19.5元で購入しました。
靴底にひっかけるわけで、ゴムが伸びて靴底に密着します。
実際に歩くとうまく氷をひっかいてくれるので、歩くのに臆病にならずに済みます。ところが、一回使っただけでゴムが切れました。つまり、一回歩いただけで19.5元が吹っ飛んだわけ。
うーん、良くあるやつですね。見てくれはよいけれど、質は落として安く仕上げて売るというやつ。
それで、日本にいるときに靴屋を物色したところ、スパイクが底に付いていて、そのスパイクがOnOff出来るものを見付けました。約6千円でした。
このスパイクはちょうど踵に付いているのですね。簡単に指先で出し入れが出来ます。
さて、この靴の出番です。具合はよいですが、何時まで持つでしょうね。実は、この靴も某国製なのですよ。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
このあいだ日本で薛蓮さんと沈慧蓮さんに会ったとき聞いたのですが、沈さんの研究室の教授は料理好きで業界に知れ渡っているんですって。
昨年秋のこの大学八十周年記念事業に日本から参加して講演もありましたが、沈さんの教授とは知らずにいたので、挨拶もしませんでした。
研究室には30人からの学生がいるのに、どうやって料理をつくるのだろうと思ったら、MS1年の院生は自動的にこの料理作りに参加するのだそうです。
そして最近は、炊飯器ケーキも作って、これが美味しいのよと、沈さんは嬉しそうに説明します。それで、炊飯器ケーキって何と尋ねたら、今の流行だそうで、じゃレシピを教えてと言ったら、ネットに沢山載っていますよということでした。
日本のうちでネットを検索したら山ほどレシピが載っていました。しかもホットケーキミックスを使っていて、粉をふるう必要も、ふくらし粉を使う必要もなく超簡単だと言うことです。
それでチーズケーキ作りに挑戦しましたが、日本のうちにある炊飯器は直ぐに通電が切れてしまい、駄目なことが分かりました。釜のままオーブンに入れて焼き上げる羽目になりました。
ケーキ作りはよいけれど、食べるのはたったひとりですから、食べ終わるのに四日もかかりましたよ。
さて、瀋陽に戻って、秋に買った新しい炊飯器なら良いだろうと思って、ココアケーキに挑戦。作っている最中にレシピを無視して粉をあと50グラム足したためか、一寸乾いたケーキになりました。
次は、バナナケーキです。ホットケーキミックス200グラムにバナナ2本、卵二個、牛乳100 ml、これにバターを80グラム使ったらしっとりとして美味しいケーキになりました。
三回目はチーズケーキ。フィラデルフィアチーズがないので、チーズスプレッドを買ってきて代用しました。生クリームは手に入りました。チーズが少ないので柔らかすぎるのですね。仕方なく小麦粉を増やしました。それでも、まあ、大丈夫な味です。
研究室の全員と隣の池島老師に分けて、皆大喜び。出来上がったケーキの1/8しかぼくの分はないわけですが、ぼくも至福の時でした。
カテゴリ:さえへの日記
さえ:
今日で一年と一ヶ月経ちました。もう、月ごとにこの日が来ても何も言うまいと思っていたのですけれど、ちょうどさえの夢を見ました。
炊飯器でケーキを作ったりしたので、さえに、入院していたさえに、「炊飯器でケーキを作ったから持ってきたよ」と運んだのですよ。二ヶ月に及ぶ入院の前半で、食欲不振が収まればうちに帰っても良いって言われていた頃です。
先生にそう言われて、ぼくたち素直にそれを信じていましたね。信じるしか心の平安を保ちようがなかったというのが、今から思えば正解でしょうけれど、ね。
ご飯時になると、ベッドを起こして半分くらいはぼくがさえの口に運んでいましたっけ。食べるのに直ぐ疲れちゃうから、一時に沢山口に入れようとしては、「そんなの無理よ」とさえに言われていました。
昨日作ったハチミツココアケーキをみて、「わ、おいしそう」とさえは言って、フォークの先から二口食べてくれました。「とっても美味しいわ」でも、もうお腹が一杯だから、またあとにしてね」とにっこり微笑んで、ベッドをもとのように倒しました。
ぼくはもうこのあたりで、こんなことはない、これは嘘だ、夢だと気付いて涙を流していました。
あんなにもうちに帰りたかったさえ。うちに帰りたいと夜中にベッドの柵を乗り越えて落ちてしまって朝になるまで助けて貰えなかったさえ。ぼくに「早くて来てよ」と、電話をかけ続けたさえ。
生きているうちにもっともっと大事にすれば良かったさえ。もう、あとの後悔先に立たずです。
せめて、この先は悔いのない生き方をしましょう。さえに恥ずかしくない生き方をしましょう。
カテゴリ:さえへの日記
さえ:
これは美談なのでしょうけれど、これでよいのか、中国。
サーチナ 2月21日によると『自転車による世界一周旅行を続けていた日本人青年、河源啓一郎さんが17日、湖北省武漢市で自転車を盗まれた。河源さんはこれまでに自転車で世界10カ国(地域)を旅した』
『中国では上海市、江蘇省を経て3週間ほど前に武漢市に到着し、市内の繁華街を観光した。歩行者街の手前の自転車置き場に「愛車」を止めたが、満車状態だった。置き場には管理人がおり「自転車は見ているよ。ただし午後8時までには戻ってほしい」と告げたという』
『河源さんらは約束を忘れ、午後8時半ごろに戻ってきた。管理人はもうおらず、自転車の姿もなかった』
『河源さんは警察に、自転車が盗難に遭ったと届け出た。警察に河原さんらは「自転車は置き場の外に止めた。(見ていると言われたが)自分らが約束の時間に戻らなかった。管理人に責任はない」との考えを示したという』
『警察は別の自転車1台を用意し、河源さんに「これで武漢の観光を続けてほしい」と貸し出した。警察は一方で、盗まれた自転車の捜索に力を入れた。インターネットの公式ミニブログでも同件を告知した』
『ミニブログでは、ユーザー約8000人が日本人青年の「自転車を探そう」と呼びかけあった』
『20日早朝、ヤミ市場でこの自転車を買った人から河源さんに無事に自転車が戻った』
この事件はめでたしで終わっていますが、日常的に起こる頻繁な自転車、ケイタイの盗難は、とられたらもうお終いです。この事件に限ってどうして、皆が一生懸命になったか。
被害者が日本人にもかかわらず、被害者が善意の訪問の旅行者だったからか。
市民がネットの上で騒いだから、警察の面子に懸けて探そうとしたか。
でも、被害者が日本人だったにもかかわらず市民が声を大にして探したのは、中国人全部が悪人ではないのだよと言う声なき声が大きくうねったからではないでしょうか。
クルマに轢かれた二歳の女児を見殺しにしたのも中国人なら、こうやって善意の声を広げたのも中国人。もっと深い分析をしてみたいですね。
カテゴリ:研究室風景
さえ:
昨日から正式に後期学期が始まりました。それで卒研生として、劉くん、馬さん、毛さんが新しく参加しました。今研究室には7人の院生がいますから、部屋の大きさからするとちょうどの人数です。
劉くんは上海にある科学院の大学院を受験していて、あとの二人は日本行きが希望のようです。
劉くんは陽さん、馬さんか張さん、毛さんは朱さんが指導することに決めて、朝皆が集まったところで知らせました。今期からは、研究室のルールの説明も、研究室の作法も、すべてそれぞれのシニアから教わることにしました。昨年から陽さんの主導でマニュアル作りが進められているので、漏らすことはないでしょう。
テーマも狭くしてきっちりとデータが出せるようにしました。これは、今までは卒研生の実験に、期待を掛けすぎていたこと、そしてうまく行かなくて、失望することが多かったことに気付いたからです。
なお、マウスのマクロファージや神経細胞も使って実験したいので、これは大学の○○教授に尋ねてみますね。
午後論文書きをしながら、ケーキ二つを焼いて研究室の10人に上げました。レーズン入りパウンドケーキと、チョコレートケーキです。でも、これが中国なのでしょうね、そのあと誰ひとりとして、ケーキを食べた感想を言いません。
「美味しかった」の一言でもあればまた作るのにね。ま、文化が違うからと自分を納得させていますけれど、これをアメリカでやったら、もう二度と鼻もひっかけて貰えない態度ですよね。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
ぼくたちの瀋陽薬科大学での仕事の行き帰りは、大学の前の商店街を通り、アパートを抜けてうちまで約10分の時間ですね。
そのぼくたちに新聞配達の女性が自転車に乗って通り過ぎながら、「おはよう」と日本語で声を掛けてくれることがありましたね。新聞の配達ですから朝早くないと出合うことはありません。でもそれ以外でもたまたま大学構内であったりすると、遠くから「ハロー」と言ってにこにこして通り過ぎていきました。
うちのアパートにも新聞配達に来ていますから、何時か入り口であって、さえも一緒に写真を撮りました。でも、お互い言葉が通じないから、名前も知らず、ただにこにこと挨拶をするだけでした。
さえに死なれて一人で歩くようになっても、もちろん時々彼女と出合うことがあります。それで一度名前と電話を聞きました。
それからは、相変わらず話しをすることはないものの、新聞売りの女性は王さんという名前のある人物になって、「今朝王さんに出合って、あの笑顔のおかげで一日中気持ちが明るい」という具合になりました。
昨日の朝6時過ぎにうちを出るときにまた、新聞配達に来ている王さんに会ったのです。暁艶に電話を掛けて貰って、都合を聞いて、夜、研究室に来て貰いました。
もちろん、ふたりの笑顔だけでは話は進まないので暁艶に助けて貰いました。王さんに夜に会えると分かってから、午後は桃のシロップ漬けでジェリーを作りました。暁艶は両方の話しを訳さないといけないので、ジェリーを口に運ぶ間もないほど、両方に向かって話すのに大忙しです。
王さんの息子さんが日本語を勉強しているので、ぼくたちに日本語で声を掛けることが出来たのですって。何時かこの息子さんにも会って見ましょう。
お土産には、一日前に焼いたケーキが1/4あるのでこれを上げました。気に入ってくれたら、また作りましょう。
こうなると、何時も笑顔だけで済ますわけにはいきませんね。どうしても中国語を覚えないといけません。さてと、そこまでは考えてはいなかったのですけれど、現実、必要なことですね。
コメント:
Re:新聞配達の王さん(02/29) 棉花糖 さん
一期一会 (2012.02.29 10:16:03)
カテゴリ:生命科学
さえ:
2月28日、Nikkiの陳さんと一緒に日清オイリオのかたが二人訪ねてこられました。特にぼくに用事があったわけではありません。瀋陽に九年もいる日本人を紹介したかったのでしょう。
日清サラダ油を作っている会社ですね。1907年に大連につくられた日清製油がもとなのだそうです。
訪ねてこられた方の事業部は今は油ではなくヘルシー食品、特保に関わっているそうです。しかも大連に工場があって、生産したものは全部中国向けなのだそうです。
油脂はぼくたちの専門ではないですけれど、講義のためもあって勉強していると一番面白いところですよね。
これは良い機会なので、いろいろと話を伺いました。そして、昔の膵炎で苦しんだ頃のことを思い出したのですよ。
「日本の大学にいたとき、何時も沢山の研究費が必要でしょ。この研究費の申請のために年中苦労しているのですよね。これが大きなストレスで、それと卒業時期になると学生とアルコールを飲む機会が特に増えるでしょ。このストレスとアルコールが膵炎の大きな原因なのだそうです」
「膵炎に罹ると、唯一の療法は油の摂取の禁止です。それで、食事を作るのに全く油を使わない料理を一年続けたのですよ。フライパンは今はテフロンコートだから油なしでも炒め物が出来ますね。ところが、その油抜きの料理って、言語を絶する不味さなのです。つまり料理のおいしさの秘訣は油なのですね」
「この油抜きの料理を一年食べて、また卒業時期が来てお祝いにアルコールを飲んだら、また再発して、いや、そりゃひどい目に遭いました」
「この不味い油抜きの料理を食べたくない、膵炎のあのひどい痛みを二度と経験したくない、というわけで酒を飲まなくなって9年経ちました。それで、伺いたいのですが、油なしであの油のおいしさを出せるものって開発できませんか?」
「膵臓の悪い人に大きな、すばらしい福音だと思いますよ」
といったら、日清オイリオの方たちは大いに笑って、「私たちは油を売るのが商売ですから、油を使わなくなったらお手上げです」とのことでした。
なるほど、今は飽食の時代ですから、油を使わなくて美味しい料理が出来るとなったら、油は売れなくなってしまいますね。
実際、油にも色々と種類がありますから、ω3不飽和脂肪酸が健康によいとか、いや単価不飽和脂肪酸だって健康に良いのだとか、色々と研究があります。大抵は高脂血症マウスとか、レプチンノックアウトマウスなどを使った実験ですが、培養細胞を使っていろいろな油の効果を調べてみましょうか。
カテゴリ:友だち
さえ:
月曜日に、林教授が「昨日瀋陽に戻ってきました」と、現れました。
昨年秋に瀋陽に着任したあと、この瀋陽の寒さを乗り切ることが出来れば滞在を続けれるけれど、そうでないと分からないとかいうことでしたが、あまりの寒さに体調を崩したりしながらも、瀋陽に戻って来る気になったわけで、結構なことです。
良い知らせがあるのですよ、という前置きで、ニッピの服部所長と藤崎さんが、3月半ばに瀋陽に訪ねてくるという嬉しい話を聞きました。
ぼくたちここに来る前は、ニッピの研究所にお世話になりましたね。林さんはコラーゲンの専門家ですから、ぼくたちが去ったあとニッピとずっと関係があって、ですからニッピの研究所の人たちを皆知っているわけです。それどころか、今の服部所長も、所員の藤崎さんも彼のお弟子さんなのだそうです。
林さんは隣の池島教授の研究室で一緒に仕事をすると言うことになっていますが、まだ実際の研究を始めていません。それで、ニッピの服部所長と藤崎さんを瀋陽に招いて、コラーゲン研究の実際の実験手技を紹介するのですって。
ぼくたちがニッピにいた頃、藤崎さんの確実な研究に感心しましたよね。
藤崎さんとニッピで仲良くなったものだから、ぼくたちが瀋陽に来てからも、そのあと二回、藤崎さんと東京で出会って一緒に食事しましたね。
その彼女にまた会って研究の話が聞けると思うと、これはとっても嬉しくって、今からわくわくしています。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
2月16日に春節休暇から戻ってきたらアパートの鍵が開かずに大変だったと書いたでしょ。鍵開けの職人を頼んで、3時間寒い外廊下にいて、やっとうちに入ったのでした。
うちに入るとバスルームの床が汚れていて、誰かが入ったに違いない。調べると洗面台のところの吸水管が切断されています。これはきっと水が漏って、誰かが入って水を止めたに違いない、と分かりました。
でもうちに入れるのは、鍵を持っている国際交流処の人だけです。しかしその時も、そのあとも、暁艶に尋ねてもらっても知らないの一点張り。どうやって入ったのでしょうねえ。しかも、洗面台は水が出ないままです。
暁艶は、水が上から漏って困ったに違いない一階下の住人を捜して、会いに行ってくれました。
一階下には化学の教授が住んでいるそうです。その彼の話です。
これで漏水は3回目なのだそうです。
ぼくの帰る前の日の夜に天井から漏水があって、あ、また住人不在の時に水が漏っていると、国際交流処に連絡したそうです。
でも、鍵を持っている掛かりの人は海外に行っているという返事なので、不在のうちに入るときの手続きに従ったと言うことでした。
つまり、薬科大学の保安処の警備員二人、そして外の警官ひとりを呼んで立会人として、さらに鍵開け職人を呼んで、うちのアパートの鍵二つを開けさせて中に入って、漏水している管に栓を付けて水止めをしたそうです。
夜の11時から明け方の時まで掛かって、350元を払ったとのことです。
翌日日本から戻ったぼくは、全くこのことを知らされないままでした。ドアの鍵穴に鍵が入らないから、もちろん国際交流処に電話をして尋ねたけれど、誰も開けたことはない、何も知らないという返事でした。
改めて呆れています。
暁艶が今日会いに行って、その一階下の化学の教授も呆れていたそうです。まだ水漏れのあとを直しに来ないの?交流処が何も言っていないの?
本当に、一体、どうなっているのでしょうね、ここの人たちは。
カテゴリ:生命科学
さえ:
血管内皮細胞って言うのがあるでしょ。
大動脈から毛細血管まで血管の内側を形作っている細胞。
「内皮細胞の培養って簡単じゃないみたい。でもお産のあとの胎盤からHUVEC(human umbilical vein endothelial cell)が市販されてるそうじゃない」
このくらいの知識しかありませんでした。皮膚の上皮細胞は下層のBasal Layerが増殖して皮膚細胞を補給していますが、血管の内皮細胞も、同じように下層に増殖できる細胞があってそこから補給されているくらいに思っていました。
ところが、ね、今日初めて知りました。
血管内皮細胞って、骨髄起源なんですって。他の赤血球、リンパ球、血小板などと同じ起源なのですって。
骨髄にその源を発し、内皮細胞になる未分化の前駆細胞が血液を巡っていて(脾臓が仮の宿みたい)、そして必要なところに定着して内皮細胞に分化するのだそうです。
先刻書いた市販の内皮細胞は六代くらいまでは増えるけれど、そこで増殖が止まってしまうという話でした。
これは、今日の研究室のジャーナルクラブで、暁艶が紹介した研究論文で教わった知識です。良い論文を見付けて紹介してくれたと思います。PLoS oneという数年前に始まったOn Line Journalのひとつですが、IFが4.8くらいあります。
この血管内皮細胞の前駆細胞の存在は1997年に初めて報告されて、それ以来、多くの研究がなされているそうですが、全く知りませんでした。
おおむかし、エリスロポイエンチンの不発に終わった研究をしたことがあるので分かりますが、前駆細胞を見付けるというのは大変なことです。
沢山の未分化の細胞の集まりの中から、これがいずれ分化して内皮細胞になるのだと言うことを、どうやって見付けるかという、それが先ず乗り越えるべき大問題なわけですね。
こういう話しを紹介されると、研究室のジャーナルクラブはやっていて良かった、彼女も凄く成長したなあと、嬉しい喜びを与えてくれます。
カテゴリ:生命科学
さえ:
今書いている論文はPLoS ONEというOn Line Journalに投稿しようかと思っています。2006年から始まったopen accessのジャーナルですから、電子版だけだと思っていたら、この間東大に行ったとき研究室での雑誌の形になったのをみました。
論文をジャーナルに投稿するとこの頃はImpact Factorがいくつかと言うのがうるさいですよね。IFはその後の二年間のジャーナルの引用率を調べて発表しますから発行後3年経たないとIFがでないわけです。
このPLoS ONEのIFが4.351と出ていて、高いのに驚きました。大したものですね。このジャーナルは査読をして、方法と解釈が科学的見地から見て妥当なら載せる方針ですので、人気があるのかも知れません。
だって、NatureやScienceは、内容が衝撃的で多くの読者を惹きつけるものでないと載せないというのが方針ですから、際物を狙えるひとたちでない限り、お呼びじゃないわけです。
これにつづいて、Open AccessのOn Line Journalが山ほど出ています。投稿の呼びかけがうるさいほどですが、まだ出たばかりでIFは分かりませんし、三年後も生き残っているかどうか分からないですね。
このPLoS ONEはAuthorshipに厳しくて、以下のように書いています。
"Authorship credit should be based on
1. substantial contribution to conception and design, or acquisition of data, or analysis and interpretation of data;
2. drafting the article or revising it critically for important intellectual content; and
3. final approval of the version to be published.
Authors should meet conditions 1, 2, and 3.
Acquisition of funding, collection of data, or general supervision of the research group, alone, does not justify authorship. All persons designated as authors should qualify for authorship, and all those who qualify should be listed. Each author should have participated sufficiently in the work to take public responsibility for appropriate portions of the content."
研究費を出したとか、学生がそこに所属しているからとか、そんな理由でAuthorに名前を入れる、なんてのは駄目ですよと書いてあります。
今度の論文はさえと一緒に始めたから、もちろんさえの名前を入れています。これから新しく始める研究では、この観点からすると入れられなくなりますね。さえなしでは研究ははじまらなかったし、進まないのにね。
カテゴリ:研究室風景
さえ:
昨日の日曜日、教授室を少し綺麗にしました。
さえの机と向かい合って一つ机があったでしょ。それとPCの机との間のコーナーが炊事をするのにちょうど格好の場所なので、炊飯器を置き、IHヒーターを置き、という具合に、段々と乱雑になっていました。
何時も使っていることなのでぼく自身は気になりませんでしたが、先日お客さんがあって、いっぺんに、先生、ここでご飯作っているのですかって、見破られてしまいました。
折角、大学で一番好い部屋を貰っているのに、こんな風に使っているのは拙いですよね。といっても炊事を止める気もないので、隠すことにしました。
前の机は壁に書棚があるのでそれと入れ替えました。すると部屋の中央からは完全に目隠しがで来ました。あと、さえの机も同じようにすると、文句ないのですけれど、さえの机を引っ込めてしまうのは抵抗があるので、これはまだそのままにしています。
ただし、へやの方に衝立みたいにして置いた書棚の中は調べてみて、不要と思われるものは捨てました。さえの字が残っているものはとても捨てられません。そのうち読んで、ぼくの勉強に役立てましょう。
でも、片付けって、思い切って、目をつぶって捨てないことには、何も減りませんね。
4年生の中薬の学生が来たので、ちょうど出来たケーキをご馳走しました。すると、パイナップルスライスを持ってきてくれたのですよ。
それで、パイアップルを使ってケーキを作りました。
バナナはケーキを作るのに好適の材料ですが、パイナップルは難しいですね。入れすぎたのか、生地はちゃんと焼けているのに中はちっとも固まらず、べたべたで、ぼろぼろで、仕方なく、水分を飛ばすために、炊飯器の蓋を開けたままの通電を数回繰り返しました。
失敗作ですけれど、味は大丈夫。夜、李好枝老師に用事があったので、ケーキの一部を持っていきました。さらに、パイナップルをくれた学生さんにも来て貰って、ケーキを上げました。今に、妙な老師って言う評判が立つでしょうね。
カテゴリ:薬科大学
さえ:
昨年秋、ぼくのところに来たいと言って最終学年の学生が訪ねて来ました。
それで、ぼくの瀋陽薬科大学の滞在期間が延ばせるかと思って大学の首脳部と話しをしたら、ぼくが高齢になってくるとVISAの許可を政府から取るのが難しいと大学が難色を示しました。
それで2012年夏までは居ることにして、それでここを辞めることにしたと書いたでしょ。ともかく2012年夏までというのが公式の滞在期間です。
この学生は理科基地なので大学院に無試験では入れるし、入ったら4年間で博士が取れる資格があります。つまり彼女が来たら、来年度から4年間の延長をしないといけないわけですが、それは無理なので、残念ですけれどお断りしました。
今その学生は他の研究室に入って卒業実験をしていると思ったら、昨夜、突然メイルを寄越しました。
卒業研究をするのに、自分の今いるところの教授は、先生のところで卒業研究をやるようにと言うことなので、明日の朝先生に会いに行きます。
ぼくはびっくり仰天。そんな話しはそこの教授から聞いていません。こういうことは、その教授が先ずぼくに話しをして、良いかどうかを聞くのが筋でしょ。
それなしに、学生がいきなりくると言ってくるのですよ。
これって、中国式?
ともかく、あなたはうちの学生ではないし、あなたがここに来て、卒業研究をするという話しは誰からも聞いていません。今うちは卒業研究の学生でもう満杯です。明日来てもお断りですよ、と書きました。
今朝、案じていましたが、彼女は来ませんでした。
思うに、昨年秋に2012年の夏でここを辞めると正式に決めたとき、実は一寸したことがあったのです。
大学の首脳部の教授から提案があったのです、ぼくの研究室を他の教授と連携して運営するようにして運営したらどうか、そうすると、学生はその教授の名前で採れるし、辞めても毎年数ヶ月は瀋陽に来られるからその学生の指導ができるし、どうだろう、その可能性を考えてみないかと。
思っても見ないことでした。でも、この研究室の跡継ぎを探しているのに全く見つからないまま畳んでしまうのは残念だし、辞める前の3年間は学生が採れないのも淋しいばかりだし、どうしたものかな、と色々と考えていました。
ぼくはそのあと何もしなかったのですが、その首脳部から話しが行ったらしく、ひとりの老師が、研究室を連携しないかと言ってきました。これが、先ほどの学生が行った研究室です。
ですから、その老師の何か思惑が背後にあったのでしょうね。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
ぼくたちが中国にいるのは研究が出来るからですよね。日本では研究を続ける場所がないのに、この瀋陽薬科大学は研究室を用意して、更に初期の研究立ち上げ費用も用意して、ぼくたちを招いてくれました。
ぼくたちをこの大学に呼ぶよう働きかけてくれたぼくたちの大学の先輩、呼ぶことに賛成したここの大学の人たち、決定をした人たち、そして実際にぼくたちがここで研究できるように助けてくれた人たちのことを、ぼくは肝に銘じて感謝しています。このことはどんなことがあっても忘れません。
そう、どんなことがあっても、です。
ここで出合う日本の人たち、あるいは日本に帰ったときに会う人たちから、言葉も、風習も違うところで良くやっているねと、言われますけれど、人間関係で中国が厭になったことは一度もありません。
政治の形態はぼくの好みではないけれど、中国の人たちが好きで選んでいるのですし、こちらはお客なのですからもちろんそれを尊重しています。
食事も、毎日油の多い中華料理を食べている訳じゃなく、自分で作っていますから、農薬の多いと思われる野菜をどうやって綺麗にして食べるか苦労しているだけで、別に困ることはないですよね。
あ、うちに帰る途中でそば屋によってとか、ラーメン屋によってとか、そう言うことが出来ないのは悲しい事実ですけれど、中国の滞在は長くて半年ですから、まあ、ちょっと我慢すれば済みます。と言いつつも、とろろ蕎麦を思い出して生唾がでました。
この間の9月に日本に戻ったとき、岐阜で、そして長岡で、訪問先の先生に蕎麦をご馳走になりましたね。
そう、中国には感謝こそすれ、文句はないはずですけれど、頭に来るのは、インターネットが通じないときです。いままで何度も書いてきましたが、ぼく自身や日本人教師の会のホームページやブログのページを色々と作ってきたのに、次々とここからはアクセスできなくなりました。
いまはこの楽天だけが使えるブログです。不自由ですが、研究に差し支える訳じゃない。でも、研究で使うネットが遮断されたりすると、こんなところでやってらんない、と思わず叫んでしまいます。
ある遺伝子のプロモーター配列を調べて、その配列にどんな転写因子がつくかを調べる方法を、研究仲間でここのところが得意な人がいないから、ぼくは自分で時間を掛けて探してきたのですよ。その最後の検索の出来るのは日本のソフトです。
いま、遺伝子JNKを制御する転写因子が調べたくて、プロモーター配列から調べ始めてTFSEARCHを使うところまで来たのに、それが、そのサイトにいまは全くアクセスできないのですよ。代わりに「百度」がでてきます。ふざけやがって、決して「百度」じゃ買い物をしないぞ。
NCBIのデータベースはぼくの「研究いのち」ですが、これが時々アクセスできなくなります。
研究で不自由させるなら、辞めちゃうぞ。ぼくが辞めて困ったって知らないぞ。
だけど、ぼくが辞めて困るのは、いまうちの研究室にいる院生だけですものね。
ま、冷静になって、代わりに方法を考え出しましょう。
コメント:
興味深く拝読しました。 ファンウェイ さん
中国国内で生物学の研究をしている研究者はたくさんいますので、NCBIなどにアクセスできないことは不思議だなと思っています。皆さんはどうやって研究をしていますか?毎年、中国の研究者に発表された論文は少なくありませんね。北京と上海のネットはアクセス可能のサイトが多いだろうと考えています。たくさんの研究機関が集まっているからです。瀋陽はどんなことでもランク1の都市に遅れていると感じています。ちなみに、中国のネット回線速度は世界の90位にあり、最低の順位です。情報を過剰に規制される国に育った若者は将来どうなるか少し心配しています。中国でインターネットから「翻壁(?)」softwareを使って遮断されるサイトにアクセスできるから、先生はこの方法を試したらいかがですか。 (2012.03.08 19:13:13)
ファンウェイさん shanda さん
そうですね、おっしゃる通りでしょう。
今では中国人によって書かれた論文数が世界一だと聞いたことがあります。
沢山のサイトがここからはアクセス出来なくなっていますが、落ち着いて考えれば、中国からNCBIのデータベースにアクセス禁止にする理由は一つもありませんね。米国が禁止することならありそうですけれど。
この東北地方は、研究費からみても中国の中でも格差の下の方に置かれている可能性があります。インターネットの速度も、遅いまま放って置かれているのかも知れませんね。研究環境の良いところで研究したいなあ、とつくづく思います。
(2012.03.08 21:28:39)
カテゴリ:インターネット
さえ:
今はちょうど論文を書く合間の小休止と言っていいかな。これからの研究の方向性を考えて、そちらに研究を伸ばすのに必要な、背景の勉強をしていたのですよ。
PubMedでキーワードを入れて総説を探して、といってもすべての中身が読めるわけではなく限られていますけれど、かなりの勉強は出来ます。
そして次にはNCBIのGeneで分子の性質を調べます。そこからさらにいろいろのデータベースに飛ぶことが出来るから、とても頭には収まりきらないほどの情報が手に入りますよね。
つまり、この分子とタンパク質のレベルで相互作用している分子のすべてが分かるデータベースとか、シグナル伝達が経路になって書かれているKEGGとか、その分子の発現に関わるTranscrition Factorのデータベースとか。
おさえちゃんは、こんな具合にデータベースを使うことはあまり好きではなかったですね。その時までのすべての情報が入っている訳じゃないし、それよりも新しく出版される論文に目を通して、ブレークスルーを惹き起こす論文を見付けて読むのが好きでしたね。
でも、Primerを設計するのも、siRNAを設計するのも研究室ではぼくの役割と決めたので、ぼくが一義的にデータベースに頼るのはこれはもう仕方ないことですよ。
朝から晩までPCに向かって座っていて、一日のうち数時間はこうやってNCBIのデータベースにアクセスしているので、繋がらないと、一気に元気がなくなります。
そう言う意味では、もう立派なインターネット症候群ですね。
ネットなしで居られない、人と繋がらないと、世の中から隔離されたみたいで、居ても立っても居られない。何時でも、何処にいても、ケータイをかしゃかしゃしている若者たちと同じみたい。
ですから、繋がらないと落ち込みます。昨日の昼前からずっとNCBIに繋がらなくなって、昨日みたいなことを思わず書いたのですよ。今日も午後3時頃まで全く繋がらなかったのが、急にすいすいと行くようになりました。
どうしてなのでしょうね。ネット環境が、よくないので、沢山の人が使うとアウトになってしまうと言うやつでしょうか。
今は全国人民代表大会と中国人民政治協商会議が北京で開かれています。このために嵐のようなネット利用の風が吹き荒れて、こちらの仕事に影響が及んだのでしょうか。
カテゴリ:ブログ
さえ:
昨日、アップルがiPad2の後継機のiPadの発表をしました。3月16日から売り出すそうです。解像力が二倍になったので画面がいかにも美しいと言う解説でした。
さえにも以前言ったように、ぼくは使っている時間がないからiPadを手に入れる気は全くないですけれど、Appleの製品なので大いに興味があります。
ですからその翌日の今朝、ネットのニュースの見出しを見ていて「私がiPad3を見送らざるを得ない理由」なんてのがあったので、つい、読みました。
BLOGOSで、ここには時にはなるほどと考えさせられる意見が出ることがあります。今回のは新田ヒカル氏のブログのことですが、結構馬鹿馬鹿しことを書いています。
http://blogos.com/article/33519/
彼は「iPad2を毎日使って」いて、それはゲームをするためでもなく、ただ「唯一の使い途は、ブックリーダー、つまり本を読むことです。自炊した数百冊の本を読むのが楽しみ」で使っているそうです。
凄い読書家だと書いていますが、「読書家ほど体力に劣る者もいません。特に私のようにビジネスバックすら持たない人間であればなおさらです。iPad2の重量でも、しばらく持っていれば腕の筋肉が震え」てしまうので、今回は軽くなることを期待したのに、全く「期待を裏切る」ものなので、今回は買わないということみたいです。
何だか、読書家だということを自慢しているみたいですね。
このようにひねった書き方をしなくても、『もっと軽いiPadを期待していたのに、これでは買い換える利点がない』というだけのことなのです。後味の悪いものを読まされました。
この新田ヒカル氏のは広く読まれるブログで、一方、ぼくがここにさえ宛に書いているブログは、自分のために書いている、ごく内輪のものです。
それでも、詰まらぬことを膨らませて大袈裟に書いてはいけないのは同じですね。やっていないとは言いきれません。自戒の言葉としましょう。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
今日は教師の会の3月の定例会です。12月以来ですから三ヶ月ぶりです。それでも、実は出掛けるのはよそうかなあと思っていました。
態々出掛けても会いたいほど懐かしい人はいないし、会だってぼくを必要としていないし。
そのぼくの逡巡を見越してか昨日の昼頃、薬科大学の石田先生から明日は一緒に行きましょうかとメイルで誘いがありました。それにお断りするつもりで直ぐに電話をしたのですが通じなくて、夜になったところで石田先生から電話が掛かってきました。
今の教師の会に全く魅力を感じなくなっています。何はともあれ、個別の人たちをよく知らないと言うことですね。
昨年度は殆ど出られなかったし、今年度は9月から始まったのに出たのは12月の会だけですから、なじみのない人たちが大半というのは本当ですけれど、それは出掛けていないぼくの責任ですね。
それが分かっているのに出掛けるのがためらわれて、面倒くさいと言うのは、これは老人性孤立症候群の始まりという危険な徴候です。
石田先生は瀋陽に戻ってこられたときに、私の頼みものを持ってきてくださったのですが、その時のお喋りでこのぼくの危険な徴候に気付いたに違いありません。
気が進まないけれど、出掛けましょう。
歳を取ると気分はどんどん落ち込む方向に進むことが分かりましたから、それを意識して、自分で心がけて人と付き合いましょう。そうじゃないと、気付かぬうちにあっという間に神経のネットワークが切れていって、老化が進んでしまいます。
ね、まだ惚けたくないですものね。
カテゴリ:日本人教師の会
さえ:
すでに書いたみたいに、気が進まないながらも昨日の午後は教師の会の3月の定例会に出てきました。
ちょうど日本から、石井康男先生が訪ねてこられたので、出席して良かったと思います。
石井先生は1998年から瀋陽の遼寧大学に勤務して、2000年には資料室を作り上げた先生ですよね。ぼくたちが瀋陽に来て教師の会に参加したときの代表が石井先生でした。
会員に対する思いやりに満ちた接し方、自分の責任で始めた資料室を黙々と整備して教師の会の使用に供していた石井先生の献身ぶり、をずっとみながら手伝ってきたのが、今のぼくの資料室への思い入れに繋がっています。
この資料室があったことが、この瀋陽の教師会が中国で唯一、教師の会としてまとまった活動を続けていられる原点であるとぼくは認識しているのです。それと、石井先生の背中をみて育ったという自覚が、一旦消滅した資料室の再興に、朱さんから一室の提供の申し出を受けて、傾注しているのだと思います。
こういったことなどを思い出せば、教師会からぼくが離れてはいけませんね。
石井先生は今年の1月8日にそれまでの寧波の学校での日本語教師を辞めて日本に戻ったそうです。
でも、中国の留学生が中間業者に搾取され、しかも、日本の大学院を目指しながら研究生という段階で留め置かれたままふるい落とされる現状を憂えて、その改善のために日本の日本語学校で無駄に時間を金を捨てないよう、そして目指す大学院を受験できるような道筋をきちんと付けようと、今は努力中だとのことでした。
定例会のあとの懇親会でも石井先生の話を聞いて、多くの先生たちは深い感銘を受けたようでした。ぼくよりもずっと年上の石井先生の頑張りに、ぼくも大いに刺激を受けました。人生は終わりのない旅。。。
カテゴリ:生命科学
さえ:
日本のニッピの研究所から二人が薬科大学を訪ねてくるので楽しみだって、この間書いたでしょ。
二人は土曜日に到着したはずですが、土曜も、日曜も音沙汰なく、月曜日の朝、「山形先生いますか。一分だけ」という林さんの声で、教授室のドアを開けると、服部所長と藤崎さんがドアの前に立っていました。
何だか忙しいみたいですね。
それで、3時から大学の中でセミナーがあったので、聴きに出掛けました。
服部所長は、くしゃくしゃの髪の毛を手でかき混ぜながら「もじゃ先生」と呼ばれているといって、皆を笑わせて、話しに取りかかりました。
林さんが昨年秋から院生向けにコラーゲンの話しを四回もしているので、その中でカバーした話しでしょうけれど、コラーゲンが繊維である、ということを実感させるために、綿花の繊維、絹の繊維(多分、昔は真綿と言ったと思います)、ナイロンの繊維などを皆に配って触らせました。
さらに豚の骨からカルシウムを除いて(脱灰ですね。恐らくEDTA溶液の中で煮たのでしょう)ゴム製の骨みたいに柔らかく、弾力のある骨を触らせて、これがコラーゲンですよ、などと分かりやすい話となるよう、終始徹底していました。
コラーゲンの保湿性を使って化粧品にするとか、可溶化したコラーゲンをまた膜状にして腸詰めの皮にするとか、の話しのあとにコラーゲンを食べると身体に良いなんて話しまでしていました。
ネズミに低タンパクを与えて、これがコントロールの第一群。カゼイン(牛乳のタンパク質)を食べさせる第二群、コラーゲンペプチドを食べさせる第三群とわけて、この飼料でネズミを飼って骨密度を調べました。
すると、最低のコントロールに比べて、カゼイン食では骨密度が向上していますが、コラーゲンペプチド食ではさらに骨密度が向上しています。この結果だけ見ると、コラーゲンペプチドが身体に良いみたいですね。いわゆる普通食ではどうなのかというデータがありません。
話が終わったあとの質疑で、うちの暁艶がこの点を質問しました。「骨密度は、コラーゲンペプチドを食べたときは、普通食の場合よりも良いのですか、普通食のデータがありませんでしたが?」
服部所長は、正直者ですから、「いや、同じなのですよ」と髪の毛をかき回しながら答えていました。世の中にこの手の人を惑わすデータが「科学的」と称して出回っているのが怖いですね。
気が進まないながらも昨日の午後は教師の会の3月の定例会に出たところ、ちょうど日本から、石井康男先生が訪ねてこられたので、出席して良かった。
石井先生は1998年から瀋陽の遼寧大学に勤務して、2000年には資料室を作り上げた先生で、ぼくたちが瀋陽に来て教師の会に参加したときの代表が石井先生だった。
会員に対する思いやりに満ちた接し方、自分の責任で始めた資料室を黙々と整備して教師の会の使用に供していた石井先生の献身ぶり、をずっとみながら手伝ってきたのが、今の私の資料室への思い入れに繋がっている。
この資料室があったことが、この瀋陽の教師会が中国で唯一、教師の会としてまとまった活動を続けていられる原点であると私は認識している。それと、石井先生の背中をみて育ったという自覚が、一旦消滅した資料室の再興のために、劉凱さんから一室の提供の申し出を受けて、傾注しているのだと思う。
こういったことなどを思い出せば、教師会から私が離れてはいけないと戒めている。
石井先生は今年の1月8日にそれまでの寧波の学校での日本語教師を辞めて日本に戻られたという。
でも、中国の留学生が中間業者に搾取され、しかも、日本の大学院を目指しながら研究生という段階で留め置かれたままふるい落とされる現状を憂えて、その改善のために日本の日本語学校で無駄に時間を金を捨てないよう、そして目指す大学院を受験できるような道筋をきちんと付けようと、今は努力中だとのことだった。
定例会のあとの懇親会でも石井先生の話を聞いて、多くの先生たちは深い感銘を受けたようだった。私よりもずっと年長の石井先生の頑張りに、私も大いに刺激を受けた。人生は終わりのない旅。。。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
今の在瀋陽日本国総領事は松本盛雄氏です。3年10ヶ月の瀋陽滞在を終えてこの3月で離任すること、東北大震災から一年なのでその災害と復興についての記念講演会を開き、あわせて離任リセプションを開催するという知らせを戴きました。
それが今日でした。場所は近くのマリオットだと思っていたので、3時に歩いて出掛ければ大丈夫なんて、石田先生にも言っていたのですよ。
2時半過ぎに石田先生から電話が掛かってきて、「先生は何処に出掛けるつもりなのですか、マリオットではないですよ。北の方の随分遠くみたいです」
びっくりして、招待状をよく見るとCrowne Plazaなので、あ、これは医科大学の前のインターコンチネンタルのことだ、と思ったのですが、それだと北陵よりは近いです。そこで実験室に駆け込み居合わせた院生に、招待状を見せて「これ何処なのか教えて」
結局、まだ行ったことのない北陵公園近くの五つ星ホテルでした。本当に慌てて大学を出て、幸いタクシーが直ぐに捉まえられて、時間に間に合いました。
会場で講演の始まる前に入ってこられた松本総領事はぼくを見付けて、態々挨拶に来られました、こういうことがさりげなくできる人柄なので、ますます好きになってしまいますね。
高木さんと高橋さんという、震災時の各国、各団体からの援助に対して感謝とその後の様子の報告をするために、恐らく日本政府の後ろ盾で任命された親善特使の講演がありました。
震災後の復興について見せられた数値は、ぼくたちがニュースで知っているよりもかなり良いみたいです。どうしてでしょうね。1年で元に戻ったぞと強調することが大事なのでしょうか。
高木さんは二国間の友好というのはただにこにこ仲良くと親善に務めるだけではなく、お互いに真剣に相手のまずいところも指摘して真の友好関係を築くことが大事だと述べていました。
高橋さんは、日本と中国と二国が面と向かってのやりとりするだけではなく、二国が共同で何かにあたることが出来るようになって真の友好関係が生まれると言っていました。
日本と中国の國の関係は、ますます難しいものになって行くみたいですが、草の根のつきあいも国と国のつきあいと同じように大事でしょう。
ぼくの出来ることは、つまり薬科大学で研究を通じて優秀の人材を育てることに尽きますので、これに邁進しましょう。ほかのことは他の人に任せて、これ一路ですね。
カテゴリ:生命科学
さえ:
月曜日のセミナーでは、短時間でしたが藤崎さんから研究の話しがありました。
コラーゲンを酸性溶液中で可溶化して、中性にすると高次構造を保持したままのcollagen fibrilが再生できて、一方酸性のまま乾かすと、コラーゲンがランダムに配向した膜が出来るそうです。
これの上で細胞を培養すると顕著な違いが出来てきます。コラーゲン膜の上で培養すると細胞は良く付着して広がり、増殖も良好。
一方、身体の中に存在するのに似たcollagen fibrilの上では、細胞は丸まったままで広がらず、良く増殖しません。
広がった細胞が基質との間に作るFocal Adhesion Plaqueは前者の培養条件では良く発達し、collagen fibrilの上の培養では発達していないというデータがありました。
これががん細胞でも同じ傾向なのだそうです。
がん細胞はコラーゲン膜上ではとても良く増殖しますが、collagen fibrilの上の培養では増えにくいみたいです。
これは細胞が基質(この場合はコラーゲン)との接着に必要なインテグリンを使ってコラーゲンとっくっつき、そのくっついたという信号が細胞の中に伝わって細胞増殖の指令が入ると考えられていますから、collagen fibrilの上の培養ではこの結合が出来る構造をcollagen fibrilが与えていないのでしょうね。
このあたりのメカニズムの解明の話しがなかったので、一寸物足りなく思いました。
このcollagen fibrilが培養がん細胞の増殖を抑える力を利用して。抗がん剤と一緒にcollagen fibrilを入れると良いんじゃないかって言うことでした。
でも、collagen fibrilの作り方からすると、注射でこれを入れることは出来ませんね。どうするのでしょうか。
今すぐには出来ないことがあっても、これをやりたいんだ、と思ってそれを追求し続けることで成功することがあるわけですから、駄目と決めつけてはいけないのかも知れませんけれど。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
PEACHYの『思わず鳥肌…彼氏ナシ一人暮らしのヤバすぎる実態20個(2012年03月12日)』を見て、思わず噴き出してしまいました。
その惹き句によると『一人暮らしで、かつ自宅に招く彼氏もいないという状態が長引くと、生活スタイルがどんどん荒んでいきませんか?』
ぼくも「彼女ナシ」のひとり暮らしが続きます。この一年は瀋陽のうちで食事も作らなくなりました。うちはシャワーを浴びるのと寝るだけです。
『周囲から一目置かれるキャリアウーマンでも、自宅ではズボラの極み。散らかり放題の汚部屋で、賞味期限切れの食材にがっついているなんてことはよくあります』
『そこで、米国の女性向けサイト『the Frisky』から、彼氏ナシ一人暮らし女性のありえない生態20個を3回にわたって紹介したいと思います』
1:テレビを見ながらゲームする、
2:調理器具から食器に盛りつけをしない、
3:食器は水洗いするだけで洗剤は使わない、
4:トイレのあと手を洗わない、
5:冷蔵庫の前もしくはベッドの上で食事をする、
6:飲み物は容器から直接ガブ飲み、
7:ゴミを溜めこむ、
8:キッチンで何かをこぼしてもそのまま放置、
9:靴下は同じものを何日も履きっぱなし、
10:タオルも長らく洗濯しないまま使い続ける、
11:鼻くそはポイ捨て、
12:極力トイレットペーパーは買わない、
13:ヘアブラシに毛がからまった状態だ、
14:シーツが経血で汚れたまま、
15:食事はジャンクフードばかり、
16:眠るときはぬいぐるみと一緒、
17:素っ裸でテレビを見る、
18:夕食を2回食べる、
19:自分撮りをする、
20:同じ曲を無限ループのように聴き続ける、
ぼくは一目置かれるエクゼクティブではありませんが、うちではずぼらな生活をしています。洗濯は週に二回しますけれど、掃除なんてしたことなし。埃で死ぬことはないよねえ、と呟いています。
実際、朝の6時半にうちを出て大学に行き、帰ってくるのは夜の9時過ぎですから、掃除なんてする時間はありません。
彼氏ナシの女性の特徴と一致するのは
7:ゴミを溜めこむ
8:キッチンで何かをこぼしてもそのまま放置、
10:タオルも長らく洗濯しないまま使い続ける、
11:鼻くそはポイ捨て、
のところですね。
いま、うちで食事を作っていないし、冷蔵庫に何も食べ物を入れていないからですが、もしうちで食べているのだったら、
2:調理器具から食器に盛りつけをしない、
5:冷蔵庫の前もしくはベッドの上で食事をする、
6:飲み物は容器から直接ガブ飲み、
も一致するでしょう。
男と女と脳の構造が違っていても、パートナーがいない一人暮らしだと、結局は、なるほど、ぼくたち同じ人間だってことですね。なるほど、といっても、あまり嬉しい話しの一致じゃないですけどね。
カテゴリ:研究室風景
さえ:
やっと今朝になってPLoS oneに暁艶の論文を投稿することが出来ました。
昨日の午後、これで大丈夫と言うところまで論文が完成したのでPLoS oneにアクセスしたのですよ。
ところが何処が投稿のサイトなのか分かりにくく、探すのに苦労しました。やっと見付けてアカウントを作ったのですが、先ず自分の専門領域を入力するところで大分時間をとられました。
50項目まで入れることが可能だそうです。たとえば、
Biology/mocelular cell biology/signal transduction/calcium signaling
みたいに入れていくのです。
項目としてGlycolipid はあるけれど、Gangliosideは用意されていません。つまりGangliosideの研究人口がsignal tranductionに比べて大幅に少ないと言うことが分かります。
Extracellular matrixはありますし、Proteoglycanもありますが、Glycosaminoglycanはありませんでした。今まで、マイナーな領域を歩んできたような、肩身の狭い気がしてきますね。
薬科大学に今はいるので、Pharmacologyも大事な研究分野だと認識していますが、PLoS oneに投稿する人は少ないみたいです。
このようにしてauthor informationを作成したのに、昨夜はその先、投稿しようとしたのに、アカウントを入力しても先に進まないのですよ。
一晩経って今朝になって、アカウントを入力しても先に進まないのは、先方でパスワードを勝手に変えていたからだと言うことがやっと分かって、投稿に取りかかることが出来ました。
1年前の張嵐の時には半日かかったし、その前は諦めて日本から投稿したこともあったし、ネット経由の投稿は便利な一方、ここみたいな僻地では困ることが多いのですが、今日はすいすいと1時間半ですべての操作が終了しました。
へーい、終わった、終わった。でも、論文は投稿じゃなくて受理してくれるところまで頑張らなくてはなりませんから、この先も気を緩められませんね。
論文を纏めると良いことは、色々と問題点に気付くことです。新しいアプローチ、新しい研究方向と切り口も見えてくることです。
この先やりたいことが山のように浮かんできて、何時もなら、さえに向かって一杯話していたことです。
それが、今はできないですよね。一昨日暁艶と昼の食事をしながら、PDGF-Bの発現を制御する経路を三つ見付けたけれど、その相互の関連をどうやって調べたらいいと思うかなんて訊いたものだから、彼女はすっかり食欲をなくしてしまいました。
アハハ、可哀想にね。でもね、こういうことを何時も考えるのが研究者。
カテゴリ:日本の将来
さえ:
3月14日に閉幕した中国の第11期全国人民代表大会(全人代)で16年ぶりに刑事訴訟法が大幅に改正されたと報道されていました。この総則に「人権の保障と尊重」を掲げる一方で、国家の安全を脅かす犯罪やテロ、深刻な汚職の容疑者を自宅以外の場所に置いて監視することを容認するそうです。(産経新聞 3月14日)
家族への拘束通知を義務づける項目には「通知不可能な場合を除き」というただし書きがあるため、当局の判断によって極秘裏に拘束できることになると、ネットの調査では反対意見もあったということですが、92%の支持で会議を通りました。(時事ドットコム 2012/03/14-12:03)
郎勝・全人代常務委員会法制工作委員会副主任(全人代常務委員)は内外記者の質問に答えて、『勾留後家族に通知しないのはごく一部の例外的状況だ。第1に、国家の安全に危害を加える犯罪やテロ犯罪の嫌疑があっても、捜査の妨げにならない場合は、家族に通知する必要がある。家族に通知しなくても良いのは、捜査の妨げになる場合のみだ。第2に、捜査の妨げになる状況がなくなれば、直ちに家族に通知する必要がある』(「人民網日本語版」2012年3月9日)
『第3に、勾留は臨時的、緊急的強制措置だ。中国に「秘密勾留・逮捕」はなく、法律にもそのような規定はないと述べたそうですが、今回の法律の変更で、家族などに通知しない「秘密逮捕」が存在しうることになったわけですね。
いまの中国は政体の維持に本腰を入れていますから、誤解を受けないように言動には注意を払う必要があります。
これを読んで、日本の戦前の「治安維持法」を思い出しました。この法律が跳梁していたころ、ぼくたちは子供だったので何も実感はしていませんね。
「国体を変革し又は私有財産を否認することを目的とし結社を組織し又は情を知りて之に加入したる者は10年以下の懲役又は禁固に処す」、つまり天皇制を否定し共産主義を唱える者だけを取り締まる法なので、「拡大解釈の余地はない」という政府の説明によって成立したのが、この解釈はエスカレートして、言論・思想信条・信仰の自由を奪い、政府に対して不信感を抱くことすら弾圧の対象に拡大していったそうです。
日本ではいままた、人権侵害救済法案が論じられています。
この法案は、不当な差別や虐待で人権侵害を受けた被害者を救済するための法律のようですが、「人の心の問題」を国家権力が裁こうとするわけで、いずれは治安維持法みたいに、官憲の恣意的判断で犯罪か否かを決定することができるようになる可能性を秘めているとみるのが妥当でしょう。
何でも好きなことが言える社会に生きていて、そのありがたみを知らない人たちが増えてきたみたいです。この社会を潰してはいけません。
コメント:
Re:人が信じられない社会になるなんて(03/18) めぐみ さん
やっと梅が咲き出し、香りを放っています。
父方の伯父が戦前治安維持法に引っかかり投獄されたと聞いています。
とても穏やかな人だったので、実際に聞いても信じられなかったですね。
(2012.03.18 17:23:29)
めぐみ様 shanda さん
こちらはまだ零度以下の世界ですよ。それでも日の出が早まって、毎日が明るくなって来て気分が浮き立ってきます。春が来るのは嬉しいですね。
6月が卒業時期なので、研究室の院生・学生たちもそろそろ顔色が変わり始めました。こちらも釣られて、一生懸命働いています。 (2012.03.18 20:55:08)
カテゴリ:生命科学
朝日新聞デジタルの2012年03月18日に人眼を惹く記事が出ていました。『ハエも振られるとやけ酒?』というものです。Science に載った研究(Vol. 335 no. 6074 pp. 1351-1355)です。
『交尾ができない状況に置かれたショウジョウバエのオスは、そうでないオスに比べて、アルコール入りの食物を多く取ることを米国のチームが明らかにした。欲求不満によるストレスが行動に関係しているという』
『実験では、メスに振られたオスは満足感が高いときに脳内で増える神経伝達物質の量が少なく、アルコールの摂取量が多かった。交尾できるオスは、神経伝達物質が多く、アルコール摂取は少なかった』
この神経伝達物質はニューロペプチドFと呼ばれているもので、いわゆる報酬系で働いているものですね。ヒトではニューロペプチドYに相当するらしいです。ニューロペプチドY食欲を増すホルモンだと生化学の教科書では教えていますが、ショウジョウバエでは生きていくために必要な行動を促進させるために使われています。
ショウジョウバエなどでは、食べるとか交尾をするなどの行為を行うとニューロペプチドが分泌されその受容体が活性化して、生き物は快感を得る仕組みになっているそうです。だから、食べて、交尾をしてという行為が促進されるわけですね。
交尾を済ませた雌と雄を一緒にすると、雄は一生懸命交尾に誘いますが、雌はもう満ち足りていて、見向きもしません。ヒトと違うみたい。雌を誘い続けて無為に終わった雄は、アルコールの入った餌を食べるようになり、これは交尾できなかった欲求不満によるストレスの結果だと言う実験です。
これは、アルコールの摂取もこの報酬系を活性化することが背景にあることを理解していないといけませんね。そうなると、やけ酒は、正に代わりになる意味のある行為(やけ酒が満たされない心を慰める)ということを示しています。
振られてやけ酒なんて、まるで人類そっくりですね。
ショウジョウバエの遺伝子数が確か14,000で、これに比べてヒトの遺伝子の数は23,000位です。ヒトまで進化しても遺伝子は大して増加しませんでした。
つまりヒトも、長い進化の過程でも、行動を決める基本的な神経回路はそのまま脳の中に保っているというわけでしょう。女性も同じ仕組みを持っているのでしょうね、きっと。
カテゴリ:研究室風景
さえ:
ぼくたちの大学院の恩師である江上不二夫先生は、研究のことで色々と言葉を残しておられますね。ぼくたちは江上語録といっていました。その中で、ぼくのお気に入りは、正確な言い回しは覚えていないのですけれど、
『研究は山に登るようなものだ。山に登るにはいろいろの登り方がある。ゆっくり歩いて、道ばたの花を愛でながら歩くことを楽しんでも良いし、あるいは、林に囲まれて山が見えなくなって心細い思いをするときもある。道を急いで駆け足で山に登ってもいい。それぞれの人たちのスタイルがある』
『それでも山に登れば、それがどんなに低い山であっても、又見晴らしが開けて、遠くに湖や森林や、そして別の山が見えてくる。そう、研究はこうやって、研究をすることで、自分で拡げていくのですよ』
この夏に博士課程を修了するはずの暁艶はのんびり屋さんで、先ほどの江上語録で言うと、山に登ろうとしているのか、道を歩いていることだけを楽しんでいるのか、いささか心配なところがありました。
暁艶が研究室を訪ねてきた時を覚えていますか?薬学部英語クラスの最終学年になったときに、関さんに連れられてやってきて言うには、「先生の英語が素晴らしいので先生のところの学生になりたいです」
にこにこと笑顔で、そう言ったのです。背が高くて大きい彼女を見上げて、名古屋のうちのお隣の、人よりも大きくて黒い、ニューファウンドランダー犬を思い出しました。ジャッキーと言う名前でした。間の垣根の下を潜って、うちによく遊びに来ましたね。犬も嬉しい時にはニコニコと笑うものだと言うのを知ったのは、あのジャッキーのお陰です。
初めて会った暁艶にのっけから、「先生の英語がうまいから」といわれて、ぼくとさえは、唖然として顔を見合わせましたっけね。
それから5年。まだ論文を送ったところでacceptされるかどうか分かりませんが、それでも二つ論文を送って、そして今三つ目の論文を書きかけています。先ほどの語録で行くと、山に登ったら、沢山の絶景が待ち構えていたと言うことです。彼女がこの先どの方向を目指して進むことになるのか分かりませんが、学生が研究者に育っていく課程に立ち会える喜びは、まさにこういう仕事をしている醍醐味ですね。
カテゴリ:インターネット
さえ:
昨日の夕方会ったときに、暁艶が言うのです。
「笑笑が私のこと、ニューファウンドランダーに似ているって言っていたけれど、そんなことを彼女に言ったのですか?」
定例のWeekly Reportで笑笑と話しをしているけれど、そんな個人的なことは言った覚えがありません。と、思った瞬間にブログに書いたっけ、と思い出しました。笑笑は日本語班の出身なので日本語が分かります。
でも、彼女は旦那さんのいるニューヨークの大学院に進学したいので、研究室では日本語を殆どしゃべることはなく、英語遣いの一人です。それでも、ぼくのブログに目を通しているのですね。
ついでに書いておくと、朱さんも同じく日本語班の出身ですが、修士を終えたら博士課程は外国に行きたいと言って、ずっと日本語は使っていませんでした。ですから、この二年近く、うちの部屋では日本語を使う機会は殆どなかったのですよ。
でも、この朱さんは昨年の秋にここを訪ねてきた日本の研究者の話が気に入って、その博士課程に行くと言って、1月に日本に行って入学試験を受けて、通りました。
それ以来、朱さんの懐かしい日本語が復活しました。彼女は、日本のアニメで日本語になじんだので、彼女の会話は勢いがあります。こちらも若くなったみたいに、若い人と交わす会話になるのですよ。
「先生、気がついた? ほら、昨日、髪を切ったの。わりと、気に入ったように出来たんだ」
「おお、いいじゃん。かっこいいよ」
なんて具合ですね。
ま、それはともかく、暁艶にブログに書いたニューファウンドランダー犬を見せたくて、ネットで「Newfoundlander」と入れたら、Wikipwdiaで、何処の言葉か分からない解説が出てきました。もちろん黒い犬の写真はありましたけれど。
それで「ニューファウンドランダー」と日本語で検索したら、何と、ぼくの数時間前に書いたブログが一番上に出てきたのですよ。
今のネットの検索能力って凄いですね。ネットの世界には想像を絶する量の情報があるはずですよね。
昔、ホームページを作っていたころ、自分のホームページがネットの検索エンジンに拾われるにはこういう方法があるとか、色々と方法が書いてあって、教師の会のホームページでは、何時も努力をしていました。いまは、全く不要なのですね。しかも瞬時に検索の対象になるのですね。
コンピュータがぼくたちからみると無限の能力を持っていると分かってはいても、この進歩と能力は驚きです。
カテゴリ:研究室風景
さえ:
春分の日が過ぎて、さすがに極寒の地、瀋陽でも昼間の温度は零度を越えるようになりました。嬉しいですね。日の出も早まってきて、5時半には空が明るくなってきます。それで6時前には起きて、トイレ、シャワーを終えてラボに来るのは6時半頃。
ずっと論文を書く作業を主にしていると、それがないと淋しいのですね。今年二報書いて投稿したでしょ。まだどれも審査の返事がありませんが、NFkappaBがNOS2の発現を正に制御していて、このNFkappaBをPI3Kの阻害剤であるLY294002が阻害するという論文が今年出ているのに気付きました。
つまり、LY294002はNOS2の発現を抑えるけれど、もう一つのwortanninというPI3Kの阻害剤は抑えないので、調べたら、LY294002がNOS2の発現に必須のNFkappaBを阻害しているからだという論文です。
ぼくたちもNOS2の発現がLY294002で抑えられることは調べていて、しかしNFkappaBはどうなのかは知りませんけれど、それはLY294002がほかの分子を抑えるからであると言うことに気付いていました。
今投稿している論文がもし受理されてネットで見られれば、彼らに私たちの秘密兵器が分かってしまいます。じゃ、急いでこれを出さなくっちゃということになりました。
論文を書くのに必要なデータはもう80%は手元にあります。それで、残りを研究室の院生二人にも入ってもらって、あと二週間でそれぞれ3回の実験をやってと割り振りました。つまりお手伝いですね。彼らにしてみると突然舞い込んできた別の実験ですが、論文には一緒に名前を入れるからと言うことで納得して貰いました。
というわけで、三報目の論文を書いているところです。残っているのはFigure Legends全部と、Discussionが半分くらい。
でもね、二月末から調子の悪いMacがこのところますます具合悪くなってきています。立ち上がりがもたもたしているのはまあいいとしても、Wordで書いている最中にFreezeして、というのが頻発するので、OSを再インストールすることにしました。
今、データをコピーしながら書いていますが、遅いのなんのって。。。
カテゴリ:生命科学
さえ:
むかしむかし、大昔、コンピューターもインターネットもない頃、ぼくたちは研究の世界に入りましたよね。文献は図書室に行ってジャーナルを読んで、その論文の必要な部分をノートに写しました。
このノートは文献カードとなって、そのあとで自分が読んだ文献を整理し記憶し、そして必要なときに思い出して使うためになくてはならないものになりました。
自分に関心のあるものはともかく、少なくとも研究に必要な文献は、こうやって全部に目を通して把握しておかなくてはいけませんでした。研究者としては最低必要なことですね。
でもこうやってすべてを把握していたかどうか、実は怪しいものだと思いますが、それを指摘できる競争相手(たとえば査読をするReveiwers)も、同じ条件ですよね。ジャーナルに投稿して専門家の査読を受けても、こちらが大事なことを知らずにいたなんてことはありませんでした。
さて、時代は移って、すべての文献がインターネットで検索できる時代です。おまけに今のようなやり方の研究をしていると、知っていなくてはいけない対象の分子はどんどん増えていきます。
ぼくたちがシグナル伝達に足を踏み入れて9年。狙った分子の発現を調べるのは先ず第一にRT-PCRですから、Primersを設計します。いままでのその数を数えてみたら千個近い数です。センスとアンチセンスとで二つに数えていますから、500くらいの分子ですが、名前を言われたって、それが何だか分かるのは、ごく限られた分子だけです
これらのすべてが問題のシグナルに関わるわけではないにしても、刺激の種類や、お互いの経路の関連など、関連するすべての文献に目を通さないとシグナルの解明が出来ません。
これだけの文献を手探りで調べることなんて、出来るわけがありません。もうコンピューターとインターネットなしには研究が出来ない時代ですね。それがあるから、ますます研究が加速していると言っても良いでしょうね。今は、十分の知見を持っていないと、全く見当違いな無意味な研究になってしまうかも知れないわけです。
コンピューターとインターネットがフルに使えるちょうど良い時代に、ぼくたちはこの忙しい研究領域に入ってきたと言えますね。
今から思うと、昔は、のんびりと文献を読んでいてもそれで世の中まずいことは全く起こらなかった牧歌的な良い時代でした。いまの一日モニターを見つめて、検索して調べまくっている生活から、ふと、昔を思うと、いや、ホント、昔が懐かしい。。。
カテゴリ:中国の将来
さえ:
JBPressのサイトで「ガーデニングの次は豚、ヤギだ 都会で畜産に走る米国人たち」(石 紀美子さんによる記事2012年3月22日)というのを見ました。
『全米の都市部で家畜を飼うことが最近大流行り』なのだそうです。
ボストン市内ではニワトリを飼うことは法律で禁じられていますが、『ニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルス、サンフランシスコなどの大都市では、ニワトリなどの家畜を飼うことができる』し、『他の都市もこの1年で続々と「卵や乳を採るだけで、市内で屠畜しない」という条件付きで許可したり、事前に講習を受けることを条件に許可』し始めました。
サンフランシスコでは『庭でハーブや野菜を育てるなんて時代遅れといって、自宅でニワトリとアヒルを育てる講習会がサンフランシスコで定期的に開かれて』いるとのことです。
元々は、有機野菜が、都市部の住民の間で人気を呼び、次に、農家の野菜直送サービスができ、やがては、近くの農家との間に野菜供給のルートが出来て、このサービスが定着すると『地元の農家をサポートすると同時に、より新鮮な有機野菜を食べられるという一石二鳥の運動は、利用者の食卓に「季節」や「地元特産品」の感覚を復活させ、消費者に「食べるということは何か」という問いかけをするきっかけを』作りました。
このようにして『「口にする食品がどこから来て、どのように育てられたか知ろう」という意識が高まり、それが野菜や果物から、魚や食肉にまで範囲が拡大した結果、都市部でも「畜産」熱が高まってきた』というのです。
単に自分のうちでニワトリを飼って新鮮な卵を食べようと言うだけではなく、食材の安全、環境と自分との関わりにも目覚めた運動ということに驚かされました。
アメリカはここまで来たのか。じゃ、日本では?そして中国では?
でもこのためには、自分のうちに庭が必要です。中国では狭い見聞しかありませんが、瀋陽のほとんどの住人は、日本で公団住宅としてイメージできる街中の道路に沿って建っている建物に住んでいます。一軒家というものが先ず見あたりませんが、一軒家に住んでいるのは恐らく政府高官だけです。つまり瀋陽の住民は、この米国の食材の自覚を知っても、真似のしようがありません。
ですから安全なものが食べたくても、出来ることといったら、野菜は先ずすべて煮沸して、含まれているかも知れない農薬を熱湯抽出で捨ててから調理する、という方法しか自衛手段がありません。地溝油も怖いですね。出来るだけ外で食べないで、自分で作るときは油を使わないことにしています。
食材の不安のある中国でこそ、自分で野菜を安全に育てて、綺麗な卵や肉を食べたいですね。米国では、室内でニワトリを飼う人のために、ニワトリおむつまで売っているそうです。うちのアパートでも可能ですね。でも、想像すると笑えてしまいますね。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
ぼくたちの土曜日のセミナーはずっと8時半からだったでしょ。それが先週から8時開始になりました。
というのは昨秋からぼくがGlycobiologyの講義をすることにしたので、定例のセミナーで話す人が二人からひとりに減らすほかなかったのです。でも、毎週ひとりが話すことになると回転が悪くて一期に一回しか回って来ない可能性も出てきます。
そうかといって土曜日に二人というもとの形態に戻して、ぼくの講義を普通の日の夜にするのは抵抗があるのですね。それで先週から、朝8時から始めて9時までがぼくの講義の時間としたのです。そのあと二人が最新のジャーナルの優れた論文を紹介します。
今日のぼくはO-GalNAc glycansの話しをしました。白血球のホーミング(リクルート)を例にして先ず詳しく話して、O-GalNAc glycansが身近なものであることを分かって貰いました。受精の時にも透明帯のO-GalNAc glycansが精子との相互作用に大事なこと、ここが違う種の精子を排除していること、着床でもブラストシストと子宮壁との糖鎖を介した相互作用で認識が起こることなどを詳しく話したので、皆面白がって興味を持ってくれました。
午後は雪が舞っていましたが、太原街の伊勢丹に1年ぶりで出掛けました。途中、瀋陽に出来た地下鉄に初めて乗りました。先ず、近くの展覧館に駅があって青年大街を走っている2号線です。地下深くに駅がありますが、地下のホームは天井も高く作ってあって、圧迫感がなく良い感じでした。車輌の巾は意外に小さく、ドアは日本の地下鉄車輌並みの高さです。平均の中国人の伸長から見ると低すぎるみたい。
ドアの上には路線の駅があって、それがランプの表示で何処を、どっちに向いて入っているかの表示が出るのですが、路線の表示が右のドアも左のドアも同じ向きで描かれています。
ですから右のドアの上を見ていると車両の進行方向と、ランプの示す方向が一致していますが、左のドアでは、進む方向が逆なのですよ。
「おかしいじゃない」と一緒の暁艶に言ったのですが、「反対に戻ってくるときはいいのじゃないですか」なんて呑気なことを言っています。戻ってくるときは、逆に左側は正しくなって、そして右側は反対を指し示すと言うことになり、おかしいのは同じなのですよ。
もし、必要があって車輌を持ち上げてぐるりと方向転換することになると、日本の車輌では全部が反対を向いてしまいますね。中国では、やはり半分はおかしいけれど半分は正しい方向を示すわけです。そこまで考えて、この方向表示器を導入したとすると、ウーん、中国人は備えあれば憂いなし、そこまで考慮するなんて偉大なり、ということですね。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
もう3月26日になりました。あれから1年と2ヶ月。オフィスで座っていると、さえの机と椅子が右手前方に見えるし、一人の時は何時も「さえ」って呼びかけていますから、この日だからと言って、さえに何も改まって書く必要はないですよね。
土曜日に伊勢丹に行ったでしょ。日本製の料理酒を買おうと思ったのです。中国の料理酒は味が強いから、日本的な味付けには合わないのですね。万象城の地下のスーパーで以前買ったことがあるのですが、今では売っていません。何しろ瀋陽在住の日本人はせいぜい三百人ですものね。
一年ぶりの伊勢丹に入って、しかも何度も来たことがある訳じゃないのに、何だか懐かしく、気持ちがほっとしました。
瀋陽で何時も平気で暮らしているのは、つまりぼくが何処でも暮らせるグローバルな人間だと言うことでしょうけれど、根っこは日本人なのですね。
地下のスーパーに行くと色々と欲しいものがありましたけれど、値段を見ると、とても端から買おうと言う気になれません。
たとえば山形市にあるデン六という製菓会社の出している袋菓子の「デン六ミックス」は、恐らく日本のスーパーなら300円くらいだと思います。それが50.3元。日本円だと600円を越えますが、感覚とすると日本で2500円払う感じです。思い切って一つを買うのがやっとでした。
ぼくは瀋陽では十分な給料を貰っていると思いますけれど、こういうところに行くと、豊かというわけじゃないんだなあ、伊勢丹はぼくの御用達しじゃないんだなあ、と思い知ります。
買い物運びに大きなバックパックで来てくれた暁艶にご馳走したいと思いました。そう言うとここじゃ高いから、日本の三八ラーメンが向かいのビルにあって安いからそこに行きましょと言います。
日本から瀋陽に戻ってくるとき、生ラーメンを買ってくるので、暁艶はその味がすっかり気に入っているのですよ。
伊勢丹の太原街の道を挟んで反対側の大きなビルです。2007年の春、加藤先生に連れられて、出来たばかりのこのビルの商店街を歩き回ったことを覚えています。
行ってみると一階の太原街の道路に面した側には店があるのに、中は一階から5階まで店はすべて閉鎖されていて、すっかり壁で囲まれた薄暗いエスカレーターで登っていくのです。大分勇気が要ります。
6階では食堂街だけ開いていました。屋台みたいにいろいろの店があって、広場のテーブルで沢山の人たちが食べていましたが、照明が暗く、普通ならこういうところは喧噪に満ちているのが、何だか静かで、こちらもなけなしの元気が萎えました。
太原街というこの繁華街の真ん中にあるのに、ここではどの店もやっていけないのですね。
「戻ろうよ」と伊勢丹の地下に戻って。嵐山ラーメンというところの出している豚骨ラーメンを20元で食べました。実に美味しくて、満足、満足。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
夕べは李好枝老師のうちに呼ばれました。「餃子を一杯作るから食べに来て」と招かれたのです。豚の腰肉の蒸し煮。油菜(青梗菜)と椎茸の炒め、は脳梗塞を患って以来身体の不自由なご主人が作ったほか、太刀魚の空揚げ、紅い大根のサラダ、トマトなど、李老師の作品だそうです。
ぼくが夕方の6時に着いたときには、李老師がちょうど餃子をこねて餡を入れている最中でした。餡は、韮、豚肉、エビでした。手伝いましょうかとは言ったものの、実際は餃子はぼくの手に余ります。餃子が手際よく作られるのを眺めながらお喋りをしていました。
やがて餃子が蒸し上がって、三人で一緒のご飯。お互いの言葉がつたないので会話があちこちで引っかかりながらも、食べる方はスムースに進みます。餃子は酢と醤油にニンニクをすり下ろしたもの。食べているときは美味しく、あとも強烈で、今日は餃子を一杯食べたぞと言う感じです。
実際、美味しくて、つぎつぎと沢山食べているのにもっともっとと勧められ、最後は文字通り動けないくらい。
残った全部の餃子も、お皿のご馳走もすべて容器に入れて、さらには野菜のトマトやほうれん草まで持って行きなさいと袋に入れられて、持たされました。
ママのことが思い浮かんできて、彼女の方が遙かに若いのに、私の母と同じ感じですねとぼくは言いました。我的ママ一様的、と口に出したのですよ。
老師をぼくのママみたいと言ったのは、失礼なことかもしれませんが、本当です。
むかし、大昔、もっとぼくが若かった頃に東京を離れていたとき、時に母を訪ねると、帰り際には何時も、あれもこれもと、もう持てないと言っているのに、持たせてくれました。九十歳を越えて呆け始めてもなお、何時もぼくのことが大好きで、ぼくのことを心から案じていました。母にとっては、ぼくがいくら大きくちゃんとした大人になっても、何時でも子供だったのですね。
昨年1月のさえの死に先立つ四ヶ月前、一昨年9月にはママを見送りましたね。その時はさえも一緒でした。でもその時、ぼくはさえの病気の悪化に心がすっかり奪われていたし、もう百六歳の大往生だし、何も感じませんでした。今あらためてママの愛を思い出して、涙が抑えられません。
年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず
唐の詩人・劉廷芝の人口に膾炙した詩の一部ですが、
歳を重ねるごとに、この内容の重みがずっしりと響いてきますね。
カテゴリ:さえへの日記
さえ:
Record Chinaに『両親に言ってはいけない9つの言葉 ネットで話題(3月26日)』というのが載っていました。
中国のネットに書き込まれていて多くの反応を呼び起こし、専門家は「両親の『出しゃばり』や『お節介』は子供への愛情の表れだ。子供は年々老いていく両親を理解しようと務め、尊重し、恩義を感じるべきだ」と指摘しているとのことです。
▽「両親に言ってはいけない9つの言葉」
1.分かった、分かった。知っているってば。本当にうるさいな!
2.何か用?用事がないなら切るよ。(両親からの電話に)
3.どうせ話しても分からないんだから、いちいち聞かないで!
4.やる必要はないって何度言ったら分かるの?どうせちゃんとできないくせに。(年老いた両親に向かって)
5.お父さんお母さんのやり方はもう時代遅れなんだよ。(両親の提案を蹴飛ばす)
6.私の部屋を勝手に片付けないでよ。どこに何があるか分からなくなったでしょ。
7.食べたいものは自分で取るから、別に取ってくれなくていいよ。
8.残り物は食べないようにと、何度言ってもどうして分からないの?
9.もう子供じゃないんだから、あれこれうるさく口を出さないで。
投稿者は、「これらの言葉は、何気なく出たとしても、聞いた側は悲しく感じます。両親のことを思いやり、子供として、このような両親を悲しませる言葉は二度と口に出さないよう気をつけて下さい」と訴えています。
昨日はママのことを書いたので、このようなことを彼女に言ったことがないか考えてみましたが、ぼくは言った覚えがありません。
でも、ママからの電話は終わろうとして終わらず、何時も長いのですが、一度とうとう耐えかねて、受話器をそっと机に置いたままにしたことがあります。鮮明に覚えていますから、悪いことをしたと自覚して、それ以来自分を責め続けています。
ついでにうちの子供たちが、上記の言葉を一つでもぼくに言ったかどうかを思い巡らしましたが、一度も言われたことはないですね。
これはまだうちの子供たちにとって、ぼくがまだ年老いた親ではないからかも知れません。もっと歳を取って、心が弱くなってきたときに、上記のようなことが言われたら、きっと応えることでしょう。
それでも、おさえちゃんが一緒にいてくれたら、何を言われてもどうってことはないでしょうけれどね。さえに、一言ぼやけば、それだけで済んでしまいますもの。
カテゴリ:薬科大学
さえ:
音響工学の権威であるという○○教授が日本から訪ねてこられました。ここの環境学科の教育を引き受けていて、一年に二回薬科大学を日本から訪ねてこられます。一回につき大体一週間くらい。
ここの環境学科が出来て以来、2004年か2005年頃から薬科大学にいらしてると思います。とても気持ちの良い先生で、もちろん、さえもよく知っていますよね。
環境学会には先任の教授と准教授がひとりずついるけれど音響工学は専門ではなく、大して興味もないらしいと言うことでした。と言うことは、この教授が日本から来て講義や実習をしている間は音響工学の教育は動くけれど、不在の間は音響学の教育は全くなし、ましてや研究も全くなしと言うことでしょう。
音響を測定するためにはいろいろの機器があるそうです。
中国の法律も騒音を規制していて、何々のところでは何々の条件で○○デシベル以下とか書かれいるそうですが、薬科大学にある騒音計は、この要求を満たす測定が出来ないそうです。
もちろん世の中には、日本製も欧州製でも優れた機器が色々あるそうですが、この機器では実習の意味がないから買い換えた方がよいといくら勧めても言を左右にして、まともな機器は入らないと言うことでした。
環境でも様々な専門が分化していますから、それらに応じて専門のスタッフがいないと教育もちゃんと出来ませんよね。優れた教育をするためにも、先生たちがちゃんとした研究をしているることも必要です。
環境学科が出来ても大学院がないし、大学院受験科目にもないので、折角環境学科で学生を教育しても、その専門では大学院入試を受けられないし、大学院に行きようがないそうです。
せめて、音響工学をカバーできる専門のスタッフを置かないといけないでしょう。
役に立たない機器を買い換えるように勧めても、なかなか先に進まないのは、大学にお金があっても環境学科が全体の中の弱者であるか、学科が教育に本気でないか、あるいは、役に立たない機器を買ってしまったことの責任を追及されたくないので新しい機器の購入を進言できないか、ま、色々と理由がありそうですね。
カテゴリ:さえへの日記
さえ:
「ともかく、買わなければ決して当たらないのだから、参加しなくっちゃ。当たったら、半分分けてあげるわね」といいながら、さえは時々宝くじを買っていましたね。
そういうときはぼくも一緒に、買っていました。
2月半ばに中国の戻ってくる前も、一人だったけれど買いました。その当選番号発表はとっくにあったはずですね。
調べなくっちゃと思いますが、買うときは、1億円当たったら、何に使おう、ここの大学の研究室に超遠心機を一台、コンフォーカル顕微鏡を一台入れて(どちらも未だに一台もこの大学にはありません)、あとは毎年の研究費に使って、十年は保つよねえ、、なんて何時も捕らぬ狸の皮算用をしていますけれど、当たるわけのない宝くじに本気になっているみたいなのも馬鹿らしく、まだそのままです。
そうしたら、今日米国の宝くじの話しがネットに出ていました。これは自分で番号を選ぶくじで、毎週当たらないので賞金が積み重なって、今や5億ドルなのだそうです。
『1等賞金、史上最大400億円 宝くじに全米沸く(日本経済新聞 2012年3月30日)』
『米国の大型宝くじ「メガ・ミリオン」の1等賞金が5億ドル(約400億円)と史上最大に達し、全米が沸き立っている。これまで18回連続で1等賞が出ず、賞金が繰り越されてきたためだ』
『この宝くじは、一口が1ドルで、1から56までの数字から5つ、1から46までの数字から1つをそれぞれ選ぶ仕組み。すべてが合致する1等の当せん確率は1億7600万分の1。これまでの賞金の最高額は3億9000万ドルだった』
『ちなみに、1億7600万ドルを費やしてすべての数字の組み合わせのくじを買えば、今回は賞金が5億ドルなので元がとれる計算だ。当せんすれば税引き後の手取り賞金は約3億6000万ドルになるというが、実行する人が現れるかどうか』
つまり1億7600万ドルを投資すれば、差し引き約二億ドルが賞金として手に入るわけですね。先ず最初に、これだけの財産を持っていないといけません。
同じこと考えた人が、もうあと一人だけなら二人で賞金を分けて約一億ドル残りますが、3人以上いたら、もう駄目ですね、大損します。
1億7600万ドルを投資出来るようなほかの人はこんな馬鹿なことをしないと考えて、敢えて財産を注ぎ込むか。同じことを考える人が、やはり出てくるか。さあ、お立ち合い。。。
ただし、56x56x56x56x56x46を計算すると、250億分の一の確率になりますね。ぼくの計算が間違っているのか、この新聞記者が宝くじ協会の回しものなのか。。。
アハハ。こんなことを考えるなんて、ぼくもよほど暇なんだなあ。。。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
昨日の気温は13度まで上がりました。数日前まで歩道の水たまりに氷が張っていたなんて信じられないくらい温かです。ジャケットを脱いでシャツ姿の学生もいます。
アイススケートリンクのためにグラウンドには土で土手が出来ていてまだそのまま残っていますが、もちろん氷も水も姿を消してしまいました。
午後はグラウンドで、体育の時間のソフトボールが再開されましたし、夕方は男子学生が今年初めてのサッカーを楽しんでいましたよ。
女子学生も暑苦しいジーンズを脱ぎ捨てて、ミニスカート、タイツ姿で闊歩している人も、チラホラのチラ位は見あたります。
こうやって、春になるのは嬉しいですね。
でも遠くに目をやると、天界の下の方の20度くらいは青じゃなくて土色です。黄砂のシーズンの始まりでしょう。
今朝の気温はマイナス1度と言うことですが、うちの中の集中暖房も今日でお終い。
室内温度が今まで20度に保たれていたのが、これからはどんどん冷える一方となります。これから二週間は辛いところですが、一方で、外が暖かくなって5月にはいるとインナーウエアも不要になるのが瀋陽ですね。
昨日資料室が置かれているお店の朱さんから、大屋さんがここを売り払ったので5月末までには出ていかないといけなくなった、と連絡がありました。
教師の会の資料室は、朱さんの好意で置かせて貰っていますので、この先朱さんのお店が移るとき、資料室も一緒にと思ってくれるかにすべてが掛かっています。
そうじゃないと、この先資料室は閉鎖、そして引っ越し先を探さないといけません。今日の午前中のセミナーが終わったら、午後は出掛けて朱さんに会ってきますね。
もちろん昨日までは、出掛ける理由はゴールデンレトリーバーの3ヶ月になる宝来くんに会いたいのが100%だったのですけれど。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
昨日の午後は、千品軒で劉凱さんの4ヶ月になったゴールデンレトリーバー、宝来と遊んできました。
二週間前よりも大きくなって、今は15 Kgですって。足は太く大きいですけれど身体はまだ子供、しっぽもちょろちょろ。それでも床に腰を下ろしたときに飛びつかれると、後ろに突き倒されてしまいます。宝来は、ぼくたちが大好きで大好きで堪らないと言うみたいに、飽きずにじゃれ掛かってきます。
劉凱さんが、「宝来はね、あの、何というか、日本でうちにいてパソコンばかりしている、、、?」というので、「オタク?」といったら、そう、それなのですよ。外に出たがらないのです」ということでした。
しばらくして、彼女が引き綱を持ってきて首に掛けようとすると、厭なんですね。首を振って妨害するのですよ。うちのジロちゃんは散歩の時間になると自分で引き綱を咥えて持ってきましたね。
ドアを開けて、引き綱を引っ張っても座り込んで動かないのです。劉さんが抱き上げて外に運んでも置いた地点から一歩も動こうとしません。しっぽは足の間に挟んで、耳は前に垂れたまま。よほど厭なのですね。
この時点で、宝来はオタクじゃなくて「引きこもり」なんだ、と間違いを言ったことに気付きました。
風も強かったし寒いので散歩は直ぐに諦めたのですが、この先劉さんは、宝来がどんなに嫌がっても、小さい内から外に連れ出して外のクルマ、人、犬その他諸々に慣らさないといけませんね。
おかしいのは、もう一匹のチワワです。
もう二歳になっていて、すっかり大人なのですが、人に慣れていなくて、ぼくたちのいる間中、2メートルくらい離れたところから吠え続けるのですよ。人に慣れずに大きくなったか、ひどく苛められたかですね。
二回目に会った二週間前は、肉を煮たのを持っていったので、とうとう吠え掛かるのを止めて、最後はぼくたちの手から直接食べるようにもなりました。ところが、食べ物がなくなったら、相変わらず遠く離れて吠え続けるのです。お陰で忘恩(ワンアン)という中国語を覚えました。
昨日も、「全く知らないぞ、おまえたちは何者だ、何しに来たんだ、大事な劉さんに近づくな!」と相変わらず遠くを周りながら吠え続けていましたが、暁艶が餌をやったあと、まだ吠えていると思ったら、それはぼくに対してでした。
暁艶がしゃがんで手を出すと傍にやってきて床に身体をこすり付けるのですよ、彼女が手を出して身体を撫でても、一瞬眼を剥いたあとは目を閉じて身もだえしています。嬉しいのですね。やっと暁艶の愛情を受け容れてもいいという気になったみたいです。
この次に会うときが楽しみですね。ぼくの番です。
とっても楽しい土曜日の午後でした。
カテゴリ:さえへの日記
さえ:
昔は、と言うかぼくの子供の頃は、男の下着をパンツと呼んでいましたよね。
実は、パンツはその頃のズボンのことを指す言葉だと知ったのは、ぼくがシカゴの大学に行ったときです。
シアーズで緑色のズボンを買ってラボに穿いていったら、テクニシャンの美人女性であるマリーアンが「ヘーイ、ユーブナイスパンツ」と言ったので、ズボンはパンツなんだと知ったのでした。今から40年以上前のことですね。
それ以来、男の下着はブリーフ、女のそれはショーツなんだと覚えました。
でも、まだ男の下着はパンツでもいいみたいですよ。Peachに『これだけはイヤ!男子の「NGパンツ」を検証(3月29日)』というのがでていたのです。
ぼくはこの頃ジーンズばかり穿いていますが、今のはローライズですね。ぴたっとしているのはいいけれど、きつい感じです。ベルトの上にお腹の脂が溜まります。
一昔前のズボンは尻周りが緩いので、穿いていると楽です。でも若い女性から見ると、こういうのがNGなんだろうなあ、と思いつつ目を通すと、ここで言うパンツは、男の下着のことでした。
若い女性のアンケートをして、「お付き合いしている彼にはいてほしいパンツはどんなパンツ?」と尋ねたら、「好きな彼にはゼッタイにはいてほしくない!パンツ」は
1位:ブリーフ(41%)
2位:ビキニパンツ(32%)
3位:セミビキニパンツ(20%)
なのですって。これって、ぼくの穿いているものじゃないですか。へえ、ぼくのを見たら若い子は卒倒するんだろうなあ。
<ブリーフはイヤッ!>
「小学生みたい。名前が書かれたパンツをはいてそう」(27歳)
「子どもっぽいし、なぜかマザコンのイメージがある。どんなにイイ男でも勘弁してほしい」(29歳)
「おじいちゃんのイメージ。シミが付いてそう…」(28歳)
なのですって。
やれやれ、ぼくは化石になるまで生きてきたってことでしょうか。
それこそ、備えあれば憂いなし、ぼくも「ボクサーパンツ」か「トランクス」にしようかしらん。
でも、そうすると若い子に見せたくなっちゃうかも知れない。そりゃ、まずい。やはり、魔除けにブリーフをはき続けましょうか。
(以上の引用は、すべて『これだけはイヤ!男子の「NGパンツ」を検証(3月29日)』からです)
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
中国は清明節の休暇です。
お墓に行って先祖との対話をする日です。伝統的な行事ですが、先祖を祭るという宗教的な色彩があり、これは共産党が受け容れるところではないので国家休日にはなっていないらしいです。
それでも、一族が寄り集まる習慣ですから、大学もこの期間は授業を休みにする必要があり、そのため3月31日土曜日と4月1日日曜日は振り替え授業が行われて、その結果、月、火、水の三日間が清明節の休暇となりました。
もちろん、うちの研究室は休暇なしです。全員が来て何時も通り実験をしていますが、ちょっと抜け出して地下鉄に乗って用事をしてきました。
これで二回目の地下鉄の乗車です。地下鉄のホームには、東京の南北線みたいにホームにドアがあって、最初から乗客の安全を考えて作られています。
薬科大学のあるところは瀋陽市の南の外れみたいに思っていましたが、瀋河を越して南の方にどんどんと背の高いマンションが建ち並んでいって、今や、街の真ん中みたいなものですね。つまり、展覧館からどちらに向けて乗っても、車輌はいつも混んでいるというわけです。
前回の印象通り、ドアとドアの間の座席は6人掛けになっていますから、ちょっと小さめの車輌です。椅子は硬いプラスチックです。
瀋陽の人たちは平均の日本人寄りも身体が大きいですから、日本の地下鉄車両よりも小さい車輌は似合わないみたいです。どうして小さい車輌にしたのでしょうね。
それぞれの車輌の端の方は3人掛けの椅子になっていて、日本と同じように、老人、障害者、妊婦に席を譲りましょうと書いてあります。
ぼくたちが乗ったとき、そこには三人とも若者が座っていましたが、ぼくが近づいたら皆さっと寝たふりをしました。十年前に瀋陽に来た頃は、バスで老人に席を譲る若者がいるのが普通の光景でしたよね。
さえなどは、良く席を譲って貰っていましたね。でも、瀋陽もいまや日本並みになって、老人に冷たい社会になってきました。これがグローバル化のつけなのでしょうか。
地下鉄で立って乗っていても、バスに揺られるよりは地下鉄の方がずっと楽ですね。
今は市内に十字形に地下鉄が開通しただけですが、なにしろ700万の人口を抱える都市ですから、いずれもっと沢山の路線が出来るのでしょうね。
薬科大学だって今に北の郊外のさらに外れに移るそうですから、この地下鉄が早く延長されるよう願っています。
カテゴリ:生命科学
さえ:
昨日は最高温度は9度まで上がりました。最低温度は零度でした。室内暖房が3月末で止まりましたが、これなら大丈夫って言う感じです。空の裾が土色ですから黄砂にうすく覆われていると思いますが、日射しがあるので気分がいいですね。
投稿した間さんの論文が審査から戻ってきました。Reviewer1は、この論文は中途半端で、何も本質的な実験をやっていないじゃないか。クロマチンIPをやるとか、レポーター遺伝子を使うとか、そう言うことをやらなきゃ、とぼろくそでした。
目的遺伝子の発現を見るのにレポーター遺伝子を使えば格好いいでしょうけれど、RT-PCRその遺伝子発現を見ているし、タンパク質はウエスタンブロットで見ているわけですから、まあ、同じことです。
クロマチンIPををやってないから駄目だといっていますが、ぼくたちは新しい制御の経路を見付けてそれを確証して見せたのであって、その最後のトランスクリプションファクターTFまで詰める必要はないと思ったのですが、そこまでやらなきゃ駄目だよと言うことかなあ。
Reviewer2は良くできた論文だ。文句ないレベルだ。しかし自分なら、先ず仮説を冒頭に書いてから論述するだろう、と言う具合に書いています。でも、この論文を書くスタイルは、ぼくの個性ですよね。ぼくには彼の言うようには書けないと言うことです。
Reviewer3は、大変良い。しかし、幾つかの実験が二度しかしていないが、少なくとも三回独立に実験した上で統計処理をすべきだと指摘していました。その通りですよね。そんなことは百も承知ですけれど、関さんがなんといってもやらないし、重要なデータではないので、ひょっとしてパスするかなと思ったのでした。甘い、甘い。反省です。
Reveiwer4が猛烈こき下ろし。しかし彼の言うとおりなのです。
四人が査読するのは滅多にないことですから、これはことによるとEditorで、三人のReviewersがいい加減な査読をしているので、業を煮やして書きまくったのじゃないかと思います。
細胞を薬剤で処理していますが、IC50を出していない。つまり、実は細胞が死ぬほどこの薬剤で痛めつけられた副次的効果でないという証拠がないじゃないか、というのです。
この実験を最初にやった関さんは薬剤を細胞に加えて、目的の遺伝子に何か効果が出るまで加えるのが実験と思っているのじゃないかって思うくらい乱暴な実験をする人で、細胞の成育に対する薬剤の影響を先ず見てから実験するのだと言うことを何度もいいましたが、全く聞かない人でした。
もちろん、彼女以外の学生はすべて薬剤を加えるとき細胞への影響を先ず調べてから実験をしています。がんこな関さんはうちの研究室では反面教師となったわけですから、先輩としては役に立っていると言えるかも。
そうは言っても論文を仕上げた責任はぼくにあるわけですし、指摘の通りですから、その通りやり直さないといけません。今度こそは、彼女も聞く耳を持つでしょう。
つまり問題点はありましたが、それをきちんとやっていれば、科学的な見地からは、一定の主張をするのに必要十分な論拠を出していることになるでしょう。
さ、気を取り直して、再度挑戦。。。
コメント:
Re:論文が査読から戻ってきて(04/04) paque さん
そろそろお二人の会話に割り込んでも許してもらえる頃かな?
小生は論文を書かなくてもよい暮らしを楽しんでいます。 (2012.04.15 21:03:42)
paqueちゃん shanda さん
やあ、お久しぶり。
他にやることを思いつかないから、自分の出来ることを続けているのですよ。といっても、何時まで続くかな?
お大事に。 (2012.04.18 08:02:02)
カテゴリ:生命科学
さえ:
ちょっと前に、朝日新聞デジタルに『自閉症、カギの物質発見 米研究所、マウスで症状再現(2012年3月15)』と言うのが出ていました。
ヘパラン硫酸の合成に必要な糖転移酵素のひとつであるExt1をノックアウトしたマウスを作ったら、『脳の構造は正常だが、仲間には無関心で、知らないマウスを見ると何もせずに逃げ出した。複数の穴があるのに、一つだけに執着していた』のだそうです。
ProcNASに載った論文でした。論文を見てみると、バーナム研究所の山口研究室から出た論文で、ここは国際糖質学会が開かれた1998年に訪ねたことがありましたね。
シニアオーサーの入江史敏さんって東工大のときの星研究室の学生だったひとじゃないかなあと思って、友だちで今は慶応大学にいる松本緑先生に伺うと、違う人でしたが、お陰であの頃うちのラボにも出入りしていた入江厚さんを思い出しました。
ヘパラン硫酸は、今から三十年くらい前に、細胞増殖因子とくっついてそれを細胞の外に保持して、その働きを調節しているらしい、しかも増殖因子がその受容体に結合するとき、ヘパラン硫酸も一緒に作用することが必須だということが分かりましたね。
増殖因子は受容体に結合して作用を示すわけですが、その働きを調節するヘパラン硫酸の影響がとてつもなく大きいということか、ヘパラン硫酸が上記以外の働きを持っている可能性がありますね。
ぼくたちもそう思って、糖転移酵素Ext1を細胞レベルで抑制してみたのですが、狙っていた効果は出ませんでした。もう一度、結果を見直す必要がありそうですね。
でも、本当いうと、興味のあることはどんどん広がるし、考えなくちゃいけないし、調べなくちゃいけないし、しかしぼくひとりですから、その折り合いをどう付けるか、相談相手のさえがいないぼくは、ひとりで曠野にさまよい出て迷ってしまいそう。。。
カテゴリ:さえへの日記
さえ おさえ おさえちゃん:
今日がぼくたちの五十回目の結婚記念日。
何年か前から、さえは「一緒に五十周年を迎えたいわね」と言っていました。「大丈夫さ、一緒に五十周年を迎えようね」と、言葉に空しさが籠もらないように気をつけながら、ぼくは返事をしていました。
とうとう叶わずに終わりました。
二年前の4月6日はさえは日本で治療中で、ぼくがその前の日に日本に訪ねていきました。記念日はがんセンターの検診日だったので、一緒にいきましたっけ。がんセンターの近くの寿司屋さんで48回目の記念日を静かに祝いましたね。
さえは自分がもう長くは保たないことを知っていたし、それを受け容れていました。ぼくが覚悟していることも、知っていました。毎日を淡々と、痛みに耐えながら、しかし痛いと言ってもぼくたちに痛みが分かる訳じゃないし、ぼくたちに訴えることなく黙って、それでも時々、「だって痛いのよ」と漏らしつつ、毎日を過ごしていました。
もしもあのときが取り戻せるならば、ぼくはさえをきつく抱きしめて、さえと一緒に過ごしてきた大事な時間のことを、どんなにさえの存在がぼくにとって素晴らしかいものだったか、そして嬉しいことだったかを、さえに語り続けたい。
「私が死んでも人前で泣いたり、嘆き悲しんだりしたら駄目よ。しっかりしているのよ」とさえはぼくに言いました。だから、ぼくはさえを失うであろう辛さを前にしながらも、その時間の重みに、さえを前にしても耐えなくてはと思い続けていました。
愚かでしたね。ぼくは、本当に。もっと、率直になれば良かった。そしたら、さえともっともっと沢山語り合えたのにね。
I miss you so much. って、人のことを偲んで、会いたいよ、いなくて淋しいよ、って伝える言葉です。
さえには、もういくらそう言っても会えません。でも、ぼくが生きている限り、さえはぼくと一緒なのだから、そう思って我慢することを覚えましょう。
カテゴリ:生命科学
さえ:
瀋陽は毎日どんどん暖かく、そして明るくなっています。
研究室には小さな蛾が毎日発生しています。暖かくなってさなぎから孵っているのでしょう。春だから当然ですね。
この蛾は衣類も食べるので、見付け次第掃除機で吸い取っていますが、彼らは掃除機のゴミ袋の中で、新たな出会いの機会が増えて喜んでいるかも知れませんね。
明るい日射しを見て気分が良くなって、ぼくたちも生き物のひとつだというのが良く分かります。
ところが一方、うちの研究室は重苦しい雰囲気に包まれました。
仕事が面白いように進んでいて、今年三つ目の論文も書き進めていると書いたでしょ。
これはある遺伝子の発現が、ほかの遺伝子で調べているのと同じ経路を通っているらしいことが分かったのがきっかけです。
この経路の別の二箇所が阻害剤で阻害されたので、きっとこの経路を通るという新発見だと喜んで、このことを確実にするための実験を手分けして進め始めたのです。
確認のために、RNA silencingで経路の中の分子の発現を潰して、目的の遺伝子発現が下がるはずと確信して進めた実験でした。ところが先ず一回目の実験でそれが下がらないのですよ。二週間で投稿出来る論文が出来ちゃうぞと、とらぬ狸の皮算用に忙しかったぼくも、実験をやっている三人も、がっかりです。
実験を三回は繰り返さないと傾向が分かりませんから、まだ失望することはないのですけれどね。
でも、予想と違うと言うことは、思いもしない別の経路でこの分子が制御されていることになりますから、これは新しい発見に繋がります。
そうです。予想と違ったら、新しい発見に導かれるのだから喜ばなくっちゃ。これもあの江上不二夫語録にありましたね。
ただね、まだ分からない経路を調べるのは、本当に大変なのですよ。どんなにそれが大変なのかは、さえと一緒にこの九年間ずっと、それだけをやってきたから骨身に沁みて分かっています。
さあ、勝って兜の緒を締めよ、と言いたいところですが、勝った訳じゃないから、ふんどしを締め直して、頑張らなくっちゃ。
この表現は、このブログを読んでくれている中国の学生諸君には、何のことか分からないでしょうねえ。中年以上の日本人のおじさんを捕まえて、訊いてみて下さいな。
コメント:
Re:ふんどしを締め直して再挑戦(04/07) めぐみ さん
亡父が「ふんどし党」でした。35年前でも入院中に苦笑いされましたから。確か学習院の水練は今でも・・・ですね。
先生、研究で荒野にさまよい出ても、戻ってきてくださいね!荒野では草を結んで道しるべにするようですが、研究の道しるべには何を当てたらいいのでしょう。 (2012.04.07 19:07:28)
めぐみさま 山大爺 さん
ふんどし党と聞くと、懐かしいですね。
もちろん学習院ではなかったけれど、小学校の水泳はふんどしでしたよ。いまでも締められると思います。
父はメリヤスの猿股でした。今のトランクスと、実は変わらないですよね。
つい、こういう話には乗ってしまいますが、この辺で。。。 (2012.04.08 17:48:42)
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
うちのアパートのある廊下の明かりは始終切れているので、懐中電灯が必須ですね。6年くらい前、日本で買ったマイクロレンザーを重宝していましたが、とうとう電池を替えても点かなくなりました。
ドイツ製で、2000円近くしたと思います。
今これが駄目になって、さてどうしたものかと思ったときに、思いついたのはうちの院生の崔さんに頼むことでした。
いまの中国はインターネットでの買い物が盛んで、もう日本の流通規模の数倍になったという記事を読んだことがあります。
実際、うちの院生がある日の午後新しいベストを着ていたり、靴を履いていたりして、あれっと思って尋ねると「ネットで買ったものが今届いたのですよ」とか、「先生こんなものどうですか」なんて名古屋のういろうみたいな食べ物を持ってきてくれたりするので聞くと、「ネットでみんなと一緒に買ったのです」なんて返事が返ってきます。
皆が、気軽に利用しているみたいです。中でもエキスパートが崔さんだと言うことを聞いていました。
崔さんに今まで使っていたのを見せて頼むと、「あ、これドイツ製ですね。こういうのって高いのから安いのまで沢山ありますけれど、どれにしましょう」と。まるで商品購入アドバイザーに相談しているみたいに、直ぐに返事が返ってきます。
安いものは信頼置けないことは経験で分かっていますから、同じメーカーで見付けてみて、とお願いしました。
数日して届いたのは、V9 Micro lenserの青い光の出るLEDで、長さ5センチで太さは鉛筆並みです。キーホルダーに付けておくのにちょうどいい大きさです。
電池込みで35元。送料が13元。合計48元。日本円で600円くらいです。
日本のアマゾンで調べてみると720円の値が付いていました。
手元の鍵穴を照らすのによいと書いてありますが、光量は5メートル先を照らすにも十分です。これで数年保つのですから、嬉しいですね。
それにしても、小さくて、しかも強力で、「懐中電灯」という使い慣れた名前がふさわしくないものになってきたように思います。
ケイタイ電灯でも、まだごつい感じです。ドイツのLED Lenserは商標で、一般名はKey Ring Lightのようです。良い名前だと思いますが、日本語にしたら長すぎますね。キーライトならいいかな。
後記: ネットで「キーライト」と入れたら、この手の小さなライトが沢山出てきました。もうすでにこの名前で市民権を得ているみたいですね。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
週末にまた千品軒に出掛けて劉凱さんのワンワンたちに会ってきました。地下鉄に乗っていこうと思ったのですが黄塵がひどく、暁艶と二人でタクシーに乗りました。
このタクシーは何時かのタクシーと同じで、場所が良く分からないのです。運転手が瀋陽の地図を分かっていないと言うことは、こちらが幾ら言っても通じないわけで、とうとう市政府の見える市府大路まで行ってしまったのですよ。
4ヶ月を越えたレトリーバーの宝来は、ぼくたちを覚えたと見えて、店に入ると奥の檻の中で大騒ぎ、「早く出してよ」
店の床はぴかぴかの石造りですから、外に出て飛び跳ねて駆け回って、それこそ止まるときには漫画そっくりに前足を前に伸ばして制動を掛けます。かわいいったらない。ぼくたちに会って嬉しいのか、人が大好きなのか、ぼくたちから餌を貰えるのがよろこびなのか、飛びついて、舐め回して、また周りをはしゃぎ回って、止まることがありません。
一方チワワのチビは、最初はぼくたちに向けて吠えていましたけれど、仲良くなろうという作戦が功を奏して、餌に釣られてやってきて、そのまま撫でるのに身を任せるようになりました。
きっと本心は、人から優しくされたいのでしょう。でも、何かの記憶が人を遠ざけて、吠えまくっていますが、その吠え声の中に、警戒心だけでない、何かが感じられるのです。小学生の頃、好きな女の子に、まるで声を掛けることが出来ず、箒の先でひっぱたいたりする男の子の心境ですね。
ぼくたちが着いたあと、近所に住む朱さんのおばさんが訪ねてきて、この時このチビは真っ先に飛びついて彼女に抱かれて満足していました。何時か、そこまで仲良くなりたいですね。
この一週間はいろいろなことがあって、精神的な疲れを感じていました。こうやってワンちゃんたちに会ってリラックスできたためか、夜は何と11時間寝てしまいました。
ぼくも出来ることなら、犬と一緒に暮らしたいですね。
カテゴリ:薬科大学
さえ:
3月29日から今日まで日本から川西康博老師が薬科大学を訪問。会う度に、「どうですか、忙しいですか」と挨拶代わりに口にするのですが、何時も「忙しい、忙しい」という返事が返ってきます。
これは、ぼくのいたずらなところで、本当に忙しい人は、どんなに忙しくても「忙しい」とは言いませんし、せいぜい「まあね」くらいの返事をしますよね。「忙しい」と言うに人に限って、忙しがることで自分を有能に装うと経験で知っているので、からかっているのです。
80歳を超えてなおかつ瀋陽薬科大学のために尽くしておられる老師をからかうなんてもってのほかでしょうけれど、長い年月のつきあいの大先輩だから、まあ大目にみて貰って。。。
大学の書記とも校長とも会ったそうです。大学の移転はどうなりました?と一番気になっていることを訊くと、「北キャンパスを作って移転するのは止めたってことだった」という返事でした。
「ここは狭くなるけれど、ここに本部と大学院を残して、南の本渓に学部を移して、製薬関係の事業を展開するっていってたね」
2月に瀋陽に戻ってきたとき、北への移転が取りやめになるらしいという噂を聞いて、校長に、『日本の私立大学がバブルの頃東京から外に移転したけれど、大失敗だと悟って続々と都心回帰をしている。回帰できた大学はよいけれど、中央大学はもう戻れずに失敗してしまった』
『中国でも同じことが起こるだろうから、瀋陽の中心から郊外に移ってしまうのは得策ではない。まだ間に合うなら、今の場所を半分でも確保して置かないと、大学の将来は厳しいものとなる』と提言を書きました。
その後、ひと月くらいして国際交流処の処長から、校長のありがとうという返事と、北には移らないでここにも大学を残すという話を聞いたのですが、他には言わないで欲しいと言われていました。
いま、川西老師という第三者から聞いたのだから、ここに書いても良いでしょうね。
噂は本当だったのですね。しかも今のキャンパスをその一部でも確保して置くと言うことは、この大学のために必須のことですから、本当に良かったと思います。
ぼくの提言は、後追いですから決定に役立ったわけではなかったでしょうけれど、大学の選択が正しかったことを支持しているわけですから、無意味ではなかったですね。日本語で書いて、研究室の朱Tongに中国にして貰って、その中国語を送ったのでした。
カテゴリ:生命科学
さえ:
昨日、田川雅敏教授の講演がありました。
アスベストを扱っていた人が、大分経ってから肺の中皮腫(がん)を発病することで騒がれましたね。
アスベストを肺に吸引することで、早くて8年、平均40年経って肺の中皮腫(がん)になることが分かって、アスベストを使ってきた人たちはもちろん、アスベストを使った環境(住宅)に住むひとたちの不安が煽られたのは十年くらい前ですね。
田川教授はこの中皮腫のがんを治療する方法を考えておられます。
このがんの中ではp53が減少していて細胞増殖のスイッチが入りっぱなしになっていることが分かって、外からp53を遺伝子の形で細胞に送り込もうという計画です。
この時の送り手にアデノウイルスが選ばれています。何故アデノウイルスかというと、がん細胞が発現しているCARという抗原にさまざまのウイルスが吸着するけれど、ウイルスの中でアデノウイルスが一番小さく、構造が徹底的に調べられていて使いやすいからだそうです。
中皮腫がんから採られたがん細胞にこうやってp53を送り込むと、発現したp53はDNA合成の異常を感知して細胞はアポトーシスを起こします(自殺をします)。3年前に話しを伺ったときは、まだ結果が十分出ていなくてアイデアが勝っている感じでしたが、今回は見事な結果が出ていました。しかも、一緒に使うと、制がん剤の効果が倍加するのです。
ヌードマウスを使うin vivo実験でも顕著な効果があり、あとは実際の臨床試験が待たれますね。
でも千葉大学当局に臨床試験の申請を出して1年。厚生労働省に申請を送って面接に漕ぎ着けるのに1年。なかなか始まらないようです。一方、日本の患者は増え続けているそうですから、早く臨床試験に漕ぎ付けて欲しいですね。
肺中皮腫の原因はアスベストであることが有名ですが、トルコの奇岩で名高いカッパドキア地方ではアスベストとは全く関係のない鉱物繊維エリオナイトが同じ症状を引き起こしてきたことで知られています。
アスベストが中皮腫を引き起こす過程は明確に分かっていませんが、これは、肺に到達しうる一定の大きさと性質を持った物質が中皮腫を起こす可能性があると考えて良いでしょう。
そういうことでは、今流行のナノテクノロジーで生み出される微少物体の潜在的な危険性を忘れてはいけませんし、そう思うと、この國の公害のひどさも心配になりますね。
カテゴリ:生命科学
さえ:
昨日は書ききれなかったけれど、田川雅敏教授の講演では、中皮腫だけでなくもっと一般的にがんをやっつけるアイデアでが示されました。
がんをやっつけるクスリで一番問題なのが、がんだけを狙い撃ちすることができないと言うことですね。がんだけに特異的に発現している表面抗原があれば、それに結びつく抗体に抗がん剤をくっつけてがん指向薬剤になります。
今まで沢山の研究者が、がんと一般細胞との違いを研究してきたけれど、まだ見つかっていないのが現状ですね。
だから抗がん剤は、がん細胞の増殖が盛んなのに目を付けて細胞の増殖を阻害するクスリが中心です。身体では他にも分裂をしている細胞が沢山あるので、抗がん剤で、髪の毛が抜けるし、腸管上皮がやられて消化不良を起こします。
胎児の頃発現して大人になると消えてしまうタンパク質が幾つか知られていますがそのひとつにMidkineというのがあって、これはかなりの割合でがんに発現しています。特に、今問題の中皮腫がんに発現しているそうです。
アデノウイルスって風邪を引き起こすウイルスです。感染すると喉の上皮の細胞にとりついて中で増殖して細胞を殺します。だから、風邪でぼくたちは苦しむわけですね。
このウイルスが感染して増殖するために必要なDNAのプロモーターのところに、このMidkine のプロモーターを入れてやると、midkineを発現している細胞の中で、このウイルスは増殖のシグナルが入ります。そしてウイルスが増えて細胞を殺すって言うことになるわけですね。この領域の人たちには常識なのかも知れませんが、うまいところに目を付けるものですね。
実際に中皮腫がんから採った細胞にこうやって細工したウイルスを感染させると細胞が死にます。普通の細胞に比べて500倍くらい高い確率でがん細胞を殺すのですよ。
中皮腫がんだけでなくても、Midkineを発現しているがん細胞ならこれでやっつけられますね。
話を聴いていて、数ヶ月前に話題になった九州の研究者によるFEATが、念頭に浮かびました。がんがかなりの高頻度で、このFEATを発現しているというのです。この遺伝子のプロモーターを、Midkineと同じ伝でアデノウイルスの増殖制御位置に入れてやれば、この手のがんも狙い撃ちに出来ますね。
がんのすべてに発現していなくても、普通細胞にはない特別なタンパク質が発現していればこの原理が使えます。違うタンパク質で増えるウイルスを沢山用意しておけば、どのがんでもやっつけられるのじゃないかな。
こうやって優れたアイデアを出して、検証を進めていく田川教授は素晴らしいですね。
それにしてもこの講演を聴きに来るのは単位ほしさの院生ばかりで、この大学の教授がひとりも聴きに来ていないなんて、まったく淋しく、悲しく、情けないことです。
カテゴリ:さえへの日記
さえ:
最近読んだブログの中に『成人の水分の取り方 日野原重明(YomiDr.2012年4月4日)』 http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=56819
とうのがありました。
『最近は、道を歩く人も、電車に乗っている人もオフィスで働く人も、水の入ったボトルを体から離さず持って行動している』
『今日はボトルから離れる生活が出来なくなった一般の日本人に、大人が必要とする水分は果してどれくらいが適量かについて分かりやすく説明しよう』
『私たちが喉が乾くという感覚を持つのは、体の中に水分不足、すなわち脱水が起こったからである。私たち大人の体重の約6割は水であり、体の骨や筋肉や脂肪分が体重の40%を占めるのである』
『この60%にも上る水分が55%や50%に減る。普通日本で生活している時とアメリカや欧州を旅行する、特に夏季に旅行する人ではのどの渇き方が非常に違うのである』
『日本は湿度が高く、特に夏季はそうであるので、体の表面から汗としてではなく、不汗蒸発の量が少ないが、アメリカや欧州では湿度が低い、すなわち皮膚がじとじとしなく、さらさらしているのである』
『夏季にアメリカや欧州を旅行すると、空気は乾燥しているので、汗をかかなくても不汗蒸発という形で皮膚の面から水分が失われるのである。だから、日本人が欧米旅行中は十分に水を飲んでよいが、日本では汗をかかないのに、やたらに水を飲むとそれは結局尿として排尿されるばかりである』
『ところで日本人の正常の体の中の水分は体重の60%であり、水の不足かどうかは体重の増減で分かるのである』
『以上のことから日本では、夏発汗するときは十分に水をとってよいが、発汗がなければ1日の水分は1000~1500ccでよく、発汗する場合には、水の摂取量は2000ccにまで増やしてもよいが、それ以上は飲み過ぎということになる』
つまり日野原さんは『水の摂取量、2000cc以上は飲み過ぎ』と訴えていますが、根拠を示すと書いているのに、その根拠が書いていないのですよ。
『発汗がなければ1日の水分は1000~1500ccでよく』というけれど、その理由も書いてありません。つまり、日本では、どうして2000cc以上は飲み過ぎなのか、その根拠が分からないですね。
汗を出して喉が渇いているならともかく、それ以上飲む必要はないよということでしょうけれど、飲み水の量を数字で示す以上は、その根拠がないと説得力に欠けます。
100歳を過ぎて現役で働いて、なおかつこのように啓蒙のブログを書き続ける意欲とエネルギーに敬意を表しますが、周りもおかしいときはおかしいと言わないといけないのでしょうね。なかなか自分でも気付かないものでしょう。ぼくも気をつけなくっちゃ。
4月に入って瀋陽は毎日暖かくなって、昨日の13日の朝はまだ堅いつぼみだと思っていた桃の花が昼から咲き出し、今日は、もう満開という感じだ。
瀋陽に桜はないが、桃の花も綺麗だった。今、文化路の車道沿いには桃の花が並んでいて、道が薄く桃色に煙っている。
今日の午後の教師会は、一週間後に迫った瀋陽弁論大会の準備の説明会という感じだった。責任者が遼寧大学の、神奈川県派遣の神谷先生で、この先生が緻密でしっかり者なのだ。準備委員会で検討した、弁論大会当日の段取りが詳しく説明されて、大いに感銘を受けた。
でもその中の一つで、弁論大会の選手は登壇するときに「荷物を持っていてはいけない。だから貴重品は身につけて、カバンなどは、集計室においても良い」というのがあって、気になった。
規定では登壇して演説をするとき何も見てはいけないので、何も持っていてはいけないのは当然ですが、荷物を集計室で預かるとなると、集計室で点数の集計をしている二人の先生が、荷物の管理を引き受けなくてはいけない。
学生が荷物を置くのはいいとしたら、誰が持ち出すかを管理できない以上、荷物の紛失が起きたときに、管理責任が問われる。
誰が荷物を置いて、誰が荷物を取りに来たかなんて、ちゃんと札を付けて管理しない限りできないことだ。もし置いた荷物がなくなったら、とても不愉快な事件に発展する。
これを避けるには、荷物を集計室で預からないことしかない。
結局、荷物をどうしても置きたい学生もいるだろうから、その時は、置いてもいいけれど、一切は自己責任だという張り紙を出すことになった。
そしたら教師の会の先生たちの荷物はちゃんと預かってくれるのでしょうね、と誰かが発言した。
何時も誰かが部屋にいるので、集計室に荷物を置いてもいいですが、それだって、自己責任だ。面倒をみるのが当たり前なんて思って貰っては困る。
ま、教師の会にはいろんな人がいるってことなのだ、何事も堪忍、かんにん。
昨日の午後、教師の会の定例会が市図書館であって、この集まりでは一週間先の弁論大会の準備がすべて脱退。
当日の詳細な予定表が配られて、みると来賓と書かれた欄に日本人会会長、副会長の名前が入っていました。
弁論大会の主催が日本人会なのに、そこの会長が来賓だなんておかしい。
ぼくたちが教師の会に参加した2004年の弁論大会で、ぼくは司会者をやっていたので、あらかじめ渡された原稿の中の来賓紹介に、日本人会会長の名前が載っていてびっくり仰天。でも、その場でおかしいというわけにも行かず、そのまま呼び上げました。あとの反省会で、おかしいと申し入れて、翌年からそのような馬鹿なことはなくなりました。
しかし、この数年弁論大会から遠ざかっていたので、またおかしなことが復活したのかなと思って、これ変でしょ、と発言た。
ところが、掛かりの神谷先生から早速、「よく見て下さい、来賓10名プラス主催者2名とちゃんと書いてあるでしょ、くっつけて書いてありますが、間に線が引いてありますし、来賓扱いではありません」と言われた。ちゃんと見ると、その通りでぼくの早とちりだった。
そのあと直ぐ、薬科大学の杉崎先生からもからかわれました。
歳をとると、脳の回路が何処かでショートして、こういう早とちり、誤解に基づいた行動をとることが増えるに違いない。
これからは、何か思いついたら一旦時間を置いて再吟味して、それから発言なり、行動に移すようにしよう。
カテゴリ:友だち
さえ:
昨日の日曜日は午前10時半に劉凱さんのお店に行きました。土曜日はずっと用事があって行けなかったでしょ。「日曜日に行きますね」なんて電話を土曜日に掛けて置いて、出掛けました。
おみやげに、炊飯器ケーキを朝焼いて、自信作を一つ持っていきましたよ。
宝来と散々遊んで時間を過ごしました。
これでは宝来の頭の中では、もちろん劉凱さんが主人で、お店を手伝っている甥っ子の于さんがその次でという順位でしょうが、ぼくは宝来の遊び仲間で、宝来の子分の位にされちゃうかも知れませんね。
昼前に、じゃ失礼します、ありがとうございましたと辞去して、昼を近くの大清花で食べようかと思ってお二人を誘ったのです。
すると、それでは店を閉めなくてはいけないし、それよりの、うちで簡単に作るから一緒に食べていらっしゃいと言われて、ご馳走になることにしました。
人参、椎茸と鶏肉の煮物、味付けは日本と殆ど同じで、美味しく戴きました。このほかにキクラゲ、ピーマンと豚肉炒め、韮と卵炒めを于さんが作って、ぼくのために塩味を減らしたのですって。味付けはぼくの好みと殆ど同じで、美味しくって食べまくってしまいました。主食は饅頭。今はなくなったけれど、以前大学で売っていた饅頭とは比べものになりません。
宝来はケージに入れられていて、チビの方がやってきてぼくたちの間を回ってお裾分けにありついていました。
暁艶と四人でお喋りは、劉さんとぼくは日本語、劉さんと暁艶、于さんは中国語、暁艶とぼくは英語という具合でしたが、楽しく美味しくご馳走になって豊かな気持ちになりました。
考えてみると、中国人の家庭に食事に呼ばれたのは、2003年に李好枝老師のうち、2004年の上海の沈慧蓮の実家、そして2005年頃日本語を勉強していた老婦人の郭さんのうち、2006年に修士を出て結婚した胡丹の新婚家庭、2011年の小呉の北京のうちに招かれたことがあるだけですね。つい最近李老師のうちに食事に呼ばれましたが、ほんと、9年間で、両手で数えられるしかないのですよ。
ですから、今日昼の劉凱さんの自宅の普通の食事に呼ばれたのはとても光栄で、感激的な出来事でした。
密かに言うと、泣き出したいくらい嬉しい出来事でしたよ。日本人だと思って身構えずに、劉凱さんはぼくのこと友だちと思ってくれたのです。さえは、きっとこのぼくの気持ちを分かってくれますね。
カテゴリ:中国の将来
さえ:
日本の就職活動はとても厳しいと聞いています。その中でうちを出て日本で勉学している留学生が三人、就職活動をしていて、嬉しいことにすべて決まりました。三人とも博士で、二人は今年4月からの勤務で、ひとりは2013年採用枠です。
Record Chinaの4月12日のニュースによると『日本の大手企業の海外展開が加速、留学生に熱い視線―中国メディア』
『11日、日本の大手企業はこのほど、2013年度入社の国内採用計画を相次いで発表。業績悪化を背景に、各企業は事業のグローバル展開を進めており、国内採用が大幅減となった』
『一方、海外採用や留学生の採用数は据え置かれた。人民網日本語版が伝えた』
うちから留学している学生は、中国語が母国語で、日本語に殆ど不自由がなく、さらに英語も日本の学生よりも使えますし、何よりも研究も含めて能力抜群ですから、普通に考えたら日本の学生は敵いません。
もちろん日本企業のことだから、企業への忠誠心、日本への愛国心など持ち出してやはり日本人でないとなんて言いかねませんが、個人としての目的指向の明確さ、能力の高さ、勤勉さから見たら、彼ら留学生は遙かに上を行っていますね。
この薬科大学の学部の卒業生には、薬学という専門科目を日本語で勉強した学生、英語で勉強した学生が、中国語による薬学専攻の他に毎年二百人くらい卒業します。
母国語以外の勉強した人は一年余計に在学していますが、この大学は彼らの特色を生かして企業に推薦しているようには見えません。勿体ない話しですね。
日本語が出来る中国人学生は沢山いますけれど、専門科目も日本語で勉強した学生は、恐らく中国広といえどもこの薬科大学以外にはないと思います。そして日本語マスターした学生は、うちの研究室で実証していますが、英語の能力も高いです。
日本の企業は、この例ではシャープですが、中国人などをスカウトしていますね。
『シャープは2013年度入社の国内採用計画で、大学卒(大学院、高専、中途含む)の採用予定者を130人にすると発表。12年度入社の240人と比べほぼ半減した。うち1割以上は留学生を採用する方針としている』
『一方、海外では、中国などアジアを中心に12年度入社と同じ400人を採用するという。業績立て直しを狙った海外展開の加速を背景に、即戦力として海外に投入できる留学生に期待が集まっている。』
日本語を勉強しただけではなく専門科目も日本語で勉強した学生こそ、日本企業の狙い目だと思いますね。
カテゴリ:日本の将来
さえ:
日本の総人口が減少に転じたのは2005年だそうです。2005年10月1日現在の総人口は1億2776万8000人で、前年を約2万20000人下回ったとのことです。
総務省の17日の発表によると2011年10月1日時点の人口推計では『総人口、過去最大の25万9000人減 1億2779万人に 日本経済新聞 4/17』ですって。
『65歳以上の高齢者の割合は、前年比0.3ポイント増の23.3%で、過去最高を更新。世界で比較しても、ドイツ(20.6%)やイタリア(20.3%)を引き離し、引き続き最高水準となっている』
これがさらに50年先だと凄いことになります。『国立社会保障・人口問題研究所の、長期的な日本の人口動向の予測によると2060年の日本の人口は8674万人と10年比32%、4132万人減少し、65歳以上が5人に2人を占める』のだそうです。
『現在の社会は現役世代3人が高齢者1人を支える構図だが、50年後には現役世代1人で高齢者1人を支える社会となる』(日本経済新聞 4/17)
これはもうぼくたちの孫の世代ですね。孫がかれらの子供たちの世代に一対一で支えられるとうのですよ。現実的に可能とは思えないですね。ということはどうなるのでしょうか。
東京都では、もう直ぐ世帯あたりの人口が二人割るらしいです。ひとり暮らしの若者とひとり暮らしの孤老ですね。それが世帯数の半分近くを占めるという想像を絶する社会になりますね。せめての救いは、日本の狭い住居です。かつて世界中から日本人は「うさぎ小屋」に住んでいると言って笑われましたが、うさぎ小屋がごちゃごちゃとくっついているから、まだしも孤独から救われるというものでしょう。
2月23日の日本経済新聞によると『高齢社会対策、65歳以上も支え手に 内閣府検討会が報告書』を出していて、65歳以上を「高齢者」と位置付けているのを改めないといけない。65歳以上を「高齢者」と位置付けていたのを、意欲と能力がある65歳以上は自立し、支え手に回るよう求めるのだそうです。つまり年金は出さないよってことですね。
さて、ぼくもひとり暮らしになってしまいましたが、この先どうやって生きていくかまだ見通しは立っていません。二年先まで瀋陽の契約がありますが、その先グリーンカードを申請して中国で暮らせるだけ暮らしてみようかとも思っています。
カテゴリ:生命科学
さえ:
PLoS oneに送った論文が戻ってきました。
ぼくたちはReal Time PCRがつかえなくて、それでもsemiquqntative PCRを使って、比例範囲のところで定量出来るように努力しています。でも、Reviewersは、今はReal Time PCRがこの世界では常識である。従来法は不正確だから、それで比べることに意味はない。その方法で、増えた、減ったなんてナンセンスだと言ってきました。
ま、そうかも知れないけれど、従来法で院生は苦心惨憺して、比例範囲に収まるように繰り返し繰り返し実験して、間違いなく信頼できるというデータを出してきたのですよ。
貧乏人は研究をする資格がない、といっているようなもので、その通りかも知れませんけれど、学生を育てるのも駄目だと言っているようなものです。
ここに来て9年間経ち、その間に段々論文を通すのが難しくなってきたというか、世界のレベルが上がってきたのをひしひしと感じてきています。
ぼくたちの使える機材は最低で、研究費も最低で、論文を通すのが毎年難しくなってきています。自分の懐から研究費を出すのも限界に近いし、研究費の入るあてもないし、もう辞め時かなあ、と弱気になります。
この論文ではカルシウムの出入りの制御が、ある遺伝子発現の決め手になっている
ことを書いていますが、Reviewersは、それなら、レポーター遺伝子を使って証明しろといいます。その通りですね。異論はないですけれど、ここではそれが出来ないのですよ。検出手段がありません。
もう一つはクロマチンIPをやれと言うのです。それが決定的な証拠だと分かっていますけれど、つい、自分たちの能力と設備の出来る範囲でやってきました。でも、科学的水準から考えるとReviewersの言うとおりです。次の論文ではここまで踏み込もうと思っていましたが、PLoS oneは完璧な研究報告を求めてきたわけです。
科学的には彼らの考えが常識ですし、正しいです。情報砂漠の奥地住まいの身ですが、やはり科学の最前線に置かないと学生を育てる立場としては申し訳ないですね。
がんばりましょう。でも、どうやって頑張ったら良いのかなあ。
カテゴリ:日本の将来
さえ:
ぼくたちは中国に来てから9年になりますが、中国で生活していることに何の抵抗もないですよね。自分の国でないところで暮らしていることに抵抗もないし、他の国の発展に尽くしていることにも全く抵抗はないですね。
Record China 4月19日の記事に、『高齢の日本人技術者が中国で第2の人生、「後ろめたさは全くない」―英メディア』というのがありました。
『1980年代の勢い盛んな日本企業を支えた技術者たちが今、数千人規模で発展著しい中国に新天地を求めていると報じた』
『「私の技術力ではもう、日本では就職口なんてありませんよ」―。59歳の相田さんはこう語る。東京のメーカーで30年間、金型の生産に従事してきたが、50歳を過ぎてから中国南部の珠江デルタにある製造業の中心、広東省東莞にやって来た』
『「若い人たちに技術を伝えていきたい」と語る』
『人口約800万人の東莞には、相田さんのような日本人が約2800人住んでいる。中国で「第2の人生」を送る技術者の増加は日本企業にとって、長い目で見ればかなりの痛手。日本企業が長い年月をかけて培ってきた技術力を簡単に中国メーカーに奪われることになるからだ』
よう、よう、相棒!と言う感じです。
相田さんは『中国に来たことについても、「後ろめたいとは全く感じない。仕事をくれる人のために働くのは、そんなに悪いことですか?」と話している』そうです。その通りですね。
ぼくたちは研究を続けたいのに職がないから中国に来ました。定年から十数年経って、今の日本では、研究費が獲得できれば研究の場所を提供するという大学も出てきましたね。
でも、この制度は良いようにも見えますけれど、一方では問題おおありです。だって、それまで権勢を振るっていた教授が定年になったあとで研究題目の申請を出しても、それを審査するのは、彼のお弟子さんか、かれに世話になった若い人たちでしょ。なかなか、駄目とは言い難いですね。
ですから日本の学問の世界でも、ボス支配と、老害は続くわけですね。
定年になったあとは、それぞれが自分の責任で生きていくしかなく、それが日本でなく中国であっても、本人が選ぶなら文句の付けようがありません。
日本から技術が盗まれると言ったって、そんなのは、早いか遅いかの違いでしょ。日本だって、諸外国の技術を学び自分のものにしてきたのですからね。
コメント:
Re:中国で働く言い訳?(04/20) Paque さん
私よりも長く中国においでと言う事になりましたね。 砂山の近くに小学校がありました(葵小学校)。 砂山は残っていますよね。この前訪れた時、小学校の位置が分からなくて見ていません。跡形も無いのかなぁ。 (2012.04.21 18:50:03)
Paqueちゃん shanda さん
奉天と呼ばれていた頃の、以前の地図を手に入れたので、参照して調べてみますね。
それはともかく、また訪ねていらっしゃいよ。 (2012.04.24 08:10:27)
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
ニッピという会社がコラーゲン化粧品を出しています。そこのプロモーション用の雑誌のコラムに寄稿したことがあります。
今では何を書いたかおぼろげな記憶しかありませんが、折角書いたのに没になったものがあって、それだけは鮮明に覚えています。
それは、革のなめしのことですが、昔はミョウバン(明礬)が使われていて、やがてそれが六価クロムというなめしとしては最高のものに変わった、しかし、六価クロムの毒性が問題になってきた、革を作る工場跡には六価クロムが染み込んでいて、その跡地が使い物にならない、それが地下水を汚染する、使った革を焼却しても六価クロムの毒性は残るなど、色々と問題になってきて、革のなめしに六価クロムではない他のものが使われ始めました。
革の本体は皮で、その本質はコラーゲンですから、六価クロムが使われていなければ、革製品は食べられますし、人畜無害です。まったく問題ないですね。
これに目を付けて、新しい製法で作った靴は履きつぶしたら、リサイクルの一環として食卓に!という内容のお話しを書いたのです。
良い着眼だと思ったけれど、夢を売る化粧品の宣伝紙としては、履いた靴もあとで食べられるなんて話しはお呼びじゃないと言うことでしょう。敢えなく没になりました。
でも、中国では六価クロムでなめしてあろうと、革製品の素は皮だ、豚は皮ごと食べられる、じゃ、靴になっていたって、食べられるはずだ、とばかりに古靴を集めて、それからコラーゲンを抽出して、そのコラーゲンを熱変性してゼラチンにして、飲み薬に使うゼラチンカプセルにして、製薬会社に売っていたのですね。
正直に豚の皮からゼラチンをとるのに比べて、原料は回収の手間だけですから、安くできるため、これが出回ったのでしょう。(これが『薬用カプセル13種類から基準値を超える重金属クロム―中国紙 Yahooニュース 2012年4月17日』に出ていました)
あれ、まあ、まあ、またか、と言う感じですが、うちの研究室の院生の誕生日のお祝いに、今年からケーキを焼いてお祝いを始めたのですよ。
何時もケーキでは何だからと思って、先日の雪城さんの時はジェリーを作ったのです。このジェリーの素のゼラチンは日本から買って持ってきたものですけれど、『カプセル、医薬用だけでなく食品メーカーにも、アイスなどの原料として―河北省 Record China 4月20日』なんて記事が出回っていますから、みんなは、「わあ、見た目も綺麗ね。美味しいね」と言って喜んでくれたのですが、今は密かにお腹を撫でながら無事を祈っているかも知れません。
大丈夫、日本の製品だから。
おい、おい、ほんとかよ、日本製のものなら大丈夫だって?
この頃は、そうも言い切れなくなっていますねえ。
カテゴリ:生命科学
さえ:
胡丹が論文を書いてJBCに通ったという知らせがありました。今、日本のAISTのレクチン工学研究室にいて、ということは、新しい糖鎖構造に対して特異性を持ったレクチンを作り出そうというところにいるわけです。
この論文はケラタン硫酸に見られる6-硫酸ガラクトース残基に特異的に結合するレクチンを、ガラクトース特異的レクチンからタンパク質のアミノ酸配列を意図
的に変異させて作り出したというものです。
アミノ酸の変異をどうやって作り出すか、それをどうやって検出するか、結合した変異タンパク質のDNAをどうやって増幅するかの三点が問題ですね。
昔ぼくたちがやっていたファージディスプレイ法は、アミノ酸の変異はDNAの配列をランダムに合成してファージのタンパク質に発現させることで惹き起こし、ターゲットと反応させて、ターゲットに結合したファージを拾え出せれば、そのDNA入れるはファージが持っていると言うわけです。
あのときは敏感な検出法が工夫できずに苦労しましたね。
今もファージディスプレイ法は行われていますが、変異の誘導と、DNA配列との関連は別の方法の組み合わせです。PCRをするときに、TaqDNAポリメラーゼの校正機能がないために1万回に一回くらい複製の間違いが起きますね、これを積極的に誘導するError prone PCRが使われているそうです。逆転の発想です。
ガラクトースに結合するレクチンを出発物質にして、こうやって変異を沢山入れて、それをタンパク質にするとき、Ribosome Displayという方法を使います。mRNA
にend codonを入れないとタンパク質が延々と出来ますね。このタンパク質はmRNAとも、リボソームとも繋がったままです。
これを蛍光色素で標識しておいて、調べたい糖鎖との結合を調べるのですね。うまく結合したものがあれば、そのタンパク質は自分をコードしているmRNAを持っていますから、直ぐにcDNA配列が分かるわけです。
この検出法はエヴァネッセント波を使う方法なので、蛍光標識したプローブが目的の糖鎖に結合しなくても、洗い去る必要なしに結合を検出できる優れた方法です。つまり、強く洗うと外れてしまう結合も検出できる方法です。
研究室の林音知さんがこの論文紹介に挑戦して、色々と調べてきて一生懸命話すのですが、本質的な意味をつかみ損なっているらしく説明が空回りして、というか、説明を聞いていくら考えても内容が理解出来ないのですね。
聴いている学生たちがいらついてくるので、助けようとしても、なかなかうんといわない林さんを説得して、ぼくが説明をして、研究手技を理解して貰いました。だって、ここのところがこの論文のポイントですものね。
胡丹の使っている方法を見ていて分かりますけれど、変異を起こして新しいレクチンが取れるかどうかは、やってみなくては分からないわけです。どうせ調べるなら、色々と違う糖鎖を用意して置けば、どれかに引っかかる新しいレクチンが取れるだろう、と考えて実験をやってみたに違いありません。初めから6-硫酸ガラクトースに対するレクチンを狙ったみたいに、論文は書いてありますけれどね。
他の糖鎖に対して特異性のあるレクチンも、きっと取れているのでしょうね。
4月22日の日曜日は第16回瀋陽日本語弁論大会が、瀋陽のフラマホテルで開かれた。もう、16回なのだ。
2003年末のクリスマスパーティーの景品で、フラマホテル一泊券が当たって止まったことのある大連の豪華ホテルと同じで、豪華なホテルだ。会場は狭かったのが難点だったがホテルは流石という設備とサービスだった。
私の役割は、点数の集計係。審査員の評価をPCに打ち込んで、点の一覧と順位を付ける。
審査員ごとに纏められた評価票を、発表順と名前を確認しながら、発表者ごとに纏める。
PCへの入力は、評価票をぼくが読み上げ、前川先生が打ち込み、次いで彼女がPCから復唱して読み合わせる。次いで再度、ぼくがPCのデータを見つめる側に回って、前川先生が評価票を読み上げ、PCの記載をチャックするという二重のダブルチェックをした。そしてPCをセーブ。USBにコピーをとった。
この最初に評価票を整理して読み上げる方は一人でやるのでは無理で、幸い、4月から参加の森先生が役をひきうけて、それで三人のチームで今回は支障なく捗った。
ぼくが来た頃は、この集計室は秘密の砦で、審査員が付けた点数をある方法で加工して最終結果を出していた。その加工法と理由は、この集計室担当の人たち以外は、実行委員の人たちにも知らされず、長い間教師会の会員相互の間のわだかまりになっていた。
この秘密の砦の元となった教師が去って、すべてが公開され、それ以来教師会の雰囲気が格段によくなったと思う。というわけで、秘密でなくなった秘密の砦での、私にとっては初仕事。
今は審査員の点数を入力をすると、一瞬にして成績と順位が出て(以前のことは知りませんが、今回の優れものは前川先生の計算式です)、これが最終結果です。
さて、集計室には作文発表はともかく、特に、即席スピーチでは、たとえば大学一部の出場者17人に対する審査員6名分の評価が一挙に来る。成績が出るまでの時間は、午前中の大学一部でやってみると20分強掛かった。
コンテストの最後が大学二部で、それが済んで集計が終わってから結果発表となるが、発表するまでに、集計、計算、順位づけ、賞状に記入ということをやるので、間違いなく、しかも遅れないよう、三人で力を合わせて頑張た。
集計室には先生たちの荷物があるので部屋を空けることが出来ず、結局、作文発表を聴いたのは飛び飛びに三人分だけだった。
それ以外は、興味深い講評も聴けず、結果発表・表彰式も、もちろんアトラクションも、景品抽選会も、一切見ることは出来ずに集計室にいるだけで終わってしまった。
でも、他の先生たちの話しによるととても良い雰囲気の弁論大会だったそうで、何かしら役立った感じがあって嬉しいと思うしかない。
終わって慰労会が計画されていなかったのは一寸残念。
実行委員会の人たちが最後まで残って後片付けをしていた。彼らだけは慰労会をしたかも知れないが、他のすべてのメンバーを含めて計画したら、皆の心が一つになる折角の機会なので、良かったのにと思う。
今年の瀋陽日本語弁論大会の高校生の部では、同率一位というのが三人でた。
記憶にある限り初めてのことだ。集計室では、すでに封筒で用意してある賞金、1位千元、2位7百元、3位五百元の中身を、一様に千元に入れ替えて、封筒に改めてすべて一位と書き入れました。
同率1位が二人出ると、2位がなくてつぎが3位が一人である。あるいは、3位に二人いると同率で二人が受賞してきた。この取り扱いはごく常識的なことでしょう。1、2、3位で三人、同率ということを考えて賞金の予備を一寸用意しておく。3位が同率なら合計4人まで用意しておくのが普通である。
今回は1位が三人という空前のことが起きた。
可能性としては、1位が同率三人ではなく、五人ってことだってあり得るわけだ。1位が一人、2位が一人、そして3位が残り全部15人が同点と言うこともあり得る。そこまで考えて賞金を用意しないけれど。
弁論大会の準備会の時日本人会側の委員が、いろいろの可能性を考えて、賞金の予備は用意しているという発言があった。
それを聞いた教師の一人が、受賞は合計3人と決めているけれど、1位が二人出たら、次は2位は空席が普通だけれど、2位として賞金を出して、そして3位の一人の合計4人まで賞金を出したっていいじゃないか。もし3位が同点で二人いたら、もちろんその二人に3位の賞金を上げたらどうでしょう。だって、弁論大会は参加者に励みをあげるものだから。と発言した。
これは常識的な賞金の出し方ではない。でも、スポンサーが賞金を沢山出す用意があるというなら、新しい方法で受賞人数を増やしたって良いじゃないか、とその教師は主張した。
でも殆どの人は、面食らってしまい、そんなやり方は例がない、今までの方式に従おう、という反対意見ばかりだった。
確かに今までのやり方と全く違う方法を提案していて、誰も納得しがたいと思っているようだが、反対の根拠は、今までその方式は例がない、その方式はなじみがないという理由で反対しているわけだ。それ以外に、この方法がこれまでの方式に比べて良くない理由を示す必要があるのではないですかと、ぼくは発言した。
考えてみれば、今まで例がないなんて言うのは、反対意見の根拠になるとは思えない。
でも、新しい見方を提案した教師がそれを取り下げてしまったので、話はそれ以上進まず、私の提言も宙に浮いたまま消えてしまった。
どうだろうか、何処でも今までなじんできた方式があるわけだが、それに反するからという理由で新しい考え方を退けている、つまり新しい考え方を拒んでいることがいかに多いことだろう。
普段の生活でも、政治でも、組織でも、さらには生命科学ですら、そうではないかと思う。新しい見方の提案を明確な根拠で論破できずに、今までやってないことだから、と反対する後ろ向きの生き方が多すぎると私は思う。
もう一回、弁論大会のことを書きたい。
瀋陽日本人会は幹事会を持っていて、その正式メンバーではなくオブザーバーとして、教師の会から誰かが出ている。2005年秋から2年間は、そのときの代表に頼まれて、私は幹事会に教師の会を代表して参加していた。
2005年まで代表だった石井康男先生によると、議題はちっとも面白くないし、苦痛だけれど、幹事会の人たちと知り合いになるし、そうなると、日本人会を代表する人たちのいろいろな意見を聞くことが出来て、結構面白くなりますよ、ということだった。
実際、幹事会の議題は、まるで関係ないことばかりなので、ただ苦痛だった。でも段々みんなと顔なじみになって、そうなると他の時に会ってもお喋りをするようになるし、社会が広がる感じで、幹事会のあとの懇親会に250元の会費を払っても、まあいいかと思うようになった。もちろん、自分の私費ですから、痛いすけれど。
幹事会では、弁論大会を担当する幹事会社を決める。そして時期が来ると、弁論大会のことが話題になるが、何時聴いていても、幹事会社が弁論大会を教師会にやらせるという意識で発言しているとしか思えない扱いだった。
文句を言ったた。すると言葉遣いは丁寧なものになるけれど、中身は変わらず、日本人会は金を出して、それで教師の会にやらせる感じであった。
その後、日本人会と教師の会で作っている弁論大会実行委員会では、スポンサーは日本人会で会場の選定、折衝をする。実行は教師会に任せることにきめたようだ。
それで、主催は日本人会。そして教師の会は、共催でもなく、後援でもなく、一番最後に協力という形でプログラムに載っている。
弁論大会を実行するには各学校の参加が必要で、それには日本人教師がいるなら、大いにその人たちに協力して貰いたいだろうし、教師は協力して良いと思う。
今は、教師会の人数が激減してい流7。いま、当日の最終選考会の運営も、すべて教師会、作文の入稿、製本、配布まで教師の会の役目ですが、この人数では、仕事が多すぎると思う。
それともう一つ、教師の会で耳にするのだが、日本人会に対して、こんなに立派な弁論大会を開催して下さってありがとう、とお礼を述べる先生がいる。今回は、最後の景品を沢山出して下さってありがとう、と日本人会に感謝する言葉も聞いた。
これは、おかしいのではないかと思う。瀋陽地区で日本語教育を盛んにし、日本語を勉強する学生にモチベーションを与え、ひいてはその日本語熱が日本企業に一寸でも還元できると良い、と思って日本人会は弁論大会をやっている訳だ。
教師の会のためにしているわけではないし、教師の会は全員が(必要交通費以外は)手弁当でこの大会の成功に一生懸命努力しているわけだから。教師の人たちがお礼を述べるのは、ますます日本人会が教師の会に弁論大会をやらせているという気持ちを強めるのではないかと案じてしまう。
私の言っていることは、一寸、極端すぎるかも知れない。激しすぎるかも知れない。
教師の会は、いくらやりたくても自分では資金がなく、弁論大会は実行できない。日本人会はお金は出せても、日本人教師抜きでは弁論大会を実行できない。
両者が特徴を出して、相補いつつ、弁論大会を実行し、そして成功させているのが現状ならもちろんそれで良いし、そうあって欲しいものだと思う。
日本人会の中に教師の会に対する敬意があるなら、良い。それがあるのかどうか、感じられるかどうか、今度の教師の会ではみんなに訊いて見ようと思う。
カテゴリ:さえへの日記
さえ:
もう4月も26日になりました。
4月に入って暖房が切れて、毎日寒い思いをしているうちに、気温がどんどん上がって、4月半ばには桃が咲いて、連翹(迎春花)が咲いて、なしの白い花が今朝から開花しています。ライラックのつぼみもほころんできました。
おかしなことに、ライラックの花を見ると、「すみれのはーなー さくーころー」という歌が出てきます。宝塚の歌ですね。さえは全部歌えたっけ。
毎年、何時もこの時期は心が浮き立って、ぼくたち大学の庭を楽しんで歩いていましたね。薬草園もぼくたちのお気に入りでした。
でも昨年から時間外は門扉が閉じられているので、朝来るときに寄ってみることが出来なくなりました。恐らく不心得者が、お金にするために採集して行くからでしょうね。
研究室のセミナーは、卒業研究をやる前の学年の学生がすでに十人近く参加していますが、昨日は薬学の3年生のから参加したいと申込みがありました。英語のうまい学生で、学部を出たら米国に行きたいと言うことです。
一部の学生の間で、ここでは英語で考えるセミナーをしていること、先生が学生に親身であること、良い研究をしていることなどが評判になっているみたいです。
でも、良い研究をしていると言っても、ぼくたちの苦労しているRT-PCRはそのままでは論文が通らなくなりましたから、Real Time PCRを使うようにしないといけません。
まだ使ったこともないし、どの位お金が掛かるか分からなくて不安ですけれど、目下勉強中です。出来るだけ早くこれが使えるようにして、信頼できるデータを出すと同時に、皆の苦労の種を取り除くことにしましょうね。
カテゴリ:生命科学
さえ:
昨日は中国医科大学に行って、Real Time PCRを使っている研究室を訪ねました。
Real Time PCRの最大の特徴は、一つのチューブの中で、コントロール遺伝子と、調べたい遺伝子と同時に増幅できるので、その比率が正確に分かると言うことですね。
こうやって内部標準がおけるのは、調べたい遺伝子の発現量を正確に出すためには必須のことです。しかし、在来法では、同じチューブの中ではやることは出来ないので、いくらピペット操作で正確さを心がけても、正確である保証がないわけです。
Real Time PCRでは機種にもよりますが、一度に4種類、あるいは5種類の遺伝子の増幅が出来ます。この色素の選択、実際にどんな具合にやっているのかを知りたくて、メーカーの人が医科大学にも入っているからと言う紹介で訪ねたのでした。
話を聞いて驚いたのは、Real Time PCRの特長を最大限に生かす方法を使っていないのです。つまり一つのウェルで一つの増幅しかしないと言うことなので、どうしてか尋ねました。
すると、それぞれの遺伝子増幅に特異的なプローブを設計して作るととても高価なものになる、コントロール遺伝子と目的の遺伝子増幅は別のウェルで計るけれど、これを三回繰り返せばピペットの誤差をカバーできるのではないか。それに何よりも増幅するところの、二倍二倍と増えていくところが正確に追えるので、どの遺伝子も比例する範囲で調べられるから、在来法よりは遙かに正確だ、とのことでした。
なるほど。目からうろこが落ちました。Real Time PCRの特長を生かして使うために、それぞれの目的の遺伝子に応じて特異的なプローブを作らないといけないと信じ込んでいたのです。相当お金が掛かりそうで悲壮な気持ちだったのですけれど、この使い方でも、在来法よりは格段に信頼性が増すことが分かりました。
良し、それなら出来るぞ。と意気込んで医科大学を辞去してきました。
全体の増幅速度を高めるために、目的の《修飾語の連続》遺伝子の増幅するDNAの長さは80から300bpなのです。Primerは新たに設計しないといけませんが、DNA染色用の蛍光色素を手に入れれば、直ぐにでも、新しい機器を使えそうですね。
いままで、Primer3というソフトでPrimerを設計していましたが、今はPrimer5というソフトがあるそうです。Macではつかえないみたいですから、Windowsに慣れないといけません。
この問題を早くクリアして、先に進みましょう。この先には輝く未来が待っています。
カテゴリ:カテゴリ未分類
さえ:
中国人の優秀さは昔シカゴに留学していた頃、同じように中国からポスドクで留学していた人たちを知って、凄い、とても敵わないと思ったことがあります。その後の研究生活でも、素晴らしい中国人研究者に何人も出会っています。
それがこの瀋陽に来て9年間ですが、刮目するような人にあったことがありません。人口は日本の十倍だし、凄い人たちも十倍いるはずですが、圧倒されるすごさに出会ったことはありません。
思うに、ぼくは中国語が分からないので、英語でしか相手の評価が出来ないわけですね。研究の上で英語を使って多くの人たちと付き合う機会が、いまはとても少ないから、凄い人たちに出会わないのかもしれません。
昨年秋は卒研生を三人採りました。その二年前に7人を採って、研究室の研究機能がめちゃくちゃになったのに懲りて、それ以降は人数を絞っています。
その三人のうちの一人が男子学生で、コンピューターを使うバイオインフォマッティックスが強いという触れ込みでした。それですから、昔、酵素活性を頼りに見付けたヒトのコンドロイチン硫酸特異的分解酵素を、遺伝子情報から探し出そうということを計画したのですよ。
でも、あのときは全く興味を示さなかった某スポンサーが今その探索をやっていると知って(その会社への再就職の世話をした東工大の時の学生から聞きました)、その考えを放棄しました。それで、この劉Danはうちの研究室の研究室の一部の、ごく一部を担当しています。
その彼のジャーナルクラブの初登壇に、この間書いたPNASの「ヘパラン硫酸がないと自閉症になる」という論文を読むように言ったのです。目を通して概要は分かりましたが、ぼくには神経生理学の実験がまるで分からないので、肝心の所はちんぷんかんぷんだったのですよ。
それを今日、彼は実に見事にジャーナルクラブで話しました。神経生理学を20年やっていたみたいに、何のよどみもなく実験方法をぼくたちに分かるように説明して、淡々と(見事な英語で)説明して理解させるのです。まだ22歳の若者ですよ。よくもまあ、あれだけ勉強して理解したものです。凄い能力ですね、舌を巻くというのはこのことでしょう。初めての経験です。
そしてさらに感銘を受けるのは、彼は少しもその能力を誇ってみせないのですよ。一寸頭がよいと、それを見せびらかす手合いは(特にここ中国では)沢山いますから、ますます感銘を受けました。
こういう天才と言える人がうちの研究室の学生にいるなんて、これまた、凄いことですね。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
今、5年生になる陳佳卉さんが先生を食事に招待したいと言ってきました。陳佳卉さんは某教授(遊松)の娘の日本語の家庭教師をしていて、ぼくたち某教授に招かれてさる別荘に行ったときに、初めて会いました。それ以来、彼女とはもう3年越しの仲好しですよね。
この大学を卒業したら米国の大学院に入りたいというので、推薦書を書いたりしたからでしょう。それで食事に招かれるには及ばないと思いましたが、他に数人の学生も招くというので招待を受けました。
昨日の筆に出掛けたのは、三好街にある健康美食の店でした。他に暁艶、宋紫微も一緒でした。
陳佳卉さんは日本語を勉強して結構な線まで行っていたのに、米国留学をすると決心して以来英語の勉強一途だったらしく、「私の日本語は、大分下手になりました」と日本語でいうくらいで、あとは英語に切り替わっていました。どちらにしてもこの四人が顔を会わせると共通語は英語ですから、英語でよいのですけれどね。
でももちろん、この三人が気楽に話したいときは中国語になってしまいますから、ぼくは仲間はずれです。紫微の英語は見事で、どうやって勉強したの?と訊くと「もっぱらドラマを見たんですよ」というだけあって、本格的な米語の発音です。
つまりアクセントは息の強弱の発音で、それに対して暁艶は、可哀想にぼくに付き合っているものだから、せっかく薬学英語を出ているのに、アクセントは音の高低で区別する英語なのです。ま、それでも、アクセントの位置が正しければ全く問題ないですよね。
ぼくは、このところ論文を投稿したら立て続けに、「英語におかしいところが幾つかある、たとえばTransfectantsは screen したのではなく、select したのだ、ちゃんと英語を話す人に見て貰いなさい」なんていわれています。ネイティブと話す機会なしに英語を使っていますから、段々おかしくなってきているのでしょう。この次からちゃんと英文校正を受けましょう。
英語の話しになってしまいましたが、健康美食の店で陳佳卉さんの選んだ料理は、油を使いすぎていないし、味も濃すぎないし、どれも美味しく戴きました。ごちそうさま。
カテゴリ:生命科学
さえ:
Primerの設計のためにPrimer 5というソフトウエアを手に入れました。シェアウエアです。Macで使えないのが難点なので(大分前のソフトらしく、Classic Macで動くのですね。でも、それでは今は使えません)、劉丹が探したところPrimer 6というソフトがありました。
このPrimer 6はIntel-based Power Macで使えますけれど、これはデモ用で、実際に使うとなると1000ドルくらい掛かるらしいです。Primer5はWindowsでしか動かないので、とても不便ですが、仕方ないですね。
Primer5をWindowsで動かしてみました。するとPrimer pairsの相互作用、それぞれの中の相互作用(その結果ヘアピンが出来てしまう)、ほかの場所との相互作用はたちどころに出てくるので、それぞれのprimer pairsの評価が直ぐに出来ますね。
もちろん、intronを含んでいるかどうかは、別にmRNAと比べて確かめないといけませんが、これは今までと同じです。これまで自動で出るようになったら楽でよいですが、そうなると、人は頭を段々使わない方に進化してしまいそう。
これからReal Time PCRを使うと決めたわけですから、このPrimer 5を使って次々にprimersを設計しないといけません。今までのデータと比べながらやりたいのですが、それはMacのデータになっていますよね。能率的にやるには、それをWindowsに移さないといけないみたいです。でも、モニターが小さいし、いっぺんに違うソフトを混在させて調べるのにこのWindowsは不便です。
つい、文句ばかり並べて、肝心の仕事をちっともしないのは、昔、試験の前にあれこれ関係ないことを色々と考え出して、勉強に取りかからなくてはいけないという現実から一生懸命目をそらしていた頃とよく似ています。三つ子の魂百まで、ってこういうことでも、言えますね。
カテゴリ:日本の将来
さえ:
先日、在瀋陽日本国総領事館に行ってきました、日本における無犯罪記録証明書を貰うためです。
この無犯罪記録証明書は永住権申請にあたって中国政府から要求されるもので、中国駐日本国大使館の認証を得たものでないといけないと書いてあります。
そして中国駐日本国大使館は、日本の外務省の認証したものだけを認証するそうです。
インターネットで調べてみると、中国にいるときは領事館に行って申請すると、本人申請 領事館 外務省 警察 外務省 領事館 本人という経路で手に入ることが分かりましたが、時間は3ヶ月程度掛かると言うことです。
一方、自分が居住する日本の警察本部に行って請求できると書いてあります。その場合は申請から3週間くらいというので、この方が早いですから、自分で日本まで行って申請しようと思いました。日本に着いてから書類が足りないと言われては困るので、ここから日本に電話をしました。
そうすると、個人の申請で、無犯罪記録証明書を発行する。しかし、然るべき理由がいると言うのですよ、ま、そうだろうと思いました。ネットには書いてないですけれどね。
それで中国の永住権申請のためで、これは中国政府の要求するところですと説明しました。
ところが係官は、中国政府がこれ必要とすることを日本政府は関知していない、つまり中国政府が要求していても、日本の政府はその理由で無犯罪記録証明書を発行する取り決めがない。従って、その理由は受け付けられない、つまり、無犯罪記録証明書は発行できません、というのですよ。
だって、中国の政府からは届け出のためには必要と言われているから申請しているんでしょ。でもその理由では受け付けないというのは、一体どういことでしょうね。
全くもって、お役所仕事というのは、やれやれですね。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
こうやって調べることなく日本の警察に証明書をもらいに行ったら、危なく無駄足になるところでした。
じゃ、どうしたらいいのですか。領事館から請求できるというルートがあるのは知っていますが、それでは時間が掛かるので、直接警察で請求したいのです、と尋ねました。
係官は、それでは中国にある領事館に行って無犯罪記録証明書を必要とする理由を話して、警察宛に、警察がそれを発行するわけを書いて貰って下さい、ということでした。
ですから、もちろん、在瀋陽日本国総領事館に直ぐ電話をしたのですよ。まず録音サービスで振り分けられて、出てきた窓口の中国人と話しをして、次いで担当の領事さんが電話に出てくれました。
ところが、理由を話してお願いしても、中国政府が個人に要求していることについて、日本政府としてはいかなる認証も出来ない、つまり、警察で発行してくれる無犯罪記録証明書を手に入れるための後押しする書類は出せないというのです。
日本の警察では、領事館にいけば、必要だという書類を書いてくれそうなことでしたが、話は違いました。そうなると、残る道は、三ヶ月かかる方法しかありません。
改めて何時領事館に伺ったらよいかを尋ねると、何時でも良い、予約も要らない、ただし指紋採取に時間が延々と掛かることもあるから、ゆとりを持ってきて欲しい。ちなみに午後は1時15分から領事館は開いていると言うことでした。
その時永住権の申請にこの無犯罪記録証明書が必要であることを書いてある中国政府の条文を、証拠として持ってくるようにと言うことでした。
ネットで手に入れましたが、それが正しいものであることを証明して貰おうと思って、公安当局に尋ねました。そんなことは出来ない、と言う返事です。
中国政府の条文のコピーは手に入ったけれど、これが真正のものだという証明がなくても、日本の領事館は納得してくれるかなあ。大丈夫なのかなあ。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
在瀋陽日本国総領事館に1時過ぎに着いたのですが、領事館を二重に取り囲んだ塀の内側にいる武装警察官は、開くのは1時半だといってぼくを追い返しました。あとで門まで来るとVISA関係は1時半、しかし領事扱いは1時15分と書いてありましたよ。
門衛は一人ずつ中に入れてくれるので、まず最初の塀を通っていかめしい受付の窓口の前でパスポートを示して用件を告げるのです。次いで二番目の塀を回転扉でくぐり抜けて、別館に入りました。
普通、お役所仕事というと、褒め言葉ではなく、悪口ですが、この領事館の対応はお役所仕事と言ったら失礼に当たります。対応は全く文句の付けようがありませんでした。
中の窓口で用件を伝えたら、直ぐに分かってくれて、窓口の男性が領事を呼んできてくれました。書類を渡すとすんなりと受け取ってくれて、日本の警察に申請する手続きに取りかかりました。書類を言われたとおり書き込んで、といっても、余計なことを書いたと言ってまた書き直し。
たとえば、申請理由は「永住権申請」だけで良くそれ以上の文言は不要とのことでした。ここまでで窓口に来てから30分。さあそれでは指紋を採りましょう、と、達者な日本語を話しますが微妙なイントネーションの違う男性係官が、大きなインクパッドをくれて、練習ですよと、台紙三枚を渡してくれました。これが結構大変。指を回転しながら紙に押しつけるのですが、親指、人差し指はともかく、薬指、小指となると、これが大変。
三枚の練習が終わったら、係官が窓口から外に出てきて、ぼくの指をつかんで、さらに採取の要領を指導してくれるのですよ。
本番の採取をして、なおかつ補欠みたいにさらに二枚の台紙に指紋を採りました。やっとこれでよいですよと言われるまで40分掛かりました。
後は、警察で証明を貰ったらそれを外務省に持っていて認証を受ける代理人への委任状を書きました。これを中国大使館に持っていって認証を受けてこちらに発送してくれる代理人として東京華僑総会が紹介されました。
日本で手続きをしたら、戸籍謄本、住民票なども自分で用意しないといけないのに、領事館では申請すればあとはやってくれるのですね。日本の官がこれほど行き届いているとは、知りませんでした。
カテゴリ:カテゴリ未分類
さえ:
草食系男子と肉食系女子という言葉は一世を風靡した感があります。これは日本の若者の生態を、実に言い得て妙という命名ですね。
電通がそれに次ぐ新しい男子像を提出したのだそうです。
『本当にいるの?:新しい男子像「カフェオレ様」って何だ? 電通が20代男子のファッション意識を調査 (Business Media 誠 5月02日)』
『男性同士で恋バナ、美容アイテムや下着にこだわり、女性にはオレ様キャラ、そして出世意欲が高い。草食男子に次ぐ新しい男子像を電通総研が定義した。』
カフェオレ様、その特徴はというと……。
1.同性に対して「女性的」な接し方。2人に1人は「男同士で恋愛トークをする」
2.美容アイテムも日常的に利用。「ヘアワックス」「化粧水」の利用率が7割
3.特定の「お気に入りブランドあり」は7割。10人に4人が「下着」にもこだわる
4.女性に対しては“オレ様”キャラで接する傾向。「積極的にアプローチする」は6割
5.高い向上心とサバイバル意識。10人に7人が「忙しくても出世したい」
6.同性異性に関わらず、影響力が強い。7割が「薦めた商品を友人が使った」経験がある
7.消費にも意欲的。1カ月で自由に使える金額は、平均5万938円
「女性的な趣味や外見へのこだわりを持つ半面、女性への接し方や自己向上意欲において『オレ様』的な男らしさを持つ」のが特徴だそうです。
若年男性(15~34歳)を対象にした「ファッション・美容意識実態調査」から得られたもので、「カフェオレ様マインドを持った層」が40.5%もいるといいます。
これって、陳陽のことじゃないですか。陳陽は今は東京大学で博士課程の3年生ですが、ここの学部学生でいた時から全学の注目の的でした。見た目は優しげで、ロン毛だし、女性に間違えるくらい。お化粧もしていると噂でした。
日本にいる今では、出掛ける前にはちゃんと化粧をして、身だしなみに30分くらい掛けるということですし、身につけるものは上から下まで、下着までピシッとファッションで決めています。
いや、下着をなんでぼくが知っているかというと、股上の浅いズボンの上から、下着の裾というか、上のゴムが覗いていて、Calvin Kleinと書いてあったからです。
陳陽はこの定義に立派に当てはまりますね。でも、陳陽が凄いのは、、今じゃなくて、10年前から中国でこれを実践していたってことでしょうね。
しかも、ちゃらちゃらしているだけではなくて、『5.高い向上心とサバイバル意識。1忙しくても出世したい』にもあてはまるのですよ。
昨年JBCに見事な論文を出しています。これによると、細胞内で作られるタンパク質はクオリティコントロールを受けることが知られていますが、この新しい仕組みを発見したのですよ。教科書に載るかも知れない発見です。
カフェオレ様という言葉が今後流行るとも思えませんが、カフェオレ様のファッションリーダーを何年も前から知っていたことが、自慢になるかなあ。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
現在、北大に行っている方家さんが日本の連休を利用して、訪ねてきました。昨年夏も訪ねて来てくれました。卒業生が訪ねてきてくれるって、教師の勲章ですね。今回もお土産におせんべいを持ってきてくれました。
方家も日本のおせんべいになじんできて、美味しいと言っていました。元々、中国ではなじみのないものですけれど、今では旺旺というメーカーが大米餅といった名前で、せんべいを売り出しています。日本のせんべいも、煎餅って書きますね。ここでの味は微妙に違いますが、何処が違うかというと中国製は一寸甘みが加わっています。
彼女は瀋陽にうちがあるのでこうやって休みに戻ってきたわけですが、二日間ここにいただけで喉が痛くなったとぼやいていました。それに比べるとぼくは、もう中国っ子ですね。柔な身体じゃなくなりました。
秋には日本の修士を終えるのですが、はじめは進学するようなことを言っていましたが、博士課程には進まず、中国の企業に就職したいと言うことでした。これは親と一緒にいたいからだそうです。
中国も大分変わってきていますけれど、親子の絆はとても強いです。
それでも、ぼくには理解出来なかったのですけれど、彼女の祖父がこの冬亡くなったのに、日本にいる彼女には知らせがなかったそうです。中国は両親が働くのは当然なので、子供の面倒は祖父祖母の役割です。彼女もお祖父さん、お祖母さんに育てられたわけですが、それが亡くなったときに知らせがない、というのはごく普通なのだと言うことでした。
親しければ親しいほど、その死は即刻伝えるのが日本ですね。ここでは、親が子供への影響を気遣って、知らせないみたいです。直ちに知らせを受けても、なくなったという事態は変わりようがないし、なるほどね、としか言いようがないですが、文化の背景はこうも違うことが驚きです。
夜は東来順という北京に本店のある火鍋料理の店に、暁艶も誘って三人で行きました。ここは、先日貴志老師が、息子さんが来られたのを機会に招いて下さって知ったのです。店の雰囲気はとても良く、食べものに堪能しました。
カテゴリ:研究室風景
さえ:
研究室の院生からみんなでイチゴ狩りに行きたいなあと言う声が挙がって、紆余曲折の上、とうとう土曜日の研究室セミナーを休日にして出掛けようと言うことになりました。研究室が始まって以来のことです。
他にもセミナーに参加している学部学生にも声を掛けましたし、さらに日本語教師の先生たちも誘いました。それで、合計21名のバスツアーで、バスのチャーター代金、いちご園入場も含めて、学生50元。日本人は保険料が高いとかで80元。
蘇家屯の先が目的地で、行きは運転手が道を間違えて、1時間半。帰りは1時間。
ビニールハウスにイチゴが植えてあって、自由に食べてよい、持ち帰りは駄目、その代わりお土産が付くからと言うことでした。
確かにイチゴは葉隠れに見えますけれど、毎日同じところを公開しているのじゃないかなと言う感じで、大した数はなく、それでも、最初は、綺麗だろうか、農薬はどうだろう、回虫の卵は付いていないかな、と眺めていただけなのに、周りの人たちに釣られて、摘んでは食べ始めました。
「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」と言うのを流行らせたビートたけしは科学的にはとんでもないことだと思っていますが、イチゴを見て、ぼくもたけしの言葉に乗りました。
直ぐに、大きいイチゴより小さいのが甘くて美味しいことが伝わってきました。でも、表面積は大きい方が少ないわけですね。危険も少ないはずだなあなどと思いつつ、指先をイチゴ色に染めていきました。
お土産用に売っているイチゴは摘んで食べたイチゴよりも美味で、もちろん朱紅飛さんのところと李老師のところに持っていくために、買いました。
昼は各自持ってきて近くの地蔵寺というところで食べると言うことでした。暁艶がサンドイッチを作って呉れたのです。近くの学生たちからうらやましがられましたよ。
2時過ぎにラボに戻ってから、朱さんのところに出掛けて、宝来とちびと遊んできました。
何時もは土曜も日曜も仕事をしているので、久しぶりに、恐らく1年ぶりに初めて、一日中仕事を離れた時間を送りました。
夕方は朱さんと暁艶と健康美食の店で美味しい夕食を食べたし、本当によい一日でした。
カテゴリ:カテゴリ未分類
さえ:
Real Time PCRに切り替える決心をしたって書いたでしょ。ですから、色々と勉強をしました。
中国医科大学で教わったので、Real Time PCRにを従来法と同じ使い方で使うことにしました。それだけでも、精度は格段に上がります。
さらに教わったように、Primer5を今までのPrimer3に換えて使うことにしました。先ずこの使い方に慣れました。
Primer5では、Sense Primer とAntisense Primerのそれぞれに対して
1. そのPrimer自身でヘアピンの二次構造を作るかどうか
2. そのPrimer同士が二次構造を作るか
3. 別のところに結合してPrimingを始めないか
さらに、4. Sense Primer とAntisense Primerが結合するか
を教えてくれるのですよ。
実はPrimer3でも、これらを調べたうえで、このソフトウエアは排除していると思っていました。
Primerを設計しても合成を依頼して、手元に届くのに2週間くらい掛かりますし、今は5月の連休があるでしょ。それで休み前に急遽Primer3を使って、Real Time PCRが試せるくらいの種類を作りました。
こうやってPrimer3で設計したPrimerを、使い方が分かってきたPrimer5で調べたのです。すると、上記の項目が軒並みアウトなのですよ。
今までPrimer3でやってきましたが、二割くらいは他にも増幅された沢山のcDNAがありました。逆にいうと、今まで良くやってこられたものだと言えますね。
Real Time PCRを色素法で使うと、目的の遺伝子以外に増幅されると、それは排除できません。ですからより厳密で、目的の遺伝子以外を増幅してはいけないわけですね。
というわけで、全部Primer5を用いて設計し直しましたし、さらに今緊急に必要なものを設計しました。ともかく今急いでやらないといけないので、5月はじめの三日間、これにかかり切りでした。この集中力たるや、自慢じゃないけれど、大したものだと思います。でも、首筋がすっかり凝り固まりました。
さあ、あとはPrimerが出来てきて、使ってみて、設計が良かったかどうかが分かります。楽しみです。
カテゴリ:さえへの日記
さえ:
Yahooの海外ニュースにいつのまにか中国が入るようになりました。国際総合、中国、韓国の三つに分かれています。ぼくたちが来た頃はなかったので、瀋陽に朝日や読売が支局を設けた2005年頃から始まったのでしょうか。いつの間にか内容がどんどん充実しています。
Yahooニュースには読者のコメント欄(読者の感想)がありました。ニュースは日本と違うところを強調する訳ですから、大抵はこちらの行政の問題点とか、外から見た中国の低い評価とか、怪我した人を誰もが見て見ぬふりをするとか言うニュースですよね。
そうすると読者のコメントは見るに堪えない罵詈雑言で満たされていました。誰が書くのかわかりませんけれど、悪口の言い放題、このいいざまで教養のほどが知れようというものです。
批判はそれなりに結構だと思いますけれど、公開の場ですから、役立って、プラスになる書き込みをすればいいのに、ただ悪し様に罵っているだけでした。
それが数日前からなくなりました。Yahooで投稿欄を削除したか、規制を入れて載せないようになったか、どちらか知りませんけれど、無意味に両国のの国民感情を対立する方向に煽りかねないものでしたから、なくなって良かったと思います。
発言の規制は好ましいものではないと思いますけれど、放言の類は良くないですね。
日本の国会でも、この頃は国会中継を見ることはないですが、全く、あれで選良とは良くぞ言うものだとあきれかえる罵詈雑言が飛び交っていました。
何時も投稿欄では中国人の民度が低いと言ってけなしまくっていましたが、国会や、投稿欄を見る限り、日本人の民度も高いとは言えません。
「目くそ、鼻くそを笑う」のたぐいでしょう。
これを言うと、さえは何時も「そんな汚い言葉使わないでよ」と言っていましたね。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
昔の日本の戦後の闇市場みたいだった、大学の近くの万家スーパーマーケットが壊されて久しく経ちました。最近、その近くに出来た大きなビルに、地下全部を占める巨大なスーパーが誕生しました。全く関係なさそうなのに、名前も万家スーパーマーケットと名乗っていて、きっと、よく知られた名前を利用しているのでしょうね。
野菜は市場よりも遙かに高いと思いましたが、綺麗に見える野菜が多く、白菜などを買ってきました。白菜は長持ちするし、さまざまなことに使えて万能の野菜ですよね。
ところが二三日すると、白いところが茶色く変色していくのですよ。傷があるように見えないのに。
その葉を捨てて綺麗なところを出して使って、残りを置いておくと、また白身が茶色く変色していくのです。
ぼくたちはトマト以外の野菜はすべて大量の水と一緒に茹でて、茹で汁は捨てて、ゆであがった野菜を改めて調理に使っていますよね。化学で言う熱湯抽出です。水に溶けにくい薬物も熱水にはある程度溶けます。農薬など危険な物質は、水に難溶ですから、熱湯抽出しかありません。
ビタミンなどはなくなってしまいますけれど、これは仕方ないですよね。
ですから、この白菜の葉になにか含まれていても被害は少ないかなと思いましたが、次に別のところで買った白菜が同じ症状を示すので、白菜を買うのはもう止めました。
最近のニュースによると、白菜にホルマリンを使って鮮度を保つ、ということです。危険きわまりないことです。
ニンジンもこのところどうもおかしいです。今は買うのを止めました。
『みずみずしい白菜に隠された秘密、劇薬ホルマリンの使用が横行―山東省青州市 (Record China 5月8日)』
『青州市は春白菜の主要産地の一つ。北京市、内モンゴル自治区、河南省、河北省など広い範囲に出荷される。輸送の時間もかかるほか、気温が30度近くにまで上がるとあって、いかに鮮度を保つかが課題だったという』
『そこでここ数年、よく広まったのがホルマリンを噴霧する方式だ。こうすれば出荷の翌日になっても白菜は変色することなく、白いみずみずしい形で販売することができる。しかしホルマリンは刺激性のある毒物であり、また長期にわたり摂取すれば白血病の要因になるという』
『地元政府はホルマリンの使用をやめるよう呼びかけているが、中国の農作物品質安全法には保冷剤に関する規定はなく、ホルマリン使用禁止の法的根拠がないのが現状だという』
自分の安全は自分で守るしかないみたいですが、どうしたら守れるか。食に関しては、殆どお手上げです。
コメント:
遼寧省政府招待パーティの無農薬野菜が懐かしい みのもんだ さん
>山東省青州市
三国志にも出てくる、曹操と縁のある都市ですね。
あの世で泣いてるでしょう、きっと。
すみません、先生の日記をまた覗いてしまいました。 (2012.05.09 22:26:08)返事を書く
みのもんださん shanda さん
友 遠方より来たる。ありがとうございます。
三国志の地名と今の位置関係は未だに分かっていません。中国に長くいても旅行をしていないからでしょうね。この大学を辞めて時間が出来たら、三国志の旅をしましょう。 (2012.05.10 07:51:43)
Re:みずみずしい白菜に隠された秘密(05/09) J/N さん
日本語読める学生が読んでいるなら、変換ミスも修正すべきでは!5月3日「指を開店しながら」、水タンクの「思い」などなど・・・。 (2012.05.11 20:20:39)
J/Nさん shanda さん
指摘して下さってありがとうございます。
誤字、転換ミス、言葉の使い方の間違い、おかしな論理など、文章を読んでいるときに出くわすと興ざめですね。実をいうと、字がよく見えないのですよ。しっかり見ようと思って目を近づけると、凄く疲れてしまうのです。
なんて言うのは言い訳で、通用しない、無意味な言い訳ですね。気をつけるようにしましょう。 (2012.05.12 08:22:53)
カテゴリ:生命科学
さえ:
Real Time PCRのためにPrimerを設計しました。まずPrimer3で設計したPrimerが届いたので、それを在来法で調べました。Primer5が使えるようになったのでそれを使って調べると、軒並み駄目という評価でしたが、実際に使ってみると、どれも期待しているサイズでDNAを増幅しました。
つまり、
Primer5では、Sense Primer とAntisense Primerのそれぞれに対して
1. そのPrimer自身でヘアピンの二次構造を作るかどうか
2. そのPrimer同士が二次構造を作るか
3. 別のところに結合してPrimingを始めないか
さらに、4. Sense Primer とAntisense Primerが結合するか
を教えてくれますが、
これらのどれか、あるいはすべてに問題があっても、ノイズなしに問題なく目的のところを増幅しているみたいです。
これよりも問題なのは、混在しているかも知れないDNAから直接増幅してしまうことです。
これを避けるために、Primerは必ずIntronを含んで設計しますよね。
Intronの長さだけ大きくなったところにDNAが増幅されれば、それは混在するDNA由来と分かる仕組みですが、それは在来法を使うから実際に眼でバンドの位置の違いを確認出来るわけですね。
これがReal Time PCRの色素法だと(Semi-quantitative)二つ以上のDNAが増えるとそれらを区別できないので、目的のDNAの増幅を定量出来ません。
混在するかもしれないDNAからは、絶対増幅して欲しくないわけです。
そのためには混在するDNAをDNAaseで分解して除く方法がありますが、そのDNAaseを除くために次にはフェノールで振らないといけないし、面倒です。最初からPrimerを長いIntronを含む設計にしておくと、混在するDNA由来の増幅は時間が掛かるので増幅が中途半端に終わり、邪魔をしないでしょう。
つまり、Primerの設計時には、Primer5で選ばれたPrimer setから最適なものを選び出す訳ですが、Intronのあるなしだけではなく、そのサイズまで確認して選ぶことが一番重要であることが分かりました。
これは、NCBIのNucleotide Databaseと、Ensemble Databaseとを並べてPCの画面に出して、しかも眼で比べて確認していくという手作業なので結構大変ですけれど、避けて通ることができないことが分かりました。
これから設計するPrimerは、Intron sizeまで調べてから選ぶことにしましょう。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
日本では水道水が直接飲めるけれど、中国では水道水は飲めませんよね。
高野悦子の『黒龍江への旅』の中に、彼女が送った少女時代は奉天と呼ばれていたこの瀋陽に初めて水道が引かれて、この水をビールだ、ビールだと言いつつ、美味しく飲んだと言うことが書かれています。
いつからこの水道水を飲まなくなったのか知りませんけれど、10リットル入りのタンクで綺麗な飲み水が買えます。今は日本でも、こうやって水を配達するところがありますから、日本でも知っている人があるでしょう。
このタンクを逆さにしてセットすると、熱水、冷水として供給される機器は、中国のどのオフィスに行っても置かれています。
水がなくなると業者に電話をします。貧しい暮らしをしているとしか思えない労働者が自転車の荷台の両側に水タンクをぶら下げて運んできます。
今の瀋陽は街の中心には高層のオフィスビルが建ち並び、高層のアパートが林立しています。瀋陽から東京に観光に行った人が、「嘘でしょう。これが東京?高いビルがちっともないじゃない?」というくらい、この瀋陽では高層ビルが建ち並んでいますが、そこに入っている会社のオフィスにも、瀟洒な200平方メートルの広さのアパートにも、飲み水が労働者によって配達されます。何ともちぐはぐな光景ですね。
2003年に瀋陽に来たとき、この10リットルのタンクの水は配達料込みで7元でした。それから、9年間、ずっと7元のままで感心していたのが、とうとう8元に値上がりという通告がありました。
この間に平均物価は恐らく二倍以上になっていますから、物価の優等生ですね。
日本で物価の優等生と言われる卵は、ここでは違います。卵は買うところによって値段はピンからキリまでありますが、高い卵なんか、今は一個が1元(日本円にして約13円)します。これは日本と同じ価格ですよね。給与水準は5-10倍は違いますから、日本の感覚に直すと、日本で卵一個が65円から130円すると言うことですよ。つまり中国の値上がりは半端じゃないってことです。
ぼくのオフィスではだいたい毎週一回、飲み水を運んで貰っています。重い水のボトルを5階の部屋まで運んできて、すべて込みで今まで7元です。学生食堂の昼ご飯代です。外で食べれば、チェーンのうどん屋で、うどん一杯15元ですよ。
水の運び人は一日働いても、家族を養うのにぎりぎりの生活費を稼いでいるだけでしょう。
運んで来るひとは顔なじみになりますから、もし手元にあると、QQ糖(ゼラチンで作った果物グミ)のひとつ、あるいはポッキーの一箱を上げたりします。凄く遠慮して受け取ろうとはしないのですけれど、坊やと食べてなんて言いながら押しつけています。最後ににっこりと受け取ってくれるときが嬉しくて、続けています。
カテゴリ:研究室風景
さえ:
三日前、暁艶と劉丹、笑笑がReal Time PCRを初めて使いました。細胞から抽出したRNAからcDNAを先ず作って、5倍・5倍の希釈液シリーズを用意しました。
それからTriplicateでPCRの用意をして、器械にセット。15分もすると、時間を追って増幅していくのが見られるのですよ。感激ですね。使ったPrimerはGRB2でした。増幅されるDNAは一本だけというのはすでに在来法で確かめてあります。
実際に実験の終了後に、増幅されたDNAが一つか二つ以上かを確かめる方法があるのですよ。Tmに着眼しているそうですが、二つ以上の違うTmを持ったDNAがあって、どうしてこうなるのか原理はまだ理解出来ませんけれど。
この希釈シリーズは、すべての蛍光の増加曲線が直線増加時には平行に、しかも等間隔になるわけですね。
したがって、飽和する蛍光強度の5分の1で線を引くと、ログスケールのサイクルナンバーとの間に直線関係が成り立ちます。三回の実験をやって、Student t-testの P valueは30サイクルまでは見事なものでした。
これは、サイクルを30以上にしないと増幅できない遺伝子では誤差が大きいことを意味します。その場合にはnを増やして信頼度を上げるしかないでしょうね。
ともかく、これで、研究室の皆が、息も詰まる長時間の緊張を強いられる実験から解放されること、しかも信頼できるデータが得られることを意味します。長い間Real Time PCRの特徴を生かすやり方以外は駄目だ、だけどそれは随分と高価に付くからぼくたちには無縁だなんていう硬直した考えをもっていて、愚かなことでした。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
何時も若いつもりでいても、何でもないことに疲れを感じるようになりました。
Real Time PCRに切り替えるためにPrimerの設計が先ず必要となりました。新しいソフトウエアを、しかも慣れないWindowsを使って設計するという数日間の集中作業でした。そのあとも、イントロンのサイズを調べたり、ともかくPCを使い続けているので、一時的な疲れではなく、身体の奥深くに疲労が染み込んだ感じです。
土曜日に毎週行っているぼくのGlycobiologyの講義を、昨日はキャンセルしました。用意する気力がどうしても出なかったのです。もちろんジャーナルクラブに当たっている,学部学生の毛さんと院生の雪城くんは、ちゃんと、話しました。
午後は教師の会の定例会でしたけれど、これも断りを入れて、マッサージに行ったのですよ。金属研究所を突き抜けていく先にある、盲人按摩です。何時もの散歩コースですけれど、今年はまだ歩きに出掛けていません、運動をしていないことも、よくないことですね。
マッサージでは背中の左側と首筋と頭を集中して揉んで貰いました。終わってから、薦められるままに吸引治療というのを受けました。背中に油を塗りつけて、ガラス玉というかガラス鐘を吸い付かせて減圧で10分くらい置くのです
こちらは俯せになっているので、背中にガラス鐘をぽんぽんと置くだけでどうやって吸い付く仕組みなのか分かりません。
でも、夜うちに帰って浴室の鏡で見ると、背中に二十数個の、さまざまな色の丸が模様になっていました。赤い、赤黒い、紫色に近いのもありました。
色の濃いところはその下が傷んでいるのだと言うことですが、皮膚の毛細血管が破れて、赤血球が外部に浸出しただけのことでしょう。言ってみれば、キスマークと同じことですよね。
身体の奥の状況を反映しているとは思えませんが、何しろ漢方のことですから、本当のこともあるかも知れませんね。
これで良くなると良いのですが、ぼくの見立てでは、特に左目が悪くなっているのすよ。PCの細かい字を見るために緊張を強いられるのが原因と思われるので、眼鏡を新しく調製することが必要じゃないかと思っています。
カテゴリ:薬科大学
さえ:
グリーンカードのことを書きましたが、まだ申請したわけではないのですよ。準備を始めただけです。
以前、「中国でもグリーンカード」という記事を見たことがあったのです。
これは2004年から始まった制度で、海外からの人材募集のためなのだそうです。
発給対象は
(1)中国の経済、科学技術発展、社会進歩に大きく貢献した企業、機関に在職する上級職員
(2)中国に高額の直接投資を行った個人投資家
(3)中国で突出した貢献をしたか、国家が特に必要とする人たち
(4)永住者、中国国民の配偶者、子女、父母ら。
申請には中国の法律順守、犯罪記録がないことなど、各種の条件を満たすことも求められる。
何時でしたか、一年くらい前かなあ、中国在住15年にもなるお隣の池島さんに「グリーンカードを取らないのですか」と聞いたことがあります。すると、「北京大学や精華大学なら文句なしに貰えるでしょうけれど、この薬科大学では駄目に決まっていますよ」とのことでした。
それきり忘れていましたが、再度、3月15日の人民網のニュースで、
『尹蔚民・人材資源社会保障相は14日、2012年度留学生帰国支援事業に関する各省合同会議で、ハイクラス人材の永住政策を早急に整備し、海外の人材の招致を強化する方針を明らかにした』
『尹氏は「留学生帰国事業の三位一体政策システム」の段階としてハイクラス人材の永住政策を早急に整備すると表明。国務院の承認を経たうえで、早急に「外国人の中国永住の審査・許可・管理規則」を公布・施行し、「外国人の中国永住待遇のさらなる整備に関する意見」と中国版「グリーンカード」の取得要件緩和に関する意見を出し、中国版「グリーンカード」制度を国際慣例に沿った、国際的な人材獲得競争の中で存分に役割を発揮できるような制度にする方針を明らかにした』
と書いてあります。
ぼくは、高齢になってきたためにビザの取得申請を政府に認めて貰うのが難しくなるという理由で2014年以降この薬科大学で働くことを断られましたが、もしグリーンカードが貰えれば、その障害はなくなります。
どうでしょうね。グリーンカードに申請できるだろうか。そして認めて貰えるだろうか?
というわけで、入境公安管理局に調べに出掛けたのです。そして、申請にはともかく無犯罪証明が必要といわれて右往左往しはじめたわけでした。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
中国での永住権申請は『極めて取得困難で、華南トラより希少な(Record China 4月11日)』できごとだそうです。
2012年4月4日のシンガポール紙ザ・ストレーツ・タイムズが中国の極めて取得困難な永住権について取り上げたという記事です。
『近年、優秀で裕福な中国人が先進国へ流出してしまうため、中国では外国人の人材によって流出した国内の人材を補う必要があるが、その永住権政策が厳しすぎるのである』
確かに、中国からは人材流出が続いていますね。若い人はどんどん出て行きますし、戻ってきません。富豪も財産と一緒に海外脱出が多いという記事もよく見かけます。
『2010年末までで、中国に暮らす外国人は59万4000人近くにまで増加しているが、その大多数が永住権を持っていない。北京理工大学の劉国富教授によれば、中国が永住権政策を開始した2004年から昨年までで、永住権を取得できた外国人はわずか約2000人。劉教授は「2010年の米国では104万人の外国人が永住権を取得しているのに比べ、この数字はかなり低い。中国の永住権政策はこれまで明らかな効果を上げていない」と指摘する』
『中国は最も人口の多い国のため、外国人の永住に対して非常に閉鎖的であり、大きな貢献をしない限り取得は難しい。上海LL&Co法律事務所は、規準に達する外国人が必ずしも中国移住に興味があるとは限らないと指摘する』
仕事で中国をするために来ても、この国に必ずしも暮らしたいと思っていない外国人が多いと言うことでしょう。環境、食品問題が報じられる度に、その数が増えるかも知れません。
『ある欧州メディア幹部は、中国人の妻を持ち、北京で仕事をして10年になり、住居もあるが、いまだ永住権申請に至っていない。彼は「公安局に訊ねても、いつも『あっちへ行け、煩わせるな』という態度を取られる」と嘆く』
中国の役所の窓口の応対は、日本の50年前とほぼ同じで、窓口氏が威張っているのが一般的です。
でも、瀋陽の公安当局では、自分がこの掛かりになって初めての要件だけれどといいながら、親切に対応してくれました。
『昨年、妻のいる北方の大都市にある公安局に訊ねた際、ある係員はそのような政策は聞いたことがないと答えたという。彼よりも長く北京に滞在している多くの外国人からも永住権を取得できたと聞いたことはなく、「グリーンカードは華南トラよりも珍しいらしい」と皮肉交じりに語った』
さて、ぼくの場合どうなるでしょうね。夏の終わり頃日本から無犯罪証明書が無事に届いたら、永住権申請の申請をするつもりでいます。
カテゴリ:さえへの日記
さえ:
人に急に出会ったとき、人の名前が出てこないことがありますね。むかし学会で良く出会って、よく知っていたのだけれど、さてなんて名前だったか。いま、咄嗟に名前がでてきません。
でも所属などは分かっていて、自分との関係は分かっているので、冷や汗を掻きながらも話が出来ます。
これはその人との関係が深くなかったから、名前が深く刻み込まれていないためでしょうね。
でも、何度も観た映画で、たとえば「ローマの休日」の、オードリー・ヘップバーンはよいとして、相手の新聞記者の名前が何時も出てきません。
何時もぼくたちの間の笑い話でしたね。さえは、直ぐに、グレゴリー・ペックだって教えてくれました。
ほら、ほら、あの「荒野の決闘」に出たのは誰だって、というと、ヘンリー・フォンダよって教えてくれました。飲んだくれの医者は誰だっけ、と訊くと、さえも思い出せないときは、アから始めて考えるのですね。やがて、ビクター・マチュアだったわ、と教えてくれます。
貴重なぼくのウオーキング・ディクショナリが手元になくなって、実際、何時も不自由をしています。
映画を思い出して話しをしたりするのはさえが相手でしたから、今は映画を思い出す必要もありません。オードリー・ヘップバーンも、グレゴリー・ペックもヘンリー・フォンダも思い出せなくっても一向に構いません。
でも、研究の上で思いついたことを話したいとき、他の領域の研究などぼくたちの間で共有していたことを議論したいとき、さえがいないのは、考えを深めることが出来ないので致命的だなあと思います。
おまけに人の名前や、物質の名前が出て来ないとき、以前はお互い助け合えたのが今はそれができないわけですね。
そのためか、この頃は、記憶をさえに頼ることがなくなって、ぼくの記憶力が良くなったような気もします。
今の年齢を生理的に考えると、記憶力が良くなるなんてあり得ないことでしょう。ただの気のせいなのでしょうね。
歌はさえが好きだったみたいに歌うことは殆どなかったのですけれど、それでも歌の節は良くでてきます。今、歩きながら口づさんでいるでいるのは
「寂しさに君呼べど わが声空しく
はるか谷間より こだまは帰り来る」
ネットで調べてみると、昭和22年のラジオ歌謡で「山小屋の灯火」でした。
「想い出の窓に寄り 君をしのべば
風は過ぎし日の 歌をばささやくよ」
過ぎた時間を、去ってしまった人を偲んでいます。みんな、こうなんだなと、やっとこの頃我が身と引き比べて、誰もが持つ生きていることの悲しさを理解出来るようになりました。
カテゴリ:研究室風景
さえ:
お隣の池島さんはぼくより十歳若く、従って何時も元気です。歩くのはとぼとぼとしてますけれど、朝は6時過ぎから夜は9時近くまで研究室にいます。
トイレなどで出会うと、「どうですか、先生、元気そうに見えますね。わたしなんか、雑誌の論文Reviewが沢山来ていて、忙しくて、忙しくて大変ですよ。先生は、どうしていますか?」
何度も聞いている挨拶なので、「いや、私は現役を終えたときから、Reviewは一切お断りしていますよ。それまで学界に十分に尽くしたし、そのあとは、自分の研究のためだけに時間を使いたいし」と返事しています。
「Reviewを断ったら自分の論文が通りにくくなるんじゃないかと心配でね」と言うことですが、出来るうちは社会に、学界に奉仕するのは当然です。
それでも、Reviewを引き受ける、その代わり自分の論文を通すなんて言う、持ちつ持たれつ、をやっているのは三流雑誌ですよね。そんな雑誌の論文のことを心配することはないと思いますけれど、池島さんも事情があるかも知れません。ですから、そこまでは、言いません。
この間会ったら、「先生、元気ですねえ、自分なんか、あと十年間で、その歳になったらそんな風にやっていられるかどうか分からないですよ」と言った上で、「歳を取ると、なにかするのが面倒くさくなりませんか。面倒くさくなるのが老化の進んだ印なんですよねえ」とのことでした。
さて、問題はそれからです。
仕事に疲れて、さてと、次の仕事の段取りを考えていると、あれ、面倒くさいから、始めたくないんじゃない?と自問する声が聞こえるようになりました。
それ、老化なんだよ、もういい加減にしたら?という囁きです。
なにか始めるのを面倒くさいと思うことなんて、しょっちゅうだと思っていましたが、改めて気付くと、それが増えているのですね。
お隣の池島さんの暗示に掛かってしまったみたい。PCに向かっていて、論文を開く度に、読むの面倒くさくない? 老化したんじゃない? と自問するなんて、これ一寸やばすぎますね。
歳を取るってことは、忘れ易いってことですから、この暗示も忘れちゃうことを期待していましょうね。
カテゴリ:研究室風景
さえ:
研究室で、同じファイルの情報を共有していると便利ですよね。研究室にサーバを作って置けば解決できると思いますが、ぼくただ一人がMacで、あとはWindowsです。
ぼくが導入するするサーバはMacになりますから、全体の調整がうまく行くかどうかの見極めが付かず、これは進んでいません。
もちろん、研究室で必要なファイルは、オフィスの最新のPCを使って、二つのHDDに二重に記録して残しています。でも、ぼくがアクセスするのが簡単じゃないのですよね。
一方、世の中は便利になって、自分のPCの中身をクラウドに置いておいて、どこからでも、別のPCからでもアクセスできるようになりました。
この間の冬に日本に行ったとき、SugarSync、Dropboxにアクセスしてクラウドにフォルダーを置きました。1階と2階の別のMacから同期して使えるし、旅に出てもアクセスできてとても便利であることが分かりました。
もう一つ気に入ったのは、Evernoteです。これも、どこからでもアクセスできますので、クラウドに日記を置いた感じで使っています。
でも、日本で使えるのが中国でも同じかどうか分からないので、クラウドにはファイルを置かずに中国に戻りました。案じたとおり、2月の時点で使えたのはEvernoteだけでした。
先月になって、Dropboxが中国から使えることに気付きました。
今はReal Time PCRを使うためにPrimerを作っているでしょ。その情報を、一部は手書きのノートにして、実際に届いたPrimerと一緒に管理していますが、すべての情報の一覧をExcelで作っていますから、これを皆が見たいときに見ることが出来るようにしようと思って、このDropboxを使うことにしました。
ぼくのDropboxをどのようにしたら共有出来るかが良く分からなかったので、劉丹くんに頼んだところ、すいすいと作ってくれました。
というわけで、やっと、研究室始まって9年経って、情報のドキュメントが共有できるようになりました。ぼくを含めて全員がアクセスできます。ただし、Excelですから、一寸いじると変わってしまうので、保護を掛けることにしました。それでも、すべての情報が共有できることで、この研究室も少しは進化したと思います。
テーマ:ブログ
先週の土曜日には教師の会の定例会があったが、体調が良くなくて欠席した。4月の弁論大会は教師の会挙げての支援行事なので、参加してお手伝いしたが、責任者でもないので欠席しても良いと思ったのだ。
そのあと、撫順の学校で日本語教師をしている鈴木貞夫先生から電話があった。
鈴木先生は今年度、つまり昨年9月からの会員で、私は11月の集まりにやっと出席したくらいだったでお互い知っている程度の関係である。
「この間の集まりに、先生、出なかったでしょ?」「ええ」と、返事。
「私も出席しなかったのですがね、そのあと、出席した先生から、宇野代表が、『今日は山形先生も、鈴木先生もいなかったので、スムースに出来ました』と言ったと聞いたのですが、知っていますか?」「いいえ」
つまり、非常に失礼なことだと言って怒っている。
会の代表が公式に皆の前で発言して良い科白ではないだろう。あとの食事会で隣の人にささやいたのでろうか。それなら、まあ、笑って済ませて良いことだ。実際、本当のことだろうし。
でも、そう言うと、「いえ、公式の発言の途上で言ったと言うことです。こりゃ、怒って良いことですよね」
公式発言なら、問題にして良い、当然。
この次、皆が集まったところで、このような発言があったかなかったかを確認するところから、始まるのだろう。
でも、今の代表の宇野さんならそう言うことを言いかねない人だし、良識のない人だからそれがいけないことだと分からない人だし、そうなると、辞めるよう不信任を突きつけることになる。
二十人弱の集まりで、こんな風にごたごたするなんて残念だが、資質のない人が代表でいることが問題なのだろう。
カテゴリ:研究室風景
さえ:
Real Time PCRのために新しく設計したPrimerは、先ず、今までのPCR方式でチェックしています。PCR反応のあと電気泳動をして、目的のサイズのDNAだけが増幅されていればもちろんOKです。
イントロンを含むように設計していますから、もしDNAが混在していると、大きい位置に、これも計算通りの場所にバンドが出ます。Real Time PCRで増幅の時に大きすぎて合成が完成せずに排除される可能性が高いので、出来る限り大きなイントロンを含むようにしていますが、どの遺伝子も都合良く大きいイントロンを含むわけではありません。
その場合には、試料をDNAaseで処理してDNAを除かないといけません。
原理が分からないのですが、DNA eraser buffer kitというのをタカラが売っていて、イントロンサイズが大きいときには、有効に除けるみたいです。
さて、イントロンは大きいし、Primer5のソフトでも、別のところでPrimingをしないと保証されたPrimerなのに、全く予想外のところにバンドの出るものがありました。出るはずがないのにです。
Blastをするとほかの遺伝子との交叉を調べてくれますが、アウトプットが膨大すぎて手に余ります。たまたまPrimer-BLASTというソフトを見付けたので、これを使って調べると、同じマウスの別の遺伝子から増幅される可能性を調べてくれることが分かりました。
これをつかっても、別のところでPrimingしないと言うのに、現実に別のバンドが出てきます。これが説明できなくて、悩んでいる末に、暁艶がヒトの試料が入る可能性があるからと言って、Primer-BLASTでHuman genome DNAを対象にBlastしたのですよ。
そうしたら、どんぴしゃり、今まで謎だったサイズのDNAが出来てくることが分かって、ぼくたちは興奮すると同時に、すっかり青ざめました。
これは、大変なことだ。ヒトの試料が、つまり、実験最中にヒトから出る分泌物が絶対に混じらないようにしないといけない。
おまけにPrimerを設計するときにも、ヒトのDNAと反応しないことを確かめておかないといけないということですよね。
しかし、ヒトとマウスは大まかに言って80-90%の相同性がありますから、実は大変困難ことではないかと思います。今まで50を越える種類のPrimerをReal Time PCRのために設計しましたが、すべてヒトのDNAとの交叉を調べないといけません。
また、することが増えました。
少しでも清潔な環境で実験をするために、細胞培養並みの清潔性を保つことにして、クリーンベンチを一つ発注しました。
最近お金の掛かることばかりで、論文を出すための経費がうなぎ登りです。
カテゴリ:さえへの日記
さえ:
高校のクラス会の知らせがあって、「喜寿を迎えてのクラス会」と書いてありました。幹事さん宛に私の書いた近況報告は以下の通りです。
『もう喜寿だって?喜寿なんて他人事だと思っていました。驚きですね。私は何時も出席できずにいますが、幹事さんに感謝しています』
『この先どうなるか全く分かりませんけれど、瀋陽で元気にひとりで暮らしています。人生なるようにしかならないと思っていますが、人事は尽くそうというのが私のスタンスです。学生を文字通り手塩に掛ける感じで、育てています。彼らがそのあと成長することほど、喜びをもたらすものはありません』
ずっとクラス会に出ていないので、思い浮かぶ、あの顔、この顔、どれも高校の頃の若い顔立ちですが、それが、みんな揃って喜寿だなんてね。
近況報告を見ていると、天文学の小平桂一、音楽評論をしている徳丸吉彦、科学評論の村上陽一郎、などまだ現役でなにかやっています。あの頃の日比谷高校は多士済々でしたが、そのころからなにかを持っていた人は、流石に今でも活躍していますね。
大須敏生みたいな頭抜けた天才もいましたね。大蔵省に入って偉くなったけれど、今は退職して普通の暮らしのようです。毎週数回も、音楽会に通うという生活をしているらしいので、大分稼いだのでしょう。今の生活を幸せと思っているかどうか。
そう思うと、ひとは一生続けられる職を選ぶのが一番ですね。手に職を付けて職人になるのは、それが好きなら最高。但し50年あともその職業が安泰かどうか、今の世の中で保証するものは何もないでしょう。
職人でも医者は良いかもしれません。
研究者は研究が好きなら最高の職業ですけれど、一生出来るかどうかとなると、問題ですね。ぼくの場合には、中国に来るという選択があったけれど、これはたまたまだったに過ぎません。
ですから、ぼくの場合、滅多にない良い機会に巡り会えたので、これに縋りついているという感じがしないでもありません。
クラスの連中もぼくも、そろそろ日本人の平均寿命ですが、平均寿命は零歳児の平均余命ですから、喜寿まで生きると、女性は九十歳半ばまで生きるのでしょうね。全く凄い世の中になってきました。
この先、うっかりすると十年、二十年生きているかも知れません。どうやって生を全うするか。もちろんぼくだけの問題ですけれど、生きてきたことに満足して死にたいですね。
カテゴリ:薬科大学
さえ:
研究室の院生に、大学で出している雑誌に寄稿して下さいといわれました。一体、どういうこと、どういう内容を求めているのですか?と尋ねたところ、学生の励ましになる一言なのだそうです。
いまの中国の学生をどう励ましたらよいのでしょう。
世の中は、下水油、農薬づけの野菜、牛肉にごまかした豚肉、メラミンでごまかしたミルク、ありとあらゆるごまかしが溢れているみたいに報道されています。食の安全をどのようにして求めたらよいのか、誰にも分からない状況です。
街で交通事故にあったら、誰も見て見ぬ振りで誰も助けてはくれません。世の中に絶望して飛び降り自殺をしようと思うと、めざとく見付けて集まってきた人たちは、誰も飛び降りを思いとどまるよう説得するわけではなく、「早く、飛び降りろ、待ってんだぜ」と叫び出します。
高層のアパートがどんどん建っていますけれど、給料の数十年分を、全く飲み食いせずに払い続けないと自分のものになりません。
小学生に将来なりたいものは?と訊くと、汚職をする役人と言う答が返ってきます。これほど楽なものはない。楽をして暮らしたいと、誰でも思っています。そのためなら賄賂を使うのも当たり前のこと、自分さえ良ければ、他のことはどうでもいいというのが、身体の隅々まで染みついている人たちです。
中国の大富豪の半分以上は海外に移ったか、移ることを考えています。少なくとも自分たちの子女は、海外に留学させています。若者の間の愛国心はどこの國よりも強いのではないかと思われますが、自分は海外に暮らしたいのが本音のようです。
学生は、一生懸命勉強して、少なくとも教科書を丸暗記できるよう頑張って、良い成績を取ることを目指しています。良い成績を取って、良いところに就職して、さて、どうするのでしょう、海外に行って人より良い生活をすることを目指しているのでしょうね。
このような人たちに、これが大事なんだよと、何を訴えたらよいのでしょうか。
悩み抜いてしまいます。でも、その将来像が何であれ、彼らは希望に燃えています。それに向けての学業の中で、始終ちいさな躓きがあるでしょう。それでも焦らずに先に進むことを考えて欲しいと思います。
それで、ぼくの書いて渡したのは以下の通りです。
You definitely want to be a somebody in future. But, do not be in a hurry.
千里之行 始于足下
Young folks, be ambitious!
コメント:
ありがとうございます みのもんだ さん
先生、大変困らされましたね。
にも関わらず、精一杯のエール、ありがとうございました。涙が出そうです。
文化、伝統、価値観、すべてがやり直す必要な、10数億人の国です。言葉がなくなります。 (2012.05.22 13:02:50)
みのもんださん shanda さん
ありがとうございます。私が中国の若者に向けて真に言いたいことは一つです。
それを言える勇気が欲しいですけれど、言ったらとんでもないことになるでしょう。私には、それに直面する勇気がないのですよ。情けない人生をここで送っていることになりますね。 (2012.05.22 13:28:48)
ambitiousの真意 みのもんだ さん
先生、情けないって、とんでもないですよ。
先生はいわゆるボランティアの立場ですから、ご自分の首を絞めるようなリスクを冒すまで、ものを言う義務はまったくないですよ。
それより、先生より考える義務のある人間は、10数億以上もいるんですから。
まあ、先生が真に言いたいことは分かる人は分かると思いますが。ambitiousとはそういうものでしょうね。 (2012.05.23 13:03:12)
みのもんださん shanda さん
立場を分かって下さいましたね。それに私はこの國のお客ですから、それを忘れてはいけません。
Record China 5月24日の記事に『中国共産党幹部の子女、米有名私大に大挙留学「党腐敗の象徴」―米紙』というのがありました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120524-00000002-rcdc-cn
失脚した薄煕来の報酬が2万ドルだったのに、息子の行っているハーバードの学費は年約7万ドルだそうです。
この大学でも、教授の子女は外国留学が主流です。大学からもらう給料で、どうやって海外大学の学費を払うのでしょうね。 (2012.05.24 08:09:52)
カテゴリ:中国の将来
さえ:
昨日、薬科大学の雑誌に学生を励ます一言を書くように言われて大いに悩んだことを書きました。中国の学生の置かれている環境を見ると、お世辞にも、ここは住み続けたい社会とは言い難いです。若者が育ったら、この國に住むことが誇りであるような國にするよう貢献して欲しいですね。
昨日書いたなかで、自殺志願の女性に、集まった野次馬が「早く飛び降りろよ、待っているんだから」と叫んだという話を書きました。出典は、5月20日のRecord Chinaでした。
『「早く飛べ」飛び降り自殺の女性に罵声=中国の国技、冷酷な野次馬たち』
『困っている人を誰も助けようとしない冷酷な対応は中国の「国技」だという。「看客」(見物)は国技とまで言われた中国人的行動。なにか事件があるとたちまち野次馬が集まるが、見物に熱中するばかりで人助けをしようとしない。実はこうした野次馬根性は古来から続くものだ』
先日スリの現場を見つけた外国人がこのスリを捕まえようとしたところ、スリ仲間が集まってこの人に暴力を振るいました。看客は集まったけれど、誰もこの人を助けようとしませんでした。
Record Chinaによると、『もちろん良心を持つ人は少なくないが、それ以上に多いのが無慈悲な野次馬。面倒なことに巻き込まれないようにする「賢明」な人たちだ。ただそれは「莫管閑事」(やっかいごとにかかわるな)という教訓を間違えて覚えている人たちだろう。こんな社会であれば、自分が困った時に誰が助けてくれるのか。よく考えておくべきだろう』と締めくくっていますが、掛かり合いを恐れる生き方が染みついていますので、一寸やそっとのお説教くらいでは変わるものではないでしょう。
それに、うちの学生たちも話していましたが、大体自殺すると言って大騒ぎする人は本気ではないし、精神がとても不安定なのだそうです。自殺を思いとどまらせようとして説得されると、反抗して飛び降りてしまうこともあるし、逆に、さっさと飛び降りろと言われて目が覚める人も多いみたいです。この場合には無慈悲な大衆は、自殺志願者を思いとどまらせる方向に働いているとも言えますね。
日本では世界一般と同じように、男の自殺者の方が女よりも多いです。正確な数字は知りませんが、中国の自殺者は女性の方が多いと言うことです。日本よりも男女平等が謳われて実践されている國ですが、農村で人並みに扱われない女性の自殺者が多いということです。想像を絶する差別がまだ行われていると言うことでしょうか。
カテゴリ:薬科大学
さえ:
昨年秋に、それまで十年近く校長だった呉春福老師が瀋陽薬科大学の書記になり、副校長の畢老師が校長に昇格しました。この人事は遼寧省共産党の人事として公表されたということは書きましたよね。すべてが共産党の支配下にあると言うことが明確ですね。
副書記のポジションが空いて、それまで遼寧省政府の高官だった候老師が副書記として着任し、先日挨拶に来られました。
その時、この大学は北に移転することを止めて、南の本渓キャンパスを広げそこに集中すること、今のキャンパスは三分の二を売却するけれど、残りは確保して、基礎部門の研究機関として残すことに正式に決めたと聞かされました。
そして、2月のぼくの提言(日本の私立大学の80年代の郊外移転と最近の都心回帰を例にして、何処に移転することになっても、今のこのキャンパスの半分でも残しておかないと、本当に地方大学に転落してしまう)が役立ったみたいなことを言われたので、こちらは恐縮することしきりでした。
この移転の話しはもう公開されたらしく、日本人教師の入っている寄宿舎の一画も、具合が悪いと言い続けていたのに国際交流処から相手にされず、それが最近では、もう直す計画はないので、他のところに移るように言われたとか、この秋にも一部の移転が始まるみたいな話しが進んでいます。
前の引越計画の時には、生化学科の主任が希望を聞きに来て、色々と希望を書いて出しました。コールドルームが必須だから作ってほしいとか、実験室を広くして欲しいとか。
引越の全貌はまだ分かりませんが、生化学科は製薬学院と関係が近いようなので、恐らく本渓行きとなるでしょうね。
ぼくたちの研究室は製薬事業に全く関係がないので、移転しない方に入るかも知れませんね。宿舎もここにいられるとなると、今となっては瀋陽の街の真ん中だし、うれしいですよね。
食堂に向かう手前に体育館がありますね。数日前、この体育館の周りに仕切が出来て、屋根の上から屋根の外装をはがして放り投げているのが見えました。改めて屋根を張り替えるのか、それとも取り壊しを始めたのか。
教授室の窓から見える本館には今年もイワツバメが来て、朝晩は餌を求めて広いグランドを舞っているのが見られます。風が吹くとこのグランドは土埃を巻き上げます、黄砂のもとの一つかも知れませんね。この光景も、もう直ぐ見納めなのでしょう。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
教授室の窓からは大学の東半分が見えます。このキャンパスの一部の売却が正式に決まったので、この風景もやがて見納めになるかなと、5階の窓から朝の校庭を眺めていると、イワツバメの乱舞する姿が眼に入ります。
先日、日本でツバメが少なくなったようなので、ツバメのの生態調査をしているというニュースを見ましたが、この薬科大学でも今年は半分くらいの数じゃないかという気がします。
でも、本当に数が減ったかどうか、どうやって数えるのでしょうね。巣を見付けて数えるならともかく、こうやってみていると数なんて気合いで決めるしかなく、相当いい加減なことになりますね。
それにしても、今、ここで見ているツバメの数を何とか大体の数でも記憶することにしても、来年はこの校庭は別の企業に売り払われて、地下三階ぐらいまで削られたあと巨大なビルに変わるでしょう。このように、ツバメの飛ぶ姿も見られなくなるのではないかと思います。
今年は5月1日になった途端に、ツバメの姿を見かけたように思います。日本のツバメより大型で、ぼくは勝手にイワツバメと呼んでいますが、飛んでいる姿を見ていると見飽きません。
あの速度で飛びながら、空中で獲物を口にくわえるのですよ。あの速度でよく目を見開いて見ていられますね。他のツバメとバッティングすることもないし、建物の壁にぶつかることもなく、優雅に高速で舞いながら生きているのですね。
あの大きさで、時速170 km/hのスピードで飛んでいるのだそうです。手練れのピッチャーがストライクを取りに行くために投げるボールの最高の速さです。
こういう計算は出来るでしょうか。ツバメの大きさを100 gとすると、ヒトは60 kgとして、重さは600倍も違います。つまりぼくたちが飛ぶとすると、102,000 km/hで飛んでいることになりますね。これって音速の100倍ですよね。
いやいや、凄いもんだ、って改めて驚嘆しますが、こういう計算をして良いでしょうか。
コメント:
変わりつつある町 ファンウェイ さん
音楽を聴きながら、先生のブログを読むと、嘆息しました。生まれ育った町への思い出が潰されたような感じをしています。私が勉強した中学校はすでに名前が変わり、高校は瀋陽の北部に引っ越しました。これから、薬科大も引っ越しを迎えます。学生時代の光景が殆どなくなりました。このような建設ラッシュはこのまま続くのは本当に良いですか。文化を失う国にならないですか。 (2012.05.25 18:30:55)
ファンウェイさん shanda さん
あなたの故郷は瀋陽なのですね。私が最初に瀋陽を訪ねたは2000年の春でした。まだその時は、交差点の交通信号は瀋陽の町中で三箇所しかなかったと思います。それでも何の問題もないほど、のんびりとした暮らしでした。
今はどの路も車で大渋滞。地下鉄も十字形に開通したし、人々の生活パターンが変わりつつありますね。便利になり、機能的になり、人の行動範囲が広がるのは、世の中の科学技術の進展と切り離せないものですね。
風景も、瀋陽の四つの塔の頭が見えた牧歌的な情景から、高層ビルが建ち並ぶ景色に変わってしまいました。その代わりに、人の心の中の優しさ、人への思いやりが失われて行くみたいですね。 (2012.05.26 10:19:38)
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ おさえ おさえちゃん:
携帯電話には携帯の会社から始終ニュースが飛び込んできます。大抵は馬鹿馬鹿しい話の種なので、見もしないで消していますが、「75歳老翁与42歳妻子自然受胎生女」とあったので、読んでみました。
重慶発の17日のニュースでした。前の奥さんとは41年前に死別して、57歳の娘がいるそうですが、今の妻との間には14歳の娘と、3歳の息子がいるのですよ。新しく娘が誕生しました。月収3千元だそうです。
おどろき、ももの木、山椒の木、です。75歳で現役で娘を生ませたなんて。ネットにアクセスして写真を見ると、本当におじいさんですが、嬉しそうに娘を抱いています。
ぼくなんか、まださえが身近で、何時もめそめそしていますが、気分を変えられるものなら、変えなくっちゃ。
というのも、ぼくたちの使ってきたPCRに文句が付けられて、いまどき旧式のPCRでは説得性がない、Real Time PCRを使わない論文は受け付けられないと言って断られたでしょ。
それで今急遽それに切り替えていますが、頭の殆どすべてをそれが占めてしまって、研究全体を考えられないのですよ。頭のキャパシティが小さくなった、物事を考えるのに並行処理が出来なくなった、直ぐに疲れる。困ったことだ、と思っています。
一時的なことなのかとも思いますが、しかし実は老化のためかも知れないという恐ろしい考えが、直ぐに頭をもたげてきますから、精神衛生上よくありません。
一寸したことに、くよくよしないのがぼくの良いところだったのに。
おさえちゃんがいてくれれば、一寸したお喋りをしているうちに、気分が変わったのにね。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
大学の構内にはアカシアの大木が三本ありますね。どれも、三階建ての大学本館の屋根と高さを競い合う大木です。花が咲くとそれは見事で、ぼくたちは毎年アカシアの花の咲くのを楽しみにしていましたね。
このうちの二本は今年も見事に木の樹冠すべてに花を付けて、香りをまき散らしましたが、このアカシアの花も盛りが過ぎました。この時期のぼくは、おきまりの花粉症となって、眼は潤むし鼻水が出て、あまり楽しい季節ではありません。
もう昼間は30度近くなるので、Tシャツ一枚の姿で過ごすようになって半月経ちました。朝晩は涼しいので、半袖のシャツを肩にひっかけて歩いていますけれど。
大学の正門に近い歩道の脇は、小さな食べ物屋が並んでいるでしょ。ある日、店の入り口に大きなゴミ袋が捨ててあるように思われましたが、次の日もあるし、よく見ると、布団にくるまって寝ている人でした。次の日は、布団から顔が出ていて、足先も出ていて、ホームレスなんだと分かりました。自分の持ち物を何も持たないホームレスみたいです。
瀋陽の厳しい冬の間、何処で暮らしていたのでしょう。
日本だと公園に青い建築資材のカバーで覆ったホームレスのうちが点在していますね。この頃はどうなのか知らないので、点在していた、と書くべきかも知れません。瀋陽ではどの公園を歩いても、彼らが住みついている気配はありません。ホームレスと言われる人の数は、ここでは絶対的に少ないのでしょうか。
大学の前の歩道には夕方になると、いろいろな人が茣蓙を広げて小間物を売り始めます。観葉植物の小さなはちを並べている人、靴下を売る人、櫛などの小間物を広げる人、雑誌を並べている人。
自転車に付けた屋台で、ソーセージを焼いて売る人、たこ焼きを売る人、沢山いて賑やかです。通り抜けるのが困難なくらいです。
それぞれ明かりを用意していて、今はLEDになったので電池の持ちがよいのでしょうね。結構明るくしています。薄暗い夕方でも明るくしている売り場に人が集まるみたいです。
ちょうど、昨日の夕方7時半頃まだ薄明るいときにうちに帰ったのですが、大学の正門の前に法務執行と書いたワゴン車が止まっていて、歩道の上の小間物売りは早々に店をたたんでいました。自転車付きの屋台の人たちは、歩道の奥の団地の中に逃げ込んでいきます。
歩道という公的空間で私的な商売をしてはいけないと言って、追い払っているのでしょうね。もちろん理に適っています。このあたりは片道四車線の大きな通りだけれど、大学と科学院の金属研究所があるだけで、まだ今のところは繁華街ではなく住宅街です。歩道が歩きにくいからと言って、目くじらたてるほどのことはないと思いますけれどね。
カテゴリ:生命科学
さえ:
今までもPCRをするときは、細胞の薬物処理で変化しないと思われるハウスキーピング遺伝子を標準にしていましたね。
GAPDH、Actin-b、Eef1a1、RPL13などを任意に使ってきました。実をいうと、これらの遺伝子が細胞を薬物で処理することで絶対変わらないという保証はなかったのですよね。細胞から抽出したRNAの一定量あたりの分子数が薬物処理の前後で同じでなくても、それは実験誤差というかピペッティングの誤差と区別できなかったのです。
Real Time PCRを使うに当たって、使いやすいハウスキーピング遺伝子を探しました。
在来法で多用していたGAPDHは大きなイントロンを含まないので、DNAがもし混在すると間違った情報を与えてしまいます。
Actin-bをPrimerにすると、ほかの遺伝子のmRNAからも沢山のシグナルの出ることが、Primer-BLASTを使ってみて分かりました。
それで、Real Time PCRのためにRPL13、Atp5f1、Hprt、Nono、Gapdhを選んでPrimerを作りました。在来法で調べて、増幅するのは予想位置のDNAだけであることを確かめて、Real Time PCRをしたのですよ。
すると、薬物処理をした試料でも全く影響を受けなかったのはRPL13だけでした。Atp5f1は大きく変わり、まるで薬物の影響を受けたターゲット遺伝子発現みたいでした。
Hprt、Nonoは、ほぼ影響を受けないと言えますが、RPL13ほど見事ではありません。
Gapdhは混在するDNAはなかったらしく、おかしな増幅はなかったのですが、薬物処理で発現に変動がありました。
論文に、Real Time PCRで内部標準にGapdhを使っているものが多いです。Gapdhとターゲット遺伝子発現の比を出していて、一見すると正しそうに見えますが、内部標準のGapdhが薬物処理でも変わっていないことを明確に示さないと意味がないですね。
ぼくたちがReal Time PCRで論文を書くときは、この点を明確に主張しましょう。
今回の実験条件ではRPL13は影響を受けませんでしたが、他の薬物で影響を受けないという保証はないわけですから、細胞の処理が変わると、どのハウスキーピング遺伝子を使えばよいかは、その都度変わる可能性があります。つまり何時も、二種類以上の標準となる遺伝子を用意しないといけないことになりますね。
一つの論文では対照につかうハウスキーピング遺伝子は一種類じゃないとおかしいよと言うことになりそうですけれど、実は統一されていなくても良いということになります。
カテゴリ:生命科学
さえ:
Real Time PCRを使い始めました。最初は、RNAをRiverse TranscriptaseでcDNAにして、そのcDNAの試料を5倍・5倍と希釈していって、テストの試料とします。それぞれをPCRで増幅して(それぞれ3回計ります)、Real Time PCRの数値が平行して増加するか、その3点が同じところに収斂するか、の実験をやりました。
この結果から、希釈の横軸をログ2の半対数にして標準直線を書くと、完全に正確に希釈できて、3点も正確な分注が出来ているなら、勾配1のスロープを持つ直線が出来ます。
最初から合格した人もいましたし、二度目には殆どの人が合格しました。ピペットの使い方が正確さが問われます。
試料としてcDNAの代わりに水(綺麗な水ですけど)を入れたものも(Buffer controlといっています)同じように操作します。もし使っている水、Tip、Tubeに汚染があると、何らかの蛍光の増加があります。
これは人によってまちまちで、Buffer controlの3本がそれぞれ違った具合に汚染されている場合(恐らくTubeの汚染)、1本だけ汚染されている場合(たまたま何かが入ったか、そのTubeが汚染していた)、3本とも同じように汚染している(水か、Tipが汚染していた)場合など、いろいろありました。全く汚染のない人もありました。
これは、汚染の機会が沢山あるけれど、十分注意を払えば汚染されずに済むと言うことを意味していますね。
どう見てもcDNAが入ったとしか思えないBuffer Controlの結果を出した人もいました。それでも、どう考えても、間違えてBufferの代わりにcDNAを入れたはずがないというのですよ。
間違えたはずはないかも知れません。でも、人間って間違えるものなのですよ。こういう実験は良い教訓になりますね。
非常に清潔な環境で実験をするために、細胞培養に使うクリーンベンチを注文して昨日届きました。部屋に入れる前に外で徹底的に清拭して、また中に入れから綺麗にしました。
実験に使うTubeはオートクレーブで処理してから使う、Tipはラックに並べて洗って滅菌すしますが、各自、自分たちの使う分は自分の責任でやることにしました。もし、人と共同で良ければ、当番を決めて当番がこれを担当するわけです。
Real Time PCRの実験のあとで、はっきりと汚染していないかどうか出てくるので、清潔な環境で注意深くやっかどうか、ごまかしは利かず、直ぐに分かります。
標準直線で1に限りなく近い値を出した人は一つの試料の測定を三回やる必要はないことにしました。たとえば、RNAの吸光度の測定は、一つの試料に付き3個希釈液を用意して計りますし、タンパク濃度の測定も、一つの希釈点ごとに3回ずつ測定します。でも、Real Time PCRについては、実験自体が大変高価なので、真剣勝負は一回だけ。
でも、もちろん実験自体は少なくとも三回独立に行って、p valueを出します。暁艶のPCRで文句の付いた論文の実験を、Real Time PCRでやり直して、それぞれ一回の測定でも、6000元かかるという計算です。
カテゴリ:薬科大学
さえ:
川西康博先生が、遼寧省の終身栄誉教授に選ばれて、昨日その授与儀式がありました。
図書館の何時もの講義室に場所がしつらえてあって、前校長で書記の呉春福博士、畢校長、程副校長、国際交流処の蔡処長、そのほか大勢の教授が詰めかける中で、この栄誉が発表されて、賞状を受け取っていました。
瀋陽薬科大学の発展に、もう二十年近く貢献したというのが理由です。環境学科、臨床薬学、食品薬学など新しい学科の設立を助言し、それが立ち上がるあいだ、日本から連れてきた専門家に講義や実験をさせていました。
校長から受け取った賞状をあとで見せて戴くと、栄2号と書いてあります。遼寧省でこの制度が始まって以来、2番目の受賞と言うことですって。
文化大革命の前に一人受賞したという話しでしたから、それから50年、最初の外国人ですね。
授与式に引き続いて、講演がありました。
川西先生の講演は、早口の江戸弁で、おまけにいろいろなことを言いたいらしく、文章としては終始一貫せず、しかも尻切れトンボで終わることが多く、詰まるところ何を言いたいのかさっぱり分からず、何時も悩まされていました。
ぼくたちに分からないのですから、日本語を外国語として勉強としている学生が付いて来られるわけはありません。川西先生の熱心さが何時も空回りしているみたいで、ずっと気の毒に思っていました。
ところが、今回の「環境問題を考える」という講演は、何が私たちの生存を脅かしているかという問題提起と、それに対処する考え方を、説き去り説き来たり、実に明快に説き起こし、初めて終始一貫した論理の話しで、大いに感銘を受けました。
そうか、このように環境問題を捉えて、中国でこの先起きる可能性のある環境破壊が最小に留まるように、諸問題を考えて対処していく学生を育てているというスタンスなのだということを明瞭に納得しました。
久しぶりに、というか、初めて、川西先生の明快な話を聞いて気持ちが良かったですよ。おまけに、おめでたいことですし。これで、今回に限って夫人同伴である理由も納得できました。
コメント:
ショートコントみたい みのもんだ さん
終身栄誉教授ということは、期限付きの栄誉教授という称号もあるんでしょうね。
最初のタイトルから、最後の夫人同伴まで、笑いが止まりませんでした。
まあ、環境問題が本当に大事ですから、それが非常に説得力があるということで、良かったじゃないでしょうか。
毎回奥様が同伴されれば、毎回面白いお話が聴けるかもしれませんよ。 (2012.05.31 00:40:19)
みのもんださん shanda さん
『毎回奥様が同伴されれば、毎回面白いお話が聴けるかもしれませんよ』に笑ってしまいました。
終身栄誉教授の特典って何か聞いていませんでした。
日本の文化勲章みたいに年金が出るのでしょうか。そんなことを口に出そうものなら、終身栄誉教授の称号だけでも大変な名誉なのだと言って怒られそうな雰囲気ですよ。 (2012.05.31 07:52:10)
カテゴリ:薬科大学
さえ:
突然、左隣の教授室にいる先生の研究室が國の視察を受けることになったと言って、大学中がぴりぴりしています。といっても知ったのは、二日前に、ぼくたちの建物の5階の廊下の壁が綺麗に塗装されたからです。
昨日の30日は、清掃に務めるようにと言う研究生処からのお達しがあって、全員総出で研究室を見栄え良くすることに精を出しました。
お達しによると、5月31日午前中、十一五国家重大新薬創製総合研究機構が順調に進行しているかどうかの視察がある。ついては:
1. 5月30日午後は各研究室で綺麗に掃除をし、整理整頓を徹底せよ、見落としのないように(「不留死角」という言葉です)、実験室を清潔にし、実験に関係ないものは片付けよ、
2. 研究室の老師と学生は5月31日午前8時半まで実験室に来て実験を始めること、しっかりと実験に従事し、こころを籠めて、喜びをもって実験をしているように振る舞うこと(「精神面貌良好」に保て、ですって)、
3. 研究室では全員清潔な白衣をまとうこと、学生が何時も持ち運んでいる大型の魔法瓶を実験室に持ち込むことを禁止する、個人の持ち物、携帯品で実験に関係ないものは持ち込み禁止、
4. 本新薬創製総合研究に関係している研究責任者は、技術資料を熟読し、質問されたら即座に答えられるよう準備を怠らないこと。
左隣の研究室は臨床前新薬代謝動力学研究に携わっているところで、中国中に名前が知れ渡っているのだそうです。このプロジェクトで研究費を得ているのですね。
他にも沢山関係している研究室があるようです。
廊下の明かりはこの9年間にバルブが切れるに任せて交換していませんでした。今では五つに一つくらいしか点いていませんが、それが、全部新しく入れかえられました。この建物の玄関は壁が全面ガラス張りですが、それも寄る年波であちこち割れていました。それもすべて綺麗になりました。
トイレも係りがこころを籠めて清掃したらしく、廊下に漂う何時もの匂いがしないのですよ。
ぼくたちの研究室は関係ないですけれど、もちろん神妙にして、この大学が高い評価を得るように協力しましょう。
日本ですと、視察があっても、掃除をしておく位で、改まって何もしませんよね。だって、それ自身は意味のないことですものね。
しかし、大袈裟に畏まったり、綺麗にすることが当然のところでは、それは敬意を表すことになるので、していないと大変失礼なことになるのでしょう。
江戸時代の大名行列で、先触れが、「下に、下にい」と叫んで駆け抜けると、庶民は道の端に土下座して行列を見送るといった光景を思い浮かべました。
もちろん、実験室の実験台は、学生専用の勉強机がないためにすべての兼用になっていますから、食べ物が置いてあったりします。これが綺麗に片付けられて、見よくなるのは歓迎ですが、これも一瞬のことですね。
カテゴリ:中国の生活
さえ:
ネットの新着記事を見ました。『なぜだ?中国政府高官で、欧米に直系親族を住まわせている人の比率、なんと9割(Record China 5月31日)』
『米華字メディア』というのがあって、それが『29日、中国共産党第17期中央委員会委員のうち、9割に欧米で生活する直系親族がいる』と報じたそうです。数字を挙げているなんて、とても具体的ですね。
『中国では家族と財産を海外に移して自分だけ中国に残る政府職員(といっても、政府高官ですけれど)は「裸官」と呼ばれる』のだそうです。
家族と財産を移しているので、自分は何時でも、なにかが起きれば、海外に逃れることが出来ると言うことでしょう。
香港の政治評論誌で『動向』というのがあって、これが報じた記事のようです。
それによると、『中国本土の公的権威機関によるデータとして、2012年3月末までに中国共産党第17期中央委員会の委員204人のうち、91%にあたる187人の直系親族が西側諸国で生活・就職しており、その国の国籍まで取得している』と報じたそうです。
中国本土の公的権威機関とは、どういうものでしょうか。こういう内容を中国の公的機関が公表するでしょうか? 事実ならたちまち民衆から沸き上がる疑惑で、日本なら政権が吹っ飛んでしまいます。
つまりこの信憑性には疑問がありますね。香港の政治評論誌としては、公的機関が発表したのものでないとしても、恐らく信憑性が高いと言うことを、述べたいのでしょう。
書かれている内容は詳しく、『中央委員の補欠委員167人のうち85%にあたる142人、中央紀律検査委員会ではメンバー127人のうち113人の親族が海外に移住している』とのことです。
さらに、『米政府の統計によると、中国の省部級高官(退職者も含む)の子女のうち75%が米国の永住権あるいは米国籍を所有。孫の代になると、その91%が米国籍を持っていた。最近失脚した薄熙来前重慶市党委書記の息子も米国永住権の所有者だ』
ぼくにはこれが真実かどうか、調べる手段がありません。でも、別の記事で
『汚職官僚の海外逃亡許さず=政府の取り組み進む(Record China 5月27日)』というのがありました。
『中国政府は07年から紀律違反・違法国家業務人員海外逃亡抑止業務協調体制を運営していて、5月23日、第3回合同会議が開催された』
すでに書いたように妻子を海外に住まわせている官僚は「裸官」と呼ばれています。この記事によると、何時海外に逃亡するか分からないとして、取り締まりの対象にされているということです。
このことから『中国の汚職官僚の多さ、海外逃亡の横行がうかがえる』そうですが、5月31日の記事にあるみたいに『中央委員の補欠委員167人のうち85%にあたる142人の親族が海外に移住している』としたら、取り締まなど出来る状態ではないですね。
つまり、いくら何でもここに挙げられた数字は出鱈目じゃないかと思いますが、傾向としては、『これは官僚たちが政治的自信に欠けていることの表れだろう。だからこそ、いつでも逃げられるよう準備に余念がないのだ』と、民衆に警告できるくらいの数になっているのでしょうね。
政府高官が國から逃げ出す用意をしている國に、ぼくはもっと居て仕事をしたいなんて、どういうことなんでしょうね。
コメント:
真面目に考えないほうが良い時もある みのもんだ さん
先生、そういうことですよ、真実は。
目の前に聳え立っているビルが倒れそうな場合、3つの行動パターンが挙げられるかと思います。
1、支えて、倒れないようにする(結果的に、ただ単にビルの倒壊を遅らせただけのケースも)
2、何もしない、あるいは逃げる(何の加担もしない)
3、どうせ倒れるなら、もっと早く倒れるように加担する
まあ、今を生きればいいと思います。真面目に考えない方がいいですよ。 (2012.06.01 13:02:32)
みのもんださん shanda さん
スーダラ節を思い出して、仰るように、気楽に生きていくことにしましょう。考えこむと、ストレスが多すぎますよね、この国は。 (2012.06.02 08:22:43)
カテゴリ:研究室風景
さえ:
日本では血液型が話題になることが今でも良くあるみたいですね。
50年くらい前に大流行で、その後も下火になりながらも、依然として話のネタ、あるいは初対面の話題にはなるみたいです。
ぼくたちの専門の糖鎖生物学では当然、血液型を支配している糖鎖構造が出てきますから、講義では、血液型と性格の話しをして、笑いを誘っています。
この間研究室のセミナーで血液型の話の時に、皆に血液型を聞いたら、70%がB型なのですよ。これには驚きました。
日本人の血液型は、ざっというとA型4,O型3、B型2、AB型1の比率ですよね。ぼくたちの日本の生化学研究室で言うと、何時もB型が2割どころか4割-5割いましたよね。それが中国では7割です。
たった4種類の血液型が性格を決めるなんてあり得ないとぼくたちは思っていますが、日本人でも、中国人でも、研究者にB型が多いのは、ひょっとすると、血液型と性格に関係があるかも、なんて思わせてしまいます。
Hommeの記事によると、「この人、B型だと思う瞬間ランキング」で:
1位 マイペース 42.3%
2位 時間にルーズ 15.6%
3位 好き嫌いがはっきりしている 14.9%
4位 気持ちの切り替えがはやい 6.6%
5位 実は甘えん坊 5.3%
という具合でした。ぼくはこの2位の「時間にルーズ」ではなく時間遵守です。人にもそう要求しますが、その厳しさの裏返しは自分が実は時間にルーズであることを恐れているからかも知れませんね。
これ以外の項目は、ぼくにぴったりですよね。つまりB型には典型的なパターンがあるわけで、これは同時に他の血液型にもそれにふさわしい性格のパターンがあることを意味しています。
中国人の血液型を調べてみます。中国人の血液型は、A型3,O型3、B型3、AB型1で、日本人と比べてA型が少なくなって、B型が多くなっています。
「中国人が自分勝手なのはB型が多いから?」なんて質問が良くありますね。世の中には「B型は自分勝手(良く言うとマイペース)」という刷り込みがあるみたいですが、B型はたったの3割ですから、中国人の性格をB型で代表するわけにはいきません。
中国何千年の歴史の中で生き抜いてきた庶民の智慧が、それぞれ他人のことを気にしない生き方になったのでしょう。
それにしても、中国でも研究者の半数以上がB型というのは、何か意味がありそうですね。きちんと調べてみたいですが、馬鹿みたいと思われそう。FASEBの会員録に、それぞれの血液型が載っていれば、密かに調べられるのにね。
カテゴリ:生命科学
さえ:
Real Time PCRを使うと、横軸をサイクル数として縦軸にDNAの増幅していく(原理的には二倍ずつ増える)のが綺麗に観察できますね。この増加はあるところで飽和になります。
素材のヌクレオチドがなくなったか、Primerを使い切ったか、酵素がへこたれたか、さまざまな理由が考えられます。つまり、この最終蛍光強度は、いつも同じではありません。
PCRでは何時も目的の遺伝子と、対照になるハウスキーピング遺伝子の増幅を比べるわけですが、この増幅曲線の何処で比べるかが問題です。
あるメーカーの機器ですとソフトウエアが付いていて、計測結果から、この遺伝子のCTはこれ、こっちの遺伝子はこれ、という具合に数値を出してくれるそうです。
ところが、ここで使っている機器にはそのようなソフトがありません。
それで、数学に強い学生の劉丹がいろいろと考えて、この増加曲線の勾配を微分して取り、さらにその微分をすることで変曲点をみつけ、そこのCT値を使うことにしようと言うことになって、計算式を導入してくれました。但し手動の計算なので、結果を出すのに時間が掛かります。
瀋陽の他の研究室で、Real Time PCRを使っているところに質問してみました。同じように計算ソフトウエアのない機器を使っているところでは、任意に線を引いて、そのCT値を読んでいると言うことでした。つまり、場合によっては自分たちに都合の良いCT値を得ていることになりますね。
人によっては最高到達蛍光強度の2分の1のところで線を引いていると言うことです。でも元のcDNAの数が少ないときは、サイクル40になっても飽和しませんから、このやり方では答えが出せないわけですね。
この機器のメーカーに暁艶が電話をして、計算ソフトが必要なこと、それを開発して配布するように要請しました。すると、今まで機器は市場に沢山出ているけれど、こんな要求は初めてだというのですよ。
他の研究室では、CT値の求め方について、どうして悩まないのでしょうね。不思議です。
コメント:
Re:Real Time PCR 背番号のないエース0829 さん
「日本一遅い成人式が、無事終了 !!」に、上記の内容について記載しました。
もしよろしかったらaccessしてみてください。
(2021.04.02 16:40:30)
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
これは 6月2日の 6月2日の記事で、『「ここは中国なんだからいいじゃん」中国人の悪習を学んだ外国人―中国』というのがタイトルです。
『5月29日、浙江省寧波市の繁華街で、ネットユーザー「白日の太陽」は、2人組の外国人を見かけた。道路の縁に腰を掛け、ヒマワリのタネを食べているのだが、殻を近くの芝生に吐き捨てていた。注意すると「いいじゃん。ここは中国なんだから。みんなこうしているよ」と返事したという』
『外国人男性の写真とやりとりがネット掲示板に公開され、注目を集めた。外国人も民度が低いと怒る人もいれば、中国の取り締まりが緩いせいだと指摘する声も上がっている』
これは、恐らくこの外国人に言わせると、周りがやっているからやっただけで、「どうして外国人だからと言って非難されるのか」というところでしょう。中国人から、自分たちがやっているのだから、彼らが真似ても当然じゃないか、自分たちに文句を言う資格があるだろうか?という声が出ないのが不思議です。
5月5日に研究室でバスをチャーターしてイチゴ狩りに出掛けたと書いたでしょ?
近くのお寺(唐の時代に将軍が建てた由緒あるものだそうです)が建っている小山の上で、持っていった昼ご飯をたべたあと、周りの田園の風景を見ながらちょっと歩きました。その時、院生の崔さんがヒマワリのタネを食べていて、ぼくにも薦めてくれました。ひとつまみ貰って、一つづつ端を爪で割ってちっちゃな中身を口に入れるのですが、割れた殻は口の端から外に吹き飛ばしました。
ふと、崔さんのヒマワリのタネを食べている仕草を見ると、彼女は小さな箱も一緒に持っていてヒマワリの殻をちゃんと中に入れているのですよ。ぼくにもそこに捨てるよう薦めてくれました。
しかし、ぼくは山路を歩いているのだし、殻も山路に落ちてなにかの肥料になるに違いないと思ってはじき飛ばしながら食べていて、殻の跡始末をしている崔さんに悪いとか、恥ずかしいとか、不作法だとか、ちっとも思いませんでした。
今この記事を読んで。あのときは、中国の人が誰でも何処でも皆がやっていることを初めてやっただけで、悪いことをしているなんて思いもしなかったことに気付きました。眼の前に崔さんという立派なお手本がいたのにね。
この他にも、みんながやっているから、自分も今では平気でやっていることをはないか?反省してみました。今のところ、まだ大丈夫みたいですよ。
コメント:
赤信号みんな渡れば みのもんだ さん
たけしさんの言葉?を思い出しました。
それを置いといて、今日の日は特別の日でしょうね。平成元年の時。
先生の学生さんは、おそらく誰もその時のことを知らないでしょうね、きっと。 (2012.06.04 12:59:48)
みのもんださん shanda さん
23年目ですね。他の人がいるところで政治的な話しを、誰ともしたことがありません。友人が密告者に変わることを経験した人たちがまだ現存していますから、誰もが非常に用心深いです。そう、私もとても用心深く行動しています。ですから、23年前のことを、知っているか、どのように知っているか、どのように捉えているか、などは全く知りませんし、私の意見を言ったこともありません。 (2012.06.04 13:59:25)
カテゴリ:生命科学
さえ:
Real Time PCRを皆が使うように奨励している最中ですが、HGFのPrimerを作っていなかったことが分かりました。やっと気付いたわけですから、間抜けな話しですね。
今はPrimerの設計手順を明確に飲み込んでいます。
NSBIの遺伝子のデータベースでHGFを調べると、幸い、Transcriptは一つだけでした。ホッ。多いとBlastをして、先ず共通配列を見付けないといけません。
この遺伝子のCDSの終わりまでをPrimer5に入力して、Primerを探しました。Tm=65度では、よいPrimerが出来ないみたいなのでTm=55にして探して、候補を、Ensembleの遺伝子データベースにいれて、イントロンサイズを調べます。ひとつひとつ手作業で目で追うのですよ。
イントロンサイズが数千なら文句なく合格です。これらをひとつひとつ、今度はPrimer-BLASTで調べました、マウスとヒトの遺伝子でBLASTをします。するとHGFのPrimerでPrimer5で選んだプライマーセットは、結構沢山の他の遺伝子を拾ってくるのですよ。特異性が高くないのですね。
TMの低いのが非特異的結合を生じる原因ですから、Primerの特性が(たとえばPrimer同士でDimerをつくってしまうとか)多少犠牲になっても Tm=65度でPrimerを再度選び直しました
すると、イントロンサイズで合格した最初の二つの候補は、Primer-BLASTで、マウスではHGFだけ、ヒトのDNAがあるとしたらヒトのHGFだけを増幅します。ヒトの試料の混入を可能な限り避けて(実際上可能ですよね)やれば、これはよいPrimerということになります。
いままで、Tm=65度で探すとPrimerの特性が高くないときは、Tm=55度にしてPrimerを探しましたが、あまり良いものは出来ていないという感じです。
こういう時はTm=65度で頑張ってPrimerを探した方が、よいものが出来る可能性があるという教訓を得ました。
HGFのPrimerを選び出すのに、Primer5はWindows、残りはMacという具合につかって、4時間掛かりました。Windowsって、モニターの上に一度に一つの画面しかでないので、とても使いにくいです。世界中の使用者が、良く文句を言わないものですね。
カテゴリ:薬科大学
さえ:
この何年か、うちの研究室に来たいといって訪ねてくる学生は、この研究室で大学院の勉強をしたいというわけではなく、米国、あるいは日本の大学院に進学したい、あるいは中国でも他の有名大学、研究所の大学院に進学したいという人ばかりです。
一つにはぼくが高齢なので将来頼むに足りないというか心配だから来るのをためらうと言うことが大きいでしょう。でも、学生の言動を見聞きしていると、この大学には失望して、大学院は他のところで勉強したいという風潮が増えてきたみたいです。
中国における大学の順位が毎年発表されますが、この薬科大学は100位に入っていません。それでも単科大学として昔から知られているので、北京大学・精華大学などの一流校に志望した学生が滑り止めにこの大学の名前を書いている場合が多いと聞いています。
そうやって入って来た学生は、上昇志向が強いわけですが、この大学の教育は詰め込みだけです。大学として誇るに足る研究実績は、この大学の外では大したことはないというのが評判です。わたしがここに来て以来9年経ちましたが、多くの教授が定年で去り、何人かの優れた教授は有名大学に、あるいは国立研究所に移動しました。しかし、問題はその間、その空いた人事を埋める、優秀な教授が着任したというケースがほとんどないことです。
足りなくなった教員は若い、日本で言う助手(今は助教という名前ですね)に相当するTeacher、を採用して授業を任せていますが、教科書を棒読みするだけで、研究の経験もない彼らに身のある講義が出来るはずがありません。教科書を読むだけの講義に、まともな学生が耐えられるわけがないですね。見渡しても研究実績のある教授が減ってきています。大志のある学生は、絶対他のところの大学院に行こうと決心するわけですね。
昨日ぼくのところを訪ねてきた学生も、その一人でした。学業成績は何時も一番で、なにかの科目で二番になったことが一回あるきりとかいう話です。
成績が一番でもその人の将来の達成度になんら関係がないことはよく知っているので、こんなことではちっとも驚きません。聞いていると大学院は中国の科学院(国立研究所)の一つに行きたいとのことです。うちの研究室で研究者になる最初の一歩を踏み出したいというのでなくて残念です。うちの研究室ほど親身に学生の指導をするところはないのじゃないかと思いますが、来る人がいない以上、別の優秀な大学院に行くための足場にして貰っても結構と思います。
でも、そこに行くとなると、そこで卒業研究もした方が良いですから、ここじゃなくてそちらに行くように薦めました。キャリアパスにはその方が絶対良いですものね。そうしたら、もし時間があったらうちの研究室に来ても良いかというので、どうぞ、どうぞと返事をしておきましたよ。
カテゴリ:中国の生活
さえ:
朝5時過ぎに目覚めて窓の外を見ると、快晴で遠くまで見晴らせる日である確率は半分くらいでしょうか。以前に比べて増えたのか、減ったのかはっきりしませんけれど。
瀋陽も6月は雨が良く降って、まるで日本の梅雨みたいですね。雨が降っても湿度が上がらないので、洗濯物は一晩で乾いて、大して困りません。
雨模様で曇っていて視界が悪いのならいいのですけれど、この頃は大気汚染で濃霧発生と言うこともとても多いみたいです。
最近、北京の大気が汚染していて、それをアメリカ大使館が自分たちで調べた数値を公表していて、それに中国政府が文句を言っているのが目に付きました。
おかしいのは、間違った数値を発表して市民を惑わせているといって非難しているのではなく、数値の発表は中国政府の主権に属することだ、勝手に測定して公表するな、といっていることです。
『中国の「大気汚染情報」を勝手に流すのはウィーン条約違反、各国大使館に苦言―中国環境部(Record China 6月6日)』
それによると、『中国の空気の質に関する測定と発表は中国政府の管轄であり、各国の在中国大使館などが独自に測定・発表することはウィーン条約に反する行為だと』中国政府が非難したのだそうです。
『現在、中国政府が発表している大気汚染指数には肺がんや心臓病などの原因とされる有害な微小粒子状物質「PM2.5」は含まれておらず、粒径10μm以下の浮遊粒子状物質「PM10」のみ。そこで、北京では米国大使館が独自にPM2.5の測定結果を発表、市民らの注目度も高い。市当局が「空気の質は極めて良好」とした日でも、米大使館は「危険な状態」と発表し、常に物議を醸している』
調べてみると、大気汚染を引き起こす浮遊粒子状物質(SPM)は、大気中に浮遊している粒子状物質で、粒径10μm以下のものとされている、発生源は工場の煤煙、自動車排気ガスなどの人の活動に伴うもののほか、自然界由来(海塩の飛散、火山、森林火災など)のものがある、そうです。
浮遊粒子状物質は粒径により呼吸器系の各部位へ沈着し人の健康に影響を及ぼ仕方が違いますが、粒子状物質の量が年平均100mg/一立方メートルになると呼吸器への影響、全死亡率の上昇などがみられるということです。このためSPMの環境基準は、1時間値の1日平均値が0.10mg/一立方メートル以下、1時間値が0.20mg/一立方メートル以下と、日本の法律では定められています。
さらに浮遊粒子状物質のなかで、粒径2.5μm以下の小さなものは、微小粒子状物質(PM2.5)と呼ばれていて、粒径がより小さくなることから、肺の奥深くまで入りやすく、肺がんや心臓病、ぜんそくなどの原因となり、健康への影響が大きいと考えられていて、世界的に環境基準設定では、この粒径2.5μm以下の浮遊粒子状物質の量が問題視されます。
ところが、中国では中国独自の大気汚染指数があって、これにはこの有害と思われる微小粒子状物質(PM2.5)の数値が含まれていないと言うことです『「空気の質」の情報公開、先進国と比べ遅れ目立つ―中国(Record China 2011年1月22日 )』。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
今朝も曇っていて見通しが利きません。1 km先の建物がおぼろに霞んでいます。日本の空港ですと見通し800 mで飛行機の出発が禁止になるのに、中国では500 m見通しがあるならOKなのだそうです。勇敢な民族ですね。
ところで、続きです。最近、中国国務院が新しい大気汚染基準を公表しました。
それによると、新たにオゾンや微小粒子状物質(PM2.5)に対する観測などが盛り込まれたということです。このPM2.5に対する観測は、全国に先駆けて今年から北京、天津、上海、重慶の直轄4都市及び珠江デルタと長江デルタ地区で実施され、2016年からは全面実施を予定していると書かれていました。出典は『3分の2の都市で大気汚染、当局が新たな基準値発表―中国(Record China 2012年3月3日)』。
この記事によると『今後全国に約1500カ所の観測ポイントを設置する計画を明らかにするとともに、新たな基準に基づいた環境保護部の推計によると、全国の3分の2の都市の大気が基準値を超えている』と発表されたとのことです。
ということは、大気の基準値がどうなのかは分かりませんけれど、中国の政府側でも北京の大気の測定値をすでに持っていて、少なくとも北京の大気汚染は重大であることを認識しているということでしょう。微小粒子状物質(PM2.5)の濃度が危険域に達しているのでしょう。
それなら、米国大使館の測定に文句を付ける理由はないはずですが、気に入らない真実を発表されたから、文句を言っているのですね。こう言ったことは、何処まで国家の主権に属するのでしょうか。
昨日のRecord Chinaは米国の意見を載せていました『中国大使館が米国で独自に大気観測しても「米政府は反対しない」―米国務省(Record China 6月7日)』。
6日、「在中米国大使館による大気汚染情報の公表は国際条約違反と内政干渉だと中国政府が米国を非難しましたが、『米国務省のトナー副報道官は「測定結果は大使館員やその家族、中国で生活する米国人のために提供している。もし中国が米国で同様のことを行っても我々は反対しない」と述べ、米国大使館独自の大気観測と測定結果の公表は問題ないとの姿勢を示した』ということです。
つまり、国家の主権とかなにかを言い出すような問題じゃないよと返答したわけですね。
大気汚染度は機器さえあれば個人でも調べられます。日本で、放射能を個人が線量計で計ってあちこちで騒ぎを引き起こしているのも同じですね。測定方法の信頼度は問題にしなければいけませんけれど、個人でも計れることです。
これを日本の政府は、放射能測定値の公表は国家の主権に関わることだとは言っていませんね。改めて、国家の主権って何だろうと、何のためのものなのだろうと、今考え込んでいます。
カテゴリ:薬科大学
さえ:
昨日の朝8時から生化学・分子生物学研究科の修士発表会があって、笑笑(張笑さん)が18人の学生の中で一番に登場しました。
Mechanism of regulation by ganglioside GD1a of iNOS and other genes in metastatic murine cell lines と言うタイトルです。
25分間が持ち時間で、話したのはそのうち18分くらいでした。
ところで審査員は、主席が張副教授、成員が、劉副教授、康講師、Bin講師、宋講師で、審査する側に教授は一人も入っていないのですよ。
修士論文をあらかじめ書いてこれらの審査員に渡して置いて、そして発表に臨みます。審査員は、当然事前に内容に目を通しているわけです。
発表が終わると、偉い順に質問が出ます。これは、中国ではそう決まって居るみたいですね。
初めの先生の質問は、論文の中の表が2ページに亘って書かれているけれど、これは1ページに纏めなくてはいけないとか、論文の記述についての注意でした。もちろんFormatを守るのは大事ですが、内容について質問して欲しいですね。
笑笑の発表で、EGF/EGFR/MAPK pathwayを調べているけれど、それは良く分かっていることではないかという質問がありました。EGF/EGFR/MAPK pathwayと言う細胞の増殖シグナルはよく知られた経路ですけれど、この研究ではガングリオシドのシグナルが伝わる経路を調べたら、その経路に行きあたったというのが、笑笑の話の一つの骨子です。
有名なシグナル伝達がでてきたからと言って、分かっていることを調べている訳じゃないですよね。
ひとりの先生はよく勉強してきたらしく、笑笑の話で使われている細胞は2種類なのですが、話の中に一緒に出てきたのですね、細胞が違うとシグナル伝達経路が違うことがあるわけですから、笑笑の話の仕方じゃ混乱するという指摘でした。その通り。
笑笑の研究は、GD1aのシグナルがどのように伝わるかに焦点を合わせていますが、これには体系的な研究方法がないですよね。悪く言うと行き当たりばったり、良く言っても、飽きずによく調べていますねってくらい。
笑笑の話を聞いている方は、沢山の分子が、しかもなじみのないものが、どんどん出てくるものですから、それで多分悲鳴を挙げたみたいです。個別の分子のsiRNAを使うより阻害剤を使う方が良いんじゃないか、なんて言う質問が出ました。
でも、阻害剤を使って、ある経路が関わっていることが分かっても、具体的にはどの分子か分からないので、それぞれの分子の発現をsiRNAでつぶすことで調べているのですね。おまけに阻害剤は、主な標的分子は知られていますけれど、実際にはその時調べられていない沢山の分子が影響を受けることが多いのですよね。
つまり、良いところを質問していたと言えますね。もちろん、笑笑は必要かつ十分な答をしていました。
カテゴリ:薬科大学
さえ:
笑笑の修士論文発表会風景のつづきです。
彼女が論文を仕上げてからも続けていた実験で、ProteasomeとNFkBの関与が示されたのでそれを発表の時に加えたら、論文に載っていないじゃないかと早速言われていました。
でも、この二つに対する阻害剤が効くのはどうしてなのかと、この二つにはどういう関係があるのかという、発表者にとっては嬉しい質問も出ていていました。
このあとの学生の発表も聞いてみたのですが、言葉はもちろんですし、PPTもほとんどが中国語なので、ぼくにも言葉が分かれば理解出来そうな内容だと言うことが分かっただけで、実際上はツンボ桟敷でした。
ところで、中国語ですべて話が進んでいるので私には内容を理解出来ていないのですが、質問する先生たちの話しがどれもこれも、凄く長いのです。
日本でも、まるでこの際、教えてやるみたいな演説的な質問をする人がいることもありますが、まず、滅多にないですね。世界の何処でも、質問する人は問題点を挙げて、何が訊きたいのか簡単に纏めて訊きますよね。
質問の内容を翻訳して貰っているのですが、どうも、翻訳しなくても良いようなことを質問の時にしゃべっているみたいです。発表会、講演会で何時もこのように、質問する人は長くしゃべるなあと感じるのですが、中国式の権威付けでしょうか。偉い人は、学識のあるところを示さないといけないとか。
あるいは、発表者の研究室の教授に敬意を表する言葉を先ず並べ立て、研究内容のに讃辞を述べて、さて、ところで分からないことがあるのですがと言って、訊いているとか。
いずれにせよ、ぼくがこの手の学術的な話しに参加出来ないのは残念なことです。
さらに、傲慢な言い方かも知れませんけれど、ぼくの能力を使わないなんて勿体ないことだとも、思っています。だけどこういう発表会で英語を使うように薦めても、困る人たちもいるでしょうから、おそらく実現しないでしょう。ぼくが中国語を聞いて理解出来るようにするのが一番ですね。ぼくを有効利用するためには、ぼく自身が頑張らなくっちゃ。
カテゴリ:中国の生活
さえ:
昨夜から雨が降って、今日は爽快な朝でした。瀋陽の良いところですね。時々雨が降って、空の汚れが消え去ります。恐らく北京は雨が少ないから空が汚れ放しなのですね。
ところで人心荒廃を反映する記事ばかり目立つこの頃の中国ですけれど、6月初めに、悲しい、しかし心を打つ記事がありました。学生が教えてくれたので、ネットで探すと山ほど、日本語の記事がありました。つまり、日本でもいろいろなルートで報道されたみたいですね。
『乗客を救って亡くなった英雄バス運転手に杭州市民の涙(エクスプロア上海 2012年6月5日)』
『杭州のバス会社所属の呉斌さんは、江蘇省の無錫市からバスを運転して浙江省杭州市へ向かう路上で滬宜高速道路の無錫市で付近を走行中に、突然前方を走っていた車から金属の塊が飛んできた』
『金属の塊はフロントガラスを突き破り、運転手の呉斌さん腹部を直撃した。呉斌さんはこの時点で肋骨骨折、肝臓破裂、肺と腸の損傷という重傷を負ったが、彼は乗客を背負っているという運転手の責任を忘れなかった。彼は痛みを堪えながら、非常停車灯のスイッチをつけ、バスを路肩に安全に停車させた後に、万が一に備え乗客24名を車外に避難させたとのこと』
『こうやって突然のトラブルによる自らのケガに耐え乗客を救った呉斌さんだったが、負った傷は想像以上に重く結局6月1日に帰らぬ人となってしまった。享年48歳だった。』
Record Chinaの記事によると、『現場に到着した警察官によると、警官の姿を見た呉さんは気丈にも親指を立てて見せたという。警官はバスのサイドブレーキをかけるのには力がいります。肝臓破裂した人間がやってのけるとは、すごい精神力です』とたたえています。
人民網日本語版によると、『杭州市見義勇為基金会は3日午後、故人となった呉運転手を表彰、「杭州市義勇の士」なる称号を授けた(2012年6月4日)』ということです。
杭州市見義勇為基金会と言うは、義のために勇敢な行為をした人を表彰するためにあるのでしょう。表彰制度があると言うことは、これが滅多にあることじゃないことを意味していますね。実際、瀕死の重傷を負いながら、先ず乗客の安全を考えたなんて、思っただけでも涙が出てきます。
学生の暁艶が言っていました。このように、人は何時死ぬか分かりません、何時死ぬ時が来ても良いように今を充実して生きましょう、予測の出来ない死に臨んでは自分の人生に満足して死ねるようにしましょう、と。まだ若いのに驚くべき言葉です。
カテゴリ:生命科学
さえ:
昨日の夜も一時的に豪雨でした。ちょうど、金属院の先にあるマッサージに行っていたときでした。温度が下がって、Tシャツ一枚では寒いでしょうと言って、綺麗な女主人がマッサージの時に使う当て布を肩に被せるようにと言って貸してくれました。
昨日の大きな行事は、院生の崔さんの誕生日のお祝いのために、バナナケーキを焼いて、さらにもう一寸豪華にするためにチーズケーキも焼いたことくらいなのに、肩が凝ってしまったのですよ。
ほかには新しく、プライマーを三つ設計したからかも知れません。
今ではPrimerを、大きなイントロンを含み、その目的とするmRNAとする遺伝子以外とは反応せず、ヒトの遺伝子とも反応しないようにして設計できるようになりました。
卒研生の研究で、GD1aのシグナルが、二つの阻害剤で遮断されることが分かりました。実をいうとこのごろの卒業研究に来る学生は、前ほど熱心ではなく、3ヶ月くらいでともかく実験をやったと言うことを残したいだけみたいです。
ですから今年も大して期待していなかったのですけれど、Real Time PCRを最終的確認に使ったためもあって、信頼できると思ってデータを見ると、驚くべき結果だったのですよ。つまり、GD1aのシグナルが通っている経路の一部が見つかったように思います。
それで、どの経路か調べようと、網を張るためにPrimerを設計したわけです。なにしろ、ぼくたちの研究は行き当たりばったりですものね。
DNAアレイや、ホスホタンパク質アレイを使う人たちは体系的研究をしていると思っているみたいですが、ホスホタンパク質アレイでは抗体を沢山一度に載せて調べているだけで、手に入るようになった抗体を使うという意味では、任意にやっているのと同じことですよね。
貧乏人はひとつひとつ調べるしかなく、金持ちはいちどに沢山調べるという違いだけです。網羅的研究をするアイデアを特に出しているわけではないのですから、偉そうに言って欲しくはないですね。
なんて、何かをひがんでいるみたいですね。朝っぱらからおかしな話しになりました。
カテゴリ:研究室風景
さえ:
今年の卒研生は、面白い実験結果を出したと書いたでしょ。おまけにReal Time PCRを使って検討しているので結果に信頼性があります。
今までの方法ですと、クスリを加えて発現が抑えられても、意味があることなのか、ただの実験の誤差なのか判然としないわけですね。Reverse Transcriptaseの操作の時にピペット操作によって、容量が0.2マイクロリットル違っても結果が10%違ってくるのですものね。
ですから、細胞培養をする実験そのものを3回独立に繰り返して、実験結果を出して、結果の統計処理をして、p値が0.05以下であれば結果を信頼する方式を採っています。
いまはともかく、この大学始まって以来初めてReal Time PCRを使って実験しているので、すべては目新しく、学ぶことが沢山あります。ですから、試料をReal Time PCRで分析する度に、卒研生の馬燦然さんも毛艶麗さんもぼくをPCのところに呼んで、説明してくれます。
これは教授室のPCにすべてのデータを保存することにしているので当然なのですけれど、今までの卒研生でここまでぼくにデータをその場で見せてくれたことがないのです。ですから、この二人の学生はとても可愛い存在です。
だって、ぼくだって一緒に実験しているみたいな気分になるでしょ。
初めは試料や、Primerを入れ忘れた実験の間違いがあったのが、3回目からは間違いもなくなりました。三つのクスリを使って、ケモカインの生産にGD1aのシグナルがどう影響するかを実験しました。
ケモカインが違うと、GD1aのシグナルの通り道が皆違うのです。今は通り道の点が分かっただけですが、それぞれの経路をしっかりと解明したいですね。
卒業研究の発表は一週間先なので、今日からはリハーサルの開始です。順番はReal Time PCRのデータ解析方法を研究した劉丹くんが最初。
実はまだ、Real Time PCRのデータ解析方法は確立していないのですね。いろいろな方法が出ていますが、このあたりの研究室では一番遅れた方法を使っているみたいです。うちの研究室に劉丹みたいな、とんでもない天才児が来てくれたのは、とても良いタイミングでした。
Real Time PCRのデータ解析という難しい話しが最初に来ますが、Real Time PCRの話しに馴染んで貰って、そのあとLewis細胞を使った馬さん、NIH3T3細胞を使った毛さんが、Real Time PCRで得た結果の話しをすることになります。
卒研発表は学生にとっては試験かも知れませんが、「実際は、相手の知らない話を相手にしてそれを分かって貰う、しかもその内容に興奮して貰うという、これから経験を積み重ねて行く話し方の、最初の機会なんだよ。話す内容を楽しんで話しをしようね」と卒研生にぼくは話しています。
カテゴリ:生命科学
さえ:
Real Time PCRは、素晴らしい技術ですね。
分子生物学の根本原理である相補性によるハイブリダイゼーションも、タンパク定量をしているウエスタンブロットも、分子の数を正確に出すことには無力でした。
Real Time PCRでは、mRNAの数をReverse TranseritaseでcDNAに変えて、狙っている遺伝子に対するPrimerを用いることにより cDNAを2倍2倍と増やしていって、適当な対照を置けば(つまり分子の数の正確に分かっているDNA対照に置けば)、そのcDNAの分子の数を正確に定量出来るのですよ。
実際には、薬の処理で変化するとは思われないハウスキーピング遺伝子の発現量を同時に調べて、その両者の比をいつも求めます。薬を加える実験で、この比が下がったなら、目的の遺伝子発現が下がった、つまり、この薬がその遺伝子発現を抑えたというわけです。
DNAの増幅は原理的には2倍ですが、蛍光色素で染色しているので、正確には2倍になりません。従って実験から正確な増幅係数を計算して求める必要があります。この値は、Real Time PCRの研究者の間では、1.7-1.95の値になればよいと言われているみたいです。
cDNAの増幅曲線の何処を使ってこの増幅係数を算出するか、色々と計算ソフトが出回っているようです。理論値の2を使って計算しても、問題はないように思えますが、これはまだぼくが、この原理を正確に理解していないからかも知れません。
なおReal Time PCRをRT-PCRと省略したくなりますが、これではReverse TranseritaseでRNAをcDNAにしてからPCRを行うRT-PCRと区別できないので、Real Time PCはqPCRと省略することが行われて、受け容れられているみたいです。Quantitative(定量的)の省略ですね。従前のPCR法が、semi-quantitative PCRだったから、qPCRなのですね。
このqPCRの威力は正確無比に見えますが、もし用いる材料の質が悪いと問題です。つまり試料の処理が悪くてRNAaseが混在していると、調べたい遺伝子のmRNAが傷んでいるか、数が少なくなっているかも知れません。それが、大丈夫であることが保証されれば、qPCRで得られる結果は完全なものになりますね。
色々調べてみると、試料のRNAが全く傷んでいないことを28SRNA、18SRNAを調べてそれが分解していないことを示すと言うのがありました。ただ、この方法は定性的です。電気泳動をして染色して、28SRNA、18SRNAの染色の比が2になればよい、あるいは分解されたRNAが検出されなければよいという消極的な方法です。もっと良い方法があるのじゃないかと、目下、暁艶が勉強中です。
実験の精度がこうやって極端に上がると、実験も精密さが要求されるのですね。うちみたいな貧乏所帯がやっていけるのか、心配になってきます。
カテゴリ:生命科学
さえ:
卒研生の研究発表のリハーサルを水曜日から毎日やっています。今日で3回目。英語を使っての発表練習は今日が最終の予定で進めています。
Real Time PCR は他の機器とはまるで性質の違う素晴らしい発明です。ぼくも目下勉強中ですが、Real Time PCRのデータ処理には色々と問題があります。劉丹はこれが卒研発表のテーマです。
Real Time PCRのデータ処理の問題点は1. Cq(それぞれのサイクル数)をどうやって算出するか、2. それぞれの増幅係数を、得られた実測値からどう計算するか。3. 対照に使うハウスキーピング遺伝子に何を選べばよいか。4. 用いている試料のRNAがインタクトであって、壊れていないかを調べているか、どうやって調べたか。などです。
最初のCqは機器のメーカーによって色々と計算法が違うみたいですが、その実験を通じて、直線で傾向が増えているところで計測し、しかもすべての実験で同じ点を使っているなら、特に問題にはならないと思われます。
二番目の増幅係数は測定ごとに違い得るわけですね(理論的には2倍で増えます)。この値を、増加する蛍光の実測値から近似する計算式が色々ありますが、理論的な正しさ、そして簡便に使えることから、劉丹は一つの方法を推薦しています。これが、劉丹の卒業発表の中の彼独自の研究になるわけですね。
もちろんこの薬科大学では、色々と調べてくるだけでも、卒業研究発表の要件になるのですけれど。
三番目の対照に使うハウスキーピング遺伝子はどれを使うか、実は大問題です。その実験処理で発現量が変わってしまってはいけないわけです、処理で全く影響を受けないで、まったく同じ増幅曲線になっていても、もし加えたDNAの量が違っているとすると、たとえ影響受けていても、一見変わっていないように見える可能性があるわけです。結局、幾つかの違うハウスキーピング遺伝子を同時に調べて、その中で一番変化の少ないものを使うしかないというのが答みたいです。
4番目のRNA試料が分解していないかという問いは、実際上、大変な難問をぼくたちに突きつけています。今までは、試料のRNAは分解しないように細心の注意を払って取り扱ってきていますが、元々から少しは入っているかも知れないRNAaseで試料が分解しているかも知れないわけです。試料を取り出す度に環境の中のRNAaseが混入する恐れもあります。このReal Time PCRで初めて問題になるのはおかしいわけですが、今まで誰も問題にしていませんでした。
劉丹は、短い発表時間の中で、どれを強調したらよいでしょうね。この機器はこれからこの大学でみんなに使われることになるはずで、誰もが深い関心があるはずです。
カテゴリ:研究室風景
さ
16日は朝からRakutenにアクセスできませんでした。17日も午後の4時まで駄目。17日はYahoo newsにもアクセスできなくなっていました。中国でなにかが起きたのでしょうか。
ところで、卒研生の発表練習を、このところ毎日しているでしょ。
自分たちの研究したことを、聞いている人たちが分かるようにPPTにまとめて、話すことですよね。彼らは話しをしなくてはいけないことに目が奪われていますから、聞いている人たちの視点から自分たちの発表を見るゆとりはありません。
ですから、発表練習は全員参加ということにしていて、先輩たちが色々と意見を言って、よりよい発表になるようにしてあげるわけですよね。
この発表練習では何時の年も、参加している人たちの意見が少ないと思っていました。もっぱら、何か言うのはぼくたちで、と言うかぼくたちが言わない限り何も進まないのですよね。何時も率先して、問題のあるところを指摘して直すように言っていました。
ぼくたちは教授ですから、まあ、当然のことをしているわけですが、研究室の先輩たちだって、もっと何か言ってくれたらいいのに。
今度、劉丹が話しをして、ぼくは自分の意見を色々述べて、さてみんなはどうですか? ところが皆何も言わないのですよ。
これには呆れて、研究室の仲間でしょ。これじゃまるで、幼女が道端で車にはねられて苦しんでいるのを見過ごして歩く通行人と同じじゃないか、とまで言ったのですが、それでも反応なしです。
善意に解釈すると、劉丹の言っていることがまるで分からない、だから意見の述べようもない、のかも知れません。難しい話しなので、これも一因でしょう。
しかし、最大の理由は劉丹を指導している暁艶が来ていないのが一つの理由かも知れないと後で気付きました。他の卒研生の発表でも、同じパターンだったのです。
つまり、卒研生は一人一人に先輩がついています。その先輩は自分の卒研生の内容に他の人が何か言うのを歓迎しない、つまりなにかその卒研生が批判されれば、それは自分の面子を失うことなんですね。ですから、それの裏を返せば、他の人が付いている卒研生の内容に何も言わないと言う構図なのじゃないかな。
その発表の話し方、図の見せ方が良いか悪いかなんて、批判じゃないでしょ。よりよいやり方があるのじゃないかと、聞いている方が感じたことを述べて、発表者を助けるわけでしょ。
でもそれを批判と受け止めているのじゃないかな。普段のセミナーだって、なかなか質問しない。分からなければ質問をして納得するまで訊かなければ、話しについて行けなくなるでしょ。それでも質問しない。
質問することは話す人の面子を失わせると思っているのかも知れない。人の面子を失わせると、今度自分が話すときに復讐される。
そう思って色々と思い返すと、腑に落ちることがいっぱいあります。彼ら一人一人が、大なり小なりの面子を顔に貼り付けて、それを傷つけられまいと気張って、それで生きている。
誰もが利己主義の塊で、他人はどうでも良い、蹴落とす対象にしか過ぎません。人の話を聞いて少しでも良くしてやろうなんて親切を、端から持っているはずがないのかも知れません。
自分自身の内容を高める努力を殆どしていない。当然知っているはずのことを聞かれて知らないと、知っている振りをするのが当たり前。決して知らないとは言いません。ごまかし続けの、いい加減な人生。
こういう契機で、彼らの悪いことばかりを挙げ始めると絶望的になります。そんな学生を相手に、一体何を求めて自分の貴重な時間を使っているのでしょう?
こうやって一旦落ち込むと、それからなだめすかして、何とか正常な自分を取り戻すのにこの頃時間が掛かるようになりました。
カテゴリ:研究室風景
さえ:
昨日の朝から今日の夕方までブログに書き込みが出来ませんでした。やっと、本当に嬉しいことに、遮断は恒久的なものでなかったらしく、夕方には使えることが分かりました。
空いてしまった昨日の分は、昨日思っていたことを今日書いて、今日は、今日のこと。研究室のことで気分が凄く落ち込んだけれど、何とか立て直さないといけません。
ところで、ぼくたちの教授室は、入って直ぐのところに手洗いがありますね。瀋陽に来た2003年の夏、セットアップを手伝ってくれた小張に頼んで、ここに大きな鏡を付けて貰いましたよね。
その後の2007年、薬科大学で4年間日本語教師だった南本夫妻が帰国されるとき、大きな姿見を置いていかれました。夫人が日本の着物の着付けに使うためのもので、もちろん全身が写る大きさです。
これは部屋の奥の、ぼくの巣と言って良いところに入る入り口に据えました。こうすると、用事があってぼくのところにくる女子学生は、ぼくと話しながら自分を眺めることが出来ますね。
夜になると窓ガラスに映る自分を、あるいは書棚のガラスに映る自分を眺めるのがいのちの女子学生ですから、ぼくはみなが鏡をついでに、さりげなく見られるように役立てているわけです。
もちろん部屋の出入りの度に、ぼくも自分を見ることが出来ます。
脂ののったお腹がもっこりと突き出ているぼく。
これじゃ、おさえちゃんが呆れてしまうよね、と言う感じ。少し食べるのを控えよう、なんて思うわけです。なかなか実行できませんけれど。
昨日は「卒研発表の練習で感じること」をぼくのブログに書きました。中国の学生の悪いところを書きまくりました。そうやって、憂さ晴らししているみたいなぼくは、通る度に鏡の中で見ると、険があって何とも嫌な顔です。ぼくが見ても嫌な顔なのだから、他の人が歓迎するとも思えません。
気分が晴れないと、それは直ぐに顔に出ますね。
「幸せだから笑うのではない。笑うから幸せなのだ」とアランが言っています。
依然として気分は晴れませんが、外観からからでも立て直していかないといけません。そして、無理にでも回復したように自分を駆り立てると、心も付いていくと言うことです。無駄に歳を取っていない証拠に、たち直ってみせましょう。
カテゴリ:薬科大学
さえ:
朝うちを出て大学に向かって歩いていたら、お隣の池島さんに追いつきました。なんて、いまごろ書いているのは、Rakutenが今朝メインテナンスをしていたからです。その最中とは知らずに書いて送ったら、全部消えてしまいました。トホホ。
「やあ、早いですね」なんてお互い挨拶して、お喋りを始めると、今は卒業シーズンですから話しは自然と、修士・博士の審査の話しになります。
「今日の午前中は3つ、午後も三つの博士の審査にかり出されていて、昼に宴会、よるに宴会でしょ、まるっきり自分の研究をやる暇はありません」とのことです。今期は11人の博士の審査を引き受けたそうです。
そりゃ忙しいでしょうね。おまけに審査を引き受けると、一人の論文をしっかりと読むのに3-4時間は掛かるでしょうから、11人となると数日フルに時間をとられますね。
「でもね、審査のほかの教授たちの質問はいい加減だし、どうもその場でぱらぱらとアブストラクトを見て、質問をしているみたいな感じですよ。論文の書き方についての意見など述べてね。このあいだなんか、うちの博士の発表の時、論文の言葉遣いがおかしい、この研究のやり方は変だなどと、指導教授がちゃんと見ているだろうけれどなどと言いながら、あれこれとあげつらったのですよ。」といまだに噴念収まらずと言う感じでした。
それで思い出したのは東工大の時の卒研生の発表です。教授・助教授・助手の研究科全員が出席する中で、卒研発表の学生はつるし上げられるのでしたよね。
担当の教授と研究室は一切弁明できない仕組みなので、ここぞとばかり研究の攻撃をするのです。この研究にどんな意味があるの?こんな発想で研究テーマを考えて、これで世の中の研究をリードしていけると思っているの?なんて、卒研生の手に余る質問まで出るのでしたね。
こっちは密かに汗を流しながらじっと耐えて、次にその先生の研究室の番になると、やおらお返しをするのでしたっけ。。。
でも、研究内容や研究方向の批判がこのように同僚の手でなされるのは、研究の質を保つためにとても大事なことですね。論文の書き上げて投稿してその内容の程度がその雑誌に載るか載らないかで批判を受けるわけですが、これはもっと直截です。研究の意義を問う修羅場に近いものでした
東工大の研究の質が高いといわれていますが、それを保つためにこれは役立っていたと思いますね。批判されてもその場で答えられないのはストレスですが、批判に応えて研究を真剣に考えますものね。
ともかくこの大学の審査の程度が低いということで池島さんは憤慨しているし、ぼくは審査員として参加したことがないので正確には分かりませんけれど、審査員の学識を越える審査が出来ないのは常識です。
でも一つ、良いことを聞きました。彼の研究室では卒研生が14人いて各自3回練習して(これはうちも同じですね)、一方で聞いている方は質問を用意するのだそうです。このような想定質問を出されて、それに答えることで学生をお互い鍛えているのだけれど、実際にはそのように想定した質問が出たことはありません、と淋しげでした。
うちの練習でも、誰も何も言わないのでぼく一人怒りまくっていますが(実のところは、がっかりして研究教育に白けてしまったのですが)、想定質問に答えられるように質問をすることという条件を、聞き手の学生に付けましょう。
セミナーでも質問をするようにと言い続けているのちっともしないし、いい加減呆れていますが、投げ出してはいけません。またふんどしを締め直しましょう。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
昨日の日曜日は父の日でした。
さえのいる間は、さえが何時もなにか探して贈ってくれましたね、バックスキンのベストとか。息子からも毎年何かしら届いています。娘からは、何時も音沙汰なしだけれど。
昨日はPCのことで用事があって街中まで暁艶と出掛けました。途中で「今日は父の日ですね。祝って貰いました?」と聞かれて、そうか、父の日だったかと、改めてさえに死なれた寂しさを噛みしめました。「まだだけれど、息子からは何か送ってくるかも」と返事をしたのですが、暁艶はちょうど街まで出てきたから、「父の日」のご馳走をします、と言って譲らないので、用事の終わったあと、「一茶一坐」という台湾料理の店でご馳走になりました。
「青年大街」という地下鉄一号線と二号線が交叉するところに、大きな百貨店があり、中には名の通ったレストランが軒を並べています。そのひとつが「一茶一坐」で、大学の近くの万象城という素敵なモールの中にも店を出していて、一度だけ行ったことがあります。台湾式の飲茶(ヤムチャ)という感じです。
入ると何時も食べに行くような店とは段違いの綺麗さで、もう文字通り別世界。住む場所がまるで違うという別世界。
獅子頭という豚肉で丸めた料理があるのですが、脂の多い豚肉を、その脂を感じさせずに調理するのがコツだそうで、北京のある店でこれを初めて作って周恩来に出したところ、凄く気に入られて、名前がまだないなら命名しようといって、「獅子頭」という料理になったという話しです。
十一緯路にある大清花という店の獅子頭が気に入っていて、じゃここでもこれにしようを注文して、これだけで58元。店の格が高いのが分かるでしょ。ほかに、厚揚げが日本のと同じみたいでした。厚揚げは瀋陽の他の店では見たことがありませんね。
焼売も、日本の焼売みたいに、上のあまりの皮が切り落とされていますし、味も日本式です。中身がしっかりしているのですね。餃子の皮みたいなのに、餡(中身のこと)を入れて軽く絞っただけの感じの瀋陽の焼売とは感触が大分違いました。このほかにも名前の思い出せない小皿が三つ。どれも美味しく戴きました。
考えてみると今のぼくには頼るところは何一つないし、支えとなってくれるものも何一つありません。今回、研究室で深い絶望感を味わったときに、痛切に感じたことでした。自分一人だけが頼りです。自分の心の支えがぷっつり切れたらもうお終いです。
暁艶がこうやって父の日と一緒に祝ってくれて、心の寂しさが少し満たされました。ありがとう。
カテゴリ:日本の将来
さえ:
日本では、東北大震災で引き起こされた福島原発の事故のあと、『米提供の汚染地図、日本政府が公表せず(日テレNEWS242012年06月19日)』という昨日のニュースで多くの人たちが怒っているみたいです。
『アメリカのエネルギー省は、福島第一原発事故の直後の3月17日から20日にかけて、軍の飛行機で原発周辺の地域の放射線量を測定した。この測定結果を基に作成した地図を、外務省を通じて経産省の原子力安全・保安院と文科省に提供していた』なるほど、なるほど。
『地図では、福島県の飯舘村などがある北西方向に高い線量の地域が広がっていることが示されている。しかし、保安院は、情報を官邸に伝えず、これまで公表もしていなかった』おや、おや。
JCASTのニュースによると、内容はもっと具体的に書かれています。『福島原発事故直後「米軍提供の汚染地図」握りつぶした役人たち―未だ公表せず(2012/6/18)』によると、以下の通りです。
『米軍が測定したところ、原発から北西方向に半径30キロ 超にわたって、1時間あたり最高125マイクロシーベルト(μSv/h)の汚染が広がっていた。この線量は8時間で一般の年間被ばく限度を超える数値だ。その周囲は21.7μSv/h超、11.9μSv/h超で、南西方向へも広がっていた』
『この汚染地図は3月18日と20日に在日アメリカ大使館から外務省へ電子メールで知らされ、外務省は経済産業省原子力安全保安院と文部科学省に転送した。ところが、受け取った両省はこれを公表せず、首相官邸にも原子力安全委員会にも伝えなかった』
『文科省科学技術・学術政策局の渡辺格次長は「提供データを住民避難に生かすという発想がなかった」といっている』
『あきれた鈍感、怠慢、刑事責任を問うてもいいくらいのものだ』と怒りまくっています。このニュースに接すれば、おおかたの国民は怒るのが当然です。官僚はこんなに無責任でよいのか、官僚に国民を守るという発想はないのでしょうか。
官僚がどういう法律で縛られているか知りませんが、きっと国民のために尽くせという決まりが法律に書いてあるでしょうね。書いてなくても、それは常識ですよね。
ぼくも公務員だったことがありますが、公務員として遵守すべきことを一度も言われたことがありませんでした。でも、こういうことは知らないでは済まないでしょうね。官僚であるということは責任を取ると言うことを、この際教えないといけません。
なお興味があるのは、このニュースがどうやって調べられたかです。隠された真実を追究する記者の執念があったからこそ、1年半経って不都合な真実が暴露されたのでしょう。これを公にすることが出来た人たちを、褒めないといけません。ジャーナリストなら当たり前の真実をとことん追求する精神が、いまでは珍しい世の中なのですもの。
官僚、政権は国民の目からは隠したいことばかりでしょう。それを白日の下にさらせるのは鋭い眼と不屈の精神を持ったジャーナリストしかありません。今は殆どがサラリーマン化してしまい、政府や官僚の伝えたいことしか伝えていないみたいです。
栄えているのは、誰かが誰かと秘密のキスをしたとか、イエロージャーナリズムばかり。こんなことで何処かの國のことを官制ジャーナリズムだなんて悪口を言えるのかねと言いたくなります。立花隆につづくジャーナリストが日本に輩出して欲しいですね。
カテゴリ:薬科大学
さえ:
今朝も薄曇り。このところ曇りか雨の毎日がつづきます。
ところで、今年の卒研生の発表は昨日20日の朝8時から、例によって学生実験室で行われました。
審査側は生物化学・分子生物学研究科の若いBin文副教授と康?副教授のほかは三人の講師で、初めて見た顔ばかりでした。
劉丹はQuantitative PCRの現状と問題点について調べたことを纏めて発表しました。300編に及ぶ論文を読んで勉強したのですよ。qPCRは方法としては素晴らしいものですけれど、これだけデータ処理について論文が書かれるくらい問題があるってことです。
発表の後、審査の先生たちから質問が山ほど殺到しました。言うまでもなく、まだこの大学では(うちの研究室で一ヶ月前から使い始めただけで)誰もqPCRの経験がありません。
「これは技術の方法を述べただけで実験がないじゃないか」と意見が出ました。劉丹も実際の実験をしてデータ処理をしていますが、そこまで述べると長くなりすぎるので、ここでは割愛したのです。
さらに、「qPCRを紹介しただけじゃないか」という人もいました。でも、qPCRのデータ処理の仕方に沢山のやり方があり(それで論文が沢山出ているわけです)、その主なものを述べてその優劣を論じたのですよ。短時間の発表なので、そこまでは分かり難かったのでしょうね。
それでも若い先生たちの興味を惹きつけたようで、qPCRの再現性の良さはどうか、色素はどれが良いか、データ解析にはどの方法がよいのかとか、Cqをどうやって出すのか、Efficiencyが1でないのはどうしてかなど、さらにはもっと聴きたいからと言って劉丹の電話番号を訊いている先生もいました。劉丹一人で25分。
馬燦然と毛艶麗はがん細胞の転移を抑えるガングリオシドGD1aのシグナル経路の研究でした。二人の違うのは、馬がLewis細胞を使い、毛がNIH3T3細胞を使っただけで、GD1aの想定経路を阻害するために使った阻害剤も同じものでしたので、このブログでは一緒にして扱いますね。馬燦然は20分、毛艶麗は15分で解放されました。
この二人の研究発表のミソは、本学始まって以来初めてqPCRを使って実験をしてその結果を発表したことです。
阻害剤を使う研究にここの先生たちは慣れていますから、用いた阻害剤の濃度を決めた理由は何か、細胞増殖への影響を何で調べたかなど手慣れた質問がつづきました。
細胞増殖への影響は一度調べただけで、ここに結果を見せていますし、用いる濃度もそれだけで決めていますので、「何だ、一度しか調べていないじゃないか、三度やらなきゃ信頼できない」と、まるで、論文を投稿したときの論文審査のレフェリーみたいな態度で言い出すのですよ。
「GD1aシグナルへの影響を阻害剤を用いて調べる実験は何度やったのか?」
「独立に三回実験しました」
「それならp valueが出るはずだ。見たところ(3回の実験で得られたSDが図に示してありますが、p value>0.05だったので書かなかったのです)誤差が多すぎて、これではこの結果は信頼できない」と、まるで鬼の首を取ったみたい。
p value>0.05だから結果は信頼できないというのはその通りですが、誰に向かって言っているんですか。
研究室に配属されて、初めて動物細胞を培養して、初めてミクロピペットを持って、0.2マイクロリットルを入れるような根を詰める実験をしたのですよ。しかも期間は3ヶ月です。その卒研生に向かって、これはASKING TOO MUCHというものです。
結果が信頼できても出来なくても、ともかくやったことを発表することが義務付けられているわけです。聴いている先生としては、「そう言いたいのは分かるけれど、p value<0.05になるように実験を繰り返さないと、誰もが納得できる結果にならないんだよ」と言えば良いのにね。
来年までにぼくは中国語をマスターして、彼らの学生の発表を聴いてみましょう。断固、決めたぞ。。。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
昨日は夏至でした。長い瀋陽の冬が終わった四月初めから、昼間の時間が長くなるのを楽しみに暮らしてきましたが、もう終わってしまったのですね。論文作成に取りかからないといけません。
毎日の曇天ですが、今日は端午節で、お休みなのだそうです。昨日は国際交流処の徐寧さんが、大学からの贈り物といって「粽子」の詰め合わせを持ってきてくれました。
一昨日は、突然見知らぬ学生の訪問を受けました。
自分は内蒙古の大学の4年生だが、日本に行きたいので紹介してくれ、というのです。びっくりして言葉が出ませんでしたよ。
その大学にいる先生が日本にいたことがあり、間接的にぼくのことを知っているので、ここに来たのだ、日本の大学院の何処かに紹介して留学できるようにして欲しい。
彼女の名前を訊いて、その先生の名前を尋ねてみましたが、知らない名前だし、その人がぼくを知っているという心当たりがありません。
たとえその先生を知っていたとしても、この見知らぬ彼女が知人の知っている学生と言うだけで、この学生のことを保証して日本の大学の先生に紹介することなど出来るわけがありません。
責任の取れないことをしないと、ぼくは宣言しています。つまり、ぼくたちのところで研究をして2年以上いたか、あるいは、それに相当する親交のある学生に限って紹介状を、もちろんその時は真剣に、書きます。従って、卒研生でここにいたくらいでは紹介状を書かないことになっています。
それに、せめてその先生が紹介状を書いて、それを持ってくるのが常識でしょ。どうやってぼくを知っているのか知りたいから、その先生に電話をするように言ったら、彼女は自分の携帯電話で電話を掛けました。
彼女とは言葉が通じないので、うちの院生に同席して貰っていたのですが、電話をその先生に掛けて、「今、薬科大学に来て老師と会っているが、ここで受け容れてくれると言っているが、先生と話すことが必要だと言っている、どうかこの電話で話して欲しい」と、言っているんですって。
そんなの嘘ですよね。この院生を介して話しをしていますから、この学生が嘘を言っていることがみえみえで、この院生の顔も険しくなりました。
電話を終えて言うには、その先生は、「老師に及ばない遙かに低い存在なので、自分は電話でお話しなど出来ない、瀋陽まで会いに来てお願いする」と言っているということでした。
飛んでもないですね。ぼくのE-mailを知っているのだから、そこに書くよう伝えてくれと返事しました。
それでも話を聞いていると、ぼくの連絡先、電話、E-mailを知っているだけではなく、お隣の池島さんの資料も同じように持っていました。じゃ、ぼくはお断りだけれど、お隣で頼んでみたら、と言って彼女に出て行って貰いました。
後でお隣さんから聞きましたが、同じように断ったそうです。
このように紹介をして欲しいと突然見知らぬ人が押しかけるなんて、全く驚きですが、これが中国の常識なのかどうか知りたくて、お隣さんにも、学生たちにも訊きました。
やはり、こんな非常識はないそうです。そうでしょうね。
カテゴリ:研究室風景
さえ:
卒研生の発表が終わると、彼らは忙しかった実験と卒業論文書きから解放されてもう研究室には出てきません。それで、その日の夜、研究室の送別会を開きました。場所は新洪記です。
個室を取って、他に5年生の陳佳卉さん・3年生の宋紫微くん・3年生の郭春子さんも一緒に招きました。陳佳卉さんは3年前に某実業家の別荘に一緒に行って以来の、そして宋紫微くんは昨年夏に研究室で一緒に夏を過ごして以来の仲好しです。郭春子さんは卒研生の劉くんのガールフレンドで、たまたま宋紫微くんと同じクラスでした。
どうして知り合ったの?と尋ねたら、それがとてもドラマティックなのですよと郭さんは話してくれました。
大学のあちこちで朝早く学生がそれぞれに陣取って、大声で英語を話す練習をしているでしょ。大抵は英語を怒鳴っていて、発音を直したくなる話し方ですよね。
その郭さんが、一年生の時毎朝校庭の一画で英語の練習をしていると、劉くんが通りかかって、「その発音は悪いよ。ぼくが教せえてあげるよ」と言って、それ以来毎日英語を教わったのがきっかけなんですって。
わーお。これだあ。女子学生に近づく方法を教わりましたね。日本語の勉強をしている女子学生があったら、もっと自信を持ってぶつかれるんだけどなあ。
卒業する人たちに、この先何になりたいのか、どんなことをしたいのかを話して貰いました。
張笑さんは8月には彼女の夫のいるニューヨークに向けて出立します。夫のいるStony Brook大学では見つからずに、New Jerseyの大学院に行きます。夫君とは週末にしか会えない生活でしょうけれど、博士号を取っても研究も続けたいし、幸せな家庭も築きたいと夢見る瞳で話していました。
最初に会ったときは、彼女はおとなしくて線の細い美女なので、将来は研究者にになりたいと言っているけれど大丈夫かなと思いました。でも、ジャーナルクラブでも段々しっかりとして来て、データも信頼できるように頼もしく育ちました。残念ながら彼女のやった研究はテーマが大きすぎて答えの出る前に終了になってしまいましたが、その後は林音知さんが引き継ぎます。
同じく修士を卒業する朱さんは、1年前の春にはハンブルグに留学したいと言っていて、夏にはウイーンに行くといいだし、そして12月には日本の岡崎にある分子研究所に行くと言う強い希望になりました。今後三年間は岡崎で博士課程の研究をして、その後も研究を続けると言うことですが、何しろ、一年間に希望がクルクル変わるひとですから、将来の確かなことは分からないと、自分でも言って笑っていました。
頭の良い学生ですから、彼女にとって未知の構造生物学の研究を経験することで、さらに研究の幅を広げていくでしょう。
馬さんは大阪大学大学院、毛さんは東京大学大学院、そして劉くんは上海交通大学に行きます。
食事の部屋の電気が一時切れて予備照明に切り替わり、これがちょうどぼくの坐っているところに、スポットライトみたいに当たるのですよ。
じゃ、ショータイムだ、なんてことになり、ぼくの隣に坐っている劉くんがサンタルチアを歌い、次にぼくがオーソレミオを歌いました。
歌詞を半分くらいしか思い出せないのですが、今は本当に便利ですね。馬さんがケータイ電話を出して、チョチョイノチョイ。ネットで調べて見付けてくるのですね。何年も歌っていないのに、まあ、良いか、みんなへのサービスだよと、イタリア語の歌詞を見ながら、気持ちよく歌いました。
おさえちゃんがいたら、死んでも止めてみせるわと言ったと思いますけれど、ぼくは研究室のボスですから、へたくそな歌もご愛敬です。皆が優位に感じるものがあることを見せなくっちゃいけません。実際、雪城くんは、良い感じで恋の歌を歌っていましたよ。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
大学に入ってくると垂れ幕のお出迎えですね。今は卒業時期で、ドロノキの並木に渡して、実は垂れ幕ならぬ横断幕が何本も掛けてあります。
その中に、「青春に悔いなし、笑って別離を迎えよう、壮志を持って勇んで(未来に)挑戦しよう」なんてのがありました。
実際、六月は別離の季節です。薬科大学で三年を過ごした杉島和子先生が帰国されることになり金曜日の晩、集まって別れの宴を張りました。
杉島先生は大学の中薬学部に日本語クラスをもう一つ作ることになって、急遽求人があり、そのため9月でなく一ヶ月遅れた赴任でした。日本語教育に一家言があって薬科大学の日本語教育に大きく貢献されたと言うことです。日本人教師の会でも、話しが紛糾しそうなときに、何時も落ち着いた声で的確な論理に基づく発言があって、みんな改めてその指摘に気付いて収拾を図るというのがいつものパターンでした。
それだけに威厳があって、近寄りがたく、何時もドジなぼくは絶えず叱られているような気がしていました。つまりはさえと同じように、しっかりとした自分の考える筋があってそれを通す方ですね。
もう年齢も重ねたので、合計7年の中国の生活をお終いにすると言うことでした。お幾つか知りませんけれど、全然高齢には見えません。
皆が集まって、宴席で開始の挨拶としてぼくが送別の辞を述べて、じゃ杉島先生のご健康を願って乾杯というと、あれ、多田先生が、なんて言う声が挙がって、あれま、多田先生が乾杯の音頭かなと思ったら、実は多田先生も帰国されるので今日はお二人の送別会だったのでした。
何とも、とんまな話しですね、ぼくは全く知らされていませんでした。
多田先生は2009年まで3年間薬科大学の日本語教師をした後一旦帰国し、しかし急遽職を得て、東北大学の日本語学科で教鞭を執っておられました。日本人教師の会では会長でしたし(ぼくはその時、補佐役の一人でした)、元は読売新聞の記者でしたので、すべに亘って造詣が深く、話を聞いて何時も勉強になっていました。とても穏やかな性格ですが、思慮深く、教師の会の会長として頼もしく、かつ重要な存在でした。
彼の在瀋陽5年間に、瀋陽を訪ねてきた彼の友人が三十人以上というのは、どれだけ彼が人から信頼されていたかを物語ります。
こうやって日本人が集まると、日本語で心置きなく話が出来て、良いですね。ぼくには、この頃ではなかなかない体験です。中国の学生の話から、自然と中国での生活、中国人の暮らしや政治がどうなるかという方向に話しが向きました。
今年は日中国交正常化40周年ですが、南京大虐殺問題とか、尖閣諸島を巡って日中関係は不穏な空気が漂っていますです。この状態はずっと続くのじゃないかというのが、私たちの一致した見方でした。
老順口という大学からさほど遠くないレストランは、グルメの多田先生が見付けたところだそうです。料理は美味しく、店の雰囲気も良く、集まった六人が談論風発、9時過ぎまでつい時間の経つのを忘れました。
集まったのは、お二人とぼくの他、石田、春日、田中先生の六人、全員割り勘で一人60元。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
5回にある教授室はグランドに面していますから、窓に近づくと、学生たちが何をして楽しんでいるのか直ぐに分かります。
学部学生の体育の時間は、冬はスケートで夏はサッカーでしたが、三年前くらいからソフトボールを導入して、賑やかに練習をしています。
バッティングは棒の上にボールを置いて、バットを振って打つのですが、最終的にはどれだけ飛ばせたかで点が付くのですって。
投げるのを見ていると、男の子でも日本の女の子なみの投げ方ですし(もちろん日本で女子ソフトボールをやって人たちは男子以上ですけれど)、あれならぼくだって出来ると思いますし、そう思って見ているうちに、自分でもやりたくなってきました。
と言っても中国語が儘ならず、どうして良いか分からなかったのですが、薬科大学で日本語教えている先生なら、その学生が体育の授業でソフトボールをやっている訳だし、うまく話を付けてやらせて貰えるかなと思いついて、田中義一先生にお願いしました。
田中先生に狙いを付けたのは彼は未だ五十代前半で若いし、筋肉もりもりだからです。定年後に赴任した春日先生は、身体が痛いと言うことだし、お願いしても駄目そうに思いました。
そうしたらですよ。日曜日の朝やっているからどうぞということで、昨日朝出掛けました。
一つは薬科大学の学生チーム、もう一つはこの大学の人も含めて大人のチームで、大人チームはお揃いのユニフォームです。この大人チームに空きがあって、ぼくたち二人は迎え入れられました。
やってみて驚いたのは、ピッチャーから投げられる山なりのボールです。まともなところに入ってこないので、選んで待っているとフォアボールになってしまいます。打ちたくてソフトボールのゲームに入ったのですから、バットを振るのですがタイミングが難しいです。2回ともゴロでした。
それよりバッターに立った時点で、1ストライク1ボールなのです。
そして2ストライクの後、ファウルを打つとそれでアウト、と言う規則。驚きましたが、こうでもしないと、攻撃が終わらないからでしょうね。つまり、守るのは上手ではありませんから、攻撃有利なのですよ。
5回の攻防があって、薄曇りなのに、大いに汗を掻きました。それに東工大を辞めて以来テニスをしていませんから、十五年ぶりに走ったのですよ。
自分でも、実は驚き呆れていますけれど、楽しい時間でした。次の日曜日が待たれます。
カテゴリ:薬科大学
さえ:
朱Tongの修士発表会は日曜日、6月17日午後に行われました。彼女は薬理学に属しているので主査は楊静玉教授で、後はお隣の夏老師のほかは顔を知らない副教授らしいのが三人。発表する人が7人いるセッションで、午後1時から4時まで全部の人の研究を聴きました。
中国語が分からずに聴いているのですから、まともな評価は出来ませんが、うちの研究室の卒研生の発表レベルとさして代わり映えのしない内容の発表が三つありました。高血圧のクスリの作用を調べているようですが、実験動物は高血圧モデルではない普通のウサギです。
こんな実験で大動脈を取り出されてしまうウサギが気の毒みたいです。同じ研究室で中身のある発表がありましたが、この学生は何処かの名のある研究所に派遣されて、そこでこの研究をしたとか。
朱Tongは男っぽい衣装で颯爽と登場して話し始めたのですが、直ぐに主査に腰を折られました。彼女は下を向いて原稿を読んでいたので、原稿を読みあげるな、皆に向かって話しなさいという命令でした。
うちでセミナーをしていても、特に朱TongはPPTでスクリーンに写っている内容を読み上げる傾向があるので、ぼくは何時も、Do not read it up, but speak to the audience. と言っています。言うまでもなく、読み上げられると人の話を聞いている感じではなく、つまり話しが迫ってくるものを感じないわけですね。何時も聴く人に話しかけないと、話しの効果が激減するからねと学生に言っています。
今までいくら言い聞かせても分からなかった朱Tongも、こうやって論文発表の場で主査に注意されたので身にしみて分かったでしょう。ここに出席していたうちの学生も良く分かっただろうと期待しましょう。これだけでも、朱Tongは発表した甲斐があったというものです。
朱Tongのリハーサルの時は、話し方が単調すぎて、どういう意味を持つのか、何が大きな発見なのか、何処が問題点なのか、せっかく良い内容なのに訴える力が弱すぎると言う印象でしたが、今度の中国語の話しでそれは克服されていたでしょうか。
Neu2の強制発現で、糖タンパク質のどれかのシアル酸が外されて、その結果影響を受けた○○というタンパク質が細胞増殖を変えて、G2/M停止を惹き起こしたと言う研究内容です。もちろんどのタンパク質がNeu2で切断を受けたのかここでは調べるに至っていませんが、話の筋は確かなものになっています。
その糖タンパク質をどうやって見付けるのかと言う質問がありましたが、それはこの研究の先の展開・研究の展望というところですね。今の内容には直接関係ない質問です。
Neu2の発現をmRNAとシアリダーゼ活性だけで議論しているけれど、どうしてなのかという質問には、まだ抗体がないからです、と言う答えで終わってしまいました。
Neu2は細胞質に発現することが知られていますから、細胞質の糖タンパク質のシアル酸が外されたと考えるのが自然です。でも、糖タンパク質は細胞膜表面に沢山あります。強制発現したNeu2は細胞質だけに発現しているのか、細胞膜には全く発現していないのか、きちんと調べないといけません。こういう質問こそ、この発表ではクリティカルな質問と思っていましたが、誰もそれを訊きませんでした。つまり、そこまで彼女の研究内容が理解されなかったと言うことでしょう。
抗体が手に入らないので、GFPに結合したNeu2を作って発現させる必要があるでしょうね。
カテゴリ:研究室風景
さえ:
卒研発表の翌日の卒研生は、卒業論文を大学の指定通りの書式で書いて出すのに大忙しでした。大学に出す書類を教授室のPCとプリンターで打ち出しているあいだ、卒研生の女子学生の一人・毛艶麗とお喋りをしました。
「これが済んだら旅行をします」とのこと。卒業生は卒研から解放されて、思い思いに次の進学までの時期を楽しみます。でも、聞いていると、7月に入ったら北朝鮮との境にある長白山という山に、誰かと行くのですって
その誰かは、今までの友だちではないし、未だ会ったこともない男子学生なのだそうです。これって、ぼくが詰問して聞き出したのではないですよ、彼女が問わず語りに、次々と話してくれたことです。
ネットで知り合った人なので、まだその人の名字も知らず、通称しか知らないというのです。段々心配になってきました。
その学生は、日本人で、日本の○○大学経済学部を出て、この三月から北京の大学に留学していて、ブログを書いているのでそこで出合って(知り合って)、日本語と中国語の交換教授をしましょうということになっているのですって。
もう3ヶ月もネットで付き合っているから、知らない人じゃないです、先生、心配しなくても大丈夫ですよ、前にも知らない人と旅行したことがあるんですから、と彼女はけろりとしていますが、前に大丈夫だから今度も大丈夫ってものじゃないでしょ。
3ヶ月ネットで付き合っていたからって、知っていることにならないでしょ。
でも、彼の電話番号も知っていますし、大丈夫ですって言うのですよ。
日本で、ネットで知り合って出会った女の子が殺された事件がありました。殺されなくても、レイプされるかも知れない。合意じゃなくて襲われてレイプされるかも知れないし、それだけだって大変なことですけれど、殺されちゃうかも知れない。一旦始まってしまったら、男は頭に血が上って冷静ではいられなくなる生きものですからね。
お母さんは、私はもう一人で10年生きて来たからと言って信用してくれます、と言うのですが、親元を離れて学校の寄宿舎暮らしが、一人で生きてきたことになるのでしょうか。何とも心配な話しです。
でも、親が認めているなら、三ヶ月間うちの研究室にいただけの学生にぼくが心配しても始まりません。せめて、彼女が予定日に戻ってこなかったら、その学生を見つけ出せるよう、手掛かりとなるようその学生のブログのURLを教えるように言って、もう諦めました。
だって、本人が未知の冒険こそ生き甲斐だと思っているのですもの。危険を織り込み済みで、それでも良いのなら、こちらの言っていることは無意味な年寄りの繰り言になってしまいますものね。
コメント:
浅はかですね! めぐみ さん
なんとも想像力に欠けているというか・・・。危険が迫らないと分からないのでしょう。
そのときには遅いのに・・・。
名前も教えあってない人と旅行するなんて、ありえない!
私たちが心配しても、どうしようもありませんけど、先生の身近にいるときまでは無事に帰ってほしいですね。 (2012.06.27 18:34:36)
めぐみさま shanda さん
ねえ、そうですよね。
向こう見ずで、勇敢で、冒険に命を懸けるのは男の本質ですが(ですから、早死にですね)、女性に女性であるだけで危険があるのは、何時の時代になっても変わらないのに。
これって親が教えることですよね。 (2012.06.28 09:54:25)
瀋陽日本人教師の会の資料室は、いまは中国人である劉凱さんのお店・千品軒に置かせてもらっているが、このお店の不動産の持ち主が代わったので、千品軒自身が追い立てを食ってしまった。
劉凱さんによるとお店は別の場所を探そうにも、瀋陽は今でも不動産景気がつづいていて何処も異常に高値の上に、しかも再開発が常に進行している。今度お店を出す場所はその先変わらないことを見極めたいので、簡単ではないとのことだ。いずれ、次のお店にも資料室を一緒に置くつもりだけれど、その店を探すのは時間を掛けたいと言うことである。
一方で、千品軒の劉凱さんは北の方に住んでいるが、都心の交通事情が悪化して、年年通うのに時間が掛かるようになったし、犬も飼っているので自宅を引っ越したいと言って、探していた。瀋陽市の南を流れる大河の近くに、十二年前に開発された住宅団地があり、そこが気に入って、部屋を借りることにして5月末には越した。
六階建てで、屋上がありこの一部は六階の住人に附属しているので、つまり屋上庭園付きで借りられる。
今瀋陽で一戸建てに住む人は政府高官以外にはあり得ない。それでも市内で、このように庭園を持てるなんてすばらしいことだろう」。
案内していただいたが、百平方メートル以上の広さの屋上に東屋も造ってあるし、リンゴ、桃、杏などの果樹が育って果物を付けているし、自分が食べる野菜を育てるには十分な広さの畑もあるし、ゴールデンレトリーバーの宝来が走り回れる広さだって十分あるし、宝来の身になってすっかり嬉しくなった。
さらに屋上に一部屋あって、ここに、資料室の本を入れることは可能ですという提案があった。本をここに置けば本は活きるが、一方で人が出入りして迷惑を掛けることになる。それで資料室の閉鎖の間はうちの教授室に置くしかないかと思っていた。
でも教授室が60平方メートルあるといっても、本を本棚に入れて閲覧を可能にする空間は取れない。6月の定例会では、一応そうやって資料室は閉鎖と言うことになったが、本が生きることに飛びついて、私の独断で決めて(あとは事後報告で)、新居の一室を本を置くのに使わせていただくことにした。
バス停からも近いし、安全性抜群な立地ですので、ここに来る教師たちの安全も大丈夫である。
この新居の佇まいがすっかり気に入って、私もこういうところに住みたい。家賃を尋ねたところ、毎日、水だけで活きていくならば住めそうだ。
資料室の移転は、お店の契約が8月末までなので未だ先のことかと思っていたら、6月中に店を明け渡したいとのこと。
従って資料室の本を運べるように段ボールの箱に詰めないといけない。それで、教師の会の人たち数人に当たってみたのですが、今は学期末で講義、試験、採点で大忙しでそんな時間は取れない、7月に入ればねという大方の返事だった。
この間資料室に行ったとき、ちょうどあった空き箱の本を入れてみて、この大きさの段ボールが20個あれば全部収まるという計算をした。その時本を詰めた感覚に基づけば20個くらいなら私だけでも詰められるかな。教師の会の人たちが来なくても、やるしかないと思った。
それでも院生の暁艶の助けを仰いで、水曜日の朝資料室に行った。
ぼくたちが行くとお大喜びの宝来はもう7ヶ月の青年で、成犬なみの体格に育っている。大きな檻が前後に大揺れで、早く出してくれとせがむので、しばらく宝来と遊んで作業に取りかかった。
本を段ボールの箱に詰めるのは、確かに大したことはないすが、この本を詰めた箱を動かさないといけない。それが大変。直ぐに気付いたオーナーの甥の于さんが、運び役を買って出てくれたが、最初数回運んだだけでも、それがそのあとずっしりと身体に応えた。
以前は本だけで6千冊近くあったし、本棚、什器、諸々の財産が沢山あって、資料室の移転はおおごとだった。今は幸いスリムで、ぼくたち二人と于さんが2時間強働いただけで、パッキングは終わった。
日本語の教材として紙芝居みたいに絵が描いてある厚い紙が沢山あったし、カセットテープも沢山出てきた。この二年間全く使われていなかったようなので、処分することを提案しよう。
それにしても、この二年間を思い返してみると、以前とは資料室の位置が変わってきたようだ。つまりみんなの心の中で大きな位置を占めなくなったみたいである。一つには集まることの出来る大きな部屋がないこともあるし、生活スタイルが変わったためだろう。
以前は中国で教師をすることは大変なことだったと思う。その中で顔を合わせて助け合うことは大きな意味があったに違いない。でも、中国が変わってきて、ここで暮らすことに大袈裟な決意が必要ではなくなったのだ。
資料室の意味を考え直すときが来たのかも知れない。
実際、資料室の移転のために本を詰めたこと、移転は業者に依頼すること、移転の後の本の整理にお手伝いをお願いしたいことを書いて会員に送ったが、丸一日半経った現在、誰からも、何の音沙汰もない。
それぞれが期末で忙しいのだおるけれど、これが教師の会における私と資料室の立ち位置を暗示しているように思える。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
6月も終わりになりました。6月のほとんど半分の日数は雨でしたよ。
昨日来の雨が上がった今朝は空気が綺麗で、大学に来て校庭を三周半歩きました。時間にして30分。距離は3 km。
故郷に帰るらしく寄宿舎から学生が荷物を持って出てくるのに出会います。沢山の人たちに囲まれて、泣き顔が多いでした。卒業生ですね。青春、旅立ちの始まりです。
話は違いますが、以前、同じ薬科大学の加藤正宏先生に案内されて瀋陽の街を歩いたり、骨董市を訪ねたりしましたね。あの頃は、中街の西大門の近くと、領事館の近くにそれぞれ古玩城があって、それを取り囲むようにして週末には市が立って、茣蓙や屋台の古物商が集まって店を広げていました。
加藤先生はその中の古本屋を訪ねて昔の教科書を漁っていましたね。ぼくたちはあれこれ眺めて喜んでいましたっけ。積極的に買ったのは、印鑑・篆刻用の石だけでした。
2階建ての古玩城の中は二三間の間口の個人商店で、本当に古物を扱っていました。ですから、骨董というのは時代じみた古物を言うものだと思っていたのですよ。おまけに店自体も綺麗とは言い難く、大分骨董品じみていました。
しかし本物の骨董は、この頃は賄賂に好んで使われているみたいです。賄賂の盛んなのはロシアで、中国も下から数えた方が早い清潔度に位置していると言うことです(1)。
“優雅腐敗”という言葉があるそうです。現在官僚のなかで、骨董品や書画を好むことが流行っていて、純粋な愛好家もいれば、金銭目的の人も大勢いるとのことです。高価な骨董品を入手して贈賄を行っても、直接の金銭贈与ではないため、いざという時、比較的逃げやすいといわれています(2)。
ひょっとして本物の唐三彩と思わせて偽物を賄賂に贈って、それが偽物とばれたらどうなるんだろう。便宜を図ってやった後だと、泣き寝入りかな。訴えるわけにも行かないし。でも、間に骨董を扱う業者が入るわけだから、騙し合いの構図は複雑ですね。真実は骨董業者も知らないでいることがあるかも知れません。
ところで、3月末に中国医科大学の前の目抜き通りに大きな古玩城が完成して、領事館近くの古玩城から多くの店が移ったという話を聞いていました。先日、瀋陽日本人会事務局に用事があって訪ねたら、それが同じビルだったので、覗いてみようかと思いました。
入ると豪華な吹き抜けのロビーに、白檀製のそれこそ清王朝の後宮にでも出てきそうな椅子とテーブルが並んでいます。二階に行くと、間口の広い個人商店それぞれがまるで博物館の展示場のよう。
入るのがためらわれる気持ちを振り切って、玉を置いている店に入ってみました。しかし、店の人は、こちらの身なりでお客でないと素早く見切って、全く知らん顔。骨董の鑑定眼だけでなく人物の目利きも確かのようでした。
引用
(1)『海外進出時の賄賂、ロシアと中国が深刻=日本は4位で「清潔」―Record China 2011年11月3日』)
(2)『(中国共産党政権はどこまで腐敗しているか(4)―腐敗汚職の手法から見る 2011/06/02)』
カテゴリ:インターネット
さえ:
インターネットで昨日はすべての写真が見られなくなりました。Yahooの海外ニュースが愛用なのですが、Yahooのすべて。それで新聞系を調べてみたら、Yomiuri新聞も、東京新聞も、Asahi新聞も、Nikkei 電子版のサイトも、すべてです。時事ドットコムは、アクセス不能です。朝日新聞ではDocomoの桑田佳祐のCM写真だけは出てくるのですよ。
ニューズウイーク日本語版、ロイター日本語版も軒並み写真が見られなくなりました。
Reuter.US(www.reuters.com/news/world)では画面に写真は出てきませんけれど、Videoをクリックすると見られました。米国のYahoo.comでも写真は全く出てこなくなっています。写真のなるべきところをクリックしても、駄目。
これはつまり、ニュースサイトの記事に付随した写真の意図的な遮断工作が行われたのではないかと疑ったのですよ。GDP世界第二位の大国がここまでやるか、って。
でもね、待てよと思って、ぼくのMacだけの現象かどうか疑うことにして、中国語のOSで動いているWindows PCを使ったら、何の問題もないのです。つまりぼくのMacのローカルな問題。
それで思い当たったのは、朝、Chromeを使えるようにしようと思って、Firefoxからデータを言われるままにインポートをしたのです。Chromeの評判が高いという記事を読んで、思い立ったのでした。
それでも念のためと思って、MacでSafariを使うと、何の問題もなく写真が出てきました。つまり、ぼくのMacでFirefoxだけがおかしくなっていたのでした。
原因はChromeにデータを転送したことしかないのですが、それだけのことなのにFirefoxを破壊することはないですよね。大Googleともあろうものが、やることが品ないですね。。。
それでも、依然としてここからはFaceBookもYouTubeも見られませんし、日本のサイトはアクセスできないか、出来ても写真は見られません。ネットサーフィンで遊んで時間を潰すことがないから、ま、いいか。
朝10時にネットで『新型 MacBook Air がクラッシュ―原因は Google Chrome?』と言うのを読みました。
ふむふむ、ぼくのは新型じゃないけれど、心情的に、犯人はChromeらしいという印象がとても強くなりました。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
2009年にさえのために買ったIntelMac Notebookの具合が悪くなりました。トラックパッドの下の、決定のクリックボタンが動かなくなったのですよ。マウスを繋いでも同じようにクリックで選択が出来なくなって、マックストアに行かなくちゃと言うことになりました。
もっともぼく一人では出掛けられないので、忙しい暁艶頼みです。やっと時間を作ってくれた暁艶はあちこちに電話をしてMacストアを探して電話を入れ、地下鉄の「青年大街」駅の近くの大きなデパートの中のApple shopに出掛けました。
しゃれた作りの店の、白い机の向こうに白くリンゴを抜き出した青いTシャツを着たアテンダントが三人いて、ちょうど手の空いた一人の体格のとても好いお姉さんが相手をしてくれました。
持っていたマックを出して、これこれがおかしいというと、ID(パスポート}は持っているか、このマックを買ったときの領収書を見せろ、持っていなきゃ駄目だとつれないのですよ。
暁艶がこの若い女のアテンダントの横柄な態度に呆れて、「買ったものが悪くなると一体誰が思って、ずっと領収書を持ち続けていると思うの。見りゃわかるでしょ。これは見てのとおりMacの正規品でしょ。直すのがこの店の存在理由じゃないの?」
そうすると、不承不承、このMacのシリアルナンバーはと訊くので裏のバッテリーを外して、ナンバーを告げました。
このシリアルナンバーを打ち込んでも、マックストアでは何の反応もないことは確かめてあります。だって、4年間の夏にこれを買ったとき、初めからHDDをSSDと交換するつもりだったので、マックストアで注文せずに一般のネット注文で買ったのです。
でもこのアテンダントは、自分の手持ちのMacBook Airにシリアルナンバーを打ち込んで、後は画面をを眺めているだけで何もしないのですよ。
そうこうするうちに暁艶が、PR Ramのリセットをやり出しました。これはぼくみたいにMacを長く使っている人じゃないと知らないテクニックですよね。暁艶に訊くと、電話をしたら教えてくれたのだと言います。
それってやってみたけれど無駄だったのにと言っているうちに、Macの再起動が済んで、そうしたらば何と、カーソルは動くし、クリックボタンがちゃんと反応するのです。「直った、直った。もう良いから行きましょう」と暁艶が言います。
でも、本当に直ったなんて信じられないですよね。
案の定、大学に戻ってMacを起動してもクリックは全く反応しません。ほら、駄目じゃないと暁艶にいうと、彼女は一元硬貨を出して下さいな、裏のバッテリーを外すからと言うのです。
そんなことしたって駄目かも、と言いながらも、でも、前はうまく行ったから、再現するために条件を完全に同じにするという科学的態度なんだねなどと、彼女をからかいながらバッテリーを外してPR RAMのリセットをすると、驚いたことにクリックが軽々と動くのですよ。
いや、もうびっくり。結局分かったのは、裏のバッテリーが恐らく経年変化で僅かに厚みを増して、その結果、表のクリックが動く物理的スペースが減ったが原因でした。
暁艶の「科学的に条件の再現」という愚直な操作の再現がなかったら、何故クリックが動かなくなったのか分からず、結局新しいMacに買い換えていたでしょう。
暁艶の態度に脱帽しました。
カテゴリ:中国の将来
さえ:
もう夏ですね。瀋陽は毎日が雨か曇なのに気温は30度を越し、日本の梅雨の時期のように蒸し蒸しとして、気分が晴れません。
先月、川で多数の子供が溺れ死ぬという事故がありました。特に痛ましいのは、溺れた友を助けようとして、多くの子供が溺れたのです。
添付の写真を見ると川と言っても大河です。6月9日午前10時40分ごろ黒竜江省ハルビン市呼蘭区の川で集団溺水事故が発生し、4人が死亡しました(1)。
『当日、男の子5人と女の子2人の7人は川のそばまで遊びに来ていた。うち1人の女の子が手を洗いに川に近寄った際に落水し、女の子がおぼれていることに気が付いた男の子5人は手をつないで女の子を助けようとしたのだが、不運にも5人全員が落水した。落水した場所の深さは4~6mほどで、溺水した6人を地元の人や漁師が引き揚げたのだが、助かったのは2人だけだった。彼らはいずれも15~16歳の若者だったという』
人が手でなにかに掴まってぶら下がっても、自分自身を支えていられるのはごく短い間です。人が手を繋いでも、水の流れがある中で、普通は一人の体重を支えるほどの筋力もないわけですよね。それでも水に落ちた友だちを助けようと、居合わせた友だちが全員で力を合わせて水の中に入って手を伸ばして、そして、ついに力及ばず全員が溺れてしまった情景が浮かびます。
痛ましい話しです。友情が命にも代えがたいものである子供たちです。大人になると、幼児が目の前でクルマに轢かれても見て見ぬ振りをして行き過ぎるようになるのに、まだ社会の垢にまみれていない子供にとってはこれが当然なのですよね。
さらに詳しいことは分かりませんが、『同日午後2時ごろ、山東省莱蕪市でも同市の川で遊んでいた中学生7人が集団で溺水し、同日午後7時50分までに7人全員引き揚げられたが、生存者はいなかった』ということです。
中国は今ではほとんどの家が一人っ子です。たった一人の子供を失った親の悲しみは何物にも代え難いものでしょう。Record Chinaによると「一人っ子」を亡くした親は全国で100万組を超えると見積もっています。
『中国にはそれに関する統計がないため、広州日報の記者が独自に概算してみた。国家統計局によると、2011年時点の総人口は13億4735万人。記事で紹介された、ある父親が住む江蘇省太倉県では総人口71万7200人に対し、一人っ子を亡くした親は115組。この割合で計算すると、中国全土で実に100万組以上の親が大事な一人っ子を亡くして途方に暮れている計算になる』
総人口と、江蘇省太倉県の人口71万7200人で一人っ子を亡くしたうちが115組と言う割合から、総人口13億4735万人x 115組 / 71万72人 = 200万組という計算が出来ます。数字が二倍になりますけれど。
子供の水死を巡って、それまで仲の良かった子供の親同士のつきあいが、一転して険しいものになるでしょう。命は換えられないとしても子供がせめてもう一人いたらと親が思うのはごく自然なことでしょう。
一人っ子政策の見直しは始終議論されているみたいです。一人っ子同士の結婚では子供を二人作ってよいことになりました。さらに、このままだと中国の人口は減るしかない、老人の比率が多くなりすぎて国が立ち行かなくなる、いや、人口が減ってやっと一人あたりのGDPが一流になるから良いのだ、などといろいろな意見が交わされています。
引用
(1)Record China 6月11日『児童の溺死相次ぐ=黒竜江省・山東省で同日に11人が犠牲に』
(2)Record China 5月11日『たった1人のわが子を…「一人っ子」を亡くした親は全国で100万組を超える』
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
グリーンカードの申請のために必要な、ぼくの無犯罪記録証明書が手に入りました。4月初めに、瀋陽の日本国総領事館に行って申請して両手十指の指紋を採取して貰いましたよね。それが日本の警察に送られて、次に外務省に行って、在日中国大使簡易届けられてそこで認証を得て、ぼくの元に送られてきました。
申請のためには健康診断が必要と言うことで、瀋陽出入境人員衛生検疫局と言うところに行ってきました。
出国したい中国人がここを訪ねてきて健康診断をいて貰うらしく、とても混み合っていました。
それでも列を作ってじっと並んで待ちました。割り込みをする人はさすがになくなっていましたが、それでも先頭の窓口に来て色々と尋ねる人が多く、これは総合案内係りを置けば、訊きたい方も、並んでいる方も、いらいらが解消するのにね。
20分近く列で待ちましたが、順番の来たぼくたちの応対から察して見て、決して、無能であるために列が長かったのではなかったのです。窓口の女性は有能に事務を処理していました。並ぶ人が多いからと言って受付を増やさないのは、ここが官庁だからで、仕方ないですね。
666元を払って、最初は胸部レントゲンでした。日本ですとあごをしっかりと載せて、つまり胸を感光フィルムホルダーの入った板に密着させます。何十年もこれでやってきています。
ところが、板の置かれている位置が高くて届かないのですね。板を押し下げてあごの下に持っていったら係官が飛んできて、直されました。つまりあごが板にぶつかり胸と隙間が出来たけれど、それでOKなのです。ところ変われば、品変わるの一例ですね。
次に二階に行って採血で外国人は中国人と別の窓口でした。心配で目をこらして見ていましたが、採血の器具は新しく、技術も手慣れたもので心配無用でした。
採尿は小さな20 ccくらい入る計量カップみたいなのと試験管を渡されました。トイレに行くと、便器にこのカップがそのまま数個、恐らく使用後、捨てられているのですよ。ぼくはそれでは、落ち着かないので横の棚に置いてきました。
身長体重は、計器に乗った途端に電子計測で、完了です。でも血圧は懐かしい手動方式ですね。
内科検診では型どおりに聴診器を胸にあててから、何か聞かれましたが、きっと難聴度を試しているのでしょう。でも、これはぼくには無理です。
眼の検査では最初が色盲検査で、ぼくが描くと区別できない犬か馬みたいなのが出てきて、これは難問ですよ。次に数字が出てくるのがあって、ホッとしました。
視力検査では眼鏡を外して、狭い部屋でどうするのかと思ったら検査表の向かいに鏡があって、鏡に向きあって検査です。こうやって距離を稼いでいるのですね。頭の良い方法です。
視力検査をしていると、周りの人たちが段々笑い出して最後には爆笑になったので訊くと、ぼくが最後まで見えるので、どうして眼鏡を掛けているのと言うことだったみたい。見えると言ったって、二重に見えて暈けているのですよ。でも画のどちらが切れているかは分かりますよね。
その後は心電図と内臓エコーで、肝臓に血管腫があると言われました、これは日本でずっと言われている見立てと同じです。受付の20分の後は、ざっと一時間弱でした。
この暑い日に何よりも参ったのは、朝から飲み水を禁止されていたことでした。外に出て直ぐに冷えた飲み水を買いました。
カテゴリ:研究室風景
さえ:
昨日、長白山に冒険に行っていた○○さんが、「先生。無事に戻ってきましたよ」と言って訪ねてきました。
輝く笑顔を見て、今までの心配が氷解しました。あまりにも気が張り詰めていたので、彼女の無事な顔を見ても、直ぐに言葉が出てきませんでした。
大丈夫だと言っていたけれど、何の保証もない。どんなことが起きるか分かったものじゃない。
と言っても、この世の中はお互いが百パーセント知って安心できるというわけでもなく、実際、殺人の三分の二は知っている人の間で起こります。
しかも100%安全なら刺激もなく、進歩もない。そんな生活には、ぼくでも耐えられそうもありません。
それにしても、知っている人と旅行をしても詰まらない、と言う○○さんの考えも過激ですね。
若い人の考えに付いていけない世代になってしまったことを実感しました。
それでも、○○さんの考え方は研究者としては将来が頼もしいものに見えます。研究って言うのは未知への挑戦ですから、これやっても大丈夫かななんて思うと、新しい研究を始められません。
分かったことに安住しない。何時でも未知に挑戦するという気概を持ち続ければ彼女は研究者として一流になるでしょう。
楽しみです。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
もやしは身体によいし、簡単に作れるという記事をネットで読んで、早速やってみました。
ピーナツもやしは、こくがあって美味しいと言うことです。ちょうど生の南京豆があったので、処方通りに水につけ、その後も水にかすかに浸るようにして、暗所に置いておくと数日でOKというのです。温度は25度あれば十分というので今時なら問題ありません。
ところが二日後に見てみると、発根しているピーナツはあるものの、あちこちに白いカビが生えています。カビを手で取り除いて、綺麗に洗って、また暗所に置きましたが、翌日、同じように白いカビに覆われているので、諦めて全部捨てました。
ちょうど、その頃、劇物を添加物にしているもやし栽培が摘発されたなんて記事がありました。遼寧省瀋陽市で摘発された使用禁止の添加物を使った「毒もやし」の製造業者の写真が載っているのですよ(1)。
暗くて、湿度百パーセントで、暖かければ、カビには理想的な環境ですから、どうしても防黴剤が必要です。でも、カビには効いて人には無害なんていう都合のよいものを手に入れるのは簡単ではないでしょう。だから商売でやっている人は劇薬を使って、たまたま不運にも、摘発されたのでしょうね。
それでも、カビを抑える良い方法がないかと思って、またネットを見てみると、明るいところで育てるもやし造りの記事がありました。
読むと、最初に豆を水に浸した後は、明るいところで、乾かないように通気性のあるプラスティックの袋を被せ、後は一日2-3回水で洗ってやると言う方法です。これだと、日に当てないもやしではなく、市販のカイワレ大根みたいな緑の葉が出来ますね。
この方法だと、毎日水洗するし、日はあたるからカビが生えてこないで、「もやし」が収穫できますね。それで、緑豆を使って早速試しました。三日目に、もやしを使った料理を作って、いままで、もやしそのものが美味しいと思ったことはなかったのですが、感激しながら食べました。
引用
(1)Record China 6月23日(土)18時35分配信『中国の「食の安全」を政府や企業に委ねるな、社会全体で立ち向かおう』
20日、中国の時事週刊誌・南風窓は、中国の「食の安全」は産地から食卓に至るすべての段階で深刻な問題を抱えていると論じた。
カテゴリ:薬科大学
さえ:
昨年度から生物化学と分子生物学が一つになって、ぼくは分子生物学の一部を担当しています。14回の講義が終わって試験をしました。
11題出した中の一つに、直線状のDNA複製に関わる「末端複製問題」を出しました。答は6つの中から選ぶのですが、ちゃんと理解していないと出来ません。二クラスの答案のうち、一組の答だけきちんと調べたのですが、正答率は19/33でした。
次に問題を書きますが、Eのみ○です。
7. 直線状のDNA複製には「末端複製問題」がある。複製を繰り返すとDNAの末端から短くなってしまう問題だ。酵母などでは、末端のヌクレオチドが失われてもテロメラーゼが働くことで問題を解決しているが、ヒトの体細胞ではテロメラーゼが働かないので、複製を繰り返すとDNAが短くなる。以下の記述でどれが正しいか。丸を付けよ。
A. 娘染色体のうちの一本の一端が短く、もう一本は両側とも正常だ。
B. 娘染色体のうちの一本の両端が短く、もう一本は両側とも正常だ。
C. 娘染色体のうちの一本の両端が短く、もう一本は片側だけ短い。
D. 娘染色体の二本とも一端が短く、これは二本の染色体の同じ側で短い。
E. 娘染色体の二本とも一端が短く、これは二本の染色体の反対側で短い。
F. 娘染色体の二本とも両端で短い。
これに引き続いて、どうして複製を繰り返すとDNAが短くなるかを問いました。
8. 上記の「DNA複製の末端問題」、つまり、複製を繰り返すとDNAの末端から短くなってしまうのはどうしてなのかを説明せよ。
驚いたことには正答率は33人中5人でした。これこそ分子生物学の黎明期に、複製を調べていた人たちを悩ませた問題ですが、岡崎令治さんが明快な解を見つけ出して、Okazaki Fragmentに名前を残していますね。
きっとOkazaki Fragmentとは何かと質問すれば、皆喜んで答を書いたでしょう。DNA合成のところでOkazaki Fragmentを十分説明しましたし、Telomereのところでも、直線状DNAの末端がどうして短くなるかを説明するときにも再度述べました。
DNA複製で短くなることを聞いて、「複製を繰り返すと短くなるんだ」と覚えても、どうしてかと言うことに頭を使って考えようとしていないから、ぼくの説明が上っ面を滑って行ってしまったのでしょう。
普段の講義でも、どうしてかを考えるように仕向けていますが、未だまだ足りないみたいです。
カテゴリ:研究室風景
さえ:
瀋陽は未だ梅雨明け(?)しない天候が続いています。日中の温度は30度を超えますし、湿度が高く、クーラーを点けることが多くなりました。
特に実験室は土埃の侵入を防ぐため、窓を開けることを禁止している代わりに、必要なときは何時でもエアコンを点けるようにしています。今は暑いですから、実験室の院生はクーラーをONにして、しかも直ぐに冷えるようにと思うのか18度くらいを設定温度にしてエアコンを動かしています。
設定温度を下げても早く冷えるわけではないといくら言っても、若い人には効き目がありません。そして部屋が冷えてくると、温度を24度くらいにして、エアコンの近くの人はセーターを羽織ったりしているのですよ。
室温を24度まで冷やすのはエネルギーの無駄遣いですから、見付けると、エネルギーを無意味に消費すると、大学の光熱費が高くなるし、国の電力を無駄遣いすることになるのだから、夏は27度に設定しなさい、と言っています。ぼくがいないとき、実験室にいる年長の暁艶も皆に注意しているのですが、「私が言っても効き目がありません」というのです。
卒研生も、修士を出た院生もラボに来なくなったので、先日、残ったみんなを集めて色々と今後のことを話し合いました。
研究室の人数が少なくなりましたから、まず、部屋のドアを閉める原則を相談しました。528と527のドアは廊下を挟んで向かい合っています。527の部屋で誰かが仕事をしているので、実験室に誰かがいるからと安心して528の人が食事に行ってしまうと、528の部屋は無人のままになります。つまり、盗難が怖いですね。
このとき、528のドアをロックしていけばいいのですが、527の部屋の奥で細胞培養をしている人は、528に誰かがいると思っているのに、実は自分一人だけという状態になります。つまり、これは安全が脅かされる状態です。
色々と話し合って、527と528のどちらかに人がいるはずの状態でも、その部屋を無人にするときはドアをロックすることに、全員が賛成しました。そして、もちろん最後から二番目の人は、残りの人が別の部屋にいても、声を掛けてから出て行くことにしようと。
そしてついでに、部屋の冷房も、27度に設定してそれ以下にはしない、それは電力の無駄遣いで、それに平気でいることは犯罪的でもあるとまで言って、皆の注意を促しました。
その結果、無意味に部屋を冷やすことはなくなりましたが、暁艶が同じことを言っても気にもしない、しかし、ぼくが言うと直ぐに言われたとおりにするというのが、気に入りません。
つまり、ぼくの言っていることが正しいからと納得して実行しようというのではなく、ぼくがここでの権威だから、言われたことに反すると怒られるし、それにほかのことも考えるとそれじゃ拙いから、ともかく(それが良いか悪いかの判断をすることなく)従うと言う態度のように思えます。
この國の数千年の歴史を見ると、『上有政策、下有対策』で、したたかに生きてきた庶民ですし、権威には逆らわず、しかし『面従腹背』をやってきた人たちですから、当然なのでしょうけれど、ぼくの熱意も善意も、真意もすべて空回りという空しさを覚えますね。
カテゴリ:薬科大学
さえ:
分子生物学の講義では、転写制御因子が再三出てきます。一番最初にはラクトースオペロンを制御しているリプレッサーで、リプレッサーが認識するDNA配列が出てきますし、しかも、それがパリンドローム(回文構造)であることも出てきます。
つまり、転写因子はDNAの塩基配列を認識するのですが、DNAらせんを作っている塩基対を壊さなくても、外側から、塩基の、水素を受け取って水素結合を作りうる窒素とか酸素がここにあるでしょ、とか、水素を出して水素結合を作れるNHがあるでしょ、このパターンは、AT塩基対の場合とGC塩基対の場合と違うし、あるいはTA塩基対、CG対とも違うので、外から、塩基対が何か、つまり塩基配列が分かるのですよ、と、図をみせて、言葉をつくして説明しているのですよ。
ですから、出来るかなと思って次の問題を出しました。
6. 遺伝子制御因子(転写因子、活性化因子、サプレッサ-などのいろいろの名前で呼ばれるものを含む)と呼ばれるタンパク質は、DNAらせんに結合してDNAの塩基配列を見分けることが出来る。塩基対を作っている水素結合を阻害することなく、どうやってA-T対と、G-C対を見分けているのか、挿入図を参照しながら説明しなさい。
これは、『副溝(それぞれの図の下側)から見ると、Gの3Nは水素結合のアクセプター(=A受け手)、Gの2Nのひとつの Hは水素結合のドナー(=D供与者)、Cの2Oはアクセプターとなる。次のA-T対の場合は、副溝から見てAの3Nが水素結合のアクセプター、2Nの一つの水素は供与者、Cの2Oは水素結合のアクセプターとなる。
主溝から見た場合も同様に説明が出来て、これを図に書き込むと、一目で分かるように、水素結合を作りうる空間的パターンが違うから、A-T対と、G-C対を見分けることが可能である』と言う答になるでしょう。
でもね、これがちゃんとで出来た人は3人だけでした。うんとおまけを付けてあげても、あと3人ができただけです。
つまり、DNAを認識する転写因子がどうやってDNA配列を見分けることが出来るかを一生懸命話したのですけれど、殆どの人たちにとっては全く興味が持てる話しじゃなかったのでしょうね。
タンパク質がDNA配列をどうやって見分けるかという質問を出して、一緒に考えるようにしたらいいかも知れません。
試験でよい点を取るために覚えることには熱心ですが、頭を使って考えることが苦手な中国の学生たちに、どうやったら皆が興じてくれるか、この次の講義ではうんと工夫を凝らしてみましょう。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
日曜日には、資料室のもろもろを預かっていただいている劉凱さんのお宅を訪ねました。6階建てのマンションでエレベーターはなく、しかし6階の住人は自分の専有面積分の屋上が自由に使える上に、もう一部屋あるのですよ。
その屋上の一部屋に、資料室の書棚(5個で、4.5メートルの巾があります)が、壁一面に楽に収まりました。最初はある程度本の入った段ボールを開いて、全体の整理の案配を付ける程度に思って出掛けたのです。でも、結局、それでは片付かないので、一緒に来てくれた暁艶と二人で、本をすべて並べて、教師会の資料も書棚の下と上に並べました。
本は種類別に、しかも作家の五十音順整理してありましたが、今は種類別に並べることしかできませんでした。これだけでも大変な作業でしたもの。また何時か出掛けていって、整理しましょう。
2時から始めた作業が6時に終わって、それから宝来と一緒に散歩に出掛けました。この大きな住宅団地は直ぐ南に大河が流れていて、この川に沿って広い公園が作られているのです。
歩いて二三分で公園でした。折から日曜日の夕方で、大勢の人たちがそれぞれ散策したり、遊具でエキソサイズをしていたりしていて、ぼくたちもフリスビーを持っていって遊びました。
密かな目的は宝来をフリスビー犬に仕立て上げることにあるですが、宝来はぼくたちの投げるフリスビーを追いかけるものの、さて実際にフリスビーが落ちてくるとどうして良いから分からず、まだ時間が掛かりそうです。宝来はこの公園に初めて来たわけだし、何となく落ち着かないという様子でした。
その後、川沿いの遊歩道を東に歩きました。
大きな河の縁は綺麗に整備され、柳の大木が植わっている感じは、昔良く眺めたいわゆる泰西名画に出てくる風景画を思わせる落ち着いた美しさでした。何よりも驚き、かつ感激したのは、河に沿って4 kmくらい歩いたのですが、何処にもゴミが落ちていないのです。
中国人は世界のあちこちで批判されていますけれど、綺麗にする気なら、公園をこれだけ綺麗に保てる人たちなのですよ。実際、綺麗に保ちたくなるほど美しい公園が続き(このままの公園と遊歩道が続いていて、西に自転車で二時間行くと東陵に着くのだそうです)、日本でこのような美しい河の眺めを見たことがないように思います。
そう言えば、訪ねたマンションも、入り口も廊下も階段も綺麗で、未だかつてこんなに綺麗な総合住宅を見た記憶がありません。12年前に分譲されて、当然、これが買える豊かな人たちが入ったわけですが、「衣食足って、礼節を知る」と、格言に言うとおりですね。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
グリーンカードの申請には、日本での無犯罪記録を取り寄せましたが、中国での記録も必要で、それはグリーンカードの申請以前に個別に申請して調べて貰わなくてはなりません。
以前から分かっていることなので国際交流処には、必要な書類はこれこれ、大学が書いてくれる書類はこれこれ、証明を貰うために必要な大学の書類はこれこれと言って頼んでいるのですが、これがなかなか。
国際交流処では、徐寧さんの相棒の葛さんが妊娠中のため加重労働なのか、なかなか埒が明きません。
やっと、月曜日に在職証明を貰って近くの公安(警察)の派出所にいきました。受付で指示されて、境外人員住居登録という部屋に行って、暁艶が書類を出して、むこうから指示されるままの書類にぼくが署名をしました。小さな部屋で、窓を開けていますが温度は30度で湿度は90%くらい。暁艶が書類を書いている係官を手持ちの書類入れで扇いであげていました。
そこで二階に行けと言われて二つの部屋を覗きましたが、何処でも埒が明かず、どうも書類が不備だったようです。
火曜日の朝、暁艶が国際交流処の徐寧さんを訪ねていって必要な書類を頼み込んで貰ってきました。先ず、近くの派出所に行って、今度はOKみたい。
次は何処?と言うと、北陵公園にある、何時もVISA更新の申請に行く公安局にいくのだそうです。雨は降っているし、地下鉄まで歩くのを避けて800番のバスに乗りました。道の混み具合からタクシーに乗っても時間は同じなのです。
バスで55分かかって、窓口は11時30分に閉まってしまいますから駆け込みセーフと思ったのです。ところが係官は、ちらちらと書類を見て、パスポートのコピーが全部でないから全部のコピーを作れ、古いパスポートのコピーがB5判でなされているが、A4判でないと受け付けない、コピーをやり直して午後1時以降に来るように、というのです。
古いパスポートはたまたま瀋陽で持っていて、それのコピーが必要だと交流処で朝言われて、暁艶がコピーしたのですよ。
北陵の公安局出入境管理庁の1階に行ってコピーを頼もうと思ったら、一枚1元というので暁艶がほかを探しましょうと雨の中を外に出ました。貴志先生がうちの研究室でコピーするとA4判20枚で1元を戴いていますから、相当高いですね。
大分歩いて1枚0.5元と言うところを見付けて、60枚30元を払いました。その後、また雨に濡れて昼ご飯捜しです。
午後は公安局の4階の「提案受理」という係りは空いていましたが、途中、係官がほかのところに助けに行ったりして70分掛かりました。詳しく受付書類を調べるのですね。2003年から大学の招聘教授になりましたが、その前も来ているでしょ。正確な時期を書けと言われて古いパスポートを調べました。
無犯罪記録証明を貰うのですから、確かに2000年、2001年、2002年に来たときも調べないといけないわけですね。
ぼくたちは専家証と言うのを貰って、その身分で働いていますね。その専家証は数年前から国際交流処が一括して預かっていて、今回はそれのコピーと本物とを持ってきて公安局に来ているわけです。
さて、係官は、専家証の発行の日付が2009年だが、それ以前は何をしていた?と言うのですよ。ぼくたちは真っ青。古い専家証も当然必要なのに、徐寧さんはそれを持たせてくれなかったのですね。
でも、幸い、その古い専家証の本物とコピーは次に提出すればよいと言うことで無犯罪記録申請を受理してくれました。杓子定規がここの官庁のやり方と思っていたのですが、このような対応もしてくれるのですね。朝から雨に濡れて歩き回って気分が悪いのが、いっぺんに良くなりました。
国際交流処との対処から、実際の書類書き、申請期間との対応まですべてを、暁艶がやってくれています。ぼくは付いて歩くだけなのです。すべてがうまく行ったら、大学の人たちも協力してくれていますけれど、暁艶が一番の功労者です。
カテゴリ:薬科大学
さえ:
昨日、実吉峯郎老師に会いました。2008年に四宮さんがここに来た頃ちょうど時を同じくして瀋陽薬科大学に来て3ヶ月間、二年生と三年生に有機化学を講義した先生です。それ以来ですから、3年振りですね。
あの頃は帝京科学大学の先生でしたが、今は定年になって、この3月から大連の某大学の日本語教師をしているそうです。
ただし、日本語教師の資格を持っていないので、Fビザで6ヶ月間の滞在を繰り替えすパターンなのですって。
瀋陽日本人教師の会のメンバーでも、日本語教師の免状も、講習を受けた資格もない人たちが結構いるように思います。こういう人たちは、何処かでうまいこと教えて、その後はそこで日本語教師をしたというのを根拠に、ほかのところに行っても、ちゃんと専家証を貰って、堂々と続けるのだそうです。何処でもうまく世渡りをする方法があるものですね。
彼が次の年にも薬科大学に来ると思っていたのに来ないので、大学に問い合わせたら、都合で継続採用を見合わせたと言うことでした。
でも、この薬科大学の日語班では、一年生の時の1年間をすべて日本語教育に使って、その後の4年間で日本語の専門教育をするという特異なシステムをとっています。
ぼくは今は三年生の後期に分子生物学を教えていますが、一年生で日本語を勉強した後三年生になるまでに日本語能力が大分落ちています。それまでの間、一般教育科目と、一部専門科目を日本語で勉強しているはずですが、日本留学をした中国人の先生が日本語のPPTを使いながら中国語で講義をするスタイルなので、以前、実吉老師が教えたような科目を日本人が教えるのが必要だと思います。
これは機会があるごとに大学の要人に向けて言っていますが、まだ、効き目がありません。日本語が使えるようになった学生の能力をもっと高めないなんて、実に勿体ない話しです。
それと、この薬科大学の日語班は、日本語能力試験1級を通るくらい日本語を勉強した上で、薬学という専門科目を勉強しています。中国で日本語を勉強して卒業する学生が毎年60万人いると彼は言っていましたが(ぼくの見聞からすると、多すぎるように思えますが)、日本語が出来て、なお科学の専門教育を受けている学生は、この広い中国に薬科大学以外にいるとは聞いていません。この大学はそれほど特徴ある学生を育てているのですよ。
もっと宣伝をして彼らの進路を広げれば、いま問題の日中友好に大いに役立つこと間違いないと思います。だって、地政学上、隣人であることは止められないのですものね。
コメント:
Re:薬科大学の2年生に日本語教育を(07/12) 片岡雄治 さん
はじめまして
同じ薬科大学の同僚であった加藤さんのブログをたまたま見たことでこのブログを知りました。
1987年以来非常勤ですが中山広場横の中国医科大学と関係があります。
一昨年常勤の話もあったのですが、色々あって、従来と同様日中を行ったり来たりしています。
昔はヴァイオリンを職業としようと思ったほどの音楽好きですので、瀋陽音楽院のホールには何度かいった事があります。
北方医院の向かい当りが薬大とおもいますが、南塔は行きましたが間が抜けている様です。
医大の日本語専科の渡辺京子さんともお付き合いがあったようで、世の中狭いと思いました。
彼女とは持病の糖尿病や膵臓がんを通してのお付き合いがありました。 (2012.07.12 13:21:03)
片岡雄治さま shanda さん
まだお会いしたことはないですね。
1987年からというと25年も中国とのお付き合いが続いているのですね。
このところまた両国の関係がきな臭くなって、「日本と戦争か?」「日本なんて生意気な。やっつけちゃえ」なんて言葉が中国で出ています。
一人っ子で構成される軍隊が自分たちの兵員を損傷したいと思っているとは思いませんけれど、この先どうなるか、考えると落ち着かない毎日です。 (2012.07.13 20:55:33)
水曜日の朝、大連の実吉老師から「昼ごろ、出向きますのでよろしく」というメイルを受け取ったので、これは一緒に昼を食べようと言うことだと思った。
日本の先生の訪問ですから、うちの学生にも会わせたいと思って、研究室の人たちに昼を一緒に食べに行きましょうと誘った。
でも、11時には現れないし、11時半になってもまだだし、とうとう12時10分に、足止めしていた学生たちに謝って食事に行って貰った。ぼくもトマトを食べて昼ご飯にして、結局、1時前に実吉さんは現れた。
ぼくは彼に何も言わなかったが、「昼ごろ」というのはいい加減な表現ですね。昼時に現れないつもりなら、「昼過ぎに」と書くべきですよね。
瀋陽の日本人会の会員は三百人足らずだが、実吉さんが今いる大連は日本の企業も多く日本人は3万人はいるらしい。日本語教師も三百人近くいるのではないかと言うことだ。
大連日本人教師の会という組織はあっても、実際には殆ど活動をしていないと言う。300人の会員が毎月集まれるわけがない。集まる場所だってないだろう。
日中友好協会の図書館というのがあって、教師の人たちが帰国するときに置いていく本をここで預かっているという。それこそ、山のように溜まっているそうだ。
しかし、教師の会の組織が動いていないので、本を責任を持って貸し出すことが出来ず、活用されていない。
数年前の、瀋陽日本人教師の会は三十人を越す会員がいましたから、土日には当番を作って、資料室の本の貸し出しに当たっていた。いまは会員が二十人を切っていますから、当番など作れず、従って資料室は動いていない。
会員が少なすぎてここでは活動できないのに、大連では多すぎて活動できないのだ。
実吉さんは、今度「本を貸し出せるように当番制を提案しよう。自分は本が好きだから、自分が毎週末の当番を買って出てもいい」と言って帰って行った。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
この数ヶ月、Macの具合が悪くて困っています。メインのiMacです。もう4年経っていますが、一代前のMacOS Snow Leopardで、それまではすいすい動いていたのですよ。
おかしくなって、ウイルスかなとも思いましたが、VirusBarrier X6も入れてあるのです。
最初の症状は、立ち上がりの時に、IDとPSを入れても、ぐずぐずして立ち上がらないことでした。そのうち、フリーズしたり、カーソルが消滅したり、データが突如消えてしまったりするので、OSを再インストールすると一時的に良くなるのです。
Libraryがきっとおかしくなっているのじゃないかと思って、半年前のものと入れ替えました。おかしなことは直ったものの、ソフトがスムースに動かないものが増えました。
Libraryを一部ずつ新しいものに戻していくと、またおかしくなって、再インストールを繰り返した挙げ句、とうとう思い切ってHDDを綺麗にした上でOSを再インストールしました。
これですべてうまく行ったと思っていたのも1-2週間。
カーソルで字をなぞって選択しようとすると、選択がうまく行かず、数回繰り返して選択できて、やっとコピー出来るという始末。
とうとう、この数日ネットブラーザーの反応が極度に遅くなりました。フリーズも頻繁です。
TechtoolProの立ち上げのためのeDriveも作ってあるし、OSのディスクから立ち上げて、診断、修復する方法を先ず試みようと思ったら、Command ONで立ち上げようとしても、何時ものOSが出てくるだけなのです。
PR-ROMの再セットも効きません。
こんなことで、このMacに愛想を尽かして買い換えたくないし、どうしたものでしょうね。TechtoolProのディスクで立ち上げることが出来れば、その立ち上げ用のeDriveも再インストール出来ますね。
そう思いながら、色々と試していると、TechtoolProの画面からeDriveが立ち上げられることが分かりました。これを立ち上げると、起動ディスクが選べる画面が出てきました。
それでやっとMacOSのディスクから、起動ディスクの修復が出来て、それで、ともかく、ひとまず動くようになりました。まだどうなるか分かりません。HDDの中身を消去して、OSを入れ直して、ソフトも新たに入れ直していくしかないのかなと思っています。
カテゴリ:日本語について
さえ:
日経の6月12日に、『ご乗車できません は方言? 東京語と標準語が離れていく』と言う記事が出ていました。著者は岩崎雅子さんです。
これが面白いんですよ。ぼくたち、東京生まれの東京育ちですから、二人の会話は標準語だと思っていました。でも、いつの間にか、周りの言葉が何か変わってきて違和感を感じていました。「ご乗車できません」も、変な言い回しだなあと思ったのを覚えていますが、西日本からの侵略だったのですね
『「行かなかったです」「行かないといけない」といった言い回しを普段していませんか?』
『「行かない」の過去形である「行かなかった」の丁寧な言い方は、標準語では「行きませんでした」になります。「行かなかった」の方言を調べると、西日本や新潟あたりでは「行かんかった」、近畿から北陸・東海地方では「行かなんだ」と言い、「それらの地域出身の人たちが『行かなかった』を丁寧に言おうとしたときに『です』をつけて、『行かなかったです』となった」と国語学者の田中章夫さん(元学習院大教授)は指摘します』
『「行かないといけない」は、標準語では「行かなければならない」ですが、これは「行かんといかん」「行かんとあかん」などと言う西日本出身の人が標準語を言おうとして「行かん」を「行かない」、「いかん」「あかん」を「いけない」に“翻訳”した形だと考えられます。
「ご乗車できません」と言うアナウンスを聞くとがありますが、『標準語としては「乗らないでください」といった「~しないでください」の形が一般的でした。それが「~できません」という「可能の打ち消し」の形で「禁止」を表す言い回しに変わったわけです。「可能の打ち消し」で「禁止」の意味を表すのは西日本でよく見られるそうです』
『芝生に入れません」「自転車は置けません」といった立て札。これも東京周辺で増えた西日本風の言い回しで、標準語にすれば「入らないでください」「置かないでください」などの形になります』
『東京語を基につくられた現在の標準語ですが、「行かなかったです」などは地域語を話す人が無意識のうちに言いやすいことばに変化させた結果の表れといえるでしょう。こうした一連の動きを田中さんは「標準語の東京語離れ」と呼んでいます』
瀋陽日本語弁論大会の講評をみると、第15回と16回に、全く言い回しが出てきます。流行のコピペですね。『今年も素晴らしい弁論を聞くことが出来てとても良かったです。日頃、学生たちが学業の合間を縫って、寸暇を惜しんで練習してきた成果が良く現れているものが多かったです』と言うのです。
この『聞くことが出来てとても良かったです』と『成果が良く現れているものが多かったです』も、これと同じ伝でしょうね。ぼくは落ち着かなさを覚えます。以前はこんな言い方は、稚拙だと認識していたように思います。
「とても良かったです」は、「とても良いでした」でしょうし、「現れているものが多かったです」は、本来は「現れているものが多いでした」ですね。
但し、そのように言うと、ぼくには全然違和感はありませんけれど、言葉に躍動感が感じられない気がします。つまり、こっちが今の標準の言葉になっているのでしょうね。
日本語が普遍化していく過程で、初心者に文法的な説明のしやすい形になって行くのは仕方ないことだと思いますが、それが西日本からの侵略と一致しているのが驚きです。
西日本の言葉が多く使われるというのは、西日本の方が合理的な発想が多いと言うことでしょうか。
それと、日本語を教える先生が、日本語の本来の使い方を知った上で、今の教えやすい方を教えているなら良いですけれど、どうでしょうね。今の若い人たちだと、怪しいものですね。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
7月の初めに薬学日語の一年生が訪ねてきました。この馬さんという学生は、大学の中を歩いていて、たまたま学生食堂の前に沢山の学生がいるのを、避けて歩こうと思ったとき、いきなり話しかけてきた学生です。6月の初めだったと思います。
いま日本語を勉強している最中で、日本語を教わっている日本人の先生から、ぼくが薬科大学にいる「世界的学者だ」と聞いていて(?)、何時か会いたいと思っていました。都合の良いとき、日本語を話すために訪ねていっていいですか?
毎日研究室にいますから、たまには気分転換になって良いですよね。もちろんOKして携帯番号を交換しました。
ほかに同級生を連れてきたのですが、この馬さんは日本語を始めて1年未満とはとても思われないほどよく話しました。連れの学生は、ただにこにこしているだけで、話しに加われないくらいです。
日本語会話で、きちんと言葉を述べる練習のほかに、質問をするやりかたも教わっているので、色々と、質問をしてきます。
「先生は日本のどこから来たのですか?」
「中国に来て何年ですか?」
「中国で旅行しましたか?」
「中国で好きなものは何ですか?」
とうとう「先生は何を研究しているのですか」なんて訊いてくるのですよ。まだ学部の一年生だし、分かって貰うのは大変でしょうけれど、「ほら、癌って知っていますか。日本語では腫瘍ともいいますが」と言いながら字を書くと、わかってもらえました。
「癌で死ぬ人の数は中国でも一番多いのですよ。でも、癌の怖いのは、転移するからで」と言って、「転移」という字を書きました。「転移を抑えられれば、元の腫瘍を外科的に取ってしまえばいいわけですね。それで、転移の機構(中国では違う熟語です)を調べているのですよ」
「それは大変ですね。辛いでしょ」という返事が返ってきます。研究室に朝から晩までいるのは研究をするのが楽しいからですけれど、これは殆どの中国人に分かって貰えません。
それにしても、久しぶりに日本語を聞きましたし、話しました。
日本語を話す修士の学生は6月末に卒業してしまったので、いまうちの研究室は誰も日本語を話す人がいません。ですから日本語を話さない毎日が続きます。
考えてみると、こうやってブログを書くときが、唯一、日本語で考える時間になってしまいました。
世界ではTwitterが使われるようになって、ブログを書くのは流行らなくなったみたいですが、ぼくはこれを止めたら日本語と縁がなくなってしまいます。誰がどう思おうと、止めるわけに行きません。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
宝来に会うために、劉さんのフラットに行くと宝来は大歓迎してくれます。ぼくが劉さんのうちを訪ねるときは何時も暁艶が一緒ですので、宝来はぼくたち二人に会うのが大好きなのが分かります。劉さんによると、人が訪ねてきてこんなに騒ぐのは先生たちの時だけです、ということです。
この間の日曜日は夕方、宝来に会うためだけに劉さんのところに出掛けました。資料室の本を整理するには、まだ暑いですし、何しろ夏休み中にやればいいですものね。日曜日も朝から研究室にいたので、ぼくたちも日曜日らしく一休みしようと言って、出てきたのです。屋上で宝来は劉さんと遊んでいたのですが、ぼくたちが行くと一目散に飛んできました。
飛びかかってくるかと思うと、足下に潜り込んできてうずくまり、すぐに飛び出してきて、くねくねと周りを走り回ります。いまでは7ヶ月半の立派な青年ゴールデンレトリーバーなので、うっかりしているときに体重を預けられると、こちらはよろよろします。しばらく遊んでいると、体中、宝来のつばでべとべと。時には眼鏡まで舐められて見えなくなります。
やがて劉さんがお茶の用意をして下の部屋から運んできて、屋上にテーブルを置いてお茶になりました。もう午後6時ですから屋上の部屋の影になって、風も吹きすぎますし、暑くはありません。屋上からの視界は広く、爽快な気分を贅沢に味わいました。
点てて下さったぼくの好物のプーアル茶を味わいつつ、ビスケットを宝来にもわけました。もうないから、ママのところに行きなさい、とぼくが拙い中国語で言うと、宝来はちゃんと劉さんの所に行くのですよ。彼女のところに行きなさいと言うと、暁艶のところに行くのです。ぼくの中国語が通じるなんて、凄いでしょ。感激ですね。
6時半になって、引き綱を付けて河端の公園に出掛けました。ゴールデンレトリーバーを見る人たちの反応は日本とは違います。近づいてくる人はごく少数で、大半が避けるみたいです。ぼくたちが瀋陽に来た頃は、街中で犬も猫も見かけませんでしたよね。犬を知らずに育った人たちが犬を怖がるのは当たり前でしょう。暁艶は新疆の育ちで、子供の頃から犬と遊んで育ったそうです。彼女の男友達も犬好きだそうで、良かったですね、良いカップルで。
と言うわけで、日曜日の夕方の二時間あまり、楽しい時間を過ごしました。考えてみると、おさえちゃんが居なくなってからは、ぼくをこういう風に心から歓迎してくれるのは、宝来しかいないのですよ。
カテゴリ:研究室風景
さえ:
昨日の夕方6時半頃実験室に行ってみると、527室は明かりが消えてドアはロックされていましたが、528室はドアが開いていました。入って見ると、何時もの土曜日のジャーナルクラブに来ていた女子学生が一人いて、ぼくを見てにこにこしながら立ち上がって話しかけて来ました。
挨拶は良いのですけれど、「ほかには誰もいないの?」
「ええ、誰もいません。一任さんはもう一人の学生と10分前にででていきました」
「もう帰ってこないと言うことですか?」
「そうです」
「うちの研究室は最後に部屋を出るときはきちんとロックすることを徹底しています。部屋の鍵を預かっているのですか?」「いいえ。でもドアを閉めれば自動的にロックされます」
彼女は土曜日にはセミナーに来ているので顔見知りですけれど、研究室の人間ではありません。よその人を一人残して部屋を空けるなんて、今までは考えられなかったことです。
事実関係を確認したかったので、暁艶にも来て貰って中国語で話して貰いました。すると、一任君は後で戻ってくるそうです。
でも、よその人を部屋に一人置いたままにしておくなんて、研究室の約束にはなかったことです。「部屋のドアを開けたまま決して部屋を無人にしてはいけない」という約束は、研究室以外の人が誰かいればいいと言う解釈になるのでしょうか。
ここまでは想定していませんでしたが、意味するところは研究室のセキュリティです。オーソライズされない人だけがいる状態では研究室の安全が保てませんし、何か起きたとき、誰が責任を取るのでしょう。
それで一任に電話をして、この状態は間違いであることを伝えました。
決まりと言えば、527室はqPCR用の部屋で何時も清浄にしています。実験するときはマスク・手袋を着用して、お喋り厳禁です。527室には外部の人は入れない約束です。それでも数日前、中で一任ともう一人の男子学生が作業をしていて、見たことのない女子学生が二人ベンチに座って、お喋りしていました。うちの男子学生二人は作業しながら、彼女らとお喋りを楽しんでいたみたいです。
でも、もちろんこれは約束違反です。女子学生には直ぐ立ち去らせましたし、彼ら二人には注意をしました。
決まりがあってもそれを守らず、自分の裁量で都合良く変えるのは中国人にとっては当たり前のことですし、人には自分を大きく見せるのは当然の行動です。自分に権限のないことでも、良いよ、いいよ、と言うことになります。
彼らにはぼくがそれは間違っているというのが、意外みたいです。怒られるから従うと言うように見えます。
こういうことのあった日には、ぼくはとても落ち込んでしまいます。
カテゴリ:インターネット
さえ:
ぼくのメインのiMacの具合が悪いと書いたでしょ。最初のIDとPWを入れた後の反応が遅いし、フリーズするようになったし、コピーしようと字をなぞるとこれがうまく行かないし。
再起動しても、起動のために入れたOSのDiskにもe-Driveにもたどり着けないし、何度目かの、再度OSを重ねてインストールしたのが数日前。やっとControlを押したままの再起動が出来るようになりましたが、直ぐに具合が悪くなって、PR ROMの再起動で、「ガーン」と何度も音を響かせていました。
三日前のこと、この音を聞きつけて暁艶が笑いながらやってきて、「またですか?」と両手を使って、PとRを右手で押し、CommandとOption キイを左手で押す格好をします。
「だってコピーしようとすると、直ぐにおかしくなってしまうし、フリーズするし」というと、「それはマウスの所為でしょ」というのです。
さらに、「だって、そのマウス、時々おかしかったのですよ」と言うことですが、そのマウスを使うようにぼくに勧めたのは、暁艶じゃないですか。
ぼくのマウスが多分断線のために時々言うことを聞かなくなったのがこの春だったように思います。とうとう断線してしまって、そのときWindowsに繋がれていたマウスを貰ってきたのが二ヶ月くらい前かなあ。その時、暁艶はこれを使って良いですよと言ったけれど、具合が悪いなんて一言も言わなかった。
ぼくがぶつぶつ言っていると、「前に買ったけれど、いまは使っていない無線マウスがあるから使ってみませんか、電池を消耗するので使うのを止めたのですよ」とマウスを持ってきてくれました。マウスの所為とは思えませんでしたけれど、Macの不調にほとほと疲れていたので、半信半疑でマウスを取り替えたのですよ。
すると、コピーをするときの不具合はたちまち直って、苛立ちは解消しました。
後は、立ち上げの時のおかしいか、フリーズするか、ネットのウインドウを沢山開いているときに、にっちもさっちもいかなくなるか、こういう現象が起きるのを心待ちしながら、三日間使っているのですけれど、今のところ、全く問題なし。
へええ。本当かなあ。
こんなことって、ありですか?
Macのすべての不具合が、マウスひとつで起きていたなんて。
ともかく、可笑しいことに、ぼくはMacがフリーズするのを待っているのですよ。。。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
グリーンカードの申請には税金を払っているという証明書が必要で、これも大学がいくら払っているという証明書を書いてくれて、これを持って瀋陽市地方税務局に行って、ちゃんと収めていることを証明する書類を貰うのですよ。
国際交流処の徐寧さんは証明書を貰うために必要なぼくの身元保証書を書いてくれただけで、税務署に行くのは暁艶とぼくです。西大門の巨大なビルの北側にある建物で、瀋陽市地方税務弁公局と言うところでした。
窓口で暁艶が税金を払っていることを証明する書類が欲しいと言って、ぼくが大学からもらっている書類を出すと、四枚の書類をくれてこれを大学で書いて貰って公印を押して貰って提出するようにと言うことです。
そのあと、大学に戻って財務課にいきました。ここは暁艶が事前に訪ねて税金を納めているという書類を貰う手続きを色々と尋ねたところだそうです。それで、仕事は直ぐに捗って、ここで書類を書いて貰って、今度は3階の党政務弁公室にいる校長秘書に大学の公印を押して貰いました。
これで再度税務局に行く用意が出来たと思ったのですが、まだ足りない書類があって、それにも公印が必要です。
日本ですと勤務先の会計課が、何年度に納めた税金はいくらいくらと書いて証明書をくれますよね。ところがここではことは簡単ではないのですよ。
大学はもう夏休みに入っているので、必要な人が出て来てくれないと印鑑が貰えません。やっと足掛け四日目に、書類がそろって、それを持って再度地方税務局を訪ねて、書類を出して、引き替えにぼくがちゃんと税金を払っているという公印付きの証明書が手に入りました。
中国における無犯罪記録は、申請して四日目に暁艶が電話をしてくれたところ、出来ているということでした。と言うことは、それを受け取り旁々、グリーンカードの申請をするために必要な書類を全部提出して申請するだけです。
と言うことで昨日の午後、すべてが揃ったのを確認して、北陵公園にある公安局に暁艶と行きました。4時15分でしたが、もう4階の(無犯罪記録を申請した係り)の係官はもう私服に着替えて事務室の外にいるのですよ。文字通り帰り支度をしていたのですが、ぼくたちを覚えていて、窓口の中に戻り、足りなかった書類と引き替えに、「中国における無犯罪証明書」を渡してくれました。
これで、すべて揃ったので、改めて受け付けに目的を話して4階の奥の部屋に案内されました。その係官もぼくたちを覚えていて、書類を置いていきなさい、ちゃんと揃っているかどうかを先ず調べて連絡するからと言うことでした。そして本人のぼくは、もう来なくて良いから、その時は暁艶に来て手続きをするようにと言うことでした。
と言うわけで、ひとまず申請をしてきたことになります。帰りは萬象城のモールの4階の蓉悦という四川料理の店に行って、暁艶の労の一部をねぎらいました。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
大学は一週間前の7月14日から夏休みになりました。その直前、大学の正門の近くで女子学生が男二人に襲われてカバンを奪われたという噂が流れてきました。状況の正確なことは分からないのですよ。
こういう事件って、時々聞きますが、大学から公式な事件の発表と対策を聞いたことがありません。
いつか暴行事件がありましたが、これも大学からは何の発表もありませんでしたね。女子学生が精神異常者によって部屋に監禁され、暴行されそうになったという事件です。その時までは大学の門には、大学の何処かで退職になった人たちが守衛になって、ほのぼの、のんびりとやっていました。その時以来、大学のガードが職業的なガードマンに変わりました。
つまり、こういう噂を聞いても、じゃあ気をつけようねとお互いに言い合うのが、せい一杯なのです。
休みになって数日後のことですが、この実験棟の女子学生が実験が終わって宿舎に歩いて帰るとき、自転車に乗った二人の男に口笛を吹かれ、そして、お金を貸すように言われたと言うことです。いまお金を持っていないと言ったら、研究室から目の前の宿舎に帰るところですから、お金がないのももっともだと納得したのでしょうね。そのまま立ち去って、無事だったということです。
その学生は大学にこれを届けたのだろうか、と言う疑問が湧いてきます。大学にはまばらながらも監視カメラが据え付けられていますから、時間と人相が届けられれば、監視カメラの映像から、怪しい二人連れの男を同定することは出来るはずですし、警察にも届けられるし、その後の入構を拒むことも出来るはずです。
でも噂では、そこまでやってはいないみたいです。学生に聞いても、そんなことはしないでしょうと言う返事です。つまり大学に届ければ、ちゃんとやってくれるという信頼感がないみたいです。
ぼく自身は9年間通い慣れた道なので危険と思ったことはありませんけれど、朝は早いことが多いし、帰りも遅くなることもあるので、これからはカバンは持って歩かないことにしました。考えてみると必要なものなんて無いのですよね、うちには寝に帰るだけですもの。
財布も要らないですよね。何時もポケットに入れていましたが、大学に置いておいて、外出するときは大学から財布を身につけて出掛けることにしました。
それでも襲われたときに全く金が無くてがっかりさせるのも問題ですから、少額の金は持っていることにしようと思います。カメラも、パスポートもこれからは全部大学に置いて帰ります。持っているのは、100元前後の金と、傘と、携帯電話だけ。
カテゴリ:日本の将来
さえ:
薬学日語の三年の女子学生が訪ねてきました。『近いうちに日本語弁論大会があって、出してみたいのです。テーマは「これからの日本に期待すること」というものですが、難しくって』
『実はこの春休みに日本の東邦大学に学生交流として出掛けました。日本は、道は綺麗ですし、空気も澄み切って、人々のマナーも良く、何もかもよく出来る優等生にさらに何かを求めるみたいで、私は何も思いつきません、それで先生と相談したいと思ったんです。。。』
「なるほど、なるほど」この学生は今年の4月の瀋陽弁論大会にも出て、入賞しているくらい日本語は良くできます。4月から6月まで分子生物学を教えている間、よく質問に来たので、ちゃんと考えて聴いていることが分かりますし、論理的に考えて、それをきちんと言葉に出来る学生であることを知っています。
そうかと言って、このテーマにどう取り組むかをぼくが考えて教えたりしたらいけません。何か話しているうちに、彼女が掴むものがあればいいなと思いつつ色々とお喋りをしました。
「中国人のあなたがいま日本に行って、日本は綺麗で人々のマナーが良いなと思うのは、いまの日本がそうなっているからで、40年前の日本はいまの中国と同じように、空気は汚く、川の水も海水も汚れて、人々はこの環境汚染で随分苦しんだのですよ」
日本の公害問題は、ここに環境学科が出来て川西康博老師が講義に来たりしていますが、一般の人は全く知らないみたいです。
「いまの中国は経済的にも日本を追い越して世界の大国だと思っていますが、日本の経験からまだ学ぶことは色々とあるのですよ」と彼女に言うと、『そうですねえ。でも、テーマは中国に何を求めるかではなく日本に期待することなのですよ』
「アハハ。段々テーマから、遠くなってしまいましたねえ。これからの日本に期待することは、誰が言うかによって違いますよね。日本の若い人だったら、もっと経済的にしっかりとして欲しいと思うでしょうし、ぼくたちなら世界に対して日本はこう考えるという発信をして欲しいと思うでしょう。あなたは中国の若い学生ですから、あなたの視点で、これまでは世界の巨人の一つだった日本と、これからの世界の牽引役である中国を見比べて、なおかつ両方の國に望むことを考えたらどうでしょう」
「いま二つの國は境界のことで揉めていますね。でも武器を取って戦うことになったらそれで喜ぶのは米国、ロシア、そしてEU諸国だけで、中国と日本にとって良いことは一つもありません。となると、この問題を解決するには両者の智慧しかないですね。その叡智を働かせるにはどうしたらよいかを提案できたら、これは素晴らしいことですよ。是非、考えてご覧なさい。私はまだずっと大学にいますから、何時でもまた訪ねていらっしゃいな」
カテゴリ:生命科学
さえ:
いま、幾つかのPrimerを作っています。もちろん、Real time PCR (qPCR)のためです。設計のために押さえるべきポイントは十分理解していますので、ExonとIntronの位置と大きさを調べ、Primer5で選ばれたPrimer setが大きなIntronを含むかどうかで先ず選別し、ついでPrimer-BLASTで特異的かどうかを調べます。
Primer5のソフトウエアで、Hairpin formation、Dimer formation、Primer pair formationが調べることが出来て、これはPrimerの設計で避けなくてはいけない基本的な過程になっていますが、False primingに比べて重要でないことが経験的に分かりました。
このFalse Primingも、場所と親和力次第で問題ではありません。
RNA試料はどうしてもDNAを含んでいることがあるので、おおきな(出来れば1000 nuculeotides以上の)Intronを含んでいることが大事です。そうやって選んでも、次のPrimer-BLASTで目的の遺伝子以外も拾ってしまうと役に立ちませんけれど。
ぼくたち、以前からガングリオシドGM2GD2合成酵素の遺伝子は調べているでしょ。今回はqPCR用のPrimerを作ろうと思い立ったのですが、Variantsが四つもあるのですよ。しかし、Intron情報はVariant1の分しかないのです。
Variant1ではIntron6-7が大きいのです。恐らくVariant2でも同じです。というのは、Intron6-7前後の配列がVariant1と2では同じだからです。
同じようにVariant3と4は、この後ろの部分が違います。
四つに共通の配列では、特徴が少なくてPrimerが設計できませんでした。
このIntron6-7前後のExonを使うしかないので、Variant1と2、Variant3と4と分けて、二種類を作る方針にしました。
Variant3のIntron 6-7のサイズを調べたいと思って、Variant1のIntron6-7(この情報だけがあります)とVariant3のExon6とをBlastしてみました。Variant1のIntron6-7の一部がVariant3のExon6ではないかと思ったのです。
すると、Variant3のExon6は、Variant1のIntron6-7をExonとして使っているのです。しかも、間にIntronを入れないで。
と言うことはIntron6-7を挟んでVariant3に特徴的なPrimerを設計できないと言うことです。
DNAを絶対含まないRNA試料を作ればいいのですけれど、一年に一回作るならともかく、Routineに作るRNA試料なのでそんな要求も出来ません。
どうしたものでしょうね。
カテゴリ:研究室風景
さえ:
「これからの日本に期待すること」というテーマで論文を書きたいといって、薬学日語の女子学生が相談にきたと書いたでしょ。
その時色々とお喋りをのですが、中国の学生に比べて、いまの日本の学生は元気がないという話しになりました。大学生が熱心に勉強するのが中国ではとても印象的ですから、日本の学生はそれに比べて熱意がないと言うことです。
どうしてだろうかと言うことになりました。1945年に日本が戦争で負けたとき日本の経済は最低でした。その焼け跡から、人々は一生懸命働けば明日が良くなると信じてそして日本の経済力を世界一にまで高めたのですよね。
その親の世代を見ていた子供たちは、育つときの環境がいまほど豊かではなかったので、まだ向上意欲がありました。しかしその次の世代になると、すべては充足し、自分たちの努力の結果ではなく何でもあるのが当たり前ですから、現状が当たり前で意欲がないのです。
おまけに、景気が急速に悪くなって、将来の展望が描けなくなってきているところもあるでしょう。
これって、川柳に言う「売り家と 唐様でかく 三代目」ですよね。彼女と話しながらこの川柳を思い出そうとしたのですが、「唐様と」というところがどうしても出てきませんでした。
それでものこの川柳の話しをしました。「いまの日本は学生たちはこの三代目なのですよ。人柄はよいけれど、意気地なしと言って良いかも」
中国では「富二代」という言葉があると教えてくれました。しかし三代目は駄目になると言う意味はないそうです。
きっと、いまに日本の川柳と同じような意味の「富三代」という言葉が出来るのじゃないかなと思いましたが、中国の富は「太子党」に集中していて三代目で駄目になることは殆どないみたいですね。
このときは、この川柳が思い出せなくて、あとで調べて彼女にメイルで送ると、以下のような返事がありました。
『川柳といえば、一年生の時日本語の勉強の時に教わりました。その時みんな川柳を作りましたが、難しいと思います!その時、毎日日本語能力試験の問題集をやりました』
『ある聴解問題の内容は学生は「かみ」と言いましたが、自分はもともと「紙」を指すが、相手が「髪」と間違えた、だから髪をなでました。おもしろいじゃん?~だから、私は「紙と髪、間違いながら、髪なでる」を作りました。随分下手ですね!』
ここの載せたのは返事のうちの、載せても差し支えのない部分のほんの一部です。彼女の日本語能力は、大したものでしょ。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
ひょんなことで自転車を手に入れました。
昨日の夕方、研究室で実験していたはずの暁艶がオフィスにやってきて、電話代300元をいま払い込むと自転車が手に入るんですよ。どうですか、と言うのです。
ここで使っている携帯電話は日本みたいに、使用料に応じて課金されて口座から差し引かれるのではなく、あらかじめお金をデポジットしておいて使っていく仕組みです。
ですから300元を電話代として一度に入れても、何時か使うわけだし、何人に一人で自転車が当たるにしても、まあいいかと思って、300元を渡しました。
大学の裏にある店に行ったらしく、電話が掛かってきて、「300元だけじゃないでした。毎月50元を使わないといけないんですって」ということです。それを何ヶ月続けるのと尋ねると、10ヶ月という返事でした。しかしいま契約すると、洩れなく自転車をくれるというのです。
毎月50元使っているかどうか分からないので調べて貰うと、日本に電話をすると、もちろん50元を超えて時には100元になりますが、普段は30元くらいしか使っていないみたい。
300元プラス500元で800元の中には、携帯電話の使用料も入っているわけですから、格安自転車です。直ぐ駄目になる可能性があります。悪いことを考えるときりがありませんが、乗っている最中に分解して人や自分が怪我したら大変なことですね。
瀋陽に9年暮らしていて自転車に乗っていない理由は、もし誰かとトラブルになったとき、言葉でやり合うことが出来ないからです。
そう思うと、反省しきりですが、届いた自転車は二台。びっくりしましたが、暁艶は初めから宝来に会いに行くための自転車を考えていたみたい。四ブロック離れている宝来に会うために二人で行くなら、二台要りますものね。
Vogueと言う名のブランドで、ネットで調べてみると、200元前後ですから、日本円で2600円くらいです。
綺麗な自転車に廊下で乗ってみて、自転車は久しぶりですが、何とか乗れました。
そうそう、これからは毎月日本に電話をしなくっちゃ。
カテゴリ:さえへの日記
さえ:
あのときから一年半経ちました。
あの最後の時、そして「治ると期待して入院するならいいのだけれど」と悲しげに呟いていた最後の二ヶ月の入院の時、いろいろの情景が何度もぼくの心に蘇って来ます。この頃はまだ病に冒されていなかった頃のおさえちゃんも、心に浮かぶようになりました。
この頃では、決して、何時もおさえのことばかり考えているわけではないですけれど、あのとき以来、ぼくの心を収めている容れものに裂け目が出来てしまいました。始終すきま風が通り抜けていって、何時もちっとも暖まらないし、自分の心じゃないみたいです。
それでもぼくは生きています。おさえちゃんを失って生きている意味を失ったように思いました。
でも、さえと一緒にやってきた研究を少しでも前に進めることは、ぼくにしかできないことだと気付きました。
いままで何十年も面白かった研究が色あせて見えるようになってしまいましたが、ぼくに出来るのは研究だけですし、ぼくしかできないことだから、やり続けようと思っています。
もちろん、ぼく一人で研究は出来ません。何よりも暁艶がぼくをいたわりながらも研究を面白がっているし、博士1年生の王くんも、修士1年生の林さんも、雪くんも頑張っています。彼らを一人前に育てあげるのもぼくの約束していることです。
命の果てるときに、さえと一緒にやってきた仕事を少しでも先に進められたことを誇りに思えるよう、生きていきますね。
カテゴリ:中国の生活
さえ:
グリーンカードの申請をするには、中国の法律を守り、身体が健康で、過去に犯罪歴がなく、以下7つの条件のいずれかを満たすこと、です (引用1)。
(1)中国で直接投資を行い、投資状況が3年間続けて安定しており、きちんと納税を行っていること。
対中投資における実質的な登録資本金は
★投資対象産業が国家の公布している「外商投資産業指導目録」の奨励類産業への投資が計50万ドルを超える
★中国西部地域および国家貧困扶助・開発工作重点県への投資が計50万ドルを超える
★中国中部地域への投資が計100万ドルを超える
★中国への投資が計200万ドルを超える---のいずれかの条件を満たす必要がある。
(2)中国で副総経理・副工場長以上もしくは副教授・副研究員など副高級職以上の役職に就いている。
またはそれと同等の待遇を受けており、4年以上継続してその業務に就いていること。
4年以上の継続した勤務期間のうち、中国で累計3年以上納税していること。
(3)中国に対し卓越した貢献をした、または国から特別に必要とされていること。
(4)本文1-3項目に当てはまる者の配偶者および18歳未満の未婚の子供。
(5)中国国民あるいは中国の永住権を所持する外国人を配偶者とし、婚姻期間5年を上回りすでに中国に5年以上居住実績があり、毎年9カ月以上中国に滞在しかつ安定した生活保障と定住所があること。
(6)18歳未満の未婚の子供で、両親に生計を依存していること。
(7)国外に直系親族がおらず、中国国内の直系親族と暮らし、年齢は60歳以上、中国で連続5年以上居住しており、毎年9カ月以上中国に滞在し、かつ安定した生活保障と定住所があること。
2004年8月20日「人民網日本語版」によると(引用2)、この外国人永住権制度の狙いは人材確保にあり、公安部の公安部スポークスマンの説明では、
『永久居留資格とは、国の法律に基づき、一定条件を満たす外国人に無期限の居留を認めるという、一種の資格だ。外国人が居留国で永久居留資格を取得した場合に受け取る合法的な身分証明書、いわゆる「グリーンカード」は、「外国人の中国での永久居留審査許可に関する管理弁法」の規定により発行される。中国政府による外国人永久居留証の発行は、国際的な慣例と中国の現状に完全に合致する』
『中国の政府と人民は、たくさんの外国人が中国での投資、ビジネス、文化・科学技術・教育に関する活動、学術交流活動などを行うことを心から歓迎しており、公安部門は現行規定に基づき、中国を訪れた外国人の意向に合わせ、より質の高いサービスを提供する』のだそうです。
しかし、審査は厳しく、2011年末までに、中国での永住権を持つ外国人は4752人ですが(引用3)、ここの国際交流処によると、遼寧省からは毎年5人が認められるだけだそうです。
引用
(1)「人民網日本語版」2012年5月29日より http://www.yawaran.net/chinainfo/greencard.shtml
(2)「人民網日本語版」2004年8月20日より http://j.people.com.cn/2004/08/20/jp20040820_42621.html
(3)「中国、グリーンカードの発行対象拡大へ」2012年4月25日 http://japanese.cri.cn/881/2012/04/25/163s191329.htm
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
この春、休暇から瀋陽に戻ってきたときに、うちのアパートの錠前が開かず、大変な思いをしたと書いたでしょ。
不在中に浴室のなかの洗面台に給水するパイプが割れて、水が流れて下のうちに水が漏れたのです。下のうちでは大学の国際交流処に連絡したものの、鍵がないと言われて(そんなはずはありません、不在中に勝手に入ってくるのだから)、街の鍵専門の業者を呼んでうちの錠前を壊して中に入り、水の出口に止水栓を設けて水を止めたのです。
そのあとドアの鍵を直していったらしいのですが、これが開かずの錠前だったのですね。
しかし、このことは大学からも、下の住人からも知らせれていなかったので、ぼくたちも街の業者を呼んで錠前を壊して貰ったのです。
もちろん、国際交流処にこのことを連絡しました。彼らの不手際で錠前を交換したこと、なお給水管が止まっているので洗面台が使えないこと、シャワーも給水パイプのジョイントから水が漏るし、止水栓がすべて壊れているので、全般的に直して欲しいことを申し出ました。
今までに何度か言ったのですけれど、そのままです。
今度は、温水器からのパイプに亀裂が入りました。シャワーを浴びようとすると、この暑い湯がシャワーとなって降り注ぐのですよ。その時はシャワーを諦めて、パイプに荷造りテープを巻き付けました。水漏れは防げませんが、直截熱い湯が飛んでくるのは防げます。
一方、ぼくがひとり暮らしなので、大分前から暁艶はラボからうちに帰ったら必ず電話連絡をするようぼくに言っています。電話を掛けないと電話が掛かってくるのですよ。
一昨日、携帯電話を充電していて、そのまま大学の置き忘れてうちに帰りました。もう一つのモトローラはいま故障しています。うちの固定電話が使えると思ったのですが、先月の電話代を払っていなかったので、不通になっていました。
どうしたものかと思いながら、シャワーを浴びたあと歯を磨いていると、ドアが叩かれるのですよ。
この時間に、と驚いてドアを開けると、暁艶と、同じく院生の林さんのふたりでした。「電話が出来ないから、シャワーの熱い湯を浴びて失神していたらいけなと想って来たのですよ」
(エレベーターホールからの)「扉をどうやって開けたの?」
「お隣の王教授に電話をしてここの電話を聞いて、それで開けて貰ったのですよ」
と言うわけで、大変な心配と手間を、みんなに掛けてしまいました。
これからは、何時もケータイ、携帯、と唱えてケータイするのを忘れないようにしましょう。
カテゴリ:日本の将来
さえ:
日本の大津で中学二年生が仲間のいじめに遭って自殺したことが報道され、多くの議論を巻き起こしています。
このいじめを英語で調べると、いじめは bully ですが、
bully 2
1 to threaten to hurt someone or frighten them, especially someone smaller or weaker
2 to put pressure on someone in order to make them do what you want
この「bully 2」は日本語のいじめと全く同じですね、弱いもいじめです。いじめは常に弱いものを対象としています。
bully 1
someone who uses their strength or power to frighten or hurt someone who is weaker. Bullies are often cowards.
この「bully 1」はいじめっ子ですね。「いじめっ子は卑怯者だ」と書いています。
いじめという言葉は、このように英語にもありますし、中国語にも「受欺負」と言ういじめに当たる言葉があります。しかし、中国では日本みたいないじめは殆どないと学生たちが言っています。
一つには、勉強が忙しすぎて他人のことなどに構っていられないと言うことがあるでしょう。彼らの勉強は暗記ですから、暗記したかどうか直ぐに分かってしまうので、暗記するために多大な時間を使います。人のことなどに気を回している暇がありません。
さらに中国は多様な人たちで構成されている社会ですから、人の違いは当たり前で、人は違うものだと言うことを頭から受け容れているので、他人を弱者だからと言って差別して苛めることはないのでしょう。
ぼくが日本人のしてきたことで絶対許せないのは、いじめです。ぼく自身は特にいじめを体験していませんけれど、陸軍の内務斑でのいじめで受けた印象が強烈なので、ぼくの誇ることがあるとすると、人をいじめたことが絶対にないことです。
内務斑では階級が一つ違うだけで威張ることが出来て、人を踏みつけることが出来ました。これが可能であることは成文化されていないのに、まかり通ったのです。
これについては沢山の書物がありますが、大西巨人の神聖喜劇でも、五味川純平の人間の条件でも、読みやすい本を日本中の人に読んで欲しいものです。
弱いものに対して絶対権力を振るうことでの鬱憤晴らしは、内務班が消滅したいまでも、自衛隊の内部で、あるいは海上自衛隊の内部で行われているみたいですし、身近な例では、学校のいじめです。
このようないじめが学校で横行するということは、本質的に、日本人の誰の心の中にも人を苛めることの出来る精神構造があると言うことでしょう。
大津の問題の中学校の担任や、教育委員会をせめることも大事ですが、自分たちの心の中に、このいじめを引き起こす要因を突き詰めて、人を苛めることは恥ずかしいことであることを明確化する議論こそ大事ではないでしょうか。
コメント:
いじめに思う みのもんだ さん
いじめは、差別と似ているところがあって、深く掘っていくと、生存競争にたどり着くような気がします。
日本人は、良くも悪くも、強いもの、権力に従う文化の側面があり、縦社会としてはうまく機能する効果もあるが、特に大人になるまで、いじめという副作用も強烈です。
中国人は、良くも悪くも、横社会という幻想をもっており、特に未成年の段階で、正義を求める志向が強いです。弱いものがいじめられる時は、相手は力持ちでも関係なく、「辞めなさい!」と阻止する学生が必ず複数出てくるのですよ。日本の学生にとっては、理解できないものですが。。。
でも、社会経験を積んで、大人になると、正義を求めるのは幻想だと気づき、まったく逆の方向に行くのですよ。これは先生が今経験している冷たい社会そのものです。
もちろん、組織力の考え方も培わず、結局、元も子もない、そのような結末です。
まとめると、日本人は子供が自然体で育ち、人間性の毒もそのまま出すが、少しずつ修正していく(そうじゃない大人も居るでしょうが)。
逆に中国人は、子供の時から道徳の面で立派過ぎる教育をされ、毒を出す機会もなく大人になってしまい、なんだ、違うじゃないかと気づき、大人の社会で思い切って毒を出しまくる、そのような情けない結末です。
と、私は思っています。 (2012.07.30 03:40:22)
みのもんださん shanda さん
ご意見をありがとうございました。
私のブログに一部を引用して、そして私の意見を書かせて戴きました。まともな返事にはなっていないのですが、私なりに、いじめをこの先も考えていこうと思います。
再度ありがとうございました。 (2012.07.30 10:56:13)
いじめ ファンウェイ さん
大津市のいじめ事件を中国の友達に話した時、みんながいじめられたら、なぜ反抗しなかったの?こんなに弱気すれば、いじめられるのは当たり前でしょうと話してくれました。確かに、そもそも多くの中国人が自分の損をしない考え方を持っています。町には喧嘩や、殴り合うことが良く見れるでしょう。これは国民性次第ではないかと思います。 (2012.07.30 10:58:41)
ファンウェイさん shanda さん
国民性の違いも大きいでしょうね。中国人が苛められて黙って耐えるなんて思えませんもの。
実際、街中で、良く殴り合いを見かけますね。女が男を殴っている構図も時々あります。
日本の場合、どうして陰湿ないじめをする生徒がいるか、それを一人で耐えて遂に折れてしまった心はどうしてなのかを徹底的に分析する必要がありますね。 (2012.07.30 20:36:37)
カテゴリ:日本の将来
さえ:
実は昨日資料室でした本の整理で疲れてしまい、今日もまだ回復していないのです。何を書こうかと思いつつブログを開けると、「みのもんだ」さんの書き込みがありました。昨日の「いじめに思う」についてです。
その一部を引用しますね。
『日本人は、強いもの、権力に従う文化の側面があり、縦社会としてはうまく機能する効果もあるが、特に大人になるまで、いじめという副作用も強烈です』
『中国人は、横社会という幻想をもっており、特に未成年の段階で、正義を求める志向が強いです。弱いものがいじめられる時は、相手は力持ちでも関係なく、「辞めなさい!」と阻止する学生が必ず複数出てくるのですよ。日本の学生にとっては、理解できないものですが。。。』
『でも、社会経験を積んで、大人になると、正義を求めるのは幻想だと気づき、まったく逆の方向に行くのですよ』
『まとめると、日本人は子供が自然体で育ち、人間性の毒もそのまま出すが、少しずつ修正していく。逆に中国人は、子供の時から道徳の面で立派過ぎる教育をされ、毒を出す機会もなく大人になってしまい、なんだ、違うじゃないかと気づき、大人の社会で思い切って毒を出しまくる、と私は思っています』
いじめに焦点を当てて、日本と中国の文化の違いが論じられていますね。なるほどね、と思いました。ここに書かれているように、たしかに中国でもいじめはないわけではありませんが、社会の対応が違います。
「みのもんだ」さんは、社会正義の観点から同じ年齢の仲間が止めに入ると書かれていますが、子供が苛められていることに親が気付けば、親が黙っていないこと、先生が気付けば先生が止めることが、かなり日本とは違う点じゃないかと思います。
中国人ははっきりと自分を主張します。いうべき時は、相手が官憲であっても恐れません。いじめをする方が悪いのですから、親は自分の子に対するいじめが止むまで黙っていないでしょう。
もう一つ中国の先生は強大な力を持っています。教室ではオールマイティですから「老師」を恐れ尊敬する習慣があるのでしょうけれど、いじめっ子は先生に見つかって怒られればそれを続けることが出来ません。いまの日本の先生たちは、教室では威張っていても、教室以外の生徒の行動は見て見ぬ振りです。自分が生徒の行動について意見を述べる自信がないのですね。こんな弱腰の先生になってしまったのは、ひとつには生徒の親が先生を馬鹿にするからです。
一寸した大学や、大学院を出ただけで、教育大学を出ただけの先生を見下して馬鹿にしているから、子供は親を見習って先生を小馬鹿にするのですよ。先生を守らないがために、その付けがいじめを防げない学校教育として撥ね返ってきたとも言えるように思えます。
実はいじめの本質は何か、それを起こさせないためにはどうするかを考えていましたが、「みのもんだ」さんのお蔭で、ひとつの対処の方法がみえてきます。と言っても、日本人のものの考え方から変えないといけないので、おいそれとは効果の出る方法ではありません。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
日曜日の朝早く、劉さんのお宅の屋上の資料室に行きました。資料室の本は、内容でジャンル別に分けていますけれど、本の形からすると文庫本が圧倒的に多いのですね。ジャンル別に分けた上で、著者名で並べていますけれど、本を借りた人が返すときに元の場所に戻すのが難しく、これは探す方でも不便となります。
それで、本の背表紙に白いラベルを付けてここ著者名の頭文字をひらがなの「あいうえお」で書き入れること、そして著者名で並べる。
本のジャンル別に、丸い色ラベルを貼ること、にしました。たとえばエンターテイメントは緑色、その中でも女流作家によるものは黄色、中国関係は赤色、と言った具合です。
これはとても良いアイデアに思えました。
日本でラベルを買ってきて、さて実際に始めて見ると、ラベルは文庫本表紙のカバーはツルツルしていますが、それに密着しないのですよ。剥がれやすいのです。
となるとこの上にテープを貼るしかありません。幸いオフィスで使っている3Mメンディングテープに余分があったので資料室に持ってきて、これをこれらの上から貼ることにしました。
一冊について、著者名用の白いラベル、丸い色ラベル、著者名の書き入れ、テープでカバーする、の四つの作業をしないといけません。
と言うわけで日曜日は朝7時半から始めて4時間で、日本の小説の文庫本にテープを貼り終えました。実際には、以前から少しずつ始めていたので、6時間くらい掛かった計算です。これで、全体の5分の一が終わった勘定になります。
宝来ともあまり遊ばずに仕事をして、昼は大学との途中にある華聯超市のマクドナルドで念願のビッグマックを食べ、そのあとはスーパーで食材の買い物をして大学に歩いて戻りました。タクシーを捉まえる前提でグロサリーをしたのに、タクシーがいなかったのです。
大量の荷物を持って歩いたのが原因か、朝の仕事が原因か、ともかくすっかり疲れてしまい、夜はマッサージに行ったのですが、月曜日にも疲れを持ち越してしまい、昨日の午後は何と3時間半も昼寝をしてしまいました。
知らず知らずのうちに、年齢を重ねていることが原因なのか、疲れやすくなっているのですね。どうやったら健全な体力が維持できるか何時も気にしているのですけれど、毎日、規則正しい生活をすることと、散歩をするくらいしか思いつきません。気にしないよりは、ましかも知れませんね。
カテゴリ:日本の将来
さえ:
いじめは、実は校内犯罪として捉えないといけない意見が出ています(引用1)。自殺の練習までさせて人を自殺に追い込んだのが本当なら、犯罪として捉えるべきでしょう
でも、元のいじめがどうして起こったか、いじめの心は誰の心の中にも潜んでいるものだけれど、それをどうやって抑えられるようにするか、を本気で考えないといけないと思います。
小学生の頃、ビクトル・ユーゴーの「死刑囚最後の日」を読みました(引用2)。死刑の迫る心境の恐ろしさに震えて、二度と読んでいませんが、その時の印象は強烈で、死刑を宣告されるようなことは決してするまいと、心に誓いました。
人を殺せば死刑になると言うのが、多くの近代国家の原則です。
死刑になるという恐怖が抑止力になるはずですが、実際問題として、人殺しは後を絶ちません。人殺しは多くは男ですが、男は、それほど前後の見境もなくなる生き物なのですね。
小学生の時に「死刑囚最後の日」を読んだ時の恐怖はそのまま心の底に沈着しましたが、やがて形を変えました。何故ぼくは人を殺さないかと言う理由は、もしぼくが人を殺して良いと思うなら、同じような理由で人はぼくを殺しても良いと思うはずだ。ぼくは人に殺されたくない、従って人を殺さないという、人との暗黙の契約ではないかと思うようになりました。
人を殺さない理由がこんなにも幼い心のままであることは驚きですけれど、いまもそれ以上の理由を思いつきません。
ところで、いじめは快感です。世間の中で弱くて卑屈に生きているとすると、弱いものを自分の思うままに操るのは、これ以上の喜びはないのだと思います。それで、学校だけでなく社会のあちこちで形を変えながらいじめが続くのでしょう。
でも、このいじめもぼくにとっては、先ほどの人を殺さないわけ、と同じ次元なのです。人を苛めると言うことは立場を変えれば自分が苛められることを認めることです。つまり、自分が受け入れがたいことは人にするな、と言うことに尽きると思います。三千年の昔、孔子が言っています。
己の欲せざるところは人に施すなかれ。己所不欲 勿施於人。
教育というのは、事柄を詰め込むのではなく、こういうことを教えるってことでしょうね。
(引用1)産経 正論 和田秀樹氏 2012.7.31 http://sankei.jp.msn.com/life/news/120731/edc12073103310000-n1.htm
(引用2)ヴィクトール・ユゴー(Victor-Marie Hugo、1802年2月26日 - 1885年5月 22日)はフランスの小説家。 1829年『死刑囚最後の日』)
青空文庫:http://www.aozora.gr.jp/cards/001094/files/42610_31517.html
昨日のうちに今日は朝から夕方まで、大学は停電となるという知らせがあった。
マイナス80度とマイナス40度のフリーザーに入れるためのドライアイスを手配して、資料室の本の整理に行きたいと劉さんに連絡した。昔から大学で停電があるときは、資料室にはよく出掛けていたのだ。
いま、資料室に行きたいのは停電を逃れて快適に勉強をするためではなく本の整理のためである。
今日は朝から小雨だった。屋上の宝来(劉凱さんの飼っているゴールデンレトリーバー)は濡れた身体で資料室にやってきて、遊びたいと言って甘え掛かるものだから、こちらのズボンは何時もぬれたままだし、手は始終洗いに行かないといけないし、しかし、丸一日傍にいたので宝来もすっかりくつろいでいた。
今日は、日本の女流作家の本に黄色ラベル(と、小説の時は緑のラベル)を付けて著者の頭文字を書き入れ、中国関係には赤いラベルを付けた。
サイエンスものには青色のラベル。いつの間にか右手の親指の腹には四筋の切り傷が出来てしまった。痛い。
朝8時から夕方5時まで仕事をして、あとは翻訳もの、日本語の勉強関係のもの、コミックスのラベル貼りが残っている。
あとはどういう色の組み合わせにしたものか。研究室で昔使っていた色ラベルの残りを利用しようと思いついて、最初から出たところ勝負みたいに始めたのだ。白いラベルが使いにくいのが分かって使える色ラベルが一色減ってしまった。
帰りにうちに寄ってシャワーを浴びてから、ラボに来た。設計しなくてはいけないPrimerがまだ幾つかあるが、今日は疲れたから、明日にことだ。大して意味のないブログを書きに来ただけみたいだ。こんな日もありってところだNE。
カテゴリ:日本の将来
さえ:
いじめが原因で自殺に追い込まれた大津の中学二年生で、日本ではいろいろな反響がありましたが、多くはいじめがあったのに学校当局が見て見ぬ振りをしたことを問題にしていて、どうしていじめが起こるか、どうしたらそれを根絶できるかが論じられていません。
ぼくは、すでに自分も人をいじめることが出来ること、しかし一度もいじめをしたことがないと書きました。
いま思うと、実際人をいじめたことがあり、それが原因となって、それからは人をいじめたことがないのだと思います。
小学生の頃、日米戦争が激しくなり終局が見えようという昭和19年末に、母の弟が諏訪にいたので、それを頼ってぼく一人がそこのうちに送られました。いわゆる縁故疎開ですね。その後、昭和20年4月に始まった小学校の集団疎開に参加したので、そちらの記憶がより鮮明で、諏訪の生活は殆ど忘れていました。
諏訪の叔父のうちに寄留したとき、隣のうちに一年生になったばかりの可愛い女の子がいました。こちらは二年生なので上級生としてこちらは威張っていたのでしょうね。可愛くて、色々と構いたい、支配したいと、こちらは思うとおり振る舞っていたのですが、その子からひどく嫌われました。
その手痛い失敗は自然忘れていましたが、何故そうなったかを反省したのだと思います。人と深く付き合おうという気持ちがなくなりました。
いまから思うと、家族と引き離されて一人ぼっちのぼくは、好きになった女の子を支配して、この子をいじめることで快感を求めていたのだと思います。その代償は、嫌悪と拒否でした。
その後、いじめに出会い、いじめを目撃し、いじめが分かるにつれ、人をいじめて自分の貧しい心を満たす情けなさに気付いて、その時以来ぼくはいじめとは無縁です。これは自信をもって言えます。
つまり世の中の人たちは、他人事のようにいじめを論じていますが、ぼくに言わせると、いじめは本質的に誰でも陥る行為であること、しかしいじめをしない理由は何処にあるのかを、胸を開いて語ることではないでしょうか。皆、それぞれにいじめをしない理由があるはずです。
いじめをする心は誰にでもあります。それを抑制するのは、ぼくの場合は前に書いたように、「己の欲せざるところ、人に施すことなかれ」に尽きると思います。これこそが、家庭で、そして学校で、子供たちに与えなくてはいけない教育です。
人生の先輩{つまり先生もそうですよ)が人としてあるべき姿を自信を持って若者に伝えずして、何が教育でしょうか。
コメント:
Re:いじめ ふたたび(08/03) みのもんだ さん
「己の欲せざるところ、人に施すことなかれ」、要するに人格者に育てようとする教育の要素は、西洋文明の中にどれくらいあるのかな。物事はすべて両面性があるのですね。
そういえば、例の件は新たの展開があったようです。強いお母さんです。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120803/waf12080323520025-n1.htm
(2012.08.04 10:42:32)
二年前の新学期から、瀋陽日本人教師の会はおかしくなった。
それまでの代表の多田さんが帰国してしまったが、直ぐにほかの大学で職が見つかって新学期から瀋陽に再び戻ってくることになって、多田さんがまた代表をしてくれるだろうと誰もが思っていた。
ところが着任が遅れたことと、職種が変わったことを理由に多田さんが代表継続を固辞して、代表のなり手がなかったようだ。私は、妻の病がとうとう重くなって日本に戻っていたので、教師の会に出られなくなっていた。
その時手を挙げたのが宇野さんだった。
それ以来のことは、私はあまり教師の会の集まりに出られなかったので状況ははっきりしていない。対外的には評判を落とし、対内的には、無気力集団に化しつつあるのを、時々見ていただけだ。
それで昨年の新学期が良い機会だったが、「誰もやりたがらない代表を自分で進んでやりたいという宇野さんこそ貴重な存在だ」と、その時の副代表の松下さんが強力な後ろ盾となって、宇野さんが二年目の代表に選ばれた(残念なことに私は日本出張が重なって、9月も、10月、11月も会合に出られなかった)。
そしてまた一年。教師の会はあんな代表を選んだ集団だと評判を落とし続け、集まりでは上辺だけ笑顔で繕った、白々しい付き合いが続いてきたような気がする。
私は何をしていたかというと、教師の会が日本語資料室を持ちこたえるよう、事実上たった一人で努力を続けてきた。もちろん、会員にも、資料室のオーナーの劉凱さんにも、そしてうちの大学院の学生さんたちにも助けられた上のことだが。
さて、あと一ヶ月で新学期だ。今度はどうしたものか、どうしたらよいかと思っていたら、会員の中にさすがにこのような状況に我慢できず、代表を変えようという動きが出てきたみたいだ。
教師の会の代表は会を代表する顔であると同時に、会員が快適に集まれるよういつも気を配る役だ。自分は代表なんだと嬉しがっているだけでは、皆から信任が得られるはずがない。二年間、代表をやってもそれを理解出来なかったなんて、可哀想な人と言うしかない。
人はつい他人のことはよく見えるものだから、その言動をあれこれとあげつらう。勿論、私もだ。おまけに良い感情を持っていないときは、ことさらだ。
私は、日本人教師会の代表のこともこの二年間あれこれと言ってきた。
代表は、自分が代表であることを嬉しがって行動するようでは困RU。会員があるから代表なのに、会員のことを忘れてしまってはいけない。
毎年春に開かれる弁論大会は、終わったあと懇親会と言うか慰労会を開くのが恒例でした。当然ですね。前の年の10月から全員がそのために奔走してきたのだから。
昨年の弁論大会の時は、その懇親会が在瀋陽日本国総領事館主催で開かれるという知らせがあった。しかし弁論大会のすぐ前になって、教師の会からは二人しか招ばれない、従って代表の自分と、係りの元締めの神谷先生の二人が出席するという通知が宇野代表から全員のところに来た。
本来は、全員を招くと言うことだったので、それでは立つ瀬がないので自分たちも参加しませんと領事館に返事するのが、先ず第一の選択のはずだ。しかし、実際上はそうも行かないかもしれない。
従って、会員に対して代表の取るべき道は、『領事館がこういうので、申し訳ないですが二人だけ参加します。これを認めて下さい。その代わり、残りの方々で慰労会をして下さい、自分たち二人は出席できないけれど』というものだろう。
私は代表にメイルで文句を書Iたが、とうとうそれに対して返事がなかった。このことは以前、書いている。
今年の6月、国際交流基金が北京で中国にあるいろいろな団体に招聘状を送って会合を開いたと聞いている。まだ今年度が終わっていない時期なので会員は瀋陽にいたが、会員の誰一人にもこのことを知らせず宇野さんは交流基金持ちの会合に参加したという。彼の唯一の味方かもしれない松下副代表にも知らせないでだ。
人は学習しなくてはいけない。
「あやまてばすなわち改むるに憚ることなかれ」(過則勿憚改)と孔子が三千年も前に言っている。
でも、「君子は義に喩(さと)り小人は利に喩る」(君子喩於義、小人喩於利)の通りで、小人は自分の利を計ることから逃れられない。
「小人養い難し」(唯女子與小人 、爲難養也)と言うが、せめて、小人といえども、「信なくば立たず」(民無信不立)と言う意味を分かって欲しいものだ。ともかく、この小人には心底うんざりだ。
カテゴリ:日本の将来
さえ:
昨日、『「過(あやま)てばすなわち改むるに憚ることなかれ」(過則勿憚改)と孔子が三千年も前に言っています』と書きました。
自分のしたこと、やってきたことに間違いがあったことに気付いたら、恥かしいと思わずにそれを改ためよう、とぼくは捉えています。若いときはできても、社会で地位が上がるにつれ、段々難しくなりますね。自分の思い違いや間違いをただす代わりに糊塗したりする人は結構いるものです。
孔子の言葉に、「已(や)んぬるかな。吾未だ能くその過ちを見て内に自ら訟むる(せむる)者を見ざるなり」 というのがあります。
意味は、『この世も最早ここまでか。私はまだ自分の過ちを認め、内面で自分を責めることができる人物を見たことがない』で、原文では『子曰、已矣乎、吾未見能見其過而内自訟者也』です(引用1)。
インターネットで見た解説によると、『春秋末期に風俗が乱れ、自分の利益や出世ばかりを追い求める人材が栄耀栄華をほしいままにしだしてしまった。そういった憂うべき天下の窮状を見て、孔子は嘆息し「やんぬるかな(もうこの世はおしまいだ)」と言葉にしてしまったのである。自分自身の過失や責任を認めることなく、罪悪感を痛感する良心を失ってしまった人間ばかりになると、社会が混乱し仁の思いやりが摩滅いってしまうということを憂慮した部分である』(引用1)
孔子がいたのは古代中国の春秋時代(B.C.770-403)で、いまから二千数百年まえです。その時代に孔子が嘆いた世相そのままが、いまの中国にも当てはまりそうです。
新しい中国は孔子の思想を徹底的に排除したそうですが、人の道を教える思想がなくなって金儲けだけに生きる目的を見付けているのがいまの社会みたいです。
いじめの問題を考えていて、ぼくは日本に真の教育がなくなってしまったからだと嘆いていますが、いまの中国も同じ問題を抱えているのでしょうか。
(引用1)http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/classic/rongo005_3.html
カテゴリ:中国の生活
さえ:
論語づいているので、ついでに。
『小人の過つや必ず文(かざ)る』というのがあります。
「子夏曰、 小人之過也、必文」が原文です。
『つまらぬ人間は、失敗すると必ず言い訳をくどくどと述べる、しかし、以後のおこないを正そうとはしない』
『人間だれでも失敗することがある。しかし、その際の対応の仕方によってその人間価値がきまってくる』
『非を認めたうえでその欠点や落ち度を検討し、改善するように過ちを前向きに生すことが人としての価値を高めることになり良き評価を得ることが出来るであろう』(以上の引用1)
研究を発表する学会でも、間違いや、足りないところを指摘されても、それを認めるどころか、しゃかりきに相手をねじ伏せようとする人がいます。その人のその後を見ていると、そういう人は結局研究者として大成していません。ま、そう言うぼくも大成していませんけれど。
それですから、学会は人間発掘の場でもあり、ぼくは何時も学会に出るのを楽しみにしていました。専門の分科会はもちろん、それのない時は関連集会に出て、話を聴いて勉強に努めましたし(話を聴く方が、いちいち調べるよりも簡単でしょ)、質疑応答からその人を評価することに努めていました。
だって何時その人を採用することになるか分からないし、あるいは自分たちの活動にスカウトすることになるか分からないからです。
でも、中国に来て以来、学会とはとんとご無沙汰になりました。時間はあるけれど金がなしです。
『小人の過つや必ず文(かざ)る』というのは、小人は過ちを認めず言い訳するだけだと言っていますが、過ちの責任を認めないで、言い抜けようとする人は小人だと言うことと同じです。ですから、これを格言にして、過ちをしたならばそれを間違いと認めて、それを二度と起こさないような(立派な)人間になろうよと言っているわけですね。
論語の教えにもかかわらず、中国では、過ちを改めるどころか、過ちを認めないというのは確固たる習慣みたいです。
実験室で使っている器具を壊しても、自分が壊したと決して言いませんし、場合によっては壊れたまま、誰もそれをこちらに知らせてくれないと言うことになります。壊しても、壊れても、一切罰則も、彼らの負担もないのに、言って来ないがために対応が遅れて、従って実験がストップすることが時々あります。
セミナーでいい加減なことを平気で述べたりする人には、こちらは注意をして正していますけれど、面子を潰さないように気を遣います。こういう教育の場での指導では、面子も何もないでしょう、面子がつぶれたって当然じゃないですか。間違っていたり、至らなかったり、ごまかしているのが悪いのだから、と思っていますが、知らずに面子を潰して恨まれていることが、山ほどあるかも知れませんね。
こうやって直していて、直っていく人もあれば、頑固に元のままという人もあります。人さまざまであることを実感します。
一方で、人の面子を潰すのは命を奪うくらい重大な失態ですから、やり過ぎはぼくの過ちになるでしょう。気付いた以上は、注意は面子を潰さない程度にとどめましょう。郷に入らば、郷に従え「入郷従俗」です。
(引用1)http://www.daihou.com/blog/記事/小人の過つや、必ず文る(しょうにんのあやまつ.html
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
やっと、やっとですよ。昨日の午後、浴室の水と湯の配管を取り替えに工事の人が来てくれました。と言っても、国際交流処からは誰も来ないので、うちの研究室の暁艶と雪城がうちに来て、彼らと対応してくれたのですよ。ぼくは風邪のために寝ていたのです。
浴室の配管がちゃちなために、この春のぼくの不在中に水が出てそれが下に漏れて、大変なことになったのでした。
浴室の配管から水が漏るので、以前から何時も使い終わったあとは、浴室に顔を出している水の配管のバルブを閉めていました。勿論日本に行って留守をするときも同様です。
ところが、このバルブの一つで洗面台に配水をする水道管のバルブが壊れて水が溢れたのですね。ぼくの不在中の工事は、そのパイプを切り離して栓を付けて水をとりあえず止めるというものでした。ですから洗面台には水が来なくなっていました。
それも含めて、パイプが古くてあちこちから水が(湯が)漏れるのでパイプとバルブを全面的に取り替えて欲しいと言ったのがこの2月。三週間くらい前には湯のパイプに亀裂が入って熱い湯のしぶきが掛かってきてびっくり。
とりあえず荷造りテープでパイプを巻いてしぶきはとめましたが、湯が盛大に漏れます。勿論、すぐに直して欲しいと国際交流処に申し入れました。
昨日は、漏れの原因となる古いパイプを取り替えていきましたが、湯を台所にも配るためのバルブが壊れているのはそのまま。2月に漏水の原因となった洗面台への配水管も、応急措置をいじらずにそのままなので、まだ洗面台は使えません。
文句を言えばきりがありませんが、火傷の心配なくシャワーを浴びることが出来るようになったのですから、ありがたいことです。おまけに気のせいではなく、シャワーの勢いが良くなりました。
カテゴリ:中国の生活
さえ:
一昨日は、「子夏曰、 小人之過也、必文」が原文である、『小人の過つや必ず文(かざ)る』を引用した上で、一般的に過失を謝る中国人は少ないことを書きました。
いまの中国人の性格では、多すぎる人の中に埋もれないためには、自己主張は強いし、自分の意見の述べて憚るところなく、従って過失を認めて他人から一歩退くことなんて全く考えられないことです。だから、間違いは決して認めないし、間違いや過失を謝ることは決してないのでしょう。
孔子のいた春秋戦国時代の人口はどうだったのでしょうか。やはり人口過剰で苦しんでいたのでしょうか。人が多すぎたら、人は目立つ工夫をしないと生き残れません。過失をしても謝ってはいられません。そう言う人が多いのを見て、儒家は苦々しく思っていたのでしょうね。
このあたりは日本の村社会と大違いです。社会文明が民族の性格を決めるという良い見本ですね。日本はほかの人たちと共同で農作業をするために人と協調することが美徳でした。個人としての独自の行動は忌み嫌われたみたいです。
今でもそうですね。ですから、ぼくは日本から離れるとホッとするのだと思います。
でも、中国では人と仲良く、人を見習って、はみ出ないように生きて行こうとしていたら、文字通り生きていけない、人からは認められない、認められないと自分の生きる道はない、と言うことで、強い自己主張を生むことになったのだと思います。
生きるためには嘘も平気でつきます。多くの中国人は嘘をつくことを悪いと思ってはいないみたいです。生きていくためには嘘も方便なのですね。従って、間違いを見とがめられても、決して謝ったりしません。
但し、彼らに言わせると日本人の方が信用ならないそうです。だって直ぐに、しかも何度も謝るけれど、本心からかどうか全く分からない。その証拠に全く懲りずに、同じことを何度でも繰り返すじゃないか、と言うことになります。
たとえば、日本は中国を侵略したじゃないかと中国は日本人を追及して謝れと言います。ぼくの知っている限り、日本の政府は何度も公式に謝っていますが、未だにこれが繰り返されています。つまり、日本人を信用していないからか、あるいはこういうやり方で日本にむかいあうことが常に中国にとって得策であることを中国が学んだかですね。
書いていることが段々手に負えない方に広がって来ました。収拾に努めないと短いブログで意が尽くせません。
大袈裟かも知れませんけれど、異文明の出会いですから、お互いの違うことを咎めていたって得るところはないのです。
それぞれの違いを知って、それを容認して、その上で人間同士として、より高所を目指す人間として何が大事なのかと言う話しになれば、基盤は共通になるのですよね。少なくとも、ぼくはその意味で、ここで存在する価値があると思っています。
コメント:
Re:人間として向上すること(08/09) みのもんだ さん
決して日本の悪口を言うことではありません。あくまでも一般論として、
なかなか謝らないが、でもたまに?謝ったら、それはそれで重いものになります。
生活上、日常茶飯事のように謝って、それは平和な日常になって素晴らしいが、謝ること自体は軽くなります。
日本は今日、消費税増税が参議院で追加しました。その後首相官邸での記者会見で、「衆院選のマニフェストで消費増税が明記しなかったことで、深くお詫びしたいと陳謝したい」。これは本当に訳分からない。
先生は増税容認派のようですが、増税が良いかどうかではありません。こういうやり方するから信頼されないですよ。 (2012.08.10 21:08:54)
みのもんださん shanda さん
詳しくは分かりませんが、仰るとおりのおかしな政治ですね。筋が通っていませんし、嘘を嘘で固めて、謝っているようで、実は何とも思っていないのがみえみえです。こんな日本の政治家は世界中から信を失って当然でしょう。
中国人は嘘をつくと書きましたが、何時も嘘をついているわけではありません。どうでも良いことには嘘をつくし(遅刻の言い訳や、休みを取る理由)、お互いそんなことはどうでも良いことと承知です。
何時か、博士号を取った学生が交通大学でポスドクをすることになっていたのに、実は製薬会社の研究所に就職していました。やがてそれが漏れて分かりましたが、彼女は嘘をついたことを謝らないのです。私は大いに怒りましたが、彼女は私が怒っていることには申し訳ないと、とうとう言いましたが、嘘を言ったことは謝りません。
つまり、彼女が私に嘘を言っても実は実害はないのですね。私が騙されていたという、私の顔が立たないことを怒っているだけで、その滑稽なことを除けば、彼女は最良の選択をしているわけです。謝るも何も、彼女の辞書にはこの場合にはそんな言葉はなかったわけです。
その後は、普通に付き合っていますよ。 (2012.08.11 18:43:39)
カテゴリ:研究室風景
さえ:
4月に投稿した論文が断られた一番大きな理由は、分子の発現をmRNAレベルで見るのに従来のPCRを使っていたことでした。「もう今の世の中じゃ、Real-Time PCRじゃないと通用しないよ」というのです。この薬科大学にはReal-Time PCR(qPCR)がなかったのですが、返事を貰って大騒ぎをして調べると、実はこの大学にも一台入っていたのです。でも、誰も使っていなかったのでした。
直ぐに色々と調べて5月からは、その新品を使い始めて、卒研生の学生までもそれを使って卒業研究をしましたが、RNA試料が新しくないと信頼できる値が得られないことが分かりました。
しかし、この断られた研究のすべての実験を、一から、つまり材料抽出からやり直すと膨大な時間とお金、そして労力が掛かります。
それで、実験の一部として新しいRNA試料を使って従来法と新しいqPCRとを比べたところ、実に良く一致していて、我々の熟練したMan-operated PCRも信頼できることを示すデータが得られました。
投稿したとき、さらに、ぼくたちの使っている阻害剤の濃度の信頼性が問われました。そのときは、データを示していなかったのです。細胞の生育に及ぼす影響を一度だけ調べて、生育に大きな影響がないと(たった一度の実験で)見極めた濃度を使ったのですが、これでは説得できませんね。
それで阻害剤の細胞の生育に及ぼす影響を三度以上独立の実験で調べて、信頼度p値が0.05以下のデータを得て、使っている阻害剤の濃度の信頼性を出しました。実際、細胞の生育が大きく阻害されたら、一体何を見ているのか、分かりませんものね。
調べたい経路と無関係に、阻害剤が細胞を痛めつけて、その結果、細胞は死にかけて、調べたい分子も減らしたのかも知れませんものね。
そのために、ぼくたちは阻害剤だけでなく、阻害剤のターゲットの分子に対するSiRNAも使っているのですが、投稿したときはそれ以前の阻害剤の濃度が問題にされてしまいました。
これだけのことでも4ヶ月近く掛かり、さらにReviewersの一人から英語が一寸おかしいと言われたので(悔しいけれど、ま、仕方ないか)、英語が駄目で審査の障害になってはいけないので、英語のEditingを頼みました。
確かに、Editingをして貰うと、the とか a が駄目なんだなあと分かります。こっちは分からないから、どうってことないけれど、ネイティブには珍妙に響いて、つまり致命的なのですね。
さらにIntroductionで、全く意図していないところが変な具合に直されていました。これは、「そうか、このぼくの書き方だと、自分で前にやったことを書いていると思われるのか」と納得しました。なるほど、なるほど。良い勉強になりました。
というわけで、昨日まで何度も見直して、遂に投稿しました。インターネットが遅く、図の送信に1時間以上も掛かっているうちに切れてしまったりして、各局暁艶が徹夜で{朝4時まで掛かって}投稿しました。今度はすんなりと通るよう、一緒に成功を祈ってね。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
昨日の朝ラボに来たら、論文を投稿するために朝4時までネットと格闘していた暁艶が消耗した顔でPCに向かっていました。「蚊に刺され続けて全く寝られませんでした」
日本のアース製薬の電子蚊取り器と同様なものが中国でも発売されています。良いのは「槍手」というブランド名で売られていて、うちではこれを使っています。「槍手」というのは銃手、ガンマンという意味です。
研究室でも蚊に刺されるので、同じもの買ってきてと学生に頼んだら「雷立」というブランドを買ってきました。値段が「槍手」の四分の一なのですよ。
同じ効き目だと言うけれど、研究室で始終蚊に刺されているし、効き目を疑っていて、点けているのは気休めみたいなものです。気の毒に、やはりこれが効かなかったのですね。
ついでに「槍手」ですが、街を歩いていたら「羊槍手」という看板を見ました。
何だろうと思って尋ねると、一緒だった連れの女性は顔を赤らめながら、「私も知らなくて不思議に思って、友達に聞いたら、そんなに大きな声を出さないでよ、と叱られてしまいました」
「槍手って、男性だけが持っている器官のことなのですよ。格好というか、そう呼びたい気持ちは分かるでしょ。あれを食べると強くなるという信仰があるので、食べもの屋の惹き句にしているみたいです」とのことでした。
ま、それ以来、この蚊取り器の「槍手」を頼もしく思っていることも事実ですね。
さて、昨日の朝はブログを書いたあと直ぐに、暁艶と資料室に行きました。暁艶は宝来と遊びながら休養。ぼくは本の整理です。
犬は宝来のほかに以前のチビも戻ってきていて、暁艶に甘えていました。チビは引越の間、劉さんの実家に預けられている一ヶ月の間、すっかり痩せ細りました。ご主人から離れて食べられなかったのですね。
このチビは暁艶が横になると直ぐにすり寄ってきます。すると、もう体重が30 kgを越える宝来が焼き餅を焼いて割り込んでくるのですよ。寝るどころじゃないですね。それでも、このところずっと論文に掛かりきりでしたから、そのストレスから解放されて(癒されて)身体には良かったのではないかと思います。
ぼくは宝来とはじめだけ遊んで、あとは一日本の整理をしていました。とうとう、文庫本は、日本の男性作家(緑)、女流作家(黄)、中国関係(赤)と印を付けた上でアイウエオ順に、14段に並べることに成功しました。翻訳には(黒)ラベルを付けて、別にしています。
元々考えていたことが実行できて、ぼく一人ですが、喜んでいます。まだ未整理の本が残ってますが、日本に行って別の色ラベルを手に入れてきてから続けましょうね。
ぼくも、ずっと論文に傾注していたので、一日別のことに心を向けて良い休養になりました。うちに帰ったのは9時でした。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
4月に送った論文が拒絶されて、それを全く新しく作り替えた実験をして論文を書いているうちに、5月、6月、7月と過ぎて、気付くと8月の立秋も過ぎて、大学の夏休みもあと二週間です。
14日の火曜日から、ここで必要なものの買い物がてら日本に行きます。戻ってくるのは26日の日曜日。
それまで今日から二週間、このブログも夏休みと言うことにしますね。
皆様、お大事に。
どうか良い夏休みをお過ごし下さい。